2006年06月18日

06.6.3 川添友幸神奈川救う会会長 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(1)藤沢産業センターにて

「福留貴美子さん拉致事件を考える集い」 06.6.3 藤沢産業センターにて

『川添友幸 神奈川救う会会長 講演』

〜〜福留貴美子さん拉致事件とは?〜〜

Img_1626.jpg

本日はご参加頂きありがとうございました。
最初ですね。
この会は学習会みたいなのを考えていたんですが、こんなに人が集まって頂いてですね。
非常に私も嬉しい限りです。
今日は福留問題といって、まだ殆ど皆さんご存じない拉致問題・拉致事件だと思いますので、ご理解頂ければ良いと思いますし、更にこれがかなり福留問題と言うのは拉致事件の中で重要な事件。
他の拉致事件とは違った次元で重要な事件ですので、是非ご理解を頂ければと私たちも思っています。

そうしましたらまず、私が作りました「福留貴美子さんについて」と題したチラシを出してください。
だいたいこのチラシに添ってですね。
話をしていこうと思いますので御覧になってください。

福留貴美子さんですね。
この方、1952年1月1日に高知県の方でお生まれになりまして、1970年に高知県の高校を卒業し、大阪万博の方のですね。
警備員をされていました。
その後ですね。
上京しまして、アルバイトをしながら専門学校に通って保育士の資格を取りました。
その後、その頃ですね。
高校の頃からなんですが、モンゴルに行きたいという事を非常に熱望していました。
このモンゴルに行きたいというのはですね。
お父様が太平洋戦争のときに、満州の方におられたという事でモンゴルに行きたかったという事がどうもあったと、そういう話が関連しているのではないかと伺いました。

次、拉致事件の経緯なんですが、当時モンゴルはですね。
私もモンゴル大使館の方に確認をしたんですが、共産圏と言う事で殆ど一般の人が個人で旅行する事は出来なかったそうです。
しかしですね。
1976年の7月18日に、急にモンゴルへ行くといって直前にパスポートを取りまして、羽田を出国しました。
この後ですね。
全く所在がつかめなくなってしまいまして、1979年の8月に東ベルリン、昔ベルリンの壁ありましたね?
東ベルリン、共産圏の方ですね。
共産圏の東ベルリンの消印の手紙が、高知県の実家の方に届きました。

で、この手紙の中でですね。
福留さんが、ある共産圏の国にいる事と、もう少し海外に滞在しなければいけない事、生活には困っていないという事。
で、この後がちょっと重要なんですが、いとこの結婚式を祝う事が出来なかったので宜しく伝えて欲しいと書いてあったと。
ここで非常に重要なのはですね。
殆ど実家とは音信普通にも拘らず、何故いとこの結婚式を知っていたのか?と。
どうも福留さんの身の回りにですね。
北朝鮮と繋がっている人間がいた、あるいはよど号グループといた、と言うふうに考えるのが自然ではないか?と思われます。

その後ですね。
今度これも非常に奇妙な話なんですが、1980年3月11日に突然福留さんが、これは横浜に住まわれている方なんですが、同級生の家に突然現れまして2〜3日間その家に滞在しましていろいろな話をしていたと。
このとき滞在した友人にですね。
これから高知の実家に戻るんだと言うふうな事を言ったそうですが、実家に戻る事はなく、また姿を消してしまいます。
この後同年6月にですね。
日本を再度出国したと言う記録が出て来ていますが、この記録自体が本当に正しいのかどうか?
あるいは別の方が出国したのか分かりませんし、確認は取れていません。

ここでちょっと注意しないといけないのは、ここでもうこの時にですね。
子供が二人お生まれになって、本当に日本に戻ってくるのであれば、子供たちを北朝鮮から連れて戻ってきますので、子供が一緒でなかったという事が非常におかしな事と言わざるを得ない所です。

さてですね。
拉致事件として実際如何に表に出たか?と言う事をちょっと見ますと、実はちょっと福留さんの話とはズレるんですが、よど号グループのメンバーの岡本武がですね。
テルアビブ・ロッド空港乱射事件、岡本公三のお兄さんに当たる方なんですが、岡本武がですね。
ずっと結婚相手が北朝鮮の方だと言われて来たそうです。

しかし、ジャーナリストの高沢皓司さんが1995年春に北朝鮮で田宮高麿とですね。
もう亡くなられました田宮高麿とインタビューした時に、岡本武は日本人と結婚している。
二人子供をもうけていると。
岡本武と結婚した日本人女性は、高知県の出身である事・東京に住んでいる事・剣道大会に出席した事がある事などを田宮が語ったと。
結婚の時に田宮が、岡本夫妻が今生存している。
今自分の手元から離れているが、どこか別の所で暮らしていますよ、と言う言い方をしていたと言う事を前提で話しました。

で、その後ですね。
高沢氏と朝日新聞などが調べましてですね。
高知県の、当時警察は実は把握してなかったそうですが、高知県の方でいなくなった福留貴美子さんと一致しているとして、96年の8月7日、朝日新聞の社会面に衝撃的な記事が踊りました。
この報道の直後から、急に国内にいるよど号グループの支援グループが動き始めまして、今度中日新聞に共同通信配信で、中日新聞が記事を書いたんですが、「よど号の岡本武容疑者の妻/8年前に死亡?」
96年ですから、88年に事故で亡くなっているということを、共同通信、これ北京の共同電ということで、これ、間違いなくよど号グループからのリークがあったと我々見ていますが、リークがあり、それを報道しました。

事件の概要ですと、88年に北朝鮮から岡本と福留さんが土砂崩れで死亡したという通知があったと。
(よど号グループの)支援者が高知の、福留さんのお母さんがおられまして、お母様の方に実はお話をしに来たということだそうです。
その後、お母様に対して、北朝鮮に来てですね。
遺骨を取りに来てくれとか、死亡届を出してくれとかですね。
そういうことをずっと連絡をしました。

お母様の方はですね。
1996年11月25日に、代理人を通してですね。
亡くなったという事は了解できないと。
全く死亡の経緯なども明らかでないので、と言う事で質問書を出しました。
しかしその質問書に対しても、田宮高麿が亡くなってしまいましたので、小西(隆裕)がですね。
第三者を介在させたくないので直接お母さんと話をしたい、と言う回答が1997年11月15日であり、そのあと電話がですね。
平壌から何度もかかって来たと。
その時に、貴美子さんの死亡届をお母さんに出して欲しいと、言うような事を言われました。

ここでひとつ、私思うのはこのチラシには書いて無いんですが、横田めぐみさんが亡くなられたときにですね。
しきりに北朝鮮側はですね。
来てくださいと促したりとか、今は金英男さんのお母さんに対して北朝鮮が韓国政府に来てくれと言う事をしきりに言うのと何か似ているなぁと思います。
これがまた向こうの多分やり方なのではないでしょうか?と思います。

実はその後ですね。
お母様が救う会の方に入られまして、家族会の方と一緒に行動されたんですが、2002年の1月の12日にご病気で亡くなられてしまいました。
実は(福留貴美子さんの)娘さんたち二人がですね。
2003年、2004年にですね。
帰国しました。
他のよど号のメンバーと帰国してですね。
現在関西の方で、他のメンバーたちと一緒に暮らしているそうです。

私自身ですね。
おととしの暮れのよど号の裁判の時に実はお会いしました。
まだ高知の方に若干親戚の方が残っていまして、そちらの方に時たま姿を現しているという噂を風の便りに私も伺ったという感じですね。

次にちょっと裏面の方のお話をします。
行政の認識と言う事をちょっとお話したいと思うんですが、行政が、政府や警察が如何に動かれたか?と言う事の流れなんですが、福留さんの拉致事件はですね。
発生当初から存在を感知していたとは感じられない。
これはどういうことかと申し上げますと、横田めぐみさんの拉致事件とかですね。
今日も来られています、増元(照明)さんの増元るみ子さんの拉致事件なんかと言うのは、ある程度起きた当時から拉致じゃないか?と言う事は分かっていたらしいんですね。

工作船の動きだとかですね。
そういう事で分かっていたんですが、福留さんの件に関してはですね。
存在を確認できた様子が感じられない。
どうも96年の朝日新聞の報道を受けてですね。
事件を認知したようで、警察の捜査でもですね。
旅券の更新手続きや足取り等の方もかなりつかめているようである。
国会で実は何回か福留さん問題になっていまして、国会の答弁を2回くらい見ておりましても、警察庁としては拉致にいたる判断をしていないと答弁していたんです。

しかしこれ、私間違えました、2005年なんです、2004年ではなくて去年なんですが、去年の10月11日にですね。
東京地裁でよど号関係者の民事訴訟と書いてあるんですが、簡単に申し上げますと帰国した娘さんたちのですね。
成田空港でカバンの所持品検査を警察で受けたんですね。
それに関して裁判を起こしまして損害賠償請求、その公判のなかで警視庁公安一課の幹部が、「救う会が認定している福留貴美子さんは、警察としては拉致被害者として考えていない」というような判断を致しました。

それに対してですね。
こちらの資料を御覧になっていただきたいんですが、救う会全国協議会ニュース。
ここの救う会全国協議会ニュースでですね。
私11日の日にこれすぐ情報入りまして、救う会の西岡副会長とちょっとご相談してですね。
すぐ反論を出した方が良いと言うことで、私の名前で反論を出しました。

それでですね。
端的な反論から申し上げますと、公安一課長がですね。
公安一課の幹部なんですね。
福留さんが日本に一時帰国している時に友人宅などに泊まったりなどしており、逃げる機会はあったと。
在外公館に自ら旅券更新をしていたので拉致ではないと言うような事を根拠に拉致では無いと言っているわけですが、まず私が思うにですね。
北に入った時点で洗脳されている可能性も高いですし、最大の問題は子供さん二人をですね。
北朝鮮側に人質として取られている状況で、例えば今ですね。
拉致被害者の方が、どこかの大使館に逃げ込めばこれは保護してくれると思いますが、80年代にこれをやってもただ頭のおかしい人と言う事で処理されてしまったと思うので、やはり難しいのではないかと。
これはおかしいのではないかと言う事で、反論を出しました。

あえてもう一点ここで私のコメントとして言わせて頂くと、連れて行かれた経緯がですね。
騙されて連れて行かれたとしても帰ってこれなければ、それは拉致なんですね。
寺越さんとか、例えば有本さんにしても同じだと思うんですが、騙されて例え自分の意思で行ったとしてもですね。
これは拉致なんではないか?と思います。
この辺は荒木先生に細かくお話をして頂こうと思っておりますので。

その後ですね。
このよど号訴訟の証言が出た後ですね。
今年の2月に北京で開催された日朝の実務者協議でですね。
外務省が36人の安否確認、これは政府が認定しています11人以外に、特定失踪者、所謂1000番台、今日来られていますが大沢さんのケースなんかを含めました1000番台の人間プラス、小住健蔵さんと福留貴美子さんの安否確認を行いました。
実はこれまでですね。
日本政府は福留さんの安否確認を言う事を北朝鮮側に行っていなかったんですが、そういうわけかここで安否確認を行った。
ということで、これも警察の判断とはちょっと違う判断で、どういうことかな?というふうに思います。

今後の問題点なんですが、福留さんの拉致事件の真相究明、特にどういうルートで連れて行かれたとか、実際殆ど分かっていません。
帰国も非常に重要であると私思っています。
しかしですね。
私、近頃最大の問題と思っていますのは、娘さん二人がですね。
22と27で、実は帰国して、関西の方にいらっしゃいます。
彼女たちの意思でですね。
そこに戻るならそれは良いと僕は思うんですが、生まれてからずっとよど号のグループと一緒にいる、ある意味監視下、北朝鮮の状況下にいる中で、これもやはりある意味拉致ではないかと私思うので、娘さんに対して早期に何らかの対応を取れないかと思うので、いろんな方と相談して何らかの対応を取れないかと言う事を考えております。

まとめとしてですね。
この福留問題と言うのは難しいと思いますし、救う会の中でも今までずっと店晒しと言うんでしょうか。
そういう面もあったかも知れませんが、今全国の救う会と併せてですね。
この問題を顕著化していこうと思っていますので、皆様のご協力とご関心の方をよろしくお願いします。
以上です。
ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考リンク

★救う会全国協議会ニュース(2005・10・15)
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200510/20051015.htm


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2006年01月17日

第13回藤沢集会(15)06.1.7 藤沢産業センターにて

『川添友幸 救う会神奈川会長 閉会の辞』

今日は本当に長時間、ありがとうございました。
私たちもこれから2月のよど号の帰国という事に向けて、19日に警察の方に要請に行こうかと言う話も出ております。
ともかく実行犯が帰ってくると言う事をこれは絶対に許しちゃいけないですし。
今二つの実行犯と言うこと。
辛光洙の問題とこのよど号の帰国と二つ、動き始めてます。
ぜひですね。
皆様の今後の監視の方をよろしくお願いします。

次回の講演会のお話なんですが、次回会場がちょっと変わりまして、日時が4月16日。
会場が横浜の開港記念館です。
こちら、なぜか開港記念館にするかと申しますと、昨年の4月横田さんをこちらにお呼びしたときにですね。
会場が一杯になってしまって、急遽向こうを借りたりしてやった事もありました。
それでやはりもっとちゃんとした会場を取った方が良いんじゃないかという事になりまして。
講演会自体を「横田めぐみさん等の拉致被害者を救出するぞ!北朝鮮による拉致・人権問題を考える神奈川県民集会」と、ちょっと県の単位でですね。
今神奈川県や横浜市の応援をお願いしながらですね。
ちょっと大きい集会を企画しています。

ですので、4月16日は横浜の開港記念館の方で。
横田滋さんの方が今ちょっと体調不良で療養中と言う事もありまして、どうかな?と思ってるんですが。
先日早紀江さんとお話した感じでは、近くですので参加すると言うような感じで言っておられました。
また今後情勢が動くかもしれませんが、そういう状況を考えています。

あと特定失踪者調査会からは杉野さん。
今お話いただいた野口さんの北朝鮮難民基金の事務局長であります、加藤博さん。
以前私たちの会でお呼びしました韓国の拉致家族会の崔祐英さん。
あと、特定失踪者家族の森本美砂さんをお呼びしようと思っています。
弁護士会の木村晋介さん、テレビ等に出られている。
も、ご快諾を頂きましたので、この問題大きい集会をやろうと思っています。

で、こちらの会場についてはまた7月に企画を、先の話なんですが考えてまして脱北者の方をお呼びして。
去年脱北者の方をお呼びしたような、また脱北者の方をお呼びしたいなと考えております。
何とかそれまでにですね。
何らかの形で解決なり何なりの方向とかになって頂ければ良いと思うんですが、非常に難しい情勢かもしれませんが、皆様の協力だけが頼りだと思いますので、ご協力の方よろしくお願いいたします。

あと本当に情けない話なんですが、私どもいつも会場の方ですね。
これカンパでやっておりますので、また皆様のご好意がありましたなら、その辺の事もよろしくお願いします。
本日は本当に長い時間、ありがとうございました。
また映画会もありますので、この後ご協力の方、よろしくお願いします。(拍手)

・・・集会終了後、「ソウル・トレイン」の上映会があって、全ての予定が終了・・・

★救う会神奈川
http://www.geocities.jp/sukuukai/
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第13回藤沢集会(14)06.1.7 藤沢産業センターにて

『野口孝行さんのお話(北朝鮮難民救援基金)』

※脱北者の問題を扱ったドキュメント・フィルム「ソウル・トレイン」の上映会の説明

みなさんこんにちは。
北朝鮮難民救援基金の野口と申します。
前回もお時間を頂きましてトライをしたんですけども、不備がございまして最後まで上映する事ができませんでした。
今回もですね、機会を頂いたのでまた上映をしたいと思います。

簡単にですね、この映画の説明をしたいんですが、アメリカ人のジム・バトワーズ(Jim Butterworth)さんと言う方が、ある集会でたまたま北朝鮮の脱北者の問題に触れまして。
それまで自分は映画とか作った事がなかったんですが、この問題にすごく心を動かされて自分でも映画を作ってみようと、自分の私財を投げ打って作った映画がこの映画です。

去年の夏の事なんですが、北米でテレビの地上波でこれ放送されたそうで。
で結局その影響だと思うんですが、私たちの難民救援基金の方にですね。
Eメール、もしくはHPの方にですね。
「この映画を観た」というアメリカからの便りが来たり、寄付金を送って来てくれたりと言う人たちが出てきています。

やはりですね。
この北朝鮮の問題で必ず、脱北者の問題をネットなんかで調べると必ず拉致問題とかですね。
今必ず行き当たると思うんですね。
逆に拉致問題に興味を持つ人たちもですね。
やはりその先には北朝鮮の人権の問題に行き着くという、こういう相関関係があると思うので、ぜひですね。
お時間遅くなりましたが、時間の許す方がいらっしゃったらですね。
1時間弱の映画になっています。
どうか御覧になっていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★北朝鮮難民救援基金
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/
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第13回藤沢集会(13)06.1.7 藤沢産業センターにて

『大沢茂樹さんのお話(特定失踪者・大沢孝司さんの兄)』

皆さんこんにちは。
ただ今紹介をあずかりました特定失踪者・大沢孝司の兄、大沢茂樹と申します。
本日は第13回藤沢集会に参加させていただきましてありがとうございます。

大沢孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

正直言って私、今日は有本ご夫妻のお話、それと斎藤さんの話、それと荒木先生、高先生のお話を聞くために本日参ったのですが、ここに来たら神奈川の会長から「特定失踪者家族を代表して一言話を」と言われて、非常に困っております。
正直何も考えてきませんでした。
ということで恥をかかない前に簡単にですね。
お話をさせていただきます。
また私の話の前に、本日特定失踪者のご家族が私を含め三家族が来ておりますので、ご紹介させていただきます。

昭和51年の7月30日、神津島で行方不明になられた高野清文さんの妹さんが来ておられます。
高野さん。(高野美幸さん、会場で立ち上がり会釈 会場から拍手)

高野清文さん 
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19歳
当時身分 電気通信大学2年生
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況
大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

昭和47年の11月1日、東京渋谷区で拉致された生島孝子さんのお姉さんの生島馨子さんがお見えになっておられます。(拍手)
生島さん、大変すみません、時間の都合で帰られたそうです。

生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

そしてもう一家族、横浜市戸塚区で拉致された寺島佐津子(てらしま さつこ)さんのお母さんとお父さんが本日参加する予定でございましたが、寺島佐津子さんのお父さんが今朝急に倒れられ、救急車で病院の方に搬送され緊急入院のため、本日お越しになっていません。

寺島佐津子さん(鎌倉の海岸で失踪)
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19歳
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区

失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

私の弟は昭和49年2月24日に新潟県佐渡島で、曽我さんたちが拉致された真野町の拉致現場から7〜8キロしか離れていない、トキの保護センターのある新穂村というところで北朝鮮に拉致されました。
事件当時弟は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります、佐渡の農地事務所に勤務する新潟県庁の職員でございました。
今から32年前の事件でございます。
曽我さんたちの約2年半前の事件でございます。

私たちの家族、家族会のご家族も含め年々高齢化して来ております。
ですからもう時間がございません。
一刻も早くこの拉致問題を解決していただかなければならないと思います。
先ほど帰られましたが、生島さんのお母さんは孝子さんの目撃証言も出ており、近々再会出来るものと楽しみにしておりましたが、昨年99歳で残念ながら亡くなっております。

私どもの親も例外ではなく、父親は今現在96歳です。
母親は弟が失踪したショックで体調を崩し、昭和63年に他界しておりませんが、私は父親が元気なうちに弟と一刻も早く再会を果たしてやりたく、このようにしてお話をする機会があれば、微力ではございますが加勢させて頂きます。

私は何が何でも今年中には、小泉さんからこの拉致問題を全面解決していただきたく、今年の1月私の故郷であります新潟県の越後一ノ宮と言う弥彦神社で、今新潟の方は大雪で大変でございますが、2日3日と街頭署名をやり、拉致問題を訴えて多くの方々からたくさんの署名をいただき、また激励やら励ましの言葉をいただき感激して帰ってまいりました。
どうか、私は何が何でも今年中には解決していただきたく、それには更なる皆さま方のご支援とご協力がなければならないと思っています。

どうか今後ともよろしくお願い致します。
ありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 19:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第13回藤沢集会(12)06.1.7 藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その4』

★川添友幸会長


それでは最後皆様に一人ずつ、会場の皆さんに一言って言うのを丁度やろうと思ってますので。
今こちらの順から、斉藤さんからまず一言何か、会場の皆さんにですね。
これだけは申し上げたいと言う事があれば、よろしくお願いします。

★斉藤文代さん

今日本当に皆さんの前でお話出来て、ありがたく思っております。
私たち家族、帰って来れない特定失踪者の方、皆日本の方は北朝鮮で苦しんでいるわけですから、私たちも一生懸命頑張りますので、どうぞ見守って、努力して私たちもいきますので、助けて頂きたいという気持ちだけ。
本当に国民の方しか私たちはもう今力を借りる事が、本当に無いわけです。
家で毎日毎日どうしたらいいんだろう?どうしたらいいんだろう?と、いろんな事を考えます。
でも皆さんの力で支えていただいて、こうやって私たちは頑張れるんです。
もう少し頑張れば帰ってくるんじゃないかと言う気持ちで、どうぞ皆さん助けてください。
よろしくお願いします。(拍手)

★有本嘉代子さん

今日はありがとうございました。
私、丁度昨日で80歳になったんです。(「ほぅ〜」と言う声)
だから本当に先が、いつまでこれが出来るかな?と言う不安は付いてますけども、気持ちだけはしっかり持ってますので最後まで闘いますので、どうぞ皆さんも一緒に闘ってください。
お願いします。(拍手)

★有本明弘さん

今、家内がよど号の連中の友達とNHKで話したと言う話の時に、その男から大変興味のある話を聞きました。
それは何かと言いますと、1990年に自社訪朝団が行ったんです。
そのとき行ったのが、田辺(誠=社会党)さん金丸(信=自民党)さんが海部(俊樹)さんの親書を持って行ったんです。
それでその後、私の問題が表に出て来たんです。
だからその前にも私は子供たちの手紙を持って、先遣団で行った議員先生の元に行って話をしておったんですね。
それであの人たちはこの問題を無視して訪朝して帰ってきたんです。

そこまでは良いんですが、その後金丸さんの息子さんの信吾さん言うんですかな?
その方が北朝鮮へ行って向こうでなんかいろいろ話をしよったと、いうふうな新聞報道があったんです。
とすると、私としたら親の外交が拙い外交をやってしまったから、それの後始末の為に親は二度も行けないから息子が行ったんかな?と、当時はそういうような解釈をしておったんです。
私なりに。

そのときの話が、あの金丸さんの息子は川砂利の利権の為に向こうへ行って話をしておったんやと、そういうような証言が出ておるんです。
これが日本の国の政治家の姿なんです。
非常に興味深い話をそのとき、当時の疑問が解けたんです。
もう何年も経ってから。

それと先にお話した中でひとつ抜けとったのがあるんです。
それは小泉さんが訪朝して5人の子供を連れて帰って来た。
向こうへ行って座るなり、「平壌宣言を履行する限りは日本は制裁をしないんだ」と言うて小泉さんは帰って来た。
これはテレビ見ている人はみな知ってるんです。
これが大きな問題なんです。
誰もこれに関して異議を唱えてないけどね。

だからこのために我々が一回目の訪朝後、運動を切り替えて制裁をせよというふうに運動を切り替えたんですね。
そのために安倍さんはじめ関係者が法案を成立させていったんです。
その苦労が全部水の泡になったんです。
これを皆さん知っててください。
だから小泉さんがおる間は制裁出来ないんです。
お分かりになります?
以上です。

★高英起さん(RENK東京・映像ジャーナリスト)

最後に一言と言うことなんですけども、年末からの警察等の発表がキナ臭いんですけど。
日朝国交正常化に向けて動いているという事なんですけども。
やっぱり私たちRENKとしては日朝国交正常化に対しては断固として反対するという姿勢であります。

ちょっとお話聞いていただきたいんですけども、日朝国交正常化の問題点と言う物を、もちろん拉致問題の幕引きと言う事の問題点等もありますが、これはそれだけではなくてですね。
日本の治安、もしくは在日コリアンの人権についてもこれは非常に大きな問題なんですね。
いわゆる朝鮮総連ですよね。
に所属している在日コリアンと言う方は朝鮮籍と言う国籍なんですけども、実はこれ国籍ではありません。
国籍ではなくてあくまでも記号上の物として捉えて法律は存在しまして、この管轄は法務省でやっております。
つまり朝鮮籍の方っていうのは北朝鮮籍ではないんですよ、現実には。

ところがですね。
もしも日本と北朝鮮が国交正常化しちゃうと、この朝鮮籍と言うのが自動的に北朝鮮籍の正式な国籍になっちゃうと言うことなんですね。
実はこの問題がどれだけ大きな問題か?と言う事を在日コリアン自体が全く気付いていないんですよ。
朝鮮総連の方々は北朝鮮と国交を結ぶ事によって我々の権利が向上するって、いうふうに能天気な事を言ってるんですけども、あの国に自分達の戸籍や正確な情報というものを把握される事がどれだけ怖い事か?っていう事なんですよね。

朝鮮籍だけの方の事ではないんですよ。
朝鮮籍、韓国籍と言うのは結構混在してましてですね。
私のいとこでまだ朝鮮籍の方いますし、また韓国籍の方もたくさんいてます。
韓国籍の方まで北朝鮮の手が及ぶと言う事です。

実は朝鮮総連と言うのは皆さんが思っているほど一枚岩ではなくて、殆どの方は祖国に対する忠誠心だとか思想的に共鳴していると言う事は殆ど無いんですけども、北朝鮮の人間が直接日本に来て朝鮮籍の人間・韓国籍の人間を工作する事によって、仕方なしに北朝鮮の工作に加担させられてしまうと言う事も起こり得ると思います。
同じ事は日本人の方にも起こる事だと思いますので、やっぱり何としてでもこれは阻止しなければならない問題だし、もっとこの問題の大きさと言う物はこれからも訴えていきたいと思っております。
以上です。(拍手)

★荒木和博 特定失踪者調査会代表

高さんとはですね。
前から早いところ問題片付けて平壌で乾杯しようと、(笑い声)言う話をいつも、冷麺食いながらビールでも飲もうと言う話をしているんですが。
もう少しだと思っています。

高さんのRENKの中の紹介に、北朝鮮の方から追っかけられているという事で、実名までしっかり載っかってですね。
李英和さんと高さんと載っかっておりますが、実名を上げて北朝鮮に言われると言うのはですね。
本当に名誉な事でございまして、(笑い声)私だってですね。
まだ今のところ、反共和国謀略団体である特定失踪者問題調査会の代表と、言う所までしか言って頂けなくてまだ実名を出して貰っておりませんので、(笑い声)やっぱり高さんの方が一枚上手であったと。(笑い声)
これでもって、やがて平壌に入ったら英雄になれるだろうと(笑い声)言うふうに思っておりますので、その英雄と早い所本当に乾杯をしたいというふうに思っています。

あの、さっき高さんが言ったように、解決の方法は結局あの政権を変えてしまうということしか、全ての問題の解決にはなりません。
そこへですね、ああでもないこうでもない、骨がどうしたとかですね。
貰って来てホントかなぁ?どっちかなぁ?なんて言ってる暇があったらですね。
潰してしまう事をやっちゃった方がはるかにコストがかからないし、(笑い声)そうしないとですね。
そんな事を言ってるうちに、また今年の冬だって凍えて死んでいく人が出るわけですし、のんびりしたことは言っていられないというふうに思います。

私も度々あちこちの集会で今年一杯で解決すると言う事を宣言申し上げておりますので、これは絶対に実現をしたいというふうに思っています。
その力がこの国には十分にございます。

ちょっと話がすっ飛ぶんでですね。
突拍子もなく聞こえるかもしれませんが、ミッドウェイが、「男たちの大和」って言う映画がヒットしていますが、ミッドウェイの戦いって言うのはですね。
物量に勝る日本海軍に、敢闘精神に勝るアメリカ海軍が勝ったと言う話。
アメリカの方がはるかに弱かったわけですね。
しかしなんでアメリカ勝ったかと言いますと、絶対戦って勝ってやると言う意識がですね。
日本よりアメリカの方がはるかに強かった。
アメリカの方が大和魂があって、(笑い声)日本は油断していた。
だから負けてしまった、言う事でございまして、つまり物量が多少少なくったってですね。
絶対に解決すると言う意思があれば解決します。

いわんや日本はこれだけですね、総合力を持っているわけですから出来ないはずがない。
来年には全て片付いていると。
片付いたら片付いたらで、またいろんな大変な事が出て来ます。
出てきますけども、その問題は私たちの世代でですね、全部片付けると。
我々の世代が背負ってですね。
次の世代に渡さないと、言う事の覚悟で何とかしたいと思いますんで、今年1年宜しくお願いします。
どうもありがとうございます。(拍手)

★川添友幸会長

皆さんのお話が聞けて、今回こういう企画を初めてやってみたんですが、なかなか良かったと思っております。
パネルディスカッションを終了しまして、次に司会を元に戻しますんで、あと少しですのでよろしくお願いします。
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2006年01月16日

第13回藤沢集会(11)06.1.7 藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その3』

★川添友幸会長


では次、斉藤文代さんにいろいろお聞きしたいなと思ったんですが。
私、松木薫さんの事を初めていろいろやっているうち一番強烈に印象に残っているのは偽遺骨問題なんですね。
どこかの週刊誌で遺骨の写真を見て、私すごいショックを受けたのがありました。
是非その遺骨問題に関してどうお考えになっているか?と言う事をおたずねしたいと思います。

同じ質問になってしまうんですが、これから松木さんを拉致した可能性が非常に濃厚であるとされている二人(田宮高麿の妻・森順子と若林盛亮の妻・黒田佐喜子)が、どうも夏前に帰ってくると言うんですが、こちらに対してどのようなお考えか、ちょっとお願いします。

★斉藤文代さん

私の(弟の)松木薫に関しては、骨をですね。
二度も出されているんですけども、一回目の時にはですね。
私も実際、その骨は見てないんですが、写真とかいろんな物をたくさん撮って来ていて、白々しく骨を持って出てくる場面からず〜っとあるわけです。
納骨堂からですね。

それでこれが弟さんの骨を持って帰りましたのでと言われて、受け取って下さいという事を、外務省の方は私に受け取ってくれと言う最初はそういう気持ちだったと思うんです。
でも私はそれを言われた時点で、一人だけ「お姉さん残ってください」と言われて、皆さん記者会見で一人だけ残されてそれを言われたんです。
骨の鑑定の先生、橋本先生とか外務省の方とかたくさんおられまして、私がその時に「はい、分かりました、弟の骨ですね」と言って持って帰って父のところに墓に入れていたらもう、なんとも父が可哀想になるところを二度もする所でしたけれども。
そこで私はもう「弟の骨ではありません」と「弟は生きておりますから」と言う事で。

二度も火葬されていますので、二度も火葬されているとは思いもよらなかったもんですから、DNA鑑定が出来ると思ったもんで、「私の血をすぐ採って母の血も採って、DNA鑑定してください」と、私泣きながら言ったんです。
そしたら外務省の方もその日に、用意してあったんですね?すぐ採れる様にちゃんとですね。
すぐその場で採られたんですよね。
で一週間くらいしてから、熊本の方の病院に来まして母の血を採って帰られたんですよね。
後からそれは分かったんですけど、二度火葬してあるから全然鑑定出来ないのを分かっていて、まぁ、それは私もお願いしたから持っていかれたんでしょうけれど。

骨の中に3遺体くらいあるのは橋本先生見てすぐ分かったと、仰るんですね。
ですから「お姉さん、私はこれは出来ると思った物を一つだけ持ってきましたので、これを調べさせてください。必ず僕一生懸命やりますから結果を待っててください」と言う事で、左の上あごのあれを持ってきて帰ったもので、「一ヶ月くらいかかるのでそれを調べさせてください」と言う事で。
「誰にも言わないで下さい」と言う事で私は一ヶ月本当になんともいえない気持ちで待ってたんです、便りをね。
そしたら電話がありまして、「お姉さん」と私に先生が元気付けてくれました。
「薫さんの骨じゃないよ、女の人、60過ぎくらいの女の方の骨ですよ」って事で。

骨箱からばぁ〜っと骨を出してる写真もあるんですよね。
「僕もそれを見たときに絶対薫さんの物では無いと言うことは分かっていたんだけど、調べる物はちゃんと調べないとお姉さん納得されないでしょうから」って事で調べたら、「全然違う人の骨だから、薫さんは生きてますから、きっと生きてますから」と「帰ってきますから、絶対に希望を持ってくださいね」と元気付けられたんです。

でまた、今度は二回目の時に第3回実務者協議のときにまた骨をですね。
持って来てるんですよ、外務省の方はですね。
その時はさすがに私に日本政府は言えなかったわけですよ。
隠し通せる物じゃないですよね、そういう骨はですね。
黙っていて、報道の方が先に流れたわけですよ、ニュースでですね。
誰かがばっと漏らしたんですねぇ、政府内の方がね。

それで私ニュースを見て「え〜〜っ?」っと思ってですね。
で、すぐ警視庁の方に電話入れまして、「そんな骨を持って来てるのに、なぜ私の方に知らせてくれなかったんですか?」って警視庁にも国の方にも言ったんです。
そしたら警視庁の方は警視庁で、「持って来てません」って言い通すわけですよ。
今まで私はずい分泣かされてきたのに、またこれで泣かされるんじゃ私もうこれ以上我慢できないと思ったから、追求したんですよ、ずっ〜と。
で、やっぱり警視庁は警視庁の関係があったて言えなかったんですね。
そしたらすぐ後電話があったんですよね。
政府の方から「やっぱりお姉さんに言わなきゃならないから」と言う事で、「実は骨を持ってきていました」って言うから、「なぜそんな骨を持って帰ったんですか?最初の時も間違いで持って帰って来てるのに、他人の骨ばっかり他人様の骨なのに」って大分私も言ったんです。

そしたら「今度訪朝する時には、出された物は一切持って帰りましょうと言う事だったので、持って帰りました」と。
「弟さんの骨ではないと思っていたので、言わなかった」とか言うわけですよ。(文代さん少し自嘲気味に、会場薄笑いの声)
それで本当に私はもう、情けなくって。
持って帰って来たんであれば、徹底してまた調べてくださいと言う事で、その時は横田めぐみちゃんの骨も持ってきてありましたので、だから同じように調べていただいた。
また同じように全然違う人の骨ばかり入っているわけですよね。

だからなぜ日本政府は一回骨を持たされて騙されているのに、またそれをね。
またやられてなぜ黙っているのか?それが私は分からないんです、いまだかつて。
全然その、抗議しないわけでしょう?
骨を二回も持たされて、他人様の骨ばっかり。
何がその弱みがあるのか、私はいまだかつて分からないです。
その件に関してですね。

だから薫はきっと生きていると私は思っていますので、本当に死んでいるんであれば、本当の死んだ骨を出せばいい事であってですね。
もう2度も3度も、だから私は「何回殺されるんでしょうかね?」って言った事あるんですよね。(文代さん、笑いながら)
だから信じておりませんし、またこれからもそれに関しては私は何度突きつけられても受け取る気はありません。

それからよど号メンバーの帰国に関しては、日本人だったら恥を知りなさい、と私は言いたいです。
そんなにね、自分達のしたことの罪を認めないんであれば、帰ってくる必要はないと思います。
北朝鮮が良いんだったら、そこにいなさいと私は言いたい。
本当にそれくらい腹立たしく思っております。
弟たちは何も知らないで、そんなして北朝鮮で辛い思いをしているわけですから、自分達は日本が恋しくなって軽い罪で日本へ、早く言えば日本を舐めてかかっているわけでしょう?
そんな人が帰って来て貰ったって、ちっとも私達嬉しくありませんし、そんな人が帰ってくるより早く全員返して下さい。
私たちはそっちの方に一生懸命になりたいくらいです。(拍手)

★川添友幸会長

ありがとうございます。
最後に有本のお母様。
私以前にですね、3年位前にNHKスペシャルだと思うんですが、よど号と拉致と言う番組の中でよど号のメンバーの所に直接お電話をかけてですね。
やり取りをしたのをちょっとテレビで拝見しまして、なるほどなあと思ったんですが。
そのときの状況の話と、そのとき彼らは直接話してどういう言い訳をしていたか?
その辺の話と、同じ質問になってしまうんですが、よど号のメンバーの帰国に関してですね。
どういうふうにお考えになっているか、この2点をよろしくお願いいたします。

★有本嘉代子さん

NHKの取材であるホテルへ行った事があるんですね。
そういう話になる事は全然知らなかったんですけども、よど号の人と懇意にしていて何度か北朝鮮に入ってる人があるんです。
富山の方で。
で、その人がそこへ来ておられたんですね。
それで「私だったら向こうの電話番号を知ってますので、かけます?」って言って、NHKとは相談が出来てたらしいんです。
これかけたらね、その時に誰が出てきたんかな?
赤木(志郎)でしたね?
ですのんで、その赤木と言うのがメンバーの中で残ってる中で一番きついんですって。

だからその人が出て来たのでね。
「私は有本恵子の母親ですけども、あなた方は有本恵子をご存知でしょ?」って言うたら、「突然電話かけてきて失礼な方だ」
そういうことだけで後は続かなかったですね。
これは始めから言っても無駄や言う事が分かってましたのでね。
私らなんぼ言っても駄目だという気がありましたので、そういう場面がそこで設定されている事が分かりませんでしたから。
それでこの人たちとゆっくり話をするいう気持ちもありませんでしたから、もうそれで切りました。
後は話してもこんな人は何も喋らないし、「失礼な」言う一言を言いました。
だから失礼と言う言葉を知ってたんかな?と思いましたわ。(笑い声)

後の事ですけれど、よど号のメンバーにしても先ほど申し上げたように、本当に旅券法違反だけで全て片付けられて、で、執行猶予付だそうです。
それで出て来て、普通の人と同じように生活してるんですね。
そんな状態になれば帰って来ても何ぼも日本の国としても役に立たないだろうし、気持ちがね。
全然日本人の気持ちじゃないですものね、あの帰って来た人たちは。

私は赤木と言う人の裁判を見に行きました。
八尾(恵)さんが証言すると言う事だったので、本当にね。
どう言ったらいいのかな?
ニコニコ笑ってるんですよ、自分、被告席座っていて。
なんかそれは許されているんだそうです、筆記してました。
八尾さんの方をちらっとみて、睨みもって、ずっとね。
顔に笑みを浮かべもって、小ばかにしたような顔してずっ〜と筆記してましたね。
あんな状態見てたら嫌になりますね。

だからこんな人が帰ってきて、日本の国に本当に毒になっても薬にならんですね、あの人たち。
だから帰ってくる必要が無いんですけども、国もあの人たちを受け入れて、それで執行猶予で放免して、そして今度自由に往来できる、それが本当に納得行かないですね。
それはある程度その人たちにやはり監視をつけて、北朝鮮内ですけれど束縛しないと、いかんと思います。
そんな自由に出来て、良いこと絶対に無いですからね。
スパイを日本の国に入れたのと同じなんですからね。
だからそこのところは日本の政府をなんかこう、どんな気持ちでどういう事をされるんかなぁ?という、納得がいきませんから、私たちにしたら帰ってくる必要はないと思います。

★川添友幸会長

どうもありがとうございました。
posted by ぴろん at 14:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第13回藤沢集会(10)06.1.7 藤沢集会センターにて

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その2』

★川添友幸会長

次に荒木先生、ちょっとお伺いしたい点がいくつかあるんですが、後ろのパネル。
いつも神奈川のボランティアの皆さんに作っていただくんですが、福留貴美子さん、白黒の方なんですが。
パネルが今度加わりました。
福留さんをご存じない方もいると思うんですが、今高英起さんのお話にあったんですが、(よど号犯の)岡本武。
岡本公三(=1972年、奥平剛士、安田安之と共にイスラエル・テルアビブ空港を襲って26名の死者をだした「日本赤軍テルアビブ事件」の実行犯)の兄なんですが、兄のお嫁さんて言うんですかね。
結論として、この方日本から拉致された方なんですね。

Img_1622.jpg

で、この福留問題と言うのは実に難しい問題でして、いろんな会の方が取り組んで、今私たちも取り組んでいるんですが、荒木先生、特定失踪者問題調査会の代表をされる前に、救う会全国協議会の事務局長をされている時にですね。
福留問題をずっとやられていたと聞いています。
福留さんの資料は簡単に作ってみたんですが、ちょっと福留さんのお話をお聞かせ願えればと思っています。

後もう一点なんですが短波放送の「しおかぜ」、あれちょっと私自身思ったのは、ああいう放送は実際よど号のメンバーは聞いてる物なのかなぁ?と言う疑問を持ったのでそれを聞いて見たいと思ったのと、三点目は皆さんにお聞きしている、よど号犯の帰国に対してどのように思っているか?
この3点を宜しく御願いします。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表



福留さんの拉致事件に関しては、この配ってあります川添さんの作った資料に基本的には書いてございます。
要は騙されて北朝鮮に連れて行かれた方です。
元々北朝鮮とは何の関係がなかったんですが、お父さんが昔、戦時中にですね。
モンゴルにおられた事があって、そういう話を聞いて育ってですね。
非常にモンゴルに行きたいという強い意思を持っておられた。
モンゴルと言うのは、昔は社会主義圏の中で非常に入り難いという事で、それで釣られたのではないだろうか?と言うふうに言われております。
昭和51年、1976年に出国をしている。

向こうで今川添さんの言われたように、岡本武の妻にさせられたと。
こんなものはもちろん本人のあれが一致してと言う事はもちろんございません。
当然これは無理矢理。
これは他のよど号の妻でもですね。
小西(隆裕)の妻以外は皆元々全然関係ない。
無理矢理ですね、くっ付けられたと。

だから正直言うと、よど号グループの他の妻たちもですね。
あれでもし「こんなはずじゃなかった」と言えば拉致被害者になります。
問題は、あのカミさんたちの方が旦那よりももっとその気になってしまった事に問題がある。(小さな笑い声)
そうでなければ彼女たちもそういう事になる。

福留さんは元々そういう政治的背景が全然無いんですね。
他のよど号の妻はチェチェ研とか、この表に書いてあるように(北に)シンパシーを持ってる人たちだったんですけど、福留さんの場合そういう事が無い。
で、結婚させられたと。
やはり他のよど号の妻と同じように、工作目的で使われ、少なくとも使われようしたことは間違いがない。
そして一回日本に戻って来ております。
ここに書かれているように友達の家にですね、突然現れる。
その後高知の実家に帰ろうとして途中で連れて行かれたんではないか?というふうに言われている方でございます。

この福留さんの事件についてはジャーナリストの高沢皓司さんがいろいろ調べてですね。
これの裏に確か書いてあるんだと思いますが、裏じゃないか、前か。
96年、ですから平成8年の8月7日の朝日新聞にですね。
その名前が、その時は確かまだ名前は入ってませんが、本人が特定された日本人だったと言う事が分かったと言う記事が出ると。
で、出たらすぐにですね。
今度は「いやもうとっくに死んでいた」と、いう情報が出る。
それまでは日本人の奥さんだと言う事は一切言っていなかった。
岡本武のカミさんは朝鮮の人だと言うふうに言ってたんですが、ここで急にですね。
話が変わって、そして尚且つもう8年前に死んでいると、いう情報が流れたわけでございます。

こういう所の嘘のつき方と言うのはですね。
本当に北朝鮮と言うのは、よど号のグループも良く勉強したもんだなと思うんですが、大変分かりやすい嘘をつくわけですね。
ですから救う会もそうですし我々もそうですけども、この福留さんは我々は基本的に生存をされていると言う前提で、救出を求めているわけです。
子どもたち、娘さんが二人いますが、この二人はもう帰国を果たしております。
で、表の中で岡本武の所に乗っかってます、広海(ひろみ)さんと千里さんと言う娘さん二人ですね。

元々(福留貴美子さんの)お母さんはもう亡くなってしまったんですけども、私も生前2度ほどお会いした事がございまして、非常に記憶力の良い、ハッキリしたお母さんでございました。
本当に田舎のおばあちゃんと言う感じの人なんですけども、すごい頭の良い方でですね。
この事はお母さんがご存命だったと言う事もあって、高知の中にいるよど号グループの支援者が、かなりいろいろな形でマークをしております。
今でもその連中は高知の中で活動をしておりまして、福留さんのご家族を抱き込もうとしたりとか、そういう事をやっている。
どうも、場合によってはですね。
福留家の遺産をですね。
持って行きたいという思いもあるのではないか?という話もございます。

この事件については大体そういうような事でありまして、今改めてですね。
お母さんが亡くなってしまったので、ご家族がいなくて非常にやりにくいんですが、川添さんなんかとも連携を取りながら、この問題について更にですね。
世論への訴えかけを進めて福留さんの救出へという事につなげていきたいと思っております。

ただ、これは福留さんだけの事ではないんですが、福留さんも何かの形で北朝鮮の工作活動に関与した可能性は当然あるわけでございます。
で、これは今帰国している5人もそういう意味で言いますと同様でございまして、また今(北朝鮮に)残っている拉致被害者の人たちも、やはり同様であろうと思います。
もちろん、そういうふうにしなければ北朝鮮の中で生きていけないわけでございまして、それを日本にいる我々がもちろんですね。
非難するって言う事は絶対に出来ない。

それから場合によったらですね。
(日本に)帰りたくないという意思表示をする人が出る可能性もございます。
その場合に一体どうするか?
これ今、日本政府はですね。
家族の意向あるいは本人の意向、と言うところにですね。
必ず逃げ込みます。
ご家族がそう言ってるからその意思を尊重したい。
本人が日本に残りたいと言ってるんでその意思を尊重したいという言い方をするわけですけども、これは非常に卑怯なやり方でございまして、その時やらなければいけないのはですね。
家族の意向でも本人の意向でもなくて、国家の意向です。

拉致をされているんですから。
主権を侵害され、拉致をされているんですから、その人たちは本人が何と言おうとですね。
今の状態の北朝鮮で自由に物が言えるはずが無い。
ともかく日本に取り返して、そこで一旦原状回復をして、そして自由に物が言えるようになったらば、それから意思表示をして物を決めて貰えば良い話でありまして。
それを北朝鮮の中でですね。
一昨年の5月に総理大臣がのこのこ行ってジェンキンスさんにですね。
「帰って来ないか?」とか言ってなんか「約束する」とか何とか言うというアホな事をですね。
やってしまっては全くわけが分からなくなる。

それで政府の人は責任は逃れられるわけです。
「本人は帰りたくないと言ってる」と、そんな問題ではない。
取り返してからそれから次の事を考える。
いうふうにしないとですね。
これから非常にグレーゾーンの人たちが間違い無く出て来ます。

有本さんだって、北朝鮮の中でですね。
一昨年の3月の時点ではですね。
3年前か、もう3年前なんですね。
あの3月の時点では、一度は北朝鮮は出そうと思ってたんですね。
出して有本さんに「自分では帰りません」と。
「お父さん、お母さん、北朝鮮に来てください」と言うふうに言わせて、そして決着をしようと言うふうにしようとしていたと。
言う事がございますので、有本さんも自分の足で入ったことは間違いが無い訳ですから、そういう言い逃れが出来るようになる。
これは絶対に許しちゃいけないです。
北朝鮮の中にいる限り、そのマインドコントロールは絶対に解けないです。

だって今の5人だってね。
ちゃんと喋れないんですから。
日本に戻ってきて、あれだけ時間が経っていても、まともにですね。
言う事が出来ないと、言う事を考えたらば、いわんや北朝鮮の中にいてですね。
自由に発言とか意思表示が出来るはずが無いわけでございまして、これはグレーゾーンの人も含めて、一旦とにかく全部日本に取り返すと言う事。
これは国家の意思として絶対にやらなければいけないと思うんです。
その上で日本で暮らしてみて、それでもどうしても北朝鮮に行きたいと言うのであれば、そのときに決めれば良い話でありまして、そこのところを考えていくべきだと思います。

で、今警察の中でですね。
警察の人とも私らもいろんな話をするんですが、「いや、そんなにたくさん拉致被害者の人たちはいない」と。
「後5人くらいだとか10人くらいだ」とか、いろんな事を言う人がいるんですけども、それは警察的にですね。
全部キッチリやって証拠も集められて、そして明らかになるという数を探したら、それはその程度しかおそらくならないんでしょう。
しかし実際には証拠がなくったって拉致をされている人たち強制的な人はたくさんいますし、いわんや福留さんたちの様にですね。
自分の意思で出国をしたと、そして(北朝鮮を)出られなくなったと、言う人の数ははるかに多いだろうと思います。
その間のグレーゾーンと言うのはですね。
相当の数いるわけでありまして、我々そこらへんまで全部拉致被害者としてカウントしてですね。
やらなければいけないんじゃないかと。

で、その延長線上は今度は帰国者の問題になるわけですが、帰国者だって拉致ではありませんけども、基本的には騙されて皆向こうへ行ってる訳ですね。
日本人妻だって、何年かすれば帰って来られるという前提で北朝鮮に行ってるわけですが、しかしそれでもですね。
帰って来られない。
こういう人たちの場合はですね。
とにかく自分で帰りたい人たちは自由に帰れるようにすると。
つまりこれは、要は、高さんが今さっき言ったように、あの体制を変えてしまうより他に方法がないんですね。
あの体制を変えれば、北朝鮮の中にいたって自由に意思表示できますから。
最後はそういう所に持っていくしかないんですが、そういうふうにしてですね。
問題を解決していく。
ここはですから家族の問題でもなくて個人の問題でもなくて、国家の問題として取り組まなければならないだろうと思います。

それからしおかぜをよど号グループが聞いてるかどうかと言う事ですが、私も良く分かりませんが、あの連中に聞かせなくても別にあんまり問題ございませんので、まぁ聞いててくれるようであればですね。
「いい加減にゲロしろ」という放送くらいはしても良いんですが。(笑い声)
まぁちょっと分かりませんが、電波の無駄遣いになると今のところは特に思ってません。

それからよど号グループの帰国に関してですけども、先ほど有本さん言われたようにですね。
拉致された人が向こうに残ってですね、した方の連中が帰ってきて大手振って歩くという話はですね。
こんなとんでもない話は無いわけでございます。
しかし日本の「法と証拠」と言う、警察の人たちがよく使う「法と証拠」と言うとですね。
そういう事になってしまう。
証拠が向こう側から返ってこなければこちらから手出しが出来ない。
意思表示をして帰って来たらですね。
日本の法律に照らして、しかし微罪ですよね。

結局ね、先ほどお父さん言われたように、スパイを取りしまる法律が無い訳ですので。
微罪でですね。
しばらくしたら出てこられると、いう事になってしまうわけでございまして、法と証拠があってもですね。
正義の方が実現をしていないと言うのが現状でございます。
本当であればですね。
日本海を渡ってくる途中で宙吊りにしてですね。
「吐かなかったら海に落っことしてやる」と言う位の事をして、(笑い声)言っても良いと思うんですけども。

まぁ少なくとも帰って来た人間に対してですね。
それを徹底的にマークするというくらいの事は、もうちょっとキッチリやっておく必要があるのではないか?と。
先ほども申しましたけど、とにかく有本さんの拉致、あるいはもちろん松木さんもそうなんですけど、について知らないという言い方をしている彼らの言ってる事は全て嘘だと言う事でございますので、その前提でですね。
今後の事も対応していかなければいけないのではないか、と言うふうに思います。

★川添友幸会長

いろいろ面白い話をありがとうございます。
posted by ぴろん at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月15日

第13回藤沢集会(9)06.1.7 藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 その1』

Img_1627.jpg

★司会 川添友幸神奈川救う会会長

では始めたいと思います。
基本的にですね、私の方が質問を出しましてご家族の方がお答えするというふうにしたいと思います。
まずは高英起さん、今日は講演ありがとうございます。
多分高英起さんはRENKの活動をされて来たと思うんです。
救う会では初めての講演だったと思うんですが、そのご感想の様な物があればまず一点伺えればと思っています。

それとですね、RENKの会長をされています李英和さんが小学館文庫「朝鮮総連と収容所共和国」と言う本を出版されています。
この本は基本的に北朝鮮の強制収容所の事を書いている本なんですが、その中によど号の男性メンバーで日本国に(帰国して)いる柴田泰弘の講演会に押しかけた話などが出ていまして、私自身非常に関心があったわけなんですが、その辺の経緯等を御存知の事があれば教えて頂きたい。

でもう一点の質問は、後で全員同じ質問をしたいと思ってるんですが、今度1月の下旬くらいからですね。
今話されている(よど号)メンバーの帰国が始まります。
今度2月くらいからもしかすると、拉致実行犯の黒田が帰ってくるのではないかと言う話も出ているようですが、それに対してどういうふうにお考えになっているかと言うところを、まず高英起さんの方からよろしく御願いいたします。

★高英起さん(RENK東京、映像ジャーナリスト)

先ほどお話の中でですね、柴田さん、柴田ですね。
さん付けはしませんけれど、柴田泰弘の講演会に行った話はちょっとさせて頂いたんですけど。
その後柴田さんだけではなくてよど号の赤軍派を束ねていた塩見(孝也=元赤軍派議長)さんですよね。
塩見さんの講演会にも実は押しかけた事があったんです。

恥ずかしい話なんですけど、結局当時我々力がなかったんですね。
ゲリラ的にそういった北朝鮮を擁護する方々の講演会や集会などに行って、押しかけては殆ど総会屋のように騒いでは嫌がらせをするという事しかしていなかったんですけども、それしか当時、彼らに対して我々の主張をぶつける方法が無かったんで。
で、当時その塩見さんが当時ですね。
ちょっとお手元の方に資料があるかもしれないんですが、くだらない文章なんですけども、そのときの事を感想文を書いてあるんですけども。

大阪に河合塾と言う予備校がありますね。
その河合塾と言う予備校でいわゆる全共闘世代の方々を呼んでですね、いろいろ話をしてですね。
それを若い予備校生や学生に聞かせるという企画が一時流行った事がありました。
それに今でも出ている週刊スパですよね。
そこに連載されている鈴木邦夫さんですよね。
一応右翼の一水会の代表と言う方なんですけども、その方々が、左の代表と右の代表が出てきて話をして、最後はチャンチャンで終わるような形にしてという、下らない企画をしていたことがありまして。

その時に塩見孝也さんが出ていると言う事で、先ほど言いましたように我々押しかけた事がありました。
塩見さんも基本的には柴田と考え方が一緒でして、よど号のハイジャックに対してもそうだし、北朝鮮に対してもそうだし、全て自分達が正しかったと言う形で一貫した主張をしておりました。
もちろん我々はですね。
あんたたちがやっていると言う事は、北朝鮮の人民だけではなくて、日本の民衆・日本の人民・日本人をも欺く事だと言う事で、かなり厳しい口調で我々抗議したんですけども、残念ながら柴田と同じく塩見さんにはその声は届きませんでした。

最後にですね。
我々彼らに言ったのは、あなた達がやってきた事に関しては、じゃあ目をつぶろうと。
ただ、北朝鮮の問題、北朝鮮の労働党政府が金正日政権が正しいとかに関しては一切口をつぐむべきではないか?閉ざすべきではないか?沈黙を護るべきではないか?というふうに、我々は問い掛けました。
ただ、やっぱり拉致事件に関してはハッキリさせるべきだろうと。
拉致事件だけではなくて、ご存知の通り彼らは自分達の同志たちも粛清しているわけなんですよね。
実際に手を下したかどうか分かりませんけども、自分達の同志、吉田金太郎、あと岡本武ですか。
この二人を労働党に、僕は売ったと言ってるんですが、売っちゃったんですから。
それ自体をやっぱり総括するべきなんじゃないかと思っております。

ちょっと話はずれますけども吉田金太郎と言う人物、この人物はですね。
実は僕は赤軍派ではなかったんですけども、赤軍派の残党って言うか、学生運動をされていた連中とは、当時RENK・北朝鮮の地下運動をする前はそれなりに付き合いがありましてですね。
伝説的な人物で、愛すべき人物だったようです。
デモにですね、剣道の防具を着てきて竹刀を持って警官に突入したとかね。
そういう伝説的で愛すべき人物であった人間をああいう形で粛清してしまったという事に関しては、総括すべきなんじゃないかと言うふうに思っておりますし、そういうふうに主張しましたけど、なんせ連合赤軍事件で14人ですか?
人間を粛清してしまうような彼らには、残念ながらその声は届きませんでした。

今後彼らに対しては我々自身は直接何かを訴えると言う事は出来ないんですけども、我々のスタンスとしましてはですね。
やっぱり帰国は許してしまってはならないと思っています。
彼らは北朝鮮でずっと過ごすべきだと思います。
北朝鮮で過ごして自分達がやってきた事を全うすべきだと。
最終的には北朝鮮の人民に裁かれるべきだと。
加えて日本の方々に裁かれるべきではないかと思っております。
いずれにせよ、この帰国に関しては我々は反対と言うか、抗議の声を今後も上げていきたいというふうには思います。

★川添友幸会長

非常に勉強になりました。
ありがとうございます。

次に有本のお父様。
お聞きしたい話があるんですが、よど号のメンバーを支援している国会議員がいます。
その国会議員に対してどのように思うか?
もう一点はもういろんな中でお話が出ていると思うんですが、やはり政府やNHKもそうですし警察に対してどのように考えているか?
それと最期は同じ質問なんですが、今度の帰国に対してはどのようにお考えになっているかをちょっとお聞かせいただければ、お願い出来ればと思います。
宜しく御願いします。

★有本明弘さん

ぎょうさん言われたらわからへん。(会場笑い声、司会者より質問項目を書いたメモを渡される)
よど号のメンバーを支援している議員と言いますと、社会党・共産党のこの現行の人たちだと思います。
その人たちは皆さんもご存知のように、大変大きく議席を減らしました。
これで大体お分かりになっていただけると思います。
国民の関心事がその政党から離れてしまったという事なんです。
それと同時にこれは国民の皆さんが、北朝鮮と友党だと言っていたのが当時の社会党なんです。
と同時に知らぬ間に自民党、与党の中枢まで朝鮮総連の影響力が入り込んでおったと、言うのが今の現状なんです。

それと警察や政府に対して、とか言う事ですね?
これ警察は私たちの問題で、安倍公博って言うんですか?
あれを国際手配しました。
あの時は警視庁から公安まで3回ほど出張してきて私たちからいろいろ調書を取って、資料を提供して、そして署名もしました。
だからそのよど号の連中の事に関しては、警察は日本の国内法では今の現状のような事しか出来ないんです。
この阿部公博が帰ってきたら、裁判にかけて有罪に出来るという根拠を持ったから、私たちを呼んで調書を取って告発している。
だからこの安倍公博を逮捕するまでは、今帰って来た連中は多分今までどおり、手を付けないで放っておくだろうと。
そういうような観測をしております。

この間、もう去年なんですが、議連の会長とお会いした時に立ち話やったですけれども、日本の国にもスパイ防止法をこしらえん事には、隣にあんな国がある以上は国民から見れば国家として手ぬるい。
そういうような状況が起こってもどうしようも無いと言う現状があるから、スパイ防止法と言うのが出来たらこれをこさえて頂きたいというのがお願いした事もあります。

だからこのメンバーの帰国と言うものに関しては、ほんなもの、一辺にまとめて返して来いと言うて。
(向こうが)受け入れなかっても良いんじゃないか?と、僕らはそないに思うてます。
でもそれは外務省のやる事であって、そんなんで前例どおりの・・・(聞き取れず)で終わると思います。
以上です。

★川添友幸会長

ありがとうございます。
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2006年01月12日

第13回藤沢集会(8)06.1.7 藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション「よど号と拉致」 資料』

※今回の藤沢集会ではお一人お一人の講演の後、川添救う会神奈川会長と登壇者全員揃ってのパネルディスカッションがありました。
その内容をご紹介する前に、会場で配られた資料をまずは一通りご案内いたしますので、ご一読ください。

・・・以下、資料の紹介・・・

★資料1

よど号拉致事件・資料   作成 救う会神奈川 川添友幸

3つの拉致事件

(1)福留貴美子さんの拉致事件 1976年6月 「政府未認定」


福留さんは1970年に高知県内の高校を卒業して、大阪万博の警備員などをしながら上京してアルバイトをしながら保育士の資格をとった。福留さんは高校時代からモンゴルに行くことを熱望していた。しかし当時モンゴルに個人で旅行することは不可能だった。しかし、1976年7月18日頃、急にモンゴルへ行くと言って羽田から出国した。1979年8月には東ベルリン消印の手紙が実家に届いた。この手紙は福留貴美子が、ある共産圏の国にいること、もう少し外国に滞在しなければならないこと、生活には困っていないことのほかに、いとこの結婚式にお祝いを送ることはできないのでよろしく伝えてほしいとの内容が書かれてあった。いとこの結婚式は同年の4月に行われたもので、何らかの方法で福留さんは周辺の情報が同人に伝えられていることを示すものである。1980年3月11日、突然貴美子さんは日本の友人宅に現れた。このとき、すでに子供が生まれていたはずであるが、子供とは一緒ではなかった。その様な中でよど号メンバーの岡本武は結婚相手が朝鮮人とされてきたがジャーナリストの高沢皓司が1995年春、北朝鮮で田宮高麿にインタビューした際、岡本武は日本人と北朝鮮で結婚しており、二人の子供も設けている、さらに岡本武と結婚した日本人の女性というのは高知県出身であること、東京に滞在していたこと、剣道の県大会に出席したことが出場したことがあること等を田宮は語った。この時の田宮は、岡本夫妻が生存しているとの前提で話しをしている。この時の日本人妻の特徴が福留貴美子さんと一致し、96年8月の朝日新聞の報道となったのである。
96年8月7日付け『朝日新聞』社会面に、次のような衝撃的な見出しが躍った。
「『よど号』事件/岡本容疑者、妻は日本人/高知県出身で20年前失踪」

この朝日新聞の報道の3日後の8月10日、『中日新聞』は共同通信の配信で、さらに衝撃的な記事を掲載する。
「『よど号』岡本容疑者と妻/8年前に死亡?/北朝鮮で作業事故」
報道の直後、国内のよど号グループ支援者が高知の福留さんの実家を訪ね、貴美子さんの母の福留信子さんに「1988年夏に北朝鮮側から岡本と福留貴美子とが土砂崩れで死亡したとの通知を「よど号」グループになしたこと、朝鮮に来て遺骨のことや子供たちの今後の相談をしてもらえないかと」の内容の北朝鮮のよど号グループからの手紙を持参した。
 1996年11月25日に、福留貴美子の死亡ということについて信子さんは代理人を通じ、その死亡の日時、場所などの基礎的事実についての知らせがないという、あまりにも納得のいかないことに関し、「よど号」グループに質問状を出して回答を求めた。これに対し、北朝鮮の小西隆裕より第三者を介在させたくないので直接母親と話をするとの回答が1997年11月15日付けであった。1997年3月に平壌の小西から母親のもとに電話があり、「娘(貴美子)さんの死亡届が出ていないのではないか」といわれた。福留貴美子さんのお母さん、信子さんは2002年1月12日、娘の身を案じながら亡くなった。2004年1月に福留さんの娘が帰国したが現在も国内で他のよど号グループメンバーの子ども達や支援者と共に暮らしている。

(2)松木薫さん・石岡享さん拉致事件 1980年5月 「政府認定」

1980年にスペインのマドリードで石岡享さん、松木薫さんの2名が、それぞれ消息を絶ちました。石岡さんは日本大学卒業後、チーズ職人になるために欧州を旅行中であり、松木さんはスペイン語の論文執筆のためにスペインに滞在していた。石岡さんは松木さんと知り合う前のスペインのバルセロナの動物園で一枚の写真を撮った。写真には石岡さんと一緒によど号妻の黒田佐喜子と森順子が写っていた。その後、三人はマドリードに向かい松木さんと出会った。4人以外も旅行中の姉妹も加わり、黒田佐喜子と森順子の滞在先で一緒に演劇を見に行ったり、アパートで森順子の手料理を食べたり、深夜までトランプなどで遊んだ。その様な中で森順子は「婚約者がウィーンまで出張してくるから遊びに行かないか」などと、石岡さんらを誘ったとされる。若林、森両と石岡さんらは80年5月中旬〜6月に東欧へ旅行し、石岡さんと松木さんは、そのまま北朝鮮に連れて行かれたとみられる。ただし、北朝鮮への入国の経路が明確でない為に捜査当局も黒田佐喜子と森順子に対する拉致容疑での手配を行っていない。
 ただ元よど号グループ支援者等の話を総合するとウィーン経由でモスクワから北朝鮮に入国したと考えられ入国後、騙されたことに気がつき、二人とも相当、抵抗したそうであった。

(3)有本恵子さん拉致事件 1983年7月 「政府認定

有本恵子さんは1983年に神戸から語学留学のためにロンドンに滞在していた。有本さんの通っていたロンドンの語学学校で1人の日本人と知り合い。その人がよど号妻八尾恵であった。八尾は有本さんに日本に帰国したくなく、外国で仕事をしたい様子であることを聞き出し、八尾は外国での「市場調査」の仕事があると騙しデンマークのコペンハーゲンまで連れ出し、よど号メンバー安倍公博と北朝鮮大物工作員キム・ユーチョルと共謀して北朝鮮に連れ出した。その際、デンマークの空港で連れ出される場面をデンマークの情報機関が写真撮影していた。よど号グループは北朝鮮においては朝鮮労働党内に56課というよど号グループを担当する課があって、よど号グループは56課との討論によって具体的な実践活動を決めていました。その副課長がキム・ユーチョルでした。キム・ユーチョルは78年からデンマークの北朝鮮大使館員として勤務。80年秋から旧ユーゴスラビアの在ベオグラード北朝鮮大使館に異動。81年には旧ユーゴスラビア、在ザグレブ北朝鮮総領事館副領事になった人物でした。そんな彼の地位から、よど号メンバーが彼と一緒に活動することが数多くありました。先ほども触れましたが当時、北朝鮮大使館員などは西側情報機関や各国秘密警察の監視対象になっており写真もキム・ユーチョルを監視している中で撮影されたようである。8月9日、ロンドンの語学留学から帰国する予定の当日実家に「仕事が見つかる 帰国遅れる 恵子」と言う電報が実家に届いた。その後10月中旬にコペンハーゲンから手紙が届いたのを最後に音信が途絶える。

拉致事件の浮上・拉致認定までの足取り

石岡さん・有本さん・松木さんの家は3人が外国で失踪したと見て警察に捜索願を出したり、外務省などを訪れたりしていたが、情報が足取りはまったくなかった。しかし、88年9月、札幌の石岡さん宅に3人(石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さん)が平壌にいる事を伝える手紙が届く。

手紙には北朝鮮入国後の有本さん・石岡さんと赤ちゃんの写真があり、有本さんと松木さんに連絡をとってくれるよう書いてあった。石岡さんのご家族は記載どおりの有本さんの家に電話した。松木さんに関しては住所が熊本市内としかなくわからず、その後1990年になり松木さんの家に連絡がいった。その様な中で有本さん・石岡さん両家族は警察から外務省さらには自民党や社会党まで救援要請に赴いた。特に「社会党なら北朝鮮とのパイプがあるそうだから、なんとかなるのでは」と石岡さんに言われて有本さんご夫妻が思いついたのが、土井たか子氏である。まさに有本さんの地元の有力議員だった。西ノ宮の事務所に足を運び秘書に救出を御願いをするも、まったく何の反応もなかった1991年1月、石岡、松木、有本の3家族は記者会見を開いて氏名を公表して救出を訴えることになった。1月15日夜、NHKの記者(山本浩氏)から「記者会見の前にぜひ会ってほしい人がいる」と言われ、翌16日、NHKの崎本利樹氏(東京)・田村啓氏(神戸)の2名の記者に、ウニタ書房の遠藤忠夫氏を紹介される。遠藤忠夫・ウニタ書店経営(当時)氏が、恵子さんらは生きている、自分が金日成の侍医につながるコネクションがあるから会見を中止すれば助けてやる、と語って会見を事実上中止させた。その後、有本さんのご家族は家族会結成までほとんど単独で救援活動を行うようになった。そのような中で1995年によど号グループの田宮高麿が急死し、それまで田宮氏と親交があった作家の高沢皓司さんが田宮を含めたよど号グループから有本さん・、松木さん・石岡さんの拉致事件の詳細を聞き、まとめて1998年に「宿命」と言う本を出版した。有本さんのご家族は政府の認定がない状況で1997年の拉致被害者家族連絡会の結成に参加しました。石岡さん・松木さんの家は非公開の方針を2002年9月17日まで続けました。

(注:明らかな誤字脱字と思われるところは、管理人の判断で訂正を加えてあります)

★資料2

よど号グループ一覧表

↓こちらのサイトに掲載されているのと同じ一覧表が集会でも配られました。
ご参照ください。

無限回廊様より
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/yodo.htm
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2006年01月11日

第13回藤沢集会(7)06.1.7 藤沢産業センターにて

『有本嘉代子さんのお話』

Img_1598.jpg



皆さんこんにちは。(会場より「こんにちは」の声)
有本恵子の母でございます。
お正月のお休みの所、こんなにたくさん来ていただいてありがとうございます。
ちょっとかけさせて頂いてお話させていただきます。(用意された椅子に腰掛ける)

いろんな情報がこないだ内から出ていますけれども、今荒木先生からお話を聞いて納得いたしました。
そうだろうなという気がします。
北朝鮮の言う事はほとんどが嘘で固めてます。
だから私たちが9月17日、今思い出しましても残念と言う言葉しか出なかったんです。
一生懸命に9年間は、(北朝鮮から)手紙が来た事によりまして、1988年の9月の6日に来まして。
その事によりまして私たちが運動をすることが出来たんですが、家族はというより、主人と二人で、ほとんど主人が動いていたんですけれども。
本当にどこにお願いに行っても、どっこもキッチリ話を聞いて下さらなかった。
外務省も行きましたし、日弁連ですかね。
弁護士の会にも行きましたし、政治家の方にもお願いしましたし、どっこも本当にきちっと相手にして下さいませんでした。
そのときを思い出しますと、これは本当にどうすれば良いかと言う気持ちで、無我夢中で9年間は過ごしましたけれども。

横田さんのことが表に出まして1997年の3月に家族会を結成しました。
そのことによって、皆さんにも(拉致問題を)知って下さいましたし、私たちの運動もすることが出来るようになりました。
それからでも1997年ですから今年が06年ですから、もう9年目に入ってます。
でも、5人の方は帰って来られましたけれど、何にも、本当に私たちから見ましたら進展が無いんです。
あれはとにかく(一時帰国後、一旦北朝鮮に)返すという約束で5人は連れて帰ってきた。
向こうも5人を出したんでしょうけども、向こうにしたらすぐに帰ってくるという自信を持って、あの人たちを返したんだろうと思います。
これ、どういう人選だったかは分からないんですけども、この人だったら間違いが無いんじゃないかな?と言う人たちを返して来たんじゃないかと思うんです。

だから、未だに、本当にこれ申し訳ないんですけど、私らの気持ちとしたら、本当にもっと知っている事を家族だけに言うて貰って、これは絶対に口外しないで下さいと言われたら、私たちはしません。
だから、家族は一言でも向こうの事を聞いたら本当にいくらかは安心する点もありますので、何とか知ってる範囲の事は言って頂きたいなと思いますけども、未だに肝心な事は何も私たちは聞いておりません。
だから先ほど荒木先生が仰ったように、(辛光洙、朴工作員などの実行犯の)名前を本当にあの人たちが出したのであれば、どういう意図で出してきたのか分かりません。
本当にまだこの日本の国に、24年間向こうに自由を奪われて私だったら、うちの主人がいつも言うんですけども、本当にこんな事して酷い事してという気持ちが薄れてしまって、北朝鮮に馴染んでしまったのかな?と言う気持ちもするんですね。

だからそれをやはり言うて聞かすのは私は親だと思うんです。
やはり親たちが、私たちは一緒に運動したんですから、私たちはこんなに運動して来たんだから、あなた方は自分達の知ってる範囲の事は家族に言いなさいよ、って言うて下さったら何とかって思うんですけども。
そのところは家庭の中に入ってみないと、どうしてもあの人たちの気持ちが動かなくて言えないのか、そこの所分かりませんけども。
もう、これは何時の時期か聞ける事があるか。
それともこの間も主人がああいう調子ですから、地村さんのお父さんに言うたんですね。
「もしも私たちのこの家族の中で帰ってくることが出来て、その子がパッと本当の事をしゃべった場合は、あなた方の息子は向こうの方を向いて歩かれへんで」と言う事をパッと言うたんですよね。
だけど、余り向こうも被害者なんですから責める事は出来ませんけれども、私たちとしてはそういう思いはあります。

私とこの娘も丁度この1月12日が誕生日です。
で、46歳になります。(会場より「ほぉ〜」と言う声)
だから23年間日本で暮らして、後の半分は北朝鮮で暮らしてしまいました。(嘉代子さん涙ぐむ)
横田めぐみさんの場合は13歳で(拉致されて)行って、41歳になられるんですね。
日本で暮らしたよりも長い時期を向こうで自由を束縛されて暮らしているんですね。
だからいつも思いますけど、まだ暑い時とか春とかは余り思わないんですよ。
この寒いときは本当に、「寒いのにどうしてるかな?」と言う思いがずっとしてます。

だけど何とかして助けてやりたいという気持ちと、日本人としてこういう問題はね。
捨てて置けないんですね。
これが私の子供でなくても、これは日本として自分の国の国民が連れていかれているのに、国内まで入って来て連れて行かれているのに、なんでこんなに20年30年長い人は40年、黙って政府は見過ごしたかと言うことが非常に残念です。

昔の日本人だったらこんな事無かったと思います。
私も大正の一番最後に生まれましたので、その時分の教育を受けております。
だからあの、日本人はこうあるべきだという事をきちっと教えてもらっています。
で、先ほど荒木先生が仰ったように、やはり私らの時代にきちっとして、それを後子供・孫の時代に継いで行くという気持ちはあります。
今のままだったら恥ずかしくてこのまま子供たちに譲れないです。
本当に日本の国は、本当に20年も30年も先だったら今のままで行ったら、逆に植民地になってしまうのじゃないかしらと考えます。

だからもう本当に一日も早くこれをきちっと思い直して、政治家がこれは目覚めてもらわないかんのですね。
自分の票とかお金とかそういう事ばかり先行せずに、この国がどうすれば良くなるかと言う事をキッチリ考えて頂いて良い政治をとって頂いて、日本の国を次の世代に譲っていくという事を考えねば駄目じゃないかなと言う事をいつも思っております。
子供を連れて行かれたのは本当に辛いですけども、それよりも何よりも日本の国が情けない国になった事の方が、私は本当に辛いと思います。

長い年月です。
毎日毎日、思わない時はありませんね?
昼は何となく忙しいから用事にかまけてなんとも思ってませんけども、夜になった時なんか思います。
「今どうしているだろうかなぁ」って、寒いのにねぇ。
曽我さんも言っておられましたけれど、「寒いから夜なんか着れる物全部着て休みよったんよ」って、そういう事を聞いてます。
だから本当にどんな思いで暮らしているんだろうなと思いますと、今荒木先生がして下さっている放送ですね。
あれで私もこの間、私の思いを一応書きましてその事を読み上げましたんですけども、どこかで聞いてくれて、しっかり気を持って、何時の日かきっと日本に帰れるという希望を持って、前向きで一日でも暮らして欲しいなと私はいつも思っています。

一口で23年と言いますけど長い年月です。
この間何で、日本の国がこうして長い間拉致された人たちを放ってたんかなぁと言う気持ちはずっとありますね。
だから私とこ一番最初に手紙が来まして、1990年に金丸(信)さんが訪朝なさる時ですね。
その時に地元の国会議員の先生にお願いしてこれを金丸さんに渡して下さいと言って、これから訪朝なさるんですから、こういうことが日本の国にあるという事をしっかり向こうの国に伝えてくださいという事をお願いしたんですけども、その方が帰って来られてその事務所に私らが寄せて頂いた時に、なんか他所事ばっかり言われたんです。
だからこれは向こうへ行ってこの事をきちっと話さなかったなと思ったので、その時は本当に頭から冷水を浴びたような気がした。
これだったら本当に助ける事が出来ないなと言う事を本当に思ったと言っております。

だから何かがあって、そういうような感じになったと思うんですけども、1990年からず〜っと始まったその国交正常化を、何人かが行かれましたけれども、本当にきちっとした交渉はどなたもなさらなかったんじゃないかな?と思います。
皆北朝鮮ペースの交渉ばかりに終わってしまって、今度小泉首相が行かれて5人を連れて帰ってきました。
けど、その時に何かの約束事があったんだろうと思います。
だからああいう形でこれで結局5人が帰ってきて、結局その家族も帰ってきてこれで幕を引こうとしていらっしゃるんだろうと思いますけど。
今本当に国民の皆様方が、9月17日以降やはりマスコミも私たちの事を放映しましたり紙面に書きますものですから、それが分かってきて、やはり国民の皆様方の世論が物凄い盛り上がってますので、それは出来ないという気持ちは持ってらっしゃると思うんです。
だから本当に国の体を私は成してないと私は思うんですね。

一度報道の方が恵子が行った所を辿って行きたいので、ロンドンへ行って下さいと言われましたので、ロンドンも2度行きました。
その時に向こうでお世話になってました下宿先ですね。
ポールさんて方なんですけど、その方が、恵子がいなくなって今年が18年目か19年目だったんです、その時。
「それだけ日にちが経つのに、日本の国は何をしているんだ?」と言われました。
「イギリスだったらこんな事放っとかないよ」ってそう仰いました。
だから外国の方の方がね、本当にね、言葉は分からないんですけれど、言われる内容がこちらに伝わってくるんです。

それから以降に、斎木審議官と中川(昭一)大臣と一緒に一度ジュネーブの人権委員会にも行きました。
その時に横田早紀江さんの書かれた本の翻訳した物を持って行きまして、人権委員会の高等弁務官のデメロさんと言う方ですけど、その方にそれぞれの家族が一人ずつ、「うちはこうなってこうで、行き先が分からなくなって、結局北朝鮮にいることが分かったんです」と言う事を皆が説明一人ずつ申し上げまして。
最後に横田めぐみさんの本をお見せして、「それは私が書いたんです、それを翻訳してありますのでどうぞお読みください」ってお渡しした時に、第一声にその方が、「私の息子だったらどんな思いがしたでしょう」ってそう仰って。
それで「この本は私は目と心で読みます」って仰いました。
で、「私がここにいる限りは絶対にあなた方の力になって、帰れるように努力します」って言って下さったんですけど、残念な事にあの方はイラクへ行って亡くなられたんです。
爆弾テロに遭われて亡くなられて、この間そこへ(=デメロ氏のお墓)中川大臣がお参りしてくださって、そのときの写真を持って来て下さいました。

本当に外国の方は本当にそう言って、言葉は分からないんですけど言われる事はこちらへ胸に通じて来るんですね。
だから本当にこれだけの事が日本の政治家に出来ないのかな?と、いつも残念で仕方が無いです。
だからどういう形でこういう事になってしまったのか、分からないんですけれども、先ほどもいろいろな方言われたように郵政民営化でああいう形になられましたけど、この拉致と言う問題は国としてどうしても避けては通れない問題だと思います。
自分の国の人間が日本の国まで工作員がたくさん入って来て、それで連れて行くんですからね。
それで知らん顔して何年もそれを隠蔽して臭い物に蓋をするようにして今まで来たと言う事、本当に私たちは納得がいかないんです。
だからこれはどうしても一番に日本の国としては、解決しなければいけない事だと言う事をしっかりと頭に入れていただいて、何とか政治家の方々がこれをして頂きたいと思います。

でないと、私たちは向こうへ行って交渉出来る立場じゃないんですから、やはり外務省の方に行って頂いてして頂かなければいかんのですけれども、今荒木先生が仰ったように本当に外務省の方は頭が良いもんですから、きちっと1足す1は2と言うふうに、答えが出て来ないといけないんだろうと思います。
だから主人はすぐああいう形ですから、この間も「向こうへ行ってこちらの希望通りの答えが帰って来ない場合は、もう良いですから、もうとことんまでね、しなくて良いから、もう席を蹴って帰って来てださい」って言ったんです。
したら斎木さんも一生懸命して下さるんですけども、「そしたら私たちもう必要ないですね」ってちょっとむっと怒られたんですけども、本当にその位にしないとね。
あの国でまず話し合いは無理じゃないかと思うんです。

もう、話し合いはずっと、1990年に始まって現在まで続いております。
でも話し合いではまず無理だろうと思います。
だから何とか、経済制裁より他に無いんじゃないかな、と思うんですね。
私たちもどうしたらちょっとでも進むんかな?と日夜本当に、何も出来ないんですけども思うんです。
だけど本当にどこの集会へ行ってもたくさん来て下さって、道を歩いておりましても何人かの方が必ず「頑張ってくださいよ、私たちはずっとテレビ見て応援してますからね」って言って下さいます。
これが一番心の励みになっています。

だからいつも言うんですけども、ここで皆さんにお話している時は、皆さんの思いがね。
なんかこうこちらに伝わってくるわけですよ。
だから話していて一番嫌な所はどこ?って言われるんですよ。
そう言いますと、議員さんの所でお話しするときが一番返って来ない。(笑い声)
きちっとこっちを向いてくださってるんですけどね、気持ちがこっちに全然伝わって来ないんですね。
だから偉い物だな、気持ちと言う物は何も言わなくても通じる物だなと、いつも思いもってお話させてもらっています。

だけど本当に私らこんな所でお話しするような者じゃなくて、本当に平凡に子供を産んで。
あの、たくさんいるんです、私とこは女の子が5人と男の子が1人。
私はきょうだいは、事情があって一人で育ったもんですから、寂しいもんですから、子供はたくさんの方が良いという気持ちでたくさん産んだんですけれども。
なんとなくうわっと大きくなって、それぞれ自分が勉強が好きな子は大学行ったら良いし、あんまり好きじゃなかったら高校でも良いから自分の勤める所は自分で決めて、自分がここへ行きたいという所は自分が努力して、勤めだけは一生懸命してね、と言う感じで何となく大まかと言うたら良いのか。
そんなに、じゃ一生懸命しなさいよしなさいよと言う形でなくて、何となく過ごしてきましたけど、どの子も本当に真っ直ぐに育って一応、結婚してない子も中にはいますけども、一応家庭を持って。

一月一日の日は全部寄って来るんですね。
そうしますと家族全部寄せますと20人くらいになるんです。
この中にいつも思いながら見てるんですけども、恵子がいたらなと言う気持ちはあります。
あの子も向こうの知らない土地で子供を産んで大きくして、どんな思いで子供を産んだんだろうなという気持ちがあります。
やはり親がありましたら、お産をしましたら(実家に)帰って来て、ある一定の時間は親が見て世話しますけれども、あの子はそれが何にも無くて、知らない所で非常に不便な所で子供を大きくして、どうしてるんかなぁというような思いがずっとあります。(少し涙ぐみながら)
なんとか私ら元気な間に帰ってきて欲しいなと言う気持ちがあるのと共に、やはりその思いはみんなあるんですね。

だから今特定失踪者の人もたくさんいらっしゃいます。
私たちはこうして表へ出てお話も出来ますし、政府の方も会って話も出来ます。
でも特定失踪者の方は本当に雲を掴むみたいな物ですね。
今の所、政府も取り合わないんですよね、ハッキリ言ったら。
何でかな?と思うんですけども、この人だったら間違いないと思う人でも、どういう訳か認定しないんです。

私の場合も家族会を作った時は認定されてなかったんです。
だからもう、私は思ってました。
国が認定しようとしまいが、私とこは向こうから手紙が来たんだから、その手紙が来たってそれが「北朝鮮の消印が無いから」と仰いましたわ。(会場内少しざわめく)
外務省持っていきました時にね。
「だから信用できない」と言う言い方でしたね、要は。
北朝鮮の消印で送れる筈が無いでしょう?
だからそういわれたし、それで全然家族会に入りながらず〜っと認めませんでした、国としては。
拉致であると言うことを認めたのは、八尾さんが2002年の3月12日に法廷で「自分が恵子を拉致しました」と言う事を明らかにしました。
どういうわけか、その前日に認めたんです。
前日に拉致であると言うことを認めました。
国が何を基本に拉致を認めるのか?そこも分かりません。

で、八尾さんの件もありますけれども、いろいろ言われました、あの時もね。
「えらい寛大でしたね?」って言われたそうですけども、何であの時主人が寛大になったか?と言いますとね。
その9年間、二人が動いてどっこも取り合ってくれなかった、その辛い思いがあって。
この人が出て来る事によってきっと道が開けると言う事もありましたし、あの時はかなり警察も八尾さんに期待を持ってたんですね。
帰って来たあの時は赤木(志郎)と言う人の裁判だったんですけども、よど(号ハイジャック犯)の人は帰ってきても何も喋らないんです。

それで一定の時期が来たら執行猶予付きで無罪放免のような形になりまして、平気で街を歩いてます。
だから本当になんであの人たちが帰ってきて、拉致をした人たちが帰ってきて大きな顔をして日本の国で暮らして、拉致された方が何で帰って来れないか?
それでもあるし、帰って来た人が自由に(日本と北朝鮮との)往来が出来ると聞いてます。
それもおかしな話です。
だから本当にこの日本の国はおかしくなってますから、そういうおかしな法律があるなれば、それはきちっと直して、きちっとした法律を作って、そんな人が行き来したら良い事は絶対無い筈です。
そういう人を自由に北朝鮮と日本を行かせるという事を、絶対にさせないようにして頂きたいと私はいつも思っています。

拉致の問題で日本の方々が、元来の日本の姿に戻ったんじゃないかなと思いました。
2002年に帰って来ましてその年の、(翌年)有楽町フォーラムで全国大会がありました。
その時にたくさん来てくださって、その時に6000人程入れる中に、1万人以上の方が来て下さって中に入り切れなくって、あの時は横田さんが表に出て断ったんですね。
「中にお入り頂けなくて申し訳ないです」と言う事を言って頂いて、そんだけくらいたくさん来て下さったあの時に、有楽町フォーラムの緞帳がばっと上がりました時に、本当に私は感激で胸が一杯になって涙が止まりませんでした。
本当に日本の国の国民の皆様方は、やはりみんなきちっとした日本人だったと、これだけの方が私たちのために来てくださったと思いました。
だから私はいつも日本人に生まれて来て良かったというような教育を受けてますし、いつもそういうように思っています。
だから本来の姿に戻ったと思いました。
この事によってきっとまた新しい、本当に昔のままの日本人がまた蘇って来ると思うんです。

今、政治家の方々がきっちりとそう思い直して頂いて、こんな事していたらいかん、こうせないけないということをきっちり思って頂いてきっちりした政治をとって頂いて、日本の国をこうであると言う事をね。
国民の皆坂形の前できっちりと知らして頂きたいと思います。
そのことによって私たちの子供たちも取り返せると思うんです。
今の状態ではとっても取り返すことは出来ません。
だからあの、経済制裁一国がしても駄目だ、他の国が助けるんだからと言う事じゃなくて、日本の国は日本の国としてするべき事があると思います。
この船(=万景峰号)も止めなければなりません。
経済制裁をきちっとして、北朝鮮がどういう形で出てくるかと言うことを見て頂きたいと思います。

私たちももう歳がいきます。
そこへ、向こうへいる子たちも、もう46歳になります。
そしたら、増元るみ子さんなんかももう50歳超えると思うんですね。
だから、その子供たちも歳がいきます。
あの国で病気にでもなったらなかなか、医療機関も整っていませんので、どういう事になるかいう気持ちもずっとその心配も出てきました。

だからなんとか、今年、今年何とか、もう、あの、盛り上がってます。
空気がそのように国交正常化なんて言ってますけど、その事によって開ける道もあると思うんです。
また新たな方へ。
国交正常化を含めて、この拉致問題を解決しないと国交正常化できないんだと言う事を国民の皆様方が知っていただいて、その事によって皆を全員を取り返さないと、この拉致問題は解決しないと思います。
何人かをちょろちょろと返して来て、それで幕を引くという事をして貰ったら困るんです。
だから同じ思いで親たちも待っています。
私も特定失踪者の事も皆一緒です。
長い間同じ思いで待ってるんですから、皆が帰ってきて良かったねって言う様に。
それこそ飛行機一台チャーターしてその中に全部乗せてるくらいの気持ちで、政治家の方がして頂きたいと思います。

何とか今年、今年が目鼻だと思っています。
だから何とか皆さんも最後までご支援下さいますよう、よろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)
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第13回藤沢集会(6)06.1.7 藤沢産業センターにて

『出席議員の紹介』

★司会者

今日はですね、神奈川県内の地方議員の先生方が何人か駆けつけてくださいましたので、議員の先生方のご紹介をさせていただきます。

海老名市議会議員 太田祐介先生(拍手)
鎌倉市議会議員 松尾崇先生(拍手)
鎌倉市議会議員 原桂先生(拍手)
横浜市議会議員 工藤裕一郎先生(拍手) 工藤先生は所用があって(先に)帰られました。

それでは拉致被害者・有本恵子さんのお母さんでいらっしゃいます、有本嘉代子さん、よろしくお願いします。(拍手)
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第13回藤沢集会(5)06.1.7 藤沢産業センターにて

『高英起氏のお話(RENK東京、映像ジャーナリスト)』

Img_1587.jpg

どうも、ただ今ご紹介に預かりました高と申します。
今私はですね、「救え北朝鮮の人民緊急行動ネットワーク」RENKというNGOの東京事務局で活動をしていますが、RENKと言っても、ご存じでない方もおられると思いますので、若干簡単にRENKという組織、市民団体の紹介と、我々がいかに拉致問題、そしてよど号事件に関わってきたか、簡単に、時間もおしてきているようですのでお話ししたいと思います。

RENKの結成というのは、1993年に結成されました。93年に、RENKの代表の李 英和氏(リ・ヨンハ)という関西大学の教授をされている方なんですけれども、李 英和氏はテレビ、メディア等で発言をされているので、みなさんもご存じの方も多いと思います。91年に李 英和氏が北朝鮮に留学をしまして、そのときの体験を元に、北朝鮮がいかに民衆を弾圧して人権を無視しているかと言うことを日本の社会で広めようということで始まったNGOであります。

  救え北朝鮮の人民緊急行動ネットワーク
  http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/
  RENK東京
  http://renk-tokyo.org/modules/news/

毎年、93年に、RENKを始めたときに、北朝鮮はすぐ、きっと崩壊すると思っておりました。
ところがですね、残念ながら12年間、この間北朝鮮という体制が続いてですね、なかなか北朝鮮の人権問題、拉致問題も含めてですね、解決の道がまだ見えないというのは非常に残念ですけれども、今年こそは、何とか北朝鮮という金正日政権が崩壊して、北朝鮮の民衆、そして拉致された方々、全てが救出されることを願っております。

とは言いながらも、毎年ですね、年が明けるたびに、今年こそは、今年こそは、北朝鮮は倒れるだろうと言う風に言いまして、早くも13年間たってしまいましたけれども、先ほど荒木先生のお話もありましたように、何か膠着した状況も動いている中で、何か大きな動きがあるんじゃないかと思っております。

まずですね、よくRENKという立場でいろいろな北朝鮮問題を話をしているとですね、「RENKはなぜ拉致問題にあまり積極的でないんだ」というおしかりの言葉をよく受けることがあるんですけれども、決してそうではないんです。

RENKはですね、実は1995年当時から、よど号事件を通じて拉致問題というものをキャンペーンをしてきました。
まず、よど号、よど号グループとの関わりについて、若干話させていただきたいと思うんですけれども。
よど号とは僕、個人的な話になっちゃうんですけれども、すごく因縁を感じるんですけれども。

70年に彼らがハイジャックして北朝鮮にいっちゃったと。まぁ、その後20年間以上、20年間近く、80年代後半ぐらいまで、ほとんどその情報というのは入ってこなかったですね。

ところが、僕が、(1988年か89年だったと思うんですけれど)その当時、僕は朝鮮総連の傘下にある「朝鮮留学生同盟」というところに参加して活動していったんですけれども。
そこの事務所にですね、ある本がありました。本の著者は田宮高麿です。よど号グループのリーダーです。
本の題名は「わが思想の革命」だったと思います。確かサブタイトルがピョンヤン18年の手記だったと思います。

  【わが思想の革命―ピョンヤン18年の手記】田宮 高麿 (著)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4787788183/qid%3D1136907492/sr%3D8-4/ref%3Dsr%5F8%5Fxs%5Fap%5Fi4%5Fxgl14/503-7584736-8458306

その本を見たときにですね、よど号グループという存在自体は知ってたんですけれども、どういう存在なのかというものに非常に興味がわきまして、その本を読み始めたんですね。その本が、ちょっと失礼な言い方をすれば、ちょっとおもしろかったんです。おもしろかったというのは、何も彼らの考え方は素晴らしかったとか、そういう言うことではなくて、ばからしかったんですよ、ほんとに。
その本には田宮高麿がいかに日本の革命運動の中で挫折して、北朝鮮で主体思想に目覚めていくかと言う課程を本人の手記という形で書かれているんですけれども。
結局書いていることは、北朝鮮の労働党とかの公式見解と全く変わらない形だし、いかに金日成がすばらしいとか、金正日さんが素晴らしとか、みなさんご存じの、主体思想が素晴らしいとか、そう言うことしか書いてないんです。

そういうふうに自分たちの考え方が変わっていく課程の中で、彼らは「総括」「自己批判」と言う言葉を使って、彼ら自分自身を高めていったという話なんですよね。
その「総括」「自己批判」がどういう自己批判かっていうと、彼らは北朝鮮に行って集団で生活をするわけなんですけれども、集団生活していたところが、二棟あったと。一棟は、北側にあって一棟は南側にあったと。毎朝体操をすると。
体操をする場所を巡って、本人たちが、えらい大げんかをして、それについて「総括」するわけなんですよね。(会場笑い)
「おまえら、こんなアホなことするために北朝鮮いったんか」ということでその時は大笑いしたんですけれども。
書いていることは、それはもちろん彼らは大まじめに書いているんですよ、やっぱり。彼らはそう言うことを通じて、自分たちの革命精神の甘さを克服していったというように自画自賛しているようなもんですけれども。

まぁ、その本を読んで、僕もわかったんですけれども、よど号自体が決して彼らが本当にイデオロギー的に、本当の革命を目指して北朝鮮に行ったかというと、やっぱりこれは僕も疑問に感じて、一言で言っちゃうと、<若気の至り>だったんじゃないかと思うんですよね。ただそれはそれで、決して僕は否定しないっていうか。それはそれで裁かれるべきことなんですけれども。

彼らが<若気の至り>で行っちゃったと。
思想的にも彼らは別に何も――
もちろん彼らは日本の中で古典的なマルクス主義とかいわゆる古典的な本を読む中で彼らなりの理論を持っていたけれども、当然そんなものは北朝鮮では通用しないわけですから、そんな中で彼らが徐々に徐々に北朝鮮にすり寄っていく過程というものが、読み方を変えると、そういうことが克明に書かれているところが、私自身は、それがおもしろくて、こうやって人間というのは、洗脳されるんだなと思いました。

ただ読む中では、僕自身も怒りがこみ上げてきて、結局彼らが北朝鮮で生活できているのは、結局彼らを支えているのは北朝鮮の人民だったと言うことなんですね。
ご存知のように、ご存じの通り一般の北朝鮮の人民ほとんどの方は食糧もも満足に手に入らないし、住むところも満足に手に入らない、もちろん移動の自由もない中で、生活している中で、彼らは(もちろん日本に比べれば贅沢な暮らしはできなかったかもしれないけれども)一般の、普通の人の生活をしながら、自分たちの好き勝手に、しょうもない体操の場所をめぐって、「総括」をするような生活をしていたということに関しては、ちょっと聞きたい。一言で言えば<寄生虫>だと思ったんですよね。

そういうことがあったのでよど号に対する怒り、自分自身の苛立たしさというものがあったんですけれども、幸いなことに、その7年後、そのメンバーと直に出会う機会がありました。そのメンバーというのは柴田康弘さんです。
なぜ柴田さんと出会うことができたかというと、僕は関西の生まれで、(関西で)大学生活を送ってたんですけれども、もともと赤軍派というのは関西が強かったんです。
赤軍派にも、いろいろ、セクトといいまして、いろんな派があるんですけれども、全体的には赤軍派というのは非常に仲がよくてですね、わりと行動とか、いろんな運動とか一緒にやってることが多かったんですね。
その中で、赤軍派のあるグループというのがやはり、よど号を支援していました。
その支援していた中心人物が、高槻にある高愛病院(?)という病院の院長の方だったんですけれども。そういうこともありましてですね、その院長の方が主催で、柴田康弘さんの話を聞くという講演会というものがありました。

そのときこれはもう千載一遇のチャンスだということで、ちょっとこれは柴田をとっちめてやろうということで、RENKのメンバー10人ぐらいで行ったんですね。
ところが講演会といっても、ほとんど内輪のメンバーばっかりで、きてるのは、5、6人しかいなかったんですね。RENKのメンバーの方が多かったんですね。(笑い)
ここで、我々が柴田を糾弾というか、あまりにも攻撃するのもちょっと申し訳ないなと思いながらも、柴田の話を聴いていたんですね。
ところが彼の話というものが、心がないというか、人間のかけらも感じないような話であることから、非常にわれわれの仲間もエキサイトしてですね、柴田に手は出しはしませんでしたけれど、かなり口で厳しいことをいいました。

基本的に彼の話を聴いていてびっくりしたのは、彼は「政治活動に興味がない」 と言い切ったんですね。じゃぁ、彼が何に興味があるかというと「自分はビジネスに興味があると」と。
 我々が、柴田さんと話をするときに、ひとつ期待したことがあったんですよ。たとえ間違っていたかもしれないけれど、少なくともあなた達は、日本の人民のために革命を起こさなければいけないと考えて北朝鮮に渡ったわけであるから、そういう、今の、自分たちのやってきたこと、20年間の総括ですよね、彼、特に総括です。それと今の日本、日本人に対する思いというのはどうなんだという、そこに少しでも人間性のかけらというか、人間性のある言葉というのを聴けるんじゃないかと期待したんですけれども、残念ながらそういう話は一切聞けませんでした。

彼らは――
もちろん北朝鮮に対していうことは、(北朝鮮の)公式見解とまったく一緒で、北朝鮮には飢餓もない、飢えも無い、もちろん人々は苦しいけれど、普通に生活している、そういうことしか言わないし。
じゃぁ、何であなたは日本に帰ってきたのか、と聞くと「自分は商売をしたいからだ、金儲けをしたいんだ」と、そういうことしか言わない。
そういうこともありましてですね我々は、かなりエキサイトしてですね、彼に厳しい言葉を浴びせかけてですね、最終的に最後に僕が、彼に言葉を一言投げかけたんです。

「あなたは16歳、(彼は16歳で北朝鮮にわたったと思いますけれど)、16歳という、本当に少年の時期に、北朝鮮に渡って、それから20年間(当時36歳だったんですけれども)つまり自分の人間形成の上で大半を北朝鮮で過ごしたわけですよね。ということは、貴方は今日本に来ていますが、いつか北朝鮮に帰りたいと思わないんですか」と。
彼は、はっきりと「(北朝鮮に)帰りたくない」と言ったんですよ。「えっ、どうしてですか?」「それだけ二十年間も北朝鮮で暮らしたと、ましてや貴方が言うように、北朝鮮は素晴らしい国だと言ったのに、どうしてですか?」と言ったら、「自分は日本人だから」と言うような言葉をきっぱりと、そういうことを言ったんですね。
もちろん、日本人であるから日本に帰りたいのは当然ですけれども、やはりそれは、彼らがやってきたことに対する、あまりにもドライな口調というものに、僕はちょっとあきれ果てて、「これは、これ以上言ってもちょっと無理かな」というふうに思いましてですね、柴田さんとの話し合い、講演は終わりました。

後日談がありましてですね、柴田さんは高槻というところの支援者を中心に生活されてたと思うんですけれども。高槻で我々RENKの若いメンバーだけで、ちょっと居酒屋で飲んでいたときに、飲んだくれてる柴田さんを見かけたんですね。
(こちらも)結構飲んでいたので、後輩のひとりが、「あれ柴田ちゃうの?」とかいうて、「あ、そうみたい、無視しよう、無視しよう」と僕はいってたんですけれど「ちょっと、けしからんから、ぼこぼこにしてきますわ」 とか一人が言い出しまして。
でもそれは、さすがに警察沙汰になるとやばいかなと思って、まぁ、それはかろうじて止めたんですけれど。今から考えるとですね、帰り際にでも頭を一発でもはたいたらよかったかな、とも思っています。
まぁそういう関連で、我々としては、拉致問題をよど号を通じて関わってきました。

まぁ、荒木さんのお話の中で、拉致問題今後の展開とか、いろいろあると思うんですけれども。
基本的に、我々RENKというものは、今は「北朝鮮の民主化」、もっと言うならば、「金正日労働党政権の打倒」というものをスローガンに掲げています。そのために、我々は今、脱北者の救援や支援、もしくは脱北者の情報とか、北朝鮮の内部情報とかを日本に広げるキャンペーンをしております。
先ほど言いましたように、決して拉致問題と言うものに関して、おろそかにしているわけではなくて、我々、基本的に拉致問題も、北朝鮮の難民問題もそうだし、もっと言うならば、北朝鮮の国内にいる北朝鮮の人々の人権弾圧の問題、全てがやっぱりひとつの(解決の)道に結びつくと思うんですけれども、その道というのは「金正日労働党政権の打倒」ということだと、こういうふうに思っています。

以前ちょこっとだけ、拉致問題の中ででお話ししたときに、僕はこういうふうに言ったんですね。
「難民もそうだし、民衆もそうだし、敵は金正日政権だと。拉致されている家族の方々、拉致されている人々の敵も金正日政権だと。敵は一緒なんだから、これは一緒に手を組んで戦うべきではないのか。」と。
それこそが、逆に言えば、金正日政権が怖がっていることではないかと、僕は思っております。
金正日政権というのは確かに、荒木さんが言ったように、話ができない、話しても無駄な政権ていうか、そう言う相手だと思うんですけれど、僕はやっぱり彼ら、彼らと言うより、金正日自身は、おそらく北朝鮮、韓国等含めてですね、周辺諸国の世論にというものを、非常にそれに関しては気にしてるというか、気にしてると思います。

僕は、常にですね、基本的に市民運動としてやってるわけでして、いろんな、政治的な、政治家に対する働きかけとかは、そういうことはもちろん否定はしないし、それはどんどんしなければならないんですけれども、自分たちのできることは、この北朝鮮の人権弾圧という状況をにいかに日本の中に広めていく中によって、日本社会の世論を高めていく事なんじゃないかと思っております。

さきほど、9.17以降、家族の方が、羽田に帰ってきたとき、荒木さんが「やれば、できるじゃないか」と思ったと言うことをおっしゃっていました。あの時僕自身も全くおなじ想いをその時、持ちました。

「あぁ、やっぱりこういうふうに世論が高まって、そういうふうに政治家を動かせば、こういったことは動くんだ」 と。

ただその後、膠着状態になる中で、結構みなさんの中には、「本当に、これで大丈夫なのかな」という不安感があると思うんですけれども、やはり僕は常に、この拉致問題を語るときに、人質を取られている家族というものが、一言で言えば腹くくってるわけじゃないですか?
普通そういう誘拐事件とかで人質を取られちゃったら、普通家族って言うものは、腰が引けちゃいますよね。ほんとに大丈夫なんだろうか?って。強硬姿勢をとることによって人質に何か起こるんじゃないかというふうに弱気になっちゃうこともあるんだと思うんですけれど。この間、やっぱり、拉致家族会のみなさんが、本当に腹をくくっていると言うことは、やはりそれに対して、我々は我々のやり方で、答えるべきじゃないかと思っております。

まぁ、RENKとしては、こういった感じで、いろんなところでお話しさせていただいているんですけれども、基本的には、先ほど言いましたように、北朝鮮の労働党政権の打倒と民主化を求めております。
拉致問題も含めて、全ての北朝鮮に関わる人権問題が一日でも早く、もっと言うなら何としてでも、今年中にはそれを解決できるような形で、今後も頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。
posted by ぴろん at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第13回藤沢集会(4)06.1.7 藤沢産業センターにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話』

Img_1579.jpg

荒木氏、音声ファイル1


荒木氏、音声ファイル2


ご紹介いただきました、荒木でございます。
今日は、正月から、たくさんの方、おいでいただきまして本当にありがとうございます。
限られた時間でございますので、できるだけ簡潔にお話をしたいと思いますが。

おそらくここにおいでのみなさん多くの方が非常に関心を持っていらっしゃるのがこの年末年始に流れました、あの横田めぐみさんや地村さんの事件の実行犯の問題ではなかろうかと思います。

結論から申します。
あのニュースはすべてウソです。

(会場から『え?』)

あの横田めぐみさんや、地村さんをやったのは辛光洙ではありません。違います。

辛光洙はあの事件の頃は、北朝鮮に戻っております。それは彼を捕まえた後の韓国の1985年11月にですね−−
2月に捕まえまして、11月にソウルの地裁で、判決が出ておりまして、その判決文の中に、彼が生まれてからどういう風に行動していったかと、工作員になってから、どういうふうに、どっから日本に上陸して、そしてまた北に戻って、また来て、どういうふうに誰と接触して行動していったかということが、書いてございます。その中には1977年1978年のあの時期は北朝鮮に戻って、教育を受けている時期でございまして、日本にはおりません。抜け出して拉致をしたと言うことはあり得ないわけでございまして、あの報道自体が、(もともとそれを確認する前からおかしいと思ったんですが)やはり明らかに、意図的なウソであろうと、言う風に思います。

韓国政府の関係者の知り合いにも聞いてみましたけれども、まぁその彼も『自分の名誉にかけてそんな地裁の判決が、そんなところで大嘘をつくことはあり得ない』と、言うふうに言っておりました。
で、そうするといったい何でこんな事が出てくるんだと言うことに当然なるわけですね。
あの年末の話は、辛光洙(シン・ガンス)と朴(パク)といわれる西新井事件というですね、いろんな日本人に成り代わって工作活動をやったとされる、工作員の二人が主役として出てきたわけでありまして『それくらいしか、北朝の工作員はいないのか』と、当然あの時ですね、不思議に思うわけですね。

拉致は、相当の数、今、日本政府が言っているだけで16人ですから、実際、まぁ遙かに多い数の拉致が行われているわけでありまして、それをですね、一人や二人でやるなんて事はあり得ない。
あの調子ででてればですね、そこのポスターにある450人全部辛光洙がやったという話になってもおかしくないわけでございます。
何でこんな事になるのかと。
あのニュースがでたのは、だいたい『7時のNHKのニュース』です。

今日もちょっと有本さんのお父さん、NHKの批判をされましたが、いつもは、有本さんのお父さん、NHKの批判をすると、私の方はですね『そんなきついこと言わないで、穏便にしましょうよ』となだめるんですが、やはりあそこから話がどうも始まっているのではないかと思われます。

あのニュースを受けて、各社が動き始めると。で、そして翌日には、各社一面トップとか大々的に乗っかるわけでございます。で、しかし、実際には、しゃべったと言われる人たちはですね、直接の取材を受けない訳なんですよ。
これは9.17のあと、10月15日に帰ってきてから、ずーと同じ状態なんですが、あの時は異常に特殊な状況であったと。最初帰ってきたときは、なんとか彼らを北に戻さないようにしなければいけない。そしてその後は、家族がまだ残っているから、と言うことがあってですね、我々、あの当時、私は救う会の事務局長でしたが、報道規制をしていただかなければいけなかった。で、しかしもう家族が帰ってきたわけですが、その報道規制の状態、未だに続いています。

もし、あの時(年末年始の報道の時)NHKが放送したと。それで、当然各社の拉致の担当記者さんは、本当であれば、普通であれば、蓮池さんに電話をかけて、あるいは柏崎や、小浜にすっ飛んでいって、『これいったいどういう事なんですか』と言う風に聞くわけですね。それに対して、『いや、これは事実関係はこうなんだ』というふうに答えるはずなんですが、ところがそれが全くできない。

そうすると、あと聞けるのは、それを聞いたはずである家族会の方々とか、そういうことになってくる。しかし、それもですね、家族会の方からすれば、そういうことを言われたという事実はたとえ有ったとしても、それが事実であるかの、もちろん確認はできない。 確認はできないけれど、一社が抜かれてしまったら、他の社もですね、そういうふうに動かざるを得ない。そういう状態だと、もしたとえば他にリークが行われれば、それにのもうすぐに飛びつくという状態が、作られてしまっています。

この状態はですね、考えてみると去年の7月ぐらいですか、あの蓮池さんが、太陽里(ちゅんちょんり)、住んでいたところの地図かなんかとかが出てきて、ここでこうしてとか言う、話が出ました。で、あのニュースの時も私非常に不思議に思ったんですが、あの時のNHKの報道はですね、『こうであることがわかった』という報道になっています。わかったはずがないです。裏がとれるはずがない。絶対に。

そういうことを、言っているという報道であればいいんですが、『わかった』と言うことになっている。
あの時は確かその後ですね、クローズアップ現代でも、この問題だけをやっていて、そこでもですね『こういう事がわかりました、という報道になっています。これはもう絶対におかしいです。

それを誰も確認ができない。たとえば安明進が、『ここはこうで、ここはこうで確かにそのとおりだ』 と言う話でもしたのであれば、しまいには別な、脱北者ですとかなんか、他の人でもいいですが、そういう事がでてくれば、確かにそういう可能性があると言うことになるかもしれませんが、そういうものは一切ない。ただ5人が証言をしたと。
それもその本人たちが証言したのではなくて、ただ伝聞で出てきたと言うことだけの話でございまして、これで事態が動くとしたら非常に怖いことでございます。

なんでこういう事が起きているかと。
可能性として一つあるのはですね、日本と北朝鮮の間で(ま、今有本さんがいろんな取引やなんかの話をされましたが)もうすでにある程度のですね、落としどころが決まっている可能性がある。
それはどこかと言うと、この事件をやったのはみんな辛光洙と朴なんだと言う話にしてしてしまおうとしてるのではないかと。

横田めぐみさんも、誰々さんも・・そのうちですね、下手すると、よど号グループのことも隠したいと思ったらですね、『有本恵子さんも辛光洙がやりました』という話が出てきてしまうかもしれません。もう、そういうようなことをして、ともかく『あれ(辛光洙と朴)だけがやったんだ』ということで他のものを全部押さえてしまうと。

そこで、北朝鮮側とすれば、調べてみましょうかとたとえば、日本側に回答して、『朴というのは確かにいたけれども、もうとっくに死んでしまった』といってですね、『もう記録も残っていない。』
それから『辛光洙は確かにいるけれども、もう高齢だから、北朝鮮から出すことはできない、もし日本から来たらば、ちょっとぐらい会わせてあげてもいい。』まぁ30分ぐらいおざなりに会わせて、あとはちょっと体調が悪いからと言って隠してしまう。もう何もしゃべらないと言うことは十分に考えられますね。
へたしたら、北朝鮮のことですから、『いや、これは辛光洙と朴の骨ですよ』と出してきても、これもおかしくないわけでございます。(会場笑い)

そういうような事に日本側でも、そこで話を一段落させて、そこで次ぎに進もうと。つまり、今、日朝交渉の中で、平行して、拉致の問題と、国交正常化の問題を別々にやっていくという話になっていますから、そういう中で『いた、拉致の問題は北朝鮮側、譲歩してきた』と。だから日朝(国交正常化)交渉の方も、進める必要があると。こっちを、進めないと拉致の方も進まなくなると。そういう風な形にしていこうというのがですね、おそらくだいたいの可能性ではないだろうかなと。

ま、もう一つ考えられるのは、警察がそういうような動きに対してブレーキをかける為に出してリークしたという、そういう可能性もあるんですけれど、しかし、それにしては、この事実関係がですね、辛光洙がやったとか言う話というのは、あまりにも変な話でありまして、ちょっと警察がリークするとは思いにくい。
と言うことになれば、もっとその更に上の方で、ものは進んでいるのではないだろうかと言う感じがいたします。
そしてもう一つ言えば、拉致議連の幹事長である西村慎悟さんが逮捕されたのが11月の終わりで、そしてこのニュースが出始めたのは、西村さんが釈放された直後からと言うこともございます。

あの事件について、ま、いろんなことを、もちろん感じられている方、有ると思うんですが。あの政治家の弁護士で、非弁活動で捕まえようと思えば何人だって捕まえられるわけですね。あの西村さんが逮捕された直後になんかの番組で、福島瑞穂がでていて、このことが話題になった話があるそうですけれども。あの福島瑞穂さんって人なんかは当然西村慎悟みたいな一番嫌いなはずなんですが、青な顔して一言も言わなかったいうことでございまして、そういう風に思って、びくびくしている人はたくさんいると思います。その気になればいくらでも捕まえられると思うのですが、一切そんな動きはない。

おそらく、あの逮捕の目的というのは、西村慎悟からバッチをはずさせたいと。バッチをはずせば穏便に済ましてやると言うようなことではなかったかと。ま、本人とそこまで話したわけではないのですが、私の推測にすぎませんが、どうもそういう感じがします。
そういうものすべてが、今何か動いているというふうに考えた方がいいのではないだろうかと思います。これは、何もこれに始まったことではありません。

9.17の時はですね、9,17で北朝鮮が拉致を認めると。『拉致を認めたら、国交正常化交渉を動かす』と、おそらく日本側は言っていたわけです。で、認めたと。認めたら、逆に日本の世論が激昂してしまったと。そしてその次ぎにいったのが、『じゃぁ、生きてると言った5人を返してくれ、ともかく。ちょっと返してくれたら二週間ぐらいで戻す』と。
『そうしたら国交正常化を進める』と日本側言ったんですね。
でまぁ、北朝鮮側は『よし、わかった。こんどはほんとだな』と言って返したのが戻ってこないと。

ある意味でいうとですね、日本の外交の方がうまいのかもしれません。(会場軽い笑い)
北朝鮮をだまくらかしているといえないこともない。

この次ぎやったのはですね、『じゃぁ子供たちは残っているんだから、子供たちを返したら、そうしたら進めてやる 』と言う話になったけれども、子供たちとジェンキンスさんなんかは帰ってきたと。しかしやっぱり進まない。

あの、5.22の時に家族会バッシングということがありました。さきほど有本さんからお話がありましたけれど、あの時にですね、確か共同通信の世論調査だったと思いますが、小泉首相の訪朝を評価する声というのが確か68%ぐらいあったんですね。しかし第一次訪朝の時が86%ぐらいだったと思うので、それよりは低いんですが、まぁそれでも7割ぐらいの人が評価していた。しかしその一方で『これで拉致問題が終わったか』という質問に対してですね、確か8割以上の人が『終わっていない』と言う風に答えている。日本の世論はそう甘いものではないわけでございまして。
で、結局、子供たちが帰ってきても話は前に進まなかったと。

Img_1583.jpg

(↑荒木氏の話に耳を傾けるご家族の様子)

で、その次、その次というのは一昨年の11月になりますが、あの時私が思ったのは、北朝鮮がやる方法はおそらくもう一つしか残っていないだろうと。それはですね、死んだと言っていない人たち、つまり政府が認定していない人の誰かを出してきて、そしてですね、『自分の意志で行きました。今、日本に帰ることは、都合でできません』と。『ただし、自分としては両親に会いたい』と。『だから、お父さん、お母さんもし平壌に来てくれれば会います。早く国交正常化が実現して自由に行き来できるようになればいいと思います』ということを言わせようとしていたのではないかと言う感じがしています。

ところがあの時は、それができなかった。この間帰ってきた北川和美っていう変な女(嗤笑)おりましたが、あの彼女が、どうも目的としては、その要員として使おうとして連れてきたという話しでございます。つまり「自分の意思で行った」と。「私自分の意思で行きました」。鴨緑江で飛び込んだという話も多分ウソじゃないかと言われるのですが。自分で行った、あれもう既に荷物先に送ってあるわけですから(ウス笑)。

 そういうふうに出てきて、「私自分で行きました」と言えば、ちょっとこっち(日本)にいる北朝鮮シンパの方、国交「正常化」を進めようとしている人間が、「ほら見ろ、北朝鮮は折れてきてるじゃないか。あれ(北川某)はたまたま自分の意思で行った人だけども、こういうことはちゃんと信頼関係を作れば、そうしたら次に今度は死んだと言ってる人のことまで進んでいくかもしれない」という世論が作れる。

 それからもう一つは「いや北朝鮮に行った人も、やっぱり自分の意思で行った人もあるんじゃないか?」あるいは向こうでいい暮らしをして、帰りたくないと思ってるんじゃないか? ということを流していくと。それによってこちら側の行動にブレーキをかける。あるいは経済制裁とかですね、そういうのにブレーキをかける、としたのではないだろうかと思います。

 私は、あの時はもうあれしかないと思ってました。しかしそれに対して北朝鮮側がやってきたのは、何やったかというと、あの「遺骨」でございます。それ(荒木氏の予想した策略)ができなかった最大の理由はおそらく、金正日に9.17の時ほどの力がもう残っていないということなんだろうと思います。工作機関の中に手を突っ込んで、拉致した人間を引っ張り出してくるとか、あるいはそれ以外でも工作機関が関与した拉致被害者をですね、たとえ日本政府が認めていなくても出していくというのは、相当なリスクを伴うわけで、実際曽我さんの件ではですね、やったらば逆効果になっちゃったわけですね。

 そうすると、出してくるのはかなりの力を使わなきゃいけない。それが金正日にはおそらくできなかった、ということであろうと思います。

 そしてその「遺骨」、この時はおそらくちゃんとした合意ではなかったのでしょうけど、日本の中の誰かが、「どうせ鑑定なんかできないから、出してこい」と言ったのかもしれません。そうしたらば(遺骨はめぐみさんではないという)鑑定ができてしまった。で、話しが違うということに向こう(北朝鮮)としてはなって相当頭にきた、ということであろう。

 そうすると、その後やってきていること、今やってることもおそらく、そういう意味での落とし所を作りたいということに、それも北朝鮮側だけでなく、日本側だけでなく両方が既にある程度の合意が行われていると、思った方がいいのではないかと思います。

 ですから、今の流れているニュースをそのまま真に受けていますと、その方向へみんなどうしても流れていきます。非常に危険なことですので、ともかくここにおられる皆さんが、おかしいということは、しっかり思っていただきたいと。

 元々北朝鮮とは、ウソをつくことなんてのは、悪いとも何とも思っておりません。

「嘘つきは北朝鮮の始まり」

でありまして(爆笑)、
北朝鮮の「労働新聞」なんて、正しいのは日付くらいでありまして(笑)、
まあ今日のこの集会のテーマから言いますと、まあ

「嘘つきはよど号の始まり」

ということも言えるわけでございます。

 よど号グループも、後ほど有本さんのお母さんが、よど号の一人(赤木史郎)と話しをしたことを言われるかもしれませんが、まったく有本恵子さんの拉致を知らないと、言ってるわけですね。知らないはずがないということは、もう誰もわかっているわけでありまして、それを敢えて知らないと言うことは、彼らの言ってることもすべてはウソだ、ということの証拠でございます。

 ところが、日本人というのはマジメですから、もっともらしい顔をしてウソを吐かれると、ひょっとしたら本当のことが入ってるんじゃないかなと、思ってしまうわけなんですね。これが間違いで、そういう人でない場合には、そういう対応をせざるを得ないのではないだろうかと思います。

 そういう場合は、どういうふうにすればいいか? この会場で前にも言ったかもしれませんが、北朝鮮のやり方のウソの吐きかたというのは、わたくしは「試験問題戦術」という言い方をしますが、ともかくいい加減は試験問題を出して、ぶつけてくる。で、こちら(日本)側で交渉に当たる人というのは、だいたい非常に頭のいい学校の成績が良くて、東大をトップで卒業したような人たちが当たるわけですね。

 そうするとですね、試験問題というと無条件に解くものだというふうに頭にあるわけです。すると出てきた試験問題に、マス目に空白が空いていると、空いたままにしておくと、とても指が震えて禁断症状を起こしてしまう(ウス笑い)。そうすると、ともかく解答を書き込んじゃう。書き込んでいる間に相手は逃げていくわけです。

 しかしともかくマス目が空いていることは許せないということで、一生懸命マス目を埋めて、それから走っていって「ここは、こうおかしいじゃないか」と言って出す。そうするとまた向こうは、またいい加減な問題を作って渡してくる。こんな問題解いても仕方ないと思いながら、でも目の前にマス目があると埋めたくなってしまう。

 こういう交渉にあんまり頭のいい人使う必要はないですね。もうちょっと度胸があってですね、多少頭が悪い。試験問題を元々解けなかった人間を使ったほうが(ウス笑い)、はるかに上手く行くわけでございます。

 北朝鮮という「国」相手に、まともな話し合いで信頼関係を作ろうなんてこと自体が、そもそも間違いなわけでございまして、金正日が代わってまともな政権ができりゃあ、その時はもちろんちゃんと話しをすればいんですけど、今のあの体制でまともに話し合いをしたって通じるわけがない。

 フツーのアメリカ人相手に、スワヒリ語(ケニヤやタンザニアなど東アフリカ地域で多用される言語)で話したって通じないわけですね。それと同じことです。北朝鮮相手に、普通の言葉で話しをしたって、朝鮮語で話そうが、何で話そうが通じない。「馬の耳に念仏」という言葉がありますけど、馬に言うことを聞かせるには、鞭でひっぱたくか、ニンジンをやるかどっちかぐらいしかない。

 そうすると北朝鮮に言うこと聞かせるには、経済制裁を初めとして圧力をかけることしか方法はない。実際に一昨年の前半、ですから3年前の(03年)12月の末ですか、平沢さんが中国(大連)へ行って、北朝鮮の日朝国交担当大使と会う。そしてその後4月に、山崎拓さんと平沢さんがまた行くと。あの時は、その後5.22の小泉第二次訪朝があるわけですけど、あの時一体北朝鮮はどうしていたかと。

 あの平沢‐山崎ルート以外にですね、あのレインボーブリッジ(小坂浩彰代表)という怪しげなNGOを使ったりとか、それから今の総理のですね、あの〜(名前が思い出せない様子)腹の周りが120センチあるという秘書官(ハントウ君こと飯島勲首相卑書官)を使って、飯島秘書官と朝鮮総聯の大物の間とか、いろんなルートを使ってます。

 私、ちょっと見てて、何でそんなにあせるんだろうということを非常に思ってみていたんです。そこでわかったのが、結局あの時、経済制裁が怖くてしかたがなかったということです。あの前の年の暮れくらいから、経済制裁法案が具体化して決まっていく。次は発動だという話しになる。北朝鮮としては、何がなんでもそれを止めざるを得ないという状況に置かれていたわけでございます。

 そしてそういう状況の中で、なりふりかまわず日朝のルートを使っていった、というのが、1年半前の状況だったのではないか? その結果、小泉さんの第二次訪朝になった。そこに向かって、(帰国済みの拉致被害者)5人の家族の帰国最優先ということで行っていたので、そこでだいたい落としどころになっていったのだと思います。

 実際に5.22の小泉第二次訪朝で、北朝鮮は経済制裁は発動しないとか、あるいは在日朝鮮人に差別をしないとか、これは「差別をしない」というのは、つまり在日朝鮮人の個人、個人なんかどうでもいいんですね。北朝鮮からすれば、ただ収奪の対象でしかない。問題は、総聯に圧力をかけるのを止めたい、ということだけで、そのほとんどの目的をとりあえずは達成をしたということであります。

これ裏を返せば、いかに北朝鮮がそういう制裁が怖がっているかと言うことでございまして、ならば、こちら側からは、それ(経済制裁)をやるしか方法はないであろうと言う風に思っています。

本当にひどい状況の国ではあります、そういう意味で言うと。
ただし、これはですね、さっき言ってきたように、9.17の時には、あくまで結果的ですよ、あくまで結果的ですけれども、あの田中均さんをはじめとする、福田康夫官房長官かわかりませんが、ともかく北朝鮮側にですね、『拉致を認めろ』と『拉致を認めたら、日朝交渉進めてやる』と言う風に言って、だまくらかして拉致を認めさせたと。
北朝鮮は、朝鮮戦争も自分からやったと言っていない。あれ、南から攻めたと言っています。
大韓航空機の爆破事件も、ラングーンのテロもみんな我々知らないと言っている。
その北朝鮮が拉致だけは認めたのです。
いかに意味があったかと言うことであります。

そのあとは『5人だけ、ともかく生きてるんだからともかく返してこい』と、『そうしたら戻してやるから』と言って戻さなかったと。
そして次には家族だけ帰してきたら、後は(国交正常化を)進めてやるといって進めなかったと。
と言うことでございまして、今回も、うまくいけば、辛光洙から、なんか取って、ものは進めないということも、まぁ、うまくいけばできるかもしれません。乗せられてはいけませんが。

と言うことで考えると、日本という国は、もどかしいんです。もどかしいし、かなり個別の工作事件のことでは、やられっぱなしではあるんですが、全体としては間違いなく、北朝鮮を押しています。間違いなく。これはですね、ご家族の皆さんにとっては、もちろん自分の家族を取られているですから、一分一秒でも(早く)という事がありますが、私にとっても、そうしなければいけないという思いはあるんですが、少なくとも全体から見れば、こちらが押しているのは間違いないのです。

アメリカはクリントンの政権の時は、逆行しようとしていたと。そのときに、結果的にですけれどブレーキをかけたのは日本であったと。日本だけが、ある意味で言うと、だんだん、だんだんに強行になって、そしてしかもその方針をかえていないということでございます。
ですから、このことが続いていけば、私はですね、どっかで大きな転換を持ってくることができるであろうと、確信をしております。

アメリカの私の友人に前に言われたんですけれど『とにかく日本はすごい』と。これはですね『5人取り返してきた』と。『北朝鮮に拉致を認めさせて』『アメリカでは考えられない』 と言っておりました。ちょっとまぁ意外な話ですね。我々ちょっといろんなところでお話ししますと、アメリカだったら、軍艦を送っても取り返してくるだろうという言い方するんですが、、まぁ、その友人、共和党系の人なんですが、『いや、アメリカ、そんなことしないよ』と言っておりました。『日本ができたのがすごい』と言うことでございまして、これはですね、もちろん社交辞令もあるでしょうが、やはり、我々自信を持っていいんじゃないかと思います。

なんか戦前はですね(具体的にいつどこというのは知らないんですが)ソ連に漁船が拿捕されたときに、ウラジオストックかどこかに、連合艦隊の船が戦艦か何かが行ってですね、港に向けて砲身をそちらに向けたらですね、返してきたと言う話があるそうで、もちろん日本でもそういうことがあったわけであって、今でも、こういう風に取り返してきたということを考えるだけでも、やっぱりそれ(奪還)はできるのであろうと言う風に思っております。

問題は、我々がこれができるんだというふうに確信できるか、それともできないかという問題です。
お恥ずかしい話で有りますが私自身もですね、あの羽田空港を(3年前の10月15日にですね)あの5人がタラップの上から降りてくる時に下で待っていたうちの一人ですが、あのタラップを降りてきた5人を見てですね、一番最初に思ったことは、『なんだやりゃぁ、できるじゃないか』ということでございました。

自分自身、もちろんそれはできると思ってやってるんですよ。運動盛り上げて、そして政府を動かせばですね取り返せると確信をもってやっていた、私自身が、目の前に生身の階段を降りてくる5人を見たときに、最初に感じたのは『なんだ、やりゃぁ、できるじゃないか』ということでございます。実感というのは、こんなに大きなものなんだなぁと感じました。

やられてる、やられてるとばっかり、思っちゃうとですね、なかなか、イメージとして湧いてきませんが、『絶対できる』と確信を持てば、それはおそらくすごい力になると思います。
北朝鮮と日本と比べてですね、これはもう、人口で六分の一、面積は三分の一、そして、国力、経済力は、そういうものは全く話にならない。国際的信用から何からですね、日本と北朝鮮と比べる方が、無理があるわけでございます。

まぁ確かに向こうは軍人が100万人以上いると。人口の20人に一人が軍人という国ですが、そのおかげで、飯食えないで、軍隊の中でも、なんか豚小屋つくったりとかですね、鶏小屋作ったりして、何とか飯くっているという状態のところなんですから、どこから言ったって日本が、そこにですね、負けるわけがないわけでありまして。
我々の力で、絶対できるんだと、このアジアの中でですね、そういうことのできる国は、我が国しかないんだと。そういうことを考えることによって、事態は間違いなく前に進むと思います。

こないだ、12月22日の東京の集会にはですね、レバノンの拉致被害者のお母さん(ハイダールさん)、それからタイの拉致被害者のアノーチャさんのお兄さん、そして韓国の拉致被害者の家族会のみなさんが見えられました。
あれはどういう事を意味しているかと言いますと、別にそういう風に決めてるのではありませんが、日本の力でああいう人たちをみんな、取り戻してあげると言うことです。

我々、外国人だから、それは外国がやってくれということは、これは言えないわけでございまして、この地域にあって、最大の影響力持っている我が国がそれをやらなければ、タイが助けるなんて事は、まずできません。
レバノンだって、あの時の4人取り返したのだって、非常に特殊な条件の中の話であって、本当の意味で、(自国=レバノンの)力で取り戻したわけではない。それができるのは我々しかありません。
それをやる使命も我々には持たされているということであろうというふうに思います。

私ども特定失踪者調査会では、去年の10月の末から『しおかぜ』と言う名前で短波のラジオ放送を始めました。
まちがいなく北朝鮮の中に伝わっているということは間違いございませんので、これから先、今年はですね、この『しおかぜ』のプロジェクトを、単に短波放送発信するだけではなくて、むこうから消息を実際取ってくるという作業をですね、やると言うことにいたしております。これを聞いた人がですね、なんだかの形で、たとえば手紙とか、そういうものを送ってくれるとか、何処かに向けて、なんかしらの、シグナルを送ってくれるとか、それを受け取ることができるようにしておこうと、これからやっていくつもりでございまして、とりあえず東京中央郵便局に私書箱をおきました。

調査会のあります文京区後楽・・・と言いましてもわかりやしませんけれども、東京中央郵便局の私書箱何号といえば、これはもう覚えられやすいと言うことで。
放送も韓国語・英語できれば中国語も含めて、少しでも多くの人が聞いてもらえるように、していこうと言う風に考えています。
ともかくやれる手はみんなやる。

我々のやっていることに対して、『これは本当は政府のやることなのに』と言ってくださる方も、たくさんございます。これもありがたいのですが、私は、少なくとも政府だけがやることではないと思います。やはり日本国民全部の責任としてですね、ここで今平和なところで暮らしている人間の責任として、それはやらなければならない。だから私は今その役割にいるんだからやるべき事、それをやるということでございます。
今、この問題を通して、我々やらなければいけない、考えておかなければならない事は、(この国は)今ここに集まっている皆さんをはじめとして、今この国の中に住んでいる人たちだけのものではないと言うことでございます。

この国が今ここにあるためにはですね、もう何千年も日本という国の名前もなかった頃から。我々の先輩たちが営々としてこの国を築いてくれた訳でございまして、そしてこれから先、このくににですね、次の生命がどんどん生まれて、我々の後を継いでいくわけであります。

我々がやるべきことはその中継ぎです。
全体の、そういうみんな含めた日本国民という意味では、我々の数、1億二千万というのはほんの僅かにすぎません。我々がやるべき事というのは、これまで先人が作って来てくれたことを汚さないこと。そしてこの次の世代にですね、あの頃の世代がいい加減だったから、こんなふうになってしまったということを絶対に言わせないように、次の世代にちゃんとした国を引き継いでいくことであろうと。

そのためには、やっぱりそれ相応のですね、我々自身が犠牲を払う必要があるのではないだろうかということでございます。
我々にはそれだけのことをする力がございます。

今、最初に言いましたようないろんな動きの中で動いておりますけれど、しかしこの国の今の状況をみますと、本当に確信を持ってですね、何が何でも(国交正常化を)やってやろうというところまでの確信では、私はないと思っています。いろんな思惑がごちゃごちゃ集まってるうちにこういう風になっているんだと思いますが、そうであれば、こういう状況の時に打開するのは、最終的着地点はどういうふうにするのかと。何を最後やらなければならないのかというような事でございまして。それをしっかりと見据えてやっていけばそんな大きな間違いはないであろうと思います。

拉致問題に関する限り、最終的な到達点というのは、『すべての拉致被害者を救出する』というこれ以外の何物でもないということでございまして。これはもう当然、そこから派生してですね、北朝鮮に住んでいる2000万の人たち、すべてが平和に暮らせるようになっていくということに間違いなく繋がることでございますので、そこに向かっていくと言うことであろうと思います。

本当に、この正月ですね、お休みの時、おいでいただいた皆様に感謝いたしますと共に、後もう少しで私は、それが実現すると思いますので、ご協力をお願いいたしまして私の話を終わらせていただきます。

ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは、金木犀様と原良一氏の手による物を元に、管理人ぴろんが再構成したものです。
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2006年01月10日

第13回藤沢集会(3)06.1.7 藤沢産業センターにて

『斉藤文代さんのお話』

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皆様、こんにちは。
私もなにか今日は藤沢の方に行かなければと言う気持ちで、昨日の夜は中々眠りにつけなくて。
また朝から主人の食事の支度をして、それで熊本の方から参りました。
松木薫の姉の斉藤文代です。
宜しくお願い致します。(拍手)
 
私の弟はスペインのマドリッドの方から、今度帰って来るであろうと言われているよど号犯の(田宮高麿の妻の)森(順子=よりこ)に拉致されたという事になっておりますけども。
よど号犯の事を考えたら本当に、私は本当に悔しくって毎日毎日それを考えたら病気になりそうなんですけども。
まだまだ私は毎日毎日いろいろな事で希望を持って頑張っております。
母も生きておりますし、まぁ父は亡くなりました。
でも父の分も私は一生懸命やっていけば、全部、今拉致されている家族が絶対に帰ってくるという気持ちで私も毎日行動しておりますけれども。

弟は私の8つ下なんですが、父は男の子が欲しくて欲しくて本当に期待してたんですね。
やっと出来た子なんです。
一番下の5番目に出来て。
もう母はそんなに、「もう私はいりません」と言う考えだったんですけども、父は男の子が何としても欲しいという事で、やっと出来た男の子で、そのときの母父の喜びと言うのは私たちは小さかったんですけど、その時の父の笑顔は今でも覚えておりいます。
本当に忘れられません。
「見なさい、男の子が出来たのよ」「みんなね弟だよ弟だよ」と父の顔が今でも浮かんで参ります。
でも父は平成2年に自宅の方で、母に手を差し伸べるようにして亡くなりました。

それも薫がいなくなりましてからもずい分と探し回って、仕事の合間。
仕事もしなければ私たち子供も育てなければなりませんので、仕事の合間を見まして東京に上京したり、いろんな所に外務省、いろんな所にお願いして探してくださいという事で。
父は頭がおかしくなっても本当に仕方が無いくらい、私はそうだと思いますけど。
一生懸命になってお願いに上がった、それは出来ない事で、出来なかったし。
また父が拉致されたと言う事を知って、今思えば父の気持ちも分からないで可哀想だったなぁと今でも思いますけれども。

でも今母が生きております、まだ。
何としてでも、病院に入院しておりますので、何としてでも薫また有本さん、めぐみちゃん、皆が帰って来ることを願いまして活動しておりますけど。
毎回毎回、年が明ける毎におめでとうございますって言葉が本当に言えないんです。
ここまで出てきて、また今年も解決出来なかったらどうしようって、お母さんが今年持つかなぁってそういう事しかない物ですから。
今の政治の内容を私たちは遠くの方で眺めたり、近寄って話を聞いたりしておりますが、拉致問題って日本の国・・・恥ずかしくないんだろうか?って私本当に思うんですよね。
政治家の方とお話していて、なぜこの問題解決ができないんだろう?って。
日本の国だけこんなことしてるんじゃないだろうか?と、本当に思います。

今日も飛行機の中でお隣に座られた方が、「あの、斉藤さん」って。
「なぜ日本がこれ解決できないんでしょうね?」って言うんですけど、私答え様が無くて。
それで、「郵政民営化より、拉致問題ですよね?」(拍手)って言って下さった事が嬉しくって。
「拉致問題を解決しなければ日本の恥ですよ」って、「僕はそう思いますよ」って。
「僕はいつもテレビなんかで拝見させていただいているけれど、じれったくってどうしたら良いか分からないし、でも国民は皆が応援しているという事だけは斉藤さん、覚えていてくださいね」
って言って下さったんですよ。

本当に私も有り難いですし、最後に飛行機降りる時もですね。
「本当に北朝鮮は(ミサイルを)飛ばしてきますか?」って聞くもんですから、「そんな事は絶対ありません、私はそんな事はしないって誓って言えます」って言ったんです。
そしたら、「あぁ、そうですよね、日本は何てだらしないんだろうね」って、「斉藤さん、またお会いしましょうね、頑張ってくださいね」って言って下さいました。

本当に私は皆さんのそういう気持ちで、毎日日々送らせていただいておりますけども、このような毎年毎年解決しないで、日本の国はこのままで終わらせられるんでしょうか?
これが解決しなければ、私は日本は駄目な国になってしまうと私は思っております。(拍手)
何としてでも、私の母にも会わせてあげたいと思っておりますし。
母は本当に、食事の時でも私時間のあるときは行くんですけど、皆様にお話すると可哀想でならないんですけど、母の・・・やっぱり話さずにはおられない可哀想な所もあるんですよね。

私の名前は忘れているんですけども、薫の事だけはいつも覚えていて、「ペンを貸していただけませんか?」っていうもんですから、私はノートとペンを出してやるんですよ。
そしたら、「何するの?」って言ったら、ペンを握って、今日持って来れば良かったんですけれども、「薫」って・・・(涙で言葉を詰まらせる)
それもこういう・・・それで「会いたい」って書いてあるんです。
で・・・最後に・・・「スナヨ」って書くんですけどね。
本当にもう・・・何を・・・政府はこんなに弟を・・・30年も26年もほったらかしにして、これで日本の国は良いんだろうか?って私本当に涙がこぼれます。(終始涙で声を詰まらせながらのお話)
可哀想で。
でもご飯を食べながらでも一生懸命生きようとする。
食べたくないといっても何としてでも食べさせて、必ず生きさせて、薫に会わせなければいけないという気持ちで私も看病しておりますので、「ご飯も一生懸命食べてね」って「必ず帰ってくるから」って毎日言っております。

ですから、本当に骨の件でも私は2度も骨を持たされました、うちの家族は。
私はそういうことでは絶対に負けないという気持ちがありますから、橋本先生にも、それを鑑定してくださった先生にも本当に良くして頂き。
あの、(骨の)良い所をちゃんとして鑑定して頂いたので、他人の物と言うのが分かりましたので。
私は何度突きつけられても本人の骨で無い限りは私は認めるわけには行きませんので、何としてでも薫達が帰ってくるまで私は頑張り通して、皆様のお力を借りして。
本当に私は無力なんです。
何にも出来ない、毎日毎日、どうしたら良いんだろう?と思っております。

そういう事で挫けていたら、今日は有本のお父さんのお話を聞いていて、私の父が生きていたら同じ事を言ってたんだな、と。
有本のお父さんの言うとおりだな、と思って聞いておりました。
だから私はより以上頑張って、少しでも皆さんが帰ってこれれば、本当にまた笑顔も、家族会の方々の少しの笑顔でも出てくればこれに越した事はないと思っておりますので。
全員帰って来ることが、それが一番望ましい事ですけども、例え何人でもという、私はいつもそういう気持ちでおります。
皆さん本当に何人かでも帰って来れますように、これからもずっと私たちの家族をこんなに泣かせるようなこと、日本政府にさせないように支えになってください。
私たちも一生懸命頑張りますのでどうぞ宜しくお願い致します。(拍手)
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2006年01月09日

第13回藤沢集会(2)06.1.7 藤沢産業センターにて

『有本明弘さんのお話』

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紹介にあずかりました、拉致された有本恵子の父親の有本明弘です。
よろしくお願いします。
今日は結構たくさんお集まりいただきまして、ありがとうございます。

私は今この会場に呼ばれて、言いたい事はたくさんあるんです。
たくさんあるんですけれども、日本の国ではいろんな情報が出てきていろんな戦術が出てきて、最近も出ましたように辛光洙の話も出てきました。
そういう中でどんな情報が出てきても日本の国が、どないも出来ないと言う現実が今日本の国に起こっているんです。
おそらく小泉さんがおる間は何も前進しない。
また、大変危険な状態が生まれてくる可能性もあるんじゃないか?と、そういうふうに思っておるんです。
そういう問題を大手の報道機関も伝えないし、またいろんな週刊誌・月刊誌でいろいろ物を書く人もありますが、そういう事に関しては真実を国民の前に言ってる、そういう人も私はおるように思っておりません。

今現在一番私が危惧しているのは去年ですか?
秘密外交をした政治家がおります。
ハッキリ名前も分かっておりますので、平沢(勝栄)さん、山崎(拓)さん。
このお二方が小泉さんの命を受けて、北朝鮮へ行って秘密外交をしました。
それでその秘密外交がマスコミにばれて、もう秘密外交じゃなくなってしまった。
そうした中で私は、マスコミにそんな秘密外交がばれた以上は、もう白紙に戻して行くべきではないと、そういう事も議連の総会で申し上げました。

議連の総会の平沼さんは、それより先に平沢さんが大連から帰国した時に議連に呼んで議連の役員3人で平沢さんに詰問したんです。
でまぁ、平沢さんはいろいろ弁明をしたらしい。
その中身を当事者である平沼さんにお会いした時、一部始終を聞きました。
どういうことかとこれを言いますと、大連から帰ってきたすぐに議連に呼んで3人の役員が、平沼さん、それと西村眞悟さん、松原(仁)さん、この3人が平沢さんにいろいろ質問をしていろいろしたらしいです。
いろいろな事を聞いた。
そして肝心な事を語る段になって、平沢さんは言葉を濁した。

そういう状況が生まれた時点でこの野党の先生方、このお二方「それやったら私らがおったら困るやろう」というので、部屋の外に出た。
そして平沼さんと平沢さんがサシで話をした。
そういう結果、かなりの所までは平沢さんは喋ったらしい。
そしてもうひとつ突っ込んだ話の答えは「山崎さんとの話もあるので、まぁこの辺で堪えてくれ」と。
まぁそういう話でそこまでは話し合った。
それで平沢さんは「議連に相談なしに、(大連に)行ったという事に関しては申し訳なかった」と、詫びたとそういうふうに話を聞いております。

そしてこれが小泉訪朝につながるんですが、平沼さんはその時点で5人の子供だけを連れて帰るという情報が多分入っとんだと思います。
だから平沼さんの声明文は「5人の子供を連れて帰るだけであれば、行くべきでない」と「代わりの人が行けば良い」と「代わりの人がおらなんだら私が行きましょう」と、そこまでの声明文を出したんです。
にも拘らず小泉さんは行く決心を翻されなくって、行くと決まった時点で平沼さんは面会を申し込んだ。
その時点で、「15分だけなら会う」と、そういう返事があって15分だけ会うて話をしたらしいです。
まぁそれで結果5人の子供は連れて帰りました。

そうした中で・・・これちょっと聞こえが悪いなぁ。(マイクの調子が悪いのを指摘、会場から笑い声)
え〜、どこまで言ったか分からんようになってしもた。(更に笑い声 マイクを新しい物と交換)
そうした中で家族は小泉さんが帰って来た時に、家族の言い分をですよ?
家族の言い分を小泉さんにぶつけたんです。
当然でしょ?
死んだと言われている者の事を言うてくれたんか?と言う話をまず家族はしたんです。

それを官邸記者クラブは逆手にとって、「小泉さんに家族は文句を言うた」と、そういうような流し方をしたんです。
その官邸記者クラブは!
これで状況は一辺に変わってしまった。
話の分かっている人は私たちに味方をしてくれて、いろいろ言って来ました。
「小泉さんが5人の子供を連れて帰って来た、良かった良かった」というマスコミの報道を真に受けた人は、いろいろ我々に文句を言うて来た。
「言い過ぎや」とか。
これが当時の実際の話なんです。
これで皆さんがお分かりになったと思います。

これは家族がその当時会見した時、最初を頭取りして皆マスコミは外に出るんです。
それを最後まで映像を撮った。
そしてああいう放送をした。
官邸記者クラブ、これ20社か30社あるんです。
だからそういう事がおかしいと思う人も中にはおって、「あれは官邸サイドから最後まで撮れ」と言う指令があったからああいうふうに最後まで撮ったんだと。
そこで情報を流してくれた。
これでもう全て分かってしまったんです、我々を。
官邸サイドが官邸記者クラブを自分の意のままに動かした。
これ明白なんです。
こんな事があって良いんですか?

朝日新聞なんかは、安倍(晋三)さん・中川(昭一)さんを標的にしてNHKを呼びつけたと、そこであそこまでの問題が起こったんです。
官邸記者クラブの中には朝日新聞もおるはずなんです。
なんでそこまで、官邸記者クラブに圧力をかけたのは誰や?と、そこまで言わはるのか。
こんな、皆様聞いたらこれはおかしいと思うような事も我々の眼前で行われてきた。
皆様はそれの偽った報道でそれを信じて、「5人の子供を小泉さんが連れて帰ってきた、小泉さんはようやった」と、そういうふうな風潮で今日本の国民の世論は思っておられる方も、半々くらいはあるんじゃないかと思います。

これは第一点。
私たちはこれは皆さん何百人の方にじゃなくて、全国放送に乗せる。
そのメディアが私たちを取り上げて喋らす。
それが日本の国の開かれたマスコミの姿でなければいかんのです。
だからこういう事もこの場に来られた皆さん方は知っておいて頂きたい。

それともう一つ、これも大きな問題があって小泉さんの盟友であって秘密外交をした山崎拓さん。
この山崎拓さんの出身地が九州・福岡と思います。
で、この福岡で山崎拓さんがどういうことを喋っているのか?
これは去年の話になるんですが、「来年に小泉さんの3回目の訪朝はあるかも分からない、それは5分5分だ」と。
そういうような発言をしました。
これは週刊誌がすっぱ抜いてそういう短い文面だけを流した。

その事に引き続いて、また政府間では2兆円余りの金を北朝鮮の過去の植民地時代の償いと、そういう約束で払うと。
そういう話も水面下では出来ているんだと。
そこまで自分らの支持者に喋っている人がいると。
この情報は九州の地方議員の会の人が「そういうことを喋ってるんやでぇ」というような事を私たちに情報として入れてくれた。
何で今この山崎拓さんがそういうことを地元で喋って、3回目の訪朝を匂わせているのか?
それは非常に危険な話であって、今小泉さんが言ってる「自分の任期の間に国交正常化しようじゃないか」と、こう言ってる。
これは明らかに日本の国の皆さん方、また我が国のメディアの皆さん、政治家の皆さん、日本の国に住んでる人は皆ご存知のはずなんです。

この今の時期に国交正常化、誰が考えてもおかしい話で、6者協議今やってます。
アメリカ1者が孤立してもうとるんですよ、今。
日本も当てにならんのですよ、これ、国交正常化と言う限りにおいては。
もうアメリカと一緒に下手に障れないんですわ。
アメリカの方針が決まっとるか決まってないか、あの国に譲歩するはずはない。
アメリカがまだ話の入り口であるにも拘らず、小泉さんは「国交正常化や」と叫んでそのような動きを水面下で起している。
これが我が国の与党・自民党の総裁なんです。

これに対して我が国で異議を唱える政治家はおるんですか?これ?
もう大分前からの声やから。
政治家は与党・野党、これを黙認している。
それにこの国の大手マスコミ、いろんな物書きをする人たちもおる。
これらがこの問題に関しては全然言葉を触れない。
これが我が国の今の現状なんです、これ。
これを誰が解決するのか?
考えてください。

事実を国民に知らす、これが一番大事なことなんです。
私が何百人の人の前でこんな事一生喋っても、何万人十万人くらいの人が聞いて貰えるのがせいぜいやと思います。
私も今年もう80なんです。
これが今我が国の実情なんです。
これを打破するしかないんです。
だから私は小泉さんは・・・(聞き取れず)言わずとも、出来るだけ早い時期に引退願いたいと。
辞めていただきたいと。
2回目の外交、これおかしい。
平沼さんの議連の総会に呼ばれた時点で、もうそういうふうに申し上げているんです。
5人の子供を連れて帰るだけならば、それを花道にして政治の世界を去って貰いたいと。
そういうふうに自民党本部で申し上げました。

なぜ言ったか?
やってはならない事、総理大臣としてやってはならない事をやって帰って来たんやから、それを花道に引退したら国民の皆様は何も分からないから、「小泉さんようやった」と。
「小泉さんでなければ出来ない事をようやってくれた」と、国民に惜しまれて政治の世界を去ることが出来るんです。
そういう意味を込めてそういう発言をしました。
だから前言ったように小泉さんがどういう人か?
もう、日本の国の総理総裁としてはとてもではないが、日本全国から大きな声が出て引退して貰うしかないんじゃないかと、そういうふうに思ってます。

なぜなら自民党、日米同盟を一番重視しているのがあの自民党なんです。
これの総裁が、核とミサイルの話がまだ話の入り口付近でアメリカがどないに転ぶか分からない。
話がこじれたらもう核施設を攻撃だと、そこまで言う可能性もあるんです、これ。
にも拘らず、小泉さんがこういう国民の目の前でこういう作業をとって、誰もこれに異議を唱えない。
こんなおかしな現状が今日本の国に生まれているんです。
私は一番これを危惧しているんです。
そういうことを皆さん、これは嘘じゃないですよ?
だからこれに意義があったら私のところへ然るべき人が文句言うて来てくれたら良いんです。
おそらく理由を持ち込んで私たちに、まぁ私にだね、私がこれを喋りよるんだから。
私にそういうことを言うて来る先生方はまぁおらない。

だから私は今日本の国には、戦後60年間、この60年間の歴史の流れを変える一遇の良いチャンスが巡ってきているな、そういうふうに思っているんです。
だから私は北朝鮮に強硬な姿勢を強めている安倍晋三さん、中川(昭一 農水省大臣)さん、それに今自民党から席を外しておりますが、平沼さんのグループ。
この人たちが政権を担ってやって貰う。
これしかないんじゃないか?と思ってるんです。
なぜならあの平沼さんのグループは、「金正日の政権の崩壊も視野に入れて運動をする」というような一説が、その会の中にあるんです。
ならもう、この人たちに任すしかないんです。

だから日本の与党・野党の先生方、北朝鮮に厳しくやるんだという先生方の勢力を結集して、この人たちが政権を担っていく。
それも国民の前でこの「朝鮮の問題が片付くまでやります」と、そういうような条件を入れて、そういう私は日本の国を背負ってくれる。
そういう事を私は期待して、またそういういふうになるように私なりに努力してやって行こうと思っております。
今後とも、そういうような国、国情になるように皆さん方もお考えになって、また行動して頂きたい。
そういうお話をすると、「私たちは今署名活動だけしかしていないんです、私たちに何が出来るんですか?」と言う質問もあります。

だから私は言うんです。
この政権と一緒に手を携えてず〜っとやって来たのが我が国の公共放送であるNHKなんです。
今NHKには3分の1以上の人が抗議をして、その結果金は払わんと言うような状況が今生まれているんです。
だから我々の署名は今500万、500万台くらいは今集まっとるらしいです。
7年間8年間の運動のあれ。
でもこの中の2割くらい、あと100万150万くらいの人がNHKに抗議をしたらこのNHKは手を挙げてしまう。
真実を国民の前に知らすべきだと。
そういう運動を全国民がやった場合、日本の国は真実を知るんだから、これだけの会場の人ではなくて全国の国民が知るんだから、間違いなく日本の国は変わると思います。
これが私が皆様方に提案できる唯一つのお願いです。
ありがとうございました。(拍手)
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第13回藤沢集会(1)06.1.7 藤沢産業センターにて

『川添友幸 神奈川救う会会長 開会の辞』

本当にあけましておめでとうございますと言いたい所なんですが、全く拉致問題が進展しない中でですね。
私、毎年毎年憂鬱な気分になるんですけども、今年こそはと年明け、感じるところです。
年明け早々からですね。
非常に拉致のいろいろ、実行犯の話が出てきたりですね。
うちの今回の集会の目玉にしています、よど号の犯人が帰国の方向で動き出しました。
こういう状況の中でこういう集会を行ってですね。
声を上げて拉致被害者の方を一日も早く救出する。
そういうことが必要なんじゃないかと思いますんで、本日はよろしくお願いします。
posted by ぴろん at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月16日

第12回藤沢集会(10)05.10.8 藤沢産業センターにて

『川添友幸 神奈川救う会会長 閉会の挨拶』

次回の案内と言うか予定なんですが、今日資料の中に入ってるんですが。
第13回と言うことで、来年の1月7日なんですが講演を予定しております。
講師が有本さんのご両親、それから7月に来ていただきました斉藤文代さん。
更に荒木和博先生、特定失踪者問題調査会の代表ですね。
高英起(コ・ヨンギ)さん、この方RENK東京の方で、北朝鮮からのすごい映像を持って来る在日の方で。
会の名前はそのままなんですが、よど号事件拉致事件を考える市民集会と言うことで。
来年辺りからどうもよど号の帰国が始るような動きが出て来ていまして。
3家族、石岡さんが参加されない状況なんですが・・・・(一部聞き取れず)一応有本さん・斉藤さんをお呼びして、パネルディスカッションみたいなことを私たちやりたいなと私たち企画しておりますんでですね。
ぜひ1月の7日、来年の話ですがちょっと先の話なんですみませんが、ぜひお集まり頂きたいと思います。

それとこの後、準備が整い次第、映画の「ソウル・トレイン」を上映会を始めたいと思います。
一応ここのスクリーンを中心にやろうと思ってますので、もしお時間があれば時間的には1時間ほどですので、御覧になっていただきたいと思います。
私もこの間国際会議でちょっと拝見したんですが、アメリカの下院議長さんが来られまして、映像の中であのような独裁者は倒されるべきだと演説されるシーンがありまして。
なぜ日本ではいえないのかなぁ?と。
ここが非常に印象に残ったシーンなんで、ぜひお時間のある方は御覧になっていただきたいと思います。
こういう会を私たち続けていくしかないと思っていますので、よろしくご協力の方、お願いします。
後いつも本当に情けないお願いなんですが、私たち一応手弁当でやっておりまして、ご協力いただける方がいるようでしたら後ろにカンパ箱もありますんでご協力お願いいたします。
準備が整い次第、上映会を始めたいと思いますので、よろしくお願いします。(拍手)
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第12回藤沢集会(9)05.10.8 藤沢産業センターにて

『高野美幸さんのお話(特定失踪者・高野清文さんの妹)』

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皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
いつもお邪魔させていただいてまして、いつも皆様ご足労頂いてありがとうございます。
今日初めていらっしゃった方には、特定失踪者・高野清文、伊豆七島の神津島から昭和51年の7月30日に失踪いたしました者の妹に当たります。
美幸と申します。
よろしくお願いいたします。

まず今日はですね、私の外に特定失踪者のご家族の方が、寺島さんですね。
鎌倉の花火大会を見に行ってお嬢様が行方不明になられました。
ご両親の方がいらっしゃるかと思いますけど、その場でちょっとお立ち頂ければと思うんですが?
お帰りになられた?あ、いらっしゃいますね。(会場席より寺島夫妻が立ち上がり周囲へ会釈をする。拍手)
集会が始る前からこの会場に足を運んでいただいて、皆さんがこのようにご協力してくださっている姿を御覧になっていらっしゃいますので、これからもご声援をしていただきたくよろしくお願いいたします。

今日は強力なメンバーのお話がたくさんございましたが、今日は私がいつも話をさせていただいておりますので、8月31日の日にですね。
スーパーJ チャンネルと言うニュース、テレビ朝日のニュース情報系の番組で、私の兄がいなくなった神津島についてですね。
調べていただいた映像ですね。
私自身も丁度2年前に上津島の方に伺いまして、調べてきた内容を改めてテレビの映像で放送していただいた経緯がございました。
インターネットではダウンロードして見る事が出来るHPもございますので、ご興味のある方はそちらから御覧いただければと思います。
内容としましては、御覧になれない方もいらっしゃると思いますが、後ろでボランティアをされている方が文字起しというか字で起していただいて。
内容をまたそれをもインターネットが出来れば見ることも出来ますので。

大体概略を申しますと、東京でいなくなった人の事例と言うことで。
なぜいなくなったのかと言う形で上津島の方には取材陣が行きまして、この島が拉致する場所にあるかどうかを調べた時に、千両池と言うこれは池と言う名前が付いていますが、これは昔の火口が地盤沈下をして海の入り江になったと言う所で、外海と全く違って何の波一つ立たない静かな入り江です。
こちらの方、入り江の入り口の丁度反対側のほうに灯台が立っていまして、沖には恩馳瀬(おんばせ)という磯の小島がありまして。
夜でも灯台を目指せばまっすぐ入り江に入ってしまうというと言う様な配置がありまして、そこが非常に特定失踪者の調査会の方でも他に拉致現場でいろいろな場所があるけれど、ここは非常に向いていて、ここほど条件が揃った所は無いと言う話を伺っています。

あと上津島の方では「おたあジュリア」という家康とか秀吉の時代にですね。
朝鮮出兵のときにつれて来られた貴族の娘ですね。
その方がクリスチャンだったが為に上津島までへ島流しにあったと。
その事は実は島の方は忘れていらっしゃったんですね。
うちの兄がいなくなる数年くらい前にヨーロッパの方で、「おたあジュリア」と言う殉教した人がいらっしゃるというデータが出てきて島の方もそれを知るようになってきたと。
それから日本にいる方とか朝鮮民族の方とかが、神津島の方に訪れてお祭りをするようになったと、いうような朝鮮とのつながりがあります。

戦前に日本にいらっしゃった在日の方があの辺でテングサですね。
今寒天ブームで、女性の方は良くご存知だと思いますが。
テングサを採取する作業を行っていたので、そういう方々が帰っていれば海岸とか、あの辺の海の海岸線の地理に詳しいのではないかというお話も出てきています。
そういったことの内容が放送されました。
あと新島の方でも女性が近隣でいなくなっていますので、そちらの方テレビではちょっと名前とか公開されなかったんですけども、マツシタエリコさんと言う方、私の方でこちらの情報も求めておりますが。
そういった放送の内容がございまして、端からかなり神津島って恐ろしい所だったんだねと言うお話を頂いて関心を持っていただいております。

そういった家族の報道があった中なんですが、私いつも母の思いを胸にと思ってこういうところへ来ているんですが。
いつも母の編み物なんかも後ろで販売させていただいていまして、紹介させていただいていますけども。
おととしですね。
丁度子宮がんの手述をしたと言う話をしたことがあると思うんですが、また今年もちょっと検査に引っかかりまして、背骨に二つ黒い影があるとか言う話になりまして。
細胞を取ってみて、悪性ならばガンならば、放射線治療しかないねと言うようなことを今言われている状態です。
特定失踪者、拉致被害者家族の方々、倒れてなくなっていく方がたくさんいらっしゃいます。
私も正直言って、うちの母、時間いつまであるんだろうと。
母に兄を会わせてあげることが出来るんだろうかと、思いながら過ごしております。

そんな中ちょっと実家に帰りましたら、昔から私のうちの家に貼ってあるカレンダーなんです。
100年分あるカレンダーなんです。(大きな茶色のポスター状のカレンダーを広げる)
一番最初で特定失踪者で名前公開されている方、1955年なんで、この辺ですね。
この年に行方不明になっていらっしゃいます。
今が2005年、50年経ってしまいました。
これだけの年数、いなくなられた方、どんな気持ちで過ごされているのでしょうか?

うちの兄、いなくなったのは1976年7月30日、ここら辺ですね。
今が2005年、この辺だと思います。
この期間、兄が拉致だったとすれば、どんな思いで過ごしてきたか。
そしてこの期間、うちの両親、及びそしてここにいらっしゃる寺島さんのお母さんもそうです。
お父さんもそうです。
どんな気持ちで過ごされていたか、カレンダーをちょっと思い出して取りに帰ったんですけども、見た瞬間ますます腹立たしさがますます増したと言うか、悲しさが増したと言うか。
これだけのちっちゃな日々、皆さんどうお過ごしになっていたでしょうか?
私15年くらい日記つけてるんですけども、日記に及ばない日々の思いががあったかと思うと悔しいです。

一刻も早くこの問題解決して欲しいと思っております。
皆様のご協力をよろしくお願いします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
関連リンク

★Ω♪♪♪♪♪  KONAboration-SSQ  ♪♪♪♪♪Ω
9月5日付け サスペンス劇場
http://konaboration-ssq.seesaa.net/article/6579666.html

★aoi blog
9月5日付 8/31 テレビ朝日「スーパーJチャンネル」 拉致疑惑(1)
http://aoinomama13.seesaa.net/article/6599997.html
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第12回藤沢集会(8)05.10.8 藤沢産業センターにて

『横田哲也さんのお話(横田めぐみさんの弟)』

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皆様こんにちは。
横田めぐみの弟のひとりで横田哲也と言います。
我が家の話でお時間をいただきますけどよろしくお願いします。

まずお話に入らせて頂く前にこういう講演会ですとかで思うことなんですけども、私たちは拉致被害者で関係者・当事者で当然運動に携わるんですけども、今日こちらにいらっしゃる救う会の方ですとか、ボランティアの方ですとかが我が事と捕らえて実際に思うだけでなく行動に移してくださる。
その勇気と言うものは、私非常に感謝したいと思いますし、ほんとに頭が下がる思いでいます。
実際私がこの拉致問題に関係なくって、そういう運動や集会があったら皆様方のように参加しただろうか?強い関心を持っただろうか?と感じる時に自信のない面もあるんですね、正直。
そういうときに今日お越しいただいた皆様に本当に感謝したいと思います。
ここまでこられまお越しになっている皆さんの力であり、国民の大きな声があったからこそだと思いますので、引き続きましてのご支援をよろしくお願いしたいと思います。

今日の10月8日の公演の依頼を会長の川添さんから頂いたのが確か2〜3月前のことだったと思います。
その時点でお話しを頂いたときに、10月8日の時点でどういうお話しが出来るだろうか、もしかすると、明るい話も出来てるんじゃないかというふうなことも思っていました。
と申しますのも、2〜3ヶ月前に(公演の依頼を)受けた時点で、一二ヶ月後には、六カ国協議あるからと言うことがあったわけですけれども。
結果的に蓋を開けてみれご存じの通り、何の解決も進展もなかったということで、北朝鮮を除く5カ国は空虚に時間を費やし、振り回され続けたということで、改めて圧力をかけなければ進展しないのだと分かったと思います。

最近のニュースでは、来週中にも日朝協議が行われるのではというふうに言ってましたけれど、今日家をでる前にインターネットを見てきたんですが(ご覧になった方もいると思うんですけれど)今月中の日朝協議の開催は困難だという外務省幹部のコメントがあったということで、結局そうなると、何時話し合いであり、進展がみられるかと、全く見えない状況、つまり、前から全く何も変わっていないというのが現状であります。

先般行われた選挙においても郵政一色で、拉致の問題など全くなかったわけですけれど、近日中にこの郵政法案は可決するんじゃないかと思いますが、その可決後には、速やかに且つ第一優先に、拉致問題に国会議員の先生方は取り組んでほしいと思います。

ちょっと見ながらお話しさせて頂きますが(メモを見ながら)この6日、衆議院拉致問題特別委員会において、町村外務大臣が『首相訪朝も排除しない』ということをコメントされましたけれど。
先ほど市川さんもお話しされていましたけれど、あの北朝鮮という国は、金正日じゃなければ話が進まない、解決しない国であります。
トップ同志の話し合いがなければ解決しないのであれば、小泉さん、相互主義という原則を破ってでも3度でも4度でも行って解決に走って貰いたいという風に思います。

まぁ本当は、小泉さんが、どれだけ本気で解決しようと思って一回目、二回目訪朝されたかわかりませんけど、国交正常化を成立させるよりも、この拉致問題を解決した方が、よっぽど小泉さんも歴史に名を残せるのではないかと思うんですけれども。(会場拍手)なかなかそれが分かっていないんですね。

郵政解散で小泉首相は「国民の総意を聞いてみたかった」と言って解散しました。
一方でこの拉致問題を打開する為に「経済制裁を発動すべきだ」と我々は言っているわけですけれども、いろんなメデイアの調査によりますと、約六割から七割の人たちが「経済制裁すべきだ」と言ってるわけですね。
何故国民の総意を実行しないのかというふうに思いますけれども。
非常に、小泉さん、自己矛盾をあの日と自身が生じさせているのではないかと思います。

国民の動きを機敏に感じ取る方なのであれば、正にこの問題に最優先に取り組めば、あの人の人気であり、自民党の人気も株も上がるんではないかと思うんですが、それに手をつけないのは、やはりなにかこの問題の解決すると困ることがあるんじゃないかというふうに勘ぐってしまうわけなんです。
裏が取れているわけじゃないので、何もこれ以上言えないんですけれども。

よく特定失踪者問題調査会の代表の荒木先生も仰っていますけれど、「この問題が解決したら歴史が変わるんじゃないか」とも仰っていますけれど。
もしかすると、日本政府、日本国というのは暗い闇の部分を抱えているのではないかとも思います。

本題の方にはいりまして、姉のことに関してはいろんなニュースとか書籍とかでみなさまもう十分ご存知かと思いますけれど、私の姉は4つ上でありまして、つい3日前に41才の誕生日を迎えました。
しかしながら41歳と言いましても全くイメージがわかなくてですね、中学の時の小さなといいますか、当時にすれば大きな姉だったのですが、幼少の頃の映像しか頭に浮かばないんですね。

その後、姉の写真なんか出てきた訳ですけれど、やはり現実感どうしてもわかないですね。
当時中学の時の写真しか、イメージしかわかないんですね。
早く本当の姉に会いたいと思っている次第であります。

1977年の11月15日に北朝鮮の拉致工作員によって拉致されたわけですけれど、その当時、<拉致>という言葉すらなかった、たぶん、なかったんだと思います。
<誘拐>とか<人攫い>、<神隠し>、その辺の言葉だったんだと思いますけれど。

ほんとに何処に頼っていいのかわからない、何処に怒りをぶつけていいのかわからないという日々でございました。
で当時母なんかに連れられて(当時、私小学校3〜4年だったと思うのですが)家のそばに護国神社があったんですけれども、新潟の冬、そして夜は真っ暗なんですね、神社なんか電灯が少ないんで、真っ暗な中を、懐中電灯を照らしながら、手を握られながら、「お姉ちゃん」「めぐみちゃ〜〜ん」と探すわけですけれども、やはり子どもながら怖かったという思い出と、その瞬間であり、家に帰ったときの、父であり母の顔をみると、悲壮感であり、鬼のような形相というのを子どもながら見ていたような気がします。

まぁ、ずっとそう言う日々を過ごして行く中で、当時小学校低学年で、子供の頃というのはみんな正直であり、残酷で、子供同士なんか言い合ったり、けんかしたりすると周りの友達から「あれ横田んちの姉貴いなくなるんだよ」と言うんですね。
まぁ、罪があってそういうことを発言しているわけではないと思うんですけれど、やはりそういう言葉を聞くときに、こどもながら「なんでそういう事を、言われなきゃといわれなきゃいけないんだろう」と思って非常に歯がゆい思いをしました。

そういう状況は、今回帰国された5人の方々のお子様も、(日本に今永住されているわけですけれど)、けっして僕たちみたいな、二の舞を踏まないように、日本国民は、暖かくお子様たちを見守っていかなきゃならないんではないかと思ってますので。
やはり一人一人がそういう悪い発言をしていないかとかみていくが責任じゃないかと思っています。

そういう長い日々が続いていくわけですけれど、非常に父や母なんかは不安のピークにず〜と達していたと思いますが、そんな中でも、私たち兄弟(兄の拓也というのがおりますけれど)を、兄であり私を、できは悪いけれど、一応の社会人まで育ててくれたと言うことに関しては、非常に両親には感謝したいと思います。
まぁこういう事件があって、両親との連絡も密にとっていますし、みなさまとそんなに変わりないと思いますが、ちょっとだけ、親に対する気持というんでしょうか、強いのかなと、勝手なうぬぼれではありますけれど、おもっております。

我々兄弟は姉を救いたい、肉親でであるから何とかしなければという気持ちは強いんですけれど、両親の娘に対する気持ちと言うのは、私が子どもをもうけるにいたって、なおさら実感として湧くようになりました。
子どもって、皆さんもそうだと思いますけれど、なにより代え難い存在であって、自分の命に変えてでも何とか救いたいそん存在じゃないかと思うんですけれど、自分が子どもができたときに、「さぞ、両親は辛いんだな」と、「早く楽をさせたい」と思っております。

姉の情報が具体的形で現れてきましたのが、平成9年、まぁ8年前の話でありますけれど。
それからず〜と暗中模索の状態でしたけれど8年目に我々は家族会を作りました。
発足した年というのは、姉が拉致されてから20年と言う年ですけれど、何故こんなに長時間時間を要したのかと、それは、日本政府の怠慢以外の何者でもないというふうに思っております。
怠慢を通り越して怒りすら覚えることが、多々あったわけでありますけれど。

この拉致問題に関わって一番何が悔しかったかというと、どいいう発言が一番惨めだったかと言いますと(文字を間違いたくないので見ながら言いますけれど)平成11年の自民党の外交部会で当時の外務省のアジア大洋州局長で槙田邦彦という人がいたんですね。
その人が外交部会で『たった10人のことで日朝国交正常化交渉が止まってもいいのか?
 拉致にこだわり国交正常化が上手くいかなければ国益に反する』というふうに言ってるんですね。
何処の国の人間かと私は思います。「国益ってなんなんですか」と。
ほんとに許しがたい発言に、今でもこの発言は、許すことができないです。

この槙田邦彦というのは、シンガポール大使を経まして、現在エジプトの大使を多分歴任中だと思うんですけれど、決して、槙田という人間は、エジプトで、我々旅行に行って何かあっても、助けてくれない人間でありますので、エジプト旅行を計画されている方は、(笑い)やめた方がいいと思います。(拍手)

こういう発言からもわかるように、拉致された人命や人権よりも、日長交渉を推し進めて、自分の手柄にしたいんだと言うのが見え見えの歴史がず〜と日本国政府、外務省に続いているわけですね。
非常に不信感が我々家族会にはあるんです。いろいろ今現在は日本政府は北朝鮮に対して、話を投げかけてくれてるとか、もちろんそういうことには否定はしませんが、解決しようと思って動いているのか、うやむやに時間を浪費して、解決と言うか、終結させようとしているのか、ほんとに猜疑心でいっぱいなんですね。

そう言う意味で我々国民は、一事象、一事象に、注目、傾注して、「おかしいことはおかしいよ」と言っていかなければならないと思います。
その手段として、首相官邸にメールであり手紙と言うのがありますけれど、とにかく我々の声を政府、中枢にあげていくことが大事なんだと思います。

ま、そういう、本当に、解決しようと思っているのかどうかわかりませんが、小泉首相が、2度も訪朝したわけでありますけれど、「何をしに行ったか」ということですね。
解決しに行ったのか、終結しに行ったのか、我々にはわからないですね、我々のスタンスでは。

実際9月17日に我々は肉親の死刑宣告を受けたわけですけれど、何の裏もとっていないままで、「あなたのお子様は死んでいます」と。
「なんか情報があったんですか」と聞いても、「何も確認していません」と。
そんな話ないですよね、ほんと。
その辺が外務省、政府と言うのは、今なお(一部不明)

同じような話題で、家の姉とされる遺骨が出てきたわけですが、結果的に捏造だったとわかったわけですが、ほんとに甚だしく姉の人権を冒涜するものであり、日本政府を侮辱した、日本国を侮辱した、つまり、みなさまを侮辱したと言うことです、北朝鮮は。
本当にこれは、日本国民は許せないですよ、ほんとに。
こういうことに政府はもっと怒って北朝鮮に対して発するべきなんですけれど、あまり言わないですね。

去年の12月末に細田官房長官が「誠実な対応をしなければ厳しい判断をとらざるを得ない」と言ってるわけですね。
それから、もう10ヶ月立とうとしていると。
そこからみても、ほんとに解決する気があるのかと、我々はあるわけです。

でも、本当は「経済制裁しろ」と、我々は日本政府に希望しているわけですが、本当にここでほんとうにそういう行動に移さないと、諸外国から北朝鮮以上に、日本国政府が不思議な国、奇異な国と見られるんじゃないかと思っておりますので、主権国家であることを確認する意味でも、やることはやる、国家が講義をするということを早急に取ってもらいたいと思います。

そういう中で、この拉致問題は、相変わらずこう着状態で進展がないわけですけれど、ま、政府が第一義的に動くのはもちろんでありますけれど、もちろんそれだけが手段ではないと思います。
その中の手段としまして、やはり帰ってこられた5人の方々が、もっと北朝鮮であったこと、見たことを、我々家族のものだけじゃなく、日本国民に対してもっと公開して、PRして欲しいと思います。

全てを言うことが、もしかしたら彼ら5人が危険に晒されるのかもしれませんが、その一方で、元北朝鮮工作員・安明仁さんなんかは、北に自分の家族がいながら、危険を省みず、そういうみた事、やってきたことを発言しているわけですね。
ほんと、これ立派なことで、なかなかできないことだと思いますけれど、そこまで、同じような危険を冒してまで「発言してください」とはなかなか、帰ってきた5人の方々に言うのは酷なのかもしれませんが、やはりお子様も帰ってこられたことですし、言うことが責任の一つなんではないかという気もしますので。
もうちょっと落ち着かれてというか、帰国してだいぶ経過してるんですけれど、やはり言うべきときに言わないと、変な方向で、日本国民の目が帰って来た5人に「何やってんだ」というふうに目が行かないように、やはり「おっしゃっていただければな」と思っております。

日本政府であり、六者協議もそうですし、今回国連の方もいろいろ動きがあるようで、対北朝鮮人権決議案というのが国連総会に付託される見込みというのをこれも今朝インターネットで見たきたんですけれど。
諸外国が動いていながら、日本国が動いていなかったら、ほんとに話にならない恥ずかしい行為でありますので。

国がやって、周りが動くと言うのが普通の流れですよね。
特に毅然とした主権国家としての動きをとってもらいたいと思います。

今日も先ほどジャーナリストの西村さんから、専門書のご紹介がありましたけれど、我々成人はああいう専門書を読んでもわかるわけですけれど、(会場笑い)もっと若い方々、皆さん若いんですけれど、基本的に若い、実年齢で中学生、高校生の方々が読んでもわかりやすい本を。決して双葉社の回し者ではないんですけれど。(笑い)
こういう「めぐみ」というドキュメンタリーコミックが出ているんですね。
やはり次世代を担う若い方々が、この拉致事件の真相というところを知っていただくことが、日本国を支えていく原動力になりますので、是非お子様や、学校のお友達に薦めていただきたいよいうふうに思います。

上巻、下巻がありまして、下巻の最後の〆に両親、父母が、姉が帰ってきたらこういうことをしてあげたいと言うことが書いてあるんですけれども、父は何でも新しも好きで、昔から、「六本木ヒルやディズニーランドとか連れてって、進んだ日本を見せてあげたいね」と書いてありまして、一方母は「北海道のような大草原に寝そべって『自由だー!』と言うようなことを一緒に言いたいね」と書いてあります。
ほんとに早くそう言う日が、来ることを祈ってやまないですけれども。
問題の主体である日本政府が非常に消極的なので、非常に怒りを覚えるんですけれども。
早く、そういう日が一日でも早く来ることを祈っています。

つい先日これ、拉致問題とは外れるんですけれど、水曜日だったと思いますけれど、巨人の最終戦があったんですね。そこに後藤選手という選手がいまして、引退試合だったんですね。
終わったあとに、確かアウトだったと思いますけど、お嬢さまがやってきて、後藤選手とわーっと泣き崩れて、お嬢様と抱擁するシーンがあって。(哲也さんの目に涙が)
そのニュース映像ををみて、私も目が潤んでしまったんですけれど。
そういう、めぐみと両親が抱き合える日が早く来ないかなと願っています。

今日は直接的には姉の問題を話させていただきましたけれども、となりにいらっしゃいます市川さんしかり、特定失踪者の方々、何百人いらっしゃるかわかりませんけれども。
そういう方々を救わなければなりませんし。
フォラツエンさん、西村さんがおっしゃっていましたけれど、もう、人間とは思えないような扱いを受けている北朝鮮人民。
ピョンヤンにいる高所得者、党の幹部は例外なのかもしれませんけれど。
虐待をされ、強制収容所に送られて殺されている人間が、ほんとにすぐ隣の国に、そこにいる現実を、私たち、見過ごして良いわけないと思うんですね。
近代社会に、ほんとにあり得ない、こんな国なんですよ。

ほんとに北朝鮮政府、私は、政権交代=レジュームチェンジすべきだと思うんですけれど。
経済制裁発動であり、私たち国民レベルでできることは何かと考えるときに、北朝鮮産のものを口にしないとか、北朝鮮が絡んでいる遊戯なんかに参加しないとか、いろいろあると思うんですけれど。
一個一個から崩していくのがやはり近道になるんだと思いますので、手に取り、口にするときに考えながら進んでいかなければならないと思っています。

いろいろ話したいこともあるんですけれど、時間も限られていますし、また家族会家族会の面々、両親はじめかなり高齢化がすすでおりまして、私たちみたいなちょっと若い世代が担っていかなくてはならないですし、また我々ひとりひとりの力は非常に限られていますけれど、全体で影響すれば、拉致問題が何もなかった所から、ここまでこれたと言う現実もありますから、やはり手を取り合って進んでいくことが、日本国民の証明であると思います。
拉致被害者が日本国に帰ってきたときに、「あなた方は何も運動に関与していないではないか」と、我々兄弟がもし運動に参加していなかったときに「おまえなんか兄弟家族じゃないよ」と絶対に言われたくありませんので。

何らかの形でこの運動に関与して、日本人であることを噛みしめて、帰ってきたときに「ほんとうによかった、よかった」と同胞を迎える体制がなければ、やはり日本人でないと私は思いますので、ま、いつ帰ってくるかわからない問題ではありますけれども、みなさまのこれからのご協力ご支援をよろしくお願い致します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブルーリボン放送に、このテキストの音声が一部アップされています。
あわせてお聴き頂き、集会の模様を少しでも感じていただけましたら幸いです。

このエントリーのテキストは、金木犀様の手による物です。
ご協力感謝申し上げます。
posted by ぴろん at 22:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月15日

第12回藤沢集会(7)05.10.8 藤沢産業センターにて

『西村幸祐氏(ジャーナリスト)のお話』

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どうもこんにちは、西村幸祐です。
今ホラツェンさんが韓国の状況を色々お話されましたので、ちょっとそれを補足するようなお話が出来れば良いかなと思っています。
あの時間もあんまりありませんので。

それと最後の方で時間が無くなって言えなくなると困りますので、最初にちょっとご報告と言うかご紹介したい本があります。
まだ出たばっかりなんですが、自由国民社からですね。
出ました「金正日に正しいメッセージを」と言うタイトルの、何か叢書(そうしょ=シリーズ物の意)になっているんですが1000円以下の本なんですね。
今年の春に東京財団と言うところでやりました、その北朝鮮のシンポジウムと言うのが行われまして、それを本にした物です。

救う会の方々が執筆されていて、平田(隆太郎)さん、西岡(力)さん、それとあと救う会以外のRENKの李英和さん、それと軍事ジャーナリストの恵谷(治)さん、それと安明進さんも加わっております。
それでなぜ経済制裁が必要かと言うことと、経済制裁をやる意味、その方法論、それから軍事的な問題。
あとは国際的な安全保障の枠組みの中での拉致問題の位置付け。
そういったものが全てがわりと分かりやすく網羅されている本ですので、ぜひ読んでいただければと思います。

昨日ですね。
実は重大な発表がふたつありまして。
ひとつは皆さんご存知のように曽我ひとみさんが実は平壌で住んでいた時に、横に住んでいた家にルーマニア人とレバノン人とタイ人の拉致被害者がそれぞれ結婚させられた家庭を持って一緒に住んでいたという事を、曽我さんが実は5月の内に家族会の方に言っていたわけです。
それが公になったのが昨日なんですけども、レバノン人の拉致被害者と言うのは今までかなり知られていたんですが、初めてルーマニア人とタイ人と言う、日本と韓国そしてレバノン以外の拉致被害者の存在が明らかになったと、言う事は大きいと思います。
そういう国際ネットワークが北朝鮮の工作活動に有ったという証明になるわけです。

もう一つ重大な事と言うのはですね。
これは特定失踪者問題調査会の荒木さんがリリースしたんですが。
今月の月末の10月30日から短波放送でもってですね。
北朝鮮に向けてラジオ放送を開始します。
要するに北朝鮮にいる囚われている人を含めてですね。
普通の国民、反体制的の国民は結構ラジオを聴いているんですね。

これは実は姜哲煥(カン・チョルファン)という今朝鮮日報の記者をやってるんですが、今年ブッシュ大統領に招かれてホワイトハウスに入って、彼の書いた「平壌の水槽」と言う本をブッシュにプレゼントして。
というかブッシュが先に読んでいて感動して、姜哲煥さんを呼んだと言うそういう経緯があったんですが。
姜哲煥さんと2年前に話したときにですね。
彼も言っていたのは、結構ラジオでもって北朝鮮に情報が入っていると、言う事実があるわけです。

そういった可能性にかけて日本からですね。
日本からと言うか発信場所は秘密なんですが、北朝鮮全域で聴けるようなラジオの短波放送が今月末からも始ります。
最初は日本語でやるそうです。
要するに何百人いるか分からない拉致被害者の中の誰かが聞いてくれること、あるいは日本人妻として渡っていて帰れない方。
そういう方も含めてですね。
とにかく放送を聴いてくれていて救出しようと言う意思を日本人は持っているということを伝えると、いうことでそのプロジェクトを進めるようになったようです。

それは非常に大きな事だと思いますので、今までの今日のお話でですね。
市川さんのお話もそうです。
それから岡田さんのお話もそうでした。
それとホラツェンさんのお話もそうなんですが、非常に大きな力・見えない力によって拉致問題の解決が妨害されているというのは3年前に金正日が拉致を認めたにも拘らずですね。
日本政府が拉致問題の解決を全く努力していないという事からも分かるように、非常に大きな障害があるわけで。
それに対して私たちはどうやって立ち向かっていくのかと言うことを、もう一度ここから考えなければいけないと思います。

それで先ほどのホラツェンさんの話を補足したいんですが、ホラツェンさんが言っていたのはですね。
国連人権委員会での北朝鮮に対する非難決議を韓国はずっと棄権していると。
ここ数年そういうことをずっとしているわけなんですが、それが非常に皮肉な出来事なんですね。
というのはですね。
なぜかといいますと国連の人権委員会に実は今から12年前の1993年に韓国のあるNGOがですね。
そこに参加しまして。
それで韓国の人権問題をちゃんとする為に国家人権委員会を作ってくれと、申し入れをしているんですね。

それで国連の人権委員会が韓国政府に対して人権委員会を作れという勧告を行ってですね。
97年に金大中が大統領選挙に立候補する時に、国家人権委員会と言うものを作るというのを公約にして当選したんですね。
それが他人事ではないんですね。
というのはですね。
その国家人権委員会と言うのが韓国で何をやったかと言うと、先ほどホラツェンさんの話にも会ったように全く北朝鮮の人権問題、あるいは韓国の拉致被害者の人権問題を無視してですね。
北朝鮮を非難する決議案を棄権するような国になってしまったんですよ?韓国は。
その国家人権委員会があることによって、そういうような国になってしまったんです。

それでその国家人権委員会が行った事と言うのは、2002年の4月から稼動し始めたわけですが。
まず政府に対して国家保安法の廃止を言ってるわけです。
国家保安法と言うのは、もちろん80年代光州事件に代表されるような韓国の民主化闘争の中ですね。
軍事政権を維持する機能として装置として、民主化運動を弾圧した部分ていうのは、それは確かに否めないと思います。

ところがですね。
それとはまったく別の、と言うか本来の機能と言うのはスパイ防止法なわけであって、北朝鮮の韓国に対する工作活動を取り締まる法律が国家保安法であるわけです。
その国家保安法を廃止しろと言う勧告を出したのが、韓国の国家人権委員会と言うところで。
それで大統領に対して、あるいは国会に対してそういう勧告を行っているわけですね。

実はそれと同じようなシステムの物が作られようとしている現実が、今しっかりと注意していただきたいと思います。
日本で成立が予定されていると言われております人権擁護法案というのは、日本に人権擁護委員会と言う物を置いて、それで2万人の人権擁護委員がですね。
日本中の人権侵害の実情をチェックしながら人権委員会に報告して、それで人権委員会が三権分立と言うところからは別の勧告を行ったりあるいは捜査を行ったりするような機能も持つわけです。

ですから今年その法案がですね。
その法案が3月から7月にかけての反対運動によって結局自民党は法案を国会に提出するのを諦めましたが、その時に救う会がその法案に反対した事を忘れてはいけないと思います。
それと当然拉致議連も反対したわけです。
なぜかと言うと、北朝鮮に対してあるいは今日のお話の中で岡田さんが仰っていたような、実際の拉致の実行犯であるちょっと名前は忘れましたけども、その山形と青森ですか。
に住んでいる拉致の実行犯に対してどう報道をしようか、あるいは捜査をしようかと言うときにですね。
そういった人権擁護法によって、それが人権を侵害するという事でそういった報道がされなくなってしまうという可能性が十分考えられるわけですね。

ですからそういったことも含めてですね。
韓国で今ホラツェンさんが仰ったのは、ホラツェンさんが本当に韓国で何年もやってきた痛みの結果、ソウルは平壌に乗っ取られたと。
テイクオーバーと、静かに乗っ取られたと、その様に言ってましたが。
まさに韓国で起きている事はですね、他人事ではなくて。
実は日本がそうなっていくんだ、そういう可能性があるということを十分私たちは考えないといけないと思います。

その証拠にこの3年間で拉致問題は何一つ進展していないじゃないですか。
いったい、先ほど岡田さんが仰ったように政府認定の拉致被害者が何人増えたんですか?
田中実さんがやっと増えただけじゃないですか。
特定失踪者に関しては全く何の進展も無いわけで、これは一体何を意味しているかと言うことをですね。
考えてみるべきだと思いますね。

この前の選挙の結果にしたってそうなんです。
あれが果たして良い方向に向いているのか。
少なくとも拉致問題の解決にとって良い方向に向いたのかどうかと言うことをですね。
十分考えてみて、それで今後の拉致救出運動に皆さんに・・・(聞き取れず)かけたいと思います。

それであんまり時間も無いんですが、韓国の状況についてもう一度ちょっと補足致します。
先ほど韓国の国家人権委員会と言うものが果たした役割と言うものを申し上げました。
最近実際どうなっているかと言うことなんで、ホラツェンさんが本当にここはまるで平壌ではないか?と言って。
KBSをまるで金正日放送だと。
冗談で言ったような錯覚を、そんな事を感じてしまうほどの今状況になっている。

やはりそれは金大中、それから盧武鉉と続いたこの政権がですね。
限りなく反日でありそして反米であると、いう事に原因を求めざるを得ないわけです。
特に金大中が行っていた政権はですね。
もっと輪をかけて先鋭化させているのが現在の盧武鉉政権なわけです。
盧武鉉と言う人は実は絶体絶命と言う状況になっているわけなんですね。
盧武鉉政権自体が。
支持率も低下してですね。
与党のウリ党の支持率も非常に低下して、そういう状況であって、自分は辞めたいとかそういうことを平気で言っていて韓国メディアから叩かれているわけなんですが。

そういう状況になっているんですけれども、だからといって韓国が良い方向に向っているわけではなくて。
ウリ党だけでなくてハンナラ党にしても基本的に反日である事には基本的にはあまり変わりは無くて、ハンナラ党は親米的であるということはありますけれども、この金大中時代から続いている色々な事。
先ほどもちょっとありましたけれども、国家人権法の事もそうですけれども、マスメディアのプロパガンダ。

韓国で自虐史観と言う言葉があるのをご存知ですか?
韓国が日本の教科書を攻撃していることは皆さんご存知だと思いますが、作る会をですね。
右翼教科書だとか歪曲教科書だとか、全く根拠が無いスローガンで攻撃しているんですが。
韓国の中でも実は自虐史観という言葉があって、韓国と言うアイディンティティー、韓国と言う国は曲がりなりにも西側諸国の一員として発展してきて、一時軍事独裁と言う長い時代があったかもしれませんが。
世界でも11位のGNPを誇る国になったのは、自由主義陣営の国として発展してきたから韓国と言う国があった訳なんですが。

そういった韓国のアイディンティティーそのものを否定するような歴史教育、北朝鮮系と言うんでしょうか。
日本で言えば日教組ですね。
そういう左翼の教員たちによって韓国の自虐が行われている。
それに対して韓国の新しい保守派が立ち上がったりしているわけなんですが、そういったことも含めてですね。
先ほどホラツェンさんが言っていた韓国のテイクオーバー現象、北朝鮮に乗っ取られている状況と言うのは良く分かっていただけると思います。

それともうひとつですね。
盧武鉉大統領は人権派弁護士だったということですね。
これも非常に象徴的だと思います。
先ほどの国家人権委員会の事もそうだし、結局その人権と言う言葉がですね。
本当の人権に全く寄与していない。
今の北朝鮮に対する韓国の行動の仕方、接し方。
韓国の拉致問題での取り組み方。
全てが人権を無視した、対象的な北朝鮮の李朝共産的なそういったイメージなり方向に行ってると思います。

先ほどホラツェンさん仰ってましたけど、今年の春頃に北朝鮮で行われた公開処刑の映像が放送されましたね。
ニュースで御覧になった方も多いと思うんですが、あの映像は一切放送禁止ですからね。
韓国では。
全く放送されないんですよ?
ですからこのまま北朝鮮の韓国への工作が入り込んでいくと、北主導による統一に向う事は間違い無くてですね。
それは言葉を変えれば、その方法論は色々あって。
すぐ統一するんではなくて、例えば国家連合のような形を取るとかですね。
その時に北が主流になっていくと。
そういった最悪の事態も日本人は考えなければいけないわけです。

その一つとして、今年になって盛んに盧武鉉政権がやっている、過去史清算と言う言葉がありましてね。
反日糾弾法と言う法律とも関係があるわけです。
当初は去年はですね。
反日糾弾法と言う名前だったんですが、余りにも露骨なんで反民族糾弾法という法律の名前が変わってですね。
日本の統治時代に日帝、日本帝国主義ですね。
日帝に協力した朝鮮人を裁こうという、そういう法律で事後法と言う概念なわけですね。
すでに60年以上の前の出来事を現在の法律で裁こうという、近代国家にはあるまじき法律を成立させてしまって、これ冗談じゃなく成立したんですね。

それで8月の終わりにですね、親日派名簿と言うのが発表されてですね。
今編纂委員会と言うのがあって、過去の朝鮮の歴史の中で韓国のを含めてですけども、親日派の人をですね。
リストを作ってるんです。
その今年の公開分3000人分のリストが8月の末に公開されたわけなんです。
これはあれですよ。
文化大革命の頃の中華人民共和国に匹敵するような野蛮な行為ですよ。
先ほどホラツェンさんは今の韓国の事を実は結構キツイ言葉で言ってたんですね。
通訳の野口さんが上品な方なんで、余りキツイ部分は訳さなかったんですが、愚かとかキチガイ染みたとかですね。
そういう言葉もホラツェンさん使っていたんですが、本当にそういう事をやってるわけですね。

親日派名簿の中に、実は朴正熙大統領ですとか、あるいは朝鮮戦争の韓国救国の英雄と言われているパク将軍ですとかそういう人の名前も全部入っているんですね。
その親日名簿に。
パク将軍といったら、ちょっと歴史に詳しい方だったらご存知のように、韓国軍がプサンまで負い詰められて北朝鮮軍に。
韓国が滅亡寸前の時にプサンから盛り返した、韓国軍のリーダーだったんです。
そのときにマッカーサーがインチョンに上陸したわけですけども。

そういった韓国の建国に非常に貢献した将軍たち、朴正熙ももちろん大統領として偉大な大統領だったんですけども。
彼らが日帝の士官学校、まぁ二人とも満州の士官学校を出ているわけなんですが。
日帝の士官学校を出たから、あるいは旧日本軍の将校だったからという、そういう理由で全部親日派という事にしちゃってるわけですね。
その名簿の中には韓国の今の国歌を作った作曲者ですとか、あるいは韓国の国旗ありますよね。
あの国旗をデザインした人間、あれも全部入ってるんですね。

そう考えるとその反民族糾弾法と言うのは、実は韓国の歴史そのものを全部否定しているという事に皆さんお気づきになるんじゃないですか?
つまり北朝鮮の正当性を訴えている事に他ならないんです。
非常にこれ分かりやすいじゃないですか。
この名簿を作った連中が実はアジア、東アジア連帯、教科書連帯とかっていうメンバーとつながってまして、それが作る会の教科書の攻撃に加わっているわけです。
そういった背景も考えてこれからの拉致問題の解決に当たって頂けたらと思います。

ホラツェンさん仰ったように非常に勇気付けられる提言もされました。
そういうことも考えて、色々な意思の中に拉致問題埋没しているといわれていますが、決してそうはさせないという気持ちを今日ここにお集まりの方は思っていらっしゃると思いますので、今後とも一緒に考えていきたいと思います。
大変短くなりましたが、この辺で今日は失礼します。(拍手)
posted by ぴろん at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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