2005年07月23日

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(12)05.7.14 友愛会館にて

『本間勝さん(田口八重子さんの兄)のお話』

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私は田口八重子の兄のひとりで本間勝と申します。
今日は町村外務大臣との談話があったんですが。
町村外務大臣は大臣になられてから10ヶ月近くなるわけですが、しばらく会ってないからということと、たまたま今回は6カ国協議の開催と言う時期に会ったんだけども。
それを意識しての面談では無いよと言っておりました。
町村外務大臣はですね、その前の元川口外務大臣なんかと比べればですね。(会場内クスクス笑い)
格段に拉致被害者問題につきましては親身になってやっていただいておると言うことは常々感じております。

川口外務大臣は一回家族会と会ったことがあるんですが、拉致被害の問題を今後どうするんですか?どう取り組むんですか?と我々が問いただした時に、
「北朝鮮をあまり刺激しないで、おとなしく水面下でやってるからおとなしくして下さい」
と、このような言葉ですね。
それと比べれば、
「我々の家族会の各種集会、座り込み等大変な思いをしている割には政府側の進展があまり見られなくて申し訳ない」
という言葉を出してくれました。

状況なんですが、私新潟の港の方に、万景峰号の入港阻止の集会にこれで4回ほど参加してきたんですが。
そのたんびに思うことは、新潟の救う会の会長で馬場先生がいらっしゃるんですが。
この人は横田めぐみさんが小学校に入学した時の校長なんです。
その方がもう年齢が84歳になられる方が先頭になっていつも岸壁に来てやっておられる訳なんですね。
新潟の県議連の関係の人たちも入港のたびに我々と一緒に「入港反対!万景峰帰れ!日本人返せ!拉致被害者を帰せ!」と言う声を一緒になって上げていただいております。
私もその万景峰が入るたびにですね。
先頭に立って海上保安庁の巡視艇が先導してくるわけですね。
そういった姿を見るとね。
そんな工作船、ひとつの危険な船が護衛をしないと何があるか分からないと。
あれは貨客船なんですよね。
そういう荷物も運ぶ、お客様も運ぶ、そんなような船がね。
海上警備をしなければ日本の港に入って来られない。
そんな事はノーマルじゃないわけですよね?

だったら、万景峰号の今までの役割と言うのは、大型工作船であり、核の必要な物を日本から輸入していたり、それから日本にいる在日生徒ですね。
在日の学校の朝鮮学校の生徒は、北朝鮮の金正日の崇拝と言う研修を受けて、まぁ修学旅行ですよね。
それで帰ってくるんです。
帰ってきた時に我々が船に向かってシュプレヒコールをやるときにですね。
その姿を笑って見てるんですよ。
何回4回入港したんですけども、その窓越しに見てるんですね。
デッキの上にも顔を出したりしていました。

そういうふうに在日のね。
日本にいて生活していくのに、こういった我々の拉致被害の問題を真剣に受け止めて自分たちの問題としてね。
いかに考えてないか、教育してないかと言う姿を見て、本当に憤りを感じます。
来月8月10日には新潟で1万人大集会と言うのをやりますので、ぜひその日は万景峰が入港する日なんですね。
そういった姿を見てください。
そしてその大会に参加してください。
お願いいたします。(拍手)

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(11)05.7.14 友愛会館にて

『地村保さんのお話』

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皆さんこんばんは。
福井から来ております地村でございます。
皆さんと政府と国民の世論のおかげで3家族、新潟・佐渡・福井県の3家族が皆さんの協力で帰して頂きました。
政府が動き、総理が行って連れて帰って頂きました事、親として本当に皆さんに御礼申し上げます。
帰りました息子も孫も、大変日本に馴染みまして。
もう小浜の方言で会話をしているような状態でございます。
本当に幸せに暮らしております。

しかし、帰りました息子たちの言う言葉に出すのは
「僕らは帰ったけれど、また皆さんのおかげで帰ったけれど、本当に申し訳ないんだ」
と言うことを本当にしょっちゅう言うております。
家族会や東京あたりへ来て見ますと、まだまだ未帰還の人。
横田さん有本さん増元さん、大変大勢の拉致された未帰還の人たちが北朝鮮に残っております。
本当に私たちは穴があったら入りたいなと、思っておりますし。
本当に申し訳なく思っておりますし、帰りました息子達もいつもそれを口に出しております。
「あんまりとうちゃん、集会でも息子が帰ったと喜んだ言葉を出すなよ」
と、いつもブレーキを掛けられておるような状態でございます。

しかし私とすれば帰ってきた孫も大変私に馴染みまして、本当に幸せに暮らしております。
これもひとえに皆さんの協力あってのことで、本当に感謝しております。
孫も息子も帰ったからといって、私もこれでええと言うわけにはいかんと思いまして、北朝鮮の拉致問題の全面解決までは、私は帰った者が表に出てやるべき事やと思って、署名活動を現在もしております。(拍手)
政府を頼らずに、皆さんの力で政府を動かしていただきたいと思います。
皆さんの政府を動かし拉致問題の全面解決まで、どうかみなさん、どうかひと配り、助けていただきたいと思います。
簡単な御礼でございますが、御礼とお願いの言葉に代えさせていただきます。
どうも皆さん、ありがとうございます(拍手)

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(10)05.7.14 友愛会館にて

『飯塚繁雄 家族会副代表のお話』

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やはり今日は町村外相との話し合いの中で感じたことは、たまたま6者協議が後で決まったと言うことなんですけども。
いずれにしてもそれを前にして政府あるいは外務省の強い態度って言いますかね、考え方というか。
そういう意気込みが見受けられなかったと、いうのが非常に残念ですけども。
その中で6者協議、多分核・ミサイルの話が中心になると思うけども。
その核・ミサイルも言ってみれば人道、人の命の問題だと。
今度の拉致問題につきましても当然ながら人道問題であると。
と言うことからすればこの問題は必ず出しますよ、と言う話はしてくれたんですけども。
私も今回こういう日本独自の立場を強く表明してくださいと。
北朝鮮よりしたたかにやってくださいと、いう話をお願いとして出しておいたんですけども。
全体的には何となく、しばらく会ってないから会ったという感じに終わってしまいましたけども。

その中で私としては実はこの原さんの問題は、私の妹田口八重子との関係と言うか情報的にはですね。
あるんですが。
今までの情報を全部整理しますと、実は結婚はしていないと。
86年の7月の20日に会った富貴恵さんの話だと、まだ独り者だった。
先ほどの話、原さんの件については89年の7月19日に亡くなっていると。
言う話もありますけれど、その情報は全く別々なんですね。
そういうことなんですが。

いずれにしても辛光洙と言うのは、もしかしたらめぐみさんとかひとみさん以外にも日本人のハングル語の先生になったのかもしれない。
田口八重子もそれに教わったかもしれない、という勘ぐりもあるんですけども。
そういう意味で辛光洙については日本政府も拉致犯罪者としてね。
国際指名手配をしているわけですから、これについては今後どうしますか?と、言う問いかけをしました。
これは町村さんが直接話したんじゃなくて、斎木さんが話してくれたんですけども。
この問題については引き続きやってますと。
かなり情報としても重要な情報も得ていると。
従いましてこれからもこの追求については引き続き今後もやっていきますというお話を頂きました。
外相は傍で頷いていましたので、多分本人もそういう気持ちだろうというふうに考えます。

こうして今までの問題の経過の中で、この問題を解決する糸口としてのチャンスはかなりあったんですね。
大韓航空機の時の事もそうでしたし、それ以来数えてみますと相当ありました。
今回の辛光洙の件に関してはある意味向こうの事実を明らかにするための大きな手がかりと。
重要な生き証人と、言うことで捕らえられると思います。
そういう意味ではこれはこれとしてですね。
きちっと追求して、日本としてもきちっと調査を出来るような結果に早くしてもらいたいなと。
それがこの拉致問題解決につながるひとつの大きなタイミングでもあると私は感じています。
以上です。(拍手)

2005年07月21日

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(9)05.7.14 友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

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皆様こんばんは。
本当に先日の座り込みのときは、たくさんの方が応援してくださってありがとうございました。
助けていただいて感謝しています。

今日町村さんにお会いしまして色々お話を聞きましたけども。
やはり先ほど西岡先生が仰いましたように私たちは何度も何回もお話させていただきますが。
アメリカとかジュネーブでお話させて頂いた時と、あの、そのなんていうか、気迫っていうか。
こちらにむいていらっしゃるその時の気迫が、あぁもう、あぁ駄目なんじゃないかな?と、最初からなにか思えるような。
本当に何とかしなきゃというような眼差しを感じられないんですよね、いつも。
日本の政治の方たちは、これは何なのかなぁ?といつもでも思うんですけども。

デメロさんとお会いした時の話を良くしますけど。
とくにあの方は本当に素晴らしい方でした。
本当に亡くなった事が残念でなりませんが。
写真を残してありまして。
ちょうどデメロさんが真剣にこう、眼差しをギラギラさせて私たちが泣きながら話しているのを・・・(聞き取れず)ように聞いてくださった。
あの感情を誰か一人でも政府の方々が私たちに示していただけないのかな?と、いつでも思っています。
そして西岡先生が今日お話になさったようなことを、国民の皆様が本当に一生懸命こうして私たちと同じ気持ちになって聞いてくださっているのですが。
総理大臣を初め、日本の国会議員のあれだけの人がどれだけこの拉致問題の、すごい残酷な大変な問題なんだと言うことを、どこまで考えていらっしゃるのかな?といつも思いますので。

ぜひ国会の中ででもどこででも、国会議員の皆様方に西岡先生に講師としてお話に行っていただけたら良いと、私いつも思ってるんです。(拍手)
今日の辛光洙のお話にしても、色々な問題にしても字面で読んで、この人はこういうふうにこうだったんだなぁと。
だから送還されたんだなぁというような。
何となく事務的な感じの解釈で物事を考えている方が多いんじゃないでしょうか。

そのような中でどれだけたくさんの人が、人生を狂わされて本当に苦しんで、親も子供も。
長い長い年月本当に生殺しの中で。
今までも本当にたうちまわっているのがこの拉致問題の本当に現実なんだと、しっかり、政府の方たちがしっかりと考えていただきたい。
それにはどうしたら良いんだろうと。
ぜひ西岡先生、お話に行っていただきたいと私は思うくらいです。

中々難しいことですけれど、辛光洙のお話、昨日のニュースでありましたように。
めぐみとかひとみさんとかがあんな小さい時にその人に教わっていたというようなことを聞いて、私たちもびっくりしたんですけれども。
そのような大変な人が先生になって。
日本にいれば何もそんなに人に習わなくても、ちょんと大学に行けば物理でも何でも自分でやれば勉強が出来るのに。
そんな本当に不自由な所で、故郷を恋慕いながら早く帰りたいと思いながら一生懸命に、そんなおじいさんに習わせられて。
本当に可哀想で悔しくてならないんです。
何とかして早く取り返さなければと・・・・・・・よろしくお願いいたします。(拍手で一部聞き取れず)

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(8)05.7.14 友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話』

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西岡さんが仰ったように、本当に私たちはこの辛光洙の件については、悔しい思いと言うかそういった物を重ねて参りました。
更にそのお話の所では、皆さんお分かりのように今日話した中でお分かりのように、日本政府の北朝鮮に対する対応の拙さと言うものを非常に感じられると思うんですが。

近くは2001年の金正男が日本に来た時です。
・・・(聞き取れず、情報機関の名前か?)が情報を流して。
せっかく日本政府に金正雄を捕らえるようにという情報をせっかく流したのに、あの田中真紀子という稀代の悪女がいましたけど。(笑い声)
手をバタつかせて返しなさいと。
それに唯々諾々と従った、元福田官房長官と小泉総理。
そしてその対応を私たちは目の前で見て、やっぱりこの政権では駄目なのかな?と言う思いをするわけですけれど。

今の対応はまさしくその行為ではないか?と思います。
辛光洙に対しては何をかいわんやと言う。
でも、こういう政府だからこそ国民の皆さんがしっかりしてるのではないか?と、そういうふうに思ったりなんかもしてるんですが。

声を上げていかないと日本政府は必ず国交正常化へ向かいます。
そして6者協議でもおそらく核を優先的に考えて、核の合意の方に走るでしょう。
先ほど、町村さんが言ってたと言うふうに言いましたけども。
とにかくよその国から6者協議を優先するために経済制裁の発動を控えてくれと言われて、それに乗ったと言うことは、拉致被害者・国民の命よりも核を優先したということです。
結局核を優先する会議で合意がなされたら、拉致の被害者を取り戻さなくても結局経済協力をせざるを得ないということです。

その時に国民が本当に怒るかどうか?
私は皆さんには期待したいと思っております。
その時に経済協力をするような政府をどうやって私たちが糾弾していくのかどうか?
そこまで考えていっていただきたいというふうに思っております。
よろしくお願いたします。

2005年07月20日

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(7)05.7.14 友愛会館にて

『横田拓也 家族会事務局次長のお話』

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横田拓也でございます。
まずお話させていただく前に先般の座り込みに際しまして、本当に多くの皆様方にお力添えを頂きましたことを改めて御礼申し上げます。
ありがとうございました。(拍手)

今日は原さんのお話を聞かせていただきまして、私を含めて、そして多くの国民の皆様方がですね。
また事実を深く認識していただいたことは本当に良い機会であったと思います。
原さんのケースのようにですね。
いろんな形でいろんな事情によって、こうした機会に出るの無いご家族が多くいらっしゃると思います。
特定失踪者の中にももしか、政府に認定していないだけで、拉致された人々がですね。
日の目を見ないだけで悩んでいる苦しんでいると言うケースが、本当に多くあるんだと思います。
本当に日本政府は一人残らず全員を返すんだと、それまで許さないんだと言うことを。
自分の言葉として、自分の口から改めて言って欲しいし。
小泉総理には意思を持って信念を持ってその事を口にしていただきたいと思います。

話は変わるんですが。
昨日、夕方の1チャンネルですが、辛光洙の件で報道がなされまして。
色々報道でニュースがあるわけなんですが。
NHKさんがどういったルートで情報を入手されたのか分からないんですけど。
私たち自身はそうした事実を知りながら、そういう強い覚悟と信念を持って座り込みをしていたわけなんです。
そういった事実はやはり当事者として明らかにして良いのか悪いのか?と言った悩みはありますし。
タイミングが適切なのかどうかと言うのは、常に考えているんですが。
先月の末の座り込みの時にはそれをあえて語らずに、座り込みをしていたわけです。

当然、日本政府・当局は、その事実は同じように知っているわけですが。
私たちが3日間続けた訴え、官邸の横で「小泉さん、会いに来てください」と。
「私たちの声に耳を傾けてください」と言う事を言ったんですが。
この事実を知っていたにも拘らず、何の反応も示されなかった。
と言うことは大変哀しい事だと思いますし。
そして今日も官房長官の談話の中でも「家族が怒るから」というような、本当に他人事のように軽く流せてしまう。
官房長官の談話と言うものは本当に日本国民の一人としてですね。
拉致被害者の一人としてでなく日本国民の一人として、本当に寂しい・哀しい事柄だと思います。

私は6者協議の場で中国やもちろん北朝鮮もロシアも、いろいろ妨害工作的な発言を繰り返していますけれども。
絶対日本政府は譲らず、6者協議の場で北朝鮮に対して日本人の拉致問題が解決しない限り。
つまり一人残らず奪還するまで、あなたたちに対して経済協力派ひとつもしないんだと。
国交正常化は有り得ないんだと、言うことを明言していただきたいというふうに思います。(拍手)
そしてですね。
北朝鮮が相変わらず何の誠意も見せなければ、国連安保理に日本政府は持ち込むんだと言う強い姿勢を示していただきたいというふうに思います。(拍手)

辛の話が出た後はですね。
でっち上げ国家ですから。
おそらくこれまで彼らが言ってきたことのようにですね。
すでに辛は例えば脳梗塞で死んでます、と言ったようなことを言って来るんだと思います。
そういうふうなことを絶対に私たちは許してはならない。
一人残らず日本人を取り戻すまで、国民は声を上げていく 行動していく。
そして日本政府はそれを代表して北朝鮮に対して6者協議の場であれ、日朝二国間の場であれ、強く言っていただきたいと思います。
よろしくお願いします。(拍手)

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(6)05.7.14 友愛会館にて

『横田滋 家族会代表のお話』

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こんばんは。(拍手)
今日は町村外務大臣が就任されて半年以上経ちましたので、家族の人と話をしたいということで外務省で面会をいたしました。
それで家族会からとしては、近く6者協議が開かれるわけですが。
それで北朝鮮側は拉致を議題にするべきではないとか。
拉致は2国間の問題で取り上げるべきでないって言うような中国等の意見もありますんで。
そういうことの無いように、ぜひ何をおいても6者協議で取り上げるようにと言うことを、十分根回しをして必ずこのことを取り上げてもらうようにという要望をいたしました。

それからまた昨年のめぐみの遺骨とする物が別人の物と判明しまして、最終的な精査が終わったのは12月の24日なんですが。
その際に細田官房長官が北朝鮮側が速やかに誠実な対応を取らなければ、日本も厳しい態度を取らざるを得ないと言ってから、先ほど座り込みをやった段階で6ヶ月が経過して、まもなく7ヶ月近くになりますが。
先ほどの話にもありましたように、日本がここで経済制裁と言い出すと北朝鮮側がそれに出てこない口実を与えるから、それをしないで欲しいと言う他の国の意見があるからと言うようなことを仰ってましたんですが。
しかし我々の立場からすると、現実はそういう事だと思いますけど。
6者協議で話し合って解決すると言うことは望み薄だと思いますので、これが終わって一定の期限を切って制裁の発動をして下さいと言うことをお願いしました。(拍手)

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(5)05.7.14 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話 その2』

(西岡氏の話に戻る)
社会党だけじゃないんですよね。
2000年になりますと自民党にも工作の手は入ってきまして。
つまりコメが送られていったわけですよね。
金丸訪朝以来自民党も工作の対象になっていて。
当時は拉致の会、救う会ってのは自民党よりも右だったんですね。
自民党を攻撃していた。
自民党のこれはこの間座り込みしたときに確か早紀江さんが仰ったんだと思いますけど。
当時野中さんとか土井さんとか、今どう思っているのか?出てきて話を聞きたいと言いましたけど。

野中さんは我々が座り込みしたときに「日本でいくら吼えていたってめぐみさんは帰って来ない」と。
座り込みをした数日後のどこかの講演で仰ったんですね。
吼えると言う動詞は、人間に対して使う動詞じゃないですよね。
その同じ時期に辛が我々の見ている所で堂々と英雄として北朝鮮に帰っていったんですね。
日本からコメが出て行ったんですね。
座り込みをしたら吼えてると言われたんです。
たった5年前のことです。
その時マスコミもそれほどけしからんというふうには書かなかった。
韓国の拉致被害者の家族はですね。
実は辛たちが(北朝鮮に)送られるときにバスの前に立ちはだかってですね。
20分止めたんです。

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それでここにですね、記念切手の拡大の写真があるんですけども。
北朝鮮がですね、非転向長期囚が帰ってきたと。
この人たちは立派な人たちだと言って記念切手を出したんですね。
人数が多いもので切手のシートに一人一人の顔写真が全部入ってるわけですけども。
この中に辛も居るわけです。
彼らは日本人のパスポートを持って原さんに成りすました人を英雄だと未だに言ってる訳ですよね。
(増元氏、切手の拡大写真を掲げる。司会の平田氏が本物の切手シートを掲げて披露する)

問題なのは金大中大統領だと思うんですね。
金大中大統領がつまりさきほど言ったように、辛たちを送り返したわけですね。
この間、5月に金元大統領が東京に来たんですね。
東大のカンと言う先生とか和田春樹さんとか、そういう人たちを呼んでシンポジウムをやったわけなんですね。
二日間やった東アジアの朝鮮問題に関するシンポジウムで、拉致問題は誰も発言しない。
という異常な、我々から見ると異常なシンポジウムだったわけですけども。
特別講師としてきて、そして話をしてるんですね。
我々は金大統領が来るんだったら、辛を送り返したことについて、なぜそうしたのか?
聞きたいと。
シンポジウムで話し合いをするのなら、ぜひそれを議論して欲しいと声明を出したんですけど。

朝日新聞が、そのシンポジウム朝日新聞が後援だったんですけど。
そういう関係もあったのか、記事で金大統領にインタビューしてその質問をしてくれたのはですね。
そしたら金大統領は知らなかったと。(薄ら笑いの声)
その記事を見てある韓国の公務員の人が大変怒ってまして。
大統領が知らないなんて有り得ない。
大統領が約束してきたことですからね。
もしも知らなかったと言うことであれば、日本の外務省はなにしてたのか? 
森総理は金大統領と、辛が送り返された後、20日後に熱海で会ってたんですね。
すぐ抗議したのか?
してないでしょ?

金大中大統領は日本では未だに民主化運動家とか言われてますけれども、そうじゃなくて韓国人拉致も一切取り上げないんですね。
5億ドルの裏金を、現金を渡してるわけですね。
これが核開発の資金になったわけですね。
現金ですから自由に使えるわけです。
そして日本人拉致救出を妨害した、非人権的な民主主義の反対する独裁者の側に立ってる非民主的な人だと。
言わざるを得ないですね。(拍手)

拉致の問題と言うのは実は日本国内だけの問題じゃなくて国際的な問題で。
アメリカがあの後も、選挙でブッシュ大統領が勝ったんで、状況が変わったわけですけども。
当時はアメリカもクリントン大統領が行く行かないで、さっき言いましたけど米朝で反テロ宣言出したんですね。
その理由は何かと言いますと、北朝鮮がテロ国家リストに入ってたんですね。
アメリカの。
ここで何回も言ってますけど、それから(北朝鮮を)抜こうとしていた。
テロ国家にアメリカの大統領が行くわけにはいかないですから。

よど号の犯人たちが帰ってくると話が流れるわけです。
それと最近テロをやってるかどうかと言うのが問題になる。
最近は大韓機爆破事件以降ないですね。
87年以降、表立って明らかになってるのは。
もうやらないと言わせると。
北朝鮮は最初からやってないと言ってるんですけど。
北朝鮮はテロには反対だという文書があると議会を説得しやすいと、アメリカと北朝鮮が反テロ宣言を、共同宣言を出したんですね。

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2005年07月19日

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(4)05.7.14 友愛会館にて

『西岡力 副会長のお話 その1』

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西岡です。
お話をさせていただきたいと思いますけれども。
大変まぁ、原さん事件については悔しい思いが多いですね。
つまり85年の段階で、これだけ明確に拉致が明らかになってたわけなんですね。
80年に拉致されたわけですけども、85年の段階で韓国に捕まったわけですね。
原敕晁と言う日本政府が発行したパスポートを持ってたわけです。

そのパスポートは、金賢姫が持っていたのは北朝鮮が印刷した偽物だったんですが。
原敕晁の名義の辛さんが持ってたパスポートは本物だったんです。
日本国が本当に発行した本物だったわけなんです。
そこに貼ってあった写真は辛の物だったんです。
原さんの写真じゃなくて辛の写真が貼ってあって、原さんだという筆跡は辛の筆跡だったわけなんです。
完全に成りすまされて、本物のパスポートを取られて。
そしてそれが韓国で捕まったわけですね。
物証があるわけです。
パスポートと言う。
そして本人が自供して有罪判決となって拉致だとなったわけです。

そこで本当は今のようなマスコミの報道や国民の関心が集まるべきだったんだと思うんですね。
なぜその時に一過性の報道だけで終わってしまったのか?
当時の新聞などを見ますと、ソウル発で書いてはいるんですけども、しかし当時北朝鮮はでっち上げだと言ったんですね。
当時のですね、北朝鮮が言ってた記録を探してきました。
先ほどの資料として後でお配りした2枚のうちの一枚、労働新聞が85年の7月2日付で論評を出している物の翻訳ですけれども。
でっち上げだといったんですね、北朝鮮は。
3人と言うのは辛とそれから済州島にいるキム・ヒヨクと洪と書いてハンなんですけども。
在日韓国人でスパイをやってた人ですね。
その3人が捕まったと。
この人たちについてですね、でっち上げだと。
我々は総連となんら関係がないと言って来たんですね。

当時は日本の世論、そしてマスコミも両論併記なんですね。
韓国はこう発表したと。
北朝鮮はこう言ってると、言うことだったんですね。
つまりなぜそうなってるか?と言うと、日本にいる我々容疑者だと思ってるんですけども、逮捕が無かったんです。
今になって告発となってるんですが、85年の段階で日本の中で事件になってないわけです。
日本人が拉致されて犯人が捕まってて、成りすましている物証があって、自供しているのに逮捕できなかったという。
日本の中で事件になってなかった。
辛を国際手配したのもですね。
金正日が拉致を認めた後ですよね?
何でその時身柄の引渡しを求めたり出来なかったのか?と。
85年の段階で辛の身柄の引渡しをこちらに求めていればですね。
あるいはきちんとした捜査が日本主導で出来ていて。

彼は、一時期一回転向するんですね。
しゃべるんですけども、刑務所の中で戻っちゃうんですね。
プロセスはそういう感じなんですけども、その時にめぐみさんの事や曽我さんの事が知る機会があったわけです。
85年の段階で横田家は探してたわけですね。
分からなかったわけです。
曽我さんのも2002年まで分からなかったわけです。
そのことを知ってる人間が実は韓国にいたんですね。
85年に。

で日本国のパスポートを偽造すると言うことだけでも、大変な主権侵害ですね。
すると原さんがいなくなって、そのパスポートが偽造されている。
外交問題にして北朝鮮に強く抗議すると共に、韓国政府に対してこれは日本の主権のかかった問題だから人権のかかった問題だから、辛の取調べをさせてくれとなぜ要求できなかったか?
両論併記で北朝鮮はこういってるということの中で。
マスコミの報道もソウル発で一回か二回書かれて終わりになってしまった。

家族会がなかったからなんですよね。
当事者が言わないと日本の中で誰も被害者を救おうと言う人達がいなかったわけです。
警察は警察で、証拠・法に基づいて捜査していると言うんですけど、外務省は警察が認定した人について交渉すると言うんですけど。
国家が金正日に、これは辛が本人が韓国の取調べで言ってるんですけど。
原さん拉致は金正日から直接命令を受けたと、聞いてるわけです。
と言うふうに韓国の月刊現代と言う、編集長が当時書いてあるんですね。
ですからこれも金正日の命令なんですね。

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2005年07月16日

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(3)05.7.14 友愛会館にて

『吉田利幸 大阪地方議員の会会長(大阪府議)のお話』

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補足と言うかですね。
実は私ども地方議員でありますが、政治家の最大の使命はなんなのか?と言えば、国民の生命と財産を守ること。
ですから私は先ほどの集会ですね。
この協議に対してでですね。
この拉致問題は最大の話題にすべきと思うんですね。
昔の総理が人間の生命は地球より重いと言われた方もいらっしゃいましたが。
まさしく国家そのものが問われているのがこの拉致問題ではないか?と思うんですね。

原敕晁さんの事件に付いてはですね。
まさしく身寄りが少ない。
私ども地方議員の会は、大阪の地方議員が57名加盟を頂いております。
八尾の三宅議員と松本弁護士ですね。
3名で、告発をしたわけでありますが。
日本がまともな国なんだ!という主張を明確にするためにも、これは告発してですね。
ちゃんと逮捕していただかないと。
日本の警察の在るべき姿、やるべきことをやるんだと。
発信するということが非常に大事な局面を迎えているんじゃないか?と言う気がいたします。

日本の政府が本当に政治家として、私も自民党。
三宅さんも自民党ですが。
少なくとも国会議員がそういう形で自らの使命を示せないなら、地方議員からそういう発信をしなければならない。
その熱い思いで告発をしたのです。
実際先ほどの集会でも、その当時大阪の方では辛光洙に対して逮捕状をぜひと、警視庁の方に上げたそうですが、どういうわけかそれをストップされたと。
その時にやっぱり意気を、それだけあったときにそれを実際追うんじゃなくてですね。
昭和60年当時であればもっと明らかに出来たことがたくさんあると。

ただ私どもは、拉致問題ですが朝鮮総連の組織を挙げてですね。
あるいは日本人の中にも手を貸しておられるやに思うわけですね。
特定失踪者の問題にしても何百名と言う人が拉致されてるか分からない。
警察の方でも掴んでいてひょっとしたらと言うのは900人くらいいらっしゃるそうでございます。
まさしくそういうことのひとつの一番の解明しやすいというかですね。
韓国の裁判で事実関係を明らかにした上で、死刑判決を受けてるわけですから。
それに基づいて裏づけを明確にした上で、やはりこの機会に日本の国はこうだと。
主権国家であるということを世界に向けて発信するのが絶好のチャンスだと思います。
私どもこれはやはり、これは大阪府警、私ども府議会議員としての立場としての所管でございます。
私も地方議員としてできることは全て。

これは家族会・救う会の問題ではありますが、しかし一番問題なのは国家の問題として。
やっぱり政府、我々国民の一人として自らの問題として、いかに捉えるかですね。
自らの命の問題として、それがようやく連綿と続けられた先人が築き上げた歴史に続くわけですし。
日本の歴史も、日本の国の命もですね。
我々一人一人の国民の命も同じでございますから、そういう意味合いをはやりひとりひとりがやっぱり考えていくべきですし、行動していくべきだと思います。
そういう意味で皆さんに・・・(聞き取れず)皆さんにご理解いただけたらと思います。

警察もですね、今日三宅先生の方から報告がありました。
決してほったらかしにはしていない。
鋭意努力していると、解明していくという姿勢をですね。
私ども真剣に受け止めたわけで、お会いした時のこれは感触で。
しかし外交の問題では、中央議会でもそうですし、国民の皆様方ですね。
それぞれなんだ?と。
日本は国家としての体をなしていないじゃないか?と言うような思いが、一人一人皆さんここに来られている皆さんは、そういう思いがあると思います。
私ども横田めぐみさんのご両親、有本恵子さんのご両親、あるいは家族会の人と会うたびに本当に元気なうちに帰ってきたら良いですけど。
この志が一人一人の命の底から刻み込んで、やっぱり我々の意思として努力をするべきだと思います。
以上です。(拍手)

★三宅博議員の補足のお話
報告が漏れておったと思うんですけど、辛光洙。
主犯の辛光洙が今現在北朝鮮で非転向長期囚として返されましてですね。
これは金吉旭、大阪朝鮮学校教員と言うか校長まで勤めたんですけど。
彼は韓国の済州島で今も元気に暮らしておると。
それから日本における宝海楼の店主、李三俊ですね。
今一人亡くなった李吉炳と言うんですが、朝鮮総連、大阪の商工会の会長なんですけども。
彼はすでに亡くなっておりますが、前に一度ですね。
関係者の方からチラッと聞いたんですけど、彼の子供が北朝鮮におったと。

で、辛光洙にですね。
自分の子供、娘と息子の写真を見せられて、あんたの娘はどこそこで元気にしている。
息子はどこそこでいると言うことをどうも見せられたみたいです。
でけっきょくまぁ、彼もそういう中で辛光洙にですね。
全く抗うことも出来ないといいますか、これを拒絶することが出来ないというような脅迫を受けてこの犯行に加わったと言うふうなことらしいですけども。
ですけど、いかに自分の子供が可愛いとしても、全く赤の他人の関係ない人を拉致と言うそういう犯罪に手を染めると。
これはやはり許されざる行為であるというふうに私は思います。
まだまだちょっと十分に伝わってはおりませんけど、また後西岡先生とか増元さんとかが説明してくださると思います。

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(2)05.7.14 友愛会館にて

『三宅博 地方議員の会副会長(八尾市議)のお話』

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※吉田利幸 大阪地方議員の会会長
私は大阪から参りました。
実は大阪にですね。
北朝鮮に拉致された大阪地方議員の会というのがありまして、私その会長を仰せつかっております大阪府議会議員の吉田と申します。(拍手)
また後ほど私がお話をさせていただきますが。
反面、(こちらは)この全国組織でございます。
北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会、副会長をなさっておられます。
八尾市議会の三宅さんの方からですね。
まずいろいろとご意見なり、あるいは告発に至るまでの経緯をよろしくお願いします。

★三宅博 地方議員の会副会長
皆さんこんばんは。(拍手)
ご紹介頂きました地方議員の会の副会長をしております三宅と申します。
着席してお話させて頂きたいと思います。
今日はお手元にお配りしてますレジュメに添ってですね。
お話をさせて頂きたいと思います。
今政府認定の拉致被害者は10件16人ですね。
その中で原敕晁さんの拉致事件と言うのは非常に大きな特色がございまして、その辺のことは後刻お話させて頂きたいと思います。

原さんは長崎にお生まれになられましてですね。
その後就職の為に大阪の方に来られまして、中華料理店ですね。
天王寺区の鶴橋の駅の近くの宝海楼(ほうかいろう)という中華料理店のコックとして勤められておったと。
そのときですね、昭和55年に北朝鮮に拉致をされたと言うことなんですけども。
この拉致に至る経緯と言いますか、これは非常に過去ですね。
多くの雑誌・新聞あるいはテレビ等でですね、その全容については詳しく述べられております。

先ほど佐藤先生がお話されましたが、昨日の夜テレビにも報道されましたですね。
今朝の朝刊にも載っておりましたが辛光洙事件ですね。
この辛光洙事件が原敕晁さんの拉致事件のまさに首謀者であると、こう言うことでございます。
後ろに貼っておりますこのチャートなんですけど、これは・・・(聞き取れず)の方に頂いたんですけど、韓国の情報機関が作成したチャートでございます。
ここにですね、原さん拉致に至る実行グループの役割とかですね。
そういったものがチャートとして載せられておると言うことでございます。

原さんもですね。
多くの特定失踪者の方と共通しておりますけども、非常に身寄りの少ないお方です。
さっき増元さんからお兄さんの事がご紹介されましたけども、それ以外にですね。
本当に身寄りの少ない方でございます。
原さんのプロファイルといいますか、原さんは昭和11年に長崎市にお生まれになられたと言うことでございます。
お兄さんは原耕一さんといって今も長崎にご存命でございます。

原さんはですね、大阪の中華料理店にお勤めになっておられた。
勤めておった勤務先の宝海楼、宝の海の楼閣の楼ですね。
宝海楼と言う中華の料理店ですね。
店主これは李三俊といいますが、彼は朝鮮総連の大阪府商工会の理事長であったということでございまして。
まさか店主にこういうふうに策略にハメられて北朝鮮に連れて行かれるとは、原さんご自身全く予想だにしなかったことであろうと思います。

このチャートもそうなんですけども、原敕晁さん拉致事件の全容につきましてはですね。
辛光洙が1985年ですね。
ソウルで捕まりまして全てを白状する、自白しておりまして。
ソウル地方法院、日本で言いますと地裁みたいなところですね。
そこで死刑判決を受けておるということでございまして。
首謀者として辛光洙、その配下にいる金吉旭。
あるいは先ほど言いました中華料理店の李三俊ですね。
こういったそれぞれの役割ですね。
拉致の経緯と言うのもすでに広く知られておる。

それは先ほども申しましたように多くの雑誌・テレビですね。
テレビ朝日の石高健次さんがこの問題非常に当初から追及されておりましてね。
済州島にまで行かれて一味の人間に会われてですね、その模様をテレビで放映されています。
いうことでございますね。
今一人これは亡くなったんですけど、朝鮮総連の大阪府商工会の李吉炳と言う人がいるんですね。
彼は今は死亡しておりますが、店主の李三俊は今も存命で。
しかもそのお店は今も従前どおり現在も営業されておると。
店主も店に出て商売をしており、ごく普通の市民生活を送っておると言うことでございます。

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2005年07月15日

原敕晁さんを救うぞ!東京集会(1)05.7.14 友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話』

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こんばんは。(拍手)
私、家族会事務局長として、原さんのお兄さんである原耕一さんと何回か電話でお話をさせて頂いております。
原家は家族会結成当時、1997年からすでに家族会に入られると言う意向を示されて。
しばらく代表が連絡を取っておられたんですけども。
9・17以降代表が忙しくて、事務局の方で(連絡を)取らせていただいております。

先日、原物語を開催しますので、今お体が本当に良くない。
毎日のように、内臓の方で確か肝臓だと私は思ったんですけども、とにかく毎日病院の方に行かなければならない状態で、とても活動できる状況ではありませんし。
まして東京に行くなんていうのはとんでもないと、そういう話をされておりましたので。
ぜひ手紙でも何でも良いから書いていただけませんか?と言うこともお願いしたんですけども、今体力的にそれもきついということを仰っておられました。

で、今原耕一さんの心境としてどのようにお考えでしょう?とお聞きしたら、
「今日本政府がこの原敕晁と言う人間をどういうふうに救出するのか?
それを注視していきたい、静かにちょっと見ていきたい」
と言うことをおっしゃっておられました。
「日本政府がどういうふうに責任を持って弟を助けてくれるのか?
今自分としては騒ぐのではなくて、静かに政府の動向を見ていきたい」
というふうに思っていると。
原敕晁さんが失踪されてそして辛光洙が捕まり、原敕晁さん拉致事件と言うのが表に出てから、色々とメディアの方が原家を訪れるようですけども。

原耕一さんとしても各地にいろいろ要請、それから陳情もしてきたみたいですけど、来られたそうです。
でも全くなんら動いてくれなかったという、そういう忸怩たる思いがあると。
「今現在も本当に9.17以降拉致が発覚・表面化されて、日本政府がどういう姿勢を見せるのか?
それだけ今見守りたい」
と言う言葉を仰っておられました。
これからも家族会の一員として、私どもは一応中央の情勢とか今の政府の考え方、私たちが会って感じたままを申し上げる、お知らせするつもりです。

本日も町村外務大臣と家族会メンバーがお会いしました。
そして大半の方が失望感を否めないと言う思いをして来られたようです。
「今度の6者協議の姿勢、2国間協議でも3者協議でもとにかく、日本政府としては北朝鮮政府に問いかける」と。
「北朝鮮政府が受けるかどうか分かりませんけれど」と仰っていましたけど。
これはぜひ、外務省の今度は佐々江(アジア大洋州)局長でしょうか。
局長にはぜひお願いしたいと思ってますが。
制裁の時期はもうちょっと明確に私はハッキリと言って頂きたかったんですけども、「タイミングを計って」としか仰いませんでした。

「6者協議が終わって6者協議でなんら北朝鮮政府が誠意ある対応を見せなければ、その時は考えて頂けますか?」と申し上げたんですけども。
それでも「私の口からその時期に関して申し上げることは出来ない」というふうに言っておりますので。
経済制裁の発動に関しては小泉総理の下、閣僚としてそれに反することは言えないんだと、私は思っています。
閣内不一致ということで 責められますから。
それにしても何となく、トーンダウンしたのかな?と。
去年12月、「厳しい対応を取る」と言ってそして「単独制裁も選択肢の一つである」と仰った外務大臣なんですけども、言葉からすると何となくトーンダウンしたのかな?と言う思いを今日抱かせて頂きました。
それでもどこかの総理大臣と違って、会ってくれるだけまだましなのかな?と。
私は今日感じております。
以上です。
どうもありがとうございます。(拍手)

2005年06月17日

田中実さんを救うぞ!東京集会(7)05.6.9 友愛会館にて

『飯塚繁雄副代表のお話』

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皆さんこんばんは。(拍手)
いつも大変応援いただきましてありがとうございます。
今日は田中実さんの色々な状況についてとか、それについては私も今日初めて詳しい事情を知りました。
こういった事情を持った人がまだまだたくさんいると。
しかももう間違いが無いと判断された方が、33人います。
先日支援室を訪れまして、政府官邸に申し入れ書を出しました。
その中で我々調査会が申請した人を早く認定してくださいという事であります。
それとこの問題に関して、我々の願いを更に小泉さんに伝えるために、ぜひ会いたいという申し入れもしました。
しかしながら伝達なんですけれど「私は家族の人たちともう3回会った。もう会いません」と、こういう返事なんですね。(冷ややかな感じの笑い声)

ですから、そういうことを色々考えますと、今日西岡先生の解説にも色々説明ありましたけれど。
我々今までいろんな活動で頑張って参りましたけど、一体何をすれば良いのか?
言うようなことにだんだん突き詰められまして、もはや今の状況を見ると、小泉総理が我々の対応する唯一の人だと。
ここではちょっと言葉を控えますけども、そういう状態になって来てますね。
経済制裁につきましても段取りは全て出来てるそうです。
総理の一声があればいろんなケースの制裁が即発動できるという段取りが出来てると、いうことも聞いております。
私たちもう我慢の限界だと、いう時期が何回も来てるんですが。
ここに至っては、この拉致問題解決するのかな?と、言う不安も感じますが。
やはりそうはいってもやるだけはやっておかないと我々の気持ち、皆さんの応援がありまして今回座り込みやりますけども。

実際これをやるについては論議ありました。
それから議員の先生方からも色々言われました。
それで官房長官に向かって、こんなかわいそうな家族を座り込みまでさせるんですか?
同じような発言もありましたし。
それを聞いてどう思ったか分かりませんが。
確かに横田夫妻、私も少しはそうですけど歳を取って体中が痛い。
本当に座り込みなんかさせるのは大変な判断なんですね。
可哀想なんです。
まぁそれでもやらなきゃならないという今時期にありますので、我々ちょっと3日間座り込みという形で、抗議やりますので。

これはあの怒鳴り込みとかそういうのじゃなくて、粛々とメッセージを掲げながら訴えていくと。
いう形にしたいと思いますので、ぜひ皆様も何らかの形で応援いただければ大変ありがたく思います。
こんな事件がですね。
もっと10年くらい前に発覚してどんどん進展すれば、もっともっと特定者の人たちの情報もハッキリと分かっただろうし、私たちの家族も早い解決につながったんではないか?というふうに悔やまれますが。
今となってはそれを挽回させるような・・・(聞き取れず)は無いと。
いうことでそういった覚悟でこれからもやっていきますので、ぜひ相変わらずの皆さんご支援・ご支持をよろしくお願いします。
ありがとうございます。(拍手)

2005年06月16日

田中実さんを救うぞ!東京集会(6)05.6.9 友愛会館にて

『増元照明事務局長のお話』

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古川了子さんの裁判が先日始まりました。
この田中実さんの認定にも関係があるんですが、田中実さん認定が4月25日です。
発表したのがここ半年ほどで一番騒々しい出来事、JR西日本の事故があって、その日にぶつけて来たのかな?という、そんな感覚でいるんですが。
事故の方が大きくなって、田中実さんの認定の報道の方が小さくなった。
それくらい考えたんですが。
で、調査会の方では、田中実さんの認定は古川了子さんの裁判と言うかそれを提訴したからではないか?
先日裁判所でちょっと聞いたんですけど、政府はこちらからの提訴に関して、向こうの要望書。
とにかく提出した書類を見るとまずその私たちの提訴を忌避して頂きたいという、その要請があったということです。

つまりこれは自分たちが一生懸命やってるんだから、それは当然やっているのだから、裁判で争う必要はないでしょうと。
で、その結果として、田中実さんを認定しているではないですか?と。
そういう言い訳に使われているのではないかな?と、いうことを言われております。
それくらいちょっと姑息ではないか?と、私は思うんです。
政府のやり方は非常に姑息で、小泉再訪朝の時もそうですけども、私は二日前に聞いておりました。
まず食糧支援をやる事と、それからふたつ官邸サイドで。
もうひとつはなぜか意味が良く分からなかったんですけど、在日朝鮮人の差別を対して非常に・・・(聞き取れず)
この二つです。

なぜ?あの時この二つをやらなければならなかったのか?
今言っているように、朝鮮総連へのメッセージもひとつ入ってますし。
更に全国で行われている朝鮮総連の施設に対する課税。
あれの動きを止める意味合いもあったのではないか?
しばらくは止まっておりましたけど、また再燃しておりますので。
朝鮮総連の施設に対する免税措置は、普通の適正化ということで、やはりしっかりやっていただかなければならないと考えています。

田中実さんの認定の中で、先ほど長瀬さんのお話にあった中で張龍雲と言う人が出てきましたけど。
去年の12月の増元るみ子の集会の中で出てた、あの時私の姉に子供がいるという祐木子さんの話。
あの時この場で私言ったはずなんですが、3つの方向から子供がいるという話を聞いて、ひとつは祐木子さんなんです。
ひとつはこの張龍雲さんからの話なんですね。
張龍雲さんに、兵本さんと言う方皆さんご存知だと思うんですけど。
兵本さんが張龍雲さんからしつこく聞いて、市川さんとうちの姉に子供がいる。
何人いるんだ?と聞いたら、二人。
祐木子さんは子供がいるとしか聞いていません。
その後もうひとつ平成12年に入ってきた別の情報も、子供がありとしか書いてないんですけども。
張龍雲は二人と言ったそうです
そういうこともある。
この拉致という問題、色々な人間が絡んで色々な情報が錯綜しているという事なんでしょうけれど。

とにかくこの現状、明日は万景峰号が入ってきますので、これから新潟の方へ行きますけども。
万景峰号の入港を阻止するのは経済制裁とかそういうのではなくて、小泉さんが一言言えばいいんです。
拉致被害者を全員返すまでこの船を入港させませんと。
入港を求めるんだったら、拉致被害者を全員返しなさい。
そして大型工作船である危険な船であるというふうに認定すれば、小泉さんが認めれば入れる事を拒否する事が出来る。
経済制裁でもなんでもなくて。
普通の一般の船ではなくてあの船は危険な船であると、私たちは認識しているはずなんですけど、小泉さんは認識していません。
新潟県民も余り認識してないようですけども。
北側国交相も認識してないでしょう。
あの船は大型工作船であるということを、私たちもっと広めていかなければならない。
そしてあそこの新潟埠頭でもっと大きな声を上げていかなければならないという事で、今日これから行って参ります。

それでは先ほど24.5.6、私たちは座り込みをやります。
同じ思いの人が集まってるのを誰も止める事は出来ません。
ただ意図的に混乱を作る方が出てくる可能性があります。
それに対しては厳しく対処していきたいと思います。
私たちと同じようにお思いの方がいらっしゃたら、粛々とやりましょう。
お願いします。(拍手)

2005年06月15日

田中実さんを救うぞ!東京集会(5)05.6.9 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話 その2』

そうすると今の仮説が正しいとすると小住さんの認定というのは大変難しいと。
新しい物が出てこないで今やると認定の基準が何なのか?
今裁判が起きてますよね?
そこで明らかにしなきゃならなくなるわけですけども。
今の段階では(認定)出来なくて、新しい物が出来たら(認定)するんだという枠組みを崩すと。
金正日を刺激したくない時は(認定)出来なくて、金正日を刺激しても良いという時は(認定)出来るんだと。(会場内小さな笑い声)
いうことになるわけで。
そんな事言えないでしょうから、小住さんのことについても情報を集めたりする事は必要でしょうけども、基本的にはこの枠組みでは、犯人・金正日が拉致を認めたのに。
そして被害者が5人帰ってきて拉致された事が明らかになっているのに、誰も逮捕出来てないんです。
このまま行けばこのまま終わってしまうんですね。

長瀬さん時効の話をしましたけれども。
今の警察庁長官、漆間さんが2002年の3月に参議院の防衛外交委員会で答弁しているんですが。
有本恵子さん事件に関する八尾恵ですね。
八尾恵の容疑は時効が成立していないと。
その解釈は、有本さんがまだ帰ってきてないので犯罪行為が終わっていない。
誘拐罪であれば人質が解放されるまで、犯罪は続いているという解釈ですね。
という事を、言ってるんですね。
にも拘らず八尾恵をまだ逮捕していないのは、あるタイミングでやろうと思ってるんだろうな?と言うふうに思うんですが。
しかしそれも解釈ですよ?
しかしそれも帰ってきたときどうなるか?ね。

このまま普通に解釈すれば時が経てば、刑法で言えば時効というのがありますよね?
八尾みたいに日本に帰ってきちゃった人間は時効が進むんですよね。
黒田も森も帰ってきて、8年経てばもう時効になっちゃうと。
この今の法律の体系では、誰も裁かれないで終わってしまうことも有り得る。
本当に悔しい思いがするんですけども。
じゃあ、いったい日本国はどうするのか?ということなんですよね?
本当は拉致特別委員会でこういうことを真剣に話をしてもらいたい。

犯人も目の前に。
田中実さんが拉致認定されたとき、犯人がいるのに逮捕できないのは一体どう考えれば良いのか?
衆議院特別委員会には曹廷楽と韓竜大を参考人に呼んで欲しいと、家族会と救う会で申し入れをしてあります。
理事会は今検討しているという所だと言いますが、まだ呼ぶというというアクションさえしてないんですね。
呼ぶというアクションをして拒否された・・・(聞き取れず)かもしれませんけれども。
彼らは日本で合法的に住もうと思うのならば、偽証罪が成立する所でちゃんと話をしろと。
いうふうに僕らは強く言いたいと思っていますけども。
まだまだ闇は深くて、それがだから日本の中に潜伏しているということですね。
(会場より「やだね」「いや〜、恐ろしい」の声)

安明進さんは日本国内の地下に潜入している工作員を、300人だというふうに政治軍事大学で聞いたと。(「ほぉ〜」の声)
言ってます。
(会場より「今日誰か来てるんじゃないの?」の声)
分かりません。
ただし、北朝鮮から来た人だけじゃなくて、朝鮮総連の青年組織の人間が、工作船などに乗って行って
軍事訓練を受けると。
そして帰ってきた人も入っているというふうに、政治軍事大学で聞いたと。
いうふうに言ってます。
一部警察も掴んでると。
24時間尾行している人もいるという話を聞いてます。
実は闇の中でも戦いは続いていて、全然分かってないわけじゃないんですけど。
しかし、法治国家として今の刑法では北朝鮮の工作員だからと言って逮捕できないんです。
逮捕できるとすれば不法入国ですね。
今までも日本の警察は不法入国で逮捕しましたけども、その人たちはそのまま(北朝鮮へ)帰るんです。

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2005年06月14日

田中実さんを救うぞ!東京集会(4)05.6.9 友愛会館にて

『西岡力副会長のお話 その1』

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今の話を聞いていて私も分かっていたつもりなんですけど、すぐ近くに闇があると言う話は確かにそうなのかな?と思いました。
考えて見るとですね、まだ、北朝鮮が拉致を認めて5人が帰って来た訳なんですけど、実行犯を一人も逮捕できてないんです。
誰もいないんです。

今拉致の実行犯として日本政府が名指しで指名手配しているのが3人いるわけですが、シン・ガンスとキム・セホと安部公博ですね。
この3人は北朝鮮にいるわけですけども、その引渡しを日本政府は北朝鮮に求めていて。
安倍晋三幹事長代理は、この3人の引渡しに応じないんだから経済制裁するべきだと、言うことを言っているわけですけども。
今日本政府は16人拉致を認定しているわけですけども、その中で3人しか犯人を特定できていなくて、そして逮捕も出来ていない。

八尾恵さんはどういういう罪名になるのか、主犯でなくて従犯なのか?
まだ逮捕してないんですね。
彼女は自分じゃなくて別の人の裁判で証言したんですね?
私が拉致をしましたと。
彼女の裁判はまだ起きてないわけです。
裁判どころか逮捕状も出てない、テレビで謝ったりしてますけど、法的な裁きを受けていない。(会場より「おかしいよ」の声)
阿部公博が身柄を拘束出来た時に一緒に逮捕しようと思っているふうに思われるんですが、つまり誰もいないということです。

拉致について考えますと日本国内の協力者無しで、これだけ大規模な拉致が出来たんだろうか?
具体的に日本国内の協力者が無ければ出来ない拉致があるわけですね。
海岸から拉致された人たちでなくて、連れて行かれている人たちはそうですよね。
それにも関わらず誰もまだ法的な裁きを与える事が出来ないでいると言うことなんです。
それは長瀬さんが最後に不作為だと言う話をしましたけども、例えば日本の刑法で罰する場合には一人一人しか罰せられないわけですね。

北朝鮮による拉致とは認定できても、あるいは北朝鮮の工作機関の拉致だと認定できても、工作機関を裁判所に立たせることは出来ないんですよね。
どこの誰でという個人でしか裁けないわけです。
ただ今は3人しか特定できていないと言うことで、多分今の曹廷楽と韓竜大を逮捕したら、じゃあ今逮捕したら多分どうなのか?
証拠不十分で起訴できないか、あるいは無罪になってしまう可能性がある。
いうふうに捜査当局が考えている節がある。

しかし日本政府は拉致だと認定したわけですよね?
拉致というのは自分の意思と反して北朝鮮に連れて行かれたということなんですね?
連れて行くという事に関して関与したと言われている人がいるわけですね?
この本に書かれているわけですね、固有名詞が。
日本の法の枠組みの中では逮捕もできないんです。
言うことが現状の中ですね。

だからこそ今でも拉致をした地下組織は生きてるわけですね?
安明進さんから聞いたんですが、70年代の半ばまぁ76年と推定されるんですが、金正日が工作員の現地人化教育の為に現地人を連れて来いと命令をして、拉致が本格化するわけです。
最初はむやみやたらに連れてきたんです。
朝鮮語で「マグジャビ」と言うんですが、マグジャビで連れてきたと。
そしたら教師として使えない人もいたと。
精神的に安定していない人、学歴の面で使えない人、思想的に使えない人がいたと。
それで日本国内の協力者に頼んで、人の選定をしてもらったと。
その後は上手く行ったと。
いうふうに金正日政治軍事大学の教官から聞いたと。
言っているわけです。

で、田中さんのケースは後者に当たるわけですね。
洛東江と言う組織が、じゃぁ今名前の出ている3人だけの組織なのか?
じゃあ洛東江以外にどれくらい組織があるのか?
あるいは今日飯塚さん来てらっしゃいますけど、田口八重子さんを高田馬場のベビーホテルに子供を預けてどこか海岸に連れて行ったのは誰なのか?
分かってないんですね?

もっと深刻なのはですね。
森と黒田と言うよど号の妻がいますね?
それが近く帰ってくるかもしれないんです。
帰ってきたとしても拉致で逮捕できない可能性がある。
つまり今の所彼女たちを拉致で指名手配してないんですね?
阿部公博については有本恵子さん拉致で指名手配していて、北朝鮮当局に身柄引き渡しを拉致を理由に求めてるんですけど、森と黒田はそうでなくて旅券法違反だと。
旅券法違反でしか逮捕できなかったとすれば、今しきりによど号グループは色々反論しているわけですけども。
有本さん拉致に八尾が加担したのはもしかしたら事実かもしれないと。
しかしそれ以外は全く事実無根だと、言ってるわけですね。
逮捕できなかったとすると、彼らの言ってることが正しいんじゃないか?と。

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2005年06月12日

田中実さんを救うぞ!東京集会(3)05.6.9 友愛会館にて

『救う会兵庫 長瀬猛氏のお話 その2』

90分の話し合いの中には、他にも話し合いの中にはいろいろあったんですが、ひとつはですね曹廷楽は自分のことは結構良くしゃべるんです。
それで平成14年のつい最近ですね。
平成14年に韓国へ行って、韓国の治安当局に対して「一切合財の身の上はもう話したんだ」と。
しかも韓竜大は私が行く2年前すでにそれを済ませていると、言うことを言うんですね?
え〜、ここ日本でしょ?と。
韓国の治安当局に言ったからって、僕たちに関係ないじゃないと思うんだけども。
さも免罪符のように言う。

そしてそれに基づいて日本の警察も来て、全部しゃべったって言うんですね。
あぁ、そうですか。
その場はただ、あぁそうですかとしか言い様が無いんですけども。
この事実も大変大きな事です。
韓国の治安当局に話をして、その情報が日本にもたらされて、そしてそれに基づいて日本の警察が早い段階に、これは我々が告発するなんてよりはるかに前の話と言うことですよ。

はるか前に日本の警察が事情聴取をして、そこで一切合財話をしてるという
先ほどの話とちょっと矛盾すると思いませんか?
自分の罪が全く無いんだったら、何もしゃべる必要ないじゃありませんか?
しゃべる内容がないはずでしょ?
でもしゃべる内容があるんですね。

おそらくその、彼らの工作に関わるいろんな秘密の話があるということを、この部分で暗に曹廷楽は認めたんですね。
さらにですね、それは韓竜大と曹廷楽に共通して言えるんですが、事実を否定するんだったら、事実無根だととにかく主張するのが普通だと思うんですね。
ですが、曹廷楽と言う人は「韓に聞け、韓竜大に聞け、あいつが全部知ってるんだ」と。
事件は、彼らは張龍雲と言わず張タツオと呼ぶんですが、「事件は全部張タツオがやって、全部張タツオが仕組んで、韓がやったんだ、俺は何も関係ないんだ」と言うことをとにかく繰り返すわけですね。
これもですね、我々は大変注意深く見た証言の一部であります。

で、一応ですね、「我々はあなたを告発するつもりだ」と。
「言い分があるだろうから、我々の質問状に対する回答が欲しい」と、言うことで一応質問状を送りました。
その質問状に対する答えというのはですね、ゴミを送ってきました。
これは彼らのメンタリティーの中で何を意味しているのか?分からないんですが、我々に対してゴミを送ってきました。
その中にはですね、その辺のスーパーのチラシだとか、なんかお菓子の食べた後の紙だとかそういうゴミをですね。
このくらいのA4の袋につめて込んで送ってきました。
それは韓国というか、我々と違うメンタリティーの抗議の意思の表明なのかな?と。
意味が不明で我々はそれを抗議と受け取ることが出来なかったので、曹廷楽を告発しました。

曹廷楽の方の告発はですね、平成15年7月の22日です。
受理は10日後でした。
ここに至るまでにもうひとつ我々の中で疑問があったのは、なぜ?張龍雲さんが曹廷楽との間でこのような事になっているのか?というのが我々の中でちょっと大きな疑問ですし。
これを解決しないと、我々としても不十分だろうと。
いう思いが強かったんです。

というのは、これは一方的に曹廷楽を傷つけることが事実上目的のような内容ですから、これに100%乗っかって良いんだろうか?という思いが強かったんです。
実名を明かすことは出来ませんので、協力いただいた方の実名はちょっと明かせませんが、張龍雲さんのごく関係者の方からですね。
張龍雲さんの生前に残された膨大な資料と言うものを、我々が目にする機会というものがありまして。
それらを探していく中で、この答えが見つかりました。

それはですね、今山形にあるパチンコ店のですね。
所有権を巡る民事裁判を、民事紛争がこの二人の間に繰り広げていたんですね。
これが1996年10月15日に告訴された民事紛争がありまして。
今私がその写しを持って来てるんですが。
この民事紛争はですね、簡単に話をしますと洛東江という秘密工作機関がですね。
主に在日の商工人からですね、多額のお金を集めて工作資金とすると。
工作資金の一部を更に自主運用して、事業をして資産を増やすと。
更なる工作資金を潤沢にするという。
この仕事のトップが張龍雲さんだったんですね。
で、それを指示していたのが曹廷楽だったと。

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2005年06月11日

田中実さんを救うぞ!東京集会(2)05.6.9 友愛会館にて

『救う会兵庫 長瀬猛氏のお話 その1』

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救う会兵庫の長瀬でございます。
本日はかように皆様お運びいただきましてありがとうございます。

今、平田事務局長からご案内させて頂きました通り、渡辺友夫先生に本来ならご足労いただいて。
この極めて、田中実さんと言うその人となり、どんな人物だったのかを語る人が少ないですね。
この拉致被害者について語って頂くはずでした。
大変渡辺先生も心苦しいと仰っておられましたが、この東京集会に合わせて何とか、と思っていたんですけども、先週から急に容態が悪くなられまして。
持病の心臓の方が悪くなられまして、残念ながらおとついに手術したばっかりですので。
もしこちらにご足労が無理な場合は、先生に私がメッセージをビデオで持ってくる予定だったんですけども。
面会して長時間っていうのも、お医者さんにちょっと止めてくださいと言われていたもので、それも出来ませんでした。

そこでですね。
ただ今よりごく短い時間ではありますが、ビデオで渡辺先生がご発言というのをちょっと見て頂こうと思っています。
こちらのビデオはですね、テレビ局様の方からご提供して頂いた物です。
最初に見て頂く物は約1分半の物でございますが、こちらは関西テレビさんの方からオンエア前の、当時のニュースで流すオンエア前の物です。
約2年前のニュースで使われる前の物を多少(編集して)作っていただきました。

それからもうひとつ、先だってですね。
TBSの報道特集で田中実さんについて相当詳しくやっていただけまして、その中で渡辺友夫先生、かなり長くインタビューに応じていられます。
これはオンエアされた後の物をですね、渡辺先生の息子さんが自宅のビデオで録画されてましてね。
「どうしてもせめてこれだけは持っていって、まだ見たことのない人もいるだろうから、父のですね。気持ちだと思ってやってください」ということで、私が受け取ってまいりましたので、その二つをこれからお流ししたいと思います。
どうかそういうことでございますので、ご了承頂きたいと思います。

最初にそしたら関西テレビさんの方からいきます。
(ビデオのスイッチが入る。
「来大(らいだい)」の外観映像、車の中でインタビューを受ける韓竜大の映像、曹廷楽のインタビューテープを流す記者会見の映像などが流れる。
音声が小さかったので、聞き取りはほとんど不可)

これはですね、後でまたご説明しますが、田中実さんが拉致される直前まで働いていた中華料理店「来大」と言うお店です
(車の中でインタビューを受ける韓竜大の映像)
これは韓竜大本人です。
(記者会見場でテープを流す映像)
これは曹廷楽です。
次はごめんなさい、渡辺先生のやつです。
(TBS報道特集の中から渡辺友夫先生のインタビュー部分のみを流す。
渡辺先生のインタビュー部分だけを以下テキスト化)

(田中さんの恩師だとの紹介ナレーションが入った後)
田中実についてはね、今でもはっきり顔が分かるし。
彼は特別な子供でしたからね。
施設から来てる生徒やったからね。
おとなしいし、しかった指導もないし、まぁいわゆる普通の子やったね。

(渡辺先生は修学旅行の思い出を良く覚えているとのナレーションが入った後)
施設のなぁ、先生にお土産くらいお菓子くらい買っていかなあかんのかなぁ?って言うから、そんなんいいですよって、そんな会話しとるんですよ。
そんな記憶もあるんですけどね。

(渡辺先生は来大店主の韓竜大に会いに行ったこともある、とのナレーションの後)
担任や、ってな事を言いました。
田中実の担任やって。
本当のことを話してくれませんか?いうて。
そしたら、俺はそんな事知らんで、って。
俺そんなん、関係ないから、って。
親も無い、兄弟も無い子供でしたから、ちょっとラーメン屋さんの甘い言葉・優しい言葉についほろりとなってね。
行ったのもうなずけますわな。
(渡辺先生は田中さんのこれからも救出活動をするとのナレーションが入る。
ビデオはここで終了)

非常にごく短い渡辺先生のメッセージだったんですけども。
渡辺先生は、昭和40年に田中実さんが神戸工業高校の機械科Bというところにご入学されてから3年間、受け持っておられます。
ですから田中実さんのことは大変よく覚えていらしゃいます。
まず最初に田中実さんと言う人がどんな人だったのかなぁ、ということをですね、私が普段渡辺先生と接したり、あと田中実さんの同級生から聞いている話を多少ね。
お話いただいたこともありますので、その辺のお話を含めてお話させていただきたいと思います。

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2005年06月10日

田中実さんを救うぞ!東京集会(1)05.6.9 友愛会館にて

集会会場で配られた田中実さんに関する資料を初めにご紹介します。
少し長いですが、田中さん拉致を理解する上で貴重な資料ですので、ぜひ目を通してください。

・・・以下資料を全文転載・・・

「田中実さんについて」      救う会・兵庫 長瀬猛

1.田中実さんに関する基礎資料
・田中実さんのプロフィール
昭和24年(1949)7月28日生まれ、本籍神戸市東灘区。
幼いときに両親が離婚、神戸市内の養護施設で育つ。神戸市立高羽小学校、鷹匠中学校、神戸工業高校を卒業の後、市内のパン製造会社に就職するが退職、失踪直前は阪神「青木」駅近くの中華料理店「来大」の店員だった。
・拉致の暴露 張龍雲氏の告白
平成8年(1996)12月発刊、平成9年1月号の「文藝春秋」に、神戸在住の在日、張龍雲(チャン・ヨンウン)氏が、自らが北朝鮮工作機関「洛東江」のメンバーであったことを告白して、同組織の韓竜大(ハン・ヨンデ)と曹廷楽(チョ・ジョンガリ)が共謀の上、昭和56年(1981)年6月6日、田中さんをウィーンに連れ出し、モスクワを経由して平壌へ拉致した事実を暴露した。韓は彼が勤めていた「来大」の経営者だった。
平成11年(1999)には、「洛東江」の謀略を詳述した張氏の著書「朝鮮総連工作員(黒い蛇の遺言状)」が小学館文庫より出版された。張氏は平成13年(2001)持病の悪化意により他界された。
・行政の認識
平成8年(1996)12月12日、兵庫県議会警察常任委員会にて大前繁雄県議(現衆議)が、同月発刊の文藝春秋を取り上げ、「警察は何か情報を得ておられるのか、得ておられるならお示し頂きたい」と糾した。
大橋警備部長(当時)は、「調査の結果、神戸市内に居住していた同姓同名の人物が、昭和53年に成田から出国した後、現在まで所在不明となっている事が判明している。この人物が記事に言う当該田中実氏と同一であるという可能性は否定できないと考えている。県警としては、当該人物の行方については、拉致された可能性も含めて慎重に調査しているところである。」と答えた。

2.救出活動の経緯
・張龍雲氏との出会い
平成12年(2000)年秋、神戸市内において、ある団体の設立記念式典が開催され、記念講演の講師として張龍雲氏が登壇された。私たちにも理解を示してくれていたこの主催団体は、同年3月に家族会と救う会が実施した「50万トン米支援反対抗議行動」所謂「座り込み」に関する報告の場を提供してくれた。
張氏とはこの催しの楽屋で初対面の挨拶を交わした。すでに持病の糖尿病がかなり進行していると語り、もっと早く皆さんに会っておけば良かったといって手を握って頂いた。車椅子から降りる時も奥様の介添えを必要とする程、その病状は相当なものだった。いつでも分からないことがあれば尋ねなさいと言って指し出された名刺を受け取ったが、この半年後、張氏は帰らぬ人となった。
この日の講演内容は、前年出版の「朝鮮総連工作員」に関する内容であり、特に田中実さんのくだりについて詳しく言及されていた。
これ以降、県下で実施する街頭署名活動においては、有本恵子さんと一緒に田中実さんの名も連呼するように努めた。しかし、田中実さんに関する世論の関心は極めて低く、また張氏の告白を補完するような新たな証言や証拠も得られずに、時の経過を許す日々がつづいた。
・田中実さんの写真公開
平成14年(2002)は、3月には八尾めぐみ氏が有本さん拉致を証言、9月には小泉首相が電撃訪朝、何ともドラスティックに変動した感があるが、その影で田中実さんに関して重大な事実が発見された。
田中さんと同い年の岡田和典氏が同じ学区(中学校)だったことが判明、彼は中学校から私学に進学したが、多くの同窓生は田中さんと同じ鷹匠中学校へ入学しており、ここで田中さんと同窓になったのである。「灯台下暗し」とはまさにこの事である。
岡田氏が早速同窓生に呼びかけたところ、あどけなさの残る中学時代の田中さんの写真がもたらされた。これが声明と共に公開された1号写真だった。
9月16日の「総理訪朝緊急国民大集会」開催直前、日比谷公会堂の楽屋で開催された幹事会は、異様なまでの緊張感につつまれていた。訪朝直前に家族との面会を拒む小泉総理に語気を荒げる人々も少なくなかった。その最中1号写真の掲載されたチラシは披露された。
しかし、事態はこれで終わらなかった。小泉総理が機上の人となり、私たちも帰路に着いた同日、また新たな証拠がもたらされたのである。
何と高校時代の卒業アルバムがもたらされたのである。そこには1号写真からは窺い知ることのできない、生き生きとした男子としての田中さんが収められており、その豊かな表情は私たちの認識を一変させた。「田中さんは生きている!」
帰国した小泉首相が「5人生存10名死亡」と家族に告げたその夜、私たちは憤りに打ち震えながらも「このままでは田中さんは見捨てられる」と異口同音に思った。
9月22日、緊急報告会として有本さんにご登壇いただいた後、この2号写真(数種類)をマスコミに公開した。この2号写真は衝撃をもって受け入れられたらしく、各紙に田中さんが大きく取り上げられた。さらに情報は寄せられ続けたのである。
・恩師渡辺友夫先生
田中さんが在学していた頃の神戸工業高校の技術課程は、1年から卒業までの3年間クラス替えが無かったそうである。それ故に彼のことを覚えている人々も多い。ただ卒業から40年近く経って、夫々の人生を歩んでいる同窓生たちが名乗り出るのは、やはり困難な事であり、私たちもそれは覚悟していた。しかし、そんな事はものともせずに立ち上がった人がいる。3年間担任教師であった渡辺友夫先生である。
学校OBに知己のある知人を介して、「親代わりに」という申し出を受け、さっそくお宅へ赴いた。
ご高齢には違いないが、かくしゃくとされた方である。挨拶もそこそこに田中さんの思い出を語られた。「彼は施設から通っていたので、常に気にかけていました。当時の同級生には同じ境遇の者は居なかったので、心配したのですが、屈託の無い笑顔をする奴でした。しかし弁当が(施設で提供される)小さくて粗末だったので、職員室に呼んでおかずを分けてやったりしました・・・」ひとしきり語り終えた先生の目には、涙で一杯だった。
以後先生には、あらゆる場所へお運び頂き、田中さん救出を訴えていただいた。そしてついには、青森県八戸市で隠遁生活を送る韓竜大を訪れて、彼に直接会った。
同行した雑誌記者によればへらへらとはぐらかす韓に対し、掴みかからんばかりの勢いであったそうである。
・韓竜大告発へ
小泉首相の訪朝後の11月、日朝国交正常化実務者会議が開かれ、日本側が複数の拉致被害者を照会した。何かの集会に参加していた平沢勝栄衆議に会った折、田中さんはどうなったのですか?と尋ねたところ、そのリストの最前列で照会してあるそうである。しかし、拉致認定される様子は全く感じられなかった。
この期に及んで今だ消極的な国に対し、もっと強力に訴えるものは無いか、策を巡らして辿り着いたのが「告発」だった。
「相手を訴える法律知識(自由国民社)」を参考にして書面を整えるという、まことに稚拙な物ではあったが、可能な限りの証拠集めの奔走した。
田中さんが育った施設関係者の証言、張龍雲氏が「拉致工作」を告白した横田夫妻へ宛てた手紙、そして渡辺先生の証言。しかし事件性を窺わせるものがなく、途方に暮れたが、同郷の岡田氏が執拗な調査を続けて、ついに決定的な証言を得た。それは、田中実さんと同じ施設で育った後輩の、金田龍光さんを一時期雇っていた雇用主の関係者によるものである。証言者と金田さん及び周辺関係者は、田中さんの働いていた中華料理店「来大」へ頻繁に出入りしており、金田さんは金ちゃんと呼ばれ親しまれていた。田中さんが姿を消してから後、オーストリアからの国際郵便が金田さんへ届けられた。差出人は田中さん。内容は「オーストリアは良いところだから、君もこっちへ来ないか」という誘いだった。金田さんは筆跡に疑いをもち、この証言者に打ち明けていた。しかし、この誘いを受け入れてしまった金田さんは、渡欧準備のために上京することになり、何とこの「来大」で送別会が開かれたそうである。
上京した金田さんは音信不通となり、約半年後に証言者の近親者が「来大」の韓を詰問したが、韓は「しらない、分からない」という要領を得ぬ返事に終始した。
以上の内容を、国外移送目的略取等(刑法226条)を罪名及び罰則とする、告発状に添付して、平成14年(2002)10月4日、兵庫県警に提出した。受理はくしくも10月15日、拉致被害者5名の帰国の日だった。
・張龍雲氏の置きみやげ
田中さんに関る原点は、それは言うまでも無く張龍雲氏の告白であり、その著書「朝鮮総連工作員」である。しかし刊行物に著されたものに、犯罪を立証するだけの証拠価値があるのか否か、その疑念は当初から私たちの心を煩わした。
張氏の死去から2年近くたっていたが、そういえば「わからないこともあれば、いつでも尋ねなさい」といわれて受け取った名刺があったことを思いだし、思い切って訪ねてみることにした。
以下は情報提供にあたり秘匿を約束したため、実名は差し控えるが、その関係者は私の申し入れを快く承諾くださり、張氏が遺した膨大な量の日記を貸して頂いた。
中には大乗寺事件や十文字山事件といった、関西在日社会でおきた経済事件(詐欺)に関する記述も多いが、中でも特筆すべき資料を発見することが出来た。
それは平成9年1月に山形県下で起こった、張氏と曹の民事紛争に関る告訴状である。内容は「洛東江」という組織名を挙げて、曹が非合法組織に幹部であり、その活動の一貫として資金を集めているというものである。
ということは、曹は平成8年から9年にかけて、月刊誌・単行本による表現と、利害の対立する法廷における一方的な表現により、著しく名誉を傷つけられている訳で、当然の事ながら対抗処置としての、誣告罪や名誉毀損による告訴を行うべきところを何もやっていないのである。
しかも当確民事紛争は結果的には曹に軍配が上がっているにも関わらずである。
張の日記は、私たちが曹を告発するために大いなる置きみやげとなった。私たちは準備に着手した。
・曹廷楽告発へ
曹は事件を手動したと考えられるだけに、何としてもそれを裏付ける新たな証拠を入手しなければならない。しかしもはやそれは、民間人の領域を踏み越えており非可能に思えた。
「何故反論しないのか?」本人に訊くのが一番ではあるが、山形県から一件の家を探し当てるのは容易ではない。ここでも調子の日記が活躍して、まず曹が経営する遊技場の所在地が判明し、各地の関係者にもご協力頂き、ついに曹の自宅を突き止めたのである。
平成15年6月、ある雑誌社から直撃取材同行のオファーを受けた。「この機会を逃してなるものか」私と岡田氏の2名は躊躇なくこれを承諾し山形へ飛んだ。
張り込み3日目、奇跡的に温泉へ出かける曹をキャッチして、直撃取材が成功した。
当初激しく抵抗したが、すぐに落ち着きを取り戻し着席して私たちの質問に答え始めたやりとりは1時間以上に及び、概ね以下のような理由から、私たちは告訴へ踏み切る決意をした。
 1).田中さんが拉致されていること自体は否定しない。
 2).曹は平成14年に韓国へ渡り、当局へ身の上を告白した。韓竜大は2年前にそれを終えている。
 3).名誉を守るべき手立てを講じない理由はなかった。
 4).肝心な部分は、否認するのではなく、韓竜大に訊けとはぐらかす。
 5).文章による回答を求めた質問状にまともに答えようとしない。
罪名罰条は前回同様に、平成15年7月22日に提出した。受理は約10日後だった。

3.問題点
・田中さんの出国に関する疑問
韓竜大の告発については、警察は「出獄記録ならびにパスポート申請記録を探しているが、当時はすべて紙媒体であり、保管されていない可能性が高い」として、物証が無いと言わんばかりであるが、それならば平成8年12月の兵庫県議会警察常任委員会における警備部長答弁では何故「昭和53年6月6日」出国と認めたのか?
・韓国の司法当局への告発について
韓竜大・曹廷楽の両名に共通する供述の中に、「韓国に行って当局に洗いざらい話した」というくだりが存在する。更に、曹の話によれば韓国での供述に基づき、日本の警察も聴取にやって来て、それに応じたとある。
これが真実ならば、日韓の超法規的捜査協力が存在することが疑われる。
また日本の警察にも・・・・という事になれば、一種の司法取引が超法規的に為されたということにならないか?
・告発の取り扱いについて
韓の告発から2年5ヶ月、曹の告発から1年7ヶ月が経過しているが、もし、事実誤認があって犯罪が成立していないのならば、一刻も早くそれを表明して両名の名誉が不用に毀損され続けている状態を、終わらせなければならない。
あるいは、犯罪の事実はあるが起訴が難しい場合、これは捜査を怠る(たな晒しにする)理由にならず、捜査はしなくてはならない。
道義的責任があっても、法律が無いが故に犯罪が成立しないのであれば、国家治安の根幹に関わる重大事であるから、捜査はしなくてはならない。
時効が成立するか否かが判断し難いならば、内閣法制局に見解を出させる必要がある。
これらの何れの結果も出さず、事実上のたな晒しを続けている現状は許されない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この資料のテキスト化は一部金木犀様のご協力をいただきました。
尚、資料の中で明らかな誤字脱字と思われるところは、こちらの判断で訂正してありますのでご了承ください。

2005年05月20日

曽我ミヨシさんを救うぞ!東京集会(19)05.5.12 豊島公会堂にて

『最後にもう一度、曽我ひとみさんのお話』
『西岡氏より、今後の予定など』


Img_9210.jpg

※西岡さん
先ほど曾我さんが日本人の後ろ姿をみたという話はちょっと大事なことだと思うので、もう一回言える範囲で良いのでお聞きしたいんですけれども。
つまり、平壌に着いて、めぐみさんに会う前、78年の8月15日以降何日だか覚えていらっしゃいますか?

☆曾我ひとみさん
16日か17日。

※西岡さん
16日か17日。どういうところでどういう風に見たんですか?

☆曾我ひとみさん
その時、遊園地の近く。

※西岡さん
遊園地の近くで後ろ姿を?二人?一緒にいた二人?

☆曾我ひとみさん
そうです。

※西岡さん
それが日本人だとわかった理由は何?

☆曾我ひとみさん
別に、あれなんですけど、その時ほんとはこう会ってはいけないというようになってたみたいで、周りにいた指導員がすごくあわてていたんで。
私の勝手な想像ですけども、もしかしたら私と同じような形で来た人なのかな〜?と。
そうじゃなかったら、別に指導員があわてる理由もないだろうし。
そういうことで。

※西岡さん
年格好は覚えてますか?

☆曾我ひとみさん
若いです。
二人ともね若いです、二十歳?

※西岡さん
ありがとうございました。
時間は午前午後?

☆曾我ひとみさん
午後だったような気がしますけれど。
昼間だったと思います。

※西岡さん
ありがとうございました。
2人。
増元さん達はすぐに一緒にされていないでしょうし、蓮池さん達も、地村さん達も別々に男女されていましたから。
そうすると、別の人がまたいたのか?
すでに一緒にされていて、夫婦にされていたり、会わせることが出来るようになっていた特定失踪者の人か、あるいはまだ明らかになっていない人がいたのか?そう言う可能性が。

Img_9211.jpg

☆有本明弘さん
何百という人がかいるんやから、そりゃもう・・・

※西岡さん
今後のことをお話しして終わりたいと思います。
万景峰号がついに又入ってくることになりました。
保険にちゃんと入っていると言うことを認めるということで。
それも政府が認めた保険会社ではない保険会社なのに、(入港を)認めてしまったと言うことがありまして。

もちろん、特定船舶入港禁止法案があるのですから、それを発動すれば、万景峰号は入ってこれないんですが、5月18日に入ってきます。
私達は家族会と救う会と拉致議連で新潟の埠頭で抗議集会をします。
是非参加できる方は(参加してください。)
あるいは国交省に電話してください。
「なんで、こんな事認めたのか」と。そして官邸に「なんで万景峰号はこんなに自由に入ってこれるのか」と。
「めぐみさんや曾我さんのお母さんは帰ってこれないじゃないか」と抗議の声をあげて頂きたいと思います。

それから田中実さんが(拉致と)認定されましたが、連続集会で6月9日第二木曜「田中実さんを救うぞ東京集会」を開きます。
田中実さんの家族は今出られる方がいらっしゃらないんですが、田中実さんを高校時代に教えていた恩師の先生がいらっしゃって田中さんのことについてお話しして頂けるんじゃないかと。
それから、救う会兵庫のメンバーがきて田中実さん事件について詳しく説明してくれる予定になっています。
6月9日6時半から開場は元に戻しまして友愛会館の大会議室です。

それから、田中さんの拉致認定がされましたが、田中さんとほぼ同じ、あるいは田中さんよりもっと確実ではないかと思われる小住健三さんという方がいます。
実は小住健三の名前で、北朝鮮のパクという工作員がパスポートをとって、何回も出国しているんです。
そしてそのパクという工作員を日本の警察は指名手配したんです。
つまり拉致犯人がわかっていて、指名手配までしているんです。
海外に逃げてしまったんですが、小住さんはいないわけなんです。
原さん拉致と同じ形ななんですね。それなのにまだ認定されていないんですね。
函館出身でいらっしゃるので、北海道で、6月に、できれば5日と思っています。
まだわからないんですが、6月中に一度北海道で「小住健三さんを救うぞ集会」救う会北海道と一緒にやろうと思っています。
家族会も救う会も全力を尽くして小住さんのことを訴えていきたいと思っております。

そして、6月24日になります。
4月24日に国民大集会をした理由はご承知のとおり、12月24日に日本政府が官房長官の談話を通じて北朝鮮に対して
「迅速で誠実な対応をしなさい。それをしないと厳しい対応をする」
と制裁の予告をして4ヶ月だということで、何故しないんだという意味で4月24日(国民大集会)をしたわけですが、6月24日になりますと半年になります。
半年というのは日本語で「迅速」という範囲に入るのかと?

6月24日までにもしも制裁が全く発動されていないのであれば、我々も「座り込みも辞さない覚悟」と公言しておりますけれども、後ろのない覚悟で何らかの行動をとらなければいけないなと、今話し合っているところでございます。(大きな拍手)

ちょうど安保理事会の議論や核問題も、6月24日になると輪郭がだんだん出てくると思います。核問題の突風の中で拉致問題が吹き飛ばされないようにするためにも、佐藤会長が今申し上げましたように、拉致を理由とする制裁は絶対不可欠だと思っております。

その為に6月24日に向かっていろんな事をしていきたいと思っております。
まず5月24日、5ヶ月目に記者会見をするか、街頭行動をするかしたいと思っておりますけれど。
みなさんも24日ごとに思い出して頂いて、
「制裁を予告してもうすぐ5ヶ月が過ぎようとしている、何で制裁をしないんだ」
と、継続して政府に小泉総理に訴えていきたいと思っておりますので、ご協力をよろしくお願いします。(拍手)

今日はわざわざ、佐渡からお母さんの救出のために曾我ひとみさんがきてくださいました。
曾我ミヨシさんを、全力を尽くして私達の手で取り戻そうという決意を込めて感謝の拍手をしたいと思います。(盛大な拍手)

☆曾我ひとみさん
ありがとうございます。
これからも皆様方のお力をお借りして、みんなが元気で帰ってくる日のために一生懸命頑張ります。皆さんよろしくお願いいたします。

※西岡さん
ありがとうございました。
(会場より「曽我さん頑張って!」の声)

・・・集会終了・・・

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このエントリーのテキスト化は金木犀様の手によるものです。
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