2007年04月26日

07.3.31 パネルディスカッション2 第16回藤沢集会(9)藤沢産業センターにて

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その2』

★司会 川添友幸救う会神奈川代表

ありがとうございました。
次、荒木先生にお伺いしたい点が2点ございます。
風船の話がございましたね?
風船を飛ばすという、この風船の問題は私たち神奈川の会でも全面協力していきたいと思っていますが、風船の効果と言うものを教えていただければと言うのと。
今日冒頭にもちょっとお話をしたんですが、平壌のよど号グループから私ら名指しをされてしまったという経緯があるんですが、福留貴美子さんや拉致被害者が一旦日本に戻って来たという経緯があるという事を考えますと、週刊現代の件と言うのもちょっともう一回考えてみる必要があるんでは無いか?と私考えるんですが、さっきの話以上にこういう事があるというのがあれば、お教えいただければと思いまして、その2点お願いいたします。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

まず、風船の方ですがこれはですね。
今回我々が作っているビラの内容と言うのは片面はですね。
日本人の拉致被害者向けということで、それでもタイトルは日本語で書いてあって中身は朝鮮語で書いてあるんですが、ともかく今救出のために努力をしていますと。
情報を是非日本になんとか送ってくださいとこちらの連絡先ですね。
電話からFAXからe-mailから私書箱からみんな一応書いてございます。
それが片面でとにかく助ける努力をしていますという事を伝えたい。
それから短波放送を流していますので是非聴いてくださいということですね、これが書いてあります。

もう片方は北朝鮮の幹部並びに人民の皆さんへと言う内容になっていまして、これはともかく今金正日にくっついていても駄目だと。
是非その時に審判を受ける立場ようなにならないようにしてくださいねという事でですね。
情報をこれも出してもらいたい。
今回一つのポイントになっていますのは、情報を出してくれれば1000ドルから内容によっては1万ドル以上の謝礼をお払いしますという事を書いてございます。
金額まで書いてあるのはおそらく今回が初めてだろうと思います。

イ・ミンボクさんとですね。
原稿のやり取りなんかをいろいろして、それを彼が直してくれたりしたんですが、最初彼から返って来たのは10万ドルと書いてありましてね。
間違いだろうと思って1万ドルと書き直したら、いや10万ドルだともう一回書き直して来まして、「いや10万ドルも無い」って言ったら、「それは来た情報にそんな価値は無かったと言えば良いんだ」と(笑い声)、いかにもコリアンらしい発想ではあるんですが、日本人としてはそれは中々言えないのとですね。
さすがにいくらなんでも10万ドル出すとですね。
特定失踪者問題調査会は全く無くなってしまいますので、それは出来ないという事でそれでも一応1万ドルという事で書いた。
出すあてがあるのか?と言ったら正直ありませんが、あったらかき集めてくるしか方法がございません。

ただ、イ・ミンボクさんの話によれば1000ドル出すって書けばですね。
それだけで北朝鮮の一般の人間は命かけるという事ですので、ともかくですね。
こんなところでケチついてもしょうがないのでやるだけやってみるかという思いでございます。
それで情報が何か出てくれば、そこから次に動かすことが出来るだろうということでありまして、ご案内のとおり我々6者協議の合意に反してですね。
政府からの支援を5〜600万蹴っ飛ばしてしまったものでですね。
本当に昔からいつ潰れてもおかしくないと北朝鮮みたいな事を言われておりますけども(笑い声)、このまましばらく自転車操業が続きます。

しかし考えてみれば、調査会が出来た時からいつ潰れてもおかしくないと言われながら今まで残ってきたのは、そこの北朝鮮と同じようなものでですね。
それでもやれば周りの国が北朝鮮と同じに大事にしてくれると。
やがて調査会が暴発したら怖いから6者協議でもやろうというふうに言ってきてですね。
エネルギー支援でもしてくれるんじゃないかという期待をしております。

風船とラジオとを両方相乗効果を持たせたい。
ラジオの方では風船でビラを飛ばしていますよと、ビラの方では放送をやっていますよという事をやってですね。
とにかく助けようとしているんだと、そしてそれは日本人の拉致被害者だけではなくて、帰国者も一般の北朝鮮の人たちも含めてですね。
助けようとしているんだという事を、特に日本がやろうとしているんだという事をやっていく。

韓国なんかは非常にプロパガンダが効いてしまってですね。
反日的な事を言う人が非常に多いと。
実際はそうでもないんですよ?
実際はそうでもないんですけども、表に出ている報道とかですね。
そういうものは反日的なものが多いですけども、北朝鮮は逆にそうじゃなくてですね。
北朝鮮から脱北した多くの人が言うのは「何で南の連中はこんなに日本の事を悪く言うんだろう?」と。
北の人の方が反日感情というのは弱いです。
と言うか逆に日本に対する非常な憧れがあります。
だから我々が今やっておく事にですね。
これはある意味朝鮮半島との関係を後で変える起爆剤にもなるであろうと言うふうには思っております。

でまぁ、すでに14回北から抗議が来たということでですね。
言っていますのでそれだけ効果がある。
韓国の政府関係者の人にこの間会ったときにですね。
「今度やるから韓国政府の方で邪魔しないでくださいね」と一言言っておいたらですね。
「今なにも韓国の民間団体が政府のいう事を聞くわけが無いじゃないですか」と言うふうに言っておりました。

去年の8月にそのイ・ミンボクさんと一緒にちょっと実地みたいにやらして貰ってですね。
飛ばした風船の一つが上でビラがはじけてしまいまして、それが二日後くらいにソウルの首相官邸にビラが一枚落っこちたと(笑い声)、ということがございまして、三浦小太郎さんが言えばですね。
ここも北朝鮮みたいなものだから効果があったんじゃないか?と。(笑い声)
さっき言った韓国政府の高官の人もですね。
その事を言ったら「あぁ、それは一番効果がありましたね」と(笑い声)、そういう状態ですから効果はあるらしいと。(笑い声)

それからよど号の話で福留さんの事がございましたけども、福留さんとはお母さんと私も2度ほどお会いしました。
今日お見えの高沢皓司さんと一緒にやっておりまして、非常に特殊なケースではあるんですけども、やはりですね。
これから先いろんな事が分かってくるであろうと。

この間ちょっと発表したものの中に出したんですが、今まで特定失踪者の1000番代リストという可能性の高い人という事で入れていたお子さん二人ですね。
高さん姉弟、お姉さんと弟さんですが、このお母さんについても我々は0番台リストにこの間上げました。
上げたのはですね。
全く絶対に亡くなったという確信があるわけじゃないです。
大変残念ですけど、拉致でなかったとすれば亡くなっているという可能性があるんですけど、拉致だったという可能性が全く排除できないという事で、特定失踪者のリストに上げることに致しました。

この渡辺秀子さんと言う方のご主人が高大基と言う工作員で、それがいた東京都内のですね。
ユニバース・トレイディングと言う会社ですが、この会社のあったビルの受付のところに福留貴美子さんが仕事をしていた。
と言う事実関係がございまして、非常にですね。
これも単なる偶然なんだろうか?と言うふうに思わせるところがございます。

やはり我々絶対に考えておかなければいけない事は、拉致被害者と言うのはいったいどうして連れて行かれたのか?
基本的にはですね。
北朝鮮に連れて行ってしまえばいいと、工作機関の方では連れて行けば点数が上がったという事で非常に単純なことでやっていると思うんですが、私はその中に目的を持って連れて行っている人間がいると。
目的を持って連れて行っている人間の中にはですね。
当然日本国内に戻してそして仕事をさせている人間がいるはずです。
今だって日本の国内に戻ってきている人がいる可能性はあるわけでございます。

我々の失踪者のリストでは無いんですけど、群馬県の人でですね。
ある時に同僚との海水浴ですね。
新潟の海岸に行って突然パンツ一丁で消えてしまってですね。
そして数年してから沖縄に突然現れた。
その間の事は全く覚えていないという人物がおります。
持っていったのは免許証だけだったらしいという事でございます。

その人は非常に不思議なんですが、公務員だったんですけども公務員であればこうやって突然消えてしまったら当然懲戒免職という事になるんですけど、記憶喪失という事で戻ってきてからですね。
またほぼ元の職場に復帰をしたりしているという事でですね。
非常に周辺が不思議に思っていることでございまして、おそらくこういうケースは他にもあるんだろうと思います。

拉致と言うのは海岸を歩いていてそこに来た突然海から上がってきた工作員に捕まるなんて事は、無いとはいえませんけども本当にごく一部だったと思います。
横田めぐみさんの事件だって海岸からいなくなった、警察犬が止まったところから海岸まで数百メートルの距離があるわけで、上がってきた工作員だけであんな事が出来るわけがありません。
だから相当の数の人がですね。
北朝鮮の工作員なりあるいは協力者であれ、日本の国内に今でも存在している事は間違いないです。
相当多くの人が、これは日本人も含めてですね。
北朝鮮の下請けみたいにしたやくざもいると思うんですが、そういう連中で拉致の事を知っている人は相当いるはずです。

福留貴美子さんの事件と言うのはやはりですね。
福留さんだけがああやって戻って来たというふうに思っては絶対にいけないことだと思った方がいいです。
あれはそういう事がおそらく複数と言うか相当あったわけですね。
ですからそういう目で眺めてみるとまた別の見方が出てくると。
川添さんがさっき言ったようによど号グループからですね。
この間のことについて要はけしからんと言うかでっち上げだみたいな事をですね。
声明がこの間出たわけですが、これは北朝鮮側の反応からですね。
こういうのが出た時と言うのは、それはですね、要は本当だという事です。
どうでもいいことであれば向こうも反論する必要も無いわけで、わざわざそういうふうに言ってくるというのはですね。
かなり良い線をいっていたからだと思っていた方がいいだろうと思います。
おそらくこの中にもよど号の関係者一人くらいいると思いますので、帰ったらよく伝えてください。(笑い声)

皆さんそういうふうに言ってくれれば言ってくれるほどですね。
大体向こうの状況が分かる。
先ほど加藤さん、指名手配になっているという話をされましたが、これも加藤さんがいかに北朝鮮からですね。
困る存在であるかという事の証しでありまして、残念ながら私なんか指名手配のしの字もしてくれません。(笑い声)
如何にこれは格の違いを示していると思うんですけども、やはり向こう側が反応するという事はそれだけですね。
効果が上がっていると、撃った弾が当たっているとの証拠でございます。
福留さんのこともこれからもっと掘り下げて突っ込んでいくことによってですね。
さらにいろんな事が分かってくると思います。

先ほどいいました蓮池さんのケースについては、これもそういう線で捕らえた方が良いだろうと思います。
今年の1月にNHKで、NHKさっきカメラも来ていた様で記者さんも来ていた様で余り言うと悪いんですけども、NHKも一生懸命やってくれているんですが、今年の1月にスクープのようにして出たニュースでですね。
蓮池さんに対して向こうで指導員が、実は女の方を連れて来ようと思ったんだけどあなたも一緒にいたので連れて来たんだというニュースを流していました。

真っ赤な嘘です、こんなもの。
誰が嘘をついたかって、私は警察だと思っています。
この中にもまたおそらく警察の人いると思うんですが(笑い声)、そんなはずは絶対にありません。
大体ですね、やろうと思ったらですね。
もう一人いたから連れてきたなんてありえないです、そんなこと。
だって要員とか装備とか二人分用意しなければならないので、70年代にあれだけのアベックの拉致とか続いているというのは一体何を意味するのか?

その時はそういうふうにして連れて来いと、もちろん一人で連れてきためぐみさんみたいなケースもありますけども、たくさんですね。
ともかく二人で連れてくればお互い安心してですね、定着するだろうというですね。
極めて単純な発送の下にやったという事でございまして、しかもあの二人のどちらを連れてくるかと言ったらですね。
やはり蓮池薫を連れて行ったと、だからこそ今でも彼があの5人のコントロールタワーの役割を今でもしているという事だろうと言うふうに思います。

じゃあ何でそんな発表があったのか?
おそらくはですね、その週刊現代に出た話を打ち消すためのリークだろうと私は確信をしております。
つまりこれはですね、要は日本政府の中でもですね。
そういうものを隠そうとする動きがいまだに動いているという事であってですね。
やがて全部明らかになると思うんですけども、その事はやはりちゃんとしてもらわなければいけないと思っています。
それが明らかになれば日本国内の問題が出てくるわけであって、だからこそ私さっき言いましたように、情報を出してくださいと。

どうせテレビの広報とかCMとか、あるいはパンフレットやるんだったらですね。
一言ここに情報を送ってくださいという事をですね。
書いてその情報を対策本部で収集してですね。
分析して次の対策に使って貰いたいというふうに思っているという事でございます。
以上です。

★川添友幸氏

ありがとうございました。
最後は横田さんにお伺いが一点と後は皆さんにメッセージをお願いしたいと思います。
今度5月19日・20日なんですが、チラシの方に入っているんですが、あさがおの会からパネルを借りましてですね。
藤沢で写真展をやろうかと思っています。
それとプラスアルファ特定失踪者問題調査会からもパネルを貸していただくという事で、神奈川県内の関係の方のパネルを借りましてですね。
さらに今日来られています、萩原さんの守る会のほうで北朝鮮の強制収容所のおどろおどろしい絵がありまして、それも3セットのパネル展をやろうかと思っています。
あさがおの会の写真展の写真の説明みたいなことと、横田さんのご両親が今後講演が難しいと思いますので、会場の方にメッセージなどございましたら是非お話をしていただきたいと思うのでよろしくお願いします。

★横田拓也さん

二つあると思うんですが、あさがおの会と言うのは、私の両親が住んでいるマンションの方々の有志の組織で、いろんな写真展を含めていろんな活動の支援をしてくださっている方々です。
私の両親の部屋のお隣に住んでいる方が中心になってやっている方で、マンション・地域一体となって、もしくはこの川崎市という地域一体となってですね。
拉致問題に対して直面してくださって、この問題をこの問題を本当に力強く対応くださっていると言った内容です。

これまでも、あさがおの会の方の力でですね。
写真展ですとかいろいろなお力添えを頂いて、私が去年の4月にアメリカに行きまして母とホワイトハウスの中で面会をする機会を頂いた事があったですが、その場でも持っていった写真の協力がですね。
そういったものにも入っているという内容で、とかくどこかで集会・講演会という活動の中でですね。
そうした一般的には見えないような大きな力によってですね。
私たちは支えられているといった内容です。

そしてこの写真展、今5月中旬と伺ったんですが、予想以上にこれは効果が大きいと思います。
写真展ですとか、先ほどのいろいろな中身は小さいかもしれません。
こういったチラシですとか、DVDとか、もしくは過去にも出たような漫画とか、そういったものは幅広い方・幅広い地域・幅広い年齢の方に、漫画なら若い方に読んでみたいとかですね。
こういったものはインターネットにお詳しい方なら読んでくださったりですね。
そうした一つ一つのツールと言うものは、この問題を深く掘り下げていく有効な手段だと思っています。

これは藤沢でやっていただくのは本当にありがたい話ですし、そこから情報を発信していただきたいんですが、こういったやはり写真展であれ漫画であれDVDであれ、この前公開されました映画であれですね。
一人で見に行ってそこで観客で(満足)していただきたくないという事なんですね。
やはりこういうものがあったという事を一人でも二人でも多くの方々に伝えていただいてですね。
この問題の深刻さ、そして現在もまだ解決がされていないんだという事をですね。
わたしたちがしっかり認識をしていくこと。
そしてそれを政府に求めていくこと。
このつながりが出来ていけばとてもベストなんじゃないかなと思います。

あと二つ目のご質問でメッセージと言うか、両親の状況なんですが、先ほども少しお話をしたようにですね。
相当疲れています。
一緒にいれば歩くときもですね。
歳が歳ですから仕方が無い部分もあるんですが、やはり今まで一緒に軽快に歩いていたスピードではなくてですね。
少し足を、引きずってはいませんが、ゆっくりになって来ていたり。
もしくは家に、私も忙しくて行く時がありませんが、行っても寝ている時もあれば起きている時でもあまり元気じゃないな、と言うのが正直分かるし、一緒に政府に面会に行く時に会う事があるんですが、その時でも話をしても本当に疲れているなぁという感じはあります。

もちろん父は検査を今でも継続的に受けますから、数値、あらゆるものを項目で検査をやるんですが、その一つが完治していないことによってですね。
自分自身も精神的にストレスがあると思うので、本当にこれは休ませてあげたい。
一刻も早くめぐみを日本に、そして自分の家庭の中に取り戻してゆっくりとした楽しい生活をさせた上げたいなというのは考えています。
これは本当に出口は見えていると思います。
ただ、その距離は何メーターか何百メーターか何キロか分からないので、その距離を縮められるのは私たちの民意の力だと思っていますし。

とはいっても、父と母にこれ以上体を犠牲にしてまでですね。
我が子の為とはいってもですね。
ここまで高い水準で国民の皆さん、日本政府が自立的な機動でですね。
対北朝鮮に対する運動が高まっていますから、ここでやっぱり自分の体を崩して、帰ってくるときに自分が床に伏していたとかですね。
他界していたという事では全くこの10年間、もしくは30年間耐え抜いてきた意味というのは残念ながら無くなってしまうので、やはり私もこういった場でよく申し上げるんですが、皆様方にこれまで支えていただいたお礼を唯一出来るのは、、めぐみを取り戻して皆様方に家族全員でですね。
「これで皆様方の力で帰ってくる事が出来ました」とお礼を申し上げること。

これが皆様方に対する真の御礼だと考えていますので、その意味でも両親には、出なくてはいけないところは有るにしてもですね。
あまり無理せず元気良く明るく、そして最後のゴールを目指してですね。
行っていただければというふうに思います。
今日両親からメッセージを預かってきているわけではありませんが、いつも当たり前の話ですが皆様方にですね。
「本当に心からありがとうございます」という事は言ってくれていると思うので、その気持ちを改めて私の口から伝えて終わりにしたいと思います。
ありがとうございます。

・・・集会終了・・・

・・・・・・・・・・
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2007年04月25日

07.3.31 パネルディスカッション1 第16回藤沢集会(8)藤沢産業センターにて

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その1』

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★司会 川添友幸救う会神奈川代表

これからちょっとですね。
パネルディスカッションと言う形で私の方から短い質問を講演者の4人の方に出しますので、それに講演者の方でお答えしていただくような感じをちょっと考えております。

まず恵谷先生、今日はありがとうございました。
ちょっと先生に2点程お聞きしたい事があるんですが、本当はですね。
今拉致被害者の国というのはかなり世界的に広がっているという話がありまして、日本人とか韓国・レバノン、今回ルーマニアが出てきましたが、それを含めたその他の拉致の外国、ヨルダンとかフランスとかいろいろ名前が出ていますが、それに関しての何か情報のような事があれば教えていただきたいと思います。

後日本のですね。
ミサイルとか核が日本から技術流出したんじゃないかいう話が、それを聞いた事があるんですが、日本の技術を使う理由というあたりの話でご存知の事があればお教えいただきたいと思うので、よろしくお願いします。

★恵谷治氏(ジャーナリスト)

まず拉致被害者についてですが、現在確認されているのは12ヶ国で、その基本はですね。
北朝鮮に拉致された韓国の女優の崔銀姫さんからの情報、そしてもう一つは曽我さんのご主人のジェンキンスさん。
どちらも本を書かれておりますが、ジェンキンスさんの場合本に書かれている以上の情報をお持ちで、とにかくその情報自体をすべて確認できる。
つまり彼の証言は非常に具体的で信憑性があるという事で、ここで言って良いのか悪いのか、明日のフジテレビでも新しいジェンキンス情報がスクープで放送される。
夜の報道番組ですが、それにも私ちょっと話をしたんですが、具体的にこれまで知られている以上に被害者の情報が出ています。
その中には脱走兵だった4人の米兵の奥さんになる人。
タイの方、マカオ、レバノンそれからルーマニアで非常に詳しい情報が出ています。

そこで彼の証言によるとですね。
これまでに無かったのはですね。
彼は拉致被害者の国籍を言っているんですが、マカオはこれまでも当然知られています。
しかし当時はマカオと中国は別、マカオはご存知の通りポルトガル領ですが、それに彼はマカオに加えて新たに中国という言い方をしています。
それにですね、新しい情報としては台湾からも、それからモンゴルという事を言っています。
これは初めて紹介されることですが、それを加えるともっと国籍があると思うんですが、今後ですね。
そういった情報、もっと具体的に広がっていくんでは無いかと思いますし、救う会では先月ですか。
すでにルーマニアに行って弟さんが名乗りを上げていますし、上手く行けば22日の国民大集会に参加される可能性も考えられると。

ですからこれまでは、日本人は二言目には拉致拉致と言うと。
韓国もご存知のように戦争中に8万3千人戦後486人と言う数字があるにも拘らず、ああいう政権ですから・・・(聞き取れず)っていますが、でも地道に活動されている方がいるし、とにかく国際連帯で金正日を追い詰めていく必要があると、このように思っています。

それとミサイル・核技術、これはですね。
日本の技術が行っているとか行っていないとかじゃなくて、これは日本が無ければ開発なんか出来ないんです。
極端に言えばすべて日本からですね、行ったもの。
まず、核開発だけで言えばですね。
最初にイ・スンリという化学の権威で京大出身の、日本で勉強されて韓国に渡った後に朝鮮戦争で拉致されて北に行った。
北は自ら進んで来たと宣伝していますが、イ・スンリさんの場合は韓国経由ですが、直接日本から北送船で帰られた、たくさんいてですね。
その中でですね、核物理学をやったとかいろんな方がいます。

この核開発の原点は1953年に北朝鮮とロシアが会って、当時はソ連ですが、原子力技術開発協定を結んで以後北朝鮮から年間4〜5人の学者、あるいは技術者・研究者と言うのが・・・(聞き取れず)なんていう、モスクワの120キロくらい北側にあるんですが、私もそこでいろいろ取材をしましたがそこに派遣されて情報収集をやりながらやる。
言葉で言う留学して帰国すると。

一方で日本から帰った学者・研究者はですね。
この留学組と帰国組とで当初、1950年代後半から70年代に関して、核開発についての論議の中で留学組と帰国組とのイニシアチブ争い、または方法論の問題の対立があってですね。
結局日本から帰った帰国組、日本の東大を出たり東北大を出たりした優秀な研究者がですね。
「こんな調子ではとても開発は進まない」という事で金日成に直訴しようとしたところ、その事が計画が発覚して核開発研究グループの日本からの帰国組は全員収容所に入れられた、という事がありました。
それは1960年代。

それが1980年代に入って金正日が核開発の責任者になります。
70年代の後半から80年代なんですが、頭にですね。
金正日は経過を聞いて親父は頑固だったからそういう事でとにかくすべての収容所から連れ出してと指示を出した結果、半数は収容所で亡くなっていた。
それから半数は出て来たんですが、もう研究もこういう核物理学、原子力工学というのはどんどん進んで日進月歩ですから、その知識もですね。
収容所に十何年もいれば知識も使い物にならない。

しかし、日本とのパイプはあるわけですよね。
それが先ほど私が言った科協という、それでその科協を通じて部品・必要なデータ、あらゆる事を通じる。
そのいわば仲介役と言うかそういうふうになっています。
ミサイルの製造の脱北者にも会った事があるんですが、とにかく必要な部品は昔はですね。
品番を書いてFAXで東京に送ったら、もう翌週には万景峰号で取りに行けばみんな手に入る。
そういうくらいにみんなソフトウエアのみならず、ハードウエアも日本製が使われている。
もちろん当然ロシアの技術で彼らが作った物ももちろんあります。
しかし日常的に必要な物はすべて日本から行っている。
これだけは間違いありません。

万景峰号に乗せるというかですね。
定期的に移動している船と言うのは、彼らはそういう使い方をしていた。
ここで言って良いかどうか、この間、昨年のテポドン2号で打ち上がった時にその直後に、同じ日に万景峰号が入って来たんですが、そこにも核技術・ミサイル技術者が乗っていました。
それは帰国者ですね。

もう一つ裏情報を言うとですね。
2005年9月から科協に何度も家宅捜査をしています。
もうその関係者や部品番号、工場もすべてリストアップされています。
公安当局はすべてその人間をマンツーマンで監視しておりまして、部品を注文する会社に対してももういろんな話し合いをして、どこまで言って良いか。
そういう事が行われておりましてですね。
それもあってミサイルも失敗し、核の失敗はちょっとそれとは違うんですが、逆に言うと日本に依存しているが故にですね。
日本が監視を強めれば、もうテポドンは飛びません、飛べません、飛ばすことが彼らは出来ません。
その必要部品がもう手に入らない状況になっています。

核に関して言うとそこまでは言い切れないんですが、彼らの技術ではもう一度よくですね。
直後に第2の実験があるのでは無いか?と騒がれましたがそんな余裕は無い。
まだまだ技術開発不足で次にやってもおそらく失敗すると私は思っています。
以上です。

★司会 川添友幸氏

ありがとうございました。
次なんですが、加藤さん、ちょっと何点かお伺いしたいんですが、ご存知の方も会場におられると思うんですが、昨年の2月のですね。
日朝実務者協議の中で、私その現場にいられた方に直接話を聞いたんですが、北朝鮮に対して拉致被害者の実行犯を何人か日本政府が出していますよね?
その事を日本政府がいいましたら、北朝鮮側は我々にも言うべき事がある。
北朝鮮人を誘拐した誘拐犯が日本にいるじゃないかという事を、これも変な話なんですが言いまして、いつもうちの集会に来ていただいている野口さんとかですね。
全回講演した山田文明さんとか、今回講師として来ていただいた加藤さん。
RENKの李英和さんを名指しして引き渡し要求をしたと。
その辺の引き渡し要求をされた時の経緯などを是非お教えしていただきたいというのをぜひお願いしたいのと、もう一点。

今フランスの大統領選挙を何気なくインターネットなどを見ておりましたら、中国に対しての政策がフランスの中で問題になっていまして、人権状況が酷いという事でオリンピックに対してフランスは参加しないみたいなのが、大統領選挙の争点の一つになっていて面白いなとちょっと思ったんですが。
フランスとは別に北京オリンピックに対してのですね。
我々も何か一部反対運動をやったらどうかとかいう意見があるんですが、その辺を含めてですね。
2点、ちょっと教えていただければと、お願いいたします。

★加藤博 北朝鮮難民救援基金事務局長

それはですね、昨年の2月に日朝交渉が行われましたときにですね。
日本政府側が辛光洙他何名かの国際指名手配をして、身柄の請求をして国際指名手配にしました。
その対抗措置としてですね。
北朝鮮側は私他数名を、「あなたたちがそういう事をするなら我々も要求したい人物がいる」と言って具体的に名前を挙げたわけですね。

これはですね。
政治取引ですから当然そういう事はあるんですが、彼らが要求している「私が北朝鮮公民を拉致した」というような実態は無いんですね。
北朝鮮の人たちが逃げてくるのは自分たちが食えなくて、あの国が嫌で自分の意思で逃げてくるんですね。
我々が拉致してくるのではなくて、実態を全く捻じ曲げてですね。
政治目的のために利用しようとする、その結果だと思うんですね。

いつも北朝鮮はそういうやり方をするんですけども、そうでなくてもですね。
北朝鮮は要するに北朝鮮難民を助けるという事について非常に不愉快と思っているわけですね。
もっと言えば、そういう事がどんどん進んでいけば北朝鮮の労働人口が減る。
北朝鮮の機密情報が漏れる。
北朝鮮の政権の崩壊につながる、とそういう危機感を持っているせいかもしれないですね。

皆さんもご存知のようにそういう形で逃げてきて、今ソウルに滞在している中では黄長ヨプという昔労働党の書記をやっていた人もいますし、それから朝鮮人民軍の後方支援をやっている作戦副司令官も逃げてきていますし、かなり高位高官の人たちも逃げているわけですね。
そういうのが非常にたまらなく嫌だろうと思うんですね。
ですから私たちの事を、たまたま日本政府が拉致犯の身柄を引き渡せという要求したときにですね。
「あなたたちもそういう事をやっているではないか」と、そういう証拠として挙げたんだと思います。
しかし、その証拠は非常に薄弱なもので比べようもありません。
日本政府はそんな事は全く問題にもならないと一蹴した話ですね。

ところがですね。
今年ハノイで行なわれた日朝交渉の中でも再び同じ問題を持ち出したというふうに言われています。
私自身はですね。
そういう事はあるだろうなと思うんですが、外務省の方から注意を受けましてですね。
身辺には注意してくださいと、然るべく警察の保護を頼んでくださいというふうに言われてますから、それは当然しています。
それをしたからと言って安全という事も無いんでね。
それはそれとして十分自分で注意しなければならないんですが、北朝鮮と言う国はどういう国なのか?という事を知る一番いい教材だというふうに思います。

私は昨年の日朝交渉で問題にされる以前にですね。
北朝鮮の国家保衛部から派遣された7名のチームによってですね。
私は追われたことがあります。
それは北朝鮮を逃げて中国に滞在している人をですね。
第三国に送るために一部の区間を手伝ったわけですけども、その時は私に対して北朝鮮の国家保衛部は懸賞金をかけました。
懸賞金は35万元、大体今のお金でしたら500万くらいちょっといきますかね。
とベンツ一台をかけました。
加藤博の生死に関わらず、その身柄を北朝鮮に持って来た者に対してはそれだけの報奨金を出すと。
あんた気をつけろ、と言うふうに言われたことがあります。

こういう事はオープンにはなっていませんけどもね。
こういう事は平気でやるんですね。
ですから外交交渉の場で私の名前が出たからと言って驚くべきことでもないし、そんな事は彼らにとっては朝飯前。
なんでもない事です。

他人の国から人を引っ張っていってね。
勝手にその人間の運命を滅茶苦茶にするような国なんです。
人の命なんて関係ない。
自分たちの目的のためにはなんでもする。
そういう国だという事についてよく理解をして欲しい。
私はその事についてですね。
皆さんには繰り返し言いたいですね。

そういう国から逃げてくる人なんですね。
ですから200万人もの人間が飢え死にしたって気にしない国なんです。
気にしない指導者なんです。
だからそういう虐殺から逃れてきた人たちにですね。
私たちが手を差し伸べて助けるという事は当然のことなんです。

ですからこれは今の北朝鮮に対して絶対に甘い見方をしてはいけない。
今の北朝鮮の国家指導者に対して甘い見方をしてはいけない。
厳しくやっぱり対応しなければいけない。
人間の命と言うものはどう言う物なのかね。
そういうものをもっと知らしめるべきだろうと思います。

問題はそこに限らずですね。
中国はそういうふうにして逃げてきた人たちを捕まえて送り返すんですね。
送り返された中には日本から1960年代に渡っていった日本人配偶者が捕まってですね。
送り返された例もあるんです。
そういうような人たちがどういう運命を辿るか?というのはですね。
私がここで繰り返して言うまでもなくですね。
彼らがそういう意図があって外国に逃げたという事が、本当に極刑なんですね。
それで処刑された人もいますし、ですからそういう事を、送り返されたら生命の危険があるという事を分かっていながら中国政府は彼らを送り返す。
このような中国政府の立場も決して許してはいけない。

そういう国がですね。
オリンピックをやる資格があるのか?という事なんですよ。
私たちは繰り返しそういう事を言っていますけども、ですからフランス政府の選挙キャンペーンの争点のひとつとしてオリンピック問題が持ち上がるという事はこれは健全な人権感覚だと思いますね。
ですから私たちはこの拉致問題を上手く解決するためにも、この北京オリンピック開催をどのように私たちの取引材料として使うかどうか。
これは良く考えていい問題だと思います。
これを考えない手は無いし、使わない手は無い。
そのように私は思います。

中国は国際的な常識がやや外れている。
中国の常識は日本の非常識ですから。
ですから私たちはそういう点では中国に対してもきっちりと、そしてそのオリンピックのマターは私たちが問題を解決するに当たって非常に有効なマターであるという認識は私は持っていますし、それをどのように使うか?という事はですね。 
そういう意思のある団体同士でですね。
上手く調整したいというふうに考えます。(拍手)

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・
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2007年04月21日

07.3.31 荒木和博氏 第16回藤沢集会(7)藤沢産業センターにて

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演』

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今日は皆さんお忙しいところを大変こんなにたくさんお集まりいただいてご苦労様でございます。
ただ今ご紹介を頂きました、特定失踪者問題調査会の荒木でございます。
大変に遅れてまいりました。

今日は実は、東京と埼玉の境ですが朝霞でですね。
陸上自衛隊の中央即応集団と言う部隊の編成貫徹式と言うのがございまして、ご招待を受けましてそちらに行ってまいりました。
中央即応集団と言うのは、国際協力業務がですね。
今回、自衛隊法の改正で本来業務になりました。
それとですね、各種のテロですとか緊急の事態に対応するために、するための部隊でございます。
で、その部隊の一番トップの人は、今回陸上自衛隊始まって以来50年で司令官と言う肩書きになっています。

方面総監とか師団長とか旅団長とかあるいは駐屯地の指令と言う肩書きなんですが、司令官と言う肩書きをつける部隊というのは今回これが初めてでございまして、この司令官と言うのはどういう意味か?と言うと、外征軍の長という事でございます。
この部隊は外に出すための部隊です、基本的には。
後はですね、外国からの特殊部隊とか、そのようなものが入った時のための部隊でございましてつまりですね。
これは北朝鮮に拉致被害者を救出に行く時も、この中央即応集団が動いて、その中の隷下部隊が動いていくことになるという事で、私としては一歩進んだのかな?と言う感じが致しております。

すでにもう何人もの方がお話をされておりますので、おそらく私のいう事は重複するのでは無いかと思うんですが、今までやはり日本は常にやられっぱなしでまいりました。
専守防衛と言う絶対に出来ることの無い事でですね。
国の防衛の基本にしてやってきた事ですべての事がおかしくなってきた。
拉致問題はまさにその一つでございます。

皆さん、陸上自衛隊全部で約15万弱います。
この陸上自衛隊の総力を挙げて海岸線を守るとすると、どれくらい守れるかお分かりになりますか?
いろんな計算の仕方があるんですが、ある計算の仕方では青森県一つでおしまいと言うふうに言われます。
この間、私鹿児島県の南端にあります徳之島で集会がありまして、そちらに行ってまいりましたが、徳之島と言うのは周囲84キロの島です。
行ってからふと単純計算してみましたけども、84キロの島をですね。
周辺を例えば100メートル間隔で守ったとして840人かかります。
これに交代要員とかですね。
そういうのを加えると、もし海岸なんかを守ろうと思ったら100メートル間隔では絶対に出来るものではありません。

もっと縮めなければいけないんですが、例えば100メートルで置いたとしてもですね。
おそらく後方支援まで入れれば数千人は必要だろうと。
数千人の部隊を例えば、九州より西を管轄している西部方面隊からですね。
抜き出して送るとこれは西部方面隊の機能ほとんど停止します。
という状態です。
これは一体どういう事を意味しているのか?
つまり日本と言う国は絶対に水際では守ることの出来ない国なんです。

西部方面隊にですね。
佐世保の相ノ浦と言うところに西部方面隊の普通科連隊と言う部隊がございます。
これはSAPIOなんかでも書かれていましたので、ご覧になった方いらっしゃるかと思いますが、それは島しょ、島を守るための部隊でございます。
どういうふうに守るか?と言うと来るのを防ぐんじゃないんですね。
上陸した敵の部隊を後から逆上陸して殲滅すると、いうのがこの部隊の作戦で、これ以上の立て方は出来ないんです、絶対に。
守れませんから。
入って来てからやると。
つまり島におられる方というのはですね、最初から一定の犠牲を覚悟してそれを回復する事を考えなくてはならない。

これは別に島だけではなくて本土でも全く同じでありまして、こういう事について我々は全く知らされてもいなかったし、なんか如何にもですね。
日米安保条約があって、今の現状で大体守れると言うふうに思っていた。
そんな所から拉致された方が、日本人がたくさん拉致をされるはずが無い。
されるはずが無いからされてもですね。
無かった事にしておこうという事で、何十年間も来てしまったのがこの国の現状でございます。

横田めぐみさんの事件でも失踪してから、しばらくした時にはですね。
これが北朝鮮による拉致だとおそらく分かっていたであろうと、複数の話がございます。
おそらくそうだと思います。
私もですね、後からふと考えてみたんですが、昭和52年の11月15日にあれだけですね。
いなくなってから公開捜査に切り替えて、新潟県警がですね。
県警始まって以来というくらいと言うほどの大規模な捜査をやった。
それで何も出てこなかった。
その時に誰かその事を考えた人が間違いなくいるはずです。
おそらくそれを声を上げようとしたのではないだろうか?と思うんですが、結局ですね。
その声はかき消されてしまったのか、あるいは最初から出さなかったのか、誰も分からないままにずっと日にちが経っていった。

そしてめぐみさんを金正日政治軍事大学で見た安明進さんが韓国へ亡命をして、その時点でこの話はしているわけです。
していた情報を韓国の当時の国家安全企画部は、日本側政府に対してですね。
こういう情報があるよというのを出して、日本海側の海岸で1970年代の後半に中学生1年生の女の子がバドミントンの練習の帰りにいなくなった。
これだけの情報があれば、簡単に横田めぐみと言う名前が割り出せるはずです。
おそらく私はその時点で割り出していたんだろうというふうに思います。
しかしそれでも動かなかったと、それがこの国の現実でございます。

拓也さんは当然これはご家族の立場で、しかも今までの歴代政権にですね。
ずっと裏切られ続けているわけですから、安倍さんを支持をするという事はもちろんこれは当然でありますし、これは私とニュアンスが違っても方法的には全く違っていないと思っているんですが、ご家族の立場とやはりそうじゃない者はですね。
ある程度立場を変えてやっていた方がいいと言う部分もある、と言うふうに思っております。

で、さっき拓也さんから説明がありましたこの小さいパンフレット、あったんですね。
これこの間6者協議の説明を井原外務省参事官が説明した時に、首相官邸で中山補佐官などもおられてその場でこれが配られました。
このパンフ見て、確かにこういうの今まで政府作ったこと無いです。
だからまぁそれは良いですよと、言ったんですが一番問題はこの一番最後のページにある。
小さくてわからないと思うんですが、最後のページにどう書いてあるかと言うとですね。
拉致問題について詳しくはこちらのHPをご覧くださいといって、官邸のHPが書いてある。

で、良いんですと。
良いんだけど、ここまで書くのならせめて「これを貰った人で拉致事件について何かご存知の事があったら、ぜひ情報を出してください」いう事を一言書いてくださいよ、と言う話を中山補佐官に申し上げました。
そしたら中山補佐官の答えはですね。
ちょっと躊躇されていたんですけど、「情報を出してくださいという事を書くべきか書かないべきかという事で議論があった」と、いう事を言われていました。
「議論があった上で書かないことにした」という事。

どうして書かないことにしたか?
これはもう簡単です。
お役所だから、もし例えば情報が出て来たときにどうしたらいいか分からない。
自分の責任で、もし例えば大事な情報が来たと、しかしそれをどうすることも出来ない。
いうことでですね、自分が責任を取りたくないという事が結局そういう事になってしまう。
だからこれだけ、もちろんこれを作るのに膨大なお金で作っていると思います。
お金を使ってそしてここまで書いておいても、その最後のところが駄目なんです。

私、調査会のニュースで前に書きましたので前にご覧になった方もおられるかと思いますが、政府がテレビコマーシャル、この中でもテレビご覧になった方がおられるかもしれません。
あのスポットですね。
ご覧になって分かるように、海岸にご家族が立っていてその中のお子さんが一人いなくなるというシュチュエーションで描いてます。
で、「許されざる拉致」ということで出ている。

あそこまでやるんだったらあの後にせめて一言ですね。
「拉致問題について知っている方はここにかけてください、電話してください、メール送ってください、手紙送ってください」ということをですね。
一言書いておけば良い。
何も書かないで、ただ「許されざる拉致」と言うふうに書いたってですね。
何の意味もありません。

でこれでですね。
これのために使っているお金は1億5百万で、その500万が制作費で後1億円は広告代理店に払っているんです。
広告代理店がその中の何十%と電通と博報堂が受け取ってポケットに入れて、後残りを下請けに出す。
こういうやり方でやるんですよ。
これ私が知っている、ちょっと誰とは言い難いんですけども、政府の関係者でもですね。
「私の言っている、全くその通りだ」というふうに言って来た人がいます。

その人は非常に一生懸命やっている人で、「もし自分にその金の一部でも渡してくれて中朝国境でもどこでも行かせてくれれば、絶対に情報を取ってきてやる」というふうに言って来た人が、政府の中にもいるんです。
だから今やらなければいけない事というのは、具体的にどうするべきかという問題でございまして、それをですね。
どうやってやっていくかという事をもう考えていかなければいけないし、実行していかなければいけない。
そういう時期であるというふうに私は思っております。

報道に流れておりますが、私どもがやっております北朝鮮向けの短波放送「しおかぜ」が、この26日から日本国内、茨城県内のKDDIの八俣送信所を使っての送信が朝出来るようになりました。
非常に強い電波でですね。
物凄い明瞭に聴こえます。
これもちろん場所によって指向性がありますから、日本国内どこでもきれいに聴こえるというわけじゃないんですが、ともかくソウルなんかの受信は物凄くきれいに聴こえています。

それに対して北朝鮮側は29日から妨害電波を流し始めました。
今までですね。
周波数を変えたりして妨害電波が流れるまでには大体2週間くらい通常かかっていたのが、今回わずか4日でかけるようになったというのは、それだけ向こうが気にしている証拠であるだろうなというふうに思っております。
今私たちが朝日本国内から流している放送と言うのは、特定失踪者それから政府認定者・救う会認定者のですね。
お名前と失踪時期などを読み上げる放送。
それからご家族からのメッセージ・お手紙等を読み上げる放送だけ、日本語だけの放送でやってます。

それ以外の朝鮮語とか英語とか中国語のニュースなどを読み上げているのは、全部夜の方でやっておりますので、もし北朝鮮が拉致が本当に解決済みだったならば朝の放送にですね。
妨害電波をかける必要など全くないわけでございますね。
いないんですから、そういう人たちは。
そういう人たちいないし、みんな横田めぐみさんを含めて死んでしまっているんですから、だったらいくらこちらから放送を流そうとですね。
なんでもないはずなのに、そこに大慌てで横から妨害電波をかけてくるのはどういう意味があるか?いう事でございます。

今は総務省もですね。
今回の国内からの送信には物凄い一生懸命やってくれまして、29日に妨害電波が出て昨日早速ですね。
この電波を管理しています国際電気通信連合と言うところにですね。
要は、これは北朝鮮も入ってますので、「これは北朝鮮から妨害電波が出ている」という事の申告をしているという事でですね。
これから先、どういうふうに向こうがしてくるか分かりませんが、こちらも様々な手を使ってですね。
やっていこうと思っています。

ただ今の現状でもまだですね。
電波が出ているのは平壌周辺らしいんですが、それ以外のところではかなりハッキリと聴こえている筈だというふうには言われておりまして、このモニターも今後やって行きたいと思っています。
聞えて来た話ではですね。
これは夜の放送では朝鮮語でニュース、これは私が話したりしているのが結構あるんですけども、平壌の中学生がこれを聴いていてですね。
これは当局が問題にしているというような話がございました。

私の朝鮮語は非常に拙い朝鮮語ですので、昔風に言えばですね。
「ニッポンノヘイタイサンデテキナサイ」というような調子で(笑い声)聴こえているだろうというふうに思うんですが、ともかくですね。
我々も絶対に取り返すという事のメッセージを繰り返して流しておりますし、これ本当に情報戦で弾を撃っているつもりでですね。
やっているわけでございます。
皆様方からのカンパをいただいて流している放送ですので、これは後は一刻も早く効果を上げるようにしていきたいというふうに思っております。

先ほど萩原さんの話に最後のところにビラが出ましたけども、これも来月の10日11日とですね。
ソウルで私どものビラを送るという作業を行なう予定にしております。
これは元々加藤博さんの方からご提案があった話で、加藤さんがこのビラの活動をやっておりますイ・ミンボクさんという方、韓国の脱北者でNGOの方からいろいろ話を聞かれて、じゃあ一緒にやってみないかと言う話でですね。
ご相談を受けまして、難民基金は難民基金で準備を進めておられます。
私どもはちょっと一足先に来月からスタートさせて、やがては日本の中の各NGOをですね。
出来れば交代交代で行って、我々が行く時は他のNGOの分も含めてやると。
みんなで交代でやればですね。
かなりの量のものが流せるというように思いますので、これを何とか実現をして軌道に乗せていきたい。

それと合わせてイ・ミンボクさんのキリスト北韓人連合と言う団体ですが、やはり韓国のNGOと言うのはやはり北系の人が非常に強かったり、あるいは政府に反対する人ですね。
多かったりとかですね。
あるいは政府も非常に非協力的と言うか、場合によっては敵対的ですのでどうしたってブレーキをかけてくる。
これ何とかして我々としてもサポートをしていきたい。
資金面とかですね。
いろんな面でサポートをしてまいりたいというふうに思っております。

そのイ・ミンボクさんの話では、これまで14回ほど北朝鮮から韓国政府に対して抗議が来たということで、抗議がそれだけくるという事はやはり効果が間違いなくあるという事でございます。
今すでにイ・ミンボクさんたちが送ってくださっているビラの中にはもう我々のですね。
特定失踪者問題調査会の電話番号とかね。
私書箱の番号を入れてくださっていまして、これは日本人拉致被害者の情報があったら出してくれという事はすでに書いてくださっているんですが、それはこの先我々の物を使ってですね。
逆に日本の方からも北朝鮮の人権問題に対しても関心を非常に強く持っているんだと、日本と韓国はですね。
そういうふうにして分断する奴らがいてもですね。
絶対に一緒にやっていくんだという事を、メッセージを伝えて行こうというふうに思っている次第でございます。

この間韓国に先月行きました時には、丁度6者協議のですね、前くらいだったかな?
どうもアメリカの雰囲気がおかしいと、言うようなことでですね。
韓国の人の中でもやっぱりちょっと大丈夫なのかな?と、保守系の方でも不安がありました。
そういう方々は皆さん何と言ったかと言うと、「やっぱり日本は凄い」と、「日本は揺らいでいない」という事でございまして、やはりこの拉致問題があってですね。
決して北朝鮮に対して原則的なな態度を変えていないと。
私らから見れば「大丈夫かいな?」と思う部分もあるんですが(笑い声)、少なくとも韓国から見ればですね。
日本はしっかりしているというように見えるわけで、そういう期待を我々受けているんだなぁと感じた次第でございます。

もう一つ申しておきたい事がございます。
この間ですね。
明日出る諸君に、私持ってます・・・(聞き取れず)を書いたんですが、この間あるところで講演をやりましたときに、講演が終ってからの懇親会でですね。
私のところに近づいて来てこういう事を言った方がおられました。
「北朝鮮への食糧支援は一切すべきではない」と。
「それはそうですね」と言ったらその方がどうしてそう言ったか?と言うとですね。
「食傷支援をしないでみんな餓死させてしまえばいいんだ」と。(笑い声)
「そしたらですね、日本にもう歯向かえなくなる」と。(笑い声)

さらに言ったのは、「爆弾を撒け。小さい爆弾ですぐに爆発しない奴。人形みたいな小さな可愛らしい形をした奴をですね、撒く」と。
それをどうするかと言うとですね。
「子供がおもちゃと間違えて取ってですね、爆発させる」と。
「そうすると子供が手足を吹っ飛ばされて、そしたらやがて大きくなって兵隊として使えなくなる」と。(笑い声)
いや、皆さんこれね。
笑い事じゃないんです、本当に。

ちょっとゾッとしたんですけども、私やがて日本の世論の中でもこういう世論が起きてくると思います。
どうしてか?と言えば、それは今我々十分に分かっていないからなんです。
これから先拉致に関して北朝鮮と言う国はどんな事をやっていたか?という事は必ず分かってきます。
分かってきた時にですね。
あの9.17で5人生存8人死亡と言われた時に、みんなそれはとんでもない話だというふうになりましたよね?
あれよりはるかに大きな怒りが日本国民の中に生まれるだろうと思います。

その時にどういう事になるか?と言うと、そのやっていた連中、金正日をはじめとするですね。
一部の人間だけではなくて、2千万北朝鮮の国民のすべてに対して怒りがぶつかる可能性が私は決して無いとは言えないというふうに思います。
それから萩原さんなんかも苦労されておられる脱北帰国者の方、この方々もですね。
すでに日本国内でも結構トラブルが起きたりしています。

去年、北朝鮮人権法が出来るときにですね。
自民党と民主党の間で一番引っかかったのは、この難民の保護の問題です。
「そんな事をする必要があるのか?」と言う声がある。
それをしかし、自民党も民主党もですね。
一生懸命やって難民の対策まで含めた法律に作ってくれたんですが、その法律が出来た後にですね。
平沼議連会長の事務所に行ったならば、平沼会長はですね。
「いや実は山ほどメールとかが来ているんだ」と。
これはつまり「難民の保護なんかするなと、いう事の抗議のメールが山ほど来ているんだよ」という事を言ってですね。
ちょっと残念な顔をしていたんですが、そういう事がやがて間違いなく出てきます。

帰国している拉致被害者にだって、私は週刊現代で書きましたけども、蓮池薫さんが日本に帰国する前に日本に潜入して来てですね。
工作活動をしていた。
私はやっぱり可能性はかなりあるんじゃないか?と言うふうに思っています。
あの週刊現代に書いた方以外にもですね。
見たというような話はございまして、それは十分にありうる話だと思います。

これ書いたことに対して政府のある関係者の方からですね。
「そういう事を書くと拉致被害者の方々が犯罪者であるというふうに受け取られるから、止めた方がいいんじゃないか?」と言うような事を言われた事がございました。
その時に私が言ったのは、「隠していたらですね。後に明らかになった時にもっととんでもない事になりますよ」と。
「あいつは嘘をついていたじゃないか」と。

彼はもちろんですね。
そういう事があったとしても、自分でやりたくてやってるわけでも何でもない。
そうせざるを得ない。
そしてそういう人たちを守る事が出来ないこの国の状況があるからこうしているんである。
しかしそれをですね、いつまでも隠していたらやがてその恨みは彼らのところに間違いなく回ってくるだろうというふうに思っております。
そういう事には絶対にしないためには実態を明らかにしていかなければいけない。
 
現在の安倍さんは、ともかく今までの歴代の総理大臣よりは一番ですね。
一生懸命拉致問題やってくれています。
これはもう、絶対誰も否定できないと思います。
ただし問題は、その安倍さんが乗っかっているこの国家権力と言うのはですね。
今まで拉致を隠蔽して何十年もの間隠蔽し続けていて、その上に乗っかっているんだという事です。
これだけは絶対に忘れちゃいけない。

そこをですね。
もし蓋を開けて、そこに手を突っ込んでくれなければ拉致問題の完全解決は無いと思いますし、それをやるとなれば安倍さんは場合によったら政権を投げ出すとか、場合によっては命まで失うという事を覚悟してやっていただかなければいけない。
それはしかし政治家ですから、政治家はですね。
そういう事をやって死んでしまうというのは、これは当たり前の話なので、軍人が戦争に行って戦死するのと同じですからそんな事はもう仕方が無い。
そんなものは政治家を志した時点で諦めてもらうしかない。
そういう事をやる人はですね。
出て行ってもらわなければこの国は良くならないわけでありまして、しかし実際の問題はですね。
こういうような問題だという事でございます。

拉致被害者の救出に私は何度も自衛隊を使えと言っているわけでございまして、そしてそれがあるからこそ、自分自身も予備自衛官になっているわけでございます。
しかしもし具体的にですね。
どんなシュチュエーションがあるか知りませんが、助けにいくという事になればですね。
その時は戦死者が出る事を覚悟してやるしかない。
場合によっては一人の人を助けるためにですね。
何人もの人が死ぬという事も覚悟しなければいけません。
命が一番大事であれば、そんな事をする必要は何も無いわけですね。
そうじゃないです。

これは私は少しでも言っていますけども、中越地震のときに長岡でですね。
あの土砂崩れの中に巻き込まれて車が挟まれてですね。
お母さんとお嬢さん亡くなって、男の子一人助け出したと。
あの時助けようとした人たちだってですね。
二次災害でいつ死ぬか分からなかったわけですね。
もし本当に命が一番大事であれば他人の見たことも無い子供を助けるために、自分の命を差し出す必要なんか何にも無い。

この間の東武線の踏み切りで自殺しかけた人をですね。
助けようとして亡くなったお巡りさんもそうですし、そういう殉職者と言うのは警察でもそれから消防署でもですね。
たくさんいるわけですけども、本当に人の命だけが大事なのであればですね。
そんな事をする必要は全く無いわけであります。
しかし人間と言うのはそれじゃ済まないわけであって、それをあえて越えてやっていかなければいけませんし、それをやらないと我々自身の安全も守る事は出来ない、いうことであります。

最初に申しましたように、この国と言うのは物凄い長い海岸線があり、広い領海があります。
入ってくるものを水際で止めるという事は絶対に出来ません。
そのためにはどうするか?
日本から日本人を拉致していったらば、どんな事をしても取り返しに来る。
何をされるか分からない。
日本と言う国に被害を与えたらですね。
何倍にもしてお返しをされるというくらいの事にしておかなければですね。
この国の平和とか安全とか国民それこそ命、生命・財産を守る事は出来ないんです。
これから先は我々もそういう意味で、そういうものと戦っていくという姿勢を持たなければいけない。
それこそが我々自身を守り、我々の子供を守り、そしてその次のですね。
世代に誇りある国を渡していく事になるのであろうと言うふうに思っております。

拉致問題、これからまだまだいろんな事が分かってまいります。
分かってくればですね。
本当にですね。
また今と状況が一変する。
今こうやっている事態でもですね。
まだ牧歌的な状況だったんだなぁと振り返る日が必ず来ると思います。
それはもう現実を見るのが非常に恐ろしいことであろうと思います。

絶対拉致問題と言うのはハッピーエンドと言うのはありません。
誰か横田めぐみさんが帰って来たと。
その一人一人のハッピーエンドはあったとしても、全体には絶対にはハッピーエンドはない。
そしてそれだけじゃなくて、その後で北朝鮮の体制が崩壊した後で、北朝鮮に行ってみてあそこでですね。
公開処刑をされた人とか収容所の中でですね。
殴り殺しにされてですね。
そのまま埋められてしまった人などの骨とか出てくるんです、必ず。

我々一体今まで何をしていたんだ?ということに必ずなります。
なんだかんだ偉そうなことを言いながらですね。
あの体制を放っておいたじゃないかという事に必ずなるんです。
それを覚悟して見なければ、知らないうちに終っていきます。
でも我々はそれを見ていかなければいけないというふうに思っている次第でございまして、この問題まだこれから非常に深刻な問題でございますけども、私も最後までやるつもりで頑張りますので何卒どうぞよろしくお願いします。(拍手)

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※藤沢集会の録音・写真撮影・ネット公開については主催者の同意を頂いております。
posted by ぴろん at 11:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

07.3.31 萩原遼氏 第16回藤沢集会(6)藤沢産業センターにて

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『萩原遼氏(ジャーナリスト)の挨拶』

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皆さん、萩原遼と申します。
私も北朝鮮にあこがれた一人でありまして、そしてもう50年前の話ですが、18歳の天王寺高校夜間制と言う高校に行っておりまして、その時に隣にこういう形で机を並べたのが韓国の済州島から密航して来ました少年でありまして、その男の子を通じて彼は一世ですから朝鮮語ももちろんぺらぺら。
そして8歳まで日本で暮らして一旦祖国に帰ってまた朝鮮戦争で日本に逃げて来たというんで、日本語も堪能でしてね。
彼からいろんな事を聞きまして私も朝鮮に対する、もしあの男と会わなかったら私は朝鮮にハマらなかっただろうという気すらするんですが。
そんな経緯がありまして50年やって参りました。

その過程で赤旗と言う日本共産党の新聞の特派員で1970年、昭和で言えば何年ですか?
47年ですね。
1年間行っておりまして、どうもこの国はおかしいなぁ。
だんだんだんだん3ヶ月4ヶ月6ヶ月経つうちに、そうしましたら私の表情から、彼らは読唇術と読んでいるんですが心を読む術が非常に長けた奴で、奴と言うのは言葉が悪いですが長けた人たちで、私は危険人物として事務所を追放されまして、それを契機にしましてこの国は絶対に許せないものであるというふうに私なりの認識を持ちまして、つまり人々が本当に可哀想な苦しい抑圧。
物が言えない、従って笑いが無い。
こんな状況でこの政権は存在する必要も無い政権だというのを感じましたのが、1973年でございました。

何しろ30数年経ちましたんですが、それ以外にですね。
こういう拉致の問題が明らかになったり、脱北帰国者、脱北者の事が問題になったり、それから日本から一時60年代に「地上の楽園」という甘い言葉で大挙在日の方々が帰国と言う、奴隷船に乗せられてですね。
帰国船と言う名の奴隷船に乗せられてですね。
北朝鮮に10万も行きました。
その人たちの悲惨な状況。

で、私に朝鮮の素晴らしさと朝鮮語を教えてくれたその同級生も帰国船に乗って、そして向こうで行方不明という事ですので、どんなことがあってもその友人の私にとって人生の恩人と言っているんですが、私にそういう目を開かせてくれた恩人の同級生の骨をどうしても見つけてやりたいと。
あの時は・・・(聞き取れず)て、私がそれを拾って故郷の済州島に持って帰ってやりたいと、そういう望みを持って今も頑張っております。
で、今日私の時間は10分ほどしか頂けませんので(笑い声)、いいんです。
僕遅れたんです、遅れたものですから当然の懲罰です。(笑い声)

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で、今日皆さんにちょっとご紹介したいものがあります。
出掛けに持ってまいりまして中身も読まずに電車の中で読もうと、これは未来韓国、ミレハングルと言う表題の韓国で出ている新聞でございまして、私たちと同じ考えを持った金正日政権を打倒しなければならないという立場の心ある人たちが出している週刊誌なんです。
これパッと見ましてね。
これパッと裏を見たら、何か見慣れた文字があるなぁ、北朝鮮難民救援基金ニュースがついているんです。(笑い声)

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ニュースの紹介がある、朝鮮語で紹介されていましてね。
そしてその横になんと・・・(聞き取れず)、だから何と読むんですか。
胡錦濤、胡錦濤の中国主席に送る要請書と言うもので、北朝鮮難民救援基金事務局長・加藤博。
それから北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表・山田文明。
このお二人の連名でですね。
脱北民の強制北送を、北朝鮮に送り返すこと、即刻中断せよという要請書を出されたんですよね?
(主催者の川添氏より「12月の中国大使館に出したんです」の声)ああそうですか、ああなるほど。
これの北朝鮮の、後ろの方見えないと思いますが、北朝鮮難民救援基金のニュースが今年の2月号なんですが、その要請書が全部翻訳されて、そして北朝鮮難民救援金がどういう団体であるとかいう事が紹介されております。

つまり、我々はともすれば孤独に襲われる。
さっき横田さんも仰いましたように、そういう気持ちにもなりますが、国際的にはですね。
日本の運動に対して大変強い連帯を送ってきて頂いている一つの現われだと思って、ちょっと皆さんにご紹介させていただきました。

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それでもう一つはその同じ号なんですがね。
これも皆さん後ろの方多分見えないでしょうが、雰囲気だけ分かっていただきたいんですが、このお顔、ご存知の方いらっしゃいますよね?
ボルトンさんと言う前のアメリカの国連大使をやっておられた方がですね。
一面全面費やしてインタビューに答えておられるんですが、その表題がですね。
「金正日の除去」取り除くこと。
除去すること無しに、金正日の除去こそが北朝鮮の核の唯一の解決の方法であると、いう事を見出しで言っているわけですね。

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金正日を倒さなければ、あれがおる限り核は解決しない。
同時に拉致の事は、この方は核問題で述べておりますが拉致の事は言っておりませんが、私は拉致もあの男がいる限り絶対解決しないという事で、私がもうあんな男をですね。(笑い声)
やってる場合じゃないという事で、「金正日隠された戦争」という事で本を書きました。
これアメリカで2000年から2004年まで4年間行ってこれを書きましたんですが、この骨子はですね。
核に金正日はなぜ拘るのか?固執するのか?

それはですね。
お父さんと息子の金正日の、お父さんは金日成ですね。
で、息子の金正日とが激しい対立をして、お父さんはこの北朝鮮がもう崩壊の危機にあるときに、農業を立て直さにゃならんと。
農業を立て直すためには肥料をたくさん増産しなければならんと、肥料を増産するためには電気が、全然石炭が来ないから電気がなんですか、発電所が止まっている。
電気を直ちに起こせと、電気を起こすにはどうするのか?
それは火力発電所を導入せよと、アメリカからそれを貰えという事をお父さんは主張した。

と、息子は駄目だと、軽水炉だと、原子力発電だと。
原子力発電は10年かかるやないかと、建設に。
しかも一気に1基も25億ドルと言う莫大な金もかかる。
そんなもんより手っ取り早く今年からすぐ電気の生産が出来るですね。
火力発電所で行けという事でですね。
どっちを取るかで激しい対立の末、お父さんは息子に殺されたという事を書いております。

ですから、あの偉大な首相を殺してまで核に固執した人間がですね。
6カ国協議だとか、何かの話し合いで絶対に放棄するもんじゃありません。
この事を私は書きましてね。
これもこれがさっぱり売れなかったんですが(笑い声)、日本で売れないのでアメリカで外国でもっと広めようと思って、それで英訳を、皆さんから貴重なカンパまで頂いて英訳本を出しましてね。

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これをどうやらボルトンさんのこれを見ましたらですね。
去年7月にね。
作ってすぐ一ヶ月間アメリカのいろんな方々に、そしてボルトンさんにも絶対に渡してくれと、彼に非常に近い人に10冊ばかり渡してですね。
全部で300冊、僕がタダで配ったんです。

で、ボルトンさんはどうやら私のをどうも読んでいる節があるんですね。
インタビューから。
だから・・・(聞き取れず)ていうんですか、でも良いことですよね?
互いに意見が一致したのか、私の意見を取り入れたのか、どっちにしろ言ってることは同じだという事ですね。
どうしても 6カ国協議でどうのこうのと言う時代じゃないと。

で、拉致もそうだと。
そうしてもあれを除去しなければならんと。
除去する条件があるのか無いのか?という事で、ボルトンさんも言っているんですが、どうやったらあの男を除去できますか?難民だと。
難民を出せと、そしてそれもね。
中国に行ったらさっき加藤さんが仰ったように送り返される危険があるから、もう38度線を越えよと。
越えてどっと南へ行けと、これが一つの方法であると。

その他にもいくつかのあれがあるといって、それは秘密ですね。
手の内は言わないわけですけど、いろいろある。
でもあれですね、難民を出せというのは私も全く同意見でして私たちは加藤さんと手を結びながらですね。
やっておる事は脱北者を日本に連れて来るという事もやっておりまして、今現在100人ちょっと、150人くらいですか。
そのうち、関西に25人いるんですよ。

僕がここに来る前までに1ヶ月前に脱出してきた日本人の奥さん、日本人妻ですね。
50年ぶり47年ぶり。
その方と41歳の娘さんと二人で私たちのシェルターみたいのがありまして、そこで、僕も仕事があって2週間ほど同居した、同居と言うとおかしいですね。(笑い声)
そこに、部屋はもちろん違いますよ。

それでね、改めて驚いたのは朝ね、ご飯食べる時ね。
一応41歳の娘さんがやってくれるんですが、確かね、お茶碗にご飯がてんこ盛り。
お茶碗が一階建てとしたら、その3階建てみたいの(笑い声)、こう盛るんですよね。
いや、日本ではこういう事しないですよね。
僕は食べないからこれを一階建てに減らしてくれと(笑い声)、今言ったんですが、それとキムチだけ。
あと一切受け付けないんです。

これ、僕もキムチだけじゃお腹が空くだろうと思ってちょっとラーメン屋に連れて行って、ラーメンを食べてホンのちょっとおつゆを飲んだだけで、その晩から下痢なんですよ。
つまり受け付けないんです。
その事を私は何も物笑いにするために申し上げることじゃなくて、どんなに金正日と言うあの独裁者が国民に酷い生活を強要しているのか。

その横で核兵器ばかり作って、国民には油物を一切受け付けない体にして、そういう事を申し上げたいんですが、その方々が関西にも25〜6人おりまして、どうしても僕もね。
今更逃げるわけにもいかんからね。
もう運命共にしようと思って関西に、借家の安い3万円で貸してくれる二階建てが、我々の同志がですね。
そこへ行ってこの方々のお世話、まず日本語を覚えてもらう事。

もう日本人妻で47年で、ほとんど日本語忘れてちゃんぽんですよ、面白いです。
もう時間ありませんから、とっても面白いです日本語と朝鮮語のちゃんぽんでですね。
それでおまけに方言の土着の両江道(リャンガンド)と言う一番北の端の、もう酷い酷い零下40度のところでね。
そんな事がありましてね。
僕ももう残る余生はこれしかないという事で、関西に半分軸足を置いて脱北者の支援、言葉を教えること。
それから就職を探すこと。
それからその人たちのケアと。

それからさらに、我々ジャーナリストとして多少でも聞き取りをして皆さん方にいろいろと知っていただく。
そういう事のために、僕もね、実は70になりました。
横田さんのお父さんが75ですか?お母さんは72ですね?
僕もね、堀川高校なんですよね。
同窓会行ったことあるんですよ、お母さんの。(笑い声)
それは何の関係も無いんですが、ともかく私も70になったからこれ引退かと思っていた。
もうしかし、6カ国協議のあの体たらくを見たら、私ね、引退するわけには参りませんので、ささやかながら加藤さんのお手伝いや皆さん方のお手伝いをさせていただきます。

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それでですね、一つだけさっきの、長い話で恐縮ですが(笑い声)、これが脱北帰国者と言う僕らが作ったんです。
これみんなで手作りで。
これは率直に申しますと一冊700円で売っておりまして、500円私たちの利益になるわけです。
原価が要するに200円で、何でそんなに安いんだ?
私が勝手に韓国に行って印刷してもらったんですよね。
だから日本の半分以下で出来まして、これを一冊売ったら500円入ります。
それで今日20冊ほどあります。
これで1万円入ります。(笑い声)

1万円入りますと、そのさっき言った親子が1ヵ月十分食べられます。
キムチとご飯と、ちょっと最近ね。
少し最近ちょっとした油は、ラーメンの油は駄目なんですがね。
サラダ油で野菜炒めくらいは食べられるようになって来たんですね。
そういう二人がね。
1ヵ月具体的な話で、これを20冊皆さんに買っていただければ、その人を1ヵ月日本で保護することができる。
そういう事もありましてひとつ、これをご協力お願い致したいと思います。
私の本は買わなくても良いんですが、こちらの方は何とか買っていただきたいと。

それから最後にもう一言ね、高橋さん、すみません。
日本が孤立している孤立しているというね。
とんでもない話で小賢しい評論家たちがそんな事を言っていますが、絶対に孤立していません。
日本がバスに乗り遅れるんだと言って、早く拉致を降ろして今のアメリカやその他中国の線に、そういう彼らがしつらえたバスに早く乗りなさい乗りなさいと、いう事を言う小賢しい評論家がいますが絶対に全面的に間違っています。

なぜならば、そんなバスはね。
乗る必要が無いし、仮に乗っても100キロ200キロ動くにしか過ぎない。
これ恵谷さんが仰ったんですね?確かこの事は。
で、僕があちこちでお借りしていますんで(笑い声)、だから100キロ200キロ動いても、1万キロ2万キロはそれは絶対にガス欠ですよね。
ガソリンが欠乏してエンコします。

誰がそれじゃガソリン出すんですか?
日本しかないじゃないですか。
中国も出せません。
韓国もお金ありません。
アメリカはお金あってもケチだからお金出しません。
そうすると日本でしょ?

日本は当然出すべきお金はあります。
それはかつてのこの日本と朝鮮の不幸な関係による経済協力資金と言うものが、これは向こうが北朝鮮は6兆円要求しています。
日本は1兆円と。
中を取って3兆くらいだと思うんですが、このお金はですね。
これはどうしても日本国民として、アジアでこれからお付き合いしていく上で支払わなければならないお金なんです。

その金をね。
持っているのは日本なんですよ、3兆円、2兆円でも。
これを持っているのは日本だけです。
だから朝鮮半島をきちんとお金も予算もつけて、あの国を立て直すことの出来るのは日本しかありません。
だから乗り遅れるわけが無い。
我々は自分たちでバスをチャーターするなり、自分たちの自前のバスで行けばいいんです。
あんなもの乗る必要が無い。

だからね、絶対にあれに惑わされないようにして、そして私は拉致の問題と核の問題で徹底的に金正日を追い詰めて追い詰めて追い詰めて、あれを国民の間であいつではもう駄目だというふうにやるために、韓国で今心ある人たちが宣伝ビラを作って風船に乗せて北に飛ばしております。
こんな事をやっている仲間もおりますし、すぐ2〜3日前ですがアメリカの人権委員会と言うところから私に送ってくれました北朝鮮の難民の危機ですね。
難民に危機が迫っているというこういう立派なね。
小冊子を出してですね。
これも中見ましたらですね。
イラストもあってですね、脱北者の描いた。

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そういうアメリカの仲間の方々もこういうふうに熱心にやっておられるし、韓国でもやっておられるし、日本でも皆さん方、今日お集まりの先生方、こういう人たちの力を集めてもう少し国際的にですね。
頑張ってまいりましょう。
どうも長々とすみません。(拍手)

・・・・・・・・・・
※藤沢集会の録音・写真撮影・ネット公開については主催者の同意を頂いております。
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07.3.31 横田拓也さん 第16回藤沢集会(5)藤沢産業センターにて

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『横田拓也さんの訴え』

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皆様方こんにちは。
ただ今ご紹介いただきました、家族会、そして横田めぐみの弟であります横田拓也でございます。
本日はよろしくお願い致します。
座らせてお話させていただきます。
お願いします。

本当に日頃からですね。
こちらの私どもの拉致問題に関しまして、皆様方の深いご理解とこんなに温かいご支援を賜りますことを、改めて御礼申し上げます。
ありがとうございます。

すでにご承知の通りですね。
私の姉は13歳で日本から連れ去られました。
1977年の11月であります。
当時、今もそうだと思うんですが、新潟の11月と言うのは本当に海の海鳴りの音とですね。
風でですね。
空は真っ黒、雲が黒いといったような季節でありまして、小さい頃ですとすぐにでも逃げ出したいような真っ暗な暗く重たい地域であります。

引越しをして数ヵ月後に姉は連れ去られたわけであります。
中学校のバドミントンクラブから友達と一緒に帰って、その下校途中に別れた後に無残にも連れ去られたわけであります。
昨年の誕生日で42歳を迎えましたから本当に30年間、北朝鮮と言うですね。
食料も着るものも温かい暖も無い。
そして一番問題なのは自由と明るい明日が保障されていない、全く過酷な環境下で今日も生活を強いられているといった内容であります。

13歳と言う頃の自分たちもしくは私たちの頃の気持ち・思い出を思い浮かべて欲しいんですけど、本当に多感な時代であったと思うし、いろんな自己実現の希望が皆さんも私もあった頃だと思います。
高校に行ってこんな勉強をしたいとか、大学に行きたい、こんな会社に入って仕事をしてみたいとか、家庭を持って子供を持って子供と外に遊びに行く、こんな物を食べる。
いろんな事を持っていた頃だったと思います。

もちろん私の家庭の中にも楽しい食卓で、私の姉は普段から明るくて活発な性格で、友達の中でも本当に広い意味でいつもヨコ、ヨコと呼ばれているような、明るい女の子でありました。
食卓の中でもいつも話題の中心を持っていくような明るい人でありました。
ただその事件が起きてからは私の家庭の中は本当に全く180度変わって、普段の会話がほとんど無いような暗い生活が始まったわけであります。

しかし、北朝鮮のこの日本人拉致問題と言うのは、確かに私の姉がシンボル的な存在ではありますけども、私たち家族会そして救う会、今荒木先生ご到着されましたけど特定失踪者問題調査会。
多くの方々は家族会もしくは政府が認定している方だけの救出を目的で活動しているわけではありません。
皆様方から向かって右側にポスターがあちらに、ちょっと下側にあるので見えないかもしれませんが、後ろの右側の前にもありますね。
あちらにはもう400名以上の方が載っていると思います。
この会場にいらっしゃる方々の3倍から4倍の方々が、3倍から4倍の私たちと同じ日本人が連れ去られたままになっているわけなんです。

私の姉だけの問題では無いし、政府が認定している人だけの問題ではないんです。
あちらにいらっしゃる方々が、仮にお子さんを授かってその家庭に2人か3人の子供がいるとすれば、その数は本当に計り知れない深刻な大きさであるし、私たちの現実に対してもっと直視・直面しなければいけないと思うし、私たち日本人が助けないといけないという気持ちをもっと形にしていく必要が私はあると思います。

今は3月、事実上4月でありまして、窓の外を見れば桜も咲いています。
少し前までは冬でした。
こうした季節になると私たち被害者家族と言うのは、本当に辛い思いをいつもするわけであります。
今日も食べられるだろうか?
明日は本当に明るく笑顔で起きられるだろうか?
着る物はあるだろうか?
どんな寒い中で寝ているだろうか?
そんな気持ちでいつも冬になると考えてしまう毎日でありました。

そしてこの春、今桜が咲いています。
めぐみも私の母も私自身もそうなんですが、お花とっても好きなんですが桜自体はきれいなんですけども、私の家庭にある、もしくは皆様方の印象に残っている一つの写真。
校庭の前で撮られた桜の木の下で鞄を持ったうちの姉の写真を思い出される方いらっしゃると思うんですが、あれは前日に風邪をひいて、その時に父が翌日にわざわざ校庭の桜の下で撮った写真なんですが、その記憶が私自身も昔々からありますから、この春になると新しい生活が始まるという浮き浮き感と言うものではなくて、とてもさびしい花の色になるわけなんですね。

そしてもう一方この季節ですとお花見といったような明るい話題になりがちなんですが、例えば高齢の私の両親もですね。
お花見そしてもしくは行楽とか映画館とか公園とか、行くことすら出来ないような毎日を送っているわけなんです。
いろんな被害が二重三重に繰り返されているわけなんですね。
こういった深刻な問題を早く解決してあげなければいけない、と思います。

北朝鮮問題、先ほど難民のお話もありました。
安全保障の問題もありました。
そして拉致の問題があります。
私たちはたまたま拉致の問題を中心に、そして被害者の当事者としての気持ちをお話しているんですが、北朝鮮問題と言うのやはり核の問題もそうでしょうし弾道ミサイルの問題もある。
偽札の問題、偽タバコの問題、いろんな問題があるわけなんですね。

たまたま小泉総理が2002年に訪朝されて、5人の被害者当事者とそのご家族が帰ってくることが出来ましたけども、私の姉をはじめとした多くの方々、そしてあちらにあるポスターにまだ政府が認定もしていない多くの被害者が帰って来れていないという事はですね。
これは現在進行形のテロであるという事を、私たちがいつまでも強く言い続けていくという事があると思います。
どこか遠い事の話では無いし、日朝間だけの問題でもない。
先ほどのお話でもご紹介があったように、この拉致の問題は日本人だけの被害者の話題では無いんです。

私ども家族会・救う会・他の団体がいろんな国際的な活動の一環で国々を訪問しています。
ジュネーブの国連に行ったりニューヨークの国連に行ったり、そして国際的な被害者がいるだろうと分かっているタイや韓国、そしてこれからルーマニアにも行く予定でその活動の準備を進めておりますが、今国際的に大きな被害の様相を呈して来ているわけですね。
そういった問題を私たちはやっぱり黙っていてはいけないと思うんです。
過去に類は違うかもしれませんが、アウシュビッツの強制収容所の問題が当時はあった。
その時に隣の国々が目をつぶってしまった事、黙ってしまった事が大きな被害を生んだという歴史はあるんです。

今この拉致問題・人権問題と言うのは、私たちの住んでいるこの日本のすぐそこに見えるような地域に起こっている問題であります。
しかも拉致以外にも現在進行形でありますけども、ミサイルの問題・核の問題と言うのは金正日がその気になってボタンを押せば20分以内におそらく飛んでくるだろうと言われております。
私たち全員に等しく課せられた危機が今ここにあるという事を、私たちが今一度理解した上で北朝鮮に対する毅然とした態度を堅持していく必要があると思います。

私たちはこれまで外務省や官邸や議員の皆様方のところを本当に多く、暑い中も寒い中も足を運びました。
官邸の前でも座り込みもしました。
どうして私たち国民の財産や生命を守るはずの官邸に対して、座り込みをする必要があるのか?という事を常々疑問に思いながらも、この活動を大きくする意味でそして国民の皆様方に知っていただく上でそういった活動をせざるを得なかった、物凄く苦い時間・事実がございます。

しかし、先ほどの特定失踪者問題も被害者の方々が仰っていましたが、歴史が大きく変わって安倍総理が政権を担われて、私たちは9月の29日くらいだったと記憶しているんですが、家族会で官邸で安倍総理にお会いする機会を頂きました。
皆口を揃えて言っていたのは、「初めてこんな嬉しい気持ちでこの門をくぐる事が出来るよね」という事を言っていました。
今までは米の支援をしないと言っていても、その翌日に平気でやってしまうような方々が多くいた。
しかし今、日本政府は安倍さんをリーダーにしてこの問題に対して毅然と立ち向かって、北朝鮮の安全保障上の問題、そして拉致被害者について全く誠実な態度を示そうとしない北朝鮮に対して、制裁を課すよと加え続けているわけでございます。

昨日の産経新聞にも書いてありましたけども、日本政府は今回の6者協議・日朝作業部会において、いまだに北朝鮮が誠実な態度を見せない事に対応する形で今経済制裁を実施中でありますが、4月中旬にその期限が切れようとしています。
その期限をほぼ半年間延長しようという事でほぼ進めているという事が書かれていました。
大歓迎でありますし、私たちはもっとその声をですね。
上げて日本政府を後支え、後ろ支えをしていく必要があると思います。

そして今皆様方も首相官邸のHPをご覧になった方は多くいらっしゃると思うんですが、今こういった拉致と言うですね。
政府が広報する形で官邸でビデオを見る事が出来ます。
これは官邸のHPにはダイジェスト版が載っているようでして、これはフルストーリーのバージョンらしいんですが、こういったもので一杯一杯政府も活動してくださっている。(一枚のDVDディスクを掲げる)
そしてこういった小冊子も政府が作ってですね。
簡単なこれまでの取り組み、もしくは被害者のリストを作ってですね。
いろんな各機関、我々国民レベルまで落として配布も出来るようなツールも作っているわけであります。
今までに無いくらいの大きな活動をしています。

ただここで私たちも、それでは良かったねというふうに甘えてはいけないと思います。
やっぱりそこはさらに安倍総理に対して、正しい意味で堅実な声をもっと発していって彼がもっと動くようにしていただく。
で、北朝鮮に対する圧力をもっと強めるためにですね。
私たちが声を上げていく必要があると思います。

後、先ほど日朝作業部会、ハノイで行なわれたお話ですとかね。
6者協議のお話とかもありましたけど、いまひとつ北朝鮮と言う国が、我々は国としては認定していませんけども便宜上国と申し上げますが、北朝鮮と言う相手がどういう相手かという事をもう一回整理しておく必要があると思うんですね。
これは私の横田家だけの問題において申し上げればですね。
皆様方もご記憶新しいと思うんですが、人権・人命が明らかに反するような他人の骨をですね。
平気で出してくる相手だという事なんです。

私たち日本人の文化の中でこの親とかですね。
家族とかそして骨とか、生きる死ぬってことの意味、とても大きいと思うんですね。
そういったものに対して自分たちが国家の人権侵害・領海侵犯をして来たにも拘らず、そして13歳と言う何も知らない一人の少女を奪っておきながら、さらにその30年後に「これはあなたの子供の骨ですよ」という事を平気で言いのけてしまう。
その目的は単に自分の政権を維持させたいがための話なんですね。
こういったおよそ文明社会では有り得ないような非道な相手だという事なんです。

そして日朝作業部会でも自分の都合に悪ければ勝手に席を立って帰ってしまうし、6者協議でも自分の都合に悪ければ勝手に帰ってしまう。
こういった我々のおよそ常識と言うものの通じない相手であるという事です。
そして先ほど申し上げたようにこの問題は現在進行形の拉致事件でありますから、テロがいまだに我々の身辺に掛かっているという事なんですね。
私は今皆さん方に危機を煽るわけではありませんが、今日今この時間現在ですね。
私たちの家族やきょうだい、お友達が今日夜電話してみたらいないかもしれないんです。
そういったもっと迫った問題であるという事を理解して、北朝鮮に対する圧力を加え続けなくてはいけない。

そしてじゃあ、私たちが何が出来るんだ?という事であります。
国会議員でもないし外務省の役員でもないし、出来ること確かに少ないし小さい。
言ってしまうと出来ないことの方が多いと思いますが、私たちが北朝鮮と違うのは民主主義であるという事。
声を発して民意を形成してそれを政治に活かせるという事であります。
先ほど申し上げた例えば首相官邸のHPにメールを出すことも出来る、意見を言う事も出来る。
警察にも各議員の皆さん方にも、いろんなところにお手紙やお電話・HPのメールで、拉致問題の取り組みが浅いのではないか?甘いのではないか?圧力が弱いんでは無いか?こうするべきだという事を言い続けていく事。

そして願わくば皆様方のお友達、職場のご友人にですね。
例えば土曜日に誰々さんに会ってこんな話を聞いてきたよ、とかですね。
もっと国際的に、例えばお友達がアメリカにいらっしゃる、ルーマニアにいらっしゃる、タイにいらっしゃる。
そしたら「そこに被害者がいるからちょっと情報を取ってくれないか?」といった小さなお口添えがですね。
先ほど言った国際的な圧力の包囲網につながるわけです。
北朝鮮に出来なくて日本に出来ることだと思います。
こういった力を加え続けていく事がとても大事だし、私たちもいつでも倒れそうな弱い存在をですね。
常に支えてくださっている大きな力の源であるという事をこの機会に申し上げたいと思っています。

後もう一つ北朝鮮問題はですね。
いろんな偽札とか麻薬問題とか申し上げましたが、もうちょっと大きな問題、先ほど難民のお話がありました。
中国に逃げても(北朝鮮に)返されてしまうという大きな問題がある。
ここで中国問題を大きく語るつもりはありませんが、北朝鮮以上にミサイルが(日本に)向いているというのは中国であるというのは事実でありますし、せっかく圧政下から逃げてきた人間をもう一回返してしまうという事も事実としてあるという事なんですね。
こういった問題を私たちは、日本人の拉致問題だけに拘るわけではなくて、もっと大きな問題が実はその背後にあるという事を知っていく必要があると思います。

後その北朝鮮国内にはそうした難民の他にですね。
なぜ難民が逃げるか?と言えば北朝鮮国内に居たくないから逃げて来るわけでありますが、子供たちの本当に飢餓に苦しんだ写真や映像は何回も見たと思いますけども、食べるものが無いわけなんですよね。
暮らすところが無いんですね。
自由に意見を言い合う場が無いんです。

そういった子供たちが自分たちの食べるものが無くて、それを日本や他の国々に、例えばマツタケとかアサリとかを出してまでも働かされているという事です。
そういった事を私たちが今経済制裁でそういった輸入はストップしていますが、平気で食べ続けて良いのか?
私たちは向こうの国民も苦しんでいる。
同じ人類として助けなければいけないという大きな視線に立って、この問題に向かい合っていく必要があると思います。

私の姉が2002年の日朝平壌宣言の時にですね。
政府の専用機が来た時に大変期待したと思いますし、そして帰ったときにとても悲しんだと思います。
姉を含めて多くの被害者が、また取り残されてしまったという大きな悲しみ・苦しみにあったと思います。
その同じ気持ちを、おそらく種類は違うんでしょうけど、北朝鮮国内にいらっしゃる自国民の方も早く逃げたい、早く食べたい、早く自由になりたいと思ってるはずなんです。

そういった気持ちを私たちは同じ人類として、隣の国に居る私たち日本人がですね。
人権の価値観を全面に出していく事が大事だと思いますし、それをどうか皆様方の最寄の議員さん方々に取り組みがもう少し具体的であるべきではないか?という事をですね。
言っていくことが大きな力になる。
それが先ほど行った地方が国に対して、国が対外交につながっていく大きな原動力になると思いますので、ぜひともお願いしたいと思います。

後時間も余りないので、限られた事をお話したいんですが、最近家族会がですね。
10年経ってしまったという話があります。
ここについて話をしたいんですが、ここの点についてお話をしたいんですが。
姉自体は30年拉致をされて、その他のご家族も30年以上前に拉致された経緯もあるんですが、家族会が結成されたのが1977年になります。
10年前です。
その時からいろんな理由があって、うちの父が代表を勤めさせていただきました。
今両親70以上を越えていますから、大変な辛い中になるわけですけども、これまでも1000回講演をして日本全国漏れなく今訪問させていただいたわけです。

その他にも政府の協議があったりとか、マスコミとの対応があったりとかという事で、本当に休む暇も無い。
寝る場所も無い状態で毎日を過ごしているのが実情であります。
そしてご存知のように一昨年の12月に父が薬の関係もあるんですが倒れてしまって、医者からの話を言うと「死を覚悟をしてください」という事も私に言われました。
本当に死の淵まで行って、何とか耐え抜いて今ここに居るというのが現実です。
母も普段からあまり辛いとか不平不満を口にする方ではないんですが、やはり歳もあって精神的なストレスもあってですね。
本当にいつもここが辛いここが痛いという事を平気で口にしてしまうような毎日を過ごしています。

姉も辛い、早く助けてあげたい。
そして両親も早く心から笑える時間をですね。
授けてですね。
普通の暮らしをさせてあげたいし、冒頭一点の例え話ではありませんが、本当に何気なく普通に桜の下でですね。
「今日の花、きれいだね」と言うような時間をですね。
本当に早く作ってあげたいなと言うのが私の本音であります。

しかしこれも、すでに私たち家族だけに与えられた問題ではない。
ちょっと大きなアプローチからすると、これは日本人全体の問題でありますから、この問題勝ち取るために、自由を勝ち取るためにですね。
私たちは安倍さんをもっとバックアップして、さらに要求するものは要求していってですね。
人権を無視した、人質外交を繰り返している北朝鮮に対して絶対に譲歩しない。
負けないという気持ちでですね。
戦っていく事が大事だと思います。

その中で家族会代表を10年間やって来て父も75になるわけなんですが、退任をするかしないかと言う話があります。
実際は来月の22日に家族会総会がありますから、その場で家族会の皆にですね。
意向を表明してどうするかと言う道筋を作っていくわけですが、ただ会社の組織のように人材が多くいるわけではありませんから、後任に誰がどうするというのは実際にあるかというのは難しい話ではあるんですね。
ただ、10年間やった、75歳と言う節目であるという事と、やはり私が一番身近にいて思うのは、本当に父の肉体的にも精神的にも限界にあるのは事実でありまして、このまま無理をしていけば一昨年の12月のように、また死の淵をさまような事を宣告されてしまうかもしれないんですね。

そういう意味では個人的には早く楽をさせてあげたいし、願わくばその先にある本当のゴールですね。
自分の娘を取り戻して他の多くの被害者をですね。
全員取り戻して日本が外交で勝利する事はもちろんですね。
この問題に晴れて人権の問題で勝つんだという事をですね。
勝ったという事を宣言していっていたいなと思っています。

まず最後に宣伝的な話になるんですが、皆様方の資料に入っているかどうか今日はちょっと確認をしていないんですが、入れましたか?
入っているそうです。
4月の22日にですね。
日比谷公会堂で、これも何回やればこの問題解決するんだ?という事で、来年はやらないでおこうねと誓い合いながら今年もですね。
やるハメになってしまうんですが、また国民大集会を開きます。

世界的に拉致の被害は多くを生んでいるという事をお話しましたが、そのご家族をこちらに呼んでですね。
国際的な連携をうたう予定であります。
私たちがその場に集って一体感を持って、その数時間後には北朝鮮は、その会場に国民が許さないという気迫を持った時間があったという事を知っているわけなんです。
それほど気にしていますから、私たちが集まって声を上げていくという事はとても力になります。

どうか、今日もですが、お休みのところ大変恐縮であるんですが、時間が許せばですね。
お友達もお誘いの上ですね。
是非お集まりいただいて、この問題と引き続き向き合って、私たちとともに戦ってくださればと思いますのでよろしくお願いしたいと思います。
今、私家族の立場でしか物を申し上げられませんが、本当に戦い所いいところに来ていると思いますし、先ほどの恵谷先生の話にもあるように、若干今までの雲行きと違うところがあるんですが、日本が孤立しているという事は無いと私は思っていますし、信じています。

その為には私たちが気を抜くことを無くですね。
北朝鮮に対してもアメリカに対しても国際社会に対しても、引き続き言っていく事がこの問題を絶対に忘れさせない事につながると思うので、どうぞ引き続き私どもと戦ってくださる事をよろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

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2007年04月19日

07.3.31 特定失踪者家族 第16回藤沢集会(4)藤沢産業センターにて

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『特定失踪者家族の訴え』

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★大澤茂樹さん(特定失踪者・大澤孝司さんの兄)

皆さんこんにちは。
ただ今紹介に預かりました、私今から33年前の2月の24日に新潟県の佐渡島で北朝鮮国によって拉致された疑いが濃厚な特定失踪者・大澤孝司の兄でございます。
私のほかに本日このセミナーに、昭和51年7月の30日に東京都の神津島で電気通信大学(の仲間)と旅行中に忽然と拉致された疑いが濃厚な高野清文さんのご家族と、それともう一方、昭和54年の8月の10日某銀行の親睦会で鎌倉の花火大会に参加し、その後同僚と別れ帰宅途中にこれも忽然と北朝鮮国によって拉致された疑いが濃厚な寺島(佐津子)さんのご家族、お父さんも本日このセミナーに参加させて頂いておりますので、簡単に自己紹介をさせていただきます。
では高野さんどうぞお願いします。

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

今ご紹介に預かりました。
神津島から行方不明になりまして、丁度電気通信大学に住んでいるときに寮の旅行で行方不明になりました。
出身は長野県になります。
そして今東京都の方で、東京都内で都下の関係者の特定失踪者のポスターという事で作成していただきまして、今あちらの「東京へ帰れ」という事で張り出させていただいております。
そちらの方にもうちの兄の名前が載っておりますが、そういった形で紹介されております。

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私の兄のいなくなった時の事はこちらにいらっしゃる方は聞いていただいていると思いますので、横浜の時も最近いつも集会の時にうちの両親の事をお話させていただいたんですけど、実はですね。
3月14日の日に母が交通事故に遭いまして、母はもう70過ぎなんですがちょろちょろ運転はしていたんですね。
自動車の方の。
おばあちゃん運転なんで40キロののろのろ運転で走っておりまして、私も兄も卒業しました小学校の近くを通りかかったときに、母が直進している所に左手から左折しようとした車が全くうちの母の車を確認しないで突っ込んできたという事で、真横から突っ込まれましてそのまま宙を浮いた状態で180度ターンをしてですね。
対向車線の向こう側の・・・(聞き取れず)に突っ込んで、止まったという事なんですね。

で、父がその事故直後にうちの車を見に行った時には、あまりに酷い状況だったのでうちの母親の顔の頭に三角形の白いものが見えたという事だったんですけれども、その電話はうちの父から夕刻に頂いた、被害にあったのは昼間だったらしいんですが、夕刻の電話の時にはうちの母も家に帰ってきて無事で軽症だったという事で、全部レントゲンとかCTスキャンとか脳波とか採ったらしいんですが、その時点では空中を飛んでいる最中に一生懸命ハンドルにしがみついたので、腕と胸が痛い。
ちょっとだけ胸を打ったみたいで、横からだったのでエアバックも開かなかった状態だったようなので、そういった形で別に命に別状も無く、対向車線に車があるわけでもなく、いった先の歩道の先に子供がいたわけでもなく、本当に不幸中の幸いだったなと思っております。

うちの母、前に子宮がんの摘出手術もしておりまして、その時も初期ガンだったのでかろうじて助かったという事で、ここ3回くらい九死に一生を得たというような部分があってですね。
より、私の思いとしては母は兄に会うために生かされているっていうような気がしています。
もし、この事故でうちの母が大怪我をしている、もしくは亡くなってしまったという場合は、私ここに立っていなかったかもしれませんし、もしかしたら亡くなっちゃいましたと言うご報告をもっと早く調査会のニュースなどで皆さんにお知らせしなければいけなかったかもと思うと、とても胸の詰まる思いでございます。

本当にこういう家族がまだたくさん、私はこういうところで言えますけども、言えない家族がたくさんいます。
本当に一刻も早く帰ってきて解決して欲しいと思っております。
個人的な事をたくさん申し上げて申し訳ありませんでした。
今日はこれでお話終わらせていただきます。(拍手)

★寺島六郎さん(特定失踪者・寺島佐津子さんの父)

皆さんこんにちは。
私は皆様方のすぐ隣の横浜市戸塚から参りました、寺島です。
事件の概要は今大澤さんからご説明があったとおりです。
昭和54年の8月10日、夜遅く事件が発生したわけです。
この会場の中の皆様方には、もしかしたら事件当時の内容などはテレビ・新聞等でご記憶の方もいらっしゃるかと思います。
あれから早いものでもう28年近く経ちました。

私たちは何も出来ることなくただ悲しみに明け暮れておりましたが、皆様方もご記憶の通り5年前に新潟県の被害者の方が帰って来られまして、私たちも特定失踪者の会の方へお世話になり、現在に至っておるわけです。
私たちは何も出来ませんので、関係者の方々または特定失踪者の皆様方の力とそれから皆様方の温かいご支援が不可欠でございます。
どうか一日も早い事件の解決を見るまで、皆様方の温かいご支援よろしくお願い致します。(拍手)

★大澤茂樹さん

まだ見えておりませんが、私ども特定失踪者の代表であります荒木先生も今日ここに見えられ、ご講演をする予定となっておりますがまだ見えておりません。
私たち、荒木先生の下に5年間お世話になりました。
それで私たちの活動方針と致しまして、この5年間は一刻も早い真相究明と一日も早い拉致被害者の救出を日本政府に訴えてまいりましたが、今までに一回として取り上げていただいておりません。

ところが皆様のご支援とお力によりまして、昨年の10月安倍政権が誕生し、安倍政権の活動とし拉致問題を最優先・最重大課題として取り上げていただき、今現在も日本政府は一生懸命に取り組んでいただいております。
その甲斐があって昨年の11月の9日、私ども特定失踪者は初めて日本政府と折衝する事が出来、塩崎官房長官と面会する事が出来ました。
そこの席におきまして塩崎官房長官は、「拉致事件、特定失踪者を含めて、すべての拉致被害者を奪還するまではこの問題は終結しない」とはっきりと明言していただきました。

今巷じゃ、また評論家の先生方からいろんなご意見がありますが、私は今しばらく日本政府を信じてまいりたいと思っております。
どうか皆様方のお力で、私ども特定失踪者を含めた拉致被害者が一刻も早く帰国出来るよう、更なるご支援をご協力をよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。(拍手)

最後になりましたが「しおかぜ」の話をちょっとさせていただきます。

★高野美幸さん

この3月26日から八俣のKDDIさんの送信所から、荒木代表から詳しいお話があるかもしれないんですが、「しおかぜ」の方、国内から短波放送がさせていただけるように総務省からしていただきまして、放送が始まったという事なんですが、29日の時点ですでに妨害電波が入ったという情報が先ほどお話が加藤先生からあったかと思うんですが、そういったことでいろんな意味で大変な苦労を調査会にしていただいて、私たち家族を支えて貰って来ています。
そうした調査会のグッズの方も本日お持ちしておりますし、あと調査会の方の署名活動もしております。
カンパの方ももちろん募っておりますので、どうか皆さんのご協力をお願いしたいと思います。(拍手)

★大沢茂樹さん

どうもありがとうございました。

・・・・・・・・・・
※藤沢集会の録音・写真撮影・ネット公開については主催者の同意を頂いております。
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07.3.31 三野由美子藤沢市議会議員 第16回藤沢集会(3)藤沢産業センターにて

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『三野由美子 藤沢市議会議員の挨拶』

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こんにちは。
藤沢市議会議員の三野由美子と申します。
花粉症が喉に来てしまいましてお聞き苦しいかと思うんですが、私はこの拉致問題について、まだ一期目なんですけどもこの4年間、何か地方議員の立場で出来ることは無いだろうか?というふうにずっと考えてまいりました。
もちろんこういった集会に参加させていただいたり、本などで勉強させていただいたり、ボランティアと言う形でそれはもちろんあると思うんですけども、やはり皆様に信託を頂いた公職・地方議員と言う立場で何か出来る事はないだろうかと考えてまいりましたが中々その答えが見つからないまま、間もなく一期目を終ろうとしております。

ところが数ヶ月前にあるきっかけがございまして、あぁこういう事をしなければならないと確信をした事がございました。
それはある初対面の方とお話をしておりました時に、雑談の中で拉致問題がどちらからともなく出てまいりまして、お話をしていますとその人は「拉致は問題なんだけども、拉致した側にもそれなりの理由があるんだろう」と言うような事を言うんですね。
で、「理由があるんだろう。日本も過去に悪い事をしてきたんだから」と言うんですね。
私はちょっととんでもないと思いまして、「あなたは横田めぐみさんをはじめ、各被害者の家族のお話を聞いたりご本を読んだりしたことがありますか?」と聞いたところ、「それはない」という事だったのですが。
無いにしても家族が突然さらわれて何十年も助けに行くことも出来ないと言う人にもし直接会った時に、「お気の毒だけど、それはやる側にも理由があったから仕方が無いよね、なんて直接いえますか?」と聞いたら、ハッとなさって「あぁ」と言いながら黙ってしまって、最後別れる時には「すいませんでした、僕も勉強します」と仰ってくださったんですけども。

長年日本のマスコミをはじめ、日本の中野の空気に、この方悪気は無かったんでしょうが、なんとなくこのような空気が知らず知らずのうちに蔓延してしまっていたという事が、今家族の方々がこんなにも長い間苦しまなければ、被害者の家族の方が苦しまなければならない事の原因なんでは無いか?と私その時思いました。

それに先駆けて、たまたま櫻井よしこさんから私たち地方議員に対するメッセージをいただきまして、その中で非常に櫻井よしこさんのメッセージの中に、これから私たちが何をしなければならないかと言う答えがあるというふうに、やっと確信することができました。
櫻井先生のお言葉を直接引用させていただきます。
これは地方から誇りある国作りをということで、地方議員がが30人弱集まって原稿を持ち寄ってして出した本なんですけど、その中で「地方議員の人たちに期待すること」という事で櫻井よしこさんが言って下さっていますが。

「まずは日本が直面している諸問題の根底には、歴史の勉強をしていないことがある」と言うふうに語られた後、「最後に地方議員に期待する事は、各国に比べて全く自分の国の歴史を知らないという事が日本の現状」ですね。
「そこへ対して大事な国民教育を力を合わせてやっていくような国にして欲しい」という事。
「国会議員の方も頑張っていらっしゃいますが、国会議員よりもっと国民に近いところで政治に携わっている地方議員の皆様方には日々の活動の中で、日々のスピーチの中で、日本国の足跡・歴史・私たちの先輩たち・祖先たちがどのような思いでこの国を築いてきたのか、という事を語り次の世代に伝えていって欲しい。もしそれが出来なければ未来永劫、この国はまともな国になる事は無いと思っております」

櫻井よしこさんこのように述べております。
私はこれ拉致問題も同じで、おそらく根底にある問題なのでは無いかと考えました。
間もなく私も次の市民の皆さんからの審判を頂くわけですけれども、皆様それぞれのお住まいの場所で、それぞれの地方議員をお選びになる事が出来ると思うんですが、是非その時にはこの国の問題を解決する、拉致問題を解決する事をはじめ、様々な問題の根底にある私たちの国がどのような国であるかという事をしっかりと認識して行こうという気概を持った人を選んでいっていただきたいなと思います。

私もそのような仲間を増やしていって、このような拉致の問題のように、被害者の方々・家族の方々がこんなに長く苦しまなくてもいいはずなのに、余りにも長い時間こんなにも長い事、多くの方が苦しまなければならなかったこの間違いをこれから正していかなければならないと思います。
ちょっと取り留めの無い話になってしまいましたが、皆さんも是非そういった目で地方議員を選んでいっていただきたいなと思っております。
藤沢市議会議員の三野由美子でございました。(拍手)

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2007年04月16日

07.3.31 恵谷治氏 第16回藤沢集会(2)藤沢産業センターにて

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『恵谷治氏(ジャーナリスト)の講演』

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えー、まず今、加藤さんが内容と私は、情勢認識が180度違いますけれど、直ぐお話ししたいと思いますが。
まず、六者協議というものをどう考えるかと言うときに、実は、六者協議が行われている間、私は韓国にいました。韓国の論調は、加藤さんがお話になった内容と全く一緒です。『ブッシュは譲歩した。我々は勝利した。』と、韓国左翼政権、左翼マスコミは、もう、大騒ぎです。

で、まず、六者協議の合意に至るまでの経過を簡単にお話したいと思いますが、ご存じのように、この六者協議の合意に至る前提である2005年9月の六者協議の共同声明があります。その直後に、ご存じの、BDA=バンコ・デルタ・アジアのいわゆる制裁が始まりました。

この制裁というのは、どういう事かというのは、『その銀行の口座に出入りする金が、怪しい金である、ついてはそう言う金を扱っている銀行は、制裁というか、取引停止と言うことにするぞ』という“懸念指定”だったわけですね。2005年9月の段階では。懸念があると言うだけで、取引が停止された。
この停止はですね、バンコ・デル・アジア自信ががおこなったわけで、アメリカはいわば、脅したという状況です。しかし現実的にはもう、口座取引が出来なくなって、北朝鮮はあわてた。その数日前には核の完全廃棄に同意するというサインをしたにもかかわらず、アメリカがそういうことをしたんで、六者協議にはでないということで、ご存じの7月、それから半年後の7月にミサイル発射がありました。

まぁ、その少し前、2005年10月に、検察庁、警視庁は、科協=在日本朝鮮人科学技術協会というのをターゲットにがさ入れをやったと。これはまぁ、いわば技術制裁といいますか、ミサイルあるいは核を開発させるその支援を科協がしていると言うことで手入れをした。

ですから、2005年の9月から10月にかけて、日米が金融及び技術で、北朝鮮を追い込んだ。その回答がというよりも、金正日はですねそれに抵抗してミサイルを発射した。このミサイルも、テポドン失敗して、その他は成功したんですが、七発のうち、六発が成功した。この六発はですね、既に実戦配備している朝鮮人民軍の管轄のミサイル。これは全て成功・・成功と言うことはない、まぁ通常に、設計通り飛んだと。手順通り飛んだと。

その中には、日本をターゲットにしているノドンというのが含まれていました。しかし、アメリカに届く、アラスカに届くテポドン二号というのは、失敗しました。一分そこそこで爆発した。そのミサイル発射によって、安倍政権は、日本独自の経済制裁をやった。

で、アメリカに届くミサイルが失敗したが故に、金正日は次なる手を考えたのが、ご存じの地下核実験です。しかし、これがですね、ミサイルがもし成功していれば、その2005年の2月に北朝鮮は、核保有宣言をしています。我々は、持っていると口だけで宣言しています。
その宣言で、アメリカに対するミサイル攻撃が可能になるという大宣伝が出来たはずです。そうすると、民主党の議員あたりはですね、やっぱり米朝二国間交渉をすべきだというような論調がでたかもしれませんが、とにかくテポドン二号は失敗します。

で、核実験をやったところ、これもまた、見事に失敗をしました。

ある解説者は、核を持っていなくて、通常爆弾を大量に爆発させたんじゃないかという程度の爆発力しか発揮できませんでしたが、これは、間違いなく核実験でした。
この核実験によって、こんどは、国連制裁決議が行われます。

とにかく北朝鮮はどんどん追い込まれていく。それ以前も、大変な状況で、みなさんもご存じの中で、制裁が次々とかかっているのが現状です。

そうした中で、まぁ、去年の12月に一度六者に復帰しましたが、結果的に、この、2.13の共同・・、六者協議合意がでました。それをもっと一つ言えば、その間にご存じの通りアメリカの中間選挙がありました。これによって共和党が負けて、ブッシュ大統領は、ある程度の変換を余儀なくされたのは
事実です。

さて、この六者協議の中で初期段階という、つまり寧辺(ヨンビョン)とい開発センターの施設を凍結すると5万トンの原油をやると。しかも、60日以内に実行しろと言う合意があり、核を完全無力化すれば、100万トンやると。

くわえてですね、この合意に関して、ご存じのように、日本政府は、“拉致問題が解決しない以上一切のエネルギー支援をしない”それで良いですねとモスクワも北京も納得させた上でサインをしたわけです。それをですね、何故かバスに乗り遅れるとか、日本が孤立化してくるとか、どうしてそう言う解釈がでてくるのか、私にはわかりません。見事な日本の外交勝利です。

まぁ、日本の外交の孤立化とか非難する人はですね、そうでなければ、日本は対米従属だと非難するに決まっています。これは、見事な近年にない外交的勝利だったと私は思います。

では、ブッシュ大統領は、変節したのか?
確かに変節しています、ある意味で。
元々は、完全廃棄しない限り、一切の援助はしないと。それをですね、二カ所の施設を止めれば、5万トンやる、この二カ所の施設を止めるというのは、1994年の米朝枠組み合意と同じ事なんです。

その時は、50万トンを何年にもわたり・・結果的に400万トンただ取りされました。

しかし、今回は、『5万トンでどうだ』と言ったら、そうしたら金正日はOKをだしたんですね。
しかし、今トラぶっています。60日以内には出来ないでしょう。

しかし、金正日は10年前は50万トンのところ・・プラス400万トンのことを考えればですね、80分の1でサインをしたんですね。それぐらい追い込められている。

しかし、一方で、BDAの問題があります。これで2500万ドル、戻さなくちゃいけない。これでアメリカは譲歩した。とんでもない認識不足です。まず、先ほど言ったように、2005年の9月には、“懸念先”であると指定したんです。今回は、間違いなく、その行為に荷担したと断定したんですね。あとは銀行の判断に任せると。アメリカは逆に投げた。ですからアメリカは以前より指定は強化した。

これはどういう事かと言いますと、問題は、2500万ドルじゃないんです。
この2500万ドルであれ、いくらであれ、北朝鮮と取引をした銀行は、アメリカからそう言う指定を受けて、外為=為替取引ができないんです。

ですから、今のこの『2500万ドルがまだ手元に届いていないから、協議に参加しない』という北朝鮮の問題は何かと言いますと、この2500万ドルをどういう形で北朝鮮に渡すかと言ったときに、中国銀行経由で渡すと。ところがですね、バンク・オブ・チャイナ、その2500万ドルを自分の銀行経由で北に回したら、その汚れた金を扱ったとして、アメリカからまた指定を受ける可能性がある。非常に、政治的に、問題は苦しいんです。

それが故に、北朝鮮に2500万ドルが渡っていない。
逆に言うと、北朝鮮はそれをもらうまで、もう一切交渉に出ないと。

つまり、5万トンでも欲しいのに、それも首領様の4月15日(太陽節)までに、なんとか手に入ればと言うことで、あの時点で何とか60日という事でサインをした。アメリカはですね、もっというと、ブッシュ大統領は、2500万ドルぐらいくれてやると。しかし、指定先に決定しろと言う形で今

もう一つは、その文書の中で、8項目ぐらいあったと思いますが、その最後の方にですね、朝鮮半島の平和体勢について協議を開始すると。この平和体勢、つまり朝鮮戦争を休戦状態から、平和条約締結に持っていくと、その文を、韓国左翼、今の盧武鉉政権はそこにスポットを当ててもう、米朝は、明日にでも、国交正常化を果たすんではないかというプロパガンダをやっている。

ですから、私も、まぁ、ソウル新聞、韓国の、これは政府系と言われますが、その記者に、『米朝が国交正常化をしたら日本はどうするんですか?』という質問を受けました。米朝が国交正常化をするわけないじゃないですか、今の状況で。そう言う認識もない、ただただ平和ムードを煽って、南北統一に向家手と言いますか、逆に言えば、北主導の赤化統一に向かっていると言うことです。

ポイントはですね、この六者協議を、金正日がますサインしたのはですね、先ほど言いましたとおり、もう様々な制裁がかかっていて、その中で唯一金になるのは、韓国です。ところが、韓国はですね、去年の10月の核実験以降、支援を停止していました。その支援再開のための何かきっかけが必要だと。これが六者協議の合意です。六者協議で、核問題はですね、100万トンで無力化になると。次は米朝の国交正常化だ。日本は拉致で騒いで、日朝は後れをとる、バスに乗り遅れるという風潮です。

しかしですね、先ほど言ったように、日本は一切金を出さない。そうなると、バスに乗り遅れるんじゃなくて、バスは待ってて日本が乗り込むまで、発車できないんです。

何の問題もないのを、孤立化だの、ブッシュの変節だの、ここに、拓也さんもいらっしゃいますが、ブッシュ大統領は早紀江さんにお会いしたときのことは絶対に忘れていないし、拉致を絶対に置き去りにしない。それを、こうブッシュ大統領が変身したような形で、どんどん解説が出てくる。そんなの、全く誤った見方です。

さて、まだ話は言いたいことあるんですが、拉致に関して言います。
拉致問題をどうするかと言ったときに、まずよく言われる、拉致は日朝の二国間だと。ところがもう皆さんおわかりのように、二国間の問題ではありません。最低12カ国の犠牲者=拉致被害者が出ていますし、プラスその被害状況がどんどん明確に証拠が出て、家族達が名乗りを上げています。

この拉致問題を解決するには、拉致の国際化を広げていく、まぁルーマニアでも弟さんが名乗りを上げていたり、ご存じの、タイでも、マカオにも、こういう方々と協力して話を盛りあげていく。

実は2月に中国で社会科学院の人間と話をしたんですが、彼等は、中国人、−−当時はマカオですが、ポルトガル領でしたが−−拉致された事実関係も知らない。『え?そう言うことがあったんですか?』というぐらい。

ところがまぁ、これを上手く持っていかないとですね、『13億のうち一人や二人、そんなものは、どっかにいってるだろう』というような認識があります。

ですから、あの大中国が、北朝鮮の工作員の不法侵入を許して、自国民をこっそり連れて帰れるような、そういうことで、メンツが保てるのかという言い方でですね、中国に対して話をして、その資料も渡してきたんですが。

そう言う形で、中国もとにかく『日本は二言目には拉致だ、拉致だと、うるさい』というような言い方を変えさせて行かなくてはいけないし、事実、温家宝首相もきて、前とはトーンの違った言い方をしています。ですから、そう言う形で、拉致問題を国際化して国際世論を強めていくべきだと。

もう一点、韓国で、ご存じの朝鮮戦争の時の拉致問題があります。8万3千人ほどがリスト化されたものであります。私も、その活動している事務所には、何年も前から行っていたんですが、正直申しまして、戦争中だからいろんな事があるだろう、それを拉致というひとくくりにして良いんだろうかと、正直言って数年前にその事務所で話を聞いたとき思いました。

ところが、今年、また行ったんですが、あの朝鮮戦争が1950年の6月25日に始まりましたが、その数ヶ月前、金日成のサインで南から50万人の人間を連れてこいという、この拉致指令命令書が発見されました。

つまり、朝鮮戦争の開戦理由の一つは、南の優秀な人間をとにかく北に連れてくるというのが一つの戦争目的でした。それの証拠が発見されました。実際8万3千人がリスト、名前、出身、写真、職業も含めまして、わかっているんですが、その統計を整理してみるとですね、男がほとんど、つまり女性はほとんど拉致されていない。プラス若い人。プラス、職業が、いわゆる技術者、知識人・・・、そう言う方々以外は、ほとんど拉致されていない。

被害家族との、インタビューをその事務所がやっているんですが、とにかく人民軍が来て、路地を入ってきて連れて行く。北朝鮮でいうところの“人定了解”がすんでいた。とにかくそのターゲットを絞って拉致していった。それを、金日成の指令は50万人で、現在8万3千人の被害が明確になっている。拉致は朝鮮戦争以前からあった。

今の日本人拉致問題は、まぁ荒木さんの所の・・(私も関わっているんですが)特定失踪者問題調査会では朝鮮戦争前後からいろんな失踪者のことをリスト化しています。しかし私は、やっぱり金正日が三号庁舎を握った1976年以降が金正日の指令によって拉致されたんで、それ以前はどういうシステムで、拉致が行われたか良くわかりませんでした。まだ指示命令系統、実行機関については研究の課題ではあるんですが。

金日成が1950年に拉致指令書をだしたということが、今回わかってこれは、もう明らかな拉致です。ですから、北朝鮮の歴史は、イコール“拉致の歴史” ということが言えるんではないかということをお伝えして終わりにします。

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07.3.31 加藤博氏 第16回藤沢集会(1)藤沢産業センターにて

第16回藤沢集会
07.3.31 藤沢産業センターにて

『加藤博 北朝鮮難民救援基金事務局長の講演』


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ご紹介いただきました、北朝鮮難民救援基金の加藤でございます。(拍手)
最初に、貴重な場面を提供していただきました、救う会神奈川に厚くお礼申し上げます。

今日はですね普段と違って私は少々辛口な話をするかと思います。

みなさんも、もう、既にご存じの取りね、拉致問題を巡る状況というのは、非常に容易ならざる状況だというふうに思います。
それは、先日の六者協議の中身をみてもわかるとおり、アメリカが大きく変身をしました。
これは、身が変わるという意味でもありますし、その気持ちが変わったという意味でもあります。この辺の事情については、私よりはるかに詳しい方が、たくさんいらっしゃると思いますので、詳しくは申し上げませんが、実際にはそのようになっていると思いますが。

その典型的な例は、バンコ・デル・アジア=偽札のマネーロンダリングをした張本人、ここと取引をした。
ここの不法資金の凍結を解除した。これは、北朝鮮に摂っては非常に大きな、プラスですね。
逆に言えばそれがあるために、北朝鮮は息の根を止められそうになっていた。

そう言うことがあるにもかかわらず、アメリカは、直接六者協議のテーマである核問題とは関係のない、不正資金の問題と取引をしたということですね。

これは、全体的に今北朝鮮の核問題や、その他の人権問題を解決するための大きな制裁決議が、世界的な規模で進んでいる制裁決議が、大きくほころんできたということだと思います。

ほころんだと言うことは、これは、昨年の12月の国連総会で、北朝鮮に対する人権非難決議案が通りました。これは世界が合意して北朝鮮に対する制裁が、始まったという意味でした。

しかしこれが、アメリカが六者協議の中で変身をしたことによって、これは、非常に、有名無実になりかねない。そういう方向に、大きく流れていると、言うふうに理解すべきだろうと思います。

しかし、日本が、独自で経済制裁をするということは、日本国としての立場、日本国民としての立場を明確に北朝鮮に知らせるという意味では有効なことでありますけれども、実際にこれが解決の糸口になっていくというのは、大変難しい状況になってきている。

つまり、日本が、このままの状態で行けば、孤立化していく。

拉致問題は、日本の問題というかたちになってですね、これは六者協議のもとでの、二国間の問題と言うような位置づけで、先日ハノイでやられたようなかたちに、どんどんと、この問題が、二国間の問題になっていく。

アメリカは核問題をやる、日本は拉致問題をやる、そして韓国は、南北の共同の民族同士というスローガンのもとに、経済支援をしていく。各国がもうばらばらによそを向いているんですね。
そして中国は、ピースメーカーとしてですね、一番言い役回りをしている。

平和主義者の顔を世界に振りまいていく。そんなかたちに

ですから、今のままの状況では、日本からの発進力というのは、相対的に低下せざるを得ない。
ますます弱くなっていくんではないかと言うふうに思います。

こういう状態では、全ての問題の根源である金正日体制の、独裁体制に由来するところの、拉致の問題、人権の問題、核の問題、すべてが解決するのは難しいだろう。

このような大きな流れを、どうして解決するのかというのが、私たちの目の前突きつけられた、そういう課題ではないかと。

つまり政治家は、変身したんですね。
自分たちの政治目的のために、人権も、拉致も、横にしてしまう、捨ててしまう。

このような状況は、いっぺんに起きるわけではありません。


私たちが、昨年の12月に、北朝鮮人権問題啓発週間、と言うのが行われました。
−−日本版北朝鮮人権法が提出されて、その人権法に基づいて、北朝鮮人権週間というのが行われました。その中の国際会議の中で、いみじくも、今私が言ったような形を指摘しました。これは、私だけでなくて、そこに参加したアメリカからの代表も、日本の他の代表も、それから韓国からの代表も、そのように言ったわけですね。

ですから、それは1日にして変身するものではなくて、日々変わっていく。
結論はわかっているが、そのような結論を導き出したとしたら、国民の反応は、世界の反応は激しいものになります。ですから、徐々に徐々に変えていくという形になるけれども、最終的には、私たちが考えているような、『』人権の問題、それから拉致の問題、これが解決出来ない方向に持って行かれてしまうのではないかというふうに、非常に危惧しています。

そのためには、政府頼み、あるいは政治家頼みではだめで。私たち一人一人が、かくあるべきであるという、確固とした、やっぱり戦略目標というものを、それから、それを実行するための政治的手段を作っていかなければならない、そう言う段階にあるのではないかなと私は思っています。

私たちが拉致の問題で思うことは、これは、これは、私たちが、こういう集会をやって、日々状況を知ることは必要ですけれども、先ほども言いましたように、アメリカの国内、あるいは、ヨーロッパの方にも、拉致問題について提起はしています。

その多くの意見が、必ずしも、日本の国民の意識や意見とは一致してはいない。つまり日本の拉致問題は、北朝鮮と話をすればいいじゃないかと言う考えが、まだまだ強いですね。つまり、二国間の問題だと、そう言う考え方だと思います。

ですから、六者協議の中でも、二国間問題としてこの問題を解決するようにと。主要なテーマからはずしてしまう。そういうような形をどんどん進めていく。そう言う形が、今進められていることだろうと思います。

この拉致問題を、大きく私たちは今まで、前進させてきたと思います。
救う会も全国にできて、家族会も頑張って、そしてその主張を支持する多くの国民があって、ここまで来たと思うんですね。

しかし、この動きが今、はしごをはずされてしまうかもしれないという状況にあるのではないかと。

そのためには、私たちが、大きな戦略目標を持って、その手段を構築すべきだというふうに私は言いましたけれど、北朝鮮の独裁体制の問題から、この問題が起きているならばですね、これは、拉致問題だけでなく、北朝鮮における強制収容所の問題、それから、科学兵器の開発、核兵器の開発。全て関係があるんですね。

ですから、そういう問題として位置づけて、拉致問題もその中の一つであるというような、そういう包括的な問題として考えていく必要があるんじゃないかと、私は思います。

そして、今まで拉致問題の多くの情報が、これは日本政府がもたらしたものでもなくですね、これは、北朝鮮から逃げ出して、韓国にやってきた脱北者−−北朝鮮の難民ですね、私たちは、『成功した難民』と言いますけれど−−ようやっとの思いで韓国にやってきた、そういうひとたちのなかから得られた貴重な情報によってですね、拉致問題を今まで、ここまで前進させてきたんだと思います。

しかし、これは、言ってみれば、私たちがそう言う人たちの存在を知り得たから、そういう発展の道筋を見付けられたのであって、まだまだ、多くのそういう情報を提供できる人たちがいるに違いないんです。

私たちは、救う会がどれほど、そのことをやっているかはわかりませんけれども、私が言えることは、北朝鮮難民救援基金としては、北朝鮮から脱出してくる難民を助けて保護しています。こ数は年々増えています。昨年で、韓国に到着した人間は、一万人を越えました。日本に来た人間は、150人になります。これからも増えます。

今年の2月の末から、“北朝鮮難民の実態調査団”というのを、タイに私たちは、送りました。特定失踪者問題調査会、あるいは北朝鮮帰国者の命と人権を守る会、カナダの人権活動家、アメリカの人権活動家を入れて、調査しました。

そうしましたところですね、一昨年は、北朝鮮から脱出してきて、タイにたどり着き、タイが国外退去処分にした北朝鮮の難民というのは、900人です。そして、2005年が100とすれば、2006年は、300を越えています。そして今年、2007年の2月までで、もう120名を越えています。2月までで。このように急速に増えているんですね。

しかしこの中にどういう人たちが含まれているかということについて、つまり拉致問題や北朝鮮の独裁の状況について、もっと的確な、そして私たちが有効に利用すべき情報を持っている人がいるかもしれないんですが、その情報を得ることが出来ません。

その人達が今望んでいるのは、アメリカに行くこと、韓国に行くこと、日本に行くことですが、彼等がそれぞれの国に行ってからではですね、その国の統制があるために、その状況を的確に知ることが出来ないんです。

本当に拉致問題を解決するというのであればですね、難民問題も同時に解決するように、そのを脱出してきた人間から情報を的確に取るような体勢をとらなければいけないんですね。

これはまぁ、NGOだけでは無理なのかもしれませんが、だからといってこれを政府にやれと言っても、政府は出来ないんですね。これをやるのは、やはりNGOしかないんです。

ですから、難民から的確な情報を収集してこれを解決に役立てるような、そう言う組織を新たに展開させる必要があります。

それくらいの大胆な発想と大胆な行動力がなければ、今の情報を突き破って、新たに新たに新しい情報を入れてですね、世界の世論を変えていくだけの力にはならないんだろう思います。

我々はここで話を聞いているだけではダメで、実際にそういう何らかの活動、力に結びつく活動を展開しないと難しいと思います。

ですから、私の考えとしては、積極的難民の受け入れというのは、北朝鮮国内からの直接的情報を得る貴重な場でありますから、そのように色々な場所に、それぞれにふさわしい形で、そういう機関を作っていく。NGOが作っていくということがどうしても必要だと思います。

ですから、そういうアピールがあった場合は、皆さんの中から是非参加してもらいたい。
力のある人は、力を、お金のある人は、お金を、知恵のある人は知恵を出してもらいたいというふうに思います。そのためには、一つ一つの可能なかぎり実態調査団を派遣していく。

これは、私の個人的な発想の段階ですが、日本を主体としてですね、北朝鮮の人権問題、拉致問題も含めた人権問題をフォローするためのですね、そういうNGOを展開する、それをタイやラオスで展開するだけのですね、大きな動きを是非作っていきたいというふうに思っています。

積極的北朝鮮難民の受け入れは、効果的な反撃の材料になります。ぐらついている政治家の気持ちを正し、曲がった方法を正し、そして実際の問題を解決する力になりうると思います。

私はそのためには、いろいろなやるべき事はあると思いますが、それと同時にですね、北朝鮮の国内に直接メッセージを届ける方法を考えなければいけない。
まだまだ北朝鮮国内では外の状況がわかっていません。
日本から放送される“しおかぜ”は、妨害電波にやられます。これは、彼等が恐れているという証拠ではありますが、つまり効果的な影響力を及ぼすという点では、限界があります。勿論やらないよりはやったほうがいいし、やるべきだと思いますけれども。これだけで満足していてはダメですね。

直接北朝鮮の国民一人一人が、自分の目でみられるような自分の目で読めるようなものを手にする必要があります。そのような、直接メッセージを届ける方法について、北朝鮮の国民の中の良識=良質な部分に対して、このメッセージが届くような、そう言う工夫もしなければならない。

そう言う問題を抜きにして、いくら私たちが遠くからですね、北朝鮮の非人道的な、非民主的な、独裁的なことを言っていてもですね、彼等が変わる可能性はないと思います。私は、みなさんが、北朝鮮に直接メッセージを届けるための行動提起があったときには、是非それに参加していただきたい。

今の段階でどういう行動提起をするかというのは、私の口からは今申し上げられませんが、これは近々そういうようなことになるだろうと思います。

私の方からはこれぐらいのことにしておきたいと思います。(拍手)

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2006年10月26日

06.10.7 森木エリ子・劇団てんびん座代表 第15回藤沢集会(12)藤沢産業センターにて

『森木エリ子 劇団てんびん座代表の挨拶』

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皆さんこんにちは。(拍手)
ただいまご紹介を頂きました、私、鎌倉の劇団てんびん座の代表の森木と申します。

去年の8月ですか。
まだこの事件が解決していないと言うのをいつも繰り返し繰り返し新聞で読んでいたんですけれども、また秋になって冬になって今年も暮れてしまう、と思ったときに何して良いんだろう?
その時新聞を読んで一喜一憂して、全く関係ない私はメッセンジャーにもなれないという思いがして、とってもジレンマに陥っていたんですね。
でも皆それぞれのやり方で表現が出来るんじゃないか?
例えば歌が歌える人は歌を歌えばいいし、井戸端会議でも良いんじゃないか?
このことに関心を寄せ続ける事が大事なんだなぁと思ったので、私が出来る事はなんだろう?と思ったらお芝居しかなかったのでお芝居をやりました。

その時にたくさんの方が観にいらしてくださったんですけど、とっても嬉しかった事はアンケートに「私の出来る事はなんでしょう?」と書いてあるんですね。
あぁこれなんだなっていうふうに思いまして、そのまんま8月の公演、再演しました。
突然でいろんな条件も違っていてとっても大変だったんですけれども、本当にそれこそそのときは劇団員一同で、何もかも投げ捨てて一生懸命やったんですけれども。
そのときはお盆で、しかも急に6倍の広さの劇場しか借りられなかったので大変に苦しい経営となりましたが、やはりいらしてくださった方々がたくさんいらっしゃってね。
こんな事を仰いましたね。
後からメールとか手紙で一杯来るんですけれども。

「初めね、私は拉致の事は知っていると思いました。
ニュースなんかで見て嫌だった。
私だって苦労してるのよ。
夫と辛い思いをしたり、子供はグレちゃったり、明日の事を考えたり、立身出世や家を建てる事を考えたり、私は私なりに必死になって今日まで一生懸命生きて来て、なんでここで人の苦しみまで知らなければならないんですか?
私はざっと知っているから、それは大変ですね、と思ってます。
でもこれ以上知るのは辛い」というような事で、「知りたくないのよ。どうして勧めるの?」

と言う言葉を公演前にもだいぶ聞いたんですね。
特に今度の公演はロビーでやりましたので、そのロビーが広かったので、いろんな展示販売が出来ますので、そこで地域授産所の展示販売をしました。
私たちはいつもそうやって障害を持った方々が、そこで何か作ったものの売ったりする場所を提供してね。
やって頂いているんですけども、そのお母さん方が喜んでロビーで展示販売をしてくださったにも関わらず、お芝居にはタッチしたくないと仰るんですよ。

その言葉に驚いて、人間ってこういうもんだなって。
いつもね、うちの子供は障害を持っていてこんなに辛い思いをしている。
それをこの場でね、ロビーを貸してくださってありがとう。
別に売り上げの幾らを下さいって言うんじゃない。
一切無しで貸してくださってありがとう、てんびん座さん感謝しますと言って下さっているにも拘らず、いざ自分がこういう問題にタッチする事は嫌なんです。
皆自分の身に降りかかった事を助けてもらえればありがとうであって、人の身に降りかかった事はちょっと辛いって、私本当にその時しみじみ感じて、あぁ中々世の中進まないんだなって実感しました。

そして例えばこの席にですね。
いろんな拉致の被害者の家族の方々が大勢集まって、新聞に例えば大きく報道されれば人々はもっと集まります。
何倍も何十倍も集まりますね。
横田早紀江ご夫妻が参りますとか、そうすると新聞社の方々も来るんですよ。
それで、大きな集会になるわけです。
それがひっそりとコマーシャルするだけだとこのくらいの人数しか集まらないわけですね。

そうやって人の意識が遠のくと、また新聞社の方でも取材する方でも、あぁこれだけ人の意識が遠のいているならば取材しなくてもいいかなって。
視聴率下がるんだったらばという事で、内容で取材するんじゃなくて、視聴率とかみんなの関心度で新聞記者たちが動きます。
だから私たちはちょっとの事でもきっかけを作って、今皆これだけ関心を持っているんだという事をアピールするしかない、と思うんです。
そうするとまた、総理大臣も放っておけないと思って立ち上がりますね。

安倍総理、絶賛されていたようですけど、ちょっと私個人的には不安なものがありまして絶賛しきれないんですけれども、これはその後の問題という事で期待するしかないと思います。
あの安倍総理のね。
それこそ穴をひっぱたいてですね。
するようになるには、まず新聞記者がばんばん騒がなくちゃならないし、新聞記者がばんばん騒ぐには私たちがもっとこのことに関心を持って一人ひとりの出来る形で声を上げるしかない、と思います。
以上です。(拍手)

・・・集会終了・・・
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06.10.7 特定失踪者家族の訴え 第15回藤沢集会(11)藤沢産業センターにて

『特定失踪者家族の訴え』

Img_2181.jpg

★大澤茂樹さん(特定失踪者・大澤孝司さんの兄)

みなさん、こんにちはです。
私、北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な特定失踪者・大澤孝司の兄で、大澤茂樹と申します。
本日私のほかに二家族の、特定失踪者の家族が参加されております。
この中に初めて集会に参加される方も多いと思いますので、簡単に紹介させていただきます。

皆様方から向かって左側のご家族は、昭和51年、お兄さんが電気通信大学2年生のとき神津島に寮生の仲間と遊びに行き、そのまま神津島から失踪した高野清文さんの妹さんの高野美幸でございます。

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

ただいまご紹介がありました、高野清文の妹の美幸でございます。
今日はご足労ありがとうございます。
今ですね、いろんな方向で拉致が解決の方向を見せているように思います。
ただ、安倍さんが総理になったという事でここで安心してしまうのではなくて、これから本当の解決に向けて私もやっとスタートラインに立った所だと思っています。
皆さんに、言い方悪いですけども穴を叩いていただいて、本当の解決に向けてこれから更にお力をお貸しいただきたいと思っています。

まだ、兄は拉致かどうか分かりません。
分からない人がたくさん居過ぎます。
早く解決する事で拉致かどうかハッキリします。
それをご協力をお願いしたいと思っております。
よろしくお願いします。(拍手)

★大澤茂樹さん

私の隣にいるお二方は、昭和54年、銀行の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、その帰り同僚と別れて最寄のバス停まで来られて、そのバス停から自宅へ戻る間に行方不明となりました寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。

★寺島ロクロウさん(漢字表記不明、特定失踪者・寺島佐津子さんの父)

私、戸塚の寺島ロクロウです。
こちらは家内です。
この事件は私たちにおいては本当に悲しい事件です。
一日も早い解決を願っております。
皆様のこれからの一層のご支援をお願いいたします。(拍手)

★大澤茂樹さん

ありがとうございます。
私の弟は、昭和49年1974年の2月の24日に新潟県の佐渡島で、曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の現場から7〜8キロしか離れていない、トキの保護センターのある新穂村と言うところで、日曜日で寄宿舎の食堂が休みという事で行きつけの飲食店に夕飯を食べに行き、その帰りに突然と失踪した北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な失踪者となっております。

今日本政府の拉致の取り組み状況は、先日7月の5日北朝鮮が挑発的に弾道ミサイルを5発も6発も発射して以来何の拉致問題の進展はございませんが、今北朝鮮の核問題を世界中の国々が核の実験と核武装を断固阻止しようと包囲網を作りますと、我が日本政府はこの拉致問題を解決するいいチャンスじゃないかと思っています。
ありとあらゆる手段を用い、一刻も早く解決して頂きたいと思っています。
安倍新政権が誕生され、先ほど飯塚副代表の方からもご説明がありましたが、首相自ら委員長となる拉致問題対策本部が発足され、私は拉致問題の解決を大きく期待しております。

先ほどまた、副代表のお話を聞いて更に私は安心を致しました。
安倍さんならきっと私ども特定失踪者を含め、すべての拉致被害者を解決していただけるものと私は確信致しております。
それには更なる皆様方のお力で、日本政府に応援して頂かなければならないと思っています。
それをお願いし、私の訴えとさせて頂きます。
どうもよろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※文中に紹介のあった特定失踪者の個別情報は下記の通り

情報は全て特定失踪者問題調査会のHPより引用 
http://chosa-kai.jp/index.html

★氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

★氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19
身長 体重
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

★氏名 大沢 孝司
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
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2006年10月25日

06.10.7 飯塚繁雄さん2 第15回藤沢集会(10)藤沢産業センターにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え その2』



ああいった公聴会で拉致の話をするというのは多分初めてと思いますし、これは正式に下院の記録として残り、アメリカの政治の中にもちょこっと入ってくるという確約もあるようですけど、何よりもブッシュ大統領がですね。
会っていただけると言う情報が実はさっき言ったイングランドさんという副長官が漏らしたんですよ。
私びっくりしたんですけども、「あ、言っちゃった」と「ちょっと今日は黙っていて欲しい」という事でですね。
堪えていたんですが、これはもう確定だなということで準備に取り掛かりまして、私たち全員は会えなかったんですけども。

ブッシュ大統領に置かれましては忙しい中我々一般の市民に、日本のしかも外国の市民と直接お話が出来るという事に非常に感激しておりましたし。
それから「お忙しいのに」と言う言葉に対して「私はこの人権の問題を論議する時間が無いほど忙しくは無い」と。
と言う事は、これ名言だと思っているんですけど、この人権問題というのはまず第一番に最優先するんだという事の意識の現われだと思うんですね。
そういうことから今までの対応も非常にてきぱきやって頂きまして、その後のブッシュさんの話でも「私は最近に無く感動をした対面をした」と言うふうな評価もしておりましたけども。
やっぱり我々被害者家族の訴え、本当の気持ち、家族としての気持ちを訴えたという事に対しては、非常にアメリカのトップまで動かすと言う、こういう結果にもなったわけですよね。

これは単に会ったからと言って解決するじゃないんですけど、アメリカ政府、アメリカのトップがそういう思いでいるということを全世界にメッセージを出したという事ですね。
更には北朝鮮に対してアメリカとしてもこの問題は、こんな問題はあってはならないと言う事の強いメッセージを与えたと思うんです。
そういう意味では非常に、いろんな人のおかげでこれが実現したんですけども、活動の経過の途中の成果としてはあったというふうに私たちは感じております。

折角ですからね。
早紀江さんが大統領に出したお話、これは実際の言葉で自分の言葉でしゃべったんですけど、これを文章にしたものを急いで読んでみます。

・・・・・・・・・・

大統領閣下

私の娘・横田めぐみは今から29年前、1977年11月に13歳で中学校からの下校途中に北朝鮮に拉致されました。
めぐみが行方不明になってから、どうしていなくなったのか分からない。
長い長い20年間の苦悩の日々を過ごして参りました。
めぐみが北朝鮮の工作員によって拉致されたと言う情報が入ったのは1997年の事でした。
亡命工作員の証言によりますと、娘は工作船の暗い船底に閉じ込められ、「お母さん助けて!お母さん助けて!」と壁を掻きむしって絶叫し続けて暗い海を運ばれたと言います。

同封しました物は1年半前、偽遺骨と一緒に日本政府に提供された拉致直後のめぐみの写真です。
めぐみは歌の好きな明るい少女でした。
この寂しそうな顔を見て、私は思わず写真をなでながら「めぐみちゃん、こんな所にいたの?どれほど不安だったでしょう。まだ助けて上げられなくてごめんなさい」と話しました。
めぐみたちはまだ元気であちらにいるのです。
子供たちの失われた月日は取り戻せませんが、世界各国から拉致されたすべての被害者たちを助け出し、これからの人生を自由の地で過ごさせてやりたいのです。
酷い人権侵害に苦しんでいる北朝鮮の人々も助けなければなりません。

大統領閣下と米国国民の皆様のお力添えを心からお願い致します。

・・・・・・・・・・

と言う内容のお話を大統領に直接したわけです。
今日はちょっとめぐみちゃんの写真はここには無いんですが、あ、これのあれですよね。
この写真。(後ろのホワイトボードに掲げた写真を見る)

たまたま私たち一緒にアメリカに行った家族のメッセージも写真と英語のメッセージで出しまして、大統領が一枚一枚全部読んでくれたそうです。
市川さん、これは増元るみ子さんですね。
そしてこれは市川修一さん。
それから、そうか、5人しか行きませんでしたのでもちろん私の方も出しましたけども、非常にそういう意味では日本とちょっと違うなと残念ながら思う場面が多いんですね。

それはそれとしてですね。
ようやくこの問題に対する流れと言いますか、非常に去年あたりは嵐の前の静けさと言ってじっと何も情報も入らず何も活動せず来ましたけども、今が嵐の最中だと私たちは認識しています。
例えば日本の総理大臣がトップになって、この問題片付けるというハッキリした意気込みを形に出来ましたし。
それから世界の人たちについても非常にあちらこちらにおいて、この拉致問題を訴えながらこれは世界の問題として人権問題として、解決しなきゃいけない問題ですよというアピールを相当して参りました。
そういう意味では余り時間が多分かからなくて解決の目処がつくのではないか?と私は楽観的な見方をしていますけども。

なにせキチガイ国家ですから、どうなろうと構わないというそういう乱暴な処置をする国なんですね。
例えば一番ハッキリしているのは自国の国民なんかどうなっても良いと、平壌だけしっかりしていれば良いんだという考えとか。
今金融制裁含めて経済制裁、たくさんの制裁を受けて相当苦しんでいる事は確かです。
そうなっていても構わずわがまま言い放題やり放題。
核の実験については、当然これはアメリカと一騎打ちというか1対1で話をするべくカードをどんどん切って来ているんじゃないかと思うんですけど。
こういった問題と拉致の問題とどうやって上手く平行して進めていけるのかな?と言う心配はあるんですけどね。

もちろん核問題についても日本としては相当な脅威でありますから、そういう意味では徹底した北朝鮮のこういった事を止めさせるメッセージ、努力をしていかなければなりませんし。
また逆に拉致問題についてもこれが片付けばあなたたちは支援が貰えるんだと、言うような事もいつかはチャンスを見て言わなきゃいけないし。
ましてや今北にいる日本人を傷をつけたら承知をしないぞと言う事も言わなきゃなりませんし。
逆に日本人を大事にすればそれだけの報酬はあるということもですね。
どこかのラインの中に入れて伝えていかなきゃなりません。

安倍総理、制裁制裁と言う事の一本やりについては他からの意見も少し出てますけども、今はそれをする、北に怒りを示す。
あるいは非人道的な事をやっていれば制裁するのが当たり前、これはどこの国でもそうですけども、そういうようなことも含めて制裁はするとハッキリと言っています。
ましてやこの核実験なんかすればですね。
これは日本だけではなくて各国から相当な非難を受けると思いますし、日本は隣の国ですから一番怒らなくてはいけない筈ですよね?
そういう面ではかなりの強い制裁があるんではないかと思います。

ですから私たちはそれを見守るしかないんですが、家族会の今年の方針としても更なる制裁をという事で世論の盛り上げを図っていこうと。
それからもう一つが先ほどから話に出ています国際世論にどうやって訴えていくか?
更に訴えて行こう、こういう動きがあります。

それからいろんな法的な措置がここのところどんどん進んでおりますけども、そういった北朝鮮に対する適正化の問題でそういった法律が出来る。
そういったこともきちんと援護していきたいと、いうような形で今後も活動としては余り変わりは無いと思いますけども、このアピール活動は今後も続けて行きたいと思います。

しかしながらですね。
非常に申し訳ないんですけど、横田夫妻がですね。
非常に疲れているんですね。
もう気の毒なくらい疲れているんですよ。
ただ、こういう場所で「私は疲れています」と言えないじゃないですか?

ホッと終った後ね。
私たちいつも仲間ですから話をするんですけども、「手が上がらない、肩が痛い、歩けない」というような話もしているし、当然ながら皆さんも感じていると思いますけど、もう73歳と70歳ですからね。
全国津々浦々飛び回るのは、もう段階としては良いのではないかと。
後は私たち若い、私も若いったって私も68ですけど、他の人たちが手分けをして全国を回る。
あるいはアメリカへ行く、ヨーロッパへ行く。
そういった事を担っていこうと言うふうに覚悟はしていますけども。

とにかく長過ぎますよね、この問題の解決の期間というのは。
ですから長いから長いからいろんな問題がちょこちょこちょこちょこ出て来るんですよね。
だけど私たちの願いはあくまでも一つ、家族を帰して欲しいと早く、それだけですから。
あまり問題を複雑化したり情勢分析をしたり経済的な勉強をしたりと言うのは、当然私たち一般の国民・市民ですから出来ませんが。
ただ願いは早く返して欲しいと、これだけですね。
そういう気持ちを安倍さんは良く理解していただいて、多分この間は涙を流したと思いますけども。

私たちこれから皆さんと共に戦いながら期待しながらまた頑張って行きたいと思いますので、またご支援のほどよろしくお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月24日

06.10.7 飯塚繁雄さん1 第15回藤沢集会(9)藤沢産業センターにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え その1』

Img_2178.jpg



どうも、皆さんこんにちは。
今、司会の方からご案内のあったように私も被害者家族の一人として、八重子のこの最後の写真、これを最後にもう29年も顔を見ていないんですね。
もちろんこの子供が1歳だったとき連れて行かれたんですけども、その耕一郎はですね。
未だに母と呼べない、田口八重子さんって言ってるんですよ。
非常にそういう事を聞くと私も胸が詰まってしまうんですけども、これはもう仕方が無い事実で、抱かれた事もない叱られた事もない抱っこされた事もない、記憶のない人をね。
そうだそうだと言ってお母さんとは呼べないと、そういうことでは非常に気の毒なんですけども。
もう成人になりましたし一緒になってこの問題に対して取り組み、挑戦するんだと言う強い意思の元に今必死にやってますけども、非常にこれは悲劇ですね。

他の家族の方皆そうですけども、一番人生の大事なときに北に連れて行かれてしまったと。
これはもう取り返しのつかないことで帰って来てもですね。
日本にいたときのすべてが取り戻せるか?と。
いわゆるその、向こうに20何年いれば感化される部分も知らず知らずあると思いますし、そういった心のケアだとか、それから経済的な援助だとか、そういった生活を含めてですね。
これからも大変、先に苦労が待っていますという事なんですけども。
私たち、こういう境遇の人たちが集まった家族連絡会というのがありますが、これは全くその家族を拉致された本当にかわいそうな家族なんですね。
こんなに皆さんの前に出て、皆さんの理解を高め支援を頂き活動をしなきゃいけないのかと言う事にも考えとしてはなるんですけども。

先日安倍総理が決まりまして、組閣を始めてそれが決定して3日後にすぐですね。
私たち家族会・救う会の役員の人たちと会いたいと、今までなかった事柄が突然出て来まして私たちもびっくりしたんですけども。
そういう中で安倍さん、以前官房長官時代からこの拉致については物凄い強い態度で行動して参りましたし、それの続きと言っては何ですけども、総理になってからもそれは全然ぶれてないと。
ハッキリと日本人拉致問題は自分の責任において解決させるんだという意識が、ありありと見えてますね。

とにかく、総理になってもやる事が早いんです。
この対策本部を作ると言う事自体も前々から考えていて、自分が総理になったら即それを設置するという事で、我々に対して説明がありました。
対策本部長に総理大臣がなると言うのはかつてない事なんですね。
ですからそれだけにこの拉致の問題というのは、非常に日本の重要課題として、最も基本的な人権の問題として政府としては責任を持って取り組まなければいけないとそういう強い気持ちが、今回の表れだと言うふうに私は感じております。

対策本部の組織図を早速もらったんですけども、もちろん総理大臣が対策本部長。
それで官房長官は官房長官という役割の中に拉致問題対策をやれという、直結した指示を持っています。
それからこの下に事務局長というのがあるんですけど、これは総理大臣補佐官、いわゆる前の中山参与です。
この人は24時間拉致の問題専門に仕事をすると、24時間てちょっとオーバーですけども、専門にこの仕事をすると。
この事務局長の横と下にですね。
それぞれ幹事会と言うのがありまして、これは関係省庁全部の大臣ならびに局長クラスが入って幹事会を開いて拉致問題に対する取り組みも考えていくと言うそういう幹事会です。

今、これが出来る前は「拉致問題特命チーム」と言うふうになっていましたけども、それと同じなんですがもっともっと力をきちっと固めて行きたいと。
その下に更に分科会がある。
それから事務局長の下に次長といいますか、内閣副官房長官補が当たるということです。
それから更には今情報の問題がたくさん出ていますけども、情報担当次長として内閣情報官をここに当てる。
で、その下に今私たちがお世話になっています連絡調整室と言うのがあるわけですけど、多分ここが窓口になって我々とタイアップしながらいろんな情報交換なりあるいは報告なりをしていくと。

で、更にですね。
情報室というのがありまして、これは今まで情報が錯乱していてですね、何が正しいのか?どれが信憑性があるのか?と言うのが分からない。
要するに各省庁単独でやってますから、これを一本にまとめて警察庁も含めてですね、当然。
この本部として情報をハッキリと掴んでいくと。
もっともそれによってどう活動するか?どう動いていくかを決めたいという事ですね。

後は制作企画室と言うのがあって、例えば日本の政治の中にこの問題をどうやって組み込ませて、皆さんと協力しながら解決していくのか?と、言うような事でですね。
錚々たるメンバーなんですよ。
私初めてああいったテーブルに着きましたけども、総理大臣を初め塩崎官房長官、それから各担当の副大臣、それから外務省の面々、それと中山補佐官含めてですね。
この問題に対する直結したメンバーをずらりと並べて私たちと話が出来たんですけど。

ですから先ほど誰だか仰ったようにこの問題を片付けると言う形は、要するに組織は出来たと。
しかしながらその組織は今までに無いような最高レベルのね、組織だと言うふうに私は感動しました。
私もちょっと発言の中でいつも官邸に行くときは、不安な気持ちとか不信な気持ちとかでどうも冴えなかった状態で入って来たんですけど、今日は爽やかな気持ちでここへ来る事が出来ましたと、いうふうに言ったんですけども。
まずその面会の場と言うのは本当に今までに無い確たるものだという事で、私たちも自信を持ちました。

だとすると完全にやってくれる総理大臣以下、対策本部があれば私たちあんまり動かなくても良いんじゃないか?と。
すべて任せ切ってですね。
家で待っていれば良いのではないか?という話もありました。
半分冗談かもしれませんけども、それだけ期待できる組織である事は言えますね。
総理の方からは、いやそれはちょっとという事で、やっぱり皆さん救う会の人たちも含めて世の皆さんにこの問題を一緒になって戦って行こうという事を、出来ればアピールして頂きたいという話がありました。

その後ちょっと感動した場面がありまして、4年前の9・17の日。
5人の方が帰ってきてタラップから降りて、留守家族と抱き合ったシーンが未だに頭から離れない。
早く早紀江さんがめぐみちゃんを抱きしめて迎え出るという事を夢見ていると言うか、実現させたいと。
その時に私も初めて見たんですけども、声が詰まって涙を流したんですね。
総理大臣のああいう姿を見たのは初めてなんですけども、それだけに形も心もやる気満々と言う感じですかね。
もちろん発言もそうですけども気持ちもそうだと、言うふうに強く感動しました。
そういったことで皆さんに報告がてら、詳しい人員はですね。
後ほど発表があると思いますけども、とにかく今までに無い強力な組織でこの拉致問題を取り組んでいくんだという事で、ご報告をしたいと思います。

今日は国際連帯というテーマと聞いていますけど、皆さんにまだご報告はしなかったかと思うんですが、私も4月の25日から1週間、訪米しましてワシントンへ行きました。
その時皆さんすでにご存知のように、横田早紀江さんと一緒です。
行く前まではブッシュ大統領とまさか会えるとは思ってなかったんですね、もしかしたら、と言う程度で。
向こうへ行って日が経つにつれて、そういうブッシュさんと会えるという情報がちょろちょろちょろちょろ漏れてくるんですね。

実は私アメリカの国防総省、ペンタゴンて言いますけどそこのそのときにいたトップと、イングランド副長官と会いまして、家族会、その時参加された家族と話をしてですね。
こんな偉い人と普段会えて話も出来ないんですけど、非常に身近でですね。
目を見てしっかりと話を聞いてくれて、しかもこんな拉致なんて絶対に許せないと言う気持ちでですね。
対応をして頂きました。

この日ですね。
ペンタゴンにいるすべての高官をすべての行事を中止させて全部集まれと。
ですから太平洋総司令官とかね。
それからちょっと忘れましたけど肩書きが物凄い、ずらっとした人たちが座っていまして、私たちの話を熱心に聞いてくれました。
そういう場面とですね。

メインは横田早紀江さんがアメリカの下院でですね。
正式に公聴会という事でこの拉致問題を訴える、これが一つの大きな目的で行ってきました。
このときはまだブッシュさんに会えると決まっていませんでしたけど、この公聴会に訴える文書の内容をですね。
夜中の1時2時まで詰めて、ああいう場面ですからきっちりと時間内に終らなければいけないと、言う事も含めてですね。
何回も練習したり文を直したりしてやっていました。

それを当日ですね。
通訳、向こうの弁護士のスーザン・小森さんという人がいるんですけども、この弁護士さんが通訳して頂きまして本当に感動、私英語は良く分からないんですけど、単に直訳じゃなくてこれを早紀江さんの気持ちまでも通訳して言葉に表したと言う、そういう何か感動した場面がありましたし。
それだけに委員の人たちも非常に熱心に聞いていて、頷いていたという場面があります。

・・・その2に続く・・・
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2006年10月23日

06.10.7 山田文明氏2 第15回藤沢集会(8)藤沢産業センターにて

『山田文明 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表の講演 その2』



更にそこに加えましてですね。
少なくない人々がそれ以上の課題を抱えている。
それは北で、大変な目に遭って来ているという事です。
想像出来ないような目に遭って来ています。
また、中国へ出てからもいろんな目に遭って来ているという事です。

それは何度も売られたと言う経験のある方もあれば、「自分が売られたのは自分の両親が逃げるお金欲しさに自分を売ったんだ」というふうな思い込みをしてですね。
家族に対する激しい恨みの心を持ったままの人たちもいるのです。
現実にそうなんです。
で、親御さんはですね。
自分の子供を助けてやれなかったと言う罪の意識を持っています。

そして、いろんな拷問を受けた人も少なくありません。
その拷問の恐怖がときに甦るんです。
そして極端なうつ状態になります。
向こうではいろんな事を言う、言った事が罪に問われたりいろんな事になりますね?
ですから物凄く神経を使うんですね。
日本に来てですね。
思っている事をどんどん言っても構わないという、この事さえ理解してもらうのに1年くらいかかったりするんですよ。
ですから日本に入られてから、一応安定した精神状態で日本社会での生き方について安心感を持ってもらう。
これに数ヶ月から1年かかるという事ですね。
どんな目にこれまで遭って来られたかによって個人差があったりしますけれどね。

その間においてはですね。
予想外の事が起こったりします。
考えられない行動をされたりする場合もある。
しかし、1年ほど経てばですね。
日本の中での暮らしと言うものが理解でき、少なくとも自分が突然理由も無く捕らえられるとかですね。
収容所に放り込まれるとか、そんな事は無いんだと言う安心感を持ってこられます。
そうするとずいぶん落ち着いてこられる。
ですからそういう期間をですね。
考えてあげて欲しいと言う事なんですね。

もう日本に来てですね。
非常に一生懸命仕事をして自立されている方も多数あります。
若い人たちの場合ですと、本当に性格も素直な良い子が少なくありません。
一生懸命頑張ってくれます。
ですから日本に受け入れて、決してそれがですね。
日本の社会のお荷物になるとか、そんな見方をする必要は全く無いと私はこれまでの経験から考えています。
最初のケアがいる。

特に日本に到着されるまでのときは、やはり多くの大変な経験の中でそこから逃れてしっかり生きていくんだと、その為にはどんな事でもする。
その途中命がけで来たんだと言う決意があります。
その時にその決意の時にしっかりまず日本語に取り組んでもらい、職業に就くという練習をしていただくと言ますか、そういう機会が必要だと。

韓国の制度を悪く言うつもりは全くありませんが、韓国は非常に手厚く脱北者を保護しています。
国内に入った場合、3年間は簡単に言えば働かなくても生活できる状況を作ってくれます。
住宅も用意してくれます。
そうすると3年経った後、みんな自立をして仕事をしてくれるのか?と言うと上手くいってないのです。
それはやはり3年間、安心しきっちゃう。
仕事をしなくても暮らせる状況が続いちゃうという事ですね。
そして職業経験の無い人がそういう状況になるために、3年経ってから仕事をしろ言われても、定着出来ないですよ、仕事にね、入れない。

だから、もっと仕組みは考える必要がある。
私は日本でそういう手厚さはいらない。
むしろ最初の期間だけ支えてあげる。
そして仕事がどういうものかを経験していただく場所をたくさん作って欲しい。
これは企業にお願いするしかないと思います。

その時、雇ってですね。
全部そこで仕事をしてもらうと言う考えじゃなくして、1週間で辞めちゃうかもしれない。
それでいいんだというつもりです。
会社に役立つ仕事をして貰えないです。
そこを耐えて欲しいと思っているんですね。
ですからむしろ、補助するのはご本人じゃなくて雇ってくれた企業に給与保障をして欲しいと思っています。

そして日本での会社の仕事はこんなふうなんだと言うのを1週間で辞めてもいいから、いろんな所でとりあえず経験してみる。
そんな中から職業経験というものを少しでも持ってもらう。
職業意識をしっかり持ってもらって本当に勤めるところを、健康になれば気持ちも安定すれば勤めていって貰うという事ですね。
そういう仕組みがあればですね、良いのではないか?
例えば、そんな事を考えております。

現在、その他の方では日本から北に行った在日のコリアンの方の娘さんが一人、それから娘さんとそのお兄さん、兄妹ですね。
兄と妹さん、この二組が今直接私どもの関係で助けて欲しいんだ、日本に行きたいんだと言う連絡が来てます。
日本国籍者でもないし、元日本に住んでいた人でもない。
そのご家族だという事で、どう出来るか?
政府にも今お願いをしているところです。

だた、この事例で私たち初めて経験したと言える事がある。
それはこの二組のご親族です。
お兄さんと妹さんのご親族は、「ともかく日本に来れるようにしてやって欲しい。日本に来れば私たちが全部後はやります、親族で」
こういう、これは当たり前だと思われるかもしれませんが、そんな事例は無いのです。

もう一人のお嬢さん、娘さんについて連絡を取っているのはおじさんに当たる方ですが、当初少し戸惑われました。
何とかしてやりたい、いう事でありましたが親族ともいろいろ相談したけれども皆いろんな事情がある。
すぐに皆意見はまとまらないというような事でありました。
しかしその後また経過が来て電話を頂きました。
「自分たちの方で引き取る。そして自分たちの方でも相談して、住む所やいろんなことも準備できた。日本人のあなたがこういう問題でやってくれるなら、私たちもやります」
と言って下さいました。
それに加えてですね。
「他に4〜5人なら自分たちの方で引き受けて、住む所も用意出来るようになりましたから」
こんな事まで言って下さった。
私たち初めてなんですね、こういう経験はね。

これまでの多くは、「あなたのご親族と言う方が北から出て来ていらっしゃるが?」と連絡をしてもですね。
多くの場合は北に行くときにね。
「あれだけ反対したのに勝手に行ったじゃないか。そりゃ北に行って苦労したかもしれないが、日本で残った自分たちも大変な苦労をしてようやく今まで来ているんだ」と。
「今になって助けてくれ言われたって、そんなことは出来ない」言うふうな事や、日本人妻でもですね。
そのご親族は、こういう経験がありました。
電話をすればね。
「そういう親族がいる事を夫にも言っていない。二度とそんな電話してくれるな」
つまりもういない事にされているんですよ。
そういう場合が多い。

また実際に特に在日コリアンの方の生活を私どもの関係で見てますと、この長期不況の中でですね。
経済的には大変上手く行かなかった方々が多いし、また高齢にもなられています。
そんな関係でですね。
支援したくても出来ないという方も多い。
ですから親族だけの力に頼る事も出来ない、と考えております。
そんな中でこの8月に出会ったご親族の対応は本当に勇気付けられるものであったし、こういう方々がもっと増えてくればですね。
もっともっと脱北者に対する対応も変えられるなと思っております。

今後、脱北者の方々が、まだまだいろいろ出てくると思います。
その方々を日本の関係者であるならば、少なくとも日本国籍者であったりですね。
あるいは日本で定住している人・永住している人の親族であるならば、日本は救うよというくらいの姿勢を日本政府・日本社会は示して良いのではないか?
そして中国へ脱出すれば、そこで新たにまた被害を受けることなく救って貰えるんだという状況が北の中に伝わればですね。
いろんな良い効果も出てくるだろう、そういう希望が北の中に伝わる事が大事だと思ってます。

北の中にですね。
中国に出れば、後は何とか世界のいろんな国が助けてくれると言う、この事実をどんどん伝える事が大事だと私は思っているんです。
孤立はしていないんだという事です。
北の人々もこれまでの話にありましたように、金正日政権の被害者である事は間違いない。
あの政権を支持しているなんてとんでもない、そんな事はもう今では無いです。
ですからその人たちに孤立していない、その事を伝える事、これが大事だろうと思っています。

北の核問題もありますけど、その中での今日の産経新聞にこんな事が出ていました。
北の方の内容のいろんな所からの情報として伝えられる話ですね。
「北の住民の一部では密かに『早く米国との戦争になればいい』との声が高まっている。米国が北朝鮮を開放すると言う意味だ」
もう戦争になってもいいと。
こんないつまで生きていられるかという状況が続くよりも、早く戦争になっても構わないと。
それは決して日本を恨んでや韓国を恨んでや反米からではありません。
この状態を逃れたいということなんですね。
そういう人々に世界から孤立していないと言う事実を縷々伝える。
これは必ず北の中でいろんな変化を生み出すだろうと思っております。

私たちの方は今後出来るだけ早い時期に、再び朝鮮総連を訴える裁判を起こすつもりでおります。
これは9万3千人、帰国事業で北に送っていた、このときの言葉が「地上の楽園」なんです。
本当にそう言ったんですよ?
徹底的にそういう教育をまたしたんです。
・・・(聞き取れず)を見せたり、いろんなものを見せたりね。
北に帰る人たちに何の準備も要らないと、裸で行ったら良いんだと、全部準備されているんだからというね。
そういう説明をしてたんですよ。
これはね、明らかに虚偽の宣伝であってね、虚偽の説明で人生を誤らせた。
これはもう犯罪だという事ですよ。
この点を裁判でですね。
法的にも判断してもらおうと考えております。

かつて一度やりました、私たち。
キム・ヘイルさんという脱北者で、ただこの人が脱北したのが早過ぎたといいますか、1964年に脱北してたんですね。
で、時効でですね。
最高裁まで行きましたけど、時効だけで終った。
内容の判断をしなかった。
今回は最近脱北して来た日本人妻やその他の人何人かを考えて準備しております。
親族がまだ北にいる人たちなんですよ?
私はそれを心配しているんですが、その人たちがね。
ある日本人妻の方がこう言いました。

日本に来て少し、もう2〜3年経つんですよ。
それでも対北の関係で何の進展も無い。
自分の知っている日本人妻やそういう人たちもいるんです。
自分だけひとり助かっているわけには行かない。
自分の子供たちもまだいるけれど、自分は黙っているわけには行かない。

そういうふうに言ってくれました。
そういう、北に残った人たちのためにやるんだという、そういう脱北者や日本人妻の人たちが徐々に出て来ています。
そういう人たちの力で裁判を起こして行きたい。
朝鮮総連の犯罪性をハッキリさせてやる。
同時にそうであるならば、その人たちが日本に来るための対応をするのも、一つの被害者救済として法的にも成り立つのではないのか?という事であります。

そんな形で北に対する人権上の運動が広がっていく事が、大きなやがては流れを作り出すものだと考えております。
そういう点で皆さんも脱北者の人たちに対するご理解を持っていただきたいと思います。
どうかよろしくお願いします。(拍手)
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2006年10月21日

06.10.7 山田文明氏1 第15回藤沢集会(7)藤沢産業センターにて

『山田文明 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表の講演 その1』

Img_2171.jpg 

 

どうも、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会というものをいろんなメンバーとやっております、山田文明と申します。
よろしくお願い致します。
救う会の皆様のこういう集まりで、私どもの事も話をさせていただく時間をいただけた事を何より嬉しく思っております。
今日は限られた時間の中ですので、この夏にあった問題を中心にちょっと説明を話をさせていただきながら、その点について皆さんのご理解を得たいと思います。

私ども、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会、この名前は元々本来は1959年12月から始まりました日本政府がいう帰還事業、向こうを国とは認めておりませんので帰還事業という言い方になったわけですが。
北朝鮮へ帰るということを希望した在日コリアンの人々、その人たちが北朝鮮に帰っていく。
それを国交の無い国でありますから赤十字社の事業として推進した。
その事によって9万3千人ほどの方が向こうへ渡って行かれた。

その中に、在日コリアンの人と結婚されていた日本国籍者もですね。
大体4600人ほどが子供さんたちを含めて一緒に渡って行ったわけであります。
その中の1300人ほどが日本人妻という立場であったわけでございます。
この帰国事業で北に行った人たちの状況はですね。
とんでもない状況にあるという事をそのご家族から聞き、これは少ししっかり調べてですね。
考えなきゃならんのじゃないか?という事で始まったのが私たちの会でありました。

その後1998年ごろからですね。
脱北と言う問題がクローズアップされました。
その中に帰国者が含まれてきたという事ですね。
そしてその人たちが、つまり中国へ逃げたその後ですね。
何とか救われたいという事で、日本の親族に連絡があったりいろいろする。
その過程で私たちの会にも「実はこんな連絡が来たんだがどうしたらいいんだ?」と相談もあった。
そんな事から脱北者と言う立場の人と関わりを持つようになり、現在かなりの時間・労力をそちらに取られていくというか、取られていると言う言い方はおかしいですが、この問題に関わっているのが実情でございます。

前置きはそれくらいにしまして、この夏、実は二人の日本人妻であった人、あったというか日本人妻ですね。
もう80に近づいたお二人の方が、一人は自分の北朝鮮で生まれた娘さんをお連れになり、もう一人は北朝鮮で生まれたお孫さんを連れて中国まで出てきたと、言う状態の連絡を受ける事になったのです。
そういう状態を把握した。
それでどうするかという事になりまして、少しいろいろ時間がかかりました。
途中、こういう場合はですね。
善意でその人を助けてあげて日本に行けるようにお手伝いをしようという人が少ない。
中国へ出てからですね。
そこで巡り合う人たちの中に現在はかなりいろいろな形のブローカー、お金目的でですね。
関与しようとそれをやろうという人たちがたくさんいるわけです。

ブローカーがすべて悪いとは言いません。
危険を冒しながらもですね。
一生懸命匿い、保護されるまで対応してくれる。
それは事実そうであります。
ですから、これをブローカーはすべて悪いとは決して言えない。
そういう人たちがいなければ救わない人がたくさんいるわけですから。

しかし悪質なブローカーにかかると実際には保護されるのではなく、女性だと売られていってしまうという事例は数限りなくあるというわけです。
そういう事例は、PRで恐縮ですがこの中で証言してもらった人、自分も姉さんも妹もみんな一緒に売られていった。
幸い奇跡的に後で合流して、韓国のキリスト教団との連携もあって韓国まで無事に到着出来た人たち、その人たちの信じられない話などが出ております。
こちらにお任せいたしまして、そういうブローカーとのつながりを何とかつけながらですね。
その場合一定の費用もかかるわけです。
確かに匿ってもらうにはお金もいる。
本人たちはお金がありませんから、そうするとどうしようかという事になり、いろんな工夫をしていくわけです。
そしていろんな経過を経て安全なところで保護していただくと、そして日本に入国されるのを待つという事になります。

安全なところに保護されると言うのが、いくつかの場合がございます。
ひとつは日本の領事館・大使館に保護されると言うところまでいくという事ですね。
かつてはそれが非常に困難、出来なかった、そういう対応が無かったときは、ベトナムを経由したりしながら遠いですとタイまで、あるいはモンゴルまでというようなルートを経ながらですね、第3国まで出る。
そこで初めて日本の領事館・大使館に、日本の関係者であるからというようなことで対応をしてもらっていたわけですね。
いろんな事があったわけであります。

この度の日本人妻とお二人の娘さんお孫さんは今安全な所にいます。
中国がどんな対応をしてくれるかによって、後どれくらいで日本に入って来られるかどうか分かりませんが、ひとまずは安全、と言うところまで来た。
で、この人たちが日本に着いたとき、どうなるか?ということなんですが、日本に到着するまでは政府の関係の方がきちっと届けてくださるんですね。
日本に着いたら空港で、この、どう言いますかね。
空港に出迎えに行きまして、そしてこちらでお預かりするという事になるわけですね。
その約束をまずしておかないといけません。
日本での身元引受人になりますということで、そういう事になります。

そして空港で出会いまして、それからどうするか?と言うのが後は全く私的な問題になるわけなんですね。
空港で出会ってどうするか?と。
今夜どこへ泊まってもらおうか?これから食事何を食べるんか?全部これから始めるという事です。
その時泊まってもらう準備がそれまでに出来ていなければ、ともかくどこかホテルをとってですね。
そこに入ってもらう、そして出来るだけ早くもう少し経費の安く済む所を探すという事になります。
そしてアパートを借りて、その場合当然いろいろな費用が要るわけですけどね。
それは何とかみんなで思案して入ってもらう。

そしてそれから日本に入ってからの在留の資格をどうするか?と言う問題が出て参ります。
とりあえずは臨時のですね、これは密入国ではありません。
きちんと日本政府が認めて入っているわけですが、在留資格がハッキリしない。
そこの手続きをし始めます。
そしてひとまず、そういった手続きが何とかなればですね。
まずしなければならないのは日本語の勉強なんですね。
特に若い人たちにとっては日本語無しには日本での今後の生活は考えられないです。
いかに早く日本語を頑張って勉強していただくか。

それから大体ほとんどの場合が健康を害されている場合が多いんです。
検査を受けていただき、可能な治療ならするという事になります。
今回お出でになる(方の)場合、お一人はまだお元気なんですが、もう一人は体をちょっと壊されていると言う事。
お元気な日本人妻も、これまでの連絡では日本語をだいぶ忘れていらっしゃると言う事なので、日本語の勉強をこれからしていただく事になるかどうか。
まぁお歳によってどうするか、考えなければならないわけですけどね。

お嬢さん、娘さんが40代くらいで、長年の栄養不良から失明状態だという連絡であります。
それは中国に入られたときから、そちらを聞いておりますけども。
じゃ、日本で治療が出来るかどうか?
大体失明と言うのはいったんダメになると回復が難しいですね。
そうすると目が見えないとすれば、今後どうして行っていただくかですね。
まだ若いですから、目が見えなくても何とか生きていけるそういう準備をどうしたら良いかですね。
これもこれまで私ども経験した事の無い形であります。

そういうふうにしてから、今度は何とか自立してもらいたいという事を考えますので、高齢の方やご病気の方は生活保護を頂くしかありません。
地域へ行きまして市の方と相談をいたしまして、実はこういう人なんだという事でですね。
説得し切るしかないんですね。
ともかく出来るだけ自立を早くしてもらうから、その間しばらくだけでも生活保護で支えて欲しいという相談をする。
そんな事から始まっていきます。

で、仕事をしていただく。
これはもう、若い人・元気な人ならそれは必要であります。
ところがここで問題が生じますのは、例えば20代30代40代、まだ仕事が出来る年代であり健康な方であるとしても、北朝鮮でですね。
職業経験が余り無いのであります。
それをご理解いただきたいです。

なぜなら北の多くの職場は崩壊しております。
工場は原料もないし、エネルギーも無い、電気も来てませんから稼動していないところがほとんどなんです。
だから仕事をしていないんです。
それでも出勤するんですよ?
出勤しないと罰せられるんです、捕まったりするんですよ。
出勤して職務と関係の無い事をやるんですね。
ですから決められた時間、きちっと仕事をするとそういう習慣がないわけであります。

それと更にはですね。
仕事をしたら給料をもらえる、これは当前の事ですよね?
北にも給料はあるんです。
だけど北朝鮮の給料は生活できる金額ではありません。
極めてわずかです。
なぜなら向こうは配給によって食料は確保すると言う前提の制度ですね。 
そんな給料なんてホンのわずかですよ。
それも現在はほとんど支給されないとかいう現状が続いているわけですね。
仕事をしたら給料がもらえて、給料をもらったらそれで暮らせるんだと言う意識が無いわけです。
知らない、そういう事を。

そういう状況の中でね。
日本のように労働密度の厳しい職場にパッと入って、体力的に耐えて仕事が出来るか?といったら出来ないんです。
職場へ行っていろいろ失敗したりはじかれたり、当然しますね?
叱られます。
もの凄いショックを受けるんですね。
こんな事を言われたと、差別されていると、北朝鮮から来たから差別されるようになったと。
そうじゃないんです。
説明しなければなりません。
日本人だって失敗して職場で叱られたりしながら仕事を覚えていくんだと、それに耐えてもらわなきゃならない。
あなたが特別差別されているんじゃないんですよ、という事を理解してもらわなきゃならない。
そういう時期が必要なんですね。

・・・その2に続く・・・
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2006年10月19日

06.10.7 杉野正治氏2 第15回藤沢集会(5)藤沢産業センターにて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 その2』

後もう一つ特徴的なのは、これは神奈川県内には見当たらないんですけども、出身の学校、これは非常に不思議な事なんですけど、失踪者の出身校と言うのを調べてみますと同じ学校出身の人と言うのがかなりあるわけなんですね。
450人くらいの中で、およそ300近くのサンプルがあるんですけれども、その中で中学校・高校で同じ学校出身の方というのは実は10組おられます。

後もう一つは大学なんですけども、関西の某有名私立大学、名前出ている事もありますからご存知の方もいらっしゃると思いますけど、そこだけなぜか9名いなくなっている。
非常に特徴的なところ、結果というのが出ています。

あるいは失踪の状況といいますか、言うところでまた特徴的なものがいくつか。
例えば車に乗って出かけてそのまま失踪したというケースがあります。
この中にはですね、車ごといなくなっている人が何人かいる。
事故を起こしたんじゃないだろうか?あるいはどこか、いわゆる蒸発と言うんですかね。
自分たちで家出しちゃったんじゃないか?というのも、他人が見れば考えられるんですけども自ら失踪するとは考えられない。
大捜索をしても車はおろか事故の形跡すら、車の破片もない、いうケースがこれいくつかあるわけです。

あるいはですね。
車を残しての失踪もあるんですけれど、こちらの方はまた逆に変な残り方なんです。
皆さんご存知かもしれませんけれども、福井県の小浜で拉致をされた地村さんご夫妻。
展望台に地村さんの軽トラックが放置されていたわけなんです。
なんですが、鍵を車の運転席のところに引っ掛けてあった。
そういう残り方なんですね。
地村保志さんというのは非常に几帳面な方で、そういった乱暴な止め方をする人では決して無い。
しかも拉致されるんですから、わざわざご丁寧に鍵を引っ掛けておくなんてのも変な話なんです。

そういうことまで考えるとこれはひょっとすると地村さんは、あの展望台で工作員に拉致をされたと本人は仰っておられるようですけども、どうも違うところで拉致をされたんではないだろうか?
拉致をした後に、後か前か分かりませんけども、誰かがあそこに車を置いて偽装工作をしたのではないだろうか?と言うのも十分考えられる。

同じ不審な車の残り方と言うことからすると、例えば非常に車を運転するときはカーステレオをガンガンにかける人なのに、車が発見されたときはカーステレオはボリュームが最小にしぼってある。
本人は外でお酒を買う人じゃないのに、缶ビールの買い物のレシートが残っている。
あるいは水戸でいなくなった人なんですけどこの人は、今警察では車の移動を途中で撮影が出来る。
それの記録なんかを見ると、一晩のうちに千葉県の房総半島の方までずっと下ってきて、また戻ってきて、茨城県内で車が発見される。
本人がどうしてそういう移動をしたのか?全く分からない。
そういうような非常に不審な事件があるわけでございます。

あるいは失踪するときにですね。
いい仕事が見つかったというふうに言い残していなくなった人。

あるいはフェリーを利用した方と言うのがかなりたくさんいらっしゃるんですね。
フェリー乗ったのに降りて来ないとか。
これが拉致だとして考えると、乗った事は乗った。
しかし、落ちたと見せかけるために、あるいは途中で車のトランクか何かに入れて、とそういった事も考えられる事です。

こういったようにですね。
今日はマッピングリストという、こういった事をしていると言う紹介になるんですけども、こういったことを改めて私ども明らかにして近く発表させていただこうと思うんですけども、いずれにしましてもこうやって分かるようにですね。
日本人拉致というのは、非常にこの職業ですとかね。
失踪の形態なんかを見ますと、ただその辺を歩いている人を海岸べりを歩いている人を、工作員が袋詰めにして持っていくと言うだけではない。
おそらくどういう人を拉致をするか?どういう人が必要なのか?いう事を非常に周到に考えて拉致をしていった。

おそらく、これは一番やりやすいのは本人をその気にさせる。
北朝鮮はいい国だ、北朝鮮にひと月くらい行って見ないか?
その気にさせておいて持っていく、と言うのがおそらく拉致をする方からすれば一番楽なんでしょう。
あるいは騙して海岸べりまで連れて行く。
ちょっと旅行に行かないか?
原敕晁さんなんかがそうですね。
そこからは強制です。
中には最初から強制と言うのもあるかもしれませんけども、犯罪者の心理とすれば非常にリスクが高くて少ないんじゃないか?というふうに思っています。
こういった事を中心に私どもは現在も調査を進めております。

しかしながら、残念な事にこれだけでは非常に限界があるわけでございます。
真相究明というのは確かに大事な事なんですが、我々の自己否定になるんですけど、真相究明をしてから政府認定を得てそして北朝鮮に返せと言う。
この順番でやっていると一体何年かかるか分からない。
真相究明をして救出ということではこの問題と言うのは、こう言っちゃなんですけど永遠に解決しない。
逆に言うと救出を先にして、それから真相究明でも良い訳です。

そういった意味においてはこの安倍政権、拉致被害者の救出。
これは言い換えればあの政権を如何にして崩していくか?言う事以外有り得ないと思います。
この集会3ヶ月に一回開かれておりますけども、必ず人権と言う事を冠にして活動をされています。
北朝鮮にとって拉致問題はもちろん重要な人権侵害であります。
であると共にですね。
自国民を蹂躙し、飯を食わせずに、そして迫害をし強制収容所にぶち込む。
この人権問題で我々は攻めていくという事は非常に重要な事であるという事です。

今日はその問題については先ほど宋さんが仰いましたし、この後山田先生からもお話があると思いますけど、この間の通常国会で北朝鮮人権法というのが通過致しました。
これは拉致問題について真相究明をしていくいう事に、脱北者の保護と言う事も書いてあります。
これについては異論のある人もいるんですけど、人権問題で攻めると、北朝鮮を攻めると言う事は非常にこれ重要な事なんです。
北朝鮮にとって非常に怖い事であります。

かわいそうだから助けてあげる。
基本はそうなんですけども、人権問題というのはこれは国際的なルールでありますから、国際的な連携、12ヶ国で拉致被害者がいるということ。
拉致の事だけではなくて、拉致は人権問題で北朝鮮を崩壊に追いやる言う事が、別の意味で拉致問題の解決につながる、いう事を是非皆様もご理解を頂きたいと思います。
以上で私の話を終らせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)
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2006年10月18日

06.10.7 杉野正治氏1 第15回藤沢集会(4)藤沢産業センターにて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 その1』

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皆さん、こんにちは。(「こんにちは」の声)
今ご紹介を頂きました調査会の杉野でございます。

先ほど来お話にも出ておりますけども、安倍内閣と言うのが先日誕生をしました。
安倍総理自らが拉致対策本部長になりまして、この問題を解決すると言う強い決意を見せられたわけですけども、一言で印象を申し上げればこれでやっとスタート地点に立ったのかな?と。
やっと道具が揃いました。
これからどうやって拉致被害者を取り戻すのか?
まずは拉致被害者、どういった方が拉致をされたのか?

私ども調査会が出来まして、年が明ければもう4年になるわけですけれども、私どものところに今460名の方から自分の家族も拉致をされたのではないだろうか?と、今日も会場の中に御家族が数名いらしておりますけども、460名の方。
警察にはその倍、900名くらいの方が同じようにご相談をされています、と言うふうに伺っています。
この方たちの中であるいはこの方たち以外で、一体どんな人が拉致をされて日本人の拉致被害者一体どれくらいいるんだろうと言う事が、実はまだ分かっていないわけです。
私ども調査会と自分たちで言っておりまして自分たちで調べているんですけども、私たち自身も実は良く分かっていない。
少なくとも100名以上と言う規模で日本人が拉致されているんじゃないか?いうふうには考えておるんですけども、じゃあ一体どこまでなのか?

日本の政府はですね。
これまでは小泉政権の時代、私どもも再三申し上げて来たんですけども、一体日本人の拉致被害者はどれくらいの規模いるのか?どこにいるんだ?と、これを調べて欲しいというふうに申し上げてきました。
しかしながらおそらく分からない事も多いんだろうと思います。
結局それに対する答えと言うのは、未だ明確にはなっておりません。
一体何人拉致されたのか?分からない。

しかしながら今回安倍内閣ですね。
拉致対策本部と言うのが出来ました。
日本には警察を初めとして公安調査庁、それから海上保安庁、自衛隊の中にも情報機関というのはあります。
こういった各情報機関の情報を統合してですね。
日本の国として失踪者にこういう情報があるというのを一括して調べていただいて、一体どのくらいの規模日本人が拉致されているのか?
いう事をまず明確にしていただきたい、いうふうに思っております。

これはこれまで言ってきた真相究明と言う事なんですけども、真相が分かっただけでは実は何もなりません。
取り返さなければいけないんです。
どうやって取り返すか?ということをこれから、これはもう長い時間をかけるべき事ではありません。
今市川さんも斉藤さんも仰いましたように、親御さん、もうかなりご高齢の方がいらっしゃいます。
特定失踪者のご家族でもこの3年半、4年近くの間にずいぶんたくさんの方が亡くなられています。
それを聞くたびに私ども、この問題一刻の猶予も許せないと思って活動を続けているわけでございます。

そこでですね。
本日は私ども調査会、先ほど申しましたように平成15年の初めに設立をいたしまして、これは皆さん私もいろいろな所で話もしておりますしこの集会でも申し上げたかと思いますけども、当初小泉訪朝9・17のとき北朝鮮が拉致を認めました。
その中で曽我ひとみさん、佐渡で失踪されました曽我ひとみさんの親子。
この方は全く日本の政府も警察もみんな拉致だと思ってなかったんですね。
この方たちが実は拉致をされていた、いう事実が明るみになったことから私どものところにご相談がたくさん来ているわけでございます。

その当時かなりのたくさんの方が100名以上の方がご相談を持ちかけられたんですけど、私どもとしてはそれを整理しなきゃいけない。
パソコンなんか使ってデータベースを作っていたんですけど、非常に奇妙な偏り・塊と言いますか、例えば職業ですとか例えば失踪した年代というように奇妙な塊があるという事に感付いたというか、誰でも分かるんですけど。
という事でこういったものを整理して参りました。

最初の頃はこういったものをいろいろ発表しておったんですけども、真相の究明と言う原点に改めて立ち返ってやらせていただきたいと言うこともあって、この9月からですね。
マッピングリストと言う名前で、これは名前適当なんですけどもマッピング、つまり地図を作る意味なんですけど。
例えばここにいらっしゃる市川さんもそうなんですけども、1978年アベックで失踪された。
こういう方っていうのは、アベックで失踪と言うのは実はおられるわけなんですね。

そういった特徴、あるいは後ろの方に私どもの作ったポスターが貼ってある、休憩時間にでもご覧になられたら良いかと思いますけども、例えば1960年代後半、就職の決まった高校3年生が立て続けにいなくなっている。
これは何か意味があるのではないだろうか?
あるいは1991年平成3年、若い女性が立て続けにいなくなる。
こういったものを私どもとしては分類してそしてご提示をしていきたい、というのがマッピングリストと言うのを発表させていただいております。

まだ途中なんですけどこれは今年中にでもまとめてご発表させていただきたいんですけど、例えばですね。
今日は時間の関係で余り詳しくは申し上げらませんけども、例えば年代。
先ほども申し上げましたように1960年代後半、男子高校生が立て続けにいなくなる。
あるいは1970年代中盤から後半にかけて、男子大学生がいなくなる。
今日は高野(清文)さんの妹さんがいらっしゃってますけど、皆さんお聞きになったかもしれませんけども、埼玉の川口でいなくなった藤田進さん、大学生でした。
その直後ですね。
同じ年の直後、高野清文さん、これは電通大の学生さんだったんですけども場所としては外れるんですけども、神津島でいらっしゃらなくなっている、いうような事。

あるいはアベックという事で言えば、1970年代を中心に立て続けにいなくなっている。
ちょっとざっと数えただけですけども、これはご夫妻あるいはきょうだいということも含めれば、この1970年代に11組のアベックが、これは拉致被害者、蓮池さん・地村さんそれから市川さん・増元さんを含めてですけど、そういった非常に特徴があると。
これは年代からいうと、古くから全部が全部拉致されたとは言えないかもしれないんですけど、1950年前後から私どもに来ているリストの中には2000年後まで来ています。

これが拉致だとすると横田めぐみちゃんの名前が出てきた、あれは日本で拉致問題が浮上したその後も、拉致をしていたかもしれない。
我々はまさかそんな最近までやってないだろうと思ったんですが、安明進氏にその事を話したら「そんな事を考えない方が良い、北朝鮮は何があってもやる、必要であれば」と言うふうに申しております。
と言う事からするとかなりの長いスパン、非常に恒常的にレギュラーなサイクルとして、北朝鮮は拉致をやっていたのであろうと言うふうに考えています。

あるいは失踪者の場所という、地域的なものという見方のマッピングも作成しています。
先ほども話が出ました埼玉県の川口市、今日お出でになっています飯塚さんの妹さんの田口八重子さんも、ご実家は川口市であります。
この川口ではかなりたくさんの人の失踪がある。
それぞれ非常に拉致をした可能性が高いと思われる方が何人もいらっしゃる。
それから兵庫県の神戸も、神戸の中でも非常に偏った地域で失踪者がかなりいる。
田中実さんと言う政府認定の拉致被害者がいますけども、この方もその地域の中にいらっしゃる、という事でございます。

それからもう一つ特徴的な事は職業、職業的な特徴が非常にあるわけです。
例えば私どものリスト機械的に見ただけですけど、特に多いのは看護婦さん。
なぜか看護婦さんが多い。
それを含めて医療関係者が非常に多いです。
大体400名の中でおよそ20名の方が看護婦さん、医療関係者の方々である、という事であります。
中には医師の方あるいは薬剤師の方、あるいは医学書の翻訳をやっていた方、という人も含めますとおよそ20名。

それともう一つ印刷関係者が非常に多い。
これはですね、年代が限られていまして1970年・昭和45年を中心として、大体前後3年間というふうに考えていただいて良いと思いますが、そういった方がおよそ10名います。
印刷関係者と言うと、皆さんピンと来られるかもしれませんけども、もしかすると北朝鮮が作っている偽ドル、偽札というものの技術のために、もしかしたら拉致されたのではないだろうか。
中には非常に高度な知識を持っておられる、つまり日本でお札を作るようなところに就職される方というのも含まれております。

あるいはですね。
電電公社の職員の方、市川修一さんも電電公社の職員でございました。
こういう方も6名の方がおられます。
あるいは電話交換士とか電話に関連した方です。

あるいは女性の方ですね。
先ほど看護婦さんと言うのが出てきましたけど、美容師・理容師、あるいはパーマに行くと言ったままいなくなった。
いう方が、これまた非常に多い。
あるいは洋裁だとか和裁、編み物教室へ行く途中だったとか。
あるいは和裁の先生のところから商品を届けに行く途中いなくなった、言う方が非常に多い。

あるいは自衛隊員。
この神奈川県にも自衛隊の基地・施設と言うのがあります。
特に横須賀には陸海、武山の方にもございます。
こういったところに勤務していた、なぜかこれは元自衛官、自衛官を退官した人の失踪が非常に多い。
ご存知の方もいらっしゃると、これは川添会長の方が非常に詳しいんですけど、よど号の妻である八尾恵さん。
この人はあそこでカフェバーを開いて、そしてお客に米軍の関係者、自衛隊員という人が来ていたんですね。
そういう所から情報を取り、あるいはリクルートしようと言う事をしていたと言われています。
そういったものと関係があるのではないか、と言った事が考えられます。

で、これは神奈川県の特徴なんですけど、元自衛隊員で退官をしてその後自動車工場の季節工に再就職して、そのままいなくなっちゃったと言う人も数人おられます。
神奈川の自動車工場いくつかあるんですけど、日産自動車ですね。
あるいはその他いろいろあるんですけど、自動車教習所、建設に携わっていた人。

・・・その2に続く・・・
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2006年10月17日

06.10.7 宋允復氏 第15回藤沢集会(3)藤沢産業センターにて

『宋允復 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会事務局次長の講演』

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どうも、何回かこちらにはお邪魔させて頂いたんですけど。
今日本当にさわやかな秋の日で、モンゴルに関してお話ししようと思ったとき最初に思いつきましたのは、もちろん8月7日でしたから日差しが強くて夏日でしたが、風のさわやかさが印象的で今の藤沢の気候のような感じだったんですけど。
東京を出発するときは東京はジメッとしたうっとおしい季節だったんですけど、モンゴルに着いたらカラッとさわやかに過ごして、それだけで行って良かった。

と申しますのも、ちょうどモンゴルは今年建国800年なんですね。
チンギス・ハーンから800年。
夏と言うのは向こうは一番の観光シーズンで航空チケットが高いものですから、そんなに4日間も・・・(聞き取れず)とぐずぐず言ってましたら、今ここにいらっしゃる山田代表に叱られてしまいまして、何を言っているんだと。
私どもの代表が山田なんですけど、せっかく日本の先生方もご苦労してモンゴルと言う国で開催にこぎつけた物ですから必ず行ってくださいということで行きました。

で、この国際議員連盟の総会ですけど、今年で3回目ですね。
最初にソウルでやって前回が昨年東京でやりまして、今年モンゴルと。
もちろん拉致問題で盛り上がれますし、韓国でも北朝鮮にさらわれていった人々が数百人がいますし、それ以上に朝鮮戦争時そのまま抑留されたままの人が万単位でいるわけですから、分かるんですけど。

モンゴルと言う地でやりますのはかなりやり難いと言いますか、やはり隣国の問題がありますから。
ご存知のようにモンゴルと言うのは地政学的に中国やソ連に挟まれて、特に中国に最近は経済的にも依存している歩合が非常に大きいんです。
現地行きましても食料品や野菜やら果物がほとんど中国からの輸入で賄っている状況で、膨張している中国の動きと言うのはいつも気にならざるを得ない様な状況です。
当初、非常に難色を示していたようなんですね。

なんですが、昨年末にブッシュ大統領がモンゴルを訪問して、そのときにどうも、大統領からは言及は無かったんですが、実務者レベルで話をしている中で北朝鮮からの難民と言いますか逃亡者ですね。
それに対する配慮をお願いしたいと言う言及があったようですし、その後も民間、議員外交レベルであってもそのような働きかけがあって、モンゴルの方も重い腰を上げて開催にこぎつけたという所です。

簡単に、私の話は5分なんですよね、余り長い話になっても。(笑い声)
参加したのは主に40名ほどだったんですけども、議員とNGOのメンバーで、もっぱら日本からと韓国から。
特に日本からのNGOのメンバーの参加が多かったです。
それ以外の国で見ますと、イギリスから一人。
あとアフリカから3人か4人。
来てくださった方に聞きますと、アンゴラとかあと2カ国なんですけどね。

「いや、私たちも良く知らないんですよね」と北朝鮮の事を余りご存じないような方が多い。 
どういうきっかけ出来てくださったのか分からない。
きっといろいろ熱心な説得で来て頂いたのでしょう。
主力はもっぱら韓国とモンゴルの方ですよね。

一番やっぱり感じましたのはモンゴルと言うのは元々社会主義圏ですよね?
1940年代にソ連の進駐によって社会主義国として建国されたと言いますか近代化が始まって、ソ連の崩壊に伴って1990年代くらいに自由化して、今は一生懸命経済建設に励んでいる状態です。
だからそういう国ですから、もちろん強制収容所とか密告社会とか言論の自由が無いとか、良くご存知。
議員さんたちに言わせると、北朝鮮については私たちの過去であるし韓国というのは自分たちの未来だと。
今、モンゴルでは韓国の経済的進出が非常に多くて、モンゴルも何とか手近な手本として韓国の力を借りて経済をもっと発展させたいと願っておりますが、そんなお世辞も言ったりしてですね。
韓国から来た議員も喜んでいたんですけど。

それにしてもどうも話を伺っていると、北朝鮮の人権状況についてディティールについてご存知ではないんですね。
マスコミ等での報道についてもお伺いしても、北朝鮮について報じられると言う事はまずほとんど無い。
自分たちの過去であると言いつつ全然関心もないし、モンゴルの議員さんたちが仰る事はこういう事なんです。
もちろん日本が主権を侵害されて自国民がさらわれていると。
だから一生懸命北朝鮮に対して圧力を加えて一生懸命叩くと言うのは分かるけども、犯罪者を叩く場合、犯罪者を徹底的に処罰すると言う方法もあるし、一生懸命矯正していく教育していくと言う方法もあるんだと。
私たちモンゴルとしては、犯罪者に一生懸命いろんなチャンスを与えて教育して更生させたいと、こういう事を言っております。

それを聞いて分かってないなと思いますね。
全然分かってない。
過去何十年日本は基本的に北朝鮮に柔らかくて、言ってみれば北朝鮮に非常に甘くて甘やかしすぎて、今ちょっと厳しく叱らないとどうしようもならないと言う段階に来ていて。
しかも何十年と言う流れを全然ご存じなくて、今一生懸命圧力を加えようとしているその断面だけを見てそう仰っているんですね。
その場にいらした日本の議員の先生方韓国の先生方、特に反論とか仰りにはならないです。

会議でいろいろやり取りがあった中で、モンゴルとして特徴的だと思ったのは今モンゴルでは労働者が足りないと言えば足りないと。
だから脱北者ですね。
北朝鮮から逃れて来た人たちを一定数労働力として受け入れていく事は可能である。

元々日本や韓国がモンゴルで会議をやろうとした動機と言うのも、モンゴルと言うのは北朝鮮から逃れてくるところの一つのルートになっていますので、なんとかシェルターですね。
避難所をモンゴルに作って安定的に脱北者の確保をしたいと言う事だったんですけど、それについても内々には、個人とかいろいろあるんですけどこういう人たちを活用する事を考えてはどうか?と。
モンゴル側から提案もあったです。

実は私今回の8月の会議の前に、今年の1月の段階ですけども、モンゴルに韓国の関係者と行っております。
行った目的と言うのは今申し上げた避難所、シェルターの確保なんですね。
そのために向こうの現役の大臣とも会いまして、モンゴル政府内で北朝鮮政策といいますか、各政策に携わっている実務者たちとも話し合いました。

これちょっと5分しかないのにこぼれ話です。
今モンゴル政府で中枢に携わっている人の多くの人たちが、実は北朝鮮に留学経験のある人たちなんですね。
モンゴルと北朝鮮はかつて友好国でありまして、金日成が生きていた時代、1980年代の半ばですけども首脳会談をやった。
モンゴルと金日成が首脳会談をやりまして、そのときにモンゴルの方で北朝鮮におねだりをしたようです。
そのおねだりの内容と言うのは北朝鮮に化学繊維を作る工場があるんですね。
石炭から繊維を作る、ビナロンというんですが、工場がありまして。

モンゴルも燃料はもっぱら石炭ですから、石炭を活用して繊維が作れるならそういう工場を持ちたいと金日成に持ちかけて、金日成が「よし、じゃあ工場を作ってやる」と。
作った後、それをオペレーションする人材が必要だろうと。
それを私たちが北朝鮮で育ててあげるからモンゴルから人を送って来なさいと。
いうことでモンゴルでそこそこのエリートたちが選抜されまして、その人たちが人数は10人くらいだったらしいですけど北朝鮮に派遣されて・・・(聞き取れず)と言う工場です。
そこで7年くらい教育を受けまして戻ってきた。

実はその人たちが北朝鮮関係で行政の中枢にいて、携わっているんです。
その人たちと話した事なんですが、彼らは北朝鮮の国家でどれだけ酷い事が行われているかと言う事はよく承知をしていると。
北朝鮮から生き延びるためにモンゴルを目指している人たちが大勢いることも承知っていると。
私たちは北朝鮮に留学しているときに大変お世話になったと。
当時80年代後半から90年代前半ですけど、すでに北朝鮮は食糧事情が厳しくて一般の人たちは肉なんて食べることが出来なかった。
だが、私たち肉食の国から来た留学生という事で、毎日のように肉魚が振舞われて、それがしばらく経って北朝鮮の一般の人たちにはとても考えられない待遇だと言う事を知ったと。
もちろんモンゴルの水準からしてもそれほど恵まれているものではなかったけれども、北朝鮮の当時の生活水準からすればはるかに恵まれた待遇をしてもらった事は感謝していると。
北朝鮮の人たちがどれほど素朴で懸命に生きているかが良く分かった。

そういう人たちが生き延びるために今一生懸命逃げて来ている。
それは私たちも彼らを守ってあげたいと思うし、それはモンゴルの国益にもなるだろう。
将来あの体制が何らかの形で変化を迎えたとき倒れたときに、そうして私たちが守って逃してあげた人たちが、こうやってモンゴルにお世話になったんだと言う事を思い起こして、私たちの国のためになる事をやってくれるだろうから、私たちは彼らを守りたいと思いますと。
ただ、困るのはそれが余り表に出る事は大変困るんだと。
中国を刺激するのは今モンゴルの国力からして、なるべくなら避けたい。
だからこのような避難所を提供すると言う動きについても、マスコミには一切漏らさないで欲しいし、なるべく外部には流さないで内部で内々に静かな形で出来るようにして欲しい。
それが向こうの要望だったですね。

ところが8月に議員が以降の成果で国際会議をやるとなりますと、そういうのも全部外に出てしまいまして、やっぱり議員さんも対外的にアピールすると言うのも仕事の一つですので、表に出てしまう。
私もこうやって今気にせずしゃべっているわけですけど。
ここにいる市川さんとご一緒させていただきましたし、ノルウェーでは斉藤さんとご一緒させていただいたんですけども、やっぱりまだ知られていないと言う事なんですね。
知られていない。
議員になってああいう場に出てくるような人であればある程度の概念的な知識は持っていたとしても、日本のこういう一定の関心を持っている皆さんが平均的に持っているような知識までは持っていないです。
まだまだ国際的規模ということでは仕事をたくさんしなければいけないなぁと言う事を、感じて帰って来ました。

そういう事でやれる仕事は結構多いと思うんです。
インターネットもありますし、モンゴルから留学に来ている学生も多いですしね。
そういう小さな国だからと言って意外と力が無いわけではなくて、意外とそういう人たちがちょこちょこやってくれているような事が後々効いて来ると言う事はたくさんあると思うので、皆様も手近なところできっかけ捕らえてですね。
こういう事をちょこちょこしていただいてきっかけを作っていただいて。
小さな働きかけと思うかもしれないけれど、後々、日本に留学に来るような人たちへでも良いです。
政府中枢の仕事をする人たちも一杯いるわけですから、そういうことで皆さんのご活躍を祈念しております。
よろしくお願いします。(拍手)


※休憩時間前に宋允復氏より、訂正の話

すみません、肝心な話が漏れてしまいまして、貴重な時間をちょっと頂きたいんですけど。
今杉野さんの話にもありましたけども、モンゴルの会議でも感じましたのは、日本の議員の先生方の意外な力強さと言いますか、人権外交というのを正面切ってですね。
押していくと言う力強い姿勢を感じたんですね。

これまでの日本と言うのは国際社会でのイメージと言いますと、おしとやかと言いますか、あんまり仰々しく表立ってこうだとかいうことは、ことさら事明けはせずに後ろでいろいろ調整役をやったりですね。
お金を回したりですね。
何とか上手くまわしていくと言うような、気配りというか心配りでやってきたと思うんですけど。

この国際会議では拉致問題ももとよりですけど、人民をあれだけ虐待している政権はもう許されないんだということで、特に民主党からご参加だった松原仁先生。
テレビ等で皆さんご存知だと思うんですけど、あの方が早く金正日体制打倒についてどう調整を取るか?と言う事をペーパーにもお書きになりましたし会議でも発言されましたし、そういうご発言も結構ありました。

それに関して結構ですね。
与党自民党からご参加された、例えば葉梨康弘と言う議員がいます。
若手の方で、これまで拉致問題で自民党の事務方を結構なさって実務をなさっている方なんですけど、その方はもうちょっと実務的に北朝鮮にどういうことがやれるか詰めていくべきだと。

韓国の議員さんは野党であると言うこともあって、金正日を国際裁判所に引き出そう!とか言って、スローガン的なエィエィオゥで盛んに意気を上げておられたんですけども、それに対してかえって自民党の葉梨議員は距離を取られる様な感じで、あとで何でですか?と聞きましたら、「ここで一緒になってエィエィオゥやったら、韓国の議員が後で帰ってね。日本の議員とつるんで紳士的にそういう事をやったとつるし上げられて、立場がますます悪くなるかもしれないから、ここでは距離を取って見せたんですよ」なんて仰るわけですよね。(笑い声)
さすがに違うな、と思って(笑い声)感心していたんです。

そういうことでここの議員、必ずしもああいう場で国際会議と言ったところで別に報じられる事もないし、有権者に知られることも無いわけですから、彼らにすればそれほど票になる事でもないんですよね。
それでもそういう見えない所で結構汗をかいていらっしゃる議員がいるので、皆さんもよく承知を頂いて応援していただければと思います。

この国際議連もそもそもは民主党の中川正春議員ですか?
あと渡辺周さんなどが中心となって何とか立ち上げて、3回目になってようやく与党の自民党からも正式に参加していただけるようになって、結構長い間汗をかいて頂きました。
そういう意味で皆さんの応援もよろしくお願いしたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月16日

06.10.7 市川龍子さん 第15回藤沢集会(2)藤沢産業センターにて

『市川龍子さん(市川修一さんの義姉)の訴え』

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皆様こんにちは。
昨年も来させていただきました。
母校が藤沢に有りますので足を伸ばした事はないんですけども、藤沢と聞くとやっぱり懐かしく思っています。

昨年もお話させていただきましたが、1978年の8月12日に、曽我ひとみさんと同じ日です。
同じ日に弟が拉致されたと言う事は、日本列島に如何に北朝鮮の工作員がたくさん入り込んでいたか?と言う事なんです。
同じ日の同じ時刻まで行きませんけども、やはり夕暮れですので本当に北朝鮮はもうけしからんと言うのが私の腹の底に一杯にあるんですけども、何とかしてですね。
この悪の悪の悪逆の限りを尽くす北朝鮮、悪徳政治ですか?
これを断固として阻止しなければ北朝鮮にいる一般民衆が本当に浮かばれないと思うんですよ。

何とか北朝鮮の民衆を救って上げなければならないんだと、その為に弟たちは犠牲になっているんだ。
だから日本国民よ、何をしているんだと、今立ち上がってくれ!と弟は叫んでいるんじゃないかと私は思っているんですよ。(拍手)
一丸となって私たち拉致被害者家族だけの問題ではありません。
本当に真剣に考えていったら日本国国家が、それこそ国家侵害を受けているそういう問題ですので、本当皆さん一生懸命模索しながらとにかく真剣になっていただいて、この問題を解決していただきたいと思うんです。

私はこの前ですね。
10月1日に鹿児島の方で第一回の鹿児島県民総会を開いたんです。
せいぜい1400名くらいしか入らない会場なんですが、もうびっくりしました。
メディアが私に言いました。
「龍子さん、今までに無い鹿児島一の集会だよ」
2000名集まってくださいました。
ぞろぞろ、ぞろぞろとですね。
本当に満場の会場を見ましたときに涙が出て仕方がありませんでした。
本当に皆さんのおかげでですね。
世論の喚起を高めていただいてようやくここまで来たという感がします。

そこでですね、いつもはですね。
私はいつも政治家をくさしたりですね。
メディアを叱ったりですね。
そういう事ばっかりいつも言っているんですよ。
で、帰るたびに主人に怒られるんですよ。
「お父さん、腹が立たないの?」って。
「腹は立つけど、今は味方にして行かなきゃいけない時なんだよ」
分かってるんですけど、今までいっつも私はそういう事ばかり言ってきました。
もう、今日は言わないと思うんですけど。(笑い声)

私はですね。
各国の関心がミサイル発射で北朝鮮に集まっております。
その中でですね、拉致問題の解決に向けて国際社会の働きかけをいっそう強めるためにですね。
8月7日にモンゴルで開かれました「北朝鮮難民と人権に関する国会議員連盟」と言うのがありまして、その総会に家族会を代表して参加させて頂きました。
脱北者や難民問題ですね。
拉致を含む北朝鮮の人権問題について各国の国会議員や、非政府組織、いわゆるNGOですね。
が協議して、共同宣言が採択されたんですけど、参加国はアジアとか北欧・アフリカと約30ヶ国です。

拉致問題は人権蹂躙だ、拉致が如何に残酷なものかと言う事をお話させていただきまして、いろいろお話させていただく中で、モンゴルの国会議員・各国の国会議員が「金正日を国際裁判に出せ!」と言ったりですね。
そういう言葉も出て来たんですけども、モンゴルの人たちはですね。
本当は心の中ではですね。
北朝鮮に対しては不満が一杯あるんだって。
だけど一応友好国であるために、中々それを表に出せないと言う事を仰いまして、この拉致問題についてもいろいろお願いしてきましたけれども、情報収集には協力していくが表面的には中々出来ないという事を仰いました。
でも、必ずモンゴルの国会議員の先生たちも私たちの声に賛成してくださいました。

モンゴルではですね。
北のいつもの常套手段で脅かされて本当に困っているんだって。
北朝鮮の大使館を閉めるぞ、とかですね。
なんか脅しをかけてくるそうなんです、モンゴル政府に対しても。
この2月にはですね。
闇ルートで物凄いお金が暴露されて警察に捕まったそうなんです。
だから本当に悪逆の限りを尽くす北朝鮮なんですよ。
もう一度再認識してください。
本当に友好国であるモンゴルにさえも、こういう悪い事をしているんだという事を仰いました。

で、私はモンゴルの北朝鮮の大使館前まで行ったんです。
白い建物でした。
その周りはですね、鉄柵が巻いてありました。
草はぼうぼうでしたけども、そこをカメラマンの方と「大使館を見ながら行くところを撮るからね」と言われてですね。
歩いていくんですが、向こうから変な人が軍人みたいなのがいるんですね。
だからカメラマンが「龍子さんストップするよ、ストップするよ」とカメラをぐっと下に下げてですね。
「龍子さん普通に歩きなさい」と言われてですね。

私は最初行きたくなかったんですよ。
拉致されたら困ると思って(笑い声)、行きたくないと言ったんですけども、行ってくれって仰いましたので行ったんです。
本当は写真撮影も出来ないと言われていたんですけど、ちょうど休みだったもんですから軍人もそんなにたくさんはいなかったです。
私は空に翻っている北朝鮮の旗をですね。
引きずり落としたいなと思って、市川さんが反対に捕まっちゃうよと言われてですね。
本当にその端を引きずり落としたいくらいの心境で憎らしげにですね。
北朝鮮の大使館を憎らしく見て帰って来ました。

どうしようもないんですけど、私たちはとにかく政府に委ねるしかないんですけど、北朝鮮は本当にですね。
人の命を虫けらのようにしか扱わない金正日の独裁政権なんです。
人口はわずか2300万人の国なんですよ?
その中で20万30万人と言う北朝鮮の国民が強制収容所に入れられて、また自国民にも食料は全然配給しないでですね。
300万人以上の餓死者が出ていると言う状況なんです。

本当にですね。
人道支援人道支援と仰るけども、本当の人道支援はどこにあるのか?と言う事をまたみんなで考えていかなければ、いくらお米を、金を、いろんなものを送ったとしても上層部の方で、もう後は一般民衆の方には行ってないということをね。
再確認していって頂きたいと思うんです。

本当に金正日の行った拉致は、被害者本人はもちろんですけども、その家族または周辺の人々にまでですね。
本当に不幸をもたらしました。
今世界12カ国に拉致をされている人がいると言う事を聞きまして、本当に許しがたいこの金正日なんです。
私は八つ裂きにしたいくらいなんです。
またこういう過激な事を言うと実は主人は来ていませんけども、怒られるんですけども、本当に八つ裂きにしたいくらいなんです。
絶対に許してはならないと思います。

皆さん、いろいろなテレビでご承知だと思います。
愛娘を奪われた深い悲しみや精も根も尽き果てんばかりに、娘の帰りを待ち続ける横田さんご夫妻とか有本さんご夫妻。
また病床で待ち続ける松木薫さんのお母さん。
田口八重子さんのお兄さん。
それから我が子との再会を果たせずに逝ってしまったるみ子ちゃんのお父さんですね。
お父さんの分もと思って一生懸命病と闘いながらるみ子ちゃんのお母さんも頑張っていらっしゃいます。

そして私の母、修一の母、私の母もなんですけども、もう90を過ぎたんです。
家族会発足から9年です。
私も声を枯らして叫んで叫んで叫んで参りました。
いろいろ悔しさとか歯がゆさとか述べて来ましたけど、今回ですね。
母が、北朝鮮に向ける短波放送「しおかぜ」と言うのをご存知でしょうか?
あの短波放送に主人が前回乗せたんです。
で、今度は「お母さん、乗せてみないね?修ちゃんに呼びかけてみないね?」と言ったら「うん」って言ってくれたんです。
初めて母が原稿を書いてくれましたので、それを読まさせて頂きたいんです。

・・・・・・・・・・

修一、お母さんですよ。
修一、修一と叫び続けて丸28年が過ぎました。
お母さん、生きていくのも大変な毎日です。
人には涙は見せなかったけど、独りになると涙は滝のように流れ、修一の使っていた物は見る勇気も無く一人で泣き続けましたよ。

北朝鮮の元工作員だった方と会い、修一の事をいろいろお話してくださいました。
修一が北朝鮮で生きていてくれた事を聞き、お母さんはもう嬉しくて嬉しくて。
それから毎年毎年、今ではもう着られそうもないかもしれないけど、修一の洋服を出して思い出しながら虫干ししていますよ。

お母さんは北朝鮮の38度線の鉄柵の前まで行って、大声で修一の名を何度も何度も呼びましたよ。
お父さんもお母さんも90を過ぎましたが、元気な姿で修一を迎えてやりましょうとお父さんと励ましあって生きていますよ。
修一もるみ子さんを励まし、二人揃って会える日を楽しみにしていなさいね。
修一たちに会える日を一日千秋の思いで待っています。

今度安倍さんが首相になられました。
拉致問題に一生懸命に取り組んでくださっています。
必ず解決してくださる方です。
だから修一、体を大切に大切にしてくださいね。

修一とお母さんの心は必ず通じ合っています。
必ず会える日が来ます。
一日も早く会いたいね。
お母さん、どんな事になってでも待っていますからね。

るみ子さんと二人揃って、必ず生きて生きて生き抜くんですよ。
機会があったらまた短波放送に乗せてもらいます。
我が家の柿や栗の実もたくさん生りましたよ。

・・・・・・・・・・・

っていう、今日杉野さんに託したいと思います。
また母の生の声を乗せて頂いて、必ず修一に届くと思ってたくさんこれからも乗せて行きたいと思ってます。
すみません、泣いたり怒ったりで。

それで昨日何かこの藤沢では大変な、バケツをひっくり返したような雨と聞きました。
ところが反対に鹿児島はそれはそれは綺麗な満月でした。
そこでまた、この前ここで短歌を披露させて頂いたんですが、その時母がお月様を見ていました。

 満月を見上げる母の寂しげに 安らぐその日待ちに待ちたり

と言う短歌を作りました。(拍手)
安倍総理の誕生でようやく被害者、拉致被害者家族もですが、本当に一条の光が差し込んで来たように思います。
世論の喚起を高めてくださった本当に皆さんのおかげです。
本当に心からお礼を言いたいと思います。
でもまだ帰って来ていませんので、後もう一歩ですので、皆さんお力添え頂きたいと思ってます。

年老いていく母たちがたくさんおります。
その母に一刻も早く子供たちを抱かせてやってください。
ご協力よろしくお願い致します。
ありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 16:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月15日

06.10.7 斉藤文代さん 第15回藤沢集会(1)藤沢産業センターにて

『斉藤文代さん(松木薫さんの姉)の訴え』

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皆様、こんにちは。
お世話になります。
藤沢の方には本当に何度か呼んで頂き感謝しております。
皆様の前でお話をさせていただけるという事は、本当にありがたい事だと思います。

私の弟も1980年に拉致されまして、今年の6月の13日で53歳になりました。
本当に年月が経つのが早いです。
私たち家族もみんないろんな小さい頃からの思い出があり姉弟仲良く暮らしてきて、こういう問題、拉致と言う事が起こるとは想像もつかなかったんですけど。
本当にいなくなってからは家庭もみんなバラバラの様な状態になり、親も本当に苦しんで弟の事をずいぶん探し回って、いろんなあの手この手でみんなでやったんですけども、弟は1988年に北朝鮮にいるという事が石岡さんの手紙で分かりまして。
父は余り私たち子供には言ったらいけないという事で伏せていたので、私も知らなかったんです、最初の頃は。

父は一生懸命になって時間のある限り手を尽くしたんですけれど、私に父は平成2年にもう亡くなりました。
母のベッドの横に手をこう、差し伸べるようにして亡くなっていました。
やはり母に後をお願いするよという意味だったんだと思いますけども、私の母はとても父を頼りにずっとついて来た、家庭の事だけしか出来ないようなおとなしい母でしたので、父が亡くなったという事に関してはショックが大きかったんだと思います。

現在85歳で病院の方に入院しておりますけども、本当でしたらまだ元気でいてくれてもおかしくない歳なんですけども、痴呆の方が早くなりまして、どうしても薫を探したい一心で乗り物を見ると乗って海の方に行っちゃうんですね。
遠いところでも近いところでも海の方に、ず〜っと一日中そこに座って眺めているような状態で。
私もそれを探すのに本当に苦労した事があるんです。
それで一度は名札をさせたこともあるんですけど、それは取ってしまうんですね。

それでどうしたらいいもんだろうかと自分でも思って、サンダルが、気に入ったサンダルがありますので、そのサンダルに電話番号を書いてですね。
履かせたら、そのサンダルはいつも気に入って履いて歩いているもんですから、お電話いただくんです。
お母さんがここにいますよとかって、近いときには私が迎えに行くんですけれど、遠いところになるとバスで3つも4つも、酷いときにはもっと先まで主人と迎えに行って。
海でじ〜っと向こうを見ているもんだから、「帰るよ」というと「あんたたちは帰っていいよ」と言うんですよね。
だからどうしても自分のそばに薫がいないという事が納得出来ないわけですね。

だから家で寝込んでしまうのも早かったもんですから、足は丈夫でしたんですけども夜中も何度も何度も家から出て歩くもんですから、どうしてもこれは私たちも寝不足になりますので、病院に入れなきゃという事で主人と話をして病院に入れたんですけれど。
結局病院の中でも弟を探して歩くような状況なんですね。
結局は事故に遭うとかそういうことになってはいけないからということで、下半身は動けないような状況になりまして結局は車椅子になりました。

だから車椅子に乗って座っているときに姿を見たときは、本当にかわいそうだなと思いましたけれど、元気で薫が帰ってくるのを待つしかないと。
それでも亡くなるよりは元気で薫が帰ってくるのを待っていてもらうしかないと思って、そこで自分には言い聞かせをしながら母の看病をずっとして参りました。

でも母も辛いんでしょうね。
ずっとベッドで寝ていても弟の事ばっかりなもんですから、26歳で歳が止まってしまっているもんですから、若いときの弟の姿しかないものですから、私に何かを注文するときでも「ご飯は炊いてあるからおかずはお肉をたくさん食べさせてやってね」とか、もう53歳になっているという事すら分からない状態で今も病院の方にいます。

でも今回は私たちがいろいろとやって頂いた安倍さんが総理になられました。
本当に私は心強いと思って、これでもう薫、また家族皆さんですね。
家族会皆さん、特定失踪者の家族皆さんが帰って来られるということを、本当に私は待ちに待った新しい総理だなと思っております。
やはりここまで来るのには私の事はそんなたいした努力じゃないですけども、父や母のやってきた事は精神的な苦しみ・年月を過ごして来ておりますので、いろんな事が母の頭の中にも回っていると思います。

ですから母にも、「今度はね」って。
いつも大平総理で頭が止まってるんですよ、昔のままでね。
それで私に「ちょっと手紙を書きたいから郵便局はあるのかね?」っていうから、「すぐ傍にあるよ」というと、「じゃあちょっとペンを貸して頂戴」と手紙を書くから、「じゃあ誰に出すの?」というと「大平総理に出す」って言うんですよね。
だから私も、「あぁそうね」って言ってペンを預けるんですけど。

この間安倍総理が誕生したときに私が母に「お母さん」って。
「今度はね、今まで私たち支えてくれたね、安倍さんがね、総理になったんだよ」って。
「だからね、今度はお母さんね、良い事あると思うから絶対に病気しないでね、頑張ってしっかりご飯も食べなきゃ駄目よ」って言ったら、「はい」って言って今一生懸命食事もしてくれます。

今のところ熱も出さないで、何とか頑張ってくれておりますけど、やはり母は会いたくて会いたくてしょうがないもんですから、いつもいつも私が写真をそばにおいておくと、写真を見て写真に子供のように語り掛けるんですね。
「薫、もう帰っておいで、帰っておいで」って言うんですよね。
だから本当に私はそれを見ていると辛いんですけれども、でもやっぱり母がそれを待ちに待って頑張るという気持ちがあるんだったら、私も一生懸命頑張らなくちゃいけないと。 

今、私の松木の場合は二度も骨を渡されて参りましたので、私は大きなショックを受けました。
北朝鮮のやることですから、それは嘘だということは分かっているんですけれども、二回とも他人の骨でしたから本当に信用のならない北の国だなと言う事で、私も自分なりにああいう国には嘘つきが多いんだから自分が頑張らなくちゃいけないということで、自分に出来る事は何かないかな?と、いろいろ毎日考えながら皆さんと一緒に活動させていただいたりしております。

また、今回今年はノルウェーの方に国際会議がありましたので、私でお役に立つかどうか分からないですけど、何としてでも皆さんと私たちの家族、拉致家族が一日でも早く帰ってこられるようにお願いをしたいからということで、ここの救う会の会長の川添さんと一緒にノルウェーの方に行かせて頂きました。
私は私なりに、お話も私は向こうの言葉は分かりませんけども、ジェスチャーでやるしかないと言う覚悟で行きましたけど、私の周りにはいろんな日本から来られた方がおりまして本当に助けていただきました。
パンフレットを配るにしても何にしても、皆様方が通訳をして下さったりして、私は本当に恵まれているなと思いました。

斎賀大使は私もお会いしたのは初めてでしたので、斎賀大使の持ち時間は30分だったんですね。
私は斎賀大使がお話をされる前に何としてでもお会いしたいと思ってお話したいと思って、打ち合わせしていただいてお会い出来るようになりまして。
私は壇上に立ってお話をするのは、スケジュールが決まっておりますので出来ないと思いますけど、拉致被害者は何としても私たちには時間が有りませんし、家族が本当に時間がないのでなんとしても助けていただきたいんです。
ですからそれを何とかお話していただけないでしょうか?という事を言いまして、私の母も毎日毎日書いているものをちょっと持って参りましたと言って斎賀大使に見せまして、「薫に会いたい、会いたい」って書いてあるんですね。
それをみせて、どこの親御さんでもみんな同じ気持ちでいらっしゃるから、どうか助けていただきたいんですと。

アメリカの方からも声を上げて世界が一つになって拉致問題を解決していただきたいと言う気持ちで私は参りましたので、何としてでも時間をとってお話していただきたいと思いますという事で、お願いしましたら「はい、分かりました」といってくださったので私は会場の方から見守って、斎賀大使がお話をされるときに私がじっと聞いておりましたら、何とありがたいことにですね。
30分の持ち時間で本当は人権のお話をされるはずだったのに、20分お話をしてくれました、拉致のお話をですね。
私は言葉が分かりませんから日本から来られた団長の方が、「今から斎賀大使がお話しをされます」とかメモを書いて送ってくれるんです。
「今終りました」とかですね。
(時計を)見たらちょうど20分くらいお話をしてくださったんですね、拉致問題に関して。

本当に私はありがたいなぁ、遠いところへ行って、こんなにして来た甲斐があったと思ってですね。
私は何も出来ないけれど、拉致と言う事が世界の方に分かっていただいて、これは本当に許せない事であると言う事を分かっていただきたいという一心でしたので。
本当に私も、そういう場に行くと言う事は何か胸がどきどきどきどきして怖かったんですが、勇気を持って斎賀大使と会ってお話をして良かったなと思いました。

横田早紀江さんは私たちよりうんと年上なのに、お体もそんなに丈夫でないのに、めぐみちゃんの事を思ってあちこちずいぶん回られて、本当に私は頭が上がりません。
13歳で親子の(間を)引き裂かれて悲しい思いをして、本当に戦ってこられて、市川さんの所も同じですね。
市川さんのところもみんな悲しい思いをしてこの年月を過ぎてきましたので、今回は何としてでもですね。
安倍総理のですね。
私、タラップから家族がみんな降りてくるのを待っているんですね。
最初に5人が帰ってきたときには私は本当に喜んで、今度は私たちの番だからと言う気持ちでお帰りなさいと言う気持ちで私は迎えました。

ですから今回は日本人の家族がこんなにいたんですよ、北朝鮮にと。
飛行機一台に乗れなかったんですよ、というくらいのそういう私は嬉しい話を期待して、待っていたいと願っております。
それが私の母親に対する親孝行だとも思っております。
母もやっぱり会うまでは死ねないと思っていると思います。
去年も2回血を吐いて、上からも下から下血も致しまして、病院から病院へ搬送されてもう助かりませんと言われたのをですね。
乗り越えてくれたんです。

ですからやはり私がここで頑張らないと母に申し訳ないなと思いまして、皆様の前でご協力を願うのも、最後の最後にみんなと笑っていただきたいと言う気持ちで、喜んでいただきたいと言う気持ちで私いつも来ております。
ですからこれからも皆様方のお力を借りて、あとは政府が一生懸命やっていただかなければいけないと思いますので、どうかこれからもよろしくお願いしたいと思います。

本当にこういう場でお話させていただけると言う事は、私たちの家族は一日でも早く帰って来られると言うことですので、なんとしてでも私は時間がないから、家族みんな時間がないから助けていただきたく思って、皆さんの前でお話させていただきました。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。(拍手)
posted by ぴろん at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする