2010年04月17日

旅を終えて

※2010年04月16日17:51 mixi日記に投稿

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念願の鹿屋&本部の旅を無事終えました。
母の足腰が立つうちに、という願いがかなえられてホッとしています。

旅を終えて今一番思うのは、やっとこれで気持ちが一区切りついたなぁ、ということ。
良くテレビなどで「ようやく私の戦後が終わった」というセリフを耳にしますが、あれに近い感情が今私の中にはあります。



特攻の死は、遺骨の一片も拾えない死です。
うちの正義叔父の場合は奇跡的に、最期の地を知る手がかりがありましたが、多くの遺族にとっては、肉親の終焉の地を知ることすらできない。
分からなければ、最期の場所を訪ねて行くことも出来ないわけです。

でも、私たちは本部を訪ね、叔父の最期の突撃の様子を目の前に再現することが出来る。
それが、どんなに心の区切りをつけるのに役立っているのか?ということを、深く実感しています。
その意味で、逆に最期の様子が分からないご遺族は、いつまでも苦しい思いを引きずって辛い思いをされるのだろうな、との思いも強くしました。
区切りがつかなければ、多くの遺族にとって戦後は終わりたくとも終わらないのだ、と実感を持って受け止めています。


本部の浜で花束を捧げた後、浜辺で石と砂を少し拾い集めました。
叔父の遺骨を拾うことは出来ないけれど、この浜辺にはもしかしたら、叔父の骨片が一部なりとも打ち寄せられていたかもしれない。
そう思いながら、砂と石を拾い集めた後、本部を立ち去るとき、後ろ髪を引かれる思い、というのは不思議とありませんでした。

本部の海に向かって「叔父さん!私が叔父さんを背負って千葉に帰るよ!長い間待たせてごめんなさい!」と母が叫んだ通り、叔父の魂を一緒に連れて帰って来たような気がしているのです。

物理的には、今も叔父の肉体は本部の海の底にあります。
魂は靖国の社にいるもの、と信じて参拝も続けてきました。
戦死の公報をいただいて、空っぽの白木の骨箱ももらっていますし、千葉の実家には叔父の爪と髪を納めて作った墓もある。

でも、何かが足りない。
長い間、心のどこかで漠然とそんな思いを抱えて過ごしてきました。
その足りなかったものが、今度の旅で埋められたような、そんな満足感・充足感があります。


鹿屋も本部も、遠い。
飛行機に乗れば半日で行ける距離だけど、日常に追われていれば、そんなに簡単に行ける距離でもありません。
その遠い遠い鹿屋と本部に行って、叔父が人生最後の時間を過ごした場所と、肉体の沈んでいる場所を訪ねて、ようやく、心の隙間が埋まったような・・・そんな感じ、と言ったらいいでしょうか。

自分たちの手で、鹿屋、平和の礎、そして本部湾から叔父の魂を故郷に連れ帰り、これでようやく叔父さんもひとりぼっちで寂しい思いをしなくて済むと思うと、心から本当にホッとしています。
posted by ぴろん at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ただいま

午前様ジャスト!!の時間に無事帰宅しました。
※2010年04月16日01:21 mixi日記に投稿

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おかげさまで、正義叔父慰霊の旅は無事終了しました。

3日目の朝は、ザーザー振りの雨。
あれま、これからこの旅一番のイベント、本部に行くというのに困ったな〜〜と思っていたら、途中宜野湾市あたりで雨も上がりまして。
本部では風こそ強かったものの、無事に大叔父終焉の地を訪ねることが出来ました。

で、本部を離れた直後に再びの雨。
これは、叔父の涙雨に違いない、と・・・


無事慰霊の旅を終えて、心が急に軽くなったような気がしています。
ここ数年胸につかえていたものが、スッと落ちたというか。

3日間、本当に良い旅が出来ました。
明日以降、詳しく旅の思い出を書き綴ります。
取りあえず無事に千葉まで帰れて、「皆様ただいま〜〜!!」ということで、取り急ぎ休みます。
明日から早速、私の日常再開ですので・・・(笑)
posted by ぴろん at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

沖縄・平和の礎

※2010年04月14日19:02 mixi日記に投稿

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正義叔父さんの名前を見つけました。
一度も会ったことのない人なのに、どうして涙が止まらないんだろう?

半紙に名前を写し取って、せめて名前だけでも千葉に連れ帰ります。
65年、待たせてごめんなさい・・・
posted by ぴろん at 09:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿屋、朝

※2010年04月14日07:35 mixi日記に投稿

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午前6時の朝日をホテルから母と共に見ました。
丁度、大叔父が鹿屋から飛び立った時刻。
この時刻、この朝日の中を沖縄目指して、飛び立ったのか・・・と思ったら、涙がこぼれました。

これから鹿児島空港に移動して那覇へ飛びます。
65年前と同じ空を飛んで、叔父のいる沖縄の地に降り立ちます。
posted by ぴろん at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

鹿屋にて

※下記エントリーは、平成22年4月13日午後17:57にmixiへ投稿

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★航空資料館二階展示室に掲示されていた大叔父の遺影
 資料館側のご厚意で特別に撮影させていただきました

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★資料館入口

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★特攻慰霊塔全景

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★戦死者の芳名が刻まれた石碑 写真中央に「石渡正義」と大叔父の名前


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予定より早くホテルに着いたので、ロビーのPCから書き込みしてます。
朝5時に家を出て、飛行機とバスを乗り継いで航空資料館に着いたのがちょうど11時。
鹿屋は、ちょっと遠かった。。。(汗)

資料館の受付で特攻隊員の遺族のものです、と名乗ったら、すぐに大叔父の史料を出してくださり、学芸員の方が着いて展示物の説明をしてくださりました。
資料館二階の展示室には、正義叔父さんの遺影もきちんと掲示されていました。
母は、写真の前で泣きました。

資料館の二階の窓からは、基地の全景がほぼ見渡せます。
現在の滑走路は当時とほぼ同じ位置だそうで、沖縄出撃の際、母機の一式陸攻が滑走路の端から端まで使って離陸したという風景が、そのまま目の前にありました。

途中、訓練中の自衛隊機が離陸する場面を何度か目にし、飛び立つ方向が同じなのを見て、65年前の出撃風景が目の前によみがえるような錯覚を覚えました。

この基地から南が沖縄の地。
叔父さんは、ここ鹿屋からどんな思いで飛び立ったのでしょう?
多くの特攻隊員はここを飛び立ったまま、二度と帰らないわけで、それを見送る人たちの気持ちはどんなだったのだろう?と思うと、胸が痛い・・・


特攻慰霊碑では出撃者名簿の中に大叔父の名前を探し、せめて名前だけでも連れ帰りたいと、持参した半紙に刻まれた名前を写し取りました。
途中散歩のために訪れた地元のご婦人と行き交い、少しお話をいたしました。
その方の話によれば、慰霊碑に花の絶えることはなく、地元の方によって英霊の御霊は手厚く護られていることを実感。
これならば、叔父さんも寂しい事は無いと感じ、心からありがたく思いました。

桜花別杯の碑は、桜花隊員の宿舎があった、旧野里国民学校の跡地にある記念碑。
田んぼの迫る里山の縁に、その碑はありました。
往時を偲ぶものはすぐ隣の小さなお社くらいですが、ここで叔父は仲間とともに、出撃の日を待って過ごしたのか、と思うと胸が詰まります。

出撃命令を受けて、野里国民学校の宿舎を出て、資料館のある鹿屋基地にトラックで移動したという、その風景が現地に立つと、まざまざとその距離感・空気感を感じて、身につまされます。

基地から鹿屋の市街地まではおよそ2キロ、車で10分ほどの距離。
隊員達は、時々基地を抜け出して町に繰り出したとも聞きますが、その距離感も現地に立って、初めて実感できることのひとつです。

遠いけれど、思い切って来て本当によかったなと。
母が元気なうちに、一度は鹿屋を訪ねたいという夢が叶って、とりあえず今はホッとしています。

明日は、鹿児島空港から那覇へ飛びます。
叔父の出撃空路をほぼそのまま辿って、終焉の地沖縄を目指します。
叔父の気配を追いかけて、叔父の生きた証をじっくりと感じる旅は、明日以降も続きます。

乱文乱筆ですが、取り急ぎ報告まで。
posted by ぴろん at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする