2005年05月04日

第7回国民大集会(27)05.4.24 日比谷公会堂にて

『佐藤勝巳 救う会会長 閉会の挨拶』

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佐藤でございます。(拍手)
今回で7回目の集会となりました。
この種の集会は今年が最後、今年が最後と思ってやってまいりましたが、なかなか止めることが出来ないでおります。
ただいま現在、皆様方がお聞き及びの通り何が問題か?というと、経済制裁を発動するのは閣議決定が必要です。
閣議の責任者は小泉総理大臣です。
この人が邪魔をいたしております。

政府が制裁を発動しないと言うのは正確な表現ではありません。
小泉純一郎が制裁を発動しないんです。(拍手)
制裁を発動しなくて拉致の問題が解決するならば、とっくの昔に解決しております。(拍手)
ではどうやって制裁を発動して拉致を解決するのか?
それは、国会議員の先生方が衆参両院で決議を取ってもらうこと。
大切なことです。

しかし、現状を見ておりますと、仮に決議が通っても小泉さんは発動しないだろうと言うのが私の見通しです。
なぜか?
それは今の総理大臣の頭の中には、国会議員の先生方の来賓の挨拶の中にも触れられておりましたけれども、日朝(国交)正常化を図って歴史に名を残すというとんでもない間違った考えを持っているからです。(拍手)
多分、漆原先生が仰ったんだと思いますが、彼が政治家として歴史に名を残したいのならば、拉致を解決することです!(拍手)

そこで閉会の挨拶として、皆さん方にお願いを申し上げたいことは、小泉さん宛てに直接、手紙でFAXでメールで葉書で、拉致解決の為に制裁を発動しろということを、首相官邸に集中していただきたいということです。(拍手)
去年も申し上げましたけど、あの人は支持率が命の人ですから。(小さな笑い声)
支持率を下げることなんです。
その運動を今日お集まりの6000人の方が、そして全国で本日の集会を固唾を飲んで見ていらしゃる国民の皆さん方が、ひとりひとりが行動を起こしていただければ、私は絶対に拉致は解決すると確信をいたしております。(拍手)

本日は中国の問題があり、韓国の問題があり。
などなどで、皆さん方のお集まりが少ないのではないか?と私正直、内心危惧をいたしておりましたが。
私はそういう意味では大変日和見であったわけです。
実際6000の人たちがお集まりを頂いたことにとって、私をはじめとして、主催者の皆さんは家族会の皆さんは、改めて国民の支持の厚さに感謝をし確信を持ったと思っております。(拍手)
我々3団体は文字通り総力を上げて首相官邸並びに金正日に対し戦ってまいりますので、よろしくご声援をお願いたします。(拍手)

※司会 櫻井よしこ氏
会場の皆様方、長い間・・・(「官邸のFAX番号を教えてください」の声)
このお配りした紙の所に首相官邸のFAX番号が書いてございますのでご参照ください。

さて会場の皆様、今日は本当に長い時間ありがとうございました。
家族の皆様がお話になっている間、私日比谷公園の外の第二会場の方に行ってまいりました。
多くの人が地面に座って、もしくは立って、そこでず〜っとこの会場から向こうに順繰り順繰りに行く人の話を聞いて、同じように時間を過ごしてくださっておりました。続きを読む

第7回国民大集会(26)05.4.24 日比谷公会堂にて

※司会 櫻井よしこ氏
どうもありがとうございました。
聞いていて本当に、表現のしようのない思いで心が一杯になりました。
私たちは毎年この会を開いてきましたけれども、この壇上に立って訴えるこの家族の皆さん方の言葉を、一言も忘れたくはないと思います。
そしてさっき荒木さんが言いましたように、来年の12月末までには、何としてでもこの10件15人だけではなく、特定失踪者も含めて日本国の責任として、日本国民としてこの人たちを全員救出するということを改めて誓いたいと思います。(拍手)

さて受付の統計が入って来ました。
今日この会場に足を運んでくださった方は6000名を突破いたしました。(拍手 「お〜っ」と言う声)
ありがとうございました。(拍手)
6000名の後ろにはまだだ多くの人たちの心があります。
この大会はその人たちの心を凝縮して表現するものだと私は考えております。(拍手)
今日のこの大会での私たちの思いを凝縮した大会声明を、ここで朗読していただきたいと思います。
西村眞悟さん、お願いいたします。(大きな拍手)

『西村眞悟 拉致議連幹事長・民主党衆議院議員による大会声明朗読』

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6000名を超える方がこの日比谷に来られた・・・大会の声明案を私は今、提案に変えて読み上げます。
そしてこれが皆様のご承認を得られれば、4月26日午前11時30分。
首相官邸において総理に手渡します。(拍手)
どうぞよろしくお願いします。

尚、本当に良い時期に共に集まることが出来ました。
北朝鮮に同調する流れがわが国に、国政の中に外交の中にず〜っと一貫してあります。
3年前の9月17日には8名死亡の線で北朝鮮の言う通りに納めざるを得ない、と言う方法にあり。
今またこれで拉致問題は終わったのだと言う方向で一見無関心を装いながら、日本外交は常任理事国入りを目指していると言うことであります。
しかし拉致被害者、自国民を救い出すことが出来ない国家が、常任委理事国入りする資格はないのであります。(拍手)

わが国の名誉がかかった拉致問題。
本日の国民大集会の決議案を朗読させていただきます。

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2005年05月03日

第7回国民大集会(25)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者ご家族によるパネルディスカッション 9』

「増元照明さん(増元るみ子さん弟)のお話」
「斉藤文代さん(松木薫さん長姉)のお話」
「有本明弘さん(有本恵子さん父)のお話」
「有本嘉代子さん(有本恵子さん母)のお話」

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☆増元照明さん(増元るみ子さん弟)



私も飯塚さんと同じで、まず姉に会ったら謝らなければならない。
30年近くも・・・(涙を流しながら語る)
取り戻していないと言うことが非常に残念です。
もう30年という年月を取り戻すことは出来ない。
でも姉が30年前私にくれた時計、今非常に私大事にしておりまして。
この時計の動きを止めることは出来ないし。
今でも動いていると言うことを彼女に教えてあげたい。
そしてこれからもずっとその時計は・・・持ち続けていくということ・・・(涙で言葉にならず、声を詰まらせる)
父が死んで、あんなに可愛がっていた姉ですから、必ず北朝鮮で姉の身を・・・(再び声が詰まる 「頑張って!増元さん!」の声)・・・守ってると思います。
以上です。

※司会 西岡力氏
松木さんに一言何か。

☆斉藤文代さん(松木薫さん長姉)

薫に元気でいて頂戴ということと。
あの、まぁ、母の言葉として
「お母さんも頑張るから(涙で声を詰まらせる)帰ってらっしゃい」
と言うことを・・・(拍手)

※司会 西岡力氏
では有本さん、お父さん、恵子さんに一言。

☆有本明弘さん(有本恵子さん父)

え〜、ちょっとその話はもう、子供のことは家内の話で十分やと思う。
なぁ、私はここに先生方おられた。
その時に言いたかったことあるのよ。(大きな拍手)
思うとおり言うて来た。

(西岡氏の声 「短めにおねがいします」)
えっ?
(西岡氏の声少し笑いながら 「短めにお願いします」)
言いたい事言えないじゃない。(笑い声 大きな拍手)
と言うわけで簡単にお話します。

このタイトルですね。
これは決断を求めると言うタイトルになってるんです、今日はね。
これのタイトルを決めるときに私は、決断じゃなくて糾弾をする国民集会。(拍手 「そうだ!」などの声)
これの方がいいんじゃないか?と、これが私の意見。(拍手 「そうだ!」などの声)

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第7回国民大集会(24)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 8』

「飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)のお話」
「市川龍子さん(市川修一さん義姉)のお話」

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☆飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)

私の妹八重子も、そこに写真がありますけども。
(隣の耕一郎さんを見て)こいつが1歳の時に持ってかれちゃったもんですから。
相当慌てたんですが。
うちはきょうだいが7人おりまして、私が一番上。
連れて行かれた八重子が一番下で、年齢差が17もあるんですよね。

従って育ち盛りに何か話したとか面倒見たとかっていう記憶はあまりないんです。
むしろ親父の方が一番末っ子なんで可愛がってたと。
向こうへ行って見る夢は、親父の夢だっていう、金賢姫の本に書いてありました。
突然がばって夜中に起きて、親父の幻想が出たとかね、そういう話も聞きますし。

むこうで結婚の話も出てますけども彼女はどっちかと言うと気が強いほうで。
その気の強さが良し悪しあったんですけども、
結婚して子供が出来た時もですね。
女手ひとつで育てる羽目になったんですが、「絶対私が育てる」と。
こういうふうに頑張ってまして、私もそれに対しては少し様子を見ようと言う事でいたんですが、間も無く連れて行かれちゃった。

先ほどの結婚の話もあったんですけども、例えば、原さんには悪いんですけども、原さんと結婚したというのは全く考えられない事実ですね。
北朝鮮はやたら結婚させるのが何か好きらしくて、(笑い声)誰かといつもくっつけるんですね。
見合いをしろという命令が下って。
じゃあお願いだから見合いをする前に下見をさせてくれと。
要するにどんな人かね、扉の影で一回見たいと。

で、ある人が入って来て、やっぱり例えば原さんの年齢の男の人らしいんですけど、一見して嫌だって逃げ出しちゃった。
いうふうな話も聞いてますし。
それよりも何よりも、日本に残した小さい子がいると。
早く帰って会いたい、面倒見たい。
本当に子供だから困ってるんじゃないか?
それがもう頭が一杯で、とにかく自分がまた違う人と結婚してどうのこうのというのはまず考えられないし。

そういう意味では昼間はすごく気を強く保って、北の言うことを聞いてなるべく優等生的な態度を見せる。
これはもう例えば、帰ってこられた富貴恵さんなんかも皆話をしてですね。
とにかく田舎の収容所に入れられないように昼間は頑張ろうと、いう誓いもしてきたようですけど。
そういうなかで夜になると故郷を思い出して、今子供は何歳になったかしら?と。
もう何年経ったかな?と。
そういう話がつい出るようなんですけどね。

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第7回国民大集会(23)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 7』

「横田拓也さん(横田めぐみさん弟)のお話」
「寺越昭男さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)のお話」
「横田早紀江さん(横田めぐみさん母)のお話」
「横田滋さん(横田めぐみさん父)のお話」

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※司会 西岡力氏
時間も押してますので一家族一人づつ、家族の人たちに今声をかけてあげるとすればしたら何を言いたいのか?
と言うことを言っていただきたいと思いますが。
ちょっと先ほど楽屋で打ち合わせありまして、横田拓也さんから一言皆さんに訴えたいことがあると仰ったので、そのことをしてもらってから一家族一言ずつお願いします。

☆横田拓也さん(横田めぐみさん弟)

誠に勝手を申し上げて申し訳ございません。
実はですね、私どもの所に複数のルートからですね。
同じような情報がありまして。
私ども家族としてはとても心配、そして懸念をしておりますので。
皆様にお話しを申し上げますと共に、そういう不穏な動きをどうか私たち国民の意思として力を持って阻止していただけますようにと思いまして、勝手ながらお時間いただいた次第でございます。

実は前からこの拉致問題のシンボル的な横田家の切り崩しのために、いろんな画策・工作があったわけであります。
代表的な最近の事例で言うと偽遺骨の問題があったわけであります。
ここに来まして、またと言うことなんですが。
めぐみの子供の、キム・へギョンさんを訪日をさせてはどうか?と言うことがですね。
どうも首相官邸の周辺でですね。
計画・画策されていると言ったような情報を、複数のルートから私共は聞いています。

まぁ父は、親に対してこういう言い方は失礼だと思うんですが。
情の世界で大変優しいといいますか、悪い言葉使うともろい人間でありますから。(笑い声)
孫に会いたいのは父ならずとも親としては当然なんです。
ここをまたですね。
偽遺骨の次に狙って来ている話であります。

私たちは支援室、当時の支援室・小熊室長を経由して日本政府に対して。
へギョンちゃんを、家族分断をする形で訪日要請をして欲しくないと、これまでも訴えております。(拍手 )
私たちが求めているのはめぐみをはじめとする家族帯同・全員の帰国をお願いしてるわけですが。(大きな拍手 「そうだ!」などの声)
優しい父には申し訳ありませんけども、本当にですね、ここは日本政府も安易な妥協をせずにですね。
全員の帰国を強く求めていくような強い姿勢でいっていただきたいと思います。(大きな拍手)
皆さんお願いいたします。(大きな拍手)

※司会 西岡力氏
それでは今度は寺越さんの方からですね。
まぁ、もう天国にいらっしゃてると思いますが、お父さんに一言ということで何かお願いします。
それからずっとご家族ひとりずつ、今北朝鮮で待ってるご家族に一言ずつ訴えてください。

☆寺越昭雄さん(寺越昭二さんの長男・寺越武志さんの従兄弟)

あの、今私たちは本当に特別な感じになってしまったなぁと思ってるんですけども。
他の皆さんのご家族は被害者を取り戻す、そして家族を取り戻す。
それで解決すると思うんですけども。
私たちにとって、解決とは一体なんなのだろうか?
父親は死んでいない。
母親は病死。
そして従兄弟の武志は、42年間経って子供・孫が出来て、北朝鮮に根を張ってもうどうすることも出来ない。
被害者を、私らは家族を帰せと声を大にして言えないんですね。

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第7回国民大集会(22)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 6』

「斉藤文代さん(松木薫さん長姉)のお話」
「飯塚繁雄さん(田口八重子さん長兄)のお話」

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※司会 西岡力氏
北朝鮮は今、寺越さん以外の日本政府が認定してる被害者については、死んだと。
あるいは北朝鮮に入っていない、と言ってきたわけですけども。
おかしなことがたくさんあったわけですね。
横田さんについてのおかしなことはもうすでに皆さん知られていますけども。
実は横田さんの事だけじゃないんです。
遺骨が来たのは横田さんだけではなくて、松木薫さんの遺骨は2度も来たんです。(小さな笑い声 )
2002年の9月に遺骨が最初に来た時は喪服の準備もされたんですよね?
今それに付いてちょっとご説明いただけませんか?

☆斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)

私のほうに政府の方からこうやって骨を持って帰りましたということを聞いたときには、「それは薫ではありません」と「受け取るわけには行きません」と言いましたけれども。
(東京医科歯科大学の)橋本先生が「ひとつだけ絶対にこれを証明できるものを持って帰ってきたから、なんとかそれを証明して見せますから、1ヶ月待ってください」と言うことで。

それが本当に薫のものであれば、私は本当に覚悟して「薫、お帰り」と言って、父の墓に入れてあげようとまで思ってたんですけども。
まぁ全然違う人の骨でしたので、もう2度目来た時には
「また同じやり方をしたのか?だまされないぞ」
と言う気持ちで、そんなことは全然びくともしませんでした。
最初はやっぱり本当にいろんな面で悩みました。

※司会 西岡力氏
それから交通事故の現場で作られた報告書って言うのも来てるんですよね?
(斉藤さんの声 「はい」)
それは今度は飯塚さんの方に。
松木さんの方も来てますけどふたつ来てるんですよね?
あの飯塚さん、それ見られましたけど、どんなものだったんですか?

☆飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)

普通、交通事故報告というのは、いつどこでどういう状態で、誰が加害者で誰が被害者か、誰が死んだ。
その人の名前がなければならないのに、肝心の誰が亡くなったという名前がないんですよね。
それで場所もですね。
いろいろ後で聞くと、こんな所で交通事故が起こる所ではない、というような。
原っぱのど真ん中。(笑い声)
そういうところで交通事故で亡くなったという報告書。
これは全く、じゃぁ、誰の報告書か分からないですよ。
こんなもの信用できるわけないですよね。

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2005年05月02日

第7回国民大集会(21)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者ご家族によるパネルディスカッション 5』

「寺越昭男さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)のお話」
「北野政男さん(寺越昭二さん次男・寺越武志さん従兄弟)のお話」

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※司会 西岡力氏
先ほど古川さんのご家族が話をされた時にですね。
日本の政府はあるいは調査機関は拉致は70年代の後半からあったんだと。
だから70年代初めの古川さんのケースはちょっと違うんじゃないか?とお話がありましたけれども。
実は家族会に入ってらっしゃいまして、特定失踪者調査会の対象ではなくて。
今家族会として一緒に活動していらっしゃる、拉致被害者の。
拉致事件が1963年に起きてるんです。
1963年に、石川県の海の磯のすぐ、100メートルくらいの所で操業していて3人の漁師がいなくなった、その寺越昭二さんの3人の息子さんが家族会に入って、ずっと今活動されています。
お父さんの思い出、何かあったらお話くださいませんか?

☆寺越昭雄さん(寺越昭二さん長男・寺越武志さん従兄弟)

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(拍手 )
こんにちは。
私たち兄弟3人にとって父の思い出というのは、まぁ42年経ったせいもあるし、本当に断片的な思い出しかないんですけども。
父は漁師ということで気が荒いと言う一面と、よく言えば外面が良いって言うんですかね?
で、まぁ特に女の人には良かったみたいで。(笑い声)
母も相当泣かされていたようです。

私にとっての記憶って言うのは。
遠洋漁業で東北へ行ったりそれから九州のほうへ行ったりして、一年の内に何ヶ月か出稼ぎの漁をしていたんで。
若い頃、まぁ、私らの小さいころですね。
その漁の帰りに土産と言うことでみかん箱一杯にするめを持って来てくれたり。
それからラジオ、当時真空管のラジオだったですけど、ラジオを買って来てくれたり。
そういうまぁやさしい面もありましたし。

ある一面、怒ったら丸いちゃぶ台ひっくり返す、そういうような一面もあったりして。
私は鮮明に今でもよく覚えてるんですけど、一握りの丸い丸太ン棒持って追っかけられた。
何を悪いことしたんか知らんけど追っかけられた、そういう思い出もあります。
最後に事件のちょっと前だったと思うんですけども、親父と二人で銭湯へ行ったというのが私の最後の記憶になりました。

母は横浜出身なんですけども。
戦後多分、私が25年生まれですから23年か24年頃だと思うんですけども。
父とどこで知り合ったんか知らんけれども・・・まぁ、何というか、あの、え〜、夜逃げじゃなかった、駆け落ちですか。
駆け落ちみたいにして石川県の方へ来て、父と生活するようになって。
苦労して、父も心臓病を患って出稼ぎの漁に出なくなって、叔父・外雄さんとふたりで漁をするという事になったんですけどね。
父も真面目になってくれたって喜んだ矢先の事故だったんですね。

それから母は私ら3人の小さい子供を育てるのに一生懸命苦労して。
2002年、丁度小泉訪朝の年にパーキンソン病を患って亡くなったんです。
私たちは父と母のためにもやっぱりこの問題、拉致問題を本当に解決したいと思っています。
どうもありがとうございます。(拍手)

※司会 西岡力氏
実はですね。
先ほど安倍晋三さんや中山参与の方からもお話がありましたけれども。
5人が帰ってきた時に日本政府は日本政府の意思で日本に残しましたよね?
本人たちは表向きは北に帰りたいと言ってたんですよね?
あるいはジェンキンスさんも小泉総理に会ったときには、日本に行きたくないと言ってましたよね?
北朝鮮の影響下にあるときは言論の自由が無いんですよ。
本音はしゃべれないと言うことを、私たちは目の前で見て経験しました。

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第7回国民大集会(20)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 4』


「横田早紀江さん(横田めぐみさん母)のお話」
「横田哲也さん(横田めぐみさん弟)のお話」

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※司会 西岡力氏
最近報道がありましたけれども、めぐみさんはお母さんから買ってもらった小さな爪切りを大切にしていた。
そして拓也さんと哲也さん、弟さん二人の名前を書いていたと、いう報道がありました。 
蓮池さんたちがそれを見ていて教えてくれたということですが。
早紀江さん、めぐみさんがいまどんな家族のことを思い出しているか?
どういう楽しい思い出を思い出しているか?
何かありますか?

☆横田早紀江さん(横田めぐみさんの母)

私たちはよく旅行をしました。
いろんな所に弟たちも連れて5人の家族の旅行を良くいたしましたので。
いろんな所で、海に行ったり貝殻を拾ったり。
そして岩をのけると小さな蟹が出てきた、そらあそこに何がいる、とキャアキャア言いながら、それを採ったりして騒いでいた時とか。

そしてもっとめぐみの小さい時は、お友達が皆下に小さい弟とか妹とかがいたんですね。
4歳ちょっとになるまで下に弟たちがいなかったもんで。
「みーちゃん」て自分のことを言ってたんですけど。
「みーちゃんの所にはどうして赤ちゃんがいないの?」
っていつも言われて。

そして幼稚園に通っている時にいつもバスで通ってまして。
その通園バスが丁度鹿島神社って言う所の前で止まって、そこで降りるんですけどお。
帰ってくるとそのままぱ〜っと走っていって、神社の中に駆け上がって。
そして神社の前に行って小さな手を合わせて
「神様、みーちゃんの所にも赤ちゃんを下さい。神様、みーちゃんの所にも赤ちゃんを下さい」(笑い声)
てもう必ず言ってたんですね。
近所のお母さんたちと一緒に噴出して笑ってたんですけども。
余りにもお祈りしすぎて、後に産まれてきたのが二人も(笑い声)赤ちゃんが産まれてきまして。
思いがけなく。

今度はそのことを日本銀行の(社宅の)大きな庭を大きな声で
「みーちゃんのところは、赤ちゃんが二人も来たんだよ〜!」
って物凄い大きな声で喜んで、はしゃぎまくって歩いてたよ、ということを良く聞きまして。
とても元気な明るい子供でしたので、爪切りと買っていうのもはっきりと覚えていないんですけども。
めぐみの誕生日に必ずそういう小さなものを。
キティちゃんのところで買ったりとかしながら。
小さい袋とかを必ずあげてたので、その中のひとつだと思いますが。

いろんなああいうさびしい所でどんなふうに耐えてきたのかなぁって。
向こうが出してくるようなうつ病で入院したとか、本当に私だったらとっくにどうかなっていたと思うほど、苦しかっただろうな、寂しかっただろうなと思いますので。
そういった小さなものを見ながらどんなにか泣いたんじゃないか?と思います。(拍手)

※司会 西岡力氏
お祈りして産まれたという双子の弟さんが来てらっしゃいますけども。
拓也さんか哲也さんか、どんなお姉さんだったか一言どうですか?

☆横田哲也さん(横田めぐみさん弟)

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(拍手)
弟の哲也でございます。
どこにでもある風景でありますけども、新潟にいるまえ広島にいたわけでありますが。
非常に明るく楽しく、一緒に通学、手をつないで学校に行った思い出もありますし。
当時新潟へ転勤・引越しをしたときにですね。
本にも書いてありますけども、当時私と兄の拓也が非常に仲が悪かったわけでありますけども。(笑い声)
私のほうがどちらかといえば非常に劣勢だったわけですが、(兄とケンカをすると)非常に私の味方をしてくれたのが姉だった。(笑い声)
いうことで明るく楽しく、しかも非常に優しい姉だったということでこの両親だけでなくて双子の我々も思っていてくれるだろうな、と思っておりますが。
一刻も早くこの家族5人で、この日本の平和な素晴らしい風景を味わいたいと思っています。(拍手)

・・・続く・・・

2005年05月01日

第7回国民大集会(19)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 3』

「市川健一さん(市川修一さんの兄)のお話」
「飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)のお話」
「増元照明さんのお話」

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※司会 西岡力氏
市川修一さんの思い出を、市川健一さんお願いします。

☆市川健一さん(市川修一さんの兄)

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鹿児島から来ました修一の兄です。
私と修一とは9つ違うんですよね。
修一が生まれたときは私は小学校の3年生。
だから修一と余りにも歳が離れておりますもので、小学校の高学年・中学校になったとき、学校から帰ってくると。
うちは商売やっておりますもんで、修一を遊ばせてくれといつも言われるんですよ。
私は修一をおぶってね、よく遊びに行っておりました。

でも余りにも、私今は人口は少ないけどもその時は同級生が一歩(外に)出れば多かったもんですから。
いつも修一をおぶって、自分も一生懸命遊びたい。
そういう気持ちがあって
「修ちゃんちょっとここで待っとってよ、お兄ちゃん遊んでくるからね、ここ動いちゃ駄目だよ」
で、修一はず〜っとそれを守って、ひとりで遊んでおりましたよね。
今考えるとあぁ可哀想なことをしたな、と思っております。(笑い声)
修一はすごく両親を大事にして。
今は「両親は大丈夫かなぁ?」とそのように心配してるんじゃないかな?と思っております。
一刻も早く取り戻したいと思っております。
以上です。(拍手)

※司会 西岡力氏
田口八重子さんのご家族が並んでいるんですが。
田口八重子さんの長男の耕一郎さん、1歳だったんですね。
お母さんは耕一郎さんのことを覚えていると思いますけど。
でもお母さんと一緒の写真が出てきましたよね?
そのことをちょっとお話してくれませんか?

☆飯塚耕一郎さん(田口八重子さんの長男)

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(拍手)
あの丁度ここに今あるんですけども。
今西岡さんから昔のご家族の思い出を語ってくれと言われた時に、ちょっと私だけ寂しい思いをしました。
なぜなら私は1歳のときに母親が拉致をされて、私は田口八重子さんの記憶がないまま、27年の歳月が経ってしまいましたので。
「本当に誠に申し訳ない」
母に対して何もして上げられなくて、「誠に申し訳ない、本当にごめん」って思うんですよね。

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第7回国民大集会(18)05.4.24 日比谷公会堂にて

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 2』


「斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)のお話」
「増元照明さん(増元るみ子さんの弟)のお話」

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※司会 西岡力氏
同じよど号グループで、3人で一緒に暮らしているという手紙が来た松木薫さんのお姉さんの斉藤さんにも。
今、薫さんが北朝鮮で思い出しているだろうな?と言う思い出は何かありますか?

☆斉藤文代さん(松木薫さんの長姉)

この間第3回実務者協議のときにですね。
薫が北朝鮮で、母があの、たくさんカレーライスを作ってあげてたんでしょうね。
たくさん私たちも食べましたけれども、その思い出があったと思うんですけれど。
北朝鮮で皆さんお世話になった方に
「今日は僕がカレーライスを作って上げます」
といって、作って何度か食べさせていただきました、と言う話をされたと。

言うことを聞いたときに、ああ本当に薫はいつもいつも優しい子だったのに、向こうに行ってもお母さんのことを忘れないで。
いつもいつもそんなしてお父さんお母さんのことを忘れないで。
そんなして日本のことを帰りたくって、辛抱して。
なんとかして日本へ帰ってこなきゃいけないという気持ちと我慢強さと言うのを、本当にかわいそうだな、と思いました。

先月の18日ですかね、母が吐血いたしまして。
救急車で運ばれて。
本当にこれでもう今度は駄目なのかと私思いましたけども。
やはり母は強いんですね。
やっぱりどこの父母って強いなぁと私思いました。
胃がですね。
先生に見せていただいたんですけど。
胃カメラ通した所を見せていただいたんですけど、もうボロボロになってるんです。

それでもいつも病床で、ベッドで思うは薫のことばかり、毎日毎日思ってて。
会いたい、会いたいという気持ちが毎日あったのか?と思うと可哀想で可哀想で。
本・当・に・拉致された家族の皆さんが本・当・に・同じような苦しみを味わっているのかな?と思ったら、お母さんになんとしてでも会わせて上げなきゃと思ってですね。(拍手)
私も一生懸命今看病しております。

母の苦しみは母だけで納めておきたいな、って。
皆さん他の方にはこんなに苦しい思いをさせたくないなと言うことを顔を見るたびにいつも思います。
私が涙を流すと母も泣きますのでなるべく泣かないように務めてるんですけど。
私も泣き虫ですから、外に行ってずっと泣いては帰ってくるんですけど。
やっぱり見破られます。
娘が泣いてるんだなというのは分かるんですね。

こんなことが皆苦しんでらっしゃるのかと思うと、家族会の方たち、皆歳を召して来てますので。
こんな苦しい思いは母だけで十分だといつもいつも思っておりますので、何とか皆様助けてください。(拍手)
生きてるうちに帰ってこられますように、よろしくお願いいたします。(拍手)

※司会 西岡力氏
何回かまわそうと思いますから、一回はなるべく短めに、(笑い声)全部話さなくても大丈夫ですから。
次は増元るみ子さんの弟さんの照明さんで。
今日は新事務局長ではなくて。
るみ姉と呼んでたそうですが、増元さんとしてお願いします。

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第7回国民大集会(17)05.4.24 日比谷公会堂にて

第7回国民大集会 第2部

『未帰還者家族によるパネルディスカッション 1』

「曽我ひとみさんからのメッセージ紹介」
「有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)のお話」

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※司会 西岡力氏
第二部はですね、まだ帰って来ていない「家族会」の家族の方たちに、今までは家族会の役員として色んな発言をされてきましたけれども、今日は「家族会」の役員という衣を脱いでいただいて、「拉致被害者の家族」として、今北朝鮮で待っている自分の家族のことをどう思っているのか?という話をじっくりしていただきたいと思って企画いたしました。座って話をさせていただきます。

最初にですね、実は先ほど帰って来た5人のメッセージと言いながら「4人分」しかなかったですよね?曽我ひとみさんからもメッセージが来ておりますが、第一部ではなくて第二部で紹介させていただきます。

と言うのは、曽我さんは「家族会」に入っていらっしゃっていて、「お母さんの救出を今日訴えたい」というメッセージだったからです。まずそれをご紹介させていただいて、このパネルディスカッションを始めたいと思います。

☆曽我ひとみさんからのメッセージ紹介

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国民大集会にお集まりいただきました皆さま、こんにちは。今日この席に出席することができず、心より深くお詫び致します。

母と別れてから27年の年月が過ぎてしまいました。今年の2月には父をガンで亡くしました。今でも「母に一目会いたい」と強く願いながら、母の姿を追って天国に旅立ってしまった父。もうすぐ母は帰って来て、みんな一緒に暮らせるととても喜んでいた父の顔が、今でも頭の中から離れません。

母は春になると鍬で畑を耕していた、夏には私と妹のために、学校に持って行く薬草集めを汗だくになって手伝ってくれていた姿、秋には風呂の焚き付けにする枯れた松の葉を集めていた姿、寒い冬、家の中でざるを一つ一つきれいに作っていた姿、今さらのように、見るもの・聞くものみんなが母の姿に思えてなりません。

一日も早く母に会いたくて、いてもたってもいられません。しかしもう母も73歳になってしまいました。ただただ「元気でいてほしい」「一日も早く佐渡に帰って来てほしい」、今私はその気持ちでいっぱいです。

そして被害者の方々は、今この時間も北朝鮮で「日本にいつ帰れるんだろうか?お父さん、お母さん、兄弟、姉妹に会いたい!!」と指折り数えて待っています。くじけそうになると、きっと日本で楽しく暮らしていた時のことを思い出し、また、日本に帰って楽しく暮らすことができると思い、一日一日を一生懸命に生きていると思います。

しかしもう時間がありません。家族の皆さんは高齢になっています。私も24年間北朝鮮にいたので、被害者の方々の気持ちは痛いほどわかります。今、私の立場を考えますと申し訳ない気持ちでいっぱいです。被害者の方々が、全員揃って元気でタラップから降りてくる日を、毎日毎日祈る気持ちで待ちわびています。

「拉致」は絶対にあってはならず、許しがたいことです!!これからも国民の皆さま方には、この問題の解決のためにお力をお借りしたいと思います。何卒よろしくお願い致します。今日は本当にありがとうございました。

平成17年4月24日、曽我ひとみ。(大拍手)

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2005年04月30日

第7回国民大集会(16)05.4.24 日比谷公会堂にて

『加納良寛 救う会熊本代表 緊急報告』

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こんにちは。
救う会熊本では去年の1月に熊本朝鮮会館の固定資産税減免取り止めを求めて行政訴訟を起こしました。
ついこの間、こういう判決を頂きました。
4月の21日のことでございました。

裁判の中で私どもはずい分とずさんな調査の元で税金の減免が行われていると主張しましたが。
その中で朝鮮総連が原敕晁さん事件、長銀信用組合の不正流用事件で東京地裁で損害賠償命令が出てる。
そういうことをたくさん申し述べました。
そうしたところがちょっと判決文の一部を読ませていただきますが。
こういう判決でございました。

「朝鮮総連が一見して反社会的で公益を害する団体であるならばともかく、その綱領によれば祖国政府への結集や愛国をうたい、祖国の発展に尽くし祖国の統一を目指すというのであるから、朝鮮総連が反社会的団体であるということは言えず、そうであれば仮に本件土地建物において朝鮮総連により一部政治活動が行われているとしても、なんら法令に反するものとは言えず公益を損なうとは言えない。」

これはあの、例えは悪いかもしれませんが。
暴力団が組事務所を公民館類似施設といった場合に、刺青が見えないようにシャツを着て、そしてしかも彼らは任侠道という日本古来の美徳を体現するものであるからなんら公益に反しないと、このようなことを裁判長は言ったわけです。

私どもはよく、報復でこういうことをやってると言われますが。
実は熊本朝鮮会館は、松木薫さんが拉致されましたが、通っておられました九州学院高校の目と鼻の先にあります。
私どもは非常に関与を疑っております。
しかもこの固定資産税というのは誰でも分かる。
情報開示を請求すれば誰にでも分かる。
減免という答えが返ってくるわけですから。
他に所得税とか住民税とか、はたまた駐車違反まで様々な特典が与えられておりまして、朝鮮総連の政治活動資金になったり本国の送金されたりと、私どもはそういう認識をしております。

ですからこの運動の一環として報復ではなくやらせてもらっています。
私どもはこういう70年代に良く聞きましたようなアジ演説のような判決を頂きまして、とても承服できませんので福岡高裁に即日控訴いたしました。(拍手)
そういうことでこれからまた一年ぐらい戦いが続くと思いますが、いろいろまたご支援よろしくお願いします。(拍手 「頑張れ!」などの声)

※司会 櫻井よしこ氏
加納さん、ありがとうございました。
さて会場には地方自治体の議員の方々で、この拉致問題に熱心に取り組んで来られた人々がいます。
どうぞご起立をお願いします。(拍手)
この地方自治体の議員の方たちは、それぞれの地元に密着する形で熱心に拉致問題に取り組んでくださいました。(拍手)
本当にありがとうございました。(拍手)
もう一度拍手をお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

さてここからはこのセッションは第2部に移りたいと思いますけども、そのためにステージの上のテーブルおよび椅子のちょっとした組み換えがございます。
4〜5分かかると思いますけど、どうぞロビーに出たい方ちょっと足を伸ばしたい方どうぞ随時なさってくださいませ。
4〜5分でこの用意が終わると思いますのでよろしくお願いいたします

・・・第7回国民大集会 第1部終了・・・

2005年04月29日

第7回国民大集会(15)05.4.24 日比谷公会堂にて

『古屋圭司 拉致議連事務局長による出席議員紹介』

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ご紹介を頂きました、拉致議連事務長・自民党衆議院議員の古屋でございます。
私たちは213名の衆・参超党派の国会議員がございます。
この私たちこそがは日本を思い、日本の国益のために必死に汗を流すまともな国会議員であると自負しておる次第でございます。(拍手)

紹介をさせていただく前に一言私からもお話をさせていただきたいと思います。
この拉致議連の正式名称は皆さんご存知のように「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動をする議員連盟」
すなわち拉致被害者、並びに家族の立場に立ってこの拉致問題を早期に解決をすると言うことが我々の責任でございます。
従いまして先ほど平沼会長からもお話がありましたように、一方的に埒が明かぬ。
対話が駄目なら次はやはり圧力である。
すなわち経済制裁をかけることがこの拉致問題の解決の有力な手段であると言うことを、先ほど平沼会長からも申し上げた通りでございます。(「そうだ!」の声 拍手)

皆さん、ちなみにですね。
この春からいわゆる船舶の油濁を防止するための保険、これに入ってないと日本に全ての船が入港出来なくなります。
北朝鮮は一年にだいたい100隻くらい一隻10回くらい入りますので、千数百回でございますが。
この100隻の内、このまともな保険が付いてるのは確認できたのは17隻しか無いんですよ。
これだけ見てもですね。
当たり前のことをやるだけでもこれだけの効果がある。

だから我々のこの手に持っている経済制裁のカードを切るということは大きな力になることは間違いがないことでございます。(拍手)
頑張ってまいりたいと思います。
そこで今日ここに出席されている国会議員を私の方からもご紹介申し上げたいと思います。
皆さんご存知のように国会議員というのは日曜日はかき入れ時でございましてね。(笑い)
永田町もキナ臭いしないでもないという中で今日は来ていただきました。

まず拉致議連会長の平沼赳夫衆議院議員でございます。(拍手)
自民党拉致対策本部長 安倍晋三衆議院議員です。(拍手)
拉致議連顧問民主党 鳩山由紀夫先生でございます、あ、先ほどお帰りになりました。(拍手)
拉致議連副会長公明党衆議院議員 漆原良夫先生でございます。(拍手)
拉致議連幹事長民主党 西村眞悟衆議院議員。(大きな歓声と拍手)
盛大な拍手、ありがとうございます。
拉致議連副会長 原口一博衆議院議員でございます。(拍手)
民主党 増子輝彦衆議院議員でございます。(拍手)お帰りになりました。失礼いたしました。
民主党 渡辺周議員衆議院議員でございます。(拍手)
拉致議連副会長 中川義雄自民党参議院議員でございます。(拍手)
民主党 津田弥太郎参議院議員でございます。(拍手)
民主党 山根隆治参議院議員でございます。(拍手)お帰りになられました。
民主党 森ゆうこ参議院議員でございます。(拍手)
拉致議連副会長・自民党 山谷えり子参議院議員でございます。(拍手)
拉致議連事務局長代理・民主党 松原仁衆議院議員でございます。(拍手)


以上でございます。
あと一言だけ皆様に報告させていただきます。
実は私ども拉致議連としては最近話題になっております、「人権擁護法案」。
これにつきましては私ども断固反対の決議をしております。(拍手)
これは我々が行っている活動、あるいは家族会、あるいは救う会が行っているこの拉致問題の運動に対して不当に制限が加えられ兼ねない恐れがあるからでございます。
私たちは人権侵害に対する擁護には徹底的にされなければならない。
これは申し上げるまでもないことでございます。

しかし、この人権擁護法という美しい法案の響きの中には恐ろしい危険が隠されているからでございます。
私たちはその疑念が解決しない限りは、まぁいわば自由主義あるいは言論の自由を犯すかもしれない。
この法案が国会に提出されることが無いように徹底的に頑張ってまいりたいと思いますが、幸いにして今日は安倍晋三自民党幹事長代理もお見えでございますが、彼もこの法案には徹底して反対をしております。
どうか皆さん。
皆さんも美しい言葉の裏に隠された法案が通されることのないよう、皆様方の市民のお力添えも心からお願いいたします。(拍手)

※司会 櫻井よしこ氏
ちなみに拉致議連の会長の平沼さんは、この人権擁護法案に反対する議盟の会長でもあります。
お願いしたいと思います。
さて、ここで救う会熊本から緊急報告があります。
加納さん、よろしくお願いいたします。

第7回国民大集会(14)05.4.24 日比谷公会堂にて

『細田官房長官からのメッセージ紹介 (代読 櫻井よしこ氏)』

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「本日の国民大集会を主催された家族会・救う会・拉致議連の方々、並びにご出席の皆様に深甚なる敬意を表します。
皆様ご承知の通り、第3回日朝実務者協議の我が方の精査結果に対して、先日も北朝鮮側より納得しがたいが反応が示されました。
わが国は即時に反論すると同時に、生存する拉致被害者の即時帰国と真相究明を強く北朝鮮側に強く要求した所です。

まだ先般、国連人権委員会で北朝鮮の人権状況決議が従来よりも強化された内容で採択されるなど、拉致問題を含めた北朝鮮の人権問題の対応について国際社会の懸念も強まって来ています。
政府としても、愛する家族を取り戻すために活動している被害者の家族の気持ちを重く受け止め、拉致問題の一日も早い解決に向け、全力で取り組んでまいることを改めて表明いたします。

平成17年4月24日
内閣官房長官 細田博之」

以上でございます。(拍手)

さてこの拉致問題解決に向けての原動力の一つが拉致議連の皆様方でいらっしゃいます。
今日も拉致議連の皆様方、一部がお出でくださいました。
ここで拉致議連事務局長の古屋圭司さんに出席の議員の方をご紹介していただきたいと思います。
よろしくお願いたします。(拍手)

2005年04月28日

第7回国民大集会(13)05.4.24 日比谷公会堂にて

『蓮池薫さん・祐木子さんからのメッセージ紹介 (代読 蓮池透さん)』

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蓮池薫と祐木子の兄の蓮池透でございます。
本日はせっかくのお休みの中、こんなにたくさんの方が足を運んで下さり本当にありがとうございます。(拍手)
同じ時間同じ場所でこれだけ多くの皆さんと強い気持ちを共有できると言うことは、きっと我々の熱い思いが政府・小泉総理に届くものと確信しております。(拍手)
弟夫婦からメッセージを預かっておりますので、代読させていただきます。
ちょっと時間が押してるようなので急ぎます。(笑い声)

「今から1年前の5月22日子供たちが帰国をし、私たち家族は再びひとつになることが出来ました。
そして現在色々困難はありますが、子供たちを含め一歩一歩自立に向けて進んでいます。
これはひとえに国民の皆様のご支援の賜物と心から感謝しております。
本当にありがとうございます。

私たちはこのように家族が揃って前進できるようになりました。
しかし一方で他の拉致被害者の皆さんは、まだ帰国出来ないばかりか北朝鮮の不誠実な対応で一向に解決の道すら見えてまいりません。
被害者のご家族が高齢になられる中、拉致被害者の皆さんの早期帰国実現のため、私たちは今の自分たちに出来る限りのことは全てやってまいりましたし、これからもやっていくつもりです。

何よりも私たちは拉致被害者のご家族の皆様と、政府の関係機関に私たちが持っている情報を提供いたしましたし、これからも要請に応じて積極的に提供することでその情報に基づいてご家族や政府はこの運動を盛り上げて、北朝鮮に対する強い外交を繰り広げていただきたいと切に望んでおります。

拉致問題を解決し、被害者の皆さんの一日も早い帰国を実現するためには、これからも国民の皆様のご支援とご協力が何より必要と考えています。
何卒これからも拉致問題が風化することなどないよう、よろしくお願いいたします。

平成17年4月24日
蓮池薫・祐木子」

どうもありがとうございました。(拍手)

※司会 櫻井よしこ氏
蓮池さんありがとうございました。
さてここで内閣官房長官の細田さんからメッセージをいただいております。
今日のこの集会は「小泉総理に決断を求める国民大集会」でございます。
決断を求められている内閣の官房長官がメッセージをくださいました。(笑い声)
私が代読をさせていただきます。

第7回国民大集会(12)05.4.24 日比谷公会堂にて

『地村保志さん・富貴恵さんからのメッセージ紹介 (代読 地村保さん)』

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皆さん、こんにちは。(拍手)
私、福井から参りました地村でございます。(拍手)
皆さんのおかげで、また皆さんの世論で政府が動き拉致された5人が、また家族が帰国できましたことはひとえに皆様のご協力と世論のおかげと思っております。
本当にありがとうございました。(拍手)

帰りました息子たち、また孫も大変現在では日本に馴染みまして、進学も出来また就職も出来まして本当に私としてはホッとしているような次第でございますが。
まだまだ10人の不明確の人、特定失踪者の人、大勢おります。
私の県でも私以外にも特定失踪者の人が3人もおります。
その特定失踪者の解明のため、また10人の不明確の人も、北朝鮮の全面解決まで。
私どものは家へ帰りましたけれども、拉致問題の全面解決に、私はこれは宿命やと思って皆さんと頑張るつもりでございます。(拍手)
おかげで帰りました息子たちのメッセージを預かってきましたので、代読させていただきます。
国民大集会へのメッセージとして、代弁します。

「本日、小泉総理の決断を求める国民大集会の開催にあたり、ここにお集まりの皆さんをはじめ多くの国民の皆様のご支援により、私たち家族が帰国できましたこと、改めて感謝いたします。
思い起こしますと、昭和53年7月、私たち夫婦は北朝鮮に拉致されて以来、紆余曲折の人生を強いられてきましたが、世論の後押しとして日本政府のご協力により、平成14年10月24年ぶりに夢にも見た祖国へ帰国を果たすことがでいました。
また離れ離れになっていた子供たちも昨年の5月無事再会でき、日本で共に暮らせるようになりました。
これもひとえに皆様のご支援のおかげと心から感謝しております。

帰国後私たち夫婦は多くの国民、地元の皆様のご支援ご協力の下、国の政策に支えられ、いち早く社会復帰が出来、子供たちも日本に順調に慣れ、この4月から就職・進学が決まったことにより将来の生活に道筋が見えてまいりましたので、本年の3月、国に対して永住帰国の意思の決定を伝えた所でございます。(拍手)
今日まで私たち家族にも寄せられた公私に関わる数々のご支援、心温まる激励の品々、署名のご協力に改めて感謝申し上げます。

幸い私たち家族は帰国することが出来、心の安堵を取り戻すことは出来ましたが、反面日朝交渉に進展が見られず、拉致被害者の帰国を待ちわびる10人の不明者や特定失踪者の家族の気持ちを察すると、心が痛みます。
日本政府におかれましては、最善の努力を払われ、交渉に臨んでいただきたいと存じますが、拉致問題の早期解決に向け国民世論が更に盛り上がるように全国の国民に改めてご支援ご協力をお願い申し上げます。

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第7回国民大集会(11)05.4.24 日比谷公会堂にて

『スザンヌ・ショルティー
  米国「北朝鮮自由連合」副委員長のメッセージ(代読 島田洋一氏)』


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スザンヌ・ショルティーさんはこの2月の東京の国際集会にも来日してくださいまして、今櫻井さんの方から話がありましたように、昨年アメリカで成立した北朝鮮人権法の民間側の立役者であります。
それではこの大会に寄せたショルティーさんのメッセージ、翻訳したものを読み上げます。

「ワシントンより東京の集会に寄せて

私は北朝鮮に直ちに経済制裁を発動するよう求める皆様の呼びかけに支持を表明します。(拍手)
金正日を相手に拉致問題を解決するに当たり、日本の皆様は忍耐強すぎたのではないか?とさえ私は思っています。(拍手)
愛する我が子やきょうだいが今どのような状態にあるかを知ることも出来ず、苦痛にさいなまれているご家族の心情を平気で逆撫でするような北朝鮮の行為は言語道断であり、世界中の良識ある人々に対する挑戦でもあります。(拍手 「その通り!」の声)

金正日は人の命も尊厳も顧みず、ただ私腹を肥やし贅沢な生活を続けることのみに汲々としている男です。(拍手 「その通り!」の声)
このような男に制裁をかけることは余りに当然のことではないでしょうか?(拍手 「そうだ!」の声)
今週私たちはワシントンにおいて北朝鮮自由化週間と銘打って活動を繰り広げる予定です。
金正日が自国民のみならず、日本人や韓国人に対して行った恐るべき残虐行為の数々を明るみに出し、北朝鮮に住む人々の自由と人権の獲得に向け行動いたします。

例えば火曜日26日は日本人拉致問題の展示を含む北朝鮮ジェノサイド展・大虐殺展の開催式を繰り広げます。
増元照明さん・島田洋一さんがワシントンを訪れ、数々のイベントに参加してくださることを大変光栄に思っています。
拉致被害者救出の為に日々休むことなく活動している皆さんに心から敬意を表し、北朝鮮に住む人の人権・自由の為に皆様と隊列を組んで戦えることを大変光栄に思っている旨、ここに述べさせてください。
全ての人が故郷に戻れる日まで共に戦いましょう。

北朝鮮自由連合 North Korea Freedom Traditional(ノース コリア フリーダム トラディショナル)代表

スザンヌ・ショルティー」
(拍手)

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第7回国民大集会(10)05.4.24 日比谷公会堂にて

『竹下玉路さん(古川了子さんの姉)の訴え』

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みなさまこんにちは。
今ひとつ訂正させて頂きます。
私は11才年上の姉です。

(櫻井さん 「ごめんなさい」)

若く見て頂きありがとうございます。(会場笑い)
竹下玉路でございます。
私の妹、古川了子はみなさん方の一番左のはしの写真の、あれが古川了子の18歳の時の写真です。(壇上のパネルをさして)失踪する3ヶ月ほど前、高校を卒業したての時に仲良しの友達と遊びに行った時の写真です。
一番自然な写真だと思い、一番妹を感じる写真です。

私の妹、古川了子は、昭和48年7月7日土曜日でした。
その前日に初めてのボーナスを頂きまして、そのボーナスを手に、母と約束をしていた。
「私のお金で浴衣を買いたいから母さん一緒に見てね」と約束をしていた。
それから美容院に前の晩に予約をしていた。
その二つの楽しみな予定を電話で急にキャンセルして「今どこにいるの」という美容師さんの問いかけに「千葉駅にいる」という声を最後に連絡が全く取れなくなってしまいました。
持って出たと思われるものは、ハンカチと小さな財布しか入らないような程度の、ちいさな、ちいさなバックと、それだけでした。
そして、その後本人の銀行口座から一切お金を引き出された様子はありません。

母は、そして私達家族は、あらゆる、自分たちにできる、可能な限りの探し方をしました。
母は占いにも頼りにし、テレビにも出して頂き、新聞や、同級生の方々に手紙で消息を尋ねるお願いをしましたが、一切消息は掴めず。
20数年たった時に、元工作員の安明進さんが、あるマスメディアの方に母がお願いしていた写真を見て「この女性は見たことがある。915病院で自分が会って話をした、その女性に大変よく似ている。」という証言を頂きました。
それが1997年の事でした。

そして、私はその話を伺いまして、すぐ最寄りの警察に行きましたけれど、その当時はまだ「イヤ太平洋岸ではないですよ」
それから、「今拉致の被害者と言う方々が出ているのは昭和52年、53年からですから、48年はちょっと早すぎますね。」というお話しで。
私自身も、母も「そんなものなかなぁ?」「違うのかしら?」と思いながら、ずっと「もしかしたら、いなくなった当時から、本人が何かいけなかったのかもしれない、家族がいけなかったのかもしれない」と言う思いで、なかなかお話しができなかったそのこと(=古川了子さんの拉致の疑い)を、また97年に封印するような形になりました。

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第7回国民大集会(9)05.4.24 日比谷公会堂にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の報告』

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ご紹介頂きました、荒木でございます。
本日はこんなにたくさんの皆様、お集まり頂きましてありがとうございます。
のちほど櫻井さんからご紹介があるかと思いますが、この前の列の方には特定失踪者のご家族の方々、多数お見えになっております。

先ほど櫻井さんのほうから、ヤジについての注意がございました。
おそらくヤジの一つぐらい飛ばしたいと思って来ておられる方たもたくさんおられるかと思うので、そういう方は私が話している間にヤジをすまして頂いて、後の方の時はおとなしく聞いて声援して頂きたい。(笑い・拍手)

(櫻井さんから)
いえ、ちょっと一言、元気づけるヤジは大いに飛ばしましょう。(拍手)

最近(「荒木さん頑張れ!」の声)ありがとうございます。
最近あちこちで、いろいろ嫌われておりますので、この際嫌われついでに申していきたいと思いますが、この中にも恐らく警察関係の方がたくさん来ておられるだろうと思います。
我々、2年間調査会の活動をやって参りまして、正直申しまして上げて、この国の国家権力というのが如何にいいかげんなものであるかということを。(拍手)

このまま我々もですね、頭に来てやっておりますと、そのうち治安維持法違反で捕まるんではないかと思っております。
現場の方々は本当に血の滲むような思いで一生懸命にやっているんです。
しかし法制度が整わない。
それ以上にトップの意思が定まらない。
現場でこれは拉致ではないかというふうに思って上にあげても上で潰されてしまう。
何十年間もの間このことが続いて参りました。
こんな事はもちろん、絶対に許されるべきではありません。
しかし、それが何十年間も続いてしまったことによって、おそらく、今、誰も恐くて蓋が開けられないんだろうというふうに思います。
蓋を開けてしまえば、「一体今までどうしてきたんだ?」と、当然そう言うことになります。

私どもも関係官庁の幹部から、我々が今、1000番台リストと言って、拉致の可能性が高いと言っている方々と警察が持っている拉致の可能性が高いと言うリストの、かなりの部分が一致している。
そして、もちろん我々が持っていないところでも拉致の可能性高いと認識している数が相当あると言うことは聞いております。
国会の答弁でも、政府はそう言う答弁をしております。
しかし、それでは「15人以上にならないのか」というふうに聞くと「今分かっているのは15人」としか答えてこないのでございます。

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第7回国民大集会(8)05.4.24 日比谷公会堂にて

『李星矣 朝鮮戦争拉致被害者家族協議会会長の挨拶 (通訳 西岡力氏)』

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みなさんお会いできて嬉しいです。(拍手)
そしてお招き頂きましてありがとうございます。
(日本語でも:ありがとうございました。)

招待を受けてこの席に立つまでいろんなことを考えました。
まず、日本の多くの方々が人権が重要な価値であると言うことを、この事実を知ってらっしゃると言うことを私は学ぶことができました。
人権とは時々只叫ぶというそのような主題ではなく、日常生活の中で実行しなくてはならない価値であるということを解っていらっしゃるのが、正に、ここにいらっしゃる皆さんだと思います。(拍手)
みなさん方の力が集められて、拉致された人たちが救い出すことができた、そのような力がわいてきたと言うことをみて大きな成果が上がったことに、限りない感謝と尊敬を感ずるものであります。(拍手)

韓国では、1950年の戦争の時に、拉致された民間人が10万人あまりおります。
これは北朝鮮の金日成の「南朝鮮のインテリを連れてこい」と言う指令による計画的犯罪であります。
この間55年の間、韓国戦争拉致被害者に対する真実の究明はもちろん、その方達の生死確認さえもできない、このような状況でございます。
その方達の年齢からみて一日でも早く何としてでも生死の確認だけでもしてもらいたいと思っています。

私達家族会では、この間1952年の当時大韓民国政府がつくった拉致被害者の名簿を発見致しまして、月刊朝鮮社といっしょになってここに持ってきました「6.25拉致被害者82959人」という本を出しました。(拍手)
戦争の時に拉致されたことを立証するために関連する政府の文章などを発掘、整理し、そして証言を記録する、そのような作業もしております。
また国会に韓国戦争拉致者の名誉回復及び、支援に関する法律案を上程して頂いております。

今大韓民国政府は南北間の和解交流拡大を急いでおります。
歴史の不幸を繰り返さないため、そしてこの間のお互いの恨みを解消するために当然の努力だと考えます。
しかし南北の和解と交流・協力のためには必ずしなければならないことがあります。
北朝鮮によってなされた人権被害、民間人拉致問題それをまず一番最初に解決しなければならないということです。(拍手)

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