2007年10月08日

07.8.11 鈴木智さん 世田谷お蕎麦屋さんミニ集会より

世田谷お蕎麦屋さんミニ集会 

07.8.11 世田谷区某蕎麦店にて 

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の挨拶』



こんにちはどうも、はじめまして。
私、平成15年にですね。
こちらの荒木代表のところに届出をしまして、それ以来調査を依頼しまして色々お世話になっております、特定失踪者・鈴木賢の兄でございます。

皆様には、特に東京ブルーリボンの会、それと特定失踪者問題調査会、さらに救う会埼玉の古藤さん、それから皆様方にはですね。
日頃大変お世話になっております。
ご支援いただいております。
ありがとうございます。

私ども今現在はですね。
先ほどもちょっとご紹介がございましたけども、「拉致問題を考える川口の会」としまして、毎月第一日曜日に署名活動をやっております。
昨年の実績ですと月平均が署名数が550です。
ちなみに現在までこの拉致問題を考える川口の会としましては、市民の皆様、それと田口八重子さんの家族、それから特定失踪者の家族、それと自治体がですね。
大変理解あるご支援をいただきまして、そういう意味ではちょっと特殊と言いますかね。
異質な形の会を設けております。
もちろん、拉致被害者と特定失踪者というのは非常にこの、どこで一線を引くか?という事については、私どもも活動の中であくまでも一線を画すと、言うような事を絶えずアピールしましてね。
双方一緒に活動しているのが現状でございます。

ちなみにですね。
この署名を持ちまして現在まで川口の署名の提出はですね。
4回ぐらいに亘りまして、約25万人分ぐらいの署名をですね。
首相官邸とか内閣府に提出をしております。
つい最近は7月の12日でございましたけど、これもやはり昨年来から集めました署名を、皆様の心のこもったご署名をですね。
1万2千人分の署名を持ちまして、内閣府に提出をして参りました。

そんなことで、私はいつも講演会などですね。
アピールするようにという事がありまして、アピールさせて頂いているんですけども、私はあくまでも特定失踪者の家族ですけども、やはり心境としましてはね。
今拉致被害者・特定失踪者と言えども、これはやはり国の問題だと。
国民お一人お一人の問題だという事で、私の弟ももちろん肉親ですからね。
思いはやはりそこに行くんですけれど、現在の私の心境としましてはそういう事は超越しましてね。
拉致問題そのものを何としても解決するために、一人でも多くの皆様に、この拉致という事を認知してもらう。
いうような気持ちでもって活動に従事しておる、と言うのが現状でございます。

今後共ですね。
皆様には色々お世話になるかと思うんですが、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

07.8.11 生島馨子さん 世田谷お蕎麦屋さんミニ集会より

世田谷お蕎麦屋さんミニ集会 

07.8.11 世田谷区某蕎麦店にて 

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の挨拶』

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本日は麺業組合の方たちばかりかと思いまして、一言お礼を申し上げなきゃと思いましたんですが、そうでない方もいてちょっとピントのずれた話になるかも知れませんが、よろしくお願いします。

最初に個人的な事を言わせていただきますと、何で母の写真を持ってきたか?
それから、母の着物です。
母が(亡くなる)直前まで来ていた着物で、何でそれを着てきたか?というと、うちの母は明治38年生まれなんですけど、ホンのちょっと先の上馬で生まれ育って34歳嫁に追い出されるまでいました。
それで小学校が昔は東京にも分校がありまして、小学校4年までは駒沢小学校の分校が、このちょっと先にあったんです。
それでお墓は、実家が初台の・・・(聞き取れず)さんなので、このちょっと先のお寺さんなんですけど、そこに眠りたいという事で生前にお墓を作ってあげてたんです。

そして今日の会場は世田谷区という事で、これは母が妹に会えなくて、残念ながら会いたい会いたいと言いながら死んでいった母がきっと何か背中を押したのかな?
こういう母のゆかりの地で皆様がやってくださるという事が非常に嬉しくて、母の写真と一緒に来ました。
よろしくお願いします。(拍手)

実は私は母が死ぬまではほとんど何もやっておりませんでした。
母が死んで何かやろうと思うときに、東京で家族会と一緒の集会というものが無かったものですから、どうしていいか?何をしていいのか?が、自分で本当に分からなかったんですね。
それで埼玉とか茨城とか呼んで頂いて、そこで講演を聞かせていただき、だんだんと拉致の問題が分かってきました。
それからテレビ番組とかそういうところから少しずつ知識を仕入れて、だんだん拉致の事が分かりましたけど、東京でも例えばもう35年位前ですか。
大学生の方、甲州街道沿いに多くいなくなっていらっしゃるんですよね。

それから印刷工の方の話なんかも聞いて。
それから75年以前のは東京に割合いとあるのに、非常にマスコミになんかにも扱われないんですよね。
何か、抑えられているのかな?とも思ったんですが、そのうちだんだんあちらこちらと伺っている内に、古賀先生が熱心にやってくださっているのでお招きを受けて、古賀先生のところに伺いました。
古賀先生、本当に元日から署名活動をやってくださったんですね。

それでね、びっくりしちゃって、東京にもこういう方がいらっしゃるんだ、これが東京全体に広がって行ったら良いなと思っていたら、お食事をするところの麺業組合、お蕎麦屋さんのお店にこのポスターを貼ってくださるという事を伺いまして、これはね。
凄く温かさと、日本の心みたいなのを感じたんですね。
麺だから日本の心と言うんではなくて、お店に飾ってくださるという心が、非常に温かく感じたんですね。
是非お礼を申し上げたいという事と、このポスター、古賀先生非常にご尽力下さって出来上がったものなんですけど東京都の人権擁護局に貰いに行ってもなかなかくれません。
名前をサインさせられて3枚だけやっと頂きました。

でもそういうふうに東京都内の官庁なんかには貼ってあるんですが中々一般の人はね。
目にするようなところには貼ってないんですよね。
それで、今回の事は非常に感謝しております。
もうひとつこれはね、コミュニティセンター、昔の交番なんですけど、そういう所には貼ってあるんですけども中々皆さんの目にはつきません。
それで良かったな、と思います。
これがまた他の業種にも広がっていったらな、とも思います。

それから先ほど荒木先生のお話にも出てきましたけど、印刷工の方たちがいなくなったあのあたりは、その方たちがいなくなったというのは、まさしく私の青春なんです。
私が若い頃あの辺り、小さな印刷工場が一杯ありました。
その当時は今みたいに交通が発達していませんから、していないというのも変な言い方かもしれませんけど、新幹線もないですしね。
東京で働くという事は非常に大変なことだったんです。
自分で何とか東京で成功しようとか、何か身につけようとか、そういうね。
一家を支えるために東京に行って働けるという、目標を持って働きに出てきていた時代なんですね。

それから大学生の方たちも、今みたいにどこでも入れるようなそんな時代じゃなくて、学校も数少なかったですし、それから地方の親御さんが息子・娘、あんまり娘はいなかったですね。
息子の方が多かったと思いますけど、息子に期待をかけて東京の大学に送り出しているんです。
その親御さんの期待を担った子弟がね。
突然連れ去られて分からなくなった。
非常に心配していらっしゃると思うけれど、その親御さん、今拉致問題が出て来たからと言って東京に出てきて活動すること出来ないんですよね、多分。

それだから東京にいる私が貧乏だけどせめて、東京にも(特定失踪者が)いると声を上げて、それで地方の親御さんの代わりにこの人たちも何とかしてくれって言わなければいけないんじゃないかって勝手なね、考えで活動しております。
あくまでも個人的な考えですけど、地方で歳取った親御さんに一生懸命やっているからねって言える様なところまで、皆さんに知っていただけたらありがたいなと思います。
東京に一杯いるという事を少しでも多くの人が、関係のない多くの東京の人が知ってくれる事が、運動の原点になると思うんですね。
まず知ってもらうという事を目標にしております。
よろしくお願いします。(拍手)

2007年10月07日

07.8.11 宋允復氏 世田谷お蕎麦屋さんミニ集会より

世田谷お蕎麦屋さんミニ集会 

07.8.11 世田谷区某蕎麦店にて 

『宋允復さん(北朝鮮帰国者の生命と人権守る会 事務局長)のお話』

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荒木さんのお話の中で拉致と言うのは70年代以降だけではなくて、それ以前金日成の時代からあったというお話を伺わせていただきました。
私どもが日本にすでに入っているいわゆる脱北者、日本人妻の子孫に当たる方々、日本に入った100数十名に聞き取りをしています。
その中で具体的に金日成時代の日本人拉致について直接聞いている方の話も実は聞いております。
それで、一部は支障のない範囲で公の場で、前回救う会神奈川の講演会で語って頂きました。

更に詳しく話していただこうという事で、今回9月16日、日曜日に麹町の食料会館午後1時半から講演会、証言集会を開きます。
具体的にどういう事を語っていただくか?と言うのはそのときのお楽しみというところにしておきますが、日本人拉致問題と言ったとき、金正日が認めざるを得なかった。
日本のメディアで北朝鮮タブーがはじけ飛んで、北朝鮮の暗部と言うのが本当に集中的に報道されました。 
もしすでに日本で報道されている量の10分の1でもアメリカやヨーロッパで報じられさえすれば、核問題こそトッププライオリティーであるかのごとく国際社会は報じられておりますけども、まずそんなことにはならないだろうと思うんです。
 
今拉致問題と言う酷い事が現在進行形で行われていて、そんな政権を延命させるための援助なんてとんでもないと
早く核問題、核と言うのはアメリカにとって・・・(聞き取れず)じゃないんですから、そういう酷い政権を代えなければ、改めなければいけないという国際世論も盛り上がるでしょうし、もちろん日本人拉致問題解決にもプラスになると思います。

そういう意味で日本はもう十分以上の材料を握っているんです。
握っている材料が残念ながらメディア間の厳しい視聴率競争の中で、盛んに活発に報道はされましたけども、残念ながら日本国内で消費されて終ってしまってそれが世界に伝わっていないという現状を何とかしたい。
これを何とかすればおそらくあの体制の変革と言うものに近づく。
先ほど荒木さんの話にあった、日本国の金の使い方ですね。
実質的に効果があると思えない会議に金を使い、HPを作ることに2億の金を使い、今度はラジオですか?
すでにやっていることに1億いくらと言う予算を使う。
本当にその10分の1の費用で10倍以上の効果がある事が民間ですらもできる。

今日、テレビを視ておりましたら、日系アメリカ人の監督が原爆投下のドキュメンタリー映画を作ったんですね。
「原爆ヒロシマ・ナガサキ」という題なんですけど、実はその人は「はだしのゲン」という漫画を若いとき、まだ大学生の時に読んでこんなひどい事があったんだと。
原爆自体、その人は・・・(聞き取れず)があったというんじゃなくて、戦後の酷い混乱の中を原爆の後遺症を負った人々が必死になって生き延びていたという物語を読んで、これを何とかアメリカ国民に知らせなければならない。
ただ単に戦争終結を早めた効果があったんだという事で括られて良い話ではないという事で、学生時代からドキュメンタリー映画を志して、90年代・・・らしいんですが、当時は周囲の世論に潰される形で実現が出来なかった。
20数年たってようやく今回ドキュメンタリー映画として完成して、アメリカの有力なケーブルネットワークで流されたんです。
それを視たアメリカ人が「こんなに酷いこととは知らなかった」と言って涙を流してインタビューに応えていたという事ですね。

おそらく現在北朝鮮で行われていることの多くもつぶさにアメリカ人が知ったならば憤ったりします。
ここまで国内で膨大に材料がありながら、アメリカ人のあるいは世界の人々のハートに触れるまで材料が有効に使えていないと言う現状は大変残念です。
一千万も多分お金があればですね。
北朝鮮強制収容所のことごとくを出す事は可能でしょうし、あるいはドキュメンタリー映画に出すという事も可能だと私は思います。

ですから本当に武器は十分にあるんだと。
で、日本国内で留めて良い話では無いんです。
日本人拉致被害者を取り戻すという事で終って良い話ではなくて、それどころでない広がりがあるわけですから、今ある武器を有効に使って早くあの体制を倒す。
その鍵を握っているのがまさに日本ですから、一歩前進、二歩前進させていきたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)

2007年10月04日

07.8.11 荒木和博氏 世田谷お蕎麦屋さんミニ集会より

世田谷お蕎麦屋さんミニ集会 

07.8.11 世田谷区某蕎麦店にて 

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演』

〜〜東京と拉致〜〜

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失礼して座ってお話をさせていただきます。
ご紹介を頂きました荒木でございます。
今日は本当に暑い中、皆様こんなにお出でいただきましてありがとうございます。
また、この場所をご提供いただきましたご主人にも本当に感謝申し上げます。

先ほどお話にもありましたようにこのポスターはですね。
やはりこういう場所に貼って頂いて、なんとなく見ていただくというのが一番情報が集めやすい、という事でございまして、お蕎麦食べながら「そういえばこの人どこかで見た事がある」とかですね。
そういう情報が入ってくる事を本当に切に期待を致しております。

それでこのポスターはお気づきになった方あるかもしれませんが、この情報提供はお近くの警察署・交番へと書いてございます。
で、これが実は凄く大事な事でありまして、政府の出しています広報機材にはですね。
「情報があったらここへ」というのはどれを見ても全く書いてありません。
もう一つ、地下鉄の駅なんかに貼ってあります「我々は見捨てない」という政府のポスター、あれをご覧いただいてもですね。
あの中に「情報提供はここへ」と一言も書いていないですね。
ですからこれであれば何か気がついた方は、警察にご連絡を頂くか、あるいはうちの電話番号もありますので、こちらにご連絡を頂くという事が出来るという事はですね。
そういう事だけでも一つ大きな意味があるのでは無いだろうかと思います。

今○○さんのお話の中に、田口八重子さんのお話がありましたが、田口八重子さんだけではなくてですね。
認定されている拉致被害者の中で一番最初の方、久米裕さん。
この方も拉致は東京の拉致ですね。
三鷹市役所のガードマンで、そしてお金を借りていたサラ金業者、現在も西東京市に住んでおりますけども、この李シュウキチという人物にですね、要は騙されて能登に連れて行かれたと。
ですから連れ出された場所は能登ですけども、実際に拉致の現場はですね。
事実上東京であると、いうことでございます。

ここに来られている方は皆さんお分かりの方が多いと思いますが、今でもまだイメージとして海岸線で拉致をされていると、言うようなふうに思っている方が多いんですが、これは全くの間違いでございまして、現場となる場所は海岸も何も関係ないと。
いわんや東京みたいに極めて人の移動が大きくて匿名性の高いところであれば、逆に拉致と言うのは非常にしやすいんだという事を認識していただければと思います。
今日、生島さんお見えですけども、生島(孝子)さんも本当に東京都内でいなくなっているわけですが、ここにおられる方も本当に東京の街中でいなくなっている方が本当に多いという事でございます。

この間、今古賀先生もお話の中にありましたように参議院選挙も済みまして、そして残念ながら拉致のことなどはまったくと言っていいほど争点にはならなかった。
自民党が大敗をした中で中山恭子さんが高位で当選したという事は、それなりのもちろん意思表示であったと思うんですが、選挙自体には一切争点になっていなかったという事が残念ながら現状では無いだろうかと思います。

この間、安倍政権が出来まして約一年間の事を最近改めて思い直してみまして、安倍さんになったことの逆効果というのがですね。
私は非常に出てしまったのではないか?と私は思っています。
それはどういう事かというと、「あれだけ拉致の事を一生懸命やってきた安倍さんが総理大臣になるんだから、もう任せても大丈夫じゃないか?」という意識がですね。
全体の中にやはり蔓延してしまったのでは無いかと。
「安倍さんだからやってくれるだろう」という事でですね。
それが運動の低下につながっていなかったか?という事を、私は実は最近非常に感じております。

各地の救う会の方々といろいろ話をしてやはりですね。
例えば集会をやっても動員が中々し難くなったとか、あるいは署名を集めようとしても中々集まり難いとか、カンパも中々集まらないとかですね。
大変お恥ずかしい話ですが、我々調査会も基本的にはカンパだけで、いろいろなところからももちろんお力を頂いているのですが、結局突き詰めていけばカンパだけでやっているんですが、それもですね。
非常に少なくなったという事が、この間からSOSを出してしまった原因となっているわけですが。

問題は安倍さんが本当に拉致問題を解決しようという事であれば、よりさらに運動を高めていかなければいけなかったのではなかろうか?と。
私自身もその意味で責任を感じている一人ですが、どうも安心をしてしまっている間にどんどん事態が、時間だけが過ぎて行ったのではないか?と、最近これは非常に懸念をしております。

さっき言いました政府のポスターと東京のポスターが、この情報提供のこと一つとっても違っているというのはそういうところに意味がありまして、政府の対策本部の方々と話をしていてもですね。
「何とかして解決をしなくてはいけない」というような、切迫したような環境はあまり感じられない。
正直言って「助かってくれれば良いな」位のですね、感情では無いだろうか?という事をですね。
担当者の人たちと会うたびに本当に私は痛感をしています。
真面目にやっている人も確かにいるんですけど、中の全体の雰囲気では、あそこに行きますとまったりとした空気に包まれていまして、切迫した感じですね。
ともかく今助け出さなくてはいけないんだという感じはですね。
残念ながらあまり感じられないというのが正直なところでございます。

この間、中には読まれた方もおられるかもしれませんが、月刊誌の諸君に連載しているものの中で、今回安明進さんの事をちょっと長めに書かせていただきました。
で、あの中で実は私一つちょっととんでもない間違いをしております。
どこかと言いますと、一番最初に横田めぐみさんの事について情報を出した方、これは現代コリアの平成8年10月号にですね。
石高さんの論文の記事が載ったものですが、この情報を出した者が安明進さんと同一人物であると、私あの中で書いたのですがこれは後で石高さんからもちょっと指摘をいただきまして、全く別人であるという事でした。

私もこれは最初は別人だと思って人にもそう言っていたんですが、だんだんだんだんこんがらがって来まして、あれはやはり同じ人物ではなかったかな?というふうにって、あまり確かめもせずにあの諸君に書いたんですが。
改めて考えて見ますと、あの情報はそれぞれ別々の物でありまして、安明進とは全く別の脱北者・亡命者の方が言った情報だったんですね。
それで改めて考え直してみるとですね。
安明進さんはたまたま平成9年の2月3日にこの情報が出たことによって、それを見たと私は見たと言った事で明らかになった情報だったんですね。

ところがじゃあ考えてみると、あの情報と言うのは(韓国の)安企部の人から石高さんが聞いて書いていたわけですけども、あの時点ですでに日本の政府には情報は渡されていたと。
渡されていたのがどこかで潰されてしまったという事だったんですね。
明らかになり、そして横田めぐみさんだという事が分かって、そして西村眞悟さんの2月3日の質問に行くと。
その直後に高世仁さんがソウルに行くときにですね。
アエラと産経を持って行った事で、それが安明進さんが「この人は見た」と言って明らかになったという事です。

ということは、安さんがあの時ですね。
その情報に接していなければ、あるいは本人が、それまでも知っていたけどもちろん言っていなかったわけですね。
日本人拉致の事は安企部には一言も言っていなかった。
それをもし言わなかったらどういうふうになっていたか?というと、あの話はそこで止まっていたという事も無いとは言えない。 
あの時やはり目撃したという人があった事のショックがですね。
その先につながったという事は間違いのない事でございまして、そういう意味でも安明進と言う人は非常に重要な役割を果たしたと思うんですが、同時にその情報がすでにあったにも拘らず、それを日本政府がどこかでブレーキをかけて止めていたと言う事は、これはやはり極めて重要な問題であって、そのことについては基本的に今も変わっていないというふうに思えるわけでございます。

あの時めぐみさんの事が出るに当たっては今日お見えの横田代表がですね。
ご家族の中でお名前を出すべきかどうか?という事で、相当いろんな議論があった時に、横田さんがお一人、ともかくこれは名前を出さないことにはここで終ってしまうという事でですね。
決断をされてそしてそれによってこの問題が明らかになったと。
あの時もし横田さんも、早紀江さんですとか息子さんたちの意見にですね。
同調して、じゃあ匿名のままで行こうという事にいっていたら、今日の事は無かっただろうというふうに思います。

しかし、そういう事を考えてまいりますと、結局この問題動かして来たというのはですね。
その時その時のご家族であり、あるいは民間の声であり、そういう物で動いてきたのでは無いだろうか?
そして政府の意思として拉致問題を解決しようと言うというふうな事と言うのは、実はほとんど動いて来ていなかったのではなかろうか?というのが、結局はとどのつまりの結論でございます。

だからその声が安倍さんだからといって弱まる事は実は非常に危険なことでありまして、安倍さんだからこそもっともっと大きな声にしていかなければならない。
これは今からでも何とかですね、正していかなければいけない事だと思います。

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今日生島さんがお持ちの生島うらさん、お母さんのお写真をお持ちですけども、お母さんが亡くなった時、ほぼ同時に曽我ひとみさんのお父さんが亡くなったんですね。
同じ日、同時だったんですね。
それで私は生島さんのお通夜にもチラッと顔を出したんですけども、あの時本当に感じましたのは、曽我さんのお父さんのですね。
お通夜・お葬式の場面と言うのはテレビでも放送されまして、政府の関係者とか県の関係者とか皆さんたくさん来ていたわけですけども、生島さんのお母さんのお葬式の時は本当にもうご高齢で身内の方が少なかったという事も有るかと思いますが、本当に内輪の方だけでのお葬式でございまして、何でこんなに違うんだろうな?という事を非常に感じました。
認定をしていることと認定をしていないとかいう事だけでかくも違うのか?ああいう時になるとですね。
つくづくと我々感じさせられる事でございます。

政府の対策本部の人と会うと、認定してもしていなくても扱いは変わりませんと言う言い方はするんですけれども、決してそうでは無いと。
現在政府がやっております「ふるさとの風」という北朝鮮向けの短波放送でも、家族会の方々、それから家族会には入っていませんが石岡亨さんのお兄さんですね。
認定被害者の方については家族のメッセージ、放送しています。
石岡さんなんかについては、最初ご本人はやるつもりは無かったんですけど、わざわざ対策本部の方から電話をかけてですね。
「やってください」と言ってお願いをして、声を流しているんですね。

ところが我々ですね。
対策本部の人たちからこのふるさとの風について意見を聞きたいと言われた時に、最初は特定失踪者のご家族のメッセージも流してもらいたいというふうに言ったんですが、これは認定されていないと認定されている人々と一緒になるのは出来ないと言われたんですね。
それだったらせめて、次ですね。
この方たち拉致被害者だと言わなくていいから、名前だけでもいつどこで、東京でいなくなったとかですね。
そういう事の情報だけでも流してくれませんか?という事を再三再四お願いし、それから西村眞悟さんの質問趣意書などでも書いてもらったんですけども、一切やる気は無いということですね。
これはもう明確な拒否です。
検討しますとか、そういう事ではなくて明確な拒否をしていると。

どう考えたってですね、おかしな話ですね。
そういう形でやっていたら、こういう方たちの情報は絶対に集まらないというふうに思います。
確かに拉致じゃないかもしれないんですね。
それは我々だってやっていて、ご家族の本当の気持ちと言うのは私にも分かりません、正直言って、当事者じゃないんですから。
分かりませんけど、しかしまぁ、時々はそれに触れる者としてですね。
それはもう、拉致でなくて日本国内で元気で見つかってくれたら、その理由はどんな理由であれ構わないんです、全然。

それでかまわないんですけど、失踪していなくなって、どういう思いか?っていうのはこれはもう横田さんも同じようにですね。
一体どんなになっていなくなったのかも分からない。
事件か事故か、自分で失踪したのか?何も分からない中で生き地獄が続くという事から考えたら、それはですね。
ここにおられる方が拉致では無いという事が分かったとしてですね。
北朝鮮はそうするとほら見ろ違うじゃないかと言うんですけども、それでおしまいの話なんですね。

すでに北朝鮮は金正日が拉致を認めているわけですから、今更ですね。
今までやったことが無いと言ったのが拉致だったと認めているわけですから、別の人がそれ以上やっていないと言ったって、損なのは嘘に決まっているわけで、それがですね。
ここにおられる方の誰かが日本国内で見つかったからと言って、北朝鮮が拉致をやっていないという事には何にもならないわけですね。

ですからこれは可能性があるという事でやって、その結果見つかればですね。
それに越した事はない。
我々は今までやっていまして、大体20人くらいですね。
拉致でなかったと分かった方がおられます。
公開の方もいれば非公開の方もいる。

お一人東京で、もうこの中にはお写真ありませんけども、石川千佳子さんという足立区の小学校の先生がですね。
残念ながら殺人事件の被害者でおられたという事が分かったと、そういう事があったんですけども、非公開の方でも我々は見つかったらですね。
「非公開の方がお一人見つかりました」という事を、発表してます。
それはどうしてか?というと、非公開の方発表しなくたって誰も分からないですよ。
誰も分からないのにあえて発表するのは、ここにおられる公開の方の中でも、やはり拉致で無い可能性の方はいるんですよ」という事を言っておいた方がですね。
より理解はしやすいだろうと。
そういう事もあるかもしれないという事で、とにかく情報を何でもいいから集めて貰うと。

で、例えばこういうふうにやっているという事でですね。
ひょっとしたら何か情報が、この人の事はとか、あるいは上手く行けばですね。
日本国内に工作員がまだたくさんいるわけですから、かつてそれに関わった人間からですね。
見て、どうしてもこの人が気にかかるという事で、例えば匿名の情報でも何でもですね。
出して頂ければいいと思いますし、あるいはこういう物を見ているうちに、この中に載っていない方、福留貴美子さんとか横田さんでも何でも結構なんですけども、認定された方でもですね。
拉致に関わった人が実は、というふうにですね。
言ってくれる事が一番ありがたいことでありまして、そういう意味ではこうやってお蕎麦屋さんに貼っていただくという事はですね。
極めて、私は重要な意味があると思う次第でございます。

東京の都内で拉致というのはどういうふうに行われるのか?と。
これはですね。
別に東京に限らないんですけども、やはり何かの理由が有る事は間違いないと。
基本的には北朝鮮にとって拉致をやるというのは当たり前のことですね。
北朝鮮側は拉致というのは、日本が植民地支配をしてその清算をしていないという状況の中で、たまたま一部の人間が勝手にやったんだというような事を言っているわけですけども、これはもちろん全く嘘だという事は皆さんよくお分かりだと思います。

もし植民地支配をしたと言う理由でですね。
拉致をするんだったら、じゃあルーマニアもタイもですね。
北朝鮮を植民地支配したのか?という事になります。
何の関係もないところから拉致をする。
韓国からは朝鮮戦争中に連れて行った人を入れるとですね。
9万人とも言われる人が連れて行かれているわけでございまして、それは別に植民地支配も何も関係ない、わけであります。
ともかく足りなければ持って来ればいいと、言うようなことで連れてくる訳ですね。

その数には自分で行く人も入っています。
お蕎麦屋さんでは有りませんけども、日本でですね。
本を出しています藤本健次さんという寿司職人の人、あの人は要は金正日がですね。
そういうものが食べたいというのが最初の理由で北朝鮮に渡るようになる、わけですね。
技術者なんかで人によっては、中国へ旅行という事になっていて中国で北朝鮮のパスポートを渡されて、そして北朝鮮に入って仕事をしてまた出て来て戻ってくる。
日本のパスポートには中国に行ったことしか書かれていない。
こういう人はかなりいるというふうに聞いています。

しかし、それも駄目だった場合、自分から(北朝鮮に)行ってくれない。
でもこういう技術の人が必要だという事になった場合には、例えば何かの形で、一番早いのは北朝鮮になんとなくシンパシーを感じていて集会なんかに出た事があると。
そういう人であればそういう人に声をかけて、ちょっとひと月くらい行ってきませんか?と言うと。
で、そしていいですよと言ったらそのまま(北朝鮮に)入れて、そのまま返さないと。
技術者と言うわけではありませんけども、ヨーロッパ拉致の3人は皆それに近いですね。
ちょっと入って、また出てくるつもりだったのが出してくれなかったと。

技術者と言う意味で言えば、やはりですね。
北京経由で入ったりするのもバリエーションみたいな形で行って出られない人も、かなりいるであろうと。
あるいは今度はもうちょっと乱暴なケースで、人間関係を何か作ってそしてどこかにおびき出しておいて、そこから先はあとは強制的に連れて行くというケース。
こういうケースがおそらく一番多いんでは無いかな?と私は思います。

例えばこの間、去年ですね。
目撃証言があったという事で発表された日高信夫さん。
この方は調査会の事務所がある飯田橋の近くの印刷会社に勤めていた方ですが、この人がいなくなっている。
この早坂さんも印刷の仕事ですね。
後千葉の方とか、何人か印刷関係の仕事をしている方がこのあたり、1970年くらいにですね。
小林栄さんも、この3人ですね。
いなくなっているというのは、この頃印刷の仕事の人が欲しいなと言うような意向があって、それが伝えられてそれぞれが住んでいる人間でですね。
エージェントみたいなのが自分の近くにこういうのがいると。
場合によったら飲み屋かなんかで隣に座った人、と言うのがあるかもしれません。
そういうのを探していてですね。
そして騙してどこかに連れて行ったというのが、一番可能性がかなりあるのでは無いだろうかと言うふうに思います。

だからそういう意味で言うと、何処でも出来るんですね。
海岸なんか別に必要では無いです。
横田さんの事件だって、新潟ですから海岸の事件と言うイメージが多いですけれども、実際に拉致をされているのはご自宅の近くで車の中に引きずり込まれてですね。
そして連れて行かれている、と言うケースでございまして、これはやはり皆狙ってやったというケースがかなり多いだろうと。
海岸でですね。
たまたま偶然に連れて行ってしまったケースというのは、これは工作員が中にはですね。
進入したという証拠として持って言ったというのもあると聞いていますけど、それよりはおそらく計画的にですね。
狙って連れて行ったというケースが多いんだろうと思います。

北朝鮮と言う国からすれば連れて行くのは当たり前の話ですから、工作員はやはり連れて行けばですね。
それが何かの点数に関わった可能性がある。
あるいは場合によったらやくざをですね。
下請けにして、そのやくざに金を渡して連れて来させたというケースもあるのでは無いかと言う感じも致しております。
そういう事を考えますとやる事が当たり前だと思っていれば、今政府のパンフレットなどに書いてあります70年代の後半から80年代の初めって言うのは、これは真っ赤な嘘というか、全くの認識の違いであると言うふうに思えます。

これは金正日がですね。
拉致の指令を出したのが76年くらいという事でですね。
そういう事を思っているのでは無いだろうか?と思っているんですけれども、我々が見ていてですね。
70年代の前半、あるいは60年代にいなくなった方々、この中にもたくさんおられますし、あるいは80年代の後半以降にいなくなった方々もたくさんおられるんですけども、いなくなり方から考えてですね。
拉致が疑われる人たちは、いなくなり方から考えて70年代の後半から80年代の初めは特別な特徴と言うのは私はそんなに無いと思っています。
量的に多いという事は有るかもしれませんが、そんなに極端に多いというような感じもしない。

それより前からず〜〜っと計画的にやっていて、そしてその後もですね。
やはり計画的にやった拉致というのが続いているのでは無いだろうか?と言うのは、我々が実際にこれ調査して来てみてのですね。
感覚でございます。
北朝鮮と言う国にとって拉致をするというのは、金日成の時代から当たり前のことであって、当たり前の事をやっているわけですから、金正日になって多少拍車が掛かったという事があったとしても、現実にはその時だけの事であるはずが無い、という事でございます。

だからず〜〜と昔からやっている。
そして東京は非常に匿名性がある場所ですから、全く知らぬ人がどこかアパートに住んでいてもですね。
全く分からない、わけですね。
誰がいなくなっても一人住まいしていたら、全く分からない。
久米裕さんなんかを狙ったというのは、おそらくやはり当然ですね。
回りにあまり縁故が無いということを狙っているわけでございまして、そしてそういう事から考えればですね。
いくらでも逆に非常にやりやすい。
この東京と言う場所はですね。
場所であるというふうにいわざるを得ないであろうと思います。
田舎なんかで向こう三軒両隣ですね。
誰が住んでいてどこに勤めていてどういう暮らしをしているか?と言うのを分かっているような場所であれば、いなくなりゃおかしい、と言うふうになるわけですけども、ここはそういう所ではないという事ですね。

実際私もですね。
かつて新宿で昔民社党に勤めていた時に、通勤経路が歌舞伎町で地下鉄から西武新宿に乗り換えて帰っていました。
で、歌舞伎町を途中通るわけですね。
あるとき仕事の合間にですね。
暇だった時に夕方ですね。
ふらふらと歌舞伎町を歩いていたらばたまたま「まだん」と言う名前の店が目に入りまして、これはまだ80年代の半ばくらいだったと思いますが、「まだん」というのは朝鮮語で「広場」と言う意味なんですね。
まだ韓流ブームも何も無い頃で、非常に珍しかったのでそのスナックですが、入ったんですね。

入ったらばそこはですね。
そこのマスターから、飲んでいたらいきなり出された名刺にはですね。
統一革命党日本代表部と言う、これは北朝鮮の工作機関の名刺を出されてですね。
大体こういう名刺を出す方は大した方はいないんですけども、どちらかと言うとママさんの方がもうちょっと大物だったみたいでですね。
しかし、その後仲良くなりまして、私も向こうが所在を明らかにしたんでですね。
こっちも明らかにしないと卑怯だと思ってですね。
民社党の名刺出しまして、それから時々、ちゃんとお金払って飲んでいたんですが、少し安くしてもらってですね。
飲んだりしておりましていたんですけども、あれもしあの時ですね。
私が入って最初の時、一人しかお客がいませんでしたから、酒の中に眠り薬でも入れられて眠ってしまったら分かりませんよね?

酔っ払いみたいに見せかけてですね。
肩担がれて「おい大丈夫か?」なんて言いながら声かけながら車に乗っけちゃったら誰も分からない。
職場の方にいつまで経っても帰って来ないと言って家族が心配をして職場に電話をする。
「いや、普通に夜出て行きましたよ」という話になる。
警察に行ってもですね。
家出人の捜索願くらいしか受け付けて貰えない。
「何か悩みでもありませんでしたか?」と言うふうに聞かれてですね。
「そういえばあいつこの間塞いだみたいだった」とかですね。
そういう話になれば、やっぱりそれでいなくなったんだろうという話で片付けられてしまうという事が有ったのでは無いだろうか?と言うふうに思います。
そういうふうにして、実際拉致をされた人と言うのは、当然いてもおかしくない事でございまして、そういう事を考えると東京と言うのは何でもできる場所だというふうに思った方が宜しいのではないだろうかと、感じが致します。

だから、じゃあこういうのをどうしなければいけないのか?と。
これはですね。
やはりそういう状態の中で完全に拉致を防ぐなんて極めて難しい事であります。
まだ日本人の拉致の場合はそれでもご家族がいれば、ご家族がまだ声を上げてくれて何とか世論になる可能性がある。
久米さんなんかの場合は、犯人が捕まってなければ家族がいないわけですから、誰も何も言っている筈が無いわけですね。
それ以外の方々でもおそらく家族がいない人を狙ってやって、成功していれば誰も何も言わない筈であります。
そういう人が非常にたくさんいる。

それからおそらく日本人以上にですね。
在日の拉致と言うのもかなりあるんじゃないだろうか?と私たち推定しています。
我々のリストの中、この東京の中には無いですけども、在日朝鮮人の方でですね。
いわゆる帰国運動と別に拉致をされたのでは無いだろうか?と言うケースが結構色々ありまして、これはですね。
ご家族が数人、我々に名乗りを上げている方がおられますけども、それ以外はですね。
全く分からない状態のままに今日に至っているという事でございまして、ここら辺もですね。
我々としては非常に大きな問題だろうと思います。

そういうふうに非常に大きな事をですね。
防ぐという事は中々難しいんですね。
これは防御と言う形では絶対に出来ません。
それはどうするか?と言うと、ともかくですね。
少なくとも今拉致をされている人たちはどんな事をやっても、草の根分けてでも見つけ出してですね。
探し出すぞ、という事をですね。
やっていかなければいけない。

そして拉致をされていると分かった人はですね。
何が何でも取り返すぞと言う意思を我が国が見せていかないと、北朝鮮は返して来ないだろうと言うふうに、私たちは思っています。
そのためにはだからやっぱりこういうのが必要になるんですね。
こういう情報を、と言う話が。

政府も昨年度3月くらいにですね。
何回か拉致の事を放送、テレビコマーシャルをやりました。
拉致は許せない、許せないのは当たり前の話でございまして、そんなのはわざわざ膨大な金をかけて政府がやるなと。
誰も分かっているんですね。
日本中の誰に聞いたって、拉致を許せますか?って、ハイ許せますなんて人はほとんどいないわけでありまして、姜尚中位だと思いますが、それ以外皆許せないわけですね。

それを言われたって困るわけです。
それよりももし例えばですね。
金かけてポスターを作る、あるいはテレビコマーシャルをやる、パンフレットを作るというんであれば、ともかく拉致今のうちにしゃべった方が身のためですよ、というですね。
脅迫するぐらいのですね。
コマーシャルでもした方がいい。

今情報を出してくれればですね。
警察も不問にしますよと、まぁ警視庁の方もおられるんでですね。
そういう事を言っちゃいけませんかもしれませんが、ともかく今のうちに言った方が身のためですよと。
今吐けばですね、あなた本当に皆さん大事にしてあげますよ、と。
最後まで行って他の事が分かってからバレたらあんた必ず捕まえますよと、いうふうにですね。
それくらいの脅かしをする位の事をしなければいけない。

この間ニュースでですね。
外国の記者を対策本部で呼んで、そして拉致のことについてご家族の方に会って頂いたりとか、現場を見せるとか言っておりましたけども、その対策本部の人たちがですね。
自分で自腹切って外国から読んで来るんだったら構いませんが、税金使ってですね。
そんな事やる事か?と。
ジャーナリストと言うのは本当に価値が有ると思えばですね。
自分で金使ってですね、やってくるわけですね。
わざわざですね。
お足つきで呼んで来てですね。
そんな事を書かせるんじゃあ北朝鮮と何の変わりもないと言うふうに思います。

もう何か見ていると、何に金使っていいんだか分からない。
何をやればいいのか?分からないという状態では無いだろうか?というふうに私ども思っておりまして、本当はですね。
やらなければいけない事が山ほどある。
政府の中にもやらなければいけないか?って何か分かっている人が、実は本当にこのことに携わっている人がたくさんいるんですね。
こんなことでは駄目だと、我々も政府の中のいろんな立場の人から話を聞いておりまして、しかし中々動かすことが出来ないというのが、残念ながら現状でございます。

それを我々は何とかして変えて行かなければいけないんですが、変えるのには何が必要か?と言うとやはりですね。
皆さんの声が必要です。
こうやって暑い中ですね。
36度くらいあるだろう中をこうやって来て頂いて、お話を聞いていただくというような事をするというお気持ちがあるというお気持ちがですね。
まさに政府を動かして、そして拉致の解決につながるんだという事です。

この声を絶対に小さくしたらいけないです。
任せておいて大丈夫だろうと思うとですね。
絶対にその方向には行かなくて、逆の方向に行くという事でございます。
何か近々、山崎拓さんが平壌に行くという話が出ております。
28日から30日は韓国の大統領とですね。
北朝鮮のあの金正日がですね。
また2泊3日も何しに行くんだか良く分かりませんけども、行って話し合いをしてくるという事でございます。

ほったらかして置くと、どんどんどんどんこの拉致の問題はですね、埋もれてしまうと。
日本政府は今何とかですね。
それでも支援をしないと言うところで止まっておりますけども、下手をしたらばそういう所もですね。
何かちょっとした餌を与えられて、そして分かりましたと言ってですね。
アメリカや中国やそして南北朝鮮のですね。
ペースに嵌められてしまわないという事も限らないわけで、そこに嵌められないために必要なのは世論だと。
結局最後はそこにやって来てしまうんだという事をですね。
ご理解をどうかいただきたいというふうに思うわけでございます。

我々は今度お盆休み明けにですね。
例の問題の朝鮮中央放送委員会の愼範アナウンサーのとですね。
矢倉富康さんの声のですね。
ご家族の声の鑑定の結果が大体出るという予定になっております。
その結果も踏まえた上で、20日過ぎからですね。
具体的に動こうと思うんですけども、今のところ政府は、我々よりも前にこの情報に接していた事は間違いないにも関わらず、全く動いた形跡が見えないという事でございまして、ここが愼範さんが矢倉富康さんだという事がハッキリすればですね。
ここをきっかけに何とか切り込んで行きたいというふうに思っているわけでございます。

我々何度も何度も言っておりますし、是非皆さんにもご協力をいただきたいんですが、この問題の解決と言うのはですね。
話し合いでは絶対に解決できません。
話し合いをするにしてもそこに、力の裏づけが絶対に必要になります。
日本がですね、その力を行使するという裏付けなくして、この問題は絶対に解決できません。
そんなちょこっと話し合いをしただけで、彼らが帰ってくるくらいであれば、大体拉致なんかするわけが無いはずでありまして、こういう状態の中で拉致が起きまして、そして返して来ない。
この間の北朝鮮の外務省の備忘録なんてのを見ればですね。
読んでいくと日本が悪いんじゃないか?と思えて来るような内容でございます。

そういう相手から取り返すためにはですね。
ふざけた事を言ったらば張り倒すという力が必要でありまして、それをやはりやっていくのは軍隊がいなければいけないと。
どこまで使うかは別としてですね。
やはりその裏付けが無いと問題解決しないと、私は思っております。

幸いここにもですね。
私含めまして3人予備自衛官がおりまして、そこにいる○○君と、上島議員とですね。
さらに今古賀議員の息子さんも予備自衛官補として訓練受けているそうですので、大分昔に比べて比率が高くなったなと言う感じが致しますので、我々はもう召集が来れば直ちにですね。
これを迷彩服に着替えて、北朝鮮に乗り込む覚悟でおりますので、そういう、もう絶対に取り返すんだという意思が向こう側に伝わればですね。
あの国は力しか信頼していないんですから、こっちが力を使うぞと言う意思があればですね。
向こうはそれに応じて来ざるを得ないという事でございます。

そういう意思を国民全体が持つ事によって今度はですね。
北朝鮮側だけでなくて他の国もですね。
日本と言う国に対して手出しが出来ないというふうに思うわけですね。
それが無かったら、いつまで経っても拉致被害者取り返す事が出来ないばかりか、日本と言う国は何をやっても大丈夫なんだと回りから馬鹿にされてですね。
更に被害者がでるという事は間違いが無いわけでございまして、我々はそういう意味でですね。
この決意とそしてそれをですね。
世論をバックに実行させていくと、いう事が絶対に必要であろうという事を思っている次第でございます。

色々ございますけども、本当にですね。
この拉致問題をこの10年間進展させて来たのは、他でもないここにお出での皆さんの熱意があったからという事でございます。
私はあともう少しのところまで来ているというふうにですね。
思っておりますので、もう少しの間お力を更に高めていただくことをお願いいたしまして、お話を終らせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・

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悪しからずご了承の程、よろしくお願い申し上げます。

2007年10月02日

07.8.11 横田滋さん 世田谷お蕎麦屋さんミニ集会より

世田谷お蕎麦屋さんミニ集会 

07.8.11 世田谷区某蕎麦店にて 

『横田滋 家族会代表の挨拶』



先ほど2階でお話をしたんですけど、皆さんおそらくこういうポスターを見たのは初めてでは無いかと思います。
小さいのはこの間、集会の時に配られましたけど、そのときも見たんですけど。

それで実際にこういったポスターを我々貰いましても、貼るところが無いんです。
マンションですと私のところエレベーターの止まる階の、自分の自分の家の前の、そこに貼ったって見るのは・・・(聞き取れず)だけで誰も通らないんです。
ですから貼るところが非常に少なくて、例えば選挙のときに中山さんのポスターをたくさん持っていたって、マンションには色々な考えの人がいますから、マンションの掲示板には貼れない。
自分の家のところに貼ったって誰も見ない状態で、なかなか貼る所が無いんですね。

そういった中で、お蕎麦屋さんの組合が協力してくださったという事は、非常に大勢の方の目に触れることになると思いますし、それによっていろいろな情報が集まって、それをきっかけにで国内で見つかったというと、なんと言うか幸せなんですけど。
それをきっかけに発展するとかありますので、そういったことでご協力いただけるというのは非常に効果が大きいと思います。

いろんな方に協力をお願いしたいと思いますが、今回こういった事をしてくださったという事は、それぞれの方の家族。
という事は我々と同じような立場におられる方なんですが、そういう方からすれば非常に大きな力になって、そういう事をしてくださるという事を皆さん感謝しておられると思います。
家族を代表しまして、こういった場所を提供してくださいました事を心から御礼申し上げます。(拍手)

2007年09月05日

07.8.11 土田東京都麺類協同組合理事 世田谷お蕎麦屋さんミニ集会より

世田谷お蕎麦屋さんミニ集会 

07.8.11 世田谷区某蕎麦店にて 

『土田東京都麺類協同組合理事の挨拶』



どうもありがとうございます。
何でこんな世田谷で?と、何で蕎麦屋か?と皆さんお思いでしょうけども、私がこの事件に直接関わったのは、私の業界の先輩で深川で○○さんと言う方がいまして、その方の奥さんが蓮池さんのお母さんのごきょうだいでありまして。
お花見の時分に上野のお山でお花見がございまして、そのときに「今日は嬉しい事があったから一杯飲んでくれ」と。
「何ですか?」というと、「うちの甥っ子が無事で生きている事が分かったんだ」「あぁ、そうですか。おめでとうございます。良かったですね。どこで見つかったんですか?」「北朝鮮で」「え?」
という感じで、そこからのお話でございました。

それから色々なお付き合いをさせて頂きまして、日比谷の野音ですとか公会堂ですとか、そういう所にも行かさせて頂きました。
いろんな先輩方と一緒にお訪ねしていったんですけど、なかなか真剣にやってくださる方、少ないのが実情でございます。
私、先輩方と共にブルーリボンの方を一つ一つ手渡しで、組合の中では600ほど配らせていただきまして、でもどうしてもこの間渡したの・・・(聞き取れず)わけの分からない方も大勢いらっしゃいます。

で、孤独な戦いをやってきたんでございますが、趣味の選挙活動で○○さんと知り合いにならせて頂きまして、それからいろんなご指導を受けるようになりまして、本日お集まりの皆様方はしっかりと怯むことなくゆるぎない根性を持っていらっしゃる方ばかりだと聞いております。
一つの輪の中にしっかり入っていらっしゃる皆様方が、本日ここにご参集いただきましたことに対しまして、大変光栄だと思っております。
是非皆様方とこの運動を、きっちり根性を入れて行動していきたいと思っております。

本日は暑い中、当店催しをさせて頂きましたが、良い有意義な時間を過ごさせていただき、皆さんよろしくお願い致します。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
テキスト及び音声ファイルの中で個人が特定される固有名詞はブライバシーなどを考慮して外してあります。
あらかじめご了承ください。

2007年08月31日

07.8.11 古賀俊昭東京都議会議員 世田谷お蕎麦屋さんミニ集会より

世田谷お蕎麦屋さんミニ集会 

07.8.11 世田谷区某蕎麦店にて 

『古賀俊昭東京都議会議員の挨拶』

Img_3380.jpg



皆さん、お暑うございます。
参議院選挙が終りまして、自民党は歴史的大敗という事で喜んでいる人もたくさんいるのでは無いかと思いますけども、私はここに感心が無くてですね。
今回本来は、拉致問題であるとか、それから日本の安全保障の問題、憲法を含むですね。
そういった事が争点になるべきであったのが、ホリエモン的な次元の、年金がたくさん貰えるか貰えないかと言うそのレベルで選挙が戦われたことに、今の日本の国の姿が象徴的に現れていると思いました。

昨年の人権週間で都庁の一番高いところで展示会をやって頂いて、そのときに横田さんと荒木先生がお見えになりましたけど、石原知事との懇談の中で、東京都として中で何か出来る事をどんどん仰ってくださいという事で、そういう懇談の場からこのポスターの作成が始まりまして。
予算審議を特に経たわけじゃないですけど、知事の執行権の範囲内で、じゃあ東京都に関連する特定失踪者の皆さんを都民に対して啓発するポスターを作ったらどうか?ということでこの作成に入った。
平成19年度の初めから入りました物です。

役人が作りますとね。
こういうポスター作る時はアート紙で作るんですよ。
私どもは選挙をやっておりますから、雨に打たれる。
それから本来一日も早く解決しなきゃいけないんですけど、おそらく今の政府の姿勢、横田さんは昭和52年に拉致被害に遭われた訳ですので、考えてみれば30年、今年の10月で経つわけです。
ここまで放置した政府の責任、それから対応を考えますと、そう1〜2年、今年一年で解決するとも思われませんので、どっちみち作るなら雨風に打たれても大丈夫なような合成紙で作りなさいと言って。
都は最初、アート紙で作る予定にしていたんですけど、合成紙に、私そういうような指摘をして、そういうようになりました。

それからやはりこれだけではポスターやりましたというだけですので、「しおかぜ」のチラシですとかね。
色々配布物を私、縮小してチラシにも使えるようにして貰いたいとそれを要望して、今お手元に配りましたものが印刷物として出来上がりました。
ここに掲載されている人たちについては、特定失踪者の荒木先生の方と警視庁と担当部局とよく相談をして漏れが無いように。
それから問題にならないように十分詰めて貰いたいと言ったんですけども、まぁこの48名という事になったわけです。

それで高さんの関係のお母さんについては、私も散々言ったんですけど、警視庁は反対で結局それは実現しませんでした。
しかし、あれは文藝春秋の平成10年くらいの7〜8年前ですよね。
事細かにこの事件については犯人は誰で、いつ失踪したか?拉致されたか?全部、7年か8年前に分かっていた。
報道されていたわけですけど、これが特定失踪者それから拉致被害者ということで、その犯人を警察が指名手配したのは今年になってからです。
ですから、如何に悠長な捜査が行われているか?
政府の政治的判断も加わっていると思いますけど、犯人が分かっていて、いつの事件か全部背景も分かっていてもいまだ解決につながっていない。

しかも警察庁は国際手配をしていますけども、絶対に捕まらない北朝鮮に逃げていった奴を指名手配して、国内にいる犯人を一人も捕まえないんですね。
これも誠に不思議な話で、荒木先生の方からこの後すぐお話があると思いますけど、国内組織、それから関わった犯人。
組織・犯人については全く指名手配も犯人の拘束も行っていないという、まだまだ戦後政治の大きな闇があるんですね。
そういう組織と戦うのがこの拉致の救出運動だと思いますし、是非皆さんとですね。
東京都に限られた、私は選挙区日野市ですけど、日野市の市民も3名も含まれます。
いるわけです、いらっしゃる。

ですからこういう活動を通してですね。
皆さんと、とにかく一刻も早い全員の救出と犯人の引渡しを求めて活動をしていきたいと思います。
暑い中お集まりの皆さんに心からの敬意を表してご挨拶に代えさせていただきます。
ありがとうございます。(拍手)
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