2005年12月13日

三多摩市民集会(9)05.11.21 立川アイムにて

『増元照明 家族会事務局長のお話 その2』

あの先ほども言いましたけども、日本と北朝鮮の不正常な関係がこの拉致問題を生んだというふうに、ここにも書いてありますが、皆様ご存知のようにタイからも78年に拉致をされております。
マカオからは3人なんですが、その内の(ひとりが)タイ人なんですよ。
もちろん連れて行って何処の国の国籍かと言うことを調べればタイだとすぐ分かったでしょう。
そのタイと言う国は1975年に北朝鮮と国交を樹立しています。
で拉致されたのが1978年、3年後なんです。
すなわち今日本の中でちょっと、馬鹿な事を言うコメンテーターが一杯いるんですけども。
国交正常化が成されれば拉致被害者も帰ってくるではないか?と言う方たちがいらっしゃいますが、国交のあった国からも拉致をしていってるんです。

更にマカオもです。
マカオというのは昔はポルトガル領でしたけれど、今は中国なんです。
一番親しい中国の国民であるマカオ人、当時はマカオ人でしたが今は中国人です。
孔さんと言う方と蘇さんと言う方ですね。
ふたり拉致して行ってる、しかもマカオから拉致して行ってる。
これは不正常な関係があったから拉致が起こったんじゃない。
レバノンもそうです。
レバノンも通商部、たしか北朝鮮に通商部が置いてあったはずです。
さほど悪い関係ではない。
だからどんなに仲が良くてもどんなに国交正常化をしていても北朝鮮は拉致をしていってる。

それは何故か?
1976年に金正日が拉致強化指令と私は言っておりますが、それまでの南朝鮮の赤化統一が中々進まない事を見て、彼が掌握した3号庁舎と言う工作機関に対し、命令を出したのが1976年です。
ですから77年、78年、やたら滅多らあちことから拉致をして行ったんだと思います。
日本でも一番認定者が多いのは77年、78年です。
でも余りこうやたら滅多ら拉致して行ったので、教育係として不適格な人がいたと言うことなんですね。
曽我さんの場合は間違えて連れて行かれたと言われているようですけど、それも分かりません。
先ほど荒木さんが仰ったようにそれ以降、向こうは選定するようになったんではないか?
有益な人間だけを連れて行った。
ですから日本で必ず協力者がいて誰を連れて行けば良い、それをこいつを連れて行こうと、そういう選定をしていったんだと思います。
それがこれだけの特定失踪者が生まれた理由だと思います。

金正日が拉致を認めて3年、我が国は未だに協力者さえ捕まえていないんですね。
田中実さんの場合、ちゃんと曹廷楽と韓竜大というちゃんと実行犯と言うか協力者が分かってるんですけども、手を付けられないんです。
手を付けるか付けないのかどうか?なぜ付けないか?ちょっと僕には分からないんですけれど、日本にはスパイ防止法とかそういうのがありませんから。
まずやるべきはそういう方たちを逮捕して取り調べる法律を作るべきではないでしょうか?
3年も経って何も出来ないと言うのはおかしいと思います。
自由に日本の中を工作員が動いているというのはおかしいです。

私たちは経済制裁でまず万景峰号を止めろと言ってます。
万景峰号は大型工作船としてもすでに安明進も認知してますし、とにかく3号庁舎の工作機関の下に籍を置く船であると言う事。
あの船で日本の破壊工作の指示が出されていると言う事。
これはすでに多くの脱北者、それから元工作員の話から出ているわけです。
その船が堂々と新潟に入ってくるわけです。
更にあの船でもしかしたら拉致被害者が連れて行かれた可能性もある。
そんな船を、私たちの家族もまだ返していない国の船が定期的に新潟に受け入れる事事態が、私はおかしいと思います。
国家としてなんら意思を示さない事がおかしいと思います。

この船の入港に関して最初は36社、今油濁法でしたっけ、船舶の。
油濁法の改正がありまして施行されているんですけども、世界に通用する36社の保険会社の物しか認めないと最初は国交省は言ってたんです。
それがニュージー(ランド)の変な会社の保険に入った。
万景はバミューダの会社の保険に入ったそうですが、そのオーナーは過去に2回会社を潰して賠償金を払わなかったと言う実績がありますから、そんな保険会社の保険に入ったと言う事で私たちの国はそれを認めてしまったんです。
36社から外れているにも拘らず、何でそんな事をしたのか?

国交省の人間が永田町から風が吹いたと言っておりますので、おそらく永田町の政治の圧力があったんだと思います。
それだけ政治家の方たちには、どうしてもあの船を入れなければいけない許可しなければいけない、何らかの理由があるんだと思いますが。
証拠が無いんで、これを私たちが言うとまた訴えられますので、テレビの前ではなるべく言わないようにしているんですが、証拠が無いのがとにかく問題だと思いますね。
証拠があれば今政界に巣食う本当の悪を出していけるんでしょうが、証拠を出す為には朝鮮総連への家宅捜索だと思います。
朝鮮総連に破防法をかけて全ての書類を出せば、あそこに必ずどの政治家にいくら金をやった、何年の何月にお金をやったというのが必ず出て来ますから、出していただくしかないと思います。
警察の方もおられるみたいなんで、是非それはお願いしたいんですけど。

この前科学技術者協会に朝鮮人参の事で家宅捜索がされたようですが、あの時にパソコンを全部持って行かれたみたいなんで、いろんな情報を入っているパソコンを持っていかれたようです。
それを是非生かして頂きたいと思います。
なぜ?科協に家宅捜索が入ったか?
非常に議連の方には失礼だと思うんですけども、佐藤会長はたしかアメリカがやれと言ってその許可を出したのではないか?と言うことを仰ってます。
あの同時期にアメリカはマカオの銀行、北朝鮮がマネーロンダリングをしている銀行に手をつけております。
同じ時期です。
ただし、アメリカは北朝鮮ではなく、金正日の懐に入る銭を全部シャットアウトし始めました。

そして科協と言うところのトップは、中国にある、中国と日本の合弁会社である会社に、日本の本社にミサイルの部品やそれから・・・(聞き取れず)の部品を注文するように指示を出した責任者が科学技術者協会にいるわけです。
ですから科学技術者協会のトップを止めるという事は、日本からのミサイルの部品を止められると言う事です。
このために警察は入ったのではないか?
それが一番の目的だったんだろう。
それはアメリカとの連動があるんではないか?
更にはアメリカが本腰になってきたという。
ただアメリカは中東問題を抱えてますし、国内の問題を抱えています。
最終的にどちらを取るかまだ今決めかねていますが、長い時間あの金日政権を放置するとは思いません。
私たちはアメリカに行って、どうも今の政府の関係者たちはもっと早いスパンであの国に大きな圧力をかけ始めているんではないかと言う気がしています。

だから中国に圧力をかけて始めている。
中国はあの国の宗主国です、北朝鮮の。
中国が本気になればあの国を諭す事ができるし、あの国に命令することができる。
あの国へのパイプラインを断ち切ることによって、北朝鮮に大きな圧力をかけることが出来るんです。
6者協議だってそうです。
北朝鮮と言う小国と、他は全部大国です。
ロシア・中国・アメリカ、軍事大国です。
日本も経済大国です。
韓国だって一応世界で11番目か12番目の経済大国なんです。
その大国が5カ国も集まって、北朝鮮に対して何も諭す事もできないし言う事を聞かせる事も出来ない。
これは私は絶対に中国が裏で何かやってると言うふうにしか思えません。
それでなくてはあの北朝鮮に何かいうことを聞かせるのは簡単だと思います。
あの6者協議の中で。
それが出来ないんですから、それは大きな国、やっぱり中国の何らかの意図があるんではないかと思います。
私たちは中国に対してもこれからはちょっと厳しい目で見ていかなければならないんではないでしょうか。

中国と言うのは人権問題に対しても自国の事もありますから、とにかく反対する22カ国の中に入っています。
常任理事国ですからこのまま安保理付託になって経済制裁が論議されても、ロシアと中国がふたり拒否権を発動すればそれで出来なくなるんです。
ですからこれは中国に対して人権と言う事で世界中から大きな圧力をかけて行かなければならない。
2008年のオリンピック、こんな人権の無い国でやれるかと。
スポーツの祭典、平和の祭典で、そんな大きな祭典をなぜ人権の無い中国でやらなければならないのだ。
人権を考えない中国でやらなければならないんだ?と思ってる方たちがアメリカにはいらっしゃいます。
私たちも人権と言う言葉で中国を攻めて行かなければならないんではないでしょうか?
2008年のオリンピックまで、オリンピックを開催する国は人権を重んじるべきでなければならない。
その声を上げていけば中国だって多少動かなければならないと思います。
ましてや北朝鮮の2000万と言われる人民の苦しみを未だに放置しているようなそういう国であってはならない。
北朝鮮の人権非難決議に対して、反対を投じるような国ではあってはならないという自覚を持たせなければならない、と思っています。
それが一番の早道だと思いますが。

それにつけても私たちの国がまずやらなければならないのは、経済制裁の発動です。
制裁は単なる政策手段ではない。
同義的な声明であると言う事。
これはブッシュ大統領がカストロ政権に対し制裁を継続するときに言った言葉です。
同義的声明だと言う事です。
効果の有る無しではないです。
日本の国が北朝鮮に対して、私たちの国が拉致被害者を救出するためには大きな力を使いますよ。
そしてあなたのやってることは悪いんですよと言う声明を発するのがこの経済制裁の発動です。
それを出来るのは我々の国しか有りません。

韓国はすでに盧武鉉政権になってそれをやる気はありません。
しかし私たちの国はそれができる国であるし、それだけ大きな影響力を持っている国であるということ。
もうちょっと考えていただきたいです、国会議員にも。
そしておそらく国民の皆様にも覚悟を突きつける事だと思います。
それは怖いでしょう。
怖いからといって何もしなければ結局私たちの国は何も出来ない国になってしまいます。
それで良いというのであればそれで良いのかも知れない。
私はでもそういう国であってはならないと思います。
脅しに屈して何も出来ないような国には成りたくないし、お金だけ渡して何もされたくない国にはなりたくないと考えています。

先日テレビで言ってました。
どこかの中学校に父兄が怒鳴り込んで数時間も教師それに校長を缶詰にし、そして最終的には80万のお金を払った。
コメンテーターは、「何で毅然と出来ないんだ?」と言っておられました。
「何で毅然と出来ないんだ、いくら父兄が何と言おうと、それはちゃんと教育現場にいた人間が毅然とすれば良いんではないか?」と言っておられましたけれども。
今の日本は果たして毅然としているんでしょうか?
北朝鮮のむちゃくちゃな言いがかりに対し、そしてむちゃくちゃな言い分に対して、私たちの国は毅然として言ってるんでしょうか?
それを全く批判しないでその校長だけを批判するのは、片手落ちだと思いますが、コメンテーターの方たちもご自分の覚悟につながることに関しては中々発言が出来ないのか。
自分の身に降りかかるかもしれないその恐怖に対しては何も言わないで、その校長に対してだけ責任転嫁をしているように感じて私はちょっと非常に残念でなりませんでした。

でも私たちは皆さんにもお願いしたいと思います。
これは皆さんにも多分覚悟を決めて、この拉致問題と言うのは皆さんにも覚悟を押し付けると言うか、なんて言うのかなぁ。
皆さんにも覚悟をしていて頂かなければならない問題なのかもしれません。
それは国家の中で論議すれば、国民の皆さんの中で論議していただきたいと思います。
私はその一つの大きな転換点としてこの拉致問題を皆さんにももっと深く考えていただきたい。
このままで良いのか?本当に我が国は。
本当に私たちの国はこのままで良いのか?

100人200人守れない国は、1億2千万守れるはずが無いんです。
本当にこれから先安全を保障する為にも私たちの平和を確保する為にも、国民の皆さんにもっと考えていって頂きたいと思います。
これはどっちになるか分かりません、私。
でも論議はするべきだと思います。
経済制裁の発動をするのかしないのか?
郵政民営化で投票をするのではなくて、国会の中で経済制裁をいつ発動するのか。
その論議をして国民に問う事も良いのではないでしょうか?
是非お考えになって頂きたいですし、私たちは家族を取り戻す為に絶対に一歩も引かない構えでおります。
皆さんと一緒に話してそして家族を取り戻していきたいと思っています。

是非ご協力をお願いします。
生意気を言って申し訳有りません。
ご協力をお願いします。(拍手)

2005年12月12日

三多摩市民集会(8)05.11.21 立川アイムにて

『増元照明 家族会事務局長のお話 その1』

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こんばんは。(会場より「こんばんは」の声)
今ご紹介を頂きました、家族会の増元です。
今ちょっと長時間に亘って重い話ばかりなので皆さんお疲れだと思いますけど、もう少しお付き合いください。

今わたしたち家族会と救う会で何をやっているか?
小泉さん任期中に国交正常化だけは何としても阻止しなければならない。
それだけの思いで、今年中、とにかく12月の22日の国民大集会まで各地で集会を催しています。
そこで国民の皆さんに喚起し、小泉さんの暴走だけは止めないといけないと思っております。
でも今回の組閣で、安倍さんが官房長官になられたので最悪のことだけはないだろうと。
それだけは期待して良いんではないかと思います。

小泉さんの人の上手い使い方と言うところなんでしょうけれども、前拉致議連の会長の中川さん。
最初の、新しい拉致議連が出来たのが2002年の3月です。
その時会長になられたのが石破さんです。
そして9.17以降最初のその会長であった石破さんを内閣に取り込みまして、その次に会長になられましたのが今農林水産大臣をされております中川さんです。
そしてその方を組閣の時に経産大臣に取り込まれました。
で、安倍さんは幹事長に選ばれました。
ほとんど小泉さんに批判的なことを言う人を内輪で囲っちゃって、中々言えなくしてしまった。
仕事を与えて忙しくして、拉致の問題にのめり込まないようにしているという状況があるんではないかと私は思っています。

平沼さんがその後会長になられたんですが、平沼さんは今度はポスト小泉として名を上げられたんですね、一回。
そしたら郵政民営化で、なんかはめられたんじゃないか?と私は思うんでありますけども、造反組と言われる方に拉致議連の会長、事務局長、それから副会長と、3人主だった方がいらっしゃいまして、結局皆さん方は自民党から出されております。
自民党内でこの拉致問題を強く言えるのは安倍さんだけになっている状況です。
非常に私たちは危惧しておりました。
どうなるんだろう?と。
小泉さんは昨年の8月17日でしたか、私の任期中に国交正常化をやると仰ったので、それも冠に拉致問題の解決を言わないで国交正常化をやると仰ったので、これはとんでもない事になったと思ったんですが。
今回の組閣で安倍さんを官房長官にしたので、もう拉致問題をおそらくどうでも良いとお考えになっているのかな?と思っております。

私は何回も言っているので、皆さんも聞かれていると思いますけど、小泉さんが拉致の扉を開けたのではございません。
これだけは何回も何回も言わせて頂きますが、ブッシュ大統領の2002年の一般教書、その前年からのならず者国家と言い始めて、そして悪の枢軸と言って。
ここにも現代コリアにも書いてありますけども、本当に今のままで核の開発をしていたら核攻撃も辞さないと言う、悪の枢軸と言う発言に怯えた金正日が日本と仲良くしなければならないと思ったんですね。
日本と仲良くすれば、アメリカと日韓、日米に楔を打つことが出来るし、良くすればアメリカの武力制裁のときに日本が止めに入ってくれるんじゃないか?
更にもう一つ、経済的な事情がありますから、国交正常化が成されれば一兆円強と言う二兆円と言うODAが行くと言う。
そうすれば磐石な金正日体制が出来ると言うわけです。
一石3鳥があった。
ですから金正日が拉致を認めて、国交正常化をしようと持ちかけたんです。

与党は1990年以降ずっと日朝国交正常化。
正常化と言うと荒木さんがよく言うんですけども、日本と言う不正常な国家と北朝鮮と言う不正常な国家が、国交を樹立してもそれは正常化とは言わないだろうと言ってるんですが。
確かにその通りです。
まず日本と言う国を正常に戻し、更に北朝鮮と言う国を正常に戻してから国交樹立をしないと国交正常化とは言わない事を私も確かにその通りだと思うんですけども。
これをとにかく自民党それから政権与党は目指して来ておりました。
ですから小泉さんにとっても渡りに船でしょう。

小泉さんはまさかなれないと思っていた総理になってしまった。
その次に何を望むかと言うと権力を握った人は後は名誉欲だと言うことらしいですね。
金大中がそうであったように、まさか私はノーベル平和賞まで狙ってないとは思うんですが、とにかく今高校の教科書に載る。
日ソの鳩山、日中の田中、そして日朝の小泉と。
それを望んで日朝国交正常化に走り始めたというのが事実だと私は思います。
金正日が入国を認めて一緒にやろうよと言って許可を降ろしたから小泉さんは(平壌へ)行けたんです。
小泉さん、日本政府が向こうに積極的に働きかけて、拉致問題をどうにかしろと言って向こうが答えるはずがありません。
それまで食料をやってもでっち上げだと言っていた国です。
それが急に2002年の9月17日に認めたのはアメリカの武力攻撃が怖かったからです。
それだけはまず間違いはないでしょう。
その後の小泉さんの動向を見ていると、私たちはそう納得せざるを得ません。

まさに2002年の9.17は日朝国交正常化のための第一歩があったということです。
それが日朝平壌宣言と言う奴ですね。
いまだに小泉さんは日朝平壌宣言、平壌宣言ですよね?
あれを遵守する限り経済制裁の発動はないと言ってますが。
日朝平壌宣言と言うのは、田中均さんと向こうのミスターXという実務者が、9.17の一月くらい前に草案をし、そしてそのまま変更なくサインがなされた物です。
あの9.17の日に「5人生存8人死亡2人不明」というその言葉を聞いて、なぜ小泉さんは追及してくれなかったのか?
いつ何処で、どうやって死んだのだ?と。
このままでは私はこの平壌宣言にサイン出来ないと、何故そこまで言って頂けなかったのか?
黙して唯々諾々と平壌宣言にサインをされました。
それは最初っから結局この平壌宣言ありき、それから国交正常化、そして多大の経済協力と言うそのラインが出来ていたからだと私は思っています。

その平壌宣言、拉致の拉の字も書いてない。
私がその読ましていただいてすぐ外務省の平松さん、当時のアジア課長ですが、に電話しました。
「どこに拉致の問題が書いてあるんですか?」と私聞きましたら、「いや書いてあります」と。
「どこなんですか?」「3番目に書いてあります」って言うんですが。
その3番目の文言を読みますと、「双方は国際法を遵守し互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また日本国民の生命と安全に関る懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国は日朝が不正常な関係にある中で生じた遺憾な問題が今後適切な措置をとる事を確認をした」
この日本国民の生命と安全に関る懸案問題が拉致だって言うんですね。
常にこうやって言葉をごまかしながら、私たちの国は北朝鮮に対し、接していってる。

前回の6者協議でもそうです。
そして今月行われた日朝協議でありますが、拉致と言う言葉は使われていません。
懸案問題と言うふうに、必ず懸案問題と言うふうに書かれているんです。
で、日本側からすると懸案問題と言うと拉致になるんですけど、北朝鮮側から懸案問題とすると36年の植民地支配になるわけです。
どっちからも解釈できるような言葉で日本政府は北朝鮮と交渉しているわけです。
ですから何もこれ以上、日朝の協議の中で拉致が進展する事は無いんではないか?と私は思っています。

更に私は今の外務省の体制って非常に強いと思ってるんです。
麻生さんはまた別個にしても、谷地事務次官。
あの方は昨年の12月に事務次官になられましたが事務次官になられたと同時に、「全て拉致被害者は生存を前提で私たちはこれから交渉します」と初めて日本政府の中で拉致被害者の生存を口にされたのはあの方が初めてなんですね。
で、これからは私たちは拉致被害者を返せと言う立場でやりますと言うふうに仰いました。
そして佐々江局長に代わられましたけど、更に斎木審議官。
斎木審議官は日本史上初めて北朝鮮に机を叩いて交渉した初めての外務省の職員です。
このラインがある限りは私はまだ外務省は安心できるんではないかと思っているんですが。

それにしても今回の日朝協議で分科会的なことをやったのは誰の差し金なのかちょっと分かりません。
本当に頭の良い方がそれを考えたのか分かりませんが、その理由として外務省が言うにはとにかく日朝協議を続けなければいけない。
話し合いをしなければいけないと言う事なんでしょうね。
その日朝協議を続けていけば、話し合いも重なって、そして拉致問題も話せるんではないかと。
でも私たちはもう切っても良いんではないか?と思ってるんです。
向こうに厳しい姿勢を見せて、席を立って帰ってくる。
「お前らそんな状況で誠実な態度で対応しているのか!馬鹿野郎!」と、そんな様な気持ちで席を立って帰ってくる。
それは一時期交渉が出来なくなるかもしれません。

しかし困るのは向こうであって、私たちも多少困るんです。
時間が経てば。
私たちは時間が無い時間が無いと言ってますから。
それは困るんですけれども、でもこれが拉致問題全体の解決の早道だと私は信じて疑いませんので。
いったんそれをやれば良いじゃないかと私は思うんですけども、常に話し合いの場に出てもらわねばならないと困ると、そういう低姿勢で言ってるのが日本政府です。
これは2000年の河野外務大臣の時からそうです。
10万トンの食糧支援をやると言ったとき、河野さんが言ったのは
「私たちが誠意を見せて相手の誠意を引き出す。私が責任を持ちますから」
で10万トンの食糧支援が行ったら、「拉致はでっち上げだ」と「行方不明者はいない」と言う回答を出してきたんです。

そのような国とまともな協議が出来るというふうに本当に思っているのかどうか?
私はちょっと信じられないんですけども、これが10数年も日朝の協議をやってて1990年からですから。
途中だいぶ抜けてますけども、北朝鮮のやり方を知ってる外務省の人たちが、これ以上まともな話が出来ると本当に思ってるのかなぁ?と、私は思うんですよね。
それでもまぁ外務相の人たちは役人ですから、結局政治家が決断をしなければ厳しい対応を取ることが出来ないと言う事です。
自分の職を賭してまで北朝鮮と喧嘩する事はできないでしょうからね。
そうすると飛ばされちゃいますからね。
そうすると可哀想ですから私たちもあんまり言えませんけれど。
でも結局は政治家の決断だと思います。

先月アメリカに私たちは行きました。
6者協議の合同宣言に署名したクリストファー・ヒルというあの弱腰の、国務省ですけれど、国務次官補。
国務省の人間も日本の外務省と同じらしいですね。
結局官僚と言うのは話し合いをしてそして安全にやるのが官僚の、何処の国でもそういう気質のようですね。
今それに対して、アメリカのネオコンが非常に怒って厳しい追求をしていると言うのが現状らしいです。
クリストファー・ヒルに対してもその上にいるライスに対しても、今回の6者協議での共同宣言、あれはなんだ?と。
あんな生ぬるい事で良いのか?と。
そういう厳しい追求をしているのがアメリカ国内です。

私たちが行った時に、私たちが会うのはだいたい強硬派の方たちばっかりなので、非常に私たちは安心して言えるんですけども、アメリカの国内で民主党の議員が何を考えているのかは未だにちょっと分かりません。
おそらくクリントンの時の対応を見てますと、さほど強硬な事は出来ないでしょうが、しかし民主党もクリントンの時に騙されてますから、1994年のジュネーブ合意で。
軽水炉の建設、その時には日本と韓国にお金を出せと言って、日本も10億ドルの拠出を約束させられておりましたけど。
アメリカは毎年10万トンの重油を上げていましたから、それでも密かに核開発を続けてきた。
アメリカとの約束も全て破棄し、そして朝鮮半島の非核化宣言と言うのにもサインしているんですけども、それも全部破棄して彼らは核の開発をやってきた。
アメリカは今見てるのは北朝鮮は核開発を止めないんではないか?という、その見方をしています。

でも今アメリカは、北朝鮮は何を望んでいるのか?
2008年のブッシュ大統領の任期まで、どうにかこうにか誤魔化し誤魔化し今の体制を維持してそして民主党の政権になるまで待つという。
自分達の喧伝作を考えているんではないか?というのがアメリカの政府の考え方です。
ですからそんな事は絶対に許さない、という民主党の中におりますので、そんなに泳がせておく事はないと思います。
ブッシュ大統領が先日中国へ行って人権問題に言及されておりましたけれども、アメリカも感じているように中国が一番ネックなんではないか?と言う事です。

6者協議、中国・ロシア・韓国・日本・アメリカで北朝鮮ですよね。
先日の国連総会の第三委員会、そこで北朝鮮の人権に関する非難決議が出ました。
賛成84カ国、反対22カ国、そして棄権が64カ国、62カ国かな?
ですから棄権を反対とすると、84対84なんですけども、賛成と反対で84対62だから可決されたんです。
それの22カ国反対した中にどこの国が入ってるか?
瑣末な事は良いんですけども中国・ロシアが入ってるんです。
更に棄権の中に韓国が入ってるんです。
6者協議の中の北朝鮮をのぞく3カ国が親北なんですね。
そして日本とアメリカが強硬姿勢だと。
北朝鮮を入れると4対2なんです。
6者協議の中で北朝鮮に対し厳しい姿勢をとる国が2カ国しかないわけですね。

国連では逆に84カ国が非難決議に賛成しているわけです。
22カ国の反対しかない。
ですから世界の、島田先生が書いたんですけども、世界の考え方とあの6者協議の中の考え方は間逆なんだと。
6者協議に期待することはほとんど出来ないと言う事を、私たちは知らなきゃいけない。
この6者協議の中でこの拉致問題とか人権問題とかが解決できるなんて思わない方がいいだろうと。
そうするとです。
どうすれば良いか?
日本の単独経済制裁に踏み切らざるを得ないだろうと、いう事があるんですね。

・・・続く・・・

2005年12月11日

三多摩市民集会(7)05.11.21 立川アイムにて

『梅田俊幸 日野市議会議員、渡辺眞 日野市議会議員による日野市の救出活動報告と拉致の実情報告』

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★梅田俊幸 日野市議会議員

ご紹介を頂戴しました、私日野市議会議員の梅田俊幸と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
そして横にいますのが同じくご紹介を頂戴しました渡辺眞(だたし)日野市議会議員でございます。
私たち日野市での活動を少しだけご紹介をさしあげたいと思います。

昨年の平成16年8月の3日から日野市においては、皆様良くご存知の東京都議会議員・古賀俊昭、地方議員の会の副会長をやらせていただいておりますが、を中心に今ご紹介を頂いた私と隣の渡辺日野市議。
そして私たちの地元での支援者を中心とした救う会日野の有志と言う形で、日野市にはJRの駅が二つ、そして京王線の主要な駅が高幡不動と言う駅があるんですが、その3つでですね。
順次、順番に署名活動そして募金活動を去年の8月3日からやらせて頂いております。

そして去年はですね。
8月3日からやっておりますので1235名の署名、そして12万とび366円の募金が集まりました。
そして今年に関しましても1月の3日、高幡不動の駅前から始めまして、先日の11月の11日まで豊田の駅前でやらせて頂きました。
集計が2427名の署名、195・530円の募金が集まりました。
そして去年と今年、合わせまして3662名の署名、315・896円の募金が集まりました。
街頭に立ちまして3人を中心にお訴えをさせていただいております。
今、前に拉致被害者の家族の方のお話と言う事で大沢さんがお話になりましたが、度々一緒に参加しておりまして大沢さんの熱いお訴えをですね。
街頭の方にも聞いていただいて、署名活動そして募金活動を協力を頂いているような次第でございます。

先ほどからお話を聞いておりますと、政府は何をやってるんだと言うようなご意見が多いとは思いますが、やはり私たちに出来ることは国民全体で国全体でこの拉致問題を解決しよう。
より多くの国民の方市民の方にこの拉致被害の実態を知ってもらうって事が、私たちに出来る協力じゃないかな?と言う事で、政府に対してバックアップする意味でもですね。
逆にバックアップをしなければ解決しないと思いますので、そういう意味でも署名活動を通して今の拉致問題の状況、そして先ほど大沢さんが申しましたように、私たちが住む日野市においても3人の拉致被害が濃厚な方がいらっしゃいます。
後ほど隣におります渡辺さんよりご紹介をさせて頂きますが、この同じ市内に住んでた方が3人も拉致被害に遭われている。
そういう疑いが濃厚であると言う方がいらっしゃると言う事を、同じ市民の方にも幅広く知ってもらいたい。
そういう言う気持ちが私は非常に強くあります。

自分が住んでる家のすぐそばにもそういう方がいらっしゃる。
拉致被害は先ほどお話があったように日本海を中心とした日本海側だけの問題ではありません。
東京にもたくさんいらっしゃる。
そういうことを日野市民の方にも知ってもらいたいと言う事で、一生懸命支援者を募ってですね。
活動をさせて頂いているような状況でございます。
これからも幅広く支援者を募って、そして継続的にこの署名活動そして募金活動を街頭活動をさせて頂きたいと思っております。

またいろんな方法、いろんな方に知らしめる為の方法と言うのがあると思うんですが、先日つい直近になりますが、11月の11日にやりました活動に関しましては、市の広報誌にですね。
活動が紹介と言うかご案内と言う形で少しの欄ですけど載せて頂いて、11月の11日に活動をやりますと言う形の広報もやっております。
そうした中でよりたくさんのよりたくさんの方のご支援を頂戴できればありがたいなと思っております。
日野市には高幡不動尊と言うお寺があるんですが、東京都内では割と大きなお不動さんと言う事でございまして、お正月から参拝者が非常に多いと言う事で、来年の1月1日はですね。
午後2時から高幡不動の駅前でもですね。
元旦からやろうという事で話がまとまっておりまして、今年もまだ12月当然ありますが、来年も1月1日から頑張って皆さんで活動を進めて行きたいなとそのように考えております。

以上、雑把ではございますが報告させていただきます。
続きまして日野市の失踪者の疑いが濃厚である方をご紹介差し上げます。

★渡辺眞(ただし) 日野市議会議員

日野市議会の渡辺眞です。
お世話になります。
私のこの、そちらから見てこちらですね。(手元のパネル、会場より向って右端を指差す)
上田俊二さんて言う方は、一番最初にお話しました荒木さんが主宰していらっしゃいます、特定失踪者問題調査会のHPで、日野と言うところをサーチしましたら上田さんが見つかりましたんで、荒木さんにご連絡させていただきましてこの人の詳しいことを教えていただきました。 
そしてその事を高幡不動の駅頭等で訴えをしておりました所、その次の馬場昌一さんと言う方がいらっしゃると言う事が分かりました。
この方は日野市の元の市議会議員の方の奥様の弟さんであります。
そして最近になって荒木さんの方からのメールで浜崎さんと言う方がいると言うことを教えていただきました。
この方は何と5年前の方でございます。

そしてひとりひとりちょっと詳しく申し上げますと、上田俊二さんは東京大学を出られて医学の翻訳をなさっていた方だそうであります。
すごい技術を持っている方でございます。
高幡橋の南の、南平一丁目のところのアパートに住んでいらっしゃったそうでございます。
失踪直後、お兄さんがそのアパートを訪ねてみましたら、いつもはきちんと、東大出の方でしょうから当然きちんと片付けている性質の方であったそうですが、部屋は乱雑になっていたと言う事らしいです。
そして部屋の中にある電話番号が書かれたメモが残っていて、どうもそれが怪しいと言う事で何度かその電話にかけてみたところ、何の返事も無かったと。
それを取ってくれる人がいなかったと。
暫くしてからその電話は「使われなくなりました」というNTTの連絡に代わったそうであります。
失踪して1〜2年して千葉の友達の所に金正日を称える文書が入った荷物が届いたと、言うような事だそうであります。
現在、上田さんのお兄さんは浜松の方に住んでいらっしゃって、今まで2〜3回日野市の方に訪れられまして、古賀俊昭さんの事務所で私もお目にかかりました。
かなり周辺に対して非常に怯えていらっしゃると言う事だそうでございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 上田俊二 (うえだしゅんじ)
失踪年月日 昭和56(1981)年7月14日
生年月日 昭和6(1931)年11月20日
性別 男 当時年齢 49
身長 174センチ
当時身分 翻訳業
特徴 タバコは吸う。酒は飲む。趣味はテニス。
失踪現場 東京都日野市の自宅を出て
失踪状況 当日本人宛に誰かから電話があり出かけたまま失踪。通帳、パスポートはそのまま。失踪後1〜2年後に友人宅に差出人不明の金正日をたたえるパンフレット数種類の入った小包みが届く。
 
※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosa-kai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

そして二人目の馬場昌一さんですが、国立高校をお出になって卒業して新宿にある工学院大学に通われていたのです。
昭和39年と言うことだそうですが、6月でしたか。
失踪になったと言うことらしいです。
そして私も39年大学に入りまして、当時は学校はカラーグラビアみたいな物が生協会館みたいな所にありまして、金日成・北朝鮮を称えるようなグラビアがあったように記憶しています。
ですから当時は北朝鮮と言う国の悲惨さと言うものについて皆さん理解が行ってなくて、素晴らしい国だと言う宣伝があったんだと思います。
それでご家族の方に伺いますと、部屋の中に残っていた、それもゴミ箱の中に捨てられていたメモに「行くべきか、行かざるべきか」と言うようなお話でございます。
平山の方にはお姉さまは近くにお住まいでございますし、その一番上のお姉さまは元市議会議員のお姉さまでいらっしゃって時々高幡不動での活動にごきょうだい共々参加していただいています。
ずい分古い話の事でございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 馬場 昌一 (ばばまさかず)
失踪年月日 昭和39(1964)年6月4日
生年月日 昭和19(1944)年12月13日
性別 男 当時年齢 19
当時身分 大学2年生(機械科)
失踪現場 東京都日野市の自宅から出たまま
失踪状況 失踪当日朝、両親とは顔を合わせている。そのまま行方がわからなくなった。姉に「新宿でアルバイトがある」と話していた。お金も衣類も持ちだした様子はない。

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosa-kai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

そして3番目の方は浜崎真嗣さん、今日はここに九州の長崎の方からお父さまの浜崎さんがいらっしゃってますが、ちょっと手を挙げて頂ければ・・・ありがたいと思いますが。(お父様その場で立ち上がって会釈、会場より拍手)
浜崎さんはここに書いてありませんけども、北八王子にビクターの工場がありますけどもそこのオーディオビジュアルの技術者でいらっしゃったという事でございます。
私は金正日が(韓国人の)映画監督を香港から拉致したとかですね。
ああいう喜び組であるとか、芸能関係が好きでオーディオが好きでビジュアルが好きであると思ってますので、そういう技術者を欲しがっていたのかなぁ?と言うふうにも思っております。
浜崎さんの出身大学が九州大学であるという事でありまして、その九州大学の先輩でいらっしゃる方、そして会社の先輩でもいらっしゃる方が生田の方にお住まいの方で、今は大学の教授をされている方ですが。
その先生に連絡を取らせていただいて実は明日、日本ビクターの方にお訪ねをして私と同僚の方とお話をして何か証拠でも出てくれば良いんですけれど、その話をさせて頂きたいと言う事で思っている所でございます。
浜崎さんは25歳の失踪と言う事でございますから非常に若くてですね。
持てる技術をあの社会に利用されてしまっているのかなぁ?と言うことを思っています。

失踪当日は5年前の正月明けのですね。
仕事始めの日の朝方ということですね。
起きたままであった事、携帯電話もそのままと言うことらしいです。
その日の朝方に東京駅の銀行、そして12時くらいには函館の銀行で合計15万円程が引き出されている。
ご本人が引き出したんでしょうか、あるいは誰かが引き出したんでしょうか。
それはよく分からないと言う事であります。
私もちょっとその浜崎さんの住んでる場所、実はこれは私の高校の同級生がオーナーやってる所のアパートでありまして、そのアパートが日本ビクターに借りられている訳でありますがそこも知っておりますし、勤め先の日本ビクター周辺も分かります。
行って見られてお分かりのように、どうもそういう関係の業界の人たちが周辺に住んでいそうな雰囲気のある所でもございます。
浜崎さんは趣味が当時ビリヤードだったと言う事で、ビリヤードと言うのは今時珍しい趣味をお持ちだなぁと思っていたら、その周辺にもそういうお店がありますし。
そういう事でございます。

・・・資料引用開始・・・
氏名 浜崎 真嗣 (はまざきまさつぐ)
失踪年月日 平成12(2000)年1月6日
生年月日 昭和49(1974)年8月2日
性別 男 当時年齢 25
当時身分 会社員(業務用ビデオの設計)
失踪現場 東京都日野市の会社寮
失踪状況 失踪当日は会社の新年の始業日。午前6時から7時にかけて、東京駅のATMで3万円、続いて午後1時半ごろ北海道の北洋銀行函館中央支店で普通預金口座より12万円を引き出した(定期預金には一切手をつけていない)。当日の朝刊は部屋にあり、布団は敷きっぱなしの状態。食べかけのパンが残っていた。PHSは置きっぱなしで、書置きもなかった。ごく普通の服装で出かけ、自転車も置いたまま。職場の机はすぐにでも仕事が始められるような状態になっていた。失踪直後に航空会社に飛行機に搭乗した形跡がないかを調べてもらったものの記録がはっきりしないとのことであった。
 
※情報は特定失踪者問題調査会HPより
   http://chosa-kai.jp/index.html
・・・資料引用終了・・・

これで3人の紹介を終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)

三多摩市民集会(6)05.11.21 立川アイムにて

『大沢茂樹さん(特定失踪者・大沢孝司さんの兄)のお話』

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ただ今、紹介にあずかりました、私特定失踪者・大沢孝司の兄で大沢茂樹と申します。
本日は山本美保さんの家族を支援する東京支部の入倉様のご縁を頂きまして、私までこの三多摩集会に参加させていただきまして本当にありがとうございます。
入倉様には厚く感謝いたします。

私は今「北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会」の東京都議会の古賀先生。
また日野市会議員の渡辺先生そして梅田先生、並びに日野市救う会での合同での街頭署名での、隣の日野・高幡不動・豊田駅で定期的に行われている街頭署名に、私の出来る限り時間の許す限り私も出席させて頂き、私の弟の拉致の内容等もお訴えさせていただいておりますが。
このようにして立川市民の皆様にお会いするのは初めてで、おそらく私の弟の拉致の内容についてご存知の方はおられないと思いますので、簡単ではございますが、弟が失踪した時の状況よりお話をさせていただきます。

私ども兄弟は3人兄弟で、一番上の兄は新潟県の巻町と言うところで家業の跡を継いでおります。
私は次男で今現在横浜市瀬谷区で在住しております。
拉致されたのは一番下の弟、孝司でございます。
弟孝司は昭和49年の2月の24日、今から丁度31年前でございますが。
新潟県の佐渡島で、曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の現場から7〜8キロしか離れていない、トキ保護センターのある新穂村と言うところで北朝鮮に拉致された疑いが残っている者でございます。
新潟県庁の出先機関であります、佐渡の農地事務所に赴任中の事件でありました。
また、曽我さんたちが拉致される約2年半前の事件であります。

私の弟のように忽然と行方が分からず、今特定失踪者問題調査会・荒木先生のところに調査以来が出ている方々は450名おられると聞いております。
そのうち私は実際に北朝鮮に拉致されている方々は何名おられるのか想像も付きませんが、北朝鮮を研究している先生方のお話によりますと、少なくても100名から200名は拉致されているのであり。
今日本政府が拉致認定している11件16名よりまだまだこんなにたくさん、特定失踪者の方々が拉致の疑いがある方がいられることを知っていただきたいと思っております。

日本政府の拉致の取り組み状況は、昨年の暮れ、北朝鮮が突然の核の保有宣言と。
横田めぐみさんの遺骨のDNA鑑定は日本政府が捏造した物と、北朝鮮がコメント以来硬直化し足踏み状態となっていましたが。
今月の3日、約1年ぶりで日朝会談が再開され大きな期待を私は抱きましたが、残念ながらまた物別れの状態となりました。
小泉さんは何回北朝鮮からこのように侮辱を受け馬鹿にされれば気が済むのでしょうか?
このままでは拉致被害者は皆殺しの状態になってしまうと思います。
一刻も早くこの拉致問題を終結するには、もう北朝鮮との話し合いだけでは無理だと思います。
小泉首相から一刻も早く経済制裁の発動をしていただき、この拉致問題を解決しなければならないと思っております。

それには更なる皆様方のご支援と日本政府に対するバックアップが必要であり、それをここにお願いしまして、はなはだお粗末ではございますが、私の訴えとさせていただきます。
皆様、どうかご支援の程をよろしくお願いします。(拍手)

三多摩市民集会(5)05.11.21 立川アイムにて

『森本美砂さん(特定失踪者・山本美保さんの妹)のお話』

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今日は平日の大変お忙しい中を、お集まりいただきましてありがとうございます。只今ご紹介頂きました、山梨から参りました、森本美砂といいます。

私の双子の姉・山本美保が、21年前、「図書館に行ってくる」と言って、いつものように、バイクで出かけて失踪してしまいました。その日帰ってこなかったんです。

ほんとに何気ない言葉で出かけて行って、いつものようなバックと服装で、とてもその日帰らないような感じではなかったんです。
夕方から、ファミリーレストランのバイトが入っていまして、そのバイト先から「今日来ていない」という話があって。。姉が無断でバイト休んだり、無断で外泊するような姉ではなかったんです。

実はその頃姉は二十歳で、大学受験に向けて勉強しておりました。
というのも私達が高校三年生のときに、二つ上の兄が、突然バイクの事故で亡くなるという不幸に見舞われました。そういう意味で何の心配もない家族の幸せが一気に不幸のどん底になりまして、両親の嘆きは大きく、特に母は、ほんとに生きる気力がないほど、大抵無気力で暮らしているのが、丁度私達が高校三年生の秋だったんです。

その暗くなってしまう家庭をどうにか変えたいという思いが、姉にはあったんだと思います。

「東京の大学を受けたい、力試しに受けたい」と言って、見事日本女子大学に受かるんですが「丁度兄を亡くしたばっかりのときに、一人で東京になんか行かないで」と私を含め家族三人で反対してしまったんです。そのことをずっと今でも後悔しています。「あの時行かせてあげれば、姉はこんなことにならなかったんではないか」と言う思いをずっと抱えて生きてまいりました。

でも二十歳になった姉は、一旦は山梨の高看=高等看護学校のほうに進みまして、ワンゲルなんかで山登りをして青春を謳歌していたんですが、やはり大学進学の夢があきらめきれず、「もう一度挑戦したい」と言って大学受験のための勉強をしているそう矢先だったんです。

ですから自分の目標を定めて一生懸命頑張ってる、時だったんです。

だから失踪する理由なんてありません。

2日、3日と連絡がないまま、母は、胸がつぶれるような思いで連絡を待っていたんです。そして、4日後に柏崎の海岸にかばんが落ちているということで柏崎署から連絡をいただきました。もう、どんな思いで両親が、飛んで言ったかと思うと、今でも胸が痛みますけれども。

当時警察官だった父は、最悪の状況を考えていました。多分、事件・事故に巻き込まれているんじゃないかという思いがあったんですけれども。丸二日間、柏崎で方々探したんです。佐渡に渡っているんじゃないかと、汽船所の乗客名簿を探したりして。でも何の手がかりもないんです。

そして、約半年後、無言電話が入るようになりました。約四年間続くんですけれども。

中にはすすり泣くような声まで聞こえて<美保ではないか!>と必死で呼びかけたことを覚えていますでも、その無言電話も4年ぐらい立つうちになくなってしまいました。

その時に警察のほうにも捜索願を出しておりますので、各県で身元不明の遺体なんかがあがると連絡が来るんですね。本当に、身も凍えるような思いで母はその電話を取るわけです。大体、血液型が一緒だったり、女性と言うことが一緒だったりすると、電話があるんです。

当時、あの当時で3件ほど電話がありました。一つは富山県のほうのご遺体、もう一つは東京都内のご遺体でした。そんなこと姉とは一致したくありません。でも、歯の歯形が違う、足のサイズが違うということで、「違います」ということで、もう、ほっとしたことを覚えていますけれど。

さきほど荒木先生のほうから、詳しくお話がありましたが、まぁ、いろんな状況から美保はやっぱり拉致の可能性が濃いと思っております。

昨年の3月に突然山梨県警のほうから「イヤ、実は21年前に山形県遊佐町で上がった水死体がそうですよ」と言われたときには、もうはじめは捜査をした結果そうであれば、「20年間私はとんでもないことをしてしまった。美穂を本当に冷たい土の中に放っておいてしまったんだ」と本当に(胸を)苛まれたんですけれど、でも、いろいろ調べていくうちに、やっぱり、変なことがたくさんあるんですね。

もし姉だとしたら、姉と一致するものが出てくるはずなんです。
でも、のちのDNA鑑定に使った山形に残っていた骨髄、0.15グラム、本当に微量な、一グラムもない微量な骨髄の粉末です。

これは、たまたま当時の山形大学に残っていた。鍵もかかっていないんです。誰が触って、何処に持ち出そうとも自由になるような机に、無造作においてあったものなんです。「本当に21年前の山形の骨髄なんですか」と私が疑いを持つような、そういう保管の仕方でした。それを山梨県警が山形の大学から持ってきて、それで私の血液と鑑定したんです。

私の血液を提出したときは、「あらゆる捜査をします。もしかしたら国内で亡くなっている場合もあります。それは多分ないと思いますけれども。」という言い方をして「あらゆる捜査をしますので、血液を提供してください」ということで、提供しました。それも父が病床に倒れ、余命いくばくもないという病院の中でした。
ですから私はいろんな資料を警察サイドでチェックすることができなかったんです。とても動揺していましたので。
でも父の看護をしながら、「姉の行方がわかるんであれば」と思って提供した血液がとんでもない使われ方をしていたんだと思います。約半年以上、警察はその血液を持っていました。科警研で検査、鑑定したそうですが、結果がはっきり得られなかったということで、約半年後、名古屋大学に持ち込むんです。その間も、(骨髄と血液は)ずっと警察サイドにあったわけなんですよね。

そして昨年の3月4日。
私は「山形のご遺体と私の血液をDNA鑑定します」とは一度も聞いたことがないんです。ところが警察のほうは「4度も伝えた」と言い張るんですね。その伝えたと言う場所が全部私が一人で対応した時だったんです。だから私が<聞いていない>と言うことを、証明してくださる方がいらっしゃらない。

「あ、やられた」と思いました。
山梨県警でずっと仕事をしてきた父が生きていれば、<こんな事にはならなかった>と、今でも、思っております。

それがとても残念で、悔しくてたまりません。

それでも、本当に美保と一致するものがあれば、私は真実として受け入れるんです。

真実はもっと重く家族にも、いろんな人にも、重く響くものだと思っております。

でも、そのご遺体が美保という、姉であるという事実を私になんら示してくれないんです。
先ほど、荒木先生がおっしゃったように、ご遺体の(不明上着?)は全く姉のものではありませんでした。

私、結構いろんなものをとっておくほうなんですけれども、「白いネックレスをしていました」 というそのネックレス(ネックレスという白いもの)が全部家から出てきているんです。見た事もないジーパンをはいていて、見た事もない白いネックレスをしていて・・そういうご遺体だったんです。

むしろ、そのジーパンはとっても珍しい、皮を施した、皮を前のポケットと後ろの方に貼り付けてある、縫い付けてある、とても変わったジーパンで、支援者の同級生が、ほんとうに隈なく探してくれて、もしかしたら、フランスのジルボー社というところで作られたものではないか?、もしかしたら、1万5000円ぐらいする高級品であると言う所まで、突き止めてくれたんですが、まだちょっと断定できないんです。どちらにしても、私は国内で見たこともないようなジーパンをはいていたご遺体だったんです。

さきほどお話があったとおり、体のサイズもまったく違っておりました。当時二十歳の私も姉も、もっとぽっちゃりしていまして、今より5キロも太っているんですけれども。ご遺体の身につけいた下着は、とても当時の私や姉も身につけられないような小さな細いものでした。一つ一つが全部違うんです。

そして、先ほどお話がありましたけれど、そして姉の失踪から17日間、又、かばんが見つかってから13日間では、とても行けそうもない山形の遊佐町で見つかりました。またそのご遺体の写真も、母は見られませんでしたが、私は思いきって見ました。それが姉の最後の姿であるならばと。

でも、男性も女性もわからない、ましてや姉の姿のかけらも見あたらない、本当に頭は白骨化しておりましたし、体の方は脂漏化と言って、たぶん長く水に浸かっていたせいで、もう、バーンと腫れ上がって石鹸状態になるんですね。それが、『たった13日間ではなりません』と専門家の方が仰いました。
もう2万体という水死体監査している上野正彦先生と言う方ですけれど、原作本がドラマになった方ですけれども。2万体という水死体を専門となさっている監察医の方です。その方にもいろんな情報をお伝えして、資料を見て頂きましたけれど、『二十歳の人の歯が、たった13日間で13本も抜けません』とはっきっり仰いました。


そういう一つ一つが姉ではないと言うことを、私に、家族に、示していました。

ですから私は意地を張っているわけではないんです。
真実を示して頂けるんであれば、私は姉の真実を受け入れるんです。

それを、どうかみなさんご理解頂きたいと思います。
『森本美砂さん(山本美保さん妹)のお話』

荒木先生が流してくださっている<しおかぜ>を私も聞きました。
とても暖かい言葉で、もう胸が詰まりました。
その中に美保の名前も入っております。
その声が美保に届いていると思っています。
美穂の真実は、やはり北朝鮮を探すしかないと思っております。

家族は、家族に会いたいだけなんです。何の政治的なことも、いろんな社会的な情勢も、何を訴えることもないんです。
只家族は家族に会いたい。ただ、共に生まれて共にすごした家族に会いたいとただ言っているだけなんです。それは、私も、これからお話になる大澤さんも、増元さんもそうなんです。いろんな政治的な運動をしているわけではないんです。共に同じ両親から生まれた家族に、会いたい。

二十歳で失踪した姉。
私、今41をすぎたんですけれど、姉と過ごした日々よりも、姉を失った日々の方が長くなってしまいました。

そんな事ってあるんでしょうか?

今ぱっと合ったら、姉ってわかるんだろうか。まぁ、双子ですから、こんな顔をして元気でいると信じてるんですけれども。家族に会いたいという気持だけで、みなさまにわかって頂いて。。。

そう言う家族が、まだ日本国中に400人以上います。400人以上の家族が『家族に会いたい』と、声にならない声で叫び続けております。

ここまで拉致問題、特定失踪者問題が、発展してきたのも、いろんな皆様の声を政府にあげて頂いて、そして世論の力でここまできたんです。

どうかその声を緩めないでください。

特定失踪者も含めた、全拉致被害者が日本の土を踏んで、家族の元に返るまでどうかお力をお貸し頂きたいと思います。よろしくお願い致します。

また、今日この会を開いてくださいました、同郷というだけで本当に大きな力をくださいました入倉さんご夫妻に感謝を申しあげ、また、お忙しい中集まってくださいましたみなさまに感謝申し上げ、私の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。

三多摩市民集会(4)05.11.21 立川アイムにて

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事のお話』

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皆さんこんばんは。
ただ今ご紹介を頂きました特定失踪者問題調査会の専務理事、真鍋と申します。
よろしくお願いします。
荒木が代表で私が専務でございますが、私も2年前までこの隣の小平市で市議会議員をしておりまして、今こういった活動に専念をさせて頂いてる所でございます。

今日は荒木の方がですね。
拉致問題の概要と言いますか全容、それから山本美保さんのお話を中心にいたしましたので、私の方はそれを補足すると言う形で、皆さんのお手元に「神津島で消えた兄」というチラシがあると思うんですが、その裏側に大町ートと言うのがございます。
(大町ルートはこちら http://nyt.trycomp.com/takano/oroot.html
これがちょっとポイントになる事ですし、それから10月14日にですね。
警視庁が大規模なガサ入れをいたします。
ガサ入れって言うか、捜査ですね。
それは西新井病院の中にございます金萬有科学振興会と言うところに、警視庁が捜査に入った。
それと特定失踪者のお話、と言う物をさせていただきたいと思います。
25分ですから本当にかいつまんだお話しか出来ませんけれども、よろしくお願いします。

まずこの大町ルートなんですけれども、これは我々が名前をつけているルートでございます。
これはですね。
去年北朝鮮から写真が出てきたと言われる加瀬テル子さんと言う方がいらっしゃるんですけども、その加瀬テル子さんの失踪を調査しているうちに浮かび上がったルートです。
というのは加瀬テル子さんと言うのは千葉県の銚子の一番はずれの所にあるんですけれど、海上町と言うところでですね。
1961年ですからもう40年も前の失踪事件、40年以上も前の失踪事件なんですけども。

どっちにしても これを調べてみますと当時の海上町、あるいは近くの旭市、現在旭市ですけどその辺一帯ではですね。
水飴をたくさん作っていると言う事です。
それから当時はあの辺は砂鉄がたくさん採れていると。
良質の砂鉄が採れていると、それを一大産業としているわけです。
その砂鉄と水あめがどういうふうに物流、運ばれたのかと言う事を調べていくうちに、全部が全部と言うわけでもないんですけど、この砂鉄と水飴が千葉から東京を通って、東京から山梨、そして長野、そしてこの新潟の糸魚川まで行って、富山か新潟方面に運ばれて行って朝鮮半島に輸出されていたと、いう事が明らかになったわけであります。
これはもしかして何かがあるんじゃないか?と言う事で、このルートを丹念に調べようと言う事で今日に至ってるわけです。

しかも加瀬テル子さんのですね。
調査のプロセスで明らかになったんですけども、水飴とか砂鉄と言うものがですね。
誰によって採取されていたか?と言うことなんです。
それはもちろん多くの日本人も採取に従事していたんですけども、多くの在日の人たちがですね。
この水飴や砂鉄の採取に関っていた、物流に関っていた、販売に関っていたということが判明したわけです。
そして色々加瀬テル子さんのですね、ご実家。
お父さんはもう90歳近いおじいちゃんなんですけども、記憶を辿っていただくと、「そういえば当時、我が家にも在日の人たちが買い付けに来とったなぁ」と。
要するに農家ですから、水飴も作るし農閑期には砂鉄も採っていたと。
その砂鉄を採っていたのも買い付けに来たのも在日の人がいたなぁと言う事が判明しました。

物のついでに申し上げますと、加瀬テル子さんの身近にいた女性がですね。
実は在日朝鮮人の男性と結婚して北朝鮮に行ってしまいました。
その後全く消息は不明です。
そういう方が加瀬テル子さんの身近にいたと言うことなんですね。
それで当時はまだ写真が出ていませんでしたから、この加瀬テル子さんの失踪には何かがあると言う事で調べていったわけですが、そうすると北朝鮮から亡命者がもたらして来た一枚の写真。
今日お持ちしなかったのは残念ですけども、調べてみると専門家の先生もこの写真については加瀬テル子さんに間違いがないと、いうような判断をされたような写真が出てきました。

ちょっと補足しますと一枚の写真をですね。
40年前の写真16歳の写真と現在の57歳の写真を比べて素人目にはほとんど分からない。
言われてみて分かるんですけども、加瀬さんの場合は最大の本人を特定するポイントがあるんです。
それは向って右側の目ですから、こちら側ですね、ごめんなさい向って左側ですね。
加瀬さん特有の、目の中にほくろがあるんです。
その目の中のほくろがちょっと出てるんですね。
それが北朝鮮からもたらされて来た写真にもあったんです。
この形状、この形ですね。
それから場所がピッタリ一致する。
そういうことがあったもんですからあの写真については間違いがないという事になりました。
加瀬さんにつきましては我々としてはこの事件はですね。
拉致に間違いが無いと言う結論を出しているんですけども、政府は未だに認定も何もしていません。

と言うような事からこのルートがもしかしたら何かがあると言う形で主に重点的に調査したわけなんですけども、お手元のこのルートを見ていただきますとですね。
このルートには工作活動の拠点と言うものが点在します。
千葉県に行きますと蘇我(千葉市と市原市の境付近)なんですね。
蘇我と言うのは当時、昔なんですけども鉄鋼の会社に労働者として従事していた在日の方が非常に多く住んでいる所で、ここでも失踪事件があるわけですけども、そこを通ります。

そして東京都内に入りますと足立区、足立区は後ほど話をしますけどガサ入れのあった西新井病院があるところです。
そこから管七を通りますとですね。
北区を通るんですけども、北区にはですね。
私の住んでいる小平には朝鮮の大学校があるんですけども、北区には朝鮮高校があるわけですね。
そしてここも失踪者が多発している地区です。

そして都内を通って甲州街道に入ります。
甲州街道に入りますと、杉並付近を通りますね。
杉並は実は非常に失踪が多い場所です。
付け加えますと杉並区と言うのは南北に(JR)中央線で分かれるわけですけども、失踪者は北側には誰もいません。
私たちに届けられている方ですけども、全て南側のこの甲州街道沿いと言う状況があるわけです。
それも毎年きれいに一人ずつ若い男性が失踪すると言う不思議な現象があるところです。

その杉並を通っていきますと今度は三鷹とか調布になるんですね。
三鷹は荒木が先ほど申し上げましたように、久米裕事件があります。
そしてこの調布ではこの「神津島で消えた兄」と言う、まさに高野清文さんが住んでいた場所であり、高野清文さんが通っていた大学、電気通信大学と言うのがある。

そこを通ってずっと行きますと、山梨になるわけですけれども、山梨では今日のメインのテーマでありますけども、山本美保さんが失踪した場所です。
山梨と言うのは非常にある意味を山にかこまれて誰でも何をしているか分かる小さな、と言っちゃ失礼ですけど非常にコミュニティが小さいところですから、今名乗りを上げていらっしゃるのはホンの河合健次さんと言う方と山本美保さんの二人だけですけども、失踪事件の非常に多い場所です。
しかも私たちに届けられない失踪者の家族がたくさんいる

それから山梨を通りまして長野に行きますと、長野と言うのは朝鮮総連の非常に活発な場所なんです。
数はそんなに多くないですけど、規模も数もそんなに多くないんですけど非常に活動は活発なところなんですね。
それを裏付けるのがですね、辛光洙の存在です。
辛光洙と言うのは先ほど荒木が説明しましたように原敕晁さん(拉致)の犯人ですけども、この辛光洙が一時的に職を得ていたのが長野県です。
自動車専用道路の切符切りをしていました。
ですからおそらく皆さんもそこらへんの有名な観光ルートですから、1970年くらいにそこの道路を通ったら辛光洙がおそらく皆さんの切符を切ってると思います。

そして長野を北上しますとですね。
これを言うと風評被害になるので言わないでくれと言われているんですけど、大町があるんですね。
で、この大町が非常に問題のある町です。
辛光洙を支援していた在日の協力者がいます。
それから年配の方は覚えていらっしゃると思いますけど、朴正煕(パク・チョンヒ)、朴大統領の射殺未遂事件。
奥さんが亡くなった事件がありますね。
そのときの犯人、文世光(ムン・セガン)、ぶん・せいこうですね、日本語で言うと。
彼が匿われていたのもこの大町です。
大町にはそういった北朝鮮の工作員を支援する個人がいるわけです。
誰なのか?ってのは分かってますけども、それを言うと私は訴えられますのでこれ以上は申し上げませんけど、そういう存在が大町にはおります。
そこでも失踪事件がある。

そして糸魚川に抜けていくわけですね。
糸魚川から富山方面と新潟方面に分かれていくわけですけども、新潟の方はご存知のように万景峰号がしょっちゅう入ってくる港があるわけですからここが終点になるんですけども、富山方面が見逃しちゃいけないんですね。
富山方面では富山を抜けて新湊と言う小さな港があります。
そこが小さいですけれど国際港でございまして貿易港でございまして、ここに万景峰号がしょっちゅう入ってきてたんです。
北朝鮮の貨物船がしょっちゅう入って来ていて、おそらくここが終点だろうと、そう思っています。

このルートで失踪者の数なんですけど450人くらいのお届けがあるんですけども、私どもにですね。
その内の実に150人の失踪がこのルート上で存在すると言う事です。
警察庁の専門家に話すと笑って、「そんなもんありゃせんよ」と言われるわけです。
確かにこのルートが工作員の名前で存在している事はないと思うんです。
ただこういったルートこういった集積状況こういったところに住んでいる協力者、と言うものの連携の中で拉致が行われたのは否めないんじゃないかな?と思っております。

で実はその証明として現れたのが藤田進さんと言う事件です。
これも去年写真が出て大きな衝撃的な写真だったんですけども。
この藤田進さんの失踪事件、我々は拉致と思ってますけど、拉致事件に拘った・拉致を手伝わされたと言う人物がいるわけです。
証言をしている方がおられるわけです。
自ら、まぁ名乗ってはおりませんけども、「私が藤田さんを運びました」と、「運ばされました」と、脅かされて。
この方は2回ほど私ども面会したわけですけども、「私も日本人である」と。
で「嫌々手伝わされた」「良心の呵責がある」と。
「だから藤田進さんだけは何とか助けてあげたいんだ」と言うような事から私たちに接触をされてきたんですね。

でその方がどう言っていたかと言うとですね。
「足立区の西新井病院の運転手をしていました」と。
で、「あるとき命令されて男性を一人運びました」と。
それは西新井病院の施設があるんですね。
千葉県に保養施設がある。
「そこの保養施設に監禁されていた若い男性を車に乗せて、この千葉・東京・山梨・長野を抜けて糸魚川と言うルートを通って車で運びました」と。
で、「糸魚川で別の人物に若い男性を渡しました」

でその若い男性は誰ですか?と言う話になって行ったんですね。
その結果、あの写真が出てきて当時の若い男性は「藤田進さんで間違いない」と証言をされたわけなんです。
これはですね、とても重要な事だったので私たちも極秘と言う事で取り扱ったんですけども、それがなぜか今年の正月にですね。
週刊新潮にすっぱ抜かれました。
その結果私たちにこの証言をもたらしてくれた男性は、それ以来一切接触が途絶えてしまいました。
残念な・・・ですからその話が本当なのか嘘なのか検証する間も無くですね。
現在に至っているわけであります。

そうしたところ10月の14日、西新井病院の中にある金萬有科学振興会の、そこの理事をしている人物が薬事法違反だという事でガサ入れがあるんです。
ガサ入れの結果一週間前くらいに結論が出まして、50万円の罰金と略式起訴と言う形で一件落着と言うことでありますが。
この50万円の罰金の為に警視庁がどれだけの人間をどのように動員したか?
実際の数字は分かりませんけどテレビでも出ましたから相当の数だったのもあるわけですけど、300人から400人の警察官が動員されました。
そしてテレビでは映されてませんけども、新聞記者さんたちが言ってたのは、その後ろにはマシンガンを持った警察官も待機していた。
それくらい厳重に捜査をしていた。

それから、結果11箇所の捜索で終わったんですけども当初は26箇所、全国で26箇所です。
東京だけじゃなくて大阪方面、あらゆる所を捜索したんです。
で薬事法違反とは無関係の所までもガサ入れをしているわけであります。
で警察はですね。
今日警察の方いらしてると思いますけども、これは全部薬事法違反ですと。
拉致とは関係ありませんと言う話をず〜っと記者会見では言ってますけども、そんな事はないと言うのがだいたい一般的に考えられるわけなんです。

それで、あの〜〜、えっと、あと5分くらいで終わりなんですね?(司会の方に尋ねる)
それでですね、その後藤田進さんは加瀬さん同様写真が出てきました、北朝鮮から。
専門家の橋本先生もほぼ間違いがないだろうと言う鑑定を、橋本さんが間違いないと。
で二つ目、安明進さんはですね。
北朝鮮で藤田進さんを目撃していますと証言しています。
これは中々表には出ないんですけども、市川修一さんですね。
一緒にいて安明進にタバコをくれた優しい親切な若い青年だと言っています。
私に証言してくれる人物が存在する。
この3つがあるにも拘らず、警察はまだ認定していません。
と言うか政府は、と言った方が良いかもしれません。
拉致被害者として認定する最期の判子を押すのは小泉総理ですから、小泉さんが判子を押さない限り拉致認定されないわけです。
だから警察としては相当の資料、相当の証拠があるにも拘らず、加瀬さん同様藤田さんについてはなんら手を打っていないと言うのが現状で。

時間もないのでこれは一体なんだ?と言うことです。
山本美保さんにしても大沢さんですね。
今日お兄さん来られてますけど、あれだけ怪しい事件、物証に至る物も存在するにも拘らず、日本政府が認定しないのはなぜか?と言うことです。
これはもう、警察に問いただしますと政府に問いただしますと証拠が無いと言うんです。
証拠がないからだと言われる訳です。
先ほど荒木がお話しましたように、証拠が出りゃこんな簡単な話はないわけでありまして。
拉致と言うのは一切証拠を残さないで行う完全犯罪ですから、そこで証拠がないから拉致認定しませんでは一生かかったって認定できないと、言うところなんです。
ここが苦しいところなんです。

だから我々は状況証拠だとか目撃証拠だとかこういう写真だとか、こういう話を集めて集めてこの人は間違いないでしょうって、政府に言ったりあるいは警察の方に訴えても、証拠がない。
じゃあどこまで証拠が必要なんですか?と聞くと日本から出たという証拠が欲しいと。
次、北朝鮮にいるという証拠が欲しいと。(会場内から小さな笑い声)
それを我々に(真鍋氏、少し自嘲気味に)我々に出せと言うんですか?と。
加瀬さんについてこれだけの写真があります。
これだけの状況証拠がありますと。
藤田さんについてはこれだけの状況証拠がありますと、それでも認定しないと言うのは認定したくないということなんです、要は。

誰が?
それは現場の警察官の方は一生懸命です、本当に。
本当に一生懸命に、暑い中も寒い中も一生懸命やってらっしゃって、相当のデータ、相当の情報がこんなに集められているにも拘らず、最後の段階になって認定せずというわけです。
なぜでしょうか?

日朝国交正常化の障害になると言うわけです。
特定失踪者、これ以上話をややこしくしたく無いと言うわけです。
ただでさえ日朝間の交渉がデットロックになっている所へ加えてまた特定失踪者の問題だ?
こんな物は後回しだと言うのが、まぁ正直な今までの政府でした。
我々も外務省と警察庁とこういうことでしょっちゅう喧嘩をしています。
荒木は普段はあんな穏やかなんですけども、いざとなったら怖いですからね。
本当に。

机をぶん投げて怒る位の事をするわけですけども、ようやく安倍官房長官になられてですね。
この状況も少しづつ変わるだろうと言う期待もしておりますけども、ただ官房長官が一人頑張ってもですね。
あの政治構造の中では中々難しいと思います。
やはりそれを支えていくのは皆さん国民一人一人の声しかないと思います。
安倍さん頑張れ!拉致議連の幹部の皆さん頑張れ!国民は応援してるぞ!と
そして特定失踪者の問題も忘れちゃいないんだぞ!と。
山本さんや大沢さんや藤田さんやそういった人たちの問題が解決しない限り、拉致問題の解決はない。
そして日朝国交正常化も無いんだということをですね。
皆さんが強く訴えていくしかないんじゃないかな?と思っております。

それで私どもにもですね、ぜひ昔こんな事が会った、こんな変な事件があった、こういう人たちがいるぞと言う情報があったらいずれもお知らせ頂きたいと思います。
どうか皆様方の一層のご理解とご協力を頂いて、一日も早く。
本当に本当にそうなんです、一日も早くこの問題解決したいです。
ホンマに、荒木も私もこの問題8年間やってます。
でもご家族はその3倍4倍苦しんでいるわけです。
30年40年苦しんでいるわけですから、本当にそういう意味で一日も早く、この問題を皆さんと一緒になって解決したいと思います。
どうか今後ともご支援をお願いしまして、私のお話をさせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手) 

2005年12月08日

三多摩市民集会(3)05.11.21 立川アイムにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話 その2』

この問題についてはそういうような事をですね。
やはりいろんな日本の中でも情報機関と言うのが警察の公安とかだけではなくて、自衛隊にもそれから海上保安庁にも公安調査庁にも内閣調査室にも色々あるわけですけども、そういう中で少しづつは分かっていたんですが、それをですね。
明らかにして来なかったと言うのがやはり現実ではございます。
そしてそれだけではなくて、この国の中で拉致について、やはり隠蔽しようとして来た。
いう事をですね。
日本の政府がやっていたんではないか?と思わざるを得ません。

その一つが後で双子の妹さん、森本美砂さんがお話をされますけれども昭和59年の6月4日に、山梨県甲府市のご自宅を出て失踪した山本美保さんでございます。
この山本美保さんの事件は59年の6月4日にですね。
図書館に行ってくると言ってご自宅をバイクで出られました。
二日後に甲府の駅前でバイクが見つかる。
そしてその二日後に新潟県の柏崎の海岸で、山本美保さんのセカンドバッグが見つかります。
その後全く消息が無いという事件でございまして、我々としてはこの事件は色々な状況・他の事件との関連を考えまして拉致の可能性が極めて高い、言う風にして発表をしておりまして。

そしたら去年の3月になりまして山梨県警が発表してですね。
この山本美保さんの事件、失踪して15日後にですね。
山形県の遊佐町の海岸に漂着した遺体が、骨髄のDNAの鑑定によって山本美保さんであることが分かった、言う事を発表を致しました。
それによって大変我々もショックを受けたわけでございます。
ご無事でお会いできると思っていた山本美保さんが亡くなっていたのか?と、言うような思いもしていたんですが、その後ですね。
調べて参りましたらばどうも様子がおかしい。

これも今日も中心になって活動をして下さっております山本美保さんの同級生の会の方々が、一生懸命に色々調べて下さってですね。
いろんなことを総合して来ると、まず体型が全く違うと。
非常にその遺体の方はやせた体型であって、ぽっちゃり型の山本美保さんとは全く違う。
そして着ている物も、全く見た事が無い物であると。

で、そもそも柏崎の海岸にですね。
バッグを置いて自分で入水自殺をしたとしてですね。
そこから13日でですね。
失踪して17日ですから、柏崎から13日で遊佐の海岸に届くとは考えられない。
様々なことを考えていくとまずですね、これは有り得ない事であるとしか思い様が無い。
しかし警察は今でもこの山本美保さんの事件はDNAが一致したと言うただ一言だけで、もうこれで終結したかであるかのような事を言ってるわけでございます。

更にそれより前にはあの9・17の北朝鮮が拉致を認めた時に、日本政府はですね。
被害者家族の皆さん、今日お見えの増元さんなんかもそうですけれども、これに対しまして何とかして、要は拉致問題を終わらせようと言う思いでですね。
本当に亡くなったと言う事の確認もしないで「亡くなりました」と「間違いありません」と言うことを伝えております。
その時北朝鮮側からはいつ死亡したかと言うことの一覧表も出てるんですが、逆にご家族が「じゃあいつ亡くなったんですか?」と聞いても「分かりません」と答えると。
あの分かってるんです。
分かってたのに、「分かりません」と答えてる。
後で国会の質問の中でその事を問いただされて、外務省は「翻訳に時間がかかった」と言う事を言っております。

A4の紙、わずか3枚です。
私が翻訳したって5分で済みます。
それを6時間もの間少なくとも家族に伝えなかった。
後で新聞がリークをして明らかになったと言う事件でございまして、こういうこと全てがですね。
やはり拉致問題を終わらせようというような動きの中で起きているのではないか?というふうに残念ながら考えざるを得ません。
そのような懸念は今も常にございます。

我々自身もそういう意味で言うと単に国をですね、「頑張ってくれ」と言うだけでは済まない。
やはり間違っている事については厳しくですね。
正して行かなければいけない。
と言う緊張関係が絶対に必要であるというふうに思っている次第でございます。

今日本政府がやっている拉致の解決の仕方と言いますのは、どういうことをやってるかと言いますと、警察が捜査をしてそして証拠が集まったという者に関しては内閣へ渡してですね。
内閣が認定をする。
そして認定をした者を今度は外務省が北朝鮮に交渉をすると、そういうやり方でやっているわけでございます。
しかしこのやり方でやってますと、拉致被害者の方はほとんど皆北朝鮮で死んで行かなければなりません。
生きて帰ってくる人はおそらくほとんどいないだろう、言うふうに思います。

警察の捜査と言うのはもちろんそうして貰わなきゃいけないんですけども、法と証拠に基づいて。
証拠もないのに捕まえられたらですね。
これはたまらない訳で、当然証拠がなければいけない。
しかしそれは逆に言えばどういうことかと言うと、昔の事件なんか分からないと言う事です。
山本美保さんが失踪した昭和59年の6月4日、皆さんこの中でですね。
まだお生まれになってない方もおられるかもしれませんが、生まれておられた方でも昭和59年の6月4日に何をしてましたか?言うふうに言われてですね。
私は朝に何を食べて、昼はここに行って、夜はここで一杯やったと。
そんな事が説明できる人がいたらですね。
それだけで十分に飯が食えるわけでございまして、そんな事できるはずが無い。

ところがそれが分からないと中々ですね、警察としては認定をするところまで持っていけない。
そしてつまり全体の中でごく一部の人だけが認定をされるという事になり、その認定をされた者をですね。
今度は持っていって、内閣で「じゃあこの人は間違いありません」と警察が言ったとしても、今度は政府が「いや、しかし日朝国交正常化をやりたい」「それのハードルを上げたくない」
あるいは人数が増えるとですね。
「北朝鮮が硬化する」とか何とか言って、中々ですね。
これを拉致の認定をしようとしません。

田中実さんを認定したのは今年の4月ですけども、田中実さんについては警察は去年の段階から内閣の方に出しておりまして、これはもう一人別の小住(健蔵)さんと言う人と一緒にですね。
拉致認定するべきだと言ってたんですが、政府が認定したのは今年の4月なんです。
田中実さんの認定の前には9・17の後で、曽我ひとみさん・ミヨシさんとか、石岡さん、松木さんなんかを認定した時からですから、2年半経ってやっと一人です。
このやり方でやってますと、ともかく100人で200年くらいかかっちゃいますね。
とても間に合わない。

そして今外務省が話し合いをすると言ったって、ただ話し合いをするだけです。
経済制裁も何もしていません。
経済制裁はどういうふうにやるかと言うと北朝鮮側にその意思を代えさせるという事にあるわけでありまして、話し合いで「分かりました、返します」と言うふうに言う人であればですね。
相手であれば、そもそも拉致なんかするわけが無い。

そしてこの問題はですね。
もし北朝鮮の中のテログループとかゲリラとか、そういう者が拉致をしたんであれば北朝鮮の政府と関係を良くして、そして北朝鮮の政府に取り返してもらうと言うことも出来ますが、話してる相手が犯人なんですから。
それにですね、どうかゆっくりお話をして「返して下さい」なんて事を言ったって、返してくれるはずがありません。

今年の6月に参議院の内閣委員会の質問の中にですね。
これに細田官房長官が答えて「どうやって取り返すんですか?」と聞かれてですね。
「それは相手方の国の政府で、そこにいる訳だから相手側とゆっくり話をしてですね、そして分かりましたと、おりましたと、返しますと言うまで粘り強く話し合いを続けます」
と言うのが官房長官の答弁でございまして、これはつまりどういうことかと言いますと、逆に言えば「我々は絶対に拉致被害者を取り返さないぞ」と言う決意を、国民に向けて示しているのとほとんど同じ事、でございます。
ですからその対象と言うのは今拉致されている人だけではございません。
もし皆さんのご家族が拉致をされたとしても、その拉致された人をこの国の政府は助けないと言う事でございます。
ですからこの状況を変えていかなければならないという事なんですね。

時間がありませんので、後いったいどうすれば良いのか?と言うことだけお話して終わりたいと思います。
今警察がやって内閣が認定してと言うこのやり方だけではどっちにしても間に合わないわけでございまして、情報をとにかく収集していかなければならない。
本当はCIAのような情報機関があってどんどんやっていかなければならないし、我々もそれを各党に要請したりしておりますけれども、まぁ待ってるわけにも行かない。
取りあえずは我々特定失踪者問題調査会で出来ることは限られておりますが、その真似事をやりながらですね。
方向性をそっちに持っていこうと考えております。

今の日本だって、各情報機関の情報が一緒まとめられれば、かなりの事が分かります。
そういうことをやりながら、どこにいったい誰がいるのか?と言うことを特定していって、そしてその上で北朝鮮の体制の崩壊へ誘導していく。
それは日本の力で、経済制裁を始めとするいろんな物を使えばですね。
別に戦争をしなくたって十分に成し遂げる事ができる。
向こうの体制が崩壊すれば北朝鮮の2000万の国民も、それから最近話題になっておりますタイ人の被害者とか、そういう方も皆助ける事ができますので、そこへ何とか持っていくというふうにしたい。

その後これを助けに行かなければいけない訳でございます。
それももう準備をしておかなければいけません。
助けに行くのは誰がいくか?と言えばそれは当然自衛隊が行くべき事でありまして、それ以外場合によっては危険になるかもしれない所に行かせられる者というのは有り得ない訳でございます。
そのために我々は年間数兆円の税金を払って自衛隊を維持をしている訳でございますから、そういうときには当然使うべきであろうと。
私自身も予備自衛官ですから、その時はぜひ一番最初に連れて行ってもらおうというふうに思っている次第でございます。

で、ともかく今ですね。
北朝鮮の体制の中は相当緩みが出ております。
いつ何が起きるか分かりません。
で、ぼ〜っと待ってて事態が来てから準備しようなんてことはとても間に合うはずが無い。
今からでも出来ることは全てやっておかなければいけないというふうに思っております。

この会場でも流していただきました短波放送をこの10月の30日から始めました。
先ほど増元さんに聞いた話ではマスコミの方からですね。
平壌でも聴こえたと、言う話だそうでございまして、ともかくラジオで何とか聴いててくれれば向こうの被害者の方には通じるかなと言うふうに思っておりますし、直接ご本人が聴けなくても誰かが聞いたものが風の噂でも伝わってくれればと思っております。
この放送を12月中に時間を延長いたします。
より聴ける機会をとにかく増やしていきたい、と言うふうに思っておりまして、とにかく我々の手で出来ることはすべてやりたい。
私自身は来年の末までに全ての拉致被害者を救出すると言うことを公約を致しておりますので、そのために全力を尽くして参りたいというふうに思っております。

こういう物をやりながらも、とにかくこの国自体がですね。
世界中から見れば拉致の事に関して非常に積極的になっていると見えているのは事実です。
我々中にいるものは非常にまだるっこしいですけども、世界中から見れば非常に前に進んでいると見えております。
この国の力からいえば、拉致問題なんか解決できないはずはございません。
北朝鮮は日本と比べればはるかに小さい、そして国際的な信用も無い国でございまして、この世界第2位の経済大国である日本が北朝鮮にですね。
拉致をされたまま、いつまで経っても何も出来ないなんてことは絶対に無いんです。
この国民にはその力がございます。
そしてその国の力を動かすのはここにお集まりいただいた皆さんでございます。

皆さんの声がこれまで政府を動かしてまいりまして、ともかくは5人とその家族を取り返すことが出来ました。
もう少しやっていけば私は全ての人を取り返せると思います。
3年前の10月15日に羽田空港のタラップの下で降りてくるあの5人を見まして、私が一番最初に感じた事は「何だ、やれば出来るじゃないか」と言う事でございました。
やれば出来ると確信して、それまで運動をやってきた私でさえ本人たちを見てですね。
やれば出来るんだということを実感した。
我々にはその力がございます。
その力を我々で、本当に現実の物としてそして全ての方を無事取り返す。
言う所まで行こうではございませんか!

今後ともご協力をお願いしまして私の話を終わります。
ありがとうございました。(拍手)

2005年12月07日

三多摩市民集会(2)05.11.21 立川アイムにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表のお話 その1』

Img_1120.jpg

ご紹介いただきました荒木でございます。
本日はお忙しい中お集まりいただきまして誠にありがとうございます。

これからまず私がお話をいたしますのは、この拉致問題の全体というのをどう捉えるべきか?と言う事でございます。
先ほど各議員から大変熱心なお訴えがございましたけれども、この問題というのはやはり単にですね。
拉致被害者の方々、あるいはご家族が可哀想だからやるんだと、言うことではないと言う事でございます。
北朝鮮の拉致と言うのは昭和20年代からおそらく始まり、つい最近まで続いている事でございます。
おそらくは今北朝鮮が拉致をやめたという証拠も無いわけでございまして、これから先もやられる可能性はある。
そしてその対象となるのは、まぁ何の北朝鮮に関係の無いごく普通の市民であるわけでございます。
今日お話を後でされます増元照明さんのお姉さん、増元るみ子さんももちろん北朝鮮には何の関係も無い方だったわけですが、そういう方が犠牲になる。
と言う事でございまして、この問題は根本的には我々の安全をどう守るか?という事になるわけでございます。

昭和43年に富山県の入善町と言うところで失踪した女性で屋木しのぶさんと言う方がおられますが、その屋木しのぶさんも入善の実家に帰る前にこの立川の高松町の、この辺り完全に風景が変わってしまったので、元がどうだったのか分かりませんけれど高松町にあった美容院に勤めていました。
半年くらい勤めて、それから富山に帰って突然の失踪をすると。
我々はこの方については拉致の可能性が高いだろうと思っているわけですが。
あるいは立川の中で目を付けられていたと言うことがあったかも知れません。


・・・調査会HPより資料を引用・・・
http://chosa-kai.jp/index.html

氏名 屋木 しのぶ
失踪年月日 昭和43(1968)年1月中旬
生年月日 昭和23(1948)年1月27日
当時年齢 19
当時身分 美容師。インターンとして入善町の美容院に勤務
特徴
中肉だが骨太でがっしりした感じにもみえる。目がくっきりした二重でかわいい顔立ち。編み物、裁縫をするなど手先が器用。本を読むのが好き。
失踪現場 富山県下新川郡入善町の母の実家を出てから
失踪状況
失踪当日、働いていた美容院から休みをもらい、母の実家である入善町新屋の叔母の家に行き、双子の赤ちゃんの帽子と靴下を編んでいた。それができ上がって夕方6時半頃、新屋のバス停に向かった。大雪で叔母が家からバス停へ向かう姿を見送ったのが最後。その後一切連絡なし。お金や荷物は持たず、運転免許証も置いたまま。昭和40年ごろ、いとこの嫁に編み物を習っていた若い女の子がトラックに引き上げられそうになったことがあった。平成16年9月30日、富山県警に告発状提出。
・・・引用終了・・・

拉致される対象が例えば私みたいにですね。
年がら年中北朝鮮の悪口を言って歩いているような人間であれば、それはあいつはそう言う奴だからやられるんだろうというふうに思われるわけなんですけども。
残念ながらそういう人間はあまりやられる対象には入って参りません。
ですから私は人に言う時はですね、出来るだけ北朝鮮の悪口を言ってた方が安全になりますよと、(笑い声)言うふうに申してるんですけども。
本当にこの近くで特定失踪者としていなくなっている方、そして拉致被害者。
三鷹の市役所のガードマンであった方久米裕さんですとかございますけども、こういう方が基本的には関係があろうと。

政府認定の被害者でお一人だけ、この久米裕さんと言う方は昭和52年の9月に拉致をされておりまして、政府認定の拉致被害者の中では一番最初の被害者でございます。
で、この方は勤めていたのは三鷹市役所、まぁガードマンとして働いておられたので市役所の職員ではないんですが、お金を借りていたサラ金業者と言うのが現在の西東京市の業者でございまして、この人が在日朝鮮人で。
この人の所に北朝鮮から指示があって40代〜50代の身寄りの無い男を捜して来いと、言うふうに言われた。
サラ金業者ですからお客のデータは持っているわけでございます。
そのサラ金業者、リ・シュウイチ(李修一)と言いますが自分のお客であった久米さんをですね。
誘い出して、そして騙して能登半島まで連れて行きまして、そこから工作員に引き渡すということをやりました。

実はこの事件は久米さんを工作員に引き渡して拉致をした後で、その連れて行ったリ・シュウイチと言う業者はですね。
警察に捕まりました。
これは泊まった旅館の女将がですね。
非常にどうもおかしいと、言う事で警察に通報いたしましてその事が元になって分かったんですが、結局この事件について警察は起訴をすることが出来なかったと。
で、リ・シュウイチという人物は今日本名で、今でも西東京市でごく普通の市民として暮らしております。
それ以降後何の罪も受けた事がございません。
拉致をした実行犯にも拘らず、何の罪も受けずに今でもごく普通に暮らしているわけでございます。

今日本政府が認定をした拉致の被害者と言うのは全部で16人、久米さんを入れて16人になります。
16人の方々が一体どうやって拉致というふうになったのか?と申しますと、大部分の方がマスコミが報道して、それによって明らかになったケースでございます。
久米さんの場合だけはちょっと特別なんですが、横田めぐみさんの事件は現代コリアに朝日放送の石高健次さんと言うプロデューサーが書いた物が発端になって分かりました。
アベック拉致の3件6人、今帰っていない増元るみ子さん・市川修一さんを含めて、後帰国しています地村さんご夫妻・蓮池さんご夫妻。
この方々についてはですね。
産経新聞の昭和55年1月7日のスクープで、明らかになりました。

それから原敕晁さんと言う大阪のコックさん。
中華料理屋に勤めていたかたですが、この方は拉致をされて、中華料理屋の店主が在日朝鮮人で、この人の所に北朝鮮から指示が来まして、やはり一人男を連れて来い。
言われて、自分の所に勤めていた原さんを連れ出して、そして宮崎から拉致をしたと。
この原さんに成り代わりまして辛光洙と言う北朝鮮の工作員が、原敕晁の名前のパスポートですとか運転免許証を持って行動しておりました。
この事件は辛光洙が韓国に入ったときに通報によって捕まりまして、明らかになったと。

それから埼玉県の川口出身の田口八重子さんですが。
この方の場合は大韓航空機爆破事件で金賢姫が捕まりまして、そしてその金賢姫が自白をしたと。
リ・ウネという名で呼ばれていた日本人の女性から、日本語とか日本の風習とかを教わりましたと。
それによって事態が明らかになりました。
もし金賢姫が自殺をしていたら、あるいは全く見つからずに逃げていれば、田口八重子さんが拉致だったと言う事は誰にも分からなかったわけでございます。

あるいはヨーロッパで拉致されました有本恵子さん、それから石岡享さん、松木薫さん。
この3人につきましては、石岡享さんが札幌のご実家に出した手紙で分かりました。
出した手紙と言ってももちろん平壌で手紙を投函してですね。
届くわけはない。
極秘にヨーロッパの人に頼んで、出国してから手紙を出してもらって、分かったと。

曽我さんなんかに至ってはですね。
誘拐犯である北朝鮮の方が、日本が何も言わないのに拉致だというふうに言ってしまうと、いうケースでございまして。
こう考えてまいりますと、今政府が認定している11件16人のうちですね。
日本政府の方が先に誰も知らない時に、これは拉致なんだ・北朝鮮がこういうことをやっているんだと発表したケースは実はただの一件も無かったという事になるわけでございます。
政府が発表したのが一件も無いのはどういうことかと言うと、今発表している16件以外にはるかにたくさんの人がやられていると言う、紛れもない証拠でございます。

我々色々全国あちこち回りまして、警察の関係の方とかあるいは警察のOBの方とかいろんな方からもお話を聞きますが、やはりですね。
各地に行きまして、「いや、実はあの失踪者の事件は拉致だと言うふうに思っていたんだけど、上に上げたら潰されてしまった」と、言うような話をですね。
あちこちで聞かされます。
それも国全体の構造の問題なんですが、この拉致問題について間違いなく日本政府は、はるか昔からこの事件のことを分かっていた、と言う風に思わざるを得ないです。
そしてそれにも関らず、国民に対して警鐘を鳴らす事もしなかったし、それに対する十分な対応もして来なかった。
それによって次から次へと拉致の被害者がまた出て行ったと、言う事であろうと言うふうに思います。

この問題と言うのは、ですから単にその時その時にたまたま起きた事件ではない。
北朝鮮のその工作機関の人間が、今度は特別拉致をやるかと言うふうに思ったわけではなくて、拉致をやるということ事態が北朝鮮にとって当たり前の事で、その当たり前の事のためにですね。
莫大なシステムを北朝鮮はこの日本の中を含めて構築したという事でございます。
皆さんは拉致と言いますと大抵はですね。
日本海側で、袋か何かを持ってですね。
待ち伏せをしていて来た人を捕まえて連れて行くというイメージが多いと思うんですが、そういうケースは実際はごくわずかしかございません。

これはどういうことかと言いますと、拉致の対象者と言うのはですね。
ほとんどのケースがず〜っとですね。
その人に狙いをつけて、何ヶ月もの間ですね。
その人の行動パターンとか家族構成とか特技だとかそういうものを調べておいて、そして何らかの形で騙して連れて行く。
言うパターンがおそらく一番多いからでございます。

北朝鮮と言う国は自分で物を作る事をしません。
他人から皆貰ってきて物を作ると言う国なんですね。
前、新宿のですね。
焼肉店に行った時に、北朝鮮製のぶどう酒が置いてあったのを見たことがあります。
飲んだんですけども味も酷い味ですが、味よりびっくりしたのはこうやって皆さん見てですね。
ビンと言うのは左右対称である。(壇上に置かれたミネラルウォーターのペットボトルを手にとってかざす)
当たり前の事でございますけども、そのビンと言うのは左右が対象になっていない。
曲がっているんです。
今時ですね、輸出用ですから。
輸出用のぶどう酒のビンがひん曲がっている国なんて、世界中でいくつ探してもそんなに滅多に見つからないだろうと思います。
これはいうまでもなくそれくらいの基礎的な技術力しかないという証拠ですね。

それくらいの技術力しかない国が何で核兵器を作れるのか?
何で物凄く精巧な偽札が作れるのか?と言う事でございます。
北朝鮮製の偽札と言うのは、今はスーパーK だとかスーパーXだとか色々ございますけども、非常に精巧に出来ておりましてアメリカの本物のドル札よりも良く出来てるんだそうです。
本物のドル札と言うのはアメリカ人いい加減ですから(印刷が)適当にずれていると。
北朝鮮製のドル札はずれが無いんだそうでありまして、そんな精密な技術と言うのは中々普通の国は持っていない。
どうしてそういうのは持っているんだ?
元々彼らが持っていた技術の中では絶対にありえないんです。
それは何処からか技術を持ってくるか、場合によったらば人を連れてきて作らせると言う事しか有り得ないわけでございます。

でそういうふうにする事を考えるとですね。
昭和40年前後に東京の東の方から千葉にかけて、印刷関係の方でいなくなっている方が何人もおられます。
もしこの方々が拉致であれば、おそらく間違いなく偽札を作る為に技術者が必要だったと、言う事なんではないだろうか?と言うふうに思っておりまして。
そういうふうにして連れて行かれた方というのはやはり少なくないだろうと、言うふうに考えております。
こういうふうにして連れて行かれた方々の数が一体どれ位になるかと言うと、おそらくどんなに少なくても100人以上で、おそらくはそれよりはるかに多い数。

一番最初はまずですね、この日本の中、おそらく立川にもいるんだろうと思いますけども、この地域は昔米軍の立川基地がありましたし、それから今でも横田の米軍基地があります。
そういう米軍の基地は拠点になってますから、この近くに必ず工作員の組織があることは間違いがありません。
そういう所にですね。
何人も拠点になる人間がいまして、で自分の知り合いの中で例えば日本人で北朝鮮に関心を持っている・北朝鮮が好きだという人で適当な人間がいた場合には、その人に話をして「どうだ北朝鮮に行ってみないか?」と言うふうに言う訳ですね。
で「分かった」と、「じゃあ行こう」と言えばこれが一番簡単です。
一番手間がかからない。
 
で、そういう人があまりいなかった場合には、北朝鮮に関心を持っているような人。
例えば北朝鮮の映画を観に来ただとか、なんかそういう集会に来ただとかですね。
そういう人を狙いをつけておいて、色々普通の話をしておいてどういう人かと言うのを確認したうえで、その人を例えばですね。
「ちょっと一月か二月の間北朝鮮に勉強に行って見ないか?」「ただで行かしてあげる」「ただし日本から北朝鮮に普通で入れないんでちょっと特別な手を使うから、任してくれ」と言うふうに言ってですね。
そして、行ってみたら帰れなくなったというケース。

これはあの1970年にありました、よど号事件のハイジャッカーのかみさん達ですね。
いわゆるよど号の妻たち、これがこのケースに当たります。
彼女たちも最初に行く時はですね。
北朝鮮にずっと住むなんて事は全く考えてないです。
ほとんどの人は行って暫くしたら戻るつもりでいたと。
そうしたら戻れなくなったどころか、よど号グループと無理やり結婚させられてしまったと。
ただ、彼女たちの場合はそれでもですね。
元々北朝鮮にシンパシーを持ってた人たちですから、じゃあそのままその気になってしまうと。
その気になってしまったので、問題が大きくなってませんけども、あれだって本人たちが「そんなはずじゃなかった、私帰る」と言い始めていればですね。
騒ぎになっていればあれは拉致と言う事は間違いは無いです。

で、そうやってある程度シンパシーも持っている人間もいなかった場合はどうするか?と言うと、騙して連れて行く。
この立川の街中だって簡単に拉致なんかできます。
人間関係、物凄く遠い人間関係、会ったことも無いような人であれば当然警戒をする。
それから物凄い近い関係であれば、周りの人にもこういう人知ってる?と言うことを言う。
出入りの業者くらいの人間関係、人であればですね。
会えば挨拶をして話をするし、また逆にですね。
例えば家族だとか近い人にこんな人がいるんだと言うことは余り言わない。

そういう人と、例えばこの立川でですね。
高島屋の前かなんかでバッタリ会う。
「丁度よかった」と「ちょっと仕事の話があるんですけど20分だけ時間を貸してくれませんか?」「すぐそこに事務所ありますから」と言って連れて来られて、例えばこの部屋でもそうですが、一端中へ入ってしまえば全くの密室です。
入った途端に当身を食らわされて気絶して、そして段ボール箱か何かの袋に入れられて台車に乗せられてですね。
で、運ばれる。
荷物として偽装してですね、運ばれてしまったら誰にも分かりません。
でワゴン車に詰め込まれてそして車で走ればですね。
日本海岸であろうが太平洋岸であろうが何処にもすぐに行く事ができると。
そうやって連れて行かれるという事でございます。

・・・続く・・

2005年12月05日

三多摩市民集会(1)05.11.21 立川アイムにて

『出席議員の紹介と挨拶』

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※三多摩市民集会実行委員長天目石要一郎・武蔵村山議員による出席議員の紹介と議員の挨拶

★天目石要一郎氏(武蔵村山市議会議員)

皆様こんばんは。
今ご紹介を頂きました地方議員の会の天目石(あまめいし)と言います。
今回の会を開催知るに当たりまして、まずこの会がどういう経緯で開催される事になったかをちょっとお話させていただきますと、丁度この会場の後ろの方でタスキと言いうかしていらっしゃいます入倉さんご夫妻がいらっしゃいます。
この入倉さんご夫妻が皆さんおそらくご存知だと思うんですが、かれこれ丁度一年半ほど毎週土曜日に丁度立川駅の北口で、どうにかして山本美保さんを救出するんだと、横田めぐみさんを救出するんだと、ポツポツと署名(活動)をされていました。
そこで私が友人からこういう方がいらっしゃるよと言う事で聞いていて、僕も何か手伝えませんでしょうか?と言う事で入倉さんにお願いして一緒に細々とですけども、一緒に署名をさせていただいていました。

そしてこの地域でどうも何人もの方が北朝鮮に拉致されているんではないか?と言う可能性が高い方が何人もいるにも拘らず、この地域でほとんど話題になっていない。
そして皆さん余り知られていないと言う事で、どうにか改善をというか、地域の皆さんに関心を持っていただきたいと思って、今回の会を開催いたしました。
本当にご来場いただきましてありがとうございました。
そして今日、多くのこの多摩地域の地方議員・国会議員の方が駆けつけて下さいまして、この地域から拉致問題と言うことを真剣に取り組んでいこうと言う事でこれだけの方が集まってくれました。
お一人お一人に、一言自己紹介とメッセージをいただこうと思います。
是非そうしましたら、まず長島さんからお願いします。

★長島昭久氏(民主党 衆議院議員)

皆さんこんばんは。
この地域から選出いただいております、衆議院議員の長島昭久です。
ただ今、民主党の拉致問題対策本部の副本部長を務めさせて頂いています。
総選挙までは衆議院の拉致問題対策特別委員会の理事もさせていただいてます。
この問題に関らせて頂いて長いわけですけども、まだまだ出口の見えない、今も尚北朝鮮の圧制の中で苦しんでおられる人が、たくさんおられる。
私たちも、今安倍官房長官に代わりましたので少しは進展が見られるかなと言う思いも持っておりますけれども、今お話のありました山本さんを始め特定失踪者の方々も含めて、全ての方が生還されるまで全力で皆様と一緒に頑張っていきたいとこのことをお約束申し上げまして一言とさせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)

★酒井大史氏(さかいだいし 東京都議会議員 自民党)

皆さんこんばんは。
ご当地立川市選出の東京都議会議員、坂井大史と申します。
私は都議会議員としてのライフワークとして、犯罪被害者の方の支援活動を行っております。
この拉致問題も北朝鮮と言う国家によるテロの被害に遭ったその被害者であると思います。
この方々の救出に向けて、そしてこの日本でもう一度生活を立て直していただく為に、微力ではありますけども全力をもって皆さんと一緒に活動をしていきたいと思っております。
皆さん一緒に頑張りましょう。
ありがとうございました。(拍手)

★守重夏樹氏(立川市議会議員)

皆さんこんばんは。
地元立川市議会の森重と申します。
長島さんの国会、坂井さんの都議会、そして私たち市議会と、立川の中では一本大きなパイプを通して市民の皆様方の声をそれぞれの国政・都政・市政へと全力で活動しております。
今日の拉致問題集会、一石を投じないと波が立ちません。
この波は本当に緩やかであるな、と思っておりますが確実に広がっている事は確かです。
どうかこれからも皆様方と一緒に頑張っていきたいと思いますので、皆様方も一生懸命頑張って行こうではありませんか。
宜しくお願いします。(拍手)

★梅田春生氏(立川市議会議員)

こんばんは。
私も立川の市議会議員で梅田春生と申します。
本日特定失踪者(問題調査会)の荒木和博先輩と真鍋さんが立川に来ると言う事で、私の民社党青年部時代の先輩でございます。
私もまだこの問題が、かなり皆さんにメジャーになってくる前に一緒に真鍋さんと荒木さんと共に、渋谷の駅前等などでプラカードを持って活動をして始めの頃はよくまいりました。
最近は少し大人しくなっているかなぁと思っております。
これからも長くなるとは思いますが微力ですが頑張っていきたいと思います。
宜しくお願いします。(拍手)

★太田光久氏(立川市議会議員)

どうも皆さんこんばんは。
地元の立川の市会議員の太田と申します。
先日は立川の駅頭で署名を致しました。
そしたら今日の集会のハガキを頂きまして、駆けつけた所でありますけれども。
立川では救援活動が大変遅れているという事で、お手伝いできる事があったらお手伝いしたいと思っています。
どうぞ宜しくお願いしたします。(拍手)

★木野常男氏(昭島市議会議員)

どうも皆さんこんばんは。
私は隣の昭島市の市議会議員の木野常男と申します。
パフォーマンスの外交ではなく、経済制裁を含めた何かをやって行かなければならないのかなぁと思っております。
早く拉致された皆さんが元気で日本に帰れるよう、皆さんと共に頑張っていきたいと思います。
本日は参加をいただきましてありがとうございました。(拍手)

★渡辺眞氏(わたなべただし 日野市議会議員)

日野市議会議員の渡辺眞と申します。
日野市では古賀(俊昭)都議会議員を先頭に、私そして梅田市議会議員がこの一年半ほど日野の各駅、日野駅・豊田駅、そして高幡不動の駅で順繰りにもう30回近く活動を続けてまいりました。
私たちも北朝鮮に対する経済制裁をと言う事で市民の方々に訴えてまいりました。
日野市は今特定失踪者が、3人居る事になっております。
このまま小泉さんが大勝した勢いで日朝国交正常化などという事になってもらっては、被害者数百人が全然帰って来ないでそのままになってしまうと言うことを大変恐れています。
何とか拉致問題の全面的解決と言う事は、全員が帰ってくる事だと言う事を皆様方に訴えていきたいと思っていますし、小泉さんの暴走を何とか止めたいと思っています。
よろしくお願いします。(拍手)

★井上健氏(国立市議会議員)

国立の市議会議員の井上健です。
最初私の胸にこのバッジじゃなくて、ブルーのリボンですね。
それが私も付けはじめたのは平成15年からつけまして。
それ以来一時も離した事はありません。
どんな場所にでも必ず付けて行きます。
いつまでこれを付けて行かなきゃいけないのか?
何回こういう集会をやらないと北朝鮮から帰ってこないのか?
もう3年目になりますか。

日比谷公会堂でやったり、全国、あとは外務省に抗議に行ったり色々やりました。
小泉さんは対話と圧力、対話と圧力と言いながら対話も通じない圧力もしない。
いつまでかかるか分からない。
もし自分の子供だったら毎日眠る事が出来ないんじゃないかと思います。
そういう拉致された家族の皆さんの気持ちになって真剣に活動していかなければならないと思います。
対話と言いますけども元々犯罪国家で、産業と言えば、麻薬と拉致と偽札くらいしか産業が無いわけです。
そういう国とまともに対話しようと言うことが、最初から間違っているんじゃないかと思います。(拍手)
そういう面からも色々に真剣にこれからも取り組んでいきたいと思います。
よろしくお願いします。(拍手)

★田中清勝氏(立川市議会議員)

立川の市議会議員の田中清勝と申します。
先ほど来お話がありましたように、私たちも市議会議員が今日4名来ております。
これ市民フォーラムと言う会派を組んでございまして、そしていて民主党の、私自身も民主党の党員なんですけども、長島さんが国会、坂井大史さんが都議会、そして4人の会派のメンバーが今日参加する。
これどういうことかと言いますと、やはり国の問題だけでは解決できないだろうと。
それと同時に都議会、更にはこの地元の市議会も一緒になって応援しなければ、今回の拉致問題は国の問題だけで解決できるレベルじゃなくて、我々の地方の方の皆さん地域の皆さんの一人一人皆さんの意思を国へまたは相手の国へ伝えなければいけないんじゃないかと。
そういった意味では一緒になって国とそして地方が一緒になって、この拉致問題解決しようと意気込みで今日は参加させていただきました。
どうぞそういった意味で皆さんと一緒に歩ませていただきますのでよろしくお願いいたします。(拍手)

★波多野正敏氏(武蔵村山市議会議員)

皆さんこんばんは。
私、武蔵村山市議会の波多野正敏と申します。
同様の議員でございますが同じ市議会の天目石、今回の実行委員長といいますか同僚でございます。
拉致問題でございますが、まず拉致の問題の解決なくしては、どなたかも仰いましたが国交正常化は有ってはならない事でございます。
それが第一の前提にならなければ小泉政権が、私も自民党員でございますが、これはおかしい事だと普段から思っております。
なんやかんや、先ほども言いましたけどもパフォーマンスだけで対話と圧力と言うけれど、一つもやってないのが現実でございます。
2度小泉総理は行きました。
それなりに成果はあったと思います。
ただ、その先を国交正常化一本に絞ろうとしているように感じます。
拉致被害者の救出が無ければ国交正常化はならない、というと言う事を私はお誓いを申し上げて挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)

★関野杜成氏(せきのたかなり 東大和市議会議員)

どうもはじめまして。
私は隣町の東大和市議会議員の関野杜成と申します。
今回この拉致問題に参加させていただいたのは、隣町で一緒にやらせて頂いております天目石議員からの紹介でやって参りました。
私は詳しいことはまだ分かりません。
ただ、正直メディアで見ている内容とこういった勉強会で聞く内容と全く違うかなと、言う所は本当に思っております。
メディアで本当に、今日参加している皆さんが思っておられるか?
実際にやってきた方々の意見を聞いてどのように思うか?
その思った気持ちで国民・市民がもっと大きな声で、この三多摩地域で大きな声を上げる事が本当に必要だと私は思っております。
微力ではありますし、私も32歳という若さです。
これからドンドンと力強く行動で移さなければいけないと思っております。
簡単ではございますけども、ご挨拶とさせていただきます。(拍手)

★興津秀憲氏(国分寺市議会議員)

皆さん、こんばんは。
国分寺からやって参りました、興津秀憲と申します。
私はもっとシンプルに考えていまして、もし自分の子供が拉致をされたら、そう思ったらですね。
こういう活動をせざるを得ない。
つくづくと感じます。
心底思っています。
そしてこのことは国家的な犯罪であると言う事を、強い憤りを持って感じております。
皆様と共にですね。
微力ですけども、少しながら一歩でも前進して行きたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)

★清水仁氏(甲府市議会議員)

山梨県甲府市の市議会議員をしております、清水仁と申します
今後ともよろしくお願いします。(拍手)

★再び天目石要一郎氏

皆様本当にありがとうございました。
あと実は会場であと何名かいらしていますので、お名前だけでも紹介させていただきます。
私と同じ武蔵村山の議員さんで須藤(博)議員、ちょっとご起立をお願いしたい。(立ち上がって会釈、会場より拍手)
府中の杉村(康之)議員、一生懸命今回の集会の準備で動いてくれています。(立ち上がって会釈、会場より拍手)
こういう多くの方たちの力で今回、こういう会を開催する事ができました。
少しでも皆さん、拉致問題に関して何かしら関心を持ってですね。
一日も早く、今度(集会を)開く時は「お帰りなさい山本美保さん」と言う事で会が開けるようにと、思っております。
是非お力添えをお願いいたします。(拍手)
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