2005年10月15日

第12回藤沢集会(6)05.10.8 藤沢産業センター

『ノルベルト・ホラツェン氏のお話2 通訳:野口孝行氏(北朝鮮難民基金)』 

韓国にはKBSという国営放送があるんです。
コリアン・ブロード・キャスティングシステムと私は呼んでいましたが。
私は金正日・ブロード・キャスティングシステムとだという他無いと思います。

最終的に私はソウルでも殴られるという事があって、最終的には韓国も追い出されることになってしまいました。
その後、韓国から追い出されて私は今、日本に来ている。
そしてここから何かやりたいと思って今東京に来ているわけです。
具体的に言いますと、もっとこの問題に関してですね。
人々の関心を集め、そして世界中の政治家の人とか、そういう人たちの注目をもっと集めて情報のキャンペーンを行いたいと思っています。

それですね、今もっとこういった活動を続けなきゃいけないと思います。
例えばヨーロッパ、ベルギーもちろんスイス、ドイツですね。
そういった所でテレビをつけると必ずこういったところに飾られているような写真がテレビの画面に出てきて。
東京でこういうことがあった、東京からのニュースだということで世界中でですね。
ニュースが流れるようにはなっています。
皆さんがこういったサポート、そしてこういった思いがですね。
どんどん毎日のように勢いを増してこれからも世界中にどんどん情報が発信されて、現在そういう状況になってきています。

今週国連のジュネーブではですね。
北朝鮮の人権に関して話し合うという場がありました。
今月の18日にドイツのフランクフルトで国際ブックフェアと言うのが行われます。
そこで主賓格の国と言うのが韓国・コリアになってまして、そこで朝鮮半島に関る本が国際ブックフェアにくさん掲げられて、人権の問題もあれば拉致の問題の本、様々な本が国際ブックフェアに出品するという事になっています。

12月にはですね。
今度はソウルでアメリカのフリーダム・ハウスと言うのがあるんですが、ここが世界中の国際的な団体を集めてソウルで北朝鮮の人権に関して話し合うことになっています。
そこでまた北朝鮮のですね。
収容所の問題を暴露と言うか見せるホロコースト・ミュージアムが開かれて、拉致の問題ですとかですね。
自分達の国の命を蹂躙していく北朝鮮の状況を、そういったミュージアム形式で見せていくという動きもあります。

ワシントンでですね。
私はマイケル・ホロウィッツ氏、上院議員のブラウンバック氏、今回の6カ国協議のアメリカの代表でしたクリストファー・ヒルさんたちに会いました。
そして彼らが言っていたのは、6カ国協議の最後の方には必ず人権、拉致の問題を含めた人権の問題を必ず議題に乗せて。
東西冷戦のときに、ヘルシンキ条約と言うのがありましてそこから状況が少し変わっていったというのがあるんですが、そういった物も考えつつ状況を打開していこうという事を彼らは言っていました。

また同時に、たくさんのジャーナリストの人たちが北朝鮮に関して色々な物を書いていますが、同時にですね。
ある劇作家がですね。
北朝鮮に関る問題を取り上げて劇の原作を書いています。
これはフランスのパリで上演される事になっていますし、またこれを扱ったアメリカ映画、ハリウッド映画もこれから作られていくという動きもあります。

このようにですね色々注目は集まっているんですが、結局政治家は自分達から何かやろうと言うんじゃなく、必ず皆さんのアクションと言うか行動、気持ちとかその後に続いて行くということがあります。
ですから必ず向こうが先と言うことがありません。
もっとやはり我々が行動して、韓国、また日本、アメリカというですね。
政府に圧力をかけて頑張っていかなきゃならないと思います。

メディアの関心を集めるためには時には急激なというか、激しい動きと言うかそういう事もやらなくては。
驚きを伴うようなちょっと激しい動きをしなければならないときもあります。
実際にですね、行動を起こす時はタイミングと言うのがとても重要です。
タイミングを失って、洪水だとか事故だとかが重なってしまうと、せっかくやった行動もそちらの方に流れて行ってしまうということもあります。

ただ、それに関して言うと、とても良いタイミングに来ています。
それは11月の15日からプサンで行われるAPECの会議です。
これには小泉首相はもちろんの事、ブッシュ大統領、それにプーチン大統領ですね。
胡錦濤、中国の国家主席ももちろんプサンに皆集まります。

韓国だけでなく北朝鮮にも国際的な注目の集まるイベントがあります。
それは10月の15日なんですが。
それはアリランフェスティバルと言う北朝鮮のプロパガンダを広める為のお祭りが企画されていて、ここには間違いなく多くの西側のジャーナリストが集まって、偉大なる指導者・金正日を称える為にですね。
集まる、そういった体裁を持って集まる事になると思います。

(ホラツェン氏、北朝鮮の旗を広げて立ち上がりながら話す)
そのときにですね。
皆さんもそのフェスティバルに行こうとする事は出来ます。
その時に行動を起こす為にはですね。
スタジアムなんかに仮に行ってですね。
こういった北朝鮮の旗を翻して応援する振りをしてですね。
同時にこういった写真なんかも持っていけたなら、CNNのカメラとかそこで放映している目の前で仮にこういう写真を前に出せばそれは十分なアピールになるし。
そのCNNのカメラの前で、まさに逮捕されるという(くすくす笑い)そういった行動も必要ではないかとそういうふうに思います。(拍手)
60カ国会談のこういった行き詰った状況をですね。
打破するにはですね、はやりこのような激しい動きが必要だと、やはり私は思います。
打開する為にあえて外交的な問題を作り出して、事態の打開を図るという事も必要だと思います。

金正日はですね。
最後通牒を受ける必要があります。
それはもういい加減にしろ、十分である。
そういう最後通牒を突きつけられる必要があると思います。
金正日は犯罪者です。
人殺しであり誘拐者でもあります。
そこで間違いなく国際社会は彼に最後通牒を叩きつけ、もうあなたは終わりだと。
もう降参しなさいと。
そうしないとこれから私たちは何かをしなければならないと。
そういった最後通牒を私たちは突きつけなければなりません。

金正日は良く理解していると思いますが、ルーマニアのチャウシェスク、またユーゴスラビアのミロシェビッチ。
ミロシェビッチは最後通牒を聞かなかった為に、爆撃を受けて今捕まって国際司法裁判にかけられています。
同じ事が金正日にもですね。
こちらの言う事を聞かなかったら同じ事が待っているのではないでしょうか。
皆さん日本人が出来る事は、もちろん日本の拉致被害者を助ける事もできます。
しかし同時に北朝鮮で飢餓に悩んで苦しんでいる人たち、あのような人たちも同時に助ける事ができます。

(日本語で)ありがとうございます。
(英語で)Thank you so much.(拍手)

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あわせてお聴き頂き、集会の模様を少しでも感じていただけましたら幸いです。


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2005年10月14日

第12回藤沢集会(5)05.10.8 藤沢産業センターにて

『ノルベルト・ホラツェン医師のお話1 通訳:野口孝行氏(北朝鮮難民基金)』 

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(日本語で)こんにちは。(拍手)

(以下、野口氏による通訳)
皆さんこんにちは。
私が日本語が喋れなくて直接会話が出来なくてすみません。
私はですね、丁度韓国から帰ってきたばかりです。
韓国と言うのは一般的に今、アンチアメリカでどちらかというと金正日の体制を褒め称えて、大学の教授たちは金日成・金正日の体制、あの人たちを褒めているような状況です。

今ですね、韓国では北朝鮮のプロパガンダだと言いますか、どちらかと言うと北朝鮮を擁護するような論調が、テレビやラジオ・新聞などにすごく蔓延しています。
間違わないで欲しいのはですね。
朝鮮半島といっても私は平壌にいたわけでなく、ソウルの話をしている訳です。

今ですね、韓国はこれまで以上に北朝鮮的な考えが充満していて、本当に北朝鮮のような状況になっています。
韓国と言うのは私にとって余り居心地の良い所ではないと。
住んでいるのもちょっと居心地が悪いと言う、感じるようになっています。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私は北朝鮮に住んでいまして、そこでフレンドシップメダルと言うメダルを貰いました。(メダルの入った箱を開けて会場に披露する)
そしてまたそこで一般の民衆がとても親切で、そういった悪魔的な考えを持つような悪意のある人たちでなくですね。
とても良い人達、そういう人たちと接触したいと思って暮らしていました。

このようなですね、一般の北朝鮮の人たちはですね。
やはり金正日の体制の中でとても悩んで苦しんでいます。
そういうような状況はもちろん知っていましたから、私はですね。
上の人間でなく、ちゃんとお医者さんとして一般の人たち。
一般に北朝鮮が宣伝しているような西側の帝国主義者とかですね。
そういった立場ではなく、お医者さんとして一般の人と接してみて、その結果フレンドシップメダルと言う物を一応貰ったわけです。

そういうわけで友達として友人としてそういったメダルを貰ったわけですから、友達だったらその国の悪口と言うか批判めいた事もですね。
する事も当然だと言うふうに思って、そのメダルを貰った結果そういうふうに意識を持つようになりました。
その結果ですね。
私はVIPのビザも貰い、また北朝鮮で運転免許証も貰いました。

で、これを使ってですね。
私は言論の自由と言うか、言いたいことも言う為に利用して、また自分なりに表現しようとして、これらの特権というか、頂いた運転免許証などを使いましていろんな所に移動していたわけですが。
これは本当に間違いだったと。
結果的に私は処罰されるという事になってしまいました。
結局ですね、こう言ったメダルはですね。
本当のフレンドシップではなくてプロパガンダ、最終的には私は本当のフレンドシップではなかったので、北朝鮮から追い出されることになってしまいました。

その後、追い出された後、私は韓国の方に向いました。
それはどうしてかと言うと韓国では言論の自由もあるし、そういう所で私が撮って来たビデオとか写真とかですね。
日記だとかそういう物を公表できる物だと思って、そこで北朝鮮による人権侵害について発表したい物だと思って韓国へ行きました。
そうやって韓国に行ったわけですが、これで私は大間違いだったと言うことがすぐ分かりました。
私自身ちょっとナイーブだったなと思っています。
結局ですね、韓国の政治家、またメディアにしても政府に対しても本当にガッカリする事になりました。

北朝鮮ではですね、結局色々な監視下と言うか抑制下に置かれていたわけで、自分の車も破壊され軟禁状態みたいな感じになったわけですが。
一度も暴力的なことを受けた事はありませんでした。
しかし私は韓国では3回も殴られるという、そういう事に陥りました。

私は韓国で色々なデモンストレーションをしました。
その中には北朝鮮から逃げてきた脱北者の人たちとも一緒にデモンストレーションをやったんですが、結局政府がいつも行う事は機動隊を呼んでですね。
私たちのデモンストレーションを妨害する事しかなく、政府からは一切のサポートも得られないし、助けも得られない。
本当に希望が無いような状況でした。

皆さんもご存知の通り、前の大統領は金大中です。
今は韓国の大統領は盧武鉉ですね。
この二人は以前韓国の中の軍国的主義的な政権、独裁主義的な政権に立ち向かって闘っていた民主主義に対する同志だったんですが、この人たちが北朝鮮の人権侵害の問題に関しては全く言及することがありません。

国連のですね。
ジュネーブではですね。
韓国というのは、人権に関する投票が合った場合はいつも棄権して一切投票なんかはしません。
6カ国協議で韓国政府は人権の問題が交渉のテーブルに来る事を極力避けるように動いていますし、また自国の拉致被害者の問題を持ち出すことを一切しません。

ほとんどですね。
毎日のように韓国では、秘密資金が韓国から北朝鮮に行っていると言うようなニュースが流れています。
例えばですね。
金剛山の観光の問題で、何かお金が行ったんじゃないか?とかですね。
ケソンの工業地帯の開発に関して、そういった裏のお金が動いたんじゃないか?とかいうようなニュースが毎日のように流れています。

これはですね、言ってみれば、Silent(サイレント ・・・聞き取れず)って言うんですか。
言葉、静かな北による南の占領だというように言って良いんだと思います。
南の方はSunshine policy(サンシャイン ポリシィ)という、太陽政策と言ってそういった政策を掲げていますが、実は北から見ればこれはただの友好の政策であって、陰謀なんかが渦巻きながら北はもう南を占領してしまったじゃないかと言うような感じです。
私はですね。
北による、北での洗脳とか工作活動を批判しますが、また同時に韓国でのそういった洗脳的な動き・工作をやっていくと言うような動きに対しても強く批判します。

メディアにはですね、ある種の偏見みたいな偏った報道がありまして、また左翼系のメディアなんかも一切北朝鮮に関する人権侵害の問題を扱う事もありません。
テレビのニュースなんかでも、日本の拉致被害者に関するニュースなんてのももちろん一切流れませんし、北での強制収容所の問題、またガス室での処刑、また公開処刑のニュースなんかも一切報道される事はありません。
その代わり北朝鮮で行われるアリランフェスティバルですとかね、そういったピョンヤンなんかで行われるどちらかと言うとポジティブなイメージがあるお祭りとかですね、そういうのはとても好意的に報道されるような状況です。

・・・続く・・・

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2005年10月13日

第12回藤沢集会(4)05.10.8 藤沢産業センターにて

『岡田和典 特定失踪者問題調査会理事のお話2』

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その後、全国各地でですね。
取り沙汰されている拉致被害者以外に、ひょっとすれば私の子供も拉致されたのではないか?
私のきょうだいも拉致されたのではないか?と、言うような声が全国から沸き上がりました。
そして全国各地の警察にですね、再捜査の依頼等がございました。

この折にですね。
田中実さんについては、こんなものは拉致は間違いないわけですから。
同じような手法じゃどうも気に入らんと。
代表の長瀬とですね。
まぁちょっと変わった二人でもございますからね。
何か有効な手立ては無いものか?ということで、それであればいっそのこと、実行犯と目される者が分かってるのだから、この人間を特定してですね。
刑事告発をしてみようでないか?と、いうようなことで、私と長瀬の二人で告発人といたしましてですね。
刑事告発に及んだわけです。

そのあと、まぁそれは正直ですね。
これほどマスコミにとればですね。
面白いといっては語弊がありますが、良い材料がきっと無かったんだと思います。
何かと申しますと、他の拉致被害者、これをちょっと考えていただければ良いと思うんですが、もちろん北朝鮮の金正日、とんでもない男ですよ?
とんでもない国家です。
でもそれと同時に、この田中実さんに付きましてはですね。
日本での間違いの無い、実名の挙がった特定した実行犯・協力者がいるわけです。

一人は誰か?
先ほど申し上げました、このラーメン店の店主です。
韓竜大と申します。
この韓竜大、このラーメン店は神戸の青木駅ですね。
ここで営業しておりましたが、そのうち嫁はん子供と喧嘩になりまして、子供4人まで作っておきながら離婚をいたしまして、きょうだいが住んでいる青森県は八戸の方に参りました。
八戸でも同じようにラーメン店を経営いたしまして、まぁデタラメなラーメン店やったみたいですね。
すぐにまた倒産をいたしました。

この八戸の韓竜大はどういうわけか愛人を作ってですね。
朝から晩まで、我々が告発した折ですね。
パチンコ三昧の毎日を送っていたわけなんです。
これはマスコミにとって面白いわけですな。
追い掛け回すわけですね、この韓竜大を。

今一人は曹廷楽と言う男でして、これは現在も山形市、ここでパチンコ店を経営しております。
のうのうと経営しております。
これも追い掛け回すわけです。
後で色々と話を聞きましたけども、田中実さんの拉致のテレビ番組。
情報番組、ワイドショーを流しますとですね。
数字が二つか三つ上がるそうですね。
ワイドショーの中にはですね、過去の視聴率の最高記録だという報告もいくつか受けました。

やはり国民にとったらですね、日本の中でのうのうと拉致の協力、あるいは実行した人がですね。
今も変わらずのうのうと、しかも不思議な事に八戸であれ山形であれですね。
この二人ものの見事に同じくらいの年代の、若いとは言い切れませんけどもね。
愛人を携えて毎日うろうろしているわけですなぁ。
許せないわけですね。
こういう人間がのうのうと今この国で暮らしていると言う事。

そしてまた不思議なことにですね。
当時は拉致認定も何もされて無いんですよ?まだ田中実さん。
にも拘らずですね。
この山形(八戸の言い間違いか?)の韓竜大はですね。
田中実さんは北朝鮮におるということを認めるわけです。
そしてですね。
じゃあ誰がやったんか?と言えばこのパチンコ屋のおっさんの曹廷楽がやったと言う事を一生懸命言う訳です。

山形のパチンコ屋のおっちゃんのところに行きますとね、曹廷楽のところに。
今度はですね。
北朝鮮におるところは認めるんですけども、あれをやったのはラーメン屋の親父である韓竜大とですね。
この暴露本を書いた張龍雲だという事を一生懸命言うわけですね。
お互いに北朝鮮に拉致された、北朝鮮にいることは二人とも認めるわけです。
にも拘らずですね、自分は関与していない。
同じ洛東江と言うグループのもう一人の方がやってるんだと。
まぁこういう話に終始するわけですね。

このような中でですね。
時間が経緯いたしまして、正直ですね。
我々10月4日ですから、告発したんが。
丁度3年前になるわけですね。
2年半、私ども警察の方に聞きに行きましてもですね。
一生懸命やってる。
ただ、証拠が無いよと。
立件出来ないと。
だから拉致認定できないよと。
こういう返事ばかりなわけなんですね。

にも拘らず、いきなりですね。
この4月のわざわざ事故のあった日に、2年半放っとらかしてですね。
この日にわざわざ、拉致認定と言うことで同じ兵庫県の事件の日の発表ということになったわけなんですね。
どっかおかしいんじゃないんですかね?
本当にこの拉致問題、この国は、真剣に、毅然と、解決しようと言う気持ちが本当にあるんでしょうか?
2年半放っとらかしにしとった物、1週間遅らして発表して何か問題ありますか?
一月遅らして発表して何か問題があるんでしょうか?

いま一つ。
3年前の小泉首相最初の訪朝のあと、クアラルンプールで日朝交渉と言うのが行われております。
ここで金正日が認めた拉致被害者以外に日本政府は3人について、安否確認を求めております。
一人は田中実さん。
そして今一人は小住健蔵さん。
そして特定失踪者問題調査会で1000台番リスト、拉致の可能性が非常に高いと我々が見とります、松本京子さん。
この3人の安否情報を実は求めているんです。

小住健蔵さんご存知でしょうか?
原敕晁さんの事はご存知ですね?
パスポート・免許証を辛光洙に使われた、いわゆるこういうのを背乗りと言うそうですけども。
成り代わり。
北朝鮮のスパイは日本人に成り代わって、その目的の為に拉致をした、と。
こういうケースですね。

実は小住健蔵さん、同じ事が起こってるんです。
パスポートが使われてるんです、小住健蔵さんも。
同じケースなんですよ。
私たちは一生懸命、同じ神戸におりましたんでね。
やはり地元の方、田中実さんの問題と言うことが一番だと、言う事で一生懸命活動いたしました。
何としてでも田中実さんの事を国民の皆さんに知っていただこう。
そういう事で活動を続けてまいりました。

告発する10月には10月1日からその年の3ヶ月。
年末の一杯までほぼ90日ございますが、そのうちの75日ぐらい、まぁ雨の日と特別な用事のあるときですね。
東京に来るとか。
これ以外はず〜〜っと75日間、わずか4名5名の人数ですが、毎日2時間街頭に立ちました。
署名活動しました。
神戸には冬の名物があります。
ルミナリエというのをご存知ですか?
あの綺麗やつですわ。
あの間中ず〜〜と大丸の駅前2週間、毎日街頭署名に立ちました。

知事のご挨拶にも行きました。
神戸市長はたまたまこの田中実さんと同じ小学校、中学校の出身だったんです。
12月に入りますと、兵庫県庁の中にはブルーリボンと署名板とそしてカンパ箱すら置いてもらいました。
神戸市役所の中には同じくブルーリボン、署名簿、そしてカンパ箱ありました。
出来ることは何でもやったつもりです。
でもあくまでもこの暴露した告発者であったりですね。
あるいはその名指しされた人間の伝聞情報、状況証拠に過ぎないわけですね。
私ども知ってる知ってると申しましてもですね、裏一つあるわけじゃないんです。

小住健蔵さん。
パスポートが偽造されとるんです。
おかしいじゃないですか?
順番が逆じゃないですか?
私どもはそのように考えてますよ?
小住健蔵さんがなぜ拉致認定されずに、先に田中実さんが拉致認定されるのか?

田中実さんが拉致認定されたあと、私どもに様々な話が入ってきております。
小住健蔵さんの拉致認定は近いと言う話がありました。
もうひとり、松本京子さんもこの秋には拉致認定されるだろうと言う情報も入ってきました。
まぁこんだけ暑いんですから、秋も来るんが遅れとるんでしょう。
何時までもそのような話は無い。
じゃあ、これは一体なんなんだ?と言う話なんです。

現在16人の拉致被害者が認定されております。
私ども拉致の可能性が排除できないと言う事で、全国からすでに450人にも及ぶ方、特定失踪者として発表しています。
このうちの34人については極めて拉致の可能性が高いと言う事で、そのような発表もしております。
またこれとは別に、先ほど申し上げました小住健蔵さん。
またよど号の犯人である、岡本武の妻として北朝鮮に拉致された福留貴美子さん。
間違いないです。
寺越さんどうなっとるんでしょうかね?これ。
まだ拉致認定されてないんですよ?
寺越さん所の3名、拉致認定されてないのですよ?

じゃあなぜ?田中実さんが先に来るのか?
一つ思い当たりましたよ。
何か?
実は特定失踪者問題調査会、ここでの古川了子さんが現在拉致認定訴訟をしているんです。
拉致認定なんてのは私ども、極めて恣意的なものだと思っております。
一体何の根拠があって今までから現在、現在に通じるまで、何の根拠があって拉致認定したと言うのがあるんでしょうか?
何一つ無い。

法廷でいよいよ古川了子さんの事、政府にこの国に国家に、拉致認定の基準は一体どうなっとるんですか?と。
なぜ誰それが拉致認定で、古川さんは違うんですか?
こういう問いかけを私ども始めたんです。
こんなもん、答えようが無いですよ?
いい加減な事ずっとやって来たんだから。

となると、あの特定失踪者に、先ほども兵庫県警で煙たがられていると言われましたけど、あのうるさい岡田が田中実でもやっとった。
さぁ今度は古川了子さんでまたやりよると。
こら先やっとかないかんかと違うか?と。
こういうふうに私たちが勘ぐってもおかしくないような、順番が逆の拉致認定だったんです。

本当の意味でこの日本と言う国がなんとしてでも拉致問題を完全解決するんだと、強い意思を示すんであればですね。
明らかになっている。
少々フライングがあっても良いじゃないですか?
100人であれ200人であれ良いじゃないですか?
拉致の可能性があるものがあれば、堂々と政府は拉致認定をして、北朝鮮に突きつめる必要性があるんではないんですか?(拍手)
今が正念場です。
どうか皆さん、一緒に闘って参りましょう。
どうもありがとうございました。(拍手)

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2005年10月12日

第12回藤沢集会(3)05.10.8 藤沢産業センターにて

『岡田和典 特定失踪者問題調査会理事のお話1』

皆さん、こんにちは。(会場より「こんにちは」の声)
ご紹介いただきました、神戸から参りました特定失踪者問題調査会の理事をいたしております、岡田でございます。
よろしくお願いいたします。(拍手)
去年は東京の方もでおかしいんじゃないんですか?とお世話になった者でございます。
まぁちょっと分からないようでございますが。
実はですね、今日はこの4月にですね。
拉致認定されました田中実さんについて、少しばかりお時間頂戴しましてお話させていただきたいと思います。

皆さん、今年の4月25日、兵庫県内ではふたつの大きな事が起こったんです。
覚えておられますでしょうか?
まずひとつ、例のJRの西日本の尼崎の事故なんですね。
朝の9時18分だったと思います。
おそらくこの横浜、神奈川でも同じ事だと思うんですけれどもですね。
私の家から申しますとですね。
それこそ私もJRの近くに住んでおりますので、快速電車でしたら15分くらいの場所なんですね。
そこで100人を超える人たちがお亡くなりになられたと。
こういう事故があったんですね。
これが朝の9時18分ですわ。

それでですね。
2時くらいになってですね。
私の携帯が鳴りっ放しになるんですね。
もうひとつ大変な事が兵庫県警を中心にして起こってる訳です。
何かと申しますと、共同通信社がですね。
どうやら田中実さん、今日中にもですね。
政府が拉致認定の方向で発表するらしいと。
こういうことなんですね。
同じ兵庫県内の、何でわざわざこんな日にと、言うような時にですね。
びっくりするような情報が私の元に入ってきたんです。

当然の事、兵庫県内のマスコミ各社の皆さん。
一人として新聞社、各それぞれの会社に一人として残っておられません。
全部出てます。
いません。
拉致担当のそれぞれ各社の皆さんも神戸にはいらっしゃるんですよ?各社とも。
皆、尼崎に事故の応援に出払ってます。
誰一人出てません。
私の携帯に入ってまいりますのは、事故現場から
「いやこういう情報が東京から出ている。ついてはどういう事なんだ?」と。
言うような話なんですね。
まずこれは私は不思議で仕方が無い、と。

私ども、救う会神戸の代表をしております長瀬と私と二人でですね。
田中実さん、拉致の実行犯と言うのを刑事告発いたしました。
2年半前でございます。
2002年の10月4日なんです。
無しのつぶてなんです。
わざわざこの日にですね、拉致認定をなぜするのか?と。
その辺の話も含めてですね、これから少しばかりさせて頂きたいと思います。

田中実さん、小さい時にご両親が離婚されました。
昭和24年生まれです。
実を申しますと奇しくも私と同じ年なんです。
現在56歳になられます。
灘区内の神戸市ですね。
灘区内の児童養護施設に預けられました。

これがまたですね。
私と実は中学校が同じ校区なんです。
私も現在ですね、灘区に生まれ、ここに生活をしております。
中学校同じ校区なんです。
私はどういうわけかですね、中学校から私立の学校に参りまして、この中学校には行っておりません。
ただ、小学校の同級生がですね。
この田中実さんと同じ学校で席を並べて一緒に中学校時代を送ったんです。
そういう経緯もございました。

昭和24年に生まれ高羽小学校、鷹匠中学を卒業しました。
当時の養護施設と申しますのは、だいたいは中学校を終えるとそのまま社会に出て行くんです。
高校までは滅多な事では行かしてくれません。
ところがこの田中実さん、非常に出来が良かった。
成績が良かった。
この同じ施設の同じ学年の者が8名おりました。
そのうちの3名だけが高校に、ここの施設の理事長のご配慮によってですね。
高校に進んでおります。
神戸市立の工業高校というところに行きました。

中々大変ですよ。
親御さんがいられない。
施設育ち。
今でもまだまだこのようなハンデを背負った方は世の中で、頑張っても頑張っても中々報われないのが現状ではないでしょうか?
これ30年以上前のことなんですね。
当時のことを考えて頂きますとすぐに分かると思います。
中々厳しい社会生活のスタートだったんではないだろうか?と考えます。

卒業後、事務機器のメーカーに行き、すぐに職を転点とされます。
そして洋菓子店だとか喫茶店等でお仕事をされた後、阪神青木駅、阪神電車のそれこそ神戸市内に入ってすぐくらいのところですね。
東灘区と言う所です。
ここの駅から歩いて5分くらいの場所です。
来大(らいだい)と言う中華料理店に勤めることになります。
これが田中実さんの運命のいたずらのスタートです。

1997年の1月号ですから96年の12月ですね。
ここに発売された文芸春秋に、洛東江という神戸にある北朝鮮の非公然組織。
いわゆるスパイ組織。
ここのメンバーの一員である、張龍雲氏と言う人がですね。
「私たちが所属していた洛東江で田中実さんを拉致したんだ」と、このような暴露手記を掲載する事になりました。
横田めぐみさんの拉致と言う事が騒がれましたのが、1998年の2月3日です。
と言うことは、その1年少し前に田中実さんの拉致報道、拉致が雑誌に掲載されたわけです。
残念な事に何一つ世間の関心を呼ぶ事は無かったもんだと思っております。
申し訳ないけど、私も何一つ知りませんでした。

田中実さんの拉致の経緯についてはそこに張龍雲氏が書いてありますので、ちょっとその一部、私実は7月号の正論のここで田中実さんの事を書かせていただいたんですけれども、そこで引用文がございますのでちょっとここで読んでみたいと思います。
ここで出てきます、韓竜大と言うのがその中華料理店のラーメン店の店主です。
曹廷楽と言いますのがですね。
その洛東江と言うグループの親分です。
ちょっと読んでみます。

Img_0762.jpg

曹廷楽は韓を70年代半ばに非合法で北朝鮮に帰国させた事があった。
平壌で開催された、ある国際的な大会に参加させる為である。
出発は山口県長門市。
深夜0時、曹廷楽が長門市の海岸で小石を2〜3度投げて合図を送ると、潜伏していた工作員がそれに反応して姿を見せた。
準備されたゴムボートで沖合いまで行き、待機していた潜水艦で元山へ向かった。
韓は平壌では非公開の招待所で暮らし、この時、韓に日本人を拉致してくれるよう指令が届いた。
日本に帰った後彼は自分の経営するラーメン店Rの従業員田中実を海外旅行に連れて行ってやると、言葉巧みに誘い出しオーストリアのウイーンに向かった。
田中はここで消息を絶ったが、ウイーンでゴールデンスタンバンクという北朝鮮の情報収集組織にバトンタッチされ、モスクワ、そして平壌に向ったものと思われる。
ゴールデンスタンバンクは表向きは普通の信用金庫であるが、オーナーが朝鮮人で極秘に情報収集する組織である。
ソン・イルホンは私に、田中は現在、同じく日本から拉致されてきた女性と結婚し、翻訳関係の仕事についている。
元気でいるので心配しないでくれ、と韓に伝えて欲しいと話した。

このように書かれているのです。
神戸におりますと、私自身も救う会兵庫と言う組織の中で活動を続けてきました。
もうご存知のように有本恵子さん。
ご両親と共に活動を続けていた者の一人でございます。
2002年3年前の小泉首相訪朝半年前、3月に、有本恵子さんがやっとのことで拉致認定されたんです。
11人目の拉致認定ですね。

私ども、ずっとですね。
各新聞者、マスコミの皆さんにですね。
有本さんの事と同時にですね。
ぜひとも田中実さんの事を書いてくれと、繰り返しお願いしてまいりました。
しかし誰一人、どこのマスコミとてですね。
裏の無いそのような話は一切書けないと。
まぁこのような対応に終始したわけであります。

そういう中でですね。
8月の終わりになって、小泉首相がいきなり訪朝すると言う話が出てきたわけです。
そうこうしておる時にですね。
当時は極めて我々に友好的な、今はちょっと違いますけどね。
平沢勝栄先生。(笑い声)
こういう方であるとかですね、様々な方が9月17日の訪朝の時にですね。
この日本ですでに拉致認定されている11人、これ以外にもたくさんの拉致被害者がいるんだと。
小泉首相の訪朝でこの拉致認定された人間、被害者だけで済ませちゃいけないんだと。
何か手はないか?と。

当時、全国協議会、救う会のですね。
事務局長をしていた荒木先生からですね。
私どもの方に相談がありました。
待ってましたなんですね。
この時に、確かこれは9月の5日です。
東京の方でですね。
田中実さんの写真をですね。
全国協議会で初めて流したんです。

どんな時の写真かと言いますと実は、私の小学校の同級生。
何にも田中実さんの物がありませんので、中学校の許可を頂きましてですね。
中学校の卒業写真、卒業アルバム。
ここから田中実さんの写真を、学校の了承を得ましてですね。
そしてお借りしてですね。
それを実は全国協議会の記者会見の場で発表したわけです。

神戸の地元の新聞社が神戸新聞社。
朝一番で電話かけましてですね。
今まで田中実さんといえば何一つ報道しなかって、無理だと。
こういうような新聞社だったわけですが、担当の記者呼び出しましてですね。
今日、東京で田中実さんやるで、と。
その日の夕刊の社会面のトップで一面大きいに扱いましたわ。
この記事。

そんなことでですね、実を申しますと、この小泉首相の訪朝の折と言うのはですね。
全マスコミ上げて拉致報道に終始しましてですね。
非常に湧くが上がったんですね。
イケイケドンドンですわ。
少々いい加減な記事でも正直載りました。
なんでも拉致関係であれば書こうと、言うような時でもあったわけです。
ここでとりあえず田中実さんと言うのがですね。
初めて、まぁ大手のマスコミも含めてですね、表に出る結果となったわけです。
そしてですね、9月17日、あの衝撃の金正日の謝罪を認めるあの訪朝がありました。

・・・続く・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ブルーリボン放送に、このテキストの音声が一部アップされています。
あわせてお聴き頂き、集会の模様を少しでも感じていただけましたら幸いです。
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2005年10月11日

第12回藤沢集会(2)05.10.8 藤沢産業センターにて

『市川健一さんのお話(市川修一さんの兄)』

Img_0737.jpg

藤沢の皆さん、こんにちは。(会場より「こんにちは」の声)
鹿児島から来ました市川修一の兄です。
いつも変わらぬ支援を頂き本当にありがとうございます。
心から御礼申し上げます。
あの〜、私は標準語は話せないんですよ。
鹿児島弁的標準語になっちゃいますので、本当聞き取り難いと思いますけども、勘弁してください。

修一が北朝鮮に拉致されて27年になります。
本当に家族においては辛く苦しい歳月で、現在もその苦しみは続いております。
金正日の指令によって残虐非道な拉致を行われ、政治的・思想的に何のかかわりも無い、無辜の人たちが日本人が次々と拉致されていきました。
20代30代の被害者においては大きな夢を持って、青春を謳歌していたと思います。
ところが突然拉致されて青春までズタズタにされてしまいました。
また家族においては塗炭の苦しみ。
我が子・が兄弟を引き裂かれて塗炭の苦しみを負って20年30年と苦しんでおります。

日本の政府は国民の生命・財産を守る義務があります。
ところが8年前まで、政府は何もして来なかったんです。
北朝鮮が拉致をしていると言う事を知っていながら、本当に何もしてこなかった。
拉致被害者が見捨てられていたんです。
その後私たち家族会・救う会、全国で集会を行い、この拉致問題を訴えてきました。
世論の力によって政府もやっと重い腰を上げたと思います。
ところが皆様もご承知のように、政府は拉致被害者を全員取り戻そうと言う強い意志は全く感じられません。
本当に腹立たしい、憤りを感じます。

失踪当時どの家族も大捜索を行ってきましたが、何も分からず進展せず、時間だけが空しく過ぎ去っていきました。
北朝鮮による拉致と言うことは、私たちは拉致を行っていると言う事は以前から分かっておりましたが、本当にその、弟たち全員が生きているのか?死んでいるのか?
生死の分からない、これほど辛い物はありませんでした。
私の母は修一の事を話すと涙ぐみ、本当に悲しい顔をするもんですから、私たちは修一のことは全然話すことが出来ませんでした。
8月12日の失踪日が来ても10月20日の誕生日が来ても、修一の事は一切話をすることが出来ませんでした。
本当に私たち家族の間では、修一の事は長い間タブーになっていたんです。

事件から20年後、北朝鮮の元工作員・安明進さん(の証言で)金正日政治軍事大学で弟を何回も目撃し、タバコも貰った、会話も交わした。
その証言から少しづつ母親も明るさを取り戻して来たわけなんです。
修一が帰ってきたら困るだろうと言って、二十歳の頃のスーツを取り出し虫干しする姿を見るにつけ、本当に痛々しい。
なんと言って良いのか分かりませんけども、本当にね、辛い思いでした。
と同時に金正日に対しては心から憎しみを抱くようになりました。

3年前、金正日は拉致を認め謝罪したものの、「8人死亡・2人未入国」の発表をしましたけども、北朝鮮から提供された情報あるいは調査書など全てが不自然で捏造された物で、とても信憑性のある物ではありませんでした。
5人の被害者を帰国させ、そしてその他の被害者を死亡としてこの拉致問題を幕引きしようとしていたのです。
そして日本と国交正常化をし、日本から経済協力を(得ようと)企てていたのです。

金正日は極悪の独裁者です。
日本政府が誠意を持って対応しても、彼には通じません。
自国民に対しても食料を配給せず、350万人もの国民を餓死させ続けているんです。
今でも食料が不足で脱北し続けております。
また金正日は十数か所の招待所をすなわち別荘を持ち、その別荘を転点と移動しております。
日々贅沢三昧の生活をしているのです。

小泉総理は対話と圧力を持って拉致を解決していくと、繰り返し盛んに言われております。
会話してもおざなりと言うしかない、北朝鮮の態度です。
情報も物的証拠も全てが捏造された物しか提供しません。
近々、日朝政府間の話し合いが交渉が行われます。
行われる(と言う)ニュースが最近流れています。

対話だけでは絶対にこの拉致問題は解決するはずがありません。
この交渉に出てくる北朝鮮の責任者、その責任者には権限が無いんです。
決定権があるのは金正日だけなのです。
権限の無い者と交渉しても、本当に進みません。
堂々巡りするだけなんです。
圧力を持っての対話しか解決の道はないと思います。
まだ総理は一回も圧力をかけておりません。
経済制裁の発動は拉致被害者を全員取り戻そうと言う意思を強く示すと同時に、金正日に対しても大きな圧力になるのは間違いないと思います。

北朝鮮の万景峰号は新潟港に入ってきます。
この万景峰号を止めるしかないんです。
金正日に直接渡る金・物をセーブすることが出来るんです。
総理が経済制裁を発動せざるを得ない所まで持っていくには、どうしても皆様方の力が必要なんです。
あの5人の被害者が帰国出来たのも、世論の力があったればこそ帰国出来たんだと思います。

私の両親は90歳です。
高齢の身なんです。
本当に朝、私早く起きるもんですから、「両親が今日も元気で起きてきてくれるかなぁ?」と、まず最近はそれを心配しております。
本当に二人の食事が早いもんですから、二人の会話を聞いていると、「お父さん、修一が帰ってくるまで元気でいようね」と、「本当に長生きするのよ」と、聞くたんびに金正日が憎くなります。(健一さん少し涙ぐむ)
一刻も早く両親に会わせてやりたい。
胸に抱かせてやりたい。
この一念で私たち闘っております。

鹿児島でも署名活動したり集会を行ったりしますけど、皆様方が「体に気をつけて頑張ってよ」と。
この言葉が本当に、私は悲しい中でもこの言葉ですごく元気になって、「修一待っていろよ」と。
「必ず助けるからね。それまで元気してくれないといけないよ」と心に呟いております。
去年から、親父は店に出て手伝ってくれたんですけど、ほとんど一年間店に出て来られない状態なんです。
私の家と店とは本当にわずかしか離れていないんですけど、私なんかが歩けば何歩で店に行く所を20分も30分もかけてレジに来るわけなんです。
それを見てやはりもう、「お父さん、もう店に出てこなくても良いよ」と、僕らがするから。
親父が60歳の頃弟が拉致されてもう今は90代になりましたけども、本当にね。
親父・お袋の心を思うと・・・(言葉を詰まらせる)もう、本当になんとも言いようが無いです。

皆さんのお力を借りて、どうしてもこの拉致被害者全員を祖国の土を踏ませてやりたいわけなんです。
そのためにも私たち家族に力を貸して下さい。
一緒に闘ってください。
よろしくお願いいたします。(拍手)

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第12回藤沢集会(1)05.10.8 藤沢産業センターにて

『川添友幸 神奈川救う会会長 開会の挨拶』

今日はお忙しい中ありがとうございます。
前回会長代行としてご挨拶いたしましたが、今度正式に会長になりましてこれから私が挨拶という事になりました。
拉致の情勢なんですが、6カ国協議がまとまって日朝協議が再開という形にはなったんですが、非常に今難しい状況に来ているのではないか?と。
小泉総理がどうも日朝国交正常化に今非常に興味を示して、2月にも何か動きがあるんではないかと言う噂が飛び交っています。

しかしですね。
絶対に拉致問題の解決が無くして国交正常化をするようなことだけは、我々止めないといけません。
それを止められるのは我々国民の力ではないかと、僕は思っております。
今日は過去うちの救う会でお呼びした事の無かった市川さん、それから横田さん、ホラツェンさん。
それから特定失踪者問題調査会の方から今日は岡田さんにも来ていただきました。
前回もご紹介したんですが、田中実さんの政府認定を勝ち取ったと言う事でですね。
兵庫県警も恐れる男だと言う事で、ぜひその辺の話も聞ければと思っております。

その後、いつもは講演が終わると終わりなんですが、脱北者のドキュメンタリー映画で「ソウル・トレイン」の上映会を講演会の終了後行おうと思っております。
講演終了後、お時間の無い方はもちろん帰られても構いませんが、ぜひ、中々素晴らしいドキュメンタリーの映画ですので一緒に観て頂ければと思います。
ちょっと時間が長いかもしれませんが、よろしくお願いします。(拍手)
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2005年07月30日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(10)05.7.17 藤沢産業センターにて

『川添友幸 救う会神奈川会長代行 閉会の辞』

今日は、長時間ですね、ご来集ありがとうございました。
伊藤先生の言われたとおりですね、これからもこの続けていかなければいけないというふうに考えています。

それで事務局から、幾つかご報告したい点がございます。
一点目はですね、さっきの先生のお話の中で非常に気になることがあったんですが、日教組の話が出ました。
日教組、所謂教職員の集まりですよね。
実はですね、はっきりはしたことは、私も言えないんですが、日教組が拉致に噛んでる可能性が非常に濃厚です。(「え〜」と会場内大きなどよめき)

ある特定の学校の教員とか、学校名出せませんが、そういう学校の教員とか、今実際、拉致の実行犯の名前が挙がっています。
日本国内にいます。
その人間が、学校の教員関係、教職員関係、(「ほんとに?」の声)そういうふうな関係で。
なぜかというと、日教組全体がやっているわけではなくて、日教組の中に、チュチェ思想を研究している研究会がありまして、そこのメンバーが拉致をやっているのではないか?

例えばよど号の妻たち、八尾恵を初め、大半がチュチェ思想の研究会のメンバーです。
よく拉致のビラなんか撒いてると、「朝鮮人はけしからん」みたいなこと私にも言ってくる方いるんですが。
私は、これは個人的な意見なんですが、やっぱ日本人の拉致の実行犯というのは、かなり多数いるんではないか?と。
逆にですね、朝鮮の人みんな悪いわけではなくて、そこをですねちょっと皆さん、考え方をちょっと考えていただけるとですね。
特にたとえば松木薫さんを拉致したのは、よど号犯の妻森順子、これは在日ですが、もう一人若林佐喜子は日本人です。

ですから日本人の行った拉致というのがですね、かなり多数あるんではないか?と僕は思います。
そういう中にですね、労働組合であるとか、共産、共産党はたぶんやってないかもしれませんが、日教組とかですね。
所謂そういう組織の名前が、実際出てきますし、さっき言われた警察なんかは、その辺をかなり把握しているという情報を得ています。
特に社会党が噛んでるんではないか?ということが、一時期騒がれたことがありますが、社会党、現社民党の人たちも、以前こちらの会は、阿部知子さんをお呼びしたことがあったんですが、ぜひ阿部さんにその点を調べてもらって、実行犯がいるんであれば、ちゃんと法の裁きの前に出していただきたいと思います。(会場内、失笑)

(川添氏は、このあたりから興奮して非常に早口になり、語順の乱れや言い間違いが目立ったので、これ以降適宜再構成しています)
それとですね、今日お配りしたチラシの中に、「WFPに対する講師派遣の拒否に関する緊急声明」っていうのが入ってまして、ちょっと簡単に経緯だけご説明致しますと、今日も会場に来られてるんですが、RENKさん、「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」私たちは、北朝鮮の金正日体制打倒とかですね、難民の支援をしているグループだと認識してますが、たぶん皆さんご存じかもしれませんが、産経新聞がかなり大きく取り上げました。

食糧横流しの映像が、6月末に報道で出ました。
去年の小泉再訪朝の時に、12万5千トンの食糧支援が決まりました。
送られた食糧は、日本政府が直接配布するんではなく、国連のWFPという機関を通して食糧配布を行うということを聞きました。
しかしそれを闇市の現場で売られている写真を、RENKの方(正確には、RENKが支援している、北朝鮮国民の反体制活動家)が撮影しまして、産経新聞初め、各紙新聞等で大きく報道されました。
騒ぎが大きくなって、こりゃ大変だと思って何気なくWFPのホームページを私見ていましたら、講師派遣をしていただくという一項がありまして、あ、こりゃ凄い、と思ってですね。
すぐ神奈川の会として、ここの会場、今日じゃないんですが、8月に会場押さえてありますんで、WFPの方に北朝鮮の食糧支援の実態話してもらおうじゃないかと。

その話した上で、RENKの方と話して、どっちが正しいのか?と皆さんに判断してもらおうと、企画を考えたんですが。
昨日になりまして回答がありまして、講師を派遣できないと。
なぜ派遣できないか?と聞きましたところ、(手にした回答書を掲げて)文書の中に細かく書いてあるんですが、人道目的の支援であるから、政治目的の問題になっては困ると。
しかしですねぇ、人道目的ということで、自分たちが胸を張ってやってるんであれば、やはり我々国民に対して説明する責任があるんではないか?と僕は思います。

さらにですね、個人的に北朝鮮に食糧支援されてる方がかなりいます。
新潟なんかでやられてる方(新潟NGO人道支援連絡会、川村邦彦代表)も、この間テレビで報道されてました。
ああいう方がやることを、私はいいとは思いませんが、それはまあ、それぞれの自由ですからいいですけど。
(WFPのように)我々の税金を使って北朝鮮に食糧支援と称して、実際にはほとんど一般の国民の口には入ってないと。
本日参加の脱北者の方とも始まる前にお話してたんですが、ほとんどそんな支援を受けたことがない、と言っておられました。

さらに申しますと、「国境無き医師団」ですね、あるいは「オックスファム」ですね、所謂国際的なNGO団体みんな撤退している(提供者補足:他にも「対飢餓行動」「カップアナムーア」なども撤退している)そうです。
さらにWFPも非常に問題あるなと思ったのは、現地スタッフってのが、何十人(WFPによると40人)かいるそうですが、ほとんどが朝鮮語を話せない(同2人)。
そんな朝鮮語を話せない現状で入ったところで、(公正な)食糧支援なんかできるわけがないんですね?

要するに、食糧支援を隠れ蓑に、あの体制延命させることをしてるんではなかろうか? と。
私もそういうことを、担当者にかなりきつく言って、(講師の派遣の)再検討を迫ったら、再検討するというふうな話だったんですが、金曜日に再度回答が来まして「講師の派遣はできない」と。
私はさらに、講演を拒否する理由を文書に出してくれ、記者会見をするからと言ったら、それも拒否すると。
食糧支援をしている写真を送るからそれで勘弁してくれと、いうみたいなことを言って(苦笑しながら)おられまして、私としては、非常に憤懣やるかたない気持ちになりました。

それで、今日WFPに抗議する緊急声明を神奈川の会として出しました。
今夜メールマガジンのニュースの方で流そうかと思っておりますので、食糧支援が真に困った人たちにはまったく届いていないということですね。
これは私たちもですね、ちゃんと口に入るんであれば、困っている人たちがいるんだから考えようという余地があるんですが。
このような(WFPの不透明な支援には)絶対に支持することはできない、と思っております。
その点で、さらに私たちもいろんな活動をしたいと思っているところです。

・・・以下、会場で配布された資料の紹介を開始・・・

WFPの講師派遣要請の拒否に関する緊急声明 

 私たち「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」は6月22日WFP(国連世界食糧計画)に対して北朝鮮における食料支援の実態の知る為に講師の派遣要請を行った。それに対してWFPの担当者である伊藤氏が 7月12日に講師派遣の要請を拒否する方向であると連絡してきた。
 WFPの伊藤氏は拒否理由に関しては以下のように述べた。
(1) 人道支援目的の食料支援が、日朝の政治的な問題になってしまう恐れがある。
(2) 過去、北朝鮮の食糧支援関連の講師派遣は全てお断りしてきた。
 それに対して「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」としては、国際機関であるWFPは日本政府から委託を受け食料支援をしている実態を説明するべき責任があるのではないかと主張し、再検討と拒否理由の文書送付を求めた。WFPの伊藤氏は二点とも了解する旨の回答であった。
 しかし、7月15日に再度、WFPの伊藤氏から連絡があり、講師派遣と拒否理由の文書送付も拒否する回答をしてきた。拒否理由の文書送付の拒否の理由を質すと、文書を送ると政治問題化する恐れがあるからだそうだ。
 私たち「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」としては、北朝鮮においては国際的なNGO団体の『国境無き医師団』や『オックスファム』などが人道支援目的での支援が出来ず、撤退している現状で日本からの援助がどうなっているか説明する責任がWFPに対してはあると考えるし、北朝鮮への食糧援助がどのように行われ、それをどのように監視しているのか? 本当に飢餓に苦しむ民衆に食糧が届いているのか? 
 その実態をWFPに説明してもらう責任もあると考える。さらにWFPが、食料支援活動を人道目的であると主張するならば堂々と国民に説明するべきであり、それを人道目的の支援であると堂々と説明して一層の援助を依頼するべきなのではないか。
 家族会も私たち救う会も、真に飢餓に苦しむ民衆への人道支援、食糧支援を拒否するものではない。人道支援の名目で送られた食料が市場で売られている。
 脱北者の話ではこのような市場では北朝鮮の貧しい階層はほとんど買うことが出来ないそうである。
 さらに北朝鮮のおけるWFPのスッタフは、数十人規模でスタッフの大多数が現地語を話せないそうであり、本当に人道活動を行っているかは非常に疑問であると言わざるを得ない。
 そのような中で、今回のWFPの講師派遣要請の拒否に対して「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」は、強い抗議をすると同時に北朝鮮への人道支援の抜本的見直しを強く求める。

平成17年7月17日 
「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」 会長代行 川添友幸
(一部誤字があったので、読点の追加と併せ、テキスト提供者:原良一の文責で校正しています)

・・・資料の紹介終了・・・

(再び川添氏のお話)
最後に、次回の講演会なんですが、10月8日の土曜日を予定しています。
講師はですね、わたくしが先月の3日間の座り込みに参加した際、報道等でご存じかもしれませんが、「北朝鮮を知りすぎた医者」(草思社、2、3まであり)の著者であり、ドイツ人のお医者さんのノルベルト・フォラツエンさんが、偶然来られてました。
私、英語まったく喋れないもんで、今日来られてる野口さんに通訳してもらって、10月8日藤沢で講演していただけることになりました。
通訳は、その野口さんにやっていただけるということで、フォラツエンさんの他に家族会の増元照明さんか誰かお呼びしたいな、と検討しております。

また、特定失踪者問題調査会からは、岡田理事に来ていただこうと思っております。
岡田さんは、「報道特集」とかでご覧になってご存じの方もいるかもしれませんけど、今回拉致認定された兵庫県の田中実さんをずっと追ってた方で、その岡田さんをお呼びしようと思っておりますので、ぜひ10月8日、皆さん来ていただいて、いろいろお話しいただけると思います。

私たちが、こういう集会を重ねることは、ほんといいことではないと思うんですが、皆様のご協力があってこそ、先程の伊藤先生のお話じゃないですけど、会を続けるってことが必要だと思いますので、皆様のご協力今後ともよろしくお願いいたします。
あと、大変申し訳ない話なんですが、私たちもこういう形で手弁当でやっている会ですので、もしお心のある方がいらっしゃいましたら、カンパ箱ありますので、ぜひご協力よろしくお願いいたします。
いつも、いつもしょうもないお願いをして申し訳なく思っております。

今後のメールマガジンとか、チラシですとか、あと8月7日の講演会というのがチラシに入れてるんですが、先程のWFPのために会場取ったのですが、WFPに拒否されてしまったので、替わりに、私よど号の問題ずっと研究してますので、よど号の話を私がしようと思っています。
ご興味ある方、ご参加いただければと思います。
今後も救う会神奈川の会を続けていただきたいと思います。
皆さまのご協力よろしくお願いいたします。
今日はほんとうにありがとうございました。(拍手)

※司会(河井氏)
ありがとうございました。気をつけてお帰りください。

・・・集会終了・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは原良一氏提供のテキストを元に当Blog管理人が再構成したものです。
原氏のご好意に感謝いたします。
posted by ぴろん at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(9)05.7.17 藤沢産業センターにて

『来場の議員紹介&伊藤玲子元鎌倉市議のお話&家族会への千羽鶴贈呈』

『来場の議員紹介』

※司会(河井氏)
ここで、来ていらっしゃっている議員紹介に移りたいと思います。
よろしいでしょうか?

藤沢市議会議員、 三野由美子先生、(その場で立ち上がり会釈、会場より拍手)
鎌倉市議会議員、 原かつら先生、「こんにちは!」(同上)
海老名市議会議員、太田祐介先生、(同上)

『伊藤玲子元鎌倉市議のお話』

Img_0320.jpg

※司会(河井氏)
ここでですね、元鎌倉市議の伊藤玲子さんのお話を、よろしくお願いします。

※川添友幸会長代行による、伊藤玲子元市議の紹介
ちょっと講演の前に、伊藤先生のお話をしますと、伊藤先生、4期16年鎌倉の市会議員を続けられておりまして、この度4月で議員をお辞めになられました。
なぜお呼びしたか?と申しますと、伊藤先生は、救う会地方議員の会始まった時からの議連のメンバーでしてですね。
ずっと9.17の前から、私たちと一緒にビラを撒いたりとね、ほんとに献身的に活動してきてきました。
で、今議員をお辞めになられまして、こういう拉致の問題や、教育の問題を扱うまっとうな議員を作らないといけないということで、こんどそういう運動をやられるということで。
ちょっと今回議員をお辞めになって、さらにその拉致議連を抜けられた経緯のをお話しを伺いたいと思いますんで、よろしくお願い致します。

★伊藤玲子 元鎌倉市議のお話
ただ今ご紹介をいただきました伊藤玲子でございます。
(マイクに声が入らず調整してから改めて)
大変失礼いたしました、この4月まで、4期16年鎌倉市会議員を勤めさせていただいておりました、伊藤玲子でございます。
今日突然に、川添会長の方から、わたくしに何か一言と言われて、ビックリしているんですけれども、今までの経緯からと、これからのことをお話しさせていただきたいと思います。

皆様、国というものは、国民の生命、財産を守るのが、国の責任じゃありませんか!?(高齢の小柄な女性に似合わぬ大音声の呼びかけに、会場からも大きな拍手と共に、「そうでーす!」などの合いの手)
本当に腹立たしくてなりません!
日本の国は一体何をしてるんだ、ということでございますよ!
わたくしは、この(拉致)事件がはっきりした時からそう思いました。

そしてまずこれは、平成9年(1997年)に国会で梶山静六国家公安委員長が、「拉致があったということは事実だ」と表明なさったのが、最初でございました。
それですぐその後、救う会ができました。
その救う会ができて、国会の方もそう表明されたにも関わらず、非常に動きが鈍いので、じゃあ地方議員もそのバックアップ、要するに言葉は汚いですけど、国会議員のお尻を叩こうじゃないか、ということで、地方議員の会が発足致しましたのが、平成10年だと思います。
わたくしどもは、そういう形で側面からバックアップ致してまいりましたけれども、それから何年かかっていると思いますか? 
未だにこんな国があるでしょうか?!(「我慢できない」の声あり)
で、わたくしは、ずっとずっといろんなことを辿っていきますと、結局戦後国民に、国家観が無いんですよ。
国家観がないんです。

で、わたくしは、国家が安泰してなくて、国家が国民の生命・財産を守らなくて、どうするんだ? 
ということを言いますと、すぐ右翼だとか何とかというんですよね、ほんとに。
で、それを辿ってくと、結局戦後の教育なんです。
日教組なんです、共産党なんです(「その通り」などの声と共に拍手)。
もうほんっとにね、わたくしは、この教育戦後60年、この左翼思想の毒が回っちゃった日本国民、どうしたらいいだろうと思って、今も考えてると崖っぷちですよね。(マイクの音が割れるほどの大音声)

で、そこには、女性ってのは、本当に行動力があっていいんですけども、間違った。
まあわたくしは、大変はっきり物を言う人間なんですけども、左翼思想、戦後の教育をよしとした、バカな女が今国を滅ぼしかけてるんですよ!(拍手広がる)
それは鎌倉市を例に挙げますと、わたくしが4期16年在任中、女性議員が28議席中6人いたんですけど、4月の市議選で10人に増えました。
その中のまっとうな議員は二人です。
フツーの感覚の、良識派の議員は二人です。
後は全部、日教組の戦後の教育をよしとした、要するに国旗、国歌、道徳教育、学力テスト、児童中心主義、イラクもう何でもかんでも反政府のね。
そういう反国家の、要するに戦後の教育をよしとした、日教組の教育をよしとした8人です。
これがねぇ、鎌倉だけじゃないんですよ?
私は全国歩いてますけど、これが、鎌倉が縮図でございます。

それでわたくしは、どうしたらいいんだろうかと調べましたらば、こういう(左翼系の)女性を要請していく組織が四つあるんです。
片や、フツーの女性を養成というか、勉強する組織ですね、全然ないんです。
それからわたくしは、これは大変だと、こう今崖っぷち来てますからね。
ということで、わたくしは、この1月に「立て直そう日本(にっぽん)女性塾」っていうのを立ち上げました。

<参 考>
・「立て直そう日本女性塾」に関する記述のある、伊藤玲子前鎌倉市議の活動報告
http://www1.ocn.ne.jp/~h100prs/kiroku/nakama-houkoku/itoureiko/itoureiko-top.htm

そして、今の目標は、とにかく平成19年に、もうあと2年半切っちゃいましたけども、統一地方選挙があります。
その時に、またこういう女性がどっ、どっと出てきますから、これ止めることができませんね。
少なくとも、一人でも、二人でも、三人でもまっとうな議会で、フツーの良識の言葉を言える女性を、出してかなきゃいけないんですね。

わたくしは、鎌倉市で一人孤軍奮闘してきました。
でございますので、神奈川県で19市ございますが、その中でどこの市にも4、5人女性議員がいます。
しかしその19市の中で、わたくし、フツーの日本人だと思ってんですけれども、そういう女性は、6人しかいませんが、(笑)そういうのが、今の日本の現状です。
ですから、本当にやはり戦後教育に毒を回されてしまった国民全体もそうですけれども、やはりここでしっかりと、国家観というものをね、皆さんに意識してもらう。
やっぱり国家が安泰でなくて、どうするんですか?(拍手)
ほんと、そうですよ。
とにかく私が、国家という言葉を使った途端に、すぐ右翼って始まりますからね。

じゃあ外国行った時に、困った時に、どこ駆け込むかといったら、大使館に駆け込むんでしょ?
非常にそういうね、何ていうんですかね、ほんとにでも恐ろしいですよ。
教育っていうのは、こういうものですから、この60年、日教組、共産党が天井向いて笑ってますよ。
大成果上げたわけですよ!

(集会に参加している男性が挙手の上発言)
「質問あります」
はい。
「あなたの言ってることと、今日この会議はどういう関係があるんですか?」

で、ございますから、国家観がないから、こういうことになったわけですから。
(会場の他の聴衆から「そのとおり」の声多数、最初の質問者の異議の声をかき消すような大きな拍手が湧き起こる。少し騒然とした雰囲気)
教育、教育が始まり、教育を変えていかなきゃいけません。
そういうことで、それから今度政治が決めていきますからね。
その政治の世界にまっとうな良識派を増やしていかなければ、この国家が成り立たなっていきません。(「その通り!」の声)
それは私が、16年体験してきた実感でございます。
もしお考えが違えば、そりゃ仕方のないことでございます。

ということで、わたくしはこれから教育の正常化と、それからこのまっとうな良識派の議員を出していく運動を、全国的に今歩き始めました。
そういうことでございまして、とにかく皆さま、拉致された方々を、全員取り返す、それまではこの国民運動止められません。
この国民運動風化させたらおしまいです。
政府があんなざまですから、やっぱり国民のバックアップがなきゃダメです。
だからわたくしは、この集会にはもう、毎回欠かさず伺ってます。
なんとしてもね、一人残らず取り戻すまで、運動続けてまいりましょう!(拍手)
そうでなければ、本当に日本の国ってのはバカにされっぱなしですから、ちょっとお金ばっかり持っていかれるんですから、とにかく皆さん頑張って、とにかく一人残らず取り返すまで、頑張りましょう!
この集会を続けなければいけません。(拍手)
皆様どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

※司会(河井氏)
ありがとうございました。
ここでですね、お手紙の紹介をさせていただきます。

『家族会への千羽鶴贈呈』

「千羽鶴をお届けします。平成15年元旦に一念発起しました。80歳を超えた今、自分にできることは何か? ひたすら祈りを込めて鶴を折り、長く哀しい日々を過ごしておられる方々に、少しでもほっとする和(なご)みをお届けできたらと思っております。
6月3日で2万2000羽になり、今回のお届けとなりました。
どうかお受け取りください。
これからも長い時間かかると思いますが、くれぐれもお体をお大事になさってくださいませ。
どうか望みを持ってお暮らしくださいますことを祈っております。
平成17年6月25日、救う会のお力をいただきお届けできました。
小松栄子」


というわけで、救う会神奈川のメンバーから、斎藤文代さん、市川龍子さんに千羽鶴の贈呈をお願いします。
(拍手の中、斎藤、市川両氏、「あら、きれい!」と喜びながら青い色の千羽鶴を受け取る)
ありがとうございます。
それでは、最後に閉会の辞ということで、川添会長代行から、はい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは原良一氏提供のテキストを元に、当Blog管理人が再構成したものです。
原氏のご好意に感謝申し上げます。
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2005年07月29日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(8)05.7.17 藤沢産業センターにて

『高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)のお話と特定失踪者ご家族のご紹介』

Img_0298.jpg

※司会(河井氏)
続きましては、特定失踪者家族の訴えです。
特定失踪者高野清文さんの妹でいらっしゃる高野美幸さんです。
よろしくお願いいたします。

高野美幸さん
いつも神奈川の集会の方にお呼びいただきまして、ごあいさつさせていただいているので「またあいつか」とイヤな顔をされないで、また聞いていただきたいと思うんですけれども。
わたくしの兄は、特定失踪者高野清文ということで、伊豆七島の神津島から、1976年に大学2年生19歳の時に、行方不明になっているその家族の妹でございます。
今日はですね、先に特定失踪者の家族のご紹介ということで、今日いらっしゃってる家族の方たち、お名前を申し上げますので、あの立ち上がってその場で、軽くあいさつとかしていただければと思うんですが。

高野清文さん 
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19歳
当時身分 電気通信大学2年生
失踪現場 東京都神津島村の民宿から

大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

『参加した特定失踪者のご家族の紹介』

Img_0302.jpg

Img_0303.jpg

↑紹介を受けてご挨拶をされる特定失踪者ご家族の方々

高野さん
まずですね、前回もお話をいただきました、佐渡から74年にいなくなられました大澤孝司(おおさわたかし)さんのお兄様でいらっしゃいます茂樹様がいらっしゃってます。(拍手)


★大澤茂樹さん
(拍手の中、マイクを受け取る。以下他の家族の方々も同様に発言または会釈あり)
私の弟は、昭和49年の2月24日に、新潟県佐渡島でいなくなっております。
今それぞれの方のいろいろなお話がありましたが、私もこの拉致問題が完全に解決するまで頑張っていきたいと思いますので、さらなる皆様方のご支援とご協力をよろしくお願いいたします。(拍手、以下同)

大沢孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

高野さん
ありがとうございました。それではですね、生島孝子(いくしまたかこ)さんですね。
渋谷から72年に行方不明になりました。
お姉様の馨子(けいこ)様がいらっしゃってると思うんですけど。

★生島馨子さん
皆様のお力をお借りして、是非、妹を日本に連れ帰りたい、取り返したいと思います。
よろしくお願いいたします。

生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

高野さん                                      
そして、藤沢のこの地では、もっとも関係が深い方かと思います。
寺島佐津子さん、鎌倉の花火大会に行って行方不明になりました。(会場の一角が「あら〜」と驚きでざわめく。「かわいそうに」の声も…)
ご両親がいらっしゃってると思いますけど、その場でお立ちいただければと。

★寺島佐津子さんのご両親
無言で会場に深々と一礼。(拍手)

寺島佐津子さん(鎌倉の海岸で失踪)
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19歳
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区

失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

高野さん
あと、松井綾子さんのお母様、1998年12月に千葉県※で失踪されたということで、いらっしゃってるかと思いますが。

★松井綾子氏のご母堂
松井でございます。(最敬礼)

松井綾子さん(※千葉県で失踪?)
失踪年月日 平成10(1998)年12月3日
生年月日 昭和51(1976)年9月14日
当時年齢 22歳
当時身分 臨床検査技師として病院に勤務
失踪現場 茨城県水戸市のアパート

12月3日8:20病院に「調子が悪いので休む」とtel。4日病院を無断欠勤。検査課の人がアパートへ確認に行く。車なし、ドア施錠。病院から実家に電話があり、家族が部屋に入るが室内物色された形跡なし。12月4日8:28国道6号線茨城町のGSで給油(本人自筆で確認)。12:05ローソン調子黒生店で昼食購入。12月15日 神栖町海浜公園多目的広場駐車場で自家用車発見。運転席側のロックなし、6000円入りの財布が助手席に置かれた黒バックに残されていた

※特定失踪者問題調査会のホームページでは、水戸市で失踪となっていますが、松井氏の車が千葉県内の東金から銚子方面を走り回って、最後は茨城県神栖町で発見されており、千葉県内での失踪の可能性が高いので、松井氏は千葉県で失踪としたものと思われます。
(この項、原良一氏が調査会の真鍋氏に直接確認済み)

高野氏さん
それからですね、
実は、笹垣範男(ささがきのりお)さんという92年に行方不明になられてます、18歳の方のお父様がいらっしゃってたんですけど、
今日はこの時間には、ちょっとご用事があるということで、お帰りになられましたが。
いらっしゃってたことの旨、お伝えしておきたいと思います。

笹垣範男さん
失踪年月日 平成4(1992)年9月12日
生年月日 昭和49(1974)年3月4日
当時年齢 18歳
当時身分 予備校生(美大志望)
失踪現場 神奈川県三浦市

当日、母親が出勤する時(午前9時)には「今日は予備校(横浜市)で絵の授業はないが空いている教室で勉強できるので行くかも」と言っていた。姉が昼に出かけるときはまだいた。予備校に行ったかどうかは出席をとっていないので不明。普段と同じ服装、お金も4、5千円しか持っていない。朝の雰囲気からはとても家出するようには見えなかった。いなくなる10日位前から誰かと会っている様子。いつもは夕方5〜6時に帰宅するのが、10〜10時半に帰宅する日もあった。前日、前々日は終電で帰ってきた。誰と会っていたか聞いても答えなかった。預金通帳は残っている。


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2005年07月28日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(7)05.7.17 藤沢産業センターにて

『横田拓也 家族会事務局次長のお話』

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皆様こんにちは。(会場からも「こんにちは!」の応答)
ただ今ご紹介いただきました、横田めぐみの弟の横田拓也と申します。
ほんとにいつも北朝鮮による日本人拉致問題に関しまして、本当に暖かいご支援と応援をいただきますことありがとうございます。
また、ちょっと時期がほんとに遅くなりましたが、先月の末にですね。
首相官邸前というか、横で実施しました、私たちの家族・兄弟を取り戻すために行った座り込みに関しまして。
本当に三日間暑い中、平日も含めて多くの方々にご参加いただきましたことをですね。
重ねてお礼申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

既に、私の家族他の案件に関しましては、皆様ご承知いただいていることかと思いますが。
私の所も若干もう一度ご紹介したいと思います。
私の姉、横田めぐみは1977年11月にですね、中学1年生です。
下校途中に拉致されたわけです。
警察犬が嗅覚を失ったのは、本当にもう自宅からすぐ近くの所ですから。
あともう少しで帰れたはずのところで、何者かによって待ち伏せをされて、拉致をされてしまったというわけです。

先程特定失踪者問題調査会の真鍋さんの方から、9歳の女性の方の事例もありましたが、9歳にしても13歳にしても本当にまだ子供です。
まだ少女なんですね。
私たちが、自分たちが男性であれ女性であれ、13歳の頃、もう一度ちょっと思い浮かべて欲しいんです。
本当に明るく、楽しい毎日だったはずですね?
こんなクラブで楽しんでみたいとか、こんな友だちと、どこどこ遊びに行ってみたいとか。
こんな勉強してみたい、こんな高校に進学したい、大学に行きたい、こんな仕事をしてみたい。
いろんな夢があったはずです。
自己実現の夢ももっと持っていたと思います。

しかし、そういった夢が一方的に遮断されてしまって、美しい日本から連れ去られて、楽しい家族の許から連れ去られたわけであります。
これは、私のめぐみだけではなくて、家族会にいる全員がそうですし。
先程ご紹介があった、政府が認定してる・してないだけの違いがあってもですね、特定失踪者の方々、ご家族の皆さん。
等しくそういう悲しみと辛さを背負わされていると、いったわけであります。

で、引き裂かれた拉致というものは、ほんとにもう釈迦に説法でございますが、改めて申し上げますと、単なる一人の男が、偶発的に行った誘拐事件のようなレベルではないんですね。
国家の指令によって、独裁者の指示によって、直接的な指令によって行われた国家テロなんですよ。
私たちはもう、一週間・二週間前にまた大きな大規模な同時テロ、テレビ画面を通じて知ったわけです。ほとんど、これ一緒なんですね。
事態の現象こそ違いますけれども、もう、組織ぐるみでされてるわけなんです。

そのテロの話ですとか、先程脱北者のお話の方にもありましたけど、日本はまあこんな有り様ですが。
アメリカにおいては、ほんとに積極的にこの問題に取り組もうとしております。
新聞でも既にご承知いただいてるかと思いますが。
アメリカの下院本会議では、7月11日に北朝鮮による日本人・韓国人の拉致及び被害者を拘束し続けていることを非難して、拉致問題解決なくしてテロ支援国家から外してはならない、ということを改めて採択してるわけです。
そして脱北者を強制的に退去させている中国への非難もそこに含まれているわけであります。
その採択というのは、362対1で、いわばすべてがこの採択に賛成されているわけなんですね。

で、ポイントは、当事者のアメリカではないんですね。
日本人が当事国であって、韓国も日本以上に拉致されている。
他国のことを彼ら(=アメリカ)がこういって、こうした形で採択をしているということがポイントなんですね。
本来であれば、こういった動きというのは、日本政府が先頭を切ってしなくてはならないはずなんです。

私はいろんな場でお話しする機会をいただいておりますけども、こうして私たちにできることは、皆様方にお訴えすることしかできません。
私たちの辛い思いを、一言でも多くお伝えすることしかできない。
これは、みんな一緒なんですね。
ですから家族であるから、兄弟であるから、前面に立って闘うしかない。
これは当たり前のことだと思っておりますけども。
これは国家間の戦争行為のようなものですから、テロ行為に向かって闘っている以上は、国が先頭切ってやらなくてはいけないことなんですよ。

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2005年07月27日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(6)05.7.17 藤沢産業センターにて

『脱北者Yさんの証言 聞き手:野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金)』

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☆野口孝行氏のあいさつ

こんにちは。
北朝鮮難民救援基金の野口です。(拍手)
いつも神奈川の会にはですね。
私たちの団体は、難民の救援について活動している団体なんですが。
いつもご協力をいただいて貴重な時間をいただきまして、ほんとに会の方、そして皆様にいつも感謝しております。
ありがとうございます。

脱北者の方と話をする前に、ちょっとお知らせがありまして、8月1日ですね。
「北朝鮮難民と人権に関する国際議員連盟とNGOの会議」というのが予定されていまして、皆様のお手元にあります、私たちの会報にもいろいろ書いてあるんですが。
難民問題に関係している団体、そして救う会、特定失踪者問題調査会等々NGO、国際議員、各国の議員さんが集まって会議をします。
興味がある方はたくさんいらっしゃると思うので、注目していただきたいと思います。

それとですね、7月31日ですが。
チラシが入っているので、ご覧になられた方もいらっしゃると思いますが。
「ソウル・トレイン」というですね。
脱北者が中国まで逃げてきて、そしてその人たちがどうやって韓国までたどり着くのか、というドキュメンタリー映画を、アメリカの監督が作りまして、それを日本で上映する会というのが、日本であります。
7月31日に文教区民センターで行われるんですが、興味のある方は、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。

これから脱北者の方とお話をするんですが、マスコミの方にお願いがあるんですが。
多くの脱北者の方がそうであるように、まだ北に家族が残っている関係で、こちらの日本にたどり着いたことがわかると、(北にいる)家族に害が及ぶ恐れがありますので。
申し訳ないですが、顔は映さないようにしていただきまして。
公の場で出す場合は、音声の方も変えていただきまして、顔も一切映らないようにしていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

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↑脱北者の証言に聞き入る家族会の方々


☆脱北者Yさんの証言(聞き手:野口孝行氏)

(会場脇より脱北者Yさんが登場、正面席に着席)

※野口氏質問(以下野口氏)
それでは。
お話するのが、まだ慣れていないということで、私がきっかけみたいな形でお話をうかがいたいと思います。
まず、最初に聞きたいのは、先程の1960年代に帰還事業で向こう(北朝鮮)に渡ったそうですが、その時の乗った時の様子と、何歳くらいの時に北朝鮮に行ったのかと言うことをちょっとお話しください。

★脱北者Yさんの回答(以下Yさん)
私は日本の大阪で生まれました。
日本で教育を受け日本の学校を卒業して日本で就職して、18歳の時に父母に付いて北朝鮮に行きました。
それから北朝鮮に着いた途端に「ああ、北朝鮮に行ったのは間違いでだった」とそれを感じました。
どうしてか感じたかというと、日本で聞いた時は
「朝鮮の国は、地上の楽園で夢のような良い国で、仕事をしなくても食べていける。
勉強はただで、病院もたただ」
と、そういういろんな宣伝に騙されて、うちの父母たちは正直一本で。
そう言う人たちの宣伝に本気になって(北朝鮮に)行くために、私は行きたくないのに連れていかれたというか、父母が行く所にしょうがなく行ったのです。

行ってですね。
一番初め船が着いた途端に「間違ったな」と思って、改めて話したんですね。
「この船で日本へ帰して下さい。私は日本に帰ります」
と。
それで、(北朝鮮に)帰る時は、「絶対(日本)に帰ることが出来ない」ということを知らないで行ったんですね。
行ってみて、気に入らなかったら日本に帰れるものだ、とそういう気持ちで行ったんですけど。
着いた途端に、日本に帰ると言ったのを、絶対にそれは出来ないということがわかって、その日から日本に帰るのを夢に見て、
「いつかは必ず自分が生まれて育った日本に帰るんだ」
とそういう具合に北朝鮮に生きました。

※野口氏
実際に船に乗ってですね。
北朝鮮に着いた時に、何を見て何を感じて、この国は言われていた・宣伝されていたものとは違う、と具体的に思ったのですか?

★Yさん
私たちを迎えに出てきた大学生たちの服装とか、顔色を見て、日本では見たことがないような質の悪い服装をして。
人間たちの顔色というのは、栄養失調に近いような。
その頃から北朝鮮というのは食糧難に遭っていたようでしたが。
私は、何のために人間の顔はこのようななのかというのは知らなかったんです。
とにかく日本では見たことのないような人たちだなと。
それから(北朝鮮の)山には木が全然ないんですね。
全部裸なんです。
だから国が豊かではない、ということを感じました。

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2005年07月26日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(5)05.7.17 藤沢産業センターにて

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話』

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どうも皆さんこんにちは。
ただ今ご紹介いただきました、特定失踪者問題調査会専務理事の真鍋でございます。
小泉さんに倣って、クールビズで来ております。
どうも失礼いたします。(笑い声)
一番イヤな人の格好真似るのも(笑)、どうかと思いますけれども・・・

私の方から、特定失踪者問題調査会の調査の現状、それから神奈川県の現状。
そしてそれに付随する、拉致問題全体を解決するのに何が必要かというようなお話をさせていただきたいと思います。
時間がだいぶ余っているようですので、ちょっと少しお時間をいただくかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

最初に私ども特定失踪者問題調査会がですね、現在440名のご家族からご相談をいただいております。
私どもに届けられなくても、私たちに状況をご相談されるご家族が他にもたくさんいらっしゃいます。
本当に私ども、スタートして2年半になるんですけれども、実際これほど多くのですね。
失踪された方がいらっしゃる。
それで苦しんでいらっしゃるご家族がですね。
こんなにたくさんこの日本の、自由で、平和な、豊かな国にですね。
あるということにほんとに驚いております。

具体的な数を申しますと、日本で年間10万件失踪があるそうです。
これは警察に届けられた数ですから、警察に届けられないご家族もいらっしゃると思います。
年間10万件の失踪の内、99%くらいは5年間の内に何らかの結論が出るそうです。
拉致被害者の方もそうですし、特定失踪者のご家族がそうなんですが。
10年、20年、長い場合には40年、50年何の結論も出ないままにずっと時が流れていくご家族が年間に1000件、ということになります。

そうすると、拉致問題がいつから始まったのかというのは、まだはっきりとしていないんですけれども、仮に30年と致しましょう。
そうすると30掛ける1000ですから、3万人の失踪された方の内に北朝鮮による拉致被害者がいる事は間違いないと、思っております。

ですので、我々の所に届けられてるのは、その3万件の内の2%にも満たないくらいのご家族から、しか、実は届けられていないということですから。
我々でこうした後ろにもポスターがありますけれども。
公開された方々が220人くらいなんですけれども、我々の知らない所にですね。
必ず拉致被害者の方がいるだろうと思っております。

Img_0279.jpg

その証明として幾つか例をお話したいんですけども。
ちょっとホワイトボード(以下、白板と略す)をお借りしますけれども、440人の内にですね。
もう既にご存じだと思いますけれども。(白板に向かった時、マイクがハウリングを起こす)
あぁ、ごめんなさい。
デカイ声で言いますね。(マイクを外して地声で話す)
藤田進さんの写真が出てきましたね、川口にお住まいになってた方ですね。(藤田進さんの名前を板書)
それから加瀬テル子さん、千葉県の海上町(うなかみちょう、05年7月1日より隣の旭市に合併)という所ですね、銚子の近くですけれども。(加瀬テル子さんの名前を板書)
このお二人は写真が出てきたので、皆さんもよくご存知だと思います。

もう一方、先日発表しましたけれども国井えり子さん。(国井えり子さんの名前を板書)
この国井えり子さんは網走から失踪(1968年)です。
藤田進さんは当時19歳、加瀬テル子さんが17歳、国井えり子さんは16歳です。(年齢を板書。会場より「え〜」と言う声)
まあめぐみちゃんが13歳ですね。
この3人につきましては、ちょっと事情があって国井えり子さんはややセーブした言い方をしておりますけれども。
私どもとしては、拉致はもう間違いないと思っているんですけれども。
写真が出てきた事情がありまして、はっきりした言明は避けておりますけれども。
はっきりいって北朝鮮から写真が出てきた方は、はっきりと判っているのは今3人です。

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posted by ぴろん at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(4)05.7.17 藤沢産業センターにて

『平野フミ子さんのお話』

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こんにちは。
今日は本当にありがとうございます。
やっぽり暑いですね。
熊本も35度くらいあるんですけども、こちらも負けずに暑いなぁと思って。
ここにお集まりの皆さん、拉致被害者を助けたいっていうその思いと、こんなに日本が駄目になったどうしたら日本を立て直すことが出来るんだろうか?
ちゃんとしたまともな国にする事が出来るんだろうか?とそういう思いの、日本が大好きな人たちが集まってくださっていると思います。
本当に感謝いたします。
ありがとうございます。

私の妹、さっき龍子さんが仰いましたけども。
修一さんと一緒に吹上浜に行って、その時に車の中にカメラがあったんですね。
その時にお互いに撮った写真です。(ホワイトボードに掲げられたるみ子さんと修一さんの写真を指差す)
ですから拉致される数時間前に撮った写真を現像しましたら、このように暑い8月の12日ですから、盆の前の日ですから。
サングラス掛けて、帽子かぶってますけども。

Img_0279-2.jpg

それを蓮池祐木子さんにですね。
帰国した翌年ですね。
「この写真はふけてるね」って仰いました。
私たちもそう思います。
これが拉致される2ヶ月前にいとこの結婚式に父と二人で出たときのスナップ写真ですね。(るみ子さんの写真を掲げる)
あの本当にふたり、これは一人で写ってますけど。
本当に父は妹を可愛がっていましたので、恥ずかしそうな顔で父と妹が一緒に写っている写真もあります。
それが1枚でしょうね。
父とるみ子が一緒に写ってる写真と言うのはですね。

fujisawa1.jpg

本当に妹は良い子でした。
身内ですから、あの第3者として見ても親思いの良い子でした。
私が代わりに行けたら良いのになぁ、と思うくらい親孝行の子でした。(少し涙ぐみながら)
その日は私と妹は同じ鹿児島市内の会社に勤めておりましたので、(車で)私を降ろしてから妹は会社に行ってるんですね。
8月の12日、ちょうど土曜日でした。
半ドンでしたので、今日は修一君と一緒に吹上浜に夕日を見に行くんだっていうふうに、2〜3日前から言ってたもんですから。

私もまだ修一君の顔は一回かニ回見たくらいででですね。
直接お話したことは無いです。
でも実直そうな感じの方でですね。
妹も今の24歳と違って昔の24歳と言うのは本当に真面目って言うか、子供ですね。
妹は暗い所が嫌いだから、ちょっとこう男性を、修一君も男性ですから、暗い所でちょっと手を握ろうとしますよね?普通ね。
嫌ってして、こんなふうにしてするんだよって。(体をよけるしぐさをしてみせる)
妹が私にこんなふうに嬉しそうに、恥ずかしそうに話をしてくれたのを思い出すんですけども。

そんな真面目な子がですね。
10時になっても電話くれない。
12時、1時、本当にその夜はまんじりともせずに夜を明かしました。
本当に私たち母と、父はちょっと船に乗ってましたので、分かりませんでしたけれども。
なんでこんなに遅いのか?
今までこんなこと無い。
携帯電話も無い時ですからね、連絡もつかないですよ。
何でるみ子こんな事、今まで一度も無いことだよね?って、事件にでも巻き込まれたんだろうかね?って言って警察に届けても警察は取り合ってくれません。
アベックで出てますから。

駆け落ちじゃないか?とか、ラブホテルにいるんじゃないか?
そんなことをする子じゃないんです!って言っても何も事件が表に出てこないもんですから、警察は取り合ってくれません。
市川さんの家族と一緒に、翌々日にですね。
吹上浜に行ったらそのような車と、スリッパと置いてあった様な状況でした。
本当に私たちは、本当に自分たちが被害者の家族になるなんて思いませんでした。
突然来るんです。
ある日突然、本当に、狙われたようにして、本当に不思議。
なんで私たちが新聞沙汰になるんだろうか?って、何でるみ子がこんな事になるんだろうかって言う、そういう思いです。

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2005年07月25日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(3)05.7.17 藤沢産業センターにて

『市川龍子さんのお話』

Img_0258.jpg

実は私40年前に藤沢の高校を卒業いたしまして、国立横浜病院、原宿にありますね。
戸塚区の。
あそこに勤めていたもんですから、藤沢って聞いたときに嬉しいやら。
この藤沢の駅に立った時には感慨ひとしおでしたけれども。
がらっと変わっておりますので、ほとんど面影はなかったですね。
でも、まぁ藤沢に来れて本当良かったなぁと思ってます。
鹿児島なんですが、母校とかは行く暇無いと思いますけど、今日は皆さんにお会いできて本当に良かったと思っております。

聞いていただきたいと思います。
私はですね。
53年の8月12日。
皆さんご存知だと思うんですが、鹿児島の吹上海岸と言う所があります。
ここは、夕日はとってもきれいに見える海岸なんです。
鹿児島の吹上浜で北朝鮮の工作員に拉致された市川修一の義理の姉に当たります。

その8月12日に、弟が修一が23歳の時でした。
平野さんの妹に当たります増元るみ子ちゃんと二人でですね。
吹上浜海岸の夕日を見に行ってくる。
10時までには必ず帰ってくると双方の家族に約束をしてそれっきり、忽然と姿を消してしまったんです。
将来を約束しあっていたのかどうか?私たちには分かりませんが。

その日修一がですね。
わくわくわくわくしながら、るみ子さんとデートが出来るという嬉しそうな姿をですね。
当時修一の実の姉と同じ敷地内に住んでいましたので、弟の修一の嬉しそうな姿を今でも目に焼きついている。
残念ながら実の姉はちょっと重い病状に伏せっておりますけども、この姉が、私には義妹になるんですけども、修一からは実の姉ですね。
姉の所からいなくなったもんですから、私はその姉と母にですね。
一刻も早く(修一を)抱かせてやりたい、って気持ちであちこち回っております。

修一とるみ子ちゃんはどんなにかね、夢や希望に胸を膨らませていたと思います。
修一は向学心も旺盛で、当時通信教育の大学生としても勉学にも励んでおりました。
通教の学籍番号もきちんと、私が毎月送られてくる冊子で覚えております。
Eの7609279の番号で毎月送られてきておりました。

そして何より親孝行な修一でした。
だからそんな修一がですね。
自分から姿を消すということは無いんです。
当初は家出かな?蒸発かな?駆け落ちかな?というふうに世間からは見られておりましたけども。
あとは誘拐かな?交通事故にあったかな?暴走族にあったのかな?
タコ部屋って、私は知らなかったんですが、そういうタコ部屋に連れて行かれたのかな?
神隠しにあったのかな?
果てはUFOに連れて行かれたんじゃないか?と本当にですね。
まったく雲を掴むような不可解な事件が8月12日に起きたんです。
来月でもう27年になります。

延べその時にですね。
1500名ほどの大掛かりな捜索が始まりました。
ビーチクラフトで、また地元の漁船が網を張って海の底に沈んではいないか?
砂浜に埋められてはいないか?と思って、みんな横一列に5人6人並んで棒を持って砂を突きながら埋められてはいないか?といってですね。
棒を突きながら大捜索を行いました。

でも当日はですね。
キャンプ村で浜辺で、コンサートがあったんです。
その日はたくさんの人出であったんですけども、松林を通って浜に行く中継にロータリーがあるんです。
そのロータリーに修一の車が駐車してありました。
その車の1〜2メートルのところで2匹の警察犬がもうクンと鼻を上げたんです。
そこでプッツリと匂いが切れてしまったんです。
多分4人の工作員に拉致されて、格闘したかどうか分かりません。
そこに片方の修一のサンダルが縦にひっくり返って落っこってたんです。

消息(を絶って)から10年、1988年・昭和63年です。
国家公安委員長がですね。
梶山静六さんでした。
3組のアベック失踪事件・一件の未遂事件は北朝鮮による拉致による疑いが濃厚であると、はっきりと国会で答弁されたんです。
でも、それっきりなんです。
ずっと闇に葬られたままでした。

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posted by ぴろん at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(2) 05.7.17 藤沢産業センターにて

『斉藤文代さんのお話』

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神奈川の皆様、こんにちは。
暑い中こんなにたくさん私の話を聞いていただけると本当に私も今日は胸がいっぱいで。
今日藤沢に来て良かったなぁと思っております。
聞こえますでしょうか?
だいたい私地声で声が大きいんですけど。
ちょっとの間、よろしくお願いします。

私の弟・松木薫は1980年にですね。
スペインのマドリッドから北朝鮮の方に拉致されました。
拉致した犯人は森順子さん若林さんと言う、二人で拉致したんじゃないか?というようなことで警察の方から私はお話を伺っております。

私の弟は、父には「スペインに行くときは1年で帰ってきますので、ぜひ行かせて下さい」ということで。
父はその当は、時絶対駄目だということで反対しましたけれど。
私たち家族、母・私「これから先は何でも勉強することは大事だから、お父さん最後の願いだと言ってるから、行かせてやってください」と願いしたのが今でもちょっと後悔しております。
あの時父が反対したように皆で反対しておれば、こういう事もなかったんじゃないかな?と時々布団の中で考えて眠れない時もあるんですよね。

父も折れまして、じゃあ1年だけということで許してくれて、弟は最後のバイトの、富士山でバイトをしてまして。
その費用と父から貰った費用でスペインの方に渡って語学の勉強をしてたんですけれども。
まさかこの26年間帰って来れなくなると、思うことは一回も無かったわけです。
私も本当に可哀想な子だなと、思っております。
80年に拉致されてから全然帰ってこないので父はもう慌てふためいて、スペイン大使館だの外務省だのとずい分駆けずり回って探してくださいということでいろいろお願いして回ったんですけども。
その当時は門前払いで、外務省の方も「まぁそのうち気が向いたら帰って来られるんじゃないんですか?」と言う簡単な気持ちだったので、父も本当にずい分いろんな所へお願いして回って助けてやることも出来なくって、亡くなりましたけども。
本当に父も無念だったと思います。
本当に可哀想な父だなぁと思っております。

その後に私の母が、その後活動を続けなければいけないんですけども、母はうちにおるおとなしい母でありまして。
父の言われるがまま、父の指導のままで付いて回るようなおとなしい母なものですから。
本当にショックが大きかったと思います。
本当に今思えばですね。
88年に平壌で石岡さん・有本さん・弟が暮らしていると、いうことが分かりましたけれども。
父はそういうことも出来ないままにあと亡くなりました。
そして母の方に手を差し伸べて亡くなってたんですね、床でね。
それを考えると何と北朝鮮は憎いところなんだろうと、いつもいつも思います。

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posted by ぴろん at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月24日

第11回拉致被害者と家族の人権を考える市民集会(1) 05.7.17 藤沢産業センターにて

『川添友幸 救う会神奈川会長代行 開会の辞』

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今日はですね、皆様ご来場ありがとうございます。
今までうちの会長がご挨拶していたと思うんですが、ちょっと都合でですね。
これから私が会長代行という事になりましたのでご挨拶させていただきます。
今日は暑い中、本当に皆さんありがとうございます。
明日、町田の方でちょっと集会があるので人数心配していたんですが、これだけ来て頂いて嬉しい限りです。

今日これからこちらに講師の方と、今ですね。
ちょっと控え室の方にいるんですが、インターネットでは榊原さんと言うお名前になってたんですが。
ちょっと急遽調子が悪いということで、Yさんと言う方で、ほとんどまだメディアに出たことのない脱北者の方です。
ちょっとですね、顔がですね。
出ると色々あるということで今対応を協議してますんでですね。
我々もまだ慣れていないところがあると思いますがですね、よろしくお願いいたします。

6カ国協議も始まりですね、拉致の問題中々難しい状況が来てるかもしれません。
しかし今回第11回。
あまり回を重ねることは良いこととは私たちは思いませんが、この問題をですね。
続けていき、拉致問題更に特定失踪者問題。
個人的に私よど号をずっと追いかけてますが、よど号拉致事件問題。
更にですね北の人権問題。
強制収容所や脱北者を含めた問題。

なんとかですね、これをしていかなければならないと思っていますので、毎回毎回皆さんの参加だけがこの神奈川の会、頼りとなっております。
ぜひですね、よろしくお願いいたします。
私たちもこれ素人の会ですので、不慣れな点もあるかもしれませんので、アンケートの方がありますんで。
また、それに書いていただければそれを参考にしていきたいと思いますんでですね。
よろしくお願いします。

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テキスト化に当たり、脱北者のお名前は証言者の都合により匿名といたします。
悪しからずご了承ください。
posted by ぴろん at 00:02| Comment(0) | TrackBack(1) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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