2006年01月30日

よど号犯人と拉致問題 東京集会(10)06.1.19 友愛会館にて(恵谷治氏その2 音声有り)

『恵谷治氏の講演 その2』



先ほど言いました3つの組織、「調査部」「連絡部」「文化部」
この名前が文化部と言うこれは北朝鮮、根はソ連なんですが、軍にも文化部と言うのがあります。
これは言わば政治警察、思想監視組織というのがカモフラージュされて文化部と言う事なんですが。
3号庁舎の文化部と言う役割もありましたが文化部の下に作戦局という物がありました。
この作戦局が工作員をですね。
船で日本に運んだりというサポート部隊だったわけです。

75年の大検閲の後、あ、もう一つポイントで重要な事はですね。
辛光洙のような元々日本生まれの、日本語を教育しなくても日本人以上に日本語が出来るという人間をリクルートして工作員にずっとしてきたわけなんですが、だんだん世代交代が始まると。
日本に送っていた辛光洙だけではありませんが、たくさん工作員がいたはずです。
そういう人間も全て送還しろと言う事で、辛光洙も76年に(北朝鮮に)帰国します。
朴某も同じように帰国します。

大検閲の後(日本に)派遣されていた工作員は全て呼び戻されて、再び思想検査・思想教育され、使える使えないと言う判断になったはずなんですが。
一方で自分が今後自分が責任を持つこの3号庁舎の工作員教育が、今は皆さんもご存知だと思いますが、現地化教育・適化教育をする。
ついてはそれぞれの国の人間を教官にしろ、連れて来いという指示が出ます。
これは76年金正日が指示します。
それから皆さんがご存知の拉致がどんどん始まるわけです。

ところが特定失踪者問題調査会で調べてみると、75年以前にも当然明らかな拉致だと疑われる事件がたくさん生じてます。
75年以降は金正日が命令を下した事は間違いがありません。
しかし75年以前は金正日は命令を下す立場にはありませんでした。
ですから75年以前の拉致と言うのを私なりに分析してみますと、一つは背乗り、つまり戸籍盗用をするために拉致と言うケースも考えられなくは無いんですが、75年以降のような厳しいと言いますか背乗りをした人間を必ず連れて行くと言う事は余り無かったようです。
逆に言うと金正日はその点をついてですね、そんな危険な事をするなと。
背乗りしたら、その人間を連れて来いと命令をしたはずです。
それが一点。

それからもう一点は75年以前の拉致については、北朝鮮に欠けている職種・技術者。
分かりませんが病院関係者あるいは工場の技術者、何らかの技術を必要とする人間を拉致するという事があったように思います。
しかしこれについてはまだ私も完全に分析を終わっていなくて、いずれきちんとしたいと思うんですが、とにかく金正日以前にも拉致はあったと。
ただその時もですね。
昔のスパイ事件を含めて調べて見ますと非常に長閑で、北朝鮮から漁船で来るわけです。
漁船が漁港の端に泊まるとかという、今の工作船で夜間に潜入するというような事は無くて、そういう状況ですからたまには公安関係者に引っ掛けられるというような事で事件は発覚してます。

その事件を見ると、社会安全部だったりですね。
偵察局だったり様々な党であったり人間が来てますが、75年以降金正日が責任者になって以降は非常に分かりやすいと言うか整理されたと言うか、厳しくなって。
それは潜入する工作員の話でありまして、逆に言うとその工作員が拉致をして帰っていくという問題があります。
まずよく言えば教育係りあるいは養成機関の教官として拉致をする。
とにかく金正日は当初はですね。
これはまだ分析し切れてないんですが、誰でも良いと。
朝鮮語で言う「マグジャビ」と言いますが適当な奴を引っ張って来いと、いった可能性も考えられます。

一方で彼らの言葉で言う人定了解事項といいますか、この人物はこうこうこうで、家族はいない。
あるいは家族はこうだから安全だと、言うようないわゆる事前調査をして拉致するケースもあったと思います。
というか、ありました。
その時に一番ハッキリするのは教官として、つまり先ほど言ったように金正日は新しい組織再生をするためにですね。
教育カリキュラムも変えまして、それは全て日本人が担当すると、日本人に(成りすます為に)必要な知識を与える為、授業は日本人が担当する。
韓国の場合は韓国人と言うケースがあったと思いますが、その教官の為。
従来から行われている背乗りの対象者を拉致してすり替わった人間の安全を確保する。
それが2点目。
もうひとつは有本恵子さんのように若い女性、つまり拉致被害者と結婚させる為と言うものだったと思います。

そこでよど号の事件に一度戻りますが、よど号(ハイジャック事件)は1970年3月31日に事件が起こります
北朝鮮から見るとですね。
とんでもない厄介者が飛んで来たと言うのが実感だったと思います。
赤軍の頭の悪い連中が国際根拠地論とかわけの分からんことを言ってると。
とにかくホテルに住まわせて本でも読ませろと、言うのが最初だったと思います。
相手はモスクワで教育を受けたベテランの連中が相手をするわけですから、学生どもが勝てるわけがありませんし、2年で完全に主体思想化される、洗脳されると。
当然根拠地論とか世界同時革命論とか淘汰されて主体思想になる。

これが9人が全員がそうなりまして、その間に吉田金太郎はすぐ正体を見破って問題を起したのかも分かりませんがその辺はちょっとまだ分かりません。
完全に金日成万歳になったんです。
それで72年、(北朝鮮へ渡って)3年目の5月6日に日本人革命村と言うよど号の根拠地、生活地にですね。
金日成が来ます。
「5月6日はよど号記念日」と言う俵万智ふうの呼び方をするんですが、つまり約3年で金日成からのお墨付きが付く。
その72年にですね。
ハイジャック以降初めて日本からの記者団を呼んで、会見をさせます。
ご存知だと思いますが、その会見の席に工作員でキム・ユーチョルという男が写っているのがフィルムで確認されております。

これが非常にポイントなんですが、よど号の連中は最初ホテルに滞在させられてですね。
それ以降郊外の、皆さんご存知の招待所と呼ばれる場所に移されます。
彼らを管理してたのが朝鮮労働党連絡部、先ほどの3つある連絡部でした。
と言うのも、その工作員が記者会見の脇の方にですね。
写ってたわけで、これで彼らは労働党連絡部の管轄に居たんだということが分かります。

ところがこのキウ・ユーチョルというのがですね。
1973年、翌年に連絡部から調査部に異動されます。
有本さんを連れてかどわかしたのがキム・ユーチョルなんですが、それが1983年で10年後ですが。
おそらく、おそらくと言うよりもキム・ユーチョル自体が調査部の人間だったと。
逆に言うと有本さんは調査部管轄の拉致対象だったと言うふうに思われます。
それはもっと後に話しますが、いずれにせよよど号はまず連絡部の管轄に置かれて、完全に金日成シンパになって。
そうこうしている内にその間軍事訓練があったのかどうか?
まぁ彼らは無かったと言ってますが、これは良く分かりません。

75年の10月にご存知の小西(隆裕)の恋人だった、福井タカ子が突然に平壌に現れます。
で、まぁ、いろいろあったでしょう。
男だけ9人の中に5年も離れていた恋人がやってくると。
若い連中はいろいろあって、労働党も「そうかこいつらを黙らすためにも結婚させよう」と。
先ほど言った5月6日はよど号記念日と言う意味において、連絡部の中に5月6日の56課と言う部署を作ります。
この56課がその後ずっとよど号の担当をする部署になります。

この56課がいわゆる田宮高麿と話し合って結婚作戦というものを、お前たちも結婚しろと。
小西・福井タカ子を羨ましく思うなと。
言う事でやってですね、当然連絡部が日本とコンタクトしたと思います。
都合の良い事にと言いますか、よど号事件が起きた直後からですね。
日本にもチュチェ研と言うものが、まず群馬で生まれて、その後全国にどんどんどんどん拡大して行ったようですが。
労働党連絡部はこのチュチェ研で何か気の利いた奴はいないか?と言う事で一本釣りをして5人ほどは集まったんですが、後はなかなかすんなり行かない。

その中で確信犯ではなかった八尾恵であれ、福留貴美子であれと言う事で。
1977年に皆様ご存知だと思いますが、どんどん送ってどんどん結婚させる。
その77年にそうやって日本からよど号の花嫁候補を非合法に北朝鮮に呼ぶことが出来たと。
いうような事もあってですね。
金正日としてはですね。
金正日は自分の側近であれご存知だと思いますが、とにかくまず結婚させる、つまり女をあてがう、それで自分に感謝するだろうという思考回路の人間です。

ですから有名な喜び組を護衛と結婚させたりとか、よくやるんですが、同じ意味でよど号も同じだった。
拉致被害者に対しても同じ発想をする。
ですからよど号に対しても、これは有本さんの場合が83年で、田宮が安部に直接あるいは直接八尾に言って25歳前後の若い女性を連れて来いと言ったのも同じ文脈にある訳です。

そういう事を考えますとですね。
ここには横田めぐみちゃんのお母さんがいらっしゃるんであれなんですが、めぐみちゃんの配偶者も北朝鮮の人間であるはずがないんですね。
つまり国際結婚は絶対に認めないと。
とにかく私は、(めぐみさんの夫とされるキム・チョルジュが)顔を出さない。
いろいろ逃げ回るというのは、日本人、最近では韓国人と言う話も出て来ますが、韓国人の可能性も十分あります。
いずれにせよ北の人間では無いと言う事だけは間違いないと私は思いますが、それは今も言ったようにわざわざ有本さんを拉致するのは誰かと結婚させようと言う事で、それは結果的には石岡さんと言うすでに拉致された被害者だったことになるわけですが。

とにかくそういう作業をするわけで、それを国家予算を使ってですね、やるわけですから。
めぐみさんに対しても同じように北朝鮮の人間である事はまずありえないと、私は、そんな事を言っても何も解決はしないんですが。

・・・その3に続く・・・


2006年01月29日

よど号犯人と拉致事件 東京集会(9)06.1.19 友愛会館にて(恵谷治氏その1 音声有り)

『恵谷治氏の講演 その1』

★西岡力 副会長


ありがとうございます。
それでは今日の講師をご紹介したいと思います。
今日はジャーナリストの恵谷治さんに来て頂きまして、拉致の実行犯は誰なのか?
当初はよど号事件を中心にしてお話をして頂こうと思っていたんですが、辛光洙・朴の話が出て来ましたので、よど号に限らずですね。
拉致の実行犯は誰なのか?
拉致事件と言うのはどういう犯罪だったのか?
という事について、実は私もいろんなことを教えてもらっている専門家中の専門家でありまして、恵谷さんのこういうすごい本も書いていらっしゃって、「対日謀略白書」というなかに、朴とかたくさん入っています。
恵谷さんの今の時点での分析を、そうですね、8時10分くらいまでの間お話をしていただいて、その後私が少し補足をして質疑を行おうと思います。
では恵谷さんお願いします。

★恵谷治氏

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どうもはじめまして、恵谷です。
当初、今日よど号関連の集会なんでその話をするつもりだったんですが、それで私も丁度去年の暮れにお話が出まして、丁度いい機会でもう一度よど号事件、洗い直しをやろうと。
そしてこの場に臨もうと思ってたんですが、辛光洙の件が出て来たり、あるいはご存知の金正日が訪中いたしました。
それはフォローで、結果的によど号関連のお話が出来ない状態だったんですけども、それよりも辛光洙を含めて拉致の実行犯、あるいは拉致と言う物はどういうふうに行われるか、と言う方に重点を置いてお話をすれば良いと言う事だったもんですから、ちょっと気は楽なんですが。

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お話をする前に個人的な事をちょっと話したいと思います。
これは私が大学4年のときに、よど号事件が起こりました。
そのときのスクラップです。(大きなスクラップブックを掲げてみせる)
私にとってよど号と言うのは全く自分の歴史と一緒でありまして、当然ながら私と同級生に当たるのが安部公博あるいは田中義三です。
ですからその連中がこういう犯罪をやっていると聞いたのは正直80年代に入ってからで、この当時の日本中に衝撃を与えた事件と言うのは痛いほど私は分かっております。
で、連中らがどういうふうに考えてきたのか?それなりに個人的にはずっとフォローしてきましたが。

私が一番最初に北朝鮮に行きましたのは1987年です。
その時は初めて北朝鮮で観光が解禁されまして、それ以前は社会党友好実施訪問団とか、そういう形でしか行けなかったのが金さえ払えば誰でも良いという事で、初めて行きました。
で、その時もおそらく、ツアーだったんですがその中にはよど号の新聞記者もいたと言う雰囲気もあります。
というのもホテル、高麗ホテルに泊まっていたんですが、夜そのホテルの地下のバーで私が全く一人で飲んでいたんですが、その一員が話をしているのを聞いていると、よど号の誰々と、名前は当時覚えていたんですが今思い出せないんですが。
よど号のメンバーの名前を言いながら今ここに来ると、言う話をしてました。

私はその時点では、よど号(犯人たち)は(日本に)帰って来れない犯罪を犯している。
個人的にはそれを差して拉致問題を起してるとは知りませんから、なぜ帰ってこないのか?
言葉で言う微罪ですんで娑婆に出てくると、それがおかしいおかしいと言うのが、結果的にはとんでもない犯罪を犯していたと。
非常に納得できたわけです。
それ以降、もう一度よど号事件と言うのを洗い直しをしながら、私が初めて北朝鮮へ行った翌年に有本さんの事件がハッキリしました。
あの3人の方の手紙が来て、当然それもフォローしながら、どういう形でよど号は犯罪と言うか拉致をするようになったのか?と。
気にはなっていたんですが、もちろん具体的な証拠は有りません。
そうした中で先ほどから話の出ています、高沢皓司氏の「宿命」を読み、当然ながら納得しましたし。
それに至るまで様々な情報が入っていました。
ですからだいたいこんな物かなと言う状況は分かるようになりました。

よど号については後でお話をするとして、まず辛光洙についてお話したいと思います。
私は今言った87年の翌年に初めて北朝鮮の本を書きました。
その中でも辛光洙の事件を書いておるんですが、当時はですね。
いわゆる工作員の動きと言うものに興味がありまして、とにかく彼は日本に潜入して合法的身分を取った後、パスポートでヨーロッパ経由北朝鮮と言う判明しているだけでも6回往復しています。

当然韓国での、85年に逮捕されて以降の判決文を検討して時系列的に考えました。
今回、最初に地村さんの件がありまして、それからめぐみちゃんの件が出てきたと。
皆さんご存知だと思いますが、判決文の中にはですね。
判決文の中ではその時期は北朝鮮にいたと言う事になっています。
先ほど西岡さんが紹介してくれたこの本にもですね。
私は裁判記録を盲目的に信用し、無批判に信用しましてそんなはずはないと思ってましたし。

もう一点78年の3つのカップル誘拐、拉致事件の時のですね。
もう一つ未遂があります。
その未遂事件の時にそのカップルの女性の方が、警察から辛光洙の顔写真を見せられて、この人に似ていると証言していたのですが、裁判記録によれば北朝鮮にいるんで、見間違い・記憶違いだろうというふうに私はこの本の中で書いてます。
その事については反省をしているんですが。

辛光洙が少なくとも地村さんとめぐみちゃんを拉致したかどうかは別としましても、まず彼の簡単な生い立ちと言いますが、皆さんも新聞で読まれたかと思いますが、お話します。
彼は在日、日本で生まれまして愛知県だったと思いますがハッキリしません。
(会場より「静岡です」の声)そうです、静岡です、失礼をしました。
彼は北に戻ってですね。
韓国経由で戻ったんですが、1971年、この年号を覚えてください。
71年に工作員になる、リクルートされます。

後でも申し上げますが、工作員と言うか謀略活動をする人間の名称についていろいろ問題があるんですが、ここに来られている方は皆さん意識が高いので、頭に入れて頂きたいんですが。
新聞等では工作員と言う言い方をします。
しかしこれが落とし穴でありまして、北朝鮮においてはですね。
そういう謀略活動をする人間を北の用語で4種類あります。
「工作員」と、それから「偵察員」、それから「戦闘員」、それから「案内員」、これが彼らの呼称です。

辛光洙はですね。
1971年に「偵察員」としてリクルートされました。
「偵察員」と言うのはですね。
軍の工作員と言いますか、もっと正確に言いますと朝鮮人民軍偵察局の工作員です。
工作活動をする人間です。
彼はまず軍にリクルートされて、約2年半教育・訓練を受けます。
それで1973年7月2日に元山から石川県の海岸に、皆さんご存知のような形で潜入し日本に再入国します。
日本語は非常に上手くて、おそらく数字は覚えていませんが大体30歳過ぎてたと思いますが、辛光洙がまず入ってきて日本人の日本語と変わりませんから日本社会に溶け込むのは楽。

ただ法的な身分がありませんから、北朝鮮に帰国した人間の手紙を持って日本に住んでる家族に渡す。
これはあらゆる工作員が最初に日本に上陸すると潜入すると、そういう作業をします。
言わば脅しですね。
自分に協力しろと、協力しなければこの手紙の人物の待遇が悪くなると言う事であります。
ポイントは何か?と言うと先ほど言ったように、彼は偵察員です。
これは軍の所属ですが、71年にリクルートされました。

もう一人の朴と言う、朴某、朴なにがしという男は、これは党の工作員です。
辛光洙よりも先に日本に潜入しますが、北朝鮮においては日本に対して様々な機関が工作員を派遣するという時代でした。
それが1971年です。
もちろんその後も続くんですが、ポイントはですね。
1975年にご存知だと思いますが、金正日が73〜4年にかけて党の書記、政治局員というふうに中枢部に躍り出ます。
彼はそれまでに演劇部門、音楽部門、つまり文化芸術部門は権力中枢部でも一目置かれるような活躍をします。

しかし現実権力として、もっと言いますと権力執行機関、あるいは自分の力の基盤と言うものが全くありません。
女優を騙して好き勝手をするということは出来ても、権力、自分の力が無いと。
それは例えば警察、例えば軍、いろんな所のトップになれば、それなりの権力基盤が作れるわけですが、そうした中で金正日はこの秘密機関、謀略機関に目を付けます。
この謀略機関がこの辛光洙が、あるいは様々な工作員が活躍する場で、皆さんご存知の現在では3号庁舎と言うふうに呼ばれる部署ですが。

この3号庁舎、正確に言いますと1975年当時はですね。
連絡部、調査部、文化部、この3つしかありませんでした。
それ以外に軍の偵察局があって、辛光洙は軍の方にいたわけです。
ところが1975年金正日が3号庁舎を検閲する。
つまりお前たちの仕事を再チェックすると、言う事があってですね。
それまでの活動のあらゆる物を全てチェックしました。

で、これはもう世界中どこの機関もそうなんですが、この秘密機関と言うのは言わば機密費で賄っているような機関ですから、工作費そういう費用、これを受け取っても工作に使わずポケットに入れる人間もたくさんいるわけです。
これは世界の常識です。
CIAの工作員でも同じだし、我が国の大使館員の外交機密費で自分の絵を買っているとか言う事もあります。
これはどこの、つまり領収書が明確に要求されませんから皆ポケットに入れると。
まぁ皆じゃありませんが、そういう事が往々にしてあります。

ですからその大検閲によって、全員すねに傷がある。
で、そのポケットに入れる以上に工作活動を成功させていれば、問題は無い。
とにかく金正日はですね。
半年に亘って全ての工作をチェックしました。
それで75年の11月から全体会議を開きまして、全員の自己批判をやらせます。
そしてとにかく全員すねに傷がありますから、「自分はこういうことをしました、今後反省します」と、とにかく締め上げて、当然部長クラスは全員首を挿げ替えて。

プラス、当時はですね。
75年当時まだ北朝鮮は、まだと言うか今と変わらないというか、外貨がほとんどありませんでした。
外貨は中国政府から恵んで貰っていた貴重な外貨でした。
その貴重な外貨を工作活動に与えて、それを勝手に工作員がポケットに入れると言う状況だったわけで、それを厳しく叱責した上で、今後一度たりともですね。
自分のサインが無いとしてはいかんと、これで金正日は3号庁舎を押さえたわけです。
当然もちろん人事も含めて。

・・・その2に続く・・・

2006年01月28日

よど号犯人と拉致問題 東京集会(8)06.1.19 友愛会館にて(増元照明さん音声有り)

『増元照明 家族会事務局長のお話』

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家族会事務局長の増元です。
今日、先ほど皆さんが仰っているように、今日の官邸の中で政府の官房副長官、更に警備局長非常に強い姿勢を示して頂いたと。
もう一つ、我々がひとりずつ話しますとそれにひとりずつに対応して話をしてくれる。
これは初めて、今まで殆ど初めてのケースではないかと思うんですが。
それほど積極的にやろうと言う姿勢は非常に強く見えます。
それはやっぱり昨年11月の1日に安倍さんが官房長官になってようやく動き始めた証しなのかな?と私はそういう思いをしています。

警察庁が昨年末そして今年の初めに辛光洙、朴某を出しましたけども、あれも昨年末に新しい情報として得て、そして出したと言う事ですが、それも情報として表に出すのも官房長官の意向も関ったのかな?と言う。
とにかく官房長官が安倍さんでなければ伏せられたと言う事が多くありますので、その点で動き始めていると言う気がします。

今年、私と西岡さんがマカオに行きまして、マカオの拉致被害者家族と会いました。
で、ほとんどまず間違いなく、孔さんという方がマカオから拉致されていると言うのは確信しました。

で、お願いなんですけども、ここにメディアの方たちがいらっしゃいますけども、北京支局に連絡しまして孔泉報道官に「あなたの国の人たちが拉致されていますけども、どのように考えますか?」と質問をして頂きたい。(拍手)
これで孔泉さんがもし北朝鮮側を庇うような回答をされると中国のスタンスが分かると思います。
ぜひこれだけはやって頂きたい。
「中国の人が北朝鮮によって拉致された事が今明るみになりましたけども、中国政府としてはどうされますか?」と。
それだけ聞いて頂きたいと思いますので、是非マスコミの皆さんにはお願いしたいと思います。(拍手)

更に明日から、私アメリカのスラムダンス映画祭と言うところで「ABDUCTION〜拉致 横田めぐみストーリー」と言うのがスラムダンス映画祭の大賞にノミネートされておりまして。
それで大賞を取るような事があれば、アメリカ全土にこの映画が開放されて、そしてアメリカ国民の拉致に対する認知度が高くなる。
それをぜひ成功させて頂きたいと思いますし、私もその場所に行って初めてその映画を観させて頂きますが、今年は政府も我々も攻める年だろうと。
守ってばかりいられない。
攻めて行かなければならないと思っておりますので、是非皆さん一緒に戦ってください。
ありがとうございます。(拍手)

よど号犯人と拉致問題 東京集会(7)06.1.19 友愛会館にて(横田早紀江さん音声有り)

『横田早紀江さんのお話』

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皆様こんばんは。
本当にいつもご支援いただいてありがとうございます。

今日もお会いしていろいろとお話を致しましたけど、めぐみの事は辛光洙によると曽我さんからもお聞きしておりましたけど、まだこれは今言葉に出して表に出して頂きたくないという事でしたので、私はその事はまだ何も言っておりませんでした。
地村さんもそうだと言う事で、もう表に出ていることですから、・・・一緒に・・・(聞き取れず)しているんだということで、私はハッキリと出して良いと思って、マスコミの質問にもハッキリとびっくりしましたとお答えした事で、こんなふうになって来たんですが。

主犯であるその人たちがいるんですから、私のめぐみちゃんの場合は新潟ですけど、やはり新潟の中で朝鮮総連なのか在日の人か、また日本人であるのか分かりませんけれど、拉致と言うことに対して協力をした人が必ずいると。
始めからそれは何となく分からないままに、誰かが何か一緒にやった事じゃないかな?といつもどこかで思っていたものですから、今日も各地で起きた拉致問題ね。
その中の協力者と言うことをもっと徹底的に各県で調べて頂きたい、と言う事をお願いしておきました。

その様な事を知らずに、皆何も悪い事もしていないで、家族から離されて30年近い間何とかして帰りたいと。
船に乗れば帰れるんじゃないかと、めぐみなどは何度も外へ飛び出して船に乗ったら帰れるんじゃないかと思って逃げ出したような事もあると蓮池さんたちからお聞きしました。
本当にどんなに辛い思いで過ごしているんだろう、今もその様な思いで待っていると思いますので。

日本中がようやくこの思いで、めぐみの事が浮上した不思議な事で、拉致問題が大きく報道されるようになって、マスコミの方もご協力いただいて、国民の方々あらゆる方が本当にバックで支えてくださって、おかげさまでようやくここまで国際的に拉致と言う事を本当に鮮やかにあぶり出してもらったと思って感謝しております。
今こそハッキリと日本の国全部が一丸となって怒って、拉致に対してシッカリと怒って言葉に出して、世界に表現していく事で救出の事が動いていくんじゃないかと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

よど号犯人と拉致問題 東京集会(6)06.1.19 友愛会館にて(平野フミ子さん音声有り)

『平野フミ子さんのお話』

★西岡力 副会長


熊本から増元るみ子さんのお姉さんの平野さんが来てますので、一言。

★平野フミ子さん



皆さんこんばんは。
本当に難しい問題。
でも日本が今変わろうとしている問題です。
本当に日本をどうにかしようと言う皆さんの思いが、この席に来ていらっしゃる一つの要因だと思っています。
私たちもその一端を担っていると言う、私たちも自負しておりますけども、あの本当に今日はですね。
今までに無く鈴木官房副長官と面談する事が出来ましたし、そしてまた力強い言葉も頂きました。
絶対にこの拉致問題解決なくして国交正常化はありませんと言う事を断言されました。

私たちはひょっとしたら小泉さんが3回目の訪朝をして、ふわぁっと行ってですね。
印鑑押してくるんじゃないかな?
そしてたくさんのお金を取られるんじゃないかな?と言う、妹たちは帰らずにこのままになってしまうのかな?と言う、そういう思いでいつも不安になっております。
でもそういう言葉も頂きましたし、警察庁長官の今年の年頭の(挨拶)ですね。
拉致問題の解決を絶対するぞと言う意気込みも感じましたので、安心して、本当に今年は何か、拉致被害者を絶対に取り返す年になると思います。
皆さん期待してください。
本当にありがとうございます。
いつも応援していただいて本当にありがとうございます。(拍手)

よど号犯人と拉致問題 東京集会(5)06.1.19 友愛会館にて(飯塚繁雄さん音声有り)

『飯塚繁雄 家族会副代表のお話』

★西岡力 副会長


続きましてよど号の事件ではありませんが、この年末年始に、帰国した被害者の方の証言によってですね。
拉致の実行犯が明らかになって来ています。
そのことも含めて、今日警察庁とそれから内閣府、官房副長官にも要請して。
要請した内容を皆さんにもお配りしていると思いますが、それ以外の家族の方たちも今日ここに来てらっしゃいますので、時間の関係もありますので短く一言ずつですね。
犯人をきちっと取り調べて欲しいと、そして事件の実態を明らかにして欲しいと願っていると言う点を中心に話をしていただければと思います。
では飯塚さんの方から。

★飯塚繁雄 家族会副代表

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今西岡さんの方から説明のありましたように、今日午後から内閣総理大臣と警察庁長官の漆間さんに向けて要請文を提出して参りました。
内容的には載っておりますけれども、我々長い間、また年が明けてしまったかと言う気持ちがありますけども、その流れの中で、暮れから正月にかけていろいろ情報がたくさん出てます。
そういう中で我々としても今まで訴えて参りました、いわゆる日朝協議を待つ事無く制裁をきちっとして貰いたいと。
実行して貰いたいと言う事。
それから、拉致の実行犯に対する捜査に一層力を尽くして欲しいと
特によど号関係者が帰国した際には、拉致問題についても徹底した捜査を実行して頂きたいという事と。
国際的に広まっている拉致問題に対して米国、韓国、タイ、マカオ、レバノンを始めとする関係各国との連携を強めて頂きたいという強い要望書を提出して参りました。

その中でいろいろ感じた事は、政府は安倍(官房)長官はもちろん「この拉致問題については徹底的にやるんだ」と言っておりますし。
先日、外務大臣の麻生さんも「拉致なんかけしからん」と言う強い態度でいました。
それから先ほど言った警察庁長官も、今年こそ拉致の問題を片付けるべく行動する。
そういう約束をして参りました。
それやこれや考えて見ますと、今年こそと言う言葉を何回も使っちゃうんですけども、本当に今年中にこの問題を解決したいと思いますし、その動きがあちこちから出ているという事を感じました。
そういう意味では我々今までどおり一生懸命戦って参りますので、また宜しくご協力お願いします。(拍手)

2006年01月26日

よど号犯人と拉致問題 東京集会(4)06.1.19 友愛会館にて

『川添友幸 救う会神奈川会長のお話』

★西岡力副会長

続きまして、今日は拉致の実行犯について考えてみようと言う趣旨で集会を開いているんですが、よど号の犯人たちは20人拉致していると言う事が分かって来てるわけですけども、そのグループの妻たちはどんどん帰国しているわけですね。
帰ってくると旅券法違反と言う罪で捕まって裁判が行われていると。
その裁判を継続して傍聴して来た、救う会神奈川の川添さんから報告をして貰います。

★川添友幸 救う会神奈川会長

初めてこういう場で話しますんで、ちょっと上手く出来るか分からないんですが、ご説明していきたいと思っています。
ちょっと今日、資料を作ってきたんですが、「よど号を通して見た拉致事件」という資料を作りました。
全部ことらだけじゃなくて、こちらの流れの中で少しずつ説明していきたいと思います。

まず、よど号のハイジャック事件自体は1970年、もう35年前でしょうかね。
ハイジャックをしまして、韓国経由で北朝鮮に向かったと。
当初どうもすぐ帰ってくるつもりだったんですが、中々帰って来られなくなってしまった。
70年代後半から80年代初めにかけて、日本から次々入国した女性たちとですね。
強制結婚だったんじゃないかと言うこともあるんですが、結婚してですね。
今度はヨーロッパにおいてですね。
非合法な活動を開始いたします。

そういう中で88年に日本政府がですね。
ソウルオリンピックを日本赤軍やよど号グループが妨害する恐れがあるんじゃないか?と言う事を、各国の情報機関から入手しまして。
テロ防止の観点から旅券を返納しろと言う命令を発動しました。
1993年に返納命令に従わなかったと言う事で、旅券法違反で妻たちに対して国際手配を警視庁がかけました。
この後でご説明する裁判と言うのは、この警視庁の出した旅券返納命令違反における国際手配の裁判です。

2001年以後ですね。
よど号グループの帰国がずっと続いています。
妻たち自体は国際手配をされておりますので、帰国後、逮捕起訴されるんですが、この旅券法自体が微罪の為に実際有罪判決が宣告されても執行猶予になってしまいます。
今まで実刑になった方が一人もいらっしゃらないみたいで、非常に問題だと思います。

更にですね。
先ほど有本さんの方からお話があったと思うんですが、子どもたちがかなり帰って来ていまして。
この子供たちと言うのはもちろん国際手配をされていませんので、日本国籍を取得して私たちと同じように一般社会で暮らしています。
今日、警察庁とか内閣府に行った時も増元さんとかお話しされたんですが、今子どもたちがパスポートを入手しまして北朝鮮と日本を行き来しています。
北朝鮮から何らかの支持を受けて動いているんじゃないかと言う事で、ぜひパスポートについても以前やったような旅券返納命令を日本政府は取っていただきたいなと、私は思っています。

私自身がよど号の事件に関るようになったきっかけは、先ほどお話の出ました、高沢皓司さんの「宿命」を読んで非常に引き込まれてですね。
この問題取り組みたいなと思いました。
実際細かい裁判の内容に入りますと、私たち救う会神奈川としてはですね。
裁判をやっているという話を聞いて、これはちょっと見てみる必要があるなと言う事で、神奈川の会の私と他にボランティアの方とだいたい3〜4人くらいでずっと裁判の傍聴を行いました。
傍聴した期間は2004年の7月から2005年の6月まで、1年間の間で裁判の数は9回傍聴に行きました。
被告人は有本恵子さんを拉致した容疑で今国際手配をされています、安倍公博の奥さんである魚本民子とですね。
田中義三、あのカンボジアで偽ドル持って捕まった、の奥さんの水谷協子の裁判です。

先ほど出ました八尾恵の証言によりますと、この水谷協子はどうも有本さんの入国した後の指導係りだったんじゃないかと言う話が出ていますが、裁判ではこの辺を追求したみたいですが、全く答えないような状況でした。
細かい裁判の一問一答みたいのはですね。
私たちの救う会神奈川のHPがありまして、HPからリンクが貼ってありますaoinomamaさんのHPに全部一問一答が出てますので、そちらを見て頂ければと思います。(http://aoinomama.trycomp.net/

裁判の全体的な様子からまずご説明しますと、裁判は公開するんですが、人出が多いと言う関係で傍聴券を交付するのに抽選があるんですが、基本的にほとんど傍聴に来る人はおりませんので私たちで殆ど傍聴出来てます。
傍聴に来る方を分類して見ていますと、私たち救う会あるいはよど号グループの支援者の方、子どもたち。
あと私自身が一番びっくりしたのは、有罪判決を受けて執行猶予中の妻たちも傍聴に来ていました。
更に警察の方とかマスコミの方、大体メンバーの方は同じような方々です。
私ちょっと見て感じたのはですね。
よど号グループの関係者が来て傍聴しているのは被告人に対する激励よりも、八尾さんみたいに余計は発言をするなと言う監視の為に北朝鮮から来ているのではないか?と感じました。

一番私が印象に残ったシーンと言うのは、一昨年の12月24日の水谷協子の初公判の時です。
この日、実は内閣府の方で横田めぐみさんの遺骨が偽遺骨だと発表のあった日で、ご家族の方皆さん東京におられましたので。
私の方でちょっとお願いしますと言う事で、松木薫さんの弟さんの松木信宏さん、お姉さんの斉藤さん、有本さんのご両親、石岡享さんのお兄さんの章さんが、お願いしたら来て頂きましてみんな一緒に並んでたんですね。
今までは我々が普通に並んでいてもよど号の支援者の連中は黙ってるんですが、何か慌ててるんですね、我々が来ると。
横で何気なく聞いていると、「今日は二家族来ているぞ、二家族来ているぞ、二家族来ているぞ」と。
「今日は旅券方の裁判なのになんで拉致の人たちが来るんだ?」と言ってるんですね。

非常にまずこっけいに思えたのはですね。
石岡章さんと言うのはいろいろ事情があって、家族会に入られなくて一人で活動されているんですね。
殆どマスコミにも出ないので、石岡さんの顔知らないもので松木さんの所と有本さんのところと二組いると思ったんでしょう。
裁判自体もなんで傍聴に来るんだ?と言われても、公開されている物を我々傍聴に行こうとなんでこんな事を我々に言うのか?と。
大きなお世話だなと感じたところなんですが、実はこのときのやり取りがよど号グループの機関紙を私とっておりまして、機関紙に以下のように書いています。

中略となっていまして「かりはゆく」と言う機関紙の名前なんですが。
『傍聴席に拉致被害者家族も顔を見せており、次回24日の検察側の被告人質問は八尾証言を唯一の根拠としながら何としてでも彼女(水谷協子)を、「拉致犯の一員」にでっち上げようと悪辣に策動してくると思われます。』
でまあ最後のところに、『「かりの会」のメンバーは「拉致問題」とは何の関係もありません。』
拉致を実質的に否定しています。

自分達は拉致に関与していないということを彼らはずっと主張しているんですが、そうであれば堂々とですね。
有本のお母さんなり我々に言うべきだと思うんですが、何か知らないんですが右往左往、右往左往していまして、何も私たちに言ってくる事を感じませんでした。

で次に大きな問題点と言う事で非常に感じたのは、裁判自体が、こういう事を言うと検察庁に怒られてしまうかも知れませんが茶番であると。
私なんか、ドラマで裁判なんかを見ていますと、検察側と弁護側が丁々発止でやるもんだと想像してたんですが、実際検察側が微罪であると言う事もあって、さっき有本さんのお母さんの話もあったんですが、事実究明が今一歩であると。
弁護側の方が本当に意気揚々としていました。

ただですね、一つ面白いなと思ったのは、検察側が八尾恵さんの長所を証拠として採用しようとすると、弁護側は八尾さんの長所は証拠性がないと、八尾さんの言った事はおかしいと彼らは主張するんですが。
それであれば八尾さんを法廷に呼んでちゃんと質問すればいいことなんですが、八尾さんを法廷に呼ばないんですね。
なぜ呼ばないかと言う事をちょっと考えてみると、これ以上余計な事を喋られてしまうと困ると言う事と、検察側のほうも今後有本さんの安倍公博の公判があると言う事で、手の内を晒したくないと言う事で。
この問題自体が問題だと思います。
そもそも旅券法違反の事件で拉致問題で解決しようと言う、この調査手法に問題があるんではないかと私は思います。

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最後の一点として私もうひとつお伝えしたいのは、実行犯が今度帰国します。
今日ちょっとパネルを作ってきたんですが、これよくテレビに出てくる写真なんですが、この二人(黒田佐喜子、森順子)が3月ないし8月くらいに帰ってくるんではないか?と言う話です。(黒田、森両名が石岡享さんと一緒に写った写真を見せる)
このような明らかな証拠があるんですね。
このような明らかな証拠があるにも拘らず、現在もまだ警察は拉致容疑でこの二人に手配をかけていません。

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これは「宿命」の中にちょっと出てくるんですが、彼女たち二人が実はスペインのマドリッドのホテルに、松木さん石岡さんの泊まったホテルのすぐ傍のホテルにいまして。
宿帳に、彼ら本名で書いてるんですね、森順子と黒田佐喜子。
これは間違いない証拠だと思いますんで、何とかですね。
非常に難しいかもしれませんが、警察の方に頑張ってもらってこの問題、自供に追い込んで全員の拉致被害者奪還と言うことを是非やって頂きたいと思います。

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最後に時間が無いんで一点ですが、一番向こうのパネルの白黒の福留貴美子さん。
この方やはり海外旅行に行こうとして、モンゴルに行こうとしましてそのまま北朝鮮に連れて行かれてしまった方で、テルアビブ・ロッド空港乱射事件の犯人の岡本公三のお兄さんの岡本武と強制結婚させられてですね。
よど号グループは死んだと言ってるんですが、その方の娘さんたちは実はもう帰国していまして裁判に来ていました。
福留さんについても実は警察は拉致では無いと言う事をつい最近証言したりして、この福留問題も含めてですね。
3人+福留さんを入れて4人はですね。
一刻も早く救出しないといけないと思いますので、皆様のご協力の方、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)

2006年01月23日

よど号犯人と拉致問題 東京集会(3)06.1.19 友愛会館にて(斉藤文代さん音声あり)

『斉藤文代さんのお話』

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同じくよど号犯人によって拉致されました松木薫の姉の斉藤文代です。
今日はありがとうございます。(拍手)
私の弟も1980年に拉致されまして、それから音沙汰無く、88年に先ほども申し上げましたように手紙が届きまして、その後何もまたずっと無くて音沙汰無くって。
父は全力を尽くしてあちこち駆けずり回ったと思いますけども、父の願いも悲しく会えないままに父は亡くなりました。

それで私の弟は先ほど言いました「宿命」(高沢皓司著)って言う中で、騙されて連れて行かれたものですから。
森(順子=よりこ)に向かって「騙したな!」って言って殴ったそうなんです。
あの手を出した事のない弟がおとなしい弟が、本当に悔しかったんだと思います。
それでその時に「騙されたあんたが悪いのよ」って事を言われて、随分向こうの方に叩かれて連れて行かれたそうなんですよね。
そこに行くと向こうの人の話では、もう二度と帰って来られないっていうようなお話だったんです。

だから私は本当にその時は、弟は本当に殺されたのかなぁ?あの国だから殺されちゃったのかなぁ?と思ったんですけども。
第一回目第二回目の時に、弟さんの骨ですよと言う事で持って来た時に、写真を第一回目の時に見ました時に、その写真が随分(時間が)経った写真だったんです。
だからその時に、あぁ薫は生きているんだと私はすぐ思いましたので、私がこんなにくよくよしていたらいけない。
何としてでも助けなければ、向こうで帰りを待っているんだと。
弟だけじゃないんだと、皆帰りたい帰りたいと思って、辛かったでしょうねって写真を見ながら思ったんです。

何でも言う事を聞かないとあの国では殺されちゃう所だから、本当に自分の意思を曲げてでも従って生きて来たのかなぁ?と思うと、その写真を見たときには本当に涙が出ました。
可哀想だったなぁと思ってですね。(文代さん涙ぐみながら)
でも私は何にもして上げられないんです。
でも何としてでも、家族会にも私が入りまして私が一生懸命頑張っておれば、何か連絡が付くはずだと思ってずっとやって参りましたけれども。
今日も申したんですが、今年こそは今年こそはと言う事で、本当に今年こそはという事を書きたくないけれども今年こそはって言う事を願いをかけなければと、今日にずっと至って来た訳です。

そして今までよど号犯も子ども達は帰って来ました。
ずっと帰って来ております。
裁判の時も有本さんと一緒に一回行かせて頂きましたけど、本当に向こうの方は私たちが出来ないような表情をするわけですね。
含み笑いって言うか何か変な顔で、目と目で合図していて本当に日本の国を馬鹿にしたような態度で、悪い事をした方が威張っててですね。
私たちの方が何かしゅんとしているような、そういう雰囲気なわけです。
だから何と情けない国になってしまったんだろうと、私たちが大声を上げて怒鳴る事も出来ない国になったんだなぁと思いながら聞かせて頂きました。

よど号犯たちも子ども達は続々と帰って来ておりますけれど、今度は薫たちを連れて行った森(順子)、黒田(佐喜子)が帰ってきますので、私も森、黒田に刑事告訴をしたいと思いますという事を、今日警察庁の方とお会いした時に申し上げました。
本当に今まで耐えて耐えてきましたので、旅券法だけで済まされると言う事は私たちは許されませんし、またたくさん残っている家族、たくさんまだ北にいるわけですから、全員助け出すと言う事を頭の中に入れてもらって、今までの気持ちでは私は取り組んで欲しくないと思っておりますので、何としてでも今年、今年って言わなくていい様に。
ひとつでも解決の糸口が解ければ、ずるずるずると解けていくと私は信じておりますので、何としてでも救い出して上げたいという気持ちで。

有本さんのお母さん、早紀江さんたちを見ていると本当に胸が痛くなります。
動けなくなったのは私の母だけでもういいって私は思っております。
母も会わせて上げられたら本当に嬉しいだろうなって思いながら、私も思っております。
病院でですね。
ノートとペンを貸して頂戴って言うから、貸しますとですね。
私の事は忘れてますけども、文字も震えながら書くんですが、「薫、会いたい、スナヨ」って書くんですよね。(文代さん声を詰まらせながら)
こういうような事をですね。
毎年毎年、うちの母だけでなくて、他のお母さんたちにも味わいさせたくありません。
ですから何としてでも今年中に、政治家も警察も立ち上がって、拉致問題を解決して頂きたいと願っております。
これからもどうぞ皆様方のご協力を得て、皆が帰って来られる様に頑張りたいのでどうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

よど号犯人と拉致問題 東京集会(2)06.1.19 友愛会館にて(有本嘉代子さん音声あり)

『有本嘉代子さんのお話』

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皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
よど号乗っ取り犯の妻たちによって、ヨーロッパの方から拉致されました有本恵子の母でございます。

皆様もご存知の通り、2002年の3月12日に、八尾恵さんて方が法廷で証言して初めて分かったんですね。
だから1988年に手紙が来た時点ではどのように(拉致)されて行ったかと言うのが分からなかったんです。
とにかく行方不明になって5年目に手紙が来たのが1988年でした。
その時に北朝鮮にいると言うことの内容だったんですね。
だからその様にして北朝鮮に入ったか、誰かが連れて入ったのは間違いが無いんだけれども、本当に誰が連れて入ったんだろうな?と言う思いで、それ以降9年間。
とにかく家族会が出来るまでは殆ど主人が動いたんですけども、二人でいろんな所へ弁護士会にも、一番最初は安倍先生の事務所にも行きまして、その前にも社会党の土井(たか子)さんの事務所にも行きました。
いろいろした結果、何の進展も無かったんですね。

それでやっと2002年の3月12日に、八尾さんが証言した事によって、ほんならよど号の奥さんたちによって北朝鮮に連れて行かれたんだな、と言うことが初めて分かりました。
それよりちょっと前に聞いておりましたんですけども、田宮高麿さんいうて、そのよど号乗っ取り犯のリーダーの人が「宿命」と言う本を書いた高沢(皓司)さんと言う人に、話をしてたんですけれども。
その高沢さんと言う人は非常に田宮さんと懇意にしていて何度か平壌に行かれたそうです。
一番最後に会った時に「私たちの手によって、20人くらいの人はヨーロッパの方から連れて入っている」という事を聞かれたそうです。

20人連れて入ったという事を丁度震災の、まだ本当に真夏ですから。
まだ暑い時分に訪ねて来られてそういう話をしていきました。
だからそれで初めてよど号犯によってそれだけの人を連れて入ってるんだなと言うことが分かったんですね。
その時点では田宮さんは「私たちの手で連れて入った人たちは、とにかく私がここにおる間に日本の国に帰れるようにしなければいけない」と言う事は言っておられましたよと言う事は聞きました。
今分かっておりますのは3人ですけども、後17人くらいの人はまだ向こうにいると思います。

で、八尾さんは自分は証言したんですけれども、誰と一緒にしたとか、そういうことは全然言われませんでした。
だけどひとりで行動はしていないと思うんです。
だから今次々と帰って来ている奥さんたちも、きっと誰かは手を貸していると思うんですね。
だけど、八尾さんは一応言いましたけど、他の人は誰も言いません。

だた帰ってきて、私も裁判に2度傍聴に行きましたけども、非常に態度を見てね。
本当に腹が立つというか、はらわたが煮えくり返るくらいの思いをしました。
本当に堂々としているんですね。
自分が裁かれる身でありながら、笑みを浮かべているんです。
それで八尾さんの方を睨みつけているんです。
あの人がいろいろ言いますからね。

2度目に行った時は、ただその裁判官の方ですね。
検事さんの方は非常に小さな声で、私たちが聞いとっても分からないような声でぼそぼそぼそと言われるんです。
それで犯人の方が、ちゃんとこう書いてきましたから、それをすらすらっと、立て板に水と言ったらこの事です。
すらすらすらっと本当に大きな声でハッキリと読み上げるんですね。
そんなん見てて本当に情けないなと思いました。
この国はどないになってるんかな?という感じで、二辺目の裁判を見ましたのでね。
だからこの日本の国として、帰って来た者をどのようにするか?
警察もいろいろ事情があってだろうと思いますけれども、今のところは一応旅券法の違反だけで、皆短い間向こうに止められたら出てきて、本当に普通の生活をしているんですね。

私神戸なんですけど、すぐ近くに高槻と言うところがあるんですけども、そこのある病院が病院こぞってよど号の人たちに支援しているそうです。
だからその土地の人たちは皆知ってらっしゃるそうですね。
その人たちが資金を出して帰って来た子どもたちの住む所、マンションを買って与えてるみたいです。(「え〜?」っと言う声)
支援している人たちはどういう気持ちでしているか分からないし。
そうですね、やはり同じような気持ちで運動を今までしていた人たちの仲間なのかどうなのか分かりませんけれども、警察はそんなんですぐ離してしまう。
そしたらそれをちゃんと受け入れて支援して、その日から困らないように住む所を与える人もいる。

そんな感じで帰ってくるもんですから、帰ってくる人が堂々としているんです。
皆さんもテレビで御覧になったと思いますけど、八尾さんの娘さんなんかは本当に何と言ったら良いのかね。
本当に激しい口調で物を言ってました。
小さい時分、5歳と8歳と仰ったと思うんですけど、「その時分に向こうに置いたまま、自分は一度もあってないんです」と言う事は言ってました。
その間によど号の人が二人を大きくしたんだろうと思います。
今長女の方はまだ向こうに残っておられるそうですけど、下の方が帰ってきて、皆さんテレビ番組で見られたような状態ですので、あの人は母親としては全然相手にして貰えないんですね。

だから八尾さんも全部喋ったとは思っておりませんけども、私はあそこで会う前に半年ほど前から八尾さんの事は聞いていたんです。
私が一度テレビの画面で本当に「私たちの子どもを誰かが連れて行ってるんだ」と、「誰か分からないけれどもその人は連れて行くときに何も思わないで連れて行ったのかな?」と言った事があるんですよ。
「この子を連れて行ってそれからずっと日本の国に帰れなかった場合、親がどんな気持ちで暮らしていると言う事を、その連れて行った犯人には分からないんでしょうかね?」と、私が結局マスコミの方と話をしているところをあの人は画面で見たらしいです。
そうしましたらその日は一日、本当にしょげてしまって、本当に何も物を言わなかったと言う事をマスコミの方から聞いてます。
だからその方が長い間、八尾さんと接触して何とか法廷の場で証言をするという形に持って言ったそうです。

それも聞いておりましたので、いろいろ私も言われました。
あの時に何でもっと強い態度で、「私だったら本当に八尾さんを蹴ってたかも分からないよ」と言われた人もありました。
だけどね。
主人は助けの神だと言うたんです。
何でそういう事を言ったかと言いますと、この9年間、本当にどこへ行っても相手にして貰えなかったんです。
国も、家族会として私は運動をしておりましたけども、最後まで拉致と認めておりませんでした。
そういう思いもいろいろありまして、この八尾さんが証言する事によってきっとこれは動くだろうな。
マスコミも動いてくれるだろうな。
政府もきっと動いてくれると言う思いがあったもんですから、そこまで言ってしまったんですね。
(私は)そこまでは言わなかったですけども八尾さんも同じだなぁと。

恵子が丁度この間誕生日迎えたところですのでね。
北朝鮮で23年日本で23年、丁度同じだけ北朝鮮で暮らしてきました。(涙ぐみながら)
だから本当に親としては一日も早く、子供の手を取って抱いてやりたいと思いますけども。

でも私は今年は何か動くような気がするんです。
北朝鮮も今非常に厳しい状態にあると聞いていますし、だから政府の方も、今日お目にかかった鈴木官房副長官も一生懸命官庁も省庁は力を合わせてひとつの組織を作ってするって言う事はしっかり言って下さいましたし。
警察庁の方に参りましても、その方もこれはしっかりやっていくと言うことを仰ってくださいましたので、私はそれは本当だろうと思っています。
何とか今年は動くだろうと言う気持ちで今おりますので。
何とか私たちが元気な間に本当に全部の人たちが帰って来れたらなぁ、という思いで運動を続けております。

ここのよど号だけじゃなくて、特定失踪者の人も合わせて400人以上の方が同じ思いで、親たちは暮らしてきたんですよ、親たちは。
だから交渉に当たる人たちは「全部返しなさい、全ての人を返しなさい」と言う事をしっかり言って、なかなか話し合いでは無理だと思いますので。
今日も申し上げたんですけども、今月の末に一度交渉があるそうですけども、「これを最後にして下さいね」と言ったんです。
本当にいっくらしても、話し合いでは私はまず無理だと思いますので、国としてきちっとした態度で北朝鮮に臨んで欲しいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)

2006年01月21日

よど号犯人と拉致問題 東京集会(1)06.1.19 友愛会館にて (有本明弘さん音声あり)

『有本明弘さんのお話』

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拉致家族の有本明弘です。
こんばんは。(拍手)
ありがとうございます。

拉致の問題・よど号の問題と言う話ですけど、私たちは死んだと言われた家族ばかりが今集まって運動しているんです。
だからどんな証拠を出てきても、どうしようもないんです、これ。
死んだと言われているんやから、これ生き返らすのが先決問題であって、生き返った時点で返せと。
どうか政府が厳しく迫って、向こうが「これはたまらんな」という状況を日本の国が力でこさえて、それで向こうは「いや〜あないに言ったけど実は生きてました」と、それしか帰ってくる道がないんです。

そういう意味を込めて、1988年(北朝鮮からの)手紙が来てから、ず〜〜っと日本の国の北朝鮮に対してのやり方をず〜〜っと見て来まして。
最近になってアメリカが北朝鮮に厳しく迫るという状況が生まれて来て、やっとアメリカも偽ドルの件でマカオの銀行を差し押さえてしまったと。
こういう状況が生まれて来ました。
だから私はこれで北朝鮮もかなり厳しくなるやろうと、大変革起こるんと違うか?と、そういうふうに思ってるんです。

そういう中において、日本の国は制裁してくれと言うて私たちが、一回目の訪朝以降、そういう運動に切り替えて運動やって来まして。
やっと制裁を出来る法案が出来ましたが、政府はそれを施行すると言う気持ちも気迫も無い、と言う事も皆さんご存知の事と思います。
でも拘らず私たちは、制裁をせよと言い続けて運動をやっているんです。

で考えてみたら、空しい事をしているんじゃないか?と。
小泉さんがおる間は、制裁は絶対あの小泉さんは課さない。
それはなぜかと言いますと、5人の子供を連れて帰ってくるそのために、もう制裁はせないと金正日に会うなりそう言う事を口にしてしまって、それで子供を連れて帰ってきた。

これが現実であって、そういう現実・事情を知っている人は小泉さんの訪朝はするべきでないと。
5人の子供を取り返すだけならば、誰か代わりの人が行ったらいいんだと。
誰も行きひんやったら私が行きましょうと、(拉致議連の)平沼会長はそういうふうに仰ったんです。
それも声明文を出したんです。
これはそこまでの情報はみな平沢勝栄先生、秘密外交をした人から皆事情を聞いてるんですよ、これ。
大連から帰って来た。
他所へ寄らさんと直行させて議連で聞いてるんです。
そういう中において平沼先生がそういう声明文を出したんです。

だから小泉さんがおる間は制裁は日本の国は出来ないんです、これ。
だけど、私たちはそれしか運動、もうないんです。
私は小泉さん辞めというような運動、これ出来ないんです、日本の国の状況下で。
こういうような問題が一番大きな問題として今現在現実の問題として、これあるんです。
だから私たちはこの運動をしてるけれども、小泉さんが総理の座におる間はちょっと無理だなと。
ぜひ(次の)政権を担って頂く人にあの国に制裁を発動してもらうしかないかなと。
そんなような思いで運動をしているんです。
これが私の偽らない本音なんです。

そういう状況下において秘密外交をしはった山崎拓さん、福岡の方ですわ。
これが福岡市内でいろいろな事を喋ってるんです。
3回目の訪朝があるかもしれない。
それは5分5分だと、そういうような事を喋ってる。
これはすでに週刊誌がすっぱ抜いて書いておりますが、むこうの福岡の地方議連の先生方が、こっちの関西の方に情報を寄せてくれている。

2兆円以上の金を向こうに賠償として払う、そんな話も政府では出来上がっているんだと。
そんなことも喋ってるらしい。
マスコミはそこまでよう書かないけれど、そういう情報が私たちに入って来てるんですわ。
それと山崎さんの秘密外交をした、この方の言ってる事が、ひょっとしたらひょっとする可能性も無きにしもあらずなんです。
ああいう性格の人やから2回目の訪朝と同じように、何かのきっかけをこさえて、国内的にそういう世論が声が上がった場合、すぐそういうような行動に移す可能性も考えておかねばならない。

そういうような情報はメディアの関係の人たち、その中の一人が私のところへ来て、そういう裏の話もしてくれました。
経済制裁せよと言ってる人たち今まで、そういう人たちももう経済制裁をすべきだと言うのも、私らみたいに少数派の意見になってしまったと。
そういうような情報も入れてきて、非常にこの山崎拓さんの言ってる言葉に関して、ちょっと危険性があるんじゃないかと言う事を仰って。
北朝鮮にしっかりした態度を示している先生方にお話してこの3回目の訪朝は絶対に中止、止めねばならないというような事も仰って帰りました。
そういう結果において、そういう情報を持って、警察とこ行ってお願いをしてきました。

これはこの間藤沢へ行った時も荒木さんもそういう事を仰ってた。
3回目の訪朝という事に関して危険性があると。
そういう中で警察が辛光洙の問題を出してきたと。
これも荒木さんは心配をしておった。
警察も一緒になって小泉さんの訪朝に手を貸すんじゃないか?というような荒木さんは物の言い方をしましたが、私はずっと以前からそういう情報を持って止めてもらいたいと言う話を、出るところに持って行っておりますので。
政府が強硬にやってくれるという事に関しては、これは今外務省サイドで交渉しているから、外務省はそういう事も北朝鮮に言わなければならない。
であるならばこの3度目の小泉さんの訪朝はちょっとやり辛いんじゃないかと、今現在は私はそういうふうに思っているんです。

この辺でもう時間が無いと言うので、話は終わります。(拍手)

2005年12月31日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(14)05.11.23 友愛会館にて

『横田滋 家族会代表の挨拶』

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今の増元さんや西岡さんの話にありましたように、各国で新しい拉致が続々と見つかっています。
先日の産経新聞では11カ国の人が拉致されていると出ていましたんですが、それぞれの国が連携して拉致家族も連携して国際的な包囲網を敷くことによって、是非一日も早く解決して欲しいと思っています。

それからまぁ個人的なことですが、18日から今日まで有楽町のマリオンでめぐみの写真展をやっておりまして、昨日で5日間で1万6千人、今日は祭日ですからおそらく4千人を越えて2万人くらいの方がいらっしゃったと思います。
大勢の方がこの作品を見て拉致問題について改めて考えるきっかけになったと、出口のところで皆さん仰ってくださいました。
ですからこれも何らかの形でプラスになって欲しいと願っておりますし、ご参加された方々にはここで改めて御礼申し上げます。(拍手)

・・・集会終了・・・

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(13)05.11.23 友愛会館にて

『西岡力 副会長のお話』 

最後に、あと10分くらいしかないのでまとめの話をさせていただきたいのですけども。
つまり拉致問題が国際化してきた、言う事ですね。
今タイの問題が出てきましたけど、実は今度は増元さんマカオの話をされたんですが、これは78年の7月2日にアノチャさんが拉致されてるんですね。

でジェンキンスさんの本によると、アノチャさんは、同じ船に二人のアジア人女性が乗っていたのを見たと言っていたと書いています。
そのアジア人女性が誰なのかがわかったんです。
当時のマカオでは、おかしな行方不明事件、人身売買事件じゃないかとして報道もされていたし、捜査もされていたんですね。
宝石点の店員の孔さん(ホンさん、前述)という方と、ホテルのナイトクラブで働いていた蘇妙珍(ソウ・ミウザン)さんという女性二人が、同じ日にいなくなってる。

日本人を名乗る人間が、フクダと名乗る人間が現れて、案内してくれとか言って連れ出した後いなくなった、いうことなんです。そうしましたら、実は韓国から拉致されて自力で脱出した韓国の映画俳優と映画監督がいる。
1978年に拉致されて、86年にオーストリアに逃げた崔銀姫(チェ・ウニ)さんと申相玉(シン・サンオク)さんが本を書いている。

「闇からの谺」(上下巻、文春文庫)という本ですが、その中で崔銀姫さんという映画俳優が、隣にマカオ人が住んでいたと書いていた。
そのマカオ人と親しく話していたと、行ったり来たりしていたと。
名前はホンさんと言う。
宝石店に勤めていたという。
ピッタリ一致した。

そのことが話題になる中、今度は香港の「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」が、13日に記事を書いてるんですね。
マカオでも拉致があったと。
そして、その孔さんの弟さんが出てきた、という記事ですね。
ここにアノチャさんの写真まで出てて。
香港の新聞なんですけども。
同じ日に3人、タイ人一人とマカオ人二人を拉致していたのはほぼ間違いが無い。

そしてこれは少し面白くてですね。
今マカオは中国に返還されているんです。
マカオ人と言うのは中国国民なんです。
中国政府は今、北朝鮮の国連総会の人権決議に反対したんです。
自国民が拉致されているのに反対していいんですか?と。
マカオの人たち、あるいは香港の新聞がこれからどんどん書くでしょう。

つまり、北朝鮮は友好国からも拉致するんですよ。
タイでの拉致は、タイは国交正常化30周年って言いましたよね?
75年に国交正常化して、78年に拉致したんです。
国交(正常化)したあと拉致したんです。
そしてその後食糧支援を要請して米を貰ったりしてるんです。

今テレビなどでですね。
国交正常化した後拉致被害者を探せば良いじゃないかと言ってる人がいますけども、国交正常化したら拉致が起きたんです。
絶対に許さないと言う姿勢でこの問題解決しなけれが駄目なんですよ。
実例が示している。

そして崔銀姫さんの本をもう一度点検して見ますと、ヨルダン人の女性と会ったと言っている。
それからフランス人の女性が拉致されていると聞いたと言ってるんです。
レバノンの新聞、1979年の11月9日の新聞によりますと、レバノン人が拉致されて4人の女性が取り戻されてひとり(北へ)帰りましたよね?
その話は前にここで取り上げた事がありますけども、その帰った人たちが拉致被害者を見ているとレバノンの新聞が書いてるんですね。
それによると、28人。
3人のフランスの女性、2人のドイツの女性、3人のイタリア人の女性が含まれていて、一緒に訓練を受けたと。
というふうに証言しているとレバノンの新聞が書いている。

もう一回言いますとフランス人が3人、ドイツ人が、みんな女性ですね。
女性が一緒に女性同士訓練を受けた可能性があるんですけども、フランス人女性が3人、ドイツ人の女性が2人、3人のイタリア人の女性を含む28人。
で、イタリア人と言うのは、イタリアから拉致された(ルーマニア人の)ドナさんがイタリア人と思われていたかもしれませんね。
ルーマニア人ですけどもイタリアから拉致された。
病気で亡くなってしまった、と曽我さんが言っていますけども。

ドイツ人に関しては、アノチャさんが89年に、アノチャさんの夫は早く病死してしまうんですね。
一人も子供がいないんですけども、89年にドイツ人と再婚すると言って曽我さんたちのアパートからいなくなるんです。
誰と?
ドイツ人の拉致被害者がいた可能性が出てきます。
このレバノン人達の証言、イタリア、ドイツと言うのは他の情報もあるわけですね。
もちろん女性と男性と言う違いはありますけども、ですからもっと詳しく聞かなければならない。

いうことで、北朝鮮は日本に対してですね。
あるいは韓国に対して、韓国は同族じゃないかと韓国は拉致に対して言うわけですね。
同じ民族だと。
北朝鮮の方が暮らしが良いんだから拉致された方が幸せだったんだと、そういう事を言うわけです。
韓国の政府も国民も同族じゃないかという認識はあるわけです。
日本については、日本は戦前もっと酷い事をしたじゃないかと。
800万人強制連行して20万人性奴隷にしたと、言ってるんですよね?

そういう事を言って、国連の人権決議に反対したわけですけども、中国人も拉致しています。
タイ人も拉致しています。
ル−マニア人もフランス人ドイツ人イタリア人も拉致しています。
レバノン人も拉致しています。
この事実をどんどん確定して国際社会に訴えていけば、拉致問題は日本対北朝鮮、北朝鮮対韓国だけの問題ではないと。
国際社会対北朝鮮の問題だと。
国際社会をまたに駆けて凄まじい人権侵害を北朝鮮は70年代の後半に集中的に行ったんだと。
言う事が今明らかになりつつある、言う事なんですね。

アメリカは北朝鮮の人権問題を北朝鮮に強く今言い始めている。
人権特使を作ったんです。
国連も人権報告官を作ってるわけなんです。
日本政府も早く拉致問題を含む人権特使を作って欲しい。
参与をやっていた人で女性で、大変適当な人がいるじゃないですか?(小さな笑い声)
そういう人も居るわけですからぜひして欲しいんですが。
そういう中で国際的なネットワークの中で、だんだん悪事がばれてきた、いうことなんです。

じゃあそれを、実はマカオに出稼ぎに行っていたタイの農村の女性がいなくなる、なんてのは良くあることだと。
北朝鮮は思ってたわけです。
良くある事で絶対にばれないと、ばれなかったんです。
韓国で83000人を拉致して名簿まで作ったけれども、そして国際社会に訴えて国連にも訴えたけども、国際社会は制裁も何もしなくて誰も帰ってこなかったと。
大丈夫だったと。
拉致をした方が得だったと。
で次に漁民も拉致したわけです。
500人くらい拉致したんです。
でも大丈夫だった。
問題にならなかった。

そしてそういう状況の中で76年に金正日が後継者になって工作機関に入って拉致命令を出すんです。
工作員の現地人化をするために、現地人の教師を連れて来いと。
そしたらば77年78年は全世界的に集中的に拉致が起きたと。
日本でも日本政府の認定の16人の内、12人が77年78年なんですね。
アノチャさんも78年なんです。
マカオ人の二人も78年ですよね。
さっき言った崔銀姫さんも78年です。
レバノン人も78年です。
フランス人やドイツ人も一緒に訓練受けてたって言うんですから、78年の頃でしょう。

そして作られた、現地人化された工作員ってのに金賢姫がいるんですね。
金賢姫は80年に当時外国語大学の日本語学科の学生だったのが、召喚されて当時工作員になるわけです。
同期生が8人いたんです。
拉致された日本人が8人、1対1で教育が出来るように準備が整った後、学生を募集するんですよ。
金正日の命令で教員を拉致して、それに朝鮮語を教えさせて教師が確保されたから、80年に学生を募集が始まった。
曽我さんはその中で教師じゃなくて奥さんになったわけですね。
そうだとすればタイ人化の過程もあったんじゃないか?

実際韓国でですね。
マレーシア人に偽装した工作員と、フィリピン人に偽装した工作員が捕まったり殺されたりしてるんですね。
韓国当局によって。
まず80年代にフィリピンのパスポートを持って韓国に入って、「私はアラブ系フィリピン人だ」と言ってですね。
「アラビアの専門家だ」といって韓国の大学の助教授をやっていた。
ムハマド・カンスさんと。
ひげを生やしてテレビにも良く出ていた。
アラビア問題専門家で、その人が実はアラビア人ではなくて北朝鮮人だった。
じゃあ、彼はアラビア語を誰から習ったのか?

そしてもう一人、今度は99年に日本にも工作船が入ってきて、日本の海上自衛隊が沈没(正確には、撃沈したのは01年の不審船で、99年は追跡のみ)させましたけど、韓国の海軍も見つけて沈没させたんです。
引き上げてみたらば死体が入っていた。
その人がマレーシア人として韓国に外国人登録をしている人だった。
マレーシア料理店をやっていた。
北朝鮮のスパイだった。
じゃあマレーシア人化教育もあったんじゃないか?

安明進さんなどは、中国系の人も見たし、アラブ系の人も見たし、ヨーロッパ人も見たと言ってるわけですね。
今レバノン人とこの人の話をも合うわけです。
工作員学校の教師としてこれだけの人間が連れてこられたと。
完全犯罪に近かったわけです。
分からなかった。
だからどんどんどんどん拉致して、工作員を日本人化してそして大韓機爆破事件まで出来たわけですね。
115人を日本のせいにして殺す事も出来たんです。
そこまでは彼らの思う壺ですね。
拉致をして工作員教育をして現地人化してテロまで出来たんですね。

しかし金賢姫は生き残ったんです。
あの時金賢姫は毒薬を持たされていたわけです。
で、家族が北朝鮮にいるわけですね。
捕まったら毒薬を飲めと言われて、彼女は毒薬を飲んだんです。
青酸カリを飲んだわけですけども、3日間昏睡状態だったけども生き返ったんです。
そして韓国へ来て、韓国人を殺す目的は韓国は北朝鮮より貧しいから、韓国で革命を起さなくちゃいけないと思って115人殺したんだけど、韓国の方が豊かだった。
それを見て金賢姫は大変動揺する。
人間の心の中にある良心があってですね。
それが自分は罪の無い人を殺してしまった、と思うようになるわけです。
だけど北朝鮮はもう一つ安全装置を付けてる訳です。
それは家族が北朝鮮にいると、裏切ったらば家族が政治犯主要所に送られると、いう事なんですね。

金賢姫はあのまま行ったら辛光洙になれたんです。
自分で脱北したんじゃないんですから。
捕まって刑務所に入っていたらば2000年に(北朝鮮に)帰れたわけです。
英雄になって、家族も英雄だったんです。
しかし家族の事を思うと喋ったら危ないと思う。
しかし自分が115人殺したのは罪だと思う。
大変悩むわけですよね。

そこで私が前、徳間(書店)から出した「拉致の真実」と言う本にもその事を引用しましたが、その金賢姫の本にも書いてあるんですが。
金賢姫は自分のお母さんの事を思い出して、私のお母さんは砂漠でコップ一杯の水があったらば私に譲ってくれる人だ、と。
それくらい私を愛してくれたと。
そのお母さんが、今自分が罪の無い115人を北朝鮮の命令を受けたからとしても殺してしまったと。
謝りたいと。
しかし謝ったらお母さんたちは収容所に入れられてしまうと。
お母さんが、眠れなくて自分の中で自問自答して、うちのお母さんだったら、私たちがどうなってもあなたが正しいと思う道を行きなさいと言ってくれるお母さんだと。
いうふうに彼女は結論づけてその後自白を始めるわけですね。
つまり共産主義の社会の中でも母親が一生懸命愛情をかけて自分の娘を育てたと。
その愛情が完全犯罪を打ち破ったんです。

アノチャさんもそうなんですね。
お父さんが忘れてなかった。
28年間、アノチャ、アノチャと言い続けたお父さんがいるから、近所の人がテレビで放映されたので「お前の家かもしれない」と教えてくれたんですよ。
そうじゃなければ一回放映されて終わりですよね?

家族会の今までの歩みもそうなんですね。
忘れてなかった。
20年経って、もう忘れてなくて、それどころか悲しくてたまらなくて、何が出来るか?とずっと思っていたから家族会に集まって訴えをはじめたわけです。
彼らの緻密に計算された完全犯罪を打ち破ったのは家族の愛なんです。

朝鮮戦争の李美一さんのお母さんは、実は1950年代最初に家族会を作ったんですよね。
髪の毛をずっと伸ばしていてですね。
夫が帰ってきたら髪の毛を見せて、この長さなんだと。
あまりにも長くなって、今でも待ってるんです。
つまり北朝鮮とすれば戦争中のこと、50年前のことだから忘れてるだろうと思ったのに、未だに覚えていて今年の6月に北朝鮮の、あ、8月ですね。
北朝鮮の代表団が来た時にデモをしたんですよね。
北から見れば50年前の何の事だ?と。
でも家族は家族を覚えていて探していると。
そしたら少しずつ、つまり名簿が出てくるんですね。

家族への愛情が事実を明らかにしてここまで来たと。
完全犯罪を打ち破りつつあると。
世界中を対象にして拉致をしてテロをやって、そして北朝鮮の人民を苦しめている金正日政権は今追い詰められつつあると。
言う事を報告できるんじゃないかと思います。
以上です。(拍手)

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このエントリーのテキスト化には一部原良一氏のご助力を頂きました。

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05.1.2 本文の一部を訂正しました。

2005年12月26日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(12)05.11.23 友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話』

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 先程、西岡さんがおっしゃったように、できるだけ大阪の集会に西岡さんと一緒に行かなきゃならないねって、来週くらいですかと話しをしてたら、ぜひ4日後には出るというようなことになりまして、ほんとにありがとうございます。

 で、今先程も言いましたように、最初に私たちが向こうの現地の日本人記者に聞いたら、どうもお兄さんは北朝鮮に感謝しているようだというふうに言ってる。なぜかというと、アノーチャさんというのは、義務教育で小学校4年生くらいの教育しか受けていなくて、学歴もないそういった女性が、北朝鮮でいいくらしをしているのだと、そういう情報が入ってきたので、拉致ということもまったくわからない。拉致があるなんてこともわからないし、北朝鮮がどういう国かも全然わからない。

 それでいきなり27年後くらいに、突然いなくなった妹の話が、北朝鮮でいいくらしをしてるよということが入って、最初感謝している。そんな状況ですよ、ということだったので、これはとても、感謝されては私困りますもんで(苦笑)、だから二人してお話ししたんです。で、ようやく最終的には、「取り戻したい」という言葉をおっしゃったんで、ある程度の理解をされておられるとは思います。

 私の会、救う会の方でも、役員会も何もしないで二人で行って、そして招聘したんですけれども、会の承認も得ないで単独で招聘したんですけど、それは事後報告になってしまいました。

 私たちが向こうに行ったのは、お兄さんが本物だろうかということ。報道では、兄だ、甥だと出ているんですけども、本当にアノチャさんの肉親であるかどうかを確認しなければならないし、確認ができたら、やはり各国の被害者家族の皆さんと連携してやってる、国際的な問題であるということを訴えられたらいい機会であるし、ぜひ日本に来ていただいた方がいいのかな、と。

 そして曽我さんも、アノチャさんのお兄さんとお会いして、話しをしたい意向もありまして、それでとりあえず行きました。

 最初は、本当に田舎の農民です。田舎というと田舎に失礼ですが、非常に先程言ったようにバンコクに行ったことも、飛行機にも乗ったこともない。昔から、英字新聞もそうですけど、向こうの新聞を見てなくて、ほとんど喋らないわけです。その代わり郡長さんというのがいる。郡長さんというのは、市長さんと同じレベルだと思うんですが、その彼が一生懸命説明されるわけです。その側でお兄さんが黙って、(ネーション紙の写真を示しながら)この顔で睨んでるんです。

 でどうやって、とっつきにくい感じを受けましたので、どうやって聞き出せばいいのかなという思いで、常にお兄さんに話しかけていました。事前に先程言ったように北朝鮮に感謝しているようなそぶりなので、絶対にそれだけは少なくとも堰き止めようと、記者会見で北朝鮮に感謝しているなんて言われたらとんでもない。それだけは避けよう。

 それで一番良かったのは、北朝鮮の拉致という、日本人拉致、韓国人拉致、これが北朝鮮の拉致であることが、タイの国民の皆さんにもある程度認知されたということじゃないでしょうか。まあ二人して、今が旬だからということで、ネーションで取り上げて、タイの方で随分とアノチャさんアブダクション(拉致)というタイトルでクローズアップされてる。

 そこに私たちが行くことによって、さらにまたタイの上等のニュースになる。とするとタイの人たちにも、北朝鮮による拉致というものが認識されるだろうという思いがあったんですが。先程言ったように、タイの地元の扱いというのは、新聞それからテレビによって報道してくれたので、ある程度の北朝鮮の問題も認識されていると思います。

 タイの人たちっていうのは、とても今日あったことは明日忘れるという、それくらいあまり囚われないという「マイペンライ(タイ語で「だいじょうぶ」「気にしない」「問題ない」という意味の言葉)」という有名な言葉もありますけど、囚われない国民ですから、ネーションの担当者は、タイの国民がこれを忘れないように、何か常に取り上げていかなければならないとおっしゃっていました。

 タイ政府の方たちにも、タイ政府としては、今年は北朝鮮と国交を結んで30周年になるので、いい関係にあったという認識があるので、これからもそれを壊したくないという思いがあるんですね。ただもし国民が拉致されているのであれば、何とかしなければならないと外交官の方がおっしゃってました。どういうアプローチをするにしろ、北に対する圧力にはなっていくんではないか、と思います。

 北朝鮮は、ただ単にいるかどうかちょっと聞いてみたという程度の北朝鮮の臨時大使を呼び出した。タイ外務省が呼び出して、ちょっと聞いてみた。そしたらすぐ正式な文書で「(アノチャさんは)いない」と言ってきたくらいでして、タイ人拉致に関しても、北朝鮮としても非常に神経をピリピリさせているようであるんです。

 タイ政府は、我々も行ってまず間違いないということを話しましたんで、アノチャさんは拉致疑惑ではなくて、日本の報道では拉致疑惑と言ってましたが、完全な拉致である。証言者がいるんですから、こちらに。それをはっきりと認識すれば、これから展開する追及も当然強くなっていくと思います。

 で、マカオ(で拉致された)の三人の(拉致被害者の一人)孔さん(孔令●と書いてホン・レンイン女史、日本語読みで「こうれいおう」、●=讐の隹の部分が貝。どの文字コードにもありません)という方の弟さんが名乗り出られたので、調査でまたマカオに行かなきゃならないのかな(西岡氏と苦笑)と言っております。

 またできれば、12月22日の国民大集会に招聘していきたいと考えております。マカオ、タイ、第一回集会以来、当然韓国の皆さんも来ていただきますし、さらにもう一人機会がある可能性がある。とにかく世界中で拉致されている被害者の家族が集まって、様々な行動をできるような状況になるという可能性が高いということを認識しています。

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このエントリーのテキストは原良一氏の手によるものです。

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(11)05.11.23 友愛会館にて

第3部 タイ訪問報告

『西岡力 副会長のお話』


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 え〜、座ったままでいいですか? 11月9日から11日までタイに行ってきたんですが…、多分ご承知の人も多いと思うんですけど、ジェンキンスさんが本を書く前に、我々は、5月に増元さんと二人で佐渡に行きまして、曽我さんからタイ人の拉致被害者がいるっていう話しは聞いていました。

 曽我さんと話しをして、国際社会に日本人拉致救出をお願いすると。国連の人権委員会の作業部会にお願いをすると。そういう中で、日本人以外の拉致被害者の状況がわかった場合は、まずその家族に何とか伝えなきゃならない。その国の政府に伝えなきゃならないということで、曽我さんもその通りだということだったので、調整室(内閣府直属拉致問題連絡・調整室)を通じて、外務省からタイ政府に連絡をしてもらいました。

 今回、タイに行きまして、6月に最初にアノチャさんというタイ人女性が拉致されているということを、日本側から通報を受けていたということを、聞きました。ただアノチャさんという名前は、一般的な女性の名前なんです。ヨシコとかヒロコとか・・・。70年代の後半にいなくなったヨシコを探せといっても、日本でも難しいでしょう、タイの政府にしても、やはりね。それでなかなか特定できなかったということです。

 まあマカオの新聞を繰って行けば、アノチャさんが、78年の7月2日に失踪しているという記事が出ていたので、もう少しやってくれればなあ、という気がしないでもなかったんですが、とにかくわからなかった、と。
 そして10月にジェンキンスさんの本が出て、そこにタイ人が拉致されたと書いてある。11月の1日に、タイの新聞の「ネーション」という英語の新聞があるんですが、それがですね、この記事を出すんですね(記事のコピーを示す)。

 タイ人が拉致されていると、ジェンキンス氏の本に書いてある。それがこの女性だと言って(写真に)丸を付けている。この写真は、CBSというアメリカのテレビ局が、曽我さんというよりジェンキンスさんの番組を1時間枠で作った時に、曽我さん、ジェンキンスさんより提供を受けていて、CBSのホームページに掲載されている。それをCBSから撮ったとして、その映像を載せてアノチャさんという名前と、ジェンキンスさんの本を載せて、日本語の部分もこうやって写真に載せて報道したわけです。

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 ただ、英語の新聞は、それほど読まれていないわけです。これだけだったらわからなかったんですが、この新聞を元にしてタイのテレビが、アノチャという女性が拉致されていると報道したわけです。それが11月1日なんです。我々が行った時は、あの家テレビなかったんだよね(隣の増元氏に確認)、見れなかったよね。あのお兄さん家、テレビなかったんですよ。田舎の高床式の農村だったんですよ。だからテレビもだけど、英語の新聞なんか絶対読んでない、断言してもいいけど。

 ただしですね、お父さんが3ヶ月前までご存命で、90歳過ぎてるんですけど、アノチャさんのこと忘れてなくて、「アノチャ、アノチャ」とずっと探してたと・・・。病床でも写真を大きく飾って、帰りを待ってたと。だから近所の人たちが、あの家にはアノチャという娘がいるんだ、お父さんが探してたというのを知ってた。いなくなって27年経ってたんですね。

 だから、それで忘れていたらば、誰か近所の人がテレビ見てて、「アノチャという名前だから、あの家じゃないか?」と言ってくれたんです。それでこの写真を見て、ああ似てるということで、テレビ局にお兄さんが一人いらっしゃってて電話をした。それが11月2日ですね。

 11月の3日にタイの総理大臣(タクシン首相)が、記者会見の時にそのことで質問されて、「これが真実だったら、北朝鮮に帰還を要求する」と言ったんですね。まあ真実だったらていうのが付いてますけども、総理大臣が言及したんです。

 そして4日には、タイの外務省の担当官が家族の家に行き、そのままそのお兄さんをバンコクに連れてきて、外務大臣が面会したんです。報道から、外務大臣の面会まで5日しか経っていないんですね。我々家族会作ったのに(笑)結構(増元氏苦笑しながら「半年くらい」)半年位かかったんですよ。

 ただそれは、日本で拉致があることが明らかになった後だからっていうことも、もちろんあると思いますけれど、タイ政府はタイヘン積極的です。そして8日の日には、タイと北朝鮮は国交があるんです、大使館がある。大使館の大使を呼んだら、大使がいなくて臨時大使が来て、臨時大使を外務省に呼んで情報を突きつけて、どうなってんだ? と聞いたらば、タイ人女性が北朝鮮に行った証拠は一切ありません、と。調べてもいない内から(失笑)、政府の前で言ったんです。タイ政府は、それでも継続して調査してほしいと言った。

 そしてタイのマスコミは、このように連日のように報道をしまして、そしてお兄さんがバンコクに来た時、(写真を示しながら)これがお兄さんで、その息子さんで、これがアノチャさんの写真なんですね、失踪前の…。そして日本のマスコミが、これを大きく報道したんです。日本のマスコミが、この写真をバンコク発でテレビで報道して、佐渡で曽我さんが、そのテレビを見ている。で、この写真を見て最初に思ったのが「懐かしい」。

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 アノチャさんが拉致されたのは、78年なんですけども、曽我さんがアノチャさんに会うのは80年です。だからこの(写真の)姿と似てる時に会ってるわけですね。10年間一緒に暮らしてる。だからよく知ってるわけだ。米軍の脱走兵士が4人いまして、ジェンキンスさんと曽我さん、それから後一人とアノチャさん、もう一人とルーマニア人でイタリアから拉致されたドナさん、それからもう一人がレバノンから拉致されたシハームさん、4人が2階建てのアパートで、1階に2世帯、2階に2世帯一緒に住んでた。よく知っているわけです。

 それで忘れないと思って、曽我さんに電話もして、この写真のあるのを聞いてお兄さんが日本に来たら是非お会いしたい、タイ政府の情報収集にも協力したいというお話しもして、とにかく行こう、と。日曜日に決めて、水曜日に出発したんですね。相当無理なスケジュールだったんですけども・・・。調整室と、外務省とそれから…、在バンコク日本大使館と、在チェンマイ外国総領事館と様々なマスコミ関係者が、いろんな方に無理を言ってとにかく(タイに)行ってしまったんですね。

 でまあ、お兄さんにお会いすることはできました。10日の日の午前中、1時間半お話しをしまして、その時我々がジェンキンスさんの本に書いてない、従ってお兄さんが知らないであろう情報を一つ持ってたんですね。

 それは二つあって、曽我さんがこの写真は懐かしいと言っていた。それからもう一つは、家族構成について曽我さんは、アノチャさんはお母さんは既に亡くなっていると、確か直接聞いている、失踪前から。お父さんがかなり歳が離れている。お兄さんが一人いる。というふうに私たちは聞いていた、5月の段階では。

 で、行ってみたらばことそのとおりだった。ジェンキンスさんの本に書いてないとおりのことでありますから間違いないと。お兄さんから最終的に「ホントですかねぇ?」という話しになったんですけど「間違いないと思いますよ。いろいろな情報を総合したら」後は「生きてますかねぇ?」ということと「どんな暮らししてますかねぇ?」そして「どうしたら取り戻せますかねえ」具体的なんですね、家族の考えることは。生きてますかねえて言った時に増元さんが答えたのは、増元さんお願いできますか?

★増元氏 
 アノチャさんというのは、向こうの満年齢で50、数えで50歳らしい(後の発表では1954年7月12日生まれの満51歳)です。年齢を聞いて私の姉も52になる。必ず52歳とまだ若いし、まだ死ぬような年齢ではないから必ず生きていると思うし、そう信じて私は救出運動をやっているから、ぜひお兄さんも生存を信じてこれからも一緒にやっていきたいと申し上げました。

★西岡氏
 そしたら「生きているんだったら、どんな暮らししてるんですか?」って言うんですよ。私は「精神的には大変辛いと。監視の対象だけれども、物質的には工作機関の中だから比較的生活水準は上だろう」って言ったんですけれども、そうしたら増元さんが

★増元氏
 あのジェンキンスさんが「告白」の中で書いてますけれども、暖房さえ充分手に入らない。自分、私たちは、もう少しいい暮らしをしてるのかなと思ったんですけど、あの本に書かれている暮らしを見れば、私たちは驚きました。ですから西岡さんは精神的に部分もおっしゃって、でも物質的には多少いいだろうと。北朝鮮の経済状況が酷すぎるので、一般の人たちよりは多少いい暮らしになってると、それはもう世界レベルの中では低い生活の状況だと、早く助けなければならないと、(いうことを伝えました)。

★西岡氏
 そして最後に「どうやったら取り戻せますかねえ?」という話しになったので、私は「北朝鮮は、アノチャさんは今いない」と言っている。それは(日本人拉致被害者の)家族会が作られた97年と同じだ。そのあと北朝鮮に拉致されたのは間違いないといって具体的な事実を示して、日本国内で、そして海外で、国際社会に訴え続けたと。その結果、北朝鮮が5年後に(拉致被害者が)北朝鮮にいると認めた。

 だからまずは、北朝鮮にいることを認めさせることが第一歩です。そのためには、家族会がやったようにタイの国民、タイ政府に対して、世界に対して訴えるということが大切です。ぜひ日本に来てくれないか。曽我さんと直接会って、お兄さんが覚えていらっしゃるアノチャさんの特徴と、曽我さん10年間一緒にくらしたアノチャさんの特徴が合致すれば、合致するほどホントに間違いないんだということを、タイ国民にも、日本国民にも、世界中にアピールできる。

 曽我さんに電話したところ、お兄さんが来てくだされば、ぜひ会いたいと言ってるんだ。そして曽我さんは、アノチャさんの印象について、大変優しい人だった。ウチの二人の娘を大変かわいがってくれたと、気配りのできる人だったと。私にとってお姉さんのような人だった、と言っていたということを訴えました。

 我々が会ったのは10日ですから、1日に新聞報道が出て、10日後には日本から変な人たちが来て(苦笑)、もうカメラが、日本のカメラがテレビ局、タイのテレビ局、イギリスのBBCとかがわーっと来ていて、記者が40人くらいで警察が交通整理をやってるんです。

(アノチャさんの兄の)家は、チェンマイから車で40分くらいで、鶏が放し飼いされてたりして、ほんとに農家なんですよね。それで高床式の家なんですよ。事前に打ち合わせして、カメラが全部入ったら床が抜けるからどうしましょうか?(笑)って、テレビ局のスタッフの人たちが言ってるんです。事前に行ったことがあるから。

 それで、下で会うところだけ頭撮りしてもらって、上に上がったところからはカメラなしにしましょうと言ったので、だんだん、だんだん(話しが途切れる)

 飛行機に乗るのも、バンコクに行くのも初めての人で、日本に来てくれと言われても即答はできませんておっしゃったんです。ところがその後記者会見をしたんです。これが「ネーション」という新聞で、記者会見をしている場面(「Japanese visitors Conform abduction(日本人訪問者と拉致が一致)」の見出しの写真を示しながら)がですね、タイの新聞に出たんですね。

 増元さんがまず報告をして、その後お兄さんがタイ語で喋ってるので、我々は何を喋ってるのかわからなかったのですが、総領事館から来てくださったタイ語の専門家の方が、後で教えてくださったんですが「(日本に)行かねばなるまい」と言っていた、と(苦笑)。

 ということで、(日本に)来てくださるということになりました。だいたいそんな感じで、あと増元さんの方から何か・・・。

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このエントリーのテキストは原良一氏の手によるものです。

2005年12月19日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(10)05.11.23 友愛会館にて

『島田洋一 副会長のお話』

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私の方からは具体的な点についていくつか補足をしたいんですが、今増元さん、それから横田さんの話にもありましたように、我々面会したのはホワイトハウス国家安全保障会議のアジア上級部長である、マイケル・グリーン氏。
彼がですね。
別れ際に、日本は北に対する締め付けと言う点では良くやってるんではないですか?と、言いましたけれども。
それは一つに相対的に韓国とかですね、が酷過ぎると。
それに比べればですね、良くやっていると見えるでしょうし。
かつ、大使館の方も同行してましたんで、日本政府の方がおられましたんで日本政府の方がおられる前でですね。
日本はまだまだと言うわけにも行かない、いう点もあったと思いますが。
ただ法律で出来る範囲であってもですね。
日本政府も経済産業省による取締りとか、やってることは事実だと思います。

ただですね。
金融制裁が効くと言う話も出てましたけども、実はそのアメリカの金融制裁に関係する、北に関する銀行に対する金融制裁のオペレーションのまとめ役をやってる人間と実は会うことがありまして、彼が言うにはですね。
日本の経産省等が北に対して取引をしている企業を取り締まり締め付けていると言うのは良いんだけれども、ただ日本はですね。
「傷つけ」はするけど「殺し」まではやってない。
いまや殺しきる段階までやるべき所まで来ている。
そういう発言をしておりました。
そういった発言を鑑みればですね。
まだまだ日本政府が現行法の枠内で、北と怪しい協力をしている企業を締め付けを出来る余地は相当残ってるんじゃないかな?と思います。

アメリカのブッシュ政権の対北朝鮮戦略、一体どう考えているんだ?と。
率直に皆さんに聞いたんですが、彼らの中心に位置する政府高官が大変率直に語ってくれまして、北朝鮮が交渉で核を放棄するはずが無い、と断言しました。
で、北が6者協議に出てきたり出て来なかったりは、あれは何をしているか?
要するに時間稼ぎをしている。
ブッシュ政権が終わるあと3年間、こういう感じで時間稼ぎをしながら、秘密核開発を続けると。
で、次にですね。
甘い政権が出てきてくれれば、まぁ要するにクリントン的なですね。
北側の核開発を事実上黙認して、経済支援。
で、日本に対してですね、正常化したら良いんじゃないか?と言うアドバイスをする。
そういう政権になるのを期待してですね。
時間稼ぎをしているんだと。

それに対しアメリカはどうするのか?ですけれども、要するに締め上げを強めていく。
言う事で、その政府高官もそうですし、また複数の方がモデルケースとしてあげたのが、マカオのバンコ・デルタ・アジアと言う銀行に対して9月15日付で、アメリカ財務相が制裁を発動しました。
でこの実は例の第4回6者会議で共同声明。
形だけのものですけど、あれが出たのが9月19日ですけれども、その直前の9月15日に制裁を発動しているんですね。
その理由はこのバンコ・デルタ・アジアと言う銀行は、北朝鮮の自ら手下となってウィりングホーンと言う表現を使ってますけど、ホーンと言うのが手下というんですが。
ウィリング(willing)と言うのが自ら進んで、北の手下となってマネーロンダリング、あるいは偽札の行使。
というのに協力をしている、べったりくっついている、と言うそういう理由でですね。

アメリカの愛国者法、パトリオットアクト(Patriot Act)の311条を発動して、これをですね。
今後もパトリオットアクト311条で全て行くんだと口にしている人が何人もいました。
後でもう一辺補足しますが、何で金融面で追求するのかと言うと、金融であればですね。
北朝鮮を痛めつけられるのと同時に中国に対しても圧力になる、言う事であります。
で、そういう意味でもバンコ・デルタ・アジアはモデルケースだというわけですが、若干説明するとですね。
これは9月15日にアメリカ財務省が制裁を発動する旨の布告をしました。
その直後にバンコ・デルタ・アジアの各支店は預金者の取り付けが遭ってですね。
一日で10%〜20%の預金が逃げたと。
バンコ・デルタ・アジアは慌てて、実は東京にも支店があるんですけども、北朝鮮との取引をとにかく一切中止するという宣言を即座にしました。
一時的にですね。
マカオの特別行政地区、マカオは中国の政権下ですけども、マカオ特別行政区に事実上下駄をちょっと預ける、運営をちょっと預けると言うですね。
大変劇的な状況になっている。

そして面白いのはですね。
これは実は9月15日にバンコ・デルタ・アジアを指定する前に、アメリカ財務省は意図的なリークをしてまして。
そのリークの中ではバンコ・デルタ・アジアだけじゃなくてバンク・オブ・チャイナ、中国銀行。
中国最大の銀行であります、バンク・オブ・チャイナも怪しいと。
で、これはあくまでリーク情報として。
ただごく最近もですね。
アメリカ財務省でこの問題を監督しているのが、スチュワート・レビーという不法行為担当の次官なんですけども、このレビー氏が、実はバンク・オブ・チャイナも制裁対象として検討されていると報じられているが実際どうなんだ?と聞かれてですね。
その点についてはイエスともノーとも言えないと、ような言う言い方をしておったと。
もしバンク・オブ・チャイナに取り付けなどと、アメリカ財務省制裁、で取り付け騒ぎなどと言うことがあればですね
これは中国経済に対し、大変なブレーキであるし。
アメリカにだって金を借りていますから簡単には出来ないと。
ただ要するに金融で制裁をチラつかせる事によって、中国に対してもですね。
北朝鮮がらみで怪しい取引を中国も銀行にやらせてたら、持たなくなりますよと言う圧力をかけてるわけですね、ハッキリ言って。

これは北にとっては大変痛い、と言うことは北朝鮮自身が自白をしておるんです。
つい先日11月9日〜11月11日まで開かれた第4回6者協議、北の代表金桂寛(キム・ケグァン)が議場の中でもあるいは外の記者会見でも一貫して繰り返し言ってたのが、バンコ・デルタ・アジアに対するアメリカの制裁はけしからん。
ああいう事をアメリカがやるんだったら今後6者協議には出る事は出来ない、と言っとるわけですね。
いかに北にとって痛かったか?いう証拠だと思うんですが。
日本に関して言えば、よく日本でですね。
制裁をやるとそれを口実に6者協議に出ないなんて事を言い兼ねないから制裁すべきでないとか言う人がいますが、アメリカは現にですね。
それやったら協議に出ませんよと(北が)言ってる制裁をやった。
だから日本だって気にする必要は無いと、言う事であります。

その制裁に絡んで国防総省のテクノロジー強化部長であるエドワード・ティパレッジというのがですね。
我々に対して盛んに、例の朝鮮総連の科協(在日本朝鮮人科学技術協会)ですね。
この間西新井の病院に警察が手入れをしましたけども、あれ狙いは藤田進さん拉致の方ではないかと言われてましたが、実は本当の狙いは科協、日本からいろんなテクノロジー情報を北に流した。
科協をどうもターゲットにしたらしいですけれど、アメリカがですね。
ミサイルなどのテクノロジーの強化を担当するディレクターですね。
次官補レベルの方ですけども科協問題に関して、今後も追いかけていくと言う事でした。

それでですね。
こういう事で要するに6者協議なんていうのは猿芝居なんだと言う、アメリカの政府高官はきちんと認識を持っていて。
北も猿芝居だと分かった上で出たり出なかったり、陰で核兵器の開発をする。
アメリカも猿芝居だと分かっているので影で北が何を言おうが、金融政策を中心に締め付けをやっていく。
パトリオットアクトこれを愛国者法311条はアメリカが制裁した場合、関係者国に協力を求めなければいけないという義務規定があるんですね。
だから間違いなく日本に対しても金融制裁で協力してくれという協力依頼が来ているという話、来ています。
更に自民党・政府でもこの金融面での北からの怪しい取引の取り締まり強化を言い出してますけど、間違いなく日米、アメリカからの連携と言う流れにあると思います。

あとですね。
ヘンリー・ハイド下院国際関係委員長の面談についてはすでにお二人が話されましたけれども、現在政権もそれから議会の方も強硬派が多い共和党が握っとるのというのは、まぁ我々にとっては有利な状況だと思うんですが。
ただアメリカの内部でもですね。
やはり日本同様色々せめぎ合いがあって北朝鮮のですね。
北朝鮮を普通の国としてイメージアップするのに協力する議員もいる。
それがまさにですね、先ほど話に出た丁度我々がヘンリー・ハイド委員長に会ってる同じ時間に同じビルの中で、北朝鮮国連代表部次席大使と言う肩書きを持つ工作員、ハン・ソンニョルがですね。
対話重視派議員、融和派議員と国務省の招待で短い講演をするということがありました。

その点に関してはですね。
エピソードをちょっとだけ紹介すれば、同じ日の午後一時半から脱北者で、対北向けラジオ放送をやろうとしているキム・ソンミンと言う人を議会に呼んで公聴会をやろうとしていたんですね。
強硬派の議員が呼んだんですが、そのキム・ソンミン氏とハン・ソンニョルがゴールドルームと言うわりと広い部屋なんですけど、鉢合わせしたと。
ワシントン・タイムスと言う新聞が詳しく書いているんですが、キム・ソンミン氏がですね。
そのハン・ソンニョルに向って「金正日追放こそが朝鮮半島の平和への道だ」と、そういうふうに話しかけたというか言葉を投げ掛けた。
それに対してハン・ソンニョルが「お前死にたいのか」と言ったって言うんですけども。
それを新聞が、ジョン・マッカーシーが、有名なコラムニストですけれどインサイド・デイトレイジ、デイトレイジというのは日本で言えば霞ヶ関・永田町に当たる言葉ですが、そのコラム、これかなり読者が多いコラムですが、その模様を取り上げたんですね。

実は先ほどから出ています、ヘンリー・ハイド委員長の北朝鮮に対する抗議書簡、これはですね。
拉致問題を解決しなければ、一つの話ですね。
仮に核問題に関してアメリカ政府が北へ経済支援をするとかテロ支援国リストから解除するとか国交を正常化するとか、政権が決めても議会が絶対に承知しない。
そういう内容がひとつ入っている。
もうひとつはですね、私の事務所のあるこの下院のビルの中で、そして我がアメリカ議会が証人としてわざわざ呼んだ人に対して「お前死にたいのか」ということを言うと。
何考えてるんだと言うですね。
ふざけるんじゃないとそういう内容もその書簡の中に入っているわけです。

ただ注意しなければいけないのはやはりアメリカ議会の中でもせめぎあいと言うのがあると言いましたけど実はワシントン・タイムスと言う新聞に載ったコラム。
これはスザンヌ・ショルティさんの言葉等も引用されているんですけども、そのショルティさんがですね。
北に対して厳しい立場を取ろうとする優れた議員がいる反面ですね。
北のイメージアップに手を貸そうとする、北の人権抑圧を覆い隠すような行為に手助けするような嘆かわしい議員もいると。
そういう事を書きまして、それに対してその嘆かわしい議員の一人であるカート・ウェルダン(共和党下院議員)って言う議員がですね。
スザンヌ・ショルティを嘘つきだと、言うような事を言い、またその記事を書いた記者なんかをですね。
あいつらパパラッチだと。

それに対してスザンヌ・ショルティさんの周辺が何を恥ずかしい、血迷った事を、議員ともあろう者が。
まぁ今でも論争が続いているんですけども、アメリカの中でもですね。
我々支援してくれる人たち、決してそういう意味では楽な戦いをしているわけではなくて、足を引っ張ろうとする勢力があるわけです。
やはりこちらからもですね。
例のタイの件、あるいはマカオの件、シンガポールの件等に関してですね。
どんどん拉致問題国際的に大きくし、その事によってこのアメリカで戦っている我々の同志に対して、こちらからも追い風を送って行く必要があるだろうと思います。

それでですね。
最近国務省のクリストファー・ヒル次官補もですね。
相当保守派からあんな情けない共同声明にサインして、その後立場がはっきりしなくて恥ずかしくないのか?とかなりボロクソに言われているみたいで、本人もかなり堪えてるみたいで。
実はブッシュ大統領がソウルにAPECに出席する為に数日前に行きましたけども、クリストファー・ヒルも同行しましてですね。
ヒル氏がソウルでインタビューって言うか学生を前に講演をしている中でですね。
ハッキリと意外に言ってるんですね。
核問題がどうなろうが、強制収容所を持っているような国とアメリカは正常化をしない。
いうことをクリストファー・ヒル氏が、国務省ですからどちらかと言うと人権問題について余りはっきりと言いたがらない体質があるんですけども、そのヒルがそういった発言をしたと言う事はいかに保守派からの圧力が窺がわれると言う事であると思います。

日本でも人権特使を作ってくれと話があるんですけども、それこそですね。
猪口邦子氏をですね、軍縮大使とかに任命したとかいう悪しき実例もあるんですが、(小さな笑い声)あんな程度の人でも大使にしとる訳ですから。
彼女まだ40代の終わりくらいの年齢でですね。
日本でもまぁ西岡さんあたりにですね。
人権特使に任命すべきなんです。(拍手)

それでですね、というわけでアメリカは要するに制裁を発動しているわけです。
従って日本もですね。
いくら我慢がよくたって、待ったを掛けられているということもないので、アメリカ政府の高官の話も紹介しましたけど、6者協議と言うのははっきりと猿芝居とアメリカも認識しているので、メジャー(なマスコミ)は6者協議の取材をする必要は無い。(笑い声)
私は思いますけども、私も6者協議のニュースは余り真剣に見てないですけども。
それよりもマカオに行って取材する。
拉致問題の現場でありますから、各メディアの高い取材スタッフはですね。
ぜひ6者協議の取材はもう止めた方がいいんじゃないでしょうか、と思います。
じゃあ、取り合えず・・・(拍手)

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05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(9)05.11.23 友愛会館にて

『横田拓也 家族会事務局次長のお話』

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横田拓也と申します。
よろしくお願いします。
今日はまず初めに、お休みにも拘らず皆様お越し頂きました事、御礼申し上げます。
それから先ほど増元照明事務局長からもお話がございましたように、今回の訪米に付きましてはですね。
内閣官房の調整室と在米の日本大使館の皆様方とそれからご紹介のあった、今日お見えになっています楠城氏他、現地のスタッフの方々の本当に絶大なるご協力があってですね。
大きな成果を獲得する事が出来ました事を重ねて御礼申し上げたいと思います。
私の方からは(訪米の)目的とですね、成果。
あと具体的なアウトプット、あと今後の課題という4つのお話を簡単に申し上げたいと思います。

目的につきましては、まぁこちらの本の中に書かれているのかも知れません。
今増元さんの方からお話があった通りではあるんですが、そのほかにも簡単にお話したいと思います。
私たちはたまたまこの拉致問題という事に関しまして、皆様方に常にお訴えをしているわけなんですが、この日本国内では拉致問題と並行的に6者協議、そして日朝対話と言うことが10月の下旬の中で開かれ展開していたわけでございます。
この政治的な流れ、もしくは二国間の流れにおいて、私たちもこの拉致問題がピンボケしてしまわないようにしなければいけないという事で、訪米を持ってこのニュースの価値をあげていく必要があっただろうということを考えると言うのが一点です。

後、先ほど増元さんの方からもお話ありましたが、国際協議においてとかくこの形式的に合意がなされて、実質的な実があったのかどうか?
つまりアメリカの真意が何処に行ってしまったのかどうか?と言う事を確認をするために、直接政府・議会の関係者の方とお会いいたしまして、確認をしに行ったということが2点目でございます。

あと先ほどの話と重なる所があるんですが6者協議の中ではとかく核の問題、安全保障の問題が優先的に話し合われているわけでございます。
私たちは日本の国民の一人としては安全保障の問題、大きな懸念事項であるんですが、こちらとしては人権の問題であります。
そういう意味では核の問題の他に人権問題をどう考えているのか?と言う確認と、重ねてこの拉致問題が深刻な状態にあるんだという事をアメリカ政府・議会関係者の方々に改めてお伝えしに行ったと、言う事でございます。

ニュースにつきましてはアメリカ国内の方々、多くの方々がご存知でしたけれども、昨年末の「めぐみの骨」と称します物。
彼らの欺瞞工作について改めて多くの方にご説明申しあげて、そして皆様方もご記憶に新しい、めぐみが拉致されて半年後くらいに北朝鮮で写された北朝鮮国内で寂しい顔をした写真があったと思うんですが、あの経緯についてお話をしてまいりました。
増元事務局長の方からは、中心的にタイとか他の多くの国々で日本人・韓国人以外にも拉致が成されていたんだという事も説明させていただきまして、この拉致問題が世界規模の広がりを見せているんだという事も説明させていただきました。

また今回は訪米におきまして具体的には接触する事は出来ませんでしたけれども、本来であれば、ワシントンの他にニューヨークの国連にお邪魔をしてボルトン国連大使と会いまして、この国連安保理の付託の打ち合わせですとか、人権委員会への流れも確認しに行くという事も考えてはいたんですが。
国連の中での動きと言うものが私たちの行程と折り合うことが出来ませんでした為に、今回はワシントンDCのみでの活動という事になった次第でございます。

当初、決まっていた物も多くあったんですが、全ての日にちにおいて全てが決まっていたわけでもなかったんですが、結果的に訪米した(後)、現地に行ってからですね。
事後増殖的に予定が入っていった。
これは私たちの力ではなくて、あちらにいらっしゃる多くの議会関係者の方、政府高官の方々が「あの方にも会って置けよ」と、言う助言を持ってですね。
私たちの行く所に全ての道筋をつけて頂いたという事では、この問題の高さ、関心の深さを改めて感じた訪米でもありました。

もう一つは私からは本当は申し上げるつもりは無かったんですが、すでにある新聞などで書かれているんでこちらでも申し上げたいと思うんですが。
丁度11月15日が横田めぐみが拉致された日でありまして、11月15日〜16日にブッシュ大統領が日米首脳会談で日本へお見えになりました。
そのタイミングでこの拉致問題・人権問題をどうか口にして頂けないかと、多くの方々にお願いをしてきたわけです。
訪米が終わった後にも成田の記者会見で申し上げましたけども、この件に付いては実は伏せておりましたけど。
結果的にいろんな日米首脳会談の結果につきましても宮沢さんとか中曽根さんとかが、「余り中身があったとは言えないね」と言ういろんな報道をなされておりますけども、その中に拉致の問題・人権問題がブッシュ大統領の口から言及されたという事については、私たちの訪米の大きな成果であったのかな?と思っております。

その成果の中でお会いして頂いた議会関係者・政府関係者の方々のコメントをいくつかご紹介したいと思います。
ただ、先方のお立場とか、オープン・クローズっていう問題があるんで、あえて日時ですとかどなたがとかは伏せた状態でアットランダムな形で話を申し上げたいと思います。
これも私たちが訴えてきた内容とほとんど合致することではあるんですが、私たちの活動、人権問題・拉致問題をクローズアップさせていく事は、とても大事な事ですよと。
イコール北朝鮮にとってはとても大きな圧力になるはずですよ、と言う事を仰ってました。

で、ある高官についてはですね。
6者協議の中で合意がなされた翌日に北朝鮮が更に大口叩いた結果については、あんな物はどっちでも良いというかですね。
結局彼らは言いたいことは言うけれども、アメリカ政府としてはこれは6者協議の約束を守った後にしか北朝鮮にとっては見返りは無いんだと言う事は明言されていました。

また私たちも、もしくは日本政府も拉致問題の解決なくして国交正常化は有り得ないと言う事は統一見解として出されておりますけれども、アメリカ政府としてもですね。
日本のこの拉致問題・人権問題解決されなければ、米朝間の国交正常化はありえないということは仰ってました。
またこの拉致問題については、核の問題の問題と同時に大きな関心を寄せている所であるということは仰っていました。

先ほど増元事務局長から最後にお話がありましたけれども私たちが求めている北朝鮮への経済制裁、これはとても有効でしょうと言う事を仰ってました。
とりわけ贅沢品に絞ってですね。
彼らの政府高官・軍高官に行ってるような物を絞っていく事にはとても意味があるんじゃないか?と言う事を仰ってました。
その例えとしてですね。
これはまた違う方が仰ってたんですが、結局は日本国内の、先ほど第1部の方でもお話がありましたように、経済制裁をすると(北朝鮮の)一般の国民の方が飢えて苦しんでいるのではないかといったまやかしの議論がよく横行するわけなんですが、そんなことは決して無いんだと。
元々が北朝鮮は宮殿経済、「パレスエコノミー」と言う言葉を例えられていましたけど、そこにしか経済と食べ物・着る物・贅沢品が行ってないんで、そこを止めることは一般の方に苦しみを与えないんだと。
私たちが戦っている敵に効果が有るんだということを明言されていました。
とても意味があると思います。
その意味で私たちは経済制裁と言う言葉を口にしているんですが、スマートサンクションですとかターニングサンクション、要は絞った制裁なんだという事葉を使ったらどうか?といった助言もあったくらいでして、私たちが訴えている具体的な行動案と言う物を、全く正しいという事が実感した次第でございます。

あとあえてこの人だけは特定して申し上げたいんですが、今回の訪米の目的で、人権に焦点を当てていくという具体的な形で、J・レフコウィッツさん、大統領特使の方と会うと言うのが目的の一つでした。
この方と直接お会いしまして、アメリカ政府としてはこれは譲れない問題だと言う事を仰っておりましたけれども、その中でですね。
これはまた違う有る方なんですが、日本においても人権特使を設定されたらどうか?と言うことは仰ってましたし。
これはアメリカ政府の共通認識であるということは仰ってました。
これは後でお話しするように具体的なアウトプットとして省く事なんですが、実際に安倍官房長官が数日前に人権特使の設定を検討しようかと言う話も口にされ始めていますから、やはり今回の訪米の結果ですとかアメリカ政府からのお口添えと言うものが具体的な形として表れてきたのかな?と言うふうに考えています。

またNGOの方々が主催されるいろいろな夕食会ですとか打ち合わせ会とかに、多く参加いたしました。
この拉致問題が実にアメリカ国内で広く浸透し始めているという事を実感いたしました。
私たちは人権問題の中でもとりわけ拉致問題に関して取り組みをいつもしているんですが、先ほど増元事務局長の方からお話がありましたようにですね。
実際現地で会って政治犯キャンプの問題ですとかですね。
人権侵害とか、そういった問題に対してあらゆる組織・団体の方々が同じ目的を違うアプローチで検討し始めている。
広がっているという事で、日本から拉致問題を紹介する時に更にこんな問題があったのか?と言う認知で広がったという意味では、国際的な広がりをますます拡大していくだろうという実感をした次第でございます。
向こうのNGOの中にラジオ、短波放送(RFA、自由アジア放送)、北朝鮮向けに出している団体もいらっしゃいました。
私たちの日本国内でも特定失踪者問題調査会の荒木代表が同じ試みをされておりますけれども、そこと連携しようじゃないかと言ったようなお話も向こうの方からお話もありましたし、それも国際的な広がりが具体化して来ようかと、いうふうに思っています。

私の方からある方とお話をさせていただいたときに、これ私個人的に思い込んでる話なんですが、めぐみまたは他の誰かがですね。
拉致をされていく経過の中で、万景峰号で拉致をされたケースが私はあるんじゃないか?と思っています。
それは根拠はありません。
ただあらゆる疑いからそういう疑いを捨て切れないと私は思っておりまして、その中で万景峰号を私たちは国会を通した制裁法を通過させる為に、もっとアメリカの方からも規制強化をする必要があるんじゃないかと言う事をお願いかたがたしてきました。
ただこの問題日本国内で決めた法案の問題なので私がお話した相手の方はですね。
それはちょっと政治的な問題なのでそれに対してはちょっと言う立場には無いけれど、ただ不法行為がされているのだとしたら監視の強化は緩めないと言う事を仰っていただいたのは、私自身にとっては印象的な内容でした。
今後もさらに強化をしていく必要があるというお話でした。

私も日本政府は良くやっていると言う言葉の裏には、私は日本政府がこの問題真剣に取り組んでいるのか分かりませんけど、ただ経産相がやってるPSIにはアメリカ政府は大変意義があると仰ってましたし、今後更に強化していくと仰っていました。
後もう一つは私たちは経済制裁、特定船舶入港禁止法と改正外為法のお話をしているんですが、過去にPSIとかあるんですけども、このほかにマネーロンダリングを始めとする金融面での強化を図っていく必要があるし、それはとても効果があると言う事をおっしゃっていました。
これは後ほどの所でもう一回触れたいと思います。

今度の訪米で具体的に何が起きたのかと言う事をお話したいと思います。
ひとつは先ほどのブッシュ大統領からの人権問題への言及と、後は安倍官房長官から人権特使のポストの設定の可能性があったこと。
訪米後に増元さんからお話のあった、ハイド委員長からですね。
アメリカから北朝鮮の国連大使に対して行った、10月15日までに横田めぐみを即座に解放せよという警告文を具体的に流していただいた事。
これは本当に具体的な大きな形として実現したわけでございます。

昨日・今日の新聞で皆さんも一面、社会面で出ているかも知れないと思いますけども、これは日本政府としては直接関係ないと言ってるようでございますが、朝鮮総連へのお金の取り立てですとかね。
そういったものが具体的に金融面からの強い強化が図られてきたというのは、分離した話ではなくて、私たちから見るとつながった話、アメリカからの圧力があって日本も動いているんじゃないかと言う見方をしております。
更にKEDOの中止と言う事も 私たちの訪米結果と言うのは本当に実に多くの皆様方に支えられてですね。
国際的な規模、そして日米で展開して来たと言った内容かと思います。

ただ今後の課題としては、やはり日本政府の取り組みとしてはどうも甘いと私は言わざるを得ないと思います。
それは拉致の被害者、政府認定の方々がどうして小規模で留めておく必要があるのか?といった事。
今日のこの会場には特定失踪者の家族の方も見えてますけど、相談件数は450件くらいも特定失踪者調査会に来ているそうでございます。
その中において11件16人と言う政府認定と言うのは余りにも遅すぎるし、この取り組みの姿勢がちょっと甘すぎるんじゃないかと言う事を思います。
具体的に人権特使をポストを設定されてもっと北朝鮮に対して毅然たる態度を取っていただくと共にですね。
この拉致問題解決の為に具体策を練っていただきたいと思います。

この人権特使と言うのはアメリカにおいてはクリストファー・ヒルとレフコウィッツという二人ですが、6者協議と人権問題と言うのを切り分けているわけですが、ある高官の方が大変面白い意義深い事を仰っていました。
この二人を分けていると言うのは仮に日本みたいに一人でやってしまうと結局日朝間なり米朝間なりで協議があった場合、こっちの問題は許すからこっちの問題をやってくれとか、バーター的な取引があって片付けられてしまう、捨てられてしまうその危険があるのでこの問題を分けてですね。
それそれが交渉を迫ることにとても意味があるんだと、言う事を仰ってました。
その意味で日本もですね。
佐々江局長が精力的にやってくださってますけど、また違う方でこの人権問題・拉致問題のアプローチをですね。
それぞれ迫っていただく事がこの拉致問題、被害者を一刻も早く取り戻す早道だと私は信じております。

後もう一つは今日の第1部でもお話がありましたし、私たち国内においても特定失踪者の方々が、多くのポスター失踪者の載ったポスターがあるわけでございます。
国際的規模、タイの方とかルーマニアですとか、増元事務局長と西岡副会長がいろんな国に行ってですね。
この問題の真相解明に向けて格闘しておりますけども、やはりこれだけ数が多いとですね。
これは私自身の個人的な考え方ではあるんですけども、ご帰国されている方がどなたか見られている可能性は無いのか?と言うことを私自身思うわけでございます。

当時5人の方がご帰国をされた時にですね。
横田めぐみの話を中心的に話された事はご記憶に新しいかと思います。
増元(るみこ)さん他、他の方の件については何も見ていない聞いていないと言う事で、後から見ればご本人たちが直接私たちにお話も頂いておりますけども、北朝鮮政府の差し金によってですね。
横田家を一本釣りするためにですね。
横田めぐみについての情報に絞って情報提供をしていたと言う事実は知られている所でございます。
その中で彼らから話があった内容としては、めぐみが住んでいた家とか、彼ら自身が住んでいた家の近くに幼稚園があったと言う事はご存知かと思うんですが、幼稚園があるということはですね。
人が二人や三人では無いと言うことなんです。

その意味で拉致被害者がある一角に隔離されていて、先ほどの韓国の方々ですとかタイの方々ですとか、もしくは特定失踪者問題調査会に挙げられている460人から100人の、多くの被害者の方と一緒だった可能性はあるんじゃないかな?と、私は思います。
私たちは救う会・家族会ともにですね。
国民の皆様方の力を借りる形でですね。
この問題を世界的に広げようとしてこの問題皆様にもお訴えをしておりますが、この問題合わせてですね。
ご帰国された5人の皆様方に更に自発的自主的にですね。
あの人を見た見ないという事をですね。
お口に頂く事でこの問題更に具体化していくんではないか?と言うふうに思います。
その意味では、私たち自身としてはですね。
家族会・救う会合同で、1対1ではなくて合同でですね。
彼ら5人と会う機会を設けさせていただいて、情報交換が出来ることは出来ないのかな?と思っております。(小さな拍手)

西岡さんがお親しい関係にはありますし、私の横田めぐみと言う言葉を最初に口にしてくださった安明進さん。
亡命元工作員の方がいらっしゃるわけなんですが、この方は私たちが日本の事しか知らないように、北朝鮮の事を良く知ってらっしゃるわけです。
で、ご帰国された方は北朝鮮の事を23、24年間、北朝鮮政府の管理の中ではありますけども北朝鮮国内にいらっしゃったわけであります。
その中でいろんな事を見聞きしたはずでしょうし、生活と言う物を実感しているわけでありますからお互いが見てきたこと感じた事をですね。
情報を補強しあって補完する事が、問題の情報を点と点を線につなげて面と化していく、大きな道筋になると私は感じています。
その意味では今回の訪米のベクトルをもう一歩大きなベクトルにするためにはですね。
日本国内からこの問題にですね。
この問題焦点を当てていく機会を何とか作って行きたいなと思っています。

その意味では12月の22日に、国民大集会他ありますけども、こういった大きなイベントとはまた別にですね。
この問題の仕掛け作りをしていけないかな?と思っています。
私が帰国後に成田空港での記者会見の場でも申し上げましたけども、今回の訪米結果と言う物はですね。
直後には具体的に何も見えた成果はございませんと申し上げました。
おそらくこれから仕掛けが生きてくる訪米だったと申し上げたんですが、今申し上げた事意外にもおそらくいろんな物が有機的につながって行って、この問題がクローズアップされてくると私は信じています。
私たちは本当にこうしてお話で訴えさせていただくしか出来ないんですが、きっとこの問題解決に向けて今着実に進んでいると私は感じておりますし、皆様方に引き続きのご関心をいただければと思いますので宜しくお願い申しあげます。
ありがとうございました。(拍手)

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05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

2005年12月17日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(8)05.11.23 友愛会館にて

第2部 アメリカ・ワシントン訪問報告

『増元照明 家族会事務局長のお話』


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皆さんこんにちは。
今紹介されまして、先月の24日日本を立って、30日帰国しました。
訪米の内容は現代コリアの11月号に島田先生書いてありますので、それを読んで頂くと分かると思うんですけども。
まず最初に島田先生に・・・皆さんに40分くらいまで・・・(後は聞き取れず)

詳細に時間してはこれに書いてありますので、私から申し上げる事はありません。
私が向こうに行って感じたことは、最初に・・・(会場より「増元さんもうちょっとマイクに寄って・・・」の声)
はい、分かりました。
訪米に際しては調整室の皆さんにお世話になって、駐米のワシントンの大使館員の皆さんにお世話になった事を申し上げて、御礼申し上げたいと思います。
そこには楠城(ナンジョウ)君って来てらっしゃいますけどこの端にいますけど。
(司会者より「一寸立って」の声、会場席より楠城氏起立して一礼)
つい先日までワシントン在住で、私たちの通訳兼、それから運転手兼、支援者と言う事でず〜っとお世話になりました。
今日本に帰ってこられて、もう働き始めました?
(楠城氏、「1月から新聞社で」の声)1月から、そういうことです。
某新聞社で働かれると思います。

皆さんのご協力を得て有意義な訪米をやってきたんですが、私たちがまずなぜ訪米したのか?
私たち第4回実務者協議、第4回6者会合でまさか合意されないと思っていた共同声明の合意を受けましてアメリカがどういうような考え方をしているかを、それを一寸島田先生に探っていただきたいと思いましたし。
私たちとしてはやはりこの拉致の問題をアメリカに再度考えていただかないと、と訪米させていただきました。

政府関係者、それから民間団体に色々とお話をさせて頂きましたけれども、政府関係者はほとんどこの拉致問題と言う物は認識しておられました。
更に昨年の暮れの横田めぐみさんの偽の遺骨問題、これもほとんどの方が認識されておりました。
それに対して非難と言うか、北朝鮮のやり方に対して怒りを持っておられる方もおられます。
更に私たちがお会いしたのはだいたい保守系の議員と更に保守系の団体の方ですので、その方たちとは私たちの問題と共通認識、北朝鮮の人権問題、そういう点で一致した考え方を持っておられると思います。

そして今アメリカでやはりこの北朝鮮問題が大きな問題として捉えられているのは、日本人拉致・韓国人拉致ではなくて。
更に脱北者、それから北朝鮮の国内において行われている大きな人権侵害、強制収容所等、そちらの方が大きい課題だと私たちは感じているんです。
でも、それでも私たちと結局共通認識として北朝鮮の金正日政権があのままであったら、全ての拉致問題は解決しないと言う共通認識を持ってますので、どのような方法からでも金正日に対し圧力をかけて行かなければならないと思ってますし、私たちの家族は私の姉の人生を奪った金正日を絶対に許す事は出来ませんから。
もしこの拉致問題が解決しても国際刑事裁判所なりに、金正日を訴えていく事も考えております。
その前に北朝鮮の民衆が金正日を許さないと思うんですけれど、それでも私たちは最後まで金正日の責任は追及しなければならないと思っています。

これは本当に金正日の拉致強化指令によって我々多くの同胞や私たちの家族が、一番人生の中で良い時期を北朝鮮と言う過酷な状況の中で過ごさなければならなかった状況に追い込まれた。
この点について私は絶対に許す事はできませんので、どのような方法であれ、アメリカが北朝鮮の人権問題に関心を持ち、そして北朝鮮に圧力をかけていってもらうこと。
これは私たちにとっても大きな力になると思っております。

向こうに行って、マイケル・グリーンさんとか政府関係者に会って一番驚いたのは、日本の政府は良くやってると言う。(少し笑いながら)
私たちは経済制裁と言う観点で、単独の経済制裁を発動したいし、それを支持してもらいたいと言うふうには申し上げたんですけど、日本政府は良くやってるよと言うのが、マイケル・グリーンさんの回答でした。
私たちの目に見えない所でやってるのかどうか?分かりませんが、アメリカとしては日本の政府は良く北朝鮮に対し圧力をかけているよと言う認識を持ってるようです。

それはPSIとかそれからキャッチオールとか、経産省がやってるそういう貿易の制限、それに対して評価をしているのではないか?というふうに感じられましたが、私たちとしてはこの拉致問題を日本の主導で解決しなければならないと考えると、やはりせっかく昨年作られた改正外為法更に特定船舶入港禁止法案、この二つの法案を直ちに実施していただかなければならないという思いでおります。
アメリカは今北朝鮮に対し、どのような考え方でいるのか?
それはまだ基本的には変わっていないんだろうと言うのが、感じております。
今このまんま北朝鮮に時間稼ぎをさせるような、そのような道は選ばないだろうと言うのが、私の感触だったんですが。
今表面的には6者協議の中で、合意をしておりますが、アメリカの保守系の方たちはそれに対し非常に、あのクリストファー・ヒルという国務省の国務次官補に対し、大きな圧力をかけているという事も分かりましたし。
そしてホワイトハウス関係者の中では、北朝鮮の待ってる軽水炉、軽水炉建設を望んでますけどもそれに対し、そういうことは絶対にありえないという強い姿勢を見せておりましたので、更に圧力が強まっていく方向にはなると思います。

もう一つ問題なのは今ブッシュ政権が支持率が落ちているということ、それと中東の方が危機的状況になっているということ。
それは北朝鮮の、東北アジアの危機よりも中東イランの危機の方が、今アメリカの国内では一寸優先順位が上なんではないか?と言うのは感じております。
ですから島田先生が後ほど仰ると思いますが、中東の危機よりもこの北朝鮮の問題、まだイランは核を開発中なんですね。
北朝鮮はすでに持ってると自分で言ってます。
そちらの方が危機的状況だと言う認識が、させて行かなければならないんではないか?と、そのためにも日本が、あの、そうですね、声を発していく。
経済制裁の発動だと、私は思っています。
危機的状況を作るのではなく、ただ北朝鮮がやってることに対して、大きな問題があるという事を世界中に分かってもらう為に、私は単独の制裁発動が必要だと思います。
あるいは道義的声明の意味、制裁の発動を私たちは求めます。

これが先ほど言いましたヘンリー・ハイド(下院国際関係委員長)さんと言う方です。(ハイド氏と一緒に写った写真を掲げる)
この方は4月に訪米した時にも島田さんと私に会っていただきました。
今回は会っていただけないだろうから、ハルピンさんと言うスタッフに御礼だけ申し上げたいと思ってと打診したんですが、会ってくださるとかでお会いしました。
この方は国際関係委員長で私たちが4月に行った時に私たちと面会したその場で、下院の決議案として北朝鮮の韓国人拉致問題それから日本人の拉致問題これを決議しようじゃないか、創案しろとハルピンさんに言って、すぐ命令しまして。
その2カ月くらいで下院に全会一致でその法案が出来ました。
迅速に対応していただくし、非常に北朝鮮の問題に対しては怒りを、韓国の実情に対しても怒りを持って、ちょっとそういう方です。

こちらジム・リーチという、(写真を掲げる)東アジア太平洋問題小委員長の、この前公聴会を開いたそのときのその委員長ですが、この方にもお会いして非常に温和な方で喋る時に、非常に小さい声でゆっくり喋るので良く聞き取れない時もあるんですが。
私たちの問題、拉致問題に関しては多くの事を知っておられましたし、特に横田さんがもう、お会いになった事があると思いますね?アメリカ大使館ですよね?(となりの島田氏に確かめる。島田氏「アメリカです」の声)
そうですよね?(島田氏「拓也さんも会ってると思う」)
非常に温和な方でゆっくりとじっくりと通訳を交えて1時間半くらいお話をしていただきました。

ただこの後に北朝鮮の国連次席大使で、あれは韓成烈(ハン・ソンニョル)がこの下院の施設、レセプションの会場で演説したんですがそこにもジム・リーチ下院委員長は出て、そしてハン・ソンニョルとずっと話をしていて、私たちが下院のレーガン堂ですか。
あそこを出るときにハン・ソンニョルとジム・リーチとが一緒に出てくるところに出くわしまして、向こうが気付いたか分かりませんけども、私は次席大使を見て、そこらへんにいる変なおっさんだなぁと思ったんですけども、何の威厳も無い方だと私思いました。
でもその方を最後までレーガン堂の外まで見送りに出て行かれたので、いろんな話をされたとは思います。
どういう話をされたのか?分かりません。

で、今回の訪米の主目的であるのはレフコウィッツさん。(別の写真を掲げる)
これもすでに写真が出ていると思いますけども、昨年の北朝鮮人権法案で任命された人権特命大使です。
今年の8月くらいになりまして10月、2ヶ月間、まだほとんど動いてない状況なんですが、私たちが行った時点くらいから丁度スタッフも決まり、事務所もある程度決まったので、これから動く。
これからドンドン活動していくということを仰ってました。

ただ、スザンヌ・ショルティさんと言う北朝鮮自由連合の代表に言わせるとちょっと出足が遅いと。
すでにもう2回か3回くらい韓国、それから日本へ行って話をしてきても良いのではないかと仰っておりましたけれども。
とりあえず今年中には来られると思うんですけども、若くて40代前半だと思います。
非常に若くて行動力のある方でありますし、大統領の信任も厚いという事で任命されたようです。
私たちもこの方に期待する部分は大きいかなと言うふうには感じております。

ただ先ほど言ったようにアメリカの真意、それは私は基本的には変わらないしブッシュ政権の間にこの北朝鮮問題をどうにかしなければならないというふうに考えているのはまず間違いないでしょう。
ただそこの中国をもっと活用しなければならないと言う事も考えています。
先日ブッシュさんが中国へ行って人権問題に関して言及されましたけど、あれも北朝鮮の人権問題に通ずる物があると思います。
中国の人権問題を追及することによって、もうちょっとしっかり人権問題を考えろという、そのメッセージを送ったんだと言うふうには私は思っています。
以上です。(拍手)

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(7)05.11.23 友愛会館にて

『西岡力 副会長 補足のお話』

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ひとつだけですね。
折角持ってきたので紹介しますが、これがその発見された名簿。(名簿を手にとって会場に見せる)
名簿は手書きだったんです。
漢字で書いてあったんですね。
それをボランティアの大学教授と大学生がコンピューターに、ハングルにして入力して、それを今度は印刷して月刊朝鮮と言う所から出したんです。
82959人、拉致被害者の名簿ですね。
韓国政府が1952年に作った物です。

そしてここにですね。(名簿を広げて読み始める)
実は、小さくて分からないかも知れないですけど、ハ・ノホォンと書いてありますけどもハ理事のお父さん。
男・30歳・民防団という保守団体の総務部長をやっていた。
そして拉致されたのが1950年の8月20日だと。
拉致された場所は南川洞(ナムチョンドン)の4−2だと。
住んでた住所は左と同じ。
というふうに名前と職業と拉致された日時と場所と現住所を、韓国政府が調べて名簿にしたんです。

それからこのページを、(別のページを開いて読み上げる)ここを見ますと、李・ソンファン。
これは李美一理事長のお父さんの名前。
男・31歳・工場の工場長。
1950年5月5日、そして拉致の場所が書いてないんですがその後、住所がチョンナンリ181番。
今も李さんはそこに住んでらっしゃって、そこに韓国家族会の事務所があるんです。
お父さん帰って来るまで引っ越さないといってず〜っと今もそこに住んでるわけです。

それからもう一つここ金・ユウヨン。(更に別のページを開いて読み上げる)
これが金理事長のお父さんの名前が書いてありまして、男と。
年齢は書いてないんですが、牧師と書いてあります。
そして1950年8月、それからコンドックウォンと言うところに住んでいたと、いうふうに書いてあります。

つまり具体的に戦中にひとりひとり家族に調査して作ったわけです。
これ韓国政府が作ったんですから。
それなのに韓国政府は自分達が作った名簿が信用出来ないと言ってる。
だいたいその名簿が無かった、無いと言ってた国なんです。
探したのは李理事長です。
そして見つけてきて突きつけたら信用出来ないと言ってる。
今、大韓民国が危機なんです。
大韓民国が当時大韓民国として、北朝鮮と闘っていた大韓民国が北朝鮮の側に付こうとしている。
と言う記事が実はこの名簿からも分かる、と言うことです。

(会場より「その本はいつ出たんですか?」の声)
この本は2003年に出たんです。
2003年の2月に名簿が発見されて2003年の8月に月刊朝鮮が出しまして、そしてこれを出したらですね。
全国から家族が来てうちのお父さんの名前はあるかどうか?と来たんですね。
そしらたば、無い人もいる。
漏れてる人もいる。
戦中に作った物ですから漏れてる人もいるわけです。
つまり8万3千人以上、10万。
今李美一理事長たちは10万人くらいいるんじゃないかと、今考えているわけです。

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(6)05.11.23 友愛会館にて

『金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長のお話(通訳・西岡氏)』

★西岡力氏


続いて金聖浩理事長から補足説明と、それから今行っている日韓の学生の交流、また脱北者を救出する方法についての問題について、総合的にお話をしていただきます。

★金聖浩前理事長・現レインボー財団理事長

私は昨年まで拉致被害者家族会として拉致問題解決に全力を尽くしてきましたが、拉致問題を解決する為には根本的には北朝鮮を変えなければいけない。
北朝鮮の内部に対する工作を行おうと考えて、今はレインボー財団と言う財団を作ってそのような事をやっております。

私は一言で申し上げて、金日成・金正日の政治は工作政治だと思っております。
共産主義国家の大変基本的なものが工作政治でありまして、それがまた残忍な政治であります。
戦争中の韓国人拉致そして戦後の韓国人拉致、また日本人拉致は北朝鮮が南を共産化しようと言う政治工作の一環として行った事が明らかになっています。
70年代も後半になり、北朝鮮の武器が老朽化する中で戦争による共産化が難しくなってきた状況で、北朝鮮は南に対する政治工作に基づく共産化に全力を尽くしてそのために拉致を本格化させたのです。

最近北朝鮮から亡命してきた黄長ヨプ(火へんに華)と言う人がこのような話をしています。
韓国が北朝鮮に対する経済的優位を確保するには数十年かかった。
しかし北朝鮮が韓国に対する政治工作を成功させるのに5年しかかからなかった。
今の韓国はその北朝鮮の工作に従って政治そして大学、大学の学生・教授たちの親北一辺倒になっている。
それだけでなくて反米反日もまた北朝鮮の工作によって行われている。
今突然また反日運動が起きているんですが、実は韓国で親日派の人名事典を作ろうと。
そして親日派を糾弾しようと言う人たちの前歴を見ますと、ほとんどが国家保安法、つまり北朝鮮のスパイとして過去に捕まった経験も持っている人達が反日運動を指導している。
北朝鮮の工作に基づく反日運動が活発化して、日本の安保まで危うくなってきているという事であります。

私は今最近北朝鮮から韓国に逃げて来た人たちの大部分の人たちから話を聞き情報を総合しています。
今日本を始めとする国際社会そして韓国も北朝鮮に対して人道支援を大々的に行っているわけです。
その理由について、北朝鮮で飢えて苦しんでいるという理由で人道的支援をしています。
またそのような事をしなければ北朝鮮は刺激を受けて戦争を起こすかもしれないと言う理由になっています。
それは私の知っている所によりますと北朝鮮の実情を全く分からない人たちの論理です。
私たちの得ている情報によりますと国際社会からの支援は金正日の忠誠分子たち、そして平壌に住む一部の人たちだけに配られているんです。
彼らの生活は韓国人よりもあるいは日本人よりももっと贅沢な暮らしをしています。
ベンツに乗っています。
高級マンションで外国からの贅沢品に囲まれて生活しています。

特に平壌を少し出た田舎の地域、特に中朝国境地域の住民は金正日が配給を出さないから自分達で自活して生きろと言う命令が下って、山の一番上までも耕してなんとか少しでも食料を得ようとして、山のてっぺんまで木が切られています。
私は鴨緑江・豆満江の中国側、中朝国境を全部歩いて見ているんですが、国境地帯に林立している北朝鮮の山は全て木が切られてしまって禿山になっています。
畑になっているんです。
そこから得られるホンの少しの食料で何とか延命しているんです。
そこから逃げてきた人たちの話を総合してみますと、国際社会が米や小麦粉を送ったといいますけども、それを食べたという人は誰もいません。
今も北朝鮮にまだ家族が残っていると。
人道支援を一般の人たちが食べられないんだから、金正日を助ける人道支援は止めて経済制裁をして欲しい。
それが金正日を絶つ道になると言うのが脱北者たちが口々に言う言葉であります。(拍手)

私はこのように話しています。
ガン細胞があればその横にある正常な細胞も栄養さえも奪ってしまう。
ガンにかかっている人に栄養を与えればガンに勝つ事ができるんじゃないかと考えますが、実は正常な細胞に入った栄養までガン細胞が食べてしまって、ガン細胞を育てる事になってしまう。
栄養分を与えれば与えるほどガン細胞が奪い取って食べてしまうので、ガンが成長して最終的には命を奪い取ってしまう。
北朝鮮に経済支援をすると言うことは、ガン細胞を育てていくという結果しかないと思います。
私はこのような状況の中で中国と北朝鮮が結託して危険水位まで来ていると思います。
黄・長ヨプ(火へんに華)さんが言っているように、近い将来韓国が金正日による赤化統一されてしまった場合、玄界灘を超えてすぐ近くにある日本の安全保障がどのようになるのか考えてください。
経済制裁を確実にする事がアジアの平和と人権を確保する道だと思っている。

最後に一言だけ申し上げます。
日本と韓国の協力関係について申し上げたいと思っております。
歴史観の問題だとか独島(トクト=竹島)、靖国参拝問題ですとか、このような問題は韓国と日本、中国と日本がお互いに相手の民族的アイディンティティーと伝統を尊重するときに解決すると信じます。(拍手)
自分の方から見るんではなくて第三者の立場ではどうなのか?
こちらはどうなのか?というふうに見れば、この問題は解決できる、距離が縮まるんじゃないかと思います。
今日本と韓国は人類の最高の価値である自由と人権と言う価値の為に、協力して闘っていけば北朝鮮の工作に勝つ事が出来ると思います。
日本と韓国で自由と人権と言う理念を共通とする人たちが協力して闘っていく時に、実は反日運動を裏で煽っている共産勢力の工作を見破る事ができ、彼らとの戦いに十分に勝つ事が出来ると私は確信しています。

ですから日本の大学生が韓国に来てくださった時に韓国の大学生との交流をお助けしたのでありますし、大学生同士だけではなくて企業家の人たちや知識人同志をの交流も進めていきたい。
そのために努力したいと思っているのであります。
長い間ありがとうございました。
特に日本の家族会と救う会の皆さんの大変温かいおもてなしに感謝します。(拍手)

★西岡力氏

解説をしようと思ったのですが時間が無いので、私は後でタイのお話をする時にまた出ますので、そのときに全体のことと合わせて今のお話の補足もしたいと思います。
で、以上で韓国人拉致についての第1部を終わらせていただきたいと思います。(拍手)

・・・・・・・・・・
05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

2005年12月16日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(5)05.11.23 友愛会館にて

『李美一 朝鮮戦争拉北者人士家族協議会理事長のお話(通訳・西岡氏)』

★西岡力氏


それではそのような拉致の背景、そして韓国政府がこの朝鮮戦争中の拉致についてどのような態度をしてきたのか?
また韓国の被害者家族がこれまでどのような運動をして来たのか?
そして今どのような運動をしているのか、と言う事について、李美一理事長に話をしてもらおうと思います。

★李美一理事長

まず朝鮮戦争拉致の状況について簡単に説明いたします。
朝鮮戦争と言うのは同族が殺し合う戦争であり、民間人の被害が大変酷い物でした。
韓国軍の被害が100万人程度だったんですが、民間人の被害は合計99万人くらいでした。
その中でも北朝鮮は実は韓国の各界各層の指導的な人士を選んで拉致して行ったのです。
その数は8万人以上を超えております。
北朝鮮に連れて行かれたまま、家族たちは生死確認と言う最低限の事さえも出来ない状況です。
そのような指導的な人材を連れて行かれてしまったのだから、我々家族はいつか韓国政府が対応してくれるだろうと信じていました。
しかし現在に至るまでも生死確認さえも出来ない状況で、我々の家族の問題は隠れてしまっているわけです。
私たちがまず今望んでいるのは生死確認です。

朝鮮戦争拉致が発生した背景に付いて簡単に申し上げます。
日本の植民地支配から解放された後、北では社会主義が南では民主主義がそれぞれ政権を作りました。
北朝鮮では貨幣改革と土地改革をし、そして社会主義の妨げになる資本家たちに対する粛清が始ります。
大部分のその資産家たちは、粛清から逃れようと南に逃げて来ました。
また知識人たちもたくさん南に逃げて来、その数は数百万に上ったと言われています。
そこで北朝鮮では大変な専門的な人材不足になり、1946年7月31日に金日成が、南朝鮮からインテリを連れて来い、と言う指令を出したのです。
金日成全集の第4巻にその指令が載っています。
彼らはその名簿をその時作ったのです。

そして彼らは北朝鮮内にまだ残っていた貨幣改革前の、南ではまだその時通用していた紙幣をたくさん持って、そして名簿にある有名人人士に接近して、これだけお金をやるから北に来いと騙して連れて行こうとしましたが余り上手く行きませんでした。
戦争になってソウルを含む大部分の地域を彼らが占領した後は、銃を持って自由に彼らが連れて行きたい人を強制的に連れて行くことが出来た。
当時の韓国の国会議員を含む公務員、そのような愛国者たちを連れて行きました。
そして彼らの体制のために奉仕させようとしたのです。
当初は有名人士・専門人力の拉致だったんですが、戦況が不利になると北朝鮮軍の最先端の兵士として使うために、また肉体労働者として使うために韓国の若者たちを拉致して行きました。

このような事実について、私たちはただ経験談だけに基づいて話をしているのではなくて、文書を発掘して証拠として持っております。
当時アメリカ大使館が国務省に、戦争当時韓国人拉致問題について報告した文書が一通発見されています。
50年の9月28日に、国連軍がソウルを回復するのですが、その直前にソウル市内の刑務所に北朝鮮のよって収監されていた政治犯、1万人から2万人が連れて行かれたのです。
その連れて行かれる方法は、まず5人ずつ縛られてそれを前後に縛って歩いて、前に騎馬隊がいて後ろにも騎馬隊がいて銃を突きつけられながら、歩いて北に連れて行かれたと。
その経路は西大門を通って、ミセ、議政府(ウィジョンプ)を通って北に連れて行かれたと。
また当時北朝鮮による拉致指令軍と言うのがある事まで私たちは掴んでいるのですが、その指令軍の資料までは探し出すことが出来ていません。
しかし2次的な資料ですが、ソウル市民を北に連れて行くときに不純分子を混ぜるな、と言う命令文は我々は確保しています。
その中には労働力のいない家族からの人間の摘出は中止せよ、と書いてあります。

韓国政府がこの問題についてどのように対処して来たのかと言う事について申し上げますと、最初は韓国政府は拉致被害者家族を支援し、積極的にこの問題に取り組みました。
そういう中、北朝鮮は若い拉致被害者を北朝鮮でスパイ教育をして、北のスパイに仕立て上げて南に送ってくるという事を始めました。
それが50年代の後半です。
それに対して韓国政府は我々家族を守るというような対策を立てるのではなくて、逆に北のスパイが(南に)降りて来れば家族に接触すると。
つまり家族はスパイの予備軍、協力者であると。
従って監視の対象にしなければならない。
また家族連座制を適用して、その人たちが公務員や軍の高官になる事を防がなければならないという家族連座制が適用されました。

1952年すでに私どものような家族会が結成されました。
当時被害者の奥さんたちがソウルの徳寿宮(トクスグン)という旧王宮で集会を開いてデモをしていた。
そして韓国の外務大臣に会ったり、あるいは国連代表部を尋ねて、わが夫を助けて欲しいという訴えをしたりしました。
マスコミの朝鮮戦争中の拉致についてたくさんの報道をしたりしたのですが、しかし冷戦時代にそのような動きは何の成果も上げる事ができませんでした。
60年代に入り新しい拉致、つまり漁民たちに対する拉致が始まります。
我々の戦争中の拉致については忘れられていき、そしてその後、韓国政府は何の対策も取りませんでした。

そして時が流れて2000年の6月、金大中大統領が北朝鮮を訪問して南北首脳会談が開かれた時、この時私たちの問題も生死確認くらいは出来るだろうか?と、私たちは期待をかけました。
しかし金大中大統領は486人の朝鮮戦争休戦後の拉致については言及をしましたが、戦争中の拉致に付いては全く言及をなされなかったわけです。
私たちはこの問題を深刻に考えて、家族会を再結成したのです。
そして家族会を作り朝鮮戦争時の拉致問題を広く知らせてきました。
しかし名簿も無いと言って韓国政府はこの問題を疎外して来ました。

私たちは大変苦労して国立中央図書館の書庫の中に眠っていた、1952年に韓国政府が作った戦争中拉致被害者の名簿を発見してそれを公開いたしました。
大韓民国政府が作った名簿であるにも拘らず、今も韓国政府がその名簿が、実態を表す資料だと認めていません。
他の名簿では7000人という名簿もあると、2000人という名簿もあるんだと。
従ってこの8万人という名簿は信頼性がないというのが、韓国政府の現段階での見解です。
それならばあなた達が正確な名簿を作る為に家族から生死確認要請書を受け取って、そして名簿を作れば良いではないか?と私たちは言いました。
しかし未だに準備もしていません。

私たちはこの拉致というものがどれほど深刻な物であって人間の営みを苦しめる物なのかと、どのように人間を苦しめる物なのかという事について、韓国政府は未だに理解していないと思います。
私たちは55年間、奪われた家族の事を忘れた事はありません。
家族というのはこの世の中で一番大切な基本単位であって、この世の中の誰もがその家族を破壊する権利は持っていないと思います。
韓国政府は今この韓国人拉致問題を北朝鮮に話をすれば南北和解の障害物になるといって、この問題を取り上げようとしないのです。
私たちはそれでも幸いに思うことは、戦争中に行方不明になった人たちの生死を確認しようと言う合意が南北で出来た時です。
最初に2002年の9月にそのような南北の合意がされ、また2002年の6月と9月にもそのような合意がなされたのです。
私たちは生死確認が大切だと思って、政府に対してその結果を待っているんですが、未だにただの一件についてさえ生死確認はなされておりません。
私はこのような生死確認の問題、拉致問題の完全な解決は金正日が政権から追い出されない限り、完全な解決はないと思っています。

今韓国の一部の親北派と言われる人たちは、北朝鮮を刺激すれば戦争になるというような事を言っています。
北を刺激すれば戦争になると。
戦争になれば大変莫大な費用がかかると。
それに比べれば今北朝鮮に無条件で支援している費用は十分の一にもならない小額であるというような、デタラメな論理を展開しているのです。
平和と言うのはただ実力によってのみ守れるというのが私の考えです。

今拉致問題は、日本の拉致問題、韓国の拉致問題、そしてそれ以外の国の拉致問題が発見され続けていると聞いています。
金正日を孤立させてそして弱めていく為には、私たちは連帯をして圧力を強めていかなければなりません。
このような多くの方たちが関心を持ってくださったことに心から感謝を申し上げて、私の話を終わらせていただきます。(拍手)

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05.1.2 本文の一部を訂正しました。
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