2007年11月05日

07.9.17 鈴木智さん 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

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御通行中の皆様、日頃拉致被害者救出につきましては、大変なるご協力・ご支援をいただきましてありがとうございます。
私は「拉致問題を考える川口の会」の特定失踪者の家族でございます。
現在政府認定の拉致被害者は17名。
その他自殺・家出の動機のない、いわゆる失踪者、全国で特定失踪者問題調査会に届出をしている人が460名。
このうち34名の方は、北朝鮮による拉致の疑いが非常に濃厚と言われております。
私は埼玉県でも13名中、6名の特定失踪者がおります、川口の会の鈴木でございます。

私思いますのに、全部が全部、特定失踪者が拉致被害者だとは思っておりません。
がしかし、数名か数十名か数百人か分かりませんけども、北朝鮮に拉致被害者と同じように、それ以上に光を当てられることも無く、暗闇の過酷な暗黒の世界で命を永らえている特定失踪者がいる事は、間違いないことだと思っております。

現在私どもは川口の会として継続的な署名活動を行なっております。
この川口の会の発足につきましては、拉致被害者・田口八重子さんの本籍地、でございます。
さらにこの会の立ち上げにつきましては、田口八重子さんが住んでいた地元町内会からの発信でございまして、これらを川口の家族会の皆様、さらに川口の地域町内会の支援をいただきまして、さらに特定失踪者の家族が加わりまして現在、定例的な川口における署名活動・チラシ配布・集会等におきますアピールをさせていただいております。

私思いますのに北朝鮮の卑劣極まりない金正日の危険な日本国民の、全く何の関わりもない日本人を一方的に略奪し、帰国できない日本人を見殺しにしようとしております。
現在拉致された北朝鮮における拉致被害者はもとより、特定失踪者におきましても、私はこれらの何名か何十名か何百名かは分かりませんけども、拉致されているであろうと言う拉致被害者を救出するためには、皆様の心ある救出活動は不可欠でございます。
どうぞ皆様、お一人でも多くの皆様に救出活動にご参加いただきたくよろしくお願いを申し上げます。

先日、昨日ですけども、永田町の星陵会館におきまして、北朝鮮の金正日のテロ政権を糾弾すると言う集会がございました。
この席で私は今でも脳裏に残っておりますのは、元アメリカの国務省・北朝鮮問題の専門家、チャック・ダウンズの一言でございます。
「日本の国はもっともっと強く抗議しなさい。抗議すべきです。」
チャック・ダウンズさんの言葉は、「今大事な事は日本は国民の命を第一にする事を、国内はもとより国外に向けても強力に発信することである」と、いう言葉でございました。
まさにこの方の言葉は今の状況下に全く適合しているのでは無いでしょうか?

私も北朝鮮による拉致被害者の帰国まで救出まで、一人残らず救出できるところまで、私たちも一人残らずの救出を考え、人の命を考えて、これからも救出運動に邁進していきたいと思います。
どうぞよろしくご支援ください。
ありがとうございました。

07.9.17 杉野正治氏 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の挨拶』

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渋谷を御通行中の皆様、特定失踪者問題調査会の杉野でございます。
今、お話をされた生島孝子さん、この渋谷区にお住まいの時に失踪をされました。
昭和47年のことです。
この大都会、東京の真ん中で拉致をされた可能性が非常に高い。
北朝鮮で目撃された情報がある。
こういう方でございます。

ここにポスターとそして顔写真がありますけど、この東京でたくさんの方が拉致をされた可能性がある。
今日は飯塚さんがお出でですけど、その妹さんの田口八重子さんもこの東京の池袋で拉致をされました。
という事はですね。
北朝鮮から上陸した工作員は、海岸にいる人を拉致しただけじゃないんです。
東京にいて十分調べて日本人を拉致して行った。
それが拉致の本質でございます。

このように東京では50名公開しておりますけど、非公開の方を含めれば80名くらい。
全国では約470名くらいの方が、拉致の可能性を否定できない方、拉致の可能性がある方という事で、私ども特定失踪者問題調査会の下にいます。

丁度5年前、小泉元総理が訪朝して金正日が拉致を認めました。
そして5名生存・8名死亡と言うあの情報がもたらされたんです。
あの時、新潟の佐渡で拉致をされた曽我ひとみさんと言う方がおられました。
そして曽我ひとみさんのお母さん、曽我ミヨシさん。
この二人の方は日本の政府も警察も、誰もが拉致だと思っていなかったんです。
犯人である北朝鮮が自白をして、そして拉致であることが分かった。

あれによってですね。
この5年間、全国から「自分の家族も拉致をされたんじゃないだろうか?」と、そういう申し出がたくさん我々のところに来たのです。
我々調査したところ、今政府が認定しているのは17名。
17名が政府が認定した拉致被害者。
しかし我々はそれだけではない。
もっともっとたくさんの拉致被害者がいる。
どんなに少なく見積もっても100名、もしかすると200名、もっとたくさんいるかもしれない。
我々のところに届け出ていない拉致被害者も必ずいるに違いない。
我々はそう見ています。

それに対しまして、日本国政府は今どうしているか?
北朝鮮に対しては現在6カ国協議の中の日朝の交渉の中で、北朝鮮に対してこの拉致被害者、政府が認定している拉致被害者が今12名、この人たちを返してもらうように北朝鮮に対して誠意を求めている。
これが日本国政府の今の考えなのです。
しかし考えてみていただきたい。
北朝鮮の交渉を担当している人間に誠意があると思っている人は、おそらくこの今渋谷を歩いている人の中にも誰一人いないと思う。
日本国政府も というのは、交渉だけをしていれば、つまり交渉をすることだけが目的になってしまっている。

これだけたくさんの方が拉致をされている可能性がある。
これを明らかにするためには交渉によって北朝鮮の誠意を求めるのではない。
解決のためには必ずやらなければいけないことがある。
これは北朝鮮の金正日の独裁体制、これを倒すこと以外に方法がありません。

先ほど古賀都議会議員が仰ったように、この拉致と言うのは戦争であります。
我々の国民を30年40年の長きに亘って、勝手に日本の国内に入って、そしてやすやすと攫っていった。
それも10人20人じゃない、もっとたくさんの日本人を攫っていったのです。
これを解決するには交渉だけではなく、北朝鮮に対して強い態度で臨まなければいけない。
そのように思っています。

それにこれは政府だけの問題ではありません。
あの5年前の9月17日、そして10月15日に5人が帰国したあのときの怒りを、北朝鮮に対する怒りを是非皆さん、もう一度思い出していただきたい。
あの時政府を動かしたのは、間違いなく皆さん一人一人の思い、怒り、それが日本の政府を動かし、そして北朝鮮に拉致を認めさせた事は間違いありません。
我々は北朝鮮のあの政権を揺さぶるために、ありとあらゆる努力を続けていきたい。
是非、皆さん一人一人の気持ちを是非私たちにも分け与えていただきたい。

そして今日はブルーリボンを皆さんにお配りをしています。
今日は大変いい天気ですけど、この青い空の向こうには今現在、私がこうやって話をしてそして皆さんにこうやって聞いていただいているこの瞬間にも、我々の同胞日本人が祖国日本、故郷。
そしてお父さんやお母さんやごきょうだいの事を思いながら、日本に帰れるよう助けを待っているんです。
この事を是非皆さん、心の中に刻んでいただきたい。
このようにお願いを申し上げまして、お訴えを申し上げます。

それからですね。
私どもは、先ほど金正日体制を崩壊に導くという事を申し上げましたけども、私ども今北朝鮮に向けて短波放送を行っております。
これは北朝鮮の中にいる日本人に向けて、「我々日本人が探している、絶対に諦めない」
こういうメッセージを拉致をされた、あるいは何らかの理由で北朝鮮に行って戻れなくなった人に向けて、情報を短波放送で流す。
これは日本人だけじゃなくて、あの金正日体制に虐げられている北朝鮮の人民の皆さん、こういった人たちに向けて北朝鮮の崩壊のために、毎日毎日北朝鮮に向けて放送を行っております。

政府は1億3千万の予算を使って同じような事をやっていますが、我々はその10分の1の予算を持って頑張って拉致被害者が全て帰ってくるまで、我々はこれを続けて行くつもりです。
是非皆さん、ご協力をお願いしたいと思います。
どうもありがとうございました。

2007年11月04日

07.9.17 生島馨子さん 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さん)の訴え』

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御通行中の皆様、こんにちは。
お忙しいところを恐れ入りますが、私の話をちょっと聞いていただきたいと思います。
私の妹は和47年11月1日、この渋谷区内でいなくなりました。
そして現在では拉致の可能性が非常に高いと言われております。
渋谷区で(拉致)なんて考えたことも無いと思いますが、私どもも行方不明になったとき、拉致と思っておりませんでした。
それも33年経って北朝鮮での目撃証言を得られましたが、まだ政府認定は得られておりませんので、特定失踪者として・・・(聞き取れず)頂いております。

妹がいなくなった当時、母は目の手術をして目が見えませんでした。
そして退院の3日前に突然いなくなったのです。
退院して目が見えるようになったとき、妹が行方不明になってとても悲しがりました。
でも逢うまではといって、33年頑張ってくれました。
入退院を繰り返し、何回も死線を彷徨って生き延びたのですが、33年経って目撃証言を得ただけで安心したのか、急に逝ってしまいました。

でも、気持ちとして「は逢うまでは生きなきゃ」と、頑張っておりました。
頭はしっかりしておりましたので「車椅子でも飛行機に乗れるんだから、北朝鮮に連れて行って。車椅子で私が探すから乗せてくれ。車椅子で探すから北朝鮮へ連れて行ってくれ」と言って最後は悲しんでおりました。
「もう遅いもう遅い、時間が無い時間が無い、もう遅い」と言いながら母は亡くなりました。
この過去3年間、・・・(聞き取れず)でも、そのままで経っております。
母が亡くなって2年経ちました。
まだ状況はそのままで、一歩も進んでおりません。
皆様、こういう家族がいるんだという事を是非ご理解いただきたいと思います。

そして妹がいなくなって35年、小泉総理は5人だけでも帰国させたかもしれませんが、甲州街道沿いには大学生さんが何人もいなくなっておりいます。
この方たち、ご両親は東京で活動をするわけに参らないのです。
その分も私は背負って、活動していたいと思います。
是非皆様にも、東京にもこういう事があった、この人たちも取りかえなくてはいけないとご理解・ご支援いただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

2007年11月03日

07.9.17 野口孝行氏 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『野口孝行 北朝鮮難民救援基金・国際担当の挨拶』

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渋谷を御通行中の皆さん、こんにちは。
私は北朝鮮難民救援基金の野口と申します。
今日はですね。
拉致被害者を救おうと言う会に呼ばれたことで、応援をさせていただきます。

拉致被害者と同様にですね。
北朝鮮では多くの人たちの人権が侵害されております。
拉致問題、もちろん解決は必要です。
同時にですね。
同じ時間に人権侵害を受け続けている人たちの事も考えることも大変必要だと思います。

今年になりまして6カ国協議がありまして、ある一部の声がありました。
「日本は拉致問題にしがみついていたら、バスに乗り遅れるんじゃないか?」と、そういうような話がありました。
これは大変おかしな話でありまして、そもそも、そのバスに乗るですね。
6カ国の中で一番重要なお客さんというのは日本なんです。
ですから、日本を置き去りにしてそのバスが出発するはずはありません。
ですから日本の皆様は、そういった言葉に惑わされること無く毅然とした態度で、北朝鮮の人権問題という事に対して大きな声を上げるべきだと思います。

またですね、世界の人々、ある人は「日本は拉致のことしか、自分の事しか考えていないんじゃないか?」と、そういう事を言う人がいるかもしれません。
しかし日本には私たちのような団体があり、実際に北朝鮮の人たちとぴったりと・・・(聞き取れず)しています。
ですからそういう言葉にも怯まずにですね。
日本はもちろん日本政府も含む、また同時に、同じ人間として人権侵害に晒されている人を同時に救っていくんだと言うですね。
しっかりとした立場で国民の皆様の意識を持っていただきたいと思います。

これからもですね。
やはり人権という観点に立って、拉致の被害者を救う運動そして、さらに金正日と言う独裁政権の下で苦しんでいる人たちも同時に助けると言うですね。
そういった普遍的な考えに基づいて皆様のご協力をいただきたいと思います。
どうもありがとうございました。

07.9.17 小川晴久氏 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『小川晴久 北朝鮮帰国者の命と人権を守る会名誉代表の挨拶』

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ただ今ご紹介に預かりました、北朝鮮人権問題に取り組んでいるNGOの一つであります、北朝鮮帰国者の命と人権を守る会の小川でございます。
拉致問題に関しては、私も渋谷に遅れてまいりましたけど、数年前からブルーリボンをつけて職場に通っています。
今日はここで渋谷をご通行中の皆さんに私が訴えたいこと・お願いしたいこと、一つだけ申し上げます。

北朝鮮の人権問題は今こう着状態になっております。
それは去年の10月9日に北朝鮮が核実験を敢行した。
その核実験以来、残念ながらアメリカもですね。
この核問題最優先という事で、北朝鮮・・・(聞き取れず)核問題1本に絞ってきております。
6ヶ国協議で。

そのために安倍首相もですね。
拉致問題で成果を上げられないでいた。
この事態を大きくゆり動かすためには、皆さん。
北朝鮮の山の中にある強制収容所に注目をしてください。
北朝鮮の山の中には非常に大規模な強制収容所があります。
非常に多くの収容者が餓死させられています。
中国政府も韓国政府もロシア政府も、この強制収容所問題を知っていないはずはありません。
ですから核査察だけではなくて、強制収容所査察を是非、世界中の声にしていく必要があります。

北朝鮮の人権問題、たくさんありますが、その根っこで共通しているのは山の中の恐ろしい強制収容所です。
強制収容所を暴く。
その新しい姿勢が新しい状況を生み出す。
是非皆さん、関心を寄せてください。

07.9.17 高沢一基板橋区議 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『高沢一基 板橋区議会議員の挨拶』

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渋谷を御通行中の皆様、こんにちは。
今ご紹介を頂きました、私、板橋の区議会議員でございます高沢一基と申します。
今お話のありました吉田康一郎都議会議員と同じく、地方議員の会がありますが、その中で、私今年初めて区議員になったのでありますが、時間の許す限りこの拉致問題に取り組んでまいりました。
皆様方も、ここで活動されている多くの方も、10年以上前、まだ拉致問題が・・・(聞き取れず)で認められていない。
街頭で演説活動や署名活動をやると「拉致問題なんて無かった」とこのように言われて活動されていた方も多くいると思います。

そして5年前、本日9月17日に小泉総理大臣が訪朝をすることによりまして公になり、そしてテレビや新聞も積極的に報道されるようになりました。
一歩ずつではありますけどもこの拉致問題、進展をしている事は、私間違いが無いと思います。
しかし今の拉致問題と言うのは、ただ拉致された方が可哀想だ、といったワイドショー化されただけで広がっているのが現実だろう。
そうじゃなくてそれはやはり国の基本の問題として、何の罪もない平和に暮らしている国民がこの街から連れ去られてしまい、北朝鮮の国に行き、そして北朝鮮の国につながれ、生活をさせられ、工作員として強制をさせられている。
こういった国家主権の問題があると思っていかなければなりません。

そしてこの拉致問題と言うのは決して興味がある人だけが行う運動であってはいけないと思います。
安倍総理大臣、官房副長官時代以前に、この拉致問題に関心を持って活動をされていたわけでありますけども、安倍総理大臣は拉致問題に興味があるから、安倍総理だけが頼りだ。
そういう状況になってはいけないわけであります。

昨日ですが、この渋谷の街頭におきまして、自民党総裁選の街頭演説があったように聞いております。
この総裁選に立候補した二人でありますが、この二人の候補がどちらが総理になっても拉致問題は進展をさせていけば、そのためにはやはり国民の声と言うもので盛り上げていかなくてはならない。
自民党の総裁、指導者によってこの拉致問題の混沌が生まれるような状況があってはいけない。
私はそのように思います。
そのためには我々国民が一人ひとりが、細かい違いを捨ててこの拉致問題引く事は出来ない。
北朝鮮に拉致されている人々を一人残らず取り戻すんだと、このような声を併せて政府に声を届けていかなくてはなりません。

この拉致問題、大きな問題と捉えて行くために私は心より留まっておりますのは、今から3年か4年前の・・・(聞き取れず)皇后陛下がお誕生日の時に仰った言葉であります。
この拉致問題に触れて皇后陛下は、「この拉致問題、同じ共同体の問題として関心を持てなかった事が」とこのような言葉を仰いました。
・・・(聞き取れず)ではなくて、拉致をされ、可哀想だ。
そして一部の人だけがこのらちの救出運動をするのではなくて、我々日本に住んでいる我々日本人全員が等しくこの問題を自分の問題として、同じ共同体の問題として・・・(聞き取れず)と思います。

今ボランティアの皆さんが一生懸命この暑さの中、このブルーリボン、北朝鮮に国民の声を届けると言うブルーリボン配布をさせて頂いておりますので、どうかご通行中の皆様、お受け取りをいただき、少しでも拉致問題をお考えいただき、周りの方に話をしていただければと思います。

乱雑な言葉で大変恐縮ではございますが、私高沢一基がお訴えをさせていただきたいと思います。
長いお付き合いをありがとうございました。

07.9.17 吉田康一郎都議 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『吉田康一郎 東京都議会議員の挨拶』

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ハチ公口前を御通行中の皆さん、こんにちは。
こちらは東京ブルーリボンの会でございます。
北朝鮮に拉致された人の家族の方と、北朝鮮に拉致された可能性が極めて高い人たちのご家族と、そして今まさにこの瞬間を北朝鮮の大変な人権侵害の中で生きているかも分からない、怯えながら暮らしていらっしゃる日本人を一人も残さずにこの故郷日本に帰ってもらうために、そういう運動をしている地方議員の会と様々な思いの中で、本日9月17日。
5年前に小泉総理が平壌に行って本当に北朝鮮が日本人を拉致していたんだ。
その内の何人かだけが帰って来た。
今日9月17日、この日にこの渋谷駅前をお借りを致しまして街頭演説を申し上げております。

今、皆様は拉致の問題、解決難しいんじゃないかな?とそういうふうに感じ、諦めの気持ちもお持ちの方もたくさんいらっしゃると思います。
しかしこの問題だけは絶対に諦めてはいけません。
今、若い方が皆さん歩いていらっしゃいます。
皆様のもしかしたらお父様かお母様が運悪く拉致されていたら、今、このハチ公前を歩いていらっしゃる若い皆さん。
あなた方はこの日本で生まれていなかったかもしれない。

そしてご高齢の方もいらっしゃいます。
皆様の息子さんやお孫さんが拉致されていたかもしれない。
これは日本人全体の問題です。
皆様、お一人お一人が被害者であったかもしれない。
これからも拉致されないとは限りません。

北朝鮮は今核兵器を持とうとしております。
骨抜きで結局アメリカをはじめ諸外国は、あの謀略な国の核保有を事実上認めることになるかもしれません。
麻薬を売り、他所の国の偽札を売り、様々な暴力行為・不法行為を行い、不法産品を他所の国に送り込み、日本人をはじめ他所の国の国民を拉致する。
こういう暴力団国家が核兵器まで持つ事を、国際社会は何も出来ずに指をくわえて事実上見ている。
それを認めざるを得なくなるような、そして100人以上の拉致被害者をこの日本がこれを諦めるのを、北朝鮮は虎視眈々と狙って待っているのです。

日本人の皆様。
日本人をこんな他所の暴力団国家に、日本人の一人たりとも拉致され命を脅かされて、今も何十年も苦しんでいるこの人たちを絶対に見捨てないんだ、取り返すんだ。
何としても取り返すんだと言う強い国民全体の・・・(聞き取れず)が思っている事を、是非渋谷のハチ公口前を歩いていらっしゃる皆様。
改めて確認してください。

今北朝鮮に拉致された方のご家族をはじめスタッフが、ブルーリボンのバッジあるいはブルーリボンを皆様にお届けをしています。
チラシをお配りしています。
是非お手にとってご覧頂いて、この表向き平和に見える日本が大変な脅威に晒されていて、皆様の事によったら身近な方も拉致されるかもしれない。
拉致されていたかもしれない。
この北朝鮮に対して断固として、日本人を一人も譲り渡さない。
諦めない。
この意思を強く確認をしていただきたい。
改めてお願いを申し上げる街頭行動をさせていただいております。

今自民党の新しい総裁が決まろうとしています。
どなたがどのような立派な事を言ったとしても北朝鮮に拉致された我々の同胞、日本人、この人を取り返すことを日本として一番大事な仕事なんだ。
このように言わないそういう総理総裁であったのなら、皆様の命も権利も自由も守ってくれません。
皆様のお一人お一人の命を守るのと同じように、今まさに北朝鮮に拉致されている、苦しんでいる人を、日本人を必ず取り返す。
こういう強い意思とメッセージを持った人が総理総裁に出てこない限り、これは自民党でも民主党でもどの党でもどんな総理総裁でも偽者だ。
我々日本人は命と権利と自由を守る。
こういう総理総裁が出てくるまで、皆さんどうぞ・・・(聞き取れず)そういう日本の総理総裁を誕生させるように、皆様心に強く念じて要はこの後もご配慮頂きたいと思います。

今お配りをしているブルーリボン、是非皆様お手に取っていただいて、是非身につけてください。
今まさに苦しんでいる人を助けなければいけないんだ、とこのように改めてこの9月17日、小泉さんも訪朝から5年目です。
何も解決していません。
この機に家族の方、そして拉致された可能性が濃厚な方のご家族の方、そして一人たりとも北朝鮮に譲り渡さない。
こういう思いでこの方々を支援している地方議員の会の一員として、お願いをお訴え致します。
東京都議会議員の吉田康一郎でございました。
よろしくお願いいたします。

07.9.17 松浦芳子杉並区議 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『松浦芳子 杉並区議会議員の挨拶』

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皆様こんにちは。
私は杉並区議会議員の松浦芳子でございます。
渋谷駅前をお騒がせしておりますが、皆様にお訴えしたく、ここに立ち上がっております。

私は杉並区民でございますけれども、杉並区からもこの特定失踪者、拉致が濃厚だと言われる方が5人杉並区から出ております。
私はその事を知った時に、何故杉並区から?と思いました。
この渋谷、皆様他人事だと思っているかもしれませんが、この拉致問題は他人事ではありません。
今、人権問題人権問題と人権の問題があちこちでうたわれておりますが、この拉致問題こそ最大の人権問題だと考えております。

日本人は水に流す民族であります。
水に流す事はとても素晴らしいことではありますが、この拉致問題は水に流してはなりません。
解決するまで国民一人一人が自分の事として問題を捉え、・・・(聞き取れず)のために解決していきたいと考えております。

ただ今皆様が、ご参集の皆様がお手元にブルーのリボンをビニールの(袋の)中に3つ入っておりますが、そのリボンをお渡ししております。
是非お友達お二人に、ご自分と3人分入っておりますので、是非つけて歩いていただきたい。

このブルーリボンの意味をご存知でしょうか?
日本と北朝鮮、海と空はつながっている。
空を見ながら・・・(聞き取れず)を動かし、彼らは日本を思い出しているのではないかという事で、このブルーと言う色が使われました。
是非皆様、このブルーリボンをつけて国民運動にして頂きたいと考えております。
是非皆様よろしくお願いします。
本日はお暑い中、お騒がせ致しましてありがとうございます。

2007年11月02日

07.9.17 竹下珠路さん 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)の訴え』

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渋谷駅前で御通行中の皆さん、こんにちは。
皆さんは、皆さん大切なご家族、お父さんお母さん、娘さん息子さん、そしてごきょうだいの方がある日突然いなくなったらどう思われるでしょうか?

私は今から32年前、千葉県の市原市に住んでおりました妹が「今千葉駅にいる」と言う電話を最後に、突然消えてしまってそれ以来32年が今年の7月7日に経ちました、古川了子の姉の竹下と申します。
いろんな思いで32年過ごしてまいりましたが、待っていた母も今年91歳を過ぎました。
そして妹が娘が無事に帰るまで頑張るといって、今も私と一緒に住んで頑張っております。

家族と言うのはいつも側にいなくとも、地球上のどこかにいれば必ず連絡が取れ、困った時・嬉しい時は一緒に話し合い、そして出会えるものでは無いでしょうか?
それが本人の意思とは違うところである日突然に消えてしまい、そして本人の意思とは違うところで北朝鮮の地に拉致されて行ってしまったという事であれば、これほど辛く悲しい事はありません。

妹は今から丁度10年前に北朝鮮から脱北された安明進さんによって「平成2年ごろには北朝鮮の915病院で私は会いました。私が会って話しかけた女性はお姉さんの竹下さん、あなたにとてもよく似ていました」と言って下さいました。
その証言があってもまだ政府は拉致被害者として認定してくださっておりません。
救う会では認定してくださいましたが、今まだ政府としては「拉致被害者は17人」という事を言っておられます。

そしてうちの妹も含めておよそ460人にも上る方々が、証言があったり無かったりではありますが、拉致の可能性を疑われている方々がたくさんいると言うこの現実を、どうぞ渋谷をご通行中の皆様、分かってください。
そして家族は自分の妹と、母親と娘と会える日を待ちながらいつも待っているし、まだ妹は千葉県市原市の住民のままでいます。
こんな理不尽な事があるでしょうか?

政府は拉致被害者も、拉致被害者として認定している・していないに関わらず、もっともっと積極的に北朝鮮にいる安否を確認し、北朝鮮から日本の地へ帰って来られるように、自分の意思で行ったのではないという事を分かって頂いて、家族の元に帰って来られるように政治の力で取り返していただきたい。
その政治の力を発揮していただくには国民の皆さんの「これはおかしいよ、被害者の人は全部、認定している人もしていない人も、一斉に家族の元へ連れて帰ってこなければいけないよ」と、市民の皆さん方の声の後押しが政府の力になると思います。
どうぞ皆様方、ご自分の家族が北朝鮮に連れて行かれたかもしれないと考えていただいて、政府を後押しする。
政府の力になる。
早く家族を取り返す方法を考えなさい、と言って頂けるように是非よろしくお願いします。

曽我ひとみさんを思い出してください。
曽我ひとみさんは今元気にご家族と暮らしております。
曽我ひとみさんは5年前の9月27日、突然に曽我ひとみさんと言う人が北朝鮮に入っていたと言う、入っていたという、曽我ひとみさんがご自分の意思で行ったのでは無いという事は明白であるのに、という事で北朝鮮から出て来られました。
という事は、まだ日本政府も家族も思っていない人たちが何百人も北朝鮮に連れて行かれている可能性が十二分にあるという事です。

どうぞ皆さんの家族がもしそうなったら?と言う思いを考えていただき、この理不尽な拉致と言う問題に皆様が関心を寄せていただき、一刻も早く取り戻すことが出来るように政府に声を上げてください。
私たちにどうぞ力を貸してください。
よろしくお願い致します。
ありがとうございました。

07.9.17 本間勝さん 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『本間勝さんの訴え』

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渋谷を御通行中の皆様、拉致被害者問題に注意を向けてください。
今、駅前をお借りしまして私の妹田口八重子をはじめ、特定失踪者と言われる人の奪還を目指し、一日も早い生還を目指してただ今取り組んでおります。
東京ブルーリボンの会の皆様他、ボランティアの皆様と共に、この拉致問題に真剣に取り組んで国民の皆様にアピールをしております。
これが私も本当にありがたいお力、国民の皆様のお力こそがこの拉致問題を解決させる力になるんです。

今、日本の政情は揺れ動いております。
どんな政権が出ようとも、この拉致問題は日本は・・・(聞き取れず)と言って頂いております。
それは・・・(聞き取れず)ではありません。
どんな政権が出来ようとも、それこそを解決させないと日本は世界から物笑いになるんです。

拉致問題は私ども家族にとっては妹八重子いなくなったのと同じ、また、その家族の中で1歳と3歳の子供を置いていかざるを得なかった八重子の気持ち、それをどうかまた、八重子と耕一郎そのお姉ちゃんとのこの家族の平凡な、共に暮らせるような平凡な生活を取り戻す。
それが私たちの、この拉致被害者問題に取り組む原点なのです。

私たちは、どの拉致被害者の家族も気持ちは同じだと。
耕一郎が1歳半でこの母親八重子と引き裂かれてから、すでにこの6月の29日で29年になります。
八重子は22歳で東京池袋から拉致をされました。
すでにもう52歳になっております。
私どもはこの長い戦いの中で八重子の置いていった、置き去りにされた、やむなく置き去りにされた子供を育て、必死に生活を守ってきました。

拉致問題は今世界的には6者協議等で問題にされていただいておりますが、とかく核問題に見え隠れして、拉致問題は見事に隠れようとしております。
私たちは、核とか拉致とか並行協議とか言っておりますけど、命を取り戻す事が本当に急ぐ問題では無いでしょうか?
核ももちろん大事な安全保障の問題です。
ですが、拉致問題は我々家族を引き裂いた、人の命を引き裂いた、生活を引き裂いた、そういった金正日の卑劣な行為から続いている状態なんです。

早く耕一郎を育ての親から生みの親の元で、共に生活をさせてあげたい。
そして耕一郎は母親と言う気持ちが無い、持てない中で、逆に母親八重子を抱きしめ、
「お母さん、苦労したね」
こういう気持ちで抱きしめると思います。
そのときが一日も早来る事が私どもが願って、この一刻も早く生活の原点に戻れるよう、私どもは拉致被害者問題を取り戻すまで、皆様、引き続き支援してください。

これは拉致問題が、どのような社会情勢になろうと解決させる力になるんです。
お願いいたします。
八重子を耕一郎を元に、一日も早く戻させてください。
そして他の家族も、拉致濃厚と言われる家族の人たちも共に生活の原点に戻れるよう、どうぞ何卒力を貸してください。
よろしくお願いします。

2007年10月30日

07.9.17 飯塚繁雄さん 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『飯塚繁雄さんの訴え』

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渋谷を御通行の皆様、こんにちは。
私は今紹介されたように家族連絡会の副代表を務めています、飯塚繁雄と申します。

この拉致問題につきましては余りにも長い間、我々を苦しめ、当の被害者である北に連れて行かれた方々が、何十年待っても日本に帰れないこの実態。
拉致されてから、皆さん、30年。
で、我々家族会がこの救出運動を始めてからもう10年。
そして小泉総理が2002年に訪朝し、5人の方々が帰って来ました。
それからもう5年。
この長い単位は何ですか?

私たちは一刻も早く被害者を取り戻したいという一心で長年、こういった活動を続けてまいりました。
しかしながら北朝鮮は相変わらずこの拉致問題、これはもう解決済みだというふうな事を強く言っております。
我々は2002年の北朝鮮が拉致を認め謝罪したと言うこの時点、それからさらに、他の8名は亡くなっていると言うこの報告、それを聞いてその事実はどうなのか?という事を聞きましたけど、どれを聞いても客観的な亡くなったという事実・データはまったくありません。
あるのは北朝鮮が出してきた、全て捏造された嘘の証明書です。

これをみて私たちは怒りました。
逆に嘘の証明が出るという事は、みな生きているんだと言う確信にもつながりました。
そういう事を我々はどの被害者の気持ちを思い、絶対に助け出すと言う固い決意で今も活動しておりますけども、それから5年経った今日、丁度9月17日ですね。
丸5年の日です。

我々は昨日東京の永田町でですね。
この丸5年の機会を怒りの大集会と評して昨日行いましたけど、丁度今日本を騒がしているのは、安倍総理が辞任したという事でございます。
我々は安倍総理につきましては、前の官房副長官の時代からですね。
この拉致問題を真剣に取り組んでいただいて、あらゆるところに働きかけ、この問題をクローズアップされてきました。
そうした意味では、私たちは本当に唯一の頼れる安倍総理という事で相当期待をしておりました。
しかしながら、安倍総理の個人的理由もあるでしょう。
相当お疲れになっています。

そういう意味では私たちは、このニュースを聞いたときに相当にがっかりをしましたけども、残念に思いましたけども、これは安倍総理が降りたと言っても、この拉致問題は解決をしたわけではありません。
むしろこれからが大変な局面を迎えております。
私たちは昨日、現官房長官にお会いしまして「安倍さんが降りた後、この問題はどうしてくれるんですか?」と言うような質問をしました。

官房長官曰く、「この拉致問題と言うのは国家の問題である。決しておろそかには出来ない。後には引けない問題である。従ってどなたが総理になろうともこの問題を徹底的にやるんだ」というそういった話を頂きまして、ちょっと安心はしましたけども、やはり我々としては「本当にやってくれるんですか?」と言う疑心暗鬼な気持ちがあります。
従って、23日にその結果が分かると思いますけども、私たちはどの人が総理になってもこの問題を強くさらに訴え続けます。
そして安倍さんが行ったように具体的に活動する、具体的に北に慌てさせるという形、あるいはその体制、そういった物を強く要望していきたいと思います。

先日の日朝協議の結果は皆さんご存知の通り、何も進展していません。
何も内容がありません。
だた、外務省曰く「前よりは少しは良くなった」と、そういう感じだけが報告されました。
これは北朝鮮が今まで言っていた「拉致問題は解決済み」と言う言葉は発しなかったと。
それから「これからもちょくちょく協議は続けていく」という事を確認したという事なんですが、これは全くせっかくの日朝協議、二晩かけて出た結果とも思えません。

この北朝鮮のやり方と言うのは、もうすでに皆様ご存知の通り全てでたらめでありまして、取り付く島もないほど情報がむやみにかき回され消され、日本人を・・・(聞き取れず)されております。
その意味ではこれから私たちもまだ、時間はどれだけかかるか分かりませんけども、この拉致問題、国の大きな問題として皆さんに訴え、皆さんの大きな力によってご支援によってさらに続けたいと思います。
また一つ、皆様の絶大なご支援をよろしくお願いします。
ありがとうございました。

2007年10月29日

07.9.17 古賀俊昭東京都議 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『古賀俊昭 東京都議会議員の挨拶』

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夏の炎天下が戻ってきました。
この暑い夏、私たちは、小泉訪朝以来未解決の拉致問題に引き続き取り組んできたところであります。
今回、国の政変によって安倍内閣から内閣が交替するという事態になりましたけれど、私たちは国家の主権が侵害され、日本人の人権が侵害されたこの事件を一刻も早く解決をするために、次期内閣にも当然この問題の国家的優先順位での取り組みを訴えたいですし、私たちも国民運動をより一層強化をして拉致被害者の全員救出に結び付けて行きたいと思います。

皆さんご存知のように、横田めぐみさんが拉致誘拐された北朝鮮の国家犯罪を私たちは糾弾しなければなりませんけども、この事件が起きてからすでに30年が今年は経過します。
横田めぐみさんは自分が生きた13年の日本での人生よりも長い人生を、あのテロ国家北朝鮮において送っているのです。
我々は何故この事件が一体解決されて来なかったのか?
戦後政治の闇と戦わなければならないと思うのです。

この間、横田めぐみさんの事件の2ヶ月前に三鷹市役所の警備員をやっていた久米(裕)さんと言う方が同じように拉致をされました。
この久米さんの昭和52年9月の拉致事件は警察によって犯人は逮捕されています。
証拠品も押収されています。
しかし、なぜかこの事件は闇に葬られ、公になる事はありませんでした。
もし、この犯人逮捕と北朝鮮による拉致事件を国がはっきりと国民に説明し、そして世界に訴えていたならば、2ヵ月後の横田めぐみさん、あるいは翌年昭和53年に多発する、あの帰国をした5人の拉致被害者の事件は防げた可能性が大変大きいのです。

当時の内閣は福田武夫内閣でありました。
この福田武夫内閣において昭和52年当時、北朝鮮の工作員、拉致犯人を逮捕した警察の情報が、内閣に総理官邸に届かなかった事は無いはずなのです。
その総理官邸には秘書官として、あの福田武夫の息子である福田康夫と言う、いま少し有名になっている人が、秘書官となっていました。
つまり、彼らはこの事件の全貌を知っているのです。
しかし、なぜかこの事件を公にしなかった。
その事が拉致事件の未解決に、今もこの事件を引きずりながらつながっているという事を、我々は知らなければなりません。

今テロ特措法の問題がいろいろ議論されておりますけども、日本はとっくの昔にテロに屈しています。
あの昭和52年の久米さんの、三鷹市役所の警備員です。
昭和52年の9月に拉致誘拐され、犯人が逮捕されたと言いました。
その10日後に、日本航空機、バングラディッシュのダッカに着陸をしたあの東京行きの日航機が、赤軍派に乗っ取られるハイジャック事件が起きました。
このときももちろん福田内閣です。

このとき日本は何をしたか?
刑務所に入っていた連合赤軍のテロリストたちを釈放し、そして16億円の身代金を我々の税金から払ったのです。
日本はとっくの昔にテロと闘わない国家になってしまいました。
つまりその事が拉致事件を真に国家主権の侵害、さらに言えば戦争を覚悟しなければ解決できない問題として捉えることが出来なかったのです。

私たち国民は、私たち議員連盟は、土屋たかゆき都議会議員を中心に、平成9年からこの運動に取り組んでまいりました。
10年の歴史を刻みました。
当時はいろいろ朝鮮総連の妨害もありました。
また私たちはそれとも戦ってきました。

皆さん、我々は小泉訪朝によって拉致事件の解決の糸口を遂げたと思っているかもしれませんけども、私は最初から期待していませんでした。
あの小泉訪朝はブッシュ大統領が北朝鮮を悪の枢軸と位置づけて、場合によって武力攻撃も躊躇しないというメッセージを年頭教書で訴えたから、北朝鮮の金正日が震え上がってこの誘拐事件、あるいは拉致事件に関して、被害者の一部を返したに過ぎないのです。
そのときの総理大臣が、たまたま小泉純一郎と言う人だったという事なのです。
本当にわたしたちは戦後政治の闇と戦う姿勢を引き続き崩してはいけません。

小泉訪朝のあと、私たち議員連盟はこの、今皆さんがつけておられるブルーリボン運動を始めました。
三角の切り込みは一日も早い解決を願っています。
青い海と青い空によって隔てられているけれど、私たちはこの通り輝く国ですという気持ちを込めて、このブルーリボン運動を始めました。
当時つけてくれる人はほとんどいなかったのです。
政治家も官僚もほとんどつけてくれませんでした。

しかし、我々の運動も皆さんのご協力によって盛り上がったことによって、拉致問題解決のための一つの象徴として、このブルーリボン運動が広がったのです。
時間ですと言う表示が今出されました。
もっともっと申し上げたい事があるんですけど、皆さん、拉致問題は戦争なんです。
国家主権を侵害すれば戦争を覚悟しているはずです、北朝鮮は。
それと戦う勇気が無い政治ではこの問題、解決出来ません。
その事を皆さんに強くお訴えをして、私からの訴えを終わりに致します。
ありがとうございました。
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