2007年11月29日

07.10.20 佐藤勝巳氏 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『佐藤勝巳 救う会全国協議会会長の講演』

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皆さんこんばんは。
紹介を頂きました佐藤でございます。

ただ今中山補佐官の方からお話がありましたように、政府は昨年の安倍内閣成立以来、組織を作って救出に立ち向かったわけです。
実はそこに至るまでには、私たち救う会の側から申しますと、9年の歴史がございました。
拉致と言うのは、これは政府が全責任を持って救出をすべきことである。
政府が全面的に北朝鮮と戦うべきである。
その署名が五百数十万集まって、そして政府が拉致対策本部を立ち上げたと言う経緯がございます。

そこでこれからの戦いにも関連してくることですが、日本人が拉致をされているという事が分かっているにも関わらず、何ゆえに9年もかかったのだろう?
いや、もっと言えば、30年も40年も何故解決を出来ないでいるんだろう?
言う問題が、私の中にはず〜っと残っております。
 
湾岸戦争が起きたとき、サダム・フセインは自国にいる外国人を全員収容しました。
その収容した時に飛行機が収容所の上を飛ぶわけです。
中にいる外国人は日本人を除いては全員窓に顔を出して、自国の軍が飛行機が助けに来てくれたと、皆そう思って救出を叫んだそうです。
日本人のみが収容所の片隅に毛布を被って、サダム・フセインが爆撃したと言って震えておった。
これが現実です。

私この話を聞いたときに、我が国の政府とあるいは国家と国民の関係。
拉致をされた時、政府が助けに来てくれるとは、国民が思っていない。
政府の方も全力を上げて救出に行くという姿勢は皆無だったわけです。
この国家と国民の関係を見たときに、この国は駄目だと。
多分、潰れるだろう。
というふうに思うと同時に、それは即同時に、北朝鮮に拉致をされている人たちに対する我が国の政府の、あるいは我が国社会全体の反応の現れである。
解決できないと言うのは、そういう事なんです。
つまり国家の体を基本的になしていないんでは無いか?
言う、大変な私にとっては重い、且つ辛い思い出が湾岸戦争のときにございます。

それ以来、兎にも角にも政府が悪いんだとか政治家が悪いんだなんていくら言ってみたって、拉致なんて全然解決しませんし、世の中何も変わりません。
思った人たちが行動すべきである。
気がついた人たちが行動を起こすことである。(拍手)
それ以外に、拉致の救出もなければ世の中をちょっとでも良くする方法などは存在していないと言うのが、この10年間の救う会の私の総括です。

一生懸命で心ある人たち、全国で大体40くらいの救う会があって、もちろん今日主催している埼玉救う会もその中心メンバーのひとつな訳ですが、そういう人たちが毎月のように街頭に立って署名をする、ビラを撒く。
と言うような事を繰り返し繰り返し行ってきた結果が、拉致対策本部が出来て中山さんのような優秀な人をですね。
迎え入れる事が出来たと。
これは私、闘いの成果だと思っております。(拍手)

しかし、外野にいるこの私からですね。
この1年の拉致対策本部の動きを見ていると、図体はでかくなったけど小回りが利かない。
政府って言うのはやっぱりですね。
大変なんですね、見ていると。
予算が無いとか、手続きがどうとかこうとか、大変な作業をきちきちと。
しかしですね。
どんな組織でも問題や軋みを抱えております。

私は拉致が救出できるか出来ないか。
主にね。
主に出来るか出来ないかは、政府について言うならば3人にかかっている。
福田さんと、町村官房長官、これは拉致担当の大臣です。
そして今お話をされた中山さん。
この3人の目の色が変わってきたときに、多分拉致は解決されるだろう。

どんな組織でもそうです。
指導者の目の色が変わったとき、全部の組織に人々に、本気でやるんだな、と必ず行き渡ります。
指導者がやると言う気概を示せない時に、運動や政策が成功するなどという事はまず私は無いと思っております。(拍手)
そういう点で、まずこの御三人の方々が、断固として拉致を取り返すとき、アメリカと北朝鮮が何となく今馴れ合って、変な事をほざいておりますけどね。
この場合、日本の拉致を脇において米朝の国交正常化、そんな事は絶対に日本が承知しませんよと言う(拍手)明確な態度表明を、私は内閣総理大臣をはじめ全閣僚がカウンターパートナーに示すべきだと思っております。

それから私本人も皆さん方も、アメリカ人に知り合いがおられましたら「拉致の解決は我が国にとって最大の国益である」「最重要課題である」「これを同盟国アメリカが無視して動くというのであれば、我が方にも考えがありますよ」という事を明確に伝えるべきです。(拍手)
そして尚、我々は今日開かれたこのような集会を、今次に熊本で予定をしております。
愛媛で予定を致しております。
岩手で予定を致しております。
と言うふうに次々と我々国民の決意を政府に対して金正日に対して、アメリカに対して中国に対して、示していく。
そこを示さないまま、アメリカや外国にいくら物を言ったって絶対に誰も聞く耳を持ちません。
そういう意味では拉致の解決は私たち国民の双肩にかかっているというふうに、私たち救う会は理解を致しております。

埼玉は来年ですね。
つまり自治体、埼玉県、救う会、そして政府は拉致対策本部、外務省、総務省、法務省との支援体制をとって、今一度この埼玉でもって大集会を是非とも開いて頂きたい。
思っております。
そういうふうに我々が靴底を減らして一人一人を説得をして、拉致を解決しなかったらこの国は大変なことになりますよという事を、全埼玉県民に訴え続けることによって集会を成功させ、それを全世界に発信して行く事が私たちが拉致を解決していく基本だと考えております。

全国協議会は総力を挙げて各地域の救う会の戦いにご協力をさせて頂きます。
今後とも宜しくご協力のほどお願い致します。
どうもありがとうございました。(拍手)

2007年11月28日

07.10.20 中山恭子氏 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『中山恭子 参議院議員・内閣補佐官の講演』

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★司会

続きまして、ご講演のほうに入りたいと思います。参議院議員拉致問題担当首相補佐官でいらっしゃいます中山恭子様にお願いします。(拍手)−−中山さん壇上へ−−
ご講演に入る前に、ご講師のご紹介をさせていただきます。
2002年、今から5年前、5人の被害者の帰還時、いわば用意された一時帰国というストーリーから、政府の責任で北朝鮮には返さない。子供ら、家族の日本帰国を北朝鮮に求めると。また、曾我ひとみさんの御家族の日本への帰国に際しても、中心的な役割をお果たしになり、御家族の立場に立って、政府高官として、家族会や帰国した被害者の方々から絶大な信頼を得ていらっしゃいます。
それでは、本日、「拉致被害者全員の救出を目指して」と題しましてご講演をお願いしたいと思います。

★中山恭子さん

みなさまこんばんは、(会場からこんばんは の声)
ご紹介いただきました中山でございます。
今日土曜日、本当に貴重な時間帯でございますのに、このようにたくさんの皆様がお集まりいただきまして、ご参加いただきまして本当にありがとうございました。

埼玉県、今もご紹介ありましたが、政府が認定できていますのは、田口八重子さんでございますが、それ以外にも多くの姿を消した方々が、埼玉県にはいらっしゃいます。

また今日はこのような形で、救う会埼玉、鈴木代表を初め、救う会埼玉のみなさまがこの会を主催してくださいました。本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。また、埼玉県が共催に入ってくれました。今日本には『拉致問題、その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律』というのが現在出来ておりまして、この中で、地方公共団体も、拉致問題に関して多くのみなさまにこのような形で知ってもらうとか、そう言った努力をすると言うことが書かれております。その一環として今回、埼玉県が共催してくれることになりました。上田知事はじめ関係者のみなさまに私どもから心から感謝申し上げます。

このような形で、拉致問題について、県と救う会=民間のみなさま、そして政府が一緒になって会合をひらくということは、これまでに、和歌山県、山口県で行われておりまして、今回埼玉県でこのような会合を開ける、三度目の開催でございます。これからも、このようなかたちで、日本全国、全ての日本の人々にこの拉致問題についての理解を深めていただくように今動いているところでございます。

また埼玉県では県だけでなくて、議連の皆様が非常に活発に動いて頂いておりまして、その議連のみなさま、県の吉田議長(県会議長)、それから今日お話しいただきました議連の深井会長様はじめ関係者のみなさまに対しても感謝申し上げます。

また、埼玉県では、それぞれの市、そして市議会のみなさまも拉致問題、拉致された被害者を取り戻そうと、署名活動をしていただいたり、各種支援を頂いております。多くの皆様にご支援頂き、御協力を頂いていることに、心から感謝しながら、今、仕事をしているところでございます。

2002年、この問題に私自信が関わりましたのは、5年前2002年の9月からでございました。
2002年の10月15日に5人の被害者が日本に戻りました。唯、これも、北朝鮮が5人を解放する、帰国させようとした動きではございませんでした。『日本に一週間か10日ほど、まぁ出張してこい』と言ったような形で、5人は、日本の土を踏むことが出来ました。

日本の中にもいろんな意見がございます。政府の中にもいろんな意見がございますし、ございました。
ただ、この問題=拉致された、そして日本人が他の国=北朝鮮の中で全ての自由を奪われて、幽閉された状態におかれているということであれば、それは被害者や家族だけの問題ではない。あたり前のことだと思いました。

日本という国が、まず日本政府がですね、自分の仕事として被害者を取り戻すということ、自分の政府の中にしっかりと組織を作り、担当者を決め、費用を使ってでもですね、取り戻すことを政府がするのが、これがもう当然のことであって(拍手)政府の基本的な役割だと考えております。考えましたし、今も当然のこととしてそのように思っております。

そのようなことから、5人たまたまといってもいいような形で日本の土を踏んだ5人の被害者を犯人の手にもう一度戻すことはあってはならないと、言う思いで、政府の中でそのような主張をしました。(拍手)

おかげさまで、安倍官房副長官、『そのようにする』という決断をしてくださいましたし、その時のその時の官房長官が、現在の福田総理でございました。福田総理も、『わかったそうしよう』ということで、丁度帰国してから9日目の夜、夕方ですね、10月の24日に日本政府が、この5人を日本に留める。返さない。それは5人の意志というのは当時わかっていたわけですが、日本に留まりたいということを、蓮池さん地村さん、ひとみさんからも、私宛に電話が入っておりました。『日本に残りたいんだけれど』という。でもそれは、5人が残りたいからと言って、政府としてしょうがなく残すという、そう言う形は取ってはいけないと考えました。

ですから、日本政府が出した政府の方針は、<5人の意志に関わらず、帰りたいと言おうと、日本に留まりたいと言おうと、それだけではなくて、日本政府の責任で5人を日本に留める。そして、この家族は、日本政府が責任をもって取り戻す>という方針を、その時に出すことが出来ました。この時が、ある意味では政府の中での考え方の、曲がり角であっただろうとと思っています。

今は、当然のことでございますが、拉致問題、当たり前ですね。
こないだ・・今、イランで一人拘束されています。このイランで拘束されている方も、何としても無事に取り戻したい。日本政府の中に対策本部が出来て、今、イランや関係するところに交渉しています。

海外で日本人が被害にあったら、日本の国は、それを放置している国ではない。必ず日本政府は、被害にあった人が一人であっても、子供であっても、必ず日本人は、日本政府が護るんだ、そのことが、今の日本の政府の中では、既に徹底していると考えています。
従って、なんと本来であれば、もう随分昔に、日本政府の中にこういった被害にあっている人を救出するための、しっかりした対策本部ができているべきであったと思っていますが、戦後の日本の、30年前あたりの日本の環境を考えてみますと、そう言ったことが、相手が北朝鮮であったということが、ある意味ではタブーな時期だったんだろうかなどと思っています。

いずれにしましても、政府が中心となって、政府自らが−−当然のことなんですけれども−−この問題を担当し、どうやったら取り戻す事が出来るかを真剣に考えて、動く、そう言った部所が必要だと思っておりました。

昨年の秋、安陪内閣が成立いたしましたとき、昨年9月26日に、安倍総理が内閣を作りまして、その三日後の9月29日に政府の中に、拉致問題対策本部を設置することが出来ました。めぐみさんが拉致されて、なんと29年たってやっと日本の政府の中に拉致問題対策本部が、設置されたという状況だと言うことでございます。

日本の社会というのは、私自身は、温かい社会だと信じておりまして、災害が起きたら、台風に襲われてそこに被害が出たら、また地震が起きてそこに被害が出たら、政府は直ちに対策本部を作り、そして各市町村、県が救いの手をさしのべ、社会の多くの人々が救いの手をさしのべる、そう言う社会であると信じています。

唯、本当に残念なことに、この北朝鮮による日本人拉致問題は、めぐみさんが拉致されて29年たってやっと政府が拉致問題対策本部を設置し、真剣に取り組み始めたと言う状況だということでございます。

現在いろんな形で、政府として取り戻すための、救出の為の動きをしておりますが・・先ほど、その前にですね、先ほどDVD、これも政府が作りました。今年の春に作ったものですから、福田総理ではなくて、安倍総理が映像の中にたくさん出てくる映像ですが、ある程度は全体のことがおわかりいただけると思いますので、まぁ今日いらしているみなさんは、拉致問題に対して深い理解をお持ちの方でいらっしゃいますので、あのDVDを見る必要もなかったかもしれませんが、あのDVDを全国、そしてアメリカ、中国、韓国はじめ、世界中の8カ国、9カ国にむけて作っておりまして、アラブの方々に向けても作っておりまして、世界中にDVDを配って理解を深めてもらおうとしているところでございます。

今申し上げたかったのは、DVDの話ではなくて、あの中で、おわかり頂けたかと思うのですが『何故日本人を拉致したんだろうか?』いろんな、いろんな理由があるようです。技術者が欲しかったということもあったかもしれません。曾我ひとみさんの場合は、きっと連れて行ってジェンキンスさんと結婚させるための候補として連れて行ったのかもしれません。

唯、田口八重子さんを初め、多くの人々というのは『北朝鮮の工作員に日本人化工作をするために連れて行かれた』そういう人々が連れて行かれたと考えています。そのためには、典型的な日本的な家庭で、日本的なしつけをしっかりと受けた、身につけたそういう若者が必要だったということだとみています。

ですから被害にあったこの若者たちというのは、日本的なしつけをしっかり受けて、典型的な日本の家庭が荒らされている。そして周りの友達の中でも、みんなから信頼されている、そして共通しているのが、責任感の強い、そう言う若者たちが連れ去られている。日本の大切な家庭から大切な若者たちが連れて去られている。そう言うテーマだと見ていただいて良いと思います。行き当たりばったりではなくですね、連れて行ったのであろうと考えて、尚更に早く取り戻したいという気持ちが出てくるわけでございます。

2002年の10月15日に5人が戻りまして、この子供たちや家族を取り戻すのに1年9ヶ月かかりました。
2004年の7月に曽我さん一家をジャカルタで再会させて連れ戻すことが出来ました。直ぐそこにいるというのがはっきりわかっているのに1年9ヶ月かかってしまいました。

その後、他の被害者の方々の帰国ということを交渉し、いろんな言い方でやっておりましたが、2004年の11月、横田めぐみさんのお骨が戻ってきた。これが他人の複数の方のお骨だというのがわかり、あまりにもひどいやり方だということで、その年の12月日本政府は北朝鮮に対しては『人道支援を当面凍結する』という方針を出しました。
この後次の年、2005年の1月に、北朝鮮は『拉致問題は解決済み』という方針を出し、今もその方針が貫かれているという状況でございます。
従って、2005年の1月から、北朝鮮といろいろな場で、いろんなルートで交渉している中で、『解決済み』という大方針が出ているものでありますから、北朝鮮の担当者も、北朝鮮全体がなかなか違う動きを出すことが出来ないまま、その状態が今も続いていると言うことでございます。

拉致問題に関しては、北朝鮮側が(そう言ういい方をして良いかどうかは別ですが)北朝鮮側が、非常に強い、日本対して強い立場を持っている。今のまま解決済みで知らないとシラをきりとおせば、北朝鮮側としてはなにも困ることはない。そう言う状況にありますので、北朝鮮を何とか動かして、解決済みという方針ではない、違う方針に変わっていくように持っていかなければならないと考えています。

北朝鮮側に強い立場があるということで日本としては、制裁処置を科しました。
それほどに強い影響をでているかどうか、いまのところはっきりはしませんけれど、それでも日本として出来ることとして、制裁処置を科しているところでございます。

この拉致問題をどうやって解決していくか、いろんな形があろうかと思いますが、いずれにいたしましても、私どもは、被害者を救出すると言うことに、今集中しています。従って混乱が起きて、救出できるかと言われると、なかなかそれは難しいと思っております。

今の人々(現在の北朝鮮政権の人々)は拉致した被害者がどこにいて、どのようになっているかというのを知っているはずだという、私たちはそういう前提で、北朝鮮に対して、連れて行った日本人を全て帰すようにと言う強い
要求をしています。

混乱状態になる前に、取り戻さなければいけないと考えています。従って今混乱状態が来ることを望んでいません。救出したい、何しろ日本に戻したい、そこに集中して今北朝鮮と対峙しているところでございます。

そのあたりのことも、ぜひご理解」頂きたいと思います。
いろんなかたちの取り返し方というのはあると思いますが、現段階では、今の政権から救出するという事が、まずやらなければならないことであろうと、いろんな作業をしているところでございます。

今、福田政権に変わりましたが、福田総理ご自身、『ご自分の政権の間に救出したい』とはっきりとおっしゃっていますし、私たちも対策本部を中心にして、必ず救出する、一人残さず救出するというために一生懸命真剣にこの問題に取り組んでいるところでございます。

残念ながら、まだ今のところ、5人以外はですね−−5人そのものも、北朝鮮が返してきたわけではないのですから−−この今北朝鮮に留まっている人々を、幽閉されている−−私は人質と読んでいますけれど−−人質を解放させるために、あらゆる手段を使って解放させようとしていると。

今非常に大切な時期になってきていると思っています。担当者も私も含めて本当に真剣でございます。どうぞ、みなさまそのことをご理解いただきまして、先ほどから飯塚さんはじめ多くの方から話が出ていますとおり、日本の力の非常に大きな部分というのは本当に、『皆様の声』でございます。

皆様が、今のような形で、全ての人を救出するのだという政府の方針を支持してくださると言うことが、そのような形で、政策をとる、しっかり政策をとっていくと言うことに繋がりますし、又それが、北朝鮮に対して『いい加減な形で動いたら、日本は、日本人全体が許さないんだよ』ということを伝えるそう言う意味にもなります。

そう言った意味で、国、地方公共団体、更には国民の全ての人々が、この拉致問題に関心を持ち、同僚、同胞、日本人が拉致されたら、日本は必ず救出するんだという、そう言う国であるためにも、一体となって北朝鮮に対して強く要求していかなければならない。今正にその要求を突きつけて、なんとか動かそうとやっている最中でございます。

なかなか成果が出ていませんので、実際に新たな被害者が帰国するということになっておりませんので、私自身非常にいつも重い気持ちで仕事をしておりますが、必ず取り戻すまで頑張る、そのように決意、覚悟しておりますので、どうぞ、みなさま御協力、ご支援くださいますように宜しくお願いいたします。(拍手) ありがとうございます。(拍手)
今日もお集まりくださいましてありがとうございます。(拍手)
この会を催してくださいました担当者の皆様に、関係者の皆様に心から感謝申し上げます。(拍手) ありがとうございます。(拍手)

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このエントリーのテキストは、blue-jewelさんの手によるものです。

2007年11月27日

07.10.20 生島馨子さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の訴え』

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★鈴木智さん

本日、東京都の特定失踪者でございます生島さんが見えておりますので、一言ご紹介します。

★生島馨子さん

特定失踪者・生島孝子の姉でございます。
私のところは県外の東京都で妹はいなくなりました。
本日は主催者の方々そして会場にお見えの皆様方のご好意により、この場でご挨拶させていただける事を感謝しております。
ありがとうございます。
妹のために中々活動が出来ないんですが、埼玉の方も是非一緒に心に留めてよろしくお願いしたいと思います。(拍手)

★鈴木智さん

北朝鮮に拉致された拉致被害者の身の安全と救出について皆様方の大きな声をいただきたく、さらにご支援をお願いしまして、私どもの特定失踪者のご家族の紹介を終わらせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)

07.10.20 江原さん 第回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホール

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『江原さん(特定失踪者・江原信明さんの父)の訴え』

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皆さんこんばんは。
いつもお世話になっております。
江原信明も1988年に、「大宮の方まで買い物に出る」と出たまま行方不明になって現在です。
どうか今後ともよろしくお願いします(拍手)

07.10.20 佐々木アイ子さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え』

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★鈴木智さん

続きまして、佐々木悦子さんのお母さん。

★佐々木アイ子さん

皆様、こんばんは。
いつもご支援いただいてありがとうございます。
私、特定失踪者でお世話になっております、佐々木悦子の母です。
これからも皆さん、よろしくお願いします。

★鈴木智さん

川口の特定失踪者にもう一人いるんですけど、石井久宏さん。
49年5月に、自宅でもって化粧品店を開業しておりました。
その経営資金を持ったまま、自家用車ごと行方不明となり、現在まで何の音沙汰もありません。
もちろん車、免許証等の更新もなされておりません。

続きまして、白岡から見えました江原信明さんのお父さんです。

2007年11月26日

07.10.20 新木博さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて


『新木博さん(特定失踪者・新木章さんの弟)の訴え』


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★鈴木智さん

続きまして新木章さんの弟さんです。

★新木さん

こんばんは。
私は新木章の弟の新木博と申します。
隣にいるのがうちの姉で「(ご本人の声で)横山木三子です。よろしくお願い致します」
本日は拉致問題に関心のある多くの方々にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。
とても心強く思っております。

私の兄は29歳の時です。
昭和52年5月の21日の土曜日だったんですけども、いつものように「買い物に行く」と言って川口栄町の家を出ましてから今日まで31年間、全く便りもなく何の安否に関わる情報とかですね。
そういうのもなく過ぎてしまいました。
こんな事で、私どもは一日も早く安否に関わる確実な情報を得まして、一日も早く日本に戻れる事を願いつつ活動をしてまいりますので、ご支援・ご協力のほどをこれからもよろしくお願いします。(拍手)

07.10.20 大平一男さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『大平一男さん(特定失踪者・藤田進さんの従兄弟)の訴え

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こんばんは。
私、藤田進の従兄弟の大平と申します。
皆様にはいつもご支援をいただきまして、ありがとうございます。

藤田が北朝鮮にいると分かったのは3年前、脱北者からの1枚の写真からでした。
本日おられる特定失踪者問題調査会の方から力を頂き、北朝鮮にいるという事が判明致しました。
写真が出てから3年ですけども、拉致されてからは31年を経過しております。

取り戻すのに大変長い時間がかかっておりますが、北朝鮮は日本からの制裁が効いていると感じています。
日本からの食糧支援や、日本からの機械製品及び外貨、その辺が必要になっていると思います。
韓国の大統領が訪問した際も、日本の総理の対話の姿勢を評価し期待していると言っているのは、北朝鮮が日本を意識して話す機会を伺っているのではないか?というふうに解釈しています。

今後共ですね。
皆さんの支援を頂きながら、声を大にして、この事件はまだまだ終わっていないんだという事を発信していきたいと思っています。
よろしくお願い致します。(拍手)

07.10.20 鈴木智さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

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引き続きまして、私、鈴木賢の兄でございますが、昭和47年5月に大学を卒業し就職したその年の、会社のレクリエーションという事で奥多摩に向かいました。
朝6時に三芳町藤久保の家を出まして、現在まで何の消息もございません。
もちろん、奥多摩の現地集合にも行っておりません。
あるいは会社の上司・同僚も誰も見ていない、会っていない、と言う状況でございます。
もちろん免許証等の更新も行われておりません。

続きまして藤田進さんの従兄弟さんの大平さんを紹介します。

07.10.20 井上イトノさん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)の訴え』



★杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事

今日は特定失踪者のご家族が見えられております。
代表いたしまして、鈴木賢さんのお兄さんでございます鈴木智さんにお出でいただいておりますので、ご紹介をしていただきたいと思います。(拍手)

★鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)

本日ご来場いただきました皆さま方の日頃の拉致問題の解決・拉致被害者救出に対しましては、多大なご支援・ご協力をいただきましてありがとうございます。
私思いますのに、特定失踪者の家族でございますが、特定失踪者が皆が皆北朝鮮に拉致されたとは思っておりません。
しかしながら、数人か数十人か数百人か北朝鮮に拉致され、政府認定者と同じように、あるいはそれ以上に光の当たらぬところで日本からの救出を待ち続けている事は、間違いのないことだと思っております。

従いまして、我々ただ今「拉致問題を考える川口の会」としまして、拉致被害者・田口八重子さんのご家族と私ども特定失踪者の家族、さらに私どもをご支援くださる多くの市民の皆様と、さらに川口の自治体を長とする自治体の皆様のご支援・ご協力をいただきまして、日頃拉致問題解決のための署名活動を定期的に行なっているところでございます。

それでは本日は川口の会の関係の特定失踪者ご家族と、さらに白岡からみえましたご家族、さらに東京都から見えました家族を含めまして、7家族9人のご紹介をしたいと思います。
こちらにパネルがございますので、大変見辛いかと思いますけども、このパネルの向かって左から順を追って紹介をさせていただきたいと思います。

それと皆様にお渡ししましたチラシがございますので、そのチラシをですね。
後ほどで結構ですからひとつご覧いただきまして、何か情報なり、引っかかりなり、あるいは風の便りなりございましたら、それなりの対応を図っていただきたいと思います。
例えば警察に連絡するとか、あるいは私どもの「拉致問題を考える川口の会」、あるいは本日の主催母体でございます救う会埼玉の連絡先がございますので、そちらの方に情報をお寄せいただければありがたいと思っております。

はじめに井上克美さんのお母さんが見えていますので。

★井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)

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皆さんこんばんは。
私は井上克美の母です。
うちの息子は昭和46年の12月の29日、突然いなくなってしまいました。
何の便りもございません、それっきり以後。
で、ここにいるのが克美の息子なんですけども、この子は親の顔を知りません。
お父さんがいなくなってから生まれた子供です。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)

私は今前橋に住んでおりますけど、息子は川口にいて拉致されました。
それで、前橋の方でもおかげさまで皆さんが一丸となって、署名運動もこの間の6〜7日の土日曜日、県庁前での収穫祭を兼ねて署名運動をさせていただきました。
本当にありがたくおもいます。
でも私は川口の方には中々出て来られないものですから、川口の方の皆さんには本当にいつもいつもお世話になっております。
ありがとうございます。
どうぞ埼玉の皆さん、よろしくお願いいたします。
どうぞ皆さん、よろしくお願いします。

07.10.20 杉野正治氏 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演』

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★ただ今テキスト準備中につき、しばらくお待ちください。

2007年11月20日

07.10.20 飯塚繁雄さん・耕一郎さんのメッセージ 第5回埼玉県民の集いより

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『飯塚繁雄さん、飯塚耕一郎さんからのメッセージ』

★飯塚繁雄さんのメッセージ

お兄ちゃん早く助けて!!妹田口八重子は北朝鮮に拉致されて29年も心の底からそう叫び続けているでしょう。
私もその届かぬ叫びを感じつつ、毎日が居たたまれない気持ちです。
他の拉致被害者家族の人達も同じ気持ちでいるでしょう。
日本にいる私たち家族は、どうしたらよいのか、どうしたら助けだせるのか、その手立はありません。
ひたすらに世論に訴えつづけ、そして日本政府に頼るしかないのです。
北朝鮮による容赦ない人材の略奪は、多くの被害者とその家族を悲しませ、苦しませ、悲劇のどん底に突き落としてしまったのです。
こんな事がこの地球上に当たり前いのように、存在していても良いのですか。
私たちは全国民と共に、北朝鮮に向け大きな怒りをぶつけ、日本人拉致被害者を全員取り返すまで戦います。
そして日本国政府は、重要課題として位置づけ、際社会と協力し、政府の責任で被害者を取り返すことを強く要望します。
タラップの下で家族が抱き合う姿を、是非正夢に!

飯塚繁雄


★飯塚耕一郎さんのメッセージ

『北朝鮮による拉致問題を考える第5回埼玉県民の集い』参加者各位様

家族会 田口八重子の長男であります 飯塚耕一郎です。
平素より拉致問題に御注視、御協力、御指導頂きまして誠に有難うございます。
また本日はお忙しい処、本集会に御参加頂き、誠に有難うございます。

さて、今年も2ヶ月ほどとなりましたが、私個人として昨今の状況から推察するに年末年始を田口八重子さんと過ごす事は厳しいと考えております。
この理由は6カ国協議の核無力化を中心とした協議進行、また、12月の韓国大統領選などのターニングポイント以外、現在の硬直状態に変化を与える要素が見当たらないと判断しているためです。また、一部では米国のテロ支援国家指定解除と拉致問題解決は切り離す報道がなされています。

私は最近“何故、帰ってくれないのだろう。何故、普通に母親と暮らすことができないのだろう。”と時折、煩悶してしまうことがあります。常々言っていますが、ただ普通の家族がある生活がしたい、ただ母親に逢いたいだけなのにどうしてこんなにも困難なのだろうと考えています。近頃は自分へのあまりの不甲斐なさなどで虚無感に駆られることはしばしばあります。

しかし、悲観的な事実だけというわけでもありません。
現日本政府は、福田政権が変わっても拉致問題対策本部の人員シフトは変わらず、また10月9日に経済制裁継続と言う判断を下しております。また先日町村官房長官にお会いした際には、「各メディアが6カ国協議で日本だけ浮いてしまうことを懸念する報道をがあるが私はそれで構わないと考える。」とお聞きしており、日本政府として拉致被害者を帰さないと許さないぞという強い姿勢は変わっておりません。

この継続性について、私はやはり世論が現体制の根幹にあり、拉致被害者の奪還を絶対にやらなければならないという皆様の声が届いているからこそだと感じています。
この問題を解決に導くのはやはり皆様の声であると改めて痛感しています。
いつも御願いばかりで申し訳御座いませんが、私共と一緒に日本政府へ、北朝鮮へ、世界へとうか声を上げ続けて下さい。集会へ御参加頂いたり、御署名へ御協力頂いたり、政府官邸へメールや電話などでできることで結構でございます。皆様の一人一人のお声がこの問題を解決するための“根っこ”となります。
また、特にこの問題の理解があまり高くない若年者へこの問題を伝えて頂ければ幸いでございます。

各位様におかれましては季節柄体調を崩しやすい時期ですので皆様お体をご自愛下さい。

平成19年10月20日
飯塚耕一郎

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
飯塚繁雄さん、飯塚耕一郎さんのメッセージ紹介については、集会主催者・救う会埼玉の同意を頂いております。

2007年11月10日

07.10.20 飯塚耕一郎さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『飯塚耕一郎さんの挨拶』

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みなさん、こんばんは。
田口八重子の長男であります、飯塚耕一郎でございます。
本日はお忙しい中お集まりいただきまして誠にありがとうございます。

本日はいつもの集会と違って特別に、私の親父及び私からの皆さんへの手紙と言うのを出させていただきました。
封筒のほうに入っているピンクの紙がそうなんですけど、そちらに記載させていただいている内容と若干被る部分があるんですけども、私個人と致しましては、今年はまだ2ヶ月近くありますけども、ちょっと残念な1年になりそうだと。
正直後悔というか、慙愧の念に耐えない1年になってしまうと僕は思っております。

と言うのは、今年の年始から始まった対北の強硬路線というのは、どうしてもアメリカの動きで崩されてしまって、日本としてもどうしていいか、どう対北政策をとって良いか分からなくなっている中、安倍さんが退任されて福田さんに代わったというのが、私の所感ではあります。

私も含めて家族会というのは何でもありません。
ただ単に普通にある一般人なんですけど、やはり政局と言うのは我々は注視せざるを得ません。
なぜなら、私に関してはまだ一度も見たこともない母を取り戻すための答えと言うか、解決策がそこに現れているからです。
やはりこういう集会等で、私はどうしてもそういう政治的なお話をさせて頂くというのはとてもおこがましいと思いますし、また専門家でもないので穿った見方をしていると思われるのも正直嫌なので、そういう事はこれまで申し上げませんでしたけども、今回に限ってちょっと言わせていただきたいと思います。

私特に昨今、ここ近日中のお話なんですけども、やはり福田さんになってからの対話路線と言うのは、特にメディアの方で大きく囚われているような印象を受けます。
対話路線と言うのはこれまでの歴史を鑑みても、北朝鮮に対して対話路線を取って、いい答えが出た事がありますか?(拍手)
それは皆さんが本当に分かっているとおりだと思います。
ですので、アメリカに釣られて「日本としてバスに乗り遅れてしまうから一緒に対話路線に乗りましょう」という6カ国協議及びアメリカの姿勢と言うのは正直疑問がありますし、それに乗ったところで日本としては何のメリットもないと思います。

まだ現在調整中でありますし、私家族会の役員でもないのでこういう事を申し上げるのも何かと思うんですけども、来月あたりにまた家族会が訪米します。
その目的としましては、アメリカの議会の方に家族としての訴えを新たにして来ると言う事になっています。
まだ現段階では調整中ですので確定的なものではありません。
ただ、やはり今のアメリカのやり方と言うか、6カ国協議の流れと言うのは、どうしても融和路線になってしまっているので、そこはどうしても阻止しなければならないと。
それを阻止できるのはやはり当事者である日本ですと。

日本が動くために何が必要か?と言うと、この間新聞にもありました。
福田さんは妙案が無いから中々手を出せないと。
ただ、日本の国内世論が余りにも強いから対話路線には行かないんだよと。
これはまさに僕はその通りだと思っています。
その世論の強さと言うのは皆さんの一人一人の声だと思っています。
皆さん一人一人が署名いただくこと、官邸の方にメールを出していただけること、官邸の方にお電話していただけること。
こういう事が一つずつ重なって世論の強さになっているんです。

とても今日はちょっと過激な事を申し上げましたけども、逆に申し上げれば過激な事の裏返しというのは、私はどうしても今年1年何も出来なかった上手く行かなかったと言う、後悔の念から来ています。
これをメディアの方針と言われて、また何か怪しい事を言ったというような事を言われても仕方が無いかもしれませんけども、それくらい強くて残念な気持ちと言うのは今年に関しては一杯です。

ただ訪米然り、今後の政府のアプローチ然りですけども、皆さんのお声が無い限り私たちと言うのは動けません。
私たちは本当にか弱い人間です。
ですのでこれまで通り、また従来より力強く、皆さんのご声援及び政府へのメッセージと言うのを伝えていただきたいと思います。

また特に私から申し上げたい事は、特に若い世代の方、20代30代もしくは10代でもなんですけど、その方々に対して、拉致問題というのは名前だけ知っているような形で、実際どういう事件だったのか?と言うのはあまり知らないと言うのは正直私印象としては受けます。
ですのでご自宅に帰るなり機会があった時に、特に若い方々にこういう問題があった、本当にドラスティックで残酷な事実があるんだよと伝えていただければ幸いかと思います。

すみません、今日はちょっと変な話になってしまいましたけどありがとうございます。(拍手)

2007年11月08日

07.10.20 飯塚繁雄さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.19 埼玉会館小ホールにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の挨拶』

Img_5369.jpg



皆さんこんばんは。
ただ今、・・・(聞き取れず)にもありましたように私、田口八重子の兄の飯塚です。
日頃皆様には、この問題について非常に深い理解とご協力をいただきまして、本当にありがとうございます。

こういった雰囲気が全国的に広まり、いまや国民の多くの方々が、この拉致問題に対して早く解決して欲しいと言う願いが沸きあがっております。
今日もこの会場の雰囲気がまさにそれでございますけども、私たち愛しい、しかもかけがえのない家族をあの北朝鮮に拉致されてからもうすでに30年。
1〜2年の差はありますけども、この長い間、全く消息もなく、もちろん帰国も出来なく、非常に私たちは無念といらだたしさと、後は北朝鮮に対する怒りと、こういった気持ちが混同して、本当にどうしていいか分からないと言う心境になる事もあります。

当の北にいる被害者が一番大変でしょうけども、今は「もうすぐ日本に帰れるから、取り返すから、もうちょっと頑張ってください」と「それまで元気でいてください」というふうに心の中で叫び、あるいは夜の星に願う。
こういう事しか今出来ない状態ですけども。
一方政府の方々、議連の要するに国会議員の先生方、さらには地方自治体の県会市会、あるいは町の中のいろんなボランティアの方のご協力がありまして、もうこの問題は政府としても後に引けないんだと。
このような重大な問題になっているはずです。

しかしながら、相手がいることですけども、ご承知の通り北朝鮮と言うのはまともな国ではない。
言ってみれば暴力団みたいな国ですから、これらと交渉してこの問題が単なる交渉で片付くのか?という心配がありますし、今まで何十年間こういったやわな交渉で、日本が相当な皆さんの税金を使って北朝鮮を支援してきた経過がありますが、これからは絶対にそんな事はさせないと。
ここで怒らなかったら、また元に戻ってしまうという事になると思います。

今回の6カ国協議の流れの中で、拉致問題と言うのは絶対にいけないと、日本にとしては重要問題と、総括的に解決しないと日朝正常化はありえない。
こういうように全くぶれない態度であたっております。
しかも国際社会の関係各国からもいろいろご支援を頂いておりますけども、やはりなんといっても当事国の日本が、自らの国民を取り返すんだという強い意思を示していただき、具体的な活動・行動、あるいは交渉、それに当たっていただきたいなと思っています。(拍手)

交渉と言うのはもちろん話し合いですけど、やはり何か後ろに力を持っていないと交渉にはならないと思います。
その力と言うのは一つは皆さんの世論、世論の大きさ・強さ、あるいは日本全体がこの問題について怒っていると言うこういった力。
もう一つは今までなんとなくごまかせて来た北朝鮮への支援を取りやめる制裁。
これは今までやっていなかったんですが、今度これを各法案を含めて制裁をしたという事は、本当に日本がこの問題を重要視して、北に対して要求を突きつけているというその流れでございます。

私たち家族会もその意味では北に対しては強く当たって欲しいと。
よくバスに乗り遅れるとか孤立するとかっていう話がありますけども、孤立しても乗り遅れてもいいんです。(拍手)
日本はやるんだと、・・・(拍手で聞き取れず)と言う意思があれば、全くそういう事は無いと思います。
今回、安倍さん、残念ながら辞任しましたけども、今回の福田総理におかれましてもこの問題を絶対に自分の手で解決するといってくれましたし、私たちは安倍さんに代わってこの問題をきちっと受け止めて、最重点課題として取り組んでいただきたいなと言うふうに思いますし、これからもその辺は訴えていきたいと思います。

少なくとも北朝鮮との交渉の中で拉致を取引の材料にだけはさせたくないと。
例えば拉致問題について、北朝鮮にいる日本人を再調査しますとか、再調査するから人道支援として米を何十万トンか寄越せというような話がチラッと出ていましたけど、とんでもないと。
まず、北朝鮮による拉致と言うのは全く国家的な犯罪であって、人道と考えればそれは確かに水害とかで苦しんでいる人はいます。
それと全く次元が違うわけですよね?
ですから日本人の拉致が片付けばそういった支援も出せると言うようなことも条件付けて、北朝鮮を説得すると言うことも一つだと思います。

我々は素人でそういった難しい話は分かりませんが、とにかく政府にお願いするしかないんですね。
皆さんと共に、皆さんのお力を借りながらお願いしていくという事に徹して、今年もあとわずかですけども、今後の方針としては私たち家族は全国民に更なるこの問題に対する喚起をお願いして、その力をバックに政府が動きやすいように、という事で活動してまいります。
もちろん、国際社会にも訴えてまいります。
そういった事を今後も出来る限り続けていこうというふうな方針でやっていきます。

今後とも皆さんのこういった怒りをですね。
是非示していただいて、具体的には首相官邸にメール、あるいはFAX、あるいはハガキ・手紙・電話、何でも結構ですからどんどんどんどん怒りの声を、あるいは支援の声を上げていただいて、本当に日本が一枚岩になってこの問題を解決すると言う態度をさらに強くしていただきたいなと言うお願いでございます。

あまり私たち時間がありません。
一刻も早い解決を願って老体に鞭を打ってですね。
頑張りますので、相変わらずのご支援をよろしくお願いします。
本日は、今日もありがとうございました。(拍手)

2007年01月01日

06.11.19 特定失踪者家族の訴え 第4回埼玉県民の集い(11)埼玉会館小ホールにて

第4回 拉致問題を考える埼玉県民の集い
06.11.19 埼玉会館小ホールにて

『埼玉県内の拉致被害者・特定失踪者家族の訴え』

★飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)

私、田口八重子の一番上の兄貴の飯塚繁雄と言います。
先ほど挨拶しましたので次にまわしたいと思います。
私の家内でありまして、八重子の子供・耕一郎を育て上げた飯塚栄子です。(立ち上がって会釈、会場より拍手)
それから地元川口で、この拉致問題地道に活動しております2番目の兄貴の夫婦でございます。

★飯塚進さん(田口八重子さんの次兄)

私、田口八重子の2番目の兄の飯塚進です。
本日は冷たい雨の中をこんなに大勢の方がお集まり頂き、本当にありがとうございます。
日本の経済制裁以上の力が出ると思います。
どうか皆さん、拉致問題に対して高い関心を持っていただいて、ありがとうございます。(拍手)
これからもよろしくお願いします。(拍手)

★飯塚綾子さん(田口八重子さんの義姉)

私、妻の飯塚綾子です。
いつもお世話になっております。
拉致問題に対して、安倍さんが総理になって少しだけ光が見えてきたような気がします。
これからもご支援どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

★井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)

皆さんこんにちは。
私は井上克美の母です。
前橋から来ました。
でも息子は川口に勤めておりましたので、こちらにお世話になっております。
あのみなさんどうか、私も先もあんまり無いものですから、どうぞよろしくご協力お願いいたします。(拍手)

★鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)

私、特定失踪者・鈴木賢の兄でございます。
どうぞ今後ともご支援よろしくお願いいたします。(拍手)

★大平一男さん(特定失踪者・藤田進さんの従兄弟)

こんにちは。
藤田進の従兄弟の大平と申します。
皆様には日頃からお世話になり、またご支援をいただきまして大変ありがとうございます。
失踪して30年経ちますが、彼はまだ日本では20年しか住んでいないんです。
北朝鮮にそれよりも10年多い30年、行きたくもない北朝鮮に住んでおります。
早いこと北朝鮮から日本に連れ戻して、それは拉致被害者全員を連れ戻して、失われた時間を取り戻してあげたいとこのように思っております。(拍手)
これからも皆様のお力添えをいただきまして、この問題を解決していきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。(拍手)

★横山木三子さん(特定失踪者・新木章さんの妹)

こんにちは。
新木章の妹の横山木三子でございます。
兄は52年5月の21日に買い物に出たまま帰らず30年経ってしまいました。
来年は60歳を迎えます。
だんだん歳をとってしまいますので、どうか一日も早くこの問題を解決いただきますよう皆様のご協力よろしくお願いいたします。

★セイノユウコさん(特定失踪者・佐々木正和さんの母 ※漢字表記不明)

こんにちは。
佐々木正和の母のセイノユウコです。
桶川から参りました。
よろしくお願いいたします。(拍手)

★大越宏子さん(特定失踪者・江原信明さんの姉)

皆様こんにちは。
白岡町の江原信明の姉の大越と申します。
1988年5月に失踪いたしまして、それから全然、友人知人いろいろ頼りましたが音信がございませんでした。
特定失踪者となりまして、このように皆さんの前でお話させていただくことが出来ました。
どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

★佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)

皆様こんにちは。
私佐々木悦子の母、佐々木アイ子と申します。
皆様にはいつも署名やらいろいろとお世話になっております。
ありがとうございます。
うちの娘の場合も北の方で目撃情報がありまして、でもなかなかちゃんとしたあれがないもので、認定と言うほどの認定は出来ないんですけども、拉致濃厚という事で私も一応一生懸命頑張っております。
皆様、これからもよろしくお願いいたします。(拍手)

※司会 比羅岡氏(飯塚耕一郎さん主人公の漫画、「母が拉致されたとき、僕はまだ1歳だった」の紹介を飯塚繁雄さんに促す)

★飯塚繁雄さん(田口八重子さんの長兄)

前に私「妹」と言う本を出して皆様にご愛読いただきまして、ありがとうございます。
その後ですね、耕一郎が長年育った環境からこの事件を知り、さらに養子であったという事も知り、その大きなショックをですね。
胸に秘めながら描いたと言う本でございます。
漫画になっておりますので、皆さんにも分かりやすくなっておりますけども。
まずその大韓航空機の事件と言うのは、当然知っている人は知っているんですけどまだまだ少なくてですね。
もうちょっと皆さんに広めて理解していただこうと言う、そういった出だしから描いております。
やはり若い人たちにもっともっとこう言う問題を理解していただきまして、20代・30代・40代の方々にも一緒になってこの日本をすくうべく、戦いに参加していただこうという大きな悩みもあります。

それと、やっぱりこの問題はかなり時間がかかっていますけども、絶対に風化させてはならないということでは、たびたびこういった本ですとか集会ですとか、こういうものをつなげながらですね。
是非日本中に広めて強いメッセージを、もちろん日本政府はあるいは当然ながら北朝鮮に突きつけていこうと言う狙いで、出しましたんですけども。
是非お暇があったら書店でお求めください。
以上です。(拍手)

※司会 比羅岡氏(今回初めて登壇された家族に、もう一度訴えるように促す)

★セイノユウコさん(特定失踪者・佐々木正和さんの母)

すみませんです。
よろしくお願いします。
親子で離れて暮らしていたものですから、62年の11月に宮原のアパートからいなくなって、大家さんから電話があって初めて知りました。
1週間くらい前に「ちょっと出掛けてくるから」と家を出てそのまま帰ってこないみたいなんです。
警察にすぐ届けましたけども、そのままずっと何の音沙汰もありません。
すみません、よろしくお願いいたします。

★大越宏子さん

(司会より、お父様の体調がすぐれないとの紹介があったあと)
一人で弟の帰りを待っている父のためにも、皆さんの関心を寄せていただいていただく事が一番の解決の鍵になると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・

この後、藤井秀亮さんによるオリジナル曲「翼」の披露と、会場全員による「故郷」の合唱。

・・・集会終了・・・

2006年12月30日

06.11.19 横田滋さん 第4回埼玉県民の集い(10)埼玉会館小ホールにて

第4回 拉致問題を考える埼玉県民の集い
06.11.19 埼玉会館小ホールにて

『横田滋 家族会代表の訴え』

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埼玉の皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
私は昭和52年の11月15日、新潟市の寄居中学校を下校途中に自宅のすぐ近くで北朝鮮の工作員に拉致された、横田めぐみの父で横田滋と申します。
11月の15日でめぐみがいなくなってから29年が経過しました。
そして中学1年生で13歳だったのが、今年の10月5日でもう42歳になっております。
如何に長い間解決に手間取っているかという事がお分かりだと思います。

先ほどいろんな講師の方が、それから代議士の方がお話になっていますが、北朝鮮側は拉致問題は解決済みだと未だに言い続けております。
生きている人は家族を含めて全部返した。
それ以外の人は8人の人は全部死亡している。
それから曽我さんのお母さんと3人は入国の事実がなかったと言っております。
しかし第2回の小泉総理の再訪朝の際、総理は「そんなことでは日本人はとても納得しない、総理自身も納得できない」という事で再調査の約束を取り付けました。
しかし特に期限を設けなかったものですから何も北朝鮮はしなかったですけど、平成16年の8月に第1回実務者協議が行なわれて、その時に北朝鮮は調査委員会を作るという事を約束しました。
9月になってほんの少しだけ情報が提供されまして、それはめぐみが93年3月に死亡したと当初発表したんですが。

しかし蓮池さん・地村さんの子供さんが帰って来たことによって自由に話せるようになり、めぐみさんとは94年まで一緒だったというような発言をしてそれが新聞に載ったわけです。
それで北朝鮮はそれに合わせるようにして、93年3月は勘違いで94年4月が正当だということを言ってきました。
そして決定的なのは3回目の11月に開かれた実務者協議のときで、北朝鮮側はめぐみのものについてはいろいろな資料を提供してきまして、学校に入ったときの生徒証、入退院を繰り返したという事で非常に分厚いカルテのコピーとかそれから自筆のメモ、これは新潟市の住所・父親の勤務先それから家族の名前・年齢なんかが書いてあります。
早紀江の年齢だけが一つずれているという事は、2月になりますと早紀江が最初に誕生日を迎えますのでそこで一つ増えて、そして8月には弟が誕生日を迎えますので、私は増えてないので拉致されて半年くらいのうちに作られたものだと思います。
それからおそらくそのときのものだと思いますが、不安そうな顔をしためぐみの写真とそれから大人になったときのきちんとした身なりをしたベンツの横に立っているというような写真も出てきました。

しかし何といっても決定的なものは、白いテーブルクロスのようなものに包まれためぐみの遺骨と言うものが提供しました。
それはめぐみの夫であるキム・チョルジュンさんと言う人が、娘のキム・ヘギョンさん、今はウンギョンさんと言っていますがそのときはまだキム・ヘギョンさんを連れてきて、そして「これは自分が規則を破って病院の共同墓地から遺体を持ち帰って火葬した。その骨を自分の自宅に大事に保管して、特別それをみていたんだ」と言って骨を持って来たわけです。
そしてそれを外務省の方が受け取って持ってきてくださったんですけど、しかしそれが本物かどうか?と言うのは分かりませんので。
それと受け取ったときに警察庁の方も一緒に行きましたが、石ころが入っていたとか見つかっていますから、その辺のところだけは検分していると言うか確認して持って帰ったわけです。
それを新潟県警が、めぐみのことは新潟県警ですから裁判所の許可を取って証拠品として押収して、その鑑定をしました。

我々が心配しましたのは、もしこれが高温で焼かれて鑑定不能と出た場合に、
「これは夫が大事に保管したもので絶対に間違いがないんだ。しかし科学的には証明できないけど、めぐみのものに間違いは無いんだ。こんな不安そうな顔をしている子供をわが国で立派に育てて一人前の人にして、ベンツにも乗れるような身分になったけど、体が弱くて自殺をしたんだと、これで納得してくれ。」
と言われた場合に科学的に反論する材料がないわけです。
しかし帝京大学の非常に優れた技術によって別人のものと判明しました。
それが判明したのが11月の8日です。

それで私たちはこんな不誠実をする北朝鮮には経済制裁を、ということで政府に要請をしました。
そして翌12月9日に超党派の国会議員で作っています「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出する議員連盟」と言うのがありますが、そちらの席で外務省に説明して拉致議連も経済制裁をと決議したほかに、先ほど誰かさんが仰いましたように、これを救出するためには北朝鮮の政権を倒さなければ駄目だと、こういう事もその声明の中に入っております。
それから10日の自民党の拉致対策本部、それと衆参両院にあります拉致特別委員会でも制裁の決議をしておりますが、小泉総理は対話の窓口が途絶えるという事で制裁には踏み切っておりません。

そしてそれ以外の人のものも含めて12月24日に全体の向こうから提供された品物の精査が終りましたので、それを各家族に通知をしたうえで、当時の官房長官の細田さんが「北朝鮮が速やかに誠意ある対応をしなければ日本としては厳しい対応を取らざるを得ない」と、経済制裁の予告のような発言をなさっております。
しかし、北朝鮮側は「日本の鑑定は捏造だ、遺骨を返せ」とかと言うだけで全く進展もありません。

それでずっと1年以上何もなかったわけですけど、今年の2月には今度は日朝の平行協議と言うのが開かれました。
これまでは拉致の問題を北と協議しますと北朝鮮側は追及される一方なんですけど、しかしこのときは核とかミサイルの問題、それと戦争中の補償問題等も平行的に話し合う。
しかし一時的に補償問題が先に進んでも、拉致が解決しなければ妥協は無いと通知されていますし、日本はその政策を採っているという事も日本国民にも発表しています。
しかし北朝鮮側はそれに対して最後はこれは解決済みの問題だという事で具体的には全く何の動きもありません。
次回いつ開くという事も決まっておりません。

そしてこのときに代表の梅田参事官から会議の報告を頂いたんですが、しかしそのときは何の進展もなかったという報告のほかに、個人的な感じという事で3つのことを仰いました。
ひとつは日本の世論を非常に気にしているという事です。
その一例としてちょうどその時に新潟市でめぐみの写真展をやっていました。
そしてその写真展について新潟は一番被害者が多い県ですから、これは認定された人だけのことなんですけど、非常に関心の高い県なんです。
「そういうところでも写真展では2000名の人しか来なかったそうですね」という事を言ったので、梅田さんが「私もそこの展覧会には見に行ったけど超満員でしたよ。誰がそんないい加減な報告をしたのか知らないけど実際は2万5千人来たんだ」という事を説明して、その時貰ったリーフレットなんかを渡して来たんだそうですけど、そんな日本のデパートで開かれている写真展の入場者数までもちゃんとチェックしている。
そして上に報告を上げるときは、自分の一存で報告しているようですけど、そんなことまで気にしているという事ですか。

それからもう一つは国際化という事を恐れているという事で、昔は拉致と言うとレバノンの人はもう解決済みですけど、日本と韓国しか実質的にはいなかったんですけど、しかしジェンキンスさんがお書きになった本の中で、アメリカ人と結婚した例えばタイ人とかそれからマカオの人とかいろんな国の人、今では東南アジア・ヨーロッパ等を含めて12ヶ国の人が拉致されています。
ですからそうした非常に国際的な包囲網が強まってきて、国連でも北朝鮮に対して非常に厳しい提案が採決されることになりましたし、それからサミットの席でも拉致の問題が取り上げられる。
ASEANの会議でもやっぱり北朝鮮が非難されると、非常に国際的な圧力が高まってきている事を恐れていると。

それと3番目には、その当時はまだ日本も経済制裁をしてませんけど、アメリカの金融制裁が非常に効いてそれで資金が凍結されて経済的に行き詰っているという事を仰っていましたから、その制裁と言うのは強化されて来ておりますから、もっともっと困窮していると思います。

そしてですからこのまま何もしなければ自滅の道を歩く。
そうでなければやっぱり、核や拉致問題を解決してそして国際的に歩み寄ってきて、そして食糧援助を受けるとか金融の援助を受けるという、ならざるを得ないと思いますので。
最近は非常に政府もなんと言いますか、北朝鮮に対して厳しい政策を採りましてミサイルを発射したらその日のうちに、お昼ごろには船(=万景峰号)を止めるって言う事を決めました。
それから核の実験がされたときにも、やはり制裁を強化と言うことで非常に熱心にやってくださっていますので、その効果が必ず出て来るんだと思います。

ミサイルが出たときに、ちょうどその日に万景峰号が入港していたんですけど、それで新潟県の県議の方から埼玉県の先ほど言った県議会議員の全国協議会と言うのがありまして、その事務局は埼玉県が担当しています。
それで新潟から埼玉に連絡があって、埼玉県の議長さんがすぐ文案を作って、政府が発表する前に「国民の意思として制裁をしてほしい」と言う依頼を提出してくださると、地方議員の方も非常に一生懸命やってくださっております。

それと今年の5月の始めに、めぐみの夫がキム・チュルジュンという北朝鮮の人だと言われていましたんですが、しかし1977年78年に韓国の海岸から拉致された5人の高校生のうちの一人であるらしい、と言う情報が入ってそしてその5人の方のお母さんから血液とか口の粘膜を提供を受けて。
キム・ヘギョンさんのはすでにめぐみと親子関係を証明するためにDNA鑑定は終っていますので、それを調べた結果金英男さんのお母さんとキム・ヘギョンさんが肉親関係にあると高い確率で鑑定されたわけで、同じ鑑定をソウル大学でやったんですけど同じ結果が出ております。

そしてその事が分かるとお母さんとお姉さんが北朝鮮へ行って対面をしたわけです。
しかし予想されたように金英男さんは、「自分がキャンプに行っているときに船の中で寝ていたらそのボートが流されて北朝鮮に救助された。そして医療制度とか教育制度が非常に充実しているので自分の意思で残ったんだ」と言うような事を言っていて。
めぐみのこともはっきりと死んだとは言わないで、「死んだようだ」と言うような事を言っていました。
そして向こうに行ったお姉さんやお母さんが戻ってきて会見をしていますけど、やっぱりお姉さんも「弟の言う事を信じるしかない」と、「弟のいう事が正しい」とは言わなかったんですけど「信じる他は無い」っていう事ですけど。
北朝鮮にいる限りは本当の事は言えないわけですけど、少し悲しい情報が来ております。

そして韓国では拉致の問題が新聞の一面を飾る事は全然なかったそうですけど、それをきっかけに一面に大きく載るようになりまして、私たちが5月の中旬にお母さんに会いに行ったとき、こういった会場で面会したんですけどそのときは報道陣だけでも300人の方が来るほど関心が高まっております。
しかし政府はやっぱり離散家族を抱えていますので、拉致の事を追及して離散家族の再会なんかが出来なくなると困るという事で、余り熱心ではないわけです。
そしてその時感じたのは韓国と日本で一番大きな違いは、韓国は朝鮮戦争のときに拉致された人が1万4千人くらい。
この人たちは非常に高齢ですから中にはほとんど亡くなっているかもしれません。
日本と同じように拉致された人は480人くらいおられるわけです。
そしてその人たちは交渉で帰って来た人はひとりもいませんけど、一部脱北して逃げ帰った人はいます。

そしてですから家族会と言うのは非常に人数は多いんですけど、日本で言う救う会と言うのが一つもないんです。
ですから辛光洙がミレニアム恩赦で北朝鮮に帰るときに、抗議活動はしていますけどそれ以外ではほとんどこういった形で世間に訴えるという事が行われていないわけなんです。
家族会だけだったら日本でも同じような形だったと思いますし、しかし当時ひとつだけ支援団体が出来たわけなんです。
ちょうどめぐみの事が明らかになったときには新潟に支援団体が一つだけできて、それがその時の秋になって先ほど佐藤さんのお話にありましたように東京に支援団体が出来て、それがだんだん発展的に東京って言っていたのがそれが埼玉の会とか千葉の会・神奈川の会というふうに分かれて大きくなって今は全国に救う会が出来て、そしてそれがこういった集会を開いて国民世論を高めて、その結果が現在きているという事なんです。

ですから日本だと国民世論が盛り上がらないと言うと、例えば国会が昭和63年に取り上げられたときでも新聞が報じなかったわけですから、それからテレビの中継もありませんでした。
そんな事があるって事は知らない世間だったわけです。
ですから政府とか議会関係者は知っていても、一般世論が知らなければ救出運動は起きませんし、家族の人も黙っていたから、ほとんどの人が拉致があると知ったのはめぐみの事が取り上げられた平成9年2月のことなんです。
そしてその後変わって来たんですけど、如何に皆さんが関心を持ってくださるか?という事が解決のための大きな力となっているわけです。

そして政府の認定と言うのは今のところ16人で、明日松本京子さんと言う方が追加で認定されると言ういふうに、それは官房長官が仰っていますから、それは間違いなく認定されると思います。
私は鳥取に行ったときに松本さんのお母さんに会いましたけど、もう今は83歳とか言っていますけど、松本京子さんと言う方はお母さんの作った漬物があればご飯のあとのおかずが要らなかったという子供だったと、お母さんは仰られていました。
それで秋になったら漬物を作るんですけど、秋になったら浅漬けみたいのを作って、それから後のやつは干し方を少なくして塩を少なくしてと言うものですから、それは発酵してしまいますから夏まで持ちませんですし。
いろんなのを作っていつ返ってきてもおいしいたくあんが食べられるようにといって、やっぱり親の気持ちと言うのは同じことです。
子供を思う気持ちは同じです。

そして今日お見えになっている(特定失踪者の)皆さんも、今の段階では政府の認定という事は行われていませんけど、やはりそういったことも一日も早く認定される。
これ認定されるという事自体が目的では無いんですけど、やはり政府間の交渉では認定している人はどうしても相手方に強くいえますけど、そうでなければ松本京子さんの場合でも平成14年小泉総理が訪朝した直後の10月のクアラルンプールで開かれた会のときでも、「こういう人もいるはずだ」とか言いますけど、やはり認定されていませんと向こうは当然「そんな人は入っていない」と言うようなことで進展しないので、そういう点では解決のためには一日も早く認定が進めばいいと思っております。

ですから皆様方がこうやって関心を持ってくださるという事が政府を動かして進展して行きますので、現在死亡または入国していないという人以外にも埼玉県だけでも且つ名乗り上げた人だけでもこれだけいるんですから、全国的には相当大勢の方がいらっしゃいます。
そういった方々を救うためにもぜひ皆様方が拉致問題に関心を持って見守ってくださる事が、助けるための唯一の方法だと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

2006年12月20日

06.11.19 鈴木智さん 第4回埼玉県民の集い(9)埼玉会館小ホールにて

第4回 拉致問題を考える埼玉県民の集い
06.11.19 埼玉会館小ホールにて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の挨拶』



こんにちは。(「こんにちは」の声)
はじめまして。
私拉致問題を考える川口の会の鈴木と申します。
現在拉致被害者救出については、明かりの見えないトンネルを手探りで出口を求めているというような状況下にありますが、いかなる状況下にありましても終始「北朝鮮に拉致された被害者を救出しよう」と、この言葉には私ども家族の胸を打ち、お力添え・ご支援をいただきますことには、精神的な大きな支柱となっておりまして大変ありがたいことと、本日お休みにも関わらずご参加いただきました会場の皆様、このような場をご準備いただきました埼玉救う会の皆様に心よりお礼を申し上げます。
日頃のご支援、ありがとうございます。(拍手)

川口の会の立ち上げにつきましては、田口八重子さんの実家の地元、町内会からの発信でございまして、田口八重子さんのご家族と行政からの支持・支援を得て、「田口八重子さんを救う市民の会」として発足し、その後本籍・住居・勤務先等川口市と大変関わりの深い特定失踪者家族が加わりまして、家族・市民・行政と三位一体となった会の特徴から「拉致問題を考える川口の会」としてスタートし、署名・アピールあるいは陳情等の広報活動を行ないながら現在に至っております。
一例としましては私ども2003年、4年、5年と3回に亘りまして24万人分の署名簿を官邸・内閣府に提出をしてきましたが、2004年には行政のトップが、先ほどお話いただいた、こちらにもおられます飯塚繁雄さんはじめ私どもの家族・支援者と共に首相官邸に赴き署名簿を直接手渡し、その当時の内閣閣僚・政党のトップとお会いしまして、拉致被害者の早期救出・拉致問題の解決について訴えていただき、強くアピールをしていただきました。

その時私の脳裏に今でも刻み込まれているコメントとしまして、ひとつに「拉致被害者は必ず救出する」
ひとつに「家族と共に戦う」とこのように言っていただいたのは、ご自身の決意を表明されたのは当時の安倍自民党幹事長でございました。
私どもそれ以来皆様のご支援を得て救出活動を続けておりますが、さらに国民の声を大にして世論の盛り上がりとして、安倍政権を後押ししていきたいと思っております。

一方では拉致事件はいまや国際的にも認知されて、いろんな動きが出てきておりますが、何といっても現在核問題が大きな焦点となっております。
先ほど佐藤会長の方からもお話がございましたが、拉致・ミサイル・核とわが国はとんでもない大きな課題を今背負っております。
私考えますのに、拉致被害者の救出という事についてはまだまだ遠い先に長い年月を要するんじゃないか?というふうに考えております。

がしかし、拉致事件を未解決にして次の世代に先送りする事は絶対に出来ません。(拍手)
なんとしても我々の世代で拉致問題を解決せねばならないと思っております。
この拉致事件を解決できないとなった場合には、未来永劫末代に亘って国の大きな汚点として屈辱を背負いながら後悔をしなければならないと思っております。
どうか皆様にも更なるご支援をいただきまして、救出活動を加速していきたいと思っております。
本日はありがとうございました。(拍手)

2006年12月18日

06.11.19 佐藤勝巳氏2 第4回埼玉県民の集い(8)埼玉会館小ホールにて

第4回 拉致問題を考える埼玉県民の集い
06.11.19 埼玉会館小ホールにて

『佐藤勝巳 救う会会長の講演 その2』



〜〜正念場を迎えた拉致問題〜〜

アメリカの対北朝鮮政策は失敗とまでは行かないけども、核を放棄させるのとは正反対の核実験が出来る能力を金正日政権に与えたんです。
ということが、日本や韓国や台湾に考え方が生まれてくると、認識が発生してくると本当にアメリカの対北朝鮮政策を信用していいのかどうか?という極めて難しい問題が発生して来た訳です。
その表れの一つが中川昭一さんの「核議論はあっても良い」と言う問題提起です。
私は、後で北京の話をしますけど、あのアメリカ政府の動きを見ておって、初めてアメリカが北朝鮮の核問題に本気になったなと。
それまでは率直に申し上げますけど、ちゃらんぽらんといい加減なものです。
いや、そういう言い方をすると誤解を受けるから正確な言い方をしますが、アメリカはアメリカの国益に基づいて世界政策をやっているんです。

アメリカの国益、アメリカの認識と言うのは中東です。
だからアフガニスタンに、イラクに、そして今はイランに、という事です。
これはアメリカの世界戦略・国益から考えて、そうなっているのは当たり前のことです。
北朝鮮の金正日なんていうのは、人口高々2200万。
そんなものが少々核なんか持ったってたいした事は出来ない。
第一アメリカに届くミサイルは無いんです。
アラスカに届くミサイルも無いんです。
せいぜい届くのは1300キロですから、4000とか7000とか言うふうに飛ぶミサイルは無い。
アメリカの安全保障にとって北の核開発はそれほど怖いことでは無いんです。
ですから適当に付き合っていた。

もう一つ、中国です。
中国はアメリカの政権よりもさらにいい加減な付き合い方を北とやって来た訳です。
あるいは北の核を利用して、自分がアジアにおける覇権を握りたいという態度を一貫して取り続けてきました。
ところが7月、北がミサイル実験をやる。
明らかになったわけです。
これは、誰かは分かりませんよ?
誰か分かりませんけど、多分私の推定では唐家センだろうと推測しているんですが、表面に出ない北と中国とのやり取りで「ミサイル実験は止めたほうがいい」
これは北朝鮮の方は、「我が方の自主権に基づく軍事演習である。中国からあれこれ言われる筋合いのものではない」
「そうか、やれるものならやってみろ!」
こういう会話が交わされた。
結果、7月5日、どか〜んと7発やったわけです。

で、次は核実験だ。
中国側は「やめろ」と、「そんなことをしたら大変なことになる」と、再三再四、公式非公式に北朝鮮に圧力をかけた。
全部蹴飛ばして核実験をやったんです。
いや、具体的に申しますと7月の5日にミサイルを発射して、中国は何をやったか?と言うと7月末には瀋陽軍区。
これ、30万の軍隊を持っているんです。
中国東北の瀋陽に本部を置く。
これの主力精鋭部隊と北京軍区の主力精鋭部隊の合同で北朝鮮国境で大規模な軍事演習を始めたんです。
その中身はミサイル部隊と戦車部隊です。
これが大々的に動き出した。
7月末です。

いつもの日本の新聞では、それが北朝鮮からの脱北者を阻止するための演習という形で報道をされております。
そうではないんです。
今度は済南軍区。
山東半島の鼻先と平壌と言うのは、あれは200キロを切るんです。
間に海はありますけども、その山東半島の鼻先で済南軍部が大規模な軍事演習を始めた。
と言うようなことで具体的には圧力をかけているわけです。
にも拘らず核実験が強行された。

で、大変面白い紹介記事がありますので紹介しておきます。
産経新聞11月4日付、ここに次のようなやり取りが紹介されています。
唐家センが二人の外務次官を引き連れて平壌に乗り込んだのは10月の19日です。
このときのやり取りです。
唐家センは厳しい口調で「国際社会の反発は絶大だ、我々も同様だ、いかなる理由でも核実験は正当化できない、再度実験したらどのような結果を招くか考えるべきだ。」
金総書記はしばらく言葉を失った。
「現時点では再実験の予定は無いと思います。」
という会談の中身が紹介されました。

今店頭で販売されている週刊文春は、この同じやり取りを次のように紹介してます。
「国連決議によって武力制裁を含む、制裁を含む内容が決定されるような事態になったとしても、わが国には軍事的には協力できない。」
ご案内のように1961年、北朝鮮と中国の間には軍事条約が締結されています。
第2条は締約国の片方が攻撃を受けた場合には自動的に参戦する、いうのが第2条です。
この軍事同盟があるにも拘らず、国連決議で武力を含む制裁が行なわれた場合は、中国は北朝鮮に協力はできないと言う通告をした。

で、今読み上げた産経の中身でこの文春の中身と言うのは表現は違うんですが、基本的には全く同じ事を言っているんです。
なぜ中国はかくも激しく北朝鮮のミサイルと核実験に反発をしているのか?
これ軍事の面だけでは無いです。
ちょっと時間が無いものですからあまり詳しく触れる事が出来ないんですが、中国と北朝鮮の防衛の動脈は中国側は丹東、北朝鮮側は新義州です。
緑鴨江の河口ですよね。
この丹東で何が起きたか?

国連決議の3日前です。
中国には国営の4大銀行があって合弁銀行があって、5つ外為を扱っている銀行がある。
この5つの丹東にある銀行の支店がいっせいに北朝鮮の外貨の送金停止をかけた。
だから中国から今北朝鮮に外貨を送金する方法は無いんです。
中国側が国連決議の3日前、10月の13日に一斉に止めました。

それから丹東のもう少し海に近いところに東の港と書いて東港と言う港がある。
この港が実は北朝鮮と中国の密貿易の本拠地です。
密貿易をやってる船が200隻くらいあるんです。
今まではこの船に中国側は食料だとか生活必需品とかそういうものを乗っけて、北朝鮮に税関を通さないで物を売っておった。
北朝鮮はどういうものを密貿易したか?と言えば、偽ドル・偽タバコなどなどを中国側に売っておったんです。

北朝鮮貿易商社は金正日直属の39号室が持っている貿易会社。
軍が持っている貿易会社です。
ここが税関を通さないで密貿易でお金を稼いでいると。
200隻ですよ?密貿易船。
洋上で取引をする。
北朝鮮の陸地で取引をする。
それで軍と金正日の資金をまかなって来た。
それに対して中国は東港を・・・(聞き取れず)を立てて閉鎖してしまったんです。
つまり金正日と北朝鮮の軍の・・・(聞き取れず)を具体的に港の使用を禁止すると言う措置で動き出したんです。

それから今まで北の軍が金儲けするのに何をやっていたか?
中国の税関職員に賄賂を渡して、中身は金だ。
延べ棒です、金の。
なのに銅と偽る。
手数料を10分の1くらいにして中国に持ち出して、そこで売り飛ばして物凄い収入を得ておった。
中国の当局は全部それを知っていますから、国連の制裁が発動されると通常の輸出、必要な書類を提出しろ。
で、提出していく。
現物を全部チェックを始めたわけです。
今までのようなインチキは全く出来ない。
このお金も実は金正日と軍に入っていた。
全部それを止めているんです、今。

だから軍事力で圧力をかけるというだけではなくて、具体的に貿易と言う側面で。
例えば北朝鮮で必要な石油の90%は、中国が供給しているんです。
貿易統計を見ましたところ、9月、中国からの重油はゼロです。
と言う形で本格的に金正日締め上げに入った。
これはジェスチャーや伊達や酔狂で出来ることではないんです。

じゃあなぜ北京がそのように、今までと180度変えた。
つまり劇的な変化、ワシントンではこれを劇的な変化と呼んでおります。
なぜ起きたのか?いう事です。
今客観的にこういう事がおきているんですね。
つまり中川昭一発言を契機にして日本に、いや東アジアに第2の核ドミノが起きる。

第一には中国が核実験をしたのは1964年です。
その核実験を見て中国と対立しているインドが核開発に踏み切った。
ところがインドと対立しているパキスタンがそれを見てまた核開発をスタートさせた。
これがアジアにおける第一次核ドミノです。
インドとパキスタンは核拡散防止条約に加盟を致しておりませんから、全くフリーです。
今度中国が北朝鮮の核を認めたら、日本・韓国・台湾が相互抑止という事で核開発に踏み切る。
いう懸念を北京は持ったわけです。

相互抑止とはどういう事か?と申しますと、第二次世界大戦後アメリカとソ連、地球上の人類を何度も殺戮できる破壊力を所有しておった。
だから片方が使ったら片方がやられる。
従って使う事ができなかった相互抑止、恐怖の平和が第二次世界大戦後ずっと維持されて来たというのが、いわば国際政治用語では相互抑止。
それを北朝鮮と日本との間、韓国と北の間で作り出さなければ自国の平和が維持できない、と言う状況が起きてきました。

そこでそうなったらどういう事になるか?と申しますと、中国をめぐって北朝鮮・韓国・日本・台湾が核で包囲される。
こういう事が北京政府にとっては懸念をされました。
従って金正日政権を倒すか、第2の核ドミノを引き起こすのか、いう厳しい選択を迫られている。
迫られているのが今の中国です。
従ってこれからどういう形であの北の政権を縛り上げていくのか?という事が、大きな課題になってきております。

で、ここから先は私の想像です、推測です。
アメリカと中国との間では軍事境界線は動かさない。
しかし、今の金正日政権についてはどのような措置をとっても、と言う合意が成立しているのではないか?と思います。

そこで、司会の方からそろそろまとめろと言うメモが来ましたけど(笑い声)、まとめますが、冒頭申し上げたように拉致の問題、これは残念ながら独自解決と言うのは非常に難しい。
核とミサイルで全部連動している、いう事でこれからです。
アメリカ・日本・中国が北の政権に対してどういう制裁を行うか?
どういう締め上げをしてカタをつけるか?といういわば秒読み段階に入ってきている。
言うふうに私は今の情勢を捉えております。

従って拉致の救出と言う点においては好ましい状況が出現している。
しかし、お集まりの皆さん・日本の国民の皆さんが断固として日本政府に「拉致を解決しろ、北朝鮮の政府政権を追い込まなければ拉致は解決しないよ」と言う声を上げていただかなければ、安倍さんがどんなに一人で拉致を解決するなんて言ったって、国民の支持がなかったらそれは難しいです。

実際拉致の問題は多くの国民に理解をいただきましたが、しかし尚、・・・(聞き取れず)にはいりますと、本当に拉致が今私が申し上げたような拉致を含めて北朝鮮との関係が死活の問題になっている。
そういうような理解はまだまだ行き届いていないと思います。
ぜひとも皆さん方のお力で拉致の解決にご協力いただければと思います。
以上で私の話は終ります。(拍手)

2006年12月16日

06.11.19 佐藤勝巳氏1 第4回埼玉県民の集い(7)埼玉会館小ホールにて

第4回 拉致問題を考える埼玉県民の集い
06.11.19 埼玉会館小ホールにて

『佐藤勝巳 救う会会長の講演 その1』



〜〜正念場を迎えた拉致問題〜〜

ご紹介をいただきました、全国協議会の佐藤でございます。
与えられた時間は40分ということですから、今のところ私が大切だとこれが問題だろうと、言う事を中心に話をさせていただきます。

現在埼玉県を含めまして拉致救出の組織は約40県に出来ております。
運動を始めまして10年目に入りました。
先月10月で丸9年、これから10年目に入ったわけです。
全国協議会の主たる救出運動の中身は、政府が全く救出をやらない。
自国の国民が北朝鮮に拉致をされているということが分かっているにも拘らず、積極的な運動をやらないのはおかしい。
「政府が自国民の生命・財産・安全を守るために先頭に立つべきである」という事が、実は全国協議会の運動の具体的中身でした。
政府が運動に立ち上がるべきだという署名は全国で約550万名集めました。
国民の強力なご支援があった結果です。

来賓の方々から挨拶がありましたように、安倍政権が出来まして総理大臣が本部長に就任をする。
官房長官が拉致担当の国務大臣を務める。
それから拉致問題に最も理解があり力を持っている元内閣参与・中山恭子さんが、首相補佐官として事務局長として就任を致しました。
全閣僚が本部員という事になって、強力な拉致救出の布陣が敷かれたわけです。
ですから私たちが丸9年間、「政府が先頭に立って拉致の救出をしなさい」と言う要求はほとんど通ったわけです、100%。

で、後はどうやって拉致されている日本人を北朝鮮から救出をするか?
どうやってするのか?
もちろん政府がやるわけです。
今は政府は紹介しましたように強力な布陣をひいておりますから、それなら日本政府だけの力で拉致を救出する事が可能なのか?いう事になります。
それは率直に申し上げてかなり難しい、いう状況に立ち至っております。

これはあくまでも私、佐藤個人の分析ですが、かつて蓮池・地村・曽我、この拉致された日本人5人が帰ってきました。
そして遅れて家族も帰ってきました。
このような中間的な解決は今後有り得ないだろうと考えております。
じゃあ、どうやったら解決をするのか?という事ですが、金正日政権が、あるいは金正日が変わらなければ拉致の解決は難しいと言うのが私の分析です。
なぜか?と申しますと、理由が日本の側にもありますし北朝鮮の側にもございます。

まず北朝鮮側の事情です。
それは5人を返した、日本に。
生存していると彼らが言ったわけですから、じゃあ返しなさいよという事で返した。
家族も返した。
北の判断としては、これで日本の救出運動は停滞するであろう・終るであろうと、その考え方の一環として横田めぐみさんの偽の骨を出して来る。
その考え方の一環として死亡診断書を出してくる。
いうインチキをやったわけです。

ところが運動もそうですし日本の政府もそうですけど、そのようなものをいろいろ精査した結果、全部でたらめだという事を逆に北朝鮮に突きつけて撤回をさせるという事になったわけです。
話を元へ戻しますと、もし中間的な解決をやったらより運動は広がっていく。
つまり自らが一歩後退する事は、日本側の世論・日本政府が二歩三歩前進してくることである。
この考え方が北朝鮮の軍を中心にして広く支配をしております。
従って拉致問題は解決をしたんだと、生きているという人間はすべて返したと、後はもう全部死亡しているんだから解決なんだ、と言うのが北朝鮮の主張です。

もう少し端的に申し上げますと、死亡診断書なんか全部でたらめで、私たちは全部生きていると考えていますから、その死んだという人たちが、実は良く調べてみたら生きておった。
で、日本に返す。
北のいう事なんか一切信用できない。
全部生きているんだ。
いう事でより運動は、世論は、盛り上がって行く事はこれは火を見るより明らかです。
それは北朝鮮の側から見ると、単に拉致問題だけではない。
核の問題やミサイルの問題についても同じ事が起きてくる可能性がある。
従って後退は絶対に許されない。
こういうのが、彼らは間違っているんですけど、彼らの考え方です。

日本側です。
比較的これは余り知られていないことなんですが、日本の拉致・北朝鮮政策と言うのは3点セットになっております。
核・ミサイル・拉致、これの3つが解決しない限り国交正常化はありえない。
ですから別の言い方をしますと、核問題は解決した。
そんなことはありえないと思うんですが、解決した。
だけど拉致の問題は解決しない。
この場合に日本は、核が解決したから正常化交渉に入るか?有り得ないです。

拉致の問題が解決しない限り、ミサイルも解決しない限り、日本側は正常化交渉に入ってお金を出すという事は構造的に政策としてなっておりません。
つまり3点セットになっています。
拉致が部分的に、あるいは2人とか3人、何かの都合で返して寄こした。
それがあれば正常化交渉に入れるのか?
そんな事はありません。

正常化交渉に入ればお金が動きます。
どんなに低く見積もっても1兆円の金が日本から北に動きます。
若干の拉致の問題・人間が帰ってきたら、しかしながら核は開発している。
そこに日本側が1兆円の金をつぎ込んだという事は、これは6者協議の経緯から言っても、あるいは日米関係から言っても、東アジアの平和と安定と言う観点から言っても、日本がお金を出すなどという事は論理的にも実際にも有り得ないことです。
ですから解決するときにはこの3つが、核・ミサイル・拉致が同時解決、言う構造になってます。
したがって拉致の問題と言うのは、そういう意味では部分解決、これは可能性としてはもちろんありますけど、かつてのような解決が期待出来るような状況には無いという事です。
そこで、じゃあどうしたら解決できるのか?いう事になります。

ここから先が実は今、大変な状況が東アジアに作り出されているという事を少し紹介をさせていただきます。
北朝鮮は10月の9日に核実験をしました。
あの核実験の中身が、長崎に落とされた4.5トンのプルトニウム爆弾と同じものなのか?
それともミサイルの頭に搭載できる核弾頭、つまり縮小された実験なのか?
これは誰も分からないです。
しかし北朝鮮がミサイルの頭に核を搭載できるような縮小技術、あるいは起爆装置の実験、必死になってやっている事だけはこれはもう明らかです。

核実験と言うのは大体最初には起爆装置の実験をやるんです。
失敗するのが普通です。
アメリカでもかつてのソ連でも全部失敗をしてます。
実験をやって失敗をする、修正する、また実験をやる。
いう事を繰り返して実は核弾頭が出来ていく。
核爆弾が出来ていく。
これが核開発の歴史です。

で、北朝鮮がもし核弾頭の実験であったとすればどういう事が起きてくるのか?いう事です。
ご案内のように北朝鮮は射程1300キロ。
日本の領土で北朝鮮の弾道ミサイルの射程圏内に入らないところは、知床半島の鼻先と台湾に近い沖縄の島々だけです。
後は全部1300キロの射程圏内に入ります。
北朝鮮はこの弾道ミサイルをどれくらい持っているか?と言うと、最小限180基持っています。
200基と言う説もあります。

このノドン1号と言う弾道ミサイルは、一旦大気圏外に出るんです。
大気圏外に出て突っ込んでくる。
北朝鮮のセイシウ(?)から、この埼玉までどれくらい時間がかかるか?と言うと、7分30秒です。
このミサイルを撃ち落す軍事技術はこの地球上に存在していないんです。
米軍も持っておりません。
自衛隊も持っておりません。
だから北朝鮮の持っている、あの180基の弾道ミサイルと言うのは、今この地球上に防御する軍事的技術は存在していないんです。
なぜ皆それをはっきり、テレビなんかに出ている軍事評論家なんかがはっきり言わないのか?

それを撃ち落すミサイル、ミサイルディフェンスの開発をアメリカと自衛隊、米軍と日本の自衛隊が一緒になって必死になってやっています。
どんなに早くてもそれが配備されるのは3年後です。
で、配備されて北から飛んでくる弾道ミサイルを撃ち落す確立は50%です。
1万トンの巡洋艦、あれの防衛指揮圏と言うのは500キロなんです。
その防衛指揮圏にミサイルが入ってきた場合は補足できる。
撃ち落す確立50%。
日本は北海道から沖縄まで巡洋艦を3ないしは4隻、配備しないと飛んで来るミサイルを完璧に捕らえる事は出来ないんです。
しかも確立は50です。

北朝鮮の核実験の日本に与える脅威というのは防御の方法が無い。
北がもし後2回くらい核実験を成功させて弾道ミサイルに搭載する事ができるとすれば、軍事的に日本は防御の方法が無いから、「何月何日まで日本は戦前の償いをしろ、金額はいくらだ、もしこれを払わなければ弾道ミサイルを撃ち込むぞ」と言われたときに、我が国は防御の方法が無いんです。
これはもう、どなたに聞いていただいても結構です。
お調べになってください。
防御の方法は無いんです。
と言うのが今我が国が置かれている現状です。
これに対して我が国をどうやって防衛していくのか?護っていくのか?ということです。

北が核実験をした。
そしたらアメリカのライス国務長官が、東京に来てソウルに来て北京に飛んだ。
一方中国の唐家セン国務委員は、北京からワシントンに飛んでモスクワに飛んで北京に帰った。
北京に帰って二人の外務省次官を引き連れて平壌に入っていった。
平壌に入って日帰りをして、ライス国務長官と北京で会談を致しております。
慌しい動きが起きて来たのは、実は今私が申し上げたように、北が核ミサイルを持ったら韓国も日本も台湾も防御の方法は無いんです。

何がそこで起きてくるか?
当然のこととして防御の方法がないという事になったら、相互抑止しかないんでは無いか?
という思いを込めて発言されたのが10月15日、サンデープロジェクトにおける自民党・中川昭一政調会長の「核議論くらいはしなきゃ駄目なんじゃないか?」という、あの発言です。
あの発言が実はワシントンと北京を震え上がらせたと、いう事です。

まず、ワシントンの側の反応を申し上げます。
ライスが日本に来て、「同盟国の安全、約束はしっかり護ります。核の傘で日本を護ります」
アメリカの高官が日本に訪ねてきて「アメリカの核で日本を護る」、言ったのは後にも先にもあのライスさんが一人です。
さらにソウルに行って同じ事を言った。
それから、なぜそんな事を言うのか?
日米安保条約があるわけですから核の傘で護るなんて事は当たり前のことです。

ですけどライス国務長官がああいう言葉を言わざるを得なかったのは、実は民主党のクリントン政権時代の8年。
共和党の今のブッシュ政権で6年。
14年間のアメリカの対北朝鮮政策と言うのは、民主党は北朝鮮に物を与えて金正日の考え方を変える。
これは軟着陸政策と言う言い方です。
ブッシュさんは物はやらない。
しかし6者協議で北に核廃棄を約束させた後、経済援助を致しますよと、こういう政策をとって来た結果、北は核実験が出来るような実力を持ったんです。

・・・その2へ続く・・・

2006年12月08日

06.11.19 田島敏包埼玉県議会議長 第4回埼玉県民の集い(6)埼玉会館小ホールにて

第4回 拉致問題を考える埼玉県民の集い
06.11.19 埼玉会館小ホールにて

『田島敏包(としかね) 埼玉県議会議長の挨拶』

皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
今日は「拉致問題を考える埼玉県民の集い」にご参集いただきましてありがとうございます。
私自身埼玉県議会議長と言う立場でご紹介頂き、今振り返ること平成15年10月8日埼玉県の県議会の中に、今90余の定数ですけれど72名の県議会を持って拉致議連を設立させていただき、その時の幹事長が私です。

平成14年小泉総理が北朝鮮に行き、その中で私自身、地方議会は何が出来るのかな?
そんなクレスチョンを持たされました。
埼玉に特定失踪者は果たして何人いるのか?
外れました。
かなりの人数17名、当時いました。

我々はじゃあ県議会議員として、その人たちに何が出来うるのか?
今何もしていないのが現実じゃないのか?
その中で何とか議連を作り、埼玉の県議会として意思を全国に発信したい。
そんな思いで設立をさせていただきました。
いろいろ勉強もさせていただきました。

それから今年の平成18年4月18日には全国の県議会議員・地方議会議員の全国組織を立ち上げ、現在その会長が埼玉県議会議員であります、深井明会長。
幹事長に先の議長をやりました蓮見昭一県議会議員が幹事長という事で、今全国の47都道府県あります中で、立ち上げたときは15だったんですけど、1年経たないうちに今25に増えました。
全国組織も今埼玉から主導しながら国を動かす力となるべく頑張っております。

先ほど武正・山根両議院から国の政策についてありました。
私どもは地方議会でございますから、日本人が分からないうちに異国に連れて行かれ、異国の一つの政策の中で使われる。
非常に悲しいことです。
日本に生まれて日本で死ぬまでは、日本国が生きるという保障をするのが国である。
その途中から分からないところへ連れ去られる。
こんな悲しい事はございません。
日本民族がこの拉致と言う言葉を国際語にしないように、早い時期全員帰国させるよう、一人ひとりの心の声、これを契機に叫ぼうではありませんか。(拍手)

私も県議会議員といたしまして、これからも皆さんと共に署名運動もやりましょう!
団体行動もやりましょう!
心からその事をお誓い申し上げ、私の言葉に代えさせていただきました。
本日は皆さんご苦労様です。
ありがとうございます。(拍手)

06.11.19 山根隆治参議院議員 第4回埼玉県民の集い(5)埼玉会館小ホールにて

第4回 拉致問題を考える埼玉県民の集い
06.11.19 埼玉会館小ホールにて

『山根隆治 民主党参議院議員の挨拶』

ご紹介いただきました、参議院議員の地元選出の山根隆治でございます。
ご記憶にある方いらっしゃるかと思いますが、小泉内閣のときにテレビ中継があります予算委員会のときに、私こういう質問をさせていただきました。
「北朝鮮との交渉の場で具体的な個人名を上げて救出、現状どうなっているのか?救出に向けて交渉をして来たその方々の国内での扱いが拉致の認定が行われていない。これはどういう事なのか?」
こういう事をお尋ねした事があります。
ほとんど答えらしい答えにならず、曖昧模糊としたものに終りました。

しかしその後数ヶ月経って一人、そして今回松本京子さん一人、ということで認定を政府としてもして参りました。
私依然、少なくとも公の場であの北朝鮮と拉致交渉をして、具体的な名前を言っている方々は一刻も早く拉致認定を即刻すべきでは無いか?いう思いで一杯でございました。
しかし、一人でも二人でも少しずつでも公表に踏み切った・認定を出来たという事は、少なくとも安倍内閣になってからのことで今回ございますし、その事は率直に評価したいと思いますけども、もっと徹底すべきではないか?と言う思いがあるという事をここでお伝えさせていただきたいと思います。

今朝の新聞を見ますと、日米首脳会談が初めてベトナムのハノイで行なわれた。
そしてその後だと思いますが、盧武鉉大統領との会談の中でブッシュ大統領はこう言ったという報道を今日目に致しました。
それは核の問題についての言及でありました。
核兵器を廃棄するという事が明らかになれば、経済の支援という事についても考えていきたいんだと、北朝鮮に対して。
という事を盧武鉉大統領に語ったという事であります。

私は、これから日本政府の責任においてなされる事でありますけども、外交の技術の問題・外交の能力が問われていると思います。
小泉前内閣から引き継いだ現在の安倍政権でも、引き続き日米関係というのはしっかりしたものであるだろうと思っております。
その日米関係と言うものが、これほど強固になっている日米関係と言うものを使わない手は無い。
ブッシュ大統領にこう言うべきではないでしょうか?

核の廃棄・廃絶と言うものを言明させる。
それが一つの条件です。
そしてもうひとつは拉致の問題、これを全面解決する。
この二つが満たされれば経済支援再開と言うものを考えても、と、こういう事をブッシュ大統領に言わせる必要がある。
私はそれを日米の交渉の中で言ったという事を、必ずしもすべて明らかになっていない情報があるかもしれません。
しかし日本政府としては私はそういう事を強くアメリカに今求めていくべきだろうと思っています。

日本と言うのは、例えば今日の新聞でもありますように、安倍総理は非常にラッキーだ。
つまりブレア首相も来年退陣する、というような状況。
そして韓国との関係もおかしくなっている。
つまりブッシュ大統領は非常に国際的に孤立して孤立感を深めている。
中間選挙でも負けた。
何かそういう時に出て来たので非常にラッキーだというふうな報道の仕方が実はありました。

これはマスコミ自身は気がついていませんけども、アメリカに従っていればいいという発想がある。
日本はアメリカに従わざるを得ない、やむを得ざる事がたくさんあります。
軍事の問題からいろいろトータルで気遣いしなければいけない、仕方ない面がある。
しかし私たちの日本の外交と言うのは日本の国益をしっかり持っていて、今はこのことでアメリカに従っているけれども、あるいは煮え湯を飲んでいるけれども、本当は自分たちはこう考えているんだというものを、しっかりしたものが腹に中にないと、本当の外交なんか出来ない。
つまりアメリカを上回る、強かなというと語弊があるかもしれませんけども、そうした外交があって然るべきだ。
それが厳しい国際関係の中でも外交の有り様だろうと言うふうに思っています。

先日も核兵器の問題で今いろいろな議論が国内で起きて来つつありますし、議論することさえいけないんだ・いいんだという事があります。
先日お手洗いで麻生外務大臣とトイレ会談といいましょうか、数分間したことがありましたけど、もしもう一度麻生外務大臣にトイレで会うことがあったら、こういった事もしっかりと伝えていきたいと思っております。

いずれに致しましても私も拉致議連の一人としまして、しっかり働く事をお誓いしてご挨拶に代えさせていただきたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)
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