2006年10月08日

06.10.7 須藤久監督 第15回藤沢集会(6)藤沢産業センターにて

『須藤久監督の挨拶』

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どうも、みなさんこんにちは。

えーと、映画を作ると言うことは、なかなか信用していただけませんで、「拉致制作映画後援会」という話をしても、まず家族のみなさんに「へたなものを作るなら許可しないよ」みたいな反応の方が先に出てきまして、「そうですか、頑張ってください」と言う言葉より先にですね、そのくらい家族のみなさんがぴりぴりしているのが、よくわかります。

で、まぁそういうふうに、映画監督なり、映画界が信用がないのは私たちの責任でありまして。ただですね、映画監督にもいろいろいるということだけは、みなさんにわかってほしい。

まぁ、この飽食の時代にさまざまの映画が、しかも最近は、シネコンというのもできましたので、映画人口も少しはジりっと、あがてきたと言われていますが、そこに登場する(映画、監督?)、私たちの仲間が作るものですから、あまりこう良いことは言いたくないんですが。これは、ある評論家も言っていますけれども、≪最近は映像がほとんど社会とのつながりを失っている≫と。

で、じゃぁ、おまえはいったいどの辺に位置している男なのかということで、自分でちょっと説明をいたしますと、日本にはだいたい商業映画の流れと、それから、ご存じと思いますが、独立プロのの流れというものがありまして、独立プロの第一次、第二次、第三次まであります。

第一次は、みなさんもご存じのように、主に左翼系の監督たち山本薩夫さん、今井正さん、その他のみなさんが、家城己代治(イエキミヨジ)さんとかが頑張って一時期、戦後頑張られた時期。

それから、ここは藤沢でありますが、第二次独立プロの時代は、ヌーベルバーグ、大島渚吉田喜重篠田正浩、たちの、このころは、フランスの方でも、ヌーベルバーグがありまして、日本の方がまねをしたのかもしれませんが。まぁヌーベルバーグという、第二次独立プロと言う時代がありました。

ここまでは映画の制作費用は、ほとんど会社からでる。大島さんに言わせると、「会社を騙して作った。」これを彼は会社を≪犯す≫といってますが。そこまでは映画の制作費は、そう言う時代がありました。

こんどはその次ぎに、70年代第三次独立プロというふうになってきます。
これはみなさんご存じのように、同輩をあげますと、亡くなりましたけれど三里塚というあの大空港闘争を、延々と8年間も現地でとり続けた、小川紳介 、これが、第三次独立プロのまぁ看板であります。
※参考小川紳介

もうひとり私の同士、土本(典昭)という人が、水俣病にかかりまして、えーと、最近病気だと言うことをきいたんですが、これも地をはうように、12年も13年も水俣に取りかかると。
私はたまたまいろんな事もありましたが、自分の出生も兼ねまして、被差別部落に、だいたい7年半〜8年ぐらいカメラを持ち込んだというふうな、そういう第三次独立プロのグループの中の一員と言うことであります。

この第三次独立プロからは、全部映画の資金も自分たちで作るというふうなのがこの特色でありまして。
最も、これは三里塚の映画にお金を出す企業というの全くいないわけでありまして。70年から80年で、だいたい第三次独立プロというのは、みなさん年を取られましたし、収束していって、今のような、ちょっとこう、何とも言えないような、映画の世界が生まれてきて、その中で社会とのつながりを失った映像作品がいっぱいあるんでしょうが、ここで、「拉致問題の映画を撮るぞ」いうふうにと申し上げると「ん?」というふうな形で考えられるという現状であります。

でも、今私がそういう風なことを言ったのは、<映画をやり>ものには、いろいろありまして、家族や救う会のみなさんが命をかけてこれをやっていらっしゃるように、作家というのもですね、自分の作品には命をかけているんです。いや、かけてない奴がいっぱい多いから「ん?」という目で見られるんだと思うんですが、作品だってですね、良い映像をつくろうという人間は、それなりに覚悟をして望むものだと言うことを、判っていただきたいと思います。

で、まぁ、具体的なことですけれども、私がこれをやろうというふうに思い始めましたのは、福岡のほうですね、毎年一回デモがあります。そこに参加したときに、九州中の救う会の幹部の人たちが集まっていて、あとの懇親会のようなところで、「映画が欲しい」と。

私は、非常に、自分たちでお金を作るというのが、どんなに難しいかというのを、ちょっと知っておりますので、なかなかそこで「うん」とはは言えなかったんですけれども。

その後山口県で、県議会の中に拉致議連とうのができまして、そこの世話をしている人が、例の安倍晋三総理大臣の(言葉は下品ですが)選挙区で現金を握っている人という関係もありましてですね、そこで一生懸命、協力もしてもらい、はっぱをかけられる中で、「よし、この映画、やるべし」と。「資金作り難しいのはわかっているけど、やろう」と、それが、去年の2月から3月ぐらいの話です。

そういうわけで始めましたけれども、そのころの私の危機感は、政府認定の家族会のみなさんと、さっきお話のあった調査会のほうの未認定者(特定失踪者)がどっかで区分けされて、16人のみなさんのことだけであとはおしまいと言うことになるのではないのかという非常な危機感がありましたので、、『そうはいかないよ』という映画をつくるということで、拉致議連のみなさんと話をしながら、そのためにはどうしても、調査会の荒木さんのお話を聞かなくてはいけません。 

荒木さんとは、映画をやりたいから知り合ったのではありません。映画の話の前から、荒木さんの本を読み、私も又本をお送りして、お互いがお互いの本の読者として交流がありまして、その中で、私は彼を盟友だと思っておりますが、そう言うことがあったので、「では相談しよう」ということになって、荒木さんに相談をし、こんどの映画のシナリオは荒木さんと共同で考えると言うことで、大変忙しい彼を、もう再三再四にわたって襲って、時間を奪ってですね、いまだかって完成しておりませんが。

荒木さんは、良い意味ですが、何をやらかすか判らん人です。
ですから私たちはこの拉致問題が、どう転がっていくかというのを、なかなかシナリオが端的にかけないんですね。で、もう、撮影に入る寸前までラストがかけない。何が起こるか判らない。

荒木さんも「何が起こるかわかりませんよ」とおっしゃるんでですね、そこんとこだけ、ラストがまだ決まりませんが、彼に食いつきながら、彼の意見を聞きながら、ラストは撮影直前に決めたいなーというふうに思っています。

ただですね、映画は、私たちは、劇映画ですから、≪後追いだけ≫では意味がありません。こうなって、こうなって、こういうふうになりましたということを、改めて劇にしたってそれは意味もないんでありまして。

映画はたとえばドキュメンタリーであり、劇映画であれ、『未来を予感するもの無ければならない』というのが、私の持論であります。

従って、私も荒木さんに負けないように、彼がいかなるどういう行動を起こそうといえども、俺たちの方にもやる気があるぞというふうな映画を考えています。

ただ、まぁ、制作資金の全くめどが立っていないのが、玉にきずでありまして、そっちの方、今鋭意いろいろと手を尽くして努力してる最中です。そういうことで、ご報告を終わります。宜しくお願いします。

・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。


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2006年07月26日

06.7.8 川添友幸会長閉会の辞 第14回藤沢集会(12)藤沢産業センターにて

『川添友幸 救う会神奈川会長 閉会の辞』

さっきのてんびん座の件ですが、1月に私どものよど号の集会に来られまして、是非協力して頂きたいという事で、私が台本を預かりましてですね。
横田さんの方にお見せして修正・手直しをして頂きまして、うちの会も全面協力という形でですね。
5月に上演会を横浜の方で行いました。
報道等でもご存知だと思いますが、いろいろ嫌がらせだとか脅迫などを少し受けましてですね。
私たちの方も警備に入ったりする状況だったんですが、実は何も無かったと言う事でですね。
是非また見たいと言う声がてんびん座の方にかなり来たそうで、再度上演会をやる事になったということです。
今日チラシを一緒に入れたんですが、8月の16、17日にですね。
鎌倉芸術館の方で再度、アンコール公演ということをなさると言う事なので、私たちの方もこういう事で訴えて頂くのは重要だと思っていますので、お暇な方、お盆の時期なので人が集まるかどうか心配しておりますので、お時間のある方是非御参加して頂ければと思っておりますので。
団長の森さん来られるはずだったんですが、ちょっとお姿が見えませんので私の方が代わりに御紹介を致します。

それと次回以降の講演なんですが、10月の7日にここの会場で講演会を予定しております。
講師の方もチラシに書いてありますが、横田拓也さんに来て頂くということで了解して頂きました。
10月にどういう状況になるかまだ分かりませんし、安倍さんになるかもしれませんね、10月ですから。(笑い声)
そういうこともあるんである意味ちょっと総裁選挙も見据えてということでですね。
その辺の集会にしたいと思っていますんで、また宜しくお願いします。
本日長い間、2時から3時間以上だったんですが長時間の講演ありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・
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06.7.8 パネルディスカッションその2 第14回藤沢集会(11)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その2』

★司会 川添友幸 救う会神奈川会長

私の方から皆様にフリーに聞いてみようかなと思うんですが、まず真鍋さんにちょっとお聞きしたいことが有るんですが。
特定失踪者のお話はいろいろ伺ったんですが、手嶋龍一さんの「ウルトラ・ダラー」でしたっけ?
私もあれを読んで目からうろこだったんですが、あの手嶋さんは(9・11同時多発)テロの時にNHKのワシントン支局で(テレビに)出られた方で。
北朝鮮でしょうね?偽札の話をずっと本に出されましたが。
あの本に関しては失踪者の事がちょっと出てくるので、調査会ではどういうふうにお考えか?を宜しくお願いします。

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

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先ほども申し上げましたけども、「ウルトラ・ダラー」はですね。
いわゆる日本の失踪者の話からスタートしています。
それも偽札を作るだけの技術を持った職工さんが、東京湾から謎の失踪をしたと言う所から小説のスタートになっています。
中身はですね。
何人かの日本人の拉致被害者が、北朝鮮で偽札作りをされていったという展開になっています。

この本に書かれている情報と我々が持っている情報を比較いたしましたら、部分的に一致しております。
部分的に一致と言う事は、私たちが持っていない失踪者情報をその本に盛り込まれています。
その盛り込まれているのはフィクションではなくて事実を盛り込まれています。
だから、まだ私たちにお届出の無いですね。
偽札作りに従事できるであろう技術を持っていらっしゃる方が失踪していると言う事でございますから、注目している小説である事は間違いのないという事であります。

ちょっと補足しますとですね。
何故東京湾で職工さんが失踪しているか?ということですね。
偽札を作れる職工さんがという事ですが、ポイントは千葉大学です。
千葉大学はですね。
当時から印刷工学科と言うのは日本でもっとも優れた学科でした。
そこを卒業された方が失踪をされています。
その方の持っている知識・能力・理論はおそらくは、おそらくはですよ?
私の想像では偽札作りの大きなポイントになっただろうと思っています。

ちなみに偽札作りはいくつかの段階があります。
北朝鮮の偽札作りは、初期の段階からは今は本物よりも精巧な偽ドルを作っているわけですが、そのもっともターニングポイントになる、要するに独自で北朝鮮で偽札が作れるようになってからパッタリと日本人の職工さんの失踪が消えています。
要するに初期の段階ではやはりいろんな情報なり技術なりをですね。
身につけなければいけないからそういう日本人を必要としたんではないだろうか?と推測をしています。

蛇足ながら、何故北朝鮮は本物以上に精巧に偽札を作ったか?というのをお分かりでしょうか?
それは自分達が作ったものが偽札か偽札で無いか、分からなくなったら困るからです。
さっきロシアの方に決済で偽ドルを入れたと言う話をされていましたね。
だからまたそれが戻ってきた時に、これが偽札かどうかチェック出来るようにする為です。
どういうふうに精巧かと言いますと、拡大しますとですね。
1本の線が本物は滲むんです。
滲んで線が曖昧になるんです。
ところが北朝鮮の作った偽ドルは拡大しても拡大しても1本の線です。

それくらい凄い技術を持って、偽札作らないで本物作れよと(小さな笑い声)、ねぇ?
まともな国だったらそれだけの技術があるんだから「俺の所でドルを作らせてくれよ」とやりゃあ良いもんですけども、変な人がトップにいると変な事しかやらないということでございます。
ちょっと雑談でした。

★川添氏

ありがとうございました。
増元さん、お聞きしたいんですが。
今日次回の10月の講演会のチラシを配った中に北朝鮮自由週間のポスターを、4月にアメリカに行かれたときのあれのポスターをチラシの中に引用させてもらったんですが。
アメリカに行かれたとき北朝鮮自由週間のいろんな集会に参加されましたよね?
その辺の話で何か印象に残っている事があったら、そういうものがあればちょっとお話いただければと。
横田さんがブッシュ大統領と会ったと言う話はかなり出ているんですが、他の部分で訪米した時の話を何かあればお話していただければと思います。

★増元照明 家族会事務局長

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昨年の4月にまずフリーダムハウスと言う所が主催して「ジェノサイド展」というのを開いたんですけれども。
これはアメリカの北朝鮮人権法に基づいて、そこから資金が出ているんだと思うんですけど。
ですから大きな大会になっておりました。
そこで丸一日朝から晩まで各部の国会議員やら脱北者の話が朝から晩までやっておりましたし、アメリカのブラウンバックとか強硬派の人たちが集まって北朝鮮の問題をやっていました。
その一角で拉致問題もやったんですが、アメリカの国内では脱北者問題、それと北朝鮮の国内での人権抑圧それに関しては非常に理解を示しているし、大きな運動になって行きつつあったとは思います。
ただワシントンに10万とも言われる韓国系アメリカ人の、そこが主体になって一般の方たちまで中々巻き込めていなかった。
それがキリスト教原理主義者の人たちと一緒になって、アメリカで北朝鮮人権問題を一緒にやっていたのが非常に印象的でした。

そういうキリスト教関係の人たちがやっぱり人権と言う問題で捉えて強くやっているんですけども、彼らが一番強くやっているのは中国にもっとしっかりしろと言う事を言ってるんです。
ですから昨年の4月も中国大使館前でデモンストレーションでプラカード持ってぐるぐるぐるぐる回ってやったんですけども、その前年にやったときは、前年の12月呼ばれてたんですけどその時初めてじゃないかと思うんですけど、全世界で同日同時刻ですから。
日本が一番先、12月8日の午前11時だったかな?
中国大使館前に私たちも行ったんですけど、それを全世界でやろうという運動があってアメリカでもやったそうです。
中国大使館前の小さい芝生、目の前に芝生があるんですけどね。
最初はアメリカの警察も全然警戒していなかったので、中国大使館の目の前の芝生でやってたんですね。
それ以降そこに柵を作られまして、ちょっと距離の開いたところからやらざるを得なくなったんですね。
それだけ中国が気にしていると言う事はあると思っています。

今年の4月の28日、何とか広場ってそこで集会をやったとき、私はその時帰国していたんですけど後から話を聞いたら今回の公聴会、それに対して韓国の大使館にキリスト教原理主義者の理事長が協力を求めたそうですね。
何でも良いから韓国の大使に「ちょっと来てください、そこで北朝鮮の人権問題に関して一緒にやりましょうよ」と、何回も何回も言ったんですけどもうんともすんとも言わなかったそうですね。
あの公聴会にも李美一さんとか、それから他の脱北者とかもいたんですが、結局日本サイドは救う会の方でちゃんと翻訳をする方を見つけお願いをして、それに対して綿密に事前に協議しながらあの10分間にまとめたんですけども。
向こうはまとめる方がいなかったので、各個々が勝手にしゃべって、通訳を入れて一人10分の所を10分だらだらと喋ってしまって、相手に対してまとめていないもんですから向こうの委員もうんざりした顔をしていたんですがね。

その通訳は結局アメリカの国務省の人間がやってたんです。
韓国の大使館はそこに一切関知してないんですね。
よっぽど北朝鮮に今刺激してはいけない。
だから韓国の大使館員は画面に出るのも駄目だという事で、公聴会にも来られてなかった。
その事実を踏まえて28日の集会が終わってみんなして手分けして中国大使館に抗議する人、韓国大使館に抗議する人と分かれて抗議しに行ったそうです。
今、中国・韓国、これが北朝鮮に非常に融和的な姿勢を示している事、これがアメリカの内部でも問題になっているというのは私にはちょっと印象的でした。

今回安保理でロシアと中国が棄権するか拒否権使うかと言ってますけども、これ中国が拒否権使ってたら、ロシアが拒否権使ったら、あの国2ヶ国これから世界から白い目で見られる。
そういう状況に追い込んで行かなければならないのではないかと更に思っております。

★川添氏

ありがとうございました。
昨年は確か日本も同時刻、中国大使館にやりましたよね?(増元さん「昨年、一昨年です」の声)
昨年は僕も行きまして、丁度反日デモの影響でですね。
物凄い数の警官隊がいましてですね。
大使館の前まで入れてもらえないで、入れる入れないで警察の方と押し問答をしたのを記憶で覚えています。
我々よりもマスコミや警察の方が数が多かったもんで、最後ちょっと抗議文を読んで確か帰って来たと記憶してますが。
中国に関してはこれからオリンピックとかいろんな場がありますんで、何とか拉致問題も含めてですね。
北朝鮮の問題で協力してもらうのは難しいかもしれませんが、貰うようなことを運動をしていきたいなと私も思っています。

次に寺越さんと内田さん、ちょっと一緒にお聞きしたいんですが、寺越武志さん。
北朝鮮にいらっしゃいますよね?
武志さんの近況、今の状況のお話ですとかね。
あるいは友枝さんがちょこちょこ行ってると言う話を私も聞くんですが、その辺の話で何か御存知の事があればお答えして頂ければと思います。

★内田美津夫さん(寺越昭二さん三男)

私たち4年前に初めて金正日が拉致を認めた後に、私たちの父親の真相究明を政府にお願いしたんです。
そこで4年前私たちは拉致だから拉致認定をして欲しいと、これも同時に要求しました。
その後、友枝さんと会いまして「私たちはこうして拉致問題を一生懸命救う会とやりますから一緒にどうですか?」と話をしました。
そこで友枝さんは「私は息子が可愛いから一緒にやれない」という事で、「進む道は違うけどもお互い頑張りましょう」と、こういうことで4年前に別れて。

その後一応直接友枝さんと話はしていないので、聞いたり見たりした話を一つさせて頂くと。
やはり今まで友枝さん、飛行機で中国経緯北朝鮮と言う形で行ってたんですが、前回は荷物が多くなったからということで新潟から万景で行きました。
本当に向こうの方で今の生活を維持しようとした時には、向こうからの配給だけではとてもじゃないが生きていけない。
武志の子供が嫁を取ったり孫が出来たりしたもんですから、どんどんどんどん持っていくものが増えると。
そういう事で、前回は万景で行きました。
荷物が多くなったと言う事で。

それともう一つ聞いた話では、今武志が一番心配をしているのは友枝さんが年老いて北朝鮮に来れなくなる事が一番心配だということです。
北朝鮮からのこちらへのメッセージは部屋が8つもあって、お母さんが行った時には焼肉を焼いたりお母さんの誕生日をしてあげたりと、そういう食べ物がわんさと出てくるようなメッセージばかりが出てくるんですけれども、武志はこの後北朝鮮でもし生きていこうとしたら援助が物凄く必要なんです。
それが途絶える事が一番心配していると、そういう事を聞いております。

★寺越昭男さん(寺越昭二さん長男)

付け加えて、やっぱり北朝鮮からもたらされる話ちゅうのは、何一つ私らには確認出来ないんですね。
武志が立派にやっている。
お母さんが行った時だけそこにいるんかも分からない。
再び帰ったら、どういうところに住んでいるかも分からない。
本当に北朝鮮のやっている事ちゅうのはもう何一つ分からない事ばっかりなんですね。

友枝さんが行った時に北朝鮮で何か運動会みたいなことがあって、武志が職場の(平壌市)総同盟副委員長と言う事で商品を渡しているようなビデオを持って来たりもしていますけども、これも私らから言わせればやっぱり何か作られているなと言う気もするし。
そんな事を考えるとやっぱり、一日も早いことやっぱり武志を自由にさせて、自由に行き来できるようにさしてやらないかんがな、と思いますけども。

★司会 川添氏

どうもありがとうございました。
そうしましたらですね、会場の皆様に一言ずつ何かアピールとかメッセージとかあればお願いしたいと思います。
寺越さんからちょっと宜しくお願いします。

★寺越昭男さん

私らの訴えいうのは拉致問題解決するためにはやっぱり国民も世論と言うのが最大の力になると思うんで、これだけはやっぱりどうしてもお願いしたいなというふうに思います。
日本の政府ちゅうのはやっぱり役人根性と言うんか、その時は「頑張ります、頑張ります」って言うけども、実際にどこまでやってくれるか?というのは本当に不安な点がある。
正直な事やっぱり国民が政府を動かすと言う、これまでの結果を見てくると本当にやっぱり国民の皆様の応援と言うのが私らにとっては一番心強いんで、また今後とも宜しくお願いしたいと思います。

★内田美津夫さん

今北朝鮮はミサイルなどを撃って脅しをかけてきていますけども、本当に皆さん、脅しに屈しないで私たちと一緒にこの拉致問題の声を上げ続けていって欲しいと思っております。
それと私個人的な思いなんですけども、やっぱり次の総理には安倍さん、必ずなって欲しいと思っております。
安倍さんが最高権力者になった時にはやはり誰にも遠慮する事無く、自分が北朝鮮に対して思っている事をやってくれると思っております。
これが拉致問題早く解決する道だと思っております。
もし安倍さんが(総裁選に)立ったとしたなら、私たちと一緒に後押しして頂きたいなと私は思っております。
どうも今日はありがとうございました。

★増元照明氏

今安倍さんの話が出ましたので、昨日政治家関係の人たちと一緒に食事をしたんですけども、その時に「今、噂が流れている」と。
まことしやかな噂ほどあまり信じない方が良いんですが、前回小泉さんがブッシュさんと会った時に「私は経済制裁をしなかったけども、安倍君になったら必ずするからその時は協力してくださいね」ということを話した、という事なんですね。
それが中国経由で北朝鮮に入って「それじゃたまらんという事でミサイルを撃ったんではないか?」というふうに今、まことしやかに永田町の中で流れているそうです。
そういうことも有るようですが、安倍さんになったらもっと厳しい姿勢は示してくれると思います。

1ヶ月ほど2ヶ月ほど前でしたかね?
福田さんが急追していると言っておられましたけども、私と多分蓮池透さんは福田さんに睨まれておりますので、やばいな、と思ってたんですけども。
永田町の論理というのは私たちとは全然違ってどうなるか分からない。
自分達の利益のためだけに考えている人たちが大勢いらっしゃるので、日本の国のことなんか殆ど考えていない人たちが大勢いらっしゃるので、福田さんになる確率もあるのかな?ということもあったんですが。
福田さんになったら拉致問題はもうアウトだなと思っておりましたが、福田さんもだいぶ意欲をなくしているみたいで良かったなと思っています。

ただ、私はいつも言ってるんですけども、福田さんには直接言いました。
2001年金正男ですよね。
彼が来た時に外務省のおばさん、田中真紀子さんか。
田中真紀子さんが足をバタつかせて「早く返しなさい、ミサイルが飛んでくるじゃない」と言われてたそうですが、それを受けて官房長官、おそらく小泉さんも了承して返したようです。

でもあの時に官房長官は国民に向かって「誰だか分かりませんけれども」と言ってるんです。
その後訂正していません。
「誰だか分かりませんけど、とにかく不法入国者として返した」と、しかも飛行機のファーストクラスで、出てきたシンガポールではなくて北京に、審議官級の外務省の職員を6人つけて返してる訳ですよ。
誰が聞いても嘘だろうと思うんですけれども、あの時は官房長官として「誰だか分からない」と仰って返されました。
国民に嘘をついたまま、私は総理になってはいけないとずっと思っています。

確かに場面場面で国民に対して欺く必要はあるのかもしれませんけども。
でもある一定時期経ったら国民にその時何故その嘘をついたのか?説明をしなければならないと思ってますし、これから総理になる人が嘘をついたまま総理になってはいけないと思っていますので。
絶対にこのまま福田さんが(総理に)なるようになったら、私はネット上で流したりテレビでがんがんがんがん言おうと思ったんですけども、でも私はそう思っています。
ですからこのまま福田さんになることだけは避けていって頂きたいと思いますし、安倍さんになって頂きたいとも思っておりますが、今あんまり僕たちが贔屓して引き倒しをしてしまっては困るので静かに見守っていきたい。
ただ今日本はまともになりつつあるので、まともな総理を選んで頂けるのではないか?と思っています。
この拉致問題も必ず解決しなければならないという、そういう方たちが本当にある地位に就いて頂くとどんどんどんどんと好転していくでしょうし、金正日政権とも対峙して頂けるのではないかと思っています。

金正日が今一番困っているのは安倍さんが総理になる事だと、これは佐藤勝巳会長が北朝鮮サイドの言葉として聞いていると。
だから安倍さんが総理にならないと、そう言う工作を一杯仕掛けていると。
週刊現代もそうですけどね。
安倍さんがいろいろと裏の画策をしているような事を週刊現代は書いているようですが、必ず、さっきの秘書官から電話がかかってきまして、「ああいう事はありませんから」と。
必ず発売される前に彼らはどういうのが出るのか分かりますので、その時点で電話が来まして「あんな事ありませんから、私中国へ行ってません」
もしかしたら行ってるのかもしれませんが、でもそういう事ですね。

私たちは安倍さんを信じてますので、安倍さんがそういうパイプを使って拉致問題を解決しようとしていると、私たちはもしそれが真実だとするとそう捉えていますので、何ら一点の疑問も持っておりません。
私たちは安倍さんになって頂きたいと思いますが、ただあんまりそんなに私たちが言わない方が良いだろうなとは思っております。
まともな国にしていくために国民の皆さんが、最終的には声を上げて頂く事が必要になってくる場面も出てくるかもしれませんので、その時には宜しくお願い致します。

★真鍋貞樹氏

増元さんは政治家は嘘をついちゃならないという発言をされましたが、私は嘘つきは政治家の始まりだと思っています。(笑い声)
政治家の方もいらっしゃるんですけども。
また私も実は何年か前、似たような職業をやってましたのでそう思っております。

だから私も安倍さんについては非常に信頼を置いているんですけども、ただ政治の世界はそんなに甘くないという事です。
嘘もつかなければいけないし、芝居もしなきゃいけないし。
その中でこの問題をどう解決していくか?という厳しい実際の現実の政治家の世界でですね。
どろどろした部分をですね。
潜り抜けていかなければ安倍さんとても、そんなに簡単に物事進められていく状況ではないわけですから、そういう安倍さんにしろ誰にしろ、そういう政治的リーダーをどう国民がですね。
バックアップするか?サポートするか?という事がとても大切だと思っております。

それで最後に私の方からお願いですが、「しおかぜ」の事でございます。
「しおかぜ」というのは、日本はミサイル撃つわけにはいかないですから、せめて電波くらい打とうじゃないかという形で始めております。
狙いは二つございます。

ひとつは増元さんとかですね。
寺越さん・内田さんもそうでしたけど自らの肉声で、るみ子さんなり武志さんなりにメッセージを伝えて頂きたいという形でやってます。
特定失踪者のご家族にもですね。
大澤さんもそうですし高野さんもそうなんですけども、自らの肉声で北朝鮮にいる拉致された人に向かって声を届けて、まずは励ましたいと。
絶対に忘れていないんだというメッセージをですね。
お送りしたいと言う事が一つ。

もう一つの狙いはですね。
大きな事を言うようですけども、東ドイツが崩壊した時のプロセスにおいて、北朝鮮よりはるかに開放的だった東ドイツでさえ非常に崩壊のプロセスは難しかったわけですけども、その時一番重要だったのは情報なんです。
ラジオ放送を通じた情報を国民が知ることによって、「どこに行けば西ドイツにいけるよ」と、「オーストリアに逃げる事が出来るよ」と、「今東ドイツの政権は崩れそうになってるよ」というような情報をですね。
東ドイツの国民の皆様はラジオ放送を通じて知り得た訳です。

だからあの北朝鮮を見たときに本当に閉鎖空間です。
東ドイツ以上に囲まれた社会の中にやはり自由な風・民主主義の大切さ・人権の大切さという物をどうやって伝えるか?という事になると、今効果的なのはですね。
手法の一つとしてラジオがあるんじゃないかと思っています。
金正日体制を如何に揺るがしていくか?と。
そして先ほども触れましたように、如何に普通の国に転換させていくか?というための一つの方法論として、そんなに大げさな事を言える程たいした事はやっていませんが、一つとしてですね。
取り組んでいきたいというふうには思っています。

今我々の「しおかぜ」に対しては北朝鮮からは妨害電波が出ております。
妨害電波を回避するために新しく別のチャンネルで始めましたら、そこにも(妨害電波が)かかっております。
いたちごっこの状態ですけども、向こうがそう出るならこっちもそう出るということで、どんどんチャンネルを変えていきますし、今チャンネルを公表していますけども、ちょっと公表を差し控えてやってみようかなというふうにも思っています。
いろいろな方法論を私どもなりに学びながら進めて行っておりますのでですね。
是非皆様方の御支援を是非「しおかぜ」の方にもお願いをして、私のお願いとさせて頂きます。
どうもありがとうございました。(拍手)

★司会 川添氏

ありがとうございました。
これでパネルディスカッションを終了いたしますんで、もう少しで終わりますんでもう少々お待ちください。
posted by ぴろん at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

06.7.8 パネルディスカッションその1 第14回藤沢集会(10)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その1』

★司会進行 川添友幸救う会神奈川会長

1月の時もパネルディスカッションという形をやったと思うんですが、今回もやりたいと思って企画してみました。
やり方として私の言った事に対してですね、御家族の方お答えして頂くという感じを考えています。

まず一点目なんですが、皆様に最初お聞きしたいなと思っているのは今日の講演の中でも話が出ていたと思うんですが、ミサイル発射に関する政府の経済制裁発動に関してどういうふうに思われているか?と。
我々も経済制裁という事をずっと言って来たんですが、限定的な制裁発動になりました。
それに関してどういうふうに思われているか?という事をこちらの順で、寺越さんの方から。

★寺越昭男さん(寺越昭二さんの長男)

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私、水曜日でしたかね、あの日。
仕事に出て丁度雨が降って仕事が無くなったんですよ。
仕事に行く途中車で「発射をした」と、「北朝鮮がミサイルを上げた」という事をラジオで聴きまして、「あれ、いよいよ上げたかなぁ」というふうに聴きまして。
仕事場へ行ったら今日は雨で休みだったと言う事もありましてそのまま帰って来たんですけど、帰って来たらすぐマスコミから取材がありまして、「こういう事でどうですか?」という事で聞かされたんですけども。

やっぱり経済制裁という事を良く考えてみると、拉致問題を解決する為に2法案。
特定船舶の入港禁止法案とそれから改正外為法と言う物が私は作られたように記憶しているんですけども、それがまさかミサイルを上げた事によって経済制裁が発動されると言う事は、本当に第一声が嬉しいと言うことよりも「なんで?」という方がやっぱり強かったですね。
マスコミには「有りがたいけれども、逆に言うと拉致問題の解決の為に発動して頂きたかった」というふうに私はコメントしたんですけども。
丁度コメントした後に増元さんのテレビが流れまして、私と同じ事を話していてやっぱり皆さん同じ事を考えておるな、というふうに思いましたけども。

★内田美津夫さん(寺越昭二さん三男)

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私は本当にミサイル発射のすぐ後に素早い決定をしてくれたと。
私たちはこの拉致問題解決のためには、政府の方に経済制裁を発動して欲しいと以前からずっとお願いしてきたし訴えてきました。
形はどうであれミサイル発射のすぐ後、こういう言う形をとって毅然とした態度を取ってくれたという事は、本当に評価をしております。
今年警察庁長官の漆間長官が「今年は拉致問題解決について勝負の年だ」と、そういう発言もありますので形はどうであれ北朝鮮を追い詰めると、そういう第一歩になったということで、私は本当に嬉しく思っています。

★増元照明 家族会事務局長

先ほども言いましたけども、ミサイルを撃った時に「やったぁ!」と、これはちょっと不謹慎なのかもしれませんけども、これで制裁を課すだろうと。
これで課さなければまともな国じゃないと思っておりましたので、制裁を課したという事はようやく日本もまともな国になりつつあるのかな?という実感です。
だから評価はしています。

ただ先ほど言ったように拉致問題の解決の為に制裁を継続すると言う事を更に付け加えて頂きたかった。
そうでなければミサイル問題が解決したら、また制裁の解除をするのか?という事になりますので、それだけは付けて頂きたかったというふうには思っています。
昨日一応「拉致問題の事も懸案しながら制裁の発動をする」と官房長官も言葉で言われたので、それはそれでいいのかな?

あとは小泉さんが辞めてから時期総理になられる方に必ず半年ではなくて、その時点で拉致問題が解決していなければ継続して頂きたいと思っております。
この半年の間には解決して欲しいとも思ってもおります。

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

経済制裁が効果があるとか無いとかの議論がありますけれども、まず最初に日本の国家としてあるいは国民としてですね。
やはりこういったミサイルを発射するとか拉致するとか絶対に許さないと言うですね。
怒りの意味を示すと言う意味は非常に重要だと思います。
政治的な宣言としてですね。
非常に意味があると思います。

じゃあ二つ目、経済制裁が効果有らしめるためには何が必要か?という事ですが、現実に考えて日本だけの経済制裁は正門は閉めたけれども裏口と言いますかね。
後門、後ろの門は開けっ放しとそういう状況ですから。
現実的には中国とかあるいはロシアからですね。
いろんな人・物・金と言うのは実際に動いてるわけです。
それもアンダーグランドのレベルでですね。
そういったところまで止めない限りには実態面では厳しいものがあると思ってます。

その裏の世界はですね。
実は日本と北朝鮮の間にも現にあるわけですね。
表の経済交流だけでない部分、これ簡単に言えば麻薬とかあるいは偽札とかですね。
それから第三国経由とかいろんな物があるんですけれど、そこまでどうやって国際社会がアンダーグランドな物は許さないとか言う事をやれるかどうか?にかかっていると思います。

そのためには先ほど増元さんが言っておられましたけど、結局中国がどう出るか?によってこの効果の程は変わってくると思います。
ただ最初に申し上げましたように効果の有る無しに関わらず、そういう政治声明を出したという事に非常に重要な意味が有ると思っています。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
じゃ次2点目をお聞きしたいと思うんですが、さっき(脱北者の)Aさんとの話に出ました北朝鮮人権法。
先の国会で成立しました。
北朝鮮人権法に関して救う会・家族会・調査会も含めてですね。
草案の作成に協力されたと言う経緯があったんですが、この法案が、さっき私も外交カードを言う言い方をしましたが、これに関してどういう評価をされるか。
同じようにじゃあ増元さんから、すみません真鍋さんからお願いします。

★真鍋貞樹氏

北朝鮮人権法の法文を見ますとですね。
先ほど申し上げました経済制裁と脱北者保護と言うのが大きな柱になってますけども、これは表向きそういうふうになっているという事をお話しておきたいと思います。

というのは、アメリカの人権法は何を持って最大の意図としているか?という事ですが、これは明確に北朝鮮の民主化です。
金正日体制が今のままである限り、ミサイルや拉致や偽札などは終わらないと。
いかにどのようにして北朝鮮と言う国家をごくごく普通の国に転換させて行く事ができるのか?というのが隠された意図であると言う事です。

日本側の北朝鮮人権法と言うのはそういった意図が全く見えていないようですけれども、少なくとも我々が考えなければいけない物は、今の金正日体制では絶対に駄目だと言う事です。
どんな事があってもあの体制を残す限りいろいろな問題は残るわけです。
要するに東アジアの平和の為には日本の安全の為には、北朝鮮の国家体制を変えない限りには終わらないんです。
そのためにこの人権と言うカードを使ってやっていくという文脈の中で、この法律の意味を考えていかなきゃいけないと思っています。
ただ単純に脱北者が気の毒だとか、拉致被害者が気の毒だとか、そういうレベルの話で終わらせてはいけないというふうに思っています。

じゃあ、そのためには相当の覚悟が必要です。
残念ながらそこまでの覚悟が日本政府にあるのか?
政治家にあるのか?
そして我々国民の中にあるのか?というふうに問い直すと非常に私としては不安な所がありますけども、そういった狙いを持ってですね。
この法律を考えていかなければならないという事を、是非お訴えをさせて頂きたいと思っています。

★増元照明氏

昨年か今年の初めくらいからずっとその6団体、調査会・救う会、それから守る会、それから難民救援基金の代表者が集まって日本国内で北朝鮮人権法と言うのを是非作って貰おうではないか。
その内容に関して私たちも協議し、そして提言をしてきました。
昨年ですよね?
民主党が人権法案を提出しています。
その一番目にはやはり脱北者問題です。
脱北者の問題をメインで捉えて拉致問題にはさほど大きな物は含まれていませんでした。

今年になって自民党が提出した北朝鮮人権法は、拉致問題を強く取り上げ制裁の発動まで義務付けるというところまで言っているんです。
でも脱北者問題には言及されなかったので、中々歩み寄れなかったんですけども。
会期末近くになってどうしても国会会期内で成立して頂かなければ北に対する圧力にならないという事で、両方の対策本部に面会しまして「是非今国会会期内に成立させてください」と、いう事をお願いしましたら両方とも歩み寄るような姿勢を取ったんですけども。

北朝鮮人権法に対して反対する人はまず殆どいないだろうと、両方の党とも。
与党もそれから民主党とも。
ただ拉致の文言の部分で非常に揉めていたんですけどね。
ですからまずその辺でも合意は出来るだろうと言う事で、一応話はしていました。
ですから今北朝鮮人権法に対して多少異議を唱える方の中に、「審議もしないで会期末にばたばたと決めて、これでは良くない」と言う方たちもいるようですけど、この国会の中で決められたと言う事は北に対する大きな圧力になるということを私たちは考えておりましたので。
ばたばたとは言えお互い審議はしておりましたので、そんな反対者はいないですから、だから議長採決と言う形にしていただいて最後の会期末で決定をしていただいたわけです。

ただ、中身に関しては我々も満足はしていません。
それはなぜかと言うと拉致のこと、制裁の発動に関しては北朝鮮が誠意ある姿勢を示していない、それからそういうふうに判断された場合と書いてありますが、じゃあ誰が判断するんだ?と。
小泉さんが判断するんでしょうけど、今までだって小泉さんが北朝鮮の不誠実な態度に余り反応して来なかったんですから、結局今までと同じじゃないか?と。
私は気持ちではいるんですけど、でも出来ると言う事が北に対する大きな圧力になる。
それがいい事だと思って私はお願いをしておりました。

自民党が一番だらしないと言うか、自民党の中で問題になったのは脱北者と言う、脱北者をどういうふうに定義するのか?
更に脱北者を今中国が中朝国境で捕捉して強制送還してましたよね?
脱北者と言うこれを保護すると言う事は中国の行為に対して非難する事であって、内政干渉になるんではないか?という、非常に中国にまた弱腰な日本の汚点を見せてるわけですよ。
だから自民党としては脱北者問題はあまり入れたく無いと言う、それでも民主党はこの脱北者問題を入れて初めて人権と言うことではないか?
という事でしのぎを削ってお互いに納得できる線で今やられたんだと思いますが。
ただ定義自体は脱北者の定義は元在日の方に定義するとか、それから犯罪者が入ってきたりすると困るからどこで歯止めをかけるんだとか、いろいろまだ問題はあると思いますが、今後いろいろまた精査していけばそれで良いと私は思っています。

拉致被害者の支援法でも3年後に見直すと言うふうになっていますので、これは法というのはまず最初に出来て、それからどんどん現実に即して改正していけば良いことであって、まず北朝鮮の人権法と言う事で、人権と言う言葉で北朝鮮を攻めるのにまず成立をさせ、そして圧力をかけていく。
これが必要だろうと言うふうに私は思っておりましたので、今回は人権法まだいろいろと多々問題はありますけども、成立したことには感謝したいと思います。

★内田美津夫さん

この人権法について私は、間違った事を言ったら駄目なので大きい意味合いについては言えないんですけども、私たち寺越家の事を例に挙げて言いますと、親子の母が子を思う気持ち・子供が母を思う気持ちを悪用して行ったり来たり、今もなお北朝鮮に行ったり来たりしている状態。
また私の父親は男5人・女6人の11人きょうだいなんですね。
そのうちの父親・弟の外雄・更に今武志の父親、太左衛門が北朝鮮でもう90近いがかな?
まぁ、死んでしまうかも分からん。
5人の兄弟の内、なんも縁もゆかりも無い北朝鮮に、あの酷い北朝鮮にもう少ししたら骨を埋めることになるかもしれない。
そうなる前に何とか今人質状態みたいにおる太左衛門をこっちにやっぱり取り返さなならん。
こういう問題を一日も早く解決する為には、いろいろ今までに外為法とかいろいろ法律成立させて頂いたんですけども、この拉致問題という人権、寺越のこの問題を考える時やはり解決には人権法、人権と言う方法で北朝鮮に圧力をかけるという意味で、本当に良い法律が成立したと思っております。

★寺越昭男さん

私も弟と同じ意見で、武志の父親だけでなくて亡くなったうちの親父にもやっぱり人権はあるわけで、もしあればやはり遺骨を返して頂いて初めて寺越事件の解決に近づくと言うふうに考えていますので。
(遺骨が)無ければ無いで、無い説明をやはり北朝鮮側にさせなきゃいけないし。
もし親父が安明進さんの証言の言うとおり殺されたとしたら、やっぱり北朝鮮側は私らに謝罪してもらわないと私ら気が済まないし、日本の政府も同じだと思うんですけど、国民を殺されて黙っているのか?ということなんですね。
人権法とはちょっとずれるかも知れんけども、人権と言うと死んだ人にも人権はあるわけで、ひょっとしたら拉致被害者の方にも何人か北朝鮮の中で亡くなった方が、多分何人か出てくるかもしれないし。
そういう人たちの人権もやっぱり考えていかなければならないと思います。

★司会 川添氏

質問のお答え、ありがとうございました。

・・・「パネルディスカッション その2」に続く・・・
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2006年07月22日

06.7.8 大澤茂樹さん 第14回藤沢集会(9)藤沢産業センターにて

『大澤茂樹さん(特定失踪者・大澤孝司さんの兄)の訴え』

Img_1848.jpg

皆さんこんにちは。
ただ今紹介にあずかりました、私新潟県の佐渡島で拉致された疑いが濃厚な特定失踪者・大澤孝司の兄の大澤茂樹と申します。
宜しくお願い致します。
本日私のほかに、先ほど調査会の真鍋先生の方から簡単にご紹介がありましたが、ここで改めて私の他にですね。
あと二家族の特定失踪者の家族が本日来場いたしておりますので、簡単に御紹介させて頂きます。

まず昭和51年7月30日、東京都の神津島で失踪いたしました高野清文さんの妹さんの美幸さんがそちらに見えていますので、宜しくお願い致します。(拍手)
それとももうお一方、そちらにですね。
昭和54年の8月の10日でしたよね?
鎌倉市で花火大会があって、銀行の親睦会で花火大会に参加し、その後戸塚駅から自宅に帰る途中失踪いたしました、寺島佐津子さんのお父さんとお母さんがお見えになっています。
どうぞ宜しくお願いします。(拍手)

私は生まれは新潟県で、何でお前がこんな所にいるんだ?と疑問に思われる方がおられると思いますので。
私ども兄弟は3人兄弟でして一番上の兄は新潟県の、昨年の10月に合併して新潟市になったんですが、巻町というところにおります。
それで私は次男で今現在横浜市に在住している関係上、神奈川の救う会の皆様方の御支援を頂きまして、私このようにして救出活動に運動させて頂いている関係で本日もここに参っております。
どうか宜しくお願い致します。(拍手)

折角のチャンスですので前回1月の時も私お訴えをさせて頂きましたが、若干重複するかもしれませんが私の弟の失踪した時の状況を簡単に御紹介させて頂きたいと思っています。
私の弟は昭和49年の2月の24日に新潟県の佐渡島で、曽我ミヨシさん・ひとみさん親子が拉致された真野町という所から若干ちょっと離れているんですけれど、トキの保護センターのある新穂村というところで北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。

失踪時の身分は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります佐渡の農地事務所に勤務する県庁の職員でございました。
曽我さんたちが拉致される約2年半前の事件であります。
その時は独身で寮生活をしておりました。
それから今年で33年経ちますが先月の21日に、弟も60歳の誕生日を迎え還暦となりました。
27歳から60歳まで消息が分からず人生の良い所はもう終わりましたが、残りの人生は何が何でもこの自由な平和な日本に連れ戻してですね。
生活をさせてやりたく、私もこういうふうにして皆様方にお訴えをさせて頂いております。

今まで日本政府の拉致の取り組み状態は硬直化し全然進展しておりませんが、ここに来てテポドン、あるいは先ほど増元先生からいろいろとご紹介がありましたが、ミサイルの問題で急変しております。
この急変が、安全保障問題が最優先となり拉致問題が置き去りになるんでは無いかと私は危惧いたしております。
どうか皆さん、置き去りにならないように。
それには更なる皆様方の御支援と御協力が必要でございますので、どうか拉致問題が完全に解決するまでどうか皆様方のご支援ご協力を宜しくお願い致します。

簡単ではございますが私の訴えとさせて頂きます。
ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※文中に紹介のあった特定失踪者の個別情報は下記の通り

情報は全て特定失踪者問題調査会のHPより引用 
http://chosa-kai.jp/index.html

★氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

★氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19
身長 体重
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

★氏名 大沢 孝司
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
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2006年07月21日

06.7.8 増元照明氏2 第14回藤沢集会(8)藤沢産業センターにて

『増元照明 家族会事務局長の講演 その2』



6者協議の中の枠組みで今やられていますけど、前々から私言ってますけど6者協議なんてちょっと茶番に私見えてしょうがないんですよね。
だいたいですよ。
北朝鮮という世界最貧国一国のために、ロシア・中国・日本・アメリカ、韓国は世界10位の経済国ですよね?
経済大国と軍事大国ですよ。
5者がかかって世界最貧国の北朝鮮に翻弄されているようなそんな会議、アホじゃないかと私は思っているんですね。
その5ヶ国が全て固まって北朝鮮にもっと強い圧力をかければ済む問題なのに、何かしらそれをしないというのはこれは中国の関与だと私は思います。

中国がどうしても北朝鮮という国、あの体制のままもう少し延ばしておきたい。
2008年の北京オリンピックまでどうしても延ばしておきたいと言うその気持ちがあるから、あそこが混乱しちゃうと脱北者が確かに中国の方にどんどん流れる可能性があるんですよね。
だから方やオリンピックやって、方や混乱していたらちょっと中国政府としてもまずいと言う気持ちがあるんではないかと思います。
2008年まではそっとしておきたい。
生かさず殺さずのまま、と言うのがあるんだと思います。
北朝鮮は北朝鮮で2008年まで生きいていれば、ブッシュ政権が終わりますから、次の民主党政権になればまたどうにか誤魔化せるんじゃないかと、そこまでじっとして居たかったんですが昨年の金融制裁でそれも出来なくなってテポドンを撃ったということじゃないかと思いますけどね。

今私たちは北朝鮮を追い詰め始めています。
私たちもアメリカの常に主導の下でやられているのは非常に残念でありますけど、それは何はともあれそういう追い詰められている状況は確かと思っています。
制裁の発動を私たちはずっと求めて万景峰号の入港反対にもずっと参加をしておりましたけども、中々それを実行してくれなかった政府がテポドンという、実害は無いですよね?今のところね。
その実害の無いテポドンで制裁の発動をしていただいたのは非常にありがたいんですが、もっと強く拉致問題を意識して制裁の発動をして頂きたかったですね。

本当に100人以上の拉致被害者がいるし、多くの日本人が北朝鮮という国に迷惑を被っているこの状況の中に、これを頭に制裁の発動をしていただきたかったのは事実です。
それ程でもやはり、日本の政府の中にはこの拉致問題最優先課題といいながら、結局はそこまでに強い意識ではなかったんだという思いが私にはあります。
テポドンというのはやはりアメリカにとっても脅威ですし、日本にとっては当然脅威なんですが、でも皆さん10年ちょっと前からすでにノドンという日本を全て射程圏におくミサイルがすでに150〜200、すでに発射の状況になっているわけですよ。

それに対して日本は何ら防御の迎撃ミサイルも配備しない、もう十数年ですよね?
放置してきたわけでしょう?
ここでテポドン2でなぜこんなに今更のように騒ぐのか?私はちょっと分からないんですけど、日本の安全保障ということでしたらね。
十数年前にテポドンを配置した時点で制裁の発動をすべきでしたし、もっと専守防衛というのであればイージス艦のような物をもっとその、迎撃ミサイルですよね。
ミサイル防衛網とかそういう物をもっとまともに考えて配備して行かなければならなかったのに、それをやってこなかった日本政府は非常に今ちょっと責任が重いと思いますよ。

政府自体ではなくておそらく社会党とか共産党とかの人たちがそれを阻止してきたんでしょうけども、でも専守防衛であるならば、本当に撃たれてから被害を被ってからやるんではなくて、被害を被らないようにしなければならないのに、それにも全く頭が行かなかったと言うか、北朝鮮という国が本当にまだまともな集団だと思ってたんだと思います。
ましてや与党の中にも親北の人たちは結構いらっしゃいましたい、与党の幹事長の野中さんなんてのは親北の最先端で力がありましたからね。
ですから我々のこの拉致問題に対しても非常に悪い方向に行っていたんですが、その野中さんが政界を去り、そしてアメリカはブッシュ政権が出来上がって北朝鮮に圧力をかけ、で、今の状況になっているんだと思います。

テポドンに関して1998年、これ前に撃ったわけですよね。
1998年って、これもW杯の開催年なんです。
だからW杯の年にこの北朝鮮問題というのは4年に一回必ず起きて、W杯の年って言うのは北朝鮮と連動しているんじゃないか?と思ってしまいますが。(クスクス笑い)
金正日がよっぽどサッカー好きでW杯の世界中がお祭り騒ぎのときに、自分達の存在をアピールするために何かをしようと思うのか、たまたまそうなのか分かりませんが。
とにかくW杯の年にそれだけのいろんな事が起こったんです。

で、98年、日本は一応制裁をかけてます。
今回の万景峰号を止めるとか、そういうのはやってませんけどもチャーター便ですよね。
その運行停止。
それから北朝鮮の公務員ってのは、国会議員とか公務員その人たちの入国禁止。
そういう軽い制裁はかけています。
その翌年にテポドンの、あの時1号でしたけど次テポドン2号を撃つと構えを見せたら、今度は人・物・金を止めると公言していました。

あの時、でも、日本は単独の経済制裁法案を持っていなかったんです。
それでも人・物・金を止めると言ったんです。
だからどうやってやるつもりだったのか?分かりませんけども、そう言ってたんです。
だから私たちは出来るだろうと思って、2000年のあの時から経済制裁の発動をしなさいよと。
テポドンで日本の上空を飛んで太平洋に落ちて全く実害のなかった。
それで制裁の発動を出来るのであればこの拉致の問題で出来るでしょう。
意思を示しなさいよと言ってはいたんですけど。
だからずっと私たちは2000年前後、1999年ごろから制裁の発動を求めていました。

それは今効果の有る無し言われる方がいらっしゃいます。
1990年代後半は、おそらく制裁の発動をすればもっと効果があったと思いますが、今は貿易も余りやってませんし。
ただ、アメリカも貿易はやって無いです、北朝鮮とは。
それでも金融制裁は効いたんです。
ですから今日本は3分の1の貿易額とは言え、日本が本気になれば制裁は効くと思います。
それは万景を止めること自体もそうなんですが、これは在日の朝鮮人の方たちからちょくちょく家族会の方に秘密裏に連絡が来まして、「あの万景を止めるのは凄い効くんだよ」という話を何回も聞いておりますので、万景号を止める事も一つ大きな制裁というか、向こうに対する大きなインパクトを与えるとは思っております。

それよりも世界第一のアメリカ、経済大国のアメリカが金融制裁をして第二位の日本が経済制裁したら、それは途端にあの国はどうしようもなくなりますよ。
今マカオの銀行に25億円くらいの資金があってそれが凍結されてそれが困ってるんです。
今度アメリカはテポドン発射を受けて、香港にある銀行にも制裁を課す事まで考えている。
それに追随をして日本がそこに同じようにやっていけば、世界中の銀行が日本とアメリカ、経済大国一位二位の国がストップするような、そういう関係になりましたら北朝鮮との取引は全部出来なくなりますから。
そうなると北朝鮮は現金で決済するしかありませんけれど、でも現金で決済するとどれが本物かどれが偽物か分からないような(笑い声)ドルを使われますので、危なくて、ですからその貿易も出来ないですよね。
実際これは佐藤会長が言ってたんですけども、ロシアが物をやって代金を貰ったら1割に偽ドルが入っていたということですので、とてもじゃないけど危なくてそれは出来ない事だと思います。

そうなりますとミサイルの部品も調達出来なくなりますね。
更に軍の消耗品と呼ばれる車の部品がありまして、これが全部買えなくなりますよね。
今まで軍の車とか、軍備65%全て日本の製品であるというのは分かってます。
今までトラックとか軍の車、これに部品の注文があったのが日産と日野です。
先ほど固有名詞は忘れてと言ってましたけど、日産と日野という自動車メーカーが、多分中国から注文を受けて迂回して向こうに持って行くのが、万景峰号で持って行ったのもあります。

ですからこれが止められるという事は、北の軍備が大部治まるという事、小さくなってしまうという事です。
ミサイルも作れなくなってしまう。
更に核開発も出来なくなる。
万景峰号で核の融合剤とかそういった物も送られてましたから、それも出来なくなる。
まして核を作るにはお金が要りますから、銀行決済が出来なかったり現金決済が出来なかったりするとそれも出来なくなりますから、今後核の開発に関しても非常に支障を来たすでしょう。
もっと早くやっておけば核を持たせる事も無かったんですが、ここに来て核弾頭を持っているか持っていないか?
核弾頭が出来るかどうか?
それもいまだにちょっと不透明な所がありますけど、大半の人たちがまだ核弾頭までは出来ないだろうという事を仰っています。

で、昨日7月7日、イギリスは今日未明が7月7日ですかね。
朝方からずっと見ていましたら1年前に7月7日、同時テロを被ったイギリスのロンドンの市民がテレビで言ってました。
「自分達が普通どおりの生活をし普通どおりの仕事をしているところを見せる事が、テロに対する私たちの姿勢なんだ」と。
テロに対し私たちは怯まないというその姿勢を見せる事が、テロの抑止になる。
私たちはそういうロンドン魂というか、そういう事を市民の方が言っておられました。

今日本の中で、テポドンがミサイルが飛んで来たらどうするんだ?というふうに言う方たちも出てくるでしょう、おそらく。
でもそのミサイルの実験もしくは飛んでくることに対して恐れを見せた段階で、私たちの国は崩壊していくという事です。
これからもおそらくどういう事であれ恫喝はしてくるでしょうけども、そこで私たちは毅然と普通の生活をして、そして北のミサイルには怯えていないと絶対に怯えないという姿勢を見せなければ、どんどんどんどんつけ込まれてしまいます。
今後おそらく、ここで屈したら私たちの国はもう、今後日本という国はどんどんどんどん崩壊していく方向に行くと思います。
今金正日の政権の崩壊を目の前にしながら日本が崩壊するわけには行きませんので、私たちは、皆さんにも是非そのことだけは考えて頂きたいと思います。
これは拉致被害者を救出するだけではなくて、日本という国の有り方の問題として問われていると思っております。

今は万景峰号を止める制裁だけに留まっておりますけども、半年というふうに言われておりますが、先日安倍官房長官の秘書官という方から電話がありまして、「一応半年間という区切りはつけましたけど、それは拉致の問題が解決しなければ、その時点で延長も当然視野に入れております」というふうに仰って頂きました。
更に昨日「経済制裁の発動、これに対してはテポドン発射に対する抗議もあるけれど、拉致その他いろいろな問題を懸案して発動したんだ」という事をハッキリと仰って頂きましたので、今後拉致問題を政府として忘れる事はありませんし、国民の皆さんにも忘れて頂きたくないんです。

ミサイルの問題で拉致の問題が小さくなる事が、一番私たち怖いです。
「ミサイルを撃たなかったから良かったじゃない。これで北朝鮮と仲良くしなければいけないのね」とならない事を、拉致の問題がまだ解決していないと言う事を皆さんには必ず分かっていて頂きたい。
被害者が返って来ない限りはこの拉致問題は終わらないということを、分かって頂きたいと思っています。
そこまで私たちは戦うのを止めませんし、金正日との戦いを止めようとは思っておりません。

今、韓国がですね。
今日新聞を見たら、韓国の盧武鉉大統領の支持母体である「盧武鉉を愛する人々の集い」というそこのHPに、「北韓ミサイルの発射を歓迎する」と題した支持論で、「ミサイル発射は正当防衛だ」と。
更に「日本の独島侵犯に対する自己防衛だ」と言っているようですが、韓国の盧武鉉政権はもうアウトです。
民団の方がいらっしゃるので非常にあれなんですけど、米国の韓国系アメリカ人もアウトだと言っておられます。
日本の民団の方にも、おそらく盧武鉉政権のやり方は非常に腹立たしく見えておられると思います。
韓国の中にもそういった保守系の方たち、大勢心ある方たちは盧武鉉さんを批判的ですし、ようやく新聞も、新聞は朝鮮日報は前から戦っていたんですけど、今中央日報・東亜日報と盧武鉉政権に非常に追求を強めています。

更に拉致問題でも「金英男さんの会見、あれを認めるのか?」と言って、非常に強い攻撃をかけ始めています。
ですから来年の大統領選挙まで持つかどうか?
それがちょっとまだ分かりませんけど、まぁ持つかもしれませんけど、でも韓国もそうやって国民世論が、韓国の国民世論がそうやって厳しくなっていけば、その時こそ日韓連携が私は出来て北朝鮮と対峙できると私は思っています。
韓国の国民の人たちにも是非立ち上がって頂きたいと思っております。

私たちは最後まで戦い続けますし、日本の皆さんにも忘れないで頂きたいですし、一緒に戦って頂きたいと思いますので宜しくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)
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2006年07月20日

06.7.8 増元照明氏1 第14回藤沢集会(7)藤沢産業センターにて

『増元照明 家族会事務局長の講演 その1』

Img_1841.jpg



こんにちは。
増元るみ子の弟の、増元照明です。
ちょっとW杯で疲れておりますので。(笑い声)
この頃私、増元るみ子の弟とあえて言うようにしているんですけども、皆さん方は分からないというか、忘れたのか、それとも誤解が多いのか、どうもお兄さんと言われる事が多いもんですから、(笑い声)常に最初に弟と言う事を言わせて頂いております。

この2週間ですね。
非常に忙しく大変でした。
W杯でもあったんですけど、W杯というのも非常に私面白いと思っているんですけども、2002年の日韓W杯のときに金正日は拉致を認めて、この日本人拉致というのが大きく報道されるようになりました。
これはもちろん、今イ団長が仰ったように2001年の同時多発テロ、更にブッシュ政権になって大きな圧力が北朝鮮にかかるようになって1年、ようやく1年、結果じわじわと効いて来た、金正日が拉致を求めざるを得ない状況になってきた。
今年もW杯があった。
その最中に今度はテポドンを撃ってきましたので、これで世界中が大きな圧力をかけるようになりつつあります。
ですから私は今年で解決できるのではないか?と非常に期待しております。

前々から、昨年の9月からですね。
ブッシュ政権が金融制裁をかけておりましたので、これがだいぶ効いていると言うのが昨年末から私たちも伺っておりましたので、だから今年の初めから私たち家族会は今年が勝負だろうと。
今年出来なければ後何年かかるか分からないから、とにかく集中して動こうと言う事で今半年間過ぎてきたんですけども、半年が過ぎても小泉さんが中々真剣に拉致問題を考えて頂けなかったので進みませんでしたが、ようやくここに来て北朝鮮が馬鹿な事をやったお陰もあるんですけれども、制裁の発動をしていただきました。

2週間ちょっと忙しかったので、皆さんに何があったかという事を、この2週間の出来事でちょっと話をしたいと思います。
先月の27日にまず『アブダクション』という、これ日本で限定上映されたんですが、家族会主催でやらさせて頂きました。
限定上映ですので大半の方が御覧になってないと思いますけども、今日本での上映に向けて配給会社との交渉に入っているそうです。
ですから上手く行けば秋には御覧になっていただけると思いますが、ドキュメンタリー映画が果たして日本で流行るのかな?とちょっと思っているんですね。
御覧になった方は感動されたと言う方が多かったですけれども、ドキュメンタリー映画ですしね。
お金を払ってあれを観る人がいるのかな?とちょっと思っております。

更に私が非常に個人的な生活をその映画の中に入っておりまして、油断したんですね。
取材が来た時に。
当時アメリカの映画会社というか、アメリカのメディアなんですけど、アメリカの60分番組でこの拉致問題を取り上げたいと言うことでしたので、米国で放映されるならまぁいいかなと思って多少油断した部分もありまして。
言わないでも良い事をついつい言ってしまって、今年の1月にその映画が出来上がったのを観たらこんな事まで言ってたのか?と、ちょっと自分で恥ずかしくなりまして。
あの映画が日本で上映されるのをちょっと私としては恥ずかしいんですけども、これが拉致問題の解決につながればと思います。
もし、あの映画が流行ってしまったら、また町を歩けなくなるなと思っております。(笑い声)

その翌日28日29日、金英男さんの家族が面会されました。
殆ど私たちはああいう事になるんだろうなと思ったんですが、しかし「救助」というのは馬鹿馬鹿しくて誰も信用しないような、非常に詳細に言ってるんですね。
ケンカして、そして海岸で泣いていてまた戻ると苛められるから、と。
友達をゴロツキ呼ばわりしていますからね。(笑い声)
あれはとんでもないと私は思っていますが。
で、そこでボートがあって、艪が無かったけどそこに船底に板があったから、ちょっと沖に出たらついつい疲れて眠ってしまった・・・アホかと思った。(笑い声)
誰も信じる人がいないんでしょうけども、そういう話を作るしかなかった。
北朝鮮もそこまで切羽詰ってるんでしょうが、もうちょっとマシなストーリーを考えられないのかな?と、よっぽど人材がいなくなったのかな?と私思っています。

私でしたら、そうですね。
私でしたらストーリーを作るときに、もう北に対するシンパシーを持っていたから、当然北に行くつもりで韓国国内の工作関係のアンダーグランドに潜ってる人たちに話をつけて、あそこでおち合ってそして北に行ったんだと、僕だったらそういうストーリーを作るんですけど。
そちらの方がまだ納得できますよね?
そしたら拉致問題ではなくて、自分の意思で行った親北の人間だということに。
韓国国内での世論作りにはなると思うんですけど、そこまで考える余裕が無かったのか?
それともやっぱりそのストーリーを作った人が金正日に異常な反感を持っているのか?
後者を私は期待したいんですが、誰も信じなかった。

日本の方たちも当然あの場面を見て誰も信じる方はいないと思いますが、あの中で私一番頭に来たのは、金英男さんの会見がありましたよね?
一番頭に来たのは人権という言葉を使っているんですよね?
人権の無い国で人権を言うのは馬鹿らしいとは思いますけど、ただそれがその自分が言った横田めぐみさんの骨はその通りなんだ、それを疑うのは私に対する人権蹂躙だと言うですね。(笑い声)
アホか?と私言いたいですけど、何が人権蹂躙だと。

なぜ人権を使ったのか?というと、今世界中が北朝鮮の人権という問題で責め始めているんですね。
昨年はアメリカで人権法案が、国連の総会では人権非難決議が、そして日本はまた今年になって人権法と言うのが成立を始めました。
人権というのに非常に弱いし、世界中から人権という言葉で責められたら立場が無くなる。
だから自分を常に被害者にしなければいけないから、人権問題でも自分が被害者なんだと言う事を強調したかったのではないか?と思いますが、それでも彼の北朝鮮の言葉で人権という言葉を使ったときにはちょっと一番腹が立ちました。

まぁ言わされているのでしょうがないとは思うんですけど、面会の時に涙を見せなかった金英男さん。
それで時計もぶらぶらして、だいぶ北朝鮮は日本の報道を気にしているのはまず間違いが無いんですよ。
涙を流さないというふうに言ったら別れのときには涙を見せて、更に昨日も一昨日も涙を見せて、28年ぶりにお母さんと会って涙を見せない人がですよ?
日本に対する記者会見で娘さんがお母さんの事で泣いているといって涙を見せますかね?
私はちょっとそれは疑問に思っております。
だから涙を見せないのがおかしいと言ったら、今度は涙を見せろと言われたんでしょう。(笑い声)
だから帰り際に一応涙を流したと。

北朝鮮の言う事は全て私、金英男さんの会見、昨日の会見もそうですが、金剛山での会見も全て嘘だと私は思っております。
だからめぐみさんの娘さん、ウンギョンちゃんと言ってますが私はヘギョンだって良いじゃんと思ってるんですね。
別にどっちが本名か誰も分からないんですから。
最初は金英男はヘギョンちゃんと言ってヘギョンちゃんで報道して、今度ウンギョンちゃんと言ってウンギョンちゃんで報道の方たちはウンギョンちゃんと言い始めてますけども、誰も立証できないですし。
今までヘギョンちゃんで言ってますし、私はヘギョンちゃんで通そうと思っています。
この問題が解決して本当の本名が分かった時に改名すれば良いですし、日本に来たら日本名をつけて日本名を呼べば良いことですから、それまで私はヘギョンちゃんと呼ぼうと思っています。

そのヘギョンちゃんが金日成総合大学に入学したというのも、北朝鮮が言ってる事ですから。
おそらく今は金英男氏は工作員としては多分上級の方になっているでしょうけども、あくまでも拉致被害者ですから。
そしてめぐみさんは日本人拉致被害者ですから。
拉致被害者同士の子供が金日成総合大学に果たして入学できるか?
私は難しいと思います。
あれは抗日パルチザンからずっと一緒に戦ってきた信頼出来る軍の幹部とか党の幹部とか、そういう方たちの子息が主に入っている優秀な身分区の学校なんです。
そこに被害者の娘さんが入れるかどうか?

今確かにヘギョンちゃんは、めぐみさんの娘としてクローズアップされているから特別に入れているのかもしれませんけども、これも北朝鮮が発表しているわけで誰も検証できませんから。
金日成総合大学のコンピューター科にいると言ってるだけですから、これが事実かどうか分かりません。
そのうちにイギリスの公使か誰かに、突然金日成総合大学に行ってちょっと確認してみてくれと頼んでも良いんではと思うんです。
ドイツの人もいますし。

確認してもまた嘘が分かるだけなんでしょうけども、とにかく話は作られたストーリーだと思っていますので、それを見ている横田さんたちが僕は辛いと思うんですよね。
私たちは本当に腹が立ってしょうがないんですが、早紀江さんが「頭が煮えくり返り、腹が煮えくり返り」って、あれ本当だと思いますよ?
私たちが見ていても本当に煮えくり返るんですよ。

ただ、代表が非常に素直な方ですので、本当にあの話を半分信じるんですね?常に。
北朝鮮言ってることとか、遺骨の時も「そうかもしれない」と。
早紀江さんもそうなんですけど、僕たちは絶対にあれはめぐみさんの遺骨では無いと言ってたんですけど、代表は「いやそうかもしれない、とにかく調べて貰おう」というふうに仰る。
どうもまだ、北朝鮮の謀略というものに対して抵抗力が無い部分がありまして、ちょっともう少しやっぱりあれですね。
経験を積まないといけないのかなぁ?と。
日本銀行に勤めておられたので非常に素直なんですよ。
私たちのように民間に勤めてひねくれて(笑い声)、私たち本当にひねくれておりますので、あんな国の発表なんかは絶対に信用しておりませんし、これからも信用するつもりはありません。

で、そうですね、先週あたりに週刊朝日でめぐみさんの生存情報が出てきました。
これも西側の公使あたりから出ているんではないか?と日本政府関係者には言っているということを言っておられましたけど、あの取材源ですけど、めぐみさんがロイヤルファミリーの教師になる。
これは文春ですね?
今週号の文春でしたか、この取材源と西岡さんたちが聞いているめぐみさんがロイヤルファミリーの日本語教師になったという、これ違うんですよ。
だから二つ違うソースから同じ話が出ているということですね。
更に西岡さんはもう一つ別のルートからも、こういう話を聞いている。
という事ですので、おそらく間違いなくロイヤルファミリーの日本語教育をやっているんだろうと思います。
94年に死亡と言われておりますけど、彼らが94年にめぐみさんをおそらくある程度隔離し始めて、ロイヤルファミリーの教師とするために教育をしなおして、95年6年あたりから教師を始めたんではないか?と推測しています。

金英男はそのロイヤルファミリーの日本語教師の娘さんのお父さんだから、今優遇されているという事ですね。
でも、再婚されたあの女性。
あの人が党の人民何とか、副部長の何とかとか、誰も立証できないので分かりませんけどもね。
十幾つも違う若い奥さんですからね。
ちょっと理解が出来ないです。
まぁ再婚はしているのはそうなんでしょうけども、そのお父さんの地位とかお母さんの地位が果たしてそうなのか?は誰も立証できませんので、ちょっと私は疑ってかかっています。

それともうひとつ、ストーリーとしてラブトーリーになっていますが、北朝鮮ではラブストーリーは有り得ません。
ジェンキンスさんと曽我さんも最初突然一緒にさせられたという、同じ所で暮らすように命じられたという。
おそらくその時から夫婦になるのは義務付けられたと私は思っています。
日本でもそうですが、顔を見た事も無い男女が見合い結婚で生活していくうちに愛情が芽生えた事は有り得るとは思います。
でも恋愛結婚というのはまず有り得ませんし、住む家だって与えられないと(生活)できませんので、おそらく離婚も簡単に出来ないはずなんです。
ですからちょっとあのラブストーリー仕立ては、私は嫌な気がしました。
そのラブストーリーでめぐみさんを愛していたと称する金英男さんがああいう場でああいう発言をされているので、もっと嫌な気分になったんですけども、これは北朝鮮の内部で言われていることでしょうから、しょうがないと思います。

それと7月5日のテポドンですね。
7時くらいまで私ちょっと前日深酒をしておりまして、6時くらいに電話があったみたいなんですが全然起きられなくて、7時くらいに電話があって、それでようやく3発くらい撃ったというのを聞きました。
その時に私、正直な気持ち、「やったぁ!」と思いました。(笑い声)
本当に正直な気持ち。
テレビの中では余り言いませんけども、正直な話「やったぁ!」と。
これでようやく経済制裁に踏み切るだろうと思ってましたから。
ここで経済制裁を課さなければ、もう日本は駄目になるだろうというくらいの衝撃でした。

でもどこに撃ったんだろう?とテレビずっとつけていたら、日本海にどんどんどんどん撃ってるし今現在も撃ってるという話を聞いて「何でそんなに何発も撃つんだろうか?」とちょっと不思議ではありました。
当然、私新潟に行っていたもんですから万景峰号の入る日に行ったんですけど。
万景峰号が入ろうとしているその日に撃ったわけでしょう?
7月5日というのは金英男さんの日本人の記者団に対する会見をさせる日でもあるんですよね?
そういう複雑な事情の日にまたよく撃ったなぁ、というのもひとつ感想でした。

良く考えたら7月4日はですね。
アメリカでは独立記念日に撃ったと言うのが正解じゃないかと思います。
常に北朝鮮はアメリカを見ていますから。
日本は見ていません。
アメリカを見てアメリカと交渉してアメリカと仲良く国交が出来れば、日本はそれについてくるだろうと思っているから、だから日本は無視してもアメリカとの交渉をしたがるという事です。

ただブッシュ政権は本当に今早紀江さんに会った、それに姜哲煥さんにも昨年会ってるんですけども、金正日を嫌いみたいでブッシュさん。
単純な方なんです、小泉さんと同じように。(笑い声)
だから嫌いなものは嫌いというんで、だから北朝鮮を悪魔とずっと北朝鮮を言ってますけど、ですから絶対に妥協する事は無いですし、今後も米朝二国間協議に私は応じるとは思っておりません。
北朝鮮がどういうダダをこねようとアメリカは相手にしないでしょう。

・・・その2に続く・・・
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2006年07月19日

06.7.8 イ・ダルブ民団湘南中部支部団長 第14回藤沢集(6)藤沢産業センターにて

『イ・ダルブ 民団・湘南中部支部団長の挨拶』

皆さんこんにちは。
湘南中部支部のイ・ダルブと言います。
今日はですね。
いまのですね、Aさんの話を聞いていて本当に涙があふれる気持ちです。
私たちがですね。
近年このような環境になったのも、やはり一つのきっかけがあって今日があったと思っています。

私は湘南地区の韓国の民団と言う所で団長をしているんですけども、歴史がわかると言うことではなくて、また政治の事がよく分かるということではなくて、ただちょっと人材が不足しているんで私がたまたま団長になっちゃったということなんですけども。
実はですね。
皆さんご存知のように総連と民団とのですね。
共同宣言というものが5月17日に宣言されたんですけども、これにつきましてはですね。
昨日正式に民団としては、この共同宣言はやはり一緒には出来ないということで正式にこれは破棄されました。(拍手)

我々も先ほどのAさんと同じで、私も日本で生まれて日本で育った韓国人であるんですけども、ずっと遡って私の子供の頃ですね。
今私54歳なんですけども、それこそ40年位前の話でやはり今のAさんのような、とにかく北は地上の楽園なんだよと。
で、韓国は地獄みたいな所なんだよみたいなね(笑い声)、そんなふうに聞いて来たんですよ。
それはあのその頃は朴政権、暗殺されちゃった朴大統領とかですね。
かなり強力な事を推し進めていまして、その反面北というのはベールに包まれちゃっているので、とにかく北は楽園なんだよと。
そんなふうにしてず〜っと来ました。

私は生まれて育ったのは東京の浅草というところでですね。
浅草もやはり韓国籍、朝鮮籍の方々が物凄く多いんですよ。
いわゆる部落と言う所がありましてね。
そういう所で育ってるんで、どこそこの誰さんがちょっといなくなっちゃったみたいだよ?と、どうしちゃったんだろうな?というのを、私子供の頃に良く聞いていました。

それはそれとして、後は私が今ここで政治的なこととかそういう事ではなくて、別なふうな私的なコメント・考えなんですけど、私はここの藤沢ライオンズクラブと言う奉仕団体、ライオンズクラブに入っていまして先週ですね。
アメリカのボストンでですね。
国際的な大会があってそこに参加したんですよ。

その帰りにですね。
ニューヨークに寄りましてグランドゼロという、皆さんご存知の通りニューヨーク同時多発テロでね。
ビルが二つ、でっかいビルが一瞬にして無くなっちゃったという、あそこの跡地を見学に行ったんですよ。
その時にですね。
私はモヤモヤしている物があったんですけども、例えばその同時多発テロが無かったら今こういうような催しがあったのかどうか?という、私凄い疑問なんですよ。

その後にですね。
アメリカの大統領が北を名指しで、あれは悪の枢軸だというような事を言い始めてからね。
その北朝鮮と言う事は凄く注目されるようになったかと思うんですよ。
で、そのような事が契機になったかどうか?私には分かりません。
私的なコメントだけです。
私的な考えだけなんで。

ですから、私はこの拉致と言うのは、そのころから少しずつ生まれてきたんじゃないのかな?と思っています。
私は9・11が無かったら、この集会は多分無いのかな?と。
時の流れに埋もれちゃって本当に何も無くなっちゃうんじゃないか?と。

だから私は今韓国人という立場を離れてですね。
思う事は、とにかく最後の最後の最後の一人まで、日本に取り戻して。
これは韓国人も朝鮮人も向こうに、北にいるんですよ。
ですからその人たちの最後の最後の一人まで、やっぱり返って来ないといけないんですよ。

それが今私たちここの場にいる人たちのですね。
役目だと思っています。
ですから皆さんも決して忘れないで、一人残らず取り戻せるように考えて頂きたいと思います。
何かちょっとすみません、挨拶にならない挨拶で。(拍手)
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2006年07月18日

06.7.8 脱北者Aさん 第14回藤沢集会(5)藤沢産業センターにて

『脱北者Aさんの証言 (聞き手:川添友幸氏)』

※Aさんの安全のために登壇者の横に警備の人がつき、壇上と会場の間に衝立を立てジャンパーを頭からかぶった形で証言を開始。

・・・・・・・・・・

★聞き手 川添友幸救う会神奈川会長

救う会の川添です。
以前ですね、昨年やはり脱北者の方をお呼びした時に、サングラスをかけてやってもらったと記憶しているんですが、その方より今回は非常に身の危険があるという方だそうなので、我々も身の安全のために申し訳ないんですがこういう形で講演をやらせて頂きますのを、申し訳なく思っているところです。
講演の形式なんですが、私が質問してそれにAさんが答えていただく形になると思います。
宜しくお願いします。

じゃあ、Aさん宜しくお願いします。
まず帰還事業で北朝鮮へお帰りになったと言う話ですが、脱北した経緯をちょっと教えて頂ければと思います。

★脱北者Aさん

脱北の経緯ですか?
まずはですね。
今の政権に対しての、まぁ、なんて言いますか不満ですかね。

★川添氏

具体的にどんな不満ですか?

★Aさん

やはりですね。
自分が北に行ってその間、今度こそは今度こそはと言う調子で我慢していたんですが、今の政権は目の前が見えない。
目の先が見えない、そういうのがあって自分にも家族がいるんで。
自分が帰国して騙されたとかそういう事は言いませんけど、その先、生活するにも目の先が見えない。
そう言うのがありましたね。

★川添氏

なるほど。
それで中国経由ですか?

★Aさん

そうです。

★川添氏

良くうちの会にも来られる難民基金の野口さん、あの方が中国へ行かれて、かなり中国の当局も取締りが厳しいと聞いていますが、その辺は何か・・・・(聞き取れず)されそうになったこととか有りますか?

★Aさん

それは何回もありましたね。

★川添氏

具体的にどんな感じでしょうかね?

★Aさん

例えばですね。
皆さんご存知の通り、中国公安局というのは北朝鮮の安全部、あるいは保衛部と皆つながりがあるわけです。
だから例えば脱北者が中国のあるところへいると。
それを近所の住民が中国の公安局なりに知らせると、賞金が出るわけですね。
賞金目当てに通報をする。
そこで捕まれば、我々はなんと言いますかね。
送還されるんですけども、我々の場合、北朝鮮で言えば我々は帰国者ですから、そういう立場で凄く弱い立場です。
我々の場合はもう送還されたら、まぁ60〜70%の割合で命が無い。

★川添氏

所謂公開処刑、昨年公開処刑の映像が出ましたが、公開処刑になってしまうと?

★Aさん

そうですね。
北で公開と言うよりも未公開でやるのが多いんで、その辺はもう命を懸けて。
自分もそうですし、今命からがら成功した方たちも、脱北するに当たって半分は命を投げ捨てて死ぬのを覚悟で、成功率は何%になるか分かりませんけども、まぁそういう感じです。

★川添氏

出来る範囲でいいんですけど、お仲間の方で捕まってしまった方とかいらっしゃいましたか?

★Aさん

いや、話は聞くんですけども、自分の場合はそういうなんていうか。
自分が脱北すると言うのを知っているのは家族だけです。
それは秘密にしてやりましたので。

★川添氏

中国にはどれ位おられたんですか?

★Aさん

約8ヶ月くらいですね。

★川添氏

日本に来られたのはいつ位でしょうか?

★Aさん

今年で4年目になります。

★川添氏

最初、生まれたのは日本ですよね?

★Aさん

はい、そうです。

★川添氏

何年ぶりに日本に戻られた事になるんですか?そうすると。

★Aさん

約30年ですね。

★川添氏

やはり変わられましたか?周りなんかは?

★Aさん

だいぶ違いますね。
最初は戸惑いましたね。

★川添氏

日本で今回、北朝鮮人権法という法律が国会で先日成立しましたよね?
今回拉致問題で経済制裁を促していくことと同時に、脱北者の支援という事も柱になっておりますが、その辺というのはどうお考えになりますかね?

★Aさん

そうですね。
我々にとってはそれは本当にありがたい事なんですけども、一言で言いますとそういう支援活動を政治の一環として、要するに何かの宣伝としてやって欲しくない、と言うのが自分の思いです。

★川添氏

人権と政治は一緒にして欲しくない?

★Aさん

やはりそうですね。
あくまで。

★川添氏

ちょっと話が最初に戻るんですが、金日成、今の金正日政権に対して、我々は頭で知っているのは文句言う事は出来ないという事ですが、まぁこの場ですと、どういうふうにあの政権に対して思われますか?

★Aさん

そうですね。
自分もやっぱりそこに関しては、こういう所ではっきりコメントはしたくないんですけども、今の政権がですね。
まぁ、なんていいますか、自分が良い思いがあれば自分が今現在ここにいないと思うんですが、自分が脱北して日本でここで生活している事が、今の政権をどう思うか?と言えば、皆さんお分かりだと思いますが。

★川添氏

4年前脱北されて日本に来られたという事で、拉致問題が4年前というとちょうど騒がれた頃ですよね?
あの時、こういう報道を見てどう感じられましたか?

★Aさん

向こうではですね。
自分に不利な事は一切報道しないわけです。
だから我々もですね。
噂でそういうようなのを耳にした事はあるんですけど、ハッキリした内容は日本に来て分かったんです。

★川添氏

今噂という話がありましたけど、噂の話で具体的にどんなふうに拉致の話を聞きましたか?

★Aさん

まずはですね。
飛行機の爆破事件です。

★川添氏

大韓航空機爆破事件ですね?

★Aさん

はい、あれです。
あれは北では韓国のでっち上げだと、言うような感じで報道しているわけです。
ところがある人に「あれは俺たちの方がやったんだぞ」くらいの調子で聞いた事もあるし。
それで拉致任務の一環だと思うんですけど、自分が何を聞いたかというと、要するに平壌のあるところに行くと地下室があって、そこには例えば日本なら日本、香港なら香港の町がある。
それで要するに工作員の訓練の一環で、日本語村があって、その日本語を教える人は日本人だと。
自分は最初そういう話を聞いて、要するに習慣ですか。
日本語を教えたり日本の習慣とかそういうのを教えたりするのは、朝鮮総連の方から送られているそういう人かな?と思ったんですけども、日本に来て拉致被害者だと。

★川添氏

そうですね、帰国された蓮池さんたちもそういう事をやらされていたという話を聞いていますし。
次回ちょっとお呼びしようかと思っているんですが、田口八重子さんも金賢姫の指導役だったと言う話も出ていますしね。
非常に北の生活というのは、厳しかったと思うんです。
ちょっと北の時の生活の話をしたいんですが、私なんかうろ覚えですけど配給制度とか、そういうイメージがあるんですけど、その辺は脱北される直前までどういう状況だったですかね?

★Aさん

自分の場合はですね。
1985年度あたりまでは日本からある程度仕送りもあり、生活を保ってたんですけど、その以降に日本から仕送りが無くなってから大変な目にあったんです。
自分は1989年だったと、それから90年にかけてですね。
実際自分が経験した事で日本から仕送りが無くなって、家にある冷蔵庫・カラーテレビ全部売って、しまいにはマットレスまで売ったんですけど、それで使用人の生活をしていたんですけど、それも尽きて。

なんていいますか、その当時中国の方で北朝鮮で材木を売ってですね。
食料を・・・(聞き取れず)
その食料というのが食料じゃないんです。
肥料です。
それも鳥の餌。
聞くところによると、肥料の中でも鳥の餌というのは一番酷いらしいですね。
で、そういうものを、それを我々一般市民は闇市場で買う。
1988年、9年あたりですね。
本当に食うことに困って。

自分には息子が二人いるんです。
息子を連れて自殺しようと思った事があるんです。
ただ、自分としては父親として育ち盛りの子供に、今言ったように鳥の餌です。
そんな肥料を腹いっぱい食べさせる。
俺は父親なんだと。
で、自分を責めて責めて。

北では、例えば自分が自殺するじゃないですか?
その影響というのは必ず子供に行くんです。

★川添氏

具体的にどういう影響なんですか?

★Aさん

例えば向こうで自殺って言うと、反逆罪、罪に問われるんですね。
そうするとそれを自分の息子がどんなに頭が良くて、例えば普通に行けば大学に入れるのを、要するになんていうのか、昔の日本で戦争時代に戦争行かなかったら非国民て言われますよね。
そんな感じなんですよ。

だから例えば自分が自殺する。
それは出来ないです。
親として自分が死ぬんであれば子供のことまで責任を持たなくちゃいけない。
今後の事を。
だからある瞬間自殺しようと、その瞬間自分も・・・(聞き取れず)考えたんです。
どうにか耐えて来たんですけど。

その瞬間思ったんです。
あの瞬間、あの国の制度がどうにかなるんじゃないか?と思った自分が馬鹿だった。
それが脱北の理由、きっかけの一つですね。

★川添氏

話が飛んで恐縮なんですが、帰国事業というのを私もちょっと萩原遼さんの本なんかを読んだんですが、素晴らしい国という話で、行かれたときのその辺の経緯の話を。
行った後、騙されたという心境になったと読んだ事があるんですが、同じような心境でしたか?
その辺を教えて頂ければ。

★Aさん

それはそうですね。
自分も日本で生まれて育って、日本で総連系の朝鮮学校に通ってましたんで、その教育を受けていました。
要するに皆が平等だと。
社会主義国家だと。
生活水準も高い。
地上の楽園。
という事を、つまり聞かされたというより、頭の中に叩き込まれたんです。
込まれていたんですね、我々。

それで向こうに行って最初に見たものが、清津というところなんですけど、その時、なにか北で5大都市のひとつだという事を聞いていました。
その5大都市の一つの中に、牛車が走ってたわけです。
我々はいくらちょっと昔でも東京で生まれて育って、牛なんてのは動物園とかああいう所で見るだけで、市内のど真ん中に牛車という物を生まれて初めて見たんですね。
で、あれはなんだ?と。
自然動物園か?と。(笑い声)
ビックリしましたね。

★川添氏

清津は清らかな津と書くところですよね?
横田めぐみさんが確か連れて行かれて最初に、軍港でしたよね?
確か港町で。

★Aさん

そうです。
帰国船が着くのが清津ですね。

★川添氏

本で読んだ事が私もありますけど、実際に話を聞くと腹立たしいですね。

★Aさん

やはりあれですね。
その当時の総連の宣伝というか、教育っていうか、あれはあんまり度が過ぎたです。
余りにも、我々は子供の時分、子供なんてのは白い紙と同じなんです。
赤に染めれば赤になる。
黒に染めれば黒になる。
そういう子供たちに、北というのは生活水準も高くて、こうなんだと。
それは行ってみて現実に全然違うんで、そしたら我々みたいな向こうで言う帰国者、そういう方たちがそういう現実を見て、その場で気が狂ったと。
生活の中で、今で言ううつ病だということです。
そういう病気にかかった人は大勢います。

★川添氏

非常に初めてこういう話を聞くと、考えさせられる感じが私も今している限りです。
そろそろ時間なんですが、会場の皆様に何か思っている事で何か話したい事があればと思うんですが。

★Aさん

こんな姿かたちで申し訳ないんですけども、これからもこういう我々みたいな脱北者。
我々脱北者って言うのも北の政治、皆さんもご存知のように今、北というのは本当に常識じゃ考えられない事をやっていますね。
ミサイルを撃ったり、拉致をしてみたり。
そういう制度というかそう言うのが嫌で、北から見れば我々は罪人ですけども、そこを抜け出してきた我々なんですけども、やっぱり日本を離れてもう何十年、やっぱり日本に来てもいろいろ慣れない。
生活上そういういろいろありますけど、まぁ、あの、皆さんの御支援をいただく・・・

★川添氏

日本政府の先ほどお話したんですが、北朝鮮人権法という法律を作りまして、先月です。
今回国会の会期を延長しないということなんで駆け込み的にですね。
法律が可決されまして、殆ど、自民・公明・民主の、社共は反対、社共はたいした数じゃありませんけど、圧倒的な多数で賛成になりましてですね。
人権と政治は分けないとという話を頂いたんですが、一つ北朝鮮に対するカードになると思いますんで、そういう意味でもちょっとこの問題を関心を持ってですね。
私たちもこの神奈川の会でやっていきたいと思いますので、今後ともちょっと宜しくお願い致します。
今日はちょっとこんな形で本当に申し訳ございませんがこんな感じにしたいと思いますので、ありがとうございました。(拍手)

★Aさん

ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・
脱北者のお名前は、御本人の身の安全を考慮し匿名とさせていただきます。
悪しからず御了承ください。
posted by ぴろん at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月17日

06.7.8 真鍋貞樹氏 第14回藤沢集会(4)藤沢産業センターにて

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事の講演』

Img_1836.jpg

司会がいなくなっちゃいましたので私の方で勝手に進めさせて頂きます。
特定失踪者問題調査会専務理事をしております真鍋でございます。
今日は多くの方にお集まりいただきまして、本当にありがとうございました。
今話題のテポドンとかですね。
金英男さんのお話は家族会の皆さんがいらっしゃいますのでそちらにお譲りして、私の方からは神奈川のですね。
特定失踪者の問題についてコメントを20分少々でお話をさせて頂きたいと思います。

私ども特定失踪者問題調査会では、全部で460件の失踪者の方の調査をご家族から依頼を受けております。
で、神奈川の実態なんですけれども、現在神奈川に特定失踪者のご家族がお住まいになっているケースは13件ございます。
後ろに高野美幸さん、お兄さん(=特定失踪者・高野清文さん)が神津島で失踪された方の妹さんも来ておられます。
ついでながらあそこで支援のグッズも販売しておりますので、是非お買い求めいただければ大変助かります。
それから大澤さんも先ほどお見えになってたんですが、大澤さん(=特定失踪者・大澤孝司さん)のお兄さんもやはり神奈川県にお住まいになって、あといらっしゃいますかね?
寺島佐津子さんのお父さんとお母さんがお見えになってらっしゃいます。
他には今日はいらっしゃいませんか?
後でご紹介があると思いますけど、460件の内13人の失踪者のご家族が神奈川県に住んでいます。

神奈川県での失踪事件、失踪した場所がとにかく神奈川と言うのが9件ございます。
全国的に見てもですね。
神奈川というのはそういう意味で失踪件数は実は少ない県でございます。
お隣の東京は人口が多い事もありまして、ご家族が50件も50人もいらっしゃいますし、失踪件数も50件という多い中で、神奈川は少ないんですけども非常に気になる点が神奈川にはありますので、これをちょっとお話をさせて頂いて。
実はもしこれ失踪に関わる情報を皆さんお持ちであればですね。
ぜひ私どもにお寄せ頂きたいという趣旨でお話をさせて頂きたいと思います。

ひとつはですね。
偽札騒動が大きくなったときにですね。
本が出ましたけど、「ウルトラ・ダラー」という本がございます。
手嶋龍一さんが、ワシントン支局長ですね、NHKの。
ワシントン支局長だった手嶋龍一さんが書かれた「ウルトラ・ダラー」という、読まれた方いらっしゃいますか?
あ、はい、ごく一部ですね。
あの小説としては余り面白くないんですけど、拉致問題を考える上では非常に重要な本ですから是非お買い求め頂きたいと、ご一読頂きたいと。

というのは偽札作りに日本人の拉致被害者が関わっているかもしれないという事で、書かれた小説でございます。
手嶋さんと私、ちょっとお話を以前させて頂いた時に、またあちこちの講演でもお話されていますが、あの「ウルトラ・ダラー」というのは小説の形を借りた事実です、と言うふうに言っておられます。
要するに小説と言う形でフィクションの物を描いているように見せてますけど、中身は全て事実ですよと言うお話です。
という事で要するに、偽札を作れるだけの技術を持った日本人の方の失踪と言うのはたくさんあるんです、実は。
そういうケースを元に小説に書かれていったわけでございますが、それで何が神奈川と関わるか?という点をお話しさせて頂きます。

あの本にですね。
読まれた方はお気づきになっているかも知れませんけども、1行だけ大切な文章がございます。
たった1行だけ。
それはですね。
1970年ごろ東京湾に北朝鮮の工作船が入ってきた、という1行の件がございます。
読み飛ばしそうな短い物なんですけど、ここがとっても重要でございます。
で、この点について手島さんにこれは事実ですか?というお話をさせて頂きましたら、非常に高度なレベルの情報筋から頂いた情報であるから真実である事は間違いが無い、と言うふうに言っておられました。

要するにここからすぐそこです。
三浦半島の沖、浦賀水道沖にですね。
北朝鮮の工作船と言っても貨物船のことですね。
万景峰号も何世代か亘っているんですけども、実際に横浜港とか千葉港に入港した事もありますし、万景峰号じゃなくて普通の貨物船だったらしばしば入っております。
しばしば北朝鮮の船が東京湾に入ってきてるわけですけど、この中の船がですね。
不思議と浦賀水道沖で停泊するんです、何日か。
何をしているんだろうという事で、ここらへん船が多いですからね。
泊まっていても全然誰も不思議に思わないんですが、なぜかここで停泊をするわけです。
で、夜な夜な悪さをするという事でございます。
その悪さと言うのは何か?というと、「ウルトラ・ダラー」で書かれているのは1970年ごろ、東京湾周辺で偽札を作るだけの技術を持った印刷工の人たちを連れ去る、そういうものに船が使われたという事でございます。

だから神奈川県におきましてもですね。
当然その影響は受けただろうと言うふうに、これは推測ですけども考えられるんですね。
その推測を裏付ける為のちょっといくつかお話させて頂きたいと思いますけど、ひとつは今日はお見えになってないと思いますけど、八尾恵さんですね。
神奈川で言えば八尾恵さんの横須賀での夢美波(ゆめみは)というですね。
スナックの話を皆さん御存知ですよね?
よど号の、いらっしゃいますよね?
今日はお見えになってないようですけども、よど号の妻だった八尾恵さんがですね。
横須賀の、あれは何通りだったですかね?
川添さん、何通りでしたかね?いないか?

有名な繁華街の所に夢美波という、夢を見る波と書きますが、そういうスナックを経営された事があります。
1年か2年くらいですね。
それは何故経営されたかと言う事は、当然自衛隊の関係者がそこへ呑みに来るわけです。
それからもしかすると米軍の関係者も呑みに来るかもしれない。
要するにその場所を通じて米軍情報なり日本の軍事情報を、中の自衛官あるいは軍人と接触する事によって得ようという趣旨であそこの夢見波を作られたと、これは私が言ってるんじゃなくて八尾恵さん自身が本の中でこういう証言をしている。
ですから1970年ごろの北朝鮮のそういう船の構造。
そしてそこを通る横須賀ですね。
横須賀で、これは事実としてよど号の妻の八尾恵さんがそういう活動を横須賀でやっていた、ということですね。

それから3番目ですけど、1991年3月にですね。
若人あきら事件と言うのがあるのを御存知でいらっしゃいますか?
これはもうテレビや雑誌で有名な話ですけども、タレントの若人あきらさん、今は我修院(がしゅういん)、何でしたっけ?(=我修院達也)
我修院という名前に変わってタレント活動をされていますが、彼が1991年にですね。
これは彼の言葉から言う事なんですが、

「熱海の和田浜海岸で釣りをしていたところ、何者かに船に連れ去られました。
その何者かは分からないんだけども、その船で『私は有名なタレントだからこんな事をすると大騒ぎになるぞ』と連れ込まれた船で騒いだところ、それがきっかけかどうか分からないけれど小田原の駅で開放された。」

という事件がございます。
御存知でいらっしゃいますか?
結局これは本人はですね。
記憶喪失であるということで、和田浜で釣りをしていて小田原で見つかったと言う事しか本人は言わないんですけど、その後の彼の行動と言うのは、名前は変えるわ、夜になると自分のマンションの明かりは全部こうこうと照らして、異常な行動をとり始められたと。

これが後日ですね。
段々明らかになってきたんですけど、北朝鮮によって何らかの理由で遭遇したらしいんですね。
遭遇して、上陸なり工作なりの活動のとき遭遇してしまったから連れて行かざるを得なかった。
その結果、本人が若人あきらだと言ってるんで、朝鮮総連の本部に確かめた所確かに若人あきらだということが分かったので、これはまぁ大騒ぎになってもなんだろうと言う事で小田原駅で開放させたと。
しかし開放する時には必ず言い含めるわけですね。
「黙っとけよ」と。
「余計な事を言うんじゃ無いよ」と。
「お前はいつも24時間見張ってるんだよ」と。
「何か言ったらおまえ自身の命、家族の命は無いよ」と言われたら皆さんどういう事になりますか?
という事件が、若人あきら事件と言うのが1991年小田原で発生しております。
これは私の推測ですけども、本人の弁では熱海の和田浜という所になってますけど、そうでは無いと言うふうに思います。
和田浜にしておけというふうに言われたと思いますので、別の場所だった可能性が高いと思っています。
それが神奈川での非常に顕著な事件です。

続いて特定失踪者の方のですね。
特異な事件をですね。
全部を申し上げると時間が無いので、いくつか申し上げますけども、一番顕著な事件は河嶋功一さんです。

氏名 河嶋 功一
失踪年月日 昭和57(1982)年3月22日
ふりがな かわしま こういち
生年月日 昭和33(1968)年5月5日
性別 男 当時の年齢 24
身長 168センチ 体重 58〜60キロ
公開 第2次公開
当時の身分 大学卒業直後
特徴 野球のピッチャーをしていたので、右腕が掌半分くらい左腕より長い。怪我で左手中指が縫合し、少し内側に曲がっている。膝上よりふくらはぎにかけてケロイド状の火傷跡あり。少しうつむき加減につま先に力を掛けて早足で歩く。
失踪場所 神奈川県横浜市金沢区洲崎
失踪状況 関東学院大学機械工学科を卒業したばかりで、浜松に就職も決まっていた。当日は父親たちが車で下宿へ荷物を取りに行く。父親は荷物とともに車で、本人は汽車で浜松に帰ることにした。功一さんは「先に浜松に帰っている」と、午前9時半頃下宿を出た。父親は50〜60m先の角を曲がるところまで見送った。父が「交通渋滞で帰りが遅れる」と浜松の実家に電話したが、功一さんは未だ帰っていなかった。荷物を下ろし夜遅く横浜に引き返すが、本人はいなかった。当時小雨で傘一本、電車賃・本人の小遣い程度しか持っていない。

※特定失踪者の情報は調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html


関東学院大学の学生で卒業して郷里の浜松に就職の為に帰る引越しの最中に失踪というですね。
大変不思議な失踪事件なんですけども、これは我々の言う1000番リストとさせて頂いている理由は二つございます。
ひとつはこれは検証不可能なんですけど北朝鮮の国内で目撃したと言う情報がございます。
これは検証不能です。

ふたつめはですね。
失踪する前に突然中学校の同級生にですね。
本人から電話があったんです。
その内容が「これから北朝鮮に行く」という。
だから電話を受けた同級生は何の事か分からなかったそうです。
で「何しに行くんだ?」と言っても何も答えない。
「どうして、いつ行くんだ?」と言っても何も答えない。
とにかくその一言だけ言って電話が切られたと言う不思議な事がありまして、これは静岡県警の方でもですね。
裏を取っていただいて、こうしたことがあったのは事実だということから、河嶋功一さんは拉致されたという事に間違いは無いと考えて、その現場は神奈川県の金沢文庫でございます。

非常にこの事件が顕著なのと、あともうひとつだけ申し上げますけども、神奈川での失踪事件の不思議な所はですね。
陸上自衛隊と某有名自動車メーカー、○○なんですけども。(笑い声)
ちょっと固有名詞は無かった事にしてください。
不思議とですね、不思議なんです。
北海道とか沖縄とかから出稼ぎに来られて○○の座間工場に季節工で入られて、その方はその前に陸上自衛隊の任期制の2年か3年の陸上自衛隊の横須賀基地で訓練を受けて。
あるいはその逆、最初に陸上自衛隊で2〜3年訓練を受けてその後○○工場に季節工で入られて働いて、というパターンがあるんですけども、その方々が複数同じように失踪しています。

自動車メーカー別失踪者の数という事でセレクトしたことあるんですけども、実は○○だけなんです。
不思議と。
それも神奈川の○○ですね。
○○というのは車を作るだけじゃなくて、軍事用のロケットも作りますね。
ミサイルも作る企業ですからその関係があるどうかが、これから調査の目標です。
本当に不思議です。
ホンダやトヨタ、いろんな自動車メーカーがありますけども、失踪者はいません。
全部○○で、神奈川です。

これが非常に不思議な所でございますが、そのうちの一人で沖縄県出身の仲里次弘(なかざとつぐひろ)さんという方がいらっしゃいます。

氏名 仲里 次弘
失踪年月日 昭和52(1977)年5月
ふりがな なかざと つぐひろ
生年月日 昭和25(1950)年11月15日
性別 男 当時の年齢 26
身長 161〜2センチ 体重
公開 第12次公開
当時の身分 自動車会社季節工終了後
特徴
失踪場所 不明
失踪状況 "陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。2002年8月に男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。""""ちゅうさん""""と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。

※特定失踪者の情報は調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

この方は1977年に○○にお勤めになっていて、それである日突然失踪と言う事件ですけども。
この方を御家族一生懸命探しておられたのが、私どもが(調査会を)設立する3年前以前の話で、拉致問題が大きくなったもんだから御家族がですね。
警視庁に相談に行ったそうです。
うちの兄が失踪しているけれども、という事で相談を警視庁にした後に突然電話がかかってきたそうです。
御家族の元にですね。
その内容は、「ツギヒロさん」、この「ツグヒロさん」でなくて「ツギヒロさん」と言ったところがポイントです。
「ツギヒロさんは北朝鮮に拉致されていますよ。幸せに暮らしていますよ」という電話があってそれっきり。

いたずら電話にしてはですね。
どうして御家族の電話(番号)が分かるのか?
また御家族が警視庁に相談に行ったと言う事が分かるのか?
そのタイミングが絶妙なタイミングで(電話が)かかると。
そういうような不思議な事がありました。
状況からしてですね。
これ以上の事は分からないんですけども、いろんな神奈川でのポイント、横須賀の今まで申し上げたような事件からしてもですね。
この仲里次弘さんのですね。
事件はまだまだ解明しなければいけない事がたくさんありますが、とても怪しい事件となります。

といった事がですね。
神奈川での失踪事件の主たるポイントでございます。
もしこの中でですね。
こういった関連で何かお気づきの事がありましたら、どんな小さなことでも結構ですから仰って頂ければと思います。

後3分少々でまとめさせて頂きたいと思います。
経済制裁はお任せするとして、その他のお話をしたいと思います。
そのひとつは北朝鮮人権法が成立いたしましたですね。
これは二つのポイントがございます。
ひとつは経済制裁もきちんと書かれたということです。
という事はもうお分かりだと思います。

大きなポイントは脱北者の保護です。
この点につきまして、実はですね。
私たち拉致問題に関わる人たちからも実は「おかしいんじゃないか?」と。
「なんで日本人を助ければ良いのに、脱北者をここまで支援しなくちゃいけないんだ?」という声が実際あります。
それはそうかなのもしれませんけど、と言うお話をここでしておきたいと思うんですね。

それは特定失踪者の問題を解決する為にも脱北者の保護はとても大切だと言う事です。
もちろん脱北者の方々の人権その物も大切ですけど、我々にとっては脱北者の方々からもたらされる、日本人がいたかもしれないという情報はとっても大切なんです。
第一、安明進さんがスタートでしょう?この拉致問題のスタートは。
彼が脱北してめぐみちゃんを見たというところから始まったわけですから、この脱北者の方々からもたらされる様々な情報を我々は解析して積み重ねて、この方は拉致だとかというような作業を日夜やっているわけですから、この特定失踪者の問題を解決する為にとっても重要な事でございますから、その点を是非御理解頂きたいという事でございます。

それから特定失踪者の問題に限らずですね。
この拉致の問題というのは、様々な北朝鮮に関わる人権問題の中の大きな問題ですよ?拉致問題。
じゃあ、北朝鮮の人権問題何があるかと言うと、言うまでも無いことですけれど強制収容所ですね。
在日の方も帰国された方もそうですし、「日本の方が飯が上手いな」と「日本に帰りたいな」と一言言っただけで強制収容所行きですね。
そのまんま、命をおしまいになられた方と言う事を、本当に許して良いのか?というのを考えなきゃいけない。

それから今中々大きな問題になっていませんけども、北朝鮮に帰国された在日の人の配偶者、殆どは女性、殆どは奥さんですね。
その方々の問題というのも殆ど話題にもならなくなりました。
今日の司会をやっている高橋君はその人たちの人権を守るための「守る会」のメンバーでやってるわけですけども、そういう人たちの人権もやっぱりあわせて考えていかなければいけない、というふうに思っています。

それから今家族会・救う会で取り組んでいますけど、全世界12ヶ国にわたる拉致被害者の事もやはり考えていかなければいけない。

それから以外に、以外と言うか、これがとっても難しい問題なんですけども、在日朝鮮人の方の拉致被害者の問題がある。
これは非常に難しいです。
たくさんあるんです。
石高健二さんが非常に詳細に調べられた結果がありますけど、これは民団も全く助けません。
朝鮮総連なんか絶対に助けません。
だって朝鮮総連の犯罪ですからね。
我々救う会がそこまで手を出せるか?というとそれも中々難しい。

しかしですね。
この中に、この特定失踪者の中に(調査会のポスターの写真を示しながら)在日朝鮮人の方、何人かいらっしゃいます。
少ないんですけどもね。
何人かはいらっしゃる。
それはもう御家族とも我々いろいろ話をしまして公開に踏み切っていますが、非常に片隅に追いやられた問題でありますけども、そういった問題も我々としてはやはり視野に入れて、トータルで北朝鮮の人権問題というのを考えていかなきゃいけないというふうに思っております。

最後にですね。
テポドンの事に触れて閉めたいと思いますけど、要するに北朝鮮と言うのは外交手法と言うのは「ゆすり・たかり外交」ですよね。
米寄こせ、金寄こせ、物寄こせ。
それから核兵器開発、「恫喝外交」ですね。
今度のミサイルってのは「瀬戸際外交」とも呼ばれるし、「恫喝外交」とも言われるし。
あとは拉致の本質って言うのは、これは彼らの外交にとっては「人質外交」ですよね。
要するに日本のヤクザさんもかなわない様な、そういうゆすりたかりの恫喝を繰り返すところに対して、我々がどう立ち向かう?という非常に厄介な話ですね。

皆さんのお隣にヤクザさんが住んでいてですね。
町が気に入らないからと言ってバンバン撃ってですね。
「金寄こせ、飯寄こせ」というような人が、隣人にいるようなものなんですね。
その時に皆さん町内会でどうするか?という、やはりそこはお金寄こせと(言われて)どんどんお金をやっていたらどんどん付け上がるし、恫喝に負けていたらこの問題ずっと終わらないでヤクザさん、ヤクザさんに失礼な話ですけどね。
ヤクザよりももっと酷いんですけれども、それをどうやっていくか?という問題だと思うんです。
その時大切な事は横田早紀江さんがしょっちゅう言っているように、やはり毅然としたですね。
国家として国民として毅然とした態度と行動を取り続けるという事だと思います。

恫喝に負けない。
テポドンに負けない。
そういうような気概を持ってやっていく事が大切だろうと思っておりますので、また皆さんと共にですね。
この問題の解決に取り組んでいきたいと思います。
今日はどうもありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・
※文中某自動車メーカーの固有名詞は真鍋氏の意向を配慮して伏字にしてあります。
悪しからず御了承ください。
posted by ぴろん at 02:33| Comment(0) | TrackBack(1) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

06.7.8 内田美津夫さん 第14回藤沢集会(3)藤沢産業センターにて

『内田美津夫さん(寺越昭二さんの三男)の講演』

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皆さんこんにちは。
今話をしたのが私の兄でありまして、私三男で内田美津夫と言います。
18の時に養子に行きまして、寺越から内田に変りまして、そんな事で宜しくお願いします。
じゃ、失礼してちょっと座らせて頂いて。

兄の説明にもありましたように、私の父親は陸から200メートルくらい沖に出たところで北朝鮮に拉致されました。
それはみんな良くご存知だと思うんですけど、今回韓国の拉致被害者の金英男さんの話が出てから私たちのところへ取材がどっと来まして。
それは何でか?というたら、拉致されたのに救助されたと本人が言っている。
これは寺越事件と同じケースだから、という事で多くのマスコミの方に取り上げて頂きました。

だけど私は救助したと言わされているこの件は私と金英男さんと2点だけでは無いんです。
もう一点知っているんです。
それは新潟の蓮池薫さんのお兄さんが「奪還」という本を出しまして、その本の中にも蓮池さん書いております。

・・・内田さんが「奪還」より一部朗読開始・・・・・・

「薫から聞いた話で北朝鮮という国をもっとも良く現していると思ったのが、彼らが日本に帰国する前、少し前の出来事です。
お前たちがこの国に来た理由を考えろ。
薫さんが祐木子を誘ってモーターボートに乗って海に出た。
途中でエンジンが故障してストップしてしまいどんどん沖に流されていった。
二人とも不安が募ってどうしようといっていた所に北朝鮮の船が通りかかり助けてくれた・・・というストーリーを考えて話をしたそうです。

北朝鮮にしてみれば、作った話を強制的に覚え込ませるよりも本人が考えた話を喋らせた方が説得力があると思ったのでしょう。
しかし、それにしても余りにもおかしな話です。
私は呆れて、「お前それ本当かよ、そんな話だれも信じるわけ無いだろう」と言ってしまいました。
石川県の寺越昭二さん・外雄さん・武志さんたちも消息に関しては漁船が故障し、漂流して海に投げ出された所を北朝鮮の船に助けられたという、おそらく真実では無い話が伝えられています。
「それと殆ど同じじゃないか」と思いました。」

・・・朗読終了・・・・・・・

北朝鮮は拉致被害者を出してきた時には、北朝鮮の国に来たストーリーを考えます。
拉致をしてきたというストーリーではなくて、作り話の救助されたというそういう話を必ず作ってきます。
これは金さんの証言の以前に出た本なので、私はまたかと。
本人が出て来たときには「北朝鮮が救助した、本当に北朝鮮という国は良い国や」
そういう事をアピールする為の作り話、ああまたかとそういうことを感じました。

私たちの父親の拉致事件という物は拉致を目的にした拉致事件、偶然に起こった拉致事件。
本当に後者の方の偶然に起こった拉致事件だと皆さんは考えております。
それはなぜかというとやはり岩場で地形が入り組んだ、船で進入しようとしたときに船を隠せる。
そういう場所で起こったんです。
他の拉致被害者の方々、殆ど多くは砂浜の海岸というところが多いと聞いております。
砂浜ですと人が良く通るから人がおるから拉致をすると。
岩場という所は人があんまり通らないから進入目的で入ると。
そういう事でうちの父親たちは、まず間違いなく偶然に進入した所出くわして拉致をされたんだと思います。

しかしこの救助された、拉致ではない救助されたとそう言う話が今でもまかり通り、私らの話は今から25年ほど前なんですけど、そのストーリーがいまだにまかり通ると言うのはやはり私たちが私の所は、日本の国がですね。
北朝鮮に対して24年間も音信不通のままにしておいたのは拉致監禁であると。
この件は絶対に本人が何と言おうとも状況を調べて間違いなく拉致だと、はっきり言わないから北朝鮮も頭に乗って、頭に乗ってかこのストーリーが使えると、そういう思いでいつまで経ってもこういう事を言ってくるんじゃないかと思います。
責任とまではいわないんですけど、やはり日本の政府もこの寺越事件を拉致と認定しない所に悪い所があると思っております。

私たちのその後の推移と言うか、それは寺越友枝さんが従兄弟の武志に会いに今回で36回目。
昨日、北朝鮮に行きました。
ミサイルが飛んで来ようが何しようが、息子に会いたいだけだからと会いに行きました、昨日。
そういう36回も訪朝したんですけども、その間には武志の父親である太左衛門というんですけども、北朝鮮に渡り今も暮らしています。
向こうにおって救助されたと良い暮らしをしていると、そういう事を言わされて、「お父さん、息子である私がいい暮らししているから、親孝行させてください」と、親子の情を北朝鮮は上手く使ってですね。
北朝鮮は呼び寄せるんです。

私そういう寺越事件の推移を見ていると心配してくるのは、韓国の金英男さんのお母さん。
やはり年老いて今病弱でね。
年老いて、なかなか会いに行こうとしても会いに行けない状態。
そうすると英男さんは必ず北朝鮮の命令か何か、それでね。
「お母さん、こういう広い家が当たってこういう良い生活をしています。最後の親孝行をさせてください」と母親を今度北朝鮮へ引っ張る。
こういう流れになる事を心配しているわけです。

また福井県の地村さんの娘さんを、まだ北朝鮮に残っている時に縁談話があると、そういうことを流したのが友枝さんなんです。
そのことによって被害者である保志さんたちを揺さぶると。
北に残っている子供が心配で北に帰りたいと、そういう揺さぶりをかけたのが友枝さんなんですけれども。
ヘギョンちゃん、もう18歳になりますかね。
もう本当に1年2年したら、そのことにヘギョンちゃんの結婚話、そういう事でまた揺さぶりをかけてくる事はまず間違いがない事だと思います。
お母さんが北朝鮮に親子の情を悪用されて、行きたいとかそういう事で揺さぶられたり。

私たち家族会の代表の横田さんご夫妻は、ある意味では私たちと同じ立場なんです。
ひとつの事件、身内で拉致と救助という事を言って、いろんな苦しみとか葛藤があって言うに言われん気持ちがあります。
本当の身内でないですけどもめぐみさんと旦那さん結婚されて、韓国のその家族の方々と身内になったと思います。
片方では救助されたと。
めぐみさんは間違いなく拉致であると。
本当にこれからも今までたくさんいろんな事で心を北朝鮮に揺さぶられて、これからもやはりいろんな事がこれまで以上に苦しい胸の内になってくると思います。
そういう事を考えますと、まずやはりこの拉致問題、早く解決しなければ手遅れになると思います。
今、キム・ヘギョンちゃん向こうで結婚する、子供が出来た、結婚男性の方の人は北朝鮮の人間や。
またたくさん問題が増えて出るに出られないになって来ると思います。

ここは本当に日本の政府には毅然とした態度を持って、本当に今回圧力をすぐかけてくれたのは本当に良かったと思います。
拉致問題を一日も早く解決しようとする姿勢、このためには本当に早い制裁をかけてくれて良かったと思っております。
私たちはこの寺越事件が分かってから25年経って、この北朝鮮のやり方と言うのを本当に良く分かってきております。
その分、金英男さんたちのこれからと言うのも手に取るように分かります。
だから一日も早くこの拉致問題を解決して頂きたいと、政府には本当に心から願っております。

皆さんもこの私たちの心情を本当にご理解はしていただいて、これからも力強い応援を宜しくお願いしたいと思っております。
今日はどうも本当にありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 12:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月13日

06.7.8 寺越昭男さん 第14回藤沢集会(2)藤沢産業センターにて

『寺越昭男さん(寺越昭二さん長男)の講演』

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どうも皆さん、こんにちは。
今日石川の方から来ました、寺越といいます。

簡単に寺越事件という物を説明させて頂きたいと思います。
昭和38年、1963年、能登半島福浦港の沖合い400メートル、本当にわずか海岸から200メートルくらいのところからですね。
私の父・昭二と叔父・外雄、そして従兄弟・武志が3人一緒に漁をしていて北朝鮮に拉致された。

日本の政府は今だに拉致を言う事を認めていません。
というのは、今北朝鮮にいる従兄弟の武志が「拉致では無い」「と言っているから。
それでお母さんも北朝鮮に行く度に「拉致では無い」と、そういうふうに言っているから拉致とは認められないという現状なんですね。
で、あの、座らせて頂きます。(昭男さん椅子に座る)

今日は人権ということなので、寺越事件が今まで人権問題という事で、私たちは今までは北朝鮮で生きていた叔父・外雄さん、武志の事を心配し、いろいろ考えて声を上げないで2002年まで来たわけなんですけども、金正日が拉致を認め、丁度2002年の2月に私の母親が亡くなりました。
このままでは寺越事件というものは拉致ではなく救助で終わってしまう。
そういう心配というか危惧というかをしまして、政府に対して事件の真相(究明)、そして遺骨の返還、拉致の認定という事で、2002年の10月ですね。
声を上げる事にしたんですけども。

ひとつ言える事はまず、うちの父親が果たして本当に北朝鮮で亡くなったのか?ということなんですね。
安明進さんが1997年だったと思いますけども、証言をして頂きまして、横田めぐみさんの事などもひっくるめて寺越事件という物も証言して頂きまして、父が拉致されたときに武志をかばって工作員に射殺されて海に沈められたという証言をしてくれたんですね。
その時に私らも声を上げれば良かったんですけども、声をまだ上げるという気持ちにはなれなかった。
というのは、やっぱり上げてもどうにもならないという、そういう思いもありましたし。

それからやっぱり武志・外雄さん、外雄さんはその時点では亡くなっていたんですね。
外雄さんは平成の6年ですか、病気で亡くなったという事を知らされまして。
で、私たちが声を上げるという事に対して、友枝さんはやっぱり反対しました。
圧力もかかりましたね。

しかし寺越問題・事件というのを解決するというのはやはり私たちが声を上げるしかない。
でないと、殺されたかも分からん父親という者の人権というものも踏みにじられるんでないかと。
北朝鮮で亡くなった叔父さんも同じく、踏みにじられると。
叔父さんの家族もいるんですね。
亡くなった私の母親、そして私たち兄弟の人権という物もおそらく踏みにじられると思うんですよ。

うまく話が出来ないんですけど、本当に救助されたんなら私はそれで納得すると思うし、本当に真実というのを知りたい。
そう言うのが第一のひとつで、父親の遺骨、もし本当にあれば返して頂きたい。
多分無いとは思ってるんです。
横田めぐみさんと同じですね。
生きている人の遺骨は返せない。
無い人の遺骨も返せない。

今まで4年間、もう3年半ですか。
経ちますけども北朝鮮は、父の遺骨に関しては家族が反対している。
それからどこかの団体も反対している。
そういう回答しか返って来ていないんですね。
家族が反対するというのは、私たちが反対しているんじゃなくて、従兄弟の武志が反対せざるを得ないということなんじゃないかと思います。

なぜならば、やっぱり無い遺骨を返すことは出来ないから反対するんですよ。
しかし、私たちその遺骨の返還を求める事によって寺越事件の真相にも近づけると思っています。
遺骨が本当にあれば、父親が北朝鮮で生きていたという事が証明できるだろうし、救助という事も考えられるかもしれない。
しかし本当に遺骨が北朝鮮にあっても、私たちは救助という事は絶対に認める事は出来ない。
なぜならば、やっぱり本当に救助したんならなんで24年間も連絡をさせてくれなかったのか?
救助した人間をすぐに返さないとなればやっぱりそれは・・・(聞き取れず)と同じだと思うんですね。
そういうことで、これからも(遺骨の)返還・真相究明そして拉致認定と、求めて戦っていきたいと思うんですけども。

最後に、先日の金英男さんの会見を聞いていて、丁度私の思ったとおりになったなというふうに思ってますね。
金英男さんのお姉さんとお母さんが来日したときに、私お姉さんと少し話をする事が出来たんです。
2〜3分だったと思いますけども、寺越事件というものがあって、そして北朝鮮にお母さんが会いに行ってますと。
で、会いに行ったばっかりに拉致を救助にすり替えられたと、いうふうに話をしておきました。
私は会いに行かないほうが良いですよという事を言いたかったんですけども、話が時間が無くてそこまで出来なくて何だったんですけども。
やっぱり北朝鮮において、面会したり会いに行ったりするという事は、結局北朝鮮の思う壺に、どうにもならないという事なんですね。

私は寺越事件の解決ということについて考えているんですけども、寺越事件の解決というのは、ひとつはやっぱり今北朝鮮で43年間生きてきて、子供が出来て孫が出来て、日本に帰りたくても帰れないという武志の事をどうにかしてやりたい。
どうにかしたいと言うのは、自由に本当に日本に行ったり来たりするような環境にしてやりたいということなんですね。
今のまんまではおそらく日本に自由に来る事は出来ないでしょう。

それをするにはどうすれば良いか?という事を考えた場合に、日本の政府がきちんと拉致を認定して、北朝鮮に対して武志の自由とか人権の保障を求めるべきだと思うんですね。
そうしないと寺越事件の解決にはならないと思うし、それから私の父親の事も叔父・外雄の事もやっぱり解決の道筋になっていかないということで、今までは拉致の認定という物は後からついてくるもんやと考えていましたけど、そうではなくて日本の政府がきちんと拉致認定をしていただく。

これは寺越事件だけでなくて、その他の特定失踪者、調査会で今上げられている1000番台の方、もしくは400人を超える特定失踪者。
私はもう間違っていてもいいから政府は認定をしていくべきだと考えています。
ただしこれは家族、特定失踪者の家族に了解を得てですね。
ひょっとしたら間違っているかもしれない。
しかし北朝鮮に対して、やはり拉致問題を解決する為にはそういう方法も有り得るという事で。

で、何で認定しなければならないかというと、北朝鮮側は今でも拉致は解決済みだと言ってますね。
しかし全然拉致の問題は進行していないという事です。
日本の政府がやっぱり解決済みだという北朝鮮の言いなりにならないように、幕引きをさせないためにやっぱり拉致認定をもう少ししていかなければならないのかな、と考えています。
話があっち行ったりこっち行ったり、あんまり話は得意でないもんですから分かり難いかも分かりませんけども、今の私の気持ちとしてはそう思っています。

今後とも本当に拉致問題解決のために、国民の皆様の協力という物を宜しくお願いしたいと思います。
今ミサイル問題で拉致問題を含めて人権問題と言うのが、声を抑えようとする意図もあったんじゃないかな?という気持ちもします。
やっぱりそうではなくて政府に対しては、拉致問題・人権問題に絡んでやっぱりこれからも北朝鮮に圧力をかけていって頂きたいと思っています。
どうかよろしく、ご協力をまた宜しくお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.7.8 川添友幸氏 第14回藤沢集会(1)藤沢産業センターにて

『川添友幸 救う会神奈川会長 開会の辞』

暑い中ありがとうございます。
こちらで市民集会をやったのは確か1月だと思いますので、半年ぶりの市民集会です。
半年間の間にですね。
というか、先週から急にミサイルが飛んできまして、限定的ですが制裁も発動されるという形になりまして、ちょっと増元さんともいろいろお話は先日したんですが、新たなる局面に来たという感じはしております。
そういう意味で今日の集会ですね。
ぜひ成功させたいと思っています。

先日の神奈川新聞の方からですね。
コメントが欲しいと言う事で、私ミサイルが飛んで来たときにちょっとコメントを出したんですが、明らかに3つの今回金正日は裏切りをしたと。
ひとつはですね。
国際社会に対して、6カ国協議や何とか協議でミサイルをやらないと言っていたにも関わらずやったと。
更に日朝平壌宣言もこれを裏切ったと。

私は更にもうひとつ付け加えて言ったのは、北の人民に対するこれは裏切りであると。
今日は脱北者の方、○さん来られていますが自国から逃げ出す脱北者の方大量に出られて、更に200万の方が  
餓死している状態です。
核兵器さえ作らなければですね。
助かった人たちなんですね。
私は金正日政権の人間がですね。
やはりいつの日か裁きを受けるんではないか?と思うんですね。

是非そういう意味でもですね。
私たちこういう活動を続けていきたい思っておりますので、今日はちょっと少し長くなるかもしれません。
前半は講演で、後半はパネルディスカッションを予定しておりますので、長時間かもしれませんがお話を聞いていただければと思いますので宜しくお願い致します。(拍手)

・・・・・・・・・・・・
脱北者のお名前については、ご本人の身の安全を考慮し伏字でご紹介させて頂きます。
悪しからずご了承ください。
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2006年06月26日

06.6.3 高沢皓司氏メッセージ紹介他 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(10)藤沢産業センターにて

『参加議員の紹介、高沢皓司氏からのメッセージ紹介、閉会の辞』

★司会 高橋氏

本日は神奈川の議員が自治体から駆けつけてくださいましたので、ご紹介をさせて頂きます。
藤沢市議会議員・三野由美子先生。(立ち上がって会場に会釈、拍手)
ありがとうございました。

本日この集会にですね。
この福留貴美子さんの問題を初めて取り上げられた、こちらに「宿命」という本がありますけども、この本を書かれたジャーナリストの高沢皓司さんからメッセージを頂きましたので、紹介をさせて頂きます。

★高沢皓司氏からのメッセージ(代読:高橋氏)

本日の福留貴美子さんの拉致問題の集会について、こうしてお集まりくださいました皆様に心からの激励を送りたいと思いますと同時に、本日の集会を実行まで努力をしてくださった様々な方々、横田滋さん・横田早紀江さん・荒木先生・救う会神奈川の方々はじめ、皆様に御挨拶申し上げたいと思います。
と言いますのも、もう何年も前、限られた条件の中でジグソーパズルの駒を捜すようにして、この条件に合致する人間がどこかに必ずいるはずだと。
それだけを信じて四国の山中を捜しさ迷い歩いていた頃から考えますと、まさに隔世の感があり、本日の集会を実現してくださった方々には感謝の言葉も無いくらいありがたい事だと思っております。

★司会 高橋氏

このようにメッセージを頂きました。
高沢さん、どうもありがとうございました。(拍手)
続きまして事務局よりお知らせ、並びに閉会の言葉と致します。

★川添友幸 神奈川救う会会長 閉会の辞

本日は長時間、講演ありがとうございました。
福留さん中心にした集会、是非、私も良かったと思います。
今後も拉致の問題続くと思いますけど、宜しくご協力できればと思っております。
次回のお話なんですが、今回も講演いただきました増元さんに来月の7月の8日にこちらの方で講演を行おうと思っています。
増元さんと寺越昭男さん、内田美津夫さん、特定失踪者問題調査会から真鍋さんに来ていただこうと思っております。
あとですね。
北朝鮮難民救援基金さんの方にお願いして、脱北者の方にですね。
今交渉をしております。

ちょっとまた、昨年の7月こちらでやったときには頭巾みたいのをかぶって確かやったと思うんですが、また今回もそんな形になるんじゃないか?
まだ身の危険を感じている方、という話を伺っていますので。
講演会を行おうと思っておりますので、7月の8日、こちらではなくて上方のラウンジ、6階のラウンジの方になると思いますのでですね。
またご参加できればと思っております。
今日、長時間本当にありがとうございました。(拍手)

それでいつものお願いなんですが、ボランティアでやっておりますので、もしお心のある方いましたらカンパ箱がありますので、そちらの方のご協力お願いします。
本当に今回ありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・
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06.6.3 パネルディスカッションその3 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(9)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その3』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次は野村さんにお話をして頂こうと思ったのですが、今日ですね。
兵庫から特定失踪者調査会の理事である岡田和典さんが来られましたので、ちょっと一言だけ御挨拶をしていただこうと思います。(拍手)

★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

Img_1683.jpg

こんにちは。
えっとですね。
今日は野村さんもお見えでございますので、ちょっとだけお話をさせて頂きたい。
飛び入りで恐縮でございます。

野村さんのお書きになった本の中にも書いてある事なんですけども、私は神戸市です。
それも灘区というところで、今出ておりますSAPOIを御覧になった方はですね。
灘区周辺でですね。
拉致に関係する物が余りにも多いというような地図入りの、袋綴じじゃないんですけども(笑い声)、一番最初のページに出ています。

あれは恵谷さんと一緒にずっと回ったんですけどもね。
実は有本恵子さん。
当時ですね。
通っておりました学校がですね。
神戸市立の外国語大学なんですね。
ここから200メートルほど山側の方に行きましたところにですね。
神戸にはもう一人の拉致認定者がおりましてですね。
田中実さん。
養護学校がこの200メートルほどしか大学と離れていないんですね。

その上へ持ってきてですね。
有本恵子さんがですね。
通っておりました神戸外国語大学、有本さんは一部・二部の二部の方ですね。
所謂、我々の年代で申しますと夜間と申しましてですね。
夜の方に行ってたわけですね。
当然ですね。
当時の所謂ローテーション、シフトを見ておりますと、大学の先生方というのはですね。
一部担当と二部担当とに分かれていたようでございます。
これも私も少しばかり調べました。

その二部の担当のですね。
国際法というところにですね。
現在、金正日著作研究会連絡協議会の代表世話人、これが二人、鎌倉孝夫ですかね。
これと一緒に代表世話人をしている家正治ですね。
これがですね。
当時の二部の担当の教授なんですね。
教授ではなかったまだ当時は、京都大学を出てすぐに神戸外大の講師か何かになるんですが、まだ当時は教授じゃないですね。

この家先生でございますですね。
極めて怪しげな有本さんとの接触をしているわけですね。
まだ有本さんの事が、それ程世間に流布されていない。
それでも有本さんご両親ですね。
非常に積極的に様々な集会に出られてですね。
お訴えをされていたんですね。

そこにですね。
いきなり名刺持って来られた方がおるんですね。
その集会に参加されていた方が名刺持って来られてですね。
そんな方たくさんおられますから、一つ一つ覚えていないんですね。
ただお父さんがですね。
非常に珍しい名前だったから、覚えておられたんですね。

それから神戸市の外語大学なんかで、私も一緒にいろいろ活動をしまして、所謂同窓会。
そういう組織が動いてくれましてですね。
有本さんは2回3回ほど、神戸外大で講演等を、そういう集会等も行っておられます。
で、有本さんが拉致認定されてですね。
小泉訪朝があってですね。
有本さんの事がいよいよ明白になったと。

ですから訪朝後半年、一年も経ってなかったくらいだったと思うんですけど、今度突然にですね。
有本さんの家に手紙が届くんです。
で、これも有本さんのお母さんですね。
そういう手紙、全国からたくさん参りますので、特別覚えていないわけですね。

たまたま私がですね。
この家先生というのはいかがな人なんだ?と、言うような事でいろいろと、それなりにうろうろうろうろしておりましたらですね。
その集会の折に、有本さんご両親がたまたま揃っておりましてですね。
そこでこの家教授の話をしたわけですね。
お母さんからそういう話があったんですけどね。
「その人だったらこの前手紙が来たよ」とそこで初めて話が出るわけですね。

でそこで、今度はお父さんがですね。
「それ、覚えとるで」と。
「そんな変った名前の人はそんな多くは無いから、昔集会来とって名詞出したの覚えとる」
こういう話なんですね。
野村先生、中々の人物ですよね?この家先生という方は。

★野村旗守氏

ええ、謎の人物ですよね。

★岡田和典氏

でねぇ。
そんな方がわざわざ、どっちかと言えば拉致問題なんて話にですね。
世間で言ったら、我々は当たり前の大事な運動をしているつもりなんですけども、この拉致問題が明らかになる前はですね。
どちらかといえば、ああいうところに集まる人というのは真ん中というよりちょっと右じゃないかと。(笑い声)
世間では思われているような集会でございますよね?

★増元照明氏

よく反動勢力と言われて・・・(笑い声)

★岡田和典氏

そういう所に、チュチェ思想を信奉する先生が何しに来たんか?と、こう言う話にもなってくるわけですね。
今日おそらくですね。
こういう非常に福留さんという、よど号のグループにとってはですね。
一番アキレス腱といいますかですね。
触れられたくないということ、こういう会を川添さんが勇気を持ってやってこうしておられるわけで、間違い無しにこの中に、まぁ数人とは言いませんけどもね。
よど号の今の、今のですね。
支援するグループは多々あるわけです。(「ほう」という声)

間違い無しにこの中に来ておられますね。
皆さんも一人ずつ顔を覚えられているかも分かりません。(笑い声)
電車に乗るときなんかはですね。
絶対にプラットホームの前には立たないでくださいよ?(笑い声)
後ろからポンと押されたら終わりですのでね。
我々は何年もそういう事に注意しながら活動を続けております。
川添さんも全く同じ立場の人間でございます。

非常に中でも、私でも神戸で中々福留さんの集会よう開きません。
それ程非常に今日は貴重な集まりでございます。
ただ、余りにも先ほどから申し上げておりますように、極めて狭い空間の灘区の、本当に何百メートルというところに神戸に二人いる。
田中実さんそして有本恵子さんがお互い同じ空気、同じ匂いを吸っておった場所で生活しておられた方がおられる。
この事実ですね。

それと有本さんにですね。
なんかよう分からん人がですね。
極めて不思議な形で、接近していると言う点ですね。
何か日本の拉致事件というのはですね。
辛光洙が何もかも全員やったみたいな言われ方を最近、報道等も含めてですね。
警察発表でもございますけどね。
そんな事はありえないわけでございましてですね。

この中にもそういう過去に協力をした方がおられるか分からんですけど、間違いなしにですね。
日本人の協力者がいなければですね。
これだけの人間がですね。
北朝鮮に拉致されていたのは、ありえないわけでございます。

飛び入りで貴重な時間申し訳ございませんでしたが、そういう事を一言、神戸からのご報告という事で失礼致します。(拍手)

★司会 川添氏

岡田さん、ありがとうございました。
すみません、野村先生ちょっと宜しくお願い致します。

★野村旗守氏

私ですね。
本来、拉致問題門外漢でありまして専門家ではありませんので、ちょっと最後ですので一般的なお話をしたいなと思います。

前ですね。
あるインタビューで田原総一郎さんと喋った時があって、「いや、ここ10年くらいで本当に日本は変ったよな」という話になって、自分が89年に「朝まで生テレビ」あの番組を始めたころに、ディスカッション番組ですから朝まで激論するですね。
その当時としては画期的なスタイルの番組。
朝まで生で見ている番組を始めた時、あの右の論客を探そうと思ってですね。
探そうとしたんだけど誰もいないと。
という事は、右と左で激論を戦わせなければいけないので右の論客を探すんだけど、右の論客が誰もいないって言うんですよね。

ところが10年経ったら誰も彼もが右だ右だという事になって(笑い声)左の事喋ってる奴はあいつまだあんな事を言ってるのか?と、馬鹿な奴だと生きてる化石みたいな野郎だという事ですね。
馬鹿にされているという傾向はあるけれども、でも10年前にそれこそね。
国家体制がどうとかいわゆる国際主義がどうとか言う事を、テレビがまともに喋ろうとしたら「あいつテレビであんな事を言ってるよ」と。
「もうちょっとアカデミズムの世界では相手に出来ないよな」というような、そういう風潮だったと思うんですよ。
10年、15年位前までは少なくともですね。
それがもうガラッと変ったと。

ガラッと変った中にはこの北朝鮮問題というのは非常に大きな要因だと思うんですけども、だた世の中のそういう空気。
要するに拉致をしやすい空気というものが、この日本の中の70年代80年代非常にあったと。
これですね。
これ拉致というのは北朝鮮の最初の首謀者は金日成であり金正日でありというような、それは分かっているけれども、それを助けたのは誰か?って言えば、金日成・金正日体制を支えた北朝鮮国民であり、それを支えていた日本の朝鮮総連と言う組織であり、その朝鮮総連という組織を生かしていた日本という社会。

別に同罪とは言いませんけども、かなりですね。
かなり日本側もムードで幇助していたという事は言えると思うんですよね。
日本のその片仮名で書くサヨクのムードが北朝鮮の拉致を幇助していた。
それがああいうよど号の事件を生み、あるいはよど号の妻たちというグループを作ったりしたわけで、そういったムードの犠牲になって例えば有本恵子さんが拉致された、福留さんが拉致されたというような事件が頻発して起こっちゃったんじゃ無いかな?と思うんですけども。

結局チュチェ研の目的はなんだったのか?と。
先ほど荒木さんも言われましたけど、あの中でチュチェ研の目的は何だったか?という事を考えていくと、私最大の目的は日本でそういうムードを作る事だったんだろうと。
北朝鮮のシンパをたくさん作っていて、例えば北朝鮮シンパとならずとも雰囲気的にでもですね。
例えばいざ事が起こった時、じゃあ韓国と北朝鮮がケンカした時に北朝鮮の方に味方してやろうと思うような。
普段は別に朝鮮問題なんかどうでも良いかもしれないけれど、いざ事が起こったらどっちかと言えば北朝鮮の方が良いよねと北朝鮮の方が正しいよねと、そういうようなムードを作る。
そういった空気を作る目的が第一の目的だった、チュチェ研の第一の目的だったのではないかな?と私はうっすらと考えているんですけども。
これ、正しいかどうか分かりませんが。

そういったムードを作るという非常に漠然とした仕事をしていたもんだから、これまで捜査の対象にもならないでですね。
なんと言いますか、何十年もこのチュチェ研という組織、いまだに相当数の勢力、独断で熱心に活動しているかどうかは別として相当数の勢力がいるようですが、そのムード作りにある時期まではある程度成功していた、言う事があったと思うんですが。
それが先ほどの田原総一郎さんじゃないけれども、10年間で本当にガラッと変っちゃったと。
10年前は右の論客なんか誰もいなかったと。
で、テレビに出てくれといったらとんでもないと誰も出てくれなかったと、そういう状況のなかで、ところが10年経ったら誰も彼もみんな右だということで、アメリカが正しいという事になってですね。
これもちょっと問題だなぁと私思わなくもないんですけど、そういったムードが出来た。
要するにチュチェ研の野望は途中で費えたわけですよね?

北朝鮮シンパを、あるいは社会主義をマルクス主義を、というようなチュチェ研の野望は費えたわけだけれども、いまだにこの拉致問題が全く、解決の兆しは見えましたけれども、兆しだけでその先進展しないというところ。
じゃあ何が、日本から北朝鮮を擁護しようというムード・空気は消えたにも拘らず、いまだに何が邪魔をしているのか?という事を考えていきますと、これはひとつムードとは裏腹にですね。
非常にムードと対照をなすような、非常に生臭いと言うか現実的なというか。
はっきり言ってムードとは対照的な裏腹の現実的なものと、現実的な裏づけという事でひとつ実益というか、利益・利権と言われるようなですね。
北朝鮮を利すると自分達が得をするという、例えば日本の政界にもいるし財界にもいるし、あるいはあらゆる分野に北朝鮮を利する事によって自分が得をすると。
それはごくごく私的な利益かもしれないけれども、とにかく得をするという事で国益を無視して私益に走る人たちがいるのが問題ではないかな?という事をまとめてみたのが、荒木先生に手伝って頂いた「北朝鮮利権の真相」という本なんですけども。

そういった中で例えば北朝鮮とですね。
国交を結ぶと、日本の側にとって何のメリットがあるのか?
国にとってはメリットは無いけれども、そこに北朝鮮と日本が国交を結ぶと何が起こるか?というと、これ日本と韓国の場合を考えてみれば分かるんですけども、日韓条約ですね。
日韓基本条約と言うのが結ばれた後に、当時のお金で5億ドルの経済協力という支援が行われました。
これ日本から韓国に一方的に流れるお金だけれども、これこのミソはですね。
キャッシュでお金払われるんじゃなくて、なんと言いますか、事業と建設というような形。
要するに日本の会社にお金が落ちるんですね。
日本の会社にお金が落ちる。
日本の建設会社は大挙して韓国に乗り込んでいって、その当時高速道路を作ったりとか地下鉄を作ったりとか、韓国のために随分と物を作ってあげたんですよね。
それによって韓国経済がぐっと成長したわけです。

それによって北朝鮮もやっぱり同じ事をやろうとする。
当時一番儲けたと言われているのは伊藤忠という商社ですけども、伊藤忠の瀬島龍三、政商と言われる男ですね。
非常にそういった政治的なビジネスに食い込むのが上手いと、元々・・・(司会より、残り時間の指示あり)
すみませんちょっと注意が入ってしまったので。(笑い声)

★司会 川添氏

すみません、会場が5時までしか借りて無いもので(笑い声)本当に申し訳ない。
また野村さんちょっとお呼びしてですね。
じっくりしたいと思います。
それでは最後に斉藤さん。
是非、今の思いをですね。
短くお願いして、なるべくお話して貰いたいと思います。
宜しくお願いします。

★斉藤文代さん

私は金正日に申し上げたいんです。
あなたは心があった人間であるならば、拉致した家族を全員返しなさい。
そうすればあなたの心も軽くなると言う事じゃないでしょうか?
全員返しなさいと申し上げたいです。(拍手)

★司会 川添氏

パネルディスカッション、どうもありがとうございました。
次が、今日始まる前にですね。
増元さんをお話もしていたんですが、岡田さんからも指摘があったんですが、福留さんを中心にした集会と言うのは全国でこれが初めてということだそうです。
今後も福留問題についてはですね。
私自身、よど号問題にかけておりますので、うちの会、神奈川の会では全国協議会とあるいは調査会と協力してやっていきたいと思っておりますので、今後もご協力の程を宜しくお願い致します。(拍手)
パネルディスカッションはこれで終わりにします。
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06.6.3 パネルディスカッションその2 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(8)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その2』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次に斉藤さんの方にちょっとお話をいろいろまたお伺いしたいと思います。
2月にですね。
私も警視庁に同行したんですが、よど号グループに対して監禁罪で刑事告発をしましたが、告発した事に対して心境はどうでしたか?どんな感じだったか?というのと。

実は今月の13日にですね。
八尾恵さんの長女が帰ってきます。
長女が帰ってきた後はですね。
どうもよど号の本丸、所謂松木さん・石岡さんを拉致した実行犯、もしくはそれに近い支援者の人間が帰ってくるのではないか?という情報が我々入って来ております。
拉致実行犯の帰国が迫ってますが、その辺に関してどのように思われているのか?と、この2点ちょっとよろしくお願いします。

★斉藤文代さん

告発の件はですね。
前々から私は弟を拉致されたことに関しまして許せないと言う気持ちでいましたので、いつかこういう機会がありましたらば絶対に、よど号犯の拉致した人たちを許す事はできないので、前々から考えていた事ですのでそれが出来て良かったなと思っております。
それからこれからよど号犯の妻たちが帰ってくる予定になっておりますけども、私が申し上げたいのは、

「なぜ帰ってくるんですか?好きであなたは北朝鮮に行ったんじゃないんですか?」

と言いたいです。
帰って来るんであれば、日本の拉致した家族を全部連れて帰って来なさいと言いたいですね。
それでもし日本に住みたいのであれば、日本でちゃんとするべき事をしてから(日本に)住む人間になって欲しいと、私はその様に思っております。
本当に許せないんです。
こんなに我慢しているのに、自分達だけ都合の良い時に行ったり来たりするということは、許せないと思っております。(拍手)

★司会 川添氏

ありがとうございます。
そうしましたらですね。
皆様方に最後に一言ずつですね。
会場の皆さん、もしくは会場によど号グループの関係者が来られているかもしれませんので(笑い声)、一言お話して頂ければですね。
伝わってくれるかもしれませんのでね。
ひとつよろしくお願いします。
じゃあ、増元さんから。

★増元照明氏

よど号の事件というのは丁度1970年ですから、私が高校一年だと思いますね。
るみ子が高校三年生で、高校から帰ったら福岡空港にずっと飛行機が止まってまして、それをずっとNHKが追いかけて、金浦まで行ってそれで平壌に行ってしまったんですけども。
あの事件が後々自分にとってこんな大きな問題として関わってくるなんて、あの時全く思ってなかったですね。
画面の向こうの中、夢物語のような感じで「彼らは彼らの思想で行ったんだからしょうがないわ」と、それくらいしか思ってなかったのに、彼らが主体的になって家族会の有本さんや松木さんやそして石岡さんたちを拉致していくのに非常に関わっていた事について、私は家族会結成してビックリしました。

で、この方たちの存在が、私は結局ですね。
1970年に平壌に入って金日成や金正日が日本人を何というか、オルグしていけば使いやすいな?と思わせたんじゃないかと。
荒木さんたちはその前からずっとやってるというように言ってましたけど、それまでは必要に応じて拉致していた人たちだとは思うんです。
それから金正日が1970年代後半に拉致を頻繁にあちこちでしていったのは、自分達の国でオルグして工作員化すれば、もしくは日本人は本当に従順な勤勉な人間だから使えるなと思わせたのがよど号だと私は思ってましてね。
その70年のよど号が向こうに行った事件が、その後の日本から私の姉やそれからめぐみちゃんやそして多くの日本人を連れて行った可能性も否定できないなと思っております。

その点で、高校のときにただテレビの画面で見ていた事件が自分の人生に、本当に大きく関わって来ると言うふうになっていきますと、人生という物は不可思議な物であるし、予想もできない物を感じてしまいますね。
運命と言えば運命なんでしょうけども、ただあの時にもっとよど号問題を真剣に考えておけば良かったかな?とちょっと反省しております。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
今増元さんが、私も実は同じくちょっと感じてしまったのは、私ずっとこの藤沢に住んでいまして小学校の高学年の時でしょうかね?
スイミングスクールに通ってまして隣が交番だったわけですね。
で、ポスターが貼ってありまして、リ・ウネのポスターでしたかね金賢姫に拉致された、この人知りませんか?と。
何気なく通りかかってうちの母親に「この人なんなんだ?」といったら、母親がなにか「北朝鮮に連れて行かれちゃった人なんだ」と言われてまして、もう15年くらい前の話ですが、良く考えればわずか15年後にですね。
この女性の方を助ける事ですね。
こういうふうに活動しているなんて夢にも思いませんでしたし、この間、飯塚耕一郎さんにこの話をしたら、「それは高田さんの本じゃありませんけど宿命だったんじゃないですか?」と言われてちょっと何か納得して・・・
今増元さんの話を聞いてそんな事も自分でイメージしてしまいました。

それでは次にですね、荒木先生。
ちょっと一言よろしくお願いします。

★荒木和博氏

Img_1672.jpg

先ほど野村さんのお話を聞いててですね。
ちょっと思ったんですが、一体そのチュチェ研というのは元々なんだったんだろうな?ということをちょっと気にかかったんですね。
というのは北朝鮮の基本的な対日工作というのは、昔は韓国に直接入り難かったので日本を経由して工作活動をやると浸透するという事が、それが一番のメインでありまして。
北朝鮮の国家目標というのは言うまでもなく武力統一ということで、南朝鮮からアメリカを追い出してそして傀儡政権を打倒して統一をすると、言うのが目的だったのでですね。
日本の中での事というのはあくまでも2次的なものだったと思うんですね。
それがなんでこんなに長い間組織が続いているのか?と。
単に北朝鮮からのですね。
影響だけで果たしてこれだけ続くんだろうか?という事をちょっとふと今思いました。
北朝鮮の工作のですね。
系統からしてもちょっと異質な感じが今ふとですね。
しましたんで、改めてこれについては考えてみる必要があるのかな?という気がしました。

それからですね。
お母さんの話がいろいろ出てましたが、先ほど増元さんが増元さんのお母さんも信子さんということだったと、私の女房も信子でございまして(笑い声)、これもなんかの宿命なのかな?と私思いましたけど。(笑い声)

この家族という事についてなんですけど、政府がですね。
ご家族の意向を尊重してという事をしょっちゅう使うんですけども、これかなり曲者でありまして、どうもそのまま鵜呑みには出来ない。
というのはですね。
これ逆に裏返しにしますと、家族がもう良いよと言ったらそれでおしまいに出来るという事でもあるんですね。

一番良い証拠は寺越武志さんです。
誰がどう見たって拉致されたという事以外に考えられない。
彼は向こうにいて、そして失踪したときの状況とかですね。
それから考えればこれだけで拉致だと十分分かるんですが、政府は認定をしません。
認定をしない理由は何か?というとあのお母ちゃんがですね。
拉致だと認めないからという事を言われていたんですね。

かつてですね。
平沢勝栄さんが拉致議連の事務局長をやってたときだったかな?
何かあの、福留さんの話が出てですね。
で、その聞いたらば、それ何かお母ちゃんが認めないからというような事を言ってですね。
そりゃあいくらなんでもないでしょうと、そんなの認められるわけ無いじゃないですか?と。
いや本人も認めないと、そりゃ本人が認めるわけ無いと。

という、いろいろすったもんだした挙句にですね。
いや、まぁ、じゃあお母さんが認めるんで有れば、警察の方も考えるという事を聞いたもんでですね。
お母さんに相談した事もあったんですが、結果的にはやっぱり認めるわけにはいかないという事でした。
お母さんも直接話すときには拉致だということは言ってるわけで、それを認めないというのはいったいどう言う意味があるのか?と。
そういう時にだけ、家族というのをですね。
隠れ蓑に使っているのではないだろうか?と。

9.17の後で北朝鮮側は、蓮池さんたちからはですね。
横田さんの情報だけ出させたと。
他の人たちについては全く知らないと言いながら、横田めぐみさんの情報だけはですね。
べらべら喋らせたと。
そしてあの時何をやろうとしたか?というと、お父さんお母さんを平壌に呼んでですね。
そして終わりにしようとしたわけです。

あの時もし、お父さんも相当ですね。
揺れたわけですけども、ご家族が北朝鮮に行ってしまって納得してしまえばですね。
まぁ家族が納得したんだから良いんじゃないですか?というふうになっていた可能性がある。
家族という物をそういうふうに使っていた可能性があります。

そして一方でですね。
政府の人間が逆に言う時は、国益の観点から行くと拉致被害者の事だけで日朝国交正常化が止まって良いんだろうか?と。
これは槙田(邦彦)元アジア大洋州局長の「10人くらいの事で日朝交渉止まっても良いのか?」という事を言いましたが、そこに本音が非常に表れているわけでございまして、ここはしっかりですね。
問題の本質を考えなければいけないと。

私は常にこの拉致問題というのは安全保障の問題であり、ある意味で戦争であると言っているのはですね。
ここにちょっともうひとつ重要な意味がありまして、ご家族が可哀想だ・本人が可哀想だという事でやっている救出運動であれば北朝鮮が暴発して、今もちょっとごちゃごちゃやってますけども、ミサイル撃つぞと。
ミサイル打ち込むぞという事を、例えば言った時にですね。
彼らにそんな度胸はないと思いますが、もしそういうような事を見せた時に日本の中でどういう判断が下るか?と。

いや確かにそれは拉致された人も可哀想だしご家族も可哀想だと。
しかしその事と、その人たちを助ける為にまた何十人だか何百人だか例えば犠牲者が出てしまったら、それは釣り合わないでしょうと。
だからこれは大人しくしていた方が良いでしょうというふうにですね。
なるんですね。
実際彼らがおそらく世論誘導をやろうとすると、そういう事をやろうとすると思います。

しかし問題はそうではなくて、もし彼らのそういう脅しに屈すればまた次の事をやられる。
あるいは北朝鮮だけでなくてですね。
他の国からもそういう事をやられるかもしれない。
言う事なんであって、それがまさに私がこの問題は安全保障の問題であって、家族の意向というのは2次的な問題だと、いうふうに言ってる事の最大の理由でございます。

もちろんそれはご家族の意向は最大限尊重して貰わなければいけないわけなんですが、そうは言ったって我々古川(了子)さんの訴訟でですね。
政府認定者とそれ以外の人たちとを差別するなというふうに言ってはいるわけですけども、そうは言ったって拉致の可能性のある人という意味ではですね。
我々のリストだけで460人いるわけで、それ以外にも警察に我々のと重なってますが、問い合わせは900くらい人以上いる。
そして問い合わせをして来ない方も相当いるわけで、この人たち全部に家族会と同じように説明するなんて物理的に不可能なんですね。

もちろん特定失踪者のご家族も、もちろん拉致の可能性が高いというふうに思っていられる方でもですね。
やっぱりその一面、ひょっとして日本の国の中でですね。
何かの理由でいてくれないか?という気持ちは皆さん共通であって、我々もそうであってそれで見つかってくれればそれで良いと思ってやっているわけでございます。

そうするとその間を埋める物は何か?と言うと、もしその、例えば説明の仕方とかそういう物がですね。
政府拉致認定者と違っていたとしても、じゃあ実際に北朝鮮の中に誰がいるんだ?どこにいるんだ?という事に付いてはですね。
全く見えないところでも何でも良いからともかく一生懸命探しているという事が分かれば、それはそれでですね。
ある程度は仕方が無いと言うふうになるわけで、問題はそこをしていないという事にある。

増元さんが前にもよく言われますけども、その家族会が出来る前までですね。
我々が見えないところで政府がやっててくれるんだろうというふうに思っていたらば実は何もしていなくて、言う問題がですね。
これがやはり問題の本質であって、国家の意思というものはそういうものでは無い。
安全保障上やっぱり守るためには、ただ食う物を抑えるということは絶対出来ないわけでありまして、こちらから戦っていかなければいけない。

相手側の情報を得てですね。
そして実際にどうやって取り返すのか?具体的な手を打っていくと、言う事の努力をしていかなければいけないという意味でございまして、この福留さんの問題というのはある意味でそういうもののひとつのバロメーターにはなるのでは無いだろうか?と。
これからまた先ですね。
場合によってはよど号グループとか、あるいは場合によったらその警察とか国家機関の方からもですね。
いや実は福留さんはああだったんだこうだったんだと、拉致ではないと言うような情報を流してくる可能性だってあります。

しかしそういう時にですね。
そこで踏みとどまって、ともかくこの人は帰って来て貰わなきゃいけないんだというふうにですね。
やはり国民の意思が結束できるか?と言うのが極めて重要でございますので、このお忙しい中お出で頂いた皆さんには、ぜひともそこをご理解頂きたいというふうに思います。
ありがとうございました。(拍手)
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2006年06月25日

06.6.3 パネルディスカッションその1 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(7)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その1』

「福留貴美子さん拉致事件とよど号拉致事件」

★司会 

川添友幸 救う会神奈川会長

★パネリスト

野村旗守氏(ジャーナリスト)
荒木和博 特定失踪者問題調査会代表
斉藤文代さん
増元照明 家族会事務局長
岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★司会 川添友幸氏

Img_1667.jpg

後半なんですがパネルディスカッション、今年の1月のよど号の集会のときにもパネルディスカッションやったんですが、今回もやりたいと思います。
よろしくお願い致します。
私が司会でちょっといろいろ質問をしていきますので、それでお答えをしていくような形で皆様お答え頂きたいと思います。

今日ですね。
急遽なんですが、拉致被害者家族会の事務局長である増元照明さんが今日来ていただきました。(拍手)
それではまず増元さんに早速なんですが、お伺いしたい事があって伺います。
増元さん自身、先ほど荒木先生が福留さんのお母さんと面識があったとお話をされましたが、増元さん自身お会いになられた事があるかな?と。
その時のエピソードのような事があれば教えて頂きたいと言うことと。

この福留さんの拉致事件に関してですね。
警察は拉致では無いというような事を言われましたが、それに関して拉致被害者家族としてどう思うか、と言うところを2点伺えればと思います。
よろしくお願い致します。

★増元照明氏

Img_1670.jpg

あの、増元です。
何か勝手が違うので。(小さな笑い声)

先ほど荒木さんが仰っていたように確か多分荒木さんと同じ時に会ったんじゃないかと思うんです。
西村眞悟さんと一緒に会ったんですよね?
福留貴美子さんのお母さん、信子さんと仰るんですが、うちの母も信子と言う名前で全く字が一緒なんです。
その時は印象深いんですけれども、四国の片田舎から2000年だったと思うんですが出てこられて。
私たちも出て来られると言うのは全く知らずに横田ご夫妻と私と、たまたま西村先生と会うという事で永田町のあそこは赤坂見附だと思いましたけど、その事務所に行ったときに福留貴美子さん(のお母さん)がおられた。

それは荒木先生がアテンドして頂いたと私は記憶しておりますが、福留貴美子さんも拉致被害者であると言う思いが非常に強くて。
当時私たちは北朝鮮に拉致された可能性のある、というか殆ど間違いの無い寺越さんとかも一緒にやろうとしていましたし、当然よど号の松木さんとか石岡さんなどとも呼びかけはしておりました。
そして福留さんにも呼びかけを致しまして、で来られたんだと思います。
本当に体が弱ってられた中でも出てこられて、そして田舎の人間ですからそんなにお喋りになるような事は無いんですけど、必死の思いで貴美子さんを助けたいと言うその気持ちは非常に強く伝わった事を覚えています。

そして北朝鮮、福留さんは拉致では無いと言う警察の見解でしたね?
荒木さんが仰ったとおりのことでしょう。
とにかく北朝鮮に行って、どのような理由であれ北朝鮮に行って帰りたいと言うふうに思っても、帰れない状況になるならということです。
川添君が書いた福留貴美子さんのプロフィールに関してもそうですけど、モンゴルに行きたいと言う人が何故北朝鮮に行ったのか?という、全く不明ですから。
その辺は全く騙されていったのは間違いないと思います。

当初モンゴルに連れて行くという一緒に行くと言う予定で、どこかで・・・(聞き取れず)された。
そこでチュチェ思想の下に教え込まれた。
そしてよど号の妻となったと言う事でしょうけども、日本に帰ってきた事があって友達のところには行ってるわけですね?
実家には帰らなかったんですけども友達のところには行っている。
この辺をずっと監視体制の下で見ていた朝鮮総連もしくは、こちらの旗守さんが仰っていた日本の支援組織の人たちにばれたんですね。

で、無理矢理また連れて行かれたんですが、警察がいくら言っても日本で彼女が行動するためには、行動するには必ず監視されていたと言うのは、その一点を持って間違いが無いでしょう。
監視対象だと言う事は結局は無理矢理やらされていたというのは私たちの一般的に考える認識です。
ですから警察のその認識が自分達のおそらく捜査が今まで生温かった事を認めたくないという、案外官僚というのはそうなんです。
自分達の間違いを認めませんから。

田中均さんもずっと外務省の今までの拉致問題に対する対応を絶対に謝罪しませんでしたから。
悪くないと思ってるんですね、その官僚体制が、自分達が続けてきた事は。
ですからそういう何か悪い慣習というのかな?
あるのではないでしょうか?

私たちは自然に考えて無理矢理日本での監視対象であったと言う事は、まだ向こうの思想に染まっていないと言う、それでもう一回連れ戻された。
それで向こうで死亡とされているんですけども、私は多分内紛か何かあったんだろうと思っています。
高沢さんの「宿命」の中でもあまりにも不自然です。
岡本武と福留貴美子さんの死というのは余りにも不自然ですので、これは内紛があって処分されたのか?
それとも生きている事を隠なければならない何か事情があったのか?
とにかくよど号とは離されたと思いますね。

更に言わせて頂けば、田宮が死亡したというのも非常に不自然です。
高沢さんに田宮さんは「有本さんたちの返還を必ず成し遂げる」と言う風に約束されて、その数年後、一年後か二年後くらいに突然死亡していますので、何らかの画策をしてそれが発覚して処分されたのではないか?というふうに私は考えています。

あとチュチェ研の事を旗守さんが仰っていましたけど、チュチェ思想を作った張本人の黄先生が今韓国に亡命していますから。
黄長ヨプ(ヨプ=火へんに華)。
で彼に会って聞いたんですけども自分が作ったものですから、チュチェ思想は絶対に悪くは無い。
ただそれを使う人たちが悪いんだと言うふうには彼は言っておられた。
チュチェ思想は絶対に間違いの無い共産主義体制を支える北朝鮮では絶対的な思想であると、本当にパラダイスを作るための思想であると。 
あれを使う人が悪いからああいう国になってしまったというふうに伺いましたので、その辺ではまだ主体研究というのに反省の無い残念な老人だなと私は思っております。
以上です。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
次ですが、荒木先生に何点かお伺いしたい点があります。
今の荒木先生の、あと増元さんの話にもあったんですが、北朝鮮側が福留さんが死亡したと言う事をちょっと言われてまして、私自身もよど号を支援していた方から福留さんの遺骨があるとかお墓があるみたいな話を以前伺った事があるんですが、その辺のあたりというのはどうなんでしょうか?というのがまず一点。

次に先生、「しおかぜ」でですね。
何か福留さんの関係の放送とかそういうことはされたのかな?と、ちょっとお伺いできればと思います。
その2点、よろしくお願い致します。

★荒木和博氏

はい、え〜とですね。
今川添さんが言ったようなことと具体的には変らないんですが、遺骨があるというような話を先ほど申しましたように、話があったというのは聞いています。
だから必要があればそれを出して来れば良いわけですけども、出して来れないというのは、やはり出して来れない理由があるのでは無いだろうかな?と考えざるを得ない。

松木薫さんの物にしても、もし本人が亡くなっておられるのであれば、北朝鮮でですね。
遺骨が出せないわけは無いわけでありまして、遺骨を出してしまえばですね。
それで納得せざるを得ないわけですが、わざわざ偽の遺骨を出してくると言う事事態に、そういう意味があるのだというふうに思うべきだろうと思います。

私、大学の授業でも良く学生には言うんですが、基本的には北朝鮮がする発表というのはですね。
最初からこれは全部嘘だと思って聞いた方が良いと。
その上で、なんでこの人たちはこういう嘘をつくんだろうか?というふうに考えると、だいたい向こうの言いたい事というのが以外に正直に出てきております。
ですからその偽の遺骨を出すと言うのはですね。
やはりその裏の意味がどういうことか?という事を考えていけば良いのではないだろうか?というふうに思います。

それから「しおかぜ」の中では、福留さんに関してはご家族からの声と言うのはお母さんがいなくなってしまって出せませんので、今全部の名前とそれから失踪時期のデータ読み上げの中で福留さんの事が一緒に入って毎回流れております。
今、ご案内の通り妨害電波が流れていますので中々聴き取り難いですが、今月中に周波数とか時間を変えてまた流しますので、また向こうが追っかけてくると思いますが、とりあえずまた聴こえるようにはなると思います。
以上です。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
そうしますと次、野村先生にちょっと何点かお伺いしたい点があるのですが。
チュチェ研とよど号グループの妻以外の連携というか関係というか、妻たちの話では伺ったんですが、連携みたいな物。
例えば福留さんがこちらに戻られた時に監視されたという話があったんですが、その辺の監視体制はどうだったのか?という事がまず一点。

次にやはりよど号のご家族の問題を考えるのに社会党とかですね。
あの辺の責任といった物が出てくるのではと思いますので、チュチェ思想とかチュチェ研と関係のある社会党の国会議員とかの事をもしご存知であれば教えて頂きたいと思います。
その2点、よろしくお願い致します。

★野村旗守氏

チュチェ研に関しましては主にですね。
入り込んでいってるのはアカデミズムの分野だと思いますね。
先ほど言った労働者組織の他にアカデミズムの世界、特に大学教授あるいはそうそうたる法曹界のメンバーであるとか、そういったところのなんて言いますか。
非常に知的な人たちがなぜか知らないけれど、こういうわけの分かったような分からないような、学問なのか思想なのか良く分からない、それとも単なる根性論なのか良く分からないような思想に、なぜか日本のですね。
それこそ頭脳のトップに当たるような人たちが、なぜか先ほどの佐久川政一会長じゃないですけれども、そういったような人々がなぜか訳の分かったような分からないような、本当にこんな物が実現できるのか出来ないのか、所謂観念論というような思想にハマってしまうという、これ非常に面白い現象だなと思って。

今日は朝鮮総連とチュチェ研という関連を話してくれといわれて来て、先ほど言ったようにチュチェ研と朝鮮総連というのはそれぞれ役割が違う物ですからあまり接点は無いんですね。
というのはチュチェ研というのは北朝鮮に協力できる日本人を探す為のプールのような場所、これがチュチェ研であって。
朝鮮総連って言うのは北朝鮮の対日・対南活動、非公然活動に役立ちそうな人間をピックアップするプールのような役割をしている組織という事で、それぞれ在日の中からピックアップする組織、それから日本人の中からピックアップする組織という事で、それぞれ役割が違うのでこれ余り接点は無いんですけども。

それでも接点という事で言っていけばですね。
これ資金的にどうもこのチュチェ研を支援している資金というのは、どうも在日の中のある富豪、在日の中の資産家から資金が出ているようです。
というのは先ほど言ったチュチェ研総帥の尾上健一ですけれども、非常に潤沢な資金を持っておりまして、その白峰社という出版社を経営している他に、チュチェ研メンバーですね。
チュチェ研メンバー、だいたい40代から50代が主ですけども、この40代50代はチュチェ研のメンバー同士が結婚しているわけですが、それぞれ子供を作っていてその子供たちが通う保育園を経営し、更に池袋でスナックを経営していたりしまして。

それでこの尾上健一が住んでいるのが練馬区の光が丘のとあるマンションなんですけども、このマンション。
マンションのの名前今ちょっとすぐに思い出せないですけども、マンションの9階のワンフロアを全部使っているというような、大したお金持ちではあるんですね。
これが例えば白峰社の売り上げの中からそれだけの潤沢な資金が出てくるか?という事を考えていくと、とてもそれは考えられないわけであって、これはどこからかお金が出ているに違いないということが言われております。

と同時にこの日本におけるチュチェ研グループですけども、これがですね。
殆ど東京の豊島区の池袋あたりに固まってます。
先ほど言ったチュチェ研グループの例えば金日成主義研究会とか、あるいは自主の会であるとか、あるいは朝鮮女性と連帯をする会とか、そういったようなですね。
思想的なグループが池袋に固まっていて私がこのグループを、この白峰社も池袋にあるんですけど、これを一つ一つ訪ね歩いた事が実は前にあって、最初電話でアポを入れようとしたんですけどどこも相手にしてくれなかったもんですから、一軒一軒を、3つくらいの事務所がひとつのマンションに固まっていたのでそんなに難しい事じゃなかったんですけれども。

池袋のですね。
3ヵ所くらいかな?
マンションをアポなしで飛び込みで取材していって、コンコンとドアを叩いて尋ねて行ったことがありました。
それがもう2年か3年位前ですかね?
行ったんですけども、朝鮮総連の連中にいわせると「あのチュチェ研の連中は絶対におかしい」と。
「目付きが尋常では無い」と。
良く朝鮮総連怖いと日本人の方々大体思っていて、実際怖いところがあるんですけども、その朝鮮総連の連中が評して「あのチュチェ研の連中は絶対おかしいですよ、あれ。目付きが違いますよ、我々と」(笑い声)言うふうにいうくらいですから。

確かにですね。
あの絶対おかしいと私も思いました。
ドアをノックして出てきたときのその表情から何から、もうこちらを見る目から朝鮮総連なんかよりよっぽど怪しいと私思ったんですけども。
あの人たちが出てきてそれこそ詰問調でですね。
「何しに来たんだ、お前。一切答えられない」ということで、ガチャンとドアを荒々しく閉めると。

そういった事を3ヶ所4ヶ所と繰り返されまして、顔つきからしてどうしても健全な通常の、健常な人間の顔とは思えないですよね。
まるでオウムの信者のような、確かに新興宗教のような。
確かに朝鮮総連の人たちはそんな顔をしていません。
日本の中で非常に憎まれていますけども、そういうような顔はしていないですけども、宗教の信者のような顔はしていないけれども、あのチュチェ研の人たちの顔つきというのは非常に宗教がかった、ちょっと一種独特の顔つきですので、この人たちは余りお友達にならないように(笑い声)、余りお友達にならない方が良いんじゃないかと、私ちょっと一言アドバイスをさせて頂きます。

なんか質問の答えになったかどうか分からないですけど、(司会より「国会議員」の声)あ、国会議員ですか?
国会議員は、それこそ労組出身の例えば国会議員で言うと、チュチェ研に属している属していないという話になると難しいんですけども、一番言われているのがですね。
チュチェ研と社会党、特に結んでいたのではないか?と、黙される人物が、ここは講演会だから放送しちゃって、放送しないで下さいね。(笑い声)

あの○○○というですね。
元社会党の議員がいましたけど、もうあの人落選しましたよね?
○○○というのが、そのチュチェ研と社会党を結んでいた重要人物ではないか?という事で黙されておりまして、公安の中でもごく少数はそういうふうに疑っていた人たちもいたようですけども、実際捜査の手が伸びるということはなかったですね。
私が聞いている話に間違いがなければ、○○を特に個人的にマークしたという事は無いんですけども、これ例えば金丸訪朝の時とか、日朝交渉が重要な場面に差し掛かるとこの○○が裏でちょこちょこといろいろ画策していたというような話が漏れ伝わってきておりまして。
もう少しこの○○と朝鮮総連あるいはチュチェ研といったような物に対しての解明も進んで良いのではないかと思っております。
そんな事お前がやれといわれるかもしれませんけども、私もちょこちょこやってますので。
皆さんも機会があったら是非調べてください。

★司会 川添氏

確か○○は行方不明になってるんじゃないですか?
所在不明になっているという話を噂で・・・

★野村旗守氏

いや、僕はそれ聞いてはいません。

★司会 川添氏

何かそんな話を噂で聞いていると思いますけど。(会場より「最近また活動している」の声)
動いている?
ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※文中、野村氏の意向に配慮して人物名を伏字でご紹介しております。
悪しからずご了承ください。
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2006年06月24日

06.6.3 大沢茂樹さん 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(6)藤沢産業センターにて

『大沢茂樹さん(特定失踪者・大沢孝司さんの兄) 特定失踪者家族の紹介と訴え』

★大沢茂樹さん

ただ今ご紹介にあずかりました、私、特定失踪者・大沢孝司のすぐ上の兄で、大沢茂樹と申します。
本日は福留貴美子さんの拉致事件を考える会に参加させて頂きまして、本当にありがとうございます。
今日は私の他に3家族の特定失踪者の家族も見えておりますので、この機会に簡単にご紹介をさせて頂きたいと思いますので、ちょっと前の方へ出て来て下さい。(特定失踪者のご家族が登壇する)

Img_1660.jpg
(写真左より、寺島佐津子さんのご両親、高野美幸さん、大沢茂樹さん)

こちらにおられるご夫婦は昭和54年8月の10日、鎌倉市で花火大会があり、その銀行の親睦旅行を兼ねて花火大会に参加した後、戸塚駅でバスに乗り帰宅途中忽然として行方不明になった寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。

★寺島さんのお母様

よろしくお願いします。(ご両親がお二人揃って会釈をされる、会場より拍手)

氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19
身長 体重
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html


★大沢茂樹さん

私の隣にいる方は昭和51年7月の30日神津島で、大学の友人と遊びに行き、神津島の民宿で忽然と姿を消した高野さんの妹さんでございます。

★高野美幸さん

いつもお世話になっております。
神津島から行方不明になりました高野清文の妹、美幸になります。
藤沢の方は良くお話をさせて頂いていますので、今回はちょっとご挨拶だけという事でありますが、今日は私いつも母の作品をお持ちしておりますけれども、調査会の方で「しおかぜ」という短波放送をしておりまして、最近ですね。
北朝鮮側から妨害電波が入っておりまして、非常に放送の状況が大変な状況なっております。
6月の中旬より対策をとりまして放送の方を再開・再編成と言う事で放送をしていくことになっております。
そのしおかぜの方の支援を致しますサポーターグッズ、タオルとかストラップ・リストバンドなどを販売しておりますので、W杯も近い折、娘さん息子さんに紛れてそういうグッズを使って頂いても良いかと思います。
ご協力の方をよろしくお願い致します。(拍手)

氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html


★大沢茂樹さん

どうもありがとうございます。
もうお一方、昭和47年東京の渋谷区でクリーニング店に行くと行って出たまま、行方が分からなくなった生島孝子さんのご親戚のコイト(漢字表記不明)さんも見えておりますが、ちょっと席を立って後ろへ・・・(その場で立ち上がり会釈)
よろしくお願い致します。(拍手)
以上3名のご家族が本日の勉強会に参加させて頂きますので、よろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。(拍手)

生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html




簡単に御挨拶をさせて頂きます。
私の弟は昭和49年の2月の24日、新潟県の佐渡島で曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の拉致現場から、距離にして7〜8キロしか離れていない、天然記念物トキの保護センターのある新穂村と言うところで北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。
曽我さんたちの約2年半前の事件であります。
事件当日丁度日曜日で、一人で隣町の金井町と言う所に遊びに行きその帰り、単身で佐渡に渡っておりましたので夕飯を外食し、帰宅途中知人宅のタバコ屋に立ち寄り、そこまでは足取りがつかめておりますが、そのタバコ屋から一切消息が分からなくなっております。

事件当時、佐渡の両津警察さんの方から、大掛かりな捜索をしていただきましたが結局分からず、また失踪する理由も分かりませんでした。
私の家族は拉致の疑いが排除できず、約4年半前新潟県警の方に再調査を依頼致し、再調査をしていただいたところ「拉致の疑い間違いない」と言う新潟県警の異例中の異例の見解を頂く事ができました。

私の弟は今月の21日になりますと誕生日で満60歳で還暦を迎えます。
今から拉致されて32年になりますが、残りの人生の3分の1、何が何でもこの日本に戻し自由な国に過ごしてやりたいと思っております。
また私どもの親は、母親は弟が失踪してからその心労が元で昭和63年に他界いたしましたが、今年95歳になる父親はまだ健在でございます。
せめて父親が元気なうちに弟の再会を果たしてやりたく、私もこのような機会があれば出席させて頂き、このようにお訴えをさせて頂いております。
今の日本政府の拉致の取り組み状況は北朝鮮が悪いのか、日本政府の方が悪いのか分かりませんが、今硬直状態となっております。

先ほど松木薫さんのお姉さん、また荒木先生の方からもお話しがありましたが、横田めぐみさんまた松木薫さんの遺骨、また有本恵子さん等の診断と全て捏造であり、ばれました。
ところが北朝鮮は拉致はすでに解決済みと居直り、話し合いをする姿勢もありません。
このままでは拉致被害者は全て皆殺しになると思います。
私はこの拉致問題を一刻も早く解決するには、小泉さんから経済制裁の発動を一日も早く発動していただき、圧力で解決していかなければあの国とは話し合いでは解決できないものと思っております。

それには今の日本政府は皆様方の世論の後押しがなければ何もやってくれません。
どうかこの拉致問題が一刻も早くまた一日も早く解決するには、更なる皆様方の日本政府に対する圧力が必要と思っております。
更なるご支援とご協力をお願いし、甚だ簡単ではございますが私の挨拶とさせて頂きます。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)

大沢孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html
posted by ぴろん at 16:40| Comment(0) | TrackBack(2) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.6.3 斉藤文代さん 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(5)藤沢産業センターにて

『斉藤文代さん(松木薫さんの姉)の訴え』

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〜〜よど号グループに思うこと〜〜

皆様、今日は本当にありがとうございます。
松木薫の姉の斉藤文代です。
いつもこうしてお話を聞いて頂いて、本当に私いつも思うんですけれども、早くこのお話を聞いて頂かなくても皆様が喜んで頂ける、まぁ顔ですね。
私も見たいし私も見せたいし、早く解決しないかといつもいつも願っておりますけれども、中々これは難しい問題で全然私たちも前進致しませんけども、やる事だけは全部やらなければいけないという気持ちで、私も一生懸命やっております。

私の弟は8つ下で1980年に北朝鮮の方に、先ほど話されたよど号の妻たちによって拉致をされて連れて行かれました。
もう本当にもう少しで帰ってくると言う。
本当に私の父も今度こそは自分の息子と一緒に住めると、長い長い願いがあったんですけれども、本当にお酒もですね。
父はうちの弟と一緒に飲み交わしたいと言う事を常日頃聞いておりました。

ですから「学校を卒業したら俺は薫と一緒に飲みたいから、お前もたまには付き合ってくれよな」って言うような事は良く私も聞いておりましたので、本当にそれをさせて上げられない。
可哀想だなと思って、薫がいなくなりましてからは、私も少々は飲めますので父が寂しい顔をしているときには「お父ちゃん、今日は一杯飲もうか」と言って、私は女ですけれども弟の代わりは出来ませんけれど、父と一緒に飲むとですね。
とても喜んで私といろいろ話をして中々それを終わろうとしませんので、母から「女の子なんだから」と言う事で「やめなさい」と言われる事もありました。

私は時々しか帰りませんので、家の方にですね。
父と飲める事を楽しみにしておりましたけども、ただただ残念な事には父は私の耳には一切薫の事は話してくれませんでした。
やっぱり話をすれば父も辛いんでしょうし、私もこういう人間ですから考えが道がどこかに逸れる場合もあるんじゃないかと父は思って、いろんな事で父は私に苦しい思いを話してくれなかったと思います。
今になって思えば父は本当に私たちに苦労をかけまいと思って、自分ひとりで苦しい思いをして、そして平成2年に亡くなりましたけど、拉致問題と言うのは拉致された家族じゃないと本当に言い表せない苦しみと言うのがあるんですね。

今度父が亡くなりまして、今度は残された母がまた気の弱い人間ですので、今度は私に全部これが降りかかってどうしたら良いんだろうと、母はまた随分苦しんだと思います。
それで普通でしたらばまだ、今現在84歳ですから元気でなければいけないんですけども、やはりいろんな事を考えてますので、痴呆に入るのが本当に早かったと私思います。
ですから私に対してお話をするときにでも、ときどきあれ?っていう様な、全然関係の無いような言葉をいう時があるんです。
何でこんな事を言うんだろうな?って、そういう言い方はお母さんの言い方にハマらないな?と思いながらも、私も案外無頓着な物で気が付かない所があるもんですから、それが段々段々酷くなっていたのに気がつかないで、私も気が付いてあげればよかったんですけども。

本当に苦しんで苦しんで私が気が付いた時には本当にもう、母と私が会話がじっくり出来るような正常な状態でお話が出来るような所でなかったもんですから、今思えば本当に可哀想な事をしてしまったと思いまして、今病院の方に入院しておりますけども、精一杯私は出来る事をして上げなければと思って今病院の方で。
前はですね。
昔は薫の事をお話しませんでしたけど、今は薫の事も黙っているよりいろいろお話してあげた方が良いと思って、いろんなお話をしながら母に希望を持たせなければいけないという気持ちがありますので、もうすぐしたら帰ってくるとか話をいろいろとっかえましていろんな会話をしておりますが。

私が一番本当に今現在正直に望んでいますのは、母もそんなに長くはこの世にいられないんじゃないか?と言うことも思っておりますので、何としてでもやはりこの問題を解決しなければと思いまして、私も力不足で何もこう得意な物もありませんし、いつもいつも考えてどうしたらいいんだろう?どうしたらいいんだろう?と、いつも考えておりまして、この間ですね。
ここの救う会、神奈川の救う会の川添さんから、「ノルウェーの方に行くんだけれども斉藤さん行って見ませんか?」と言うお話がありまして、急遽でしたが私が何か出来れば行って私が何かやりたいと言う気持ちもあったものですから参加させて頂きました。

それでノルウェーの方で斎賀大使と話をさせて頂きまして、国際会議ですからスケジュールはキッチリと詰まっておるんで、私が出てお話をするという事はそれは到底時間的にも出来ませんでしたので、斎賀大使が朝早く時間を取ってくださいましてお話しする事は出来たんですね。
それで拉致問題のお話を私はずっと経過をお話しまして、「拉致された家族・特定失踪者・私たちの家族、もうみんな本当に苦しんでおります」と。
「高齢化しておりますので、なんとしてでも皆さん全員家族に会わせてあげたいと言う気持ちで私はノルウェーまでお願いに参りました」と。
それでノルウェーの力、欧州の方からですね。
声を広げて頂いて、北朝鮮と言う国を理解して頂いて、早く何らかの解決の道がひとつでもですね。
前進をするようにお願いをしたいと私申しましたらば、国際会議の場で斎賀大使は自分の持ち時間を割きまして、拉致問題に対してたくさんお話をしてくださいました。

私は英語は分かりませんけども、日本から来られた外務省の方が「今こういうようなお話をしております」と、送ってくださいましたので、今こういうお話をしているんだなって事で。
本当に私はそれを聞いていまして、あぁ長い間ずいぶんお話してくださったなと思いました。
「今度は人権の方に話が変ります」とかって言われたので時計の方を見てみましたら、20分くらいは、だいたい持ち時間は30分くらいでしたが、20分くらいは拉致問題に対してお話をしてくださいました。

その時は私は本当に来てよかったと、私は他の方に、いろんな国の方が来ていらっしゃいましたので、本当に拉致と言う事は人権問題でもありますし、早く解決しなければいけない問題です。
本当に日本の場合は長すぎるんですね。
この問題がですね。
だからもう斎賀大使とお話をしていましても、私の母だけでなくて、いろんなお母さんたちの顔が拉致家族のお母さんたちの顔が浮かんできます。
本当にこのお母さんは、このお母さんはと言うたびに、私は胸が詰まりまして。
でもそれを言わなければ本当に皆さんがそれを分かってくださらなければいけないことなので、私も本当に苦しい事ですけども斎賀大使に「なんとしてでも助けてください」と、早く解決する事を私は本当に願っておりますし。

私もこういう体型ですけどもいろんな病気がありますので、私も母と同様に同じように床に付くようになってはいけませんので元気なうちになんとしてでも解決して、家族がですね。
みんなタラップから降りてくる事を、一回目のタラップからは私たちの家族は降りてきませんでしたけども、2回目は絶対に全員が降りてきて、皆がよかったねと、本当にこれまで一生懸命やって良かったねといえる日が来るまで、皆で頑張ろうねっていつもいつも励ましあっております。
だからそれが実現するまではなんとしてでも皆様方にこういうお力を借りて、本当に一日でも早く北にいる皆が日の丸の旗を掲げた飛行機を待っている。
皆を助けると言う気持ちで、私も一生懸命やらせていただいております。

本当に私の家族も骨とか持たされました。
2度もですね。
でもその骨も他人の物と言う事で、ますます私は薫を救ってあげたいと言う気持ちで頑張っておりますので、どうか皆様方もこれからも温かく私たちの家族を、全員の家族を支援して頂いて見守って頂いて、一日でも早く全員が帰国できまして、皆で笑って良かった良かったといえる日が一日でも早く来ますように、どうぞ皆様これからも力を貸してください。
よろしくお願い致します。(拍手)
posted by ぴろん at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

06.6.3 荒木和博氏 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(4)藤沢産業センターにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表 講演』

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〜〜福留貴美子さん拉致事件の本質〜〜

ご紹介を頂きました荒木でございます。
今日はお忙しい中こんなにたくさんの皆さんお集まり頂きまして、本当にありがとうございます。

今、野村さんの話を聞いていてですね。
映画の話が出ましたんで、ふと思い出したんですが、私も実はその北朝鮮の映画を一回見に行った事がございます。
ずいぶん昔ですが、学生時代だったかな?渋谷にですね。
北朝鮮の映画を上映する映画館と言うのがあったんです。
確か、入場無料だったか千円くらい取ったか忘れちゃいましたけど、見に行きまして、観客私一人でした。(笑い声)
やってた映画はですね。
今でも覚えているんですが、「高圧線」と言う映画で、要は電気の技師がですね。
朝鮮戦争のときに米軍の爆撃から高圧線を守るためにですね。
その活動について描いた映画でございまして、これ、中々良く出来てですね。
正直言って私泣いてしまったという(笑い声)感動的な映画でありました。
で、私には幸いにしてその後お声はかからなかったんですけども、まぁそういうふうにして声の掛かった方はおそらくいたんだろうなと。

それからもうひとつ、これはまだ私が民社党の本部に勤めていたころですが、私の通勤経路がですね。
丁度歌舞伎町が通勤経路になっていまして、で、あるときですね。
もうだから20年位前かな?
仕事が比較的早く終わってですね。
ふらふらっと歌舞伎町の中を歩いていましたならば、こういう名前の看板がありまして、(後ろのホワイトボードに平仮名で「まだん」と板書する)これ韓国語がお分かりの方ならご存知と思いますが、広場と言う意味の韓国語です。
当時は今みたいな韓流ブームでも何でもなかったものですのでね。
こんな看板なんか殆ど見た事がなかったので、ふらふらっと入っていきました。
スナックでございました。

カウンターで飲みながらですね。
話をしてて、何でそうなったのか?今になるとよく思い出せないんですけども、マスターがですね。
おもむろに名刺を出してきました。
その名刺になんて書いてあったかと申しますと、(ホワイトボードに「統一革命党日本代表」と板書)「統一革命党日本代表」というこれは北朝鮮の工作機関ですが、この文章が突然出てきたもんですでね。
おそらく一体なんで入ったか?と言う話になって、韓国のこととかやっているという話をしたからじゃないか?と思うんですが、さすがに私もビックリしましてですね。
しかしまぁ、相手がそれを出して来たんだから、こっちも名乗らないわけにはいかないと思って、「いや俺は民社党本部の人間だ」という事を言って(笑い声)申しました。

そしたらそこに、これは名刺を出したのはマスターなんですけども、ママさんがいましてですね。
その人がいろいろ良くしてくれまして、それから数回行ったんですが、後で聞いたらこのママさんが、マスターは余りたいした問題じゃなくて、この人が大物の工作員と言うかエージェントだったという事が後に分かりました。
で、ふと今から考えてみるともしですね。
あの時、酒の中に薬でも入れられたらですね。(笑い声)
それでおしまいですね。
私だから、仕事終わって一人でふらっと帰ったわけであって、職場の同僚ももちろん分からないと。
で、家族ももちろん知らないと、いう所でですね。
入った飲み屋でそこで飲まされて、後はどこかへ行っちゃったという事であればですね。
誰も気が付かない事である。

その後私もですね。
性懲りもなく何回もその店へ行ったもんでですね。
そうすると今度はもし例えばそこの店に行ったという事が分かったとすると、今度はいやあいつはおそらく北朝鮮の事が好きになって自分で行ったんじゃないか?というふうにですね。
なってしまった可能性も、これも当然ある、と言う事でございます。

で、この名刺なんか出したのはたいした事無いんですが、そこのママさんがやはり大物でですね。
大物だっただけに結構ちゃんとした人でですね。
その後、もう亡くなったと聞いていますけども、いろいろとお付き合いと言うわけじゃないですけど、店には行ったりしたという事がございました。

で、今日は焦点となっていますのは福留貴美子さんの事で、先ほど川添さんのお話の中に、警察がどういうふうに認識をしているか?と言うことについてのお話がありました。
これはですね。
この中にもおそらく神奈川県警の方なんかおられるのかな?
まぁ警察の認識としては、さっき川添さんが言ったように自分で行ったと。
そして逃げられたのに逃げなかったと、いう事でこれは拉致だと認めていないという事、ですね。

この2月の日朝の実務者協議のときに、福留さんの名前を出していると言うのは、これは実は警察に相談しないで外務省がやった話です。
だから外務省はですね。
警察からの追求を避けるために三十数名と言う言い方をしています。
実際は1000番台リスト34名に、小住さんと福留さんを入れて36名なんですが、これを三十数名というようにぼかしているのは、この福留貴美子さんとそれから警察が死んだと言うことにしている山本美保さんの二人が入っているから、と言う事でございます。

この福留さんの事件と言うのは、非常にある意味でいうと象徴的な事件でありまして、一体拉致の本質は何か?と言う事を考える上でですね。
それは非常に重要な事件です。
と言いますのは、拉致と言うとやはりですね。
海岸を歩いていたらば無理矢理捕まえられて、そして袋に詰め込まれて船に乗せられたと、いう事でですね。
連れて行かれたというふうに思われるイメージが非常に強いと。
しかし、実際にはですね。
そういうケースはそれほど多くはない、と思います。

今日は家族会の増元事務局長がお見えですけども、増元るみ子さんなんかの場合はですね。
やはり市川さんとデートに行ってる時にやられたと言う事で、その可能性が一番近い人ですけども、しかしその増元さん・市川さんのケースでも市川さんは電電公社の社員でしたが、電電公社とか電話の関係者でいなくなってる方が多い事を考えますとね。
その場で行き当たりばったりではなかった可能性と言うのも存在をする。

一番可能性として高いのは横田めぐみさんですとか、おそらく横田さんの場合でも全くたまたま出会いがしらと言うのではなくて、若い女性を連れてくるという指示があって待ち構えていて網に引っかかったと言う事は最低限あるんでしょうが、そこから段々段々ですね。
グレーゾーンに向かっていくんですね。

一番のグレーゾーンと言うのはやはり自分で北朝鮮が好きになって入ったと。
しかし戻れなくなったと、いうことです。
これはある意味ではよど号の妻たちでもそうです。
よど号の妻たちでも彼女たちは大部分は北朝鮮にですね。
もちろん自分の意思では行ってますけど、まさか向こうでよど号グループと結婚させられるとは想像していない。
で、行ってみたら無理矢理くっつけられたと。

これもいろんな話があるんですが、どうもですね。
相当無茶な事をされた・相当酷い事をされたらしいと言う話も私聞いております。
そういう中でも他に選択がなくなって結婚をしたと。
で、しかし結果的にはですね。
本人たちがその気になったから、あれは拉致ではないということなんですが、彼女たちだってもし向こうに行ってからですね。
「こんなはずじゃなかった」と「私たち帰る」と言ったら間違いなく拉致になります。

福留さんはやはりそこに近いグレーゾーン、だと思いますね。
自分の意思で北朝鮮に入った事は、まぁ間違いが無い。
そういった意味では有本恵子さんとか、松木さん、石岡さんなんかと同じケースになります。
しかし、そこでず〜っと暮らす事になるとはおそらく思っていなかった、いう事でですね。
拉致と言うのはそこまで全部ひっくるめないと、いけない。

そうすると更に言えばですね。
この自分の意思で入ってそして出られなくなった拉致と言うのはですね。
もうほとんど境界線の無いくらいの先には、今度は帰国運動があるんですね。
帰国運動で、確かにそれは自分達で決めて北朝鮮に行ったと。
しかし、すぐにですね。
帰国運動の時は1年か2年したらば里帰りできると思って行ったらば、全く出られなくなってしまったと、いうようなことがある。
これは殆ど境目が無いに近いぐらいの状態でその向こう側にはこれがある。
ず〜っと、これグレーゾーンなんです。

この間に更に今はほとんど問題になっていませんが、在日朝鮮人の拉致被害者と言うのがやはりいます。
このケースもですね。
やはり、例えば工作船なんかを使って不法に出国したと言う可能性はある。
しかし本人たちは戻ってくるつもりだったのが戻れなくなったとかですね。
そういうケースが相当ある。

だから拉致と言うのはですね。
バシッとですね。
ここでもうこれは拉致です、これは違いますというふうに割り切れる物ではなくて、凄くですね。
非常に複雑だと、いうことです。
それを是非考えておいて頂きたい。

それから福留さんのケースでやはり日本に戻って来たと、これが警察が拉致を認定しないひとつの大きな理由なんですが、これは先ほど川添さんが言ったように、子供たちを残して来ているという事でですね。
無茶な事は出来ないと。
尚且つ、例えば警察に駆け込んだところでですね。
警察がその時相手にしてくれたかどうか?と言う事も疑わしい、と言うことであります。

レバノン人の拉致被害者ですね。
彼女たちも、北朝鮮の当局はベオグラードに出す時に、「お前たち、もし逃げ込んだってレバノンの大使館にだって俺たちの仲間はいるんだぞ」と言うような事を言っていたと、言う事でですね。
当然「警察にだって仲間はいるんだ」とか言ってたでしょうし、そうするとそこでですね。
勇気を出してそういうことが出来るか?と。
ひとつ間違えたらば、自分の命が無いかもしれないと、言う事があったということでありまして、これも重要な問題として、考えておかなければいけないわけです。

向こうに行ったというのは、基本的には向こうが何か使おうと思ってるわけですから、当然何かしらの工作活動に従事している可能性は十分あります。
だって例えばですね。
今帰っている蓮池薫さんなんかにしたって、全然喋らないですよね?
喋らないどころか彼が出してくる情報の中には、どう考えてもですね。
何らかの目的を持って出しているとしか考えられない情報が決して少なくは無い、わけであります。

こういう事が彼の耳に入ると彼は相当敏感になるんだそうですけども、この間金英男さんのご家族が行って会ったときも、金英男さんのご家族は今まで聞いていた事だけだったと非常に失望されたと言う事だそうですが、実際おそらくそうなんだろうと言うふうに思います。
今でも例えば地村さんなんかは毎日のように柏崎に電話して指示を仰いでいるという話であって、蓮池薫がコントロールタワーをやっているだろうと言う事は、もうみんな公然の秘密みたいな物でありまして、誰も言わない。
ある意味で言うと子供たちが帰ってきたら喋るんじゃないか?と思っていた私たち自身の期待も裏切られて、そして子供たちが帰ってきたら尚の事喋らなくなってしまったと、言うのが残念ながらその事実であろうと言うふうに思います。

かといってじゃあ、彼らをですね。
全面的に非難できるか?と、今喋ってくれない事については私は様々な思いがありますけども、しかしですね。
彼らが喋らないのは、ただ単に北朝鮮に対して忠誠心を持っているから喋らないと、いうことではやはり無いと思います。
ある意味で言うとドメスティック・バイオレンスみたいなものでですね。
恐怖感からは絶対に抜けられないと。

彼らのところに書いた手紙では、私は「戦ってくれなければ絶対にその恐怖感からは逃げられませんよ」と言う事を書いたりしたことがあるんですが、そういう事を書いたら何か脅迫状が来たとか言う事をですね。
言われてしまっていますので、まぁ相当嫌われているんでしょうけども、しかし現実問題としてはやはり彼らの恐怖をですね。
つかさどっているあの体制が潰れない限りは、どうやってもですね。
彼らがその恐怖感から逃げる事はできません。
だからそういう意味では、彼らが今やってることについて、100%の非難は出来ないと。
もちろん喋ってもらわなければいけませんし、もっと無理をしてでも喋らせなきゃいけないと私は思いますが、そういうことはある。

だから拉致被害者が何となくイメージとして、無理矢理つれて行かれて、何とか日本に帰りたいと思ってですね。
ただじっとしていると言うふうに思うイメージを思い描いていると、後でおそらくそれと現実のギャップがですね。
相当違った物が見えてくると。
その時に我々騙されたとか言う事をですね。
なってしまうと、これは拙いです。

そうじゃなくて、ああいう国の中にいるんですから、当然そういうことをさせられたと言う事はあるわけで。
それが例え半分くらい本気で彼らがやっていたとしても、それをですね。
最終的に我々は全て悪事を働いていたと言うような見方をする事は出来ないであろうと、言うふうに思うわけでありまして、その点をどうかご理解を頂きたいと思います。
福留さんの事件はまさに、そういう事件のひとつの象徴であります。

で、特に彼女の場合はですね。
私も救う会の事務局長をやっていた時代から彼女の事には関わっておりまして、高沢皓司さんと一緒に高知に行ってですね。
お母さんご存命のうちに2度お会いした事があります。
あのお母さんはですね。
前に日比谷の全国集会に一回来ていただいた事がありますが、本当に見かけは田舎のおばあちゃんですけども、物凄い記憶力の良い人で、凄い頭の良い人だなぁと、私よりよっぽど良く物を覚えている人でありました。

お母さんの言った事で非常に印象に残っているのは、あの時よど号グループの関係者が何とかしてその孫をですね。
貴美子さんの娘さんたちの事で結びつきを持って、そして福留貴美子さんの死亡届を出させようとしていたと。
その時に、お母さんが言ってたのは「私が骨で、そして貴美子は肉なんだ」と「そして孫たちは皮である」と。
「皮と骨は直接繋がらないで必ず間に肉がなければいけないので、貴美子の事が分からないのであれば、それは分かるまでやらなければ、そこで妥協すると言う事はできない」と言う事を言っておられました。

そういうお母さんですから、かなりしっかりしていたという事もあり、相手側もですね。
相手側と言うかよど号グループの関係者、この中にも誰かしらいるんでしょうけども、相当神経を使ってました。
ひとつ前に言われてびっくりしたのは、ご存命のときにですね。
福留さんのお母さんが一回ですね。
何か目の病気で隣町の病院に数日間入院した事がある。
数日で帰ってくるんで近所の誰にも言わなかったと。

で、郵便局にだけ「手紙をちょっと止めて置いてください」とか何とか言ってたらしいんですが、そして帰ってきてからしばらくしてからですね。
北朝鮮のよど号グループから、その病院気付でですね。
お母さん宛に手紙が届いたという話をしてました。
ですからどこでどういう事をしているのか?と言うのをですね。
チェックしている人間がいるんだなぁということが分かったわけで、あんな本当に田舎なんですけども、そこでもそういう事をやっていたという事であります。
だからこそ、そういう一応ネットワークがあるから、そう簡単に帰国したからと言ってそこでパッと逃げ出せるということでは無いと言う事をご理解を頂きたいと思います。

政府が認定しています11件16人というのはですね。
これ結局、我々も古川了子さんの訴訟で認定の基準の問題なんかをやってるんですが、要はですね。
認定の基準なんか何も無いんです。
たまたまマスコミが騒いだとかですね。
それから工作員が捕まって自白したとか、そういう事でやってるだけで、それ以外の物は無いと。
そこに一生懸命ですね。
屁理屈を付けて、認定の基準はこうだとかああだというような事を言うから、返って話がおかしくなる。

所謂その警察の捜査のやり方でですね。
そして認定できる人間なんてそんなにおそらくいないだろうと、言うふうに思います。
しかし問題は、じゃあ警察の判断で認定できる人間がいないから、じゃあみんなそのままで良いのか?と。
あいつは自分の意思で行ったんだよと言うことだけでですね。
済ましてしまえるのか?と。

非常に不謹慎ながら、私は時々例えで使うんですけども、「踊る大走査線」でですね。
青島刑事が公安の刑事だったとしてですね。
人がいなくなる失踪事件を追っかけると。
で、「いやあの人は拉致されたことに間違いがありませんよ」と言ったらですね。
所長と副所長と課長がですね。
「いや青島君、あの人は自分でいなくなったんだからね。拉致じゃないから、自分でいなくなったよ」と言う風にして終わりにしてしまうと言うようなパターンがあるのではないだろうか?と。

ですから最終的には田中実さんの事件とか、原敕晁さんの事件とかもそうですが、ああいって身寄りの無い人を狙ったケースについては、ご家族が名乗り出る事も何も無いわけなので、結局全ての人たちを返してくるためにはやはり今の体制を変えてしまってですね。
そしてみんな自由に出て来れる様にすると言う所に持っていく以外に方法は無いと。
これは他の北朝鮮の人権問題の解決なんかも結局そこに辿り着いてしまうんで、そこに行くしかないわけですが、そこを警察的に刑事事件として捉えるということであれば、逆に上手く行かないであろうと言うのが私の考え方でございます。

先ほど野村さんが言われたチュチェ研の動きとか、そういう事はですね。
これは全部止めるなんて事は絶対出来ません。
どんな国だって、自分の国が生き残る為に工作活動っていうのは必ずやります。
アメリカだってもちろん日本に対してやってますし、イギリスだってやってると。
中国も韓国ももちろん皆やってるわけでありまして、それは同盟国・友好国とか関係ありません。
生きるためには当然そういうことはしなければいけないわけでありまして、日本だってですね。
極めてお粗末ではありますけども、やって無い事は無いわけであります。

戦前はかなりですね。
それこそ満鉄の調査部とかあんなのを含めて考えれば、膨大な情報機関を持ってやってきたわけで、これは国家として生き残る為に当然です。
ですからどういう世界になろうと、そういう物をですね。
全部なくす事はできないんで、ですからそれはカウンター・インテリジェンスでですね。
抑える努力をしながら、そしてこちらからも送り込んでですね。
そして情報を取ると。

場合によったら、アメリカほど荒っぽい事をやらなくてもですね。
政権の転覆を図るような事くらいまで、やんないとですね。
攻撃は最大の防御と言うやつで、専守防衛でいくらやったってこの国を守る事なんか絶対に出来るはずなんか無い、と言うことであります。

そういう意味で福留さんの事件を我々本気になって取り返すことが出来るかどうか?と言う事が、ある意味で言うとこの拉致問題での認識をですね。
どういうふうにしていくのか?と言う重要な問題に絡んでくると言う事でございまして、どうかその点をですね。
ご理解を頂きたいと思うわけでございます。

もちろんそれだけは言っておきますが、かつてですね。
金子だったかな?
誰かが日本との電話の中で、「福留さんのお骨は実は今私の横にあるのよ」と言うような話を言ったと言う事を、私聞いたことがございます。
それが本当であればそのお骨を持って来れるはずですよね?
それでもちろんそれを鑑定することも出来る。
いまだにそれは出てきていないと。
と言う事はこれは間違いない事実だと言うことでありまして、松木さんの骨だってもし本当に亡くなっているのであれば、当然その遺骨が出てくるわけですが、わざわざ2回も偽物を掴ませてくるという事がどう言う意味が在るのか?と言う事は皆さんお分かりだろうというふうに思います。

まぁ以上ですね。
私申し上げましたが、拉致問題の解決と言うのはやはり幅広く見ていただく必要があるという事で、ご理解を頂きたいと言う事でございます。
ありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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