2008年09月24日

08.8.17 横田早紀江さん 第10回水戸県民集会より

第10回水戸県民集会 
08.8.17 水戸市民会館にて

『横田早紀江さんの訴え』

皆様、こんにちは。
今日は本当にたくさんの皆様にお越しいただきまして、感激しております。
たくさんの特定失踪者ご家族からのいろいろなお話をお聞きしまして、本当になんという残酷なことがこんなに長い間、日本の中で放置されていたかという思いがまた新たにしております。

私はこのところまた歳をとってきたせいか、光とか風とかそういった自然の感触といったものに非常に感じやすくなっておりまして、街を歩いてもこの頃は本当に暑い日差しの中で、ギラギラと照りつけている中を歩いております時に、31年前にめぐみがいなくなってあの夏、本当に主人と歩いていた新潟の町の中のあのぎらぎらとした日差しの中、光の色、そして風の感じ。

どうして「めぐみはどこにいるんだろう?」と畑と畑の間の土の盛り上がったところを見ては、「あの辺にきっと埋められているに違いない。」
また冬が来れば根雪を感じ、「あの山の雪が溶けたらきっと出てくるかもしれない。」
「海の中にもう、消え去ったのかもしれない。」

さまざまなことを思いながら、人間平等に降りかかっているお日さまなのに、こんなに悲しい思いをしながら日差しを感じて歩かなければならないのか?と、あの新潟の日差しと熱が31年たってもなんの変りもなく悲しみいっぱいに私たちに降り注がれているわけなんです。

本当にこの北朝鮮という、なんともいえない考えられないような指導者のために、北朝鮮の多くの国民の方々をはじめ、そしてたくさんの12カ国から連れていかれて。
日本にいれば、本当に漫画家になっていたかもしれない。
歌を歌っていたかもしれない。
コンピューターの仕事も出来てたかもしれない。
本当に一生懸命日本の国のために貢献できていたかもしれない。

本当に大切な日本の若者という宝物が、何の罪もないのにあっという間に引っさらわれて、煙のように日本の国から消えてしまったまま、31年間もあっちでもこっちでも、今日も高校生の方が拉致をされたというお話をお聞きしましたけれども、中学1年生でしためぐみが、どうしてこんなに若い子が連れて行かれなければならなかったんだろうといつも思っておりました。

時々めぐみが私に話していたことに、
「お母さん、私って高校生に見える?」
と聞きました時があって、
「そうね、どうでしょうね?」と言った時に、
「よく高校生?ってバスの中とかどこかのおばちゃんによく聞かれたことがある」と聞いたことを思い出しております。
今の私よりも背が高かったし、だからかなり大柄に見られて大人に見られていたのかもしれないと思っていましたが、今日のお話で、もし今日のお嬢様が拉致であれば、めぐみもやっぱりそういう形で連れていかれたんだろうなと、思わず思ってしまったわけです。

本当に北朝鮮が何とか本当に人間らしい、同じ人間の形をして生まれてきた人間の一人ひとりが人間らしい生き方が出来るために、神様から頂いた自由が、贅沢は出来なくても自由が、人に束縛されないで動ける話せる。
粗末であっても感謝して普通のものが頂ける。
そのような国に早く戻って欲しいんです。

どれだけ多くの人が、強制収容所でものすごい残酷な生活を今もさせられていらっしゃるか、ということを脱北者の方が今も話しておりますが、これは真実でありますし。
そして国民の方々も在日の多くのご親族の方々が北朝鮮に離別をされていらっしゃる方は、どれだけ長い年月、私たちと同じように本当に苦しい思いをしながら、あちらの親族が命を絶たれないようにするためには、どんな苦労をしてもたくさんのお金を稼いで送らなければならない。
物資を送ってあげなければならない。
そうしなければあちらの親族はやられてしまうんじゃないか?とその思いで何十年という間、苦しみ続けてきたこの日本で苦しみ続けてきた方が、在日の多くの方だと私は思っています。

そのようにして汗水たらして働いてきて送った物資やお金があちらの上部にだけ、裕福な暮らしをもたらして、それらの人には本当に一部しか渡っていない。
全く渡らなかったこともたくさんあります。
そのような国を世界が放っておいてはいけないんです。
そのような国が大変な核を持ったということが、これから大変な問題に発展していく、地球規模の大変な問題なんです。

私は本当になんとかこれを食い止め、核を食い止め、そして多くの拉致被害者を必ず取り返す。
「返せ!」と。
「黙って取っていったものを返せ!」と。
国民全部が声を大にして、「ただ返せばいいんだ」と。
「嘘のことを言ってきたら真実を話しなさい」と。
「何があったのか?」ということを追求するべきだと思うんです。
「話し合いをしましょう」と、荒木さんも仰っていたように「帰国をさせてください」とお願いしているわけじゃないんです。
「私たちの大事なものを返しなさい!」と、大きな声で日本中が轟々と戦っていくべきことだと思っています。(拍手)

そうした時に初めて日本の真実と正義と強さが他国に発信され、これは北朝鮮だけでなくて中国にもロシアにも韓国にも、またあらゆる国々にも、
「あぁ、日本は本当に自分の国の国民を必死の思いで、全国民が一丸となって取り返すために命がけで戦っているんだ」
ということがわかった時に、あらゆる外交問題も解消されていくと思います。

侮られたままで、なんでも「こうして頂けませんでしょうか?」とやっている外交では絶対にこれは進んでいかないし、拉致問題だけでなく、あらゆることが停滞したまま、侮られ続けてこの国は本当にどうなっていくんだろう?と。
私は本当にめぐみのことだけでなくて、この国が危機感と緊迫感を持ってみんなが考えなければどうなっていくんだろう?と毎日のように朝起きると思えてしようがないんです。
本当に「めぐみちゃん頑張って頂戴」と、「もうちょっとであなたたちを取り返すから」と、「頑張ってください」と、毎日祈って、「神様の力で取り返してください」と。
「人間の力では出来ないことをあなたはなさる方ですから」と祈っています。

たくさんの皆様のご支援の中で、こんなに長い11年間という間、大変な活動を助けられて続けてくることが出来ました。
大切な大切な本当に温かい皆様の浄財を私たちは本当に感謝して、アメリカやジュネーブや韓国やルーマニア、いろいろな所に行く旅費のために、本当に一つ一つ本当に感謝して使わせていただいております。

どうか、このお金も大切ですけれども、皆様の一人一人のお父様として、お母様として、せっかく生まれてきて、たまたま巡り合ったこの90年代くらいしかご一緒出来ない本当に短いこの間、私たちは一番大事な心を子供たちに残していってあげたいと本当に思っております。
どうぞ宜しくご支援くださいますよう、お願い申しあげます。
ありがとうございます。(拍手)

2007年02月10日

06.12.14 横田早紀江さん 拉致問題を考える国民の集いより 日比谷公会堂にて

拉致問題を考える国民の集い
06.12.14 日比谷公会堂にて 

『横田早紀江さんの訴え』



皆さま、こんにちは。
今日はお寒い中をこんなにたくさんの方がお集まりいただいて、ありがとうございます。
もうほとんど主人の方が事細かに拉致の経過を話してくれましたので、特に無いんですけれども。
本当に今日、このように政府主催で拉致問題を取り上げていただいて、人権問題として皆さんに聞いていただくような、こんなに大きな会を催していただいた事を思いますと、本当に10年。
約10年と言う活動を続けてまいりました。
本当に何も分からなかった頃からです。

先ほど主人が申しましたように、20年間と言うものは、全く何の情報も無ければ電話もかかってこない。
何も分からない。
どんなに警察が大捜索をしても、めぐみの事は何一つ分からない。
どうしてこんなに鮮やかに一人の人が、すぐ近くの街角で煙のように消えてしまうんだろう?という事が、非常に私は不思議でどうしたんだろう?と。
本当に苦しくて苦しくて、もう毎日畳を掻きまして大声を上げて絶叫するように泣いておりましたので、隣のおばちゃまがいつも心配して「大丈夫だから、大丈夫だから」と言って、きれいな水仙とか紫陽花の花とか、一生懸命慰めに持ってきてくださった事がありました。

そして活動を始めるに当たり家族会が結成された後、今日もお見えになっている多くの方と本当に心を一つにして協議しながらお互い信じあいながら、今日までやってきました。
そして背後には、先ほども主人が話していましたように救う会と言う会が結成されて、今日もお見えになっています佐藤会長はじめ、西岡先生や前は一緒にしてくれておられた荒木先生や、今もたくさんの全国の救う会の方々が。
私たち本当に庶民、何も分からないただ普通の、単純な普通の母親でしかありません。
父親でしかありません。

非常に難しいこの問題を良くご存知の先生方が、いろんなふうに計画をしてくださり、北朝鮮外交というのは難しいですし、そして私たちが政府に「このようにしてください、このようにしてください」とお願いするにしても、個人では難しくてとてもそのようなところへ出て行くわけにもいきません。
けれども家族会を一つの輪にして、救う会の多くの方々が本当にここまで、もう10年かかっているんです。
この長い間、どれだけご本を書いて発表してくださったり、そして今度はアメリカへ行って訴えよう、今度はジュネーブの国連へ行って訴えよう、今度は韓国の皆さん家族会の皆さんと一緒に会を開いて力を合わせよう、韓国の政府の人にも訴えよう。
いろんな事を隅々計画してくださって、今日まで支えてくださったんです。
本当に私はいつもこのたくさんの方々に、温かい支援の輪と言うものを心から感謝しております。

そしてめぐみの事が分かりますまでの私たち自身は、本当に日本の中での事件だと思っておりましたので、いつもいつも話していて同じことばかりお話しているんですけども、新潟県内でも市内でもいろんな事件がありました。
一番最初にいなくなって一週間、とっても苦しい時間のときに、焼却炉の中から女性の焼死体が出てきました。
「あぁ、これはめぐみちゃんかも知れない」と、すぐに連絡がありまして、ましてや「めぐみちゃんは今日腕時計をして出ていますか?」という質問があって、すぐに机の中を捜してみましたら、バドミントンの強化選手に選ばれたりもして練習量も激しいものですから、「ちょっとしばらく置いていくわ」と確か言っていたなぁと思って引き出しを開けましたら、案の定腕時計がありましたので、「うちのはあります」と言いましたら、「それでは違うかもしれない」と言うことで。

「よく調べてみます」という事で調べていただきました結果、たまたまそれは60歳代の女の方のご遺体であって、違った腕時計が発見されたので、「めぐみちゃんのものではなかった、良かったね」という事で、本当に体が全身がこんなに震えるのか?と思うほど、止まらないんですね。
震えが恐ろしくて悲しさと恐ろしさで。
歯もガタガタガタガタ、どこに行っても震えっぱなしと言う悲しい時間を過ごしておりました。

そして日本海がすぐ近かったもんですから、日本海のちょっと沖に漁船の網にちょっと小さめの女の人の頭蓋骨が引っかかって上がってきました。
「あぁ、これはひょっとしてめぐみさんかもしれない」「誰かにやられて捨てられたのかもしれない」とまた警察から連絡があって、それで前任地の広島の歯科医にすぐカルテを取り寄せてくださいと言われて、それで電話をかけて「こういう事ですので大急ぎでカルテをください」といって、向かいました。
すぐに速達でカルテを送ってくださいました。
それを警察に届けるのに自転車に乗って、本当に足がこんなにもガタガタガタガタ震えて、ペダルが踏めないんです。
怖くて、もう恐ろしくて。
赤信号なのにもう何にも分からないで、皆に大きな声で怒鳴られながら、「わぁ目障りだなぁ、何を言っているんだろう?」と思ったら平気で赤信号を渡っているような、そんな状態で警察へ届けました。

大井埠頭からも若い女の人の遺体が上がってきましたが、そんなのを見て、もう耐え切れないほどの悲しい中を、私たちは通ってきました。
雪が降っても、何とかあの子が雪が降るまでに何とか見つかって欲しいといつも願っていたんですけど、大きなボタン雪が降ってきてもめぐみちゃんの行方は全く分かりませんでした。
電話が鳴るたびに「ひょっとしたらめぐみかもしれない」と飛んで出るようにいつもしていたんですけど、いつも違うんですけど、あの子の声はあれっきり今も30年経っても聞く事が出来ません。

そんな中でこうして救う会が全国の皆様方の温かいご支援を頂いて、そしてたくさんの500万名を越えるような署名を頂き、そしてたくさんの活動資金をこのような会のために、またアメリカへ行ったりジュネーブへ行ったりするいろんなことのために必要な経費のために使ってくださいと。
本当にたくさんの方が小学生の子供たちまで、バスに乗っていると「横田さんのおばちゃん、僕のお小遣いだけど使ってください」といって50円を渡してくれたり、「今日今回は何も買わないから使ってね」といって500円をすぐ手渡してくれたり、そして多くの方がいつも今でも家族会にそうしたたくさんのカンパを送っていただいております。
そのおかげさまでこうしてたくさんの活動を、本当に安心してさせてくることが出来たんです。

そして私たちは講演会もたくさん頼まれて、あちこちでこういう話をしていますけども、家の中は本当に異常な状態にありまして事務所のようになってしまいまして、あらゆる書類とか本とか手紙の山とか凄いものが山積にのようになっておりますが。
頂くものに対しては必ずすぐにどんなに金額の多い少ないに関わらず、全部家族会に入れさせていただいて、そして必ず領収証を書いて判子を押して、本当に遅くまで私たちは大体1時2時頃まで事務的な仕事をしながら、皆さんの本当にありがたいお心に応えて、そうやって伝えてまいりました。

そして私たちは一緒に活動してます中で、いつもこれもお話しするんですけども、署名活動をいろんな県で展開しておりました。
今は亡くなられてしまわれて悲しみは今も忘れないんですけど、増元さんのお父様。
元気なお父さんでした。
九州男児で本当に大きな声で明るい声で、「いやぁ、横田さん元気だったぁ?」と言って出迎えてくださったお父様と一緒に、るみ子さんの写真やめぐみの写真を大きくして、そして街角に立って「署名をお願いしま〜す」と何度も何度もお願いしていたんですけども、本当に初めの頃と言うのは今のような関心度は無くて、拉致疑惑と言うような形でしたから、ほとんどの方がさぁ〜っと素通りなさるんです。
チラシを出しても全然、手を振って受け取ってくださらない時期が多くありました。

そして「どうか一人でもいいから書いてくださいと、娘を助けてください、るみ子を助けてあげてください、めぐみを助けてください」と、私たちは必死で大きな声で叫んでました。
るみ子さんのお父さんが言われたその時の言葉を私はいつでも胸の中にしまって、この事が本当に大きな根源なのでは無いか?といつも講演会で話させていただいております。
るみ子さんのお父さんはあまりにも通り過ぎる人が多いので、仰っていました。
「本当にこんなに大変な大事件が日本の中でたくさん起きているのに、この24年間と言う長い年月、一体日本の政府は何をしていたんだ」と涙を流して叫んだんです。

私はその時横におりましたので、その時の言葉を忘れる事が出来ないんです。
そしてあのときに、るみ子さんのお父さんに本当にるみ子さんを会わせて上げたいな、と思いました。
私もめぐみに会いたい。
皆がそれぞれの家族に会いたいと思っています。
けれどもるみ子さんの姿はあのタラップからは現れなかったんです。
めぐみもそうです。
たくさんの、有本恵子さんも、皆そうして街角に立って頑張ってこられたんですけども、タラップから降りてこられたのは、本当にあれだけの方だったんです。

そしてその時に、今今日も来てらっしゃいますけどるみ子さんの弟さんは帰ってこられた方に、お父さんがご病気で入院をされていて非常に重体でありましたので、「何でもいいから北朝鮮でるみ子に会わなかったか?るみ子がどんなふうにしていたか?どんな些細なことでも良いから教えてください」と「父に話してやりたいんです」と、一生懸命に回られたんですけども、あの時はまだ帰られたばかりで非常に緊張感もおありだったのか、「見たこともありません、知りません」と「全然知りません」」という事で、もう本当にがっかりなさって、照明さんは大急ぎでお父様のところに鹿児島に帰られました。
そして病床にあってもう酸素マスクをなさっていて、もう非常にあの頃の元気なお姿は無くて、本当にやせてしまわれたお父様が、酸素マスクをしている姿をビデオに録って、この度の映画にも出ていてくださいますけども。
お父さんはそれでもその中で、一生懸命に仰っていました。

「俺は日本を信じる、だからお前も日本を信じろ」と、照明さんに仰ったんです。
「日本を信じる、だから日本を信じろ」
これはどういう意味なんでしょうか?
外務省を信じろという意味でしょうか?
総理大臣を信じろという意味でしょうか?
警察を信じろという意味なんでしょうか?

これはもっと深い意味があると思うんです。
日本の全部の父親・母親がこのようなことになったとき、自分はいったいどうするか?という事では無いでしょうか?
みんなの心を信じて、日本中の人が力を合わせて心を合わせて、このような悪魔のような残酷なことになっている者たちを、絶対に助けようと思う気持ちになることだと、その事を国民全部を信じて頑張りなさいと、言い残されたんだと私は思っているんです。
私はあのときに叫んでいた街角でのお父さんの声と、そして照明さんに残された最期の言葉がいつも私は頭の中にこびりついて離れないんです。

そして今までどんなにふうに・・・(聞き取れず)されてきたか?という事。
10年間の間、いろんな事がありました。
私たちは何も知らない、本当に平凡な庶民でしかありませんから、政府を信じ警察を信じ外務省を信じ、テレビとか新聞に出ることくらいでしか、国民の皆さんもそうですけども、理解する事は出来ませんけども。
私たちはどんなに小さなことでも子供たちの命を助けるためになることなら、どんな事でもしてくださるだろうと信じてきました。

そして金正日の息子であるという金正男さんという、息子さんがこちらに不法入国された事があったけれども、あのときはもう「これで子供たちが帰れるんじゃないか?」と本当に家族は皆思ったんです。
「絶対にこれで政府はこの人をカードにして、こんな大切な人を返すんだから、拉致をした人を全部返しなさい」ときっと取引をしてくれる。
「これで帰れるよね」と本当に喜んでいたんです。
けれどもその時の外務大臣(=田中真紀子:当時)と言う方は、「早く返しなさい返しなさい」と、北に送ってしまわれたという事を聞きました。
そして外務省の方々が、今は外務省の方々もたくさん来ていらっしゃって、こんな事をお聞きになるのは非常に不快だと思いますけど、現実にあったと思って私は申し上げますが、6人もの上の方々が・・・・(聞き取れず)で金正男と言う人を飛行機に乗せて送還してしまったと。
どこに連れて行ったかは、ちょっと私覚えていませんけども、そういう事がありました。

それでも家族の方はまだ一縷の希望を持っていました。
外務省だから、日本の外務省だから、絶対にこんな事を蔑ろにするはずが無い。
私たちには言えないでしょう。
国民には知らせられなくても、この人たちを助けるためにこんな大事なカードを向こうに送るならば、飛行機の中で6人もの人が付いて行ったのなら、必ず中で一生懸命にどういうふうにしているか?という事を、計画してくださっているよねと。
このまんまでは絶対に置かれないでしょうと希望を持って頑張っていたんです。
けれども、あの事はそのまんまで消えてしまいました。

いろんな事がありました。
本当に私たちはいつもこういうふうな分からないことが状況が時々あっても、いつも今でもどうしてだったのか?という事が何も知らされません。
国民にも家族にも知らせていただく事が出来ません。
こんなに大事に私たちが、大事な大事な子供たちを取り返すために、どんなに本当に命がけで戦っているのか?という事を分かっていてくださるんだろうか?と思いました。
そして昔から、もっと、私たちの子供が連れて行かれる前から拉致が行われていましたけれども、その時々でも、あの時こうしていれば次のこの人は拉致をされることは無かったんじゃないか?という事も、たくさん出てきております。
そしてその事はあの時もう少しすれば良かったと、終るようなことではいけないと思うんです。

私はいつも思います。
今日、私はここで家族代表として、救出のために皆様方に娘たちを助けてくださいとお願いをしておりますけども、この拉致と言う問題は、誰の身に起きたか分からない。
本当に恐ろしい大事件なんです。
日本の平和な国の中で、誰も信じもしない様な事が、30年間も待たなければならないほどの大変な問題が、長い長い間起き続けている。
そしてその子供たちは、向こうで今も、今日も、昨日も明日も、お月様を見ながらいつ助けに来てくれるの?と、早く来てと、助けを求めているんです。

蓮池さんや曽我ひとみさんも帰って来られて仰っていました。
誰かがきっと助けに来てくれる。
そう信じて待って待っていたけれども、誰も来てくれなかった。
だから私たちはもうこの国の人たちになって、北朝鮮人になって生きていくしかないと諦めて、180度心を入れ替えて住んで来たんですと、蓮池さんご夫妻は仰っていました。
ひとみさんは、私は必ず誰かが助けに来てくれると思って待っていましたと。

それぞれに思いは違いますけども、どんなに本当に残酷なこの悲しい悲惨な思いを心に持って、あちらに生きている人たちが今もいるかと思うと、ひょっとして今日ここに来て私たちの話を聞いてくださっている皆様方のどなたかが、どなたかの大事なご子息またお嬢様、またご家族の誰かがこのようになっていたかもしれません。
今日その方が誰かがここで、私たちがこちらから聞いて「助けてください」と訴えられていたかもしれない。
このような大変な問題なんです。

拉致問題だけでなく核まで持つようになったあの国が、麻薬や偽ドルや不審船・テポドンミサイル、ありとあらゆる悪行を本当にやり続けて、そして多くの強制収容所では罪も無い人が今も、私たちの子供たちもどこにいるか分からないんですから、そんな所にいるかもしれません。
どこにいるか、私たちは嫌な事は思わないことにしているから、生きていると思って頑張っているだけのことで本当の事は分かりません。
その中で何の罪も無いのに物凄い虐待を受けながら労役をさせられて、叫びを求めて、早く助けてくださいと嘆いている北朝鮮の国民が一杯いるという事も、私たちは知らなければなりません。

そしてそのような強制収容所から、必死の思いで、9歳から親たちとそこに入れられて、非常に悲惨な恐ろしい状況を見続けてきた青年が一人、青年になってから上手く逃げて、今韓国で北朝鮮の人権問題を一生懸命に取り上げておられますが、その方と一緒に私たちは一度このような講演会をさせていただいたことがあります。
姜哲煥さんという本当に素晴らしい青年ですけども、本当にこのような残酷な事があるという事。
あの国で僕たちが経験した事はこんなことだったという事を、今こんなに平和な日本の国の皆様方に話したって信じていただけないと思います。
けれどもこれは現実であり真実でありますと、仰っていました。

このような事を世界中の人に知ってもらいたい。
まだ私たちのおじいさんとかもそこに放り込まれたままで、今も助けを求めている人が一杯いる。
それがどんなに苦しい生活か?
もう、言うに言えないほどのことなんだと仰っていました。
涙をその方は流しながら、だから私は逃げて、この事を世界中の人に訴えなければいけないと思って逃げてきたのですと、仰ってました。

そして本当に死に至る苦しさって言う意味では、ドイツのガス室でたくさんの方が虐殺されましたけども、そのような方の方がまだ北朝鮮でのあの強制収容所での死を味わう過程と言う意味では、どれほど良いと言うか楽だと言うか、へんな言い方だけどと仰っていましたけど、まだ楽だったかと思いますと。
ガス室は一瞬にして命が絶たれますが、あそこにいる間はもう生きていたくないほど苦しくて、死んだような状態であっても働かされるし、殴られるし、冷たい氷の上に放り出されるし、赤ちゃんを産んでもすぐにその赤ちゃんはビニール袋に入れられて、氷の上に捨てられてしまう。
そしてそのお母さんもすぐに働け働けと言われるような、こんな恐ろしいところが現実にあるんだという事を本にも書いていらっしゃいますし、本当に多くの人間として知らなければならない大事なことだと思うのです。

私たちは拉致問題だけでなく、こんなに悪魔のような事を平然とやり続けている。
たくさんの人たちを苦しめ続けているその国が核を持ったという事は、どういう事が起きるんでしょうか?
これはもう日本の問題だけではありません。
近い韓国、またどこまでも飛んでいくか分からないものを作り続けていたとき、時間稼ぎをする事はもう出来ません。
必ずそこに制裁を加えてでも、戦争をするわけにはいきませんから、制裁をかけて物資を止めお金を止めて、もうどうにも何も出来ないようにするしかないんで、私たちは制裁をお願いしているんです。

皆が幸せになって欲しいと思っているんです。
あちらの国の方々もそんなところから皆出していただいて、本当に自由を得ていただきたいと思っているんです。
めぐみたちも早く、有本さんもるみ子さんもたくさんの、たくさんや市川修一さんも皆元気で。
田口八重子さんも本当に皆があそこのタラップから元気で降りて帰って、この自由の今の、こんなに裕福になった日本の国の中の本当に自由を味わわせてあげたいと思っているんです。
どうか全部が元気で、もっともっと多くの特定失踪者の分からない、名前さえも分からない・知らないでここにつれてこられて、私はいったいなんだろう?と嘆いている人もいると思います。
そういう人たちも一緒に皆元気で帰ってくることが出来るように、私たちは一生懸命に頑張っています。

どこまで体が持つか分かりませんけども、本当に多くの方々のご支援をおかげさまで今日までやってくる事が出来ました事を感謝しまして、そして日本中が一人一人があらゆる人が、国が、政府が、警察が、そして国会議員が、あらゆるすべての人が父親として母親として、こんなことはいけないんだと。
何とかしようと団結していただきたいと願っております。
本当に今日はありがとうございました。(拍手)

2006年07月30日

06.7.15 佐藤勝巳氏 「北朝鮮からすべての拉致被害者を奪還する国民大行進」より 砂防会館にて

第一部 集会 基調講演より

『佐藤勝巳救う会会長による基調講演』
            (7月15日 砂防会館にて)

ご紹介いただきました佐藤でございます。
基調報告などと言う退任を仰せつかって大変恐縮しております。15分ということですから、今私が、こういう事が大切ではないかなと言うことを中心に話をさせて頂きます。

一つは、ご存じのように北朝鮮が7発のミサイルを発射をいたしました。
このミサイルの発射に伴っていろいろなことが展開されておりますが、拉致救出という意味では大枠としては、大変好ましい方向に向かっているいうふうに思います。

いまその根拠を述べさせていただきます。
昨日は北朝鮮問題については、私などより先輩のくわきり先生との対談をしました。


それは、今回のミサイル発射によって金正日政権の最後の始まりが、始まったということです。
たぶんこの次ぎに金正日がやることは、2つ想定される。

一つは≪テポドンUをもう一回もう一回発射をする≫、もうひとつは≪核実験を地下でやる≫ この2つのいずれかである。

金正日の個性からして、どちらが可能性が高いかというと、地下の核実験の可能性がたぶん高いだろうと二人の意見は一致を見ました。


さて今回の7発のミサイルの発射はどういう目的があったんだろうと、大きな国家として、あるいは政権として命令をかけるような行動をする場合は、必ず対外的と対内的の2つの要因があります。

今テレビなどで、私は、ほとんど、桜チャンネルに申し訳ないんですがあんまりテレビなど見ていない人間なんで余りわからないんですけれども、たまにスイッチなどを入れると、対外的議論が非常に多いです。たとえば、米朝の二国間協議を狙って、北朝鮮はミサイルを打ち上げたんだと。その部分は余り間違っていないと思うんですが、国内的な要因はなにかという事についての言及はわりに少ないと思います。

私とくわきり理事長との間で意見の一致を見たことは、対内的要因は、金正日は、北朝鮮の国民から、大きく見放され、権威が失墜をいたしている。このままで行くと政権の維持はかなり難しいという判断があったと。これはこの二人の対談は、PRさせていただくと、次の現代コリアの巻頭の対談として載ります。

根拠は細かくあげられています。何故国民から金正日政権が信頼を失ったのか?
一つは昨年十月、国連の世界食糧計画からの援助=米野支援を断ったと。その他NGOの支援を全部断ったんです。

そして配給制度を実施する。実施して二ヶ月で破綻してしまいました。米の値段は以前に比べてものすごく高くなる。ドルとウォンの関係から申しますと、1ドル、今北朝鮮のウォンで3000ウォンと言われていますが、ここ1〜2ヶ月で、4000、5000というふうにウォンの価値が下がっていっている。
つまり国民の給料、3000ウォンぐらいですから、(北朝鮮国民の月収が)一ドル以下というような状況が、あちこちに起きてきているという状態です。

こんなやつと一緒にいて、この国大丈夫かなというような考え方が、政治上層部の諸君にも生まれつつある。

で、落ちた権威をあげるために、先軍政治を執っていますから軍の権威を同時にあげる必要があるというのが、ミサイル発射の北朝鮮国内的要因であるとうのが二人の分析の結果でありました。

ですから国内的に見て、国民の支持を急速に失いつつある。
ああいうようなことをやらなければ、政権の維持は難しくなってきているということです。

では、我々日本人、あるいは北朝鮮以外の国から今の行為を見た場合、本当に権威などあがるのか?北朝鮮を取り巻く国際環境というのは、改善されるのかというと、ご案内の通りアメリカは「二国間協議、そんなことは論外」と。六者にでなさいと六者に出てきたら、まぁ、ヒルが二国間であってやっても良いよ ということです。

中国が今回の事件にどういう役割を果たしているかということですが、また、いろんな見方があるようですが、私の知る限り、中国は終始一貫してミサイル発射に反対をしてきたという信頼すべき情報を何度か複数から入手しております。

従って、中国の強力なプレッシャーをを無視して打ち上げた。
で、国連の制裁決議に伴い説得に入った。「NO」です。六者協議に出て行かないということで
中国のメンツは次々と潰れていっております。中国のメンツが潰れると言うことは、米中の交渉に於いてアメリカの相対的地位が高くなり、中国の地位が低くなっていくと言うことです。

今回の事件で最もダメージを受けたのが、韓国の盧武鉉政権です。あれは、客観的に見れば、北朝鮮がミサイルを作るのに一生懸命な時に、宥和政策で応援してきたというばかげたことであると言うことが、世界中に明らかになったと言うことです。

中国の問題に戻りますと、中国の今回の一連の動きで、金正日政権にほとんど影響力がないんだと言うことがわかったと言うことです。少なくとも今の時点で。中国が本気で影響力を発揮しようとするなら、重油を北朝鮮に売っているバルブを閉めれば良いんです。現に過去三日間閉めた事がありますから。いつ閉めたかと言いますと、六者協議に出てくる出てこないとごねたときに、中国側はバルブを閉めたんです。で、ようやく六者協議に北が参加をするという時です。

ですから・・・と油絶の権利は中国が、握ってていることは間違いないんです。
重油の輸送管のバルブを閉めることによってオーバーに言えば、北朝鮮は一週間も持たないというような、力関係。それをやった場合に政権が崩壊したら、難民が中国東北に殺到してくる。二年後に北京五輪を控えている中国にとって、北朝鮮の難民化はかなり強力な力関係まず存在いたしております。
かなり強力な力を持っているという力関係が、まず存在しております。
従って中国が気に入らないから、バルブを閉めると言うようなわけには、北京側の国益から判断してもそうは簡単な問題ではないと言うことなんです。

そう言う関連の中で、今国連に於いてどうするのかと、制裁をかけるのか、かけないのかと。
朝日新聞なんかをみていますと、安倍さんが、国連憲章7条という高いハードルをあげたことで、孤立を深めているというような趣旨の見出しを書いておりましたけれど、私はバカも休み休み言えと。日本の国連大使、並びに外務省が国連憲章7条をある国に、最初から制裁に決議をしたことは国連では全くないんです。

明らかに高いハードルをあげて、中国やソ連(ロシアのこと)拒否権行使をけん制して、どこかで落としどころを付ける、この次ぎに北が、ミサイルを発射する、あるいは今私が言ったような、地下核実験をやったときには、国連加盟国が全部制裁に反対できないような、状態を今から敷いておくという作戦であったというふうに見ております。ほぼそれは間違いないと思います。

そういう短期的なことではなく、もう少し長期的な対北朝鮮政策を視野に入れた、日本外交が今国連の舞台に於いて展開されているという第二次世界大戦後、我が国が初めて国際舞台に於いて主導権を持って北朝鮮に対する制裁発動を提案をしたという事は、これは画期的なこととして評価してよろしいことだと思います。

それからもうひとつ、5日に発射されたその日に、持ち回り閣議でマンギョンの入港を始めとする7項目の制裁案を即日発動したということも、これは、第二次世界大戦後、我が国がかつて行うことができなかった、我が国の安全が脅かされる、拉致の問題が解決をしないという理由をもって制裁を発動というのは、初めてのことでございます。

おそらく今回のことは、たぶん安倍さんが主導権をもってやったと思いますが、今回の処置を、中国が、韓国が、その他アジアの諸国がみた場合に、日本の外交というのは、今までと質的に違う動きを示しだしてきておる。教科書がどうの、靖国がどうのとかいうことを、気安く言っておったら、いや、言うことができないような政府になるのではないか、それは、圧倒的な国民が支持をしている、北朝鮮に制裁賛成、これ90%に近いんです、世論調査です。こんなことも我が国の戦後の政治で初めてのことです。90%を超えていることもある。このことが、これからの、日本のアジア外交に対して、我が国の安全保障に対して、今回の一連の処置が、いわば画期的だと言っても(いい)。(当たり前のことを当たり前にやっただけのことなんですが、)こういうことが、今進行しつつある。

この次もし、我々の予想通り地下で核実験をやったならば、これはもう、消滅の運命を辿るしかない。そう言う意味では拉致の問題は大きな意味で大変有利に進んでいると言うことです。

ただし、拉致された日本人が北朝鮮のどこにいるのかと言うことを、我が国の政府は本当に掌握しているのかどうか、していなければ、救出のしようがないんです。北に混乱が起きたと。拉致された人たち、それがどこにいるか全くわからなければ、アメリカのレインジャー部隊にお願いすることもできない。いる場所がわかんないんですから。それは困る。それに対して速やかな措置を、手だてを、こうずるべきである。

当面の拉致救出の緊急の課題は、それだろうと言う風に思っております。
与えられた時間が参りましたので、以上、私の問題提起をさせていただきました。
ご静聴ありがとうございました。

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

2006年06月20日

06.5.28 横田早紀江さん 茨城県民集会 水戸市民会館にて

【2006年5月28日、茨城県民集会 水戸市民会館にて】

 ◆横田早紀江さんの訴え

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みなさんこんにちは。今日は本当にこうしてたくさんの方がお集まりくださいましてありがとうございます。

私たちは、10年ほど前になりますが、安明進さんが(一部不明)めぐみが北朝鮮で生きているということをはじめて知らされて、本当に20年間何にもわからなかった、子供の消息が、突然北朝鮮というところにいるということがわかったんです。

それから「あぁ、めぐみちゃん、生きていたんだ」と思って二、三年のうちに会えるんだと思ったことが、こんなに長くかかって、そして全国のみなさん方のたくさんの署名を頂きまして、初めのうちは、だれもチラシすら受け取ってくださらなくて、『そんなことって本当ですか?』てこうやって(手を振る様子を示して)通り過ぎる方がほとんどでしたけれども、そんな中から、今は500万名以上の署名を官邸に提出することができましたし、そして皆様のお一人、お一人の暖かい浄財を、家族会の活動のために、全国津々浦々からが、お一人お一人が心を込めて「がんばってください」と家族会の方に振り込んでいただいたおかげで、今回のような訪米、訪韓、以前に行きましたジュネーブの国連への要請とか、前にも二度ワシントンに行きましたけれど、そのようなたいへんな数の費用とか宿泊料とかは、私達普通の庶民ですから、本当にそのようなことできるわけないんですが、本当に皆様方の暖かいお心の中で支えられて、今日まで、こんなに大きなところまで動いて来ることができましたことを、本当に心から感謝いたします。(大きな拍手)

私は平凡で普通の主婦でしかない、このような人の前でお話しすることなど苦手で、逃げることしかなかったようなものが、こんな本当に大変な人生を歩むことになったことすら不思議なんですが、今回、三度目の訪米なんですが、その中で米国の議会の公聴会の証言ということで、日本の家族から、横田早紀江さんということで、初めてそのような場で証言をさせていただく機会を与えていただきました。

本当にどんなことになるのかと思っておりましたけれど、西岡先生とか、島田先生とか、荒木先生とか本当にたくさんの方がこの10年間、・・・以後、どんなに心を砕いて一つ一つ小さく計画を立ててくださり、知恵を働かせてくださり、私たちにできないようなことをこうして実現させていただいたことを、心から感謝しています。

公聴会に行く前の日には、国防総省というところに参りまして、そちらのほうで、みなさまよくご存知のラムズフェルド長官がちょうどイラクにいらしてそこにこられないということがわかりまた時にして、イングランド副長官という方、さっと来てくださって、ローレンス副次官とか、よくテレビで記者会見をなさっているヒルさんという方がいらっしゃいますね・・・そういういろんな方が来てくだしましてそして私達の話をお一人お一人が一生懸命聞いてくださいました。

いつも、アメリカでは感じますが、これはその時だけと思えないほど、お一人お一人のお気持ちがですね、<私達が遠いところをおして訴えに来たんだ>ということを本当にしっかり受け止めてくださって、「本当にこれは大変な問題なんだ。許せないんだ。絶対にアメリカはこの拉致問題を見捨てることはありません。必ず拉致問題のことをきちっと表に出して、忘れませんよ』という強いお言葉をいただきまして、本当に有り難く思いました。


いよいよ27日の公聴会の時間が参りまして本当にドキドキしていましたけれども、それも非常に長い文章を書いていましたので、全部言いたいと思って。『そんなに無理です、ひとり5分しかないんですよ』と言われて、先生方も徹夜のように直してくださって、通訳のスーザンさんという方が、それを訳してくださって、二人で掛け合いをしながら何度も練習をいたしまして、そしてその日の望みました。

本当にスーザンさんは前のときの訪米のときも通訳をしてくださった方で、このとてもよく拉致のことをご存知で、ただ表現する、読むというだけではなくて、通訳すると言うだけじゃなくて、本当に、私がめぐみが船に乗せられて「お母さん助けて!お母さん、助けて! 」と呼びながら壁をかきむしって、爪がはがれそうになって血だらけでしたと言う話をしたときにも、女性でいらっしゃいますから、私の気持ちと同じように、「ヘルプ、マザー!、マザー!、セイブ、マザー!」と本当に上手に、感動的に話していただいて、とてもよいことだったと思っています。

委員長だったスミスさんとか、リーチさんという方も私達が持っていったブルーバッチをすぐにつけてくださいまして、そして壇上に座ってくださって、真剣に聞いて考えてくださって、そして「キムヘギョンさんという子供と会うことはできないですか?会う気持ちがありますか?」という質問をなさって、私達は会いたい気持ちは、本当に今すぐにでも飛んでいって抱きしめてあげたい思っていますけれども、そのようなことに、いろんな謀略を仕掛けてくるのが北朝鮮であると言うことがよくわかっていますから、そのことのためにめぐみをはじめ多くの方々が・・・ですよということで、今も言っているような結末になってしまって拉致問題が本当にこれで終わりになるということを考えたときに、非常に恐ろしい決断だと思いますから、私達は絶対にどうなっているということがはっきりと証明されるまでは、絶対にヘギョンちゃんに会うことはしないと、一生懸命にこらえてすごしてまいりました。

そして28日いよいよ公聴会の時にそれが終わりまして、その夕方にホテルに帰ってきました時に、「明日ブッシュさんとお会いできますよ」という連絡が入りました。もしかしたら会えるのかなと思っていたんですが、「本当にそんなことあるんですか」と言ったら「ホントですよ」ということで、拓也と言う息子がおりますが、一緒に行ってくれましたけれど、その子とお母さんと二人がブッシュさんに会えますよ、ということで、前に中国でハンミちゃんというかわいい女の子が、(親御さんが引きずり出されたことを覚えていらっしゃると思いますが、)そのご一家が、ハンミちゃんと一緒に3人で私達の前にいらっしゃいました。もうひとりの名前をちょっと忘れましたが(キム・ソンミンさんのこと)北朝鮮の放送のほうをやっている方とがいらして、そこでブッシュさんとお会いすることができました。

『本当にこんなにお忙しい時間をとっていただいて、私たちのためにお会いいただいてありがとうございます。』とまずまず握手する手を出しました。ブッシュさんは「私は人権という問題と自由と命という問題に関しては忙しくて会えないという、そんなことはない」とはっきり、「どんなことがあっても時間を作って会います」という表現で、・・・私達に話してくださったときには、本当に前に小泉さんにお会いしたときに、みなさん遠いところから、福井とか鹿児島とか、たくさんのところから年を取った方々がわざわざ面会にあいにきたときも、「11:50〜12:00までです」ということで、「こんなに短い時間で何が話せるのかしら」、「どうしてこんな時間を決めたのかしら」とみんなで不思議がっていたんですが、そう言うことが思い出されたんです。心があればどんなことでも聞いてあげましょう、私達の国の問題だと、特にそういう思いが募るのが本当だと思いました。
こないだのブッシュさん時なんか、すぐに感じ取れました。

そして座って、質問をしました。本当にどうにもならないんだと、ものすごい忍耐と苦しさと悲しさと絶望が付きまといますけれども、私達はたくさんの苦しんでいる人たちを娘を含めて全部取り戻すためにこうやってがんばってきました。だからどうか、これからもしっかりやってくださいと申し上げたら、「そのとおりだ」

はっきりと、みんなの前で、北朝鮮に向かってメッセージを出されまして、「北朝鮮の国に言いたいのは、このお母さんは何にもほしいものはないんだ。娘を元に戻して、抱きしめたいだけなんだ。この親子を抱きしめさせるべきなんだ。」ということをはっきりとおっしゃってくださいましたし、そして≪北朝鮮が、世界から尊敬される国になりたいんならば、本当に拉致問題を解決するべきだし、このようなことを犯罪として指導していると言うことは許せない≫ということをはっkりとみんなの前でおっしゃってくださいました。

拓也は(皆様ご覧になっているかと思いますが)めぐみの白いブラウスを着た哀しい写真を北朝鮮からだされてきたのをちょっとパネルの大きさにして、、4人で写した萩の楽しそうな写真と二枚を持っていきまして、『これが北朝鮮から出された写真なんです。姉はこんな悲しい顔をしたことがないんです。』といって息子が言いましたら、ブッシュさんはよく見ていらしたのでしょうか、「ふんふん」とおっしゃってすぐそれを受け取られて、そして『この子は、体としてはこの部屋にいないんだけれども、この子の心を私達と一緒にここにおきましょう。』とそう言う言葉で言って自分の横のテーブルの上に置いてくださいました。

さっきの女の子(ハンミちゃん)の泣き叫んでいる写真も持ってきてらっしゃいましたので、「それもだしなさい」ということで、「一緒にここにみんな並べておきましょう。みんなで写してもらいましょう」ということで、きちっとそう言う態度で示してくださったことは私達にとっては本当に嬉しくてたまらないことでした。

どうして、もっと日本の国民が、こんなにたくさんの人たちが闇の中にかき消されたまま、親子が離され、親族兄弟が引き裂かれて、何故自分がここに来たかもわからない、しかも袋に入れられて、船底に詰められて、40時間も日本海の海を漂いながら、そして30年間もの間、監禁されたような状態で、何かひとことでも反発すれば、銃殺されてしまうかもしれない、何か言えば、それこそ強制収容所に送られてしまうかもしれない、・・のような生活をしなければならない、絶対に苦しくても帰るまで頑張らなくてはならない、何があってもと思って、めぐみも今、増元るみこさんも、有本恵子さんも、田口八重子さんも、市川修一さんも、松木薫さんも、みんな死亡と言われた人たちは、「あ〜曽我さん帰っちゃった。蓮池さんも何で帰れたんだろう。私たちは何で帰れないんだろう?」どんな思いであの飛行機を見ていたんだろうと思います。悔しかったと思います。「どうして?」と思って、「毎日毎日明日は必ず来てくれる」そのことだけを願ってみなさんの助けを待っているんだと思います。

日本の国家するべき事です。
家族がこんなに何十年も、動き回ることはないはずなんです!
誰がなってもそんなことではいけないんです。
「私がこの国を背負っていきますから、私を当選させてください」と言った方がしっかりとそれをやらなければならないのです。(拍手で一部聞き取れず)・・・

(拍手で一部聞き取れず)・・・私達は国民を守ってくださいと委ねたんです。その方々が今、一体今をしているんでしょうか?
毎日毎日、いろんな本当に考えられないような、お金、汚職とかとか言うことのために、こんなに立派な人たちが、こんなことばっかりして「お許しください」と頭を下げなければならないんだろうかと本当に悲しくなります。

大切なことは真心が清くなければ、絶対にいけないんです。
何にもいらないから、一生懸命生み出された命を、自分で守って国家が守ってよい人たちを育てていく。そうしたところに、本当に素晴らしい国が、暖かい国ができると私は思っています。(大きな拍手)

(拍手で一部聞き取れず)・・・本当に、神様は、大事なお仕事を、こんな最終的年齢になって、させてくださっているなーということを感謝しています。

どうかこれからも宜しくお願いいたします。(大きな拍手)

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

2006年06月16日

06.5.20 飯塚繁雄さん 群馬県前橋集会 前橋市総合福祉会館にて

「あなたも拉致の現実を知ってください」(群馬・前橋)
     2006年5月20日
      群馬県前橋市 前橋市総合福祉会館にて
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家族会副代表 飯塚繁雄さんの訴え
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群馬のみなさんこんにちは。ちょっと座らせていただきます。
私、もちろん耕一郎もそうですが、こういった活動で群馬に来るのは初めてでございまして、従ってみなさんと会うのも初めてと言うことで、日頃私達は日本全国、外国も行きますけれど、東奔西走して全国に訴えておりますが、群馬のみなさんにもこの問題を更にご理解を頂こうということで訴えに参りました。

日頃この問題につきましては非常にみなさん関心を持っていただきまして、みなさんができる活動の中で非常にご支援を頂いております。署名ですとか、あるいは講演会、並びにそれに関したボランティアの方を含めた活動を頂いておりまして、おかげさまをもちまして、3年前とは全然違う今のこの問題に取り組む国民の皆様、もちろん我々もそうですが、この拉致問題をなんとか片付けなくてはいけないという気運が高まって参りまして、私達としても活動がしやすいと言いますか、そう言う状況にも、今あるわけです。

先日家族会として訪米をしたり、訪韓をしたりして、特に訪米の折には、願ってもないブッシュ大統領との面会ができたという、この大きなアクションというか、出来事は、今までかつてないほどこの問題が日本始め世界中に意識されているんだなという実感も受けた次第です。

もちろんこの件だけでこの問題は終わるわけではないんですけれども、やはりこういった形で日本の国民の人たち、それから政府も担当する方々、更に言えば韓国の人々、それから今や拉致の問題は世界的になっておりまして、非常に北朝鮮としては、世界各国から12(の国から)拉致をしたとい実績、結果も出ていますし、そう言う意味ではブッシュ大統領が家族と会ったというのは世界に対して、こういう問題、人権の問題に対して、かなりのインパクトを与えたメッセージではないかというふうに私達は感じております。

今日はたまたま飯塚家が中心になるお話になってしまってアレなんですけれども。
私は埼玉県に住んでおりまして、川口と言うところで長く兄弟達と生活してきたわけですが、私の兄弟は7人おりまして、その一番下が連れて行かれた田口八重子という。(名字が違うのは結婚しまったからそうなんですが)私としては17も違う妹については、妹と言うより親子みたいな感じでですね、そのころの苦しい生活を兄弟力を合わせて何とか乗り切ってきたと言う時代なんですね。言ってみれば、明日何を食べようかという次元の心配をしょっちゅう頭の中でしていると、で、兄弟助け合いながらやってきた訳なんですけれども。

訳あって妹八重子は結婚後、母子家庭を営んでおりまして、私達兄弟もですね、たくさんいる中で、意見として、『もし仕事をするんだったらば、きちっとした昼間の仕事に就きなさい』とかなり意見を言ったのですが、あの当時、女手一つで子供を育てていくというのは、非常に大変なことで、言ってみれば水商売の方に言ってしまうのは無理もないという、そう言う時代だったんですが、私も心配して、いろいろそこの店に行ったり、店長にあったり、友達に会ったりして仕事の状況を見ながら、心配しつつも、これなら大丈夫だということで、ついそう言う形になってしまったんですが。

まぁ、それも僅かの間、3ヶ月ぐらいの間でですね、突然いなくなってしまったと。まぁここに、こんな大きいのがいますけれど(耕一郎さんの方を向いて)実際はその時一歳だったんですね、上の子が二歳半ぐらいで、ちょうど、もちろん親の手を入れなければ生活もできないそう言う時代だったんですけれども。私達もあの頃ちょうど、1978年の6月末に失踪してしまったと言うことなんですが。

本人は(耕一郎さんを見ながら)知らない話なんでしょうけれども、まぁ、ベビーホテルに預けてあったんですね。それでベビーホテルも今のようなきちっとした形ではなく、モグリでやっていたような状況だったんですね。非常に子供達がそこに行くのを嫌がっていた。私も務めていましたから、土曜日に迎えに行って、日曜日の夜又預けに行ってという、こういうパターンを2〜3週間も続けたんですけれども、今、後悔するのはあんなに嫌がるところに何故三週間も入れておいたんだということ、反省、後悔はしているんですけれども、まぁその時は仕方がなかったと言うことになるんですけれども。とりあえず子供を何とか育てなければならない、何とかめんどうをなければならないと言うことで、まずそれが中心になって、私はこの耕一郎を、上のおねいちゃんは私の妹が引き取って今まで育てて来たと言うことで。

まぁ、当時は何で八重子がいなくなったかと言うことについては不思議でしょうがなかったんですけれども、そのうち返ってくるんだろうという気軽な事で、とにかく子供達を何とかしようと言うことに力を注いできたわけですが。そんな生活がかなり続いたんですが、やっぱり育てていくためにはきちっとしなければならないという私の持論もありまして、私の子供も3人いまして、上に。まぁ子供達に前に座らせて『これはお父さんの妹の子供だから、兄弟として仲良くするんだぞ。』と。それから『このことは絶対本人に行ってはいけないよ』と言う話をしまして、3人はただうなづいて『わかった』と。その『わかった』と言うのが20年も続いたんですね。それが、当の本人が一番びっくりしたんですけれども。そう言う状況の中で、私達は自分の子としてこの子を育て、将来返ってきた時には、ちゃんとした形で、妹に返してあげたいという気持ちも当然ありますから。

そう言う生活が続いたんですが、これですねまた大きなショックとして、みなさん既にご承知だと思いますけれども、1987年、大韓航空機の爆破事件がありましたね。あれは、今はもちろんこれは北朝鮮の策略だというふうな事が、今はオーソライズされていますけれども。北の狙いとしては、韓国のオリンピック、ソウルオリンピックを妨害するために、日本人が飛行機を爆破したと言うことにするという、そういう策略だったんですね。ですから犯人の金賢姫という人が、偶然生き残っ訳ですけれども、その人の日本人化教育をさせるためにうちの田口八重子を狙い定めて連れて行ったと。まぁこれは、そう言う目的ですから、たとえば結婚の経験がある、子供を育てたことがある、生んだ経験もある、いろんなファンションだとか、雑誌だとか、世間の噂だとか、だいたい全てを知っている人を狙っていたようです。

ですから東京のど真ん中、池袋からそういう拉致をされたと言うことについては、単に海岸にいたからと言う事ではなくて、向こうの目的にあったものを選定して連れて行ったと言うことが、後々わかる訳ですけれどもね。ですからこの大韓航空機事件の犯人であった金賢姫が生き残ったから、今その教育係が(その当時リ・ウネと言う名前でいたんですけれども)田口八重子だと言うことがはっきりしたんですね。

私達その当時そんな大それた事ができるわけがないとか、そんな事件に巻込まれたくないという気持ちがあったんですけれども、まぁ彼女の証言で、写真についても、10枚のうちから、懐かしい声で、『ウネ先生!』ということで、多義地八重子の写真を指さしたと言うことで、これはもう決定的になったわけです。ですから。私達はそれを認めざるを得ない。これは確定的、決定的になったんですね。

当然マスコミさん達はこれは大きな事件として、記事にするために面白く書いたという私の感想なんですけれども、
それについては、非常に私の妹が<北朝鮮の手先になった>という、<犯人と一緒にこの事件を起こした>という、そう言った意味合いの書き方がどうも多くですね、<私達は本当は被害者なんだ>と、<日本人被害者が向こうに連れて行かれて、そういう役割を負わされたんだ>という書き方をしていただければ良かったんですけれども、なかなかそう行かなかった時期がありました。従って、その事件に巻き込まれた親(八重子さん)を本人(耕一郎さん)には知らせない努力というか、戦いが長く続いたんですけれども。

まぁそれは、いろいろ毎朝、毎晩押しかけるマスコミを、何とか帰っていただくように、そう言った写真だとか週刊誌だとか新聞だとか一切本人に見せないようにはしてきたんですが、まぁ、そういうふうに残念ながら、そう言った面ではそういう事実だけがわかったと言うことで、実際には、<じゃぁ、助け出せるのか>と言うことになるんですが、それが非常に難しい状況にありまして、未だにそうなんですけれど、何でうちの妹だけがそういう被害を受けなければならないんだとか、被害妄想的な感じもします。

みなさんのように平凡な生活が何故できないのか、させてやれないのかと言うことになるわけですけれども。

こういう事実がわかった以上、何とか奪還しなければいけないと私もちょっと遅ればせながら、例の2002年の9.17のあと、他の家族のみなさんと一緒に活動を始めたわけです。それを見てですね、当の耕一郎は『おれも活動に参加する』ということを言ってくれたんですが、まぁ、『一時待て』と言うことで少しロスタイムがあったんですが、やはり私の疲れた顔とか、後ろ姿を見てると、じっとしていられないという気持ちだったようです。その辺の話はあとで出るかと思いますが。

そう言うことでは、未だに北朝鮮は、さっき言った大韓航空機の策略をですね、北朝鮮ではないとあれは韓国のでっち上げだとか、認めていないんですね。これは世界的に認められている話なのに、未だにアレは認めていない。そう言う状況ですし。それから、のちのち首相が訪朝するわけですけれども、その結果についても、5人生存、あとは亡くなっているという報告をうけたわけですが。

それも外務省から単に『お宅の妹さんは亡くなっています。お気の毒ですね』とこういう感じだけで、いかにも、日本政府がすべて確認して確信がある話だという雰囲気で伝えたんですが、私は『全くそれを信用しない。もうチョット詳しく聞きたい』と言っても、何もわからないという状況があったんですが。

その後いろいろ交渉の中で、亡くなったという人たちの報告書がくるわけですね。それがみなさんご承知のように、まず一番はっきりしているのは横田めぐみさんの骨といわれるやつが、全くのねつ造品、でたらめだったと。それから、松木薫さんの骨も偽物だった。それから、我々を含めた各被害者の報告書も全部ウソの報告書ばっかりで、これはもちろん我々も突き詰めましたけれども、専門家、あるいは政府もこれは全くのでたらめだということをはっきりと確信を持って言及したわけですが。

それを受けて当時の官房長官細田さんが、『北朝鮮が迅速かつ誠実な対応をしなければ、日本としても相当な覚悟の上で厳しい対応を取らざるを得ない』と、はっきり、一昨年の12月24日に言ったわけですが、それから一年半もたっちゃうわけですよ。何にもしてないわけです。


ですから私たちは、一ヶ月、二ヶ月過ぎるごとに、『何にもそういう対応できないんだったら、経済制裁をしてくれ』という話をずーーと続けて参りましたけれども、これもいろんな論議がありまして、日本だけで経済制裁をしても大して困らない、効果がないという話もありますし。私たちは経済制裁を白ということは自分たちの家族も危ないぞというそういったリスクも抱えながら訴えているわけですね。しかしながら今のままではまったくこの問題は解決しないし、何か手を打たなければいけないというのがはっきりしている訳ですから、そういうことでは、経済制裁をするというのは、日本が怒っているんだと、国民、政府、もちろん家族が、もう相当怒っているんだということを、北に態度で示すというメッセージを与えるという、こういう大きな効果があるはずなんですね。

まぁ、実際に経済制裁すれば、いろいろ工業関係、電子関係、すべての部品については日本製がかなり向こうで使われていまして、それがすべてとまってしまうというような効果といいますか、影響があるはずなんですが、なかなか法案は、特定船舶入稿禁止法案とか、外為の改正法案とか、いろいろ準備はできているんですね。

それから、今は【北朝鮮人権法案】というものを、与党、野党ともに作っていますけれど、いずれをとっても、肝心な総理の決断が最後にいるわけなんですね。閣議決定して総理が決断しないと発動できないと。そういうものがありますけれど、まぁ、法律というのはいろいろ解釈のしかたでもって、かなりなことができるはずなんですが、ちょっといまいちその辺がはっきりしない。

この辺で訪米報告に繋がりますが、(時間がないのではしょりますが)経済制裁についてはアメリカ本国のほうが、北に対してものすごく大きな制裁をしているわけなんですね。ご承知のように、マネーロンダリングということで、マカオの銀行を閉鎖して北朝鮮の口座を閉鎖して、それに関する他国の口座も結局繋がらなくなるわけですから、相当資金源で苦しんでいるという話です。

さらにはこれを拡大して、香港とかスイス銀行とか中国銀行とか、その辺にも手を出すという強い意気込みが今あります。それから船舶を止めるにしても、核兵器とか、兵器に繋がる物資の輸出・輸入に対する船の制限も、はっきりとやっています。さらには、今回我々家族にブッシュ大統領が会ったということは世界に対するメッセージでありまして、人権を尊重するということは、まず何よりも優先することだと、はっきりあらわしているわけですね。

我々まさかブッシュ大統領と会えるとは思わなかったという部分がある反面、期待はしていたんですけれども。安倍官房長官、その他の人々の力添えを得まして、更にはシーファー大使=駐日アメリカ大使が非常に貢献して頂きまして、結果的には会えることになりましたんですが。

日本の偉い人が行ってもなかなか会えないブッシュ大統領に我々平民が会えたと言うことはその間に、≪人権の尊重≫という、大きなテーマを持っていると。それに対する活動もしている。更にはその人達の気持ちがわかると言うことで。何よりも優先してこの問題を解決しなければならないのだという表れですね。

みなさんもご知っているかと思いますが、ブッシュ大統領に明言がふたつあります。

【私は忙しい忙しいと言っているけれども、自分は人間の尊厳と自由について話せないほど忙しくはない。】

他の仕事は忙しいことがいっぱいある。この問題を除いて忙しいとは言えないというふうな事を言っていますし。これは当然、政府、各国、あるいは日本、アメリカにこういったことを理解してもらうためにはっきり言ったんですけれどもね。

それからもうひとつは
【最近になく最も心動かされた会談だった。】

感動した会談だったと言うことで、もちろんその場面通訳も含めてですね、ブッシュさんと早紀江さんの間にめぐみちゃんの写真とか置いてですね、ブッシュは、(めぐみさんが)ここにいると言うつもりで話をしようじゃないかと言ってますし、又通訳の方も早紀江さんの話を聞きながら、眉をひそめて泣きべそをかきそうになりながら、通訳をしているんですね。要するに気持ちを表して通訳をしている。だから、ブッシュさんも非常に感動して言った言葉が出てきているんではないかと。

アメリカの方はですね、大体すべてこういう考え方なんですね。人の権利、幸せになる権利を奪うことは、まず最悪のことだと、しかも他国からそういった犯罪的に、持って行かれる、誘拐される、拉致されるというのは、とんでもないと。

だから最初行ったときには、『今更、そんなことがあるんですか』と言われることが多かったですね。この世界に。ところが実際にある。日本、韓国、世界中各国の12カ国の人を拉致していると言うことがわかって、これを手邸的に解決するための動きをしなければならないというのが、各議員の先生とか政府の高官とか、みなさん全てそう言う態度ですね。我々の話も最初はアポイントを取っていくんですが、実際にはそれよりも(アポの予定より)二段も三段も上の人が出てきて、それで実際に話を聴いてくれる。それで、こういうようなことでアメリカは約束すると大きなコメントも頂いています。

それから、ペンタゴン、アメリカの国防総省にも我々は行きまして(あそこもめったに入れるところではないんですが)たまたまラムズフェルド長官が留守で、ナンバー2のイングランド副長官がわざわざ出てきてくれて、もう目の前で色々話を聴いてくれるんですね。更には、一人一人こうしたサイン入りのメッセージを明くる日すぐに届けてくれて、『私の話したことは、全てみなさんに対する約束事で、絶対に忘れないし日本と協力してやっていきます』という強い話もしてくれましたし。

だけどある人の発言は(これは当然だと思うんですけれども)『みなさん、アメリカに来て色々お願いしていますけれど、肝心の日本は、日本の政府はどんなことをやろうとしているんですか?』とか、そう言う話がやはり出るんですね。私達は向こうまで行って日本政府の悪口は当然言えませんから、コメントに困ったんですけれども。まぁ、とにかく『日本もこの方面については対話をしていくんだという態度がはっきりしていますから、アメリカと是非協力して今後もやってください。』と言う話にして帰ってきたんですが。

先ほども言ったように、この我々の活動のひとつの大きな通過点としてはですね、ものすごい大きな成果であったと思うんですね。『家族会って言うのはすごいな』と、これを一番感じているのは、金正日だと思うんですよ。今まで何となく全てごまかしてきたのが、今度はそうではないなという、そう言った緊迫した意識になっているのは確かですし。

ただ問題は、こうした大きな活動の成果を、実際に日本人を奪還するための具体的な策に繋げなくてはならないと。

これは当事国の、日本政府、韓国政府。
韓国政府もいろいろ聞きますと、北への太陽政策というか、北を刺激したくないという政策ですから、今回横田さんが行っても『会う必要はない』という、冷たい態度なんですね。

やはりこの問題というのは、個人では解決できませんから、当然国と国の政府がきちっとした対応、外交の元で片付けて行かなくてはならないと。しかもこれは犯罪ですから、他国による犯罪ですから、かな強い態度でこれを取り返す、これは当然のことだと思うんですけれども。

もう、私たち、待ちに待って、横田さん夫婦もそうですけれども、みんな家族は年をとり、疲れていますよね。
一番大変なのは、当の被害者です。あの厳寒の地にもう二十数年も囲われている。何時帰れるのか、何時帰れるのかと何時迎えに来てくれるのかと、毎日、月や星を見ながら、当然思っていると思います。

先ほど言った≪偽の報告書≫その他のいろんな情報からすると、あれは、かえって生きてるから、ああいうウソの情報がでてくるんだと。その後のいろんな情報によると、向こうが死んだという日付よりも後で『いや、実はあそこで見た』とかね、安明進さんの話もそうですが、そう言った情報が結構あるんですね。

こういうことも色々考えながら私たち身を粉にして活動しているんですけれども、『なんで、私達、被害者の家族がこんなにまでしなくてはいけないんだ』という素朴な疑問にいつもでっくわすわけなんですよ。『なんでアメリカのこんなところに私が立っているんだ』と。

まぁ、これは何でもやんなければいけないんだと言うことでみなさんのご協力を得てやっていますけれども、最終目標は、日本人被害者の奪還、すべての日本人を奪還するんだということですから、必ずこれに繋げなくてはならない。中途半端な形で終わらせたくない。

当初帰国した5人の日本人被害者の方達が帰ってきて、あれで終わりにしたいという、北の意向もありましたし、もしかすると日本の意向もそうだったかもしれません。これはとんでもないと言うことで、今かなりな活動と、ほとんど国民の方達のご支援を頂いて、やっとここまできたという感じなんですね。

まぁトンネルの向こうに細い光が少し見えたかなという感じですけれども。
この問題を解決するためには相当な大きなインパクトがいるわけです。

たとえば先ほどの、私の妹のことも、大韓航空機のことを北に認めさせなくてはならない。それから、報告した北の言っていることは全てウソですと、ごめんなさいと言わせなければならない。こういう事にしないと被害者達は出てこないと。

そのためにどうするのかというのを考えていかないと、単に柔な交渉でじっと我慢してくださいと、対話対話といっても対話ではとでもないけど、この問題は片づかない。向こうがあらゆる制裁を受けて、ギブアップして『もうごめんなさい、助けてください』というふうにならなければたぶん先が見えないと思うんですね。

そういうことで話が長くなりますけれども、そこまでするためには相当な覚悟もいるわけです。
ですから何事も、北の言っていることは全てウソだと言うことを我々も常に認識して、あまり向こうの陽動作戦に乗らないようにしようと言うことなんですが。

まぁ、話が長くなりますが、良くみなさんも、『私達も本当にそう思うんですがいったい何をやったらいいんですか』といつも言われるんですが、みなさんもこんな拉致なんて事は絶対良いわけがない、絶対卑怯な酷な話だと言うことは当然知っているわけですから、まぁ、こういった運動に、国民運動として盛りあげて政府の尻を叩くと言うことで、いろんな方法、街角でお願いしている署名活動ですとか、政府の官邸に直接、メールでも電話でも、FAXでも送っていただいて、『早く片付けないと、今後の日本はないぞ』と言うくらいな気持ちで、ちょっと、ご支援を頂くとかですね、いろいろこの話を広めていただいて、ご家庭、学校、会社、親戚などに広めていただいて、みんなでこの問題を盛りあげて解決しなければ、誰かがやってくれるだろうと言うことでは絶対ならないというふうに、私も思っていますので、本当に申し訳ありませんが、もし自分の家族がこういう目にあったらどうなんだろうと言うこともちょっと考えていただいてこれからのご支援を宜しくお願いしたいと思います。

どうもありがとうございました。

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

2006年06月11日

06.4.15 白眞勲さんの講演 都内某所にて

06・4・15、開催されたミニ集会での白眞勲さんのテキストを金木犀さんが作成してくださいました。
当Blogへの転載も快諾してくださったのでご紹介をさせて頂きます。
白眞勲さんについてはいろいろなご意見・感情をお持ちの方がいらっしゃる事は私も承知しておりますが、元在日の立場から知り得る情報・考え方などもあろうかと思います。
拉致問題打開の為にも、どうか資料としてお役立ていただければと思いますので、よろしくお願い致します。

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4月中旬、都内で行われた集会での白眞勲さんの講演をテキストにしました。
概略のテキスト化に当たっては、白眞勲先生から、ご許可を頂きました。
今回の金英男さん家族面会の状況、韓国内の状況、朝鮮日報の論調などについても理解する材料になるのではと思います。参考に。

白眞勲先生のご意見に納得する部分、もう少しつっこんでお聞きしたい部分もありましたが、そこまではお聞きできませんでした。

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  ◆白眞勲さんの講演◆
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ご紹介いただきました白眞勲です。
拉致の救出関係については30分と区切らせていただいて話しさせていただきます。
ご存じのように私は朝鮮日報という、韓国の新聞社の日本の支社長をずっとしておりまして一昨年7月に参議院に当選をさせていただいた一期生でございます。

当然私、実は比例区、昔の全国区ですので何処かの県民のためとか選挙区のために仕事をするのではなくて、すなわち日本国全員、国益のため(もちろん国会議員というのは皆そうなんですけれど)特に私の場合は何処と言うことありませんので、地域の利益代表というよりは、日本国の利益の代表としてという観点からですね、仕事をしていきたいと思いまして、立候補させていただいて当選をさせていただいたわけでございます。

そのためには、良く批判されるんですよ。おまえ韓国人だったから、(まぁ、今日本人ですけれども)韓国の利益を考えて日本の国政をやってるんではないかと。そんなことありません。韓国の国益=日本の国益にあり、日本がとなりの国と仲良くすることが日本の国益になる、これは当たり前のことなんですね。それも、『日本だ、韓国だ』とか言ってるような、僕は、時代ではないんじゃないかなというつもりでして、そう言う観点から、日本の国会議員になる以上、この国の利益と言うのは考えるわけで、それは世界平和であり、平和な、みんなが仲良く暮らしていけることが、一番、私は、みなさんの利益に繋がっていくんではないかと観点から今仕事をしている訳なんですね。

そう言う観点からすると、どうしてもこの北朝鮮の拉致問題というのは、解決すべき問題という認識を持っていますし、又北朝鮮に対して、これはみなさん区別していかなければいけないと私が思っているのは、『北朝鮮けしからん』ではなくて、『金正日けしからん』なんですよ。

北朝鮮の一般の大衆というのは、猛烈に金正日によってきわめて厳しい迫害を受けているわけですね。やはりこれは、助けてあげなければいけないと私は思っているわけです。ですからその辺も、私達は分けて、北朝鮮の金正日体制に対して厳しい見方をしていくというのがわたしの考え方であるというのをご理解頂きたいと思います。

今の現象について国政の立場からご説明するのが一番良いだろうというふうに思います。
私は国会議員として外交防衛委員会に属しております。それでですね、今回めぐみさんのお嬢さんのキム・ヘギョンさんのお父さんが韓国で拉致された金英男さんであるということがはっきりしたわけです。今まで韓国の対応というのを見て頂くと、金大中さんからですね。北朝鮮に対しては、宥和政策を取っていました。太陽政策、それはみなさんよくご存じの政策です。太陽政策はどういう政策かといいますと、いわゆる北朝鮮と、南北が統一すると、きわめて南が負担が大きくなるのではないだろうかと。これは当たり前のことだと思うんですね。

特にですね、韓国が北朝鮮に対する宥和政策に転換したのは、私は<東西ドイツの統合>、これが一つの契機になったんじゃないかと。東西のあのドイツが統合したら、あの西ドイツがひどい目に遭っていると。これは統一するのは大変だねと言うことがわかってしまったということだと思います。

イギリスの調査機関によりますと、統一にかかる経費が一兆ドルぐらいかかるんではないかというんですね。一兆ドルです。120兆円ぐらいですか今のお金でいうと。とんでもないお金ですね、日本円でいうと。韓国の国家予算10兆円ぐらいですからもし、(これは一つの概算ですが)南北が統一したら、南の韓国まで、へたするとおかしくなっちょうんではないかというわけです。

じゃぁ、どうすればいいのかと。つまり北朝鮮の経済というものを底上げしていくことによって、南北の格差を減らして、それから統一に少しずつ、徐々に持っていくのがいいんじゃないかというのが、金大中さんの考え方だったと思うんですよ。ですから南から北に経済援助みたいな形で、どんどん援助を始めたということなんですね。

私は、それには反対だったわけです。(援助は)金正日体制では、体制維持に使われるだけであって、北朝鮮の一般大衆に対しては役に立たないんじゃないだろうかという意見なんですけれども。

いずれにしても韓国民は金大中さんを直接投票で選んだわけですから、その金大中さんがそう言う形でみなさんご存じのいわゆる太陽政策というのをやったんです。これは太陽政策ということばどおり、イソップ物語の、『北風と太陽』からきてるわけですね。

北風と太陽というのは、イソップ物語で、あれは北風と太陽が喧嘩しているわけでしょう。当然これは、旅人は知らないんですよ。北風と太陽が喧嘩していることをですね。知っていたら<マントを脱ぐ、脱がない>にならないでしょう。言わないでおいて喧嘩するから、太陽が熱いからと言ってマント脱いだわけでしょう。

金大中さんが、『太陽政策、太陽政策』と言ったら、これ、北風と太陽で、(旅人=北朝鮮が)マント脱ぎますかってことになるんですよ。言ってることあってるでしょう?言わないでやるなら良いんですよ。言っちゃったら、『北風と太陽』、太陽政策(が勝つこと)にならないの!黙ってやるべきだったの。

黙ってやるべき。ところがこういうことをやっている。当然金大中大統領5年間の経済はどうだったかと。格差はもっと開いてしまったんです。北朝鮮の経済というのは全く低迷したままだったということが今、はっきりしているんです。ですから、この太陽政策というのは、金大中政権5年間で完全に失敗しているんですから、当然盧武鉉さんは、それに対して転換していかなければならないわけなんですけれど、相変わらず北朝鮮に対する宥和政策をとっている事対して、私は韓国に対しても批判的なんです。

これは、新聞社の時代にテレビによく出たときに(韓国の政策批判を)言っていたら、韓国の新聞社からも“売国奴”とかなんとか私のことを指して言うわけで、大使館からもなんだかんだと言われたんですけれども。あれって不思議なもので、“出る杭は打たれる”っていうじゃないですか。でも、出過ぎると打たれなくなるんですね、これ、杭っていうのは。引っ込まなくなるから。そう言うことで、出過ぎてしまったら何にも言われなくなっちゃったね、ということがあって。

私は考え方としてはっきり信念を持っています。この方が正しいと思っています。やはり、金正日さんを何とかしなない限り北朝鮮は良くならない、これははっきりしていると思います。『金正日さんを殺せ』と非難とか言ってるのではなく、ともかく反省して下野するというか、政権から降りて頂くのが北朝鮮にとって一番いい。これが拉致問題解決への一番の早道であるというふうに私は思っております。

じゃぁ、北朝鮮の今の状況というのは、一つ言えるのは、北朝鮮というのは、100万人の兵力を持っている強大な軍事国家であるの事はおわかり頂けると思います。2000万の人口で100万人の兵隊を持っているんですよ。こんな国ないんですよ。中国でさえ300万人、12億いるんでしょう?12億に300万人、日本の自衛隊が26万人ですよ。南の韓国で(人口が)4,000万人。4,000万人で(兵力が)60万人ですよ。北朝鮮は2,000万人で100万人という兵力。

みなさん頭の中で20人にひとりだと思っているでしょう。“違う”っていうの、それ。何故かわかる?女性が半分でしょう。だから男は1,000万人しかいない。男1,000万人と言ったって、老人から子供まで赤ちゃんだっているんだから。

  つまり100万人というのは、生きのいい男はみんな兵隊だって事ですよ。

ということは、どういう事かっていうと、簡単な話、生産活動ができないと言うことなんです。軍人というのは生産活動しないんです。基本的に鉄砲を持ってヘルメットかぶって、野原を駆け回っているってことですよ。軍事費といったら、これは一般のこの辺の渋谷なんかのの若者でじっと座っている子供達に比べて、お金使うんですとあの子達は。兵隊というのはお金がかかる。

戦車、リッター400mですよ、燃費が。ヘルメットから食べ物まで、みんな食べ物まで国が負担しなければならないんです。この軍事費というのは、(日本の自衛隊も同じなんですが)ものすごく費用がかかるんですね。それから新しいものにどんどん装備を変えていかなければならないでしょう、装備も。戦車なんて中古で売れませんからね。みなさんも中古車センターで戦車売ってるのをなんて見たことないでしょう。

だから結局そう言う観点からすると、北朝鮮は軍事国家であるから故に破綻しているんですよ。簡単な話なんですね。そういうことをまず念頭に置けば、まずはあの北朝鮮を変えるべきであるというのは言えることだと思います。それははっきりしている。

それで今アメリカを中心として制裁が始まっているわけですね。実質的には制裁が始まっていると思う。それは何故か?金正日さんの財布の根っこを締めてしまう。つまりマカオにある銀行口座を止めてしまう。凍結してしまった。これは非情に効果あると思っています。

金正日さんが1月だったかに、中国を訪問してますね。急に何で中国を訪問したかというと、私はたぶんあのマカオの口座を何とか中国に頼んで、『何とかしてよ』と言いに行ったんじゃないかと、私は思っているんです。

中国側はあれはどうにもならないらしいですね。あれはアメリカが決済しているから。つまり貿易をするときには、アメリカの銀行を通じて決済するから、あれはアメリカの国内法。そう言う形でピタッと止めちゃえば、チェイスとかああいう銀行が止めれば、世界中どこに銀行があろうと、アメリカで決済しちゃうわけですから、ダメなんです、これ。
そう言う形で、止めてしまっているというのは、これは私は非常に良い形だなと思っているんです。

あとは新潟の万景峰号、これは止めるべきだと私は思っています。私は国会で、必ずと言っていいほど外交防衛委員会でこのことを言っています。ここには麻生外務大臣とか必ず来ますから。必ず、万景峰号を止めろと言うことを言っています。

何故私が万景峰号を止めろと言っているかというと、4月15日は金日成の誕生日でしたね。そう言う日に金正日は贈り物をしているんですよ。おくりものというのは食い物が多いですね。その食い物をどこから運んでいるかというと、日本からですね。万景峰号で運んでいるんですよ、だから、4月11日に万景峰号が入ったんですよ。食材を入れているんですよ。高級ワイン、メロン、霜降り和牛、そういうものをあの船に乗っけて運んでいるわけですよ。

霜降り和牛なんて、今口に出して言っているけど、なかなか私の口に入ってこない。私はそう言うものを止めるべきだと思うんです。経済制裁をすると一番困るのは、北朝鮮の困っている人たちなんですね。94年に300万人、餓死したと言われている。あの2,000万人の人口で、300万人餓死しているというのに、金正日政権は残っているんです。だから、(直接)経済を締め付けても困るのはかわいそうな子供達なんです。それが本当に良いんだろうかと言うことを考えたら、一番良い方法は金正日を困らせることなんです。

金正日に持っていく食い物を、肉を固くしてしまわなければダメだと言うことなんです。彼はいいんですよ、霜降り和牛を食べなくたっていいんですよ、十分にお腹ぽこぽこでているんだから。少しはダイエットさせればいい。そう言う観点から見れば私は万景峰号を止めるべきだと、これは非常に象徴的な意味があると思っているんです。それに伴う関連の法律ができているんだから、さっさとやるべきだというのがわたしの考え方なんですね。

それと同時に、韓国で金英男さんの問題がありますが、みなさん『何で、韓国では拉致の被害者468名、政府で認定されているにもかかわらず、これがなかなか進展しないのか』とおっしゃいますが、これは先ほど申し上げた太陽政策、宥和政策をとっているから、北朝鮮を余り刺激したくないからと言うのがあります。もう一つあるのは、韓国と北朝鮮との間には離散家族が約一千万人いる。それから朝鮮戦争当時の捕虜が何十万とかいるんですよ。そうすると、政府としての優先順位は、離散家族一千万人になってしまう、と言う部分もあるのではないかと、私は思っています。

ですから、自分の両親というのは、一分の一ですよね、一人しかいないんだから。あるいは自分の肉親だって一分の一、しかし、これを政府として考えると、一千万人か、468人かと言うことになってしまう。ということになると、どうしても一千万人のほうに力を入れざるを得なくなるというのが政府としてあるんではないかと思います。

朝鮮日報も(本当に北朝鮮に対してはいつも厳しい論調をはっているんですが)今回は本当に一面トップに出しましたし、(私の出身である朝鮮日報も)今回は韓国に対しても『何をやっているんだ』と『日本政府によって韓国人の拉致がはっきりしたじゃないか』と、『今まで何をやっていたんだ』と、相当厳しい論調になってきている。

金英男さんのお母さんに対しても本当にかわいそうだなという感じがする。人間というのは、日本人も韓国人も同じなんですよ。両親、肉親を奪われた苦しみ、肉親がいないという悲しさは、お母さんとして、これは当たり前なんですよね。

肉親がいない悲しさ、こういう気持ちが、これから韓国政府というものをどう動かしていくかということが私は一つの試金石になっていくんではないかと思って、(今回のことを)一歩前進、二歩前進と思っています。

麻生外務大臣は、外交防衛委員会でこの拉致問題について私が聞いたとき、『これからは韓国と強く連携していく』と言いました。
≪強く≫と言う言葉を言いました。ですからだいぶ変わってくるんじゃないかと思います。今の日本政府の態度も少し(強く)と言う方向に舵を取り始めているというのはみなさんも感じていると思いますし私もそう思っています。

今度は、拉致の特命で鈴木政二さんという議員さんが特命の隊長として頑張っていますので私はそれに期待したいなと思っています。

私もめぐみさんのご両親さまにはお世話になっておりまして、先日も外交防衛委員会わざわざ傍聴に来てくださいまして、やはりお二人が来ると大臣も違うんです。やはりしゃべり方も違うんです、いるだけで。大臣も、気持ちの問題ですよ。

そう言う中でこれからも拉致問題については注目して行きたいと思っています。

06.5.20 平田龍太郎氏 群馬県前橋集会 前橋市総合福祉会館にて

2006年5月20日(土)群馬県前橋にて
「あなたも拉致の現実を知ってください」より

『平田隆太郎さん(救う会全国協議会・事務局長)講演』


北朝鮮は今でも拉致問題はもう族決済みと言っています。
ある意味で4年前に小泉さんが訪朝をして5人生存、8人書房と言うときに日本政府もですね、たとえば福田官房長官が「貴方の家族はなくなっています。」と家族にお伝えしました。何の証拠も無くですよ。この人本当に人間の血が通っている人なのかと思うくらい、家族には大変ショッキングな日なんですね。ある意味でうちの子が殺された日。日本政府も、同じようなことをして北朝鮮と国交正常化をしようとした。でも、国交正常化というのは、普通の良い国とするのが普通で犯罪史かやらないような国と何が正常化なんだろうと思うんですけれど、何故か正常化というのが大事だと思っていて、まぁ、≪拉致被害者の5人、10人なんだ≫というような意識を持つ人がいるのではないかと思うんですね。

しかしながら、家族会救う会でこれを跳ね返してきて、いや、そうじゃない、みんな生きてるという動きをその4年、続けてきて、実は生きているんだと言うことに、今なっております。

みなさんのお手元にこういうものがあって(配付した拉致被害者に関する資料を示して)、全部1978年になっていますね。このころに拉致が非常に多いんです。今わかっているだけで外国で12の国から拉致をしております。まだたくさんの国から拉致をしている可能性もあります。世界中からなんで拉致をしたのか。その人達も全部78年。

拉致はかなり前から実はやっていまして、ここにあるように一番最初に寺越さんというのが63年。古くからやっているんですけど、国家として組織的に拉致を始めたのが77年の後半ぐらいのようです。そして76年に金正日が『拉致指令』を出していると言う事がわかっています。それから今年30年であります。『拉致指令』からちょうど30年。

指令をしてから、工作員を訓練するのにおそらく一年ちょっとかかっている。そのあと実尊に始まっていると言うことなんですね。従って
この年が非常に多い。それは、安明進さんという元工作員が授業でそういうふうに習ったと。将軍様がこんな輝かしい成果をあげたと言う事例としてそう事を習っているんですね。おそらく間違いないとことだろうと思います。

そういう形で、拉致というが78年から集中的に世界的に広がったと。何故拉致をするのかと。田口さんの場合は、教育係りとして拉致をしていますね。工作員が、若い女性に化ける。言葉から文化、風習まで若い女性に化けて何かの破壊活動をするとか、あるいは韓国を北に取り込む活動をする。田口さんの場合は破壊活動のほうに使われている。そして金賢姫と言う人を教育して日本語の上手い、まるで日本人のような人を作り上げて日本のパスポートを持たせて87年に大韓航空機を爆破したわけですね。

ふたを開けて出てくると、もし上手く死んでいれば、この事件は日本人の犯罪になったわけです。それが死にきれずにですね、あけてみたら実は北朝鮮が関わっていた。そこから田口さんというのが出てくる。一応<86年に死んでいる>というのは、77年の事故に関係なくするために勝手にそう言う年月を設定していると言うことになるわけです。実は87年以降、さきほどの話がありましたように生きているという情報があります。北朝鮮が出してきた情報は、いまのところ全てウソです。本物が一つもない。遺骨から資料から死亡確認書、結婚、全部ウソの情報で、自分の都合の良いように作り替える。

大韓航空機の時は、87年ですね、88年にソウルオリンピックがあって。このソウルオリンピックを邪魔するために、韓国の飛行機を墜としたわけです。しかもそれを日本がやったと。そして国尊的にトラブルを起こさせて韓国を不名誉な国にするというようなことが、目的だったようです。それに使われているわけです。

あるいはそれ以外にたくさんの工作員に化けて特に韓国に侵入させる。工作員というのは日本にもいっぱいいるんですよ。今でも数百人単位でいると言われています。ある日ある時、送電線が爆破されるとか、いろんな事を起こすために配置をされていると言われています。そういうことで、北朝鮮の工作活動をは続いていて、そして韓国を必死で取り込もうとしていて、実は韓国で成功しつつあります。前の政権、今の政権、完全に北朝鮮、親北政権、反米政権になっています。北の目標ははやく米軍を全部撤退させると。そして最終的に取り込むという作・ですから、今ぴったりのことを韓国がやってくれているという状況になっているわけです。


家族会、救う会で訪米をしましたけれど、飯塚さんが団長で、早紀江さんが大統領にあったりとか証言ををしたりしましたけれどしましたけれど、<助けてくれ>とお願いに言ったわけではありません。<助けてくれ>ではなくて、たとえば先ほどの話の中で国防総省に行ったと言う話があります。何故国防総省にいくんだと。日本の防衛庁に拉致問題で行くでしょうかと。アメリカにとっては北朝鮮というのはいまのところ拉致被害者がいないと言う建前になっていますから、核・ミサイル問題が一番大事な問題なんですね。アメリカにとっては核・ミサイル問題が族決されれば、それで済むという面もあります。だから六者協議やその他でそういうこと一生懸命やろうとしていますが、日本にとっては拉致問題なんです。

日本は核ミサイル問題だけで族決してもらっては困るので、拉致問題を忘れないでください。この拉致問題の族決無しに手を打たないでね、というお願いに行っているんです。ただ助けてくださいといっているわけではないんです。

そして国防総省でイングランド副長官もあるいは、ホワイトハウスもブッシュ大統領も、人権問題は絶対に忘れないと。これ大事な問題なんだと。世界に普遍的な問題、それを大事にしない国では、拉致被害者本人、あるいは家族が大変苦しい思いをさせられてにいる。

人権侵害というのは、本当にひとつひとつの事例をとると苦しい苦しい物語がたくさんある事件です。そう言うことが起こらないために人権の問題だけは絶対に譲れないと、全部が明言をしてくれた。国防総省で人権問題は絶対に忘れませんよと言う明言をとったんですよ。これが大事なんですね。従って今後はアメリカは絶対に全面的にバックアップして拉致問題が族決しない限り、北朝鮮と妥協しないと。

じゃ、日本政府はどうするのかというのが次の問題になるわけですね。
日本では昨年世論の後押しを得て国会で制裁二法が通りました。だけど、未だに発動しない。なんで発動してくれないんだと言うことを家族会は言い続けているわけですね。

制裁というと大変厳しい言葉のように聞こえますが、となりの家が自分の子供を拉致をした。どうするかと。米を持っていきますかと。日本は米を持っていくんですね。だけど(こどもは)全・返してくれない。貴方の家は悪い家だからもうお付き合いしないよ。人と金の出入りを止めますよというのが制裁です。船が行ったり来たりとか、人が行ったり来たりとか、お金が行ったり来たりとか、ものが行ったり来たりとか、そう言うことを止めますよと。制裁といっても最も消極的な手段で、腕力を使って取り返しに行くというんではないんですね。ただお付き合いをしないと。

昔<村八分>というのがありましたけれど、残り二分は何だったでしょうか?火事と葬式ですよね。火事は緊急避難、葬式は人道支援。この2つを除いた全てのお付き合いをしないというのが村八分ですよね。人道支援と緊急避難を除いて一切やりませんよということが日本政府は言えないんです。未だに普通なまともな国としてお付き合いをしていて、定期的に万景峰号他、何百の船が日本に来ています、北朝鮮の国会議員が在日に6人います。堂々と日本と北朝鮮の間を出入りしています。おそらく何かの命令を受けて帰ってきて秘密の工作が行われている可能性があるんですけれど、知らん顔です。

隣のうちが、うちの子供を人さらいしたのに、何でそんなことをいつまでもやっているんですかと。日本という国はちょっとおかしいんじゃないかと。アメリカ人も何でやらないのと言って質問するんですよ。何でやらないのかと。せめてですね、あんたとお付き合いしないと言うことぐらいすればいいのにと。

何もミサイル撃てといってないんですからね。それをどうして日本政府はできないのかと。ミサイルが飛んできたらどうするのかと。いや、ミサイルは飛んできませんよ。飛んできたらその国は終わりですから。何か近くミサイルを撃つとか撃たないという話が今日の新聞に出ていますけれどもね。おおいにやってほしいんですね。どうせ海に撃つんですから。どのくらい性能があるのかすぐわかりますから、損するのはむこうなんです。撃たないんです。脅しだけなんです。脅しに屈するというのが狙いなんです。これは北朝鮮の唯一のカードなんです。もうこれしかないんです。これで怖いと思ったら日本はまた米を出したりやらなければいけません。政治家の人も脅されているんですよ。ここで怖くないと、あんた何もできないでしょうと思えるようになったら、もう返ってくるんです。

そこがどうしても、この日本のある意味平和な60年の中で日本人が毅・とした態度がとれない。まぁ平和ぼけの60年というのがあるわけです。そういうことで、政治家の人たちも毅・とした態度がとれません。

経済制裁をしても、実は在日の人たちは喜びます。(北朝鮮に)行かなくて良いと。無理矢理行かなきゃ行けなかったのが、いかんでいいと。船でいくと高いんですね。本当は飛行機で行きたいんですね。飛行機で行けると。あるいは食料を支援しても、どうせ上の方にしかいきません。下のほうにはいきません。

あさりの輸入禁止などというのを救う会が運動してみなさんの御協力ですぐに<0>になりました。あさりは軍が北朝鮮のこどもに強制労働させて、強制的に奪って送っている飢餓輸出です。あれをもし日本が輸入しなければ、子供が動物性タンパクをたべる可能性があるんです。私達はその可能性さえ奪ってきたんですね。

ただかわいそうだからと言ってものを送ればいいと言うわけではありません。どうせ送るんだったら私は米よりご飯を送るべきだと思います。ご飯はすぐに腐るから。米は権力のある人が何時までも持ち続けるんですよ。腐らないから。その場に行って炊き出しをすれば絶対に良い活動ができますよ。それはさてくれませんからね。とするといまのところ送らない方が良いと。日本が制裁をすると言うことは、日本政府は拉致と言うことを理由に明らかな国家の意思として、許さないと起こっているんだと言うことを示すことになります。

いまのところ日本政府はまだそれをしないで、現行法の厳格な適用、安倍さんが官房長官になってからそれをものすごい勢いでやりだしました。おそらく『やれ』と『おれが責任取る』という命令が出ているんだと思います。

いろんなところで、今北朝鮮はたいへん苦しい思いをしています。アメリカの制裁があるので外貨が無くなってきています。2月16日の金正日の誕生日には、普通お米とかいろんものが国民に配られるんですけど、無かったんだそうです。買えなかったんでしょうね。こんな人を信じて良いんだろうかという声がおそらく北朝鮮の中にいっぱいおこっている、そう言う時期です。

今まで何時滅んでもおかしくなかった国が滅ばなかったのは、≪外圧をかけなかったから≫です。外圧なしには自分たちだけで革命をおこすというのは無理です。しかし2000万国民、未だに飢えに苦しんでいるです。本当にこんなこと、目をつぶっていて良いんでしょうかという状況が続いています。

同時に拉致被害者を救わなければいけない。そう言うことも・日・日の苦しみを彼らは乗り越えて生き続けていますから、その悲鳴を聞いて私達も1日でも早くですね、助けてあげなきゃいけないと思います。

今年は是非ですね、制裁を発動してほしいと。さっき言いましたように<北朝鮮を村八分にしましょうよ>ってことですね、簡単に言えば。
まぁ、本当の緊急の場合の人道援助とか、火事なんていうのはこっちにも降りかかってきますので、協力しないわけにいきませんけれど、それ以外のお付き合い止めると。船で来んでくれという制裁を是非やってほしいと。そのくらいのことをして、<対話と圧力>でなくて、まず<圧力>をかけて、話したいと言うんだったら話しても良いよと。圧力もかけないで話しましょうなんて言うから、拉致問題は族決済みなんて言われるんですよ。それを『是非やってくれ』という声をですね、群馬からもわーっとあげてくださると力がつききますので、是非御協力を御願いします。(拍手)

※一部発言の中の年代の言い間違えなどは、こちらで修正しました。

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このエントリーは金木犀様の手によるものです。

2006年06月06日

06.5.20 飯塚耕一郎さん 群馬県前橋集会 前橋市総合福祉会館にて

2006年5月20日(土)群馬県前橋市 前橋市総合福祉会館にて

田口八重子さん長男:飯塚耕一郎さんの講演
         〜お母さんと呼ばせてください〜


群馬のみなさんこんにちは。はじめまして。田口八重子の長男であります、また飯塚繁雄の次男であります飯塚耕一郎と申します。

先ほど副代表の方から、今回の訪米関する報告等が出てきましたので、私のお話としては、田口八重子の拉致の話をもうちょっと掘り下げた形でお話しさせていただきたいと思います。

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まず、小さくて大変申し訳ないんですが、ここに一枚の写真があります。これは私が以前公の場にでたあとで、まぁあるテレビ局を通じて、昔、田口八重子さんの近所に住まれていた方が撮って頂いた、かつて28年前に撮って頂いた写真です。
何故この写真をお見せしたのかというと実は、先ほどの親父の話にもあったように母が1978年に拉致をされたとき、まだ一歳という年であって、全く記憶がありません。ですので、お話の中でも、<お母さん>ではなくて<田口八重子さん>とどうしても言ってしまう部分があるんですけれども、この写真は、本当に母親が優しい顔をしているところを初めて見た写真なんですよね。この写真に関しては、母親が本当に優しい顔をしているのを初めて見た写真なんですね

私それまで母に関する情報というのは、実は親父から聴く話と、金賢姫さんが書いた『忘れられない人』と言う本がありますけれど、そこの話と、こちらの写真と、大きく三つの情報しか、母につながり情報を持っていないんですよね。

この写真に関しては、すごい私の方を向いてほほえましくしている写真であって、その写真を初めて昔の知り合いの方から頂いたときは、『やっぱりボクのお母さんなんだなぁ』と思ってホットするの半分、やっぱり哀しい悔しいと言う気持ちが半分湧いたのを、感じたことを覚えています。

そもそも私は、さっき親父の方からもありましたけれど、かつて28年前に、田口八重子が、夫婦が別れ女手一つで、私と私より2つ上の姉を育てるのに、なりふり構わず一生懸命頑張ってくれていたのだと思います。実際そのそれだけ苦労をして、なんとか二人の子供を育てようとしていたにも関わらず、この拉致という問題が発生して、ごく普通にある当たり前のような家族を切り裂くような形で、そのまま30年近く放置されている、これは国家としてはとても問題だと私は思っています。

私の方は、実際記憶がなかったので、一歳の時に飯塚家に引き取られてからは、もうそこの子供だとずっと私は思っていましたから、飯塚家に引き取られてからは何も知らずにそのまま二十四年近く育ってきました。

ある時私が仕事の関係で外国に行くことになり、その時に戸籍謄本というのを初めて取ったんですが、そこの私の部分の続柄は<養子>となっていたんですね。『なんだろう』最初はびっくりしたことはびっくりしたんですけれど、結構、その時22だったんですけれど、その時22と言うと年まで何で隠し続けなければならなかったんだろうと私は思っていたんですけれども。

うちの親父は<誇れる親父>ですから、その親父が、たとえば二十歳ですとか、会社に入った二二歳の時とか、そう言うタイミングに切り出さなかったのは、きっと何かがあると思って、正直、そのまま、発覚したその日には聞けませんで、ちょっと親父の方に、一週間後日曜の昼下がりぐらいに話をしたんですけれども。

その時に言われたのが、『端的に言って、おまえの母は北朝鮮に拉致をされたらしい。』と言う風に言われたんですよね。その時、そもそも普通の日本人だと北朝鮮という国は、たいした情報というのは特に持っていないと思うんですよ。韓国の上にあって、訳のわからない指導者がいて、未だに残っている共産主義系の国だとしか、私はその時知識としてなかったんですけれども。その国に拉致をされたと言うことがどういう事か、全くわからない訳なんですよね。イメージとして、何とも想像できないわけで、ものすごく心が混乱してしまったことを良く覚えているんですけれども。

ただ、それを言われたときにまず思ったことは、じゃぁ、母親を助けるためには、我々はどうしたらいいかと言うことをその時に私は親父と話しました。親父からの回答としては、『我々に今できることはない』という絶望的な回答でした。

もちろんそうだと思います。大韓航空機爆破事件で、非情に事件性のある、家族会の中でもかなり事件性のある家族ですし、その時公の場にも出ていなかったわけですし、また過去には、大韓航空機爆破の教育係として。殺人の幇助をしていた女性だという見解でマスコミからだいぶ叩かれていた状況ですし、そう言う状況で、他の家族会の方と同じように、公の場に出て助けを求めるというのは、とてつもない勇気のいることですし、また逆に、『犯罪者の家族が何を言っているんだ』という見方もなりかねない状況でした。その時は何もできずに、ただ単に絶望感ではないですけれど、やりきれない気持ちというのが心の中にたまっていた状況でした。

それから、お話を、時間がそんなにないので、はしょらせていただきますが、2002年の9.17の時、五人のかたが帰っていらっしゃいましたが、その時は田口八重子に関しての情報というのは、<1986年の7月30日に書房されています>と言う報告でした。

その時私は日本にはいなくて仕事で海外の方に行ってたんですけれども、(その時朝仕事をする前に、ニュースのチェックというのは常に毎日欠かさなかった訳なんですけれども)その時ニュースのチェックをしたときに、結果として死亡となっているということで、大変い驚いてそのまま親父の方に国際電話かけたんですけれども。

その時親父はは飯倉公館の方には行っていませんでしたので、後日改めて外務省の方に確認をするという話でした。その時に、すごい思ったのが、海外に行っていて日本人が誰もいないという環境もある程度、雰囲気として出てしまったんでしょうけれども、その時やはり23年、母と別れて23年たって、sの母の最新の情報として出てきたのが死亡というあまりにも過酷すぎる、残酷すぎるような情報を突きつけられました。

その時に、やはり日本に帰るかどうかは迷ったんですけれども、その時親父の方が『どういう情報が出てくるかわからないから。待て』と言うお話でしたから、ちょっとまぁ我慢をして、何とか平静さを保とうと思ったんですが。

その時に私の育ての母、飯塚繁雄の奥さんですけれども、その親父と話したときにうちの母と話したときに、うちの母は号泣なわけなんですね。もう何も言えずに、ただ俺(耕一郎さん)が心配だから電話変わってくれたらしいんですけれども。ただ母親の方が号泣なわけで、自分の息子のように育てた子供にまた厳しい現実に直面しなければならないというこの惨さというのをやはり彼女は我慢できなかったわけですよね。

それで、泣いて一言。『そう言うことだから、じゃぁ、がんばってね』としか言えないんですね。その時僕は本当に訳もわからず泣いてしまったんですけれども。やはりそこの部分というのは、この拉致問題が家族に与えている惨さ酷さの一端のひとつなんですよね。

その後2004年の5月の22日に小泉さんが第二回の訪朝を行って、その時にもまた田口八重子は死亡しているという情報しか出てきません。もう、情報として何も変わらないわけですよね。9.17の時には、こちらのパンフレットにもありますが死亡確認書と言われるものが出てきて、実際もうはんこの部分とか記載されている部分とか、汚れの部分とかが、全く他の家族と一緒のようなものが出てきて、まぁ日付なり名前形が変わっているようなも。こんなばかげたものが9.17の時に出てきた。
その時の聞いたお話ですと、外務省の方が、『書房という一言では家族に何の報告もできない。何か証拠を持ってこい』と言って、向こうの担当官が一時間ぐらい席を外して、出てきたのが死亡確認書です。

2004年5月の22の時には<交通事故を起こしました>と言う事件報告書が提示されてきたんですけれども、それを外務省の方から提示された後で、ボランティアの方に頼んで翻訳をしてもらったんですけれども、田口八重子の<た>の字も八重子の<や>の字も、何も載っていないんですよ。僕が記憶している限りでも、15〜6ページある文書難ですけれども、1ページ、1ページの4分の一、5分の一近くが塗りつぶされていて、何が書いてあるのかわからない。翻訳した結果は、結局<軍部の車と一般の乗用車がぶつかって、その一般の乗用車が谷底に転落しました。その女性と男性が死亡しました。>みたいなことがかいてあるだけなんですよね。それをもって田口八重子の名前も載っていないような死亡報告書を見て、『何を信じれば良いんだ?』と外務省の方には、ちょっときつめの言葉で言ってしまった事があるんですけれども。

この二点にあるように、<田口八重子が死亡している、母親が28年たって死亡している>という状況を否定するような情報というのはいくらでも出てくるわけですよね。帰国された五名の方々とお話したときも、『実はこういうところでこういう話を聴いています』と。具体的に言うと1987年7月30日に死亡しているよと言われているにも関わらず、その年の10月に外貨ショップで(地村さんのところのかな?ちょっと忘れてしまったんですが)元運転手の方が、田口八重子さんを外貨ショップで見かけている。

情報というのは、あとは、安明進さんという北朝鮮の元工作員の方がいるんですけれども、その方の情報からすれば、91年に金正日総合大学で、金賢姫の元教官お方が、が一時期、86年か87年にだいぶ脅えていたと言うんですよね。その理由は、大韓航空機爆破事件を実施して結局金賢姫さんは自決ができなかったと。そこから北朝鮮の情報が漏れることは、北にとって大打撃なわけなんですよ。金賢姫さんは実際韓国に捕まっていますから、その矛先は元金賢姫を教えていた教官に当てられるわけですよね。要するにその教官の指導がなっていないから自決もできない。自白もしてしまう。北朝鮮にとって大打撃になるだろうと。で、『私は殺されるかもしれない』と、そのハム教官というのはだいぶ脅えていたらしいんですけれども。その後日、いくつか年月がたって91年に、また安明進さんがその教官と会ったときは、だいぶ元気にしていたと。その教官が言うには『金賢姫の日本語の教育係をやっていた女性が何も処罰されないのだから自分も処罰さるわけがないという結論に至っている』と。この発言のうらを取れば、逆にこの時点では生きているというので、結局は北朝鮮の報告というのはウソになる訳なんですよね。

そういういろいろな北朝鮮の報告を覆すような情報というのは、私の家族にとってはとても情報自体少ないんですけれども。この少ない情報の中でも、覆すような情報というのは、いくつか出てきています。

そこの部分で結局私が何を言いたいのかと言いますと、『人の母親を勝手に拉致しておきながら勝手に殺すな。』と。勝手に殺したあげくに、日朝国交正常化を行って自国に食料を入れさせてくれというのは、人としておかしい。言語道断だと私は思っています。

自分たちが困るという部分というのは、やはり人としてあるべき部分を保てていないから困っているだけの話だと僕は思っているんですよね。人としてちゃんと誠意を持って、過去に犯罪を犯したとしてもその誠意をもって対応する。すべきことをすれば周りの人も認めてくれるはずなんですよ。それは国も人も関わらないと僕は思います。

そう言う対応を今北朝鮮に対して求めるのはとても難しい状況です。
細かい政治的なお話というのは私の方からするより平田さんの方から行っていただいた方が良いと思うので。

北朝鮮に対して<対話と圧力を使って被害者を救出する>とうたっている日本政府というのは、とても厳しい状況だと思います。

先ほど親父も言いましたけれども、2004年12月24日にに細田官房長官が(このパンフレットの裏にも書いてありますけれども)『北朝鮮側が迅速かつ誠意ある態度を取らないければ、経済制裁をおこないますよ』という発言をされていますけれど、結局一年半もたっても、何もできない状況なんですよね。やはり日本の国内の中では、いろいろなしがらみがあって動けない。もちろん政治的な要素というのが多々あって動けない部分というのがあるからこそ、家族会が、わざわざ海を渡ってラオスに行ったり(タイの誤り?)今回訪米したり、韓国に行ったり、グローバルになっているわけですよね。

決して日本の中の救出活動に対して何か不満があるとか、そういうわけではですよね。海外的な視野を含めてこの活動を広めていかないと、日本政府というのは今とても動きづらいからこそ、アメリカを含めてグローバルな形で解決して行かなくてはならない。

それに当たって一番のポイントというのは、本当に僕の中では、とても不思議というか驚きなんですけれども、やはり国民の皆様が一人一人の御協力というのがとても重要なんですよね。たとえば、例を一つあげると、小泉さんが2004年の5月の22日に訪朝をしたときの家族会がだいぶバッシングされました。その時は訪朝してある程度成果を持ってきたにも関わらず、お礼の言葉も差し上げないで、何非難をしているだというよな報道がされました。
ただあの時発言している家族ひとつひとつというのは全て小泉さんに『首相、大変お疲れのところ申し訳ありません』とか『ご苦労様でした』とか敬意を持った発言しているにも関わらず、ああいう形に取られてしまったんですよね。ただ、その非難というのは結局長く続かないわけですよ。何故かというと、日本の中でみなさんがちゃんと理解をしてくだっているから非難というのは長く続かないんですよね。そこの一端で訳ですよ。

そう言うみなさんの理解があるからこそ、高齢な家族会の方々もアメリカに行ったり、毎週毎週各地方で公演をしてお話をさせていただいたりしているので、拉致を許さないんだという気持ちを根付かせている訳ですよね。

今回私は」群馬という地に初めて来ましたけれど、群馬のみなさんの中でもより深い理解と広い理解を求めるような活動を頂きたいかなと心の片隅で思っています。

親父の方が先ほど言いましたけれども、この問題に対して動かすというのは日本政府を動かすため、最終的な部分は日本政府を動かすためには、手紙なりFAXなり、メールなりをを送るというのは実はかなり結構有効です。
家族会の今事務局次長をなさっている横田拓也さんはかつては安倍さんに対して毎月のように送っていたらしいんですけれども、安倍さんに初めてあったときに、『君が横田拓也君か?メールは何回も見てるよ』とおっしゃっていただきました。

日本政府は見てないようで見ているんです。見てないふりをすることは、結構しばしばあるんだと、そう言うことなんだと思うんですね。でも、日本全国から、もう背けないような状況になれば、日本という国も、この問題に対してアプローチができるのかなと思っています。

最後に個人的になりますけれど、私が田口八重子さんに対して<お母さん>という一言はを直接言ってあげていないんですよね。<お母さん>という一言というのは、一般に日常の家族の生活の中で、普通に言っていることにも関わらず、僕は言えないと。ただ田口八重子さんに直接言えたときと言うのは、拉致問題が収束し始めている兆候であり、また田口八重子と僕の家族という図式が始められるときだと思っています。

ですので、是非、本当に個人的な部分で言わせていただければ、<お母さん>と言わせていただけるように、みなさんの御協力を得られればなぁと思っています。
以上です。ありがとうございました。

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

このエントリーのテキストは、こちらかまたはブルーリボン放送に音声もアップされています。
あわせてご利用になってください。

2006年05月18日

「4.22 ワシントンDC集会」より、家族の声をご紹介します

去る5月14日、立川アイムにて開かれました「4.22 ワシントンDC集会帰国報告会」で配布された書類の中から、家族の訴えの声を紹介しているBlogがございます。
家族の悲痛な叫びを一人でも多くの方にご紹介したいと思い、Blog主様にテキストの転載許可をお願いした所、快くお許しを頂きましたので、早速当Blogでも掲載させて頂きます。
一刻も早い再会を願う家族の訴えの声に、どうぞ耳を傾けてくださいませ。<(_ _)>

尚、このワシントンDCらち連絡会のHPには、この集会の詳しいレポートも掲載されていますので、併せて御覧になっていただけたらと思います。

★ワシントンDCらち連絡会
http://www.asanocpa.com/rachi/index.html

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★「蒼空」様 
4月16日付け 「4.22 ワシントンDC集会にて」より以下転載
http://ao-sora.cocolog-nifty.com/blog/

◆大澤昭一さんから弟の大沢孝司さんにあてた手紙 

孝司、元気かい?
今年の冬は寒かったでしょう。新潟も近年暖冬が多かった後だけに寒さが強く感じました。
雪の量も津南、入広瀬などは4mを超え、まさに豪雪、雪のニュースが毎日テレビを独占していました。
親父も96才高齢のため保温力がなくストーブを身体の前後に据えてまだ寒がっていましたが、4月に入って元気を取り戻して、食事時間に呼ぶとすぐきて、食べっぷりは非常に良いです。「孝司が帰るまで頑張る」といっています。
新穂の焼肉屋のおばさんも孝司と我々兄弟に「おいしい肉を食べさすかち、早く連れ戻せ」と、時々電話で催促してきます。
同級生の植松君や中学の仲間はたびたび集まっては救出運動を続けてくれています。4月は分水花見、次に白根の凧合戦と各地の署名運動で多数の人々の支援を受けています。
孝司が新穂転勤記念として寺澤家の庭に植えたイチョウの木は30 年の歳月で大きく成長し、毎年秋になると黄金色に輝き主人の帰りを待っています。
日本の国もこのごろようやく変わってきました。何も機能しなかった外交にこれでよいのかと国民も気づき、国家国益を考え始めました。警察庁も拉致専門部署を作ってくれました。
日本も変わってきます。日本の国だって強いんだぞ、日本の国だってやれるんだぞ。
孝司、もう少し我慢しておれ。必ず迎えに行くから。

2006 年4 月22 日 ホワイトハウス前にて
大澤昭一

◆市川健一さん挨拶文 
日本の鹿児島から着ました「拉致被害者市川修一の兄」市川健一です。
拉致問題は一国も早く解決しなければならない深刻な人権問題です。なかなか解決の風穴を切り開けず、家族は大変苦しんでおります。現在、日本の被害者家族は、拉致されている被害者に向けて「短波放送」を通じてメッセージを読み上げています。必ず、被害者の耳に届くと信じて、また、口コミの情報が広がることに期待し、放送を続けております。
私も弟、修一に呼びかけました。以下がそのメッセージです。
『修一元気ですか?兄ちゃんだよ!修一と28 年もあっていないんだよね。早く会いたいです。るみ子さんと一緒に出かけたまま、行方がわからなくなった二人を一生懸命探しました。また、大勢の方たちが捜索に協力してくれました。お父さん、お母さんも高齢の身になっていますが、元気でいます。「修一と再会するまでは、体を大事にして、元気な体で迎えてやるのだ」といって、毎朝・毎晩祈り続けています。北朝鮮の冬は厳しい寒さだと聞いています。夏の姿で出かけた二人に、暖かいセーターを送ってやりたい気持ちでいっぱいです。長いこと、救出することが出来ずに本当にごめんね!日本では、400人以上とも言われる「被害者全員の救出」に向けて世論が高まっています。国際社会にも協力をお願いしています。
修一!もう少しの辛抱です。必ず、救出するからね!修一が帰ってきた時は、一緒に酒、飲もうな!体を大事にしろよ!頑張れよ!負けるなよ!生き抜けよ!』
アメリカ国民の皆さん、拉致被害者全員が日本の、祖国の土を踏むまで、私たち家族と一緒に闘ってください!ご協力を切にお願いいたします。


◆森本美砂さんから姉、山本美保さんに宛てたメッセージ
 

美保ちゃん、元気ですか?
いえ、元気でがんばっていると信じています。
今、私はアメリカの首都ワシントン、ホワイトハウスの前にいます。
美保ちゃんの救出を訴えるために、この地にやってきました。
あなたが私たち家族の前から突然姿を消してしまってから22年になろうとしています。
自分の夢に向かってがんばっていた20 歳の頃の美保ちゃんの姿は、今でもその印象のまま私の脳裏に焼き付いています。
「図書館に行く」と言って出かけたあの日のあなたは、いつもの美保ちゃんでした。こんなにも長い間家に帰らない日の朝になるとは、夢にも思いませんでした。
あなたが家から姿を消してしまってからというもの、父さんも母さんも私も、東京の女子大の進学を反対したことをずっと悔やんできました。あの時、賛成して送り出していたらと。
でも、お兄ちゃんが亡くなって、美保ちゃん一人を東京に行かせたくなかった、家族がバラバラになるのが耐えられなかった、美保ちゃんにはいつもそばにいてほしかったのです。
たぶん、あなたもそんな私の気持を理解して家に残ってくれたんだと思います。進学した看護学校では、山登りに夢中でしたね。高校時代、一緒に入った山岳部で登った南アルプスの山々、鳳凰三山の美しさは今でも忘れません。美保ちゃんが、18、19歳と北アルプスの山々に挑戦していた頃の山の写真はアルバムに残っています。今日もあなたのポスターにして持ってきました。
その間、私は少し山から離れていましたが、今、また3 千メートルの山に挑戦しています。仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳、北岳、山梨のアルプスの山脈を覚えていますか?一昨年、昨年と私はこの山頂に立つことができました。昨年は、息子と長年の夢だった甲斐駒ケ岳に登ることができました。亡くなったお兄ちゃんにどこか似ている息子です。
大好きだったお兄ちゃんが亡くなって、悲しみに暮れていたあの頃、家族みんなを支えながらも自分の目標を失わなかった美保ちゃん。父さんや母さんを一番心配していたあなたが、家族に黙っていなくなるはずがありません。気持の弱かった私をきょうだい一人にするわけがありません。この状態は、美保ちゃんの意思ではありません。そう信じています。
2002年、日本の小泉首相が訪朝したのを境に、美保ちゃんが拉致されたのではと、大きな報道になりました。図書館に出かけたはずのあなたのカバンが、新潟県の柏崎の荒浜海岸に落ちていたからです。同じ柏崎で蓮池さん夫妻が拉致されていました。蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我さんご夫妻は、無事日本に戻ることができました。国民全員で救出活動をしたからです。
今まで難しい問題にも直面しましたが、美保ちゃんは元気でいること、北朝鮮で助けを待っていることを信じています。
あなたに再会することは私の使命だと思っています。
あなたに会えるまで、私は声を出し続けます。美保ちゃんに会いたいという気持に、たくさんの方が力を貸してくれました。
私の大学の恩師の方が声を挙げ、その後、甲府東高校の同級生がすごい力を貸してくれたのです。なにがあってもひるまず、これまで支えてくれました。市川小学校の同級生も大きな力で動いてくれました。長松寺、池田地区の方々も美保ちゃんの帰りを待ってくれています。みなさんの力で集めた美保ちゃんを救出する署名活動は、20万人の署名を集めるまでになりました。署名を2度に分けて政府に提出しました。
人前で話すことなど苦手な私が、たくさんの人の前で美保ちゃんのことを話してきました。こんなことにも慣れてしまうほど、美保ちゃんの救出には長いこと時間がかかっています。
横田めぐみさんのことを知っていますか?同じ世代ですから、どこかで会ったことがあるかもしれません。佐々木悦子さんと一緒に部署にいるとの目撃情報もあります。秋田美輪さんも同じようなケースでいなくなっているのです。
日本では、400人を数える人が理由もなくいなくなっています。特定失踪者と呼ばれる人たちです。特定失踪者問題調査会の荒木先生が中心になって、みなさんの情報を集めて救出に乗り出してくれました。
短波放送「しおかぜ」を聴きましたか?荒木さんの声や家族の声が聴こえましたか?美保ちゃんをはじめみなさんに宛てたメッセージを流しています。
北朝鮮に囚われたみなさん全員を助け出すまで、私たちはあきらめることなく声を挙げ、救出活動を続けます。どうか会えるその時まで、希望を失わず、力強く生き続けてください。
もう少しで会えると信じています。
大好きな美保ちゃんに必ず会えると信じています。

2006年4月22日 あなたの妹 美砂

◆金英男さんの母上の手紙 
「いとしい我が息子へ」
別れてから28年後、私がお前の名前を呼ぶ時、私の心は溢れ出る。
まるで小説のようですがこれは本当のことで、私はどのようにして、この気持ちを表したら良いのかわかりません。
私は今、80歳代で、体調はだんだん悪くなってきています。歩くのさえままなりません。
しかしお前の二人の兄弟、義姉達、姉妹達が私の面倒を見てくれており、お前がまだ生きているという望みを私に与えてくれています。
先日、見知らぬ人達が村にやって来て、お前の生存の可能性を調査するために私を病院に連れて行った時、私はずっと泣いていました。
お前の姉(妹)は「お母さん、英南(男)は生きている。あの子は北朝鮮に住んでいて、日本の女性と結婚した。捜査して、あの子が生きていることを確認できたのよ。」と叫んだ。
その言葉は私を震えさせました。
私のいとしい息子、英南よ。私はお前がまだ生きていたなんて信じられません。私は神に感謝します。私はお前が海岸で溺れて死んでしまった、と思っていました。しかしお前は生きて、そして結婚さえしていたんですね。
英南、私はいつ、お前に会えるんですか? 死ぬ前にお前に会いたい。私の健康状態は悪化しています。でも、私はお前に会うために生きていたい。お前に会いたいという以外に何も言うことはありません。
死ぬ前に、息子に会えるように、どうか助けてください。
一度でも良いから、死ぬ前に息子の顔を見させてください。
親愛なるブッシュ大統領、韓国系アメリカ人の皆様、どうか、どうか私が死ぬ前に息子に会えるように助けてください。
どうかこの年老いた母親の希望をかなえてください。
私のいとしい息子、英南よ、お前は自分を大事にしなければなりません。
私とお前が会うまで、お前は生きていなければなりません。
私はお前の大好きなゆで卵を作ってあげる。
それまで、お前は元気でいなければなりません。
お前が生きていると聞いてから、お前に何か悪いことが起きるのではないかと心配で、眠れません。
先日、お前が私の腕の中にくる夢を見ました。そしてお前の名前を呼びながら、目が覚めました。
私のいとしい英南よ、私の大事な息子、英南よ。何故、お前はこんなに遅くやってきたんですか。
何故、お前はこんなにも長い間、家に帰って来れなかったんですか。
これからは、幸福な人生をおくろうね。
私達が失った30年のことは忘れましょう。そしてこれから楽しむことを考えましょう。
会って、たくさん話そうね。
1日で足りないなら、2日でも、3 日でも、4 日でも、話そうね。
今日は書くのはこの辺で止めておきます。後で会った時に話しましょう。
お前が無事にいることを祈っています。

◆タイ人拉致被害者アノーチャさんへ兄スカムパンジョイさんから 

お前の故郷の母から。

アノーチャさんへ・・・家族の手紙
私の愛する妹 アノーチャパンジョイへ
1973年、お前はバンコックへ仕事に出かけました。
そしてそのあと、たびたび家に帰ってきましたね。
しかし、ある日突然マカオで誘拐されたとの連絡が届きました。
このニュースはお前の友達が父親と私に手紙を送ったもので、彼女は私たちに会いたいというものでした。それで、私たちは彼女に会いにバンコックへ行きました。彼女は詳しい説明なしに、お前が6 ヶ月前にマカオで誘拐された、と言い、それが私たちが聞いたすべてでした。
私と父親がうちに帰った後、私たちの家族は集まって、お前のことを話し合いました。みんなお前がいつか帰って来るだろうといいました。そして私、父親、姪たち、そして甥たち、親戚中のみんなは1978年からずっとお前を待っていました。
2005年の10月1日、TVで、アノーチャパンジョイさんはマカオで誘拐され、それから北朝鮮で暮らしている、といっているニュースを見ました。それを見るやいなや、そのTV局へとんでいきました。そのTV ニュースの後、たくさんのレポーターが家にやってきました。しかし、私は誰に助けを求めるべきか分かりませんでした。それで私はレポーターに、このニュースを北にいる妹に届けるようにしてもらえないか、とたのみました。
私の妹アノーチャパンジョイよ、おまえは私達の家族みんなを覚えているでしょう。
お父さんのサムパンジョイ。
義妹のトングパンジョイ。
そして姪や甥たち、
ウアパンジョイ、ウライペンルアング、そしてバンソンペンルアング。
私の妹アノーチャパンジョイよ、私が心の底から書いたこの手紙をもしお前がうけとり、幸せな気持ちになってくれることを望んでいます。
そして、どうか悲しまないでください、6ヶ月前に27 年間お前を待っていたのに、お父さんが亡くなったことを。姪と甥の2人、バンソンとユーも亡くなりました。
私の妹アノーチャパンジョイよ、この手紙を読んだ後、私のことを思って寂しくてたまらない気持になるでしょうね。
お前のニュースを見てから、私たち家族全員はお前にすぐ会えると期待しています。
この拉致はお前におこるべきことではなかったのです。
みんながお前に会いたがっています。
お前がいなくなった後、私たちにはたくさんの試練や困難がありました。
私たちはお前を探すためにたくさんのお金を使いました。
お父さんは病気になったので、最後に97才のお父さんを入院させました。
しかし、昨年亡くなりました。
お前がこの手紙を読んで、そして家族みんなを想ってなつかしむよう願っています。
私たち家族はお前が帰れるように助けたい。
こわがる必要は何もありません。
最後に、お前が元気で健康でいることを願っています。
みんな寂しがっています。
私はいつもここにいて、いつもお前を想っています。

2006 年3 月21 日 スカムパンジョイ

2006年03月10日

茨城県下妻市における朝鮮会館課税問題の救う会いばらきの取り組みの紹介

熊本市における朝鮮会館課税問題を受けて、救う会いばらきでも朝鮮会館の課税問題について行動を起こされています。
以下にご紹介するのは、救う会いばらきと下妻市長小倉敏雄氏との間でやり取りされた公開質問状、回答、礼状の全文です。
こちらも転載の許可を頂きましたので当Blogをご訪問の方にご紹介します。

拉致問題と言うとてつもなく大きな山から見ればこれらの動きは、本当に小さな一歩かもしれません。
でもその一歩が踏み出せずにこれまでの日本は問題の山をただただ先送りばかりして、解決する事を回避して来ました。
それを思えば小さくともこの一歩は確実に前へ進む一歩であろうと思いますし、救う会いばらきの関係者のご努力には頭の下がる思いを致しております。
この動きが全国の総連施設課税への励みとなりますことを願いまして、以下に質問状とその回答と礼状の全てをアップいたします。
ぜひご一読くださいますようお願い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★救う会いばらきから、下妻市長あての公開質問状

下妻市長 小倉 敏雄 殿


    北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会

救う会いばらき 幹事 本橋 隆一
◇▲○◇▲○×◇▲○×(住所のため削除)

                  救う会いばらき 代表 松尾 秀雄
◇▲○◇▲○×◇▲○×(住所のため削除)
             

公開質問書

 私達は「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会・救う会いばらき」です。北朝鮮はスパイ養成の手段とし、不法に日本人を拉致しました。金正日も非を認め一部の日本人は返しましたが、未だ多数の被拉致日本人と帰りを待つ家族の悲しみは続いております。北朝鮮による国家的犯罪が裏付けられ、世界の世論の高まりの中、日本政府も強く原状復帰と事件の徹底究明を求め、経済封鎖による対抗手段も考えられております。
今、北朝鮮が最も恐れることは日本の世論が高まり、経済的に包囲されることであります。そして、茨城県、また下妻市に住む私達が拉致被害者に手を差し伸べられる手段は限られていますがひとつあります。北朝鮮の出先機関である朝鮮会館に課税することです。下妻の朝鮮会館は常駐者も居らず、使用実績も少ないようですが、課税するということは北朝鮮に対しての大きな圧力となります。
私達は、朝鮮会館は一般市民が日常的に使用できる公民館とは違い、北朝鮮のスパイの暗躍する根城であり、反日的牙城であると見ています。2月2日には在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関連施設「熊本朝鮮会館」の固定資産税などを熊本市が減免したのは違法として、拉致被害者を支援する「救う会熊本」のメンバーが幸山政史市長に対し、減免措置の取り消しなどを求めた訴訟の控訴審判決で福岡高裁は、請求を棄却した1審熊本地裁判決を変更、会館への減免措置を取り消しました。

 朝鮮会館の税減免を取り消す初の司法判断。朝鮮会館が公益のために利用されているかどうかが主要な争点だった。
判決理由で中山弘幸裁判長は「会館が公益のために利用された形跡は全く認められず、税を減免する理由が存在しない」と述べた。さらに中山裁判長は、朝鮮総連について「北朝鮮の指導のもとに、北朝鮮と一体の関係で、在日朝鮮人の利益を擁護するために活動しており、わが国社会一般の利益のためにある組織ではない」と言及した。(共同通信)

当会は平成16年にも、茨城県下で唯一朝鮮会館の固定資産税に免税を続ける下妻市に見なおしの意見と質問書を提出しました。しかし、残念ながら当時は朝鮮会館が公民館として機能している旨のご回答でありました。
時間の経過とともに拉致の実態や北朝鮮の実情がわかってきました。この展開の中で改めて市長に質問します。

@ 一市民、国民として、親として拉致被害者をどう思われますか?
A 地方行政の長として、北朝鮮という国家をどう位置づけて考えられますか?
B 北朝鮮に対し経済制裁を課す是非について市長の考えは?
C 平成18年度は朝鮮会館に固定資産の課税はしますか?

以上4項目について2週間以内に書面による回答をいただけますようお願い申し上げます。尚、回答いただいた書面はWEB等で公開させていただきます。
                                                                                         以 上

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★公開質問書に対する回答(全文)

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
  救う会 いばらぎ 幹事 本橋 隆一 様
  救う会 いばらぎ 代表 松尾 秀雄 様

             公開質問書に対する回答について

                   記

(1)一市民、国民として、親として、拉致被害者をどう思われますか。
回答: 本人の意思の如何に関らず、他国に強制的に拉致されることは、人道上許されることではなく、拉致被害者の方々には、一刻も早く帰国できることを願っております。

(2)地方行政の長として、北朝鮮という国家をどう位置づけて考えられますか。
回答: 北朝鮮という国家については、新聞、テレビ等の報道による情報でしか、知り得ることはできませんが、国際社会から孤立した国であり、特に拉致問題では法治国家としては認め難い国家と考えております。

(3)北朝鮮に対し経済制裁を課す是非について市長のお考えは。
回答: これまで、6か国協議や日朝協議などにおいて、拉致問題などについて進展が見られない状況下、段階的な経済制裁は一つの手段として、やむを得ないものと考えております。

(4)平成18年度は朝鮮会館に固定資産税の課税はしますか。
回答: 平成18年度は、朝鮮会館に対して固定資産税を課税し、減免しない考えです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★「公開質問書に対する回答」へのお礼

平成18年3月7日
下妻市長 小倉 俊雄 殿
                  
            北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
            救う会 いばらぎ 幹事 本橋 隆一
            救う会 いばらぎ 代表 松尾 秀雄


          「公開質問書に対する回答」へのお礼

このたび、貴市より「平成18年度は、朝鮮会館に対して固定資産税を課税する」旨の回答を頂きました。
これで、茨城県下所在の朝鮮会館(4箇所)すべてに課税されることになりました。当然のこととはいえ北朝鮮による拉致被害者救出運動にかかわる私たちにとって「社会の正義」を堅持した貴市の判断は、力強い支援であるとともに日本国内の拉致救出運動に更なる呼び水となると考えます。

 地方行政が「北朝鮮に拉致された日本人」を救出するためにできることは、総連への適正な課税および国に対しての「経済制裁発動への意見書送付」等に限られています。しかし、それらを適正に執行することにより、総連が支える金正日政権に対して「日本の市民・県民が北朝鮮による拉致問題を真に怒っている」という強いメッセージを発することとなり、拉致問題の早期解決に大きな力となると信じています。
今回野判断は、英断と評価されるべきものであり、他市町村の規範となるものと考えております。
さらにこれを景気として、北朝鮮当局による一般民衆の圧政からの早期解放、民主化を願ってやみません。

今回野判断に対して、下妻市長をはじめ行政、議会そしてご理解いただいた市民の皆様方に深く感謝申し上げます。私達は、北朝鮮によって拉致された日本人が一人残さず返還されるまで、この運動を継続します。今後ともご理解、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。                               

以上

早紀江さんの言葉 英語バージョン

2005年6月26日、官邸前の座り込みをした際の横田早紀江さんの言葉を英訳してくださった方がいます。
その英訳文全文を転載する許可を頂きましたのでご訪問の皆様にもご紹介いたします。
当Blogを御覧の方で外国人のお知り合いがいらっしゃいましたら、ぜひこの英文を読んでもらって下さい。
1人でも多くの方に拉致問題への関心を深めもらうための資料としてご活用いただきたいと思います。

尚英訳をされた方のお話によりますと、「日本語をそのまま訳すと、英語表現ではきつい言葉になりがち」との感想を持たれたそうです。
その事も含めて早紀江さんの母としての訴えを伝えてくださいますよう、お願いいたします。
自分に出来る事を、というお気持ちから英訳に取り組んでくださったSさんに当Blogからも心からの感謝を申し上げたいと思います。

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★早紀江さんの言葉 英訳文

Dear you all,be sharing the prayer--I appreciate you--For very,very long time and in the severely high temperature, you have been sitting in this way together with us.

Although today is the last sit-in, persons of the families, we, have appealed eagerly to Prime Minister Koizumi for these three days.

"Let's see reality.It continues now , at this time.
My daughter Megumi, she has been captured at the age of 13. She was completely innocent. Suddenly taken on the way from the school. Put on the ship. Have been living, longing for the hometown, under authorities' watch in North Korea. Megumi has been confined in North Korea for about 30 years. Not only Megumi, each one--Ms.Rumiko (Masumoto), Ms.Keiko (Arimoto) ,Ms.Yaeko Taguchi, and Mr. Shuichi Ichikawa (Mr.Kaoru Matsuki and Mrs.Miyoshi Soga) -- in addition to them -- many -- many kidnaped victims--They, in the land over the sea, just at this time, looking up early evening sky which we are just looking up here and they be considering ""My hometown, Japan, in which how the sky will be ?-- in which the heat of daytime still remains? My father be getting old and whether my family are fine?"" Everyone should be living, longing for a hometown every day."


I wish -- children should be released to their original circumstances in the earliest date.

In order to realize it, (what should we do?) The Diet members who had visited North Korea repeatedly until now --many members had visited -- Especially, Ms. Takako Doi, Mr. Hiromu Nonaka and Mr.Ryutaro Hashimoto, they were continually calling "Abduction cannot be believed. Such a thing could not be found. " And Mrs. Makiko Tanaka, she is said that when Kim Jong-nam was restrained for illegal immigration, she called, "Return him in a hurry, Return. Should him return in a hurry". Thus, although I am exposing their name, I don't know whether it is suited for good sense. But we are sad truly.

Supposing your children were actually in such circumstances, then --. (since I think that those people might not be able to suppose--) I want to take out anyone's name to call. Now, in the stage North Korea accepts the abduction problem clearly I want to ask them, "How do you think? How do you consider? How do you feel us, victims' families? " and "What have you considered of the victims who are left in North Korea?" I always think that they should stop hiding, they should appear on television and they should speak before people clearly.

And I want to ask the workers of mass communication to help through the job. (why don't they cover to the politicians those things). Of course those Diet members are same Japanese as us and they've visited there repeatedly. I suspect they will surely know various things. Many times, I've felt they've known but tell nothing.


At the time of meeting the officials of the Ministry of Foreign Affairs or high-ranking government officials, "There is no your statement any -- but, do you get to know anything?" "Whether is she alive, is dead, what has happened, and where is she, or you know about someone's things?" -- I may sometimes ask them. However, their statement is "No, nothing are known."

Actually, this problem, the abduction problem of North Korea has been hidden into darkness. Although three families returned, other person's things are not known at all.

"This is Ms. Megumi's ashes, " they said and the bones were taken out , but those are completely different as a result of identification -- those belonged to two others. North Korea is a country has been performing such fearful cruel things. I feel sadness with why our government dose not face firmly to North Korea.
I think that ,as a matter of course, Japan should say clearly to them, "We can't allow any longer,we will carry out sanctions."

People who came back might have many experiences for 24 years their living in North Korea. Since they returned through much trouble, Prime Minister Koizumi, the National Police Agency, the Ministry of Foreign Affairs and the government, these officials must cooperate with the families of people who returned, to save them firmly, to protect them harmlessly. And then, please, all cooperate together to rescue the remained people. "What's a good way?""So how can we overcome to this problem?" like this, making plans, sharing the wisdom, I hope the Japanese government will carry out to solution with responsibility. ( otherwise the victims can't return to Japan. )
"They may have come back with precious knowledge. ( I guess that there are many things which haven't been informed us. Speaking with them, sometimes I feel they might know something.)

What's the way we can use their knowledge effectively? I'm sure it is necessary that all of us cooperate together, unite and unite the heart to solve the problem. ""The information means thus, so how should we do to rescue the people who are left"", like this, please make plans and perform concretely. Otherwise it cannot progress."

They returned with much trouble,--really overcoming many troubles--So the Nation has the responsibility and duty which guard them safely. Actually it is possible that some harms are added to them, so they must be protected carefully, of course. But on the other hand, I wish everybody may share the duty to make plans and to carry out them ,uniting all together, steadily,until truths are clarified.

Now, if economic sanctions are not carried out, I cannot think except it means that Japan, our country do not anything for its people. I want keenly Japan not to be such a deplorable country.
Prime Minister Koizumi -- it is a wish from us. Please help children. Thank you for your consideration.

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★原文の日本語テキスト

※blue-jewel様より
http://blog.goo.ne.jp/blue-jewel-7/e/fd2fc6256d762795314d24854af797d4

みなさまお暑い中、本当に長時間、一緒に、このように座って頂きましてありがとうございます。
今日が最後の座り込みになってしまいましたけれども、この3日間、家族の者は小泉総理に一生懸命に訴えてまいりました。

本当に、今も、13才で囚われたまま、何にも罪もないのに、学校の帰りに突然連れて行かれて、船に乗せられて、北朝鮮で30年近くも監禁されながら、監視の中で故郷を思いながら暮らしている、めぐみのこと。また、るみ子さんや惠子さん、田口八重子さん、市川修一さん(松木薫さん・曾我ミヨシさん)をはじめ、多くの拉致被害者のお一人お一人。みんな今も、向こうで、このように今もこのような夕方の空を見ながら、「故郷の日本の空はどんなだろうな〜」「暑かったけど今も暑いかな〜」、「お父さん達はどんなに年をとったかな〜」って、みんな思いながら毎日故郷を想いながら暮らしているはずなんです。

一日も早く、子供達を元の自由に返して頂きたい。

その為には、今まで北朝鮮に何度も訪朝なさっていらした政府の議員の方々、たくさんいらっしゃいます。特に「拉致などは信頼できない。そんなものはなかった。」と言い続けていらした土井たか子さんや、野中広務さん、橋本龍太郎さん、また、金正男を「早く返せ、返せ、早く返して」と仰ったと言われている、田中真紀子さん。このようにお名前を出して言って良いのかどうか私はわかりませんが、本当に、私たちは悲しいんです。

皆様、もし本当に、ご自分のお子さまがこのような状態だったら・・(このような状態ではないだろうと思うと)、どんな人の名前も出して私は言いたいと思います。そのような方は、今拉致問題をはっきりとあちらが認めた段階で、「どのように考えているのか?どう思っていらっしゃるのか?家族のことをどう思われているのか?」又、「残されている向こうにいる方たちのことをどういう風に思ってくださっているのか?」表に出て、テレビに出て、はっきりと国民の前に言い表して頂きたいと、私は何時も思っているんです。

そして、マスコミの方々もどうかそのようなこと(政治家への取材)を通して動いて頂きたいと思います。同じ日本人でありながら、あちらに行って、いろんな事も、きっとご存じではないかと思うほどです。何にも、判っていても、仰らないんではないかと思うこともたびたびあります。

外務省や上の方とお会いしたときに、「何にも仰らないけれども、何か知っていらっしゃるのではないですか?」「生きているのか、死んでいるのか、どうなっているのか、何処にいるのか、誰かのことぐらいご存じじゃないんですか?」 時々、私はお聞きすることがあります。けれども「イヤ、何も判りません」と仰いっていますけれども。

本当にこの北朝鮮の拉致問題というのは、特に闇の中に隠されたまま、向こうが拉致を認め、そして3組の方がお帰りになっても、あとの者のことは全く判りません。

「めぐみさんの骨です」と出された骨も、鑑定の結果、全く違うお二人の他人のものでありました。
そのような恐ろしい、冷酷なことを、やり続けている国に対して「もう許せない、制裁をするぞ」とはっきりと仰るのが、本当の日本の国の姿ではないかと思います。

お帰りになった方は24年間もあちらで生活していろんな事を経験してきておられます。
せっかくお帰りになったんですから、小泉総理、警察庁、外務省、政府、それらの方々が、お帰りになった家族の方々といっしょに組んで、あの方々をしっかりとお守りして、危害のないようお守りをして、そして、しっかり責任を持って「どうしたらいいか?」「ではこれはどうしたら良いんだろう」と計画して知恵をもって、日本の政府が動いて頂かなければ、(取り戻せません。)

せっかく持って帰られた情報も、(何か私たちには判らないこともいっぱいあります。もしかしたら、知っていることがあるのかと思うこともあります。)そのようなことを、みんなで、一つになって、心合わせて、心一つにして、「じゃぁ、どうしたらあとの人たちを救えるんだろうか」と計画してくださり、具体的に実行してくださらなければ、事は進みません。

せっかくお帰りになった、ほんとにやっと帰ってこられた方を、これは国がお守りする責任と義務ありますからどんな危害が加わるかもしれませんから、大切に守らなければなりませんけれども、本当の事が判るまでは、きちっと、みんなが、力を合わせて計画をして実行して頂きたいと思っています。

今は只、経済制裁をしなければ、本当に何にも日本は動かないというそのような思いにしかなれない。
そのような情け無い国にだけはなって欲しくありません。

小泉総理どうか、お願いです。
子供達を助けてください。
お願い致します。

2005年12月21日

森本美砂さんのことば(2005/11/30)韮崎にて

ご紹介いただきました山本美保の双子の妹であります森本美砂です。
本当に今日は平日の忙しい中にも関わらず、多くの方々に来ていただきまして、お話を聞いてくださいまして、ありがとうございます。
3年前姉のことが明るみにでて以来、本当に県民のみなさまにはたくさんのご支援をいただきました。改めてこの場をお借りしましてお礼を申し上げます。(拍手)

いろんなところでお話しさせていただいておりますが、姉、山本美保は21年前の、昭和59年6月4日にいつもと変わらない表情といつもと変わらない服装、姿で、「図書館に行ってくるね」と母に言い残して、家を出ました。当時受験勉強をしていまして、その大学進学を目指して勉強していて、図書館に通っていたのです。

二十歳で勉強していたのには少し理由があります。私たちが高校三年生の秋に突然兄を(当時、二つ上で、梨大=山梨大学に通っておりましたが)バイクの事故で亡くしました。それ以来、家族の歯車が狂ってしまって、家の中が真っ暗になってしまいました。両親は、もう無気力な状態で、毎日を過ごしていましたし、私たちもどうしていいかわからなかったんです。

でも自分の進路を何とかしなくてはいけないという思いで、何とか勉強を続けていましたけれども。姉は暗くなってしまった家の中を少しでも明るいものにしていこうと、たぶん、思っていたと思います。また自分の力を試してみたいと、東京の大学を目指していました。当時父の一人の力では子供三人を大学に通わせるのは難しいと、行くなら地元だということで、東京の大学には行くことはできなかったんです。でも姉はそれを挑戦したんです。苦しい中ですけれども、見事日本女子大学に受かりました。でも私を含め、私も含めた家族は「お兄ちゃんがなくなった後、ひとりで東京になんか行かないで」と反対して、行くことに賛成できなかったんです。そのことをずっと、今でも悔いています。
あの時に行かせてあげればこんな事にならなかったんじゃないか、図書館にいってくるなんて、受験勉強をしなくてもよかったのではないかということを、未だに悔いております。
ですからなかなか、姉のことを言い出すことができませんでした。

3年前の有本さんの事件が明るみになったときに、姉は家を出てから4日後に、柏崎の荒浜海岸で鞄が見つかっています。当時行ったこともない新潟県で、海岸で姉の鞄が見つかったのだろう。当時新潟の柏崎署の方々の協力を得て、くまなく探し回りましたけれど、何の手がかりも見つかりませんでした。でも、何の手がかりもつかめない中で、どこに何を訴えていいかわからないまま、十数年がたっていました。

姉のことは片時も忘れることはなかったんですが、あの時応援できなかったということもあって、他の人に伝えることもできませんでした。

でも有本さんの拉致事件のことを知って、姉の鞄も、蓮池さんたちが拉致された20キロあまりの近くの海岸に落ちていた。何の手がかりもない。これは今何かをしなければ、動き出さなければ、姉に一生会えないという思いで、すこしずつ、調べを始めました。

そして新潟の小島会長さんに協力をいただきまして、詳しい話を聞いて頂きまして、「これは、拉致事件に間違いない」と言われまして、それからいろんな方々の支援を受けまして、すこしずつ運動して参りました。特定失踪者調査会の荒木さんにも相談し、「これはかなり濃い、今の特定失踪者野中で、特に拉致の疑いが濃い」 と言われまして、16人の中に数えられ、昨年1月29日刑事告発もさせていただきました。本当に県民の皆さんにもお力をいただきまして、20万の署名を集めて、政府に提出いたしました。

ところが、先ほどお話しがあったとおり、昨年の3月4日、私の携帯に電話がかかりました。「DNAが一致した」と電話がありました。まだ正式な鑑定書も寄せられていない状態での話でした。専門的なことはよくわかりません。でも、そう言われて、その翌日に、資料を見せられたときも、(本当はその鑑定をした専門家の方が説明をしなければならないのだと後で言われましたけれど)、県警の方が代弁する形で「よくわかりませんけれども、ここに<99.9999・>、この数字が美保さんのことを物語っています。美保さんでない確率は、六兆分の一だ」と言われました。

それがはじめは真実だと思いました。私は二十年間冷たいか鉄の中に放っておいてしまったんだと泣き崩れてしまいました。「なんてことをしてしまったんだろう」と。でも、となりで聞いていた夫は冷静でした。「なんかおかしい」とずっと思っていたようです。
その「おかしい」がやっぱり的中したんです。

DNAが一致したのであれば、全てのことがもっと一致していいはずです。
先ほどもお話がありましたし、いろんな資料にも書かせていただきました。遺留品がやっぱり・・。
遺留品は警察の方は、重視しないのでしょうか?「遺留品が違うことが、人が違うことになるんですか?」と言うことも(警察の方は)おっしゃいますけれども。

遺留品が全く違って、体のサイズも違って、専門家の方に聞きました。
「二十歳の女性の遺体が、13日後にこんなふうになってしまうんですか?」
その写真もDNAが一致したと言われた後に詳しい資料も見せていただきましたけれど、すごいご遺体です。まともにみられない状態です。男も女もわからない、年齢ももちろんわからない、姉の形などひとつもない、そういう痛ましいご遺体でした。手足がなかったんです。頭は白骨化でした。歯も13本も抜けているんです。
「こんなになってしまうんですか?」

上野正彦先生という水死体を2万体検査、監査された、東京の監察医の先生にその事を、情報をお伝えしました。資料もお見せしました。
「そんなことはない」と はっきりおっしゃいました。
「二十歳やそこいらの人が、歯がぬけるはずがない。」
歯が身元を確認する唯一の手がかりになるんです。その歯が13本も抜けている。「一年以上たっていますね。」とそんなこともおっしゃっていただきました。
いろんな状況が姉とは一致しないのです。

そういうことを調べて、でも、99.999という数字だけで、姉が亡くなったとは到底思えないのです。意地を張っているわけではありません。真実であるならば、二十年以上探し続けている姉の存在がはっきりしたのであれば、どんな過酷な事実であっても受け入れるんです。でも数字だけのものは私に真実を伝えていません。

特定失踪者の中でも特に同級生の方々の力をいただきまして、本当に大きなご支援をいただきました。日本の中で400人以上いる特定失踪者家族は、あまり声を出していないんです。拉致の認定をもらっていないからです。「拉致でなかったらどうしよう。」と言う不安を抱えて生きているんです。何十年も家族に会えない状態で苦しい胸の内を秘めながら、「でも拉致でなかったらどうしよう。」「批判されるではないか」「特定失踪者問題調査会の荒木さんたちに迷惑をかけるんではないか」と、そんな思いもあってなかなか声を出せません。本当に発展していかないんです。

そんな中で、この美保を支援してくださる方は、大きな、大きな活動を通して支援をしてくださいました。
「そこをつぶしたのかな?」と思わざるを得ないのです。

現場の警察官の方々を批判するつもりはありません。父も山梨県警に40年以上勤めた人間です。(涙があふれる、話が少し涙声になる)現場の警察官の大変な生活、仕事ぶりは、身近でよく知っております。小さい頃、どこかに連れて行ってくれると約束してもそれをきちっと実現したことは少なかったんです。事件がおきれば、即、「今日はいけない。」だから小さな頃は、父は嘘つきだと思っていました。でも、だんだん父の大変さを知るにつけ、これは国民の命と財産を守る大変な仕事をしていると言うふうに思っています。

未だに現場の警察官の方々に、パトカーにあえば、頭が下がるんです。
でも姉の問題は納得できないんです。
真実ではないからです。(涙)

「しおかぜ」の短波放送、10月の終わりから聞かせていただいております
今日からは家族のメッセージというかたちで、荒木さんが家族のメッセージを読み上げてくださいます。私は長い間その手紙を書けないでいました県民の皆様に、美保の状況を訴えることはできても、二十年間なかなか声を上げることのできなかった姉に対して、なんと言えばいいのだろう。かける言葉が見つからなかったんです。
やっとの思いで書いた手紙が、今日読み上げられます。荒木さんの暖かい言葉で。
たぶん美保は北朝鮮で聞いていると信じております。

数字だけで何の一致もしない、DNAでも・・
北朝鮮で美保を見たという方がいるんですけれども、私を見たときに姉の特徴をかなりはっきり伝えてくれました。

「あなたより肩幅がありますね。」「あなたの方が、お姉さんより大きいですね。」

それはいろんなところでそのことを伝えていないんです。そんなことを、その方は言い当てていました。

「バレーボールが得意で運動がとても得意な人でした。」(目撃者のことば)

姉だと思いました。
北朝鮮で、元気で、必死でがんばっていると思っています。

どうか姉の真実がはっきりするまで、また全国にいる拉致被害者、拉致の疑いのとれない特定失踪者のことがはっきりと、真実が明らかにされるまで、みなさまどうかご支援の声を上げ続けてください。

皆様の力で、ここまで世論を盛り上げて、政府を動かして参りました、どうか・・。
これは政治問題ではないんです。
私たちは、家族は政治問題を言っているのではないのです。
家族が家族に会いたいだけなんです。
家族にあわせていただきたいという思いを、皆様に理解してくださってここまで来たと思っています。

どうか、その声をゆるめないで、全員が救出されるまで、お力を貸してください。
よろしくお願いします。
本日は、本当にありがとうございました。(拍手)

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

ハイダールさんからのメッセージ

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2005.12.19)より

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大阪と東京で開催される国民大集会参加にあたり、12月16日、レバノン人拉致被害者シハームさんのお母さん、ハイダールさんから下記のメッセージが英文で届いていますのでご紹介いたします。島田洋一救う会副会長訳。

■ハイダールさんからのメッセージ

 シハームは本当に優しい、いい子でした。娘によい教育を受けさせようと、私は一所懸命働きました。彼女の将来に多くを期待していました。父親は早くに亡くなりましたが、それを乗り越え、美しい知的な女性へと成長しました。娘は私
を大変愛してくれました。職業学校で学び、秘書として働くことを目指していました。自立し、母親を助けたいと願っていたのです。

 27年前のある日、娘が私に、日本で素晴らしい仕事が見つかったと言いました。月給も3000ドルぐらいとのことです。そんなよい仕事に就けるというので私たちは大喜びしました。夢が実現したのです。海外で働きたいというのが、
娘の子どもの頃からの望みでした。娘が日本に着いたら、私もきっと行くと約束しました。

 日本に向かう途中の娘から電話がありました。が、ベオグラード(旧ユーゴ、現セルビアの首都)からの電話だったことに、不吉なものを感じました。娘は言いました。「もうお母さんに会えないかも知れない」。一体何を言おうとしてい
るのか、理解できません。多分、知らない国で新しい生活を始めることに神経質になっているのだろうと思いました。「会えるに決まっているじゃないの。日本でひと月ぐらい一緒に過ごそうと話したことを忘れたの」。ああ、娘に何が起こったか、私には分からなかったのです。

 日本からの電話をいくら待っても、一向に掛かってきません。段々不安が募ってきます。私は、当時暮らしていたイタリアの警察へ相談に行きました。警察は、娘を捜すと約束してくれました。それから2、3か月後、驚くべきニュースがやっ
てきました。娘は、日本でなく北朝鮮にいるというのです!

 一体どういうことなのか、わけが分かりません。聞いたことすらないような国に、なぜ彼女は行ったのか。娘の身に何が起こったのか。私は怖くなり気が動転しましたが、地図の上でどこにあるのかさえ分からない所にどうやって連絡を取
ればよいのか、私に分かるはずもありません。私にできるのは、ただもう一度警察を訪れ、さらに助けを求めることだけでした。

 苦悩と不安に苛まれつつ数か月が経った頃、レバノンから知らせがありました。私のシハームが帰ってきたというのです! 私は彼女に会うため飛んで行きました。再び娘の顔が見られて、本当に幸せでした。政府当局者によれば、シハームを含む4人のレバノン人の女の子がだまされ、北朝鮮に連れていかれたとのことです。日本での素晴らしい仕事、000ドルの月給等々……、すべてウソだったのです。私は、北朝鮮がなぜそんな策略によって無垢な女の子をおびき寄せよ
うとするのか理解できませんでした。しかし、娘に会えた嬉しさが先に立ち、それ以上深くは考えませんでした。彼女は落ち込んで見えましたが、まだ若いし、すぐにこの悪夢を克服できるだろうと考えていました。

 数週間が経ち、私は再び娘のことが心配になってきました。精神的に参っていましたし、健康状態が非常に悪かったのです。ある日、彼女の目をのぞき込んで尋ねました。「一体何があったの」。娘は泣き出し、告白しました。あるアメリ
カ人男性の子どもを身ごもっているというのです。北朝鮮で自分を守ってくれた人で、もしその人と結婚していなければ、はるかにひどい扱いを受けたはずだというのです。

 私は衝撃を受け、頭が混乱しました。しかし自分を納得させようと努めました。今や、彼女には夫と赤ん坊がいる。今や、家族が出来た。そのアメリカ人男性は、娘によくしてくれているようだ。娘の性格はよく分かっている。ある人の子ども
が出来たなら、彼女は、その人と結婚し生涯を共に暮らすことを選ぶ。だから結局、私は、娘が男性の待つ北朝鮮に戻ることを許したのです。

 ああ、大きな、おそるべき誤りでした。北朝鮮がどんなところか知っていたら、決して娘を行かせはしなかったでしょう。警察を呼んででも、娘を止めにかかったはずです。

 娘は27年間、北朝鮮で暮らしています。その間、ほとんど会っていません。一度私は北朝鮮に行きました。娘に幸せな様子はまったく見られませんでした。北朝鮮側が何を隠そうとしたのか知りませんが、娘の家を訪れることすら許され
ませんでした。彼らは一軒の家を用意し、そこを私と娘、娘の家族の滞在場所にしました。どこへ行くにも、当局の人間が付いてきて私たちを監視していました。娘は生活について悪いことは一言も言いませんでしたが、私には彼女が何を考え
ているか分かりました。見送りに来た空港で、娘は泣きつづけました。

 娘からは、年に一度、ふつう、私の誕生日に電話がありますが、ほとんどしゃべろうとしません。ただ私に大丈夫かと尋ね、自分たちは大丈夫だというだけです。彼女が話せないことは分かっていますから、こちらからも多くを聞こうとはしません。

 でも娘の身体を案じています。健康状態が悪化しているのです。本当に心配でたまりません。かたわらで看取ってやれないまま娘は死ぬのではないか、私が死ぬとき娘はそばにおれないのではないか、そんなことを考えてしまいます。運命
を受け入れる以外ないのかも知れません。

 北朝鮮は、私の娘の人生を台無しにしました。彼らは、娘の夢に付け入ったのです。外国で働き、きちんとして仕事に就き、お金を稼いで私を助けるというのが彼女の夢でした。彼らは、娘の純真さに付け込み、私たちの夢を破壊したので
す。シハームとその母、私の夢をです。引退した後は娘とともに暮らすというのが私の夢でした。いま、私はレバノンに一人でいます。

 娘は何千マイルも離れたところで、夫に先立たれ暮らしています。シハームは、私のたった一人の子どもです。私は、娘と、孫と一緒に過ごしたいのです。

 彼女がレバノンに帰ってきた時、どうして支えてやればよいのかは分かりません。レバノン政府は助けてくれないでしょう。娘を北朝鮮に帰したのは、あなた自身の判断ではないか。政府はそう言うでしょう。レバノンに、私を支えてくれ
る人はいません。だから、私は娘を取り戻すという望みをほとんど捨てかけていました。

 しかし、今回、日本で多くの人と知り合うことが出来ました。痛みを共有し合いました。いつか娘と暮らせる日が来るという希望を、私は再び得ることが出来ました。日本やタイの人々と力を合わせ、娘たちと母親たちが、息子たちと父親
たちが、再びともに暮らせるよう頑張ります。

 最後にもう一度、日本の皆様にお礼を申し上げます。皆様の支援なしには、私が娘を取り返すことなどありえないでしょう。本当にありがとうございます。

2005年12月10日

山梨県民集会05.11.30 韮崎市文化ホールにて

去る11月30日、山梨県は韮崎市で開催されました山梨県民集会での、荒木和博・特定失踪者問題調査会代表のテキストを入手いたしました。
先日立川市で開催された三多摩市民集会でのお話と重なる部分もありますが、荒木氏のお話は拉致問題の基本を考える上で非常に分かりやすいと思います。
拉致問題の関心を深める為にも、どうぞご一読をお願いいたします。

このエントリーのテキスト作成者は金木犀様です。
快くテキストの転載にご同意頂きました事、御礼申し上げます。

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『山梨県民集会にて 荒木和博さんのお話』

ご紹介いただきました荒木でございます
今日はこんなにたくさんの方々、おいでいただきまして、ほんとにありがとうございます。私は山梨に別に血縁はありませんけれど、ずっと無尽のグループに加わっておりまして、最近忙しくてそこに参加できないんですが、今日は無尽の仲間も来てくれております。
そういうご縁もあるということで、お話をお聞きいただければと思います。

今日これから後ほど森本美砂さん、横田ご夫妻のお話があると思いますけれども、この問題につきまして是非ともまず一番最初にご理解をしていただかなければならないことがございます。それは何かと申しますと、この問題が、単に拉致被害者がかわいそうだから、救出運動をやるという問題ではないんだということでございます。

拉致は、何十年も前から行われて参りまして、比較的最近でも、おそらく拉致ではないかと思われるケースがある。北朝鮮は拉致をやめたということは一言も言っておりません。これから先も必要であれば拉致は行うでしょう。そして主な拉致場所というのは、別に日本海側だけではありません。太平洋側でも、この山梨県のような内陸でも、どこでも行われるんです。

ですから、拉致被害者の救出の運動というのは、拉致をされた方々がかわいそうだから、自分と違う立場になった人がかわいそうだからやるんではなくて、これから先、ここにおられるみなさんや、そのご家族をどうやって守るかということをやっていくための活動だということです。

横田めぐみさんの事件は日本海の近くで起きておりますから、海岸の事件というふうに思っていらっしゃるかもしれませんけれど、あの事件も決して海岸の事件ではありません。ずいぶん離れております。やられた場所はご自宅の近くです。つまり、それはこの韮崎の町の中であっても、何一つ変わることはないということでございます。

今日は県警の方も、いろいろ警備をしてくださっていると聞いております。山本美保さんの話をしてしまえば、どうしても県警の批判をせざるを得ない。あるいはそれ以外でもこうやって一生懸命来てくださっている方々の中には、若干差し障りがあるかもしれませんが、敢えてこの問題はそういうことで遠慮を強いるわけにいかないということで、お話をさせていただきます。

横田さんの事と山本美保さんの事と、非常に共通した一つのことがございます。そして、その共通したことに直接関わった、私自身は唯一の証人でございます。

どういう話かと。3年前、いわゆる小泉第一次訪朝のとき、あの時に何があったのか、ということでございます。あの日横田さんご夫妻をはじめとする家族会のみなさん、そして私ども救う会のメンバー、あるいは拉致議連の役員、衆議院の議員会館に陣取りまして、その状況を見ておりました。

昼頃に首相管邸の方から(当時8件11人と申しましたが)「政府認定の拉致被害者全員の消息を伝える。だから外務省に来てもらいたい」というふうな話がありました。

行くつもりはなかったんですが、しかし、全員の消息が伝えられるというふうに聞きましたので、半信半疑で、外務省の麻布にございます飯倉公館というゲストハウスにみんなで向かいました。

こういうときだけは政府も手回しが良てくですね、観光バスが一台きておりまして、これに乗っかって飯倉公館というところに行きましたのが、(議員会館を出たのが丁度3時でしたから)3時半すぎだったと思います。そこで小一時間待たされまして、まず横田さんのご家族から、別室に呼ばれました。今日おみえのご両親とそして双子の弟さん、更に救う会で佐藤会長と当時事務局長だった私でございます。

そこで、植竹繁雄さんという外務省の副大臣が通告をされました。「まことにお気の毒ですがお嬢さんは亡くなっておられます。」と。お母さんは「そんなこと信じられません」というふうに言ったんですが、植竹さんは「何度も確認しました。何度も平壌に確認をして本当かどうかということを、確認をしたのでこんなにお待たせしてしまったんです。」という風に伝えました。


あの時、私自身でなくてもそうですが、この拉致の救出活動に関わっている者であればおそらく誰でも、心の奥底に<ひょっとして、この救出運動によって、拉致された方々の身が危なくなるんではないか>という懸念していない人は一人もいないだろうと思います。私自身、これをやっていけば絶対に取り返すことができるという確信をもってやっているわけでございますけれど、それでもやはり心の奥底にそういうものが無かったといえばうそになります。

あの植竹副大臣からの通告を聞いたときには、私は「自分のやったことは人殺しだったのか」ととっさに思いました。頭が真っ白にあるというのは、正にああいうことでごさいまして、「取り返しがつかないことをしてしまった」という思いがしていたわけです。

そのあと有本恵子さんのご家族、そのほかのご家族が順次呼ばれまして、「亡くなりました」といわれました。「亡くなりました」といわれたご家族が、「いつ亡くなったんですか」「何で亡くなったんですか」という風に聞いても「わかりません」「わかりません」というだけです。しかし「確認はした」ということでした。

実は、これがまったくの嘘だったんです。翌日になってこれがほとんど偶然に近い形でわかりました。

さすがに外務省に連れて行かれて、副大臣、あるいは別の方は、当時の福田官房長官から、この通告を受けまして、そこまで言われるんだから、さすがにいくらなんでも「確認をしたんだろう」と思いました。それでも、やはりですね、<最後まで、本当にわれわれが納得するまではやらなければいけない>という思いだったんですけれど、半ばあきらめかけていた。

翌日、小泉首相に会って話を聞きたいというふうに、要請をしたんですが、小泉さんは「忙しくていけない」ということだったので、翌9月18日の11時半ごろだったと思いますが、記者会見をやって解散をいたしました。

泊まっているホテル荷物を片付けながら、「さてこれから先、どうしたらいいんだろう」「どういう風に責任をとれるんだろうか」という想いで、途方にくれて荷物を片付けておりましたら、電話がかかってまいりました。

電話をかけてきたのは、当時拉致議連の事務局長でありました、平沢勝栄さんでございました。平沢さんは、のちにいろいろな経緯がありまして、いろいろうまくいかないことがあったわけですけれども、あの時平沢さんの電話がなかったら、状況はまた、全く変わっております。

平沢さんの電話はどういうことかといいますと、「今平壌で、蓮池さんたちに直接会った、梅本さんという(当時イギリス大使館公使・前の北東アジア課長ですが)この方がまだ東京にいる。ひょっとしたら会えるかもしれない」という話でございました。「それはじゃぁ、是非すぐにお願いします」と頼んで、連絡の取れるご家族に引き返してもらいました。といっても、横田さんのご家族、蓮池さんのご家族だけです。蓮池さんのご両親とお兄さん、そして横田さんのご両親と双子の弟さんたち、そして私の合計8人。

その日の5時半だったと思いますが、外務省に参りまして、梅本さんに会った。
そこで話を聞いたら、梅本さんははっきりと「いや、確認はしていません」と言いました。「北朝鮮の行ってきた言葉を、東京にそのまま伝えただけです」という風にいったんです。

「話が違うじゃないか!<北朝鮮側がこういっているという話>と、<確認をしました。亡くなっておられますという話>は天と地の差がある。これはまったくの違った話である。訂正をしなさい」というふうに申し入れだんですが、梅本さんは「上司と相談して」いうだけで何も動こうとしませんでした。

みなさん、覚えていると思いますが、あの9月17日の昼過ぎから、選挙の開放速報のように、テレビにこうやって「だれだれさん、横田めぐみさん死亡、蓮池薫さん生存」と(テロップが流れました。)覚えていらっしゃる方もあると思います。あの時は、まだご家族には何も伝えられてはいない。あの時政府がやったことは、実はとんでもないことです。つまり家族を外務省の公館の中に隔離しておいて、マスコミから切り離しておいて、そこで話をする前に、もう情報をどんどんリークして、誰が生きてる、死んでるという話をどんどん流してしまった。そして家族には、確認をしていないことを、「確認をしました。間違いありません」 と伝えたんです。

あの時、もし政府が、確認はしていません。北朝鮮はこういっています。という風に言ったらですね、世論の受け止め方、あるいはマスコミの報道は全部違っていました。亡くなったということだけ伝えている。

しかもそれだけではありません。あの9月17日の朝の時点で北朝鮮側から伝えられた書類には、死んだといわれた人たちは、死んだ日付まで全部入っていた。ところがその日付を聞いたときには、政府は伝えていない。ご家族が飯倉公館で「いつ死んだんですか」といってもですね、「わかりません」といっているんです。わかりませんじゃないんです。わかっているんです。わかっていて伝えなかった。どうして伝えなかったか?その日付が完全にでたらめだったからです。目撃証言があった日付より、もっと前に死んでいることになっているんです。ご家族が見たら、みただけでこれはウソだとわかる。うそだということがわかってしまえば、そこで拉致問題を終わりにしようとしていたのが、ご破算になってしまう。ということでそれを伝えようとしなかった。

のちにマスコミが事実をすっぱ抜きまして、明らかになるわけでございますけれども、私は、この一連の動きを見ていまして、『国家権力が、いかに恐ろしいものか』ということを、本当に痛感しました。

あの時は日朝国交正常化をどうしてもやりたい。そのためには、国民の命など関係ない。これが、あの時小泉政権が、やったことでございます。

そしてその一年後、二年後ですね(数えながら)3月に、夜森本美砂さんから電話をもらいまして、「山梨県警から電話をもらって、山形県で見つかった遺体とDNA鑑定の結果が一致したというふうに伝えられてきた」という話でございました。

あの時も同じようなショックを私は受けました。絶対に探し出して会うことができると思っていた山本美保さんがはるか前に亡くなっていたと。どういうことなんだという思いがしたんです。

ところが、あの、その前の、9.17の時の横田さんの話がございましたので、あのときに非常によく似たものを、私は感じました。(のちほど、この山本美保さんのことについては清水さんをはじめとしてご報告もありますし、お手元の資料にも書いてございますので、細かいことは省略しますが)とにかくDNAが一致したということ以外、すべての情報が違っているんです。体のサイズが違う、遺留品が違う。そして、もしバックのおいてあった柏崎の海岸で入水自殺をしたとしても、山形の海岸に13日後にたどり着くという可能性は、ほとんど<0>に近い。

もし警察が、本当に確信を持っているならば、DNAがちゃんとその鑑定をやったものであってそして間違いないと思っているんであれば、ほかの事の矛盾もすべて解消されるはずです。せめて一つや二つぐらい、何かですね、「いや実はこれ新しいことがわかった」ということがあるはずです。全くない。

先ほど挨拶をなさった赤池衆議院議員も初質問で、山本美保さんのことを質問をされましたけれど、そのときも、警察の刑事部長は、この事実関係について、一切答えることができません。

私は、やはりこれは、どう考えてもこれは県警が嘘をついているとしか思えない。そして、こういうことは、県警だけで決まられた問題では、私は、ないと思わざるを得ないわけでございます。

残念ながら、それがこの国の現状です。

そしてその被害者になる可能性があるのは、これから先、ひょっとしたら、ここにおられるみなさんや、そのご家族かも知れません。

前の官房長官、細田さんは、今年の6月の参議院内閣委員会の答弁の中で、「どうやって拉致された被害者を取り返すんですか。具体的に教えてください」いう質問を受けましてこういうふう答えました。
「相手側の政府、相手側にいるわけですから、話し合いをして、向こう側が『わかりました、拉致しておりました、返します』というまで粘り強く話し合いを続けます。」という言葉を言っておりました。

話し合いをして帰してくるぐらいな国ならば、最初から拉致などするわけがないのです。われわれはそういう異常な国を相手にして戦っている。それを《話し合いをして、『わかりました』というまでやるんだ》ということは何を意味しているのか?

《この国の政府が埒被害者を絶対に取り戻さないと国民の前で断言したこと》 と全く同じでございます。

ですから、皆さんのご家族が、もしこれから拉致されたとしても、この国のやり方は同じです。《向こうの国に行ってしまっているんだからあとは煮ても焼いても好きなようにしてくれ》ということにしかなりません。

私たちは、しかし、そういう中ですべての拉致被害者を取り返していかなければいけないんです。
それは単に拉致されたかたがただけではなく、私たち自身の安全を守るためでもあります。

先ほど会場の中で流れておりました、私の声で名前を呼びあげておりましたのは、現在北朝鮮向けの短波放送を流しておりまして、「しおかぜ」という名前で、毎日夜の11:30から12:00まで、北朝鮮に向けてあのように拉致被害者、あるいは拉致の可能性がある失踪者のお名前を読み上げております。12月8日からは一時間に延長してできる予定になっておりますが、あの読み上げをしながら私自身、いつも思うんですけれども、あの中で「だれだれさん、昭和×年×月○日生まれ、昭和×年×月○日、どこどこで失踪、当時何歳、現在何歳・・・」自分で読み上げながら、一体この人達にとってこの20年、30年の日々というのは、一体何だったんだろうということを本当に感じます。

この人達がもし無事に帰ってきたとしても、私たちは、「一体どうやって謝れば良いんだろう」しかし、更に言えば、それでもまだ、謝れる相手が残っていてくれればいい。「あの時やっていなかったから間に合わなかった」と言うことになってしまったら、私たちは一生そこに悔いを残さざるを得ないわけでございます。

この拉致の問題というのは我々自身が「日本というのは本当に安全な国だ」と思っていたその間違いから起こったんです。確かに、街中に夜中に女性がひとりで歩いていても大丈夫だったかもしれません。しかしそんなことは、多少注意すればいいことです。それよりも、『外国の国家機関の力によって、人が拉致されている』そのことの方がはるかに危険なことです。

日本の政府は間違いなく、今よりもたくさん(今政府の認定者、16人ですが)それよりはるかに多くの方々が拉致をされていたことを知っていました。今でも、もちろん知っています。しかしそれを公表することはありません。

みなさん、現在政府が認定している16人。あの中で、政府のほうが誰も何にも言わないのに、自分から「この人は本当は北朝鮮が拉致をしておりました」と言ったケースが何件あるか、おわかりになりますか?
事実上一件も無いんです。

横田めぐみさんの事件は、現代コリア研究所というところの「現代コリア」という月刊誌が発端となってわかりました。アベックの拉致事件は、産経新聞が昭和55年の1月7日にスクープした記事でわかりました。あるいは田口八重子さんの事件は、大韓航空機の爆破事件、キム・ヒョンヒが、リ・ウネと呼ばれていた日本人女性に日本語や日本の風習を習っていたという事でわかった事件です。

そのように考えていくと、マスコミが明らかにしたか、あるいは工作員が捕まって自供したか、それがほとんどであって、政府の方から自分から、警察が何も知らない、国民が何も知らない時に、「この人が拉致です」と言ったケースは、実は事実上一つもないのです。

ということは、今日、本政府が認定している以外に、はるかにたくさんの人たちが、拉致をされていると言うことです。

曾我ひとみさんのことは、警察は「あれは違う」と言っていました。その人が拉致だとわかった。

でもみなさん、曾我ひとみさんのその曽我ひとみさんが拉致されていた。要は誘拐犯である北朝鮮の方が先にこれを出してきたんです。その時に日本政府の中で、誰か「曾我ひとみさん、これまで24年間、拉致を気付かなくて申し訳ありません」と言った人がいたか。ただの一人もいません。総理大臣も官房長官も、国家公安委員長も、警察庁長官も、新潟県警本部長も、誰一人として、責任を取った人も、お詫びをした人すらいません。

つまり皆さんのご家族がいなくなって、何十年か囚われていて、そしてそれにこの国が気がついていなくても、出てきても、誰も、誰もお詫びもしない。お詫びをしないと言うことは、どういう事かというと、つまり自分たちが拉致された人が何処にいるか、誰が拉致をされているかと言うことを、調べるための責任を持っている人が、ひとりもこの国にいないと言うことです。

この状態は絶対に変えていかなければいけないと思います。

この拉致問題というのは、最近タイの拉致の問題がでておりますけれど、単に一つや二つの問題ではない。レバノンでもやられておりますし、マカオでもやられておりますし、そして他の地域でも、恐らくやられていただろうというふうに捉えております。北朝鮮という国にとって、拉致をするということは当たり前のことであって、たまたま日本人をやったわけではない。

今横浜の赤煉瓦倉庫の先に置いてあります、あの九州南西沖での沈没した北朝鮮の工作船。見て頂ければわかります。全く漁船とは違う形状をしています。水の中に沈んでしまうとわかりませんが、丘の上に上げてみると、もの凄い切り立った、こういうV字型の船首をしている。シロウトが見てもこの船が工作目的につくられたということはすぐにわかる。漁船をたまたま改造して、ちょっと工作活動で使ってみようと言うのではないんです。その為の船を造る。そして、それを運用する人を育成している。こういう事をやって来た国があるわけです。

そして、あの船は海上保安庁の船に銃撃されて沈んだわけではなくて、自分で自爆して自沈をしております。この平和な日本に、自殺することを覚悟して、全員自爆することを覚悟して入ってくる工作員が、あの時のそうだったし、恐らく今でもいるだろうということです。恐らく、この山梨県の中にも、そう言う工作員はいるに違いない。ひょっとしたらこの会場の中にも来ているかもしれません。

私たちはそういうものと戦って私たち自身の安全を守って行かなければいけないと言うことでございます。

この問題は、そういう意味で言うと、非常にですね、この国はこんな事で良いのかと言うことになってしまう。しかし、そればかり話をしていくとだんだん暗くなって参ります。

一方でこの国は、大きく今変わりつつあります。そして本当に持っている力を発揮しつつある。それはどういう事か。あの9.17のあと5人が10月の15日に、羽田空港でタラップを降りて帰って参りました。そのときに五人を私は下で迎えていたわけですけれども、どういうふうに感じたかというと『なんだ、やればできるじゃないか』ということです。

拉致の救出運動の一員として世論を盛り上げて国を動かせば取り返せると思っていた私自身でも、本当にあの五人が帰ってきたときには、『あ、本当にできたんだ』という思いをしておりました。

この国の力というのは決して小さくはありません。世界第二の経済大国でございます。そしてアジアの最大の民主主義の国であって、世界のリーダーたる国です。その国の力を持って、拉致事件が解決できないわけはございません。
そして、それを実現していくのは、今日ここにこうやって集まって頂いた、たくさんの方々のお力です。こうやって集まっていただいて声を上げていただくことがこの国の政府を動かしてきたんです。外国から見れば、日本はすごい。拉致された人々をあのテロ国家から取り返したということを、非常に評価をしてくれる。ですからこの力をもっと絞り込むことが出来れば、北朝鮮から被害者を全員取り返すことは、絶対に可能でございます。

私は来年の末までに、すべての被害者を絶対に取り返して見せるということを公約致しております。それができなければ自分なりに責任を取らなければならないと思っておりますけれども、我々は、それは絶対に可能であると考えます。

そして、その方向を導いていくのは、ここにお集まりのみなさんだと言うことです。

この問題は被害者だけの問題ではない。この国全体を律していくという問題です。

我々は、この国の中に今生きておりますけれど、この国はわれわれだけの国ではありません。これまで何千年もの間、この国を創ってくださった我々祖先のものでもある。そしてこれから先生まれてくる我々子孫のものでもあります。我々は単にその中継ぎをしているに過ぎません。

ですから、我々として過去の人たちに恥ずかしくない国を創り、そして次の世代に恥ずかしくない国を渡していくということをしなければいけない。拉致被害者の救出は日本人だけではなく、韓国人はじめとする他国の拉致被害者の救出にもつながりますし、そしてその次には、あの北朝鮮の中で苦しんでいる2000万の国民を救うことにも繋がります。

我々自身の安全を守っていく。そしてすべての被害者を救出して、北朝鮮の人々を助けてアジアの平和を守るのか?あるいは、それらすべてを見捨ててそれによって、自分たちの安全も脅かされることを許すのか?選択は二つに一つでございます。

これからやらなければならないことは本当に今まで思っていたこととまったく違う局面が必ず出てまいります。しかしその局面を絶対に乗り切って行かなければ行けません。
皆様方のお力で、全員が帰ってこれるように、そして山梨県の被害者は山梨県に、暖かくお迎えすることができるように皆様方のご協力をお願いいたしまして、私のお話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

2005年10月31日

蓮池透さん講演(2005/10/29)青梅にて

去る10月29日、青梅市民会館ホールで開催されました、

「人権講演会とリコーダー演奏」−拉致問題を考える集い−

より蓮池透さんの講演テキストをご紹介します。
拉致被害者を救うために、国がなすべき事、私たち国民がなすべき事を改めて考えさせられるお話であると思います。
ぜひご一読ください。

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『蓮池透さんのお話』

みなさんこんにちは。
本日はお招き頂きましてまことにありがとうございます。私このようなところから皆様に偉そうにお話させていただく身分でも、立場でもございませんが、これだけは日頃から知っておいて頂きたいと言うことがありますので少しだけ時間を頂きたいと、こいうふうに思います。

拉致問題につきましては会場にお越しのみなさま、そして広く国民の皆様の関心を集めご支援を頂いておりますことに、この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。
また、皆様のおかげをもちまして、弟家族が帰国できましたこと重ねて御礼申し上げたいと思います。

しかし(強く)、5人が日本に帰ってきたとき「自分たちだけ帰ってきて忍びない」ということを言っておりました。3年たって今も、その気持ちにはいささかの変わりもないというふうに思っております。

彼らも、彼らの家族も、私たちも、めぐみちゃんたち、まだ帰ってこられない方が帰ってこない限り、心の底から喜びに浸ることは出来ません。

さて、うちの弟夫婦やめぐみちゃんが北朝鮮に拉致されましてから、四半世紀という時間が、流れました。四半世紀と言えばオリンピック六回分です。生まれた子供が成長して、ばりばり働き出す年月に相当します。しかし未だに、この拉致問題は解決しておりません。
これほど長きにわたって、日本人の人権が侵害され続けています。

昭和53年の7月31日、弟たちは拉致されました。
若者がデートし、お年寄りが散歩する、そして子ども達が水遊びをする、誰もが行くような海岸で、不法侵入してきた北朝鮮の工作員の手によって暴力的に拉致されました。
これ以上の人権蹂躙、凶悪犯罪、国家主権侵害、国家テロというのはないと思います。
と言うことは他のどなたにも拉致される危険性があったということではないでしょうか。

そしてその状況はわが国において継続している可能性があるかもしれません。
もしみなさま、みなさまのご親族が拉致されたとしたら、みなさまが日本国民である限り、私たちとおなじめにあうのは間違いないというふうに思います。

弟たちは自分たちがどのように拉致されたかというのは、当初は余り語ろうとしませんでしたが、ようやく重い口を開きました。その中で、妻の祐木子は『ガムテープで体中をぐるぐる巻きにされてボートに乗せられた。ガムテープの隙間から故郷の柏崎がどんどん、どんどん小さくなっていくのが見えた。』という言葉には、私は心を引き裂かれる思いがしました。いったいどういう気持ちで連れ去られたのか、到底、私達には想像ができません。
北朝鮮で24年間、祖国日本に帰るという究極の自由を剥奪され、わずかに与えられた自由らしきものの中、希望のない、全くの不毛な暮らしを強いられてきたのです。

弟は言っています。『北では自分の意思で動いたことなど、一回もない。まったく自由がなかった。』と。
『会いたい人に会いたいときに会える。いきたいところにいける。好きなように自由にそういうことができる。兄貴にとっては平凡なことかもしれないけど、われわれにとってはそれが一番の幸福なんだ。日本に帰ってきて一番幸せなのはそれだ。』と言いました。
それほどまでに彼らはぎりぎりの生活をしてきたのです。
まさに、サバイバル生活です。

そして、まだ、同じ想いを持って、同じ状況で生活している拉致された日本人とその家族が大勢いることを忘れてはならないと思います。

一度だけ弟に聞いたことがあります。まだ子供たちが帰っていない状況の中で、『今、日本で暮らしている、生き甲斐は何だ』 と。
弟は、『兄貴、そんな酷な事、聞くなよ』と言ったあとで、『そんなもん、ねぇよ』と言いました。『でもな、兄貴、俺たちはなぁ、絶対くじけないんだ。何事があってもくじけないというのが、24年間で身に染み付いてしまったんだ。』ということを、私に、怒るように言いました。
私はそのようになってしまった弟を不憫に思うと同時に、なんてつまらない質問をしてしまったんだと、後悔しました。
そして弟の24年間の生活など、自分には決してわからないと思いました。実際にそういう目にあった人間でなければわからない。それを簡単に理解できるなどということをいったら、彼らに失礼だというふうに思うようになりました。

さきほど横田さんからも話がありましたが、この拉致問題、拉致事件というのは、憲法にも詠われ、国際条約にも規定されている人権問題です。四半世紀以上にわたって、人権が侵害され続けているのです。世の人権を標榜する専門家の方々は、なぜ声高に『日本人の人権を守れ』と仰って頂けないのでしょう?
不思議でなりません。

本日は、関係者の方々がみえていらっしゃいますが、人権擁護局、人権、人道家という看板を掲げている、法務省、外務省、その責任のもとに、その職務を全うしていただきたいというふうに、私は思います。

「基本的人権の保障」などということがよく言われますが、私はそういう言葉を聞くと、むなしさを感じます。
果たして、この国において、「基本的人権の保障」などあるのか。こと、拉致問題については存在するのでしょうか?誰がそれを保証してくれるのでしょう?四半世紀以上、帰りを待ち続けて、家族はみんなそう思っていると思います。

うちの弟は決して裕福とは言えませんが、普通の家庭に次男として生まれました。
確かに、小学校時代、交通事故にあい、両足切断の危機に瀕したことがございましたけれども、それも克服して、中学校時代には野球部のキャプテンをするようになりました。
そのようにして、立派に成長して幸福な時を送っていたと思います、あの忌まわしい昭和53年7月31日の夕方までは。

弟の姿が見えなくなった、その時の気持ちは一言ではあらわせません。
悲しみ、苦しみ、諦め、悔しさ、怒り いろいろな気持ちが、私達の心の中で渦巻いていました。

「基本的人権」というのは、何事にも犯されることのない生命、自由、幸福を追求する権利です。

拉致された人間は、その権利を一瞬のうちにすべて奪い取られました。

北朝鮮による日本人拉致は、基本的人権侵害の極みです。
そして、何事にも犯されることのない権利が、他国によって侵されているわけですから、これは、国家主権の侵害です。
さきほども言いましたが、到底許すことのできない凶悪犯罪であり、国家テロであります。

基本的人権を保障するのは国家の役割であります。
日本国憲法は拉致問題に関していえば、専守されていないのではないでしょうか?
私はそう言うようなことをする北朝鮮という国家を許すことができませんし、まだ解決できない、この国家の責任というのは甚大だというふうに考えております。

三年前の9月17日に、小泉総理が金正日総書記と日朝首脳会談をおこないました。拉致問題がやっと、事実だと言うことが世間に知れ渡ったときです。
それ以前は「でっち上げ」だの「疑惑」などいわれ、ひどいときには署名活動をやっている、横田めぐみちゃんの写真の看板が蹴飛ばされたりしたときもありました。

われわれは、「これで国家の対応も変わるだろう」、「新たなスタートだ」と思ったわけですが、ご覧のとおり5人とその家族が帰国しただけで、他の方々の問題は3年前と全く変わっておりません。中には後退させようとするような政治家や官僚がいるほどです。

日朝首脳会談に臨んだ時に、小泉総理の頭の中に、横田めぐみちゃんという名前があったのかどうか?あの平壌宣言にサインするときは、どうだったのでしょうか?

考えても見てください。もし日本で、国内で、13歳の少女が誘拐されて、それが死んだといわれ、犯人が目の前にいたら、みなさんどうされますか?
誰だって怒ると思います。
私は(もう3年前の話はするなと言われるかもしれませんが)、あのときにもっと、日本国家として怒りを示して欲しかったです。非常にあの時は残念に思いました。

今考えて見ますと、3年前の、9月17日に、あの北朝鮮が拉致を認め、謝罪した。これはひょっとすると、日本と北朝鮮が結託して、あの一日で拉致問題を終わらせ、封じ込めようとしたのではないかというふうに思っております。

<5人生存8人死亡>という情報は、北朝鮮が言った情報です。
それを、まぁ、生存は別にして、8人死亡という裏も何もとらずに、確認もせずに、やれ謝罪だの、やれ援助だのという、平壌宣言にサインしてしまったんです。

小泉総理はあのときに<5人生存8人死亡>という、それぞれの人間の名前が、頭の中にあったのでしょうか?5対8というただ数字の十把一絡げだったのではないでしょうか?
そこには、拉致された人々の人権や人格や尊厳などは、まったく存在しなかったのだというふうに思います。

北朝鮮からの伝聞情報を日本政府は、われわれをマスコミから隔離して、家族に断定的に伝えました。まず最初に横田さんご一家が、外務省の施設で、個室に呼ばれて、『非常に残念だが、めぐみちゃんは亡くなった。』とはっきり断定、断言、日本政府はしたのです。
つまり、5人は生きている。しかし、北朝鮮が良いといっている。だから会いたければ、日本から北朝鮮に行きなさい。

事実帰ってきた5人は、帰ってきたばかりの時は、北を礼賛ばかりしていました。会う日と会う人に、「北に来い。北に来い。」 と言っておりました。

それでは、死亡したと言われる8人はどうする?
政府が家族に断定的に伝える。
つまり「葬式を出してあげなさい」「まことに残念だが、いつなくなったか、どういう原因でなくなったか
わからないけれど、とにかく亡くなったんだ、だから葬式をだしてやりなさい」と。

マスコミも何の裏もとらずに、号外まで出しました。
家族会はなくて遺族会になってしまいました。
そしてあるテレビキャスターは『横田めぐみさんのご冥福をお祈ります』とまで、テレビで言いました。
金正日に盲従する北朝鮮国家ならいざしらず、お上が「お前の娘、息子が死んでる」と言って、信じる方がおかしいと、私は思います。

そういう幼稚で、誰でも信じないような、誰も信じないようなシナリオを書いて、家族を黙らせることができるというふうに思っていたら、間違いだと思います。

これで拉致問題は、たぶん、北と、どっかわかりませんが、外務省の一部人間=日朝国交正常化こそが最大の国益だというふうに、我々と根本的に価値観の違いを持ってる人が、考えたんでしょうがまぁ、そういうシナリオはまさに崩れた。

金正日は、次の手に出てきました五人を一時帰国させて、家族を北朝鮮に呼ぼうと。それも失敗に終わりました。外務省は言っていました。『2週間をめどに返してくれ』と。いわば約束破りです。そういうボタンの賭け違いがその後の交渉を膠着させた原因だというふうに、私は思っています。

これは北朝鮮の犯した犯罪ですから、交渉とか協議ではないのです。
「日本人を返せ」と要求しなければならないのです。

一年経って、ようやく日朝審議官級の協議が始まろうとしています。
日本政府に戦略があるのでしょうか?また間違った国益を重んじている外務官僚がいないとも限りません。

日本政府にきちんとした戦略があるのでしょうか?

弟たちは知りうる限りの情報を提供しています。
国はその情報をよく分析、解析して、アメリカあるいは韓国、中国から情報を収集して、<拉致被害者が今北朝鮮内の何処にいるの><どういう生活をしているのかとか>いうところまで確認した上で北朝鮮側に、「ここにこうやっているからこの人を帰せ」というようにしておかなければならないのです。

本当に、今回が正念場だといふうに、私は、思っています。

今までの北の謀略、いや、日本も絡んでいたかもしれません。
そういう狂ったシナリオは、みなさまの大きな声でのおかげで、みごとに崩れました。
もしそれがなければ、今頃、日朝国交正常化がなって、莫大な援助金が北朝鮮に渡っていた可能性も、あります。

今までは、北朝鮮に対して「これをあげるから、何かを出して」というやり方で、米をどんどん送り続けました。
従ってイニシアチブ主導権は全て北朝鮮に握られていた。

そうではなくて、主導権を日本側が握って、「これを出さなければ、われわれは何も出さない。」「これを出せば、これをあげるよ。」「これをださなければ、制裁だ」と。

全知全能にかけて、戦略を、私は、練ってほしい。

何事にもくじけないと言っている弟たちに負けないように、我々も頑張って言いたいと思いますので、皆さんも是非、政府、外務省の行動、言動を、冷徹に見守っていただきたいと願ってやみません。

ご静聴ありがとうございました。

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このエントリーのテキストは金木犀様の手による物です。
快く転載のご許可を頂きましたこと、感謝申し上げます。

2005年10月19日

早紀江さんの言葉

「第3回拉致被害者救うフォーラムinふくしま(05.10.16)」での横田早紀江さんの講演テキストを入手いたしましたのでご紹介いたします。
早紀江さんの悲痛な叫びをどうぞお聞き届けくださいませ。

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今日は、このようにお集まり頂きまして、私たちの何の罪もなく北朝鮮に連れて行かれた子どもたちを、一刻も早く救出するために、この問題に関心を持って集まってくださいましたことに感謝いたします。
そしてまた、これまでの8年過ぎました救出活動の中で、福島の菅野会長はじめ、福島の皆様にも本当にたくさんの署名やカンパを頂戴いたしまして、今日まで、なんの心配もなく、活動を続けてくることができました。
本当にお礼申し上げます。
ありがとうございました。(拍手)

この拉致ということが、私たちのこのような平和な日本の国の中で、誰もが自由で、何を食べ、何を着、何を話してもいい、ほんとに豊かなものに恵まれている平和なこの日本の中で、誰も知らない間に、30年も35年も近くの間、全国の津々浦々から、めぐみもそうですけれども、町の中から、家のすぐ近くから、浜辺から、たくさんの何の罪もない、これから希望に燃えた日本の若者たちが、あっという間に、北朝鮮の工作員に捕まえられて、夜の闇にまぎれて、ぐるぐる巻きにされて、目隠しをされ、猿轡をはめられ、そして袋をかぶせられて、あの暗い波間を、船に乗せられて、日本海を、連れ去られていったというこのような恐ろしい出来事が、長い、長い年月、ほ・ん・と・に、こんなことが日本の中でおきていたとだれも信じることができない・・・・。

私たち、当事者自身でさえも、9年前に「めぐみが北朝鮮に拉致をされて平壌にいるということがわかりました」 っていうような話を聞いても、20年間、あの52年の11月15日の夕方、めぐみはまっすぐに帰ってきて、この家のすぐ曲がり角のところで、めぐみの匂いは消えてしまっておりました。
(警察)犬が来ても、何度かこうして回って、そこからどこへもいかないという状況があったので、ここで何が起きたんだろうと思いました。

そのようなことが、ほんとに日本の中で起きていたのです。
そして私たちは、北朝鮮という国を、あまり知りませんでしたので、「なんともいえない不気味な国だな」とぐらいしか思っておりませんでした。
実際にこのような問題が起きて、当事者になってはじめて、たくさんの専門的な方々のお話の中で、勉強会を開いてくださったり、私たちがたくさんの本を読んで、ようやくこの国がとんでもないことをやっている国だと言うことが、ようやくわかりました。

そのような国が、さきほど主人が申しましたように、偽ドルを作ったり、麻薬を作ったり、そして拉致もその中の一つとして、大変な罪をいっぱい犯している。
その国がすぐ近くにあるわけです。
そして、その国が、今回、核を持ったと宣言をしています。
そのような恐ろしい国が、ほんとに核を持って、その核があちこちの国に売りさばかれて、そしてその核がどのような形で、私たちのこの平和な日本の中を、あっという間に灰に化してしまうかもしれない。

そのような恐ろしさがもう今、私たちの身の回りに迫ってくるような、身の毛もよだつようなことが段々に迫ってきているということを、私たちはこの拉致を通して、めぐみたちの、ほんとにこのかわいそうな犠牲者を通して、ようやくわかってくるようになりました。

そしてたくさんの方がこのようなことをようやく理解してくださるようになりました。
そして私達は家族会を作って、拉致をされた多くの方たちと一緒に
「子どもたちを救ってください」
「政府の方が外交の上でやって下さらなければ私たちは何の力もありませんから」
「事実をはっきり言うだけですからお願いします」
と全国を歩きまわって、署名活動をしてまいりました。

いつもお話しますけれども、鹿児島の増元るみ子さんも死亡宣告をされているおひとりです。
そのお父様も、鹿児島県人であり、九州男児であり、明るい大きな声のお父さまでした。
お父さまも一緒に私達は、めぐみの写真も大きくして、るみ子さんの写真も大きくして、有本恵子さんの写真も大きくして、熊本や鹿児島の町に立って、
「皆様、通り過ぎないでください」
「署名活動、お願いいたします」
チラシを配り、
「ここに、お一人でも書いてください、助けてください」
と訴えておりましたけれど、当初はほんとに誰もが
「そんなことがほんとに日本にあるんですか?」
「ほんとなんですか?」
そしてある方は、
「北朝鮮というような不気味な国のことにには、関わりたくありません」
というかたちで、ほとんどの方が、片手を振りながら、通り過ぎてしまわれたんです。

その時に増元さんのお父様は叫んでおられました。
「こんなに大変な大事件が、大変なことがこの日本の中で起こっていたのに、24年間も一体政府は、何をしていたんだー!」
と大きな声で涙を流しながら叫んでいたことを、私は今も忘れることができないんです。

一緒に活動していた蓮池さんや地村さん、そしてまだ名前もあがっていなかった曽我さんが帰国なさった、ほんとうに奇跡のようなことが起きました。
そしてあのタラップから降りてこられました。
「あ〜、あの後ろから、めぐみちゃんや恵子ちゃんが現れてくれないかな。。」と。

死亡宣告されても尚、私たちは、ひょこっと現れてくれるんじゃないかと、扉の向こうを一生懸命眺めていましたけれど、その時は私たちの子どもたちは、ほんとに影も形も見えませんでした。

増元さんのお父様は、なんとかるみ子のことを知りたいと、お帰りになった方々に、息子さんの照明さんが一生懸命次の日に、部屋を回って、
「どーんな小さなことでもいいから、るみ子のことを知っていませんか。なんか話したことありませんか」
「何処にいたか知りませんか。なんでも教えてください。お父さんは、もうあぶないから、大変な病気で臥せっているんですから何でもいいから。」

もうその頃、増元さんのお父様は酸素マスクをなさって、病院のベットで臥せっておられました。
ほんとにもう、何日も危ないという状況でありました。

照明さんは必死でまわられましたけれど、あの時は、不思議なことに、めぐみのことばっかり出てきました。
「このような招待所で、このようにして、めぐみちゃんの家族と私たちは暮らしていました」
「めぐみちゃんの結婚式には行きませんでしたけれど、めぐみちゃんは、大きなスイカを持ってきてくれたんですよ。」
とか、そのような生活の一端を、いろんなことを、思いもかけないそのような状況を教えてくれて、もう、びっくりしたんです。

けれども、るみ子さんのことは何ひとつもわからなかったんです。
「見た事もありません。その人と話したことも、聞いたこともありません」
とその時に、帰ってこられた方は照明さんにおっしゃいました。

照明さんはがっかりして、飛んでお父さんのところに帰られました。
「何にもわからなかったけれど、絶対にめぐみちゃんも、るみ子も生きているからね、頑張ろうね。私たちも頑張るからね」
とお父さんを励まされていたんです。
お父さんは、本当に力のない、酸素マスクをした体をやっと持ち上げて、

「るみ子、もう、お父さんは、お前を探してあげられんようになってしもうたけれど、絶対元気でいなさい。」
そして
「俺は日本を信じる、だから、お前も日本を信じろ」

と、照明さんにおっしゃって、旅立っていかれたんです。
みなさまがお帰りになった2日あとでした。

あれだけ長い間待ち続けて、「るみ子、るみ子!」と街角で泣き叫んで、叫んでいらしたお父様。。。
私達家族はみんな、いろんな形ではありますけれど、なんの罪もなく、そのように連れ去られた子どもたち。
なんで、こんなに苦しい目に、なんという恐ろしい人生に変えられてしまったんだと思います。

今、ジェンキンスさんの著書が出ました。
その中で私は、初めて知ったことがありました。
ジェンキンスさんと(曽我さん)ひとみさんご夫妻が、一緒に暮らされるちょっと前に、めぐみと曽我さんは一緒に招待所で暮らしていました。
ほんとうにめぐみにとっては同じぐらいの年の、ほんとうに寂しい、苦しい、辛い中で初めて出会った日本人の女性でした。

曽我さんが招待所に連れてこられた時「めぐみちゃんは、にっこりと笑って私を迎えてくれたんですよ」
と曽我さんは言っていました。
「私はその笑顔に、どんなに私は、ほっとしたかわかりません」と言ってらっしゃいました。
そして二年ほどの間でしょうか、何度か引越しをさせられながら、二人で暮らして、勉強させられてて、朝鮮史、朝鮮語、物理、数学、化学、いろんなものを教わったと言っていました。

そして、その後になって「今日あなたはこの人と別れて、めぐみと別れてこちらに行かなければならない所がある」と連れて行かれたところが、ジェンキンスさんがいらした所だったそうです。
そしてそこで一緒に暮らすようになって、初めは警戒をなさっていらしたんですけれど、本当に寂しい中で、アメリカの人ではありましたけれど、そこで心が結ばれて結婚をなさったと言っていらしました。
本当にあちらの国は、
「あなたはここに行きなさい!」
「この人を変えなさい」
「この人と結婚しなさい!」
と言われれば、「嫌です」と逃げ出すわけにも行かない所です。

監視の厳しい、いつもいつも、24時間、、毎日毎日誰かが行動を監視しています。
盗聴器が備え付けられています。
本当に恐ろしい、監獄のような国の中で、何の罪もないたくさんの私たちの子どもたちが、180度人生を変えられて、あちらの思想を埋め込まれて、あちらの国のためにそのような仕事をさせられて、今も曽我さんとめぐみたちがあの頃に歌っていた。。。

−日本の唱歌を、寝床の中で小さな声で<ふるさと>や<もみじ>を歌いながら泣いていたと言っています。
お月様を見ながら「明日、誰かが来てくれる、必ず来てくれる」と。
「親が来てくれる。政府が来てくれる。」と思い続けて。。。

蓮池さんたちも帰ってこられておっしゃっていましたけれど
「3年間待っても、だれも来ててくれなかったので、私たちは、もうあきらめるしかなかった。だから、これからはもう北朝鮮人として生きて行くしかないと、心を180度転換してあちらで住んできたんです」
とおっしゃっていました。
曽我さんは帰られるあの前の日まで
「私は誰かが来てくれる、必ず来てくれると信じていたんです」
とおっしゃってました。

それぞれが、どんな想いで、今も。。。
今はめぐみは一緒に暮らしていた曽我さんも、そして蓮池さん、地村さん、同じ集落で暮らしていた(へギョンちゃんも一緒に暮らしていたといいますけれど)そのような人たちがみんな、飛行機に乗って帰ってしまった。

「何で私だけ、かえれないんだろう?」
「何で私だけたすけてくれないの?」と
今日も、お月様を見ながら泣くに違いありません!
(会場すすり泣き)

「助けてください」と!。

みんなあそこにいる囚われた人たちは本当に、海に溺れている 状態なんです。
私は、いつもこれを話に出させて頂きますが、海に溺れてもがいているんです。

「早くもとの所に帰りたい。」
「陸に上がりたい」

「助けて〜」「助けて〜」
と片手を挙げて溺れそうになっているんです。
本当にこの人たちの命を助ける気があれば、泳げる人は急いで飛び込むんではないでしょうか?
泳げない人は、ロープをなげるんじゃないでしょうか?
小さなボールでも投げて「これにつかまりなさい」と投げてあげるんじゃないでしょうか?
大きな声で「もうちょっと我慢しなさい」と、言ってあげるんじゃないんでしょうか?

それが人間の本当の心だと、私は思っているんです。

それがめぐみだけではなく、特定失踪者と言われる方が、まだ400名を超える方が、まだ名前もあがらないで、何処から連れて行かれたか、どのようになったかも判らないまま、お父さんお母さんは、丁度9年前の私たちと同じように
「誰が連れて行ったんだろう」
「海の中にはまって死んでしまったんだろうか」
「どこかに家出して、誰か悪い者に捕まってしまったんだろうか」
「あそこの畑の、あのようなところに埋められたんだろうか」
「あの雪の山に埋められたんだろうか」
「雪が解けたら、来年は必ずあそこを探しに行こう」

私達はあらゆることをあの子のために、一生懸命に戦ってきました。
それと同じような状況が今も、特定失踪者の方は続いていらっしゃるんです。
80歳代、90歳代になっても、まだ、ご両親は子どもたちが帰ってくることを信じています。

それが北朝鮮の国家犯罪として「拉致はわが国がやったことである」とあちらの一番の指導者が認めたにも関わらず、相変わらず、めぐみの偽の骨が出されたり、出してきたものをこちらが鑑定して、違ったものだと言えば「そのようなことは日本がでっち上げたんだから、その骨を返せ」と言ってきます。
どこまで、このような残酷、非道なことをし続けるんでしょうか?

いつも思います。私たちも、あの52年の11月15日の夕方、あのようなことになるとは誰も考えた事もありませんでした。「元気で行って参りまーす」とお友達と一緒にラケットを持って出かけためぐみ。
その子が28年間も、別れたまま、助けを求めている、その場がわかっているのに。

そしてめぐみちゃんが持っていた赤いスポーツバックをひとみさんが「頂いたんです」とこのたび初めてジェンキンスさんの本にも書かれていました。
別れる時にめぐみが「私だと思ってこの赤いバックを大事に持っててください」とひとみさんに渡したと初めて知りました。

あんなに一緒に、私たちがふたりで赤いバックを買いに行って、そこに運動着を入れて、元気で通っていたあの赤いバックは何処に行ったんだろうと、いつも思っていました。

ひとみさんはまだお話は、なさらなかったんですが、
「いつか言おう言おうと思っていたんですけど、長いこといえなくてごめんなさい」
ということでようやくそのことがはっきりいたしまして、ひとみさんが大事に持っていたんだとおっしゃっておりました。

けれどもその大事なものさえも、何一つ。。
めぐみちゃんからいろいろと絵を描いてもらったり、手を写生してくれたり、朝顔の押し花を作ってくれて、言葉を入れてしおりをつくってくれたり、「いろんなことをめぐみちゃんはしてくれたんですよ」といってましたけれども。
「そのどの一つも日本にもって帰ることができなかった。お父さん、お母さんに見せてあげることができなかった。本当に残念でなりません」
とおっしゃっています。

本当にめぐみはそうやって一生懸命、そうやって生きているんです。
今もどこかで、助けを求めながら、誰かにまた絵を描いてあげているかもしれません。

このような、犠牲者が、400名にも上る人たちが(全部が全部でないかもしれませんが)北朝鮮の国家犯罪によってなされいた事。
現在もそれが解決していないという事。
今も何処かで、皆様方のように、ごく平凡な、普通のご家庭の誰かが、何処からかひょこっと消えてしまうかもしれないと言う、現在進行形のこのような恐ろしいことを、こんなに苦しみ続けている、子供たちのことを忘れないで頂きたいと思うんです。

どうかこの問題が、今現在私たちの、この時代に、私たちの子どもたちや、孫たちがこれから住んでいくこの日本が、こんなにいい加減に、あいまいにしたままで、この事を引きずって、まだまだそのことが連なっていくことになっては、決していけないと思っています。

どんなになっても、私たちは、倒れるまで、子どもたちを、日本の土地に、この国に連れ戻す為に、政府に訴え続け、小泉さんに、
「父親の思いになってください、あなたの大事な幸太郎さんがもしこのような状態になっても、あなたはいつも『まだまだ、対話と圧力ですね』と言って片手をあげていらっしゃるんですか」
と私達は本当に訴えてきています。

ほんとにどうして、こんなに速やかに毅然とした姿勢を貫いて、怒って、「国際的にも声を出して怒ってください」と、お願いをしていることができないのが私たちはわからないんです。

小さな国民にとって、力がありません。
たくさんの小さな国民の力が結集されて、そしてそれが世論となって、波のように官邸に押し寄せて、そして国際的にも多くの方々に、知っていただいて、北朝鮮のこの人権問題全てが、北朝鮮の苦しんでいるたくさんの国民の、餓死をしている子どもたちや国民たちも含めて、こんなに悪いことを、はっきりと表明して行くものになりたいと思っています。

どうかよろしくご支援ください。
お願いいたします。(拍手)

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このエントリーのテキストは金木犀様の手による物を元に、当Blog管理人が一部再構成をしたものです。
転載に快く同意いただきましたこと、感謝申し上げます。

2005年08月30日

安明進氏の国会証言を否定する蓮池薫氏に対する安明進氏の再反論の会見、テキスト化

先週金曜日の8月26日、特定失踪者問題調査会の定例記者会見が行われました。
その席上で、安明進氏が去る7月28日に行った国会証言を否定した蓮池薫氏に対する反論の会見が行われました。
その会見に参加されました原良一氏より、安氏の全発言のテキストをご提供いただきましたので、当Blogでもご紹介させていただきます。
安氏の一連の証言に関しては、最近その真偽の程について反論本が出たりと何かと騒がしい動きもあるようです。
しかし何よりもご本人が直接に語った、生の言葉に触れるのは真実に近づく第一歩ではないかと思います。
どうぞご一読くださいますよう、お願い申し上げます。

尚ご提供いただいた原文テキストには、原良一氏個人の自宅連絡先等の記載もありましたが、当Blog管理人の判断で削除してあります。
予め、ご承知置きくださいませ。

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安明進氏の国会証言を否定する蓮池薫氏に対する安明進氏の再反論の会見 05.8.26実施
入力にあたっての但し書き
本記録は、2005年8月26日に開かれた特定失踪者問題調査会定例記者会見に際して、荒木和博同会代表の通訳を介した行われた安明進氏の発言を私、原 良一が、テキストに起こしたものです。起草後に、荒木氏の校閲を受けているので、通訳及び本稿のチェックにおける責任は荒木氏に属します。

<安明進氏記者会見全発言>
荒木氏の紹介
それでは続きまして、安明進さんからコメントをお願いしたいと思います。この間衆議院の特別委員会で安さんが証言したのは7月28日でございまして、蓮池さんのコメントは29日でございます。

安明進氏の発言
蓮池薫さんが発表したコメントを読みました。蓮池さんは、マスコミに対する発表文として出したわけですけれども、私の方は、逆に蓮池さんに対する質問としてお伝えしたいと思います。
蓮池薫さんは「私は『金正日政治軍事大学』にはいなかった」と言っているわけですけど、それは当時違う名前だった、「朝鮮労働党中央委員会直属政治学校」だったということです。学校自体は同じです。
    
変わった学校名、変わらない秘匿名称
私が、蓮池さんや横田めぐみさんを見た88年から91年の間は、「朝鮮労働党中央委員会直属政治学校」だったものが、92年の1月20日に「金正日政治軍事大学」に名称が変わりました。そして当時から変わっていない名称もあります。それは「130連絡所」と「人民軍695軍部隊」で、こちらは現在も変わっていません。
私が蓮池さんにお聞きしたいのは、昔の名前の「朝鮮労働党中央委員会直属政治学校」そして「130連絡所」、「人民軍695軍部隊」にいなかったか? ということです。
北朝鮮が2002年、03年に拉致被害者の日本人が死んだ根拠として出してきた「死亡診断書」の中に、「695病院」と書いてありました。これが「695」の名称が現在も変わっていないという根拠です。
要するに、「695」という施設で日本人を今でも管理していることを、北朝鮮自体が認めているにも関わらず、蓮池さんがそれを語れないということは、何か別の語れない理由があるのではないかと思います。いずれはそれを明らかにしてもらいたいと思います。

太陽里も金正日政治軍事大学の一区画                
蓮池さんたちは、太陽里(テヤンリ)という所に居たと言っていますが、私たちがいた東北里(トンプンニ)の隣になりまして、太陽里が西北に位置しまして、東北里が東南になります。(安氏、位置関係を紙に書く。左上に太陽里、右に東北里、左下が新美里=シンミリ、東北里の中に南朝鮮革命史跡館が描かれている。それを示しながら)こういう地理関係で、こちらが蓮池さんたちがいた太陽里、こちらが東北里、ここが新美里となります。東北里のこのあたりに南朝鮮革命史跡館があり、私たちはこの近くに住んでいました。金正日政治軍事大学は、この三つの区域に跨って存在していました。
その中で、蓮池さんたちがいたと主張しているのは(太陽里を指しながら)ここですけれども、その地域も金正日政治軍事大学の所在地の一つに含まれています。
蓮池さんは、私たちは東北里にはいなかった、居たのは太陽里だという意味で言っているのかもしれませんけれども、私はその主張を信じていません。彼らも東北里に住んでいたと思っています。
1987年に大韓航空機機爆破事件が起きた後、88年から91年の末にかけての拉致被害者日本人の管理は、金正日政治軍事大学の本校で行われていたのではないか、と私は思っています。蓮池さんたちに尋ねてみたいのは、彼らの子供たちが、学校に行く年齢になってからは、遠方の寄宿舎付きの学校に通わせたわけですが、それ以前の幼稚園時代は、南朝鮮革命史跡館の裏にある幼稚園に通わせたのではないか? ということです。

特別な存在の拉致被害者、その他大勢の中の安明進氏
蓮池さんは、私を見たことがないと言っていますが、それは当然だと思います。たくさんの学生がいて、私はその中の一人に過ぎなかったのですから…。一方彼らは、特別な立場にありました。蓮池さんが言うように、確かに彼は「金正日政治軍事大学」にはいなかった、あるいは、私、安明進を見たことはなかった。それはそれで事実でしょう。当時の学校の名前は違っていたし、私は、多くの学生の中のワンオブゼムで、会って話しをしたわけでもありません。けれどもだからといって、彼らが実際の事実を否定することはできないはずです。
私が考えるに、蓮池さんが金正日政治軍事大学にいたことを認めれば、他の拉致被害者についても話をしなければならなくなり、それを負担に思って認めたくないのだと推測しています。
私たちも蓮池さんも、北朝鮮に対して闘わなければならない立場であるのに、なぜこれ程までに私を忌避しなければならないのか? ということをお伝えしたい。以前、東京国際フォーラムであった大集会(03年5月7日の第5回国民大集会)の時に、蓮池さんたちも出席したのですが、彼らは、私と同じ階には泊めないでくれとまで言いました。なぜそこまでしなければならないのか、と思わざるを得ません。

忌避するのではなく、共に闘ってほしい
私は、もちろん日本人だけではなくて、自国の可哀想な同胞を救いたいと思ってやっているわけですが、多くの日本人の皆さんも拉致被害者を救出しようと活動しています。私が、日本人に危害を加えようとしているならともかく、日本人も救おうとして活動しているのに、なぜ避けなければいけないのでしょうか? 
北朝鮮が拉致を認めていなかった時期から、私は、私なりに命を賭けて、蓮池さんを初めとする拉致被害者の救出を日本政府に訴えてきました。ですから人間の道理としても、逃げ回ってばかりいないで、会って話しをして、そして共に戦うべきではないかと思います。

正義の側について欲しい!
もちろん蓮池さんを初めとする拉致被害者5人の方々は、北朝鮮がどれだけ危険で、非人間的な集団であるかは、よく知っていると思います。しかしそうではあっても、北朝鮮は崩れつつある悪であり、日本政府は正当な要求をし、活動をしていることは、彼ら自身も理解していると思います。悪の側に追従するのではなく、彼ら自身も助けられたのだから、他の拉致被害者も助けるという正義の側に付いて欲しいということを求めます。

Q1. ― 東北里で見たのはいつか? ―
先程の推測の中で、蓮池さんは太陽里に住んでいて、(金正日政治軍事大学のある)東北里に入ったことはないという意味の主張をしているのではないかという推測をなされていましたよね。東北里で蓮池さんを見たのは、何年ごろでしょうか?
A1. ― 88年〜91年8月までに6、7回
88年から91年の8月頃までです。蓮池さんは、少なくとも6〜7回は見たと記憶しています。彼は、行事がある度に南朝鮮革命史跡館に出向いては、金日成の銅像を拝んでいましたから、行っていないはずはありません。

Q2. ― 印象的なシーンは? ― 
その6、7回見ている中で、鮮明に覚えているシーンを二、三教えてください。
A2. ― 一際目立つ長身 ―
他の拉致被害者の方々は、総じて背が低いのですが、蓮池さんだけが非常に長身で目立っていました。二番目に大きい田中実さんが170pくらいだったと思いますが、後の人はそれより低かったのです。女性の場合も、150〜155pくらいで、それら小柄な日本人の中で、一人だけ頭一つ抜けて長身だったので、とりわけ目立ったのです。
私が97、98年に証言を始めた頃は、特に親しい1、2社を除いてマスコミの人には目撃証言を話していませんでした。ご家族に伝わって衝撃を与えるのを恐れていたからです。警察など政府機関には、この人は間違いなくいますと話してはいました。3年前の2002年10月15日に、帰国してタラップを降りてくる姿を見て、ああこの人に間違いないと確信しました。ですから逆に、97、98年の段階で、ご家族に「間違いない、この人です」と伝えていたら、蓮池さんは戻って来られなかったかもしれない、と思ったりもしました。

Q3.
繰り返しになりますが、東北里のどの辺で目撃したのでしょうか? 
A3.
金正日政治軍事大学の本校の講堂で、行事の時です。

Q4. 
ちょっと細かくなりますけど、どんな行事で、どんなことをしている、例えばお辞儀をしているとか、どういうことをしているのが、印象に残っているのでしょうか?
A4. ― 主要な祝日の時に一緒に宣誓を ―
大きな行事の時だけですけれども、10月10日の朝鮮労働党の創建記念日、4月15日の金日成の誕生日、2月16日の金正日の誕生日、あと元旦、それらの行事の時に来ていました。その時には宣誓をするわけですが、それも一緒にやっています。ただ私たちは、軍服を着ていましたが、蓮池さんたち拉致日本人たちは私服でした。

Q5.
私服というのは、背広でしょうか?
A5.
暑い時は、(安氏、自身が着ているワイシャツを指して)このような開襟シャツ1枚の時もありました。

Q6. ― ディテールの再確認 ― 
イメージとしては、何かの催し物でみんなが並んでいる時に、制服を着ている安さんたちにグループと別個に被拉致日本人のグループがいて、そこに背の低い人たちがいる中で、頭一つ抜きん出ているから目立った、ということですね。
(荒木氏の「それならば、位置関係書いてもらった方がいいですね」に、安氏快諾、絵を描き始める)
A6. ― 指定席に最後に並んで来て、真っ先に帰る被拉致日本人たち ―
(レポート用紙の上部に演壇、演壇前左側の席に安明進氏、右下入り口近くに蓮池氏ら被拉致日本人の一団を描いた絵を示して)
こういう形で講堂の奥に演壇があって、被拉致日本人たちは、演壇から見て左手最後列、演壇を上に描くと右下最後列に座ることが多かったです。私たちは、その時の学年とか、訓練に出ている学生がいたりすると場所が変わりますが、日本人の座る場所はいつも決まっていました。
そして日本人は、学生たちが座ってから並んで入ってくるので、背が高い蓮池さんは目立ったわけです。被拉致日本人たちは、最後に入ってきて、行事が終わると最初に出ていくので、そこにいる学生たちは見ていないと思っているかもしれません。しかし、拉致の実行犯が(教官や先輩として)その中にいるわけですから、その彼らが、あいつはどうした、こいつはこうしたと話をするので、彼らの個人的なことがわかるのです。蓮池さんたちは、北朝鮮当局から「お前たちは、見られているはずがない」と言われているのかもしれません。
<構成者補注>
双葉社より今年7月30日に出版された漫画「めぐみ」前編212〜221ページで、安氏の証言に沿った構図が描かれています。イメージとしてはほぼこれで間違いありません。後から集団で来て、席の最後尾の指定された場所に座る被拉致日本人たちを、安氏ら学生が振り向いて見ては、噂話をする位置関係になります。

Q7. ― 5人が沈黙する理由は? ―
なかなか彼らが、ここで思うように喋れない理由について、脅されているんではないか、いろいろな推測がなされていますが、その辺はどのようにお考えでしょうか?
A7. ― 疑いない脅迫や圧力 ―
いくつか考えられますが、一つは、お前たちが日本でペラペラ喋れば、北朝鮮に残っている拉致被害者が無事ではすまないぞ、帰れなくなるぞと言われている可能性があります。あと、北朝鮮の非常に野卑なところですが、お互いに監視をさせてそれぞれの弱点を全部チェックして把握している可能性が高く、それを暴露するぞと脅している可能性があります。
蓮池さんは、子供たちが帰ってくるまでは、ぽつりぽつりと話していたわけです。私自身は、子供たちが帰ってくれば、安心してもっと喋ってくれるだろうと期待していました。ところが逆に、子供たちが帰った後の方が、却って喋らなくなってしまった。やはりこれは、明らかに何ならかの圧力がかかった証拠だと思います。
北朝鮮側は、当然5人の電話番号など連絡先を掌握していると思います。例の、北朝鮮に戻ってしまった平島筆子さんも電話番号を捉まれていて、北朝鮮の保衛部などから直接電話がかかっていたものと思われます。ですから、5人の所へも当然脅迫はなされていると思います。
日本にいる脱北者の許にも、北朝鮮から直接脅迫がなされている例もあります。
<構成者補注>
韓国在住の姜哲煥氏や、守る会会員の帰国者親族、在日朝鮮人であるRENK代表李英和氏の許にも、北朝鮮から定期的に脅迫と身代金請求の電話が来ています(-“-)。

Q8. − 家族会の意向は? ―最近蓮池薫さんが、安さんの証言を否定したことで、薫さんの意思とは別に、安さんの証言の信憑性を疑われるという報道がされ始めていますが、家族会としては、この問題を薫さんに直接確認するということは考えられないのですか?
A8. 荒木氏の回答 ― 満足していない未帰還組家族 ―
この問題について、今日増元さんが大分の方に行っていて不在なものですから、私が家族会を代表して喋るわけにはいかないもので何ですが、ご家族の方は、ご家族の方で帰国した5人の喋っている内容について、満足はしていないことは間違いないです。充分にちゃんと喋ってはくれない、と。彼ら5人は、未帰還組の家族には、ちゃんと喋っていると言ってはいますけれども、これを満足して聞いている家族はいない、ということは間違いありません。だからご家族は、当然蓮池薫さんが、この間の安さんの国会での証言に対して出したコメントよりも、安さんの証言の方を信じているのは、間違いないです。
 
Q9. 原 良一‐1(構成者)― 蓮池薫氏との電話はいつ? ―安さんの著作「新証言・拉致」(廣済堂出版)の中で、安さんと蓮池薫さんが電話で話したとありますけれども、それは何時ぐらいの話でしょうか?
A9.
はっきりとは覚えてはいませんが、蓮池さんが帰ってきたその年の内、つまり2002年末までです。

Q10. 原 良一‐2 ― 一度や二度では本音は語れないはず ―
これは質問からは離れてしまうのですが、私は慰安婦の問題にも関わっていますが、慰安婦たちも、真実を明かすまでには、ものすごい時間がかかっているんですね、通り一遍のインタビューでは、本当のことを言うわけがないんです。これは朝鮮人差別だとかそういうことではなくて…。
彼女たちは、最初は強制連行されたと言っていて、詳しく聞いていく(人によっては数年に及ぶヒアリングによって)過程で、本当は親に売られていたことを打ち明ける、といった事例がほとんどなんですけれども、それと対比しても拉致被害者だって、二十数年間の北朝鮮での生活があるわけですから、1回、2回の事情聴取や未帰還組の家族との面会で話せるわけがないんで、もっともっと、対話を重ねて信頼関係を築いていかないと真実には迫れないと思います。

Q11. 原 良一‐3 ― 時間がかかったのは安氏も同じでは? ―
実はこういうことを話したのは、以前高世仁さんの話で、安さんが横田ご夫妻と初めて会って、めぐみちゃんの話を始めた時、隣にいた安企部職員が慌ててメモを取り始め、後で「こんな大事なこと、何で今まで黙っていたんだ」と怒られていたと言っていたんですね。
A11. ― 最初からは無理でも、すべてを話すことが最大の安全策 ―
もともと情報機関に全部を話すことはありえません。例えば、何か一つ話せば、これは真実か、間違いないか、あれはどうなのか、それは…と次々と問い詰められることになる、そういう意味では確かに最初からすべてを話せるわけではない。特に拉致のことを話し始めた当初は、金正日の関与していることなので、顔を隠したりもしていたので全部話すことは無理でした。
しかし、拉致被害者5人にとって一番安全な方法は、正しい情報をきれいさっぱり話してしまうことだと確信しています。すべてを話してしまった後では、北朝鮮側も下手な手出しはできなくなります。

Q12.A記者‐5 ― どうすれば発言を決断できるか? ―
先程喋りにくい理由を三つ挙げてくれました。危害加えられるとか、そういったことに対しては、話した方が下手な手が打てなくなると言うのはよくわかるんですけれども、一番最初に言われた、話したら残っている日本人が帰ってこられなくなるぞ、殺されるぞ、と何となく躊躇される気持ちが出るのも人間としてあるのかな、という気がするんですけど、それを乗り越えるにはどういうことをしたらいいと思いますか?

A12. ― 生存を明言されれば手が出せない ―
却って、「○○の人たちは生きています」と言えば、北朝鮮としてはもう何も手出しができなくなると思います。北朝鮮側の立場の人間にとっても、現体制が崩壊すれば、拉致被害者が居なくなっても(=解放して帰国させても)問題はないわけで、拉致被害者を抱えたままで体制が潰れてしまえば元も子もないわけです。
あとこういう言い方もどうかと思いますが、日本人というのは余りにも物わかりが良すぎるようにも思います。こうだと言われれば、ああそうですかと簡単に聞いてしまう部分があると思います。


<参考資料>
・安明進氏を中傷する破信義(河信基)の論考
http://www8.ocn.ne.jp/~hashingi/page027.html#K27

・安明進氏の会見を伝える新潟日報05.8.26付
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/index.asp?id=2005082628069

・安明進氏、蓮池薫氏コメントに反駁(電脳補完録管理人による詳細な解説)
http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=4254

・特定失踪者問題調査会拉致被害者向けラジオ放送を企画中
(同日の会見で発表された別の話題)
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/index.asp?id=2005082628068
 
・北朝鮮拉北者の安否確認拒否(朝鮮日報05.8.25)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/08/25/20050825000006.html

会見記録作成&文責:原 良一(RENK&守る会&救う会&難民基金会員)
通訳校閲部分の文責:荒木和博氏(特定失踪者問題調査会代表)
会見記録の問合せは:特定失踪者問題調査会
      〒112-0004 
東京都文京区後楽2-3-8 第6松屋ビル401
TEL:03-5684-5058、FAX:03-5684-5059
E-mail:chosakai@circus.ocn.ne.jp
         

※本会見記録作成にあたって、特定失踪者問題調査会荒木和博代表のご協力をいただきました。
記して御礼申し上げます。
ただし、拙記録の頒布活動自体は、原良一個人としての活動であり、
所属団体の指示、命令に基づくものではありません。