2007年05月27日

07.4.26 質疑応答2 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(5)衆議院第二議員会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『質疑応答 その2』



★質問者6

竹下さんにもう一度お聞きしたいんですが。
先ほど質問したときに川人弁護士に直接答えていたたいたんですが、誰のお名前において表明書を出すかと。
実質的には室長や官房長官の了解の上でこの表明書出していると説明は受けてはいますけど、竹下さんご自身としてはそこらあたりのこだわりと言うかですね。
本当は安倍総理なら安倍総理の名前で出るのが一番ベターだったなとか、その思いはお持ちでしょうか?

★回答 竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)

素人の私どもには詳しい事はよく分かりませんけども、ただ私としてはこの裁判を起こした時には、担当室室長を相手にして裁判を起こしたのではなく、国を相手にして裁判を起こしたという、そこだったなぁという思いがございます。
しかし、相手の方々の国側もいろんなご事情その他から、それもやむを得ないのかな。
実質的な責任者であるし、先ほど川人弁護士からも言っていただいたように「総理も官房長官も了解した上での内容です」という事も口頭で仰いましたので、そういう事ならという事で納得したという事です。

★回答 荒木和博特定失踪者問題調査会代表

去年、2回官房長官ともですね。
竹下さんお会いをされているわけですが、最初特定失踪者ご家族の代表みたいな形でお会いをされてから、それからひと月ちょっと経ってからですか。
お会いを頂いたのと、それから松本京子さんの拉致認定と言うときにお会いをされているという事で、それはそれまでは無かった事ですからね。
そういった中で一つの前進の一例で、そういう中でこういう形になってきたという流れは言えるだろうとは思います。

★質問者7

今日は総理と官房長官の意向の下というのは、先方から言って来た事ですか?

★回答 川人博弁護士

確認しました、念のため。
向こうから言ってきました。
安倍内閣総理大臣及び塩崎官房長官のご意向の下にやっていますと言いました。
裁判官の皆さんも一緒でした。

★回答 二瓶弁護士

それは河合さんと言う方が表明するわけですよね。
それについて総理大臣とか官房長官が後日、それは知らないとか承知していないということで困るんじゃないか?と言う事が当然ありましたね。
我々としては安倍総理大臣に代わってと、そういう内容のもので欲しいという事で話をしたんだけども、行政の河合室長がですね。
そこは難しいというふうな事がありまして、結局は最終的にはですね。
裁判官が立ち会ったところで非公式ではありますけども、総理大臣及び官房長官の了解の下に表明しているんだという事をみんなの前で表明したと、いう事を公開の法廷の前に裁判所の中でやった、という事です。
本来であれば公式の場で表明してやるのが最も理想的なんですけども、その辺は実質的には了解したと。
そういう形であればやむを得ないんじゃないかということで落ち着いたと、こういう経過です。

★回答 川人博弁護士

この事だけで一回か二回かかりました。
率直に言いますと。
表明者を誰にするか?と。
当然安倍内閣総理大臣が名前を書くべきだというように申し上げました。
ですからそういう交渉の成果を踏まえて今のようなことになったと。

後は司法手続き上の問題で言いますと、河内さんは国の代理人として口頭弁論で仰っているんですね。
あそこの中で国の指定代理人という事になるんですけど、ですからそういう意味では室長であると同時にですね。
この訴訟において国側代理人として裁判所の中でこの表明をしたと事はありますので、そういう意味ではですね。
我々としては、勝手に将来ですね。
室長が言った話だという事にならないような意味で、いろいろ・・・(聞き取れず)にもですね。
・・・(聞き取れず)というか縛りと言うかは出来たと思います。★

★質問者8

法廷の場で総理や官房長官が了解しているという事をいう事に対して、抵抗はあったんですか?

★回答 川人博弁護士

抵抗はあったんです。

★質問者8

それはやっぱり理由としては向こうはどういう事を言ったんですか?

★回答 川人博弁護士

一貫して理由じゃないです。
答えが一緒なんです。
前例が無い。

★質問者8

前例が無い?

★回答 荒木和博調査会代表

ですからこれは希望として言えば、この裁判の事は一応これで終るわけですけど、重ねて総理大臣がどこかの場でこれは十分我々も分かっていると、この通りやるんだという事をですね。
宣言していただきたい。
総理や官房長官であればどちらでもいいんですけどですけど、それをやっぱり明確に別の場で言っていただきたいというふうには思います。

★回答 二瓶弁護士

記者の方が記者会見で質問した時に、今・・・(聞き取れず)ですからね。
知らなかったとは言えないわけですからそういう事になりましたから、いずれにしても政治の場でやる。
こういう事ですね。

それともう一つ先ほど出ていた・・・(聞き取れず)に拉致認定の判断理由の問題なんだけども、国は明快にしないのは変わってないんですね。
先ほども言った争点になった本件証拠調べも踏まえてと、これを入れる入れないで問題になりまして、安明進と言う方を調べたわけですね。
その名前も具体体に入れて欲しいという内容を申しましたけども、他も調べているという事もありましてですね。
結局は法律的には本件訴訟の証拠調べの中のひとつなのは明確なのでそれ以上の追及は出来ませんでしたけども、私どもがここで重要だと思ったのはですね。
目撃証人を調べたという事なんですね。
目撃証言があるかないかというのは、やっぱり私どもが拉致認定の重要なファクターであるというふうに思っています。

それを法廷できちっと調べたという事は私どもは大変大きな成果だと。
古川さんは残念ながら認定と言うところまでは裁判上では認めさせる事は出来ませんでしたけども、なんら松本京子さんや他の人たちと何ら変わりないというところまで、私どもは十分にそこまで到達したとこういうふうに理解します。
従って裁判では拉致の可能性を排除できない人々の人たちの問題もありまして、こういう結果に終りましたけども、内容的にはやっぱり認定を実質上勝ち取ってもおかしくないと、いうところまで我々はやはり追い詰めたと思っていますので、これからの運動の中でね。
内閣に拉致を認めさせていきたいと思います。
間違いないわけですから。

結果的に我々の推定ですけども、警察がある程度認定を認めれば・・・(聞き取れず)も認定になるように受け止めているところもありまして、内部がどういうふうになっているか分かりませんけども、言ってみれば今までのいろんなケースでどういう扱いをされていれば認定をされているのか?という事を積み重ねるしかないわけですよね。
そういう意味では古川さんは十分に積み重なっているわけであるというふうな認識で我々は進めていきたい。
こういうふうに思っています。

★質問者9

荒木さんはかねてから、拉致認定と言う政府のシステム自体がおかしいんだと。
こういうふうなシステム自体に疑問を呈されてきて、このシステムを変えない限り救出と言う目的には向かわないんじゃないかと、いうようなお考えを表明されてきたんですけど、そのお考えには変わりは無いんでしょうか?
これを通じて変わったところはありますか?

★回答 荒木和博調査会代表

え〜とですね。
ですから今のシステム自体が、警察が捜査をして、そしてここにあるような確認をされた場合は認定をすると、政府は認定をする。
そして外交交渉でというその流れでやっておりまして、この流れはもちろんこの流れで、そして認定に足る人はもっと積極的に認定をしてもらわなければいけない。

それとまた別にですね。
しかし、そうやったって認定できないような人がたくさんいるわけですから、これは別途にしてすべて救出を前提としてその作業を進めるしかないという事で、これは平行してやっていくという事で理解をして良いんじゃないかと思っています。
これを今のやり方を止めてしまってという事ではなく、これはこれで進めながらそこに入らない人がいるという事を前提にですね。
救出の作業を進めるという事だろうと思います。

他に。

★質問者10

この件と関係あるようで、今日の事情なので質問してしまいたいと思うんですが、渡辺秀子さんと高姉弟の事件で木下陽子容疑者、逮捕状が取られ出まました。
しかし国外に住んでいると言われています。
協力者の女性も国内にいるといわれながらも時効があるとかですね。
そういうような事で言われています。
これは結局国外にいて逮捕できない状況がまた続くのかな?と私なんか今回も思うんですけど、告発状を何十枚も調査会出していますよね?
そういう人たちの拉致の解明にも関わってくると思うんですけど、今日もそういった経過についてどうご覧になっているかと言うのを荒木さんからお伺いしたいと思います。

★回答 荒木和博調査会代表

今日の逮捕状のことですか?
この問題で国内で略取誘拐が行なわれた時点からの時効の計算があるのか?
それとも今も拉致被害者が向こうにいるからという事で時効が成立しないと、日本国内に例えば容疑者がいたとしてもですね。
時効が成立しないか?という、ちょっと法律的な事は弁護士の先生方からお話いただいた方がいいと思うんですが、いずれにしてももし例えばこれが日本国内にいても、拉致が行われた時点から例え時効がですね。
時効の計算が始まるんだという事であってもですね。
もし、だから罪を問えないという事であれば、それはまさにそのまま拉致をした犯人を野放しにするという事になるだろうと思います。

ですからそれは当然許されないことでありまして、当局の方としてまずはっきりですね。
それはそういう状態で時効が成立するのかどうなのか?という事について明確な判断を明らかにしていただきたい。
もし時効が成立しないんであればもちろんそのような事でですね。
今この渡辺さんの事件に関わって出てきている人も当然その状況でですね。
取調べをしていただきたい。
今は何か時効が成立するという事が流れていますけども、そうでは無いんだという事を明らかにしてもらいたいし、もし時効が成立するという事であれば、成立をしてそして犯人が日本国内にいても罪が問えないと。
そして被害者はですね、まだ北朝鮮にいると。
言う状況はこれは当然考えてもおかしい状況ですので、そこの穴をどういうふうに埋めるか?という事をですね。
それは明らかにしてもらわなければいけないと思います。

いずれにしても拉致をした人間、拉致に加担してそしてそれをですね。
しゃべることも無く今でも日本の国内にいる人間がたくさんいるわけですから、いくら国際指名手配して逮捕状を出したところでですね。
それだけでは何の意味もなさない。
いう事ですので、やはり我々としては日本国内にいる容疑者をですね。
警察は積極的に捕まえて取調べをして事件を明らかにしてもらいたいと思いますので、この点についてはこれも何らかの形で明らかにしていきたいというふうに思っています。
国会の質問等を使うのが一番早いと思いますが。

★回答 川人博弁護士

ですからこの逮捕状の被疑事実は誘拐だけなんですか?
殺人も?

★質問者10

誘拐ですね。
子供さん二人の国外移送略取に関わる部分だけです。

★回答 荒木和博調査会代表

あと宜しいですか?
それじゃ、これで会見を終了致します。
どうもありがとうございました。

・・・報告会終了・・・

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この報告会の録音・写真撮影・ネット公開については、調査会の荒木代表の同意をいただいております。

2007年05月23日

07.4.26 質疑応答1 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(4)衆議院第二議員会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『質疑応答 その1』



★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

Img_2927.jpg

以上でございます。
あと一つ、ちょっと事務的と言うか、表明書の中の五項の事なんですが、『認定被害者及びその御家族にFAX等で提供しているものと同じ情報を、特定失踪者問題調査会にも伝達することとする。』と言うふうになっております。
これはどういう意味か?と言いますと、ご家族に送っているのはですね。
特定失踪者のご家族全部に送るというのはちょっと難しいという事がありまして、私どもが月一回郵送でお送りしていますニュースの中にその内容のエッセンスを入れてお送りしていると。
毎回4ページしかございませんので全部入れる事は出来ないんですが、その中で重要なものをですね。
ピックアップしてニュースの中に入れてお知らせをしているという事の意味でございます。

それじゃあ、ご質問等ある方はお願い致します。

★質問者1

川人先生か荒木先生にお聞きしたいんですが、この訴訟を通じて拉致認定をされる人と拉致認定されない人は何が違うのか?と言う、それは何か明確になったものは?

★回答 川人博弁護士

訴訟上は、国側はそこの所は公式的に明らかにしないままで現在に至っています。
従いまして国側からですね。
ご質問にあります拉致の認定の基準についてはですね。
公式的な説明は訴訟の場でも和解協議の場でもありませんでした。
この点については私どもとしては今後とも、明確な説明を認定と併せて要求していきたいと思います。
後実質的な問題については荒木さんの方に。

あのですね、私どもの方としましては国側がですね。
一切、そういう意味ではフリーハンドで自分たちが調べて自分たちの規準で判断するんだからと、一種のフリーハンドと言いますか、そういう形で行なっている実態に対してですね。
そうではなく本件は訴訟の場でですね。
証拠を踏まえて判断するようにと、いう事で裁判所に求めたわけです。
あるいは国側に政策の転換を迫ったわけです。

今回一項でちょっとお読みいただければ分かりますが、古川了子さんについてですね。
本件訴訟での証拠調べをも踏まえてという事で条項が入っておりますが、実はこれだけの事自体が実は論争点になりました。
つまり政府側はですね。
裁判所での証拠調べの結果とかをですね。
拉致被害者の認定のための資料にするという事について、大変抵抗があったわけですね。
ですから本件での裁判所での証拠調べが行なわれて、安明進氏が証言した内容とかを含めてですね。
そういうのを拉致被害者認定の資料にするというのについては大変抵抗していたわけですね。
自分たちは一生懸命やっているんだから任せろ、と言う話です。

我々はそれにあたり納得出来ないと言うか、不信感があるからこういう裁判をしたわけでございまして、そういう点では今回訴訟の証拠調べの結果、そこでの内容も含めて今後拉致被害者としての認定を考えていくという事を、入れさせたという点では良かったと考えています。
ただし、先ほど言いましたようにご質問との関係で言いますと現時点で政府側からは、または松本京子さんは認めてなぜ古川了子さんは認められないのか?ですね。
こういったことについての説明は一切ございません。
公式的には何も無い、と言うのが実情でございます。

★回答 荒木和博調査会代表

結局そこの所は、国側はハッキリしたものは出せないんだろうと思います。
後もう一つはこちらの立場からすると、あまり認定のことにこだわり過ぎてしまうと、認定は出来ないけれど拉致されている人は相当数いるという事を前提とするとですね。
あまりここだけに滅茶苦茶こだわってしまうと、逆にそこで壁が出来てしまうという事もありまして、もちろん必要な認定は進めてもらうようにやっているんですが、そうじゃない人がいるという前提に立って言うとですね。
改めて確認したという事には意味があると。

他に如何ですか?

★質問者2

現在同時に渡辺秀子さんの子供二人、北朝鮮による拉致の疑いで現在警視庁の捜査が進んでおりますが、それは国籍条項が拉致被害者支援法にあって、そこの改定も調査会求めていらっしゃいますが、こういう表明書もそうですし、渡辺秀子さんの妹さん鳥海冏子(けいこ)さんに対する説明もそうでしたけれども、認定は出来ないんだけど実質上同じ扱いにするんだから良いじゃないか?といいような言い方がこの裁判でも渡辺秀子さんでも出て来ているんですね。
それをこちら側が認めるという事になるのもどうなのかな?と言う気がするんですけど。

★回答 川人博弁護士

そこは非常に私どもも一貫して議論してきた所ですね。
ですから私どもとしては、先ほど荒木さん仰いましたように拉致認定だけの事にこだわり過ぎないと言う意味でございましてですね。
当然ながら拉致の認定をされるかどうかはご家族にとっては具体的に非常に大きな問題ですから、そういう意味では拉致の被害者の認定の数を増やすという事と、そして拉致の認定をされていない人々についても政府は救出の責任を負うんだという事ですね。
この両方を今後とも引き続き追求をしていかなければいけないと。
ですからどちらかだけにこだわりすぎるのは良くないと、こういう趣旨であると理解していただきたいです。

★回答 荒木和博調査会代表

その基準の話も含めて出来るだけ文章にしたくないと、いう事が当然政府の方にありますので、こちらとしては今回はこういう表明書が出たわけですけども、それ以外のさまざまな方法を使ってですね。
しっかりと確約を、ということはしていかなければいけない。

★質問者2

そういう意味では表明書と言う紙に書かせてしかも室長に読み上げさせて、そこで拉致(認定家族)と同じ情報を伝達するとかですね。
一斉に説明を行なうとか、誠意を持って相談に乗るとかですね。
その辺は紙に書かせたことは大きいという事になりそうですね?

★回答 川人博弁護士

そうですね。
これ2年前の訴訟を始めるときはですね。
本当にもう、何といいますか、ご家族の方々けんもほろろの対応をずっと続けられていたわけですね。
ですからこの2年間の間もちろんこの訴訟だけでなく、様々な社会の活動の支援の結果、特定失踪者の方々に対する政府の対応は変わって来たというように思いますが、この訴訟が果たした役割も客観的には大きかったと思います。

★質問者3

第一項の古川さんのところで、「北朝鮮当局による拉致行為はあったと確認された場合には」と。
これは何をどこまでを含むのか?と言う、例えば脱北者の証言でありますとか。
それだけじゃ駄目なのか?何であれば確認するのか?
その辺というのは含みは何かありますか?

★回答 川人博弁護士

一貫して政府はそこを逃げているわけでございます、現時点では。
ですから古川さんの場合は何が足らなくて認めないのか?松本京子さんは何が足りて認めるのか?という事はですね。
説明を逃げている、という事でございます。

従いまして、言ってみれば総合判断というような事ですよね。
抽象的に言うならですね。
ですが総合判断と言っても具体的な物の積み重ねで総合判断になるわけですので、我々としてはもっとそれを明確にしなさいと、何が古川さんについて足りないのか明確にしなさいと言ったんですが、それについてはとにかく公式的には明らかにしないという事でした。

我々としては成果としては先ほどいいました裁判での証拠調べの結果もですね。
判断材料に入れなければいけないんだという事で、認めさせたという点では良かったと思うんですが、そこから先は今回の訴訟では進めなかった、という事でございます。

★質問者3

少しこの表現であってもやはり受け入れに足ると言いますか、調査会の評価としてはそんなに。

★回答 川人博弁護士

二項目以下が、やはり大きかったと思います。

★質問者3

第二項以下?

★回答 川人博弁護士

やはり一項についてはですね。
ご本人が申しましたように、認定されていないわけですから、そういう意味では訴訟の目的は達成していないわけです。
ですから一項に関してはですね。
それは我々は認定して当たり前だと思います。
あれだけ明確に証言を裁判の場でされているわけですから、そういう意味では一項に関しては非常に不十分な中でですね。
ある意味では何とかこの範囲で合意したと。
合意したとは表明したという事。
そういう意味では古川さん自体の被害者認定は出来なかったけれども、やはり他の方々の事を含めた全体の家族に対する姿勢が変わったと。
あるいは変えることを表明したという事が、本件を終了させた一番の大きな原因だとこのようにご理解いただければと思います。

★質問者3

そのいわゆる拉致の可能性の排除できない方は存在する。
それを含めた拉致認定されていない他の方々って言う、対する対応。

★回答 川人博弁護士

対する対応、そこが一番大きくて、あとは先ほど言いましたように、古川了子さんでは無いんですが実際に訴訟を起こしてから別の方々が認定されたわけですね。
やっぱり訴訟としては代表訴訟、チャンピオン訴訟でございますので、実際には二人認められたという事はですね。
古川了子さん自体には認められませんでしたが、そういった面も事実上評価したという事です。

★質問者4

この表明書は名前は内閣府の代表者では無いのですが、この点はどうでしょう?

★回答 荒木和博調査会代表

我々としましてはですね。
責任ある立場、責任ある立場と言うのは別に河内さんが責任無い立場と言うわけじゃないんですが、責任あるという事はこの表明書のペーパーの3枚目のところに、本件訴訟を踏まえて以降ですね。
・・・という責任を有する内閣官房拉致問題対策本部総合調整室長・・・と言うのがついた上で、これを被告側の指定代理人として表明するという事で、本来であればこの名前は我々としては内閣総理大臣・拉致対策本部長安倍晋三と言うふうにしてもらいたかったという事は正直言ってございます。
ですからそれについては残念ながら取れなかったんですけども、指定代理人と言うことで被告側が了解をしたという事は、それに代わるものであると。

それから先ほど申しましたように、今日の2時15分の法廷が始まる前に、非公開の席ではありますけどこれについては総理・官房長官の意を受けてという事のですね。
表明があったという事で、それに代わるものであるというふうに理解したという事です。
ただし、正直言ってなんでわざわざこの表明を非公開の席でしなければいけなかったのか?
いまだに私も分かりませんで、これについては今度は国会の場等でですね。
直接総理・官房長官にこの件についてちゃんと理解してやってくれるんでしょうね?という事は確認を取ろうと言うふうには思っております。
そうすれば一応、完結した形になるのでは?と。
以上です。

★質問者5

竹下さんにですね。
先ほど川人先生からチャンピオン訴訟という言い方がありましたが、古川了子さんの拉致認定だけという事ではなくて、特定失踪者全体のための訴訟であるという事の、それでこういう表明書が政府から出てきて和解に至ったという事についてはご感想を言えたらですね。

★回答 竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)

一言で言いますのは中々難しいとは思いますけど、妹とそれから同じような(目撃)証人がいらっしゃるという方たちが、特定失踪者の仲間の中にまだまだたくさんおられる。
そこの中で、もしかすると、終わりに近づいたときに弁護士の先生方からですね。
古川了子の認定がなされなければ嫌だよ、和解をしないでいいんだよ、という事も言って頂いたんですよ。

しかしそれよりも多くの特定失踪者の、私の妹と立場を同じくする人たちの問題が前進して欲しいという願いの方が妹一人の認定がするよりも、やはり優先されることじゃないかな?と思いましたから良かったという事と。
それからこの表明書の一行目にあります「本件訴訟での証拠調べをも踏まえて」と言うことも私は特にお願いして、是非これは必ず入れて頂きたいと思いまして実現したことですので、私の意向と言うものを弁護士の先生方が十分に協議いただいていると理解しておりますので。
前に進んだのだと、2年前よりも数歩前に進めたんだという事で納得したという事です。

・・・その2に続く・・・

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2007年05月20日

07.4.26 竹下珠路さん 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(3)衆議院第二議員会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『竹下珠路さん(原告、特定失踪者・古川了子さんの姉)の挨拶』

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皆さん、今日はありがとうございます。
古川了子の拉致認定を求める行政訴訟は、2年前の4月13日に提訴いたしまして、2年余りの歳月を得た後、今日ようやく和解と言う形に至りました。
長かったというのか、短かったというのか。
本当に弁護士の先生方、支援の皆さんに付いての無我夢中の2年間だったと思っています。

この裁判を通して残念というのか、ちょっと心残りなのは妹が拉致被害者認定にいたらなかったと言う点で、今弁護士の先生から説明していただきましたが、ここはひとつ残念なこととして残りますけど。
とにかく裁判所で安明進さんをはじめ荒木先生が証人をしていただきましたし、それからこの2年間で特定失踪者に対する政府とか社会の認識がずいぶん大きく変わってきたなと期待、感じております。
進展したかどうかという事とは別に、変わってきたなと思っておりますし、今回の表明書の案を何度かいろいろ練っていただいた中にも国側の誠意と真相解明への努力と言うこの約束が、多くの特定失踪者家族たちの立場を同じくする家族にも良い成果をもたらすことを期待しまして、私と致しましてはこの和解案を受け入れることに決めました。

裁判を支援してくださった全国の皆さん。
そして暑い夏、寒い冬にも傍聴席に駆けつけてくださいましたご支援の皆さん。
冬の最中に裁判所の前でビラ配りに協力していただいた皆さん。
そしてお忙しい中、証人台に立っていただいた安明進さん、調査会の荒木代表。
そして特定失踪者の家族の皆さん。
そして何より何よりも、たくさんの時間と労力をこの裁判のために割いていただきまして進めていただいた弁護士の先生方の皆様方に、この場をお借りしまして心からお礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。

今年の夏で91歳になります母は、暮れからちょっと体調を崩しておりましたが今は病院で元気になりまして「了子が帰るまでは頑張りましょう」とつい2〜3日前にも話をして、リハビリに励んでおります。

先だっての日曜日の日比谷での大集会にも、安倍総理とそれから塩崎官房長官がご登壇いただいたと伺いました。
私はちょっと他に所用でどうしても伺えなかったのですが、その安倍総理の下で一日も早い拉致問題の解決がなされますように、今後とも皆様方のご理解とご協力、そしてご努力をよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。

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2007年05月19日

07.4.26 川人博主任弁護士 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(2)衆議院第二議員会館

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『川人博 主任弁護士による裁判報告』

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★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

それでは時間になりましたので、古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟に関する記者会見を行ないたいと思います。
まず初めに経過に付きまして、主任弁護士であります川人博さんからお願いします。

★川人博 主任弁護士

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弁護士の川人でございます。
この訴訟の主任代理人を努めていましたので、私の方からまず経過のご報告をしたいと思います。

本件の訴訟を提訴をしましたのは約2年前でございます。
一昨年4月の13日に提訴いたしました。
その時の記者会見でも申し上げたと思うんですが、本件につきましては直接的には古川さんの拉致被害者の認定を求める訴訟でありますが、実質的にはですね。
政府が認定していない人々の被害者救済のための訴訟である。
そのように位置づけて、原告本人にもそういう気持ちでこの訴訟の提訴を致しました。

この2年間ですね。
現在の裁判は大体約2年間がひとつの目安になっているわけですけども、当初ずいぶん詳しい私どもの主張に対して、国側は、ただこれは裁判に馴染まないという事で逃げ続けていました。
で、証拠調べも一切必要ないという事で国側は対応をしてきました。
実質的な審理に入る事をとにかく避けたいという事で、国側は対応をして来たわけです。
そして門前払いの判決を求めたわけです。
すなわちこれは訴訟には馴染まないということで、門前払いの判決を国側は求めた。

こうしたやり取りの中で私どもはですね。
絶対に実態的な審理に入るべきだという事を繰り返し主張してですね。
荒木さんの証人尋問がまず実現し、その後ご存知のように安明進さんの証人尋問が実現する。
そして竹下さん、原告本人の尋問も実現しました。

このように証拠調べについても裁判所でですね。
時間を取って行なうことが出来まして、それでその後どういう方向でこの訴訟を集結していくか?言う段階になりまして、裁判所の方から双方に対して話し合いによる訴訟の終了、いわゆる訴訟での和解の勧告が出されました。
被告側の強い意向もありまして、あるいは裁判所の意向もありまして、非公式の協議がその後続きまして、途中経過についてその都度詳しく報告が出来なかったわけですが、裁判官はですね。

要は本件に関しては裁判所としては原告・被告共ですね。
同じベクトルの方向にあると。
つまり拉致被害者救出と言う点では原告・被告とも一致しているというように裁判所としては理解していると。
従ってそういう観点から判決と言う形じゃなくですね。
合意による和解による終了と言う方向を追求したいと、そういう裁判官からの説明が繰り返しございました。

ちょっと余談になりますが、私がですね。
和解の協議に入る前にですね。
記者の方のご質問を受けてですね。
裁判官は判決を書きたくないのでは無いだろうか?と言う趣旨の発言をしたかと思うんですが、裁判官は痛くその事を気にしておりまして、それを多分新聞紙上かネットかどこかで見たんでしょうが、その後もですね。
裁判所としては判決を書きたくないという事では無いんだと。
この事件が原告も同じ方向を見ているのだから、その方向で何とか合意による終了と和解が出来ないだろうか?と、そういう事で追求するんだと。
そういう説明が裁判長から繰り返し繰り返し。

問題は内容の問題なんですけども、大きくは二つの事がずっと問題になっていたわけですけども、ひとつは古川了子さんの拉致被害者の認定自体の問題。
二つ目にはですね。
政府の認定している方以外の人々、拉致被害者の可能性がある人々ですね。
これらの政府認定者以外の人々に対する扱いですね。
政府の対応のあり方と言う問題がもう一つの論点だった。

私どもの方としては要求は、一番目の問題は当然拉致被害者として速やかに認定することであります。
この点につきましては残念ながら現時点で国側としてはですね。
古川さんについて政府が認定に踏み切るという事が、最後までその点での回答には至りませんでした。
他方ですね。
二番目の問題につきましては、実質この訴訟をやっているこの2年間の間に徐々に徐々に対応が変化してきました。
変化して来たというのは、前向きに変化して来ました。

訴訟当初の段階ではですね。
およそ特定失踪者、拉致被害者の可能性がある人々に対する扱いがですね。
他の一般市民と同じ扱いだったわけですね。
例えばご家族に対する説明も何もしないし、政府としてはですね。
政府の広報にもそういう事については一切触れないし。
つまり政府は15人程度は認定していたわけですが、15人以外の人については、全くですね。
ご家族に対する対応、あるいは様々な広報一つとってもですね。
極めて不十分なもの、・・・(聞き取れず)に等しい内容だったわけです。

この点に関しては訴訟の中で、あるいは様々な活動の中でこの2年間、徐々に徐々に改善されてきました。
そうした徐々に徐々に改善されてきた内容にですね。
集大成するといいますか、現時点できちっとすでに実行している問題も含めてですね。
国側が文書で表明するという事を、和解協議の中で回答して来たわけであります。
それが後で申します、表明書に繁栄されるわけです。

私どもとしましてはですね。
一番目の問題の、つまり古川了子さんの拉致被害者としての認定と言う事がですね。
実現しない限りは一切合意による終了を拒否するという選択肢もあったわけですが、裁判所からもですね。
同じ方向を向いているという事で、その方向で努力してもらいたいという事と、今申しました二番目の問題について政府がこの二年間ずいぶん対応を変えて来てですね。
前向きになって来たという

さらに古川了子さんでは無いんですけども、この訴訟の間にですね。
相次ぎですね。
拉致被害者の認定者を増やしてきたと。
すなわち結局2002年の段階以降ですね。
この訴訟が始まるまでの数年間の間は、一人として認定被害者は増えなかったわけですね。

一切増やして来なかった訳ですけども、これがこの訴訟を起こして約2週間後に田中実さんの認定を行なったと。
さらにご存知のように昨年には松本京子さんの認定も行い、先日は事実上ですが高さんのご姉弟の認定も行ったという事で、古川了子さんの認定自体については政府はまだ決断していないわけですけど、そういった特定失踪者の方々。
例えば認定していない人々に対する認定をですね。
この数年間で過去に比べればですね。
前向きに対応して来たということも、評価する材料でありました。

こういった点を総合的に原告ご本人、あるいは特定失踪者問題調査会、我々弁護団、その他支援の方々の様々なご支援のですね。
状況も考慮して議論をした結果、本日ですね。
実質的な和解での終了ですね。
政府側の表明書の表明という事での訴訟の終了という事に至ったわけでございます。

以上が経過で具体的にですね。
私と荒木さんの連名でですね。
お配りいたしましたのが、訴訟の和解に当たっての評価でございます。
今申し上げた内容です。
それで後で原告ご本人のコメントは直接竹下さんにお話いただきます。

それから先ほど配っていただきましたのが、表明書でですね。
これは本日法廷に入られた方は見ていらっしゃったと思いますが、現在の実務の政府内の責任者ですね。
河内(かわち)さんとお読みするようですけど、河内さんが国の代理人としましてですね。
そして実務責任者として裁判所で表明するという事で、この表明書の内容を裁判所の裁判官の前でですね。
表明をしたと言うふうに至りました。

そしてこれをですね。
裁判所の正式の書類、証書と言いますが、証書と言うのは証書の証に書類の書ですが、裁判所の公正証書の中にですね、この表明書を添付すると。
裁判外の書類じゃなくて、裁判所の書類と一体として添付するという事で、訴訟上の扱いにする事になりましてですね。
私どもとしては内閣の実務上の責任者がですね。
口頭弁論の席で表明したという事を受けまして、本件の訴えはですね。
取り下げるという事で手続きをした次第でございます。

さらに重要な事を一点付け加えますと、本日口頭弁論が始まる前にですね。
事実上の打ち合わせの席の中で、私どもとしてはこの表明の内容はですね。
当然ですね、内閣総理大臣あるいは官房長官含めて、内閣の責任者の了解の下に行なっているのか?と言うことについて問いましたが、この点については要は安倍内閣総理大臣及び塩崎官房長官の意向に基づいて行っているという事は明言をしていました。
従って本日ですね。
出廷したのは指定代理人の担当の人である河内さんでありましたけども、本来は現在の安倍内閣の方針として表明したものだと、このように理解をしております。

この表明書の内容はですね。
一項目は古川了子さんの扱いですね。
本日は先ほど言いましたように認定と言うところまでは至らなかったわけですが、姿勢としてですね。
今回裁判所で明らかにした証拠も含めて、認定のためにですね。
我々から見ましたら最大限努力するという立場を明確にしたと言うのを優先で一点評価は出来ると。

二項以下はですね。
あるいは皆様方お読みになって頂いて、当たり前のことではないか?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは2年前の段階ではこれらの事がすべて実現していなかったわけですね。
そういう意味では一つ一つをですね。
2年間の中で徐々に変革をして来て、今回具体的な文書で約束させたと言う点では、大きな変化であり成果であると思っております。

二項というのは、これはすなわち政府の認定以外にも被害者の可能性があるんだという事を公式的に明確にさせるという事ですね。
それから三項は、要はご家族から問い合わせがあった場合は誠意をもって対応するって、これ当たり前のことなんですが、今まではですね。
政府認定者以外は一切一般市民と同じですから、不誠意極まりない態度であるわけですね。
そういう事はしないと、誠意を持って家族に対して対応すると。

さらに日朝協議などが行なわれた場合にですね。
三項ですけども、認定被害者のご家族には説明をするんですが、それ以外の人には何の説明もなかったですね。
いう事で、そうじゃなくですね。
きちっと協議が行なわれたら、認定被害者以外の家族に対しても政府説明を行なうという事。
あるいはそれらの活動をしている特定失踪者問題調査会に、きちっとそれらの報告文書も送るとか、いう事も念のために五項で確認されています。

さらに、私どもがですね。
特に広報の段階で、例えば国連の場とか、様々な外交交渉の場でですね。
政府の認定被害者の事だけを言うのでは駄目だと、繰り返し強調した点なんですが、それについても国連の場含めてですね。
政府の認定する人たち以外の人についてもですね。
きちっと広報していくと、対外的に認知されるように努力するという点について六項・七項で、確認をしたと。
現時点では事実上これらは実践されて来ていますが、文書できちんと確認をしたという事です。

そして八項についても、今現在ですね。
内閣がこれらの問題について事実上取り組んでいることと、将来またいつですね。
ある意味では被害者が切り捨てられるかも分からないという問題の危惧と言うのは、それぞれ存在するわけです。

従って私どもとしては現時点でですね。
政府が行なっていることについて文書できちっと約束させてですね。
それを今後共ですね。
内閣が代わってもあるいは担当者が代わってもですね。
きちっと継続させるという意味において文書で明確にさせたという事がひとつの明確な前進と、そのように受け止めました。
以上申しましたような経過と理由でですね。
私どもとしては本日の表明書を受け入れて訴訟を取り下げたという次第です。

ちなみにコメントにも書きましたけども、この表明書の内容が実行されない場合はですね。
法律的には私どもはいつでも政府を改めて訴えて訴訟をする事ができます。
ですから例えばですね。
古川了子さんの場合についても、一項できちっと全力を挙げて安否の確認に努力をすると、そのように約束をしているのにそれをしなかったというふうな事になればですね。
当然約束は不履行でいつでもまた拉致被害者の認定を求める訴訟を我々はする事が出来ます。
そういう権利を放棄していることでは全然ございません。

ですから今後ですね。
この表明している内容を実行させることを期待し、させたいと思いますが、もし不順な状態が続くようであればですね。
再び司法の場でも、また提訴するという事も考えざるを得ないと、そういう事は相手方にも申し上げていることでございます。

私の方から以上経過説明いたします。
次に竹下さんの方からそれじゃコメントを読み上げてもらう形でも良いので、ちょっとお願いして。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この報告会の録音・写真撮影・ネット公開については、調査会の荒木代表の同意をいただいております。

07.4.26 資料の紹介 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(1)衆議院第二議員会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『本件訴訟に関する資料の紹介』

※この報告会のテキストを紹介するに当たり、会場内で配られた資料をまずはご紹介します。 
尚、このエントリーのテキストは、『[調査会NEWS 502](19.4.26)古川訴訟和解で終了・木下陽子の逮捕状』より引用させていただきました
http://chosa-kai.jp/cyosakainews/kongetunews/news070426.TXT

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★資料1 政府より示された「表明書」

           表明書

                 平成19年4月26日

                  内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室室長 
                  内閣府拉致被害者等支援担当室室長
                                          河内 隆

 関係省庁・関係機関と協議した結果、関係省庁・関係機関が連携して、以下の施策の実施に努めることとしたことを表明する。

1 古川了子さんについて、本件訴訟での証拠調べをも踏まえて、関係省庁・関係機関において全力を挙げて、その安否の確認に最大限努力し、その結果、北朝鮮当局による拉致行為があったと確認された場合には、速やかに「北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律」(以下「拉致被害者支援法」という。)に定める「被害者」として認定することとする。

2 拉致被害者支援法に定める被害者と認定された人(以下「認定被害者」という。)以外にも、北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない人が存在しているとの認識に基づき、引き続き拉致容疑事案の真相究明に努め、すべての拉致被害者の北朝鮮からの速やかな帰国を実現することをはじめとした拉致問題の解決に向け、全力で取り組んでいくこととする。

3 内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室を窓口として、拉致の可能性を排除できない人の御家族等からの問い合わせ、相談に誠意を持って応じるものとする。

4 今後行われる日朝政府間協議において拉致の可能性を排除できない人の問題が一扱われた場合、その御家族からの要望があれば、関係家族の代表等に対し、外務省からその概要等について説明を行うこととする。

5 拉致問題をめぐる二国間、多国間外交上の動きについて、現在、内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室より認定被害者及びその御家族にFAX等で提供しているものと同じ情報を、特定失踪者問題調査会にも伝達することとする。

6 認定被害者以外にも北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない人が存在するとの認識の下、引き続き、国連の場等を活用して、関係各国に対し、拉致問題の解決に向けた協力を求めていくこととする。

7 拉致問題に関する政府広報において、認定被害者以外にも北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない人が存在するとの認識の下、すべての拉致被害者の速やかな帰国を実現すべく全力で取り組んでいることが対外的に認知されるように努める。

8 今後、内閣官房拉致問題対策本部事務局において国内、海外向けの広報資料を作成する場合には、政府が拉致の可能性を排除できない人が存在するとの認識を有していること、政府がこのような事案の真相究明を含む拉致問題の解決に努めていることを説明することとする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★資料2 原告・特定失踪者・古川了子さんの実姉、竹下珠路さんのコメント

             古川了子の拉致認定を求める行政訴訟の和解にあたって

                                      原告 竹下珠路(古川了子の実姉) 
 
 妹古川了子の拉致認定を求める行政訴訟は、平成17年4月13日の提訴以来、2年余りの歳月を経て今日ようやく和解に至りました。

 長かったというか、短かったというか無我夢中の2年間でした。

 この裁判を通して妹が拉致被害者認定に至らなかったことは残念ですが、それよりも、この2年間で特定失踪者に対する政府と社会の認識が大きく進展し、国側の誠意と真相解明への努力の約束が多くの特定失踪者家族にもよい成果をもたらすことを期待して、この和解案を受けることに決めました。

 裁判を支援してくださった全国の皆さん、暑い夏も寒い冬も傍聴に駆けつけていただいた皆さん、冬のさなかにビラ配りにご協力いただいた皆さん、毎回取材をしていただいたマスコミの皆さん、同じ立場の仲間として支えてくださった特定失踪者家族の皆さん、お忙しい中証人に立っていただいた安明進さん、調査会の荒木代表、そして何よりたくさんの時間と労力をかけてこの裁判を進めてくださった弁護士の先生方に、この場をお借りして心よりお礼申し上げます。

 今年の夏で91歳になる母も暮れから少し体調を崩しましたが、いまは元気になり「了子が帰るまでは頑張りましょう」とリハビリに励んでいます。

 日本中の期待を集める安倍総理の下で、一日も早い拉致問題の解決がなされますよう、今後とも皆様のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★資料3 弁護団、調査会のコメント

            古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟の和解にあたって

                                   原告ら代理人(主任弁護士) 川人博
                                   特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

 2年間にわたって続いてきた古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟は本日の法廷で原告と被告国側の和解が成立し、裁判が終了した。 

 本件は単に古川さんの拉致認定にとどまらず、特定失踪者の代表としてご家族にご協力いただき古川さんを取り上げた、いわゆる「チャンピオン訴訟」と言われるものである。結果的には古川さんの拉致認定まで至らなかったが、訴訟提起後、田中実さん、松本京子さんの認定が実現し、高敬美さん、剛さん姉弟も事実上の認定に至った。また、訴訟を行っている2年間に、特定失踪者に対する人々の認識は相当進展し、政府も認定者以外の拉致被害者、拉致疑惑に配慮するようになってきた点は大きな変化である。もちろん、まだまだ救出・真相究明への取り組みは緒に就いたばかりであり、満足できるものではないが、この訴訟が果たした役割は極めて大きかったといえる。今後政府には表明書に記載された対応を誠実に実行することを期待するとともに、立法府・行政府で積極的な決断をしていくことを切に望むものである。

 仮に、今後この表明書の内容が実行されない場合は再度訴訟を起こし、あらためて政府の姿勢を糺していくことになる。

 今回裁判所が和解を勧めた最大の理由は、「政府も民間も、そして家族も、向っている方向は同じ」というものだった。私たちもその意を酌み、合意の道を探った結果が今回の和解に至ったものである。あらためて政府側の誠意ある対応を求めるとともに、この間本件訴訟にご協力いただいた皆様に心より御礼申しあげる次第である。
                                                     以上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この報告会の録音・写真撮影・ネット公開については、調査会の荒木代表の同意をいただいております。

2006年11月06日

06.11.1 質疑応答 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(5)東京弁護士会館にて

『質疑応答』

★質問者1

朝日新聞の○○です。
結局その和解というのはですね。
つまりこの裁判は古川了子さんの政府としての拉致認定を訴訟なわけですね?
和解をするのはその判断が出ないと、認定を求める事に対して認定をせよと言うか認定の必要がないと言うか、とにかくそういう棄却するか認めるという判決を出さない。
出さない和解になるわけですが、どういうふうな形の和解がですね。
原告側としては望ましいという事になるのか?ということなんですが?

★川人弁護士

ですので一貫してですね。
裁判当初からこの裁判の論点になっているですが、政府の認定被害者とですね。
そうでない人々の間に歴然とした差別があると。
この事が一番の問題だったわけですね、この裁判を提訴する際の。
ですので、政府が認定した被害者の救出のためにこの間、いろいろ努力をしているというふうに思いますが、やはり認定していない人との間では明確な差別があってですね。
こういうものをどよのように是正するか?というのがこの裁判の出発点であると思います。
そういう観点から我々のこの裁判で獲得するものが出てくると思いますし、和解と言うものが成立するとすればですね。
今言ったような観点から見て得るものがいくらかでも大きいという場合にはですね。
一般論としてはありうると考えています。

★質問者1

要するに政府が認定していない人についても、政府が認定されている拉致被害者と同様に扱う事が何らかの形で示されればとか、例えばそういう事ですか?

★川人弁護士

ハッキリしている事は古川さんだけはこういうふうにします、とかですね。
そういう事がこの裁判のもともとの目的ではないわけですね。
ですので、古川さんを含めてですね。
被害者の救出の運動に、あるいは被害者の家族の方々に対する政府の対応の仕方を含めてですね。
これまでと違った明確な前進があるという事が、和解が成立するとすればですね。
そういう条件が整うという事が前提になると思います
例えばそういう事が整わないのであればそれは当然和解というのは難しいと、こういう話になってきます。

★質問者1

安倍政権は拉致問題対策本部と言うのを政府官邸の方に設けたり、専任の大臣を置いたり補佐官を置いたりというような対応をしているので、現政権ならそういう可能性があるのかな?と言う印象もあるわけですけども。

★川人弁護士

正直言ってそれは今度の期日に・・・(聞き取れず)が何を言うか現時点ではまだ想定できませんので何とも言えません。
えっとすみません、調査会の方で安倍政権になってから何か新しい動きでも?(周囲の人に尋ねる、会場より小さな笑い声)

★質問者1

ここでこうして欲しいと出すという事が、政府としても新しい対応に影響してくる可能性があるんじゃないか?と。
だから聞いているんです。

★川人弁護士

はい分かりました。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

あのですね、ちょうど今聞いていただいた事を言いたいと思うんですけど(笑い声)、安倍政権が発足する前から、今特定失踪者ご家族それぞれがお集め頂いた署名とかですね。
それから調査会が作った署名簿等が結構こちらにございます。
新しい政権が出来たらそれを提出して政府に対して要請をしたいと、いうことをですね。
重ねて調整室を通してお願いをして参りました。
しかし、今に至るも政府からはですね。
一切、何時ごろ出来そうだとかいつやるとか、誰が出てくるとかいう話はありません。
我々としては何度もそれをお願いしていますけども、それは無い、という事であります。

家族会の人たちに対しては政権が発足した直後に官房長官そして総理大臣まで来てですね。
会って決意を表明しているにも拘らず特定失踪者、つまり拉致の可能性がある、しかし政府が認定していない人たちに対しては一切ですね。
以前からお願いをしているにも拘らず、一切何も、こうしますという事も無いというのは、果たして本気でやる気があるんだろうか?という事について、正直申し上げましてかなり疑問を感じているところでございます。
もし、何らかでもやる気があるんであるというのであれば、もう少し別の対応があって然るべきでは無いか?というふうに思っておりますので、今の状況であれば体制が作られようが何をしようが、それが本当の意味での拉致問題の完全解決につながるものではない、とすら、私は思っております。

で、政府は古川さんの裁判も今日傍聴していただいた方は分かると思いますけど、あれだけの証言が出ればですね。
通常であればやはり拉致だと認定するのが当然だと思った方が多いと思いますけど、それをしない。
しない理由と言うのはやはりですね。
もし違っていたらば責任を取らされるという事であろうと思います。

それはそれで結構ですが、ここで強調しておきたいのは、もし認定をしないで置いた人が曽我さんのように拉致だという事が後に分かったとした場合に、その責任を当然問われて然るべきである。
そして日にちは経っておりますので、もし例えばその間にですね。
命を落とすような人があれば、その責任と言うのはですね。
単に辞表を書いたくらいでは終らないという事は、当然政府の担当者には認識をしていただかなければいけない。
そのあたりに対する疑問をですね。
政府の方でちゃんと我々に納得がいくようにして頂かなければなければいけないのではなかろうか?という事を我々としては常に考えています。

今川人弁護士の方でも仰ったようにですね。
この問題と言うのは古川さんの一人の問題をやるという事ではなくて、古川さんに代表になっていただいてそしてですね。
未認定の拉致被害者すべての問題をやるという事ですので、それに対して我々なりそしてご家族なりが納得がいくと。
そして将来拉致被害者の方が帰って来たときに、あのときの政府の対応は正しかったんだというふうに納得してくれるものでなくては、それは認められるものではないというふうに思っております。

ちなみにもう一言、この事とはちょっと別のことになりますが、「しおかぜ」の件につきましても、今日までの時点で政府から一切何の返事もありません。
何をしてくれるという返事も聞いておりません。
大臣の答弁ですとかあるいは次官の記者会見とか言葉だけは出ておりますけども、それが今のところ現実にはなっていない、いう事でございまして本当にやる気があるのかどうかについて私としては疑問を感じております。

ちなみにもう一言言っておきますと、先日発表いたしました日高信夫さんにつきまして告発を来週月曜日11時に行います。
これはもちろん今までと同じように被疑者不詳の告発という事になりますが、この件に対しても含めましてすべての事を政府として動かしていただきたい。
改めて6日の午後行われます記者会見のときに、それもその間これから数日ありますが、一体政府がどのように対応するのか?という事を確認した上で、私どもの意思表示をしていきたい。
その線で、もちろんこれは我々調査会としての立場でございますので、実際の裁判の手続き上の問題とかそういうのは法律家の会にお任せをしてごさいますので、我々はあくまでもそれに従うつもりでございますので、一応今の時点での意思表示という意味では以上のことでございます。

★質問者2 西村幸祐氏(ジャーナリスト)

川人弁護士と荒木さんにお聞きしたいんですが、そもそもなぜ和解を勧告してきたのか?という、これについてはどういう事になるのか?ご意見を。

★川人弁護士

裁判官が判決を書きたくないんだと思います。
端的に言えば。
つまりですね、判決で拉致被害者として認定することについても、あるいはそうでないという結論を出すにしても、どちらについても裁判所としては非常に躊躇するという事だと思います。
それが端的に裁判所としての和解勧告の大きな意味合いだと思います。
今までもそういう雰囲気の言動はあったわけですけど、今日は・・・・・・・(聞き取れず)

★荒木和博氏

私も全く同じです。

★質問者3

すみません、先ほど川人弁護士のお話でですね。
荒木さんも言われたんですけど、古川さん一人の話では無いとは言われたんですが、古川さんの事が拉致認定と言うふうに裁判の判決文に書かれる事は一つの象徴であって、やはりそういうふうに書かれる事がやはり他の人たちへの影響も大きいんじゃないかと、そういうふうな見方も当然あると思うんですけれども、そこに拘るんでしょうか?拘らないんでしょうか?

★川人弁護士

それはですね、今後出てくる最終的な成立するかもしれない和解内容によるんだと思いますが、いま仰ったのはその通りなんです。
だから裁判提訴したわけです。

★荒木和博氏

私の方から言えば、ともかくこの裁判の目的と言うのは未認定の拉致被害者をすべて救い出すという事のための裁判で、もちろんその中に古川了子さんが入っているわけですね。
ですからそれに向かって何が一番選択肢として一番いいか?という基準で今後の結論が出るだろうと思います。

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

一言申し上げます。
最初から日本の政府が交渉するときに拉致被害者を救出するという事を目的としてやっていればですね。
もうちょっと違った結果が今までに出ていたのではないか?
交渉するときに日朝国交正常化というものを置いてですね。
やったがために、拉致被害者を70年代後半から80年代前半とか、そういうふうに縮小するような結果となったのではないか?と思います。
それが70年代から更に80年代のですね。
拉致をして場所としておかしくなくて、そして北朝鮮と日本側が納得するところだけについてやったという事だと思います。

工作機関で働いた者の個人的な意見としてはそれは何か政治家たちがですね。
この手で作業したような作り出したようなものであるような感じがしています。
実際にはもう60年代には北朝鮮の工作員はどんどん日本に入っていたわけですし、寺越さんなどの場合は60年代に起きた明らかな拉致であるにも拘らず、日本政府が拉致とは認めていない。
なんでそういうふうに主張するのか?と思います。
非常にそういうふうにして来た事の責任が重いので明らかに出来ないという事では無いかと思いますが、被害者の方の立場に立てばもう少し別の対応があるのでは無かろうか?と思います。

今日本の方々が知っている北朝鮮・金正日体制の犯罪行為は、100分の1、あるいは万分の1くらいにしかならないのではないかと思います。
これは遠からず金正日政権が崩壊すれば大部分が明らかになる事だろうと思います。

★質問者3

すみません、安さんにもう一つお聞きしたいんですけども、脱北者のお立場で日本の裁判所でこういうふうに証言されたということはやはり脱北者の証言、この重みという事に対しても非常に大きな意味を持つ事になると思うんですけど、それに関するご感想を一言いただけませんか?

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

今回はですね。
私自身は脱北者と言う立場を忘れて、ともかく可能な限り当時の記憶を取り戻そうとして努力をいたしました。
私自身はともかく古川了子さんに間違いないと思っていますが、出来るだけ一生懸命記憶を取り戻すという事が、その方に対する人間的な最大限の道義だろうというふうに思っています。

★川人弁護士

大体よろしいでしょうか?

今から4年半前くらいになるかと思うんですけど、いわゆる八尾恵証言ですね。
裁判が行われたんですね。
・・・・(聞き取れず)と思うんですが、そこで彼女が自ら法廷と言う場でですね。
自らの拉致への関与を含めてですね、証言をしたという事がやはりその後の、日本の拉致被害者救出運動に非常に大きな転機となったと。

裁判所で、公的にも明確に認めたという事が非常に大きなその後の救出運動の前進になり、それが多分ですね。
2002年9月以降の様々な進展につながったと思っておりますが、今日の安明進さんの証言が今後の日本の拉致被害者の救出、特に政府が認定していない人々の被害者の救出運動の大きな一つになるという事を我々としては期待したいと思っていますし、今日の証人尋問含めてですね。
今日の証言を通じて我々の目標は大きく前進をしていると、そのように考えています。

今後ですね、裁判自体は様々な展開がありうるわけですけど、是非関係者の皆さんの一層のご協力を訴えたいと思います。
今日はどうもお疲れ様でした。

★荒木和博氏

ありがとうございました。

・・・報告会終了・・・

2006年11月04日

06.11.1 川人博弁護士 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(4)東京弁護士会館にて

『川人博主任弁護士による補足と今後の裁判の進行についての説明』

Img_2394.jpg

★川人弁護士

ちょっと補足しますとですね。
今日は反対尋問といいまして、被告の国側の質問はですね。
一切ありませんでした。
一切ありませんでした。
安明進さんに対しても質問をしませんでしたし、竹下さんに対しても質問をしませんでした。
従って、主尋問がほとんどでした。

それで裁判官の方がですね。
安明進さんに若干の質問をしたんですけども、特にですね。
裁判官からの質問の中で、安明進さんが良く覚えている理由についてですね。
つまり一度北朝鮮でお会いしたわけですが、その事について良く覚えている理由について説明して欲しいと、こういう裁判官からの質問があったんですが、それに対して安明進さんが工作員として訓練され、ある意味では生きるか死ぬかですね。
命をかけて訓練していると、その中で敵と味方を区別すると、そういう訓練を積んでいるので人間と会ったときにですね。
どういう人だったかという記憶ですね。
そういう点については大変自信を持っていると、そういう趣旨の証言をされまして、裁判官も納得をしたような顔をしておりました。

良く聞かれるんですよね。
一度だけお会いしただけでそこまで分かるのか?とそういう趣旨の疑問も出たりする。
質問に対して今申したような証言を安さんの方でされております。

いずれにしても日本の裁判所でですね。
この問題についてこういう形で古川さんの裁判が進行して初めなわけですけど、安さんが裁判所で証言したのは初めてでございます。
国会では一度委員会で話をされたんですけど、日本の司法の場で、裁判所の場で証言をですね。
そしてこれはきちんと反対尋問権も保障されたところで、あるいは裁判官質問も保障されたところで、公開の法廷で証言が行われてそれが公的な文書として、ずっと裁判の調書として記録として残ります。
そういう意味では大変ですね。
ある意味では歴史的な証言の内容だったと。
今日の証言というのはそういう意味でも大変画期的な意味を持っている、そのように私どもは考えております。

ここまででですね。
ご質問がありましたら、今後の進行の問題については後で説明しますが、とりあえず今までのところでご質問がありましたら受けますが、よろしいでしょうか?

そうしましたら最後に今後の問題なんですけども、裁判官の方からですね。
証拠調べは基本的には終了したと裁判所の方では考えていると。
厳密に言いますとですね、あとは証人申請している人で増元さんですね。
家族の会の事務局長をしている増元さんの証人尋問がされていないんですけど、裁判所としては基本的な証人尋問は終了したと考えているという事を言った上でですね。
裁判所としては和解を勧告したいということで、和解の場を持ちたいとこういう提案をしました。
で、次回の期日は11月の14日火曜日の午前10時で、解期日ですので原則非公開という事になりますが、11月14日の午前10時からそういう場が持たれます。

これ、一般の裁判の場合はですね。
証拠調べが終った段階で裁判所が和解勧告をする事は良くあるんですが、今日法廷が終ってからいくつかのマスメディアの方からですね。
「和解っていうのはこの場合どういう事があるんでしょうか?」と、こういう趣旨の質問を受けました。

それでですね、基本的に原告及び弁護団の考え方を申し上げておきますが、我々弁護団はですね。
当事者である竹下さんを初め、ご家族の方とこれまでも訴訟の進め方についてはなるたけ協議をしてきました。
それでですね、裁判所からこういう形で提案があるという可能性は有りますので、これについても多少議論はしてきました。
いずれにしても裁判所から和解協議の場の案があったらその場には乗ってですね。
それで話し合い・協議をするという立場でございます。
従って次回の期日もですね、そういう場で臨みたい、そういう姿勢で臨みたい。

この裁判自体がですね。
拉致の被害者の救出運動をどう前進させるのか?という事で被害者救出運動にプラスになるようにと考えて、この裁判が提訴されました。
これはご家族も古川さんの問題だけじゃなく、全体として政府に認定されていない方々の救出のためにどのようにこの裁判を活用できるのか?という事も含めて今回の裁判の闘争も続けて来たわけです。

従いまして、裁判所からの和解の勧告に対してもですね。
我々としては拉致の被害者の救出運動をどう進めるか。
本件の場合は政府が認定している以外の被害者について救出のためにどのようにですね。
運動を前進させる事ができるかと、こういう観点から和解の協議には臨むという事になると思います。

裁判所とは今後、今度の期日に向けてですね。
事前に何らかの連絡があるかもしれませんし、当日また話し合いという事になるかもしれませんが、いろんな場合を想定しながらですね。
今言った基本的な考え方に立って進めたいと思います。

繰り返しになりますけど、古川了子さんご自身の救出の問題と共にですね。
政府認定されていない方の救出をどのように前進させるのかと、こういう観点からこの問題を考えていく必要がある。
これが原告及び弁護団の考え方で、調査会の方もそういう考え方で、現在のところはここまで我々の基本的な姿勢としてご理解いただきたい。

では、ご質問等ございましたら、今の事も含めて。

06.11.1 竹下珠路さん 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(3)東京弁護士会館にて

『竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)の挨拶』

★川人弁護士

どうもありがとうございました。
ご質問は後で若干時間を取ります。
竹下さんの方から、今日法廷で出ました尋ね人のこれは朝日新聞のコピーで、ちょっと報道の方へ。

★真鍋貞樹氏

お持ちで無い方いますか?(証拠として提出された尋ね人の新聞コピーを配る)

★川人弁護士

竹下さんの方から、裁判所で証言した感想を含めて。
今配ってもらっているのを含めて、初めに当時の状況などをお話していただいて、証言の感想など。

Img_2396.jpg

★竹下珠路さん(古川了子さんの姉)

母が、古川了子が1973年の7月7日にいなくなってから、その年の秋に11月の4日だったと思いますけど、テレビ番組の蒸発と言う・・・・・・・・(聞き取れず)ました。
そしてその時に当時の番組担当だったテレビ局の方が分かりまして、・・・・(聞き取れず)に伺ったときにはだいたい画面に流れれば何か情報が来るものだけど、古川さんの場合は何も無いので特に際立った出演者でしたという事を覚えていてくださいました。

Img_2401.jpg

それからこれはこういうふうに黄色くなってしまった新聞なんですけども、1986年5月1日、朝日新聞の尋ね人欄です。
当時母はずっと別の新聞を母の家では読んでいたんですけど、私とか姉の家では何人か朝日新聞を取っていたので、東京におります姉が勧めて、朝日新聞に尋ね人欄というのがあるから出してみたらどうか?と母に言って、母が一番了子らしいという写真を添えてここに載せたという事を当時も聞いております。
そしてこの写真が安明進さんにお渡しした最初の写真のはずなんです。
了子の最初の写真で私たち家族も、今ですから手元にございませんが、ニコニコ笑っている写真で一番私たちも妹らしいなと思う写真でした。

そしてこの写真と、恥ずかしいんですけど私が自分で忘れてしまうものですからこんなノートを、何冊目かになっているんですが、信友さんからご連絡を頂いたときの事を書いている。
信友さんから電話を頂いて、私は初めて母が手紙を差し上げた事・写真を送った事を初めて知ったんです。
同じ家に住んでおりましたけど、その事を母は何も言わなかったもんですから。
そして10月に信友さんから電話を頂いて、信友さんがすぐ家に来て安さんにお目にかかったときの話をして頂いて、それからようやく私は安さんから北朝鮮であったというお話をしていただいたんですけども。

もしかしたら1枚だけでは分からないし、それからすぐに市原警察署と言う最寄の警察署なんですが行ったときに「その頃では(拉致は)無いですよ」と。
「横田さんたちは昭和53年とかでちょっと早すぎるし、東京湾の方では千葉の方では(拉致は)無いですよ」という事だったのですが、もう一度次の写真と安さんにお目にかかれたらどこでも行きますからと、信友さんにその時お願いしてお別れしました。

そしてその次の年の3月の末に安さんの本が出版されまして、すぐに買って読んで信友さんから来た話と全く同じ事が安さんの著書に書かれていた事を確認しました。

そんな話を今日は二瓶弁護士の方からいなくなった時の当時から、二瓶弁護士が私が答えやすいように答えやすいようにと質問をしていただきまして。
実は珍しく私も緊張してまして、夕べは余り眠れなくて緊張していたんですが、終った途端に閉廷した途端にどっと汗が出て来まして、・・・・・・・・・・・・(聞き取れず)してましたけど。

安さんの今日の証言と私の証言と、それから先だっての荒木さんの証言とで、古川了子が拉致以外には考えられない事が裁判所の方にも分かっていただけたのでは無いかな?と思っております。
安さんにもお忙しいお体のところを裁判のために駆けつけてくださったり、皆様にも駆けつけていただいて本当にありがとうございました。

06.11.1 安明進氏 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(2)東京弁護士会館にて

『安明進氏のお話』

★川人弁護士

どうしましょうか?
この甲29号証について、お持ちで無い方も多いと思いますが、もうちょっと詳しく・・・・・

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

マスコミの方でお持ちでない方いますか?よろしいですか?
(証拠文書のコピーを会場に配る)

★川人弁護士

安さんの方で、日本語を急速にマスターされまして、今日は法廷ですので通訳で行われましたけど、場合によったら時々通訳で。
今日法廷で話をしていただいた内容をもう一度話していただくのも恐縮なんですが、一番初めて古川了子さんを1991年に北朝鮮で目撃したときの模様について今日詳しく証言をしてもらったんですけども、もう一度ここでその話をしていただきたいと思います。

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

Img_2400.jpg

ちょっと簡単にご説明しようと思って描いたのでお恥ずかしいんですが、1991年の7月ないし8月だったと思いますが、古川了子さんを見たところを簡単に説明しようと思って描いたものです。
1997年に本を書いたときには45日間頭を一生懸命していたもので、そこまでちょっと手が回りませんでした。
それとお姉さんにお会いして今日はそこらへんの記憶を、本に書いたものではなく自分の記憶を全部辿ってお話をするようにしました。

その了子さんと思われる人はですね。
自分も医者とか看護婦さんから日本人がいるという話は聞いていましたけど、直接会った人が了子さんであってしかもその時自分も非常に拙かったものですから了子さんであると自信を持って言えます。
この915病院は私以外にも拉致された日本人が入院するところだという話は出ていると思います。

私が聞いた看護婦ですね。
北朝鮮のこの915病院の看護婦が了子さんと思われる女性に嫉妬していなければ、つまり例えば化粧品をいじると怒るとかですね。
そういう事の情報がもっと少なかっただろうと思います。

写真を見たときにですね。
やはりこの人だろうというふうに思ったんですが、やはり一番決定的だったのは2002年の冬にお姉さんにお会いしたときですね。
顔の下半分の部分がともかくそっくりだったと。
それでもう間違いないと思ったということです。
その時はですね。
お姉さんがたくさん昔の写真を持ってきたと記憶をしていますけども、その写真よりもお姉さんの方が似ていたというふうに感じました。

今も古川了子さんは私が本を書いたり文章を書いたり、あるいはこうやって裁判に出ている事をご存知のはずだと思います。
日本政府が認定するかどうか分かりませんけど、私はやはり自分が見た人としてこの古川了子さんをですね。
全力を尽くしたいというふうに思います。

Img_2404.jpg

ここに書いてあるのは915病院です。
外部には病院だと言っていますが、連絡所として知られています。
この二つは学生が入院する学生病棟です。(図面左端の四角い建物を指差す)
ここは古川了子さんが入院した病棟です。(図面右側の四角い建物を指差す)
日本で出た本で、衛星写真でこの病院について上からハッキリと写っているのがあります。
その写真でもこの二つの病棟とそれから古川さんがいた病棟、そして本部の病棟、総合病棟のようなですね。
それが全部写っています。

元々外出はしてはいけない事になっているんですが、そこを外出しようとしたときに古川了子さんに見られてしまったので非常に緊張した状態で。
もし古川さんが完全な工作員教育を受けた工作員であれば帽子を被ってそして顔を隠していたわけですが、それをしていなかったから顔を覚えていたという事で、大変幸運だったと思います。

自分が夕食が終ってから、ここは鉄条網になっているわけですがここを乗り越えて出て行こうとしてですね。
この、なんていうか、獣道みたいなところですか?
そこを行ったときに古川了子さんが後ろから見えたので、古川了子さんはこっちへ(=古川さんのいた病棟の方角)行ったわけですけども、その後をついていったわけです。

もし戻って非常ベルみたいのを押してですね。
そして鉄条網の方から逃げていこうとしたという話になれば、これは自分自身が危険な状態になりますので、そして追いかけていって、ちょっとちょっとと言う形で声を掛けて止めたわけです。
自分がそこで古川さんと向き合って「私は学生で、報告しないでくれ」というふうにお願いをしました。
その時の印象はですね。
顔が非常に青白くてやっぱり患者だという印象を受けました。
翌日看護婦さんに聞いたらば胃が悪くて長い間入院しているという事を言っていました。

そこでもししゃべれらたらどうか?と思ったんですけど、結局結果的には自分自身を守ってくれたという事でですね。
言わないでくれたおかげで自分が助かったという、ありがたいという気持ちもあります。
それよりも一番大事な事は日本人拉致被害者を助けるために努力をする事が、人間としての道理であるというふうに私は思っています。
可能な限り日本人拉致被害者を救出しようという事で自分なりに努力をしてまいります。

2006年11月03日

06.11.1 斉藤弁護士・二瓶弁護士 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(1)東京弁護士会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟報告会(第8回)
06.11.1 東京弁護士会館にて

『斉藤・二瓶両弁護士による裁判報告』

★川人博弁護士

それでは始めたいと思います。
古川さんの拉致被害者の認定請求訴訟の報告会をします。
進行を行います弁護士の川人と申します。

まずですね、今日の内容について、大体皆さん法廷の中には入れたんでしょうか?
入れていない?
そうすると今日法廷の中に入れなかった方が多いと思いますので初めに法廷の内容について、今日証人尋問を担当した斉藤弁護士と二瓶弁護士の方からそれぞれお話・報告をしたいと思います。
それで、併せて証人台に立った安明進さんと竹下さんの方から挨拶をしていただきたいと思います。
じゃあまず、今日の法廷の内容の方から。
斉藤さん。

Img_2398.jpg

(写真左は二瓶弁護士、右が斉藤弁護士)

★斉藤健兒弁護士

弁護士の斉藤です。
安明進さんの証言の担当をしました。
安さんは今朝9時半でしたか?
ソウルの飛行場を発って今日の証言のために駆けつけてくれました。

Img_2404.jpg

証言の中心は皆様のお手元にもあると思いますが、安さんが当時古川了子さんと思われる女性と遭遇した現場の略図、これは2002年12月の6日にソウルで竹下さんと荒木さんとそれから安さんとが初めて目撃情報の確認を行ったんですが、その時安さんが手書きでですね。
こういった地図を描いて説明した。
この図面をそのまま使いまして、その時どういう状況で会ったのか?というのをひとつひとつ証言してもらいました。
安さんは非情に韓国から中々来るのは大変な状況ですが、本当に貴重な証言を頂いてありがとうございます。
以上です。

★二瓶弁護士

原告の竹下さんの尋問を担当した弁護士の二瓶です。
法廷でお聞きになった方は大体流れがお分かりになったと思うんですけども、大体かいつまんで言いますと了子さんが失踪したときの状況ですね。
をまずは聞きまして、その後は了子さんが失踪した後の状況など。
これについては尋ね人で全国紙の朝日新聞に出したと。
あるいは当時蒸発コーナーだったんですけどご両親がテレビに出演して訴えをしたと。
しかし、全く情報は一切無い。
通常でしたら国内で起こった事件であれば、似たような人を見たとかですね。
それらしいものがあってもおかしくないが、そういうことも全く無い、いうことですね。

Img_2401.jpg

しかしながら古川さんの話は、了子さんは事故か事件に巻き込まれたと家族は思ってきたんですけども、その後ですね。
安明進さんが横田めぐみさんの事件でフジテレビに出て、それで証言をしていたと。
それを聞いてお母さんが「もしかしたら自分の娘も拉致されたのではないか?」というふうに初めてそのテレビを見て思ったんですね。
そして写真を添えて失踪したときの状況を書いて、それをテレビの担当者の方に手紙を出しましたですね。
そしてその手紙を出した事によって初めてですね。
重要な情報が浮かび上がった。
それはディレクターの方がわざわざ古川さんの家まで行って、「安さんに写真を見せたところ、自分が平壌の病院で見た女性と非常によく似ているということを証言した」という、そういう情報です。

それを安さんに対してですね。
1枚の写真を見せたのではなくて他に20人くらいの別人の写真を見せている。
そういう中から1枚の写真を取り出して「これは自分が平壌の病院で見た女性の写真だ」、こういう事なんです。
かなりそういう意味ではですね。
信憑性の高い情報だと当然考えられますし、その事によって是非安さんに直接会いたいとディレクターにお願いした。
そしてソウルでお会いしたとこういう流れになります。

そこで安さんに会ったところ、本当に瓜二つだったということで、お姉さんが了子さんときょうだい、まさに事実きょうだいなんですけどもきょうだいくらいに似ていた、本当に良く似ていると。
その話を・・・・(聞き取れず)いう事を・・・・(聞き取れず)。
いうふうなことでその経過については安さんも証言しているし、私どももそれを補充する形でですね。
証言をしました。

そういう形で一日も早くですね。
これだけ明白な事をですね。
日本政府は認定をしてですね。
そして早期救出に向かってですね。
是非早く働きかけをして欲しいという事を最後に強くお願いして来たわけですけども、大変分かりやすくですね。
皆さん聞いていてこの事件の本質を、あるいは家族の思いがどれくらいのものであるかと言うのをよく理解してもらえただろうというふうに思います。
以上です。

2006年11月02日

06.11.1 竹下珠路さん(古川了子さんの実姉) 古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟より 証人尋問要旨

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟(第8回)
06.11.1 東京地裁606号法廷にて

『竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)の証人尋問要旨』

★原告側 二瓶弁護士

(陳述書を示しながら)了子さんは11歳、年の離れた妹ですね。

★竹下珠路さん

そうです。

★二瓶弁護士

了子さんは千葉県立千葉商業高校を卒業し、三井造船の・・・(了子さんの学歴・職歴などの経歴を読み上げる、書き取れず)
このときの年齢は18歳ですよね。

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

了子さんが失踪したのはいつですか?

★竹下さん

1973年7月の七夕です。

★二瓶弁護士

卒業して仕事を始めた年ですね。

★竹下さん

そうです。
7月7日は土曜日で会社は休みでした。
美容院へ行って、その後は母と浴衣を買いに行く約束でした。

★二瓶弁護士

美容院へは連絡を入れていたのですか?

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

予約が当日変更になった?

★竹下さん

7日の当日昼ごろ美容師さんから母のところへ、予約がキャンセルになった事と美容院のあと買い物の約束をしていたので、その都合も悪くなったからと母に伝えて欲しいと伝言の電話が入りました。
美容師さんはいつもと変わらず明るい声だと言っていました。

★二瓶弁護士

どこから美容院へ電話が入ったのですか?

★竹下さん

千葉駅にいると答えたそうです。

★二瓶弁護士

その話はお母さんから聞いたのですか?

★竹下さん

はい、そうです。

★二瓶弁護士

美容師さんからも直接聞きましたか?

★竹下さん

私も美容師さんから直接話は聞いています。

★二瓶弁護士

7月9日に捜索願を出していますね?

★竹下さん

家出をする理由が考えられないのです。
それまで無断で外泊をした事はないし、悩みも心当たりが無い。
失踪する前日に支給されたボーナスも全額机の中にありましたし、着替えも持ち出していない。
預金も持ち出していません。
事故か事件に巻き込まれたと家族は思いました。

★二瓶弁護士

その後の状況はどうでしたか?

★竹下さん

全く消息がありませんでした。

★二瓶弁護士

その年の11月にテレビのワイドショーに出たことはありますか?

★竹下さん

はい、あります。

★二瓶弁護士

情報は何か得られましたか?

★竹下さん

一切ありません。

★二瓶弁護士

(質問を書き取れず)

★竹下さん

これは母が朝日新聞の尋ね人に出した、古川了子を捜しているという写真入の記事です。(写真参照)

Img_2401.jpg

★二瓶弁護士

それで情報は寄せられましたか?

★竹下さん

情報は一切寄せられませんでした。

★二瓶弁護士

もしかすると北朝鮮による拉致ではないか?と思うきっかけはなんですか?

★竹下さん

19○○年(数字を書き取れず)の3月に元北朝鮮工作員と言うテレビ番組を見て、母がテレビ局に連絡を取ったのがきっかけです。

★二瓶弁護士

(質問を書き取れず)

★竹下さん

このテレビ番組を見て母が担当者に送った手紙です。
まだ母の手紙が残っていたので、FAXで私の自宅に送信してもらいました。

★二瓶弁護士

(質問を書き取れず)

★竹下さん

ノブトモナオコさんというプロデューサーから手紙に対する返事が来ました。
電話を貰って古川了子さんについて重大なお話があるので、お宅にお邪魔したいというお話がありました。

★二瓶弁護士

このノートはなんでしょうか?

★竹下さん

私の備忘録です。

★二瓶弁護士

このノートのここに貼り付けてあるこの名刺はその時にノブトモさんから貰ったものですね?

★竹下さん

そうです。
家に来たときに受け取りました。

★二瓶弁護士

ノブトモさんとはどんな話をしたのでしょうか?

★竹下さん

安明進さんに会った事、妹を含めた20枚の写真を見せたところ古川さんの写真を一枚だけ取り上げて、915病院で会ったと証言をした、と言う話です。

★二瓶弁護士

了子さんが失踪後、初めての情報ですね?

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

2002年の小泉訪朝の時北朝鮮は拉致を認めましたが、その報道に接してどう思いましたか?

★竹下さん

拉致はやっぱりあった。
曽我ひとみさんのように今まで知られていない被害者が出た事で、妹も北朝鮮にいると思いました。

★二瓶弁護士

安明進さんにソウルで会いましたか?

★竹下さん

会いました。
ノブトモさんが手配をしてくれました。

★二瓶弁護士

その時、了子さんのアルバムを安明進さんに見てもらいましたか?
安さんはその時何を言いましたか?

★竹下さん

どの女性よりもお姉さんが(安さんの目撃した)女性にそっくりですと言いました。

★二瓶弁護士

安明進さんの話を聞いて妹であると確信を深めましたか?

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

安さんの話を聞いてどう思いましたか?

★竹下さん

妹は北朝鮮で生きていると思いました。
ようやく消息をつかめたと思ってホッとしました。

★二瓶弁護士

帰国後どんな動きをしましたか?

★竹下さん

千葉県警に要請・告発をしました。
人権擁護委員会、日弁連にも申し入れをしました。

★二瓶弁護士

日弁連に人権救済の申し立てをしたのですね?

★竹下さん

妹の拉致を認め、外務省などへ救出への要望書を提出していただきました。

★二瓶弁護士

特定失踪者問題調査会の1000番台リストに古川了子さんは上げられていますか?

★竹下さん

はい。

★二瓶弁護士

1000番台リストとは何でしょうか?

★竹下さん

拉致の疑いの濃い人たちが1000番台リストに上げられていると理解しています。

★二瓶弁護士

救う会でも拉致被害者認定されていますか?

★竹下さん

はい。

★二瓶弁護士

政府が認定している被害者と扱いは同じでしょうか?

★竹下さん

違います。
日朝交渉の成果などは特定失踪者家族へは、政府から声を掛けてもらって報告などを聞いた事はありません。

★二瓶弁護士

被害者家族として呼び出されて説明を受けた事はありますか?

★竹下さん

ありません。

★二瓶弁護士

最後になりますが、裁判所に対して言いたい事があったら仰ってください。

★竹下さん

(やや声を詰まらせながら)妹は拉致をされてから33年も過ぎてしまいまして、母も90歳になりました。
母が生きているうちに会わせてやりたいのです。
拉致被害者として認定し、救出活動に向けて行動して欲しいです。
一日も早く認定して欲しいと切に願っています。

※原告側質問終了、被告側から質問なし、裁判官からも質問なし。
証人尋問を終了

2006年11月01日

06.11.1 安明進氏 古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟より 証人尋問要旨

特定失踪者・古川了子さんの拉致認定を求める第8回の行政訴訟は、今回安明進氏と実姉の竹下珠路さんの証人尋問が行われました。
法廷内でどのようなやり取りがあったかを、これからご紹介させていただきます。
尚、ご存知のように法廷内は録音禁止のため、手元のメモによる発言起こしとなります。
拾えたのは発言の7〜8割程度で、言葉尻などに多少の違いがあることなどはあらかじめご理解いただき、おおよそこういう内容のやり取りがあったというレポートとしてお読みいただければと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟(第8回)
06.11.1 東京地裁606号法廷にて

『安明進氏の証人尋問要旨』

★原告側 斉藤健兒弁護士

(証拠の文書を示しながら)この二つの文書の署名は安明進さんの物ですか?

★安明進氏(裁判所の用意した通訳を通じての発言、以下同じ)

そうです。

★斉藤弁護士

陳述書の証人の経歴では1987〜1993年、金正日政治軍事大学でスパイ養成教育を受けたとありますが、その通りですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

朝鮮労働党直属軍事政治大学と言うのが正式名称でしょうか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

1994年4月に大韓民国へ亡命したのですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

古川了子さんを目撃したという事で端的にお聞きします。
いつ目撃したのでしょうか?

★安明進氏

1991年のある夜だったと思います。

★斉藤弁護士

月はいつだったか分かりますか?

★安明進氏

7月か8月だったと思います。

★斉藤弁護士

場所はどこですか?

★安明進氏

行政上、場所は秘密とされている915病院です。

★斉藤弁護士

時刻は何時ごろだったでしょうか?

★安明進氏

夕食後6時から6時半くらいです。

★斉藤弁護士

915病院の正式名称は朝鮮労働党・・・・(書き取れず)ですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

一般の病院との違いはなんでしょうか?

★安明進氏

公開されていないので、一般人は入れません。
入れるのはスパイ活動をしている人か、拉致された人です。

★斉藤弁護士

安さんはどうして915病院に行ったのですか?

★安明進氏

学校の訓練中に怪我をしてその治療のために入りました。

★斉藤弁護士

時期は覚えていますか?

★安明進氏

夏の7月か8月頃だったと思います。

★斉藤弁護士

陳述書だと8月となっていますが?

★安明進氏

ハッキリは覚えていません。
7月か8月頃だったと思います。

★斉藤弁護士

ソウルで古川了子さんのお姉さんの竹下珠路さんと会った事はありますか?

★安明進氏

はい、会いました。

★斉藤弁護士

それはいつ頃ですか?

★安明進氏

2002年の年末です。

★斉藤弁護士

当時救う会事務局長だった荒木さんも一緒でしたか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

(証拠文書を示す・写真参照)地図のようなものに日本語とハングルが書かれていますが覚えていますか?

Img_2403.jpg

Img_2404.jpg

★安明進氏

覚えています。

★斉藤弁護士

竹下珠路さんと会ったときに目撃の状況を説明するために書いたものですか?

★安明進氏

そうです。
字が汚くてすみません。

★斉藤弁護士

地図のところに鉄条網のような××が書かれていますが、こういった図面を描いたのはあなたですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

地図の内容について説明してください。

★安明進氏

病院の説明です。
私のいた病院、私が行こうとしていた学校、古川さんがいた病棟と学校へ行く道を描きました。

★斉藤弁護士

ここはどういう人が入院する病院ですか?

★安明進氏

学生だけが入院できる病院です。

★斉藤弁護士

目撃した女性はどの病棟にいたのですか?

★安明進氏

ちょうどこの向い側の病棟です。

★斉藤弁護士

間に200メートルと書いてありますが荒木さんが書いたのですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

この黒い点が二つあるのですが、ここに立って言葉を交わしました。
右側が古川さんで左が私です。

★斉藤弁護士

この現場に出かけていった理由はなんですか?

★安明進氏

入院中で腕が固定されていたので・・・・・・・・・・(書き取れず)
通信機器や乱数票を取りに学校へ行こうとしました。

★斉藤弁護士

図面で行くと学校はどちらの方向になりますか?

★安明進氏

この図面で行くと真上、北側にあります。

★斉藤弁護士

女性とはどんな出会い方をしたのでしょうか?

★安明進氏

私が食事を終え、患者服から軍服に着替え、患者服を着ていた古川了子さんとここら辺で会いました。

★斉藤弁護士

ここら辺というのは?

★安明進氏

学校へ行こうと・・・(書き取れず)散歩用の道です。
私は交差した所を上に歩いていくとき、二つの道が交差するところです。

★斉藤弁護士

大学へ行くために鉄条網を越えようとしていたのですか?

★安明進氏

私の行く道を進むと鉄条網が出てくるので、飛び越えていこうとしていました。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

ちょっと悩みました。
その人が告げ口をしないかと思いました。
その人をその人が入院している病棟に追いかけて行きました。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

その女性は(自分からは)特に何も話していません。
私の方から告げ口をしないでくれと言いました。
女性は笑顔で頷いていました。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

当初は歩きながら声を掛けていました。
頼みごとをしたときは立ち止まって話をしました。

★斉藤弁護士

女性とは何か話をしましたか?

★安明進氏

私から相手に・・・・(書き取れず)私の話を理解してくれたようです。
そういう状況を良く知っていたようで、理解してくれました。

★斉藤弁護士

女性の年齢はどれくらいでしたか?

★安明進氏

確かな事は分かりませんが、20代後半から30代くらい、私より少し年上ではないかと思いました。

★斉藤弁護士

身長はどのくらいでしょうか?

★安明進氏

女性ですからヒールを履いていたので、160〜160弱くらいだと思います。

★斉藤弁護士

ほかにどんな会話をしましたか?

★安明進氏

頼み事をする前に声を掛け、工作員ですか?と聞きました。

★斉藤弁護士

その質問に女性は答えましたか?

★安明進氏

うなづいていました。
でも実際は工作員ではなかった。

★斉藤弁護士

話をしていたのはどのくらいの時間でしょうか?

★安明進氏

当時、緊張していたので長く感じましたが、会話の中身を考えると5分くらいだと思います。

★斉藤弁護士

二人の距離はどれくらいでしょうか?

★安明進氏

すぐ近く、2〜3メートルくらいです。

★斉藤弁護士

病院では顔に覆いをすることが義務付けられていたようですが、その時女性は覆いをしていましたか?

★安明進氏

人が多いところでは覆いを被りますが、散歩のときは被りません。
その女性は被っていなくて、覆いを手に持っていました。

★斉藤弁護士

その後、学校へは行きましたか?

★安明進氏

その女性を信じたいと思い学校へは行きました。

★斉藤弁護士

その女性が日本人と知ったのはいつですか?

★安明進氏

会った当日は知りませんでしたが、次の日看護婦さんから聞いて知りました。
女性の特徴を話して看護婦さんに知っているか?と聞くと、看護婦は「あの日本人が」と言いました。
私の方から工作員か?と聞いたら、そうではなく日本人だと言いました。

★斉藤弁護士

拉致された人か?と聞きましたか?

★安明進氏

私の方から質問したのではなく、看護婦さんの方から「拉致されたのでしょうね」と言いました。

★斉藤弁護士

他に看護婦さんから聞いた女性の特徴などは?

★安明進氏

看護婦さんは女性に良くないイメージを持っているようでした。
食事を偏食する、胃の病気が重い、神経質、長期入院しているという話をしました。

★斉藤弁護士

2002年、竹下珠路さんと会ったとき、同じ話をしましたか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

竹下さんは古川さんの写真を持ってきましたか?

★安明進氏

持って来ました。

★斉藤弁護士

それを見てどう思いましたか?

★安明進氏

写真を見る前に、ホテルに入ってくるお姉さんを見て頬の下の方が似ていてきょうだいではないか?と思いました。
写真を見て間違いないと思いました。
その女性が古川了子さんであると自信を持って言いました。

★斉藤弁護士

証言をしてからだいぶ時間がたちますが、古川さんについてどう思いますか?

★安明進氏

私は古川了子さんのお姉さんと古川さんの写真を見て、その女性は古川了子さんであると自信を持って言えます。
私が証言してから長期間経ち、まだ政府に認定されていません。
彼女が将来帰国した場合、事件が明るみになった場合、私は道義を尽くしていないという良心の呵責を感じます。

★斉藤弁護士

最後に裁判官に対して言いたい事があったら話してください。

★安明進氏

私は政府と裁判所にお願いしたい。
古川了子さんを認定して欲しい。
私の責任であると思う。
早く救出して欲しいと思う。

※原告側質問終了、被告側からの質問は無し。
裁判官からの質問に移る。

★関口裁判官

裁判官の関口といいます。
古川さんを良く覚えている一番の理由は何だと思いますか?

★安明進氏

私は7年間学校と病院で生活しました。
そこは1000人しかいないところで、そこでは相手を見て(瞬時に)敵か味方か見分けなければならない。
だから人の記憶については自信があります。

※安明進氏の証人尋問は以上で終了。引き続き竹下珠路さんの証人尋問へと続く。

2006年09月04日

06.9.1 質疑応答 古川了子さん第7回行政訴訟報告会(3)東京弁護士会館にて

『質疑応答』

※今回の報告会はマイク無しで行われた為、全体に音声が悪く、特にこの質疑応答の部分は不明瞭な部分が多数あります。
聞き取れない部分は全て・・・で飛ばして有りますので予めご了承ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★真鍋貞樹 調査会専務理事

私が聞くのも何ですけど、この間の打ち合わせで・・・の件ははどういうふうに。

★川人弁護士

その話は基本的には全然進んでおりません。
それで裁判所としてはですね。
・・・もですね、・・・もすると・・・で。
今日の一番最後に裁判所の方が証人が終わった後にですね。
また進め方についての協議があるかもと言うように言っていましたので、多分、証人尋問が次回終わった段階で、証言内容にもよると思うんですけども進行についての提案があるかもしれません。
その時はまたその時で柔軟に対応したいと思います。

★川添友幸 神奈川救う会会長

宜しいですか?
何か乙五証(オツゴウショウ・・・多分表記はこれで正しい?)がどうとか言ってましたが、何か新しい事が出たんでしょうか?

★川人弁護士

あのですね、これはしょうがないと言えばしょうがない。
荒木さんの方から。

★荒木和博調査会代表

Img_2087.jpg

ちょっとですね、・・・を持ってないので・・・あのですね。
私の書いた調査会のニュースが、逆にですね。
証拠として出てきておりまして、それはどういうことかと言うとこの2月にですね。
内閣府の方で日朝協議の状況について聞いたときに、1000番台リストについてですね。
出すと。
いう・・・のリストについて説明を受けたと。
ということが、こちら書いてあるわけです。

で、要は向こうの証拠というのは要は「説明したじゃないか」(笑い声)、という事になるわけですけども、この時はですね。
別にこの人入ってますよ、古川さん入ってますよという話じゃなくて、こちらから「30数人と言うのはこの人とこの人とこの人ですね?」というふうに言ったのに対して、外務省の側は直接は答えず、「だいたいご想像の通りです」というニュアンスで答えがあったということで。
まぁ向こうは向こうで誠意を見せたと言う事で、ハッキリと文書ないし行動で「「この人が入っている」という話が出てきてるわけじゃないんですね。

我々としてはそういう事をちゃんと言ってくれるかどうか?が問題なのであって、ニュアンスとして伝えられてもですね。
それは何も言わないよりもマシだけども、公的な意味も何も無いし、これではとても話にならないと思うんですが、まぁ向こうは突然これが出て来たという事は、ともかくやったという証拠を見せたいという感じですね。

★川人弁護士

あのですね。
訴訟経過の中で国はですね。
認定していない方々についても政府は一部でもやってるしと、しきりに言っていたわけですね。
実態と随分違うので少しずつですね。
認定している方以外の人々についてもですね。
例えば昨年の暮れの実務者協議でリストを30数名出したとか、あるいはその事について荒木さんにはご説明をしたとか、裁判の後半になってそういう事をいろいろやったり、あるいはその事を逐一裁判所に報告してですね。
如何に自分達は政府認定者以外の人について一生懸命やってるかと言う事を協調したいと、こういうことなんですね。
そういった一環として救う会ニュースが政府の国側の証拠として出てくるというのは、誠に奇妙な展開でございます。

結局ですね。
この問題に関しては以前言われましたように、要はですね。
きちんとした形で誰についてリストを出してですね。
という事は公式的には何らハッキリにしていないわけですね。
外務省政府にしてみれば、一種の阿吽の呼吸的な雰囲気でやっているんじゃないかと言う事で、この種の問題がそういう問題ですむ問題とは思えませんし、ましてや裁判でですね。
争われている件に関してはですね。
当然どなたについてもリストを出して、その中に古川さん含まれていたのか?ですね。
その時、出した時にどういう言い方をして出したのか?とかですね。
具体的な厳密な特定した事が当然裁判所に証拠として・・・。
そういう意味で言えばまだまだ不十分な点がたくさん、この問題に関してはあると思います。
ですからご丁寧に・・・。

調査会ニュースはいつも出るかも知れませんので(笑い声)、編集の方を宜しくお願いします。(笑い声)

★質問者A(マスコミ関係者、氏名所属不明)

すみません。
確認ですが、証人尋問はこれまでに荒木さんの分だけがされているわけですよね?
それで先ほど法廷を見ていたら、増元さんについては認めないということのようですが、それ以外には申請出していらっしゃるんでしょうか?

★川人弁護士

いえ、4人です。
我々は増元さんについても考えていたんですけども、既に増元さんかなり詳しい陳述書も出していまして、そういう意味ではですね。
今回の荒木さんの証言等でもある程度、増元さんにお話して頂こうと思っていた事も入っておりますので、まぁこの際ですね。
安明進さんを確実にですね。
証人尋問を実現するという立場で、あえて強く争わなかったと、こういう事です。

★真鍋貞樹 調査会専務理事

また宜しいですか?
こういうオープンなところで話をすべきかどうか、まぁ歴然とした事実ですからあれですけど。
さっき安明進さんの証言で古川さんの点に限定されざるを得ないと、時間の関係でですね。
そうなんですけど、是非ね。
この、やはり藤田進さんですよね。
事実上一番政府認定に近い特定失踪者だと思うんですよ。
今警視庁も頑張ってやっていますから。
11月までに政府が認定してくれれば当然必要が無いんですけども、もしそうでなければですね。
やはり彼が、安明進さんが藤田進さんを見たという証言を法廷でするという事は、とっても重要になると思うんです。

★川人弁護士

分かりました。
もちろんそれは絶対出来ないということじゃないですね。
ですから、法律的に言うと背景事情という事になりますけど、本件のですね。
本件は古川さんの裁判ですので、藤田さんについては背景的な事情という事になるんですが、しかしながら背景的な事情としても重要ですから、何とか時間調整してですね。
何とか工夫をしていくというふうになる。
まぁちょっと、いろいろ工夫してみます。
全く他の人のことに触れないというルールではないです。
時間の関係があるので、確実に触れなきゃいかん事をきちっと触れて、その他の方々に付いてひとりひとり詳しくやるって言うのは難しいと言う意味ですから。
いろいろと今言われた点は。

★真鍋氏

それは理解しておりますが、事実上、相当レベルの方なので。

★川人弁護士

ハイ分かりました。

★二瓶弁護士

同じ法廷でやるわけにいかないので、・・・・・・・・ということと、それから陳述書の問題。
それは先ほど主任が指摘したように・・・・・・とか来ていますのでこれも・・・・・・。
それは配慮して。

※音声が悪く、全文殆ど聞き取れず。内容は川人弁護士の補足。

★川人弁護士

これはあれですね。
次回は多分抽選の問題になりますね、多分。
多分次回傍聴券発行という事になると思います。
まずは近付いたら裁判所との協議になると思うんですが、調査会ニュース等で情報が流れると思いますので、だいたい通常は始まる時間の30分前に抽選を行うんですね。
通常はですね。
ですからまた日にちが近付きましたら調査会ニュース等を通じて傍聴券発行に関する情報は流したいと思います。

だいたい宜しいでしょうか?
だいたい宜しいでしょうかね?
ではどうもそれじゃ、ありがとうございました。

・・・報告会終了・・・

2006年09月02日

06.9.1 竹下珠路さん 古川了子さん第7回行政訴訟報告会(2)東京弁護士会館にて

『竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)の挨拶』

Img_2084.jpg

ご支援ありがとうございます。
今日思わず、裁判長のお話からもう早速に証人尋問のお話になりまして、この前の期日進行協議では打ち合わせしていたものの、思わぬ展開に私も胸がドキドキしたり喜んだりしております。
弁護士の先生方のたくさんのご努力と本当に皆さんのご支援の結果だと思っております。
今後、どういうふうに進んでいくか?
でも悪い方には進まないんじゃないかな?と言う、今日感触を得まして、今後の情勢の中でまだ認定されていない被害者の多くの家族の皆さんが、一つ力をこれで得てくれれば良いかなと、頑張りたいと思います。
どうぞ宜しくお願いします。

06.9.1 川人博弁護士 古川了子さん第7回行政訴訟報告会(1)東京弁護士会館にて

『川人博弁護士による裁判報告』

Img_2078.jpg

今日はお忙しい中、大勢の皆様どうも傍聴ありがとうございました。
今日はですね。
良かったです。(笑い声)
で、いつも報告会では裁判所はどうもけしからんとか、相手方けしからんとかいう話ばかりをするんですが。(笑い声)
比較的腹が立つんですが、今日はとにかく良かったわけです。

でですね、今日裁判所は協議の結果と言う事で次回の証人の採用を決定し発表しました。
安明進さんと、原告本人の竹下(珠路)さんと、
裁判所から時間についてはですね。
いろいろと裁判所の法廷の混み具合もありますのでね。
配慮をして欲しいと言う事で、それはこちらとしては了解という事でですね。
お二人合わせて、反対尋問の含めて約1時間半くらい。
一時間半から一時間40分くらいと言う事で、11月の1日の3時から4時半という事になりました。

安明進さんにはこれまでもご協力をお願いして、一度傍聴にも来て頂きました。
ですので出頭いただけるものという事で、これから改めて是非日本へ来て頂いてですね。
国会でかつて証言をしたわけですけども、裁判所での証言は彼は初めてですので、そういう意味では大変重要な機会になると。

合わせて拉致家族の方あるいは特定失踪者の家族の他、すべてですね。
多分家族の方が証言台に立つのは初めてじゃないかと、そうですね?(周囲の人に確認を求める)
はいはい。
言う事で、そういう意味でもですね。
今回、時間はまぁ限られておりますけども、竹下さんの原告への拉致事件に対する証言は良かったと考えております。

裁判所の方はこれまでですね。
当初は全員の証人調べについて消極的でありました。
その中できちっと審議をしてもらいたいと言う事で、皆さん方の方で、裁判所の前でのビラまきを含めてですね。
やって頂いたりしまして、そういった状況の中で荒木さんの証言が実現したと言う経過がございます。
裁判所の方はそれで終わろうと言う事で考えていた節もかなりあったわけでございますが、今回ですね。
荒木さんの証言を踏まえてですね。
直接の目撃者の証言あるいは家族の証言と言う事で、この裁判、提訴をした趣旨に基づいて重要な機会を得たと言うふうに考えています。

おそらくですね。
安明進さんには、北の病院で目撃した古川さんの話を中心にという事になって、この古川さん以外の話についてはちょっと時間的にもあるいはこの裁判の性格からも、話を広げると言う事は時間的にも難しい場面もあるかもしれませんが、いずれにしてもですね。
目撃した事実あるいは一刻も早く救済しなければならない事情についてですね。
是非証言して頂きたいとと思います。

救う会も様々な形で政府認定者以外にですね。
様々な目撃情報が調査会にも寄せられているようで、それぞれ様々な形で活動を続けていらっしゃるわけでございますが、この裁判がですね。
拉致被害者救出をするためのひとつのですね。
運動の力になれば大変良いという事で、弁護団としては今後とも一層努力をしていきたいと思います。
どうも今日は、本日はありがとうございました。

2006年07月06日

06.6.28 荒木和博氏 調査会記者会見より 衆議院第2議員会館にて

『荒木和博氏のお話〜〜調査会記者会見より』

報告会に引き続き行われた調査会の記者会見より荒木氏の言葉を一部テキストでご紹介します。
この日は、ちょうど北朝鮮で金英男さんご家族の対面が行われた日でもありました。
そのことについて、会場の記者より「どういった事が予想されて、これにどういう対応が必要か?」との質問に答える荒木さんの言葉をご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★荒木和博氏

基本的には直接の息子さんですから、これは会う事を止めるのは無理な話だろうと思います。
おそらく普通の筋書きで考えれば、彼はご家族に対して「自分は拉致をされたのでは無い」とかですね。
あるいは「北朝鮮で幸せな暮らしをしている」とか言って「横田めぐみはすでに死んだ」というふうに言うだろうと思いますが、それを言った所で日本でマスコミにしろ一般の国民にしろ、それが本当だと言うふうに思う人はほとんどいないだろうと。
逆にですね。
そういう事をいまだに言わせるのか?という事で、北朝鮮に対する不信感が高まるだけだというふうに、今の現状から考えれば確信をしております。

もうひとつある意味で期待をしておりますのは、北朝鮮というところは母親と息子の関係が極めて強い。
ちょっと日本人が想像できないほど強い国ですので、いくら工作員になっているとはいっても金英男さんが実のお母さんに会った場合に、その場で何も言えなくても、精神的な動揺は当然起きてくるだろうというふうに思っております。

そういうこと、それから北朝鮮がどういう形であれ、今まで認めていなかった拉致被害者を出してきた事によって様々な形での向こうでのいろいろなズレ、あるいは揺れが起きてくると思います。
そこを我々突いていけるかどうか?ということでありまして、ある意味で言うと結果的に韓国のご家族と日本の家族なり我々が丁度、全然別の方向から北朝鮮の方へ突っ込んでいくという形になりますが、ともかくこの動きをですね。
出来るだけ可能な限り有効に使っていきたいという事に、全ては尽きると思っています。

06.6.28 内田美津夫さん 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(14)衆議院第2議員会館にて

『内田美津夫さん(寺越昭二さんの三男)のお話』

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石川県から来た、寺越昭二の息子の内田と言います。
私たちは家族会と救う会には拉致認定をしていただいておりますが、政府の方からは拉致認定をしていただいておりません。
2002年の10月に「拉致認定をしてください」と声を挙げてから今年で4年目になるんですけれども、その間はと言いますと、やはり今認定されている方々とは、やはり交渉の結果についてでも若干差があるなぁとは感じております。

・・・(聞き取れず)では交渉の場において、私たちの事も要望したり北朝鮮の方に伝えていただいたのか分からずじまいで、最近ようやく前回の交渉の場において一応、「寺越昭二の事はどうなったんだ?」と、そういう初めて寺越昭二という名前を交渉の場で出してもらったという次第です。

政府自身も100人近く、いや100人以上の拉致被害者が北朝鮮にいるということは把握しているはずです。
しかし国内においては現在の認定、その方以外の積極的には認定をしようとはしていません。
私たちが国民の皆様、みんな巻き込んで拉致問題声を挙げてくださいとお願いをしているんだけども、政府はこれ以上拉致認定を増やさず、この辺で幕引きという感じさえしております。
このギャップというのは本当に4年間運動してきてなんでかなぁ?と常に思っています。

裁判でしか、裁判の方が拉致認定早いと思うのですが、何か思っておりますけども、政府は北朝鮮から被害者を全員取り返すというそういう意思を見せる為にも、出来るだけ多くの可能性が大の被害者を早く認定して、交渉の場へその方々の名前を出して強く迫って言って欲しいとは思っています。
ありがとうございます。

★司会 二瓶弁護士(※音声が極端に悪い為、拾える言葉だけを紹介)

特定失踪者の・・・でした。
先ほど話しましたように裁判はいよいよ・・・な本番を迎えて大変重要な場面に・・・・。
是非皆さんの力強い支援と現在の困難な・・・という事で、その事を確認しまして今日の裁判の報告会を終わりたいというふうに思います。

どうも今日はありがとうございました。(拍手)

・・・報告会終了・・・

2006年07月04日

06.6.28 高野美幸さん 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(13)衆議院第2議員会館にて

『高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)のお話』

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1976年に伊豆七島の神津島からいなくなりました、高野清文の妹・高野美幸と申します。
私からこの左に、(向かって)右の方にいらっしゃる方たちというのはまだ1000番台にも入っていない、拉致かどうか非常に不安を感じながら日々過ごしている者なんです。
警察や日本政府に拉致かどうか調べてもらっているか?という事も、調査会を通してもですね。
伝わってこない。
非常にどうなっているのか?五里霧中の状態の者たちでございます。

そして今日私が傍聴させて頂きまして感じた事は、「あれ?これ今なんでこれやってるの?」という事です。
とりあえず家族がどうなっているか知りたい、早く帰って来て貰いたい。
両親、待っている家族、本人が元気なうちに一刻でも早く自由の身にさせてあげたいと思っているのに、「ここでなんで日本の政府と争っているの?」
すんごい疑問でした。
そしてもう肩に力入っちゃって、ボールペン握りながら聞いていました。

こうやって待っている家族、まず拉致かどうかを分からなくて失踪しているケースは、まずそれさえも分からないから、それを調べて欲しいわけです。
拉致が解決しないと、その先にもいけないんです。
そういう失踪者の家族の気持ちをもう少し、もう少し本気で考えて欲しいと思います。
以上、感想でした。(拍手)

氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
性別 男 当時の年齢 19
身長 172センチ 体重
公開 第2次公開
当時の身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪場所 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※特定失踪者の情報は調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

06.6.28 特定失踪者・寺島佐津子さんのお母さん 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(12)衆議院第2議員会館にて

『特定失踪者・寺島佐津子さんのお母さんのお話』

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(昭和)54年8月に横浜でいなくなった寺島佐津子の母でございます。
今日はじめてこういう場に出させて頂きました。
宜しくお願い致します。(拍手)

氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
ふりがな てらしま さつこ
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
性別 女 当時の年齢 19
身長 体重
公開 第12次公開
当時の身分 銀行員
特徴
失踪場所 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※特定失踪者の情報は調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

06.6.28 特定失踪者・宮本直樹さんのご家族 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(11)衆議院第2議員会館にて

『特定失踪者・宮本直樹さんのお兄さん・お母さんのお話』

★高野美幸さん

特定失踪者・高野清文の妹の高野美幸でございます。
ここからは1000番台で無い家族になりますので、先に宮本さんのご家族の方からご紹介していきたいと思います。

★宮本直樹さんのお兄さん

Img_1814.jpg

2002年の3月に失踪というか、行方が分からなくなりました宮本直樹の兄のツヨシ(漢字表記不明)と申します。
隣は母のハルミ(漢字表記不明)と申します。

今日の裁判を見て思ったこと、それと私なりに一言申したい事がありますので、お伝えしたいと思います。
まず今日の裁判を見て、何故?こんなにのんびりと人の命が関わっている事なのに、何故?こんなにも人の気持ちが分からない国なのかな?という事を、凄く強く感じました。

また私の弟もですね。
いなくなった当時は、やはり素人ですので警察に頼るしか無いんですね。
そうすると犬でもいなくなったような、もう大人なんだからという形で、凄く母も高齢ですけど尋ねて行っても本当にあしらわれるような感じで、事件にならないと動いてくれない。
要は死なないと動いてくれない。
そういった国というのは一体なんなんだろう?というのを、本当に常日頃思っています。
以上です。

★宮本直樹さんのお母さん

本当に宜しくお願いします。
どうもありがとうございます。(拍手)

氏名 宮本 直樹
失踪年月日 平成14(2002)年3月3日
ふりがな みやもと なおき
生年月日 昭和52(1977)年11月9日
性別 男 当時の年齢 25
身長 178センチ 体重 66〜8キロ
公開 第3次公開
当時の身分 フリーター(主に清掃業務)
特徴 筋肉質、がっしりした体格 靴のサイズ27.5センチ 鼻の下から唇にかけて手術痕あり、視力は要コンタクト。
失踪場所 東京都荒川区
失踪状況 午後3時30分頃、「今夜は夕飯はいらない」と行って自宅を出ていった。いつもと全く変わらなかった。5日朝、新門司港の海上保安庁より電話で「3月3日19時10分発のフェリー船室に荷物だけ残し、本人が見あたらない」との連絡。荷物には免許証、財布、眼鏡、コンタクトレンズなど身の回りのもの一切があった。東京湾フェリー乗り場から乗ったと思われるが、降りた形跡なし。同フェリーは朝5時に新門司港(福岡)着。時々1人旅に出かけることはあったが、心配かけるようなことはなかった。

※特定失踪者の情報は調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html
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