2010年11月07日

笑って往く理由

昨日茨城県阿見町の予科練平和祈念館を訪ねてきました。
http://www.town.ami.ibaraki.jp/yokaren/index.html

先月30日には、NHKハイビジョンでの特集番組「人間爆弾桜花」の放送も視ました。
それらの感想を書いて紹介するのが、本来の物の順序なのですが、それより先に書き記したいことがあるので順序の逆はお許しください。


さて。

自分の特攻の大叔父もそうでしたが、特攻で戦死された方の遺書を読むと、そのほとんどが「笑って往くからお父さんお母さん、どうか悲しまないでください」とか、「笑顔で私の帰りを迎えて欲しい」などと書かれた物がほとんどであることに気がつきます。

ちなみに、私の特攻の大叔父が両親にあてた遺書の全文は以下の通り。

  父母様
  幾星霜今日迄愛し育て下された母様
  何一つ孝を致さず何をもお詫びの申す言葉も有りません
  今迄何度か家を訪問致し私の心を明けんと致しましたが
  何か糸にでも引かれる思ひ致しそれも出来ませんでした
  今に成って何も申し上げる事は有りません
  十分御身体を強健にもたれ東洋平和をお待ちください
  父母さまも私が搭乗員に成るをお許し下された以上
  御覚悟は出来て居られた事と思ひます
  私も覚悟は出来ました
  我々が死んで皆様が幸福に成られたら何で惜しみませう
  決して父母様には驚かれず私の帰りを笑って迎へてくださいませ
  御身御自愛の程を

  昭和二十年
  父母様   正義
 
 ※旧仮名使いは現代表記に改めてあります。


非情なまでの死を前にして、何故彼らは笑って往くのか?往こうとしたのか?
実際の出撃の場面でも、特攻兵の多くは笑って特攻機に乗り、出撃していったと記されている資料がほとんどです。
特攻隊員への多くが「笑って往く理由」が、私には長いこと、どうしても理解できずにいました。


ちなみに、私の特攻の大叔父が、特攻機桜花に移乗するときの様子が、母機の一式陸攻搭乗員だった故・室原知末氏の手記に残されていますので、一部引用紹介させて頂きます。


・・・引用開始・・・

 変針から五分経ったころ、石渡兵曹は子飛行機の「桜花」へ移乗する準備にかかった。まだ少し早いのでは?と思っていると、指揮官席を離れ操縦席の後ろへ来て、
「では、そろそろあちらへ移りますから、よろしくお願いします。お世話になりました。では往きます」と、言葉短に挨拶をかわした。私は石渡兵曹と、目標の位置はブザーで送るが、符号は打ち合わせどおり、左前方の時は「モ・イ」、右前方の時は「モ・タ」とし、「桜花」発信は「ク」の長音が終わった直後に発射装置の電鍵を押して母機から切り離すからと、再確認の打ち合わせを行った。石渡兵曹は、あらかじめ作戦指令のあったことであり、軽くうなずきながら私の言葉を聞いていたが、「了解」の合図をしてふたたび「では往きます」と、右手を挙げた。別れの挨拶であった。私は胸がつまった。飛長の私があわてて右手を挙げながら、石渡兵曹の顔が笑っているのにぶつかると、正視できないくらいの神々しい気迫に圧倒されるのをおぼえた。
「では往きます」といった言葉の響きは、三十数年を経た現在でも、私の耳底にしんしんと残っていて、いつでも当時の状況を再現することができる。ふつう、「行ってきます」という言葉に始まり、「ただ今帰りました」で終わるのが挨拶の言葉だが、この場合は永遠に帰ってくることのない出発であった。まさに生きている神か、仏陀のようにおごそかなものに私の目には映った。「がん張ってください」私はつぶやいたが、それは相手には聞こえない心の叫びであった。

「天翔ける若鷲 予科練最前線の記録(読売新聞社刊)」より 
室原知末氏の手記「沖縄神雷特攻」の中から一部抜粋

・・・引用終了・・・


私はこの春、大叔父ゆかりの地、鹿児島県鹿屋市と沖縄県の本部湾を訪ねて、直感的に思ったことがあります。
それは、特攻による死がこれ以上ない非業の死である以上、後に残る家族の心に、余計な重荷を背負わせたくはないという思いやり故だったのではないか?と。
死に直面しての苦しみ悲しみもすべて自分一人の胸に収め、「俺は喜んで死んで行くのだから、家族も喜んで俺の魂の帰りを待っていてくれ」という言葉だけを家族に伝える。
それは家族を思う愛情以外の他に理由はない、と。

俺は笑って往く、だから家族には笑顔で自分を迎えて欲しい・・・
逆に言えば、そこまで真摯に思い込まなければとても出撃して往けないほど、特攻の死は非情で過酷な死なのだ・・・とも思う。



昨日、私は茨城県阿見町にある予科練平和祈念館を訪ねてきました。
展示室の壁に記されたある予科練生の遺書の一文。

「私はお母さんにカタミは遺しません。
カタミを遺すと十年後、二十年後もお母さんは私を思って泣くから」
(メモを取ったわけではないので多少の記憶違いがあるかもしれませんが)

後に残る家族を思い、笑って往く若者が、ここにも一人いました。


予科練平和祈念館の最後の展示室は、特攻の映像が流れる部屋です。
その映像を見ながら、私は涙を抑えられませんでした。
死の恐怖を乗り越えて、家族への思いを募らせたが故に、彼らは笑って往ったこと。
その思いを、今を生きる私たちは、真摯に、そして命の重みを身を持って受け止めるべきと、改めて思っています。

国を護るとは何ぞや?本当の平和とは何ぞや?と考えることを止めてしまうのは、犠牲になった多くの先人たちが後世へ託した思いに対しての冒涜である、とも言えるのではないでしょうか?
posted by ぴろん at 17:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月03日

森田健作千葉県知事と特定失踪者ご家族の面会実現

特定失踪者・古川了子さんのお姉さま、竹下珠路さん他、千葉県の特定失踪者ご家族が森田健作千葉県知事との面会をされました。

竹下さんは1週間前にお母様の朗子さんを亡くされたばかり。
悲しみにくれる暇も無く、妹の了子さん救出のため奔走しています。

国は、政治は、いつになったら動いてくれるのでしょうか?
一刻も早い行動を願います。

・・・・・・・・・・・・・・・

★特定失踪者の家族ら 森田知事に問題解決訴え(10/11/03)



http://www.youtube.com/watch?v=n69GzWaAE50



★拉致疑い親族が知事と面会

「北朝鮮を動かす力貸して」
 北朝鮮に拉致された可能性が指摘される県関係の特定失踪(しっそう)者5人の親族らが2日、県庁で森田知事と面会し、問題解決への協力を求めた。

 1973年に失踪した市原市の古川了子さん(当時18歳)の姉、竹下珠路(たまじ)さん(66)が代表して、「知事をはじめ、千葉県中の人々が『主権侵害』を自分のことと考え、政府や北朝鮮を動かすための力を貸してほしい」との要望書を知事に手渡した。

 知事は「日本国として国民の生命、財産を守ることは当たり前。絶対に負けないという気持ちを持って協力したい」と激励した。

 古川さんの母・朗子さんは先月25日に94歳で亡くなった。竹下さんは「拉致は日本海側の問題と思っている人が多いが、千葉の問題でもあることを知ってほしい」と涙ぐんで話した。

 14日午後1時半から千葉市中央区の三井ガーデンホテル千葉で「一日も早く拉致被害者を救出する!国民大集会in千葉」(内閣府、県など主催)が開かれる。

(2010年11月3日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20101102-OYT8T01200.htm
posted by ぴろん at 23:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月28日

特定失踪者・古川了子さんのお母様の告別式に参列してきました

今日私は、一般会葬者の一人として、故古川朗子さんの告別式の末席に参列させて頂いてまいりました。


朗子さんは大正5年のお生まれ。
「“私の名前は朗らかな子と書くのよ”と日頃から仰っていた通りに、母は明るく朗らかな性格で、周囲の人に愛され大切にされた人生であった」と喪主の珠路さんは告別式の最後でご挨拶になりました。

94歳、普通ならば大往生。
むろんこの度の朗子さんのご逝去も、大往生には違いないのですが、「最期の最期に心残りであったのは、了子のことだったろうと思います」と珠路さんは続けてお話になりました。

また「母は声を大きくして了子の事を話す人ではなかった」と亡きお母様の人となりもご紹介になりました。
了子さんとの再会を待ち望みながらも、朗子さんはあくまでも控えめに、
晩年の日々を過ごされたとのこと。



でも、私は思います。
どんなに控えめであっても、声高に救出を叫ばなかったとしても、親が我が子に会いたくないはずはないのです。
他の誰よりも誰よりも誰よりも、朗子さんは娘の了子さんとの再会を待ち望んだはず。
94歳まで一日千秋の思いで命をつなぎながら、ついに愛娘との今生での再会を果たせないまま、最期を迎えてしまった・・・

これほどの不条理が他にあるでしょうか?

飛行機で飛べば半日で辿りつく北朝鮮にいるのに、子が親の死に目にも会えず、親の葬儀にも出られない。
平和な日本で暮していれば誰でも当たり前に出来るはずのことが、当たり前にならない・・・

この哀しい現状が、私は悔しくて悔しくてなりません。



「朗子さんの魂は今、一足飛びに北朝鮮に渡って了子さんに寄り添い、日本で待っている人が大勢いるのだから、しっかり頑張るようにと了子を励ましているに違いないと思っています・・・」

と珠路さんは涙をこらえてお話になりました。

「生きているうちに母に会わせることは出来なかったけれど、元気で日本に連れ帰ってきて必ず母の墓に参らせたい、それが私の目標です」

とも。



拉致問題を解決するには、国が、政府が動かなければ、どうにもならないのです。
一体いつになったら、国は政治は、本気を出して動いてくれるのか?
行動をしてくれるのでしょうか?

待って待って待ち切れずに、あの世に旅立つ親御さんを、私たちはあと何人見送ればいいのでしょうか?

親が我が子に会いたいと願う・・・そんな普通の望みさえ叶えることも出来ないこの国は、いったいどういう国なのでしょうか?

隣人が人知れず流す無念の涙を、私たち一般の国民は、知らんふりをしていて良いのでしょうか?



朗子さんの安らかなお顔に手を合わせながら、もう一度、私は誓いを立てました。

お母様がお元気なうちに了子さんを取り戻せなくてごめんなさい、と。
その代わり、私は、世論を動かし国を動かし政治を動かして、被害者を取り戻すために必要なものを追い求めて、微力ながら今後も支援活動を続けます。
必ず了子さんを助け出して、お母さんの元に連れてきますから、それまでもうしばらく待って下さい、と。



故・古川朗子さんのご冥福を心よりお祈り致します。
それと共に、必ず了子さんを救出してお母様の墓参りが出来るよう、今後も微力ながら力を尽くすことをお約束しますので、どうか安らかにお眠りください。
posted by ぴろん at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

ブルーリボン御礼

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いよいよ、10.23集会が目の前に迫ってまいりました。
集会当日と事前の告知街頭に使うブルーリボンを募集したところ、複数のボランティアの方からご協力を頂き、心をこめてていねいに作られたリボンをたくさん送っていただきました。
お陰さまで配布用にパッケージしたリボンは、全部で2500個という、予想以上の数を用意することが出来ました。
この場を借りて、ご協力いただいたボランティアの方に御礼を申し上げます。

10.22事前告知街頭ではこのうち1500個のリボンパッケージを、集会告知チラシと共に配布する予定にしています。
拉致被害者を救いたいという願いのこもったリボンを、一人でも多くの方の手に届けるため、10.22告知街頭に参加してくださるボランティアも募集中です。

引き続きご協力をお願いいたします。


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『北朝鮮による拉致被害者救出のための集い』
           告知のための街頭活動
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10月23日都庁広場において開催される
『北朝鮮による拉致被害者救出のための集い』
〜拉致被害者・
 特定失踪者問題調査会問題への理解と関心を〜
上記集会に多くの方に参集していただきたく、告知のための街頭活動を行います。
これは、調査会、しおかぜネットワーク、参加団体の会議で決定され、東京ブルーリボンの会は新宿の運営の受け持ちとなったものです。

23日の集会に賛同のどなたでもご参加いただけます。
初めてでも、お気軽にお越しください。

【日時】平成22年 10月22日(金)午後二時〜四時

【場所】新宿駅西口広場付近
(のぼりを目印にしてください)

【行動】10.23の告知資料配布



◆ お手元にある拉致関連グッズ(ポスター、のぼりなど)お持ちください。
◆ 拉致問題の解決を願う方、どなたでも参加できます。初めてでもお気軽にどうぞ!

■同日同時刻、渋谷でも街頭活動が行われます。
ご都合の良いほうにご参加ください。

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北朝鮮による拉致被害者救出のための集い
〜拉致被害者・
特定失踪者問題調査会問題への理解と関心を〜
平成22年10月23日(土)午後1時半〜4時半
 於:東京都庁 都民広場(オープンエアー)
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【日時】平成22年10月23日(土)
    午後1時半〜4時半
    展示開始午前10時
【場所】東京都庁 都民広場(オープンエアー)
 JR 私鉄:新宿駅西口/地下鉄:東京都庁前
【内容】特定失踪者家族の訴え・展示・ワークショップなど
【主催】東京都 特定失踪者問題調査会 東京都拉致議連
【参加者】来賓/全国から特定失踪者ご家族
posted by ぴろん at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月19日

靖国神社秋季例大祭当日祭

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昨日18日、実家の母のお伴で靖国神社秋季例大祭に参加して参りました。
18日は例大祭の初日、当日祭ということで、この日は皇室から勅使がつかわされ、本殿で拝礼をされます。
勅使1名と御幣物をささげ持った従者2名が宮司の先導により、本殿正面の階段より昇殿をされ、拝礼をされます。
その様子を拝見しながら、心の中によぎった感情は、皇室から勅使の方が来て下さって非常にありがたいと思うのと同時に、どうしてこの場に陛下ご本人がいらして頂けないのだろう?という寂しさでした。

靖国参拝は、国のために命をささげた多くの英霊をお慰めする慰霊行為。
そこに政治のあれやこれやを持ち込んで、陛下も総理大臣も公式参拝出来ないなんて、どこかおかしい。
悔しさやら情けなさやら、様々な感情がない交ぜとなり、勅使参拝の間、私は涙が流れて止めることが出来ませんでした。

靖国参拝という慰霊行為を政治問題にすり替えた張本人は、かつての自民党。
現民主党政権はそれに輪を掛けて、靖国をないがしろにしています。
京極宮司は例大祭最後の挨拶の中で、今年の8月15日には一人の閣僚も参拝しなかったことに触れ、その一方で一般参拝者は昨年より一万人も多かったことをお話になりました。
政治は腑抜けでも、多くの国民には良識と危機感がある。
それが唯一の救いというか、希望であるのかもしれませんね。

死んだ人より生きてる人間の方が大事、とは中国の顔色を伺う人たちの常套句。
死んだ人と生きてる人の間にある絆を断ち切ることは、つまりは現世を生きている人同士の絆も断ち切ることになりはしないか?
現代日本ではびこる家族の崩壊や猟奇的殺人事件などの横行も、根源には死者との絆を安易に捨てて、利己主義に走った結果の表れ、という気もしてなりません。

多くの英霊は、「後は頼むぞ」という想いを遺して死んでいきました。
命掛けの彼らの想いに背くことは、人として許される行為ではない、とも感じます。
現世は過去の積み重ねの上にある。
未来は現世の積み重ねの先にある。
今を生きる私たちだけが、好き勝手に我が身の生を謳歌してもいいのでしょうかねぇ?
そんなこともふと思った一日でもありました。


例大祭には、遺族会会長の古賀誠氏、崇敬会会長の扇千景氏も参列。
「たけしのTVタックル」というテレビ番組でおなじみの、三宅久之氏のお姿もお見かけいたしました。

晴天に恵まれ、例大祭初日はつつがなく終了。
最後は、私たち一般の参加者も昇殿参拝をさせて頂き、帰り際には神社より一人一人に神饌を頂戴いたしました。
遊就館の無料招待券も頂きましたので、有難く入場させてもらい、特攻の大叔父の遺影にも対面して来ました。

穏やかに厳かに一心に御霊をお慰めする、その空気の荘厳で清浄なことに感激をいたし、感謝をいたしました。
身はまだ沖縄の海の底にあっても、魂は靖国の社におわす特攻の大叔父も、さぞかし心を慰められたことと思います。
来年も元気でまた来るぞ!と張り切る母と共に、靖国を後にいたし、帰宅の途につきました。
充実した良き一日であったと心より感謝申し上げております。

★写真上より

昨日の神雷桜
頂いた神饌(大きな月餅と例大祭式次第)
posted by ぴろん at 09:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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