2005年12月15日

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(4)05.11.23 友愛会館にて

『ハ・ヨンナム朝鮮戦争拉北人士家族協議会・国際問題担当による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

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(写真左端が、ハ・ヨンナムさん)

こんにちは。
皆さんありがとうございます。
私は実はこの席に座ってまして妙な気分に囚われているのです。
と言うのは韓国では私たちの話を聞いてくれようと言う姿勢が全く無いのです。

実は私も数年前まではうちの父についてほとんど関心を持っていなかったのです。
というのは私は朝鮮戦争のとき4ヶ月の赤ん坊であった。
そして父親を奪われた母が一人で必死になって私たちを育ててくれて、父のことを話してくれるそういう余裕さえなかった。
しかしうちの母は私を何不自由なく良く育ててくれました。
他の子供たちの中で父親が亡くなっている人たちに比べて、拉致されたというのは何か誇りのようにそんなふうにも思っていた。

実はうちの母は今83歳でカナダに移民に行ってトロントに今住んでいます。
時々ソウルに来るんですが、2002年のW杯の時、ソウルに大きな荷物で日記を持ってきました。
その頃から母は父のことについて色々文章を書いたり発言を始めていたんですが、私たち子供は何で今頃になって?と思っていたんです。
そこで母が日記を持って来てですね。
ここに父のことが書いてあると、ゆっくりこれを読んで父の事を知って欲しいと言って日記を置いてカナダに帰りました。
W杯が行われている間はテレビを見るのに忙しくてその日記を読まなかったんですが、W杯が終わってその日記を私は読み始めました。

その日記は1959年から始っているんです。
50年に夫を奪われた母は、私の上に二人の姉がいるんですが3人を育てるのに大変忙しくて日記を書く暇も無かったんですが、59年から毎日父の事をいろんな事を日記に書いて、今も日記を書いています。
その日記を読みますとですね。
母が父に会いたいと、父が恋しいと、毎日のように書いているのを読みまして、あぁ私たちを育てる中でもこんなに父の事を思っていたんだと。
それなのに私たち子供は何て父のことに関して無関心だったんだろうかと、涙が止まりませんでした。
そして二人の姉も今外国にいるのでそれを、そしてうちの娘たちにもその日記を読ませてインターネットに上げて、それを読ませてこれを絶対に忘れてはならないと思ったわけです。

うちの母はずーっとずーっと待ち続けていたんです。
しかし55年経って今絶望の中にいるようです。
80年代に離散家族探しのテレビ番組があったんですね。
その時もテレビ局まで行ったんですが、拉致者はそれに当たらないとテレビ局も取り上げてくれなかった。
また韓国軍の捕虜が脱北して帰って来る事があったんですが、そういうときにはその人が書いた本をすぐ買って読んで、どのような事か?と思いましたけど、結局韓国政府は何もやってくれていないんだと言う事が分かりました。
その中で偶然李美一理事長がなさっている朝鮮戦争家族会の新聞記事を読みまして、そして大変嬉しくて私がインターネットに上げている文章などをメールで送ったわけです。

私の母の話によりますと、うちの父はソウル市内で小さな製粉所をやっていたんですが。
実は父の兄に当たる伯父さんが日本の時代、大変親日派で大きな製粉所をやっていて日本軍に納品をするくらいの状況だったので、そのために取調べを受けて連れて行かれたのではないか?とうちの母は話しています。
一度警察に連れて行かれたんですが、その時父はそれほどたいしたことは無いと、お前たちは田舎に行っていろと言って、私たち家族は田舎に行ったんですが1週間くらい経ったらば父が隙を見て田舎まで来たんです。
それで2〜3日一緒に過ごしていたんですが、やはり自分の製粉工場が心配だった。
新しい機械も入れたんだと、もう一回に見に行って来ると言ってソウルに行ってしまった後、また捕まってしまった。
そしてその後消息が無いと。
うちの伯父さん、父のお兄さんがうちに来まして、今回はおかしいと。
全く消息が無いんだと、母に伝えたという事です。

その後うちの母は心配でもう一度ソウルに戻って一生懸命探したんですが、全く消息が無いと。
そこで ナンキョンドンのウォンバン1号に、その製粉所のあったところにず〜っと引越しもせずに過ごしていて父を待っていたんですが父が帰ってこないまま、カナダに移民に行ってしまったのです。
以上です。


救出の為に日米韓連帯を!東京集会(3)05.11.23 友愛会館にて

『金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

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皆さんこんにちは。
ご招待いただいてありがとうございます。
戦争が勃発した時、うちの父は50歳でした。
そして神学大学の教授をしていた牧師でもありました。
また東亜日報の記者をしていたので、言論界でも大変有名でした。
私は父のことを良く知っていて父の心の中の事が良く分かるので、父の思いを皆さんに十分に伝えられることが出来ると思います。

うちの父は日本の植民地時代に終戦の直前日本の警察に連れて行かれて、大変酷い取調べを受けたと言う経験を持っております。
上海にある臨時政府に資金を送った容疑と言う事で本町警察署に連れて行かれて一ヶ月間の大変酷い取調べを受け、その間うちの家族は生活に困窮し私の2歳下の妹は、栄養失調が原因で病死してしまうと言う家族的な悲劇も経験いたしました。
もちろん牧師だったので神社参拝に反対し、また教義的な問題でも弾圧を受ける中、私どもの父が所属していた教団全体が弾圧を受ける中、私の父も苦しみを受けたのです。

ところがおかしいと思ったのは、終戦になって日本人が韓国から帰国していく事に対して、うちの父は大変協力をしていたと。
当時の私の家の近くにも日本人はたくさん住んでいましたし、実は私の家族は家を失って田舎に行っていたんですが、ソウルに戻ってきて臨時に住んだのが日本人が住んでいた家でした。
私たちにその家を預けて日本に帰った人達、その家族は日本に帰る時、近所の人たちに温かく送り出してあげようとうちの父が言い出して、そして荷物もたくさん持って帰れるように取り計らっているのを見てですね。
私は大変不思議でした。
しかし、今になって私は父の心が理解できます。

朝鮮戦争が起きて父は避難する事ができました。
しかし学校を守らなくちゃいけない。
言う言葉を残して私と避難する途中、一人だけもう一度ソウルに戻って行ったのです。
私は田舎で隠れていたんですが、ソウルからの消息で父が捕まって連行されたと言う消息を聞いてソウルに戻りました。
その時うちの妹が拉致を目撃していたのです。
母は食料を求める為に外出しており、父と妹弟たちが家にいたのですが、突然黒いジープに乗った政治警察が現れて家を包囲したんです。

丁度そのときですね。
同じ神学大学の教授が一人我が家に来て、危ないから隠れろと言いに来てくれたのです。
その教授が来て話をしていたときに政治警察が包囲して玄関の門を叩いたので、その教授は押入れの中に隠れて、うちの父が玄関に出たところを裸足のまま引きずり出されて連れて行かれてしまった。
妹たちや弟たちが目撃していたのが父の最後の姿なんですが、そのあと消息はないんですが、実は一緒に拉致されていって脱出してきて韓国に戻ってきた人たちが東亜日報に証言をしている記事が出たのです。

その証言によりますと、うちの父は北に連れて行かれて収容所に入れられて、そこで北の地下教会の牧師と秘密に連絡を取っていたと。
その連絡を取っていた事が暴露されて政治警察につれて行かれてその後出て来ていない。
その後消息が全く無いのです。
それが私の父の拉致の過程の話です。

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05.1.2 本文の一部を訂正しました。 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(2)05.11.23 友愛会館にて

『李美一(リ・ミイル)朝鮮戦争拉北人士家族協議会理事長による、ご自身の家族のお話(通訳・西岡氏)』

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朝鮮戦争拉致は1950年までさかのぼるわけです。
北朝鮮は1950年の6月25日夜明けに奇襲南進を仕掛けて来たのです。
当時の韓国政府は敵軍を迎え撃つ事ができず、ソウルは3日目に陥落してしまいました。
私たちの家族は父と母とそれから祖父と祖母がおりまして、そして5歳の私のお姉さん、それから1歳を過ぎた小さかった私と言う家族でした。

当時韓国政府はソウルは死守すると、避難に行くなと私たちに伝えておきながら南に逃げてしまい、そしてソウルと言うのは韓江というのが南側に流れているんですね。
南に避難する為にはその川を渡らなければならないのですが、北朝鮮軍が南下するのを防ぐ為に大韓民国政府が南に秘密に逃げた後、6月28日に韓江に架かっている橋を韓国政府が爆破してしまった。
私たちの家族はそのような爆破計画があると知らなくて、その前日の27日に南の方に逃げていこうと思ってその橋の所まで行きました。
その時韓国政府は軍とそれから軍の関係の装備だけは南に行かせる事を許して、民間人は南に逃げる事を許さないで家へ戻れと言いました。
それで27日の夜は橋の近くの友達の家で夜を過ごしたわけですけども、28日の朝、橋は爆破されてしまったんです。
仕方なく私たちは家に戻って過ごすしかなかったのです。

その中でうちのおじいさんのお兄さんが医学博士だったんですが、北朝鮮に拉致されたという消息が伝えられました。
その不幸は9月5日我が家にも襲ってきたんです。
政治保衛部員、いわゆる政治警察ですね。
政治保衛部員と言う人が我が家に来まして、その時家にいたお父さんと出会ったわけです。
当時の韓国は反共が最も重要な価値観であった為に、大韓民国の国民はなんらかの反共団体・愛国団体に所属しておりました。
政治保衛部員が最初に父に聞いたのは、もともとの父の故郷は北朝鮮地域だったのでいつ南に来たのか?と聞きました。
戦争前、つまり北朝鮮の政府が出来てから逃げてきたんではなくてその前に、日本の植民地時代に南に来たんだと言ってその質問には上手く切り抜ける事が出来たんだと。

次の質問は愛国団体に金一封を寄付した事についての質問でした。
少ししかしなかったと言ったんですが、じゃあちょっと調査しなければならないと言って連行して行ったのです。
しばらくしたら戻ってくると思っていたら中々戻ってこないので、うちの母が当時の北朝鮮の内務省(ネームソ)、北の警察ですね。
に、うちの姉を連れて迎えに行きました。
中を見ると父が調査を受けていたんですが、その後しばらくして父が政治保衛部員に連れられて出てきて、そして路面電車に乗せられて行きました。
当時路面電車があったんです。
そこで母が駆け寄って「どうしたんですか?」と聞いたらば、真っ青に青ざめた父が「もう少し調査をすることがあるんだ」と言って「明日になれば帰れるだろう」と、母に言った言葉が最後の言葉になりました。

その後警察署に連れて行かれたと言うのですが、警察署に言ってみると一週間後には解放するといわれた。
一週間後にもう一度行って見ると北から指令が来て安全地帯に退避させる、と言うのが彼らの答えでした。
その後私たちの家族は父が帰って来る事だけを待って、連れて行かれた自宅、それをずっと守ってその家で今も暮らしています。
家族を本当に愛してくださった父のことを私は忘れる事はできません。

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05.1.2 本文の一部を訂正しました 

救出の為に日米韓連帯を!東京集会(1)05.11.23 友愛会館にて

第1部・朝鮮戦争拉北人士家族協議会の方々による講演

『西岡力 副会長のお話』


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(写真は右より西岡氏、李美一(リ・ミイル)朝鮮戦争拉北人士家族協議会理事長、
金聖浩(キム・ソンホ)前理事長・現レインボー財団理事長、
ハ・ヨンナム朝鮮戦争拉北人士家族協議会・国際問題担当です。)

でははまず皆さん、韓国の皆さんに拍手をもってお願いします。(拍手)
実はですね、このお三人の中の真ん中に座っていらっしゃる金聖浩(キム・ソンホ)理事長は、この集会だけの為にいらっしゃったんではなくて、約2週間、日本全国の大学を回って日本の大学生を相手に巡回公演会を今して下さっているんです。
その最中に今日のこの集会のスケジュールがありましたので来て頂きました。
後ほど金理事長からもお話があると思いますけども、実は2003年の5月に、5人(の被害者)が帰ってきた直後の国際フォーラムでの国民大集会の時に、李美一(リ・ミイル)理事長と金聖浩理事長と来て下さったんですね。

そこで金聖浩理事長が訴えたのを聴いた日本の大学生が感動しまして。
そして韓国にも拉致被害者がいたんだと、その人たちのことを我々は知らな過ぎたと。
韓国へ行って拉致のことを勉強しようと、日韓の拉致被害者を救出する為に韓国の大学生と協力出来ないか?と言ってですね。
2003年の夏・2004年の夏・今年の夏と3年連続で、大学生たちが自分のお金で日本全国の大学から集まってですね。
訪韓団を作って行ったんですね。
その時私が電話をしまして、日本の大学生たちが行くけどよろしくと言って。
金理事長や李理事長に食事をご馳走になったりして色々お世話になったんですが。

その時に金理事長が大変お世話をしてくださって、最初は韓国の国立墓地に連れて行ってですね。
韓国で訴えるんだったら、まず韓国の為に闘って死んだ人のところにお参りしなさいと、言ってそこに連れてって下さった。
その後、韓国の学生とディスカッションをしたり、韓国の家族に会って話を聞いたりと言う事をやって来まして。
それで今度は日本の学生たちがこの金理事長の話を自分達だけが聞くのはもったいないと言って。
日本の大学生たちが企画をしてですね。
金理事長を日本の大学に招こうという事になりまして、熊本大学、それから昨日は首都圏の大学の学生が集まって八王子の方で集会がありまして。
それから大阪教育大学、立命館大学、佐賀大学、福岡教育大学、長崎大学と大学で大学生たちに金理事長が韓国の拉致の問題、また最近は脱北者の救出運動をやってらっしゃいますのでその問題。
また日韓の歴史の問題。
歴史的な違いを越えてどうやって日韓の学生が連帯できるのか?と言う問題について講演をしてくださっているんですね。

また今日は午前中には月刊正論と言う雑誌の中に、増元照明さんと私と3人で座談会をしまして、次号にその話も出ると思いますので是非関心を持たれた方は、月刊正論の次月号を買ってくださるかと思いますが。

そして、それ以外の李理事長はいつも国民大集会の時に毎回来てくださっているんですが。
そしてそれからあちらのハ・ヨンナムさんは、韓国の朝鮮戦争家族会の国際担当の理事で英語が堪能でいらっしゃるんですけども。
3人が今日は来て下さいました。
前回は朝鮮戦争休戦後の拉致問題について取り上げたんですが、今日は朝鮮戦争中の民間人拉致について取り上げて、そしてその人たちを救出する為に、あるいはこの問題解決するために我々が何ができるのか?と言うことを考えたいと思っています。

まず韓国の拉致家族会の活動の紹介に入る前に、お3人の方々がそれぞれ、どの家族がどのように拉致されたのか?
家族会としてではなくて家族として、ひとりひとり朝鮮戦争のときに何が起きたのか?と言うことを私たちが理解する為に、自分の家族の話をして頂きたいと思います。
まずは李美一理事長からお願いします。

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05.1.2 本文の一部を訂正済み

2005年11月06日

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(12)05.10.20 日本青年館にて

『質疑応答』

★質問者1

救う会埼玉の加藤と申します。
あのですね。
韓国人の拉致被害者の方々に韓国政府が非常に冷たい態度を取られていると。
金泳三、それから金大中、それから今の盧武鉉ですか。
左かかかった、あるいは日本で言えば村山富一みたいな人間がずっと大統領をやってるわけでしょう?
そういう人たちになってからそういう態度を取り始めたのか?
あるいはそれ以前、例えば全斗煥の頃はどうだったのか?
予備知識が無いんでちょっと分からないんですけども。

★質問者2

韓国で拉致された人はですね。
漁船とか船で拉致された人と、それから海岸とか陸上から拉致された人の人数とかは分かってるんでしょうか?
その本に書いてあるんですか?
あ、じゃあ良いです。

★質問者3

特定失踪者高野清文の妹、高野美幸です。
最近ジェンキンスさんの本の中で、日本人・韓国人以外の拉致被害者の方たちがいらっしゃると言う内容の趣旨は伺いました。
私は私の勝手な想像なんですが、兄が技術系の仕事をさせられているとするのならば、きっと他の中近東とか他のアジア地区の方々も拉致されているのではなかろうか?と言うことは、ちょっと予測をしていた範囲の中での事だったので、それがジェンキンスさんの「告白」の中で裏づけをされたような形になったわけですが。
そういった意味で、日本政府が被害にあっていらっしゃる方の国に伝えたと言うような内容の事はちょっと・・・上とかで拝見したんですが、日本・韓国発でそういった拉致被害者の方がいられるであろうと言う国に訴えていくと言う方向性は、要するに拉致と言う事をもっと国際的にしていく。
更にその中でリーダーシップをとって行くという意味でそういうことをやっていく方向でどのようにお考えでしょうか?
変な話ですが日本国内で広がらないのに、世界的に広げるのはどうかと言う部分で、すごく胸が痛む事なので質問させていただきました。


※回答 崔成龍さん(通訳:西岡氏)

全斗煥時代や盧泰愚時代は冷戦時代であって、南北の交流というのはほとんど無いと言う状況の中で、拉致問題を議論できるような条件は全く無かった。
金大中時代になって南北の交流が出た事によって、逆に解決のチャンスが出てきた、と言うふうに見ています。
先ほども拉致についてマスコミの議論が出てくるのは70年代の金泳三時代で、それ以前は逆に家族の方が監視の対象であるという状況であったということですね。
だから先ほど言った崔祐英さんはお父さんが拉致されている事も友達に言えなかった、と言う時代でした。

★質問者1 加藤さん

やってくれそうな人が大統領だった時は問題にすら出来なかったということですか?

※回答 崔祐英さん(通訳:西岡氏)

実は過去にはですね。
80年代の終わりやあるいは90年代、北朝鮮は非転向長期囚の送還をずっと求めてきたわけですね。
その事に対して韓国政府は、それならば拉致被害者を帰せ、韓国軍の捕虜を返せと言う事を言っていたんです。
しかしそれに対する世論は、世論の監視の中で北の(主張に)対して反対の、反論する事を言ってたという状況があったんですが。
ところが韓国で家族会が出来て世論が少し出てきた状況で、世論の方は少し変わったんですが2000年前後ですね。
ところが韓国政府はその状況を逆に下げてしまった。
で、非転向長期囚だけ一方的に返して、韓国人拉致被害者や韓国軍捕虜に関しては条件にしないで、離散家族の中で離散家族が100人あるとしたら5%に韓国人被害者と国軍(捕虜)の家族を入れて会わせると言うふうに、北朝鮮の要求を呑んでしまったと。
世論が無かった時代に韓国政府は一定の要求をしていたけど、世論が出来た時点で韓国政府が政策を降ろしてしまった。

2000年以前は拉致家族だと言う事も出来ませんでした。
社会的な雰囲気の中でですね。
そして親戚に拉致家族がいるということが分かると、例えば警察に勤めていても辞表を出さなきゃいけないということがありました。
2000年以後、家族会を作ってこの活動をすることによってそういう事はなくなりました。

※回答 崔成龍さん(通訳:西岡氏)

正確な数字は今持ってきていないんですけれども、私の本には書いてなかった。
あとで事務所に行けば分かりますけども、90%くらいが漁船の拿捕で、それ以外に留学中の者もあり。
中国に拿捕されたと思われていた船が実は船員が北朝鮮にいたと言うケースもありまして、それはまだ484名の中に入っていないんですが、もっと多いと思います。

先ほどお話を聞いていてですね。
私は日本政府の姿勢が羨ましいといったら、まだまだだと仰るんですが。
しかしつまり情報さえ取ってくれば日本は動くだろうと。
髪の毛だとか何しろ物証で持って来れば日本は動く。
だから情報を取る為に努力したいと申し上げたんですけど、韓国は情報どころか本人が逃げて来ても助けようとしない。
そういう違いがあると言う点で、情報さえあれば動いてくれると言う政府を持っているのに、それでも駄目だと言えるような立場が逆に羨ましい。(会場内小さな笑い声)

あと国際的な活動に付いては、レバノンやタイやルーマニア、ルーマニア人はイタリアで拉致されたんですよね?
そういうようなことについてどのよういうふうにアピールしていくのか?
まず国連の場でぜひやっていきたい。
アメリカに行く時もぜひその資料を持って行っていただきたいと思います。

(司会の平田氏の締めの挨拶のあと、会場より拍手)

・・・集会終了・・・

2005年11月05日

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(11)05.10.20 日本青年館にて

『本間勝さんのお話(田口八重子さん兄)』

明日朝鮮総連の方に陳情に行かれるということですよね。
在日の朝鮮政府と言うのは我々とすれば核と言うのは非常に金正日に直接つながっている、危険な人物だと。
国会議員という人たちが6人も核として在籍しているわけですよ。
その辺を認識して交渉していただいて、頂ければなぁという、まぁ忠告ではないですけれど、ご存知だと思いますけれどもそのような事もあるんだと。

在日の組織の中には韓国の居留民団と言うのもありますよね。
だから朝鮮総連ばかり、その朝鮮総連は金正日と直接つながっているから、まぁ直接的には良いのかも知れませんけども、朝鮮人とすれば日本にいる民団系の人も力になってくれると思うんですよ。
それで民団の方にも力を頼むと、ハッキリ言えば・・・(聞き取れず)当然だと思うんですけどね、朝鮮の仲間とすればね。
そういった事をやっていただければ少しでも展開が開けていけるのではと。
気をつけてよろしくお願いします。

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(10)05.10.20 日本青年館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話』

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ご苦労様です。
先ほど崔成龍さんの話を聞いていて、北朝鮮が崔成龍さんを襲って自分が殺される事でこの拉致問題が大きく進展するのなら殺されても良いと仰っていましたが、私も実は9.17以前それと同じ事を思っていました。
私の自宅の鍵が盗まれまして誰に盗まれたのか分からない状況がありました。
でも工作員が来て私を傷つけるなら、それで拉致問題が大きくなるんだったら、本当にそちらの方でも構わないと思ってました。
それほど私たちは追い詰められていました。
同じやはり気持ちでいらっしゃるのかなぁと思いました。

私たちはどうせどんなに・・・ても工作員でも構いませんから、やられるものならそれでも・・・(一部聞き取れず)
それだけ日本の反応が冷たかったというのもあったんです。
今現在このように皆さんが拉致問題関心を持っていただいて、我々を励ましていただいて本当にありがたいと思っています。
政府があのように冷たい態度を取っておられるので非常に嘆かわしい。
今御三人が日本が拉致問題積極的で羨ましいと仰っていますが、日本にいる我々はそんな事ひとつも思っておりません。
もっとやれ!というそういう気持ちでおりますし。

今日も昼間古川了子さんの裁判に行って来ました。
この中にも傍聴された方が何人かいらっしゃいますけど、とにかく古川了子さんの拉致認定に対して政府は全くやる気が無いと言うその姿勢ですね。
法的利益が全く無いので裁判自体を、裁判をしないでくれと言う訴えです。
しかし認定されている人も認定されていない人も、私たちは一生懸命やってると言ってるんですから、だから古川了子さんの事は私たちは認識している、一生懸命やって頂けると言うことですよね。
でも認定はしないと言うことらしいです。
それを今どうにかしないといけないと思っていますが。
それが出来るのは官邸だけしかないと私たちは感じていますし。

今靖国の問題でテレビが色々中国や韓国の反応を言ってますが、それよりも昨日の党首討論の中で拉致問題がほとんど喋られていないと言う事。
(民主党党首の)前原さんが、もっとあの、国家安全保障の専門家だったら、拉致問題でなんで突っ込まないんだ?と私は思っています。(拍手)
国会議員が、拉致問題がこの国家にとってどんなに大きな問題か、国家安全保障についてもどれだけ大きな問題か認識が足りない。
私はそのように感じています。
靖国で韓国の人たちの反応を放送するのではなくて、先ほど崔さんが仰ったように今清津に二十数人の韓国人拉致被害者がいると言うこの事実を、もっと大きく報道するべきはマスコミではないですか?
私はそう思っておりますので、日本のマスコミもその点に関しては強くやっていただきたいと思います。

それから一つだけ訂正させていただきますが、ハイドさんにお会いして私は北朝鮮の人権、拉致問題に関して議会決議をしてくれとは全く一言も言っておりません。
私たちの状況を申し上げたら、ハイドさん自身が「じゃあこの拉致問題、拉致被害者救出の為に国会で議決をしよう」とあの方が先に言ったんです。
そして一ヶ月で草案を作り二ヶ月で議決、全会一致で上げたんです。
しかし日本はいまだに北朝鮮人権法でさえ上程される状況にはなっていません。
拉致被害者救出の為に経済制裁発動の動議もまだ国会でなされようとしていません。
非常に情けない、憤りを感じていますが。

私たちがやっていく事によって全ての拉致被害者が救出につながると信じていますので。
韓国でも声を上げていかなければならないし、私たちも声を上げて韓国政府を余り頼りにしないで日本独自で単独経済制裁の発動、これを目指していきたいと思っています。
以上です。(拍手)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(9)05.10.20 日本青年館にて

『飯塚繁雄 家族会副代表のお話』

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皆様こんばんは。
私は先ほどから記者会見の時からご一緒して色々お話をお聞きしたんですが、やはりあの皆さん仰るには、日本の拉致問題に関する活動の実態。
これを見て非常に羨ましいと、言うコメントもありましたけども。
もちろんこれは解決しなきゃ良いも悪いもないんですけれども、ぜひ韓国においても日本の皆さんのように国民が盛り上がってぜひこの問題解決していきたいというすごい強い願望があります。

その他にですね。
いわゆる家族会を取り巻くいろんなNGOの方が、もうちょっとご支持とか。
それから国会議員のいわゆる超党派でこの問題を考える、具体的に行動する。
こういう連盟が無い。
そういうことがありまして、今日は議員の先生方も議連の役員の方も来まして、今度そういうことでは韓国と議連という立場で付き合うことを形として作っていくと。
言うふうに言っておりましたし、とりあえず当然ながら韓国もいわゆる超党派でこれを作ると。
野党のハンナラ党と言うのはこの拉致問題真剣に考えて特別委員会も作ってあるんですけれど、肝心の与党がこれに乗ってこないと言う、局面もありますけども。
要するにこの問題を真剣に考える議員の先生方を集めて、日本とも交流していきたいという話をしておりましたし。

我々この拉致問題の一番今足らない所と言うのは、いわゆる北の情報ですから。
そういう意味では韓国の人たちが物凄く北に拉致されていると。
それから帰国者、我々の5人の帰国者の話からしても、被害者として韓国人がたくさんいましたという話もありますし。
そういった面では韓国ルートの拉致に関する情報と言うのはかなりあると思います。
そういった形が出来れば我々日本人の情報も含めてどんどん入るんではないかと。
言う事ではこれからも一緒に活動していきたいと思います。
ありがとうございます。(拍手)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(8)05.10.20 日本青年館にて

『横田早紀江さんのお話』

皆様こんばんは。
今日は韓国から本当に大変な中で活動している皆さんご苦労様です。
本当にありがとうございます

今日は話を色々お聞きして、日本と全く全然違った面での中々思うように行かない政府の大きな壁の中で闘っていらっしゃると言う事、本当に・・・思います。
私たちはたくさんの方に助けていただいても、支援者の方とか国民のこうした多くの方が、いつも全国のたくさんの方が本当に一生懸命になって励ましてくださって、その中にあってもね。
本当に悲しくて、時間も長いし、体力的にもやっぱり疲れてきますし、向こうにいる子供たちの姿も何にも分からない。
いつまで経っても見えてこないという中で、本当に苦しい拷問を受けていますのに、本当に韓国のね。
状況をお聞きして、それどころでない方が今ここにいらっしゃるんだなぁと思うと、どうしたらいいんだろうと。
一人の人間としてね。
韓国の政府も日本の政府も本当に大事な命をどうしたら自由にしていただけるんだろうと、考えていただけるようになるには、どうしたらいいんだろうと悩むばかりですけれども。

難しい問題だけにひとつひとつの事をしっかり一生懸命やっていく事。
私たちも初めは、9年前は、何にも皆さんに関心を持っていただけない時期がありました。
署名活動をしても誰も通り過ぎるだけでほとんど立ち止まってくれませんでした。
毎年毎年こうして皆様に訴え続けている中で、本当にたくさんの方が、本当に自分の子供だったらどんなに大変な事かわからないと涙を流して励ましてくださるようになりました。
本当に大変な9年間ですけども、やっぱり一生懸命に心を込めて頑張って前進していく時に、必ず開けて来るんだなぁと言う事を今実感してますので、絶対に希望を失わないで、私たちも一緒に頑張りますので・・・頑張っていただきたいと思います。

本当に今日はご苦労様でした。(拍手)

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※お断り
早紀江さんのお話は会場のマイクの調子が悪く、録音の音声がハッキリ聞き取れない状態でした。
できるだけ音声を拾いましたが、テキスト中聞き取れないところはやむなく飛ばして空白にしてあります。
また、一部聞き間違っている部分もあるかと思います。
発言の趣旨は概ね間違ってはいないと思いますが、オリジナルの発言とは多少言葉尻が違う部分があるかもしれない事を予めご了承の程お願い申し上げます。

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(7)05.10.20 日本青年館にて

『西岡力 救う会副会長のお話 その2』

そしてあと3人の人を助ける事について、協力したのがそこにいらっしゃる都希侖さんです。
都希侖さんは脱北者を助ける活動をたくさんしており、そういう中で情報をたくさん集めて、2000年に拉致されたキム・ドンシク牧師の問題でも、どこにいらっしゃるかどうなっているかという情報を集めてアピールしたりとか。
積極的な活動をしているわけです。

そして崔祐英さんの方は韓国政府を相手に国家賠償の裁判を起したんです。
しかしそれも敗訴してしまった。
負けてしまって、それでつまりその判決がすごい判決だったんですが、

「小さなことに関ずらって、大きな事を失う過ちを韓国政府は犯さなかったから良かった。」

と判決文に書いてあるんです。
つまり拉致被害者救出と言うことは小さなことで、南北首脳会談は大きな事だと。
と言う判決文が出たんです。
これは2004年の9月に一審判決が出たんです。
しかしこんなような酷い判決が出てるのに、この判決が酷いと言う事が韓国国内でほとんど報道もされていないと、言う状況であります。
つまり韓国人拉致の問題は実は韓国政府が金正日を刺激してはならないと、北朝鮮側に付いて来ていると言う問題抜きに考えられないんです。
2000年からはそうなったわけです。

金大中大統領は実は拉致問題を解決するというふうに言ったわけですね。
これは9月3日ですね、テレビで。
2000年の9月2日に先ほど言った非転向長期囚・辛光洙が(北朝鮮に)帰った後、9月3日テレビでですね。
拉致問題について、(西岡氏手元の資料を読み上げる)

「北朝鮮の立場からは拉致は無い、そのような事は無いと言うのです。
しかし私たちが実際色々な情報と全ての物を通じて判断し把握した所では、韓国人捕虜が300名〜400名いるとされていて、また拉致被害者のその程度の数、全部会わせて700〜800名ほどが把握されています。
大部分はあちらで結婚をし家族を成して暮らしています。
私たちは必ずこの問題を必ず解決しなければならない。
とにかくどのような形態でもお互い南側にいる家族に生死の消息を伝え面会もして、そして必要な人は再結合もし、このようなやり方で問題を推進していくのですが、水面下での接触をもっと進展させなければならない。
そのように考えています。
この前も拉致被害者家族がホテルの前で慟哭するのを見て、胸が張り裂ける思いでした。
今回私たちは非転向長期囚を送り返しましたが、韓国人捕虜や拉致被害者についての問題を解決するのに助けになるはずです。
その問題について言いたいのは、韓国は人権国家ですからこれが出来るんです。
全世界が韓国の人権国家としての面目を、今日確認するようになるんだろうとそう考えています。」

言うふうに、まぁ言ったわけですね。
非転向長期囚を送る事、あるいは辛光洙を送る事が韓国人拉致にも助けになるはずだと言ったんですが、助けにはなってないわけです。
つまり実はですね。
韓国政府の政策を見ますとですね。
99年の3月には金大中大統領が、非転向長期囚と韓国人拉致被害者について交換しなければならないということを言ってるんですね。
99年には。
これが青瓦台のHPに出ているんです。

ところがそれを裏切って一方的にスパイだけを送ったと。
しかしそのスパイの中に日本人拉致の犯人が入っていたと。
だから韓国の崔成龍さんたちは韓国から板門店に向うバスの前に座り込んで、1時間くらいですね。
北にバスが行くのを妨害したんですよね?
実は辛光洙が2000年に(北朝鮮に)帰ってしまわなくて日本に来ていれば、2000年の時点で横田めぐみさんと曽我ひとみさんと言う名前を我々知る事が出来たかも知れない。
増元るみ子さんや石岡さんや有本さんについての話も・・・まぁ、それはそうじゃないか?
辛光洙で把握できたのは、原(敕晁)さんと曾我さんと横田さんとですね。
(勉強を)教えたりしてるんですから。
金正日が拉致を認める2年前にめぐみさん拉致の証拠を我々は握る事が出来たかも知れない。
金大中大統領は二重の意味で裏切ったと。

そして今、28人の今度は一応転向した長期囚なんですね。
転向したことになってる長期囚の人たちが、「俺たちの転向は拷問による物で本当の転向じゃなかった」と言い始めて、その人たちを返せと北が言ってて、韓国の中の左翼も早く送るべきだと言ってて、韓国政府も返すと言ってる。
韓国人拉致被害者がひとりも帰ってきていないのに、そうなっている。
今韓国政府の拉致に対する政策は離散家族の枠の中で扱うと。
離散家族の再会をやってるんですが、その中に(拉致被害者を)二人とか三人入れて韓国人の家族会の人間が行って一回だけ会うことが出来ると。
そこで幸せに暮らしているとか言われて、その後手紙(のやり取り)とかも出来ない。
言う状況になって、何人かの人たち、先ほど行った韓国機のハイジャックされたスチュワーデスの人たちなどは親と面会する事は出来ているんですが、帰ってくることは出来ていないと。
帰ってくることが出来たのは崔成龍さんが連れてきた4人だけ、と言うことであります。

ただ国際社会は韓国人拉致について、関心を高めています。
我々も集会のたびに取り上げて来ていますが、アメリカで関心が高まっていまして、2004年に成立しました北朝鮮人法ですね。
これはアメリカの上下院全会一致で成立した北朝鮮人権法の中には、日本人拉致問題が書き込まれている事はご承知の通りですが、実は韓国人拉致問題も書いてあるんです。
日本人と韓国人拉致問題が解決しない限り、アメリカ政府は人道支援を除く北朝鮮に対する経済支援をしてはならないと。

それからもう一つ、今年の下院は5月でしたっけ?
今年の6月にですね、アメリカの下院の本会議。
北朝鮮人権問題の本会議決議と言うのが圧倒的多数で通りまして、その文章を読みますとですね。
横田めぐみさんとか増元るみ子さんとか具体的な名前が書いてあるんですが。
その中に韓国人拉致被害者についても具体的に書いてありまして、アメリカ政府は北朝鮮と核問題で当然交渉しなければならないけれども、核問題で交渉する時に拉致問題を含む人権問題について絶対に取り上げなければならない。
言う事を決議に書いてあるわけです。

実はこれは増元さんが4月に島田副会長と訪米した時に、下院の外交委員長のハイドさんの事務所に行って何が出来るかと。
本会議決議が出来ませんかと言って、アメリカもどこの国の外交官っていうのはそういうことを嫌うみたいなんで、アメリカの国務省に秘密にしておいてくれといって、国務省には秘密で島田さんと後韓国のNGOが色々やって決議の案を作って、そしたらば圧倒的多数で通った。
つまり国務省としては核問題の交渉で手足を縛られたくないんですね。
しかし議会が核問題をやる時に、韓国人拉致問題と日本人拉致問題も取り上げなければならないという決議を通した。
言う状況なわけです。(筆者注:この項に関するお話は後ほど増元氏より訂正があります)

そこで我々日本にとっての韓国人拉致問題を考える時、我々が考えなくちゃならないのは、我々家族会そして救う会・拉致議員連盟は韓国人拉致問題を取り上げているんですが、日本政府は全く取り上げていない。
あるいは日本の国会の決議の中でも韓国人拉致を取り上げた事はない。
アメリカは先ほども言ったように日本人も韓国人も自国民ではないわけです。
自国民ではない被害者について法律に書き込んで、そして国会決議にも書き込んでるわけです。
拉致はテロでテロと一緒に戦うということから、世界のテロと戦うということをしっかりしているんです。
あるいは人権と言うのは国境がないと。
人権が侵された人は皆助けなくちゃいけないという姿勢があるわけです。
日本政府にそれはあるだろうか?と。

実は2003年に国民大集会をしましたときに、その時は韓国からたくさんの家族の方に来ていただいたんですが、安倍晋三さんが(官房)副長官だったんです。
日本政府を代表して韓国の家族に会って欲しいとお願いしたら安倍さんは会ってくれたんですが、しかし政府の部屋では会えない。
と言って代議士・安倍晋三として国会の会議室で会うといって国会で会ってくれたんですね。
なぜならば多分政府の官房副長官の上の方にいる人、何人かしかいませんけども、(小さな笑い声)との関係があったと直接ではないけれど、私は聞いています。
日本政府は韓国政府が取り上げない問題は取り上げないんです。

しかし我々は日本人拉致について、もちろん日本の主権侵害ですから我々が解決するんですけれども、国際社会に訴えているわけです。
アメリカに行ったりジュネーブに行ったりして普遍的な人権侵害だと訴えてるんですね。
日本政府はそれを支持している。
拉致が普遍的な人権侵害だったらば、国籍を超えて韓国人拉致についても日本政府は発言をしなければ、自国民だけ助かれば良いというふうに思われても仕方が無い。
日本は普遍的な人権侵害なんか考えていないと、いうふうに思われてしまうわけです。

実際ですね。
安明進さんは言ってますよね?
実は工作員学校の先輩が何人かいるんだと。
その人たちが口を開けばもっと情報が出てくると思うと。
韓国に脱北者がたくさんいるわけなんですけども、そういう人たちに対して韓国政府は、安明進は日本に利用されているだけだと。
日本の運動は日本人を取り戻すだけの運動だと。
北朝鮮の苦しんでいる人民の事など何も考えていないんだと。
だから日本に利用されるだけで終わってしまう、安明進は親日派になっただけなんだと。
言って脱北者の人たちに日本に協力するなと言って説得してるんです。

安さんはしかし自分は日本人を助ける為には闘うけれど、自分の同胞である北の人民も助けたいと。
金正日と言う一緒の敵がいるんだから一緒に闘うんだと、命をかけて証言してくれているわけですけれども、私たちは普遍的な人権の立場に立つのかどうかと。
我が国政府が触れていない人権の立場に立ってるんだろうかと。
言う事を厳しく見ていかなければならないと。
アメリカに行って日本人を助けてくださいと言うときに、アメリカは普遍的な人権の立場に立っているのに、日本は日本人だけを助けてもらえば良いと言う立場に立っていたらば、アメリカ人から軽蔑されると思います。

実は私たちは来週ですね。
月曜日から土曜日まで増元事務局長と横田拓也家族会事務局次長と救う会の島田副会長が訪米します。
先ほどお話しました北朝鮮人権法で、任命される北朝鮮人権特使と面会をする約束が取れています。
その時にぜひ、今日増元さんここにいて、我々は韓国人拉致問題も一緒に解決しようと思ってるんだと。
北朝鮮人権法に日本人と韓国人拉致両方を書いてくれた事に感謝すると。
韓国人拉致被害者の人たちと先週会ったけれども、韓国人拉致についてもぜひ一緒に努力して欲しいと言ってくださると思いますが。
まず日本の政府にそして日本の国会に普遍的な人権の問題、あるいはテロとの戦いと言うことで、韓国人拉致被害者をどう取り上げさせるか?という課題を私たちは持ってるんじゃないかと。
それをすることによって逆に先ほどから言ってますけども情報をもっともっと取れるかもしれない。
一緒に協力して戦えるかもしれないという局面も広がるんじゃないかと思っています。

以上で私の話を終わります。(拍手)

2005年11月04日

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(6)05.10.20 日本青年館にて

『西岡力 救う会副会長のお話 その1』

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韓国人の拉致の状況について、実は私扶桑社と言うところから、最近「韓国分裂」と言う本を出したんですが。
この中で1章ですね。
「第4章 見捨てられてきた韓国人拉致」という章を設けておりまして、そこで内容を書いてありますのでぜひ参考にしていただければと思います。

実は韓国人拉致について私たちが取り上げるのは今日だけではなくて、11月23日にもう一度またやろうと思っています。
韓国人拉致は先ほど平田事務局長が司会の中で話されたんですが、二つの側面、あるいは二つの部分に分かれておりまして、
一つは朝鮮戦争中に起きた民間人の拉致の問題があります。
韓国政府が戦争中に作った名簿によると82.959人の民間人が拉致されて、未だにその大部分が生死確認も出来ないままであります。
その朝鮮戦争中の拉致についてはやはり別の家族会がありまして。
朝鮮戦争中の拉致の家族会には11月の23日に来ていただいて、そこでお話を聞くことになっておりますので、ぜひご関心を持ってお集まりをいただく事をお願いしたいと思います。

そして実はもう一つ問題がありまして、先ほど崔成龍代表のお話の中で捕虜の問題が出たんですが
民間人の拉致とは別に韓国軍の軍人が捕虜になって、そしてそのまま抑留されているという人たちがいます。
何人かの人たちは自力で脱出して韓国に帰ってきているんですが、その人たちも自由に帰りたいのに帰れないと言う点では同じ性格があるんですが。
つまり朝鮮戦争中に北朝鮮は民間人を、軍人ではなくて民間人を自分達の必要に応じて拉致したと。
そして韓国人の捕虜を戦争が休戦になっているにも拘らず開放しないで、捕虜はいないと嘘をついている。
いう戦争犯罪をしてきたわけですが、その後、休戦後に韓国人拉致が続いたわけです。

主として漁業操業中に拿捕されてそして北朝鮮に連れて行かれて、大部分の船員は戻ってくる事が出来るんですが、何人かの人たちは彼らの必要に応じてスパイとして使おうとか。
あるいは情報を得るとか。
そのような為に残される。
拿捕と言うのは分かりますから、何人かの人は帰ってくるわけですから。
で、返さない人をどういう理由をつけて返さないか?と言うと、例えば崔祐英さんのお父さんは韓国のテレビに出て「私は韓国政府のスパイでした」と。
そういうような話をさせられてそして「今、自分の意思で北朝鮮に残ります」と。
と言うようなことを言わされてそのまま残されるんです。
寺越さんのタイプに似ている拉致で、(北朝鮮に)いる事は分かっていると言うタイプのものが多いです。

しかし、それ以外にですね。
日本人拉致と同じようなケースで、まず70年代の後半に、5人の高校生が海岸でキャンプをしていて、いなくなったと言う事件がありまして。
3ヶ所で別々にしていたんですが、全く消息が分からなかったんです。
これは横田めぐみさんたちと同じ、あるいは増元るみ子さんたちと同じケースなんですが。
海岸に侵入した工作員によって暴力的に拉致されて北朝鮮に連れて行かれて、めぐみさんたちが目撃されている所と同じ金正日政治軍事大学でスパイが韓国人に化ける、韓国人化教育の教師をさせられている。

この5人については実は安明進さんが証言をしていまして。
安明進さんは韓国に潜入するスパイだったんですね。
で、韓国に入るためには韓国人に化ける訓練を受けなくちゃいけない。
その時の先生だったんです。
安さん以外の何人かの先輩たちの証言もあって、その5人が拉致されていると言う事が分かったんですが。

それ以外に日本の有本さんのケースのように留学中に拉致をされる。
あるいは旅行中に拉致をされる、と言うケースがあり。
それから日本ではちょっと無いんですが、国内線の飛行機がハイジャックされて北朝鮮に連れて行かれて、そしてそのままスチュワーデスなどが帰って来れないで、というそういう拉致もあります。
そのスチュワーデスの人たちは、実は韓国に向けて送られて来ている謀略ラジオ放送のアナウンサーとして仕事をしている。
言う事が分かってきたりしています。

しかし韓国人拉致について先ほど言いましたように、大多数の漁船の拉致のケースの場合、スパイとして使うと言う目的が一つありまして、実際に北朝鮮でスパイとしての訓練を受けて韓国に戻ってきたケースも全くゼロではないんです。
それで韓国政府は拉致被害者家族を、つまり先ほど崔祐英さんが言ったように、監視の対象にしているわけです。
スパイとなって戻ってきたら、まず家族の元に現れて協力を求めるだろう。
家族に匿ってもらうだろう。
だから家族がどこに住んでいるのか?どんな仕事をしているのか?全部チェックをする。
あるいは家族が軍の高官になったりとか、政府の高官になったりとかを連座制で防ぐ。
就職差別もあったということですね。

あるいは戻ってきた人たち、拿捕されて使えないという人たちが戻ってきたりしますよね?
その人たちに対して、本当はスパイとして戻ってきたんだろうと疑いをかけて、拷問をするとか。
そういう事も報告をされています。
それは実際に韓国と言う国に北朝鮮がたくさんのスパイを入れて、テロを行ってたんです。
大統領夫人が実際北朝鮮のテロで殺されましたし、それ以外にもたくさんの政治工作が行われていて、韓国の中では実は冷戦時代も戦争が戦われていたと。
そういう厳しい状況の中で拉致があり拉致被害者の家族が監視を受けたりしていたと、いう状況があったわけです。
韓国の先ほど話がありましたように拉致被害者の人たちは、拉致をされて苦しみを受ける事と、もう一つは拉致をされた後拉致被害者の家族となった事で、苦しみを受けると言う二重の苦しみを受けてきたわけです。

しかしそういう中でですね。
1994年にアムネスティーインターナショナルと言う組織が、北朝鮮にいる政治犯のリストを発表したんですが、その中に11人が韓国出身者です。
もちろんその中には自分で出北朝鮮に渡ったと言う人もいるんですが、確実に拉致被害者だと思われる人が一人含まれているんです。
1978年にノルウェーでいなくなった高校の先生。
コウさんと言う人ですが、ここで韓国のマスコミは国際機関が報道したもんですから、大きく拉致問題を94年の7月に報道したんです。
金泳三大統領も政府が総力を上げてコウさんを始めとする拉致被害者を救出しなければならないと、言う姿勢を見せたんです。
そしたらば北朝鮮はそのコウさんを北朝鮮のテレビに出して「私は拉致されたんじゃなくて自分で北朝鮮に、来たんだ」と。
「収容所なんかには入ってなくて、結婚して幸せに暮らしている」と、言わせたんですね。

実はそのコウさんには奥さんがいて子供もいたんですが、その奥さんがそのテレビを見て自分は捨てられたと思って自殺してしまうと言う悲劇も起きたんです。
これが94年ですけども、95年に韓国政府は北朝鮮に対してコメ支援を実施する。
日本が実施した時に韓国もやるんですが、その時韓国政府は日本と同じように一方的にコメ支援をして、拉致解決を条件にしなかった。
金泳三大統領も拉致を解決せよと命令はしたんですけども、コメ支援をしたときにその事を北朝鮮に要求しなかった。
その次に97年に韓国で、先ほど言った5人のスパイ教官をさせられている拉致被害者がいる。
海岸から拉致された高校生だと言う記事が出るわけです。

これは休戦ラインを超えて亡命したアン某氏によるとと書かれているんですが、安明進さんのことなんですね。
97年の12月の朝鮮日報にその記事が出るんですが。
つまりめぐみさんが拉致された77年にふたり、78年に3人の高校生が拉致されていると言う事が分かるわけです。
しかし安さんによると実は、拉致されて韓国人化教育の教官をやっている韓国人被害者は60人から80人に上ると。
あとつまり70人とかの人は誰が拉致されているか?分かってないわけですよ。
韓国の中でも特定失踪者問題調査会のような活動が必要なわけです。

その後ですね。
97年つまり朝鮮日報の記事は12月に出るんですけども、97年と言うのは日本で家族会が出来た年です。
その年の3月に出来たわけですけども。
そして韓国政府はその後表立って動きを見せるのは、99年ですね。
99年の1月に韓国政府は北朝鮮の政治犯収容所に拉致された韓国人、あるいは自分で北朝鮮に入った韓国人が22人収監されていると言う発表をするんです。
その中に崔さんのお父さんの名前が入っていて、崔さんは新聞で見て驚いたと。
そしてその年99年の3月に韓国政府は、北朝鮮に拉致されてそのまま帰って来れない韓国人のリスト、454人を公開したんです。

その時、朝鮮戦争休戦後ですね。
拉致された全体は3756人でそのうち3302人が帰ってきたと。
大多数の抑留の漁船がありますから帰ってきたけれど、454人が抑留されているということですが。
その後色々な調査や先ほどの崔成龍さんの話があり、韓国政府は今486人と言ってるんですが。
86人のうち二人が帰って来てるんですね。
4人帰国させたんですけれども、その4人のうち二人は韓国政府のリストに無い人だった。
だから今助けを求めている人は484人だという事になるわけです。

99年に私たちは第一回の国民大集会を企画したんですね、日比谷公会堂で。
そしたらば私たちの事務所に韓国から国際電話がかかってきたんです。
韓国にも拉致被害者の家族がいると。
参加したいけれどどうか?と、言う事だったんですね。
それでぜひ来てくださいと言う事で、そこで初めて崔祐英さんと我々が出会う事が出来たんです。
そして崔祐英さんと崔祐英さんのお母さんと、それから留学中に拉致されたイ・ジェファンさんと言う方のお父さんが3人、第一回の国民大集会から来てくれたんです。

でその後も私たちはずっと、拉致問題は日本人が帰ってくれば良いという問題では無いと。
韓国人被害者も一緒に救おうと言う事で、今まで今年の4月にやりました国民大集会まで必ず韓国人拉致被害者の方たちにも来ていただいて、一緒に訴える活動をして来ております。
そして次の年2000年に韓国で家族会が出来たわけです。
その年が実は韓国の南北首脳会談の年だったわけです。

そして南北首脳会談が行われるのが6月ですが、その4月に、実は先ほど崔成龍代表がおっしゃったように自力でイ・ジェングンさんという拉致された方が逃げてきていて、韓国政府が助けようとしていないと言う情報が入るわけです。
丁度私ソウルにいたんですけれども、その電話がかかって来たのを目撃してたんですが。
そして私も話を聞いたんですが崔成龍さんと月刊朝鮮ですね。
月刊朝鮮の記者と、SBSの放送記者と一緒に行ってその場所まで行ったと。
そしたらば自力でもう脱出していて何回も領事館に行ったんだけど、少しお金だけ貰って、これで自分で帰れと。

韓国にいる家族にも連絡はついてたんだけども、偽の旅券を作ったりして帰ってくるにはかなりのお金が必要だったんですね、中国の中で。
そのお金を韓国の家族は出せないと。
それで間に入った人がいて、韓国で家族会が出来たということで家族会に連絡が来たと。
先ほど説明があったように崔さんが行ってその人イ・ジェングンさんに会って、そしてテープレコーダーを回しながら領事館に電話をして、そしたら「おまえ税金を払っているのか?」と言う話をしたので、政府に録ったって。
記者が一緒に行きましたから今度は北京の大使館に行きまして、これを公開するぞと。
それで最初の被害者を救出したのがここにいる崔成龍さんだったのです。

しかし韓国政府はその事実を6月の南北首脳会談までは公表するなと。
北朝鮮を刺激するといって圧力をかけたんですね。
そして韓国に戻すと言いながら北京の大使館でイさんの身柄を確保して、6月の南北首脳会談が終わるまでソウルに送らなかったんです。
しかし朝鮮日報は南北首脳会談の直前に自力で出てきた被害者がいると記事に書いたんですが。
そのあと崔成龍さんはあと3人の被害者を救出する。
そのような活動をされてきたわけなのです。
崔さんがこの書いたものを読みましたけども、実はもっと助けられる人がいると。
お金と時間があれば連絡が付く拉致被害者はいると。
しかし韓国政府が協力的じゃないと出来ないんだと、言う事を記者会見で話されたり書いているので読んでいます。

そのような活動をしたら実は崔成龍さんに対して、去年北朝鮮の労働新聞が名指しで悪い奴だと。
労働新聞が名前を出すと言う事は相当の事なんですが。
その記事が出て中国に行くのは気をつけろと。
中国に行けば暗殺されると言う状況だったんですが、今年の9月になって韓国の当局から韓国国内でも危ないぞと。
脱北者から得た情報によると韓国国内でも暗殺計画があるようだと話が伝わったわけです。
その事を伝えた朝鮮日報の記事によると本当に脱北者から来たのか?
韓国政府と北朝鮮政府の非公式の接触の中で、崔成龍の活動が邪魔だから脅せと言われたんじゃないか?と言う推測さえ出ていると。
これは朝鮮日報の記事に書いてあった事です。
今その記事を書いた記者が同行取材でソウルから来ています。

・・・続く・・・

2005年11月03日

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(5)05.10.20 日本青年館にて

『都希侖(ド・ヒンユン) 拉・脱北人権連帯事務局長のお話(通訳・西岡力氏)

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皆さん、こんばんは。
私は、私たちを招待してくださいました救う会のような、韓国で家族を助ける支援活動をしております団体の事務総長をしています、都希侖です。
平日の夜と言うお忙しい時間の中にも関らずたくさんの人が集まってくださり、韓国人拉致を訴える機会を作ってくださった事に、本当に身の置き所の無いくらい感謝しており、私どもも日本人拉致問題についてもっと積極的に取り組もうという覚悟を新しくしております。

今日の公式の日程が終わった後、私どもは明日、午前11時に朝鮮総連本部を訪問する計画を持っております。
その朝鮮総連を訪問する理由は、他でもなくここにいらっしゃっている崔成龍、崔祐英さんたちの家族、韓国人拉致被害者の名簿を持って、朝鮮総連の関係者に会って朝鮮総連が韓国人拉致被害者の救出の為に立ち上がって欲しいという話をしに行こうと思っています。

朝鮮総連の人たちは大変恵まれている人たちだと私たちは思っています。
北朝鮮で飢えと寒さに苦しんでいる人民に比べて、このような日本と言う世界で2番目の経済大国、アメリカの次の税経済大国で豊かな生活をすることが出来る。
そういう中で人権について正しい理解を持つ事が出来る状況であると思っておりますので、拉致問題について協力をして下さるという期待を持って行きたいと思っています。
私たちが望む成果が上がるように、ここにいる皆様がまたマスコミの関係者が、韓国人拉致についても関心を持っていただければありがたい事だと思っております。

今中国でもう一つの悲劇が起きております。
というのは、脱北して韓国へ来て、韓国で定着をして生活をし始めた脱北者のかなり多くの人たちが、実は中国に入り色々な活動をしているのですが、その人たちが北朝鮮に襲われて拉致されている。
脱北者は中国で合法的な身分を持っていないので、大変苦しい隠れた生活をしているんですが。
その人たちが大韓民国へ来て自由な大韓民国の国民になって、堂々たる身分を持って中国へ入って自由な活動をしたいと。
そういう希望を持って中国へ行くわけです。
なぜこのような話をするかと言いますと、拉致と言うのは日本人拉致が盛んに行われた70年代後半、韓国では漁船の拿捕拉致が行われた60年代70年代80年代だけではなくて、今もこの現在も現在進行形で行われている。
中国やその他の地域で行われていると言う事を申し上げたいからです。

私たちが入手した情報によりますと、清津にあります咸鏡南道(ハムギョンナムド)の道保衛部、韓国人を含む数十人の脱北者あるいは韓国人を拉致して収容していると言う情報をつかんでいます。
これについては韓国だけでなく日本も国際社会も、もっと関心を持つべきではないかと思います。
つまりその清津の道保衛部にいるのは、一度脱北して韓国のパスポートを持って中国へ行って拉致された人と、それから元々の脱北した人じゃなく韓国人も含まれている、拉致されている。
中国で活動している人が収容されている。
それが数十人いると言う情報ですが、その人たちを助ける為にもっと関心を持たなければいけない。
この問題について私たちは今崔成龍代表とも協力しながら、より確実な情報を集めている最中であります。
確実な情報を確保した段階で、日本をはじめとする国際社会にも強く訴えていきたいと思っています。

支援団体から見ての拉致問題、韓国と日本では明らかな違いがあると思います。
韓国は拉致問題の解決において、初めのボタンを掛け間違えたということです。
それに比べて日本の指導部は初めのボタンを正しく掛けたと思います。
北朝鮮が色々な困難があるにも拘らず、日本人拉致を認めた理由はなんでしょうか?
彼らが日本との国交を回復する事によって経済的な利益を得ようとしたことについては、ここに居る皆が知っている事実だと思います。

ところが我が国・韓国政府は2000年の6月の南北首脳会談、その後の多大な北朝鮮に対する経済支援をしてくる中で、ただの一度もこの経済支援を拉致被害者救出と交換するという、その条件として用いた事がなかったということです。
今後いろんな議論・論議があるかと思いますが、支援団体の立場で見るならば、拉致被害者救出のためには北朝鮮に対する経済制裁が最も効果的な手段であると考えています。
支援団体の立場としてはもちろんいろんな論議があるかもしれませんが、私たちは経済制裁を日本の家族会・救う会が強く求めていく事を支援したいと思いますし、私たちも韓国で経済制裁を日本が発動するように求め、また実現するように求めていきたいと思います。

最後に我が東北アジアの安定と平和は、日本人拉致被害者が全員家族の元に帰って来、また韓国人拉致被害者が家族の元に皆自由に帰ってくる事ができて、初めて実現するんだろうと信じております。
拉致の責任者である金正日政権がその再発防止をきちんと約束し、そしてテロをやめる。
そのようなことになるように、日韓の連帯をより強めていく事、それをこの場を借りて約束したいと思います。
とにかく帰国したら、日本人拉致問題の情報収集にも全力を尽くしたいと思っております。
韓国人も拉致されておりますが、我が同じ同胞である北朝鮮によって、皆さん方の同胞・日本人が拉致されている事について、我々としても早く解決できるように情報収集を強めたいと思います。

ありがとうございました。

2005年11月01日

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(4)05.10.20 日本青年館にて

『崔祐英(チェ・ウヨン) 拉北者協議会会長のお話(通訳・西岡力氏)』

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(日本語で)みなさま、はじめまして。

(以下西岡氏による通訳)皆さんこんにちは。
私は、1987年1月15日韓国の西の海(=黄海の事)のペニョン(白○、○=令+羽)島と言う島の近くで、漁業操業中に拉致されましたトンジン号(東進号=正確には、「東進27号」)と言う漁船の漁労長・崔宗錫(チェ・ジョンソク)の娘、崔祐英です。
お忙しい中、日本人の拉致問題ではなく韓国人の拉致問題の為に、このようにお集まりいただいた皆さんに心からの感謝を捧げたいと思います。
また私どもを招待してくれた家族会の横田滋代表、救う会の佐藤勝巳会長に心からの感謝を捧げたいと思います。

私の父は87年の1月に拉致された時、北朝鮮はその年の2月に返すと通報してきました。
私たち家族は父が帰ってくる日を指折り数えて待っていたのですが、突然韓国政府から南北間の間に問題が起きて、あなたたちのお父さんは帰ってくることが出来なくなったという通報を受けたのです。
その時私は高校一年生、私の弟は小学校五年生でした。
愛するお父さんを一番必要としていたそのような歳に、私たち姉弟は金正日によって愛する父を奪われたのです。
父が拉致された後、精神的なそして物質的な大黒柱であった父がいなくなったために、私たち家族は経済的にまた精神的に大変な苦痛を受けざるを得ませんでした。
私たち姉弟はまだ小さかったので、母が食堂の仕事をすることになりました。

日本とは違い韓国では、拉致被害者家族と言う単語を使うことさえ憚られるような状況が一時期あったのです。
拉致被害者の家族は共産主義者・アカの家族だと思われるために、私の一番親しい親友にも自分の父の事を真実を話すことができないままでした。
そこで友達同士で自分の父親の話が出たときは、私は自分の父が拉致される前に自分にしてくれたことを思い出しながら、想像の世界で自分の父はこんな事をしてくれてるのよと言って過ごしました。

そうして過ごしていた時、偶然1998年新聞を通じてうちの父が、北朝鮮の政治犯収容所に入れられているという衝撃的な事実を知ったのです。
信じる事ができませんでした。
信じられませんでした。
探しに探した、会いたくてたまらないうちの父が、ナチスドイツのアウシュビッツ収容所よりももっと酷いと言われている北朝鮮の政治犯収容所に入れられているなんて事実を、信じる事はできなかったのです。

北朝鮮の状況をその後色々知るようになって、実は父が私たちを愛しているならなんで北から逃げて会いに来てくれなかったのか?と恨んでいたんですが、そんなことが出来るような状況ではなかったんだと言う事が分かって、こちらの方が父を探す努力をしなかったことについて申し訳ないと思うようになりました。
その中で偶然日本人の大学教授に会ったのです。
その大学教授は私たちの苦しい状況を知って、南に来ている脱北者を私たちに一人ずつ会わせてくれました。
そしてそうする中で実は日本にも私たちと同じような苦しみの中にいる被害者家族がいるという事実を知り、そして日本まで来て集会で訴えるという事をするようになったのです。

韓国の中で私たちと同じような状況で苦しんでいる。
家族に会うことが出来ない状況の中で、遠くて近い国といわれていた日本に私たちと同じように拉致で苦しんでいる横田めぐみさんのお父さんお母さん。
そして増元るみ子さんのご家族、それ以外の家族会の方と会うことが出来たのです。
韓国で拉致被害者家族会を作った時の状況、ただお父さんを助けたいと思っていることを訴えるには韓国の状況は容易ではありませんでした。
その時、日本の救う会の皆さん方が一年に一回、日本の国民大集会に私を必ず呼んでくださって、韓国人拉致救出を訴える場所を提供してくださり、また日本の国民の皆さんも多くの励ましを私に下さいました。

99年から2005年、今年まで6年が経ちました。
私はこの間、日本の国民の皆さんから多くの愛を受けました。
日本の学生が千羽鶴を折って私に贈って来てくれたり、頑張れというメッセージが来たり、あるいは日本国民で拉致問題に関心のある方が、なんで韓国人拉致問題はこんなに進展しないのか?と一緒に悩んでくださったりしました。
ここにいらっしゃる日本の家族会の皆さんと、6年間多くの思い出があります。
最近の思い出は横田滋さん、実は私のお父さんの代わりのお父さんなんです。
私はお父さんが拉致されたので、横田滋さんをお父さんと呼んでいるんです。
横田滋さんは私のことを娘と呼んでくださっています。

ちょっと前に日本に来た時にですね。
私が韓国に帰る前、空港まで滋さんが送って来て下さって、一緒にショッピングをしました。
私の滋お父さんが可愛い洋服を選んでくれました。
18年ぶりに私はお父さんから贈り物を貰いました。
私は遠慮を何回もしたんですが、しかしお父さんはめぐみさんが帰ってくるまでは、私はあなたのお父さんであるからといって、可愛い洋服を選んでくれました。

10月5日、めぐみさんの41回目の誕生日でした。
その時実は私たちは韓国政府の統一部の建物の前で、非転向長期囚を北朝鮮に送るなと言うデモをやっていました。
日本のNHKではめぐみさんの誕生日をニュースにして流し救出を訴えているのを見ましたが、その同じ日に韓国政府は拉致被害者が帰って来ていないのに、再び北朝鮮の工作員を一方的に北朝鮮に送り返そうとしている。
それに対する抗議のデモ行進を私たちはしていたのです。

しかし私はこの無能な政府の為に私の父を奪われましたが、しかし私は我が国を愛しています。
ですから私はいつか必ず韓国政府と韓国国民の力で拉致被害者が帰国でき、また生死確認が出来る事を信じて祈っております。
その時まで国籍は違いますけれども、日本人拉致被害者救出と共に韓国人拉致被害者の救出もぜひ一緒に取り組んでいただきたいと思っております。
希望を捨てないで最後まで頑張りたいと思っています。

ありがとうございました。(拍手)

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2005年10月31日

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(3)05.10.20 日本青年館にて

『崔成龍(チェ・ソンヨン) 拉北者家族の会代表のお話(通訳・西岡力氏)』

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ありがとうございます。

私は韓国における拉致問題への関心が日本の10分の1でもあってくれれば、もう少し力を得る事が出来るのになぁと思っています。
1993年に初めて韓国政府が、北朝鮮の韓国国内に入ってきたスパイ・非転向長期囚を人道問題だといって北に送り返した時、リ・インモウと言う老人を一人北に送ったんですが。
その時実は私は、私の娘二人と妻と一緒に4人で板門店まで行きましてプラカードを持って、「なぜ非転向長期囚、つまりスパイを北に送り返すのに、うちの拉致されたお父さんは返してくれないのか?」というデモンストレーションをしました。

その時から私は色々北朝鮮の中にラインを使いながら、うちの父の生死を確認しなくちゃならないという作業を始めました。
その中で2000年の4月に韓国の拉致被害者が初めて自力で脱北しました。
その時私は秘密に中国へ行きまして、朝鮮日報の記者とSBSという放送の記者を二人連れて行って、自力で脱北した拉致被害者に会いに行って来たんです。
自分のお父さんに会うような気持ちでした。
ところがわが国・韓国政府は丁度2000年、太陽政策を金大中政権が始めたときでした。
自力で拉致被害者が逃げてきて救出を求めたのに、その救出を拒否したのです。

恥ずかしい話ではありますが、その拉致被害者が韓国のチンタオの領事に「私を韓国に帰らせてください」と頼んだ時に、「国に迷惑をかけるな」と「お前は韓国に税金を払った事があるのか?」と。
そのような事を私の目の前で話しているのを見て、大変私も興奮しました。
それで私とその朝鮮日報の記者とが秘密にその拉致被害者を北京まで連れて行きまして、北京の韓国大使館に行って、そして「この人を帰国させろ」と。
「そうしなければ、先ほど言ったチンタオでの領事とのやり取りを朝鮮日報に大きく書くぞ」と言って圧力をかけて、そしてやっと帰国する事ができたんです。

その拉致被害者の人の証言によって、非公開で秘密に70〜80人くらいの拉致被害者の生死確認をいたしました。
その時韓国政府が公式に発表していた拉致被害者の数は454人でした。
その帰国した人の証言を元に追加で31人の認定が行われ、そしてまたもう一つ新しくキム・ドンシク牧師の拉致事件が起きたのでそれを会わせて32を足して、今486という認定数になっているわけです。
一人の人の脱出が成功した事によって韓国国民が拉致問題について大きな関心を持つようになり、また多くの情報を得る事が出来て、そのあと私はその情報を元に3人を脱出させ韓国まで帰国させました。
合計4人を助け出した事になります。
その結果ですね。
新しい拉致被害者についての情報を入手する事が出来て、約50人の韓国政府に認定されていない拉致被害者がいることが分かりまして、韓国政府に対しても証拠をつけて認定を要求しているわけですけども、まだ認定はされていませんが。
ですから大体合計530人くらいになるんではないか?と今は考えています。

我々拉致被害者の家族の悲しみは、もちろん家族が拉致されたと言う悲しさ・苦しみがあるわけですけれども、もう一つの悔しさは実はこの間、拉致被害者の家族が韓国政府に監視の下に置かれていたと言う事であります。
韓国政府は助け出す事ができる人がいるにも関らず、助け出そうという努力をしていないと言う状況であります。
ひとりでも助け出そうとしていないと。
しかし私たちの団体・家族会やあるいは市民団体などと協力しながら、自分達の力で何とか救出をしようと今努力している所であります。

実は今韓国政府は、金正日国防委員長の指示に従っているような状態であります。
先ほど言った非転向長期囚、ゲリラやスパイを金正日委員長の指示に従って北に送り返し、また今カン・ジョング教授の発言の問題などでも韓国政府は金正日委員長の指示に従って動いているような状況で、大変嘆かわしいと思っています。
日本の拉致問題の進展状況を見ている私たちの気持ち、特に日本の総理が平壌まで行って金正日に会って、無いと言っていた・でたらめだと言っていた日本人拉致を認めさせて5人を帰国させた。
そのような状況を見ている私たちの気持ちをご存知でしょうか?
韓国人拉致被害者の帰国や生死確認も金正日委員長が指示をして初めてできることなのに、その事の実現までにはまだまだたくさんの障害がある。
遠い将来の事ではないかと思っています。

私の母は今年の8月19日、父の生死確認さえ出来ていない状態の中で亡くなりました。
金正日委員長が小泉総理に会って、「なぜ家族が離れて過ごさなくちゃならないのか」と言って拉致被害者の家族を日本に送り返したのを見て、その言葉を聞いて。
わが同胞である金正日委員長が日本人に対してはそのような事をいうのに、韓国人拉致被害者の問題はなぜ解決できないのか?と。
実は北朝鮮はいまだに韓国人拉致被害者については、越北したと、自分で北に入ったと言う事を言い続けているわけですが。

私は5年前から北朝鮮のテロに遭うと、そのような警告を何回も受けてきました。
被害者の救出活動をしてきたからです。
そして今年の9月になって、公式に韓国の情報機関から韓国内でもテロに遭う危険があると言う通報を受けました。
韓国の市民団体や政治家の人が韓国政府に抗議してくれた結果、今は韓国国内で警察の警護を受けている状態です。
しかし私はここで皆さんに言いたいのです。
もしも私が北朝鮮のテロに遭って殺される事で韓国人拉致問題の解決に助けになるのならば、私は殺されたいと。
そのような気持ちでおります。

ありがとうございます。(拍手)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(2)05.10.20 日本青年館にて

『横田滋 家族会代表の挨拶』

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皆様こんばんは。(こんばんはの声)
拉致された家族の気持ちと言うのは、国を問わずに全く同じと思います。
私たちの国では大勢の方がこうやって支援してくださっているんですが、これからお話があると思いますが、韓国ではあまりそういった一般の支援が少ないということで、やはり韓国の世論も何とか日本と同じように盛り上げて、救出運動が盛んになることを望んでおります。
私たちが先日福島に言った時、やはり「韓国の拉致はどうなったんですか?」と言うことを質問がありました。
それに対して崔(祐英)さんが何回も日本に来て訴えてくださっているわけですけども、それはかなり浸透して来ていると思います。
それでもまだまだ知られていない部分もありますので、今日はどんなお話が聴けるのか楽しみにしておりますけども、我々も一緒に手を携えてこれからも闘っていきたいと思っていますので、これからもご支援よろしくお願いします。(拍手)

韓国人拉致被害者も救うぞ!東京集会(1)05.10.20 日本青年館にて

『佐藤勝巳 救う会会長の挨拶』

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皆さん、こんばんは。(こんばんはの声)
お忙しい所お集まりいただきましてありがとうございます。
それから韓国から、私たちの集会の為に3団体の代表のご参加いただきましてありがとうございます。
拉致の問題は、実は日本よりも韓国のほうが多いわけですよ。
500名近いくらいですから。
なぜか韓国政府は余り拉致解決には積極的ではないわけですが。
私たちは日本人の拉致救出だけではなくて、韓国の拉致被害者これも同じですから。
一緒に手を携えて闘って行きたい。
いうことで、今晩このような集会を催しました。
遠い所、大変ありがとうございました。(拍手)

2005年09月26日

拉致被害者は生きている!東京集会(14)05.9.18 友愛会館にて

『一般からの質疑応答 他』

★Q(一般参加者 女性) 

いつも心に思ってるんです。
どうして日本政府は、「どうしました?」と聞いてるじゃなくて、「返せ」と言えないんでしょうか?
それをいつも・・・(会場の一般参加者より「日本人が反日分子だからですよ、官僚も、自民党も」の声)
日本人が反日だからですか?

★A 安明進さん(通訳・西岡氏)

その質問に私が答えて良いのでしょうか?
実はですね、中国人や朝鮮人の中では日本人についてこういう評判があるんですね。
よく言えば大変礼儀正しいと。
悪く言えば、あいつらは何をしても「すいません」と謝ってくると。(くすくす笑い)
だから何をしても大丈夫なんだと言う風に見られているというのは事実です。
やはり自分の敵が自分の事を攻撃してきているのに、堂々とけしからんと言わないと言う。
それが日本人の礼儀なのか何なのか分かりませんが、その民族性はちょっとおかしいんではないか?と。
と言うふうに思います。

皆さん方のために、日本の事悪口を言いたくて言ってるんじゃなくてですね。
それは日本のためになる、皆さん方の為になると思うので申し上げているんです。
そして、日本がちゃんと自己主張出来る国になれば自分の事を守る国になれば、金正日は長続きできない、と。(大きな拍手)

この席を借りて一つ申し上げたい事があるんですが、私は拉致された日本人を全員助け出さなければならないと思っています。
そのために戦っていますが、それだけではなくて金正日によって苦しめられているのは北朝鮮の人民も同じなんです。
この豊かな食べ物の余っている日本からすれば想像もできないかもしれませんが、300万人にも上る北朝鮮の私の同胞が餓え死にさせられたんです。
その人たちも一緒に助けなければならない。
私は拉致被害者を救う為に戦っていきますけども、皆さん方にも拉致被害者を救う為と、そして北の私の同胞を救う為にも力を尽くしていただきたいと心からお願いいたします。(大きな拍手)

★西岡力氏のお話

その事と関連して実は今安さんとも相談しているんですが。
実は今脱北者の仲間で今、自由北韓放送と言うですね。
短波ラジオ放送を、来年の1月から北朝鮮向けに脱北者が放送局を作って送ると言う計画があって準備をしているんですね。
韓国の中で左翼の学生や北朝鮮に近い人たちが、その放送局を何度も襲撃して放送局が維持できなくなって、転々と引越しをして、そして韓国当局も実は良い顔をしていない中で脱北者の力で自由の声を北朝鮮に届けようと活動をやっていまして。
私もその放送局まで活動を9月に行って見てきまして、普通の食堂の地下でトイレも無いところにいるんですね。
そこでしかし、どんなテロにあっても自分達の声を北朝鮮に入れたいんだと。
北では今、実は短波放送を聴いている人は多いと。
脱北者が北朝鮮の思考方式で北の方言で言うと信じてくれると、と言っていまして。
その放送の一部で日本人拉致の情報も是非くださいとか、日本人は絶対に拉致問題では妥協しませんとか、言う事を流してもらう事はできないかと言う話もしてるんですが。

もちろん拉致問題でその放送を利用するだけではなくてですね。
北の人民に自由の情報を入れて彼らを助けるために、実は韓国の中で厳しい戦いをしている安さんの仲間の人たちもいますので。
その人たちを近く日本に呼んで、彼らに何か協力できることはないか?と言う集いも考えておりますので、また詳しい事が決まりましたらご連絡しますけれども。
自由北韓放送ということで覚えていただいてですね。
キム・ソンミンさんという軍人出身の脱北者がいるんですが、その人たちをぜひ記憶の隅に入れていただいて、またご連絡しますのでご協力をいただければと思います。(拍手)

★司会 平田氏

安明進さん、西岡さんありがとうございました。(拍手)
また最後まで本当に真剣にお付き合い頂きましてありがとうございました。
安明進さんが言っておられましたように、私たちがすぐに相手のことを信じると言うのはある意味で大変良き文化ですが、日本人同士ではそれで良いとしても、国際交渉の最前線に立つ外交官であるとか報道の方とかいろんな方がいらっしゃいます。
そういう方には外国の事を良く分かってお付き合いをしてもらわなければならないと言う、今日はそういうアドバイスもありました。
そういうことをですね、心にかけて、これからも頑張っていきたいと思います。
本日はありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・

拉致被害者は生きている!東京集会(13)05.9.18 友愛会館にて

『マスコミによる質疑応答』

★Q(日本テレビ ザ・ワイド) 

はい、宜しいですか?このままで。
安明進さん、先ほどから敵工地の名前が出てるんですけれども、(西岡氏より「社名を仰ってください」の声)日本テレビのザ・ワイドと申します。
敵工地の事はご存じないということですが、安明進さんが知っている敵工局と言うのはどういう所で、そこにはどんな人たちがいて、何をするところなのか、教えていただけますか?

★A 安明進さん(通訳・西岡氏 以下同様)

敵工地、と言う言葉は聞いた事はありません。
多分、薫さんの記憶違いか、あるいは翻訳上の問題か何かではないかと思うんですが、敵工局と言うのは人民局の総参謀局の傘下にある一つの部署です。
敵工局の担当は心理戦を担当する部署でして、例えば板門店で米軍や韓国軍と接触する兵士たちは全部敵工局の所属です。
また韓国に対して板門店から拡声器で放送していたりしたんですが、それもすべて敵工局の要員です。
そしてまた総参謀局の配下に偵察局と言う部署があるんですが、偵察局の要員たちは小さな手帳のようなものを持っていて。
そこには簡単な会話が朝鮮語を英語や日本語に翻訳して「お前どこから来たのか?」とか等を見れるような手帳があるんですが。
それは偵察要員用の手帳は敵工局が作ります。

★Q(日本テレビ ザ・ワイド) 

その組織の中に田口八重子さんを始めとする日本人がいる可能性はあり得ないんですか?

★A 安明進さん

私はそちらに入った事がないのでですね。
断定的なことは言えないんですが、しかし敵工局に日本人拉致被害者がいるとすれば、それは朝鮮人民軍の偵察局も独自に70年代から工作船を持っていたので、必要があれば自分達が拉致をしてきて確保してるんじゃないかと思います。
その可能性はあります。
しかし田口八重子さんのように、労働党の3号庁舎が拉致してきた人間が敵工局に回されると言う事は、私の知ってる範囲ではあり得ない事だと思います。

★Q(日本テレビ ザ・ワイド)

その組織上ありえないというのはどういうことですか?

★A 安明進さん

秘密機関同士はお互いに牽制しあっている。
特に党と軍の間は協力関係は一切ないので、組織上あり得ないと言うことです。

★Q(新潟日報)

新潟日報の○○と申します。
拉致被害者6人が太陽里に集められたと言う話を聞きましたが、安さんは太陽里に行って・・・ありますか?(音声が小さく一部聞き取り不可能)

★A 安明進さん

知りません。

★Q(日経新聞)

すみません。
日経新聞ですが、田口さんが敵工局にいないとなると、田口さんは今どこで何をしているというふうに推測されますか?

★A 安明進さん

91年に確認されたその場所。
ハム教官が言っていた招待所、その近くにいるんではないかと思います。
秘密機関の中で動かすと言うのはそんな簡単な事ではないので、今もそこにいるんではないかと推測します。

★Q(日経新聞)

日本語教育を今もしていると、そういう事になりますか?

★A 安明進さん

日本語教育は、北の工作機関がなくならない限り続くだろう。
北の工作員が外で悪い事をするときに日本人に成りすましてするので、工作機関がある限り工作員の日本語教育は続くだろうと思います。

2005年09月25日

拉致被害者は生きている!東京集会(12)05.9.18 友愛会館にて

『斉藤文代さんのお話(松木薫さんの姉)』



こんばんは、松木薫の姉です。
安さんのお話を聞いていまして、私は今ただひたすら、皆が北の国で元気でいて欲しいと願って聞いておりました。
後は日本政府が一生懸命やるかやらないか?
後、国交正常化をすると私の弟達は帰ってこられないんじゃないか?と言う不安を私は持っております。
やはり今、国民の皆さんにこうして私たちは助けていただいています。
本当に心が休まるのは皆さんの集まった時の顔を見た時にホッと致します。
何時もいつも家の中にいて、考えてはいけないことを考えます。
でも本当に政府に、もう早く取り戻してくださいと、願うだけです。
よろしくお願いいたします。(拍手)

拉致被害者は生きている!東京集会(11)05.9.18 友愛会館にて

『有本明弘さんのお話(有本恵子さんの父)』

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今、安さんがお話になられた事は、安さんが向こうで体験された事を率直にお話されたわけで、私たちは安さん以外の他の情報で知っている事といえば、八尾(恵)さんが証言したように日本の人間を拉致してきて。
それをつがいにして(「つがい」という言葉を強調気味に語る)、拉致したら使いやすいと。
そういう発言をしているこの人間が言っておるんでありまして。
金日成がそういうふうな教示をしたんです、これ。
金日成、その親が。
だからそれをずっと追討して現在までも来ていると思うんです。
ですから男が半分、女が半分、大体その割で向こうは拉致しているとそういう認識で私は思うんです。

拉致した中にはもう年齢がいって向こうの言葉を覚えるだけでも何年もかかって、はっきりよう覚えられない。
そういう人も拉致されておるんです。
それはなぜかと言うと、日本の国の住んでいる戸籍を取る為に人間を拉致している。
それもかなりあるんです。
私が聞いた一人は、3階建てと聞いたんですけど、その中に沢山の日本人を収容しておる所があると、いうような事を聞きました。
それは何かと言いますと、もう向こうに連れて行っても使いもんにならない人間、それを一ヶ所に集めて管理しているんだと、そういうふうな認識で話を聞きました。
だからかなりの大勢の人がようけ連れて行かれているのは確かだと思います。
以上です。(拍手)
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