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    <title>話の花束</title>
    <link>https://piron326.seesaa.net/</link>
    <description>どんなに平凡でも穏やかに静かに暮らせる幸せを守りたい　（拉致問題　集会テキスト掲載Blog）　</description>
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    <itunes:keywords>拉致問題　北朝鮮　集会テキスト　家族会　救う会　特定失踪者　桜花　特攻隊員</itunes:keywords>
    
    <itunes:author>ぴろん</itunes:author>
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      <link>https://piron326.seesaa.net/article/462071111.html</link>
      <title>いよいよ江田島へ</title>
      <pubDate>Mon, 08 Oct 2018 14:41:33 +0900</pubDate>
            <description>いよいよ、広島県江田島の海上自衛隊第一術科学校への旅が、明後日に迫ってきました。お天気も、なんとか雨の心配はしないで済みそうなのでホッとしています。後は私が二日間、母の乗る車いすを押して歩く体力が維持できるかどうか？が問題です。交代要員なしで二日続けて車いすを押したことはないので、私自身が寄る年波に勝てるかどうか？そういう意味でも今が思い切り時、今が最初で最後のチャンスなのです。間違っても母を置いてけ堀にしないように？頑張りたいと思います。歳を重ねて足腰が多少弱っても、年齢の..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
いよいよ、広島県江田島の海上自衛隊第一術科学校への旅が、明後日に迫ってきました。
お天気も、なんとか雨の心配はしないで済みそうなのでホッとしています。
後は私が二日間、母の乗る車いすを押して歩く体力が維持できるかどうか？が問題です。
交代要員なしで二日続けて車いすを押したことはないので、私自身が寄る年波に勝てるかどうか？
そういう意味でも今が思い切り時、今が最初で最後のチャンスなのです。
間違っても母を置いてけ堀にしないように？頑張りたいと思います。
歳を重ねて足腰が多少弱っても、年齢の割には元気で体の中身がぎっしり詰まってて結構重いのよ、うちのお母ちゃん・・・(^^ゞ

明日は更新する時間が取れないと思うので、今日の内にご挨拶。
叔父さんの遺書と逢うために、行ってまいります。<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
いよいよ、広島県江田島の海上自衛隊第一術科学校への旅が、明後日に迫ってきました。<br />お天気も、なんとか雨の心配はしないで済みそうなのでホッとしています。<br />後は私が二日間、母の乗る車いすを押して歩く体力が維持できるかどうか？が問題です。<br />交代要員なしで二日続けて車いすを押したことはないので、私自身が寄る年波に勝てるかどうか？<br />そういう意味でも今が思い切り時、今が最初で最後のチャンスなのです。<br />間違っても母を置いてけ堀にしないように？頑張りたいと思います。<br />歳を重ねて足腰が多少弱っても、年齢の割には元気で体の中身がぎっしり詰まってて結構重いのよ、うちのお母ちゃん・・・(^^ゞ<br /><br />明日は更新する時間が取れないと思うので、今日の内にご挨拶。<br />叔父さんの遺書と逢うために、行ってまいります。<a name="more"></a>

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            <category>与太話</category>
      <author>ぴろん</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://piron326.seesaa.net/article/461435697.html</link>
      <title>江田島に行きます</title>
      <pubDate>Sun, 02 Sep 2018 01:01:33 +0900</pubDate>
            <description>ご無沙汰してます。とりあえず、元気で生存しております　(^^♪いろいろ思うところあって、随分前からネット、特にＳＮＳの世界からは距離を置いておりました。なんというか、自分と違う意見の人とネット上で意見を戦わせるのがしんどくなってしまいましてね。リアルでは認知症の義母の介護に追われ、ネットをするための精神的時間的余裕が全く持てなくなってしまった、というのも大きいのですが。リアルでもネットでも、世の中にはいろんな人間がいて当たり前なのですが、ストレス溜めてまでネットの世界まで頑張..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
ご無沙汰してます。
とりあえず、元気で生存しております　(^^♪

いろいろ思うところあって、随分前からネット、特にＳＮＳの世界からは距離を置いておりました。
なんというか、自分と違う意見の人とネット上で意見を戦わせるのがしんどくなってしまいましてね。
リアルでは認知症の義母の介護に追われ、ネットをするための精神的時間的余裕が全く持てなくなってしまった、というのも大きいのですが。
リアルでもネットでも、世の中にはいろんな人間がいて当たり前なのですが、ストレス溜めてまでネットの世界まで頑張る必要もないかな、と。
パソコンはいまや月に２~３度開ける程度、調べ物とか買い物をするときくらいしか開けなくなってしまいました。
もともとモバイルしてまでネットはしない人なので、ここしばらくは時代と逆行してすっかりアナログ人間です。

ネットは便利なツールには違いないですが、無ければ無いで生活できなくもない。
今のところはそんな感じです。
先の事は分かりませんけれどね。
リアルが忙しすぎて、最近は拉致被害者救出運動の方も不義理ばかりで申し訳なく思っております。
とはいえ、いくら認知症であっても義母に早く死んでくれ！とは言えませんしね。
一人では外出できない実母のお供であちこち出歩くのも、結構体力を消耗します。
何しろ車椅子じゃないと、リウマチの母はどこにも行けない体なので。
職場でもこの春から特に人が足りなくて、社員のシフトに合わせて私も遅番出勤があったり、店外催事の応援のため日曜も駆り出されたりと、こちらも以前より暇なしになってしまいました。


で、そんな私が久しぶりにネットに繋いだのは一つ理由があります。
実母のリウマチ発症と義母の認知症発症で、延び延びになっていた広島県の江田島訪問がようやく決まりまして、１０月になりましたら母と共に海上自衛隊第一術科学校を訪ねてきます。
特攻の正義大叔父の遺書が、彼の地に保管されていることはだいぶ以前より知ってはいたのですが、母が元気なうちに実物を見てこよう、という次第です。
大叔父さんの事については、今後もいろいろと思う事を書き綴っていきたいと思っております。
もちろん現地を訪ねた感想なども書く予定ですので、興味のある方はお付き合いいただければと思っております。
先方のお話では、父親に宛てた遺書が保管されているとのこと。
写しも頂けるそうなので、頑張って車椅子に母を乗せて江田島まで行ってくるつもりです。

そういえば、今日は私の○○回目の誕生日でした(笑)
すっかりいいおばさんです。
私を産んで育ててくれた両親に心からの感謝を。<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
ご無沙汰してます。<br />とりあえず、元気で生存しております　(^^♪<br /><br />いろいろ思うところあって、随分前からネット、特にＳＮＳの世界からは距離を置いておりました。<br />なんというか、自分と違う意見の人とネット上で意見を戦わせるのがしんどくなってしまいましてね。<br />リアルでは認知症の義母の介護に追われ、ネットをするための精神的時間的余裕が全く持てなくなってしまった、というのも大きいのですが。<br />リアルでもネットでも、世の中にはいろんな人間がいて当たり前なのですが、ストレス溜めてまでネットの世界まで頑張る必要もないかな、と。<br />パソコンはいまや月に２~３度開ける程度、調べ物とか買い物をするときくらいしか開けなくなってしまいました。<br />もともとモバイルしてまでネットはしない人なので、ここしばらくは時代と逆行してすっかりアナログ人間です。<br /><br />ネットは便利なツールには違いないですが、無ければ無いで生活できなくもない。<br />今のところはそんな感じです。<br />先の事は分かりませんけれどね。<br />リアルが忙しすぎて、最近は拉致被害者救出運動の方も不義理ばかりで申し訳なく思っております。<br />とはいえ、いくら認知症であっても義母に早く死んでくれ！とは言えませんしね。<br />一人では外出できない実母のお供であちこち出歩くのも、結構体力を消耗します。<br />何しろ車椅子じゃないと、リウマチの母はどこにも行けない体なので。<br />職場でもこの春から特に人が足りなくて、社員のシフトに合わせて私も遅番出勤があったり、店外催事の応援のため日曜も駆り出されたりと、こちらも以前より暇なしになってしまいました。<br /><br /><br />で、そんな私が久しぶりにネットに繋いだのは一つ理由があります。<br />実母のリウマチ発症と義母の認知症発症で、延び延びになっていた広島県の江田島訪問がようやく決まりまして、１０月になりましたら母と共に海上自衛隊第一術科学校を訪ねてきます。<br />特攻の正義大叔父の遺書が、彼の地に保管されていることはだいぶ以前より知ってはいたのですが、母が元気なうちに実物を見てこよう、という次第です。<br />大叔父さんの事については、今後もいろいろと思う事を書き綴っていきたいと思っております。<br />もちろん現地を訪ねた感想なども書く予定ですので、興味のある方はお付き合いいただければと思っております。<br />先方のお話では、父親に宛てた遺書が保管されているとのこと。<br />写しも頂けるそうなので、頑張って車椅子に母を乗せて江田島まで行ってくるつもりです。<br /><br />そういえば、今日は私の○○回目の誕生日でした(笑)<br />すっかりいいおばさんです。<br />私を産んで育ててくれた両親に心からの感謝を。<a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>与太話</category>
      <author>ぴろん</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://piron326.seesaa.net/article/437528024.html</link>
      <title>71年目の命日</title>
      <pubDate>Wed, 04 May 2016 23:55:57 +0900</pubDate>
            <description>今日5月4日は特攻の大叔父71回目の命日です。母のお供をして、靖国神社で執り行われた永代神楽奉納に参加してきました。71年前の今日、わずか19歳の若者は何を思って沖縄の海に特攻したのでしょうか？考えても考えても想像が及ばないのです。大叔父の冥福を祈るとき、あふれる涙を抑えることは出来ませんでした。</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
今日5月4日は特攻の大叔父71回目の命日です。
母のお供をして、靖国神社で執り行われた永代神楽奉納に参加してきました。

71年前の今日、わずか19歳の若者は何を思って沖縄の海に特攻したのでしょうか？
考えても考えても想像が及ばないのです。
大叔父の冥福を祈るとき、あふれる涙を抑えることは出来ませんでした。

<a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/IMG_3001.JPG" target="_blank"><img width="150" height="112" alt="IMG_3001.JPG" src="http://piron326.up.seesaa.net/image/IMG_3001-thumbnail2.JPG" border="0">

</a><a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/IMG_3003.JPG" target="_blank"><img width="150" height="112" alt="IMG_3003.JPG" src="http://piron326.up.seesaa.net/image/IMG_3003-thumbnail2.JPG" border="0"></a><a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
今日5月4日は特攻の大叔父71回目の命日です。<br />母のお供をして、靖国神社で執り行われた永代神楽奉納に参加してきました。<br /><br />71年前の今日、わずか19歳の若者は何を思って沖縄の海に特攻したのでしょうか？<br />考えても考えても想像が及ばないのです。<br />大叔父の冥福を祈るとき、あふれる涙を抑えることは出来ませんでした。<br /><br /><a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/IMG_3001.JPG" target="_blank"><img width="150" height="112" alt="IMG_3001.JPG" src="http://piron326.up.seesaa.net/image/IMG_3001-thumbnail2.JPG" border="0" onclick="location.href = 'https://piron326.seesaa.net/upload/detail/image/IMG_3001-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /><br /><br /></a><a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/IMG_3003.JPG" target="_blank"><img width="150" height="112" alt="IMG_3003.JPG" src="http://piron326.up.seesaa.net/image/IMG_3003-thumbnail2.JPG" border="0" onclick="location.href = 'https://piron326.seesaa.net/upload/detail/image/IMG_3003-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>特攻の叔父の話</category>
      <author>ぴろん</author>
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      <title>特攻の大叔父さん、初めての永代神楽供養をしてきました</title>
      <pubDate>Fri, 08 May 2015 23:36:30 +0900</pubDate>
            <description>ご無沙汰しております。ブログの更新をしなくなって長いこと経ちました。理由はいろいろです。今風に言えばリア充。リアルが忙しすぎて、最近はPCを開くのも週に1～2度あるかどうかという日常です。一番の理由は母の事。丁度今から３年前の夏、リウマチを発症し体の自由が利かなくなりました。リウマチとなれば介護は長期戦となります。家族だけで抱え込んでは共倒れになる。そう判断した私は市の福祉課へ行き、介護認定の申し込みをしました。そして要介護２の判定を受けました。（ちなみに現在は少し良くなって..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
ご無沙汰しております。

ブログの更新をしなくなって長いこと経ちました。
理由はいろいろです。
今風に言えばリア充。
リアルが忙しすぎて、最近はPCを開くのも週に1～2度あるかどうかという日常です。


一番の理由は母の事。
丁度今から３年前の夏、リウマチを発症し体の自由が利かなくなりました。
リウマチとなれば介護は長期戦となります。
家族だけで抱え込んでは共倒れになる。
そう判断した私は市の福祉課へ行き、介護認定の申し込みをしました。
そして要介護２の判定を受けました。（ちなみに現在は少し良くなって要介護１）
一人では風呂も入れず、包丁を持つことも雑巾を絞る事も出来ず、横になっても寝返りを打つことも出来ず、半日椅子に座る体力さえもなくなってしまいましてね。
まぁ、リウマチと言っても今はいいお薬があり、関節の変形などの重篤な症状が出る前に治療を始めた効果もあって、何とか日常生活を普通に送れるまでに回復しましたが。

そんなこんながありまして、いまだ江田島まで大叔父さんの遺書に逢いに行くことは出来ておりません。
体の不自由な母を連れて飛行機に乗って旅をするとなれば、せめて車いすに一日座っていられる体力がないと難しい・・・
でも、江田島一本に絞って少し頑張れば大叔父さんの遺書にはなんとか逢いに行けそうな目途はつきそうです。
気候の穏やかな時期、なるべく早い頃合いを狙って江田島旅行は敢行したく思っております。



さて、本日久しぶりの更新に臨んだ理由は、特攻の大叔父さんの永代神楽に参列してきたことをご報告するためです。
前述の通り母は急に体を患って、毎年恒例にしていた大叔父さんの命日の靖国参拝すら出来ないありさまとなってしまいました。
このまま自分が永遠に靖国に行けなくなってしまったら、叔父さんはきっと寂しがる。
そう思った母は、大叔父の命日にあたる５月４日の永代神楽供養を靖国に申し込んだわけなのです。


神楽を申込みしますと、神社から参列の案内状が届きます。
でも、体が自由にならない母を連れて、靖国詣では難しい。
神社が混み合う例大祭や夏のみたままつりへ行くことも憚られます。
本人も私も泣く泣く諦めているような状態が続きました。
いつだったか、靖国に行けなくなった母の代わりに一度だけ、私が代参として靖国詣でをしたこともあります。
母の名前で玉串を捧げ、昇殿参拝をさせていただきました。
何故だか、涙があふれて止まらず、号泣一歩手前の状態になったことを覚えております。


前置きが長くなりました。
で、今年の５月４日は、母を車いすに乗せて、久々の靖国参拝を挙行してまいりました。
久しぶりの５月４日の靖国は、いつになく若い人の姿が多かったような気がします。
１０代の高校生から大学生くらいと思しきグループや、小さな子供を連れた３０代くらいの若い層が、いやに多かったような・・・
世の中、少しづつ何かが変わりつつあるのでしょうかね？
マスコミで靖国が取り上げられるのは、桜の開花のニュースと、例大祭に閣僚が参拝したのしないのという例のあれしかなくて、みたままつりも正月の初もうでも、何時だって華麗にスルーがお決まりでうんざり気味なのですけれど。
参拝する人はするのです。
それも礼儀正しく。

参集殿に上がると、永代神楽の参列者は特別の控室に案内され、お茶の接待をうけます。
時間になると本殿に上がるのですが、その手前で手水を使うときも、濡れた手を拭うための紙が用意されており、一人一人に手渡しされます。
これ、普段の昇殿参拝の時にも、神雷部隊の合同参拝の時にも無かったことです。
神楽の参列者は特別、という扱いになるのでしょうか。

昇殿後、まずは供物が捧げられ厳かな空気の中、神職による祝詞と永代供養を受けた御霊の名前の読み上げがあります。
５月４日のその日だけでもざっと３０～４０名位は読み上げられたでしょうか。
その後、神楽へと進みますが、神楽は笛・太鼓・琴のいわゆる生演奏。
謡（でいいのかな？）もお一人。
舞を舞う巫女さんはお二人。

うちの大叔父さんはまだ最近永代神楽を申し込んだばかりなので、名前が出てくるのは最後の方でしたけどね。
靖国がある限り、こうして毎年５月４日になると名前を読み上げられて供養していただける。
その事実を目の当たりにし、高齢となり頻繁に靖国を尋ねることが難しくなってきた家族にとっては、何よりもありがたいことと感じました。
念願叶って靖国に行き、参拝した母は神楽を見ながら泣いておりました。
私も後ろの席で泣きました。
大叔父さんもお社の奥で、喜んでくれたかなぁ？



神雷桜はすっかり花を落し、新緑の若葉と姿を変えていました。
母が元気なころは、桜の花の時期に靖国を訪ねたこともありましたが、今後は人出の多い時期の参拝は安全を確保する意味でも難しくなるかと思われます。
でも本人が元気なうちは命日や例大祭などの物日に関係なく、母と一緒に靖国に参りたいと思っております。

今年は戦後７０年。
終戦時７歳の国民学校２年生の母も、喜寿を迎える歳となりました。



追記

この夏、茨城で桜花を題材にした映画の撮影が行われるそうです。

映画「サクラ花～桜花最後の特攻～」制作発表
https://www.youtube.com/watch?v=5LiOKnwyddQ

映画「サクラ花」、6月から撮影　特攻機「桜花」題材に
http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14256487396685

映画製作のための協賛金を募っているそうです。
問い合わせ先はこちら↓
藤代範雄デザイン事務所内サクラ花デスク（電話０２９９・５７・０７０２）<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
ご無沙汰しております。<br /><br />ブログの更新をしなくなって長いこと経ちました。<br />理由はいろいろです。<br />今風に言えばリア充。<br />リアルが忙しすぎて、最近はPCを開くのも週に1～2度あるかどうかという日常です。<br /><br /><br />一番の理由は母の事。<br />丁度今から３年前の夏、リウマチを発症し体の自由が利かなくなりました。<br />リウマチとなれば介護は長期戦となります。<br />家族だけで抱え込んでは共倒れになる。<br />そう判断した私は市の福祉課へ行き、介護認定の申し込みをしました。<br />そして要介護２の判定を受けました。（ちなみに現在は少し良くなって要介護１）<br />一人では風呂も入れず、包丁を持つことも雑巾を絞る事も出来ず、横になっても寝返りを打つことも出来ず、半日椅子に座る体力さえもなくなってしまいましてね。<br />まぁ、リウマチと言っても今はいいお薬があり、関節の変形などの重篤な症状が出る前に治療を始めた効果もあって、何とか日常生活を普通に送れるまでに回復しましたが。<br /><br />そんなこんながありまして、いまだ江田島まで大叔父さんの遺書に逢いに行くことは出来ておりません。<br />体の不自由な母を連れて飛行機に乗って旅をするとなれば、せめて車いすに一日座っていられる体力がないと難しい・・・<br />でも、江田島一本に絞って少し頑張れば大叔父さんの遺書にはなんとか逢いに行けそうな目途はつきそうです。<br />気候の穏やかな時期、なるべく早い頃合いを狙って江田島旅行は敢行したく思っております。<br /><br /><br /><br />さて、本日久しぶりの更新に臨んだ理由は、特攻の大叔父さんの永代神楽に参列してきたことをご報告するためです。<br />前述の通り母は急に体を患って、毎年恒例にしていた大叔父さんの命日の靖国参拝すら出来ないありさまとなってしまいました。<br />このまま自分が永遠に靖国に行けなくなってしまったら、叔父さんはきっと寂しがる。<br />そう思った母は、大叔父の命日にあたる５月４日の永代神楽供養を靖国に申し込んだわけなのです。<br /><br /><br />神楽を申込みしますと、神社から参列の案内状が届きます。<br />でも、体が自由にならない母を連れて、靖国詣では難しい。<br />神社が混み合う例大祭や夏のみたままつりへ行くことも憚られます。<br />本人も私も泣く泣く諦めているような状態が続きました。<br />いつだったか、靖国に行けなくなった母の代わりに一度だけ、私が代参として靖国詣でをしたこともあります。<br />母の名前で玉串を捧げ、昇殿参拝をさせていただきました。<br />何故だか、涙があふれて止まらず、号泣一歩手前の状態になったことを覚えております。<br /><br /><br />前置きが長くなりました。<br />で、今年の５月４日は、母を車いすに乗せて、久々の靖国参拝を挙行してまいりました。<br />久しぶりの５月４日の靖国は、いつになく若い人の姿が多かったような気がします。<br />１０代の高校生から大学生くらいと思しきグループや、小さな子供を連れた３０代くらいの若い層が、いやに多かったような・・・<br />世の中、少しづつ何かが変わりつつあるのでしょうかね？<br />マスコミで靖国が取り上げられるのは、桜の開花のニュースと、例大祭に閣僚が参拝したのしないのという例のあれしかなくて、みたままつりも正月の初もうでも、何時だって華麗にスルーがお決まりでうんざり気味なのですけれど。<br />参拝する人はするのです。<br />それも礼儀正しく。<br /><br />参集殿に上がると、永代神楽の参列者は特別の控室に案内され、お茶の接待をうけます。<br />時間になると本殿に上がるのですが、その手前で手水を使うときも、濡れた手を拭うための紙が用意されており、一人一人に手渡しされます。<br />これ、普段の昇殿参拝の時にも、神雷部隊の合同参拝の時にも無かったことです。<br />神楽の参列者は特別、という扱いになるのでしょうか。<br /><br />昇殿後、まずは供物が捧げられ厳かな空気の中、神職による祝詞と永代供養を受けた御霊の名前の読み上げがあります。<br />５月４日のその日だけでもざっと３０～４０名位は読み上げられたでしょうか。<br />その後、神楽へと進みますが、神楽は笛・太鼓・琴のいわゆる生演奏。<br />謡（でいいのかな？）もお一人。<br />舞を舞う巫女さんはお二人。<br /><br />うちの大叔父さんはまだ最近永代神楽を申し込んだばかりなので、名前が出てくるのは最後の方でしたけどね。<br />靖国がある限り、こうして毎年５月４日になると名前を読み上げられて供養していただける。<br />その事実を目の当たりにし、高齢となり頻繁に靖国を尋ねることが難しくなってきた家族にとっては、何よりもありがたいことと感じました。<br />念願叶って靖国に行き、参拝した母は神楽を見ながら泣いておりました。<br />私も後ろの席で泣きました。<br />大叔父さんもお社の奥で、喜んでくれたかなぁ？<br /><br /><br /><br />神雷桜はすっかり花を落し、新緑の若葉と姿を変えていました。<br />母が元気なころは、桜の花の時期に靖国を訪ねたこともありましたが、今後は人出の多い時期の参拝は安全を確保する意味でも難しくなるかと思われます。<br />でも本人が元気なうちは命日や例大祭などの物日に関係なく、母と一緒に靖国に参りたいと思っております。<br /><br />今年は戦後７０年。<br />終戦時７歳の国民学校２年生の母も、喜寿を迎える歳となりました。<br /><br /><br /><br />追記<br /><br />この夏、茨城で桜花を題材にした映画の撮影が行われるそうです。<br /><br />映画「サクラ花～桜花最後の特攻～」制作発表<br /><a href="https://www.youtube.com/watch?v=5LiOKnwyddQ" target="_blank">https://www.youtube.com/watch?v=5LiOKnwyddQ</a><br /><br />映画「サクラ花」、6月から撮影　特攻機「桜花」題材に<br /><a href="http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14256487396685" target="_blank">http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14256487396685</a><br /><br />映画製作のための協賛金を募っているそうです。<br />問い合わせ先はこちら↓<br />藤代範雄デザイン事務所内サクラ花デスク（電話０２９９・５７・０７０２）<a name="more"></a>

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            <category>特攻の叔父の話</category>
      <author>ぴろん</author>
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        <item>
      <link>https://piron326.seesaa.net/article/290624929.html</link>
      <title>大叔父さんの遺書</title>
      <pubDate>Thu, 06 Sep 2012 20:54:38 +0900</pubDate>
            <description>先週火曜日放送のクローズアップ現代。 海軍特攻兵の遺書が密かに集められていたと言う話。 もしやうちの大叔父さんの遺書もあるのでは？と局に問い合わせた所、手元の資料の中に、大叔父の写真の他に手紙と手形が入っていたと言う返事。 やっぱり、あった！！ 海上自衛隊の第１術科学校に原本があるはずなので、「可能であれば一度原本を見たい、コピーを頂きたい」というこちらの意向を先方に伝えてくれると、担当の記者から連絡を頂きました。 どこの誰とも知らない巡礼者に、祖父が渡してしまった大叔父の遺..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
先週火曜日放送のクローズアップ現代。 
海軍特攻兵の遺書が密かに集められていたと言う話。 


もしやうちの大叔父さんの遺書もあるのでは？と局に問い合わせた所、手元の資料の中に、大叔父の写真の他に手紙と手形が入っていたと言う返事。 



やっぱり、あった！！ 



海上自衛隊の第１術科学校に原本があるはずなので、「可能であれば一度原本を見たい、コピーを頂きたい」というこちらの意向を先方に伝えてくれると、担当の記者から連絡を頂きました。 


どこの誰とも知らない巡礼者に、祖父が渡してしまった大叔父の遺書。 
もう二度とこの世では逢えないと思って諦めていた手紙に、逢える可能性が出てきました。 
何という奇跡！ 



先方との連絡が着いたら、大叔父さんの心に逢いに行く！ 

母を連れて、広島の江古田まで逢いに行く！<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
先週火曜日放送のクローズアップ現代。 <br />海軍特攻兵の遺書が密かに集められていたと言う話。 <br /><br /><br />もしやうちの大叔父さんの遺書もあるのでは？と局に問い合わせた所、手元の資料の中に、大叔父の写真の他に手紙と手形が入っていたと言う返事。 <br /><br /><br /><br />やっぱり、あった！！ <br /><br /><br /><br />海上自衛隊の第１術科学校に原本があるはずなので、「可能であれば一度原本を見たい、コピーを頂きたい」というこちらの意向を先方に伝えてくれると、担当の記者から連絡を頂きました。 <br /><br /><br />どこの誰とも知らない巡礼者に、祖父が渡してしまった大叔父の遺書。 <br />もう二度とこの世では逢えないと思って諦めていた手紙に、逢える可能性が出てきました。 <br />何という奇跡！ <br /><br /><br /><br />先方との連絡が着いたら、大叔父さんの心に逢いに行く！ <br /><br />母を連れて、広島の江古田まで逢いに行く！<a name="more"></a>

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            <category>特攻の叔父の話</category>
      <author>ぴろん</author>
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      <link>https://piron326.seesaa.net/article/288888190.html</link>
      <title>クローズアップ現代「なぜ遺書は集められたのか～特攻　謎の遺族調査～」を視て</title>
      <pubDate>Tue, 28 Aug 2012 23:34:00 +0900</pubDate>
            <description>今日、NHKクローズアップ現代を視聴しました。番組タイトルは「なぜ遺書は集められたのか～特攻　謎の遺族調査～」http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3237.html本当に久しぶりにブログを更新したのは、この番組に関連して思い出した事を忘れないように、そして多くの方に歴史の事実の一端を知っておいて貰いたく思ったので。戦争が終わって数年後、私の母がまだ小学生位の頃、ある日巡礼のような格好をした見知らぬ人が、千葉の家を訪ねて来て、特攻..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
今日、NHKクローズアップ現代を視聴しました。
番組タイトルは「なぜ遺書は集められたのか～特攻　謎の遺族調査～」http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3237.html

本当に久しぶりにブログを更新したのは、この番組に関連して思い出した事を忘れないように、そして多くの方に歴史の事実の一端を知っておいて貰いたく思ったので。


戦争が終わって数年後、私の母がまだ小学生位の頃、ある日巡礼のような格好をした見知らぬ人が、千葉の家を訪ねて来て、特攻の大叔父の遺書を見せて欲しいと懇願したんだそうだ。
私の祖父は、その巡礼風の男の方としばらく話をしたあと、「是非この遺書を預かって供養をしたい」と言うその方の申し出を受けて、特攻の大叔父の遺した遺書の類を沢山渡して帰したのだとか。


遺書は、遺された家族にとってかけがえのない物。
どうしてそれを祖父は見知らぬ他人に渡してしまったのか？
それが私には長年の謎でした。


千葉の生家には大叔父の遺書が二通残っていて、一通は自分の毛髪を縫いとめたハンカチで、もう一通は両親に宛てた遺書だったため、さすがに祖父もこれだけは渡さずに手元に遺したものと思われます。

特攻の大叔父は筆まめな人だったので、手紙の類とか、書き残した物がもっとたくさんあったと母の記憶にはあると言う。
それらがあれば、大叔父の人となりを知るにしても、特攻へ臨む思いにしても、もっともっと遺族には知りうる事がたくさんあったはずなのに、どうして祖父はそれを他人に預けてしまったのか？
いくら人が良いにしたって何故？
　

たった一人で全国を回り、遺書を集めて回ったと言う近江氏。
その写真が巡礼風の風体だったのをみて、ピンときた。
おそらくこの人は、千葉の家にも立ち寄り、大叔父の遺書を持ち帰っているはず。


近江氏が特攻隊員の遺書を集めて回ったのには、旧海軍上層部の意向があったと言う。
特攻は、それを命じた側にも複雑な思いを遺したのは確か。
そして終戦後の一時期、世間の風が特攻に対して冷ややかだったのも確か。
戦争中、軍神と崇め奉った彼ら特攻隊員を、戦後の日本は手のひらを返し、生きる為の方便として特攻を否定した。
そういう歴史の事実は、知られているのかいないのか…


もし、大叔父の遺書を持ち帰ったのが、番組で取り上げた近江氏ならば、そして大叔父の遺書が今も保存されているなら、是非読みたい。
大叔父が特攻に出撃する前、何を考え何を言い遺したのかを、遺族としてはどうしても知りたいから。

そして集められた遺書は、是非誰でも見られるように可能な限り公開して欲しい。
闇から闇へと葬らないで欲しい。
苦悩の中で若い命を散らした彼らの思いを、どうか後世の私たちにも読めるようにして欲しい。<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
今日、NHKクローズアップ現代を視聴しました。<br />番組タイトルは「なぜ遺書は集められたのか～特攻　謎の遺族調査～」<a href="http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3237.html" target="_blank">http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3237.html</a><br /><br />本当に久しぶりにブログを更新したのは、この番組に関連して思い出した事を忘れないように、そして多くの方に歴史の事実の一端を知っておいて貰いたく思ったので。<br /><br /><br />戦争が終わって数年後、私の母がまだ小学生位の頃、ある日巡礼のような格好をした見知らぬ人が、千葉の家を訪ねて来て、特攻の大叔父の遺書を見せて欲しいと懇願したんだそうだ。<br />私の祖父は、その巡礼風の男の方としばらく話をしたあと、「是非この遺書を預かって供養をしたい」と言うその方の申し出を受けて、特攻の大叔父の遺した遺書の類を沢山渡して帰したのだとか。<br /><br /><br />遺書は、遺された家族にとってかけがえのない物。<br />どうしてそれを祖父は見知らぬ他人に渡してしまったのか？<br />それが私には長年の謎でした。<br /><br /><br />千葉の生家には大叔父の遺書が二通残っていて、一通は自分の毛髪を縫いとめたハンカチで、もう一通は両親に宛てた遺書だったため、さすがに祖父もこれだけは渡さずに手元に遺したものと思われます。<br /><br />特攻の大叔父は筆まめな人だったので、手紙の類とか、書き残した物がもっとたくさんあったと母の記憶にはあると言う。<br />それらがあれば、大叔父の人となりを知るにしても、特攻へ臨む思いにしても、もっともっと遺族には知りうる事がたくさんあったはずなのに、どうして祖父はそれを他人に預けてしまったのか？<br />いくら人が良いにしたって何故？<br />　<br /><br />たった一人で全国を回り、遺書を集めて回ったと言う近江氏。<br />その写真が巡礼風の風体だったのをみて、ピンときた。<br />おそらくこの人は、千葉の家にも立ち寄り、大叔父の遺書を持ち帰っているはず。<br /><br /><br />近江氏が特攻隊員の遺書を集めて回ったのには、旧海軍上層部の意向があったと言う。<br />特攻は、それを命じた側にも複雑な思いを遺したのは確か。<br />そして終戦後の一時期、世間の風が特攻に対して冷ややかだったのも確か。<br />戦争中、軍神と崇め奉った彼ら特攻隊員を、戦後の日本は手のひらを返し、生きる為の方便として特攻を否定した。<br />そういう歴史の事実は、知られているのかいないのか…<br /><br /><br />もし、大叔父の遺書を持ち帰ったのが、番組で取り上げた近江氏ならば、そして大叔父の遺書が今も保存されているなら、是非読みたい。<br />大叔父が特攻に出撃する前、何を考え何を言い遺したのかを、遺族としてはどうしても知りたいから。<br /><br />そして集められた遺書は、是非誰でも見られるように可能な限り公開して欲しい。<br />闇から闇へと葬らないで欲しい。<br />苦悩の中で若い命を散らした彼らの思いを、どうか後世の私たちにも読めるようにして欲しい。<a name="more"></a>

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            <category>特攻の叔父の話</category>
      <author>ぴろん</author>
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      <link>https://piron326.seesaa.net/article/168758531.html</link>
      <title>NHKハイビジョン特集　「人間爆弾“桜花”」を視て</title>
      <pubDate>Mon, 08 Nov 2010 23:56:31 +0900</pubDate>
            <description>少し遅くなりましたが、表題の番組を視ての感想を、思いつくままに書き綴ります。私のマイミクさんが取材の協力をしていること。ここ数年、3月の神雷部隊戦友会の方と靖国参拝をご一緒させて頂いている関係で、私の知っているお顔が番組に出るであろうこともあり、親近感を持って番組を拝見させて頂きました。思った通り、番組に登場した証言者の内、3名は、私もお話を伺ったことのある方。中でも佐伯さんという元桜花隊員の方は、神雷部隊の靖国参拝の折、正義大叔父の訓練の様子を話して聞かせてくれた、大切な方..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
少し遅くなりましたが、表題の番組を視ての感想を、思いつくままに書き綴ります。

私のマイミクさんが取材の協力をしていること。
ここ数年、3月の神雷部隊戦友会の方と靖国参拝をご一緒させて頂いている関係で、私の知っているお顔が番組に出るであろうこともあり、親近感を持って番組を拝見させて頂きました。


思った通り、番組に登場した証言者の内、3名は、私もお話を伺ったことのある方。
中でも佐伯さんという元桜花隊員の方は、神雷部隊の靖国参拝の折、正義大叔父の訓練の様子を話して聞かせてくれた、大切な方です。

叔父が神ノ池基地で桜花の降下訓練を受けた際、着陸に失敗して滑走路わきの松林に突っ込んだ。
けれどたいした怪我もなく、ケロリとした顔で訓練機を下りてきた・・・という証言を聞かせてくれたのは、佐伯氏です。
家族も知らない訓練の様子を、私は佐伯氏の言葉によって知りました。


証言の内容については、私にとって特に目新しいというものではありません。
今まで特攻の大叔父を追いかけて各地を訪ね歩き、または様々な資料を読み漁り、直接元隊員の方からお話を伺う機会を得てきた私にとっては、周知のことがほとんどでした。

ただ、こうして改めて言葉にして語る様子に触れると、大叔父の最期の様子や心情はやはりこうであったかと、身につまされる場面は多々ありました。
特攻は一度出撃すれば二度と生きて鹿屋の基地には戻りません。
桜花特攻の場合、母機の一式陸攻の搭乗員は全部で7名、桜花隊員1名を加えると計8名が搭乗して出撃するわけです。
母機もろとも迎撃を受けたなら、出撃機の数×8名分、一度に人が消えていなくなる。
一度の出撃で百数十人の兵士がスッポリいなくなる、という証言は、改めて聞けば、特攻を送り出す基地の日常が如何に苛酷であったかを思わされます。

そんな中、出撃命令を待つ隊員の思いはどうだったのでしょうね。
桜花隊員の宿舎は鹿屋基地最寄りの野里国民学校。
私もこの春、野里小学校跡を訪ねましたが、周囲を田んぼと畑に囲まれた、本当にのどかで静かな土地柄です。
出撃割が決まると、上官が、隊員が宿舎にしている教室の黒板にチョークで名前を書いていく。
その名前を見たとき、大叔父はどんな思いだったのでしょうか。
記録を読むと、出撃割の発表の際も、桜花隊員の面々は底抜けに明るかったのだそうです。
出撃する隊員は「一足先に靖国へ行っているぞ！」と言い、後に残る隊員は「後から俺も行く、靖国の社の奥に俺の席も一つ取っておいてくれ」などといった会話を交わしたそうです。

ただ、そうはいっても特攻は非情な死には違いなく、昼間は底抜けに明るく振る舞ってはいても、夜寝る前になるとしくしくと泣く者、やけ酒を飲んで騒ぐ者などがいて、自分に出撃命令が下ったとき、果たして冷静にいられるだろうか？と心配した・・・と記録に書いた元桜花隊員の言葉もあります。


死を覚悟して志願したとはいえ、特攻隊員の心は日々揺れに揺れたことが、テレビに登場した証言者の言葉からもはっきりと読み取れます。
一度出撃すれば必ず死ぬ特別攻撃。
しかし十分な護衛もなく、無事敵艦まで辿りつける保障もない。
作戦としては愚策中の愚策、ということを分かった上で、それでも死の恐怖を振り切って出撃に至るには、よほどの悟りが無ければ往けるものではありません。

これまでに何度か書いたように、特攻兵の最期の覚悟を決めさせた物、最終的に彼らの背中を押した物は、後に残る家族への思い以外にはないと思う。
正義叔父の場合は、私の母（叔父の戦死時、国民学校2年生）が叔父に宛てて書いたハガキを胸に抱いて出撃をしています。
まだ幼い甥や姪を護るため、両親や兄、姉を護るため・・・と思わねば、誰が生への未練を振り切って出撃できるというのでしょうか。

番組には桜花の発進ボタンを押した方の証言も出てきます。
その瞬間、彼は眼をつぶり見ることは出来なかった、と証言しています。
いくら軍人でもあの瞬間は見られない・・・と。
その言葉・思いは、私の正義叔父の出撃ボタンを押した、故・室原知末氏の思いにも重なります。
室原氏は、大叔父の命日、5月4日が近付くと、発射ボタンを押したときの感覚がよみがえり、体中の血が逆流するような感覚に襲われたそうです。
毎年毎年、室原氏は大叔父の実家を守る家族に宛てて、墓前に供えて欲しいと長い手紙と供物を送りつづけました。
私が物心ついたころから、この手紙の存在は私も知っていて、母の実家の仏間にかかる大叔父の遺影と共に、特攻というものを身近にしてきました。
もちろん子供の私に特攻の何たるかが分かるはずもなく、特攻が余りにも非情な死であることを思い知るのは、まだまだ最近の話ではありますが。

室原氏の手紙の内、何通かは私も読ませてもらったことがあります。
達筆でしたためられたその手紙は、出撃当時の状況やその際の自分の思いなどを、まるで便せんにぶつけるようにして書き記してあったことが今も印象に残ります。
室原氏もまた、特攻から生き残ってしまった苦しみを、生涯背負い続けた方でありました。


桜花を作った技術者が仰った、自分が桜花を作ったと胸を張って言えない、という言葉も胸に詰まりました。
戦時中とはいえ、上部からの命令に逆らえない立場であったとはいえ、はやり特攻専用機を作ってしまうという、その苛酷な現状に、人の心はそんなに簡単に苦悩を凌駕してはくれないのですよね。

特攻機を作った人、出撃命令を出した人、発進ボタンを操作した人、そして特攻で死んだ人。
奇しくも生き延びて戦後命を長らえた人。
その誰もが、苦しみ悲しみの渦中に身を置いたのが、特攻です。
勝ち目の無い戦いに、戦果を出せないと分かっている出撃に、我が命を預ける。
死を覚悟するその崇高さと、稚拙な作戦行動の隙間を埋め、自分の死を意味あるものにする唯一の方法は、自分が愛する家族や友人知人のために、我が命を掛ける・・・ということであったのだろうと思います。


特攻の正義大叔父が、特攻に志願し、神雷部隊に配属されるその直前、私の母に書き送ったハガキの最後の一文には幼い子供でも読めるように片仮名書きで「オテガミチョウダイネ」の文字があります。
それに応えて、母はつたない文字をハガキに書き連ねて、叔父に送ったそうです。
特攻の大叔父の足跡を調べるため、あちらこちら訪ね歩き、今年は念願の鹿屋と沖縄に足を運んで、今強く胸に迫るのも、大叔父のハガキにある「オテガミチョウダイネ」の言葉なのです。

どんな思いで、叔父はこの一行をしたためたのだろう？
どんな思いで、母からの返事を待ったのだろう？
訓練の日々、鹿屋に移動してから出撃までの日々、どんな気持ちで叔父は母のハガキを眺めたのだろう？

そう思うと、私はとてもいたたまれない気持ちになります。
叔父の圧倒的な愛情の重さに、今も押しつぶされそうになる自分がいます。

自分の命を差し出してでも、国を護る覚悟。
家族を護る覚悟。
その気概。

理屈でなく、鬼気迫る彼らの心情が、後に残された家族の肩には圧し掛かります。
そして心ならずも生き延びてしまった元特攻隊員が、戦後の時代を苦しみや悲しみを胸の奥に抱えて生きてきたという事実も、忘れてはいけないと思っています。


念仏平和では国は護れない。
けれど、特攻の悲劇は繰り返してはならないと思っています。
人の犠牲を最小限に抑えた上で国を護るためには、トップの知恵や戦略が必要。
したたかな外交も必要。

戦後の日本という国は、そういう賢い国であって欲しい・・・
靖国の社で、私の大叔父はそんな風に思ってはいないだろうか？と近頃考えている私なのです。<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
少し遅くなりましたが、表題の番組を視ての感想を、思いつくままに書き綴ります。<br /><br />私のマイミクさんが取材の協力をしていること。<br />ここ数年、3月の神雷部隊戦友会の方と靖国参拝をご一緒させて頂いている関係で、私の知っているお顔が番組に出るであろうこともあり、親近感を持って番組を拝見させて頂きました。<br /><br /><br />思った通り、番組に登場した証言者の内、3名は、私もお話を伺ったことのある方。<br />中でも佐伯さんという元桜花隊員の方は、神雷部隊の靖国参拝の折、正義大叔父の訓練の様子を話して聞かせてくれた、大切な方です。<br /><br />叔父が神ノ池基地で桜花の降下訓練を受けた際、着陸に失敗して滑走路わきの松林に突っ込んだ。<br />けれどたいした怪我もなく、ケロリとした顔で訓練機を下りてきた・・・という証言を聞かせてくれたのは、佐伯氏です。<br />家族も知らない訓練の様子を、私は佐伯氏の言葉によって知りました。<br /><br /><br />証言の内容については、私にとって特に目新しいというものではありません。<br />今まで特攻の大叔父を追いかけて各地を訪ね歩き、または様々な資料を読み漁り、直接元隊員の方からお話を伺う機会を得てきた私にとっては、周知のことがほとんどでした。<br /><br />ただ、こうして改めて言葉にして語る様子に触れると、大叔父の最期の様子や心情はやはりこうであったかと、身につまされる場面は多々ありました。<br />特攻は一度出撃すれば二度と生きて鹿屋の基地には戻りません。<br />桜花特攻の場合、母機の一式陸攻の搭乗員は全部で7名、桜花隊員1名を加えると計8名が搭乗して出撃するわけです。<br />母機もろとも迎撃を受けたなら、出撃機の数×8名分、一度に人が消えていなくなる。<br />一度の出撃で百数十人の兵士がスッポリいなくなる、という証言は、改めて聞けば、特攻を送り出す基地の日常が如何に苛酷であったかを思わされます。<br /><br />そんな中、出撃命令を待つ隊員の思いはどうだったのでしょうね。<br />桜花隊員の宿舎は鹿屋基地最寄りの野里国民学校。<br />私もこの春、野里小学校跡を訪ねましたが、周囲を田んぼと畑に囲まれた、本当にのどかで静かな土地柄です。<br />出撃割が決まると、上官が、隊員が宿舎にしている教室の黒板にチョークで名前を書いていく。<br />その名前を見たとき、大叔父はどんな思いだったのでしょうか。<br />記録を読むと、出撃割の発表の際も、桜花隊員の面々は底抜けに明るかったのだそうです。<br />出撃する隊員は「一足先に靖国へ行っているぞ！」と言い、後に残る隊員は「後から俺も行く、靖国の社の奥に俺の席も一つ取っておいてくれ」などといった会話を交わしたそうです。<br /><br />ただ、そうはいっても特攻は非情な死には違いなく、昼間は底抜けに明るく振る舞ってはいても、夜寝る前になるとしくしくと泣く者、やけ酒を飲んで騒ぐ者などがいて、自分に出撃命令が下ったとき、果たして冷静にいられるだろうか？と心配した・・・と記録に書いた元桜花隊員の言葉もあります。<br /><br /><br />死を覚悟して志願したとはいえ、特攻隊員の心は日々揺れに揺れたことが、テレビに登場した証言者の言葉からもはっきりと読み取れます。<br />一度出撃すれば必ず死ぬ特別攻撃。<br />しかし十分な護衛もなく、無事敵艦まで辿りつける保障もない。<br />作戦としては愚策中の愚策、ということを分かった上で、それでも死の恐怖を振り切って出撃に至るには、よほどの悟りが無ければ往けるものではありません。<br /><br />これまでに何度か書いたように、特攻兵の最期の覚悟を決めさせた物、最終的に彼らの背中を押した物は、後に残る家族への思い以外にはないと思う。<br />正義叔父の場合は、私の母（叔父の戦死時、国民学校2年生）が叔父に宛てて書いたハガキを胸に抱いて出撃をしています。<br />まだ幼い甥や姪を護るため、両親や兄、姉を護るため・・・と思わねば、誰が生への未練を振り切って出撃できるというのでしょうか。<br /><br />番組には桜花の発進ボタンを押した方の証言も出てきます。<br />その瞬間、彼は眼をつぶり見ることは出来なかった、と証言しています。<br />いくら軍人でもあの瞬間は見られない・・・と。<br />その言葉・思いは、私の正義叔父の出撃ボタンを押した、故・室原知末氏の思いにも重なります。<br />室原氏は、大叔父の命日、5月4日が近付くと、発射ボタンを押したときの感覚がよみがえり、体中の血が逆流するような感覚に襲われたそうです。<br />毎年毎年、室原氏は大叔父の実家を守る家族に宛てて、墓前に供えて欲しいと長い手紙と供物を送りつづけました。<br />私が物心ついたころから、この手紙の存在は私も知っていて、母の実家の仏間にかかる大叔父の遺影と共に、特攻というものを身近にしてきました。<br />もちろん子供の私に特攻の何たるかが分かるはずもなく、特攻が余りにも非情な死であることを思い知るのは、まだまだ最近の話ではありますが。<br /><br />室原氏の手紙の内、何通かは私も読ませてもらったことがあります。<br />達筆でしたためられたその手紙は、出撃当時の状況やその際の自分の思いなどを、まるで便せんにぶつけるようにして書き記してあったことが今も印象に残ります。<br />室原氏もまた、特攻から生き残ってしまった苦しみを、生涯背負い続けた方でありました。<br /><br /><br />桜花を作った技術者が仰った、自分が桜花を作ったと胸を張って言えない、という言葉も胸に詰まりました。<br />戦時中とはいえ、上部からの命令に逆らえない立場であったとはいえ、はやり特攻専用機を作ってしまうという、その苛酷な現状に、人の心はそんなに簡単に苦悩を凌駕してはくれないのですよね。<br /><br />特攻機を作った人、出撃命令を出した人、発進ボタンを操作した人、そして特攻で死んだ人。<br />奇しくも生き延びて戦後命を長らえた人。<br />その誰もが、苦しみ悲しみの渦中に身を置いたのが、特攻です。<br />勝ち目の無い戦いに、戦果を出せないと分かっている出撃に、我が命を預ける。<br />死を覚悟するその崇高さと、稚拙な作戦行動の隙間を埋め、自分の死を意味あるものにする唯一の方法は、自分が愛する家族や友人知人のために、我が命を掛ける・・・ということであったのだろうと思います。<br /><br /><br />特攻の正義大叔父が、特攻に志願し、神雷部隊に配属されるその直前、私の母に書き送ったハガキの最後の一文には幼い子供でも読めるように片仮名書きで「オテガミチョウダイネ」の文字があります。<br />それに応えて、母はつたない文字をハガキに書き連ねて、叔父に送ったそうです。<br />特攻の大叔父の足跡を調べるため、あちらこちら訪ね歩き、今年は念願の鹿屋と沖縄に足を運んで、今強く胸に迫るのも、大叔父のハガキにある「オテガミチョウダイネ」の言葉なのです。<br /><br />どんな思いで、叔父はこの一行をしたためたのだろう？<br />どんな思いで、母からの返事を待ったのだろう？<br />訓練の日々、鹿屋に移動してから出撃までの日々、どんな気持ちで叔父は母のハガキを眺めたのだろう？<br /><br />そう思うと、私はとてもいたたまれない気持ちになります。<br />叔父の圧倒的な愛情の重さに、今も押しつぶされそうになる自分がいます。<br /><br />自分の命を差し出してでも、国を護る覚悟。<br />家族を護る覚悟。<br />その気概。<br /><br />理屈でなく、鬼気迫る彼らの心情が、後に残された家族の肩には圧し掛かります。<br />そして心ならずも生き延びてしまった元特攻隊員が、戦後の時代を苦しみや悲しみを胸の奥に抱えて生きてきたという事実も、忘れてはいけないと思っています。<br /><br /><br />念仏平和では国は護れない。<br />けれど、特攻の悲劇は繰り返してはならないと思っています。<br />人の犠牲を最小限に抑えた上で国を護るためには、トップの知恵や戦略が必要。<br />したたかな外交も必要。<br /><br />戦後の日本という国は、そういう賢い国であって欲しい・・・<br />靖国の社で、私の大叔父はそんな風に思ってはいないだろうか？と近頃考えている私なのです。<a name="more"></a>

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            <category>特攻の叔父の話</category>
      <author>ぴろん</author>
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      <link>https://piron326.seesaa.net/article/168603948.html</link>
      <title>笑って往く理由</title>
      <pubDate>Sun, 07 Nov 2010 17:10:46 +0900</pubDate>
            <description>昨日茨城県阿見町の予科練平和祈念館を訪ねてきました。http://www.town.ami.ibaraki.jp/yokaren/index.html先月30日には、NHKハイビジョンでの特集番組「人間爆弾桜花」の放送も視ました。それらの感想を書いて紹介するのが、本来の物の順序なのですが、それより先に書き記したいことがあるので順序の逆はお許しください。さて。自分の特攻の大叔父もそうでしたが、特攻で戦死された方の遺書を読むと、そのほとんどが「笑って往くからお父さんお母さん、どう..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
昨日茨城県阿見町の予科練平和祈念館を訪ねてきました。
http://www.town.ami.ibaraki.jp/yokaren/index.html

先月30日には、NHKハイビジョンでの特集番組「人間爆弾桜花」の放送も視ました。
それらの感想を書いて紹介するのが、本来の物の順序なのですが、それより先に書き記したいことがあるので順序の逆はお許しください。


さて。

自分の特攻の大叔父もそうでしたが、特攻で戦死された方の遺書を読むと、そのほとんどが「笑って往くからお父さんお母さん、どうか悲しまないでください」とか、「笑顔で私の帰りを迎えて欲しい」などと書かれた物がほとんどであることに気がつきます。

ちなみに、私の特攻の大叔父が両親にあてた遺書の全文は以下の通り。

　　父母様
　　幾星霜今日迄愛し育て下された母様
　　何一つ孝を致さず何をもお詫びの申す言葉も有りません
　　今迄何度か家を訪問致し私の心を明けんと致しましたが
　　何か糸にでも引かれる思ひ致しそれも出来ませんでした
　　今に成って何も申し上げる事は有りません
　　十分御身体を強健にもたれ東洋平和をお待ちください
　　父母さまも私が搭乗員に成るをお許し下された以上
　　御覚悟は出来て居られた事と思ひます
　　私も覚悟は出来ました
　　我々が死んで皆様が幸福に成られたら何で惜しみませう
　　決して父母様には驚かれず私の帰りを笑って迎へてくださいませ
　　御身御自愛の程を

　　昭和二十年
　　父母様　　　正義
　
　※旧仮名使いは現代表記に改めてあります。


非情なまでの死を前にして、何故彼らは笑って往くのか？往こうとしたのか？
実際の出撃の場面でも、特攻兵の多くは笑って特攻機に乗り、出撃していったと記されている資料がほとんどです。
特攻隊員への多くが「笑って往く理由」が、私には長いこと、どうしても理解できずにいました。


ちなみに、私の特攻の大叔父が、特攻機桜花に移乗するときの様子が、母機の一式陸攻搭乗員だった故・室原知末氏の手記に残されていますので、一部引用紹介させて頂きます。


・・・引用開始・・・

　変針から五分経ったころ、石渡兵曹は子飛行機の「桜花」へ移乗する準備にかかった。まだ少し早いのでは？と思っていると、指揮官席を離れ操縦席の後ろへ来て、
「では、そろそろあちらへ移りますから、よろしくお願いします。お世話になりました。では往きます」と、言葉短に挨拶をかわした。私は石渡兵曹と、目標の位置はブザーで送るが、符号は打ち合わせどおり、左前方の時は「モ・イ」、右前方の時は「モ・タ」とし、「桜花」発信は「ク」の長音が終わった直後に発射装置の電鍵を押して母機から切り離すからと、再確認の打ち合わせを行った。石渡兵曹は、あらかじめ作戦指令のあったことであり、軽くうなずきながら私の言葉を聞いていたが、「了解」の合図をしてふたたび「では往きます」と、右手を挙げた。別れの挨拶であった。私は胸がつまった。飛長の私があわてて右手を挙げながら、石渡兵曹の顔が笑っているのにぶつかると、正視できないくらいの神々しい気迫に圧倒されるのをおぼえた。
「では往きます」といった言葉の響きは、三十数年を経た現在でも、私の耳底にしんしんと残っていて、いつでも当時の状況を再現することができる。ふつう、「行ってきます」という言葉に始まり、「ただ今帰りました」で終わるのが挨拶の言葉だが、この場合は永遠に帰ってくることのない出発であった。まさに生きている神か、仏陀のようにおごそかなものに私の目には映った。「がん張ってください」私はつぶやいたが、それは相手には聞こえない心の叫びであった。

「天翔ける若鷲　予科練最前線の記録（読売新聞社刊）」より　
室原知末氏の手記「沖縄神雷特攻」の中から一部抜粋

・・・引用終了・・・


私はこの春、大叔父ゆかりの地、鹿児島県鹿屋市と沖縄県の本部湾を訪ねて、直感的に思ったことがあります。
それは、特攻による死がこれ以上ない非業の死である以上、後に残る家族の心に、余計な重荷を背負わせたくはないという思いやり故だったのではないか？と。
死に直面しての苦しみ悲しみもすべて自分一人の胸に収め、「俺は喜んで死んで行くのだから、家族も喜んで俺の魂の帰りを待っていてくれ」という言葉だけを家族に伝える。
それは家族を思う愛情以外の他に理由はない、と。

俺は笑って往く、だから家族には笑顔で自分を迎えて欲しい・・・
逆に言えば、そこまで真摯に思い込まなければとても出撃して往けないほど、特攻の死は非情で過酷な死なのだ・・・とも思う。



昨日、私は茨城県阿見町にある予科練平和祈念館を訪ねてきました。
展示室の壁に記されたある予科練生の遺書の一文。

「私はお母さんにカタミは遺しません。
カタミを遺すと十年後、二十年後もお母さんは私を思って泣くから」
（メモを取ったわけではないので多少の記憶違いがあるかもしれませんが）

後に残る家族を思い、笑って往く若者が、ここにも一人いました。


予科練平和祈念館の最後の展示室は、特攻の映像が流れる部屋です。
その映像を見ながら、私は涙を抑えられませんでした。
死の恐怖を乗り越えて、家族への思いを募らせたが故に、彼らは笑って往ったこと。
その思いを、今を生きる私たちは、真摯に、そして命の重みを身を持って受け止めるべきと、改めて思っています。

国を護るとは何ぞや？本当の平和とは何ぞや？と考えることを止めてしまうのは、犠牲になった多くの先人たちが後世へ託した思いに対しての冒涜である、とも言えるのではないでしょうか？<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
昨日茨城県阿見町の予科練平和祈念館を訪ねてきました。<br /><a href="http://www.town.ami.ibaraki.jp/yokaren/index.html" target="_blank">http://www.town.ami.ibaraki.jp/yokaren/index.html</a><br /><br />先月30日には、NHKハイビジョンでの特集番組「人間爆弾桜花」の放送も視ました。<br />それらの感想を書いて紹介するのが、本来の物の順序なのですが、それより先に書き記したいことがあるので順序の逆はお許しください。<br /><br /><br />さて。<br /><br />自分の特攻の大叔父もそうでしたが、特攻で戦死された方の遺書を読むと、そのほとんどが「笑って往くからお父さんお母さん、どうか悲しまないでください」とか、「笑顔で私の帰りを迎えて欲しい」などと書かれた物がほとんどであることに気がつきます。<br /><br />ちなみに、私の特攻の大叔父が両親にあてた遺書の全文は以下の通り。<br /><br />　　父母様<br />　　幾星霜今日迄愛し育て下された母様<br />　　何一つ孝を致さず何をもお詫びの申す言葉も有りません<br />　　今迄何度か家を訪問致し私の心を明けんと致しましたが<br />　　何か糸にでも引かれる思ひ致しそれも出来ませんでした<br />　　今に成って何も申し上げる事は有りません<br />　　十分御身体を強健にもたれ東洋平和をお待ちください<br />　　父母さまも私が搭乗員に成るをお許し下された以上<br />　　御覚悟は出来て居られた事と思ひます<br />　　私も覚悟は出来ました<br />　　我々が死んで皆様が幸福に成られたら何で惜しみませう<br />　　決して父母様には驚かれず私の帰りを笑って迎へてくださいませ<br />　　御身御自愛の程を<br /><br />　　昭和二十年<br />　　父母様　　　正義<br />　<br />　※旧仮名使いは現代表記に改めてあります。<br /><br /><br />非情なまでの死を前にして、何故彼らは笑って往くのか？往こうとしたのか？<br />実際の出撃の場面でも、特攻兵の多くは笑って特攻機に乗り、出撃していったと記されている資料がほとんどです。<br />特攻隊員への多くが「笑って往く理由」が、私には長いこと、どうしても理解できずにいました。<br /><br /><br />ちなみに、私の特攻の大叔父が、特攻機桜花に移乗するときの様子が、母機の一式陸攻搭乗員だった故・室原知末氏の手記に残されていますので、一部引用紹介させて頂きます。<br /><br /><br />・・・引用開始・・・<br /><br />　変針から五分経ったころ、石渡兵曹は子飛行機の「桜花」へ移乗する準備にかかった。まだ少し早いのでは？と思っていると、指揮官席を離れ操縦席の後ろへ来て、<br />「では、そろそろあちらへ移りますから、よろしくお願いします。お世話になりました。では往きます」と、言葉短に挨拶をかわした。私は石渡兵曹と、目標の位置はブザーで送るが、符号は打ち合わせどおり、左前方の時は「モ・イ」、右前方の時は「モ・タ」とし、「桜花」発信は「ク」の長音が終わった直後に発射装置の電鍵を押して母機から切り離すからと、再確認の打ち合わせを行った。石渡兵曹は、あらかじめ作戦指令のあったことであり、軽くうなずきながら私の言葉を聞いていたが、「了解」の合図をしてふたたび「では往きます」と、右手を挙げた。別れの挨拶であった。私は胸がつまった。飛長の私があわてて右手を挙げながら、石渡兵曹の顔が笑っているのにぶつかると、正視できないくらいの神々しい気迫に圧倒されるのをおぼえた。<br />「では往きます」といった言葉の響きは、三十数年を経た現在でも、私の耳底にしんしんと残っていて、いつでも当時の状況を再現することができる。ふつう、「行ってきます」という言葉に始まり、「ただ今帰りました」で終わるのが挨拶の言葉だが、この場合は永遠に帰ってくることのない出発であった。まさに生きている神か、仏陀のようにおごそかなものに私の目には映った。「がん張ってください」私はつぶやいたが、それは相手には聞こえない心の叫びであった。<br /><br />「天翔ける若鷲　予科練最前線の記録（読売新聞社刊）」より　<br />室原知末氏の手記「沖縄神雷特攻」の中から一部抜粋<br /><br />・・・引用終了・・・<br /><br /><br />私はこの春、大叔父ゆかりの地、鹿児島県鹿屋市と沖縄県の本部湾を訪ねて、直感的に思ったことがあります。<br />それは、特攻による死がこれ以上ない非業の死である以上、後に残る家族の心に、余計な重荷を背負わせたくはないという思いやり故だったのではないか？と。<br />死に直面しての苦しみ悲しみもすべて自分一人の胸に収め、「俺は喜んで死んで行くのだから、家族も喜んで俺の魂の帰りを待っていてくれ」という言葉だけを家族に伝える。<br />それは家族を思う愛情以外の他に理由はない、と。<br /><br />俺は笑って往く、だから家族には笑顔で自分を迎えて欲しい・・・<br />逆に言えば、そこまで真摯に思い込まなければとても出撃して往けないほど、特攻の死は非情で過酷な死なのだ・・・とも思う。<br /><br /><br /><br />昨日、私は茨城県阿見町にある予科練平和祈念館を訪ねてきました。<br />展示室の壁に記されたある予科練生の遺書の一文。<br /><br />「私はお母さんにカタミは遺しません。<br />カタミを遺すと十年後、二十年後もお母さんは私を思って泣くから」<br />（メモを取ったわけではないので多少の記憶違いがあるかもしれませんが）<br /><br />後に残る家族を思い、笑って往く若者が、ここにも一人いました。<br /><br /><br />予科練平和祈念館の最後の展示室は、特攻の映像が流れる部屋です。<br />その映像を見ながら、私は涙を抑えられませんでした。<br />死の恐怖を乗り越えて、家族への思いを募らせたが故に、彼らは笑って往ったこと。<br />その思いを、今を生きる私たちは、真摯に、そして命の重みを身を持って受け止めるべきと、改めて思っています。<br /><br />国を護るとは何ぞや？本当の平和とは何ぞや？と考えることを止めてしまうのは、犠牲になった多くの先人たちが後世へ託した思いに対しての冒涜である、とも言えるのではないでしょうか？<a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>特攻の叔父の話</category>
      <author>ぴろん</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,piron326/168603948</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://piron326.seesaa.net/article/168188326.html</link>
      <title>森田健作千葉県知事と特定失踪者ご家族の面会実現</title>
      <pubDate>Wed, 03 Nov 2010 23:08:06 +0900</pubDate>
            <description>特定失踪者・古川了子さんのお姉さま、竹下珠路さん他、千葉県の特定失踪者ご家族が森田健作千葉県知事との面会をされました。 竹下さんは1週間前にお母様の朗子さんを亡くされたばかり。 悲しみにくれる暇も無く、妹の了子さん救出のため奔走しています。 国は、政治は、いつになったら動いてくれるのでしょうか？ 一刻も早い行動を願います。 ・・・・・・・・・・・・・・・ ★特定失踪者の家族ら　森田知事に問題解決訴え（10/11/03） http://www.youtube.com/watch..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
特定失踪者・古川了子さんのお姉さま、竹下珠路さん他、千葉県の特定失踪者ご家族が森田健作千葉県知事との面会をされました。 

竹下さんは1週間前にお母様の朗子さんを亡くされたばかり。 
悲しみにくれる暇も無く、妹の了子さん救出のため奔走しています。 

国は、政治は、いつになったら動いてくれるのでしょうか？ 
一刻も早い行動を願います。 

・・・・・・・・・・・・・・・ 

★特定失踪者の家族ら　森田知事に問題解決訴え（10/11/03） 



http://www.youtube.com/watch?v=n69GzWaAE50



★拉致疑い親族が知事と面会

「北朝鮮を動かす力貸して」
　北朝鮮に拉致された可能性が指摘される県関係の特定失踪(しっそう)者５人の親族らが２日、県庁で森田知事と面会し、問題解決への協力を求めた。

　１９７３年に失踪した市原市の古川了子さん（当時１８歳）の姉、竹下珠路(たまじ)さん（６６）が代表して、「知事をはじめ、千葉県中の人々が『主権侵害』を自分のことと考え、政府や北朝鮮を動かすための力を貸してほしい」との要望書を知事に手渡した。

　知事は「日本国として国民の生命、財産を守ることは当たり前。絶対に負けないという気持ちを持って協力したい」と激励した。

　古川さんの母・朗子さんは先月２５日に９４歳で亡くなった。竹下さんは「拉致は日本海側の問題と思っている人が多いが、千葉の問題でもあることを知ってほしい」と涙ぐんで話した。

　１４日午後１時半から千葉市中央区の三井ガーデンホテル千葉で「一日も早く拉致被害者を救出する！国民大集会ｉｎ千葉」（内閣府、県など主催）が開かれる。

（2010年11月3日  読売新聞）
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20101102-OYT8T01200.htm
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
特定失踪者・古川了子さんのお姉さま、竹下珠路さん他、千葉県の特定失踪者ご家族が森田健作千葉県知事との面会をされました。 <br /><br />竹下さんは1週間前にお母様の朗子さんを亡くされたばかり。 <br />悲しみにくれる暇も無く、妹の了子さん救出のため奔走しています。 <br /><br />国は、政治は、いつになったら動いてくれるのでしょうか？ <br />一刻も早い行動を願います。 <br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・ <br /><br />★特定失踪者の家族ら　森田知事に問題解決訴え（10/11/03） <br /><br /><object width="640" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/n69GzWaAE50?fs=1&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/n69GzWaAE50?fs=1&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="640" height="385"></embed></object><br /><br /><a href="http://www.youtube.com/watch?v=n69GzWaAE50" target="_blank">http://www.youtube.com/watch?v=n69GzWaAE50</a><br /><br /><br /><br />★拉致疑い親族が知事と面会<br /><br />「北朝鮮を動かす力貸して」<br />　北朝鮮に拉致された可能性が指摘される県関係の特定失踪(しっそう)者５人の親族らが２日、県庁で森田知事と面会し、問題解決への協力を求めた。<br /><br />　１９７３年に失踪した市原市の古川了子さん（当時１８歳）の姉、竹下珠路(たまじ)さん（６６）が代表して、「知事をはじめ、千葉県中の人々が『主権侵害』を自分のことと考え、政府や北朝鮮を動かすための力を貸してほしい」との要望書を知事に手渡した。<br /><br />　知事は「日本国として国民の生命、財産を守ることは当たり前。絶対に負けないという気持ちを持って協力したい」と激励した。<br /><br />　古川さんの母・朗子さんは先月２５日に９４歳で亡くなった。竹下さんは「拉致は日本海側の問題と思っている人が多いが、千葉の問題でもあることを知ってほしい」と涙ぐんで話した。<br /><br />　１４日午後１時半から千葉市中央区の三井ガーデンホテル千葉で「一日も早く拉致被害者を救出する！国民大集会ｉｎ千葉」（内閣府、県など主催）が開かれる。<br /><br />（2010年11月3日  読売新聞）<br /><a href="http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20101102-OYT8T01200.htm" target="_blank">http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20101102-OYT8T01200.htm</a><br /><a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
            <category>拉致問題</category>
      <author>ぴろん</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,piron326/168188326</guid>
                </item>
        <item>
      <link>https://piron326.seesaa.net/article/167509267.html</link>
      <title>特定失踪者・古川了子さんのお母様の告別式に参列してきました</title>
      <pubDate>Thu, 28 Oct 2010 21:29:42 +0900</pubDate>
            <description>今日私は、一般会葬者の一人として、故古川朗子さんの告別式の末席に参列させて頂いてまいりました。 朗子さんは大正5年のお生まれ。 「“私の名前は朗らかな子と書くのよ”と日頃から仰っていた通りに、母は明るく朗らかな性格で、周囲の人に愛され大切にされた人生であった」と喪主の珠路さんは告別式の最後でご挨拶になりました。 ９４歳、普通ならば大往生。 むろんこの度の朗子さんのご逝去も、大往生には違いないのですが、「最期の最期に心残りであったのは、了子のことだったろうと思います」と珠路さん..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
今日私は、一般会葬者の一人として、故古川朗子さんの告別式の末席に参列させて頂いてまいりました。 


朗子さんは大正5年のお生まれ。 
「“私の名前は朗らかな子と書くのよ”と日頃から仰っていた通りに、母は明るく朗らかな性格で、周囲の人に愛され大切にされた人生であった」と喪主の珠路さんは告別式の最後でご挨拶になりました。 

９４歳、普通ならば大往生。 
むろんこの度の朗子さんのご逝去も、大往生には違いないのですが、「最期の最期に心残りであったのは、了子のことだったろうと思います」と珠路さんは続けてお話になりました。 

また「母は声を大きくして了子の事を話す人ではなかった」と亡きお母様の人となりもご紹介になりました。 
了子さんとの再会を待ち望みながらも、朗子さんはあくまでも控えめに、 
晩年の日々を過ごされたとのこと。 



でも、私は思います。 
どんなに控えめであっても、声高に救出を叫ばなかったとしても、親が我が子に会いたくないはずはないのです。 
他の誰よりも誰よりも誰よりも、朗子さんは娘の了子さんとの再会を待ち望んだはず。 
９４歳まで一日千秋の思いで命をつなぎながら、ついに愛娘との今生での再会を果たせないまま、最期を迎えてしまった・・・ 

これほどの不条理が他にあるでしょうか？ 

飛行機で飛べば半日で辿りつく北朝鮮にいるのに、子が親の死に目にも会えず、親の葬儀にも出られない。 
平和な日本で暮していれば誰でも当たり前に出来るはずのことが、当たり前にならない・・・ 

この哀しい現状が、私は悔しくて悔しくてなりません。 



「朗子さんの魂は今、一足飛びに北朝鮮に渡って了子さんに寄り添い、日本で待っている人が大勢いるのだから、しっかり頑張るようにと了子を励ましているに違いないと思っています・・・」 

と珠路さんは涙をこらえてお話になりました。 

「生きているうちに母に会わせることは出来なかったけれど、元気で日本に連れ帰ってきて必ず母の墓に参らせたい、それが私の目標です」 

とも。 



拉致問題を解決するには、国が、政府が動かなければ、どうにもならないのです。 
一体いつになったら、国は政治は、本気を出して動いてくれるのか？ 
行動をしてくれるのでしょうか？ 

待って待って待ち切れずに、あの世に旅立つ親御さんを、私たちはあと何人見送ればいいのでしょうか？ 

親が我が子に会いたいと願う・・・そんな普通の望みさえ叶えることも出来ないこの国は、いったいどういう国なのでしょうか？ 

隣人が人知れず流す無念の涙を、私たち一般の国民は、知らんふりをしていて良いのでしょうか？ 



朗子さんの安らかなお顔に手を合わせながら、もう一度、私は誓いを立てました。 

お母様がお元気なうちに了子さんを取り戻せなくてごめんなさい、と。 
その代わり、私は、世論を動かし国を動かし政治を動かして、被害者を取り戻すために必要なものを追い求めて、微力ながら今後も支援活動を続けます。 
必ず了子さんを助け出して、お母さんの元に連れてきますから、それまでもうしばらく待って下さい、と。 



故・古川朗子さんのご冥福を心よりお祈り致します。 
それと共に、必ず了子さんを救出してお母様の墓参りが出来るよう、今後も微力ながら力を尽くすことをお約束しますので、どうか安らかにお眠りください。<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
今日私は、一般会葬者の一人として、故古川朗子さんの告別式の末席に参列させて頂いてまいりました。 <br /><br /><br />朗子さんは大正5年のお生まれ。 <br />「“私の名前は朗らかな子と書くのよ”と日頃から仰っていた通りに、母は明るく朗らかな性格で、周囲の人に愛され大切にされた人生であった」と喪主の珠路さんは告別式の最後でご挨拶になりました。 <br /><br />９４歳、普通ならば大往生。 <br />むろんこの度の朗子さんのご逝去も、大往生には違いないのですが、「最期の最期に心残りであったのは、了子のことだったろうと思います」と珠路さんは続けてお話になりました。 <br /><br />また「母は声を大きくして了子の事を話す人ではなかった」と亡きお母様の人となりもご紹介になりました。 <br />了子さんとの再会を待ち望みながらも、朗子さんはあくまでも控えめに、 <br />晩年の日々を過ごされたとのこと。 <br /><br /><br /><br />でも、私は思います。 <br />どんなに控えめであっても、声高に救出を叫ばなかったとしても、親が我が子に会いたくないはずはないのです。 <br />他の誰よりも誰よりも誰よりも、朗子さんは娘の了子さんとの再会を待ち望んだはず。 <br />９４歳まで一日千秋の思いで命をつなぎながら、ついに愛娘との今生での再会を果たせないまま、最期を迎えてしまった・・・ <br /><br />これほどの不条理が他にあるでしょうか？ <br /><br />飛行機で飛べば半日で辿りつく北朝鮮にいるのに、子が親の死に目にも会えず、親の葬儀にも出られない。 <br />平和な日本で暮していれば誰でも当たり前に出来るはずのことが、当たり前にならない・・・ <br /><br />この哀しい現状が、私は悔しくて悔しくてなりません。 <br /><br /><br /><br />「朗子さんの魂は今、一足飛びに北朝鮮に渡って了子さんに寄り添い、日本で待っている人が大勢いるのだから、しっかり頑張るようにと了子を励ましているに違いないと思っています・・・」 <br /><br />と珠路さんは涙をこらえてお話になりました。 <br /><br />「生きているうちに母に会わせることは出来なかったけれど、元気で日本に連れ帰ってきて必ず母の墓に参らせたい、それが私の目標です」 <br /><br />とも。 <br /><br /><br /><br />拉致問題を解決するには、国が、政府が動かなければ、どうにもならないのです。 <br />一体いつになったら、国は政治は、本気を出して動いてくれるのか？ <br />行動をしてくれるのでしょうか？ <br /><br />待って待って待ち切れずに、あの世に旅立つ親御さんを、私たちはあと何人見送ればいいのでしょうか？ <br /><br />親が我が子に会いたいと願う・・・そんな普通の望みさえ叶えることも出来ないこの国は、いったいどういう国なのでしょうか？ <br /><br />隣人が人知れず流す無念の涙を、私たち一般の国民は、知らんふりをしていて良いのでしょうか？ <br /><br /><br /><br />朗子さんの安らかなお顔に手を合わせながら、もう一度、私は誓いを立てました。 <br /><br />お母様がお元気なうちに了子さんを取り戻せなくてごめんなさい、と。 <br />その代わり、私は、世論を動かし国を動かし政治を動かして、被害者を取り戻すために必要なものを追い求めて、微力ながら今後も支援活動を続けます。 <br />必ず了子さんを助け出して、お母さんの元に連れてきますから、それまでもうしばらく待って下さい、と。 <br /><br /><br /><br />故・古川朗子さんのご冥福を心よりお祈り致します。 <br />それと共に、必ず了子さんを救出してお母様の墓参りが出来るよう、今後も微力ながら力を尽くすことをお約束しますので、どうか安らかにお眠りください。<a name="more"></a>

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            <category>拉致問題</category>
      <author>ぴろん</author>
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                </item>
        <item>
      <link>https://piron326.seesaa.net/article/166442101.html</link>
      <title>ブルーリボン御礼</title>
      <pubDate>Wed, 20 Oct 2010 07:57:47 +0900</pubDate>
            <description>いよいよ、10.23集会が目の前に迫ってまいりました。 集会当日と事前の告知街頭に使うブルーリボンを募集したところ、複数のボランティアの方からご協力を頂き、心をこめてていねいに作られたリボンをたくさん送っていただきました。 お陰さまで配布用にパッケージしたリボンは、全部で２５００個という、予想以上の数を用意することが出来ました。 この場を借りて、ご協力いただいたボランティアの方に御礼を申し上げます。 10.22事前告知街頭ではこのうち1500個のリボンパッケージを、集会告知チ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
<a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-1.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-1-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" alt="20101020-1.jpg" /></a>

<a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-2.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-2-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" alt="20101020-2.jpg" /></a>

<a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-3.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-3-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" alt="20101020-3.jpg" /></a>

いよいよ、10.23集会が目の前に迫ってまいりました。 
集会当日と事前の告知街頭に使うブルーリボンを募集したところ、複数のボランティアの方からご協力を頂き、心をこめてていねいに作られたリボンをたくさん送っていただきました。 
お陰さまで配布用にパッケージしたリボンは、全部で２５００個という、予想以上の数を用意することが出来ました。 
この場を借りて、ご協力いただいたボランティアの方に御礼を申し上げます。 

10.22事前告知街頭ではこのうち1500個のリボンパッケージを、集会告知チラシと共に配布する予定にしています。 
拉致被害者を救いたいという願いのこもったリボンを、一人でも多くの方の手に届けるため、10.22告知街頭に参加してくださるボランティアも募集中です。 

引き続きご協力をお願いいたします。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
『北朝鮮による拉致被害者救出のための集い』 
　　　　　　　　　　　告知のための街頭活動 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
10月23日都庁広場において開催される 
『北朝鮮による拉致被害者救出のための集い』 
～拉致被害者・ 
　特定失踪者問題調査会問題への理解と関心を～ 
上記集会に多くの方に参集していただきたく、告知のための街頭活動を行います。 
これは、調査会、しおかぜネットワーク、参加団体の会議で決定され、東京ブルーリボンの会は新宿の運営の受け持ちとなったものです。 

23日の集会に賛同のどなたでもご参加いただけます。 
初めてでも、お気軽にお越しください。 

【日時】平成22年　10月22日（金）午後二時～四時 

【場所】新宿駅西口広場付近 
（のぼりを目印にしてください） 

【行動】１０．２３の告知資料配布 



◆ お手元にある拉致関連グッズ（ポスター、のぼりなど）お持ちください。 
◆ 拉致問題の解決を願う方、どなたでも参加できます。初めてでもお気軽にどうぞ！ 

■同日同時刻、渋谷でも街頭活動が行われます。 
ご都合の良いほうにご参加ください。 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
北朝鮮による拉致被害者救出のための集い 
～拉致被害者・ 
特定失踪者問題調査会問題への理解と関心を～ 
平成２２年１０月２３日（土）午後１時半～４時半 
　於：東京都庁　都民広場（オープンエアー） 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

【日時】平成２２年１０月２３日（土） 
　　　　午後１時半～４時半 
　　　　展示開始午前10時 
【場所】東京都庁　都民広場（オープンエアー） 
　ＪＲ　私鉄：新宿駅西口/地下鉄：東京都庁前 
【内容】特定失踪者家族の訴え・展示・ワークショップなど 
【主催】東京都　特定失踪者問題調査会　東京都拉致議連 
【参加者】来賓／全国から特定失踪者ご家族<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
<a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-1.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-1-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" align="" alt="20101020-1.jpg" onclick="location.href = 'https://piron326.seesaa.net/upload/detail/image/20101020-1-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-2.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-2-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" align="" alt="20101020-2.jpg" onclick="location.href = 'https://piron326.seesaa.net/upload/detail/image/20101020-2-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-3.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101020-3-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" align="" alt="20101020-3.jpg" onclick="location.href = 'https://piron326.seesaa.net/upload/detail/image/20101020-3-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />いよいよ、10.23集会が目の前に迫ってまいりました。 <br />集会当日と事前の告知街頭に使うブルーリボンを募集したところ、複数のボランティアの方からご協力を頂き、心をこめてていねいに作られたリボンをたくさん送っていただきました。 <br />お陰さまで配布用にパッケージしたリボンは、全部で２５００個という、予想以上の数を用意することが出来ました。 <br />この場を借りて、ご協力いただいたボランティアの方に御礼を申し上げます。 <br /><br />10.22事前告知街頭ではこのうち1500個のリボンパッケージを、集会告知チラシと共に配布する予定にしています。 <br />拉致被害者を救いたいという願いのこもったリボンを、一人でも多くの方の手に届けるため、10.22告知街頭に参加してくださるボランティアも募集中です。 <br /><br />引き続きご協力をお願いいたします。<br /><br /><br />━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <br />『北朝鮮による拉致被害者救出のための集い』 <br />　　　　　　　　　　　告知のための街頭活動 <br />━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <br />10月23日都庁広場において開催される <br />『北朝鮮による拉致被害者救出のための集い』 <br />～拉致被害者・ <br />　特定失踪者問題調査会問題への理解と関心を～ <br />上記集会に多くの方に参集していただきたく、告知のための街頭活動を行います。 <br />これは、調査会、しおかぜネットワーク、参加団体の会議で決定され、東京ブルーリボンの会は新宿の運営の受け持ちとなったものです。 <br /><br />23日の集会に賛同のどなたでもご参加いただけます。 <br />初めてでも、お気軽にお越しください。 <br /><br />【日時】平成22年　10月22日（金）午後二時～四時 <br /><br />【場所】新宿駅西口広場付近 <br />（のぼりを目印にしてください） <br /><br />【行動】１０．２３の告知資料配布 <br /><br /><br /><br />◆ お手元にある拉致関連グッズ（ポスター、のぼりなど）お持ちください。 <br />◆ 拉致問題の解決を願う方、どなたでも参加できます。初めてでもお気軽にどうぞ！ <br /><br />■同日同時刻、渋谷でも街頭活動が行われます。 <br />ご都合の良いほうにご参加ください。 <br /><br />━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <br />北朝鮮による拉致被害者救出のための集い <br />～拉致被害者・ <br />特定失踪者問題調査会問題への理解と関心を～ <br />平成２２年１０月２３日（土）午後１時半～４時半 <br />　於：東京都庁　都民広場（オープンエアー） <br />━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <br /><br />【日時】平成２２年１０月２３日（土） <br />　　　　午後１時半～４時半 <br />　　　　展示開始午前10時 <br />【場所】東京都庁　都民広場（オープンエアー） <br />　ＪＲ　私鉄：新宿駅西口/地下鉄：東京都庁前 <br />【内容】特定失踪者家族の訴え・展示・ワークショップなど <br />【主催】東京都　特定失踪者問題調査会　東京都拉致議連 <br />【参加者】来賓／全国から特定失踪者ご家族<a name="more"></a>

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            <category>拉致問題</category>
      <author>ぴろん</author>
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      <title>靖国神社秋季例大祭当日祭</title>
      <pubDate>Tue, 19 Oct 2010 09:08:43 +0900</pubDate>
            <description>  昨日18日、実家の母のお伴で靖国神社秋季例大祭に参加して参りました。 18日は例大祭の初日、当日祭ということで、この日は皇室から勅使がつかわされ、本殿で拝礼をされます。 勅使1名と御幣物をささげ持った従者2名が宮司の先導により、本殿正面の階段より昇殿をされ、拝礼をされます。 その様子を拝見しながら、心の中によぎった感情は、皇室から勅使の方が来て下さって非常にありがたいと思うのと同時に、どうしてこの場に陛下ご本人がいらして頂けないのだろう？という寂しさでした。 靖国参拝は、..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
<a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101018-1.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101018-1-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" alt="20101018-1.jpg" /></a>

<a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101018-2.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101018-2-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" alt="20101018-2.jpg" /></a>  

昨日18日、実家の母のお伴で靖国神社秋季例大祭に参加して参りました。 
18日は例大祭の初日、当日祭ということで、この日は皇室から勅使がつかわされ、本殿で拝礼をされます。 
勅使1名と御幣物をささげ持った従者2名が宮司の先導により、本殿正面の階段より昇殿をされ、拝礼をされます。 
その様子を拝見しながら、心の中によぎった感情は、皇室から勅使の方が来て下さって非常にありがたいと思うのと同時に、どうしてこの場に陛下ご本人がいらして頂けないのだろう？という寂しさでした。 

靖国参拝は、国のために命をささげた多くの英霊をお慰めする慰霊行為。 
そこに政治のあれやこれやを持ち込んで、陛下も総理大臣も公式参拝出来ないなんて、どこかおかしい。 
悔しさやら情けなさやら、様々な感情がない交ぜとなり、勅使参拝の間、私は涙が流れて止めることが出来ませんでした。 

靖国参拝という慰霊行為を政治問題にすり替えた張本人は、かつての自民党。 
現民主党政権はそれに輪を掛けて、靖国をないがしろにしています。 
京極宮司は例大祭最後の挨拶の中で、今年の8月15日には一人の閣僚も参拝しなかったことに触れ、その一方で一般参拝者は昨年より一万人も多かったことをお話になりました。 
政治は腑抜けでも、多くの国民には良識と危機感がある。 
それが唯一の救いというか、希望であるのかもしれませんね。 

死んだ人より生きてる人間の方が大事、とは中国の顔色を伺う人たちの常套句。 
死んだ人と生きてる人の間にある絆を断ち切ることは、つまりは現世を生きている人同士の絆も断ち切ることになりはしないか？ 
現代日本ではびこる家族の崩壊や猟奇的殺人事件などの横行も、根源には死者との絆を安易に捨てて、利己主義に走った結果の表れ、という気もしてなりません。 

多くの英霊は、「後は頼むぞ」という想いを遺して死んでいきました。 
命掛けの彼らの想いに背くことは、人として許される行為ではない、とも感じます。 
現世は過去の積み重ねの上にある。 
未来は現世の積み重ねの先にある。 
今を生きる私たちだけが、好き勝手に我が身の生を謳歌してもいいのでしょうかねぇ？ 
そんなこともふと思った一日でもありました。 


例大祭には、遺族会会長の古賀誠氏、崇敬会会長の扇千景氏も参列。 
「たけしのTVタックル」というテレビ番組でおなじみの、三宅久之氏のお姿もお見かけいたしました。 

晴天に恵まれ、例大祭初日はつつがなく終了。 
最後は、私たち一般の参加者も昇殿参拝をさせて頂き、帰り際には神社より一人一人に神饌を頂戴いたしました。 
遊就館の無料招待券も頂きましたので、有難く入場させてもらい、特攻の大叔父の遺影にも対面して来ました。 

穏やかに厳かに一心に御霊をお慰めする、その空気の荘厳で清浄なことに感激をいたし、感謝をいたしました。 
身はまだ沖縄の海の底にあっても、魂は靖国の社におわす特攻の大叔父も、さぞかし心を慰められたことと思います。 
来年も元気でまた来るぞ！と張り切る母と共に、靖国を後にいたし、帰宅の途につきました。 
充実した良き一日であったと心より感謝申し上げております。 

★写真上より 

昨日の神雷桜 
頂いた神饌（大きな月餅と例大祭式次第）
<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
<a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101018-1.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101018-1-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" align="" alt="20101018-1.jpg" onclick="location.href = 'https://piron326.seesaa.net/upload/detail/image/20101018-1-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101018-2.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/image/20101018-2-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" align="" alt="20101018-2.jpg" onclick="location.href = 'https://piron326.seesaa.net/upload/detail/image/20101018-2-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>  <br /><br />昨日18日、実家の母のお伴で靖国神社秋季例大祭に参加して参りました。 <br />18日は例大祭の初日、当日祭ということで、この日は皇室から勅使がつかわされ、本殿で拝礼をされます。 <br />勅使1名と御幣物をささげ持った従者2名が宮司の先導により、本殿正面の階段より昇殿をされ、拝礼をされます。 <br />その様子を拝見しながら、心の中によぎった感情は、皇室から勅使の方が来て下さって非常にありがたいと思うのと同時に、どうしてこの場に陛下ご本人がいらして頂けないのだろう？という寂しさでした。 <br /><br />靖国参拝は、国のために命をささげた多くの英霊をお慰めする慰霊行為。 <br />そこに政治のあれやこれやを持ち込んで、陛下も総理大臣も公式参拝出来ないなんて、どこかおかしい。 <br />悔しさやら情けなさやら、様々な感情がない交ぜとなり、勅使参拝の間、私は涙が流れて止めることが出来ませんでした。 <br /><br />靖国参拝という慰霊行為を政治問題にすり替えた張本人は、かつての自民党。 <br />現民主党政権はそれに輪を掛けて、靖国をないがしろにしています。 <br />京極宮司は例大祭最後の挨拶の中で、今年の8月15日には一人の閣僚も参拝しなかったことに触れ、その一方で一般参拝者は昨年より一万人も多かったことをお話になりました。 <br />政治は腑抜けでも、多くの国民には良識と危機感がある。 <br />それが唯一の救いというか、希望であるのかもしれませんね。 <br /><br />死んだ人より生きてる人間の方が大事、とは中国の顔色を伺う人たちの常套句。 <br />死んだ人と生きてる人の間にある絆を断ち切ることは、つまりは現世を生きている人同士の絆も断ち切ることになりはしないか？ <br />現代日本ではびこる家族の崩壊や猟奇的殺人事件などの横行も、根源には死者との絆を安易に捨てて、利己主義に走った結果の表れ、という気もしてなりません。 <br /><br />多くの英霊は、「後は頼むぞ」という想いを遺して死んでいきました。 <br />命掛けの彼らの想いに背くことは、人として許される行為ではない、とも感じます。 <br />現世は過去の積み重ねの上にある。 <br />未来は現世の積み重ねの先にある。 <br />今を生きる私たちだけが、好き勝手に我が身の生を謳歌してもいいのでしょうかねぇ？ <br />そんなこともふと思った一日でもありました。 <br /><br /><br />例大祭には、遺族会会長の古賀誠氏、崇敬会会長の扇千景氏も参列。 <br />「たけしのTVタックル」というテレビ番組でおなじみの、三宅久之氏のお姿もお見かけいたしました。 <br /><br />晴天に恵まれ、例大祭初日はつつがなく終了。 <br />最後は、私たち一般の参加者も昇殿参拝をさせて頂き、帰り際には神社より一人一人に神饌を頂戴いたしました。 <br />遊就館の無料招待券も頂きましたので、有難く入場させてもらい、特攻の大叔父の遺影にも対面して来ました。 <br /><br />穏やかに厳かに一心に御霊をお慰めする、その空気の荘厳で清浄なことに感激をいたし、感謝をいたしました。 <br />身はまだ沖縄の海の底にあっても、魂は靖国の社におわす特攻の大叔父も、さぞかし心を慰められたことと思います。 <br />来年も元気でまた来るぞ！と張り切る母と共に、靖国を後にいたし、帰宅の途につきました。 <br />充実した良き一日であったと心より感謝申し上げております。 <br /><br />★写真上より <br /><br />昨日の神雷桜 <br />頂いた神饌（大きな月餅と例大祭式次第）<br /><a name="more"></a>

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            <category>特攻の叔父の話</category>
      <author>ぴろん</author>
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      <link>https://piron326.seesaa.net/article/164523045.html</link>
      <title>第二回拉致を動かすための院内集会より　国会議員の「しおかぜ」メッセージ</title>
      <pubDate>Sun, 03 Oct 2010 14:40:05 +0900</pubDate>
            <description>★有田芳生参議院議員の「しおかぜ」メッセージarita.mp3許すことのできない北朝鮮の犯罪行為、拉致によって、いまだ祖国日本に戻ることが叶わないみなさん。私は参議院議員の有田芳生です。いま日本は亜熱帯になったかと言われるほどの猛暑の夏がようやく終わり、秋の気配が漂ってきました。季節が移ろうように、みなさんもみなさんのご家族も１年１年と年齢を重ねています。しかしみなさんを何としてでも祖国日本へ取り戻さなければならないとの私たちの怒りと熱情は深まりこそすれ、衰えることはありませ..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
★有田芳生参議院議員の「しおかぜ」メッセージ

<a href="http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/20100929-1.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/20100929-1-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" alt="20100929-1.jpg" /></a>

<a href="http://piron326.up.seesaa.net/image/arita.mp3">arita.mp3</a>

許すことのできない北朝鮮の犯罪行為、拉致によって、いまだ祖国日本に戻ることが叶わないみなさん。私は参議院議員の有田芳生です。いま日本は亜熱帯になったかと言われるほどの猛暑の夏がようやく終わり、秋の気配が漂ってきました。

季節が移ろうように、みなさんもみなさんのご家族も１年１年と年齢を重ねています。しかしみなさんを何としてでも祖国日本へ取り戻さなければならないとの私たちの怒りと熱情は深まりこそすれ、衰えることはありません。
　
この政治課題は一度限りの人生の自由を取り戻すための崇高で普遍的な人権問題への取り組みであり、日本の国家主権への侵害との闘いでもあります。そこにおいて政治に携わる私たちの責任は重大です。
　　
みなさんを祖国日本に取り戻すためには強い政治と強い世論が必要です。私たちは議員それぞれに国家観の違いなどがあれども、みなさんが一刻も早くご家族のもとで暮らすことができるようにするために「小異を保留して大同に立ち」この重大問題解決のために全力を尽します。
　　
みなさん。決して諦めることなく、心の中で希望の灯をともし続けてください。ナチスによる強制収容所で暮らしたヴィクトール・フランクルは「どんな時も、人生には意味がある」と自らを励ましました。やがて待ち受けていたのは解放でした。遠くない日にみなさんがご家族と抱（いだ）きあう歓喜の瞬間がやってくることを信じつつ、そのために行動することをお約束いたします。


★小池百合子衆議院議員の「しおかぜ」メッセージ

<a href="http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/20100929-2.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/20100929-2-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" alt="20100929-2.jpg" /></a>

<a href="http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/koike.mp3">koike.mp3</a>

皆さん、お元気ですか？私は自民党衆議院議員の小池百合子です。現在総務会長と言うお役を承っております。
皆さんの生活、北朝鮮の状況を考えると、本当に厳しいものだということは容易に想像がつきます。
そういう中において、新しい体制が今出来つつある北朝鮮。
それに対抗して、対してですね。きちっと言うべきことを言い、そしてまた実行する。
つまり皆さんの一日も早く救出が出来るような、という体制をですね。
日本がしっかりとキープをし、実行していきたいと思っております。

今自民党は野党でありますけれども、しかしながら国家の安全保障、そして国民の皆さんの安全保障という点については一日の長があると、このように考えております。
政党がどこであれ一日も早く助けてよ、という皆さんの声をしっかり受け止めてですね。
また気持ちを受け止めて、そして日本を取り戻す。皆さんを取り戻す。
これは同じことだと思います。

私、これからもですね。いかなる役職に就こうとも、その点についてはしっかりと活動、行動、そしてしっかりと物を申していきたいと思っております。共に頑張ってまいりましょう。お元気で。<a></a>

]]></itunes:summary>
      <content:encoded><![CDATA[
★有田芳生参議院議員の「しおかぜ」メッセージ<br /><br /><a href="http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/20100929-1.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/20100929-1-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" align="" alt="20100929-1.jpg" onclick="location.href = 'https://piron326.seesaa.net/upload/detail/0401014yokotamegumi/20100929-1-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls" controlsList="nodownload">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=7dcc95af66b621560f555812da53d7ce&u=http://piron326.up.seesaa.net/image/arita.mp3"></audio></div><br /><br />許すことのできない北朝鮮の犯罪行為、拉致によって、いまだ祖国日本に戻ることが叶わないみなさん。私は参議院議員の有田芳生です。いま日本は亜熱帯になったかと言われるほどの猛暑の夏がようやく終わり、秋の気配が漂ってきました。<br /><br />季節が移ろうように、みなさんもみなさんのご家族も１年１年と年齢を重ねています。しかしみなさんを何としてでも祖国日本へ取り戻さなければならないとの私たちの怒りと熱情は深まりこそすれ、衰えることはありません。<br />　<br />この政治課題は一度限りの人生の自由を取り戻すための崇高で普遍的な人権問題への取り組みであり、日本の国家主権への侵害との闘いでもあります。そこにおいて政治に携わる私たちの責任は重大です。<br />　　<br />みなさんを祖国日本に取り戻すためには強い政治と強い世論が必要です。私たちは議員それぞれに国家観の違いなどがあれども、みなさんが一刻も早くご家族のもとで暮らすことができるようにするために「小異を保留して大同に立ち」この重大問題解決のために全力を尽します。<br />　　<br />みなさん。決して諦めることなく、心の中で希望の灯をともし続けてください。ナチスによる強制収容所で暮らしたヴィクトール・フランクルは「どんな時も、人生には意味がある」と自らを励ましました。やがて待ち受けていたのは解放でした。遠くない日にみなさんがご家族と抱（いだ）きあう歓喜の瞬間がやってくることを信じつつ、そのために行動することをお約束いたします。<br /><br /><br />★小池百合子衆議院議員の「しおかぜ」メッセージ<br /><br /><a href="http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/20100929-2.jpg" target="_blank"><img src="http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/20100929-2-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" align="" alt="20100929-2.jpg" onclick="location.href = 'https://piron326.seesaa.net/upload/detail/0401014yokotamegumi/20100929-2-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls" controlsList="nodownload">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=d20546f039c35b5ff89f7a1d2a472427&u=http://piron326.up.seesaa.net/0401014yokotamegumi/koike.mp3"></audio></div><br /><br />皆さん、お元気ですか？私は自民党衆議院議員の小池百合子です。現在総務会長と言うお役を承っております。<br />皆さんの生活、北朝鮮の状況を考えると、本当に厳しいものだということは容易に想像がつきます。<br />そういう中において、新しい体制が今出来つつある北朝鮮。<br />それに対抗して、対してですね。きちっと言うべきことを言い、そしてまた実行する。<br />つまり皆さんの一日も早く救出が出来るような、という体制をですね。<br />日本がしっかりとキープをし、実行していきたいと思っております。<br /><br />今自民党は野党でありますけれども、しかしながら国家の安全保障、そして国民の皆さんの安全保障という点については一日の長があると、このように考えております。<br />政党がどこであれ一日も早く助けてよ、という皆さんの声をしっかり受け止めてですね。<br />また気持ちを受け止めて、そして日本を取り戻す。皆さんを取り戻す。<br />これは同じことだと思います。<br /><br />私、これからもですね。いかなる役職に就こうとも、その点についてはしっかりと活動、行動、そしてしっかりと物を申していきたいと思っております。共に頑張ってまいりましょう。お元気で。<a name="more"></a>

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            <category>拉致問題</category>
      <author>ぴろん</author>
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            <itunes:author>hiromi</itunes:author>
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            <itunes:author>hiromi</itunes:author>
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      <link>https://piron326.seesaa.net/article/163000718.html</link>
      <title>関心は失われていない</title>
      <pubDate>Sat, 18 Sep 2010 08:19:11 +0900</pubDate>
            <description>国民の拉致に対する関心は薄れた、と巷間言われて久しいです。でも、それは本当でしょうか？確かに、９．１７直後のような烈火のような怒りや悲しみの感情は、今は大衆の中には見て取れないかもしれません。けれど、被害者救済を訴えて街頭に立つ時、自ら歩みよって署名に応じてくださる方、リボンを受け取ってくださる方の様子を拝見して、拉致は決して風化はしていない、と私は確信しています。日々の生活に追われ、大衆の第一の関心は経済問題であったり、雇用や医療、年金の問題であったりするのかも知れません。..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
国民の拉致に対する関心は薄れた、と巷間言われて久しいです。
でも、それは本当でしょうか？

確かに、９．１７直後のような烈火のような怒りや悲しみの感情は、今は大衆の中には見て取れないかもしれません。
けれど、被害者救済を訴えて街頭に立つ時、自ら歩みよって署名に応じてくださる方、リボンを受け取ってくださる方の様子を拝見して、拉致は決して風化はしていない、と私は確信しています。

日々の生活に追われ、大衆の第一の関心は経済問題であったり、雇用や医療、年金の問題であったりするのかも知れません。
でも、人々の心の奥に、熾火のように拉致被害者に対する関心は、熱く燃えている・・・それが日本人の本当の心だと、私は確信します。

「親御さんが可哀そうで見ていられない」「拉致されたのが我が子だったらと思うと耐えられない」等々。
街頭で聞く言葉はそれぞれです。
天下国家を論じる声から政治の無力を嘆く声、家族に対する同情。
もちろん、中には「署名なんかやったって被害者を救えるのか？もう被害者は死んでるよ！」と吐き捨てるようにして通り過ぎる方もいらっしゃいます。
確かにこれだけ解決が長引けば、諦めることでこの問題を忘れようと思う方がいても不思議ではありません。

それでも、街頭に立って一つだけ、間違いなく確信できることがあります。


それは人により多少の温度差はあれ、「多くの日本人は拉致問題に対する関心を失っていない」ということ。


この度の内閣改造では、拉致問題に非常に関心の薄い担当大臣が就任した模様。
そもそも内閣のトップが、拉致に対して全く関心の無い？と思える菅直人総理ですから、推して知るべし、なのかもしれませんが。

拉致問題の解決は世代をつないでやるものではありません。
被害者の命にも、家族の命にも限りはあります。
私たちはそんなには、待てない。


どんな状況であれ、国を動かすのは世論の声です。
一刻も早く助けよう！！という世論のうねりを、今こそ国に示さねば、拉致問題はいつまで経っても解決の兆しさえ見えません。

あらゆる方法を試みて、国を動かす。
署名、写真展、リボンの配布、家族愛の配布などなど。

ひとりでも多くの方が、拉致被害者を救いたいという心からの願いを素直に表わせるような、そんな運動が展開できたら・・・と願ってやみません。
家族の悲しみを、被害者の苦しみを・・・もうこれ以上長引かせてはいけないのですから。<a></a>

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国民の拉致に対する関心は薄れた、と巷間言われて久しいです。<br />でも、それは本当でしょうか？<br /><br />確かに、９．１７直後のような烈火のような怒りや悲しみの感情は、今は大衆の中には見て取れないかもしれません。<br />けれど、被害者救済を訴えて街頭に立つ時、自ら歩みよって署名に応じてくださる方、リボンを受け取ってくださる方の様子を拝見して、拉致は決して風化はしていない、と私は確信しています。<br /><br />日々の生活に追われ、大衆の第一の関心は経済問題であったり、雇用や医療、年金の問題であったりするのかも知れません。<br />でも、人々の心の奥に、熾火のように拉致被害者に対する関心は、熱く燃えている・・・それが日本人の本当の心だと、私は確信します。<br /><br />「親御さんが可哀そうで見ていられない」「拉致されたのが我が子だったらと思うと耐えられない」等々。<br />街頭で聞く言葉はそれぞれです。<br />天下国家を論じる声から政治の無力を嘆く声、家族に対する同情。<br />もちろん、中には「署名なんかやったって被害者を救えるのか？もう被害者は死んでるよ！」と吐き捨てるようにして通り過ぎる方もいらっしゃいます。<br />確かにこれだけ解決が長引けば、諦めることでこの問題を忘れようと思う方がいても不思議ではありません。<br /><br />それでも、街頭に立って一つだけ、間違いなく確信できることがあります。<br /><br /><br />それは人により多少の温度差はあれ、「多くの日本人は拉致問題に対する関心を失っていない」ということ。<br /><br /><br />この度の内閣改造では、拉致問題に非常に関心の薄い担当大臣が就任した模様。<br />そもそも内閣のトップが、拉致に対して全く関心の無い？と思える菅直人総理ですから、推して知るべし、なのかもしれませんが。<br /><br />拉致問題の解決は世代をつないでやるものではありません。<br />被害者の命にも、家族の命にも限りはあります。<br />私たちはそんなには、待てない。<br /><br /><br />どんな状況であれ、国を動かすのは世論の声です。<br />一刻も早く助けよう！！という世論のうねりを、今こそ国に示さねば、拉致問題はいつまで経っても解決の兆しさえ見えません。<br /><br />あらゆる方法を試みて、国を動かす。<br />署名、写真展、リボンの配布、家族愛の配布などなど。<br /><br />ひとりでも多くの方が、拉致被害者を救いたいという心からの願いを素直に表わせるような、そんな運動が展開できたら・・・と願ってやみません。<br />家族の悲しみを、被害者の苦しみを・・・もうこれ以上長引かせてはいけないのですから。<a name="more"></a>

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            <category>拉致問題</category>
      <author>ぴろん</author>
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      <link>https://piron326.seesaa.net/article/161894472.html</link>
      <title>第二回院内集会のお知らせ</title>
      <pubDate>Wed, 08 Sep 2010 11:09:31 +0900</pubDate>
            <description>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 第二回拉致を動かすための院内集会のおしらせ　平成22年9月29日（水） ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 日本の政治の中枢で、拉致問題解決へむけて、討議します。 ２００２年９月１７日から、もう８年、待ち続けている被害者を救い出すために、 それぞれの立場での行動を促す集会にしたいと思います。ぜひ、ご参加ください。 ■日時：平成２２年　９月２９日（水）　　午後２時～４時半 ■場所：衆..</description>
            <itunes:summary><![CDATA[
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
第二回拉致を動かすための院内集会のおしらせ　平成22年9月29日（水） 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 

日本の政治の中枢で、拉致問題解決へむけて、討議します。 
２００２年９月１７日から、もう８年、待ち続けている被害者を救い出すために、 
それぞれの立場での行動を促す集会にしたいと思います。ぜひ、ご参加ください。 

■日時：平成２２年　９月２９日（水）　　午後２時～４時半 
■場所：衆議院第二議員会館　第一会議室 
■一般参加者：６０名　完全予約制 
■講師　横田滋・早紀江ご夫妻 村尾建兒氏（特定失踪者問題調査会・しおかぜ担当） 
■連絡先：メールblue-jewel-7@mail.goo.ne.jp　携帯090-5215-7752（河村） 
■主催：東京ブルーリボンの会 
■協力：山谷えり子事務所　松原仁事務所　 
　長尾たかし事務所　衛藤晟一事務所・有田芳生事務所 

■第一部　講　演　横田夫妻/村尾建兒氏 
■第二部　意見交換 
■第三部　しおかぜ録音 
　　国会議員のみなさんにしおかぜのメッセージを録音していただきます。 

尚、準備段階で講師、内容に多少変更がある場合もございますので、あらかじめご理解ください。 

■申し込み方法：上記連絡先に問い合せの上、予約してください。 
申し込み多数の場合、お断りする場合もありますので、ご了承ください。 
<a></a>

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      <content:encoded><![CDATA[
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <br />第二回拉致を動かすための院内集会のおしらせ　平成22年9月29日（水） <br />━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <br /><br />日本の政治の中枢で、拉致問題解決へむけて、討議します。 <br />２００２年９月１７日から、もう８年、待ち続けている被害者を救い出すために、 <br />それぞれの立場での行動を促す集会にしたいと思います。ぜひ、ご参加ください。 <br /><br />■日時：平成２２年　９月２９日（水）　　午後２時～４時半 <br />■場所：衆議院第二議員会館　第一会議室 <br />■一般参加者：６０名　完全予約制 <br />■講師　横田滋・早紀江ご夫妻 村尾建兒氏（特定失踪者問題調査会・しおかぜ担当） <br />■連絡先：メールblue-jewel-7@mail.goo.ne.jp　携帯090-5215-7752（河村） <br />■主催：東京ブルーリボンの会 <br />■協力：山谷えり子事務所　松原仁事務所　 <br />　長尾たかし事務所　衛藤晟一事務所・有田芳生事務所 <br /><br />■第一部　講　演　横田夫妻/村尾建兒氏 <br />■第二部　意見交換 <br />■第三部　しおかぜ録音 <br />　　国会議員のみなさんにしおかぜのメッセージを録音していただきます。 <br /><br />尚、準備段階で講師、内容に多少変更がある場合もございますので、あらかじめご理解ください。 <br /><br />■申し込み方法：上記連絡先に問い合せの上、予約してください。 <br />申し込み多数の場合、お断りする場合もありますので、ご了承ください。 <br /><a name="more"></a>

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            <category>ご挨拶＆お知らせ</category>
      <author>ぴろん</author>
      <guid isPermaLink="false">blog:https://blog.seesaa.jp,piron326/161894472</guid>
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